2020年01月13日 22:05

元寇はなぜ失敗した? 神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか

元寇はなぜ失敗した? 神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか

20190915152556

引用元:【歴史】「元寇」はなぜ失敗した? 神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか=中国
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1578270435/

1: 首都圏の虎 ★ 2020/01/06(月) 09:27:15.75 ID:teG/00wC9
「(中略)」
中国メディアの捜狐はこのほど、中国の歴史上で唯一、日本を征服しようとした元による試みが失敗した理由について考察する記事を掲載し、「神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか」と疑問を投げかけた。
「(中略)」
http://news.searchina.net/id/1685690?page=1

2: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:27:56.77 ID:u1m36I8A0
半島の法則じゃね?

142: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:49:39.89 ID:DUV4Wrww0
>>2
お前さん、いきなり終わらすなよ。

237: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 10:01:15.31 ID:0re+/gIp0
>>2
ベトナム戦争で米国にすら土をつけるサゲっぷりよ

414: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 10:16:56.14 ID:b4OjyXbq0
>>2
チンギスハーンだろうと、米軍だろうとあの法則からは何人も逃れられない。

685: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 10:40:19.28 ID:pxNLsFLl0
>>2
はえーよ

748: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 10:45:26.15 ID:Jh5OMQie0
>>2
よくよく考えればそうだな

4: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:29:12.83 ID:Zn/S2hYV0
ミスじゃないぞ
単に一度も橋頭堡を維持できなかっただけだぞ

822: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 10:52:15.14 ID:elh7P5Ek0
>>4
なんか日本側がとことん劣勢で、かろうじて台風に救われた
みたいな印象で教えられるけど、実は日本側の抵抗が頑強で
橋頭保を確保できないうちに、暴風雨で元が撤退を余儀なくされた
ってことらしいな。

なんで、こう、変わってくるんだろうな。

6: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:29:29.59 ID:EobPaNfx0
遠征の難しさよ

7: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:29:53.42 ID:2qrOEBXa0
鎌倉武士がバーサーカーだったからだろ

61: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:39:51.52 ID:/d/+Wb6n0
橋頭堡も築けない状況で20万もの大軍の兵站線が1ヶ月も維持できるのか?

66: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:40:25.42 ID:dtZpbj6p0
いかに大軍でも揚陸戦というのは難しい
しかも海の中道のような狭いところでは展開できない
博多湾を封鎖して入れんようにしたのも効いている

110: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:46:11.28 ID:x0P582js0
>>66
近代的な軍隊でも完全防衛された場所への揚陸戦はしんどいからな
要するに自ら退路がない状態で完全防衛のところに突っ込むというかなり無謀な作戦だもの(例:ノルマンディー上陸作戦)
まぁアメリカさんは沖縄戦では艦砲射撃&空爆で拠点ごと更地にして対応したがね…

190: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:55:52.47 ID:mHiH61990
>>110
揚陸戦の難しさが全く分かってなかったということだね。
相手が組織的な防御網を築いていないような僻地ならもちろん別だが
日本は戦にかけてはノウハウが蓄積されていたから到底無理だったんだよ。
本質的に無謀な作戦の当然の失敗というそれだけの事象なのに
それなんとかがこうしたとかああしたとか瑣末なことで理由付けしようとするのは
危険極まりない発想だ。ただ単に「無理筋だった」というだけ。

ちなみに昔から半ば神話化されてる戦の「大勝利」の類も緻密な研究、考証が
進むと外的要因が大きかったというのが大多数なんだよ。日本の有名なあれとかもね。

73: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:41:07.33 ID:OAscjeuT0
海を渡るだけで命がけの時代だった
しかも海戦の経験がほとんどない
上陸さえ防げば勝てる戦だった

76: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:41:29.16 ID:MyNqw/o30
単純に日本の武士団が強かっただけの話
防衛戦ってのもあるがな

86: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:43:01.77 ID:rrBqqr9k0
むしろ大遠征で成功した例のほうが少ない

90: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:43:24.08 ID:Zn/S2hYV0
まあモンゴル軍の戦法が歩兵込みでも日本と相性悪かったのが大きい

96: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:43:56.35 ID:RHAmtruO0
神風と言うより 
海だな海があるおかげ あと武士 

233: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 10:00:50.35 ID:6FaqPEQE0
>>96
平安時代だったら確実に負けてたな。そもそも平安時代って謎だわ、勝手に荘園作って農奴化して遊び呆けて。よく西日本を平定出来てたと思う。

266: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 10:04:04.49 ID:MyNqw/o30
>>233
36回にわたる新羅の来寇を完全防衛しきってるんだが
刀伊の入寇も防いだぞ道長との対立で有名な伊周の弟の隆家が

304: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 10:07:56.22 ID:MX2TaB240
>>233
「平安」って言葉に騙されすぎw
普通に武力闘争の時代やぞ

123: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:47:32.51 ID:f7f5vFFW0
騎馬兵だから強かったのに
船乗っちゃ弱くなるのは当たり前

130: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:48:38.09 ID:mhwRAWDO0
日本人が穏やかになったのは江戸の治世がよかったからでその前は元寇真っ青の蛮族

138: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:49:17.60 ID:7zZ/a6q40
元軍にとっては勝とうが負けようが気にならない話だからな
最近降伏した南宋軍を使い潰しただけだし

149: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:50:36.57 ID:C6c+wbW90
>>138
じゃあ何回も来るなやw

140: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:49:24.95 ID:2TewfvBK0
まだ神風とか言ってんのかよ。
鎌倉本隊が来る前に撃退されてんだから、お察し

141: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:49:39.83 ID:IlM0og1k0
海岸に長大な防壁を建設して、準備万端な状態で迎え撃ったんだよ。
まぐれで勝った訳ではない。

169: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:53:38.80 ID:tDeHuGRL0
地図もない時代に、敵軍が健在な土地に上陸して橋頭堡を築いて維持するとか、簡単な
ことじゃないだろう。

199: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:56:45.03 ID:1iwdrMh30
>>169
そう
だから普通は事前に草(スパイ)を多数送り込んで地形、人口分布、戦力把握して秘密裏に
後方からも攻めたりできるようにする

そういうこと一切やらずに真正面から大群で力押ししてきたから元寇はアホなのか、もしくは
もともと日本占領の意図はそこまでなく当地に邪魔な朝鮮、中国の兵士をすりつぶすためにやったのでは・・とかね

175: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:54:24.17 ID:903SoVIf0
高麗軍は全員斬首したが宋軍は見逃したんだよな
これがよくわからん

194: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:56:17.40 ID:MyNqw/o30
>>175
高麗軍は日本に積極的に攻めてきた諸悪の根源だし、元に完全服従の構えだったので残しても禍にしかならんのでぶっ殺した
宋人は服属させられ無理やり攻めさせられてたし、そういうのが残ってたら元の政治の不安定につながるので返した

簡単な事だろ

180: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:54:49.39 ID:Wbf6wcaD0
最悪のタイミングで侵攻したのが原因。
夏(暴風雨)、鎌倉時代(鎌倉武士舐めんな)という二つの意味でな。

187: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:55:41.68 ID:7c2cj10F0
神風って毎年来る台風のことだろw
そりゃ日本の南に何か月もいれば台風の直撃もらうわ

191: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:55:53.27 ID:5xSTNSDp0
日本側も素早く鉄壁の防御態勢にまとまってるのもすごい 白村江の教訓がちゃんと伝えられていたんだろうか

210: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:57:44.77 ID:MyNqw/o30
>>191
白村江の教訓で大宰府を中心に九州の過剰な防衛網が築かれたんだよ
それが最大限生きたのが元寇って考えるとしっくりくるかと

227: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:59:59.16 ID:L0419U770
鎌倉武士って云うのは
重弓騎兵なんだぞ、一番、金と訓練を要する兵種で、そいつらが日本列島東西南北、主力なわけなのだから、弱いわけなかろう

230: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 10:00:28.15 ID:R4qTyIL10
結局ずーっと船の上で待機して戦う時だけ上陸するつもりだったん?

239: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 10:01:21.08 ID:MyNqw/o30
>>230
橋頭保を築けなかったので船まで戻った
鎌倉武士団がアホみたいに強かっただけ

243: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 10:01:48.20 ID:s6CyHoq20
色んな文献や当時の記録検証して
日本の侍がやたら強くて巧みなゲリラ戦法で
蹴散らしたってもう事実出てるだろ?
神風ちゃうわw

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.敵は韓.国・韓.国.人(シ.ン.パ・帰.化含む。):2020年01月13日 22:07 ID:7d..3I.d0▼このコメントに返信
敵は『韓.国・韓.国.人(帰.化・シ.ン.パ含む。🤭)』🤭(*≧ω≦)🤭


竹.島・北.方.領.土は必ず奪還する。🤭(*≧ω≦)🤭


横田めぐみ他、拉致被害者は必ず救出する。🤭(*≧ω≦)🤭
2.名無しさん:2020年01月13日 22:11 ID:qZrqfZUy0▼このコメントに返信
補給線が伸びきったからじゃないの?
3.名無しさん:2020年01月13日 22:11 ID:mSXtaD6N0▼このコメントに返信
船は誰が作ったのか。
4.名無しさん:2020年01月13日 22:14 ID:eapieFsQ0▼このコメントに返信
余った兵の口減らしだからでしょ
朝鮮征伐もそうだけど、だいたい無茶な出征の裏には戦乱が終わって余った軍の処分で起きる

人間そう簡単に生き方変えれないし、戦う事を人生にしてきた人間をほっといたら、反乱を企てたり野盗になったりロクなことにならんしな
5.名無しさん:2020年01月13日 22:14 ID:em6zW36.0▼このコメントに返信
本当に本スレの >>2 で終わってたw 
6.名無しさん:2020年01月13日 22:15 ID:tUCHNSZS0▼このコメントに返信
まあ、着上陸戦は古今東西構わず困難だわな。
だから仁川上陸作戦が戦史に残るわけだし。
7.名無しさん:2020年01月13日 22:16 ID:IbAXy.7x0▼このコメントに返信
法則が発動したからに決まってるだろ。
8.名無しさん:2020年01月13日 22:18 ID:IyXMAaKp0▼このコメントに返信
※5 同感ハイ!解散!
9.名無しさん:2020年01月13日 22:18 ID:i7OznEvt0▼このコメントに返信
運がなかった。
10.名無しさん:2020年01月13日 22:18 ID:p5LCc.SQ0▼このコメントに返信
>>4
ばーか

余った人口の口減らしで
ここまで浪費してフビライ激怒するかよ
11.名無しさん:2020年01月13日 22:19 ID:i906dhP.0▼このコメントに返信
上陸自体は出来てるからな、太宰府まで追い込まれたのは有名
陸を占拠されてる
そこから追い出したんだよ
12.名無しさん:2020年01月13日 22:19 ID:AFimkiP70▼このコメントに返信
>>10
浪費したのは属国の国力でしょ
13.名無しさん:2020年01月13日 22:20 ID:p5LCc.SQ0▼このコメントに返信
>>1
まーた 元軍にはモンゴル人がいないだの
主力は高麗だの本気じゃなかったのだの
適当言う奴が出てくるから注意な

一回目の3万も 2回目の13万人と九州勢だけで
鎌倉本隊が援軍が来るまで片付いてる
そもそも橋頭堡すら造れなかった

2回目の13万人なんか水軍としては未曾有
の規模なのに完全に壊滅でフビライ激怒
14.名無しさん:2020年01月13日 22:21 ID:AFimkiP70▼このコメントに返信
仮にこれ負けてても北九州の一角取られただけでそこまで大事だとは思えないんだけど
そのまま山陽道通って京攻めるの無理でしょ?
15.名無しさん:2020年01月13日 22:21 ID:p5LCc.SQ0▼このコメントに返信
>>12
本隊だっつーの

属国だけであんな規模出来るわけねーだろタコ
16.名無しさん:2020年01月13日 22:22 ID:V8RV8a.l0▼このコメントに返信
神風どころか台風も来なかったってのが最新の学説だけどな
17.名無しさん:2020年01月13日 22:22 ID:eapieFsQ0▼このコメントに返信
※14
京攻めるつもりなら、舞鶴に直接乗り付けるよなぁ、もしくはぐるっと回って鎌倉に強襲か
18.名無しさん:2020年01月13日 22:23 ID:p5LCc.SQ0▼このコメントに返信
>>3
船は概ね接収した宋船(大)と高麗製(中)
ちなみに出来が悪かったのなんて
船の引き上げで嘘だとバレてるからな

ていうか当の元側が九州武士に昼夜襲撃掛けられたり
ボコボコにされて憔悴してたのがよく分かるわ
そこに嵐とか来たからもう対応限界超えた
19.名無しさん:2020年01月13日 22:24 ID:Nf1f0rkn0▼このコメントに返信
まあ100%海のおかげよね
当然武士が尽力したのもあるけど地続きだったら平定されてる
20.名無しさん:2020年01月13日 22:25 ID:8eD.qbLW0▼このコメントに返信
夜陰に紛れて敵の船に斬り込みをかける、二度目の襲来に備えて防御壁を築くなどした事が大きい。
神風が全く無いとは言わないがそれは日本軍の士気を上げる為に誇張されたものでしょ。
21.名無しさん:2020年01月13日 22:26 ID:ngh0teod0▼このコメントに返信
高麗のせい。
22.名無しさん:2020年01月13日 22:26 ID:p5LCc.SQ0▼このコメントに返信
>>13ちなみに何故3回目がなかったかと言うと

当時 日本と同時に元はベトナムで苦戦してたから
ベトナムは結局 勝ちはしたものの抵抗には限界
あると面子を保ったまま朝貢関係にはなる

日本側に対してよくよく考えれば向こうから
仕掛けて来た訳ではないしそもそも日本との交易で
富を得る事が目的だったと諌められて朝貢貿易
では無い割と対等な日元貿易に切り替えてる
身をもって性能知った太刀は輸出品として喜ばれた
23.名無しさん:2020年01月13日 22:28 ID:1jaxhY4W0▼このコメントに返信
「元寇の成功」の定義は何? 日本征服だった? 福岡上陸だった? 対馬占領だった?
何もわかってないじゃないか? あれで成功だった可能性だってある。
少数のモンゴル司令官が数十万の奴隷を使って遊びでやったデモンストレーションじゃなかったという
証拠でもあるのか? モンゴルは正確な暦と土木建築術をもつ科学先進国だったことには間違いなかったのだから。
24.名無しさん:2020年01月13日 22:28 ID:rewCHARQ0▼このコメントに返信
適度な国土があれば
島国最高だな
25.名無しさん:2020年01月13日 22:28 ID:5iiaoARr0▼このコメントに返信
鎌倉武士が全員呂布級のバケモノだったから
26.名無しさん:2020年01月13日 22:28 ID:4dkb.Hpj0▼このコメントに返信
神風より海だよなあ
元が強い言うても主力の騎馬を海渡って大量に送り込めるわけないもんな
27.名無しさん:2020年01月13日 22:28 ID:p5LCc.SQ0▼このコメントに返信
>>22
完全勝利して朝貢しなかったのは
エジプトのトルコ系マムルーク朝と
鎌倉幕府だけなんどけどベトナムみたいに
実質的にある種の焦土戦術で勝った事例は

ワールシュタットの惨敗からすぐ学んで
モンゴルの西への進撃を食い止めた
ポーランド王国など他にも存在してる
28.名無しさん:2020年01月13日 22:30 ID:Nf1f0rkn0▼このコメントに返信
※27
ハルジー朝を無視してんじゃねーぞ
29.名無しさん:2020年01月13日 22:31 ID:p5LCc.SQ0▼このコメントに返信
>>14
橋頭堡が確保できたら指揮官や偵察の騎馬兵より
本当の驚異である騎馬軍相手にせにゃならんぞ?

機甲部隊や戦車部隊に上陸されたら
どうなるか分かるだろ

占守島だってソ連軍の機甲部隊
が上陸してなかったからあそこまで戦えた
30.名無しさん:2020年01月13日 22:32 ID:p5LCc.SQ0▼このコメントに返信
>>17
日本がどうなってるか
なんて元側は高麗の情報以外
まるで知らんから

当時の世界地図の日本はトンチンカン
31.名無しさん:2020年01月13日 22:32 ID:crIDAnNE0▼このコメントに返信
平安武士とか下手したら鎌倉武士よりやべーヤツらじゃん
32.名無しさん:2020年01月13日 22:32 ID:gUdgTJHp0▼このコメントに返信
なんか外国が情報収集してそうなスレ多いな
33.名無しさん:2020年01月13日 22:33 ID:p5LCc.SQ0▼このコメントに返信
>>23
フビライ激怒で成功?な訳ねーだろ

フビライの目的は南宋との関係
断ち切って朝貢=貿易交易拒む
鎌倉幕府屈服させることだっつーの
34.名無しさん:2020年01月13日 22:34 ID:p5LCc.SQ0▼このコメントに返信
>>28
ベトナムと同じで戦争には勝っても
朝貢してるだろ
35.名無しさん:2020年01月13日 22:35 ID:p5LCc.SQ0▼このコメントに返信
>>31
刀伊の入寇で女真族の三千人規模の
海賊に右往左往してたのにか?

朝廷が全くやる気なくて
大宰府オンリーで対処せにゃならんかったし
36.名無しさん:2020年01月13日 22:40 ID:LZuX4Lfb0▼このコメントに返信
そもそも論だが
上陸作戦自体がベリーハード
アメリカ軍ぐらいの展開力か、旧日本軍ぐらいの練度がないと成功しない
ましてや古代だし、得意の騎兵による情報ネットワークも使えないとなると
そりゃ失敗しますよ
37.名無しさん:2020年01月13日 22:40 ID:cq6xs.Ge0▼このコメントに返信
>>19
高麗だって白頭山がある分
地続きって程じゃねーよ

当時の中世期武士が遠近対応してて
遠戦で撃ち負けることも無く果敢に
白兵戦を仕掛けまくって攻勢に出続けてた
のが大きい 家単位でしか統率取れてないんだけど
これが返って昼夜問わない波状攻撃になった
38.名無しさん:2020年01月13日 22:40 ID:kTmsPV5A0▼このコメントに返信
日本軍側の夜襲を恐れて、夜は常に海上へ逃げていたのが運の尽き
39.名無しさん:2020年01月13日 22:41 ID:1jaxhY4W0▼このコメントに返信
※33
で?証拠は。
40.名無しさん:2020年01月13日 22:41 ID:cq6xs.Ge0▼このコメントに返信
>>38
いつの間にか船で接近して火を付けられたり
死体とか牛馬投げ込まれてたけどな
41.名無しさん:2020年01月13日 22:42 ID:cq6xs.Ge0▼このコメントに返信
>>39
当時の元側の記録だが何か?
てか使者の時点で準同盟の南宋との
関係を切るよう再三要求してるぞ
42.名無しさん:2020年01月13日 22:44 ID:5g5vhK980▼このコメントに返信
雑魚はなん人集まっても雑魚なんだ。それだけ
43.名無しさん:2020年01月13日 22:44 ID:7wTBIwra0▼このコメントに返信
※23
ルーズベルトは任期中に亡くなりチャーチルは落選したからある意味日本の勝ちとか言う人にそっくりwww
44.名無しさん:2020年01月13日 22:46 ID:cq6xs.Ge0▼このコメントに返信
>>36
元側もそれ相応の兵力は用意してたし
日本はあっさり成功してるけどな
古代でも近世初期でも


ていうか一回目は上陸できたけど
追い返されて2回目は完全に備えられてたからな
でも鎌倉の援軍6万来る前に片付いてんだよね
45.名無しさん:2020年01月13日 22:46 ID:06.VKAPS0▼このコメントに返信
日本:何か月も前からしっかり対策。
元:海戦の知識が少ないにも関わらず十分準備せずに突撃。

結論、日本を舐めてた。
46.名無しさん:2020年01月13日 22:47 ID:sXMx4gcl0▼このコメントに返信
平安時代でも大宰府は存在してたんだがな
47.名無しさん:2020年01月13日 22:47 ID:xHDUVTVU0▼このコメントに返信
台風のおかげで助かったんだよ、他に撤退する理由が無い。沈没船も見つかっているし、16万人の兵力をどうやって撤退させたんだよ?神風以外にないじゃないか。やあやあ我こそはなんて名乗りを上げてる間にハチの巣よ。
48.名無しさん:2020年01月13日 22:50 ID:AE02xI9a0▼このコメントに返信
認知症的にこのネタを繰り返してるねw
49.名無しさん:2020年01月13日 22:50 ID:Ua.4rnaP0▼このコメントに返信
船に乗り込んで元の大将首取ったからじゃね(テキトー
50.名無しさん:2020年01月13日 22:50 ID:x3tJylB50▼このコメントに返信
ウィキ知ったかさんが、当時を生きてきたかのように、語って
他人をけなしてどや顔してるのすこい。
51.名無しさん:2020年01月13日 22:52 ID:cq6xs.Ge0▼このコメントに返信
>>47
日本軍にずっーーと海上に縛り付けられて
夜襲仕掛けられて台風前から
元軍はボロボロだったんだけどな

大体 名乗りは味方に対する戦功アピール
名乗りながら戦うなんて普通だよ

ちなみに元高麗指揮官級も多数が
戦闘で戦死してる 総司令官も射落とされてたり
52.名無しさん:2020年01月13日 22:52 ID:9g.p9wnV0▼このコメントに返信
>>47
何言ってんだ?コイツw,
53.名無しさん:2020年01月13日 22:53 ID:cq6xs.Ge0▼このコメントに返信
>>50
悪いけど 鎌倉武士が博多
略奪してなんて言い出す俄ちゃうから
54.名無しさん:2020年01月13日 22:53 ID:G1x4jQWu0▼このコメントに返信
>>22
へーそんなことがあったんか。
日本の刀って確かずっと中国大陸で評価され続けてきたよね。清代だったか?で刀が寺に寄贈されて岩をも斬る宝剣として珍重されたって話を思い出した。
55.名無しさん:2020年01月13日 22:54 ID:cq6xs.Ge0▼このコメントに返信
>>51
追加 この海上に縛り付けられてる
=陸で休めない➕補給ができない

病すら蔓延しだしてた
56.名無しさん:2020年01月13日 22:55 ID:g7QYyaLd0▼このコメントに返信
今現在でもその程度の認識だから今現在の中国がある。

台湾政策、その他近隣政策に相通じるものがあるが、
宋も元も相手側を理解するための情報の採り口を誤った。
こういう間違いの場合は往々にして史書そのものが間違ってる。

儒学でも何が正しいのかを解析するために清代の訓古を待たざるを得なかったように、今現在の中国が歴史学において科学的な解析をできていないのが驚きだ。
57.名無しさん:2020年01月13日 22:56 ID:9g.p9wnV0▼このコメントに返信
フビライは出生から大ハンじゃねーぉろ。周辺のキプチャック、イルハン国と戦争を繰り返してた。主力が来てないだけだから日本相手に勝てる訳無いだけだろう。主力が来てたら橋頭堡築いて攻めてたろう。
58.名無しさん:2020年01月13日 22:56 ID:G1x4jQWu0▼このコメントに返信
>>4
あの時代に口減らしなんてしてる余裕はないよ……
変な妄想か漫画の影響か、人間の価値が低いとかめっちゃモンゴル人以外を嫌って虐殺したとか考えてる人いるけど、モンゴルは属国の扱いはまあまあ良かったからね。
59.名無しさん:2020年01月13日 22:58 ID:cq6xs.Ge0▼このコメントに返信
>>54
日宋貿易では既に美しさと性能
それから魔除とか宗教的な意義で
主要な輸出品だった

明ではコピー品作ったり鉄砲と合わせて日本式
部隊なんてのを作って北元と戦ったりしてる

宋に限らず中国との交易による良質な
鉄鉱石があったからこそ日本刀の平均的な
質の全盛期が 平安~義満の辺りだったりする
60.名無しさん:2020年01月13日 22:59 ID:1jaxhY4W0▼このコメントに返信
大河の歴史考証の方が「北条時宗」の時に
「この時代の背景を正確に記述したものは僧侶の日記ぐらいしかないのです、だから小説家は自由にこの
世界を想像に任せて書いているというのが現状です」的なことを言っていた。
ローマの時代のヨーロッパでは使者の首を切るのは単に「戦闘の意志表示」というだけの意味だったこともある。
日本の北条氏がヨーロッパのしきたり風習を知ってたとは当然思えないけどね。
61.名無しさん:2020年01月13日 23:01 ID:cq6xs.Ge0▼このコメントに返信
>>58
そもそも高麗は長きに渡る
元との戦争でとっくにボロボロ
62.名無しさん:2020年01月13日 23:02 ID:g7QYyaLd0▼このコメントに返信
自分達に都合の良い情報源に頼って情勢を誤った。
どの情報源が情勢を誤らしめたかは、他ならぬ史書の筆勢の裏を読めば明白。
宋は北方諸民族の情勢について、情報を取る側ではなくて、情報を取られる側だった。
取られるというのはなにも物理的に一つの流れが片方だけというのではなくて、理解しようとしなかった、また、理解できなかった。
だから限りなく負け続けてしまった。

元も同じで、情報源を高麗などに頼ってしまった。
高麗の価値観と目的と目線に合わせてしまった。

今現在の対台湾政策にも通じる。
63.名無しさん:2020年01月13日 23:03 ID:cq6xs.Ge0▼このコメントに返信
>>57
キプチャクむっちゃ遠いんだが?
つーか何を持って本隊だと思うんだ?

日本側にも司令官として
皇族や重臣クラスも複数も来てんのに
64.名無しさん:2020年01月13日 23:03 ID:9g.p9wnV0▼このコメントに返信
>>60

使者の首切って戦闘の意思表示は古来中国でもあった話だろう?三國志の正史でもそう言った話は出てきた筈だがなぜヨーロッパ?
当時はアジアの方が進んでたんだぞ?
65.名無しさん:2020年01月13日 23:05 ID:9g.p9wnV0▼このコメントに返信
>>63
参戦武将。皇族王族でも役立たずは酷いが戦闘無名ばかりやんけ。有力武将はキプチャックに全力中やったやんけ。
66.名無しさん:2020年01月13日 23:06 ID:9g.p9wnV0▼このコメントに返信
>>65
追加。遠く無いだろ。中央アジアやんけ。
67.名無しさん:2020年01月13日 23:07 ID:bqc4197d0▼このコメントに返信
チョーセンジンに戦わせたからだべ~~~
68.名無しさん:2020年01月13日 23:08 ID:uk6sdgKI0▼このコメントに返信
日中戦争、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争
全部あの国と関わると一度も勝てない
69.名無しさん:2020年01月13日 23:10 ID:XlWdHZzX0▼このコメントに返信
騎馬民族が海越えた侵略ってのがまず無理筋なんだよ
+日本の侍がマジキチスペックだった
70.名無しさん:2020年01月13日 23:12 ID:M2zgRVfV0▼このコメントに返信
リーダー(北条時宗)が、統率力を発揮してぶれなかったからだろう。
71.名無しさん:2020年01月13日 23:14 ID:mBcwxR0B0▼このコメントに返信
>175: 名無しさん@1周年 2020/01/06(月) 09:54:24.17 ID:903SoVIf0
>高麗軍は全員斬首したが宋軍は見逃したんだよな
>これがよくわからん

日本人は宋文化が本当に好きで宋人を尊敬してたんだよ
たしかに宋文化は素晴らしいものだった
その宋に野蛮な北方の元が攻め込んでドンドン領土を侵略して行った
日本人はそんな元、そして元に従う高麗を心から嫌っていた
72.名無しさん:2020年01月13日 23:17 ID:cq6xs.Ge0▼このコメントに返信
>>71
いや宋人は準同盟関係にあったし
鎌倉幕府も支援してたからだろ
73.名無しさん:2020年01月13日 23:18 ID:9g.p9wnV0▼このコメントに返信
>>71
野蛮ねぇ・・・
金征伐ではモンゴルを利用してたのにねぇ。モンゴル居なけりゃ金に滅ぼされてた国やん。平和ボケし過ぎてたんだよ。宋は。
74.名無しさん:2020年01月13日 23:24 ID:.ydHQV9o0▼このコメントに返信
>>47
おじいちゃんもうごはんはたべたでしょ
75.名無しさん:2020年01月13日 23:24 ID:g7QYyaLd0▼このコメントに返信
半島を信頼すれば負けるなどいう風説には与しないが。

高麗は自己の犠牲が増えても成功率が上がる方ではなくて、
高麗にとって犠牲が少なく、事後において最大限に、かつ確実に利益が上がるように誘導しようとする。

元は高麗を信頼しすぎて水先案内以上の役割を任せてしまった。
高麗側では日本側の地勢もわかっていたはずで、なにもわざわざ人口密度が高い割には政治的重要性が低い博多に、全軍を誘導する必要は無かった。

最初期の段階で長門、山陰方面にも分散して侵攻していれば、京都も落とせるし、博多前面で拠点を作れずに撤退などはなかった。この経路は実際に弥生時代か古墳時代には採用された経路だったはず。

ようするに、博多を取ってしまえば高麗の利益になるから、そちらに誘導したんであって、この時点で幕府を屈服させるというフビライの目的と解離してしまっている。

第二次では一ヶ所だけでなく松浦方面等をも目標にしていたが、これは高麗側というよりも南宋側からの情報だろう。
最後まで長門方面以東には兵を向けなかった。
そこで上陸して拠点を作っていれば、天候に左右される度合いも上陸もできないままで疲弊するリスクも避けられたろう。
76.名無しさん:2020年01月13日 23:28 ID:06.VKAPS0▼このコメントに返信
あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

「日本海を越えるのに消費した食料・物資を九州で略奪しようとしたら
  すでに日本の武士たちが略奪し尽してた。」

な… 何を言っているのか わからねーと思うが(以下略)
77.名無しさん:2020年01月13日 23:29 ID:m0ZTboGi0▼このコメントに返信
フビライ
「なんか実績上げて威光を示しとかな諸侯がつけあがってまうけど、下手に大敗したら符堅の二の舞やし・・・」
78.名無しさん:2020年01月13日 23:29 ID:Nf1f0rkn0▼このコメントに返信
※73
そもそもモンゴルが金から奪還した土地を俺らの土地だと押し入って勝手に占領
それに対してモンゴルがブチ切れたのがモンゴルと宋の戦争の始まり
因みに金に対しても同じことやってる(金が遼を駆逐した土地を勝手に占領)から同じガイジ行動を繰り返して滅ぼされた
宋という国は周りを見下す単なる野蛮国家
79.名無しさん:2020年01月13日 23:30 ID:g7QYyaLd0▼このコメントに返信
この記事を読むと中国側は情報の読み方から間違えていたという可能性には思いが及ばない、自覚がないということになる。

これは言語や文化の欠陥というより、現中国成立の歴史的背景さえ正しく総括できていないから、中華にありがちで、何時もそれで失敗している所以のところから抜けられないんだろう。
80.名無しさん:2020年01月13日 23:31 ID:EeT.dAH.0▼このコメントに返信
そもそも水車すら作れないのに日本へ渡る船なんて作れたの?
81.名無しさん:2020年01月13日 23:33 ID:LrbkfDeI0▼このコメントに返信
そもそも論として
元は日本を征服してどうするつもりだったんだろうね。
渡ってくるのも命懸けの場所を征服したってまともに統治出来るはずがないのにわざわざ高いコスト出して遠征する必要ってないよなぁ。
82.名無しさん:2020年01月13日 23:36 ID:ojJ3bnD50▼このコメントに返信
>>62
アメリカのキューバ奪還作戦にも似てるな

楽観的な都合の良い見通しで亡命キューバ志願兵を戦闘させたら戦術が尽く最悪な方向に転がったってやつ

83.名無しさん:2020年01月13日 23:36 ID:0Jyvp7Fy0▼このコメントに返信
日本側は問題なく撃退したけれど、褒賞が用意できなかったから人の手柄ではなく神風のおかげにした
84.名無しさん:2020年01月13日 23:37 ID:Nf1f0rkn0▼このコメントに返信
※81
最初は本当に通称目的で使者を派遣した
その使者をぶった切り挑発したのが鎌倉幕府
これにブチ切れたクビライが仕置きの目的で征伐軍を派遣したのが始まり
85.名無しさん:2020年01月13日 23:37 ID:ojJ3bnD50▼このコメントに返信
>>69
それと地形だな

山岳地だと大陸の馬は走れないらしいし(又聞き情報)
86.名無しさん:2020年01月13日 23:39 ID:wsCtOyVt0▼このコメントに返信

過去の教訓を 生かしたいのは、分かるが、また 元寇襲来かよ。
今度の 元ネタは、中国の様だが、本当は、見栄ぱりの 韓国人が、大陸を制覇した ジンギスハンに、 朝鮮が侵略されたのに、 日本が モンゴルを退けた事に、納得 出来ないじゃないのかなぁ。
改めて、神風とか 運が良かったんじゃなく、騎馬民族のモンゴルが 海を渡るには、朝鮮の助けが 必要だったが、その 朝鮮の海軍力が 弱小だったから だろう。
87.名無しさん:2020年01月13日 23:44 ID:whvxzKF30▼このコメントに返信
日中は元寇圧勝、日本は夜戦で圧勝。毎夜毎晩船に戻って、最後は冬の玄界灘。台風なんて記載は一つもない。

第二次世界大戦のときに兵力を全部攻めに回して大丈夫なのか?→大丈夫!過去にも神風が!というウソ
台風が原因で負けたのであって元寇は負けていません→中朝の人たちからするとプライドが許さないから
弓を引いて戦っているではありませんか!→数百年後の人がなぜか書き足した雑コラ。教科書がおかしい。

日教組からして本当にマズいのは、元寇合戦での防衛戦勝利が憲法9条を肯定するものだから(笑)


(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)
88.名無しさん:2020年01月13日 23:47 ID:GhmV82J00▼このコメントに返信
誰が何と言おうが、法則が原因だなwww
89.名無しさん:2020年01月13日 23:49 ID:3FbgsK3y0▼このコメントに返信
大元(モンゴル)国内の情勢不安もあって
第三派第四派と計画自体はされたけどそれどころじゃなくなった事情もあるね。
90.名無しさん:2020年01月13日 23:56 ID:shW38Cwv0▼このコメントに返信
1回目 士気の低い属国軍。対馬・壱岐でも現地戦力だけで撃退されて上陸できず。
2回目 屯田兵主体の農民軍。弱すぎて奇襲・夜襲くらいまくって撤退。メコン川流域など、あちこちで同じ負け方してる時期。

まあ、失敗は当たり前なんだよね。
弱いから。
91.名無しさん:2020年01月14日 00:00 ID:m.mnorvY0▼このコメントに返信
>>32
古今東西、日本は強いとわかったんじゃない?
92.名無しさん:2020年01月14日 00:06 ID:cdzovs.D0▼このコメントに返信
『神風のおかげ』というのは、当時の宗教家たちがこぞって自分たちの祈願・祈祷の成果だと触れ回ったからだろうな
日蓮の話が有名だが、それだけでなく色んな寺や神社が祈願に関わり、当時の武士や朝廷もそれを心の拠り所にした
武の神である八幡神のおかげだの、いや諏訪大社の風神タケミナカタのおかげだのと
伊勢神宮に風宮があるのも、神風の御神徳を称えて格別の扱いを受けた結果らしいし
93.名無しさん:2020年01月14日 00:06 ID:m.mnorvY0▼このコメントに返信
>>48
日本の軍事実力を探ってる、あの国かな?
94.名無しさん:2020年01月14日 00:17 ID:bTilG6WG0▼このコメントに返信
※84
使者を斬首したのは文永の役の後だった。文永の役の前は「小国(日本)」「武力を使うのは好まない」など
かなり無礼な文書を元が送ってきても使者を殺してはいない。
文永の役の際に、一度も日本に来たことがないはずの元軍が日本の国情に妙に詳しかったことから、元の使者が
スパイとしての役割も果たしているとみなされ斬首されるようになった。近代でも、どこの国でもスパイは死刑になる。
95.名無しさん:2020年01月14日 00:19 ID:m.mnorvY0▼このコメントに返信
なかなか面白いスレだわ。勉強になったよ。ありがとう!
96.名無しさん:2020年01月14日 00:25 ID:PDQWaMXQ0▼このコメントに返信
今の半島だけがやる気満々で、その手段も方法も選ばない阿漕なやり方に鎌倉武士が激怒したからだろ

今と同じで必要以上に煽って怒らせ過ぎたってだけだ
97.ハマの名無しさん:2020年01月14日 00:26 ID:ZZLFA.2X0▼このコメントに返信
※69
そうそう、これに尽きるね。そもそも騎馬軍団が世界最強だったから、
中東から東欧まで征服することができたわけで、博多上陸後も十分な数の馬が
ないのだから、内陸侵攻できるわけがない。しかもロジスティックスを
碌に考えていない上に、鎌倉武士を東の夷としか思っていなかったことが
ありあり。文永の役はほぼ偵察だったとしても、弘安の役の前に対策をしっかり
練るべきだったね。
98.名無しさん:2020年01月14日 00:28 ID:8DXTsOM80▼このコメントに返信
元寇での主力兵器は火薬。元寇での主力兵士は朝鮮民族
で、法則通り敗走。自爆。タイムボカンですよ。
戦の強烈なプレッシャーに火薬の取り扱いを間違えて自爆。
火薬を知らない日本人は、その風圧を台風になぞらえた。
何でもかんでも宗教にするが、根底では、現実を直視するじゃないか?
99.名無しさん:2020年01月14日 00:31 ID:Kn0wyJ9K0▼このコメントに返信
本気で侵略しようとしてなかったからだよ。
ろくに前線もつくらず、偵察だけで止めてるしな。
100.名無しさん:2020年01月14日 00:32 ID:zDdHPMXz0▼このコメントに返信
モンゴルにはその気はなくて占領した南宋軍の残党を処分するためという一番酷い考察もある
101.名無しさん:2020年01月14日 00:42 ID:8DXTsOM80▼このコメントに返信
※99
本気でなくても
冗談で爆死するわけないだろw
能力相応だよw
102.名無しさん:2020年01月14日 00:45 ID:Kn0wyJ9K0▼このコメントに返信
>>101
モンゴルってのはそれをやってたんだよ。
遊びで城落としたり村潰したりな。
それの失敗例ってだけで、彼らにとって深い意味はない。
103.名無しさん:2020年01月14日 00:49 ID:bTilG6WG0▼このコメントに返信
弘安の役の際の艦隊は世界史上最大だったから、侵略自体は本気だったと思う。
「前例がないからよく分からんけど、これだけ艦隊を揃えれば日本に勝てるんじゃね?」
→弘安の役(元軍敗北)→「あれだけ艦隊を揃えても勝てないのかよ・・・ベトナム侵略を優先しようぜ。」

当時はアメリカ大陸、オーストラリア大陸などは発見されておらず、元にとっては中東、ヨーロッパ、ベトナム、インド、日本が
世界の全てで、ヨーロッパと中東には大勝しており、日本・ベトナム・インドを下せば世界征服も夢ではない状態だった。
本気で世界征服を夢見ているらしいことは弘安の役直前の元側の資料にもある。
104.名無しさん:2020年01月14日 00:55 ID:Kn0wyJ9K0▼このコメントに返信
侵略を防いだ側にとっては、侵略は本気だったとした方が都合良いからな。
でも元ってのは、基本的に統治ではなく掠奪できればそれでよかった国だから、信念があって攻撃してたわけではない。
日本への侵攻も偵察レベルで、さっさと見限って終わり。
105.名無しさん:2020年01月14日 01:00 ID:bTilG6WG0▼このコメントに返信
※104
3回も偵察を計画するんですかね?うち2回は実行済み。兵力も両方の計画合わせて20万人と、失敗した時の損害が天文学的数字になる。
106.名無しさん:2020年01月14日 01:01 ID:fgmHruj10▼このコメントに返信
>>102
そんな奴らが強いわけがないだろ
残虐な朝鮮民族の発送か、もしかしたら
元寇で、モンゴルの残虐性が朝鮮民族に備わったのかだけどw
法則的に嘘っぽいとしか言えんねw実際は知らないのだからw
107.名無しさん:2020年01月14日 01:04 ID:vvFmjNFW0▼このコメントに返信
当時の渡海能力が低過ぎる
船を揃えて史上最大とか言っても、効率自体がクソだから結局大した戦力は送れない
継続的な支援となればなおの事
とはいえ当時のレベルでそれだけの用意を整えた事は十分称賛に価する

まぁそんな事より笑えるのは、元寇を中国の歴史とか言っちゃってる所だけど
それを除けば記事の論旨自体はある程度真っ当な事言ってる
108.名無しさん:2020年01月14日 01:15 ID:vvFmjNFW0▼このコメントに返信
※106
モンゴル帝国が勢力圏拡大のために飴と鞭を積極的に使ったというのは判明してる
服従するものには統治を、従わないものには皆殺しを、そういったスタンスを自分から外国に広める事で消耗を抑えつつ勢力圏を拡大する事を狙ったのではないかと言われている
そういったスタンスの実践例として滅ぼされた都市や村の例は大いに宣伝されたろう
109.名無しさん:2020年01月14日 01:18 ID:O8StCBxy0▼このコメントに返信
原因を一つに絞ろうとすること自体おかしくないか?
110.名無しさん:2020年01月14日 01:20 ID:vhqt0cZw0▼このコメントに返信
>>107
笑えるのはお前の教養のなさだ
元史を編纂したのは清朝であり、元もまた中国の歴史の一部だ
征服王朝という言葉も知らないのか
111.名無しさん:2020年01月14日 01:23 ID:NXoW16.Z0▼このコメントに返信
※23
自分が頭良いと思ってる類のバカだなお前

そもそもの元の書簡にもある通り目的は国交と日本の服属だよ
元寇はその手段
二度も遠征して地方すら制圧できなかったのだからデモンストレーションとしても失敗だろアホくさ
112.名無しさん:2020年01月14日 01:27 ID:vvFmjNFW0▼このコメントに返信
※110
その一貫性の無さを無視して、さも唯一の民族の歴史であるかのように振る舞ってる現状の中国を笑ってるんだよ
113.名無しさん:2020年01月14日 01:51 ID:XwXHcDEj0▼このコメントに返信
※17
あの当時の船や船団で日本列島沿岸をぐるりと廻りこんで京都や鎌倉近くに上陸するのは不可能だ。そもそも航路も開拓されていないし、海流や風もわからない。下手に太平洋側に出て黒潮に乗ったら最悪アラスカまで流されて上陸作戦どころじゃない。元軍は九州北部しか選択肢はなかった。冬になれば北西風で連絡(本国に補給や援軍を要請する使者の船も出せない)も帰還も難しいので、最初から全力でいくしかなかった。おそらく白村江以来、日本側も大陸の軍勢が海を渡って攻めてくるときは九州からしかないと見切って、大宰府や水城など防衛施設を西国にたくさん建設したのだ。
114.名無しさん:2020年01月14日 01:58 ID:bCtMXrvV0▼このコメントに返信
>日本人が穏やかになったのは江戸の治世がよかったからでその前は元寇真っ青の蛮族

日露戦争の頃も、戦勝が続いたという事もあってか、酷く好戦的でイケイケやったって話やけどな。
海戦完勝したのに領地も賠償も取れない政府はクソ野郎って叫ぶような感じで。
115.名無しさん:2020年01月14日 02:01 ID:.6YwFzqA0▼このコメントに返信
牛馬の死骸を投げ込んだとかほんまなんかね
元の船は甲板かなり高かったんちゃうの
116.名無しさん:2020年01月14日 02:14 ID:luL.SfgW0▼このコメントに返信
2回目は元軍の出征前に総司令官が急死したり
東路軍と江南軍の足並みがまったくそろってなかったりでかなりグダグダ。
日本側の勝因は勿論あるんだろうけど元軍は元軍で惨敗に相応しい敗因がある。
ちなみに日本側は捕虜2-3万人を得て旧南宋の漢人以外の
モンゴル人高麗人女真人、旧金領の漢人を全て殺し
残りを全国の御家人に配ったらしい。
117.名無しさん:2020年01月14日 02:20 ID:luL.SfgW0▼このコメントに返信
※23
元というか中国王朝の史料に兵の損傷率8割と記されてる状況で
成功と言っちゃうのはちょっと無理がある。
2回目の遠征後に元側有利な和睦が成ったわけでもなし
3回目の動員を号令までしている(内乱で実行できていない)以上
元は目的達成できず諦めもしなかったと見るべきじゃないか
118.名無しさん:2020年01月14日 02:21 ID:Kn0wyJ9K0▼このコメントに返信
>>105
偵察は何回でもやるよ。
むしろ定期的にやり続けるもの。
119.名無しさん:2020年01月14日 02:45 ID:Kn0wyJ9K0▼このコメントに返信
>>106
無知なのは仕方ないけど、少し勉強すりゃわかることだよ
120.名無しさん:2020年01月14日 02:59 ID:X6GXiC0x0▼このコメントに返信
この時全国から集めた戦闘民族同士で純粋培養された末裔が薩摩隼人なんだよな
121.名無しさん:2020年01月14日 03:03 ID:5P.IhXNV0▼このコメントに返信
※115
牛馬の死骸は知らないけど、夜襲の際に発酵させたヒトの糞尿を投げ込んで、毒ガス効果で戦意を喪失させたとの記録があるらしい。(テレビ番組より)
122.名無しさん:2020年01月14日 03:34 ID:sYmW.axc0▼このコメントに返信
※117
>3回目の動員を号令までしている(内乱で実行できていない)以上
>元は目的達成できず諦めもしなかったと見るべきじゃないか

というか内乱が発生した理由も根本的には日本(を侵略しようとした事)が遠因
日本攻めで元海軍がほぼ全滅したから、ベトナム攻めに十分な艦艇を派遣できなくてこっちでも大敗
それらの連敗が原因で元は疲弊して反乱が多発する事になる。

この手の反乱は最終的には鎮圧されて、元は3回目の日本攻めの準備を始めるんだけど、
その度に莫大な戦費調達に音を上げた配下が反乱を起こしてそれどころでは無くなる、
ってのをフビライの寿命が尽きるまで繰り返してる。

そもそも日本を攻撃しなければ良かったんだけど、やって失敗して様々な反乱の原因となってしまった以上は意地でも日本を落としたかったんだろう。
まあ絶対無理なんだけどね
123.名無しさん:2020年01月14日 03:38 ID:sYmW.axc0▼このコメントに返信
※114
>日本人が穏やかになったのは江戸の治世がよかったからでその前は元寇真っ青の蛮族

蛮族ってのは対馬や壱岐などで処刑されて当然の蛮行を働いたモンゴル人と高麗人と漢人の事を言うんだよ。
そいつ等ほどは戦争犯罪を犯さなかった南宋人をちゃんと分けて考えてやって、
懲役刑で済ませてやった日本人は当時から蛮族の対極にあったと言える。
124.名無しさん:2020年01月14日 03:44 ID:sYmW.axc0▼このコメントに返信
>なんか日本側がとことん劣勢で、かろうじて台風に救われた
>みたいな印象で教えられるけど、実は日本側の抵抗が頑強で
>橋頭保を確保できないうちに、暴風雨で元が撤退を余儀なくされた
>ってことらしいな。

>なんで、こう、変わってくるんだろうな。


ネットの普及のおかげだろう。
反日勢力としては特ア総掛かりで日本を襲撃したのにボロ負けした事実を誤魔化したいけど、ネットのせいでできなくなった。
125.名無しさん:2020年01月14日 04:53 ID:HCL0jQsB0▼このコメントに返信
何回も同じようなスレ建てすんな、フランス野郎!
126.名無しさん:2020年01月14日 04:57 ID:4kZFkudV0▼このコメントに返信
>>29
当時のモンゴルの騎馬隊はぬかるみが多い日本じゃ使えないらしいな。西洋馬だと山に登れないけど、ポニーみたいな日本馬は山に平気に登れたりみたいなかんじ。
127.名無しさん:2020年01月14日 05:59 ID:4vueiQAP0▼このコメントに返信
日本の防備が強固だったのと、元軍は海戦において素人同然だったからだよ。
あとは法則かなw
128.名無しさん:2020年01月14日 06:33 ID:UYIakSqd0▼このコメントに返信
※126
日本の在来馬もモンゴル馬の系譜なんですが
129.名無しさん:2020年01月14日 06:50 ID:LvOVcLe90▼このコメントに返信
元の戦術が稚拙すぎた
碌な海軍拠点を対馬~九州に築いてない時点で制海権取れるわけない=補給続くわけないやんっていう
秀吉の明征伐でも似たような敗因してるけど

そもそもこの時代に強襲揚陸作戦する意味は実際ない
渡河点丸わかりで揚陸戦力が弓騎兵と水際で戦うハメなってる時点で勝ち目ねえわ
130.名無しさん:2020年01月14日 07:35 ID:J6Fq0NZ80▼このコメントに返信
>>59
それなのに何故か向こうからは、大量に輸入した筈の刀剣が何処にも無いっていう話もあったな。
玉鋼を他のものに打ち変えちゃったのか?使うためじゃなくて、日本の武力を恐れて武器を回収する目的だった、
なんて説まである。まあ中国メディアの記事なら、どうあっても日本を褒めないだろう。
131.名無しさん:2020年01月14日 07:45 ID:SzSFjWs70▼このコメントに返信
>>65
これよく言われるけど因果関係逆だと思う
高名な将が日本に来なかったんじゃ無くて日本遠征が帝国史上最悪クラスの敗北だったから参戦した将が西でブイブイ言わせた連中ほどの武名を得られなかったんだろ
旧金軍系や高麗人系(高麗軍では無く元朝直属になってた奴ら)将兵だって帝国内の内乱ではクビライの親衛軍としてモンゴル高原方面の皇族の反乱軍相手に普通に活躍したりしてるからクビライとしては日本遠征に舐めプで二線級の将兵を送ったって認識は無いはず
132.名無しさん:2020年01月14日 07:47 ID:SzSFjWs70▼このコメントに返信
>>84
散々言われてるけど最初は使者斬ってないだろ 無視しただけ
133.名無しさん:2020年01月14日 08:01 ID:SzSFjWs70▼このコメントに返信
文永の役が偵察だったとか弘安の役が棄民だったとか史料でそう言われている訳じゃ無い以上神風と同レベルの言い訳にしかならないんだよなあ(他の※にあるように弘安では江南軍司令官の病気交代とかのグダグダ要素は確かにあったが)
つーか仮に文永が偵察だったとすると4万+船っていうそこまで大きくない国なら十分制圧できるコストをかけてちょっとちょっかいかけることしか想定せず、そのうえ反撃と災害で全軍の4分の1以上を失うド低能だったってことになるぞ
何より高麗史の文永の役での軍議の場面とかどう見てもちょっかいかけて帰るだけの予定って雰囲気じゃないだろ
134.名無しさん:2020年01月14日 09:12 ID:ejo5ypjb0▼このコメントに返信
>>39
元朝の記録で、ブチキレたフビライが3回目の侵攻を言い出して、回りの側近連中がこぞって止めてる記録がある。
ノリノリだったのは高麗の忠烈王とか言うバカだけ。
135.名無しさん:2020年01月14日 09:49 ID:f51WDb9P0▼このコメントに返信
当時の技術だと、渡航込みで、沿岸上陸作戦とかが、かなり難しいのよ。
当時は、帆船やろう。軍隊を集結させるときに風任せで大分難しい。
接岸先の人口が少ない場合とかだと、それでもなんとかなるんだけど(例:バイキングによる奇襲)、ある程度の人口規模がおって、敵兵も多いという状態だと、それなりにねという話やで。
バイキングも、しばらくしたら、おとなしくなっただろう。あれ、封建諸侯に力がついちゃって、手が出なくなったんやで。
136.名無しさん:2020年01月14日 10:26 ID:0912yPw20▼このコメントに返信
余った兵の口減らしは間違いだぞ。
もともとフビライは日本を攻める気はなかった。
それを高麗の糞どもが元にへつらうために、『日本せめとったらおいしいよ・・・』とそそのかして率先して先兵となった。
大昔から半島は糞なんだよ。
137.名無しさん:2020年01月14日 10:27 ID:bk0MyZRC0▼このコメントに返信
*124
よく使われていた資料が、「日本は滅亡寸前だったけど、祈祷のおかげで助かった」って神社の記録だから。

*129
そもそもが海上輸送で補給なんて無理。基本、現地調達です。
138.名無しさん:2020年01月14日 10:40 ID:ekN2O6vf0▼このコメントに返信
>>17
手漕ぎないし風任せな当時の船でそんな長距離航海は早々出来ん。
ましてや軍隊の輸送ともなると輸送中の環境管理もハードやしな。
139.名無しさん:2020年01月14日 10:50 ID:ekN2O6vf0▼このコメントに返信
>>75
動力機関も無い当時の船で日本海突っ切って山陰に上陸なんざ、無謀にも程があるわ。
ましてや馬抱えた師団の輸送ともなると、航海に時間も掛けとれん(航海中の食料、衛生管理、他)。
140.名無しさん:2020年01月14日 11:18 ID:GuR98jFH0▼このコメントに返信
※137
文禄慶長の役だと日本軍も明軍も都市部から動いた途端補給不足に苦しむ様子が見られますし、輸送手段があまりない感じがします。
141.名無しさん:2020年01月14日 11:30 ID:lnI5lIIh0▼このコメントに返信
>>136
口減らしは間違いはあってるが一番積極派だったのは普通にクビライでしょ
日本の存在を高麗出身の官僚から聞いたのが最初ではあるけど遠征の方針を言い出したのはクビライだし使節派遣の段階になると高麗が日本にビビって使者を出航させず(積極派だった忠烈王はこのときまだ即位してない)クビライ激怒なんてことも起こってる
忠烈王がクビライに媚びて日本遠征頑張ります!って言ってたのだけ有名になってるけどそれよりずっと前から遠征はクビライ主導で決まってたよ
142.名無しさん:2020年01月14日 11:44 ID:m55kWHzG0▼このコメントに返信
そもそも元寇という出来事が存在しない。
蒙古襲来のことではないか?
143.名無しさん:2020年01月14日 11:49 ID:ylIBj5cC0▼このコメントに返信
当時の兵数は誇張されてるが、こっから全部推測にすぎないんだが、六波羅に集結した大軍の鎌倉勢の約6万ってのは結構リアルな感じはする
全軍ではないんだろうけど 誇張すれば40万とか言える数だと思う
曹操軍赤壁15万を80万とか100万とか号したみたいな感じ
元軍の二回目15万ってのはやはりリアルな感じはする
なにせモンゴル旧金高麗勢で4万みたいな数字だしね 
おそらくそれまでの海運頼みの歴史上最大規模の遠征だったろう
144.名無しさん:2020年01月14日 11:54 ID:ylIBj5cC0▼このコメントに返信
一回目から15万ほどで一気に上陸して、橋頭保を確保
連続して2回目に補給船団を送るみたいなことができればチャンスはあったんじゃないかと思う
人員よりも船の数がもっと必要だった
145.名無しさん:2020年01月14日 12:00 ID:GuR98jFH0▼このコメントに返信
※143
郎党小物含んだ数だろうけど十分大群よな
146.名無しさん:2020年01月14日 12:26 ID:SoF.rGq50▼このコメントに返信
>>130
倭刀は普通にあるぞ

刀身だけ日本刀にしたり
とういか日本刀は結構 研ぎ師も含めて
整備環境もいるからなぁ
147.名無しさん:2020年01月14日 13:57 ID:P7cy2Gu.0▼このコメントに返信
不思議な神風自体はあったみたいだけどね
ある状態にはなっていたらしいが
風言っても、すごい強風の事じゃないからね
148.名無しさん:2020年01月14日 15:24 ID:C354g3510▼このコメントに返信
朝 鮮 は日本人に千年は賠償金を、払い続ける義務がある。西暦で言えば2292年までは最低でも続く。
149.名無しさん:2020年01月14日 15:59 ID:wMU1bQ1c0▼このコメントに返信
高麗軍は1274年対馬に上陸、島民を2000人殺害。女性は手のひらに穴をあけられ縄で授受つなぎにされ、連行された。
高麗軍はさらに1281年対馬に再上陸し島民を2000人殺害した。 対馬市はこれらの犠牲者の慰霊碑をでかく造らなければ日本人観光客は行かない。
150.名無しさん:2020年01月14日 16:00 ID:wMU1bQ1c0▼このコメントに返信
※60
人類共通のやり方。
151.名無しさん:2020年01月14日 17:40 ID:Hfnu9BBN0▼このコメントに返信
※5
たまによくあるよね。2でスレが終わっちゃうのw
152.名無しさん:2020年01月14日 19:07 ID:luL.SfgW0▼このコメントに返信
※122
日本遠征に向けてのものかはわからないけど
元代の造船で鄭和の艦隊よりも巨大な船を作ってたなんて記録もあるらしいね
スケールでかいなというのと同時に元の号令でそんなもの作ってたら
現地の負担はとんでもなかったんだろうなとも思う
153.名無しさん:2020年01月14日 23:09 ID:q254HOhB0▼このコメントに返信
文永の役の時はちゃんと上陸して赤坂まで進軍展開してるからな
菊池武房の軍勢と交戦して謎の転進、1日戦ったあと危険を冒しての夜間出港で逃げ帰ってるから
結局は上陸出来た所でどうにもならない
154.名無しさん:2020年01月15日 00:41 ID:INYe9QOt0▼このコメントに返信
絶体絶命のピンチから大逆転!ってストーリーにした方が
幕府から褒美が多く貰える、って計算してたんじゃね?
で、
実は楽勝だった話をねじ曲げて「美談」に仕立て上げた、とは言えないか?
155.名無しさん:2020年01月15日 03:22 ID:i5yZaw9.0▼このコメントに返信
※84
元のスレで十回は突っ込まれてるがそれデマだぞ
クビライが最初に送った使者、高麗王の部下の潘阜はちゃんと生きて帰ってる
というか元が攻めてくるまでの使者はみんな生きて帰ってる

だから「鎌倉幕府が使者斬ったからブチ切れたクビライが征伐しようとして元寇が始まった」
ってのも真っ赤っ赤なデマ

元寇の前に使者が殺されたこと自体がありもしないのに
そのありもしないことが原因で何かが起きたりもするわけがない
156.名無しさん:2020年01月15日 03:23 ID:i5yZaw9.0▼このコメントに返信
※94
見なされ、ってか実際に↓の文永の役前の第五回&第六回の使者がめっちゃ偵察してた
文永の役の後に処刑された第七回の使者は、この使者の次の使者でもある


1 :名無しさん@おーぷん:18/10/06(土)22:05:20 ID:Y4y主 ×
一年ほど日本に居た第五回&第六回使節の趙良弼さんの報告より

・獰猛で殺を嗜む
・親孝行を知らない
・上下の礼も知らない
・土地は山水が多くて耕作に利がない
・日本人を得ても役に立たない
・日本の土地を得ても富まない
・舟で海を渡るのも風は不定期で、損害を測ることもできない。
・日本征服なんて有用な民力で底なしの巨大の谷を埋めるようなもの
・結論、(元寇)反対

ここまで言われてなんで攻めてきたんや…
157.名無しさん:2020年01月15日 03:29 ID:i5yZaw9.0▼このコメントに返信
※104
威力偵察説があるのは文永の役だけで、弘安の役はなかったと思うが
それに弘安の役の後も三回目が計画されてたから、二回で見限って終わりではない
158.名無しさん:2020年01月15日 03:32 ID:i5yZaw9.0▼このコメントに返信
※60
てか戦闘の意思表示としても、もう元が先に攻めてきた時点で戦いは始まってるんだよな
159.名無しさん:2020年01月15日 06:11 ID:HB5C32LN0▼このコメントに返信
※136
※141
出航しなかった使者の次の使者が日本に行って滞在中の頃にはもう
南宋と日本を討つと言ってるから最初からクビライは日本を攻める気があるんだよね
使者が帰国したのはその後

※84
↑の使者が最初に日本に来た使者
通称だけが目的なわけじゃない
160.名無しさん:2020年01月15日 06:15 ID:HB5C32LN0▼このコメントに返信
※133
しかもそこまで犠牲出して九州の一部しか偵察できてないってことになるからなあ
コストと犠牲と、偵察の結果があってない
しかもそれ以降日本は防衛準備がっちりと準備して次の侵略に備えてるし
161.名無しさん:2020年01月15日 07:36 ID:Lc753wPC0▼このコメントに返信
全面的に「神風」が強調されるに至ったについては、自分達の荘園寺社地を鎌倉側に恩賞として没収されないように、必死になって「我々も必死に祈祷してました。だから食い扶持は持っていかないで下さい」という強烈な動機もあったと思う。

中国やロシアでいえば、革命で勝ち組に入るために、少なくとも破壊活動にまでは参加していない意味ではまだ善良なはずの知識人までもが、自分達は生まれついての革命派でしたと偽装してるみたいな。その声だけが記録として残り続ける状態。
この意味では魯迅が尊ばれている中国はまだ救いがあった。

話が横道にそれかけたが、実際に竹崎季長が個人的に残した絵詞がなければ忘れ去られていた御家人の中には、その直後に戦争ではなく内乱で亡くなった方が幾人もある。彼等が必死で戦った実情なども、朝廷自社連が書き残す記録には残りはしなかったろう。
162.名無しさん:2020年01月15日 07:52 ID:Lc753wPC0▼このコメントに返信
国民の議会政治の功績までも、「アメリカ様の民主化で文明化しました」と義務教育で臆面もなく刷り込もうとしたように。

最初の憲法の制定までも、そこに至るまでの起草側含む命懸けの政治活動の成果だったのに。

神風論は、以外と深い問題ではある。

もしモンゴルに征服され、朝廷寺社連が武力抵抗しなかったがゆえに、実際に抵抗した武士や武装寺社(箱崎とか含め、当時の寺社は大抵武装してるが)の領地を犠牲にして、その存在を安堵されたあかつきには、「台風が2度だけで済んだのは、我々が祈祷の目的は、本来、今のような平和をもたらすことだったから」とでも記録に残し、抵抗した輩は何されてもしょうがなかったとまで記録した可能性はあるかもしれない。
163.名無しさん:2020年01月15日 08:01 ID:Lc753wPC0▼このコメントに返信
まさか高麗はそこまで考えていなかったとは思うが、もし、博多近辺御家人寺社武装勢力の領地だけを高麗領にし、京を中心とする他の朝廷寺社領を、聞き分けの良い元の服属配下にするつもりだったのならば、攻撃対象を博多に限定しようとしたのは、逆に合理的な誘導であったかもしれない。

ただし、長門、日本海側方面までは攻撃を分散した方が、攻略を目的にするならば合理的だったのかもしれない。

実際に幕府側も、長門方面は重視して、即座に対応できるように配置を進めようとしていた。
164.名無しさん:2020年01月15日 11:56 ID:Ohv5sNyD0▼このコメントに返信
>>163
やりたくても当時の航海や輸送事情じゃ九州飛び越えて山陰上陸なんざ無理もいいとこ。
日本海突っ切ろうにも風任せだからどこに流れつくかわからんし、海上ど真ん中で補給も出来んから長距離航海自体がキツすぎる(馬抱えた師団なら尚更)。
結局は一番近い博多から島沿い、陸沿いに進攻してくのがやっと。
165.名無しさん:2020年01月15日 12:01 ID:Ohv5sNyD0▼このコメントに返信
>>163
それって秀吉の明征伐で「半島だけでなく(今の大連(旅順)あたりから)直接大陸へ乗り込めば良かったんじゃね?」って言ってるようなもんやけどな。
近代ですら兵団の輸送と上陸作戦は非常に頭悩ませる問題やし。
166.名無しさん:2020年01月15日 16:34 ID:ImYtJMB70▼このコメントに返信
※84
この捏造話って元寇関係の記事がまとめられるたびに見るけど誰が言い出したんだろう
167.名無しさん:2020年01月15日 22:22 ID:GlNhrsfM0▼このコメントに返信
>>163
海の波を見た事無いやろ。
日本海側と太平洋側で全く波が違う。
太平洋側のイメージで行くと波が何度も被る磯みたいな感じやで、砂浜すら。
168.名無しさん:2020年01月16日 06:29 ID:AdWHkfhN0▼このコメントに返信
そもそも鎌倉武士がヒャッハーしてる時代によりによって九州という修羅の地域に上陸しようとしたのがダメ過ぎやろ…
しかも台風多い季節にw
数で押し掛けたらすぐ上陸できて制圧出来るやろ?って思ってたのかな?
169.名無しさん:2020年01月16日 06:52 ID:AdWHkfhN0▼このコメントに返信
>>16
神風は嘘って話多いな
170.名無しさん:2020年01月16日 06:53 ID:AdWHkfhN0▼このコメントに返信
>>17
九州に行ったのが失敗やわ
171.名無しさん:2020年01月16日 07:02 ID:AdWHkfhN0▼このコメントに返信
>>47
最近の研究でその筋の説は否定的になってきてるね。
実際は台風+当時の武士が想像以上に強かった+慣れない船の三拍子揃ってたからなんじゃないの?と思ってる。

172.名無しさん:2020年01月16日 09:15 ID:7y.mztKs0▼このコメントに返信
※169
文永の役では台風は吹かなかったんじゃないか、という説はあるが、
その場合でも風雨自体はあったけど台風ではなかったんじゃね?って感じ

あと11月に台風ありえないっていう人もいるけど、
絶対にありえなくはない
平成にも令和にもあったからな
173.名無しさん:2020年01月16日 09:17 ID:7y.mztKs0▼このコメントに返信
※48
まあこのスレ、ニュース速報+で一日半で五スレいったからな
あそこの歴史スレとしては結構早い&長かった
人気のある題材でもあるんだろうな
174.名無しさん:2020年01月16日 09:22 ID:7y.mztKs0▼このコメントに返信
※124
ただしネットの時代になってから、それまでの本に書いてなかったのに
ネットで何度も書き込まれるうちに広まってしまった変な話も出て来てるんだよなあ
※84とかまさにそうだけど

ネットで誰かが掲示板とかに書き込みまくって広まるようになって、
今じゃいくつかの歴史の本ですらそれを真に受けて載せてる奴がいる始末
嘘も100回言えば真実になるわけじゃないだろうけど、
ネットに書き込みまくれば真実だと思い込む奴は多いんだろうな

それでもちゃんと史料調べるような学者が取り上げてることはないし
史料で完全に否定できる以上、真実や定説になることはないだろうけど

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