
引用元:そろそろ8月だし、おまえらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1596198809/
3: スミロドン(東京都) [US] 2020/07/31(金) 21:34:13.18 ID:Q0lUd4Ig0
怖いのは幽霊ではなくて生きてる人間
18: コラット(SB-Android) [CA] 2020/07/31(金) 21:39:27.73 ID:fnWKtx8o0
>>3
似たような言葉で
地獄なんて、あの世にはないよ、地獄はこの世にある
ばーちゃんが言うと、本当に怖かった
似たような言葉で
地獄なんて、あの世にはないよ、地獄はこの世にある
ばーちゃんが言うと、本当に怖かった
9: サイベリアン(ジパング) [IT] 2020/07/31(金) 21:37:00.53 ID:cGBPcJLQ0
満州がえりなら聞いたよ
船ひとつ間違えたら魚雷でやられたってさ
船ひとつ間違えたら魚雷でやられたってさ
385: アクチノポリスポラ(ジパング) [ニダ] 2020/08/01(土) 01:40:06.83 ID:/NMIb5CL0
>>9
父方の祖父母家族と全く同じだわ
自分達でちょうど締め切られ次回乗船扱いされてがっかりしていたが、その逃した船が魚雷で撃沈され乗員乗客は全員死亡したって亡くなった祖母から聞いた
へたすりゃ満州からの引き揚げ船で一緒になってたかもしれんね
父方の祖父母家族と全く同じだわ
自分達でちょうど締め切られ次回乗船扱いされてがっかりしていたが、その逃した船が魚雷で撃沈され乗員乗客は全員死亡したって亡くなった祖母から聞いた
へたすりゃ満州からの引き揚げ船で一緒になってたかもしれんね
14: パンパスネコ(熊本県) [DE] 2020/07/31(金) 21:38:54.96 ID:OBTtKgrK0
軍隊手帳の最初の何ページかを暗記できないと殴られたとか
24: 白(栃木県) [IT] 2020/07/31(金) 21:40:46.68 ID:wn24kGPC0
東京大空襲の時皆んなと逆に方に逃げたら助かったらしい
流されていたら死んでた
流されていたら死んでた
26: シャルトリュー(福岡県) [CN] 2020/07/31(金) 21:40:51.03 ID:wlIyAwj40
・ど田舎だったから、戦火に巻き込まれた事がない(爆弾の一発も落ちてきた事がない)
・ウサギは貴重品(肉も皮も余さず利用出来るから)
・自分ちで米作ってたから、戦中戦後通して食い物に困った事がない。
・玉音放送の内容は訳わからんかったけど、「戦争に負けたんだな」と言う事だけはわかった。
以上、婆ちゃんから聞いた話。
・ウサギは貴重品(肉も皮も余さず利用出来るから)
・自分ちで米作ってたから、戦中戦後通して食い物に困った事がない。
・玉音放送の内容は訳わからんかったけど、「戦争に負けたんだな」と言う事だけはわかった。
以上、婆ちゃんから聞いた話。
27: ピューマ(三重県) [ニダ] 2020/07/31(金) 21:41:20.78 ID:PHN4GRUp0
日露戦争でじいちゃんが足を撃たれた
46: カナダオオヤマネコ(四国地方) [GB] 2020/07/31(金) 21:46:01.75 ID:mZ35Oazu0
俺の爺ちゃんは自費出版で自分の従軍体験を書いてたな なかなか面白かったよ
50: エキゾチックショートヘア(茸) [JP] 2020/07/31(金) 21:46:43.30 ID:kkCTDlOs0
中国の田舎の方に行かされたけど、結局戦闘がなく、毎日馬に乗ったり、地元の中国人に絵を教わったりしてただけだったって。
帰国する時は食料を貰って上海から船で帰国したって。
帰国する時は食料を貰って上海から船で帰国したって。
70: しぃ(埼玉県) [GR] 2020/07/31(金) 21:53:32.25 ID:GanEmEuX0
つい最近地元に陸軍の軍需工場があったのを知った 軍需工場といっても戦争末期だったんで ほとんど農家の倉庫とか掘っ立て小屋みたいな所でチビチビ造ってたらしい そりゃ負けるわな
72: オシキャット(東京都) [CA] 2020/07/31(金) 21:53:56.03 ID:p2p+U4mM0
満州で大成功して大金持ちだったけど引き上げの時に全部没収された
77: ジャガランディ(光) [US] 2020/07/31(金) 21:55:39.52 ID:RVLtBg190
曾祖父さんが軍隊で中国の海南島にいたけど一切戦争に巻き込まれなかったらしい。毎日楽しかったってさ。
78: ボルネオウンピョウ(岐阜県) [ES] 2020/07/31(金) 21:56:25.13 ID:Unevc05A0
俺の爺ちゃん兵役足りなくて年金みたいなの貰えなかったのが一番残念そうだったな
87: ヒョウ(群馬県) [CN] 2020/07/31(金) 21:59:31.71 ID:vKqsLZQP0
戦車は怖い
96: マヌルネコ(東京都) [CN] 2020/07/31(金) 22:02:35.60 ID:u55Ti0IT0
祖父母が戦争世代だとすると孫も結構な年
220: アジアゴールデンキャット(茸) [SD] 2020/07/31(金) 22:56:02.11 ID:MdkaOEWv0
>>96
だいたい氷河期世代だろ、俺もそうだけど
だいたい氷河期世代だろ、俺もそうだけど
101: カラカル(栃木県) [CN] 2020/07/31(金) 22:05:32.41 ID:8zONjiZh0
生きてたら90ナンボの祖父が九十九里浜で上陸する戦車に粘土爆弾かなんかを付ける演習してたと言ってた
片目なくなってた親戚の爺さんも90ナンボまで生きて年金?でかなり家が潤ってたみたいだった
片目なくなってた親戚の爺さんも90ナンボまで生きて年金?でかなり家が潤ってたみたいだった
115: ハイイロネコ(東京都) [ヌコ] 2020/07/31(金) 22:13:50.77 ID:J1r8qnKm0
満州帰りの爺さん
大の甘党でタバコ嫌い
支給品のタバコを上官にあげたら、これまた支給品の大量の金平糖をお返しに貰った
行軍中も歩哨中も常に食べてたら、あっという間に虫歯だらけ
ある時戦闘になったけど、虫歯が痛くて小銃に頬付けできず、全く当たらない
上官から怒鳴られて、仕方なく正しく構えて打ったら、ボロボロだった奥歯が反動で崩壊&痛すぎて失神
回りからは被弾したと勘違いされて軍医のもとへ運ばれたらしい
意識がもどったところで診察した軍医ブチギレ
その場で麻酔無しで残りの虫歯(確か3本)を抜かれたとか
大の甘党でタバコ嫌い
支給品のタバコを上官にあげたら、これまた支給品の大量の金平糖をお返しに貰った
行軍中も歩哨中も常に食べてたら、あっという間に虫歯だらけ
ある時戦闘になったけど、虫歯が痛くて小銃に頬付けできず、全く当たらない
上官から怒鳴られて、仕方なく正しく構えて打ったら、ボロボロだった奥歯が反動で崩壊&痛すぎて失神
回りからは被弾したと勘違いされて軍医のもとへ運ばれたらしい
意識がもどったところで診察した軍医ブチギレ
その場で麻酔無しで残りの虫歯(確か3本)を抜かれたとか
249: ボブキャット(東京都) [IN] 2020/07/31(金) 23:19:43.43 ID:ad46+m3F0
>>115
ごめん
ワロタw
ごめん
ワロタw
274: ハイイロネコ(東京都) [ヌコ] 2020/07/31(金) 23:42:58.71 ID:J1r8qnKm0
>>249
いいのいいの
おそらく悲惨な話も沢山あったはずだけど、面白おかしく話さないと本人も辛かったはずだから。
いいのいいの
おそらく悲惨な話も沢山あったはずだけど、面白おかしく話さないと本人も辛かったはずだから。
328: ハロアナエロビウム(東京都) [IN] 2020/08/01(土) 00:18:37.65 ID:RHLSCOBC0
>>274
ユーモアのある人は強いっていうから生きて帰ってこれたのかもしれんね。ここで話も聞けたし、帰ってきてくれて良かったよ(。´Д⊂)
ユーモアのある人は強いっていうから生きて帰ってこれたのかもしれんね。ここで話も聞けたし、帰ってきてくれて良かったよ(。´Д⊂)
117: ユキヒョウ(ジパング) [EU] 2020/07/31(金) 22:14:20.80 ID:2gOlPuE40
曽祖父の実家は戦前、大学生だった曽祖父にフォードA型の新車を買ってくれる程の金持ちだったらしい
ガソリンが配給でも乗り回して大学に通ってたが戦況の悪化で中支戦線に招集、数少ない運転技能持った人間なので司令部付きで指揮官の運転手をしてたんだって
敗戦時も司令部を乗せて真っ先に逃げられたから本土に帰ってこれたんだと聞いたことがある
そもそも自動車の運転が軍で特殊技能扱いされるほどドライバーの数が少ないって…戦争負ける訳だよ
ガソリンが配給でも乗り回して大学に通ってたが戦況の悪化で中支戦線に招集、数少ない運転技能持った人間なので司令部付きで指揮官の運転手をしてたんだって
敗戦時も司令部を乗せて真っ先に逃げられたから本土に帰ってこれたんだと聞いたことがある
そもそも自動車の運転が軍で特殊技能扱いされるほどドライバーの数が少ないって…戦争負ける訳だよ
127: スフィンクス(神奈川県) [TR] 2020/07/31(金) 22:18:23.09 ID:qzRHPePJ0
落ちたメガネ拾うとき後頭部で空を切る音がしたんだってさ
152: エキゾチックショートヘア(SB-Android) [GB] 2020/07/31(金) 22:29:17.82 ID:3Sj7JHWB0
>>127
((((;゚Д゚))))
((((;゚Д゚))))
136: ベンガル(東京都) [ニダ] 2020/07/31(金) 22:23:44.62 ID:Jp3uANYl0
お爺ちゃん海軍だったけど、自分の乗っていた艦以外全部沈められて帰ってきたらしい
その帰還がなければ俺は生まれていなかった
生まれた時にはもう亡くなっていたから話は聞けなかった
その帰還がなければ俺は生まれていなかった
生まれた時にはもう亡くなっていたから話は聞けなかった
157: ボルネオウンピョウ(栃木県) [RU] 2020/07/31(金) 22:30:43.11 ID:/MQkNo7+0
爺さんがパプワニューギニアにいってたらしいが
本人はその話をしたがらなかったそうだ
本人はその話をしたがらなかったそうだ
161: バーミーズ(石川県) [JP] 2020/07/31(金) 22:31:51.58 ID:YYqIgEVT0
特にこれといった空襲被害もなく
食料は質は落ちたけど飢えることは殆ど無く
身内で軍隊いった人も内地にいるうちに終戦
富山空襲の時に時に空が真っ赤になってたの見て驚いたってのが、戦時の数少ない怖かった思い出らしい
食料は質は落ちたけど飢えることは殆ど無く
身内で軍隊いった人も内地にいるうちに終戦
富山空襲の時に時に空が真っ赤になってたの見て驚いたってのが、戦時の数少ない怖かった思い出らしい
166: アメリカンワイヤーヘア(福島県) [CN] 2020/07/31(金) 22:32:58.57 ID:miujl0iY0
祖父は撃ち合いになった時に真上撃ってたらしく
「おじいちゃんは人を殺してない」と言っていた
小学生だった俺は
「それって仲間に迷惑だろ」って思った事を今でもはっきり覚えてる
「おじいちゃんは人を殺してない」と言っていた
小学生だった俺は
「それって仲間に迷惑だろ」って思った事を今でもはっきり覚えてる
175: ぬこ(東京都) [ニダ] 2020/07/31(金) 22:35:52.39 ID:Bh2EsDYr0
>>166
しっかり狙わず適当に撃ってる人は割といたと聞いた
しっかり狙わず適当に撃ってる人は割といたと聞いた
183: バーミーズ(石川県) [JP] 2020/07/31(金) 22:39:42.68 ID:YYqIgEVT0
>>175
どこの軍隊も徴兵された連中はそんな感じでろくに当たらんらしいねえ
代わりに一人で何人でも撃ち殺せるのがいたり
銃剣突撃とかになるとやらざるを得ないから、日本とかロシアあたりはとにかく銃剣突撃推奨だったっぽいねえ
どこの軍隊も徴兵された連中はそんな感じでろくに当たらんらしいねえ
代わりに一人で何人でも撃ち殺せるのがいたり
銃剣突撃とかになるとやらざるを得ないから、日本とかロシアあたりはとにかく銃剣突撃推奨だったっぽいねえ
187: オリエンタル(大阪府) [US] 2020/07/31(金) 22:42:23.49 ID:aFao4+Wn0
結局のところ運ゲーらしい
188: エキゾチックショートヘア(愛知県) [NL] 2020/07/31(金) 22:42:26.35 ID:mmwgiO5B0
ひい爺ちゃんは実寸大の木製飛行機を作ってたらしい
敵の爆弾を無駄に使わせるために飛行場に並べてたんだってさ
敵の爆弾を無駄に使わせるために飛行場に並べてたんだってさ
191: ピクシーボブ(東京都) [US] 2020/07/31(金) 22:43:07.71 ID:mkQA/ZH90
父方の爺ちゃんは徴兵検査に落ちて戦争行かなかったつーてた
命拾いしたけどクソ田舎だから周りの視線キツかったかもな
命拾いしたけどクソ田舎だから周りの視線キツかったかもな
199: トンキニーズ(ジパング) [US] 2020/07/31(金) 22:46:11.60 ID:QlSltyd40
祖父が海軍だったから水を無使いすると父親が「水兵さんは洗面器一杯の水で云々」って言われた
227: ジャガランディ(東京都) [ニダ] 2020/07/31(金) 22:59:06.62 ID:ERbknQ4I0
神社からの炊き出しで生き長らえたと聴いたな
270: スミロドン(光) [BR] 2020/07/31(金) 23:39:27.91 ID:78O2cHRr0
そういえば戦争にいった爺ちゃんから戦争の話を聞いたことなかったな無口な職人だったからあまりしゃべったりしない人ではあったが。戦地で何かあったのだろうか。
308: ラクトバチルス(東京都) [NL] 2020/08/01(土) 00:08:48.28 ID:mfd/QL+z0
>>270
俺のじいちゃんもだは。
俺が小さい頃に死んだから俺自身はあまりじいちゃんを知らないが
うちのばぁちゃんが、じいちゃんは戦争から帰って来てから
絶対に戦争の話をしなかったって言ってた
俺のじいちゃんもだは。
俺が小さい頃に死んだから俺自身はあまりじいちゃんを知らないが
うちのばぁちゃんが、じいちゃんは戦争から帰って来てから
絶対に戦争の話をしなかったって言ってた
303: イグナヴィバクテリウム(北海道) [US] 2020/08/01(土) 00:06:10.55 ID:ZbNqmURv0
田舎で農家やってたが
専門の業者みたいな人がリヤカー引いて骨董品やら着物やらを農産物と交換しに良く来てたらしい
その時の日本刀とか掛け軸とか納屋にあった
専門の業者みたいな人がリヤカー引いて骨董品やら着物やらを農産物と交換しに良く来てたらしい
その時の日本刀とか掛け軸とか納屋にあった
342: プニセイコックス(神奈川県) [CA] 2020/08/01(土) 00:28:03.60 ID:HhZbwNYm0
子供の頃に祖父から聞いた話では「負けたことが悔しい」が口癖だったな
418: テルモデスルフォバクテリウム(福岡県) [VE] 2020/08/01(土) 02:25:21.95 ID:ldOryYMY0
瑞鶴が沈んだ時に乗船してて何時間も泳いだ話を聞いた
431: テルモミクロビウム(関東地方) [RU] 2020/08/01(土) 02:52:10.14 ID:3X9qGVQS0
辛い記憶だったり自分は正しかったのか思い悩む話がきっと多くて、本人は語りたがらない事が多いのだろう
自分が聞いたのは当時幼児だった父の記憶だそれも祖父母が亡くなってから。孫に話したくない事だっただろうと言う微妙な話が散見される
自分が聞いたのは当時幼児だった父の記憶だそれも祖父母が亡くなってから。孫に話したくない事だっただろうと言う微妙な話が散見される
433: アナエロリネア(神奈川県) [IR] 2020/08/01(土) 02:55:41.78 ID:dkXWZDiJ0
爺ちゃんは母ちゃんに戦場でのことは一切話さなかったらしい
たまに戦友が遊びに来てみんなで飲んでハーモニカ吹いてたそうだ
たまに戦友が遊びに来てみんなで飲んでハーモニカ吹いてたそうだ
1001: 名無しさん@大艦巨砲主義!
2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio
韓国がリアルに「軍事的(侵略)」な意味で長崎県「対馬」を狙っている。
(⌒0⌒)/~~「「要注意」である。」
(⌒0⌒)/~~「「竹島・北方領土」は必ず奪還する。」
(⌒0⌒)/~~「「横田めぐみ他、拉致被害者」は必ず救出する。」
韓国は島根県「竹島」を「武力占領(不法占領)」
韓国は「44人」の「🎌日本人🎌「民間人」」を「殺.害」した。
韓国は「4000人」以上の「🎌日本人🎌「民間人」」を「強制連行」した。
終戦で上陸してきた連合軍にその親戚の土地接収されて、一時期一族で浮浪者やってたうちの祖母
今思い出してみても、お兄さんは陸軍兵の服装をしていたし船には大砲が無かった。
多分だけど、輸送船に乗っていてボカチン食らって海の藻屑になったのかも知れない。
本家の大叔父達は敢えて話題にしないしたくないみたいで、何も聞けなかった。
今、現在進行形で「竹島」は韓国が「不法占領(武力占領)」している。「北方領土」はロシアが「不法占領(武力占領)」している。
今、現在進行形で「横田めぐみ他、拉致被害者」は北朝鮮が「拉致(不法行為)」している。
(⌒0⌒)/~~「忘れましたか?」
(⌒0⌒)/~~「忘れましたか?」
原生林や人の手が殆ど入って無いすすき野原とかがあった原風景が無くなって行くのを見ながら思った小学生時代の思いは今も変わらない
爺さんは3男坊だったが上の2人が戦死
このままでは家の跡継ぎがいなくなる、と内地勤務
とある島で通信隊の訓練をやっていたが、みんな末っ子ばかりの部隊だった
日本にもプライベートライアンみたいな配慮があったんだそう
コメント「4」に質問?
今、現在進行形で「竹島」を韓国が「不法占領(武力占領)」している。今、現在進行形で「北方領土」をロシアが「不法占領(武力占領)」している。今、現在進行形で「横田めぐみ他、拉致被害者」を北朝鮮が「拉致(不法行為)」している。
(⌒0⌒)/~~「忘れましたか?」
コメント「4」
(⌒0⌒)/~~「忘れましたか?」
だから戦中のエピソードなんてまるで聞いてないな
生活が現代と違って不便だったことくらいしか語ってくれなかった
んで、その間は10歳くらいの祖父が養鶏やら家の仕事見てたとか
身内のまともな戦争体験はそれくらいしか知らんわ
世間でよくある激戦とか空襲とかの話なんて一つもない
まあそっちの方が幸せだったんだろうけどね
施設の門の外で悲鳴を上げてる日本人の声が今でも耳から離れないと言ってたな
コメント「16」
(⌒0⌒)/~~「「効いてる。効いてる。」(笑)」
偶々船に乗ってたんじゃなくて、船に乗るのがお仕事の陸軍船舶部隊の方だったのかもしれんね
除隊したら満州で飛行機関係の仕事に就くつもりだったらしい
実現していたら自分は存在していない
俺、カッコよすぎなんだけど。マジで。
早く戦争終わらないかなって感じだったみたいよ。一般の人は。
おみゃあまだいただぎゃあよ珍コメミャン🙀
おみゃあには無理だで珍コメミャン🙀
コメント「4」忘れましたか?
現在進行形で「竹島」は韓国が「武力占領(不法占領)」している。現在進行形で「北方領土」はロシアが「武力占領(不法占領)」している。現在進行形で「横田めぐみ他、拉致被害者」は北朝鮮が「拉致(不法行為)」している。
(⌒0⌒)/~~「忘れましたか?」
昔は道路も舗装されていなくてガタガタ道を自転車で通勤してて空襲警報が鳴ると逃げ出すんだけど
焼け出されるて川にいっぱい死体がプカプカしてたって言ってたわ
あと小さい頃はじっちゃとばっちゃの布団で川の字になって寝てたけど
じっちゃが戦争のトラウマでたまに悪夢見て暴れてね・・・子供心ながら怖かったわ
おみゃあが在日なのはもうとっくの昔に知っとるだぎゃあよ珍コメミャン🙀
コメント「4」
(⌒0⌒)/~~「忘れましたか?」
日本人はお人よしだ。
正直あまり覚えていないらしい。
父の兄はインパール作戦で戦死、姉の一人は中国の匪賊にさらわれたまま行方不明。
ただ、父は戦争の話は滅多にしなかった。戦時中、戦争直後の楽しい話は、たまに気分のいい時に話しをした。
戦争が悲惨だとか、戦前の日本はダメだったとか、そんな話は聞いたことがない。
偵察活動はすれど一度も戦闘に遭遇しないで帰ってきたって自伝に書いてあったわ
あと戦後米兵に貸す家建てて大家やってたとか
船の写真が残っているから、その可能性はあるかも。
だけど、誰も教えてくれないまま大叔父達も祖父母も鬼籍に入っちゃったからねぇ。
名前さえ教えてもらえなかったんだから。
地元で空襲があったから女房が死んでたら結婚しよう
様子を見に地元へ帰ったら、女房疎開して無事でガッカリ
私はこんな人でなしの孫でござるw
帝国陸軍って意外と色んな融通きくのな
京都に関しては終わりの時期とタイミングずれてたら原爆落とされてたかもしれんしな。
八幡市で爆撃受けた程度で被害は知れてたから京都の人はそうだったろうね。
たまたま京都の場合は運が良かっただけだし下手すりゃ大阪みたいに地獄をみた可能性高かったし
塩がなかったら生活できないからすぐに降伏したとか。
たぶん岩塩とか塩の集積所があったんやろなって思う。
銃剣で何人も突き殺したと自慢しとったな
母方の爺様は南方で敵補給船のサルベージやってた様だ
主に食糧なんかを引き上げて軍に納入してたとか
サルベージ会社を経営してる人は当時少なかったようで、軍に脅されて仕方なく仕事してたとか
戦況悪化で潜水艦がウヨウヨ湧き出て来たので日本に戻って来たようだが
いい記憶でもないだろう忘れてたほうが本人には幸せだろう
半分にした缶に爆薬を詰めて背負い紐を取り付け、人間が背負って侵攻するソ連軍の戦車にもぐりこみ自爆するのだそう。
幸いというか高校生まで学徒動員するほど戦局が悪くなる前に日本は降伏したため死なずに済んで子孫も残せたが、終戦が半月遅れてたら俺もこの世に産まれていない。
戦局悪化で満州に行く様言われその準備をしてる時
終戦を迎えたと聞いてる看護婦は全て士官以上だから
かなり威張って居たらしい
検査で片目が完全失明だったので、はじかれた。
同時に集められて出征する人達の数人に、家族への手紙などを託されて配って歩いたらしい。
その中に桃農家があって、お礼と言って沢山の桃を貰ったらしい。
祖母は、夜中に桃を持って帰った祖父に驚きまくったそうだ。
その祖父は、自分を障碍者と思っていなかったのか、死ぬまで働きづめで納税していたし、障碍者控除を受けていなかった。
追伸 三回も徴兵行き戦死したのに、
役所が焼けて証拠もないからって弔慰金もたいしてもらえないし、位も低く、祖母はずっと怒っていた。
泳げない祖父は伊豆沖で沈没させられたらしく、お骨と渡された箱には、骨っぽい木辺のみが入っていたってさ。
ちなみに、乳児の叔母も生き抜き、乳が出なかったので生米を噛み砕いてあげたらしい。
俺の東大出の爺さんは橋梁設計の専門家で軍に所属していたが内地で橋梁工事ばかりしてた
それもお偉いさんだから肉体労働無し、食い物その他も贅沢三昧
戦後は戦後で旧軍エリートの繋がりと闇市で儲けた部下の橋渡し役やらで役得三昧
高額の軍人恩給はつくわで戦争と軍隊で損をした記憶が全くないんだそうな
わいは反対に日本側が塩を中国の現地民に与えてたって話を聞いた
食糧を現地調達する際、一方的に収奪してると恨まれて後で夜襲をかけられるんだと。
だから物々交換というほど公平でなかったにしろ、何らかのお礼はしてたらしい。
それが塩だと聞いた
大学出て 戦争へ行って 戦死。
詳しい内容は語りたくなかったのか それ以上は話を聞けず。
時期は 戦争初期から中期のあいだ。
ので 無駄死にさせる作戦には反吐が出る。
瀕死の兵は空気注射をして安らかに逝かせてあげたとか生々しい話をしてくれたな。
でも、じっちゃんは性格が優しかったから、歳を取っても戦争体験でうなされてたな。
ほんと、今は平和で良かった。
橋行ってんじゃねえか
赤紙届くも父親死去で村の助役?に掛け合ってもらって次の招集で行く。
→本来一緒に行く予定だった人たちの隊は満州で全滅
広島に招集され、車の運転できるものを聞かれた際に、やったことがないのにハッタリかまして手を挙げる
→糧食班に回され、味見・毒見で佐官以上にいいものをつまみ食いできた上に内地にとどまる
一緒に行った人たちは朝鮮半島に渡る際に潜水艦に撃たれて全滅
7月末の夜に急遽祖父が所属する小隊?が空襲を受けた名古屋の支援に行くようにという命令が下る
→8月6日に原爆投下。広島に残ってた別の隊の仲間たちは死亡
宝くじや万馬券が当たったっていうような強運はないけど、なんで生きてるの?っていう事故でほぼ無傷な祖父は
今年で満95ですが、背筋が伸びててぴんぴんしています
整列させられて、特攻に行きたい者と言われて自分ともうひとりが手を上げた
別にたいそうな理由があったわけじゃなく、飛行機乗りとしてそれが当然と思って手を上げたらしい
そしてその2人以外の全員が特攻隊に行かされた
塩が通過として機能したのは東南アジアも同様だったらしい
日本軍の上層部はバカだからこれに気が付かず現地での物資調達を価値のない軍票で
やろうとしたから抵抗された
事情の判ってる下部の兵士は交換用に塩を持って行ったから大歓迎された
むしろ45年に入るまであんま戦争やってるって実感もなく、さほどいつもと変わらん生活で犬のことや晩飯なににしよっかとかばっか考えてたみたいw(けしておバカな人ではない)
案外経済的な余裕があって空爆と無縁な地域の一般市民はギリギリまではそんなノリだったのかも
戦前は男がとても偉そうだったのに
戦争に負けてから元気がなくなった。ずっとしょぼくれてるらしい。
近衛第1師団勤務で終戦まで安穏と過ごす
戦争体験の講演会でも周りが悲惨なことを話してるから自分だけ楽な軍隊生活を話すわけにいかないからすごい困ったって言ってたなw
知ってた人が軍属で重巡に乗ってたが大規模作戦の前に軍属は下船させられて、「戻ってきたらまた乗せるから」言われてたらしい。
結局その船も他の船も戻ってこなく現地でそのまま終戦。
寂しそうに戻ってこなかったなぁと呟いてたわ
「あの時代はあんな風じゃなかった」
最後の卒業生となった先輩は三割が玉砕された
虎の子の士官候補生がその有様では余程戦地は悲惨だったのだろうと言っていた
学校卒業した先輩がその後の4ヶ月の間に3割亡くなるって
母方の祖父は病気で早逝してわからんし、祖母は両方終戦間際生まれやったかな
に乗ってたお爺ちゃんの体験談
朗らかな方らしく前半は面白おかしく海
軍の生活を語ってた
でも呉空襲で傾いた艦から逃げる時の事
を語る段になった途端に声を詰まらせ
「同僚が飛行甲板の反対側から
『オーイお前もこっちに逃げて来いや』
と呼んでくれるですよ
でも甲板に虫みたいに焼け死んだ仲間の
死体がビッシリ並んどるですよ
私も靴なんか脱げて裸足なんですが
踏まなきゃ向こう行かれんですからね
ゴメンナサイ、ゴメンナサイ言いながら
踏んで行きましたですよ
何べんも何べんもゴメンナサイ言いながら…
昨日まで生きて話しよった仲間ですよ…」と絞り出すように語っておられた
のが印象的だった
身内の話でなくて申し訳ないです
ずいぶん大人になって法事か葬式の時に満州帰りだったと知って何も話してくれなかった事をそれとなく聞いたら
別の親戚から 「あの時代生きてたら人には話したくないような経験をしてるもんだ」って言われたな。
(もちろん、西郷隆盛の弟みたいに政府側に付いた鹿児島人も居た)
第二次大戦に関しては、曾祖父は国内に居たので、大した話は無い。
あまりといえばあまりの惨状に生徒達とともに急性ストレス障害になって泣きながら看護に当たり
世通し泣いていたそうだ。
マッマのバッチャの兄弟はガ島で戦死とか、パッパのジッチャのマッマのダンナみたいなのが旅順で戦死とか
広島に近かったので原爆のキノコ雲が見えた話を聞いたことがある。
あした日本に帰れるなと語り合った戦友が朝冷たくなってたと、晩酌する度遠い目をして話してた。
周辺には20年くらい前まで防空壕として掘った横穴が幾つか有った
名前しか知らない叔父、バシー海峡で戦死。輸送船ごと潜水艦に
戦中よりも、戦後の物流がガタガタになった頃の方が食糧難だったらしい
母の実家は農家だが、米は街中から訪れる人に売ったり物々交換をして自分達は麦、粟、稗とか芋が米より多かったと
小作じゃなかったのでまだ良かったらしい
で、腹下した奴は置いていく。
一応、味方守って撃たれて死んだ事になってるらしい。
戦争なんてそんなもんだって言ってた。
家族守るために志願して、下痢に殺される。
戦う方は真面目にやってるんだから、笑い話になる様な死に方はさせてくれるなって言ってたよ。
宇都宮が空襲でも受けたのかと思ったら、東京だって知って驚いたそうだ。
200㎞以上離れてても真っ赤に染まる空、どれほどの火だったのかと。。。
別に9月でも1月でも好きなときに話すればいいじゃねえか。
医者という事で現地では軍馬を与えられるも特別扱いされるのが嫌で仕方がなかったと言ってたな。
うちの職場に実習で来た女学生(広島出身)が彼女の祖父から聞いた話によると、祖父さんの班が8月6日の朝に爆心地辺りで奉仕活動する様に言われてたけれども予定が変わって前日に行う事に。(翌日は別の班が同地で行う事になった)
学徒動員で工場で回天の部品を作らされてたらしいが
震電のゆかりの地は九州福岡、長崎ではない
戦争したら高品質鉄に油詰めた焼夷弾を無料で落としてきた
不発弾の油は夜釣りの松明に有用で、鉄も鍛冶屋で高品質包丁で良かったが
金払うから空から落とすのはやめろと言いたかった
映画『火垂るの墓』の冒頭で清太が旅立つ省線三ノ宮駅(今のJR三ノ宮駅)の海側に線路と並行している陸橋が在るけど、陸橋から線路の方を見るとグラマンが機銃掃射した弾痕が残ってる。
(近くの商業施設には、反社の抗争時の弾痕が在るけど…ボソッ)
tps://i.imgur.com/QSv6sgg.jpg
コメント「31」は韓国シンパの「工作員」
「3.1」運動の「コメント「31」」
(⌒0⌒)/~~「「要注意」である。」
コメント「16」は北朝鮮シンパの「工作員」
(⌒0⌒)/~~「「要注意」である。」
コメント「26」は韓国シンパの「工作員」
(⌒0⌒)/~~「「要注意」である。」
コメント「27」は韓国シンパの「工作員」
(⌒0⌒)/~~「「要注意」である。」
強ぇw
その縁で帰ってこれたとも。
隣の同僚が撃たれたとかいう話は割とナチュラルに聞いたケド、
行く順序が逆だったら大変だったな(´・ω・`)
珍コメミャン🙀の本名はイ・ソジュンだぎゃあよ
珍コメミャン🙀はなりすまし日本人
🙀フフッ
違いますよ。
コメント「105」は韓国の「工作員」
(⌒0⌒)/~~「「要注意」である。」
違いますよ。
コメント「106」は韓国の「工作員」
(⌒0⌒)/~~「「要注意」である。」
昭和27年(1952年)4月20日
韓国は島根県「竹島」を「武力占領(不法占領)」
韓国はその後、🎌日本人🎌民間人44人を「殺.害」し、4000人以上を「強制連行」した。
尖閣諸島「も」🎌日本🎌領土
(⌒0⌒)/~~「「竹島・北方領土」は必ず奪還する。」
(⌒0⌒)/~~「「横田めぐみ他、拉致被害者」は必ず救出する。」
対馬が危険
韓国がリアルに「軍事的(侵略)」な意味で長崎県「対馬」を狙っている。
(⌒0⌒)/~~「「要注意」である。」
コメント「26」は韓国シンパの「工作員」
(⌒0⌒)/~~「「要注意」である。」
コメント「105」は韓国シンパの「工作員」
(⌒0⌒)/~~「「要注意」である。」
嘘をつくでにゃあだで珍コメミャン🙀
終戦の年に高3だったけど戦況悪化で2年で卒業
大学にも戦況悪化で進学できずフリーになる
未成年だったから召集されず勤労奉仕として
兵器工場に従事、そして終戦を迎えた
落語家、春風亭柳昇さんの「与太郎戦記」。面白おかしく落語の話になっていますが、実は大変だった話。
私の母は戦時中は学生で勤労動員で陸軍の飛行場に居たそうだ、飛行場が空襲を受け退避していて空襲後戻ってきたら、建物が機銃掃射を受けて穴だらけ、瓦屋根の二階建てだったが、屋根から縁の下まで貫通していたそうだ。
父は終戦直前に徴兵で水兵になった、戦時中は防空壕を掘ってばかりだったが、「敵機来襲、対空戦闘」と命令が出て空を見たらいつもより遅い四発機だったので対空射撃をしたら堕ちて来たので見に行ったら日本の飛行艇だった。防空壕を掘っていた時に隣で陸軍の部隊が矢張り防空壕を掘っていた、昼食時に陸さんの方を見たら赤い握飯を食べていた、てっきり赤飯だと思った赤飯好きの父親は持っていた白飯(銀シャリ)の握飯と交換してくれないか、と言ったら声をかけられた陸さんは二つ返事で交換してくれた、喜んだ父がかじりついたら赤飯では無くコウリャン飯だった、今更返せとも言えないので黙って食べたそうだ。
8月15日の後もずっと択捉島で戦争を続けていたが、そのままそこで捕虜になった
どういうこと?
岸の明かりを目指して我が身一つ
ひたすらに泳げた数名だけ命拾い
夜の海に助けを呼ぶ戦友達の声が聞こえてたとさ
まぁ、戦争に行ける年齢だったか微妙なラインなんで多分嘘だと思う
とイキってた
階級は曹長ガダルカナルで撃沈され近くの島まで泳ぎ着いたとか言ってた
何の勲章かわからないけど2つ見せて貰ったことがある
で、ばっばが面会に行った際にカレーを初めて食べておいしかったとかたまたま空襲の遭遇した際には「きれいだなぁ」とふらふら出歩いていたら防空壕に放り込まれたとか・・・いう話しかなかった…まぁ、空襲が一番なかった県の上に田舎なので食うものに困らなかったというのもあるが…
あと剣道のの大物様が南方に出兵した際にたまたま敵兵に遭遇した際に刀振り回して追い返したとかあった。
まぁ、大学の講師はから「艦砲射撃を受けた際に自分は助かったが隣の友人が木っ端みじんになった」というのを聞いたことありますが
帰って来れて良かったな。
婆さんの話じゃ満州から大連までずっと死体だらけだったらしい。
ひい爺ちゃんは敗戦直前に徴兵されたまま、とうとう帰ってこれなかった。
別の資料では「上海から出発してこの方、敵がでてこない、ので睡眠+食事の2.3時間以外は南京まで行軍させられた」「まだ戦ったほうが休めるからいい加減、気合見せて出て来いよ蒋介石軍」とかいうのもあったが…。
加齢臭すげえな。
なかったけど、一度空襲があって、その時は近くの幅の狭い用水路に
足を水に浸ける事しか出来ず、ただただ怖かったと言ってた。
どういう年代に聞いてるつもりなんだ?
存命中の祖父は、シベリア抑留されたけど奇跡的に1陣か2陣で帰国出来た。
ソビエト抑留初期は、冬が辛くて、木を伐採したときの奥にいる虫とか集めて焼いて食べて、それを気持ち悪がってやらなかった人は皆死んだらしい
ヤギを盗んで食べたけど、刃物が少ないからバラすのに手間取って騒がれて苦労した、食べてみたら不味くって食えたもんじゃないけど、同じ寮?の皆で太い骨以外食べた
士官は案外早く死んで、良くしてくれた元は別の班?の担当士官が亡くなって悲しかった
ロシア語少し覚えてからは内勤(経理?主計?補助)になって楽になった
大卒の奴通訳にして、ドイツ人と算数もできないロシア人の悪口いって意気投合した(爺さん曰く下士官でも九九どころか足し算引き算も怪しいんだぞ)
赤化教育も受けたけど、同じ寮のやつらで共謀して、輪番で誰かやり玉に上げるふりして飯抜きにして、裏では皆で食って、餓死は出さなかった
(爺さんところに当時の捕虜仲間が何度か訪ねてきて酒盛りネタにしてたのを親父も見たらしい)
ロシア語多少覚えてたから便利使いされて、出張の随行みたいなのやらされて、同じ寮の奴ら先に港行きの列車でみんな帰ってた
機関船で帰るタイミングの度に同じようなことがあって帰還がほとんど再後発になった
最後の頃は待遇よくて、出征前より体重増えて、士官に婿に来ないかとかいわれたけど、普通に拒否して帰ってきた
帰ったら墓がつくってあって、生きてたんかと驚かれ、むしろ一時金もらえるはずだったひいばあさんにがっかりされたらしい
ひい爺さんがシベリア抑留された年代だが・・・
お前こそいくつだよ?っていうか、日本人なのかお前?
中国の抗日ドラマで、日本軍に襲われてってのがあるから、そのミームだろう
爺さん世代がシベリア抑留されてても、20代なら普通にいるぞ
そこで日本人なのかっあたり、知性を感じんな
お前は本当にいい時代に生まれたなってよく言ってたわ。
そういうコメント要らないってなんでわかんないの。普段も空気読めない人?
今度は中国や半島が、侵略を始めている。歴史は繰り返す。
我が方に損害無しってずっと聞かされてたのに
いきなり負けたって爺ちゃんが言ってた
食料がなくてアリ食べたと聞いた。
家にある鉄製品は刀でも鍋でも全て提供し、どこの家も同じと思ってたらTVで先祖の刀持ってる家があって驚いたって。
戦後は今まで使ってた教科書を墨で塗り潰したそうです。
昭和9年生まれの身内の話。
うちのは優勢なる敵っていつも言ってるからこりゃだめだろうなと思ってたらしい
ゼロ戦の部品工場の工場長だから金はそこそこあったみたいだけど
物も無いし遊べる場所もない時代だから宝の持ち腐れだったらしい
衣食住以外は伊達メガネを買ってオシャレをするくらいしか金の使い道がない時代と言ってた
まぁ、実際は僻みややっかみが嫌だから金のないフリをしてただけで、金を使える物も場所もあったかもしれないけどな
近所の小学校の土地内では、三八や九二(だっけな?機関銃)の錆々状態のが出たことがある。
だもんで地下室作るくらい深く掘ると出るかもしれない。不発弾w って笑い事じゃねぇよってか
25年ぐらい前の夏休みの課題で戦争体験を聞きに行ったときに
「うちのセンカン(子供に駆逐艦って言ってもわからないから戦艦って言ったのかと思う)はね、手柄挙げてみんなワーワー言ってくれたけど、うちらだけ生き残って申し訳ないってね、そんなセンソー(海戦のこと?)ばっかりだった。でもね、センソー始まると死にたくない死にたくないって必死になったよ。みんな死にたくないんだよ」
って言ってた。 とんでもなくおっかなかったんだろうなー、と子供心に思ってたわ。
8月9日の朝に川で下の弟たちと水遊びをしていたら、遠くでデカいキノコ雲が上がってビビった。
んで、すぐに上の兄たちが来て防空壕まで連れられ投げこまれたとか。
ほかには近所に朝鮮から来た人たちいたらしいけど普通に仲良くて朝鮮漬け(キムチじゃなくて水漬けみたいなの)とおかずを交換してたらしい。
爺ちゃんは大牟田にいて、何度か空襲を受けたけど逃げ延びてる
シナ戦線での宣撫工作には現地住民への塩と薬の配布が効果的だったのはよく聞くな。
正露丸に痛み止め、赤チン、しもやけの軟膏すらなかった当時のシナも相当アレだが。
どっちも亡くなってるから話を聞いたことないなぁ
特に有名でもないし、プラモの箱に歴代艦長として名前が書いてあるのを見たとか
Wikipediaとかで見たとかその程度でしか知らん
恩恵は実家が海軍の提督がいっぱい住んでた場所にあるくらいかな
たしかに占領地での戦時経済には誰もが必要とする現物が一番かもしれないな。
軍隊内外でも甘味やタバコ、酒や卵、薬が一番の貴重品でバーターの材料なのはよくある話だし。
・戦闘より揚陸作業の時クレーンで持ち上げた馬に蹴られて死ぬ奴の方が多かった
・補給の甘味の木箱をわざと列車から落として「廃棄」扱いしてガメたりしてた
・ガメた甘味は物々交換の貴重な通貨
・その爺さんは甘味を飼葉に変えて、上官の馬のコンディションを最高に仕上げて気に入られたおかげで安全地帯勤務だった
・現地民虐殺とか絶対ない。ただし八路軍(中共ゲリラ)の斬首処刑はあった。それ以外はもっぱら警備と連隊長自作の健康体操をして過ごしてた
・慰安所も国境(爺さんの担当地区?)ぞいにあった、働いてる女の子は日本人が一番多かった。ふつうに皆顔見知りで仲良しだったとの事
お前は理解力が弱すぎる。
もう少し小説などの読み物で理解力を養った方が良いぞ。
昭南島(シンガポール)行きの輸送船団の中で、岡山の部隊を載せた3隻の輸送船のうち2隻が米潜水艦に沈められ残った
1隻にじいさんは乗っていて助かった。シンガポールでマーライオンを見た。
インパール戦線に向かう部隊に衛生隊としてついていくつもりがマラリアか何かにかかって入院したが、すでに北上した
友軍は全滅に近い状況だったという。生来悪運の強い男だったのだ。
タイメン鉄道の建設現場でゾウが器用に鼻で枕木を運ぶのを見たそうだ。終戦時おそらくイギリス軍に降伏したと思う。
シンガポールか南方のとある港で赤十字(緑十字?)をつけた病院船に武器を積む作業をさせられて内心
『国際法違反じゃないか!』と憤慨したが命令で仕方なかったとも言っていた。
戦後は米屋になり孫のうちの一人が俺。働くのが大好きで動けなくなるまで新聞配達もやってた。
軍では看護婦さんに結構モテたそうで、戦後何度か家に訪ねてきたこともあったという。
そこから扇風機の残骸回収して直して使い回したり、仏壇に供えとった油で芋天つくったら腹壊したって話を千回は聞いたわ。
そういうのを逆に美談として世界に語ればいいのにね。日本をおとしめようとする宣伝ばっかりだから。
自分らを頃しに来た敵兵ならどの国の人間だってそりゃ石投げるよ。それでも撃墜死したB-29の米兵を村人達が
埋葬したっていう話もあるのに。
攻めてきた。残された祖母は、当時赤ん坊だった双子の母と叔母をおぶって両手に幼かった叔父二人の手を引いて、命からがら帰国した。
船に乗り遅れたらそれが撃沈されたので逆に助かった。現地の中国人から子供をくれくれ言われたけど、四人とも放さず連れ帰ってくれた。
でなけりゃ母は今頃中国残留孤児で、自分も生まれてなかった。
トンキン大空襲の時はトンキン方面の空はこの世とは思えないほど赤くなっていたと
田舎の百姓がどいつもこいつもすっげー上からで態度悪く、
食い物をバカ高く売りつけてホントに酷かったと言ってたな。
だから俺のじーちゃんは田舎の、特に百姓を今でもすごい恨んでる。
韓国ネタだったか中国ネタだったかのパロディだろw
頼朝の骸骨を思い出した(落語)
香港?を占領した前線部隊から「兵たちのために至急『鉄兜』を送ってくれ」と連絡受け。
「もう次の戦場を考えているのか。さすが精鋭だな」と思いながらも、在庫が無かったので
「当面の間は英軍から鹵獲した物品を使ってくれ」と打電したら「サイズが合わない」と返信。
ここでようやく「鉄兜=ナニに被せる方」と気づいたとのこと。
じいちゃんと歳が近い水兵と一緒に戦闘艇(駆逐艦?)で近海に出撃して
アメリカ軍の潜水艦を(たぶん爆雷で)撃沈したと聞いています。
長崎に原爆が落ちた時も上官からなぜか白シャツを着用するようとの命令が
出てたそうです。
また1942年にニューギニアで戦死した親せきがいます。
物資統制が厳しくなった頃(1940年~)から、「持つ者」と「持たざる者」が逆転したのよ。
それまでは都市と農村とでは、前者の方が豊かで後者は貧困の極みだった。
食糧配給が決定して、食管制度によって米は生産者(小作人)から政府が直接買い上げるようになって、初めて都市と農村との格差が縮小し始めた。
また、田舎にも軍需工場がボコボコ出来て、そこに家族が働きに行く兼業農家が多くなり、収入も増えた。
皮肉なことだけど、戦争によって「みんな貧乏になること」で格差が縮小し、ついには逆転した。
小作人からすれば、寄生地主の多くは都市生活者だから「都会人、ざまぁ(w」な事態でしかない。
↑なにしろ、地主(※)が頭を下げて米をもらいに来る事態になったんだから笑いが止まらないよ。
※ 戦前の食管制度では生産者(小作人)が食べる分は買い上げ免除だけど、耕作をしない寄生地主の取り分(小作料)は強制買い上げになる。
官庁が予備役上がりのオジサン大尉で、亡祖父が先任将校(副長)。
昭和20年の初めに配属になったけど、海防艦は湾の中に引きこもって釣りばっかりやってた。
燃料は無い(※1)し、出撃すれば浮上した潜水艦に返り討ちされる(※2)し、何より艦長がやる気無し。
血気盛んの軍国少年上がりの亡祖父は憤ったらしいけど
「負け戦と分かってて、死にに行くヤツがあるか! 帝国は滅びるが、日本は滅びん!(※2) だからお前らを殺さない!」
と言って、機関がぐずるだの燃料が足りないだの今日は仏滅だから嫌だだのと言い訳を続けて終戦まで湾外に出なかった。
「後になって考えれば、あの艦長が正しかったんだよなぁ」
としみじみ語ってくれた。
※1 主計長と図って漁民に横流しして、見返りに魚を貰ってたらしい。おかげで食い物には困らなかった。
※3 バリバリの皇国男子だった亡祖父には、目からウロコの言葉だった。
※2 同じ港に配備された僚艦が釉薬出撃して、一日とたたずに潜水艦と水上砲戦して撃沈された。
負けたらアカン…
渡るな!ということじゃないか?
橋上だと逃げ場がないけど橋の下なら…で隠れていたとか?
あと、空襲の最中は川の水も熱湯だったらしいね?
飛んでいるのは敵!って考えらしいね…
本土でも不時着した日本人パイロットが住民に撲冊されたからね…
うちの亡き父もも軍学校に行きたかったそうだ。で、入学前に終戦。食い扶持減らしで行く予定だったから、かなり疎まれたそうだ。タヒぬまで日本が負けたことを恨んでた。
うちの母親も終戦後生まれのはずなのに、長崎の原爆雲をみた!と譲らない。しかも鹿児島で…
自分の血筋調べるのが怖い…
日本男児なら、撃墜→脱出なんて恥ずかしい真似をせず、愛機と運命を共にするはず! と思い込んでたそうで。
それまで軍部がやってた偏った宣伝を真に受けたんですけどね。
それで、大本営は慌てて「日本人だって落下傘で脱出することもある」と周知させ、パイロットには日の丸の腕章を付けさせたそうな。
伊勢湾台風では、貯木場にあった丸太が流されてきたそうだ。
川一面にあったやつがだぜ?
いまでも名古屋の川には貯木場があるから見てみ?
「悪魔の飽食」は創作だからね。確か、作者も認めてなかったっけ?
東北では終戦の報を受けて「薩長政府が敗けた!wザマァ!ww」だったそうだね。
10年前の家庭版で彼女が実家(福島)に彼氏(山口出身)を連れていったら即座に別れさせられたそうだ…
日本人同士でも恨みは恐ろしいな…(´・ω・`)
2週間に1回、2時間の習字の授業があった。
各高校で非常勤講師をするまでは、日本海軍兵(戦艦の上で見張り番をしていたらしい)、
戦後に数年新聞記者、定年まで近所の小学校の教師→校長をしていた。
韓国に慰安所はあったか?あった。
ただし慰安婦の殆どが日本人だったそうだ。もちろんチョーセン人慰安婦もいた。
慰安所には日本兵の行列ができていた。
三こすり半で終わる者がいて慰安婦にケツを叩かれて次!と呼ばれてたらしい。
先生は慰安所を利用した?イエスと言っていた。
あと日本兵が日本刀で処刑する所も見たと言っていた。
戦中戦後の食糧不足燃料不足のころには運送&小売り業をやっていた祖父が闇で買った物資をご町内に配って、祖父は亡くなるまで町内中からあがめられた。
けっして差別をしない祖父だったので息子にザイニチの嫁を貰って、娘の婿には孤児を貰った。おかげで家は乗っ取られるわ借金地獄になるわ私は家を追い出されるわで、まったく「情けは人の為ならず」だ。
結論・戦後のほうが金銭的にも全てにおいて大変だった。
ただ、職人技らしく難しくて使い物にならない弾も沢山だったらしい。そんな時、兵隊服着た奴に爺さんも殴られたし、女の子を殴れって命令されて、手が痛くなる程殴ったから掌底で殴ってたとか。
直接、兵隊に腰骨殴られて蹲る女の子もいたらしい。
あと、防空壕に逃げる時、ヘビが怖くて先に進めなかった女の子が後ろから思い切り蹴飛ばされてたとか。
96の祖父の話だけど、懺悔まじりにバカバカしかったっていってたな。
飛行機工場で勤労奉仕(女子挺身隊)していた母親は
毎晩毎晩空襲で防空壕へ避難させられるので、
ある日、空襲警報が鳴っても避難せずに寝ていたんだって
そしたら、防空壕で○○さんがいないと大騒ぎになって
後で寮長さんにひどく叱られたって言ってた。www
まぁそうだろうな
ろくな教育を受けて無く、文字も書けず、読まず、
長年の極貧生活で心も荒んでいただろうし
最後はお決まりの洞穴内での自刀
なんで知っているかというと、ひーじーさん(中尉)の部隊にいた
沖縄の10代の子供たちに「投降しろ」って厳命したらしく、
そのうちの一人がじーさんの最後を嫁(おれのばばーちゃん)に
沖縄返還の後にわざわざ伝えに来たから。
いわゆる輜重兵で肩身は狭かっただろうが、婆さん曰く「あの頃車の運転手は羨望のまなこで見られていた」とのこと。
で、十九年に運転中に敵に襲われて戦死。
塩の流通をある程度抑えて現地の人間に協力してもらうって趣旨だと思う。
奥地に行くと塩が手に入りにくくなるから貴重品になるんやろうね。
上層部はともかく現場は現地の人とはある程度うまくやってたみたいやね。
拾い話で恐縮だが
農家にしても食いもんは貴重なご時世に
疎開してきた都会者が着物やら反物やら差し出してきて困ったみたいな話もある
いくら高価な反物だろうと、金があっても食い物がない時代に何の役にも立たないから
母方のばーちゃんは裕福な家だったらしいけれど、戦争で色々足りなくなって、戦前なら薬で治る病気だったのに、処置できなくて、姉妹だったか従妹亡くしたって言ってた。悔しいって言ってたらしい
父方のばーちゃんから聞いたのは、畑仕事の時、プロペラの音が聞こえたらすぐに木の下に隠れてたって言ってた。畑に植えた種芋が掘り返されて無くなることもあったらしい
父方のじ~ちゃんは話を聞く前に亡くなってたけど、古いノートが出てきた。抑留から帰ったからには働くぞ、1に肥料2に肥料、畑をやるぞって意気込みが書いてあった。
何故にそうなったかは永遠の謎、
死んでも憲法を守りますてか、
そんな日本を一番馬鹿にしてるのは特亜のヤクザ国家。
祖母 内地へ引き揚げで和歌山の有田から上陸する時、お金の持込を制限され、持込めない分は預り証引き換えとして没収されたと。
伯父 海軍の練習生(特攻?)として台湾から内地に輸送船で移動中に米潜水艦に攻撃され海の藻屑に。
親父 内地引き揚げは和歌山の有田から大阪広島経由で福岡に帰ったが、広島を通る時それまで開けていた列車の窓と簾を閉じるので不思議に思ったそうな。
母方の祖父 日露戦争の年に生まれたが、昭和20の7月頃に召集を受け訓練中に終戦を迎えたと。
祖母 熊本市内を爆撃した米軍機が自宅近くにある九電の発電所に残った爆弾を落として行くのを目撃、市内の方の空が紅くそまってたと
伯父 満州開拓団として開拓中捕まってシベリアへ、電気技師だったので食料を優遇され仲間に分配、隠れてラヂヲを造り仲間と日本の放送を聴いてたのでソ連の宣伝に染まらず無事帰国。
お袋 戦時中JCの勤労奉仕で工場勤務中に大腿骨を複雑骨折、碌に麻酔も薬品も無かったので麻酔無しの手術を受け骨も短くなったと。
東京大空襲の時、氷の貯蔵庫に逃げ込んだ人々は蒸し焼きにされたらしいな。
悪いけど
ちょっとウソっぽいエピソードだなそれ・・・・・・
空襲に会ったりしたはずだけど、話を聞いたことない。只東宝の夏の映画はよく連れて行かれた。
戦争映画より、ザッツ・エンターテイメントの出演者何人も知ってて、ハイカラだったんだろな―と思った。
婆さんは山の炭鉱町。景気よくて、食べ物に困らず都会の空襲見せ物みたいに眺めてた。同世代の特攻隊をカッコいいとミーハー気分で話すので自分は、嫌ってた。
運がいいなと思ったよ