2019年09月05日 09:05

秀吉「ワイが死んでも豊臣のサポート頼むで」家康「おかのした」

秀吉「ワイが死んでも豊臣のサポート頼むで」家康「おかのした」

hideyoshi

引用元:秀吉「ワイが死んでも豊臣のサポート頼むで」家康「おかのした」
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1567497604/

1: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:00:04 ID:sjm
家康「よっしゃ秀吉死んだから豊臣滅ぼすンゴォォォォォォォォ!!」

うーんこの

2: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:00:37 ID:Xna
死んだやつに従うアホなんかおらんやろ

3: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:00:53 ID:6aQ
これ以上にないくらいの天下統一チャンスやししゃーない

4: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:01:22 ID:aaf
利家ちゃんが長生きしてればこんなことにはならなかったのに

6: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:03:15 ID:omS
これはニワカ
最初は滅ぼすのに消極的やったから

8: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:04:03 ID:mEe
家康は早々に将軍を息子に譲って
少しでも謀反のありそうな奴はお取り潰しにして幕府を盤石にしたからね
天下取った後始末も大事よな

9: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:04:34 ID:jaj
秀吉がちゃんとした後継者残さんからやぞ

10: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:05:11 ID:pSS
やっぱり繁殖力は大事なんやなって

11: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:06:07 ID:XNF
豊臣家には代々仕えてきた家臣がおらんから秀吉が死んだら相当キツイやろなって

12: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:06:43 ID:pSS
やっぱり家系は大事なんやなって

16: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:12:10 ID:dqH
織田「ハァハァ・・・頑張って天下餅ついたぞ・・・」
豊臣「ハァハァ・・・頑張って天下餅こねたぞ・・・」

徳川「天下餅うまいンゴ!(座りしままにパクー」

17: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:12:34 ID:WgA
信長「部下に裏切られるとか草生えるわ」

24: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:16:31 ID:X05
そら全日本を掌握出来る力も時勢もあるのに
家老筆頭で満足しろって話が無茶だわ
所詮外様やしそこまで忠義立てする義理もないし

23: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:16:10 ID:IzW
秀吉「ワイ亡き後、豊臣家は任したで(涙)」
秀次「わかったで叔父さん!」

秀吉「あ、息子産まれたわ死んでくれ」

26: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:18:00 ID:dqH
秀吉「ついでに秀次に嫁ぎに来た姫もころすンゴ」
三成「おやめくださいまだ何の関係もありませぬ」
秀吉「まあみっちゃんがそこまでいうなら・・・」

秀吉「ファーwwwそうこうしてるうちにもう殺されてたわ!草!」
三成「・・・」

31: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:19:51 ID:ymu
>>26
最上義光「しね」

33: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:23:05 ID:dqH
>>31
せめて娘は自分に葬らせてくれと遺体の引渡しを懇願するも拒否した上で「畜生塚」と刻まれた墓に埋める
絶望した妻は娘の後を追って自殺

そら東軍に付きますわ

29: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:18:31 ID:aaf
やっぱり晩年の秀吉ってクソだわ

30: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:19:21 ID:Na5
豊臣は不安よな、家康動きます

34: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:25:24 ID:HCR
秀次事件に連座したと見なされた有力大名
・浅野長政、幸長親子
・最上義光
・伊達政宗
・細川忠興

全員家康が取りなして難を逃れ当然家康サイドに

35: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:35:16 ID:dqH
明智光秀の生首を前にした反応
秀吉「ざまあ見さらせ金柑頭!この裏切りもんが!(首を蹴っ飛ばしながら」
家康「おいたわしや、光秀公にも事情があったんやなって・・・(泣きながら」
武将達「家康公・・・(泣)」
家康(やったぜ。)

36: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:39:22 ID:FhG
やっぱガキは早くに作っとかんとな

37: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:41:59 ID:JOx
家康ってどういう事をすれば自分にプラスになるのかって事を明確に理解して動いてるイメージある

38: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:58:29 ID:4cl
秀吉の最大の失敗って家康を完全に抑え込めなかった所やろな

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2019年09月05日 09:16 ID:VwU3769j0▼このコメントに返信
信長・秀吉は現在に対しての処理は優秀だけど
未来に対しての準備や投資が下手糞すぎた
それをずっと見てた家康が勝ったのはしゃーない
2.名無しさん:2019年09月05日 09:16 ID:WljBF4E.0▼このコメントに返信
死人に口なし
3.名無しさん:2019年09月05日 09:19 ID:JVo.jvZm0▼このコメントに返信
家康生かしといたのが秀吉の失敗、まあ結果論でしかないが
4.名無しさん:2019年09月05日 09:20 ID:cV8VTEpX0▼このコメントに返信
38: 名無しさん@おーぷん 19/09/03(火)17:58:29 ID:4cl
秀吉の最大の失敗って家康を完全に抑え込めなかった所やろな


そもそも、自分より戦が強いから抑え込めなかったんだから、完全も不完全もないと思うよ。
全盛期秀吉時でも、戦で勝てるとは言い切れない。
落ち度のない家康に無理矢理喧嘩吹っ掛けたら、家康に付く大名も多いだろうしね。
いずれにしても秀吉が家康を完全に抑え込める時なんか来ないって事だ。
5.名無しさん:2019年09月05日 09:21 ID:jrJn5k2H0▼このコメントに返信
>>1
添加物統一の途中で、まだ時間があると思っていた上に
後継者として育てていた信忠まで失った信長は仕方ないが
時間も権力も十分にあった秀吉が準備してなかったのは
失策としか言いようがない。
6.名無しさん:2019年09月05日 09:22 ID:BBDm7.x70▼このコメントに返信
家康が何の苦労もなく天下取ったみたいな風潮
人生のほとんどが下積み生活な上、戦死の危機にも何度も見舞われてるのに
7.名無しさん:2019年09月05日 09:23 ID:g61Rn5i.0▼このコメントに返信
信長から簒奪したんだから、逆もあるだろう。
しょうがない。
8.名無しさん:2019年09月05日 09:23 ID:ABW.edOC0▼このコメントに返信
そら秀頼しかおらん豊臣なんかそのうち血が途絶えて戦乱の世に戻る可能性のほうが高いしな、秀次生きていればだったわホンマ
9.名無しさん:2019年09月05日 09:23 ID:URjkpR0g0▼このコメントに返信
本当に秀吉が家康に言ったの? というか言えた義理なの?
10.名無しさん:2019年09月05日 09:24 ID:EKl.2VA.0▼このコメントに返信
有力大名の2代目がもうちょっと喧嘩っ早いか、三成が武断派からそこまで嫌われてなければ家康ももうちょっと別の方法をとっただろうけど
情勢は天下を取ってくださいと言わんばかりだったからね
そうなるように多少のコントロールはしたんだろうけど
11.名無しさん:2019年09月05日 09:25 ID:drWN.KcV0▼このコメントに返信
ぶっちゃけ秀吉が生きてるうちに徳川を潰さなかったのが悪い。石高も徳川のほうが高ったしな。
12.名無しさん:2019年09月05日 09:26 ID:ictnKdbY0▼このコメントに返信
家康は氏真も秀信も信雄も存続させる懐の深さがある
特に氏真には許し難い仕打ちを受けてるし

秀頼も一大名になれば存続は許されただろう
淀が糞という外無い。感情に走る女はあかんな
13.名無しさん:2019年09月05日 09:28 ID:aYJLdJrb0▼このコメントに返信
>>利家ちゃんが長生きしてればこんなことにはならなかったのに

伏見で利家派と家康派がにらみ合ったときに戦してれば
親豊臣の利家派が勝ってた
三成や毛利・宇喜多・佐竹・立花の西軍メンバーに利家を慕う清正までいたし
家康派は藤堂とか池田とか家康とベッタリしてへりくだってる連中だし
肝心なときに「秀頼様の前で血を流すわけにいかない」と
賤ヶ岳以来の持ち前のヘタレぶりを発揮して戦を回避して家康より先に死ぬ
利長に「3年は大坂を離れるな、前田の総力を挙げて戦え」と遺言してたのに
あっさりまつを差し出して土下座する利長
14.名無しさん:2019年09月05日 09:30 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
年取ってからの世継ぎ産まれているから最初から詰んでいる
天皇家じゃあるまいし、武家が他家のサポートなんぞするわけがない
15.名無しさん:2019年09月05日 09:31 ID:DDQ0YUrG0▼このコメントに返信
動きますとかまだ言ってるのか…
16.名無しさん:2019年09月05日 09:32 ID:4niMCR9p0▼このコメントに返信
秀頼が生まれたからって今までの話を反故にしてるのが悪い
17.名無しさん:2019年09月05日 09:35 ID:aYJLdJrb0▼このコメントに返信
※4
小牧長久手で池田・鬼武蔵が死んだ後も別働隊を動かそうとしたけど止めたし
なにより大地震で戦どころじゃなくなった
別に家康に勝てないからやめたわけじゃない
家康が臣従してきた以上潰す名目がなくなっただけ
やらなかっただけで北条戦のように日本中の兵力を使える秀吉に
家康単独では絶対勝てない
18.名無しさん:2019年09月05日 09:35 ID:9qdlp7bf0▼このコメントに返信
※5
添加物統一は草ww
秀吉は言うほど時間ないぞ。後継者が生まれたのって晩年のギリギリだからな。
この後継者誕生が遅すぎたのが色々狂った原因。
19.名無しさん:2019年09月05日 09:36 ID:urM51zHD0▼このコメントに返信
朝鮮「家康が天下取ったのはウリが豊臣ボロカスにして人心を失わせたから、つまり徳川家はウリに感謝すべき」
20.名無しさん:2019年09月05日 09:37 ID:1gjS3sRc0▼このコメントに返信
てかあの時点で家康が身の安泰を保つにはもう天下とる以外になかったんですが・・・?
21.名無しさん:2019年09月05日 09:38 ID:HwX6wZ.O0▼このコメントに返信
※13
賤ヶ岳で親友の柴田勝家を裏切った前田利家に、自分の死後まで託したのは甘かったんじゃないかな。
日本の歴史家は前田家に頭が上がらないから、あの家のことを悪く言わないけど、
典型的な利で動く戦国人間だからなぁ。
22.名無しさん:2019年09月05日 09:39 ID:urM51zHD0▼このコメントに返信
・・・はまあ冗談としても、関ヶ原&大坂の陣っていわば百年戦争後の薔薇戦争みたいなもんじゃね?
秀吉の天下統一後、いきなり関ヶ原の戦いに大抵のドラマでなるから訳わからんようになる。
あくまで朝鮮出兵の敗戦処理が原因やで。
23.名無しさん:2019年09月05日 09:39 ID:r4dgkih40▼このコメントに返信
自分がノブの子供を内心ではどう思ってどう扱ったかを
考えれば死んでも死に切れんかったろうな。
戦国の世がどういうものか知らないヒデヨシくんではないだろうに。
24.名無しさん:2019年09月05日 09:39 ID:OoqUlnRs0▼このコメントに返信
失敗すると見込んで(其れを理由に責め負わせようと)江戸に追いやったつもりが、乗りきって反対に力付けさせるんだもん。
25.名無しさん:2019年09月05日 09:40 ID:n.fYIu5o0▼このコメントに返信
※8
秀頼が成人した時に秀次が大人しく権力を返上するとは思えなかったんだろ
謀を用いて病気に見立てて除いてしまう可能性だってあるし
26.悪の総統:2019年09月05日 09:40 ID:YDonDwKu0▼このコメントに返信
織田家の場合は跡継ぎも切腹してしまったんだから、家老筆頭の秀吉が家を継ぐのは当然のことに思える
それ比べて正統な後継者である秀頼から天下を奪った徳川家康の行為は主を裏切った謀反としか言いようがない
27.名無しさん:2019年09月05日 09:40 ID:GPP1uc060▼このコメントに返信
秀次周りのはほんとに酷でぇわ
あれがなかったらもうちょい徳川サイドの戦力少なかったんじゃないかな…。
28.名無しさん:2019年09月05日 09:43 ID:9YafNbCL0▼このコメントに返信
三成がわるいよ三成がー
関ヶ原の大将任せててもらえなかったぐらいだしw
29.名無しさん:2019年09月05日 09:44 ID:urM51zHD0▼このコメントに返信
もしはいかんが
朝鮮出兵の総司令官に家康だったら
と夢想してみたかったなあ
家康は遠征軍総大将なら史実のような命令系統の乱れも押さえれる
結局は敗退しても、徳川の戦力は大きく削れる
なんでそうしなかったつうと、秀吉は遠征が失敗すると思っていなかったので、家康にあんま手柄を立てさせたくなかったそうらしいが。
30.名無しさん:2019年09月05日 09:44 ID:HwX6wZ.O0▼このコメントに返信
※12
今まで部下だと思っていた人間に
「城を明け渡して母親を人質によこせ」と言われて、はいそうですと従える人間はおらん。
別に豊臣は徳川と戦争して負けたわけじゃないからな。
大阪のほうでは「家康は高齢だから、粘っていれば勝手に倒れて元に戻る」と考えていたのだろう。
事実、大坂の陣の翌年には亡くなってるし。
31.名無しさん:2019年09月05日 09:45 ID:lJVAXmlu0▼このコメントに返信
秀吉は一代での成り上がりだから、他の武家と違って次の代に引き継がせるノウハウがなかったてのもあんだろうね
32.名無しさん:2019年09月05日 09:45 ID:iBt6VtOH0▼このコメントに返信
仮に秀次生きてても秀頼への権力移行がスムーズに行われるとは思えないし今度は秀次と秀頼の対立になってるだろう
そうなったらその頃には家康始め有力大名亡くなってる可能性もあるから泥沼の争いが長く続いて戦国時代に逆戻りしてたかもな
33.名無しさん:2019年09月05日 09:45 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
どうしても豊臣御家存続だけでも保障してくれなら、天下の堅城だった大阪城を家康にでも明け渡して隠居小城にでも移って家康お庇護下にでもなっていればよかったのに
障害になる可能性のあった淀君処分しておくとか
34.名無しさん:2019年09月05日 09:45 ID:IgC65cQQ0▼このコメントに返信
信長の信忠教育と、太原雪斎の家康教育。

視野と次元と伝統のレベルが同じとでも。
35.名無しさん:2019年09月05日 09:45 ID:PvBDIZg10▼このコメントに返信
本能寺の変の後も織田家と連携してた家康からしたら
簒奪者の豊臣にそこまでしてやる義理ねーわって思いはあったかもね
家康の甲斐侵攻も信勝の相談役だった秀吉から手紙もらって、織田家のサポートとしてやってた事だし
36.名無しさん:2019年09月05日 09:46 ID:aYJLdJrb0▼このコメントに返信
※10
三成というか奉行が秀吉の意を受けている以上
現場の人間と監督する側で対立するのは仕方ない
秀吉を暗に非難できない連中が逆恨みしただけ
「あいつさえぶっ○せば豊臣はまともになるんだ」と恩顧連中が思ったら
ただ家康にお膳立てしてやっただけ
黒田とか細川とか藤堂は「家康の天下のため」と分かってて早くから動いてるけど
清正とか正則・浅野とか死ぬまで豊臣に忠誠を尽くしたとか書いてあるのあるけど
どう考えても家康に忠誠を誓った上で動いてるだろ
でなきゃ何十万石とか平気でもらわないよな
37.名無しさん:2019年09月05日 09:47 ID:NebW7EmE0▼このコメントに返信
従う理由が何一つないからな。
朝廷に従うならともかく。
38.名無しさん:2019年09月05日 09:47 ID:RTUGBB7x0▼このコメントに返信
>>21
親友じゃないよ
親父様と呼ぶほど、慕っていた。
只の裏切り者
39.名無しさん:2019年09月05日 09:48 ID:72QnLYYL0▼このコメントに返信
※17
秀吉が負けないのは確かだろうけど少し時系列おかしくね?
小牧長久手のときは長宗我部も島津も北条も伊達も上杉も臣従してないでしょ
40.名無しさん:2019年09月05日 09:49 ID:n.fYIu5o0▼このコメントに返信
※30
だったら冬の陣で講話なんてせず徹底抗戦しろって話
41.名無しさん:2019年09月05日 09:50 ID:jrJn5k2H0▼このコメントに返信
>>18
誤植恥ずかし。
まあ、子供がいない内は自分の死後なんて気楽に考えてたんだろうな。
弟や甥が継ぐなら、それでよしと。
実子が産まれたら、自分が信長の子や孫にした仕打ちが跳ね返って来たわけだ。
42.名無しさん:2019年09月05日 09:51 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
※26
所詮下克上の世じゃん
43.名無しさん:2019年09月05日 09:52 ID:aYJLdJrb0▼このコメントに返信
※39
そうだったスマンでも
地震で中止になったのは確かだよ
44.名無しさん:2019年09月05日 09:52 ID:Cm0nGANY0▼このコメントに返信
利家『ワシが見てるぞ』
家康『はよ逝ねや』
45.名無しさん:2019年09月05日 09:52 ID:FLxuw6hb0▼このコメントに返信
家康の調略の周到さを知ったら、とても座りしままになんて言えんわ
46.名無しさん:2019年09月05日 09:53 ID:MfjXnY8r0▼このコメントに返信
※26
信長には他にも子供がいたでしょ。
当然のことってw
47.名無しさん:2019年09月05日 09:54 ID:LthkPDga0▼このコメントに返信
>>11
無理だから。
家康を潰そうとしたら反秀吉連合が出来上がって、豊臣も生きるか死ぬかの大戦になる。
タイミングさえ間違わなければ秀吉が勝つだろうが、そんな冒険できるわけがない。
だから、秀吉は家康を絆してきたわけだし。
48.名無しさん:2019年09月05日 09:55 ID:LthkPDga0▼このコメントに返信
>>12
感情で動かない女なんていませんからな
49.名無しさん:2019年09月05日 09:57 ID:LthkPDga0▼このコメントに返信
>>13
それは仕方ない無理だから
利長に家康と戦えとか鬼親父すぎるw
50.名無しさん:2019年09月05日 09:58 ID:JgtVzvxw0▼このコメントに返信
※32
秀次は秀頼が生まれてから、秀頼が将来秀吉の後を継ぐために必要なことを率先してやろうとしてた
秀吉が呆けちゃってたからできなかったけどな
51.名無しさん:2019年09月05日 09:59 ID:iZmopz.U0▼このコメントに返信
「家康、もっとしゃぶれ。お前の舌は特別じゃ。」
52.名無しさん:2019年09月05日 09:59 ID:FLBQuwlv0▼このコメントに返信
猿が種無しだったのが悪い。
53.名無しさん:2019年09月05日 09:59 ID:eqpTb0rI0▼このコメントに返信
>>38
なぜか小早川ばっかり裏切り者とか言われるよな
54.名無しさん:2019年09月05日 10:00 ID:Mf4pGjHY0▼このコメントに返信
天皇 → 関白(藤原・豊臣で持ち回り) → 将軍(徳川家)
の図式 にしたかったが上手くいかなかったとかなんとか
55.名無しさん:2019年09月05日 10:00 ID:r4dgkih40▼このコメントに返信
淀にまつ殿の器量があればな。家康に頭を下げなければ秀頼は殺されて豊臣家は滅ぶことは
淀周周辺の人も当時の常識としてみんなわかっていたと思う。
でもどうしても天下人の秀頼でなければ我慢できなかったんだろうな。
56.名無しさん:2019年09月05日 10:00 ID:Kq9e0.NH0▼このコメントに返信
他国侵略という信長・秀吉の野望を継がず天下泰平の世を築いた家康は偉大
57.名無しさん:2019年09月05日 10:00 ID:9Q6lyCc90▼このコメントに返信
馬鹿正直に家臣としてサポートし続けても秀頼が成長した暁には用済みとして粛清される立場になっていたかも知れないし
そうでなくても史実よりも更に厳しい戦争になっていたはず。従うしかない状況なら別だが天下を奪える力があったら自ら奪いに行くのが武士の定めかも。家康だけでなくて光秀もそうだけれど。
家康は関ヶ原で天下を取った後に大阪の陣で止めを刺したけれど、秀吉は天下をとった後も家康を放置したのが駄目だったのかもね
秀吉の失敗か、それをさせなかった家康の力量が良かったのかは判らないが
58.名無しさん:2019年09月05日 10:00 ID:uUYYqRNX0▼このコメントに返信
そもそも家康は織田信長とガキの頃からのマブダチで
その織田家を裏切って天下を我が物にした豊臣秀吉を相当嫌っていたらしいね。
秀吉もその事は承知していたが、徳川を滅ぼせないまま死んでしまった
59.名無しさん:2019年09月05日 10:02 ID:aYJLdJrb0▼このコメントに返信
※40
つーか秀頼がガンとして抗戦を主張して曲げなかったともいうのに
最後の最後になっても出陣しなかったのには恐れ入る
土蔵にコソコソ隠れて籠もって自害とか
武術師範たちも浮かばれまい
恵まれた体に最高レベルの武芸まで身につけて直属の兵もいたのに
城門前まで来て引き返すクソ
大野が慌てて旗印を立てたまま引き留めに行ったために
退却した、もう終わりだと思われて士気がダダ下がりしたのが決定的だったともいうし
60.名無しさん:2019年09月05日 10:03 ID:lx4WYvjR0▼このコメントに返信
※13
下のざまで利家が勝てたとは思えんが。
大将に肝が座っとらんと絶対に勝てん。
一戦場でならともかく、最終的には絶対に負けるわ。
61.名無しさん:2019年09月05日 10:03 ID:eqpTb0rI0▼このコメントに返信
>>29
サル「家康出兵させたら朝鮮で新たな国作って王になるかも…そや!国内に封印したろ!」
家康「やったぜ」
62.名無しさん:2019年09月05日 10:04 ID:LthkPDga0▼このコメントに返信
>>17
徳川北条連合だけでも簡単には勝てないだろ
実際には秀吉も日本中の兵力は使えないし
63.名無しさん:2019年09月05日 10:04 ID:4jWwuERI0▼このコメントに返信
家康が色々挑発して戦争を起こしたのは確か。けど、その挑発をうまくやりすごすことができれば、豊臣政権はもうすこし長く続いたはず。単独の武力では徳川が最強だったと思うが、豊臣恩顧の武将の数は膨大におり、石田三成のへたくそな政策がなければ、あれほどの膨大な離反者が出ることはなかった。石田三成のでしゃばりを止められなかった前田家、毛利家らの周りの武将が意気地がなさすぎる。石田三成の信望のなさが家康の謀叛を正当化してしまった。いくら家康が強くても、武家関白制の当時は、関白太政大臣が軍の指揮権をもっており、それに離反するのは朝敵であり反逆者だった。ただし、関ヶ原観戦直前の時点で、大納言徳川家康は、上杉討伐のための大将軍の指揮権をゆだねられており、正当な官軍の立場だった。だから、それに対して挙兵した石田三成一派を、謀叛人として討伐するのは至極正当な対応となった。石田三成の軽率な行動が家康に恰好の口実を与えてしまったわけだ。このとき、大将軍の権限を手にしたまま、関ヶ原に戻り、そこで地滑り的に大勝して、京都大阪を制圧してしまったため、朝廷の付与した大将軍の権限は家康に握られたまま継続されたた。それがあったがゆえの、征夷大将軍への任官だ。
64.名無しさん:2019年09月05日 10:05 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
北条政子みたいに淀君がいくら権力持とうとしても父方の浅井家も母方の織田家も落ちぶれていてろくな後ろ盾にならない
65.名無しさん:2019年09月05日 10:05 ID:mHrCm.UX0▼このコメントに返信
家康の反逆はしゃーない部分もあるぞ
徳川家の影響力が大きすぎて潰さなきゃ潰される状態になってたからな
仮に家康が忠誠誓ったとしても豊臣から理由つけては弱体化させられてたと思う
66.名無しさん:2019年09月05日 10:07 ID:Cm0nGANY0▼このコメントに返信
関ケ原の時に千成ひょうたん貸し出すだけで良かったのに
67.名無しさん:2019年09月05日 10:07 ID:pfHC3lL50▼このコメントに返信
家康自身は豊臣家を高家として残そうとする気配はあったけどね
68.名無しさん:2019年09月05日 10:07 ID:LthkPDga0▼このコメントに返信
>>38
9対1ぐらいの比重で柴田に対しての方が関係深いはずだよなぁ
69.名無しさん:2019年09月05日 10:08 ID:mHrCm.UX0▼このコメントに返信
※66
大阪夏の陣でもあのひょうたんが城に戻らなければ勢い待ったまま徳川に勝ててたまである
70.名無しさん:2019年09月05日 10:09 ID:BsKK47Xl0▼このコメントに返信
サポートはしようとしたんだろ。秀吉の遺言に従って、孫の千姫(二代将軍となる秀忠の娘)嫁がせてるんだし。
でも石田三成とか抑えられないで大きな戦の原因となってるし、
征夷大将軍に徳川家が任命された以上、格は徳川家のほうが上。

で、あるから、とりあえず臣従すれば相応の地位が約束されてるし、
千姫との婚姻で縁戚でもあるのだから、自身は無理でもその子々孫々が後々将軍になることだってありうる。
長い目で見れば家康は秀頼、豊臣家に最大限の便宜を払ってるともいえる。

なのに反抗されちゃっちゃー、しょうがないべ。
71.名無しさん:2019年09月05日 10:10 ID:MoKdKgDO0▼このコメントに返信
単純に子沢山でも内乱起こす場合があるしな
ちゃんと後継者を定めておいたノッブでも
生き残ること優先を植え付けきれなかったらあのざま
72.名無しさん:2019年09月05日 10:10 ID:r4dgkih40▼このコメントに返信
豊臣は大和に移って公家の親分になるぐらいが分相応だったのかもな。
そんで幕末までナントカ生き延びれば何か面白い展開があったかもしれん。
73.名無しさん:2019年09月05日 10:11 ID:LthkPDga0▼このコメントに返信
>>23
誓約書を何枚も書かせるほど必死やったんやろなあ
74.名無しさん:2019年09月05日 10:12 ID:mHrCm.UX0▼このコメントに返信
恭順してたら秀頼は無理でもその娘か息子
理想は娘でそれを徳川に嫁がせてたら孫くらいはワンチャン将軍ありえたんかな?
あわよくば御三家入りくらいは狙えそうだけど
75.名無しさん:2019年09月05日 10:13 ID:jrJn5k2H0▼このコメントに返信
>>65
足利時代のように、中央政府並みの力を持った大名として存続する可能性は十分にあったよ。
そうなっていれば今の日本ほど東京一極集中しなかっただろう。
76.名無しさん:2019年09月05日 10:13 ID:fUZeT5gt0▼このコメントに返信
江戸に左遷しておいて、味方になってくれもないだろ。
77.名無しさん:2019年09月05日 10:14 ID:mHrCm.UX0▼このコメントに返信
※76
秀吉「領地増やしてやっただけだぞ!」
78.名無しさん:2019年09月05日 10:14 ID:LthkPDga0▼このコメントに返信
>>26
秀吉は筆頭家老でもないし、織田には他に後継げる息子達もいたけどね
79.名無しさん:2019年09月05日 10:15 ID:4X7.lNIg0▼このコメントに返信
どっちかってーと周りが家康にビビッて追い込んでたよな
80.名無しさん:2019年09月05日 10:16 ID:OkvvsLmX0▼このコメントに返信
小牧長久手での実質負けと、耄碌&gdgd後継ぎ問題が悪いよ
81.名無しさん:2019年09月05日 10:17 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
※72
役職上は公家の摂関家だからねえ
82.名無しさん:2019年09月05日 10:18 ID:Hzlunjwc0▼このコメントに返信
※63
石田三成というか、宇喜多秀家だろ
83.名無しさん:2019年09月05日 10:18 ID:ojW.0Ax.0▼このコメントに返信
>>51
家康「おかのした」
84.名無しさん:2019年09月05日 10:18 ID:HwX6wZ.O0▼このコメントに返信
※55
徳川家と同格以下だった前田家と、格上だった豊臣家で同じ行動を求めるのは無理だと思うよ。
家というのは色々しがらみがあるので、個人の考えだけで簡単に格を落とすようなことは出来ないのです。
そんなに簡単に人間が動かせたら、世の中こんなに苦労しない。
85.名無しさん:2019年09月05日 10:21 ID:uUYYqRNX0▼このコメントに返信
※81
それって足利義昭がサル大嫌いで征夷大将軍の位を譲らなかっただけじゃん
86.名無しさん:2019年09月05日 10:22 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
81
ただ、公家、五摂家としても、下層武家が成り上がって天皇たらしこんで摂関家になったことに内心腹立たしかっただろうから
あちらとしてもさっさと潰れてほしかったんじゃないかなあ
87.名無しさん:2019年09月05日 10:22 ID:LthkPDga0▼このコメントに返信
>>26
確かに家康は豊臣政権の五大老の一人だが
あくまで政権の人間であって、豊臣家の人間ではない
簡単に言うと、安倍内閣の大臣だが、自民党ではなく、公明党の人間
88.名無しさん:2019年09月05日 10:23 ID:ROAyT.xd0▼このコメントに返信
修身斉家治国平天下
89.名無しさん:2019年09月05日 10:23 ID:khf7ZaZ00▼このコメントに返信
家康が統一ってより、世の中の大名とかは戦に疲れ果ててた、ここら辺りで少し落ち着こうやって代表を決めたのが家康やろ
90.名無しさん:2019年09月05日 10:24 ID:aYJLdJrb0▼このコメントに返信
※63
三成の政策とかいうが三成にそんな権力ないぞw
そんな権力あったらもっといい勝負してるわ
長束と「太閤殿下が我らを大幅に加増しようとしたとき我らはそれを断った。
今我らに100万石もあれば兵力の心配をすることがなくなるのにな」と
嘆くくらいなのに
91.名無しさん:2019年09月05日 10:25 ID:gTYEao3t0▼このコメントに返信
息子同然の子飼いも役に立たなかったので・・・
特に加藤、福島、おまえらやぞ
92.名無しさん:2019年09月05日 10:25 ID:EAefgyCN0▼このコメントに返信
家康も初期は絶対的ナンバー2になるため婚姻外交してた
豊臣を外戚として操るためにな
93.名無しさん:2019年09月05日 10:30 ID:j.ZYs6qz0▼このコメントに返信
※9
・家康は故人とはいえ秀吉の妹の旦那さん。
・秀吉の奥さんである淀君と家康の息子秀忠の奥さんである江の方は姉妹
・家康の孫の千姫と秀吉の息子の秀頼は婚約関係にある。

と言う秀吉と家康は二重三重の親戚関係にあるので頼める義理はある。

問題は身内には一部例外や政治ごとを除きゲロ甘なノッブとサッルと違いタヌキは身内に”は”厳しい
のと
家康自身が秀吉亡き後の政治的混乱をうまく処理できなかった。

その結果が大阪の陣で豊臣家を滅ぼすことになると・・・

その点で言えばなんだかんだで旧主家が立ち行く様にしたノッブやサッルに劣るとなりますがね。
94.名無しさん:2019年09月05日 10:31 ID:r4dgkih40▼このコメントに返信
※84
まつ殿が人質になって江戸に行く決断をしたから戦争が回避された。
これだって、普通に考えればなかなかできることではないよ。
でも家と子供の命を考えたんだと思うよ。ナマの戦国の世がどういう
ものかまつ殿にはよくわかっていたからだろうね。
95.名無しさん:2019年09月05日 10:31 ID:LthkPDga0▼このコメントに返信
>>26
つか孫ォォオ
96.名無しさん:2019年09月05日 10:32 ID:uUYYqRNX0▼このコメントに返信
※91
加藤清正も福島正則も謀略戦は全くダメだったな
97.名無しさん:2019年09月05日 10:33 ID:j.ZYs6qz0▼このコメントに返信
※3
曹操がしばちゅーさんを登用したのが問題、ノッブがサッルを取り立てたのが問題・・・と同じように。

じゃ、登用しなければ蜀や呉の進行とか誰が防ぐの?とか劣勢かで浅井や毛利と互角以上に渡り合える人材いるの?とかになりますけど
98.名無しさん:2019年09月05日 10:35 ID:LthkPDga0▼このコメントに返信
>>27
それな
肝心の伊達はどの道徳川に付いたと思うけどw
99.名無しさん:2019年09月05日 10:35 ID:D6ht8mgt0▼このコメントに返信
実際最上義光ほど家康に天下取らせる意思で戦ってたのは
家康直臣クラスにならないといないな
100.名無しさん:2019年09月05日 10:36 ID:LthkPDga0▼このコメントに返信
>>28
いやいや、三成が大将につくとか立場的にもありえんから
三成本人すら思ってないから
101.名無しさん:2019年09月05日 10:37 ID:FesQfTDw0▼このコメントに返信
でも家康は秀吉亡き後暗殺されかけとるしな
あのまま豊臣政権についとったら自分も家も粛清は確実やろ。そら天下取り云々以前に戦うにきまっとる。
102.名無しさん:2019年09月05日 10:37 ID:s1TPo.zd0▼このコメントに返信
早く子供云々より秀吉の末期が自分の子孫や派閥に不利になるような事ばかりしてるから大乱自体は避けられなかったと思う。ある意味一番有能な自己中が最後まで貫いた例だよな。
103.名無しさん:2019年09月05日 10:38 ID:XoFRUT390▼このコメントに返信
秀吉には人望はあったけど元百姓の豊臣家には従えないって事でしょう
 日本って家柄とか血筋とかの大事にする所あるし、その家康が脆弱性を突いた感じだわ
104.名無しさん:2019年09月05日 10:39 ID:bxCG.May0▼このコメントに返信
大久保忠世  「殿、馬の鞍に糞を漏らしておりますぞ」
家康     「たわけ者 これは焼味噌じゃ!」

三方ヶ原の戦いのこれ好き
105.名無しさん:2019年09月05日 10:40 ID:7cjRC3Ff0▼このコメントに返信
> 家康「よっしゃ秀吉死んだから豊臣滅ぼすンゴォォォォォォォォ!!」

いや、秀吉死後すぐに滅ぼしたのは石田だから。
106.名無しさん:2019年09月05日 10:42 ID:mHrCm.UX0▼このコメントに返信
家康は必要に迫られてやった感もあるから絶対滅ぼすマンでもなかった感はする
息子の秀忠は豊臣ぜってぇ潰すわ…ってやる気になってたけども
107.名無しさん:2019年09月05日 10:43 ID:LthkPDga0▼このコメントに返信
>>30
これで一安心って思っちゃったから逝っちゃったんだろうなぁ
豊臣潰れるまで生きとった可能性高いで
108.名無しさん:2019年09月05日 10:44 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
※105
だから毛利などの大名は失敗した時の捨て駒として石田を矢面に立たせていたんだと思うよ
そうしておかないと自分たちの御家存続危機になるから
109.名無しさん:2019年09月05日 10:45 ID:mHrCm.UX0▼このコメントに返信
秀吉「家康怖いから左遷させたろ」
秀吉「江戸-大阪ルートに牽制の為の城立てて金ピカに塗ったろ」
秀吉「親友の前田に家康牽制してもらうンゴ、頼んだぞ、前田!」
秀吉「血判状書かせて忠誠誓わせるンゴ!」
110.名無しさん:2019年09月05日 10:45 ID:EAefgyCN0▼このコメントに返信
>>100
実際は方面軍指揮官のひとりだよな
総大将は文献通り毛利輝元
111.名無しさん:2019年09月05日 10:46 ID:aYJLdJrb0▼このコメントに返信
※91
戦犯
加藤(清)・加藤(嘉)・福島・浅野(幸)
こいつらがそろって家康につくというクソみたいな事態
蜂須賀や山内、中村・生駒・堀尾の三中老も同様

小早川(元は木下)はもう別格だけど
112.名無しさん:2019年09月05日 10:48 ID:Kaf.p7870▼このコメントに返信
>>26
お前バカだろ。
織田家には三法師(織田秀信)というれっきとした当主がいるし、秀吉は信長の三男信孝を自害に追い込んでるんだが。
それに織田家の筆頭家老は柴田勝家だし。
単に織田家一門が物分かりが良かっただけでやってる事は秀吉も家康も変わらん。
113.名無しさん:2019年09月05日 10:48 ID:aYJLdJrb0▼このコメントに返信
※111
幸は息子か
浅野(長)だな
114.名無しさん:2019年09月05日 10:48 ID:IM.mJRnZ0▼このコメントに返信
秀吉一個の器量で抑えつけていた国を大物2人の貫目で治めてもらおうとしてたのに
その大物らを追い出そうとしていた奴等が居るからな
115.名無しさん:2019年09月05日 10:48 ID:EAefgyCN0▼このコメントに返信
>>111
三成を徳川側に付けておけば、自動的に反徳川に参陣するメンバー
116.名無しさん:2019年09月05日 10:49 ID:aYJLdJrb0▼このコメントに返信
※112
実は勝家自体も三法師でいいと合意してたのに
なぜか脳筋だから信孝を強硬に推したみたいにされてる
117.名無しさん:2019年09月05日 10:50 ID:ZOOcMkG90▼このコメントに返信
秀吉も三成も嫌われることしすぎや
東軍についたやつほとんどそらそうよって面子やないか
118.名無しさん:2019年09月05日 10:51 ID:78.3qzBF0▼このコメントに返信
家康は秀吉に潰される前に必要な分の頭を下げたから生き残れた。だからその後の逆転があった。
島津毛利も同様だな。信長秀吉と家康と2回潰されかけたけど、必要なだけの頭を下げたから生き残れた。
秀頼も必要なだけの頭を下げて、尾張あたりの100万石くらいで生き残る道はあった。でもそれを選ばなかったから、滅びるのは仕方ない。
119.名無しさん:2019年09月05日 10:52 ID:j.ZYs6qz0▼このコメントに返信
※92
まぁ、君主が幼年だか病弱など問題がある場合、有力な家臣が全権委任と言う形で政務を代行する・・・と言うもありだし、そのために自派閥の強化とか、君主と婚姻関係を結ぶ、と言うの普通にあり。諸葛亮やその後継者の一人である費禕なんかこれに該当しているし。

で、家康とかしばちゅーさん(とその息子たち)の場合はやり方があざとすぎて非自派閥系から目をつけられて自分らを排除する政争やら紛争を起こされた・・・で、気がついたら主家乗っ取りまでやっちまった・・・と言うタイプ。

まぁ、政争だか紛争に負ければ三族郎党皆殺しなんぞ当たり前なので色々な意味で必死でしょうけど。
120.名無しさん:2019年09月05日 10:54 ID:.dSrzlpC0▼このコメントに返信
>>30
家康より秀忠の方が対豊臣では強硬派だから家康が死んだ後でも大して変わらなそうだな…
121.名無しさん:2019年09月05日 10:58 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
公家・五摂家にとっては豊臣による関白職の世襲制なんて認められたら困るんよね
122.名無しさん:2019年09月05日 11:00 ID:HwX6wZ.O0▼このコメントに返信
※116
筆頭家老が直系の子孫を支持。
どこから見ても異論のない正当性があったのに、親友に裏切られた結果
先を見る目のない脳筋扱いされて貶められてるのは気の毒である。
123.名無しさん:2019年09月05日 11:03 ID:aYJLdJrb0▼このコメントに返信
※115
っていうか三成って息子(嫡男)の隼人重家と少ない兵力を割いてまで
会津方面に送り出してるけど嫡男を油断させる為の捨て石にするなよと

でもなぜか三成の子供は全員殺されていないという謎
重家…坊主に。享年103歳
次男・三男…津軽の息子に救出され名字を変え津軽藩士に
女子…尼に
家康もどこかで「三成は(それほど悪くないが)殺しておかなければならないが
その代わり子供は生かしておく。三成さえ殺しておけばDQNどもの溜飲も下がるだろう」と
思っていたのだろうか
124.名無しさん:2019年09月05日 11:04 ID:SBuBQ2yw0▼このコメントに返信
>>6
だよな。
関ヶ原にしても相当な賭けであったし、大坂冬の陣もコテンパンにやられてあの手この手を使ってようやく講和結んでる。
楽な時期はなかったんじゃないか。
125.名無しさん:2019年09月05日 11:04 ID:o1vPprrz0▼このコメントに返信
気色悪いんだよ関西弁は。
126.名無しさん:2019年09月05日 11:07 ID:ewZwF.L30▼このコメントに返信
秀長が先に死んでたのが痛すぎたね。あれが生きてれば家康でもそうそうは無茶はできなかったはず。
127.名無しさん:2019年09月05日 11:09 ID:j.ZYs6qz0▼このコメントに返信
※115
最近の研究では
「奉行やめてに自領に退去して以降の三成と家康の関係は好意的中立で特に敵対関係や行動があったわけでもない」
「そこに三成の知り合いである宇喜多秀家や親友(笑)の大谷吉継らに無理やり参加させられた挙句、西軍の総責任者扱いにされて斬首された」
と言う泣くに泣けない話ではないか・・・と言う説もある。

状況証拠にはなりますがたとえば三成の有力な味方である佐竹や津軽に事前に声をかけた形跡がない(遅すぎて助けられないぞ!とお叱りの手紙までもらっている)

まぁ、家康にしてもそのあたりの事情は把握していたようで三成の子供(子孫は津軽藩で忍者になって幕末ごろにロシアと諜報戦を繰り広げたとか・・・)は見逃しているし。
128.名無しさん:2019年09月05日 11:10 ID:HwX6wZ.O0▼このコメントに返信
※118
そういう縮小政策を二代目が自発的にとるってのは難しい。
後から「あの時引いておけば」と言えるのは元も子もなくしてから結果論として言えるのであって
渦中にいる人にその決断を求めるのは無理。
ちなみに毛利家は「2度の危機で領地が半分の半分になっても2か国残る。それでも吉田の田舎から比べれば十分なものだ」と説明し、
「決して天下は望むな」と遺言したらしい。
129.名無しさん:2019年09月05日 11:12 ID:3IC6Uca30▼このコメントに返信
そもそも秀吉自体が簒奪者すからな、同じことをされても文句は言えんわ
正直に後見人のままでいたら、こうはならないわ
そのときは、やはり筋として信長の血筋の孫三法師で脈々と続くか
あるいは信長の同列・同盟者である徳川の世になるんだけどさ
家康からすりゃあ、もともと秀吉は同盟者信長の部下であり
自分よりも下の人間すし、同盟者の簒奪者でもあるんで、裏切りではないんだわ

130.名無しさん:2019年09月05日 11:13 ID:EAefgyCN0▼このコメントに返信
>>127
三成は家康の屋敷に逃げ込むくらい家康を信用していたもんな
131.名無しさん:2019年09月05日 11:16 ID:FGDn5RVe0▼このコメントに返信
大阪で民を虐殺
皇室を300年ないがしろにし
国民に清貧を押し付け脚気で莫大な死者を出し
子孫は兵を見捨てて逃げるわミンスから出馬するわ
国賊一族
132.名無しさん:2019年09月05日 11:17 ID:78.3qzBF0▼このコメントに返信
※120
いや、そこはバランスだわ。
あんまり露骨に豊臣滅ぼそうとすると、それこそ福島黒田前田や、関ケ原から「次は自分だ」と考えた島津毛利が動きかねない。
無理強いしすぎない程度に臣従を促して大義名分を得るしかない。
133.名無しさん:2019年09月05日 11:18 ID:3IC6Uca30▼このコメントに返信
※128いや二代目が云々でなく、徳川からの恭順の条件として出されてたもんじゃん
それを愚かにも全部跳ねのけたのが淀殿なんだわ、その愚かさに愛想が尽きて
見放したのが片桐且元、片桐に見放されたのが、そこからの将来を象徴しててさ
豊臣には、金や地位で寄せ集めた人材しか残らなかった

134.名無しさん:2019年09月05日 11:20 ID:PvBDIZg10▼このコメントに返信
>>3
秀吉の家臣団だけでは東国抑えれんから仕方ない
関東東北を任せる為に家康は豊臣一門になって秀長と同格扱いだからこの時点ではもうどうにもならん
小牧長久手が稀有なチャンスだったんだよな
135.名無しさん:2019年09月05日 11:21 ID:j.ZYs6qz0▼このコメントに返信
※52
ヒント1:幼くに亡くなったとはいえ、秀吉には何人か子供がいた記録がある
ヒント2:本能寺の変の時点でノッブの重臣クラスは秀吉を含めて実子の跡取りがいない(勝家)、もしくは極端に幼い(光秀や家康)。

答え:秀吉をして「二度とあんなところに就職するのはごめんだ」と言わしめた超ブラック企業である織田家に就職した結果、私生活が破綻してた=ようはノッブが悪いよ、ノッブが・・・の可能性が
136.名無しさん:2019年09月05日 11:22 ID:Omyf4lHq0▼このコメントに返信
チャンスがあれば奪う。奪わなければ自分が滅ぼされる。それが戦国の習い。家康もそれに従っただけ。
137.名無しさん:2019年09月05日 11:22 ID:3IC6Uca30▼このコメントに返信
※132
まぁ秀忠は、そこまで愚かでもないしな、現に改易や取りつぶしは三代家光のころが一番多い
てか、そこそこ優秀でなければ、自分の代に同じように誰かに潰されてるわ
138.名無しさん:2019年09月05日 11:22 ID:78.3qzBF0▼このコメントに返信
※129
それ言うたら織田も織田宗家や斯波家からの簒奪者だし、足利自体が建武政権からの簒奪者だからな。
最大の問題はやっぱり秀次事件だろう。あれさえなければ室町足利家程度の安定は確保できたはず。
まあ100年もたたずに戦国時代が再燃するだろうけど。
139.名無しさん:2019年09月05日 11:24 ID:1Z5sKOvW0▼このコメントに返信
徳川幕府の独立勢力絶対許さないマンっていう姿勢は
当人がやらかしたからなんやろうな
140.名無しさん:2019年09月05日 11:25 ID:X02YuMB90▼このコメントに返信
秀吉が子だくさんだったら豊臣家は続いたかと考えてみることもあるが
信長の11人の息子たちも、父のあとを継げるような人間は一人もいなかったことを思うと
あまり結果は変らなかったかもしれない。
ところで秀吉が小田原からねねに出した手紙が好きだ。
「返事をくださらないので心配しています。お願いですから返事をください。
 母上や若君や姫たちは元気ですか。一度顔を見に帰るつもりです」
141.名無しさん:2019年09月05日 11:25 ID:a.U.VO8n0▼このコメントに返信
※17
時系列がおかしい、家康が臣従したから同じく合従してた連中も家康に続いて一大勢力になった
そのめに妹と母親を人質に出したんだろうが
142.名無しさん:2019年09月05日 11:27 ID:Ik5BjLGd0▼このコメントに返信
秀吉と秀長に子種がなかったことが致命的だ
秀吉の晩年の痴呆も痛い
秀吉が短命に秀長が長命であれば北政所も家康に加担することはなかったはず
無駄な2回の海外遠征も与太話で終わり財務状況も悪化しなかった
143.名無しさん:2019年09月05日 11:28 ID:ZlYNDHjK0▼このコメントに返信
いうて秀吉が死ぬまで家康は従ってたわけだから
それだけで秀吉の優秀さを物語ってる
144.名無しさん:2019年09月05日 11:28 ID:pfHC3lL50▼このコメントに返信
>>86
下層武家どころか百姓以下の出身である可能性が
(※諸説あります)
145.名無しさん:2019年09月05日 11:28 ID:3SLyjwmL0▼このコメントに返信
秀頼を武家から切り離して完全に禁中に納めちゃうと
公家諸法度のカウンターに利用されるから、家康はそれを許さんだろうね
生き残るだけなら、大坂が意地を張らずに旦元のアイデアに乗って
地方の一大名になるのが最善策じゃないかなと思う
146.名無しさん:2019年09月05日 11:32 ID:Yio3TY740▼このコメントに返信
三成とか景勝がおとなしくしとけばサポート役で終えただろ
147.名無しさん:2019年09月05日 11:33 ID:gTYEao3t0▼このコメントに返信
一つだけ叶えてくれるなら、
大坂城を現存させといてほしかったよなぁと思う
米軍に焼かれたかもしれんがw
148.名無しさん:2019年09月05日 11:33 ID:l0CCNNYP0▼このコメントに返信
もっとも完全に家康を抑え込んでも、秀吉が死んだら戦国時代に逆戻りだろうな。
子飼いはさておき、秀次の件を見ると毛利や伊達は明日は我が身で動き出すだろうし、島津も当然同じだわな。
まだ家康なら纏められたけど、そこまでの武将は豊臣家すらそういう人間がいないから、今頃は中国状態で沖縄が香港で本土も軍閥で地域ごとでけん制し合って未だに揉める院じゃないの?
149.名無しさん:2019年09月05日 11:34 ID:a.U.VO8n0▼このコメントに返信
※30
いうて当時いつ死んでもおかしくないような老人がそこから14年も待ったんだから
結局それだけ待っても時世が読めなかった豊臣が悪いという結論に落ち着く
150.名無しさん:2019年09月05日 11:34 ID:j.ZYs6qz0▼このコメントに返信
※143
なんだかんだ言ってもサッルは日本史上最強のチート野郎ですからな。

足りなかったのはサッルやその家を支える血縁だか地縁とそれにともなう家柄であって。

まぁ、それらはサッルとか言う超チートの劣化版=普通にチートの秀長に全振りされたともいえなくもないが・・・。
151.名無しさん:2019年09月05日 11:37 ID:Yio3TY740▼このコメントに返信
豊臣家滅亡は別
織田信雄やかつての家康がそうされてきたように移封に応じてれば滅びずにすんだ可能性は十分にある
もちろん金貨も置いていく必要はあるけだろうけど
152.名無しさん:2019年09月05日 11:40 ID:j.ZYs6qz0▼このコメントに返信
※151
その織田信雄君、秀吉に反抗した挙句、移封を拒否とか言う秀頼並みの悪手をやっても殺されなかったんですが・・・。
153.名無しさん:2019年09月05日 11:41 ID:72QnLYYL0▼このコメントに返信
>>130
それは違う
徳富蘇峰が誤読したせいであたかも三成が家康邸に逃げ込んだという解釈が広まっただけ
実際は佐竹義宣の庇護を受けつつ伏見の自邸に帰ったと解釈するべき

あと大谷は途中まで会津征伐に参加してるから首謀者というには無理がある
宇喜多はお家騒動から家康に恨みがあるけど首謀者である証拠はない
五大老で反家康の首魁は毛利輝元
154.名無しさん:2019年09月05日 11:41 ID:Yio3TY740▼このコメントに返信
信雄はその際に徹底抗戦しなかった
155.名無しさん:2019年09月05日 11:44 ID:KZkurhUt0▼このコメントに返信
この辺が狸と呼ばれる原因だな
信義に重きを置く日本人の価値観からするとあからさまな手のひら返しは嫌悪の対象
故に家康は信長・秀吉と比べると評価も低く人気がない
156.名無しさん:2019年09月05日 11:45 ID:j.ZYs6qz0▼このコメントに返信
※85
昔はそれをよく言われていたけど将軍よりもはるかに上位かつなるのが難しい関白になっているのでは秀吉、はなっから将軍職なんぞ狙っていなかったと言う説が最近では有力。

と言うか征夷大将軍=武家の棟梁又は政務担当者的な話なったのは江戸時代以降で頼朝自身が征夷大将軍の就任にさほどこだわっていないし、足利の歴代将軍でも将軍職が事後になって任命されたとか結構いる。
157.名無しさん:2019年09月05日 11:46 ID:AiCMX5iu0▼このコメントに返信
羽柴秀吉と豊臣秀吉は、別人。
158.名無しさん:2019年09月05日 11:49 ID:URjkpR0g0▼このコメントに返信
徳川家康(松平元康)は、生涯3人。
159.名無しさん:2019年09月05日 11:49 ID:78.3qzBF0▼このコメントに返信
※152
当主が死んでないだけで大名家としては滅んでますやん。
160.名無しさん:2019年09月05日 11:50 ID:0r.lNHiJ0▼このコメントに返信
「羽柴」秀吉は忠実な人間だが「豊臣」秀吉は…
何かそんな感じがする。
そういう軸線で調べりゃ何か出てくるのでは?
ド素人の個人的感想だが。
161.名無しさん:2019年09月05日 11:52 ID:xVVL8C3.0▼このコメントに返信
>>6
その上天下取ったあと割と早くに亡くなってるしね。
それでも盤石な体制作り上げたんだから凄いと言うしかない。
162.名無しさん:2019年09月05日 11:54 ID:QXvDkNQk0▼このコメントに返信
>>5
準備はしてたで。
ただそれをちゃぶ台返しして1からやり直したんや。
始めるのが遅過ぎて時間切れになったけど。
163.名無しさん:2019年09月05日 12:05 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>5
ほんそれ
本能寺の変が、織田一門衆で畿内統一する為に家中武将らを再配置してる最中に起こった事件なのに対して、
秀次自害・連座
164.名無しさん:2019年09月05日 12:15 ID:mBaWhFGN0▼このコメントに返信
家康も、密かに秀頼だけは助けたんやで?

なお、天草四郎の乱。
165.名無しさん:2019年09月05日 12:18 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>163
誤爆したw
秀次自害・連座事件は、一門衆による中央集権体制を構築する唯一のチャンスを失った出来事。
将軍家に加えて御三家ら保険があったからこそ長命だった江戸幕府なのに対して豊臣政権の本家唯一体制は杜撰過ぎ。
朝鮮出兵が信長時代からの計画を引き継いだにしても、諸大名や部下の武功を稼ぐ場を用意するって目的の時点で統一政権としては下からの突き上げ弱過ぎる。
擁護するにしても批判するにしても、豊臣秀吉の行動は織田家軍団長時代の方針を拡大化させただけに見える。
166.名無しさん:2019年09月05日 12:20 ID:wnFppGWk0▼このコメントに返信
>>6
なぜなら、家康独自の統治政策ってないだろ。
全部、秀吉がやってた事の強化版。

秀吉は豊臣性をあげたり、養子&養女縁組みして一族強化(他に藤原家への養子になる)
→家康は実子&養女縁組みで一族強化

秀吉、大坂城&伏見城に他大名を居住
→参勤交代&街道整備

大坂城築城&水路整備を、大名&商人にやらせる
→江戸城整備等で踏襲


167.名無しさん:2019年09月05日 12:20 ID:mcMrYrm.0▼このコメントに返信
秀次の処断はまあ 癌を摘出したら母体がくたばったみたいな話で
基本褒めようがないわな、勝手に死んだそうだけどその前後に関しては擁護したくないわ

家康も豊臣体制が盤石なら行動を起こしてないはず
勝手に死に体になったほうが悪い、そこまで忠義立てするほど戦国時代の人間は甘くない
168.名無しさん:2019年09月05日 12:21 ID:Kx6VN1.G0▼このコメントに返信
実弟であり、武将たちにも信望があった大和大納言秀長の死
169.名無しさん:2019年09月05日 12:24 ID:kPBYRZYH0▼このコメントに返信
関ヶ原で裏切り者として散々ディスられてる小早川秀秋だって、元はねねの親戚で秀吉の養子になって、秀次の二次スペアみたいなもんだったのに、
秀頼生まれた煽りで秀次同様に粛清されかけて毛利に養子に左遷されてるんだから、関ヶ原のムーブは割りと順当というか、因果だと思う。
むしろ、コイツ個人が淀君、秀頼のために真摯に動く理由が思い付かない。
170.名無しさん:2019年09月05日 12:25 ID:x2ZzuhkQ0▼このコメントに返信
秀吉が織田家に対してもっと礼を尽くしてれば家康もそうしただろうし他の大名もそれに従っただろうね。
信長死後の秀吉を見てた大名が秀吉死後に豊臣家について行くわけがない。
信長の美しい姪に手を出して子供産ませた時点で終わり。
171.名無しさん:2019年09月05日 12:39 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>6
それは秀吉も同じやろ。
むしろ松平家当主って立場の時点で、一介の武将でしかなかった秀吉より恵まれてる。織田家中を掌握するチャンスは無かったけどねw
その上で、四国・九州・関東平定らの過程で難癖付けて弱体化させる機会もあったのに放置された。これは運でも苦労でも補えない実力の賜物。
豊臣家目線で見れば、家康忠臣論と心中した時点で主導権を譲ったも同じなんだよ。
そして最後は滅ぼされた。豊臣、ってか秀吉が最適解(徳川弱体化と諸大名への圧力強化、一門衆強化)を徹底したら流石の家康でも何も出来なかった。
172.名無しさん:2019年09月05日 12:42 ID:7fxa9J7f0▼このコメントに返信
>>6
しかも「一番若かったから」とかいう奴もいて草

いつ死んでもおかしくない時代にそれは関係ない。20代30代が病気でアッサリ死ぬ時代だ
173.名無しさん:2019年09月05日 12:42 ID:7NYHAfwA0▼このコメントに返信
家康って、戦術的勝利を戦略的勝利に置き換えた数少ない武将だよな。
174.名無しさん:2019年09月05日 12:46 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>47
朝鮮出兵せずに、関東譲った直後に難癖付ければ良かったんや。
家康も人身掌握出来ず、秀次健在で諸大名との軋轢も深く無い時期。
そもそも主君の織田家を掌握した自称「信長ほど甘くない」秀吉が絆に依存した体制してる時点でぬるすぎる。
175.名無しさん:2019年09月05日 12:52 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>48
感情で動く癖に、自分と組織を一体化してもの言うからなぁ。
秀頼が若輩なのを言い訳に全責任を自分が被れば豊臣家存続…無理かw
大阪の陣ならタヌキ家康より難癖名人の秀忠を相手にしなきゃアカンし
176.名無しさん:2019年09月05日 12:54 ID:Zill1R2c0▼このコメントに返信
家康最高の幸運は、秀忠という2代目に最もふさわしい男が後継ぎになったこと。
177.名無しさん:2019年09月05日 12:56 ID:AyDNbnlJ0▼このコメントに返信
火事場泥棒の卑怯者
それが家康
日本人じゃないでしょ
あっ、陰湿なところは日本人まんまか(笑)
178.名無しさん:2019年09月05日 12:57 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>13
ただの利長有能エピソードで草。
毛利も佐竹も立花も、江戸幕府じゃ元気な仲間達やんけw
…まぁ立花は一回改易されて再建されたけど。
179.名無しさん:2019年09月05日 12:58 ID:6zxTjdvf0▼このコメントに返信
>>1
クッソ有能な秀長が先に死んだのがなあ
多分秀吉の晩年まで生きてたらああはならなかった
180.名無しさん:2019年09月05日 12:58 ID:aYJLdJrb0▼このコメントに返信
※153
近年は大坂城の治部少丸に非難した説が有力です
つまるところ家康には借りも何も作ってない
181.名無しさん:2019年09月05日 12:59 ID:igA4U.Yn0▼このコメントに返信
農民から実力で成り上がった秀吉からしたら武家社会は心の底からは理解できなかっただろうしな
取り立ててくれた信長には忠義あっても、織田家にはなあってのが本音じゃね
農民出で蔑まれてきたわけだし
182.名無しさん:2019年09月05日 12:59 ID:aYJLdJrb0▼このコメントに返信
※180
あ、伏見だったかな
183.名無しさん:2019年09月05日 13:03 ID:GWHMt4760▼このコメントに返信
平家は源頼朝を生かしたから源氏に滅ぼされた。家康って結構歴史学んでいるから、それを教訓にしない筈がない。結局秀頼はどうあっても滅ぼされたんじゃないか?
184.名無しさん:2019年09月05日 13:10 ID:ncLulaBd0▼このコメントに返信
>>62
マジな話小牧長久手の段階で地震が起きなければ余裕ですり潰せてた前哨戦以外は豊臣が圧倒してたし、関東にいる後北条の援軍といっても三河までの距離を考えるとまともな援軍は期待できないしな。
ただ天正大地震が全てひっくり返した、震災処理で徳川と和睦、そのまま従属されたせいで難癖つけれなくなってしまった
185.名無しさん:2019年09月05日 13:12 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>41
ノッブは謀反した弟信勝の子を一門衆に並べて一族の強権化を進めてたりと「織田家」の強化をしてたのになぁ。

スタート地点が織田家統一だったノッブと、破綻の原因が同族粛清だったサッル。そして分家を含めた一族の力で将軍家を支えたタヌッキ。
ある意味、秀吉は三傑で唯一「家」を軽視した英雄なんかもな。
186.名無しさん:2019年09月05日 13:12 ID:t.Y7fZHS0▼このコメントに返信
秀吉の子供を生んだ女性
一人目が石田三成の元婚約者、
二人目三人目が大野治長の幼馴染、

その他大勢の愛妾は誰一人懐妊せず。
187.名無しさん:2019年09月05日 13:15 ID:nDhsJKbH0▼このコメントに返信
実力のある家臣が主家を実質乗っ取るのは当時は当たり前の事。
むしろ家康は最初は穏便に豊臣家を取り込もうとしていたと思う。

ただし幕府を開いた時点で豊臣家の在り方に問題が生じた
摂関家として扱うのか武家として扱うのかと
そして朝廷からは豊臣家は武家(豊臣家への使者は武家伝奏が出向いている)として認識されている

武家であるならば幕府の法度を守り、忠節も示さねばならないが豊家はこれを怠った。
家康としてはそれでも旧主家だから建前上なにか一つでも豊家から臣従姿勢を見せれば大目に見るつもりだったと推測される。
それが大阪の陣の前にはっきり表示された、淀君人質等の条件だと思う。
が、それをしない以上豊家を放置しては幕府として鼎の軽重を問われるので討伐に舵を切ったと思われる。
188.名無しさん:2019年09月05日 13:15 ID:GWHMt4760▼このコメントに返信
>>186
最初の秀勝を生んだ女は?
189.名無しさん:2019年09月05日 13:19 ID:Cm0nGANY0▼このコメントに返信
勝ち組っぽいけど
大坂の陣が終わって2年後に死んでるから、家康さんも苦労人よな
190.名無しさん:2019年09月05日 13:20 ID:ncLulaBd0▼このコメントに返信
>>152
何だかんだ秀吉は織田にかなり甘いからなぁ
もち首が飛んだ信孝とかもいるけども
191.名無しさん:2019年09月05日 13:21 ID:Hzlunjwc0▼このコメントに返信
※130
某家の記録では、自家がその時石田に手を出してボコボコにされたという記録も残っている
どっちが正しいんだろうかw
192.名無しさん:2019年09月05日 13:23 ID:t.Y7fZHS0▼このコメントに返信
※188
諸説有るそうだけど、その最初の秀勝を生んだのが石田一族でもある三成の婚約者だったらしい、
その後秀勝が病死(毒殺説有り)そして本人は入水自殺、
いじめが原因とも子供を亡くした事が原因とも。
193.名無しさん:2019年09月05日 13:24 ID:Hzlunjwc0▼このコメントに返信
秀吉は、人妻にちょっかいかけまくったから、そら嫌われるわ
194.名無しさん:2019年09月05日 13:26 ID:9bzVsRQW0▼このコメントに返信
第二次小牧長久手の戦いが起きようとしていた矢先に濃尾地方を大地震が襲い戦どころではなくなったんだよな。秀吉が家康を戦で滅ぼすチャンスが失われたわけで歴史の分岐点だな
195.名無しさん:2019年09月05日 13:26 ID:x3QZXBXD0▼このコメントに返信
>>134
秀吉が家康潰そうとしたら、関ヶ原が早まるだけだわな
196.名無しさん:2019年09月05日 13:30 ID:9bzVsRQW0▼このコメントに返信
>>189

座ったままで果実独り占めみたいに言われるがあの忍従人生はなかなか耐えきれるものじゃないよな
197.名無しさん:2019年09月05日 13:31 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>21
元々は信長親衛隊で国人ら基盤を使える人じゃないし、若い頃ヤンチャし過ぎて無禄にされたりの苦労人だからなぁ。

桶狭間じゃ森長可の世話になり、その後は勝家と仲良しだったり、五大老として秀吉と仲良しなのに家康に息子の世話をお願いしたりと。「利」ってより「情から得られる益」を重視してるって感じ。

まぁ裏切り者を好意的に見た言い方っぽくなっちゃったけど、上記の上司・仲良し勢がみんな滅びまくってるの見ると、せっかく大大名化した前田家を自分の感情だけじゃ動かせなくなるって考えが出るのも納得してしまう(−_−;)
198.名無しさん:2019年09月05日 13:35 ID:9bzVsRQW0▼このコメントに返信
>>145

前田家みたいに外様だけど家格は高い大名になってた可能性はあるな。でも淀がいるから無理だな
199.名無しさん:2019年09月05日 13:35 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>73
プリンツ・オイゲン「そんな紙切れになんの意味がありましょうか‼︎」
200.名無しさん:2019年09月05日 13:39 ID:U4b4mtec0▼このコメントに返信
>関東譲った直後に難癖
別に移封せずとも北条領を豊臣直轄にすればよかっただね
石高はさらに開発した場合、その領土だけで350万石近くには達したことだろう
ところが大陸に向かったがためにだいぶ時間も求心力も失って政権がもろくなってしまった
201.名無しさん:2019年09月05日 13:39 ID:VL8NsamC0▼このコメントに返信
※181
それが将来、「秀吉には忠義あっても、豊臣家にはなあ」って返ってくるワケだね
成り上がりであそこまで行くのは凄すぎだけど、そこまでが限界やったんやなって。自分で血筋減らしまくったし
202.名無しさん:2019年09月05日 13:42 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>25
だから家康が台頭したんやろ
「豊臣政権」を維持するなら秀次の存在は不可避、「豊臣宗家」を維持するなら家康の忠誠しだい。

こんな歪な体制になった時点で秀吉の理想形が出来る筈が無い。
203.名無しさん:2019年09月05日 13:44 ID:ncLulaBd0▼このコメントに返信
>>194
これほんと家康の運が良かったとしか言えないよな
信雄が勝手に和睦して徳川のみ孤立した中あとはすり潰されるだけだったのに、地震のお陰で和睦→従属まで厳しい条件無しですんなり許されたし
204.名無しさん:2019年09月05日 13:45 ID:U4b4mtec0▼このコメントに返信
大陸進出がうまくいってれば、豊臣政権は続いたろう
うまいくってる政策を途中で変える可能性は乏しいわけだからな
最初から南朝鮮支配だけを目指してればうまくいったと思う
205.名無しさん:2019年09月05日 13:47 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>26
これ見ると三好長慶が仏に思えてしまうw
なお容赦なく毒殺を狙う剣豪将軍
206.名無しさん:2019年09月05日 13:49 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>98
最上「お、そうだなw」
207.名無しさん:2019年09月05日 13:49 ID:ncLulaBd0▼このコメントに返信
秀次残してたら残してたで絶対後々権力闘争に発展してたと思うぞ
仮に秀次にその意思はなくとも今まで秀次を建ててた大名達はそうはいかない、ここで秀次派と秀頼派に分かれる
なんせ秀頼が産まれるのが遅すぎる、せめて秀頼が元服するまで秀吉が生きていられるような時に産まれてたこうはならなかったと思うのん
208.名無しさん:2019年09月05日 13:51 ID:JGPh8G590▼このコメントに返信
関ヶ原の戦いの後、太閤蔵入地と紀州は、恩賞として東軍諸将に配分されて
豊臣家は、250万石から65万石にまで落ちてんだよな。
65万石で日本を支配することできるわけないのに
この時点では、特に淀殿からも北政所からも不満が出てないわけで、
すでに、この時点で天下人は家康に譲るという共通認識が
豊臣家温故の大名にも大坂にもあったんだろう。
209.名無しさん:2019年09月05日 13:54 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>28
むしろ立場以上に頑張ったなりーwww
脳なし武闘派&太閤らガチトロール勢よりマシなりーwww
210.名無しさん:2019年09月05日 13:57 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>31
むしろノウハウが無いのに天下統一してしまった辺り凄くオカシイ
211.名無しさん:2019年09月05日 14:02 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>34
前者は純粋な帝王学だけど、後者は今川・松平の主従関係があった事を見ると同一視は出来ないな
それがタヌキ家康の誕生秘話だと思うとチョット胸熱
212.名無しさん:2019年09月05日 14:04 ID:nDhsJKbH0▼このコメントに返信
※207
可能性は高いと思うがあくまで豊臣家の内部抗争だから
どちらが勝っても豊臣家自体は残る

家康は秀頼側に廻りそうだ、秀康、秀忠は養子扱いだし
忘れがちだけど朝日姫と離縁はしてないから一応秀吉の義弟の立場だしなあ
213.名無しさん:2019年09月05日 14:07 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>39
近所が長宗我部しかなくて草
畿内を統一してた織田家中を掌握すれば地方大名は消化試合やぞ
動員兵数も経済力も対抗しようがない
214.名無しさん:2019年09月05日 14:08 ID:ILUcrMIl0▼このコメントに返信
秀吉は何が何でも、どんな無理筋な難癖付けてでも家康を追い込んでいくさに持って行くべきだった
小田原戦前は無理でも、小田原戦後統一が済んだ後なら明なんかに構わなければ、余裕で家康を潰せただろうに
215.名無しさん:2019年09月05日 14:08 ID:zNE9EdOC0▼このコメントに返信
※1
人質が長かったのも関係ありそうですよね。
216.名無しさん:2019年09月05日 14:09 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>52
女好きの性格も、その劣等感の裏返しだったのかもね
217.名無しさん:2019年09月05日 14:10 ID:JGPh8G590▼このコメントに返信
秀次事件で失脚した秀次の部下連中で、大名として生き残った連中は
みんな関ケ原で東軍についてんだよな。
秀次事件の石田三成陰謀論説は嘘にしても、
増田長盛や長束正家あたりは、ノリノリで秀次の部下連中を糾弾してんだよな。
結局、秀吉が耄碌して、部下の権力闘争を抑えなかったから
末期の豊臣政権はすでに崩壊してんだよな
218.名無しさん:2019年09月05日 14:14 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>56
大阪夏の陣の翌年死んでる時点で無理やろ
体制の確立を優先すればやる意味ないし
219.名無しさん:2019年09月05日 14:16 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>58
マブダチ設定って証明する資料ないんだよなぁ
220.名無しさん:2019年09月05日 14:18 ID:igA4U.Yn0▼このコメントに返信
一代成り上がりの宿命、天才ワンマンでもってたのが亡き後の定番コースだよな
221.名無しさん:2019年09月05日 14:18 ID:wnsTR4mH0▼このコメントに返信
>>70
60代の爺が70になるまでは動いてない訳で、
ギリギリまで待ってた感はある
サクッと大坂城を出ていれば良かったのだろうけど
222.名無しさん:2019年09月05日 14:18 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>63
せやな、どんな時代にもスレタイ無視する奴はいるもんな
223.名無しさん:2019年09月05日 14:23 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>75
家康「なんで内紛祭りの体制に逆行する必要があるんですかね^ ^」
秀頼「現実は非常である」

関ヶ原終わった時点で徳川に臣従して脅威度減らすしかないんだよなぁ
224.名無しさん:2019年09月05日 14:26 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>77
だから大戦犯言われるんやぞ
225.名無しさん:2019年09月05日 14:26 ID:ncLulaBd0▼このコメントに返信
※207
関ヶ原も豊臣の内部抗争なんやで
結局その権力闘争で勝った陣営のトップが豊臣政権の実権を握ることになる。
あとはもう史実豊臣が滅びた時と同じ流れよ
226.名無しさん:2019年09月05日 14:26 ID:ncLulaBd0▼このコメントに返信
>>225
間違えた
※212
227.名無しさん:2019年09月05日 14:32 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>91
親孝行と兄弟喧嘩の区別を付けなかったのホンマひで
私情の問題を政治で解決しようとした様なもんやからな
228.名無しさん:2019年09月05日 14:36 ID:JGPh8G590▼このコメントに返信
片桐且元っていうのは、太閤蔵入地の整理とか、ずっと
「豊臣政権から徳川政権への権力移乗」についての手続きをやってた家老なんだよな。
んで、その家老を追い出したのは、渡辺糺だの大野治長だのという、淀殿の側近連中の息子。

関ケ原からの流れで既定路線として権力移乗をゆっくりやってたのに
大坂から動きたくないという淀殿の逆ギレでそれをぶった切ったから大坂の役が起こった。

229.名無しさん:2019年09月05日 14:39 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>93
義理があるなら裏切られても文句言えないな!
他に頼れるヤツ自分で殺しちゃったもんな!
230.名無しさん:2019年09月05日 14:39 ID:zI5Vs6QR0▼このコメントに返信
>>184
まさに天意だな
231.名無しさん:2019年09月05日 14:42 ID:nDhsJKbH0▼このコメントに返信
※225
建前上はね、んなのは馬鹿でも知っとるよw
ただ関ケ原は実質徳川家による豊臣乗っ取りの戦いだったのは当時の大名達も周知している。
232.名無しさん:2019年09月05日 14:42 ID:JGPh8G590▼このコメントに返信
※207
そもそも秀吉は、自身の統治機構を秀次に譲ってない。
あくまで武家関白として、対朝廷対応させるために
その部分の機能を秀次に譲っただけ、そしたら
秀次は、天皇を動かして、秀吉の朝鮮入りを止めた
んで、秀吉が逆ギレ、秀吉の側近連中は
自分たちの権力が秀次側近に奪われることを危惧して
秀次側近を誹謗中傷した
233.名無しさん:2019年09月05日 14:44 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>104
忠世くんの気を使わない言い方が畜生三河武将ポイント高い
234.名無しさん:2019年09月05日 14:45 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>109
なんも役に立ってなくて草
235.名無しさん:2019年09月05日 14:48 ID:gTYEao3t0▼このコメントに返信
秀忠がよくやったってのはあるから
遡ると松平信康が生きてたらどうなってたのかってのもあるわな
236.名無しさん:2019年09月05日 14:49 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>115
そしたら小早川くん即死しそう
237.名無しさん:2019年09月05日 14:51 ID:JGPh8G590▼このコメントに返信
※231
上杉征伐は、家康の武力を舐めた景勝が東北で独立しようとしたからであって
家康は受け身に過ぎない。その後の西軍の挙兵に至っては完全に輝元個人の権力闘争やんけ
まさか、直江兼続と三成の密約なんていうデタラメ信じてんのか?

238.名無しさん:2019年09月05日 14:54 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>122
政権の正統性のために真実が損なわれるのはよくある事
239.:2019年09月05日 15:00 ID:nDhsJKbH0▼このコメントに返信
このコメントは削除されました。
240.名無しさん:2019年09月05日 15:03 ID:JGPh8G590▼このコメントに返信
※239

お前が、関ヶ原は家康の豊臣家乗っ取りの戦いとかアホなこと言ってるから
その珍説を叩きのめしただけだけど。

>>家康の武力を舐めた景勝が東北で独立しようとしたからであって
>なにこの珍説ww

お前が関が原についてなんにも知らないことがよく分かるな。
241.名無しさん:2019年09月05日 15:08 ID:JGPh8G590▼このコメントに返信
ID:JGPh8G590が珍説と切り捨ててる
「上杉征伐の原因は時勢読めない景勝の独立志向が原因」
を唱えてるのは日本史学者の宮本義己な。

低学歴のクズのお前はどうせ依拠する学説を出せないだろうけどな
242.名無しさん:2019年09月05日 15:09 ID:JGPh8G590▼このコメントに返信
☓ ID:JGPh8G590が珍説と切り捨ててる
◎ ID:nDhsJKbH0が珍説と切り捨ててる
243.名無しさん:2019年09月05日 15:11 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>135
上杉勢相手に敵前逃亡が許されるブラックってなんなんですかね
244.名無しさん:2019年09月05日 15:12 ID:0NdSVk9I0▼このコメントに返信
家康の一番凄いところは徳川本家の人がいまだに家康の遺伝子を色濃く残してるとこだな
輪郭とか顔立ちが家康で本当驚く
245.名無しさん:2019年09月05日 15:18 ID:BE6remd20▼このコメントに返信
ちゃんと家康殺しておかなかったから
246.名無しさん:2019年09月05日 15:20 ID:Cm0nGANY0▼このコメントに返信
※244
ただのデブでは?
247.名無しさん:2019年09月05日 15:23 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>155
その信義に重きを置く価値観は江戸時代から一般化したんやけどな

ワイの私見やけど一般の家康不人気は、江戸時代時の神格的存在だったのが明治維新以後の皇室神格化政策の邪魔になるから生まれた政治的価値観が元やと思うで
あと家康全盛期のライバルが少ないって言う作家の都合で最近は主役になれない
248.名無しさん:2019年09月05日 15:26 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>160
豊臣の姓は公家(うろ覚え)の養子になったから改名したやつ
つまりもじどおり
249.名無しさん:2019年09月05日 15:26 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>248
誤爆した
つまり文字通り家格が段違いになってる
250.名無しさん:2019年09月05日 15:42 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>173
秀吉「タヌキには勝っとらん!地震に負けたのじゃ‼︎」
251.名無しさん:2019年09月05日 15:42 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>250
間違えたw
タヌキには負けとらん!
252.名無しさん:2019年09月05日 15:48 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>183
家康が生まれた後にしても、三好長慶・陶晴賢と影響がデカイ下剋上が連続発生してるからなぁ
人質生活が長かったにしても、織田・今川と貿易や影響力が強い大名の中にいたわけだし、色々考えるには苦労なさそう
253.名無しさん:2019年09月05日 15:50 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>196
今川・織田・武田・北条らが主な隣同士、オレなら軽く滅びるね
254.名無しさん:2019年09月05日 15:54 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>200
同意さんくす
でも直轄にするには一門衆が足りないから、分裂か縮小して徳川自身が弱体化するのが現実的だけどね
そしたらそれで長期政権必要だけど
255.名無しさん:2019年09月05日 15:58 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>220
天道を歩みて天命を見ず
やっぱサルってサルやわ
256.名無しさん:2019年09月05日 16:04 ID:r02WBBhj0▼このコメントに返信
>>244
おっと現役勢を無視しちゃダメだぞ

佐竹「秋田知事ずっとやってます。県民から殿様と言われてます」
細川「総理大臣やりました。自民を初めて下野させました」
257.名無しさん:2019年09月05日 16:15 ID:4LQuh9U80▼このコメントに返信
※12
豊臣家を潰したかったのは秀忠だしなぁ。早々に家康に下ればよかったものを。
258.名無しさん:2019年09月05日 16:19 ID:4LQuh9U80▼このコメントに返信
※26
織田家には後継者候補(秀信・信雄)が残っていた。

秀頼に関しても、当時の伊達政宗とかの書状に秀頼は天下の主の器じゃないってボロカス書かれている。そもそも自領の統治に徳川の代官を使っていた天下人()とか論外。
259.名無しさん:2019年09月05日 16:23 ID:4LQuh9U80▼このコメントに返信
※55
淀のバックに反家康の有力な大名がいなかったのがでかい。てか徳川が本来バックだったわ。詰んでるな。
260.名無しさん:2019年09月05日 16:25 ID:4LQuh9U80▼このコメントに返信
※77
ド田舎だし北条の旧領だからやり辛かったんだよなぁ。しかも家康自身がなかなか領国に帰れなかった。
261.名無しさん:2019年09月05日 16:27 ID:4LQuh9U80▼このコメントに返信
※85
義昭が譲らなかったはガセな。秀吉は将軍任官を断っている。最初から将軍になるつもりはなかった。
262.名無しさん:2019年09月05日 16:29 ID:4LQuh9U80▼このコメントに返信
※111
そいつら全員豊臣正規軍(東軍)の配下だっただけだし、関ヶ原時点では家康と豊臣家の仲は良好。問題はその後ね。
263.名無しさん:2019年09月05日 16:39 ID:GWHMt4760▼このコメントに返信
>>256
細川は血統だけ高貴な近衛が混じっちゃったからな。
264.名無しさん:2019年09月05日 16:44 ID:OMPMmrSJ0▼このコメントに返信
石田三成の血筋もまだ絶えてないんだよな
※111
小早川は秀吉にかなり酷い目に合わされてるからなあ
関ケ原で西軍から離反が出まくったのって三成の人望以前に秀吉の影響がかなりでかいよな
三成自身に関しては何気に家康からの評価も悪くはなかった模様
265.名無しさん:2019年09月05日 17:09 ID:aYJLdJrb0▼このコメントに返信
※264
勝者の余裕というのか家康から
「勝敗は時の運でこうなったがお前も大したもんだ」とか言われてるしな
無残な姿の三成に暴言を吐いていったのが正則
敗軍の将からアドバイス貰って実践するのが高虎
これを羽織られよと気を遣ったのは東軍では黒田長政だけ
266.名無しさん:2019年09月05日 17:16 ID:FBzClnGo0▼このコメントに返信
※166
秀吉のシステムが優秀だったから変える必要がなかったって事だろうね。
267.名無しさん:2019年09月05日 17:19 ID:FBzClnGo0▼このコメントに返信
※160
羽柴は苗字、豊臣は姓。だから秀吉は生涯羽柴秀吉。秀頼も羽柴秀頼。

豊臣宗家=羽柴宗家。
268.名無しさん:2019年09月05日 17:21 ID:FBzClnGo0▼このコメントに返信
※250
三英傑にはどうにもならない局面を生んで乗り切った例があるから地震もそれだろう。

運も実力のうち。
269.名無しさん:2019年09月05日 17:23 ID:FBzClnGo0▼このコメントに返信
※214
臣従した家康は秀吉のお気に入りだった。
270.名無しさん:2019年09月05日 17:31 ID:FBzClnGo0▼このコメントに返信
※63
色々おかしい。

①家康(秀頼)を挑発したのは景勝。
②石田三成の仕事ぶりは家康が賞賛するレベル。
③家康は豊臣宗家の人間(秀頼・高台院・淀殿に次ぐ地位)。だから恩顧の大名が従う対象。
④家康は内大臣。大河ドラマとかで「内府」って呼ばれてるだろう?
⑤家康は別に京・大坂を制圧していない。凱旋しただけ。
⑥関ヶ原の役後も降伏していない大名がいたのでスムーズに運ばれた訳ではない。
271.名無しさん:2019年09月05日 17:33 ID:zI5Vs6QR0▼このコメントに返信
>>72
プライドが高い公家が一代成り上がりの三文安息子一族なんて本気で相手にするわけないだろ
権力や武力の裏付けが無けりゃ嵩にかかって潰しにくるよ
272.名無しさん:2019年09月05日 18:00 ID:p3p5yysL0▼このコメントに返信
家康が思った事
・残念だったね女好きなのに子供が無くて
・秀頼は秀吉の実子じゃねーじゃん
・淀君め図体がデカ過ぎ女め誰の子を産んでるんじゃボケッ
・石田三成は忠誠心の塊で有能だから部下にしたいンゴゴゴゴ
・この大阪城は流石にデカ過ぎて落とせ無いわ
・秀吉が貯め込んだ金銀財宝がハンパねーし軍資金もたんまり  ヤバッ
・愚政治で怒り心頭の豊臣恩顧の家臣団をどう取り入れるか
・デカい大砲を何門も発注しとこーと
273.:2019年09月05日 19:04 ID:Bni.tYHx0▼このコメントに返信
このコメントは削除されました。
274.名無しさん:2019年09月05日 19:05 ID:Bni.tYHx0▼このコメントに返信
「ワイがやるしかないか…あちこちの大名と血縁を結んで関係を強化しつつ発言力を強めて仕事をやりやすく…ん?手紙…?」(直江状)
ブチッ「あああ上杉ああああ!大老のくせに庄内の件といい好き勝手やりやがって!」出兵
「ふー江戸についたで。だいぶ久しぶりやな…ちょっと見物でも…えっ(西軍挙兵)」
「ああああああああ!何考えとるねん!人をなめ腐ってからに!」(関ケ原)
「適当に蹴散らしたら四散したわ…ま、急増ならこんなもんやろ。それはそれとして仕置や」
「仕置しまくったらさらに人材がいなくなった…全部ワイがやるしかないやんけ…」
「全部ワイがやっとったら徳川に権力が集まりすぎたわ… さて、ここで約束通り秀頼に権力を返したとする どうなるやろか?」
「徳川はその後も豊臣家の一の重臣として末永く仕えました… と、なるわけないわな…… まず一大名に収まってくれるか打診…と…」
「なるほど…イヤか… じゃあ、しょうがないな…」
275.名無しさん:2019年09月05日 19:39 ID:j.ZYs6qz0▼このコメントに返信
※274
司馬懿「固有名詞変えたら自分の後半生+息子たちの所業と大して変わらない件について・・・まぁ、さすがに主家は滅ぼさなかったけど」
276.名無しさん:2019年09月05日 20:21 ID:0KEf.HKH0▼このコメントに返信
自分を過信し過ぎた秀吉と
システム作りに精力を傾けた家康の違い
277.名無しさん:2019年09月05日 20:31 ID:E5KVefwW0▼このコメントに返信
浅井長政が裏切らなければ歴史は大きく変わってたんだろうなぁ
278.名無しさん:2019年09月05日 20:36 ID:j.ZYs6qz0▼このコメントに返信
※39
上杉・毛利はすでに秀吉に服従済み、小牧長久手の戦いで秀吉包囲網を形成していた連中は秀吉の攻勢によって一年内でほとんど降伏したか滅ぼされた。家康の残っている有力な味方は北条ぐらい?伊達?いえ、(当時はまだ)知らない子ですね?

一方の家康は変な病気にかかって(さらに自称医学に詳しい家康の的外れの診断のおかげで)死に掛かっているので徳川家は開店休業状態で対策が取れなかった。と言うか秀吉との戦いで地味に財政破綻寸前。

さらに、真田昌幸との上野国問題(北条に上野を割譲したのだがそこにあった真田領の代替地をケチった)で裏切ら、慌てて討伐軍を派遣したら昌幸のあふれる知性と家康のODAで築かれた上田城の前に返り討ち(第一次上田合戦)。さらにさらに腹心中の腹心の石川数正が機密情報もって秀吉陣営に駆け込んでいる・・・と言う当時の家康わりと詰んでいる状態。
279.名無しさん:2019年09月05日 20:39 ID:2.SdtD1y0▼このコメントに返信
※275
司馬懿はともかく司馬師と司馬昭は最初から魏を滅ぼす方向で動いてるだろ
280.名無しさん:2019年09月05日 20:47 ID:6g2GeC7N0▼このコメントに返信
※ 266

あげられたものすべてが秀吉が始めたものではないよね。
更に先人が作り、秀吉も採用した制度を、家康も採用したというだけ。
運用の巧拙では明らかに江戸幕府>>秀吉政権だよね。
281.名無しさん:2019年09月05日 21:05 ID:MZn.9ZY50▼このコメントに返信
※280
秀吉はシステムの統一もしている。確かに先人から引き継いだものだとしても、それを全国レベルで運用できたのは間違いなく秀吉の実力。

まあ確かに江戸幕府の方が効率的に活用しているかもね。
282.名無しさん:2019年09月05日 21:07 ID:MZn.9ZY50▼このコメントに返信
※277
信長視点では裏切りだが浅井視点では裏切りではない。
283.名無しさん:2019年09月05日 21:08 ID:MZn.9ZY50▼このコメントに返信
※276
家康は秀吉より勉強熱心だったのもある。
284.名無しさん:2019年09月05日 21:08 ID:GkLKnmJc0▼このコメントに返信
※280
初めて日本統一したんだから
どこかで稚拙さがあるのは仕方ないだろ
家康はずっとそれを見ててかつ
それをアレンジできる立場になったのがデカい
285.名無しさん:2019年09月05日 21:14 ID:9R8b7UZ30▼このコメントに返信
家康とかいう血気盛んな三河武士共を必死で抑えてたやつ
下手な手打ったら謀反上等だものそりゃ堅実になる
286.名無しさん:2019年09月05日 21:19 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
※248
五摂家の近衛家の養子
だから近衛秀吉としてまずは関白に→正親町天皇から後陽成天皇に譲位となり秀吉は太政大臣に→豊臣の姓を下賜されて関白 太政大臣 豊臣秀吉になった
287.名無しさん:2019年09月05日 21:54 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
286
摂政:天皇がまだ幼いときの補佐官職
関白:成人天皇の補佐官職
太政大臣:本来は中央政府における内閣総理大臣職みたいなものだったが、摂関が行政実権を持つに従い名誉職みたいなものになった

摂関職は、鎌倉幕府における将軍の補佐官職に過ぎなかった執権北条家が実質的幕政内で将軍をお飾りトップに据えて行政実権握る職なったようなもの
288.名無しさん:2019年09月05日 22:01 ID:MZn.9ZY50▼このコメントに返信
※286
秀吉は豊臣姓を得る事で五摂家から関白・それに付随する藤原氏長者を奪い取り、それらを独占した。後に家康が関白を朝廷に返還すると六摂家体制になった。
289.名無しさん:2019年09月05日 22:05 ID:xoude.JP0▼このコメントに返信
広家とか馬鹿が、多くて家康びっくりしただろうな。
290.名無しさん:2019年09月05日 22:11 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
※288
まあ、無節操なお公家さんだから、秀吉全盛期では従いはするが、老いぼれて先が長くない、権力弱まればさっさと距離をおいて掌返しw
秀吉が死んでお家騒動勃発だから、もう関わるのも危ないし、下賤の成り上がりで藤原家じゃない豊臣家なんて断絶して消滅したところでかえって好都合
291.名無しさん:2019年09月05日 22:54 ID:Bni.tYHx0▼このコメントに返信
美濃の防衛ラインをぶち抜かれた時点で毛利輝元は裏から手をまわして家康と話付けとる
輝元大阪城から一歩も出ない、吉川長宗我部勢の妨害、小早川裏切りって明らかやん
292.名無しさん:2019年09月05日 22:57 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
藤原家一族公家にとっては、秀吉亡き後の豊臣なぞ潰してしまえ
でも下賤のものを始末するのに我らが直接手を下す必要はない
そんなものは徳川の古狸にでもやらせておけばいい

武家にとっても、別に由緒正しき武家の家柄じゃない羽柴家などどうでもいい
293.名無しさん:2019年09月05日 23:01 ID:MZn.9ZY50▼このコメントに返信
※289
バカなのは広家じゃなくて輝元。家康も輝元がバカで良かった的な事を言ってる。
294.名無しさん:2019年09月05日 23:04 ID:MZn.9ZY50▼このコメントに返信
※292
一応当時の公家社会では秀頼も仲間だと認められていた。二度関白を輩出した家だから無下にできない。

大坂攻めについても今で言う遺憾砲を出している。
295.名無しさん:2019年09月05日 23:08 ID:MZn.9ZY50▼このコメントに返信
※290
一応秀頼は右大臣で関白の有資格者と認められていた。豊臣姓を賜った時点でもう下賤ではない。
296.名無しさん:2019年09月05日 23:13 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
※294
一応、姓を下賜されて設立された摂関家だし、豊臣に関わっていた3代の天皇の御世だったから建前上は抗議はするわなあ
公家、朝廷、摂関家に対する攻撃みたいなものだし
297.名無しさん:2019年09月05日 23:16 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
※295
公家、朝廷としての建前と本音
298.名無しさん:2019年09月05日 23:22 ID:MZn.9ZY50▼このコメントに返信
※297
それもあったかもしれないが、当時の朝廷では秀頼が関白になる事は既定路線と思われていた様子。家康が秀頼に将軍を譲るかもしれないとも考えられていた。
299.名無しさん:2019年09月05日 23:22 ID:.DRTEnHG0▼このコメントに返信
>>44
犬千代様が見てる…!
衆道小説かな?
300.名無しさん:2019年09月05日 23:30 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
※298
別に関白など、豊臣じゃなければいけないわけじゃないから、他の藤原五摂家にとっては自分たちのいずれかが関白になれればそれで十分
関白になれば今度は自分たちが朝廷内の実権を握り、他の藤原4摂家より上位になれるのだし
5摂家と言えども、関白問題で身内同士争いになる
301.名無しさん:2019年09月05日 23:43 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
300
秀吉だって朝廷内人事に口出しして、二条家と近衛家との関白職争いで近衛家に加担し、最有力二条家と他の3摂関家押さえて権力握った
5摂関家、互いに藤原家一族同士だからといって常に仲良しというわけじゃない
ましてや豊臣なんて正統な藤原家ですらない
302.名無しさん:2019年09月05日 23:45 ID:g9YTuSHi0▼このコメントに返信
※300
豊臣じゃなければいけないわけじゃないという事は、豊臣でも構わないという事。
一度なってしまえば身分が固定されるのが公家社会。秀吉・秀次の存在、豊臣姓が秀頼に正当性を与える。

そもそも秀吉が関白になれた原因の一つが身内争いだしね。
303.名無しさん:2019年09月05日 23:49 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
※302
権力争いなど、相手を引きずり落として奪ってなんぼ
固定なんぞされてないわ
304.名無しさん:2019年09月05日 23:49 ID:g9YTuSHi0▼このコメントに返信
※301
関白の条件に藤原氏というのはない。ただ五摂家以外(皇族除く)に関白になった者がいなかったから慣例でそうなった。

秀吉は関白になった後に豊臣姓を得ている。つまりそれは朝廷が秀吉及びその一族に有資格を認めたという事。
305.名無しさん:2019年09月05日 23:51 ID:g9YTuSHi0▼このコメントに返信
※303
他ならぬ五摂家が固定された特権階級だよ。豊臣家は一時期それより上で、その後並んだ。
306.名無しさん:2019年09月05日 23:57 ID:C.GNJ6YW0▼このコメントに返信
※305
で、豊臣潰した徳川に朝廷は錦の御旗与えて徳川討伐勅令出したのかい?
5摂家がその気になればそのくらいはできるよ
307.名無しさん:2019年09月06日 00:04 ID:ph..lxhA0▼このコメントに返信
秀吉、申年
家康、寅年
もうこの時点でしゃあない
308.名無しさん:2019年09月06日 00:05 ID:0yGDvFPS0▼このコメントに返信
※306
>豊臣潰した徳川に朝廷は錦の御旗与えて徳川討伐勅令出したのかい?
>5摂家がその気になればそのくらいはできるよ

どうして討伐勅令を出す必要あるの?秀頼は有資格者だが徳川家が妨害して関白になれない様にしてるよ。
あと豊臣以外の摂家は皆徳川に逆らえないから勅令は出せない。

朝廷は一応遺憾砲を打っている。しかし我が身第一だったんだね。これは五摂家だけではなく豊臣恩顧の大名もそうだが。
309.名無しさん:2019年09月06日 00:07 ID:wD7foUc.0▼このコメントに返信
当時の大名なら誰だって機会と実力があれば天下人を狙ったのは間違いない
家康は、戦が強く恐ろしい信玄ですら病であっさり死んだのを聞いて(テレビの受け売りだけど)
長生きしなきゃ天下どころじゃない、と、天下取るためだけに健康オタクにまでなったんだから
ずっと待ち続けてきた好機を逃すわけがない

そもそも、家康にしたって、秀吉に対しては
三河から、当時湿地だらけだった江戸に強制的に国替えを命じられたり
煮え湯を飲まされることはあっても恩義なんてないだろ
今までやられてきたことの報復みたいな側面もあるかもしれん

秀吉は色々やりすぎたんだよ、あいつは全然好きになれない
まぁ、農民から天下人になったんだから、人物的には凄まじいとしかいいようがない人だけどね

若い頃は感じ良さそうなエピソードを見かけるんだけどな<秀吉
310.名無しさん:2019年09月06日 00:07 ID:Sur.zogW0▼このコメントに返信
>豊臣家には代々仕えてきた家臣がおらんから
徳川も三河の弱小勢力で言うほど譜代なんぞいないし
いても一向一揆に付いたり親父も祖父も家臣に殺されて
全く当てにならんがなW
311.名無しさん:2019年09月06日 00:07 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
ただ子供ができるだけじゃどこから難癖つけられるかわからんし、
かと言っておいそれと手出しができない跡継ぎを産める嫁を
名と実を持った家が出してくれるわけもなく。
成り上がるに際して「お飾りでもいいから名家に当たる血筋」に
恩を売って保護しなかったのが秀吉の失策。
まぁ半端な時期に名家筋と姻戚になろうものなら織田家家臣の
足の引っ張り合いに巻き込まれるの必至だろうけどね。
丹後一色あたりを匿えていたら、吉良氏に婿入して斯波系譜の
織田に下るという家名を使ったゴマすりもできて面白かったろうに。
312.名無しさん:2019年09月06日 00:12 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
※308
秀頼が成長するまで関白職を空位状態にして朝廷を困らされてのは秀吉のワガママから
313.名無しさん:2019年09月06日 00:12 ID:0yGDvFPS0▼このコメントに返信
※311
>「お飾りでもいいから名家に当たる血筋」

それが織田家だろ?豊臣政権で織田家は淀殿の一族だから準一門待遇だよ。
織田信雄・織田有楽はその縁で秀頼の側近になっていたし。
314.名無しさん:2019年09月06日 00:14 ID:KYU5zr7o0▼このコメントに返信
>>85
譲らなかったという表現より十万石やるから養子にしてくれじゃない?
315.名無しさん:2019年09月06日 00:14 ID:0yGDvFPS0▼このコメントに返信
※312
信長が霞むレベルの専制君主だった秀吉だからこそできた所業。でも秀吉は太政大臣として君臨し続けていたから存命時は余り変わらなかったと思う。
316.名無しさん:2019年09月06日 00:18 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
※315
5摂家としても関白職に返り咲ける、家康としても朝廷・5摂家に恩を売ることができるで利害が一致している
秀吉亡き後の豊臣にどちらも義理立てなどいらない
317.名無しさん:2019年09月06日 00:19 ID:xJn3Gm4I0▼このコメントに返信
>>133
天下人ではなくても名誉職と大大名の石高に将軍家縁戚という待遇を勝ち取ったのに裏切り者呼ばわりされちゃ、そら心折れますわなぁ…
318.名無しさん:2019年09月06日 00:25 ID:xJn3Gm4I0▼このコメントに返信
>>138
秀次の与力は織田家の育成枠、次代を担うホープだったから秀頼誕生が無ければ良い塩梅に落ち着きそう
319.名無しさん:2019年09月06日 00:25 ID:0yGDvFPS0▼このコメントに返信
※316
朝廷としては摂関家にしてしまった以上それなりの扱いをしなければいけない訳で。

徳川は遠慮する必要がないが、朝廷は形式的にも義理立ては必要。
320.名無しさん:2019年09月06日 00:27 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
※319
だから形式的に遺憾砲でしょ
ただの茶番
321.名無しさん:2019年09月06日 00:31 ID:0yGDvFPS0▼このコメントに返信
※320
さっきからそう言っているよ。仲間意識はあるけど我が身と比べればどちらを選ぶかは明らか。

秀頼が関白の有資格者である事と秀頼が関白になれる情勢かどうかについては別問題だからね。
322.名無しさん:2019年09月06日 00:31 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※313
それしか頼みの綱がなかった上に、子宝に恵まれなくて後継者を
育成できるだけの土台すら作れなかったってのが問題なのに。
織田一門羽柴家ってのは織田の権勢があってようやく箔が乗る程度で
例えばだけど名門一色に婿入した一色家の秀吉の前では吹けば
飛ぶような薄衣一枚にも満たない箔なんだよ。
一色家の婿にならばと武家だけじゃなくて羽林家くらいからの
お姫様も周旋されたかもだろうし。
323.名無しさん:2019年09月06日 00:40 ID:0yGDvFPS0▼このコメントに返信
※322
>それしか頼みの綱がなかった上に

織田家以外にも頼みの綱はあったよ。ただそれが徳川家康だったのが問題な訳。完全に秀吉のミス。

>織田一門羽柴家ってのは織田の権勢があってようやく箔が乗る程度で

朝廷から豊臣姓を賜った時点で一色とかは余裕で超えている。
武家は嫁の実家が重要な要素になるが、一族を秀吉に滅ぼされた淀殿にバックの一族はいない。
後見になり得た信雄・秀信は秀吉・秀頼が潰してしまった。

何から何まで秀吉のミスだよ。
324.名無しさん:2019年09月06日 00:42 ID:xJn3Gm4I0▼このコメントに返信
>>169
小早川に養子に出して朝鮮出兵の大将に任命、戦地で大将らしからぬ働きをしたから処分!
なんて耄碌した秀吉を宥めて謹慎扱いまで減刑、秀吉死後に謹慎も撤回したのが家康だった経緯を考えれば西軍が小早川勢を自軍にカウントするのが異状だわ
325.名無しさん:2019年09月06日 00:48 ID:xJn3Gm4I0▼このコメントに返信
>>253
家康以外の人間があの状況に置かれたら早々に滅びるか各勢力の息のかかった豪族に振り回される傀儡になるかの二択では?
326.名無しさん:2019年09月06日 00:59 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※323
豊臣姓は何のバックボーンもない成り上がりへの位討ちだもん
そこに朝廷の威光が伴ってるなら嫁取りに苦労しなかっただろうに
名家(貴族の)どころか半家にすら見向きもされなかった「豊臣」の
名の格が何を余裕で超えてるって?
武家からも公家からも金で買ったと揶揄された「豊臣」に
どんな威光を見出しているのやら。
327.名無しさん:2019年09月06日 01:12 ID:0yGDvFPS0▼このコメントに返信
※326
>朝廷の威光が伴ってるなら嫁取りに苦労しなかっただろうに

はい?秀吉自身が史上かつてない専制君主なんだから存命中は政権運営に苦労なんてしないんだよ。秀吉は公家より武家との繋がりを優先しただけ。側室もほぼ武家だしね。

>半家にすら見向きもされなかった

ん?豊臣家は摂関家だから半家より遥かに上だよ。

>金で買ったと揶揄された「豊臣」にどんな威光を見出しているのやら。

大事なのは手に入れたという事実だから。金も武力も秀吉の実力だよ。
328.名無しさん:2019年09月06日 01:15 ID:0yGDvFPS0▼このコメントに返信
※326
貴族の序列…摂関家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家。

秀吉の豊臣家は最上位の摂関家。豊臣家は公家であり武家でもあるイレギュラー。
329.名無しさん:2019年09月06日 01:17 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※323
なんか噛み合わないと思ったけど、あなた多分「名家」と「有力家」をごっちゃにしてる。
有力家が取りうる下剋上の頂点を掴んだのが羽柴秀吉であり豊臣の家名であり関白だけど、
頭を下げる理由足り得る「権威」は力をどれだけ付けても手に入らないのが日本の権力と
権威の構造で、それは今でも続いているものなんだよ?
面子で食べている人らへの言い訳を作ってあげなかったという点で秀吉の天下が続かない
原因が作られてしまったから、武家も公家も秀吉個人にではなく源氏の重鎮たる名門一色に
頭を下げられる構図を作れば面白かったのにね?ってのが僕の持論。
ホリエモン全盛時代に球団の買収を持ち掛けるも門前払いを食らったのも「面子の問題」
って現代の構図に落とし込んだらイメージしやすいかも。
330.名無しさん:2019年09月06日 01:18 ID:0d3P91600▼このコメントに返信
※326
公家の名門家や天皇の皇子から養子とって関白にして中継ぎやらせておくとかすらやれていないからね。
秀次程度の武家の家柄からしか養子取れなかった事自体お察しレベル。
摂関家、関白の権威が地に落ちる面汚しばかりする家。
331.名無しさん:2019年09月06日 01:22 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※327
うん。
その名と地位を手に入れても誰の納得も落とし所も作ってあげられなかった。
だから豊臣家は短命に終わったの。
簒奪しても額面通りの権威なんてないって見透かされてたし、その通りだったから。
332.名無しさん:2019年09月06日 01:26 ID:xJn3Gm4I0▼このコメントに返信
>>330
秀次の嫁を菊亭さんから貰ったのに、あの始末だもんね…
333.名無しさん:2019年09月06日 01:26 ID:UfpVvbvN0▼このコメントに返信
家康居なかったら東京無いからな
334.名無しさん:2019年09月06日 01:30 ID:t3kI62sO0▼このコメントに返信
※329
>「名家」と「有力家」をごっちゃにしてる。

名家って貴族の序列か今で言う名門かどっちの意味なの?こっちは後者の意味で言ってるけどもし前者の意味ならごめんね。

>「権威」は力をどれだけ付けても手に入らないのが日本の権力と権威の構造

その構造をぶち壊したのが秀吉なんだよ。秀吉は一代で五摂家に並ぶ家を創る事に成功した。

>武家も公家も秀吉個人にではなく源氏の重鎮たる名門一色に頭を下げられる構図を作れば面白かったのにね?

それは成り上がり者で織田家に執着した秀吉には無理だろう。
335.名無しさん:2019年09月06日 01:35 ID:t3kI62sO0▼このコメントに返信
※331
>誰の納得も落とし所も作ってあげられなかった。

当時の武家・公家は秀吉に納得していたよ。短命に終わったのは秀吉の準備が間に合わなかったからであって、秀頼が既に元服した成人なら何の問題もなかった。

>簒奪しても額面通りの権威なんてない

簒奪が悪い訳じゃない。信長は斯波家・足利家から簒奪しているし、家康は豊臣家から簒奪している。大事なのはそれを維持する体制だよ。
336.名無しさん:2019年09月06日 01:38 ID:xJn3Gm4I0▼このコメントに返信
>>331
コレ重要
信長は義昭との関係回復が不可能になった頃から織田家は平氏アピールをしている
源平交替論に則ることで権力移譲をスムーズに運ぶ狙いが有ったのでしょうね
337.名無しさん:2019年09月06日 01:38 ID:t3kI62sO0▼このコメントに返信
※333
秀吉な。家康は小田原を拠点にしたかったが、秀吉に江戸を指名された。
338.名無しさん:2019年09月06日 01:43 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※334
「五摂家に並ぶ家」
力と金を以てそれを手に入れたってのは同じ見解なのよ。
1人親方の社長みたいな張りぼての家名で、権力か金で下を従えた家だけどね?
339.名無しさん:2019年09月06日 01:45 ID:t3kI62sO0▼このコメントに返信
※330
>天皇の皇子から養子とって関白にして中継ぎやらせておくとかすらやれていないからね。

秀吉もそれは考えていたよ。智仁親王を養子にしていたし。鶴松が生まれたから取り止めになったけど。
340.名無しさん:2019年09月06日 01:47 ID:0d3P91600▼このコメントに返信
金と権力で買えたのは豊臣の姓だけ。
権威もなければ、豊臣存続を維持してあげようとする公家の協力する影すらもない。
権力争いであっという間に滅亡してしまう程度の家に名門を名乗る資格も権威すらもない。
341.名無しさん:2019年09月06日 01:48 ID:t3kI62sO0▼このコメントに返信
※338
張りぽてだろうが摂関家なのは事実。幕府成立後も秀頼が別格の扱いだったのはそれが理由。

朝廷でも秀頼が関白になる事はあり得るという認識だった。
342.名無しさん:2019年09月06日 01:50 ID:t3kI62sO0▼このコメントに返信
※340
手厳しいな。

>権力争いであっという間に滅亡してしまう程度の家に名門を名乗る資格も権威すらもない。

確かに三代で潰れた家だけど名門を名乗る資格も権威もある。ただ色々準備不足だった。
343.名無しさん:2019年09月06日 01:51 ID:xJn3Gm4I0▼このコメントに返信
権威って武力や財力の裏付けが無くても尊ばれる、社会システムそのものと深く結び付いたモノを表す言葉だと自分は解釈しています
その解釈の上で述べれば豊臣姓は権威になり損ねた、と言わざるを得ないと思います
秀吉が気に入った複数の武将に豊臣姓を許した、では今現在誰がその名前を継いでいますか?
344.名無しさん:2019年09月06日 01:53 ID:0d3P91600▼このコメントに返信
※339
なんかグダグダ言っているけどさあ、実際にはやれていないし、滅亡させられたのは事実。
考えていた、やろうとしていたなんてどうでもいい屁理屈に過ぎない。
単なる歴史の1ページ飾れたと言うだけ。
345.名無しさん:2019年09月06日 01:53 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※335
家康は豊臣の名を簒奪してないし東国で徳川として施政したから、
改めて幕府を開いた。
関白職は摂家に返しての幕府運営なんだから簒奪ではないでしょ。
で、維持する体制とかに問題があった所も共通の見解なんだけど、
張りぼての権威と織田家を簒奪する形で継承もしていないから
武家としての箔もないに等しい。
そんな状況で側室や町娘に産ませた子供がいたとしても、奥州や
西国から源氏の正統を糺すとかで次世代の安寧は難しかったで
あろうという観点で、名門一色の名を利用した立ち回りで
武家と公家の納得を作れる嫁取り、後継者育成の下地作りが
できたら面白かったのにね。と言っているのです。
346.名無しさん:2019年09月06日 01:59 ID:t3kI62sO0▼このコメントに返信
※343
>では今現在誰がその名前を継いでいますか?

新しい権威が現れたからね。徳川という権威が。
大坂の陣までは諸大名で使っている者はかなりいたが、徳川の権威・権力に恐れをなして豊臣滅亡後皆使うのを止めた(高台院の一族は使用を続けている)。

豊臣家(秀頼)は確かに権威だが武家としての実力がなかった。秀吉亡き後の豊臣家は権力はないが権威はある状態。
347.名無しさん:2019年09月06日 02:02 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
なんか、権威は力さえあれば手に入るし下剋上をしたら簒奪したって認識っぽいから
色々と噛み合わないのかも?
まぁ秀吉がどんな風に権力構造を見ていたか?って類推する材料になりそうな
視点だから理解する一助にはなるけどね。
個人が家を立てるってのと、家を背負って当代を勤めるって意識の差かな?
348.名無しさん:2019年09月06日 02:10 ID:t3kI62sO0▼このコメントに返信
※344
秀吉の頭にもそれくらいは当然浮かんでいたという事を言いたかった。というより秀吉は天才だから現代の我々が考える事態は当然想定していただろう。

※345
>関白職は摂家に返しての幕府運営なんだから簒奪ではないでしょ。

こっちも個人的にはそう思うけど、当時は豊臣からの簒奪と考えられただろうね。

>武家としての箔もないに等しい。

天下統一した秀吉に箔がないは無理があるかな。

>武家と公家の納得を作れる

秀吉は金と武力と人望で納得を作ったんだよ。
349.名無しさん:2019年09月06日 02:13 ID:0d3P91600▼このコメントに返信
※346
秀吉個人の日本史に名を残すだけの偉大な業績(ただし最盛期までで晩年はクソ)はあった。
その事には誰も異存はないはず。
その結果、豊臣の姓まで下賜されたのも彼個人の業績でもあり事実。
でもこと豊臣の家督としては、秀吉亡き後の権威などもろくな業績などもない。
秀吉という人物のみの一代限りの大花火。
350.名無しさん:2019年09月06日 02:14 ID:mh.ZfEk80▼このコメントに返信
※347
>権威は力さえあれば手に入るし下剋上をしたら簒奪した

秀吉は常人の限界を超えて権威を創り出した。秀吉の関白任官は家康の将軍任官とは比べ物にならないくらい凄い偉業なんだよな。

>個人が家を立てるってのと、家を背負って当代を勤めるって意識の差かな?

それをどっちもやってたのが秀吉。
351.名無しさん:2019年09月06日 02:19 ID:mh.ZfEk80▼このコメントに返信
※349
秀次事件と唐入り途中の死去ぐらいしかクソ要素はないがね。

一応秀頼は右大臣になってるし、豊臣恩顧に官位を与えている。応仁の乱で焼けた寺社の修復もやってたから業績がないは言い過ぎ。
352.名無しさん:2019年09月06日 02:20 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※348
武家としての箔があるのなら豊臣の名は残る。
金と武力と人望で納得を作れていたのなら尚更。
どこまで行っても下剋上を成し遂げた有力大名止まりで、
古くからある武家の背骨たる源氏の血すら取り入れられなかった豊臣家に
武家としての箔なんてない。
残ったのは伝説級の逸話のみだから「豊臣」を後生大事に守る家が
皆無だって結果なんだよ。
新田氏得河のような納得を得られる血筋を迎え入れられなかったのが限界。
人望がないから武家の名門筋から嫁取りできなかったし養子すら
揃えられなかった。
だから初代没後に武家の名門を自負する家はこぞって離反した。
人望と納得は金じゃ買えないよ。
353.名無しさん:2019年09月06日 02:26 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※350
当代人としては出来星でも当主としては失格でしょ?
立身出世のみに邁進して予後を任せる後継者で失敗したんだから。
金さえあれば、力尽くで一番になれば何もかも上手くいくし尊敬を集められるという
信条があるから秀吉に肩入れしたいというのは理解した。
金と力で尊敬や納得の全てを簡単に得られないというのを、ここでの数人との
やり取りで「そういうタイプの人もいるのか」程度には理解を示してもらえるとありがたい。
354.名無しさん:2019年09月06日 02:27 ID:LfAZpAkI0▼このコメントに返信
※352
>武家としての箔があるのなら豊臣の名は残る。

徳川が潰したからね。徳川全盛の時代に豊臣姓を使うやつなんていないよ。

>下剋上を成し遂げた有力大名止まり

厳密に言えば武家と公家のハイブリッド。体制を維持する努力は怠ったね。

>古くからある武家の背骨たる源氏の血すら取り入れられなかった豊臣家

うーん。豊臣家は新たなる武家の背骨になるはずだったから源氏を取り入れる必要がない。

>人望と納得は金じゃ買えないよ。

秀吉は買えたけど秀頼は無理だった、それだけ。
355.名無しさん:2019年09月06日 02:33 ID:ZZzO1Ih20▼このコメントに返信
※353
誤解しないで欲しいが、こちらは秀吉も家康も同等に好きだよ。

>当代人としては出来星でも当主としては失格でしょ?

うん。

>金さえあれば、力尽くで一番になれば何もかも上手くいくし尊敬を集められるという信条がある

勝手に人の心情を決めないで欲しいな。個人的には苦労人の家康の方が共感できるよ。

でも、秀吉は金と力と人望で上手くいき尊敬を集めた稀有な例なのは事実だろ?

>金と力で尊敬や納得の全てを簡単に得られない

秀吉も簡単に得た訳じゃない。色々と根回しや恫喝もしただろう。運も絡んでいる。
356.名無しさん:2019年09月06日 02:38 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※354
秀頼は無理だった
だから個人の立身出世が限界で家には何も残せなかった。
豊臣家は新たなる武家の背骨になるはずだったのはあまりに楽観的な推論。
そうであるなら後継者争いが起こるくらいには公武から嫁を周旋されて
とにかく血を残すべしと周囲が動くから。
実際はそうではないから豊臣の血は必要とされていないし名を惜しむでもない。
そして、豊臣の名を誰も守らなかったのを徳川のせいにするのもよくない。
それが通るのであれば武田や北条なんてもっと残る訳がないのだから。
武家としては名分が足りないし公家としては理解が足りない実のない大家が
豊臣家であり、逸話のみで一族が途絶えた結果を見ての解釈なんだよ。
357.名無しさん:2019年09月06日 02:44 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※355
簡単に得たわけではないし得られなかったものもある。
だから関白に叙任されようと豊臣と交わる家が出てこなかった。
だから豊臣姓を守ろうとする臣下に恵まれなかった。
だから源平藤橘に並ぶ武家の大家になれなかった。
個人秀吉は傑物だけど、豊臣家初代棟梁としては足りないことだらけだった。
徳川家康は豊臣家が持たない納得を作れたから勝ち残ったんだよ。
358.名無しさん:2019年09月06日 02:51 ID:unRm3cYX0▼このコメントに返信
朝廷に楯突いた信長の気性を引き継いだしまった強情な浅井の小娘の淀が牛耳っていたから
とっくに豊臣家存続など公武共々見限っていただろう
関ケ原で負けた時点で見捨てられていた

淀の政治的干渉を排除できない秀頼は無能、凡人のレッテルはられていたも同然
359.名無しさん:2019年09月06日 03:01 ID:unRm3cYX0▼このコメントに返信
淀の言いなりになっているような秀頼と豊臣家をそのまま摂関家、関白になどにしたら朝廷のほうが危なくなるわな
征夷大将軍となった徳川も朝廷・公家もそんな事態は回避したい
またさらなる大きな戦乱となる
360.名無しさん:2019年09月06日 03:42 ID:unRm3cYX0▼このコメントに返信
家康も関ケ原の後、征夷大将軍と朝廷の右大臣の官位もらっていた
関ケ原の後、1601年に秀次以来5年半もの間空位だった関白を5摂家に返還して九条家が非公式に関白となり、秀頼、豊臣への世襲を阻止
1605年には公式に第91代関白に近衛家が就き、その後も豊臣家滅亡までの間、近衛家、鷹司家、騎乗家、鷹司家と関白就任

淀と秀頼の態度次第では、徳川も朝廷も豊臣家潰すのもやむなしだっただろうよ
 
361.名無しさん:2019年09月06日 07:52 ID:eAx3IRF30▼このコメントに返信
朝鮮出兵が無ければ、もう少し味方を増やせるというか国内情勢を安定させる事が出来たんじゃなかろうか
362.名無しさん:2019年09月06日 08:00 ID:taql90pI0▼このコメントに返信
安倍の次は進次郎でってのに似ている 川嶋家にも似ている
363.名無しさん:2019年09月06日 08:16 ID:dvBPqYPS0▼このコメントに返信
※356
>秀頼は無理だった
そうは思わないな。「個人の立身出世が限界で家には何も残せなかった」という訳でもない。それは結果論。

>後継者争いが起こるくらいには公武から嫁を周旋されて
秀吉が起きそうだと判断して未然に鎮圧したのが秀次事件。秀頼は当時の外様最強徳川から嫁を貰っているよ。

>血を残すべしと周囲が動くから。
家康は恐らく高家にするつもりだった。そうならなかったのは大坂の浪人衆と時の将軍秀忠の意思によるもの。
豊臣以外の高貴な血筋がかなり残っているのは大体家康のおかげ。

>豊臣の名を誰も守らなかったのを徳川のせいにするのもよくない。
消極的には公家・大名にも守ろうとした者はいた。ただ皆我が身大事だっただけ。

徳川のせいだよ。もちろん過失10割ではないが徳川にも責任はある。というかそれが下剋上。

>武家としては名分が足りないし公家としては理解が足りない実のない
武家としては高貴すぎて公家としては武が強すぎた実ばかりの存在が豊臣家。
364.名無しさん:2019年09月06日 08:35 ID:dvBPqYPS0▼このコメントに返信
※358
>朝廷に楯突いた信長の気性を引き継いだ
実は真逆だったのが最近の研究で明らかになっている信長。秀吉・家康も当時の基準では超のつくレベルの勤王家。

>強情な浅井の小娘の淀
秀吉の側室になった頃は織田家の人間として扱われていた。

>公武共々見限っていただろう
残念ながら見限られてはいない。秀頼に挨拶する公家は大勢いたし、秀頼のおかげで官位を貰った大名もかなりいた。何より家康が最晩年まで待ち続けた。

>関ケ原で負けた時点で見捨てられていた
まさに歴史の結果を知っているが故の暴論。
見捨てられた訳ではないから、徳川は時間をかけて既成事実を積み上げたんだよ。

>淀の政治的干渉を排除できない秀頼は無能
秀頼が無能なのは否定しないが、淀殿が仕切っていたのは仕方ない。他に仕切れない様に家康が仕向けたから。
365.名無しさん:2019年09月06日 08:37 ID:dvBPqYPS0▼このコメントに返信
※360
豊臣の意向は公家・武家のハイブリッドの継続、徳川の意向は一大名になる事。朝廷は豊臣の意向を尊重したが徳川は当然認めない。
366.名無しさん:2019年09月06日 08:38 ID:dvBPqYPS0▼このコメントに返信
※359
367.名無しさん:2019年09月06日 08:40 ID:dvBPqYPS0▼このコメントに返信
※366
失礼。

>淀の言いなりになっているような秀頼と豊臣家
織田信雄・片桐且元などのブレーンはいた。もう一度言うが、家康が淀殿に権力が集中する様に仕向けた。
368.名無しさん:2019年09月06日 08:50 ID:rQR5IfIS0▼このコメントに返信
家康が発展させたんで、国替えで狐と狸ばかりの山ん中にほっぽりだされたからな

相当豊臣にうらみがあっただろうな
369.名無しさん:2019年09月06日 09:52 ID:G4a011610▼このコメントに返信
※368
江戸なら関東における重要な水運の要と言うこと昔から結構、発展している・・・と言うか、「狐と狸ばかりの山ん中」でしたら江戸氏とか言う国人が「関東一の大金持ち」とか言われないし、名将である大田道灌は拠点として城を築かないし、後北条氏も有力な家臣や一門を派遣して統治なんかはしない。

ちなみに関東地方自体が近畿に匹敵する人口を抱えている一大市場・・・ではあるが、なまじ小勢力でも食っていけるので国人勢力が乱立し、紛争を起こしまくっている統治が極めて難しい地域・・・なので、このような重要かつ難地を有力大名で秀吉とも親族である家康に任せるのは、まぁ、妥当といえば妥当と言う話でもある。
370.名無しさん:2019年09月06日 09:52 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
歴史は結果論の積み重ねで、裏付ける文章でも残されてない以上は
「~だったはずだ」等の内情は全て推論にすぎないのではないだろうか?
豊臣は全てを手に入れて新しい時代を作りたかったのかもしれないが、
淀君が暗躍するように家康が仕向けたかのような工作を誰も見咎めず
思うがままにさせていたのであれば、それは豊臣家の理想を実現させるべく
従い動く家が皆無に等しかった故の結果と言わざるを得ない。
関が原で趨勢を決した後の徳川の威圧が委縮させたのならいざ知らず、
絶大な権力と権威を持ち公家に歓迎されていたであろう豊臣家の凋落を
誰も止めなかったのは、その時点の有力大名に過ぎない徳川家が裏で
糸を引いていたせいで、豊臣を盛り立てたい家は黙らざるを得なかった
だけだとでも言いたいのだろうか?
東国に国替えされて実権を握れなかった徳川がそこまで暗躍できる程度の
代物が、天下の豊臣時代だとでも言うのであろうか?
誰も身を切って仕えようとしない張りぼての公武ハイブリッド体制だったから
支えるどころか乗っ取りもされなかったと考える方が自然ではないだろうか。
371.名無しさん:2019年09月06日 09:52 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
何もかもを徳川のせいだとすればするほど、豊臣方の不備無策を浮き彫りにして
飾り立てる言葉を安っぽくしてしまうようにしか見えないが。
何もかもを手に入れた豊臣宗家に養子や嫁を送ろうとしなかったという
事実が「個人の才覚」の限界で、武家としても公家としても姻戚になる
魅力を少しも持たれていなかった何よりの証拠だと思うのだが、それも全て
徳川の暗躍の結果で豊臣は素晴らしいと言いたいのであろうか?
「武家としては高貴すぎて公家としては武が強すぎた実ばかりの存在が豊臣家」と
御本人が分析する通り、公家が頭を垂れるに値する納得は作れず武による威圧で、
武家が頭を垂れるに値する納得は作れず冠位によるヒエラルキーの断絶を作った。
それぞれが苦手とする側面で上位に立ったのは合理的ではあるが、だからこそ
金以外の義で動く忠臣は得られなかった。
結果論を否定して歴史を語るのは、物証が残されていない当時の事実を見聞きした
人間かフィクション作家くらいしかいないと思うのだが、豊臣のロマンに目を奪われて
現実に残された結果を蔑ろにし過ぎではないだろうか?
372.名無しさん:2019年09月06日 11:28 ID:jRcscIIg0▼このコメントに返信
自分は織田家から権力簒奪したくせにな
信長の同盟者で、自分より本来圧倒的に身分の高かった家康が天下取るだろうと確信してるから、みっともなく頼んでいる。自業自得だろ
373.名無しさん:2019年09月06日 12:48 ID:NiPHJyVo0▼このコメントに返信
「関白」という役職を五摂家から奪った形になったのも、豊臣家の命を縮めたね。
豊臣家の没落を願う有力貴族を多数生み出すことになったのだから。

源頼朝は、「征夷大将軍」という、古来からあるけど位置づけ的に大したことのない役職を武家の棟梁的肩書にしたが、
この歴史の独創性に比べると数段アイディアに乏しい政策だった。
「関白」なんて所詮令外官なのだから、「関白」を上回る新しい令外官を生み出して、それを豊臣家世襲にすればよかったのにね。
「関白」という役職を返してやれば、五摂家とも共存できたと思うよ。
まあ唐入りが、その発想の延長だったのかもしれないが、まあご存じの通り全く実現できなかった。
一個人としてもそのあたりが限界だよね(他の誰もできたとは思えないことを添えておく)。
374.名無しさん:2019年09月06日 16:44 ID:t5Yp86Q30▼このコメントに返信
※370※371
>「~だったはずだ」等の内情は全て推論にすぎないのではないだろうか?
だろうね。でもある程度の察しはつく。

>淀君が暗躍するように家康が仕向けたかのような工作を誰も見咎めず
そうじゃない。家康が消去法的に淀殿が仕切るしかないように仕向けたんだよ。有力な豊臣恩顧には破格の領地を与える代わりに遠くへ追いやった。その結果秀頼の家老として残ったのは片桐勝元だけ。もしそれすらいなくなったらどうなるかは分かるよね?

>関が原で趨勢を決した後の徳川の威圧~でも言いたいのだろうか?
端的に言えばそうだよ。家康は関ヶ原の役後早々に豊臣姓を捨て源姓に戻した。敵対者を軒並み潰したこの時点で家康は有力大名を超越した。
家康は豊臣家序列四位の大身(秀頼・高台院・淀殿に次ぐ)のため秀吉死後で関ヶ原前から別格。

>東国に国替えされて実権を握れなかった徳川がそこまで暗躍できる程度の代物
例え上方に領地があったとしても秀吉生前は何もできない。家康のスタートは秀吉死後。しかし家康にそれだけの力を与えたのは他ならぬ秀吉。

>誰も身を切って仕えようとしない張りぼての公武ハイブリッド体制
身を切っていた連中を叩き潰したのが関ヶ原。というより家康がその身を切って仕えていた連中の代表。
375.名無しさん:2019年09月06日 17:00 ID:t5Yp86Q30▼このコメントに返信
※374
勝元→且元

※371
>何もかもを徳川のせいだとすればするほど~
誤解している様だけど、豊臣家崩壊の一番の原因は秀頼自身。あと秀吉、淀殿。

>何もかもを手に入れた豊臣宗家に養子や嫁を送ろうとしなかったという事実
>姻戚になる魅力を少しも持たれていなかった何よりの証拠だと思うのだが
それは嘘だよ。皇族の養子はいたし、豊臣宗家に嫁を送った公家もいた。問題は送った相手が秀次だったという事だね。

>だからこそ金以外の義で動く忠臣は得られなかった。
そういう連中を早々に叩き潰したのが家康。

>結果論を否定して歴史を語るのは~
家康に関係する話だけど、石川数正っているよね?結果論だけ見れば家康から秀吉の鞍替えしたのは大失敗だった訳だ。しかし当時の情勢を考えれば鞍替えは何もおかしくない。
浅井長政もそう。結果論で信長を裏切って馬鹿だなぁと誰もが思うけど、当時は足利義昭の権威の方が信長の武力より価値が高く、何より勝算があった。
こういった当時の情勢を無視してただ結果を垂れ流すのがよくないと言っている。結果は勿論大事だがそれに至る過程を無視してはいけない。
376.名無しさん:2019年09月06日 17:08 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※374
であれば全ての力と徳は個人秀吉に帰するものであって、豊臣の家には
名も信も臣も権も威も何もなかったという事でしょうに。
五大老五奉行の近侍衆の半数にすら戴くに値せずと見切られたのが豊臣家という家。
だから豊臣の名に権威なんてないと言っているのに。
摂関家に肩を並べたのは秀吉が居てこその豊臣家。
公家に任ぜられる将軍家を超越した武家の棟梁になれたのも秀吉が居てこその豊臣家。
強大すぎる初代の没後に誰にも惜しまれず埋もれたのが豊臣家という家。
秀吉個人は豊臣家の全てを作ったが豊臣家が秀吉個人から受け継いだものは
張りぼての中身のない代物に成り下がった。
奉公に値する後継者を作れなかった豊臣家に権威などない。
その瞬間に関白位を得たから絶対的な権威を得たという考えは、権威が権威たる
積み重ねを軽んじているに他ならない。
古い事に何の価値があるのかと皇室を批判しているお歴々に近い革命志向なのだろうか?
377.名無しさん:2019年09月06日 17:13 ID:t5Yp86Q30▼このコメントに返信
※372
>自分は織田家から権力簒奪したくせにな
信長も義昭から簒奪しているしね。当時としては特におかしくはない。

>信長の同盟者で、自分より本来圧倒的に身分の高かった家康が天下取るだろうと確信してるから、みっともなく頼んでいる。自業自得だろ
信長の後継者だと朝廷が認めた時点で立場は逆転しているよ。あと家康が天下を取れると思い始めたのは恐らく前田利家が先に死んで、その息子利長が失脚してから。利家が存命なら家康に勝ち目はなかった。

※373
>この歴史の独創性に比べると数段アイディアに乏しい政策だった。
まあ仕方ないよ。秀吉のスタートラインは本人も知らない間に急に用意されたものだから独創的なプランを準備する時間がなかった。それに征夷大将軍はまだ足利義昭だったんだよ。新しい令外官を用意しても義昭より権威が落ちる。

>「関白」という役職を返してやれば、五摂家とも共存できたと思うよ。
共存する必要がなかった。秀吉生前は豊臣宗家だけが関白になれたから。

唐入りに関しては秀吉の寿命が失敗の一番の原因。秀吉がもう少し若いか成人後継者がいれば成功した可能性はある。天才秀吉も寿命という限界には勝てなかった。
378.名無しさん:2019年09月06日 17:15 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※375
「豊臣宗家に嫁を送った公家もいた。問題は送った相手が秀次だった」
それが問題にしか見えていない事こそが権威を軽んじている証左ではないだろうか?
秀次は信濃源氏の嗣子という公家も武家も面子を保てて納得できる条件を備えていたからこその
ものであって、それは形だけの関白位を得た秀吉個人が手に入れられなかったものなんだよ。
莫大な金と権力を得て肩書がきらびやかであっても手に入らないものがあり、それこそが
武家が重んじた面子であって公家が積み重ねてきた権威なんだよ。
379.名無しさん:2019年09月06日 17:39 ID:t5Yp86Q30▼このコメントに返信
※376
>全ての力と徳は個人秀吉に帰するものであって、豊臣の家には名も信も臣も権も威も何もなかったという事でしょうに。
だからあったんだって。問題は部下代表が家康だったという事。因みに家康は豊臣家序列4位(関ヶ原直後)と言ったけど、その次は秀忠・(結城)秀康・(松平)忠吉・(武田)信吉。

>五大老五奉行の近侍衆の半数にすら戴くに値せずと見切られたのが豊臣家という家。
違う。そいつらを家康が叩き潰した。その時点で生き残った連中も家康に逆らえなくなった。貴方風に言うなら「家康が豊臣の権威をぶっ壊した」。

>摂関家に肩を並べたのは秀吉が居てこその豊臣家。
秀吉生前は摂関家を越している。

>秀吉個人から受け継いだものは張りぼての中身のない代物に成り下がった。
正しくは「秀吉個人から受け継いだものは家康に吸い尽くされた」。しかしその搾りかすですら徳川には脅威だった。

>奉公に値する後継者を作れなかった豊臣家に権威などない。
それを上回る人物が現れただけ。権威はそれを上回る権威・権力に潰されるもの。

>古い事に何の価値があるのかと皇室を批判しているお歴々に近い革命志向なのだろうか?
以前もそうだったけど貴方ってレッテル貼りをするのが好きだね。秀吉及び豊臣家は日本史随一のイレギュラーなだけだよ。秀吉について言及したら「皇室を批判しているお歴々に近い革命志向」って…

少なくとも秀吉は「皇室を批判しているお歴々」とは真逆で勤王家として朝廷からも認められた存在。
380.名無しさん:2019年09月06日 17:47 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※379
「古い事に何の価値があるのかと皇室を批判しているお歴々に近い革命志向なのだろうか?」
これはあなた個人に向けた言葉です。
あたかも権力を握れば権威は恣にできると言わんばかりの前提の元で持論を展開されておられるので。
381.名無しさん:2019年09月06日 17:49 ID:t5Yp86Q30▼このコメントに返信
※378
>権威を軽んじている証左ではないだろうか?
秀吉は日本史屈指のイレギュラーだから、彼を基準にして権威を軽んじるとか言われても困る。

>秀次は信濃源氏の嗣子という公家も武家も面子を保てて納得できる条件を備えていたからこそ
ほう。しかしその理屈で言えば公卿を多数輩出した名門織田家の血を引く秀頼は何の問題もないって事になるけど。

>形だけの関白位を得た秀吉
そんな事はないよ。秀吉生前は秀吉の命令が勅令に等しい扱いだったんだからね。

>莫大な金と権力を得て肩書がきらびやかであっても手に入らないものがあり、それこそが武家が重んじた面子であって公家が積み重ねてきた権威
そして秀吉はそれを一代で創り出し、秀頼に継承させた。
382.名無しさん:2019年09月06日 17:53 ID:t5Yp86Q30▼このコメントに返信
※380
もう一度言うが、秀吉は日本史屈指のイレギュラーだから、彼を基準にして権威を軽んじているとか言われても困る。

実際秀吉は「権力を握」って「権威は恣にでき」たんだよ。当時としては実に斬新なやり方だった。家康はあくまで古いが確実な手段を選んだけどね。
383.名無しさん:2019年09月06日 17:55 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※381
だが事実として傑物秀吉は公家と武家に迎え入れられる養子も嫁も得られなかった。
秀頼であれば許される縁組を終ぞとして得られはしなかった。
実を得られないその創り出した権威だから、張りぼてだと言っているのです。
推論だとか革新性だとかの後述できるものではなく、頑然たる事実が物語っています。
384.名無しさん:2019年09月06日 18:02 ID:t5Yp86Q30▼このコメントに返信
※383
>秀吉は公家と武家に迎え入れられる養子も嫁も得られなかった。
>秀頼であれば許される縁組を終ぞとして得られはしなかった。
それが徳川だったんだけど理解してる?他ならぬ徳川家が清華家だったんだよ。

>推論だとか革新性だとかの後述できるものではなく、頑然たる事実が物語っています。
豊臣が一番に頼ったのが徳川という大誤算が頑然たる事実だね。
385.名無しさん:2019年09月06日 18:05 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※382
斬新なやり方で作られた権威とやらは誰にも重宝される事なく豊臣の家名と供に
無実化されましたよね?
その時代でさえ「秀吉がそう言うのなら、そのように扱おう」程度の代物だから
誰も欲しがらず落ち着くべき所に落ち着いたのです。
天下統一を成し遂げた稀代のビッグネームであっても、それを快く思わない家々が
数多く存在したから豊臣の家名すら捨てられてしまったのです。
古いものに縋り付いて新しいものを認めなさいと咎めたい気持ちは理解します。
連綿と受け継がれていれば旧家としての権威もあったでしょうけれど、豊臣家が
存続している時代のみ存続し得た権威なぞ現在には存在しておりません。
386.名無しさん:2019年09月06日 18:14 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※384
何度も説明していますが、例え偉大な功績を挙げども秀吉個人は既存の権威や
武家の血筋からは敬遠されていましたよね?
君臨はすれど敬愛はされていなかったと見ていますが、そんなにおかしい事を言っていますか?
イレギュラーだからと分析されていますが、革新的なイレギュラーであるのに旧弊の価値観に
阿らずば威を示せず、かつ傑物の子孫をと次代を我が血族にとも名乗りを上げられないのが
傑物秀吉の限界であり、資質こそ平凡なれど確かな筋である秀頼は秀吉が得られなかった
それを得ることができたのですよ?
権威や伝統を軽んじて力でのみ統治できると信じ込んでいたのであれば、権威や伝統の持つ
繋がりに足を掬われた大誤算とも言えますが、君臨するまでにそれらの厄介さを飲み込んで
御する事ができなかったのであれば、そこが傑物秀吉の限界だったのではないかと思うのです。
387.名無しさん:2019年09月06日 18:17 ID:t5Yp86Q30▼このコメントに返信
※385
>斬新なやり方で作られた権威とやらは誰にも重宝される事なく豊臣の家名と供に無実化されましたよね?
そうだね。豊臣家が存続していた間は重宝されたけど。

>古いものに縋り付いて新しいものを認めなさいと咎めたい気持ちは理解します。
ん?家康が「あくまで古いが確実な手段を選んだ」というのは誉め言葉だよ。信じられないかもしれないけど、こちらは秀吉のやり方より家康のやり方の方が好きだし、たまにこのサイトに出てくる家康アンチのお題の時はよく反論しているよ。自己満足だけどね。

しかし秀吉及び豊臣家がイレギュラーな存在だったのも事実。

>豊臣家が存続している時代のみ存続し得た権威なぞ現在には存在しておりません。
当たり前のことを言われても困る。現在存在しないから当時も無価値だったというのはおかしいだろ?
388.名無しさん:2019年09月06日 18:23 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
加えて歴史のロマンを語るのであれば、秀吉は旧弊に縛られた日本の限界を見切り
大陸の皇帝を下し、その妃や皇女を嫁として迎えて口を開けば伝統だの仕来りだのとうるさい衆を
黙らせたかったではないか? という思惑があっての事ではないかなと考えたりもしますね。
国内で家柄や血筋を言い訳に蔑ろにするのであればと。
389.名無しさん:2019年09月06日 18:29 ID:t5Yp86Q30▼このコメントに返信
※386
>偉大な功績を挙げども秀吉個人は既存の権威や武家の血筋からは敬遠されていましたよね?
敬遠されていたんじゃなくて愛妻家だっただけでは?側室は武家の名門が勢ぞろいだったし。

>君臨はすれど敬愛はされていなかったと見ていますが、そんなにおかしい事を言っていますか?
徳川幕府ができない様にしたからね。民間信仰はあったらしいけど。おかしい事は言ってないと思うよ。

>傑物の子孫をと次代を我が血族にとも名乗りを上げられないのが傑物秀吉の限界
>資質こそ平凡なれど確かな筋である秀頼は秀吉が得られなかったそれを得ることができたのですよ?
源氏の名門(?)で清華家である徳川家がその役割だったって何回も言っているよ。当時の豊臣家にとって徳川以上の相手がいたのかな?

>権威や伝統を軽んじて力でのみ統治できると信じ込んでいた
秀吉も不安があったから名門織田家の母から生まれた秀頼に清華家徳川と婚姻を結ばせたんだよ。

>君臨するまでにそれらの厄介さを飲み込んで御する事ができなかった
秀吉自身は御していた。秀吉視点では完璧なはずだったからね。

390.名無しさん:2019年09月06日 18:31 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※387
存続しようと惜しまれない「それ」は権威ではないかと思いますよ?
当時であっても「秀吉の豊臣家」ではなく「秀頼の豊臣家」であるならとのアクションでしたから。
権威とは自称するものでもないですし、冠位をばら撒いてですら敬われなかった権威なぞ
矢を番えて尊敬しろと言わせるような本末転倒で実の伴わない空虚な名誉職であると。
元来、人たらしであるとか根回しに長けていると言われていた秀吉だからこそ、何故そのような
乱暴な手段で旧弊の価値観の上に上り詰めようとしたのかは疑問しか浮かびませんね。
結果として、秀吉の為政の存続は望まれなかったようですし。
391.名無しさん:2019年09月06日 18:33 ID:t5Yp86Q30▼このコメントに返信
※388
新しいやり方と言っても関白という旧来の権威を使っている時点で限界はある。予定では天皇の后が大陸の皇女だったね。
392.名無しさん:2019年09月06日 18:35 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
なんかここに淀殿でもご降臨されているんかい?
豊臣家と彼女の慢心こそが秀吉を失った後の公武内における豊臣家の姿
それは慢心であって権威ではない
393.名無しさん:2019年09月06日 18:41 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※389
秀吉視点では完璧であるのなら、そこが限界だったというだけでは?
実態は徳川が公武の名門名家の反豊臣体制の意を与りまとめ上げて、豊臣は戴くに値せずと
反旗を翻しての関白体制の終焉と武家による幕府の統治と公家による権威の統治という
二重体制に戻して長々と江戸の太平が続いたのだから。
理解も賛同もされなかったイレギュラーによる革新的な統治だから、豊臣家は秀吉ありきで
継ぐ価値どころか乗っ取る価値すらなかったんだよ。
誰も秀吉にはなれないから。
394.名無しさん:2019年09月06日 18:43 ID:t5Yp86Q30▼このコメントに返信
※390
>存続しようと惜しまれない「それ」は権威ではないかと思いますよ?
>権威とは自称するものでもないですし、冠位をばら撒いてですら敬われなかった権威

豊臣の権威は朝廷が担保しているものであって自称ではないよ。ただ豊臣の権威より徳川の武力の方が上だっただけ。

>人たらしであるとか根回しに長けていると言われていた秀吉だからこそ、何故そのような乱暴な手段で旧弊の価値観の上に上り詰めようとしたのかは疑問しか浮かびませんね。

「人たらしであるとか根回しに長けていると言われていた秀吉だからこそ」日本の頂に辿り着けたんだけどね。武力や金だけじゃない、秀吉個人の能力があったからこその天下統一だよ。

>結果として、秀吉の為政の存続は望まれなかったようですし。
正しくは「徳川が豊臣の施政を断ち切ったから、徳川以外の選択肢がなかった」だね。秀頼は家康に下るしか選択肢はなかった。
395.名無しさん:2019年09月06日 18:47 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
関白の役職は5摂家に家康の努力で返還された
ただそれは5摂家にも旧来同様の権利を認めて、豊臣家による独占を許さなかったということ
豊臣家が関白になることを禁止したわけではない
6摂家として他の5摂家と関白を争えばよかっただけ
秀頼ももう十分な成人になっていた
396.名無しさん:2019年09月06日 18:51 ID:t5Yp86Q30▼このコメントに返信
※393
>秀吉視点では完璧であるのなら、そこが限界だったというだけでは?
そうそう。豊臣は一代で権威を築き上げたイレギュラーだけど限界はある。

>関白体制の終焉と武家による幕府の統治と公家による権威の統治という二重体制に戻して長々と江戸の太平が続いたのだから。
家康の体制は「武家による幕府の統治と、公家による権威の統治を徳川が支配するという事実上の一強体制」だよ。豊臣を滅ぼしたその武威を朝廷も認めざるを得なかったからこそ「長々と江戸の太平が続いた」んだよ。

>豊臣家は秀吉ありきで継ぐ価値どころか乗っ取る価値すらなかったんだよ。
豊臣を乗っ取り吸い尽くした結果が徳川幕府。価値は十分にあった。
397.名無しさん:2019年09月06日 18:52 ID:t5Yp86Q30▼このコメントに返信
※395
簡単じゃないよ。五摂家には徳川がついているから。単純に数で分が悪い。
398.名無しさん:2019年09月06日 18:54 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
※397
それが秀吉亡き後の豊臣家の外交的な力量でしょ
399.名無しさん:2019年09月06日 19:00 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※394
朝廷が下賜した権威を誰も拾わなかった事に答えがあると思います。
そして、それは公家衆が望み期待された任官だったのですか?
私は「それ」を武で脅し金で買った位に過ぎず権威足り得るものではないという意味で
張りぼてという言葉を使っています。
戦乱のさなか荘園を接収し焼き払い、御簾の向こうまでが食うや食わずやの
疲弊をしている所に米俵と金子を献上して名誉職を買うが如く真似をするというのは
室町の頃からありましたからね。
散位ではなく摂家に並ぶ地位を買い上げた秀吉は凄いとは思えども偉いとは思えません。
だから豊臣家という家名の権威なぞ有りはしないと何度でも言います。
秀吉居らずばと徳川に屈する程度の人心しか集められなかったのが秀吉没後の豊臣家です。
400.名無しさん:2019年09月06日 19:00 ID:t5Yp86Q30▼このコメントに返信
※398
その通り。別の人にも言ったんだけど、有資格者である事と実際なれたかという事は別問題だから。
401.名無しさん:2019年09月06日 19:05 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
朝廷・公家衆への働きかけ外交は実を結ばず
武家衆への外交は関ヶ原という戦争まで発展し敗北
402.名無しさん:2019年09月06日 19:13 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※401
権も威も恣にできるという思い上がりを抱いたまま晩節を汚したのでしょうね。
上に立つ力はあっても上に立つ器ではなかったとでも言いましょうか。
403.名無しさん:2019年09月06日 19:19 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
朝廷・公家の本拠地は京であって大阪ではない
大阪城は石山本願寺ぶっ潰した跡地に築城されたもので元本願寺の本拠地
404.名無しさん:2019年09月06日 19:23 ID:k7sD.nOS0▼このコメントに返信
日本史において権威の源泉は天皇家であって、それ以外の家は持ちようがない。
全盛期の藤原氏といえども、藤原頼通の例が示すように天皇家の外戚から外れれば、権威などはなくなった。
「豊臣家の権威」を秀吉が目指したのであれば、それはどんなにうまくやっても砂上の楼閣に過ぎない。
秀吉が自家に権威を付与できると錯覚していたのであれば、「お・ろ・か」としか言いようがない。
実際の史実が示すように、「豊臣恩顧の伝々」といっても頼んでも、誰も味方しなかったように豊臣家に権威などは最初からなかった。
405.名無しさん:2019年09月06日 19:33 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
私自身の最初の発言に立ち戻ると、秀吉が得られなかった武家と公家に対する納得と迎合は
名家一色家に婿入りして一色秀吉として、改めて織田に臣従をしたのであれば家柄を以て
軽んじられる事も減っただろうし、実績を積めば強引な任官をせずとも実績に応じた箔付けを
繰り返して後継者に悩む事もなかったのではないかという歴史のIFだったんですけどね。
その時々によって愛妻家であったから嫁取りなど不要と言ったり側室には武家の姫を迎えて
いたとか言葉がコロコロ変わる事もなく、名門一色の姫を正室として名門の復権に邁進する
婿殿への側室斡旋や養子縁組を若い頃から実現できていたら盤石な体制も築けたろうに
という話だったはずなのに。
権威で戦に勝てないのであれば権威は武力に劣るという価値観で物を見ると、一色どころか
近衛や鷹司でさえも無名の輩に平伏さねばならぬ事が世の必定となってしまうとは。
406.名無しさん:2019年09月06日 19:35 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
「豊臣」の姓の下賜も、あくまで「関白、太政大臣」の朝廷権威を保つための彼らによる苦肉の措置であって
摂関家に不服ながらも加える必要性が生じたためでもある
朝廷と摂関家の都合であり、権威と体面維持のため

でも、それにそぐわぬとなれば6摂家が5摂家に戻ろうが、豊臣家がなくなってしまおうが別に困らない
権威と官位の源である朝廷と帝が存在すればいいだけなのだから
407.名無しさん:2019年09月06日 19:42 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
強引に捻じ曲げて作ったものは、その維持力が失われれば反動でまた元に戻ろうとして、捻じ曲げた力が強ければ強かったほど勢い余って、その力らを捻じ曲げたものすら破壊する
408.名無しさん:2019年09月06日 19:54 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
太政大臣になった平清盛と彼の死後の平家の滅亡のときみたいに、さんざん好き勝手にされ、挙句の果ては多くの朝廷・天皇家のものを犠牲にされてしまうと困るんよ
409.名無しさん:2019年09月06日 20:02 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
武家も朝廷・公家衆も過去の歴史から多くの経験をし学んできた
新たな変更も、またもとに戻したり、安定を図るためにあえて排除、潰すことすらいとわない
天皇を頂点とした日本の権威維持のためには
それに比べたら豊臣の存亡など取るに足らないもの
410.名無しさん:2019年09月06日 20:15 ID:DqQFbTpV0▼このコメントに返信
※282
内情的にはともかく、同盟破棄してるんだから誰の視点でも裏切りですよ
411.名無しさん:2019年09月06日 20:25 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
自分の家、一族の存続と権力駆使のためだけに天皇の権威、官位の独占と悪用をするならば摂関家と言えども潰す
それが公武・日本全体の意思
412.名無しさん:2019年09月06日 21:27 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
秀吉が朝廷・公家衆も天皇の権威も武家衆も制したように見えて、しょせんはすべて彼らの手のひらの上
数年程度の浅い歴史と土台を元につくった天皇・朝廷の権威じゃない
摂家にしてあげたのも、豊臣の姓を下賜してあげてメッキを貼り付けて整えてあげたのも朝廷・公家ルールに少し変更を加える程度にしておいたのも彼らの都合と整合性を持たせるための一時的な措置
そのメッキを確固たる鎧にできなかったのは、それがただ単に秀吉個人の力量でしか維持できないものだったから
メッキすら秀吉亡き後は維持困難になり、剥がされて潰されていった
413.名無しさん:2019年09月06日 21:45 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
天皇すらも幕府に親王を人質に出し、皇女を嫁がせ、涙をのんで親王を排除、自害や自運に任せて害される処遇に追い込んだことすらある
公家衆、摂関家とてそれは同様だし、武家衆も同様
武家と武家との争いのはてに一族郎党もろとも滅亡させられた武家も武家ルールにおける非情な現実と歴史
414.名無しさん:2019年09月06日 21:57 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
人質を出すのも嫌、我が子秀頼じゃなければ嫌、関白じゃなければ嫌、城の明け渡しも移封も頭を下げるのも嫌
豊臣が絶対でなければ嫌
だけど豊臣家のためにみんな従ってくれ
415.名無しさん:2019年09月06日 22:04 ID:SFvpVTqF0▼このコメントに返信
※392
淀殿は哀れだよ。次々と有力大名が離れていった結果、政務経験がないのに仕切らざるを得なくなった。慢心ではなく他に選択肢がなかった。
416.名無しさん:2019年09月06日 22:08 ID:SFvpVTqF0▼このコメントに返信
※410
いやいや、将軍足利義昭の命令なら話は違う。義昭と比べれば信長は虫けらみたいなもの。これが権威の力だよ。
417.名無しさん:2019年09月06日 22:08 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
※415
家を残し、秀頼を生かすための選択肢はあった
でもそれは我慢できない屈辱の選択肢だった
418.名無しさん:2019年09月06日 22:13 ID:22av7JOT0▼このコメントに返信
※414
>人質を出すのも嫌
秀頼か淀殿しかいないからね。それは嫌だろうよ。

>我が子秀頼じゃなければ嫌
他に誰がいるの?

>関白じゃなければ嫌
秀頼・淀殿は特別扱いなら関白じゃなくても良かった模様。

>城の明け渡しも移封も頭を下げるのも嫌
全てに応じようとしたが浪人衆の妨害で不可能だった。まあこれに関しては秀頼が悪い。

>豊臣が絶対でなければ嫌
徳川に入るのも選択肢だったかもしれないが、豊臣という権威を捨てられなかった秀頼・淀殿の失態よ。
419.名無しさん:2019年09月06日 22:13 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
豊臣家、淀殿が選択したのは、武家大名として戦い、武家大名として秀頼もろとも豊臣家滅亡の道
420.名無しさん:2019年09月06日 22:13 ID:22av7JOT0▼このコメントに返信
※417
421.名無しさん:2019年09月06日 22:16 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
※418
別に豊臣の家督を継がせるのは秀頼じゃなくてもいんだよ
他の公家衆だろうが名門武家からの御曹司だろうが、皇族だろうがね
422.名無しさん:2019年09月06日 22:18 ID:22av7JOT0▼このコメントに返信
※420
失礼。

>家を残し、秀頼を生かすための選択肢はあった
>でもそれは我慢できない屈辱の選択肢だった

淀殿・秀頼は家康の方が上だと認めていた(書状などで分かる)。淀殿は大坂の陣前には一大名になる事も考えていたが、秀頼・浪人衆がそれを認めなかった。夏の陣直前に秀頼が翻意しても時すでに遅し。
423.名無しさん:2019年09月06日 22:21 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
機を逸して滅亡もまた運命
424.名無しさん:2019年09月06日 22:24 ID:22av7JOT0▼このコメントに返信
※421
残念ながら豊臣家の変遷を見て分かるが、秀頼でないと駄目。秀吉は実子にこだわった。

そもそも何故秀吉は近衛家に留まらず豊臣家を創ったかだよ。近衛家の一人として君臨する事も出来た。しかし秀吉はどこまで行っても余所者。本筋には逆らえない。
秀吉は自らの権力を絶対的にするために豊臣家を創る必要があった。
425.名無しさん:2019年09月06日 22:29 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
※424
だから駄目、駄目の結果でしょ

まあ武家としてすべてを焼いて滅亡もまた武家の本懐

本能寺の変ですべてを受け入れた信長の最後と同じものを豊臣家もろともやったと言うだけ
426.名無しさん:2019年09月06日 22:31 ID:22av7JOT0▼このコメントに返信
※401
勘違いしちゃいけないが関ヶ原時点では家康も豊臣家の一員。

※402
>権も威も恣にできるという思い上がりを抱いたまま晩節を汚したのでしょうね
秀吉は思い上がったんじゃなくて事実。秀吉は信長・家康以上の専制君主。

※404
>「豊臣恩顧の伝々」といっても頼んでも、誰も味方しなかった
関ヶ原からどれだけ経ったと思っているの?徳川が既成事実を重ねてとっくに立場は逆転してるよ。
427.名無しさん:2019年09月06日 22:35 ID:22av7JOT0▼このコメントに返信
※425
色々言いたい事はあるが一つだけ、

>本能寺の変ですべてを受け入れた信長の最後
信長は別に全てを受け入れた訳じゃない。その時点で当主信忠は生きているし、信忠が余程の無能じゃなければ安土に帰還して光秀を始末していた。
428.名無しさん:2019年09月06日 22:38 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
※427
だから、信長は織田家もろともじゃないと言っているでしょ
429.名無しさん:2019年09月06日 22:46 ID:ORWbmWEO0▼このコメントに返信
※405
>秀吉が得られなかった武家と公家に対する納得と迎合は
そもそもここが違うんだよね。秀吉は納得と迎合を得ている。

>名家一色家に婿入りして一色秀吉として
>名門一色の姫を正室として名門の復権に邁進する
摂関家近衛家に猶子入りして近衛秀吉として関白を貰ったよね?

>改めて織田に臣従をしたのであれば
残念ながら織田は秀吉に服従した。

>愛妻家であったから嫁取りなど不要と言ったり側室には武家の姫を迎えていた
全て事実だしなぁ。秀吉自身が高みに上がりすぎたんだよ。

>婿殿への側室斡旋や養子縁組を若い頃から実現できていたら盤石な体制も築けたろうに
無理です。秀吉の一生を見れば分かるが秀吉にそんな下準備ができる猶予期間はなかった。

>近衛や鷹司でさえも無名の輩に平伏さねばならぬ事が世の必定となってしまうとは
そいつらは秀吉・家康に屈したよね。武力は時に権威を超える。
430.名無しさん:2019年09月06日 22:47 ID:ORWbmWEO0▼このコメントに返信
※428
それは失礼。しかし豊臣家の最期はそんな潔いものではなくグダグダし続けた結果な。
431.名無しさん:2019年09月06日 22:49 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
※430
まあ、せめて潔くよく、城、家、嫡子もろとも焼いて滅亡したことにしておきなよw
豊臣家の最後と名誉のためにさw
432.名無しさん:2019年09月06日 22:51 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
身中に虫を飼った専制君主。
その権威は名ばかり形ばかりで豊臣の名と共に使い捨てにされる虚仮威しの道具。
魚心あれば水心とも言うように、朝廷を敬い侮らず、しかし権を握らせない「お付き合い」をできた徳川に比べて
力で抑え込めば如何様にもできると思い上がりも甚だしく、その結末はご覧の通り。
誰も引き立ててくれなかったから自らを摂家に並ぶ関白とすると強請り筋と道理を違えた究極の異分子。
異端ゆえ畏れられ、異端ゆえ避けられ、異端ゆえ排除された。
秀吉は自分が強ければ他は着いてくると信じたが結果として間違いだったし、家康は周りを立てれば己が身も
浮かぶと信じていたから結果として勝ち残ったし家も続いた。
徳川は豊臣の全てを奪ったのではなく、豊臣が蔑ろにした全てを拾って救ったんだよ。
433.名無しさん:2019年09月06日 22:52 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
近衛秀吉による公家関白の権威だけで武家すべてを従えるのは難しい
434.名無しさん:2019年09月06日 22:59 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
権威を軽んじて武威に屈するものだと信じ込んでいる人に何を言っても無駄のようだね。
権威が権威たる為に守られてきた家名に比べて、それらを従えた豊臣という権威とやらの
惜しまれなさがその価値を現しているというのに。
武力はどこまで行っても武力であって、権威を超える威など持ちはしないのに。
435.名無しさん:2019年09月06日 23:03 ID:sG7d.NWH0▼このコメントに返信
※432
>朝廷を敬い侮らず、しかし権を握らせない「お付き合い」をできた徳川
いや、実はそんなに簡単だった訳じゃない。朝廷がブチ切れるギリギリのラインを攻めた結果の「お付き合い」。


>力で抑え込めば如何様にもできると思い上がりも甚だしく
事実、秀吉はいかようにも出来たからね。思い上がりじゃなくて事実。

>誰も引き立ててくれなかったから自らを摂家に並ぶ関白とすると強請り筋と道理を違えた究極の異分子。
近衛家他の摂家が引き立てたからこその関白秀吉。豊臣秀吉になった後も興福寺で藤原氏を代表する行事に参加したりと道理も分かっている。

>秀吉は自分が強ければ他は着いてくると信じたが結果として間違いだったし、
秀吉個人としては間違いじゃなかったよ。秀頼は違ったけど。

>家康は周りを立てれば己が身も浮かぶと信じていたから
家康は秀吉程ではないだけで徳川将軍ナンバーワンの独裁者。秀吉が周りを立てなかった様な言い方は解せないな。
436.名無しさん:2019年09月06日 23:03 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
433
公家一党による朝廷政治
百歩譲って近衛秀吉生存時はそれでも武家が従って朝廷政治が機能するだろうが
秀吉死後に公家内も武家内も何が起ころかわからない
近衛家の存亡、天皇・朝廷を巻き込むどんな事態が起きるかわからない
437.名無しさん:2019年09月06日 23:05 ID:sG7d.NWH0▼このコメントに返信
※433
だからこその豊臣秀吉。
438.名無しさん:2019年09月06日 23:06 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
※437
そう
朝廷としてもいつでも切り捨てできる、公家ではないただの武家関白
439.名無しさん:2019年09月06日 23:12 ID:.PV5dwS90▼このコメントに返信
※434
>権威を軽んじて武威に屈するものだと信じ込んでいる人に何を言っても無駄のようだね

分からないかな?権威が全てを凌駕するなら天皇を抱えていた平家が滅亡する事はなかったし、承久の乱で幕府が勝つ事はあり得なかった。
南北朝動乱なんて起きようがなかったし、応仁の乱も早々に集結しただろう。信長が義昭を追放する事もなかったし、秀吉が天下人になる事もなかった。

探せば「権威が武威に屈した例」は少なからずあるんだよ。

>武力はどこまで行っても武力であって
もし本当にそうなら戦国時代なんて起こり得なかったし、秀吉が天下人になるなんてあり得なかった。
440.名無しさん:2019年09月06日 23:12 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※435
秀吉は如何様にもできたろうけどギリギリのラインすら守れなかったからこそ
秀吉没後の豊臣家は凋落の一途を辿ったんだよ。
どれだけ威勢のいい推論を並べても、力で従えたそれらは後継秀頼を守り立て盛り立てる義理すら
持ち合わせちゃいなかったのだから、個人としての結果しか残せなかったんだよ。
平家筋でさえ落ち延びた先で家名を守るだけの信を集められたのに、絶大な権力を揮って施したにも
関わらず徳川の為政に飲み込まれる程度の信しか得られなかったのだから、秀吉は万能の天才でも
なんでもなく武家の棟梁としての家臣の扱い方は下手くそだったと言わざるを得ない。
秀吉は下の立場で目上を立てる事はできても、上の立場で目下を立てる事はできなかったんだよ。
441.名無しさん:2019年09月06日 23:21 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※439
乱と名の付くものの殆どは名分を掲げた仕置から始まるのだから、武を揮う側が
形だけとは言え権威を上位に据えているんだよ。
その最上位が錦の御旗と呼ばれるものくらいは知っているよね?
権威を神聖不可侵に置いて名分として利用するのが武家の習いであり御恩と奉公の
歴史であったのに、所詮権威とはこの程度のものかと軽んじた輩がやりたい放題
やってしまった結果が、豊臣家からの武家の離反に繋がっているのに。
武家社会を破壊したかったのだとしたら正解かも知れないが武家として君臨し続けたくて
やってしまった所に生まれ育ちの限界があったというだけ。
本当に権威をいうものを軽んじているね。
442.名無しさん:2019年09月06日 23:24 ID:.PV5dwS90▼このコメントに返信
※440
>秀吉は如何様にもできたろうけどギリギリのラインすら守れなかった
秀吉はラインを決める側の立場だったから守らせる方だよ。

>威勢のいい推論を並べても
一色秀吉が云々とかいう推論を立てている貴方に言われてもね。秀吉は一番大変で見返りの大きい道を選んだ、ただそれだけ。

>平家筋でさえ落ち延びた先で家名を守るだけの信を集められたのに
豊臣家と平家の最大の違いは一族の大小だね。秀頼以外に秀吉の血族がいればそうなった可能性は高いよ。

>秀吉は万能の天才でもなんでもなく武家の棟梁としての家臣の扱い方は下手くそだったと言わざるを得ない。
逆。秀吉は家臣の扱いは一級品だったから数多くの政策を実行できた。海外進出を実行できるのは国内を完全に掌握した証拠。

>秀吉は…上の立場で目下を立てる事はできなかったんだよ。
おいおい、何を言いだすんだ。秀吉は人たらしと呼ばれるくらい人の扱いはうまいぞ。目上でも目下でも関係ない。家康とも秀吉存命時は仲が良かったし。
443.名無しさん:2019年09月06日 23:30 ID:.PV5dwS90▼このコメントに返信
※441
>武を揮う側が形だけとは言え権威を上位に据えているんだよ。
それを結果論と言う。結局後から見た人々が辻褄合わせに勝者を正義にしただけだよ。その繰り返しが権威。
あと、錦の御旗だけど初めて使ったとされているのが後鳥羽院なのが皮肉だね。

>権威とはこの程度のものかと軽んじた輩がやりたい放題やってしまった結果
戦国時代はそれの繰り返しだよ。その結果が秀吉。

>武家として君臨し続けたくてやってしまった所に生まれ育ちの限界があったというだけ。
それは否定しない。

権威を軽んじたというよりこの時代の権威は軽かった。それを重くしたのが信長・秀吉・家康。
444.名無しさん:2019年09月06日 23:33 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※442
一色家に関しては「こうであったはずだ」などと僭越な決めつけではなく歴史のIFとして出しただけなのだが?
そして何度も言うように、個人としての才覚は抜群でも初代没後の豊臣家が凋落の一途を辿った事実からして
掌握された家臣も秀吉個人への義理までが限界で秀吉が居ない豊臣家に仕える義理はないと見捨てられたの
だから、秀吉は豊臣家には何も残せなかったのだという事。
445.名無しさん:2019年09月06日 23:36 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※443
「戦国時代はそれの繰り返しだよ。その結果が秀吉」
必然のように語ってくれているけれど、秀吉とはイレギュラーではなかったのか?
446.名無しさん:2019年09月06日 23:38 ID:XwPVbWoy0▼このコメントに返信
※444
>僭越な決めつけ
秀吉に関しては大体事実を述べたはずだが。秀吉は近衛秀吉になっているから、貴方のイフは少し違うが実行済み。

>秀吉が居ない豊臣家に仕える義理はない
徳川の武威が豊臣の権威・義理を超えただけ。

>秀吉は豊臣家には何も残せなかったのだという事。
たっぷり残していったよ。ただ徳川が横から吸い尽くしただけ。
447.名無しさん:2019年09月06日 23:40 ID:Z.aTmxxa0▼このコメントに返信
※445
秀吉の支配手段はイレギュラーだが、やっている事は当時ポピュラーな下剋上と武断政治。

その時代にはその時代の常識がある。秀吉もその一つだっただけ。
448.名無しさん:2019年09月06日 23:43 ID:VJuVMtMQ0▼このコメントに返信
豊臣も日本の歴史の土台の上に成り立ち、そして自らもその土台の一部となって消え、その土台を踏み台に徳川体制ができ、徳川時代の土台と踏み台にして近代日本が存在する
449.名無しさん:2019年09月06日 23:44 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
歴史を結果論以外で語るのであれば、何を以て話せというのか。
「〜のような意図があったと読み取れるが結果として間違っていたようだ」という類推の積み重ねで
成り立つものだと思うのだが。
秀吉を神聖不可侵の稀代の天才にしたいのであれば、そういった創作活動をすればいいのであって、
結果論で導き出された後世での評価を稀代の天才にケチを付けるのは許さんと言わんばかりに
抜き出して評うのは勘弁して欲しいところなのだが。
秀吉が傑物でイレギュラーだとする所までは一致するが、そのイレギュラーには武家の習いを軽んじ
権威を軽んじ全てを得たと錯覚し我が世の春を謳歌したが、没後に惜しむ家臣は少なく武家は武家に、
公家は公家に立ち戻っていく「太閤秀吉の熱量に浮かされた時代があった」というイレギュラーでしか
なかったと言わざるを得ない。
戦国時代の膿を出し切り、最後は自分自身が膿になってしまった稀有で尊大で偉大な存在。
450.名無しさん:2019年09月06日 23:44 ID:Z.aTmxxa0▼このコメントに返信
※448
おっしゃる通り。豊臣は織田の土台から体制をつくり、徳川は豊臣の土台から太平の世をつくった。
451.名無しさん:2019年09月06日 23:54 ID:BWymq4810▼このコメントに返信
※446
「たっぷり残していったよ。ただ徳川が横から吸い尽くしただけ。」
この部分の見解が違う。
秀吉が軽んじた武家の大切にしたものを家康は理解して汲み取って徳川の治世への協力を仰いだ。
秀吉が捨てたものを拾った上で、雌雄を決して豊臣に残した将軍位や財貨を簒奪した。
恩を売るだけではなく喧嘩も売っていたからこそ、近侍たる五奉行すら豊臣を守り立てるには至らなかったのだから。
452.名無しさん:2019年09月06日 23:55 ID:Z.aTmxxa0▼このコメントに返信
※449
>戦国時代の膿を出し切り、最後は自分自身が膿になってしまった稀有で尊大で偉大な存在。
上手い事言うね。これはこちらも同意だよ。

>秀吉を神聖不可侵の稀代の天才にしたいのであれば
神聖不可侵は言い過ぎだが稀代の天才だったのは間違いない。貴方の言い方ならいく「天才秀吉の熱量に皆が浮かされていた」んだよ。

>結果論で導き出された…勘弁して欲しいところなのだが。
豊臣家が滅びたのは事実だがそれまでには紆余曲折があった訳。家康は秀頼が天下人になる可能性を否定できなかったし、朝廷でも秀頼が関白になる事に抵抗はなかった。これも事実な。

結果論だけで考えるなと言っているの。関ヶ原で豊臣家が失墜したなら以降10年徳川が扱いに困りはしないんだよ。

>武家の習いを軽んじ権威を軽んじ全てを得たと錯覚し我が世の春を謳歌した
時代そのものが色々と軽んじていたからね。それを再び重視できる世の中にしたのが三英傑。
453.名無しさん:2019年09月07日 00:04 ID:pMaOxdUG0▼このコメントに返信
※451
>秀吉が軽んじた武家の大切にしたものを家康は理解して汲み取って徳川の治世への協力を仰いだ。

違う。秀吉が軽んじたんじゃくて元々この時代は色々軽かったんだよ。それを秀吉が重くして家康が引き継いだ。

>秀吉が捨てたものを拾った上で…将軍位や財貨を簒奪した。
秀吉が捨てたんじゃなくて時代的に不要だった物を復活させたのが家康。
秀吉は乱世の覇者で家康は太平の創造者だから役割が全く違う。

あと将軍は朝廷から任ぜられたもので簒奪ではない。

>近侍たる五奉行すら豊臣を守り立てるには至らなかったのだから。
関ヶ原以前は家康も守り立てられる側の人間だというのを忘れている。
454.名無しさん:2019年09月07日 00:12 ID:oHr4dQo80▼このコメントに返信
朝廷内では権威はあったが、武家に対して使える権威としては大して意味もない関白・太政大臣に箔付けし利用したのは秀吉
足利幕府の征夷大将軍職が地に落ちていたものを拾い、再度箔付けして豊臣に対抗したのが徳川
455.名無しさん:2019年09月07日 00:12 ID:eEsyo18y0▼このコメントに返信
※452
初代個人としては非凡、豊臣家当主としては及第、没後に残された家は凡愚
それが豊臣。
結果論として真似や後追いはされなかったし権威としても重宝されなかったという存在。
徳川は戦上手でもなく立身出世の立ち回りが上手かったわけじゃない。
次に繋がる負け方ができて、ここ一番の大勝負には勝てたというだけの話。
このチャンスを与えたのは他ならぬ初代豊臣の「武家の面子を軽んじる失策」で
近畿から遥か遠くの関東で下地作りをする機会を与えてしまった事。
武家も公家も横に並ばせはしなかったし説明や納得など求めないとばかりに
合理的に臣下を動かしたツケが没後に回ってきただけ。
己の名の権威を求める余りに旧来の権威を蔑ろにしたから武家だけではなく
公家からも利用する価値なしと見捨てられたのが「豊臣の権威」の正体。
456.名無しさん:2019年09月07日 00:16 ID:eEsyo18y0▼このコメントに返信
※453
「関ヶ原以前は家康も守り立てられる側の人間だというのを忘れている」
これが傲慢。
豊臣家あっての家臣団ではなく、家臣団あっての主家豊臣。
山出しのあらくれ集団を率いていた頃の感覚で武家の棟梁になったから
武家が重んじていた大切なものを蔑ろにしてしまったというのに。
457.名無しさん:2019年09月07日 00:25 ID:oHr4dQo80▼このコメントに返信
※456
>豊臣家あっての家臣団ではなく、家臣団あっての主家豊臣。
特に武家としての豊臣家はそうだわなあ
元は信長麾下の同僚や他の有力諸侯同士から秀吉を筆頭に臣下の礼をとってもいいよで守り立ててもらったんだからね
まあそれがやれるだけの実力が秀吉個人にあったのは確かだが
458.名無しさん:2019年09月07日 00:27 ID:qC8u.bww0▼このコメントに返信
※454
そうそう。

※455
>初代個人としては非凡、豊臣家当主としては及第、没後に残された家は凡愚、それが豊臣。
当主としても非凡だったが、没後は凡愚だったかもね。

>徳川…立身出世の立ち回りが上手かったわけじゃない。
いや、徳川は立ち回りが上手かったよ。長篠の戦いでも援軍を渋る信長に「武田につくけどいいの?」と焚き付けて、援軍を得る事に成功しているし、秀吉とのやり取りは有名だよね。

>近畿から遥か遠くの関東で下地作りをする機会を与えてしまった事。
秀吉は何も考えていなかった訳じゃないぞ。わざわざ制圧したばかりのど田舎を家康に渡し、且つ家康を中々両国に帰さなかった。

当時の関東は鎌倉府が焼けた後で政治的な価値は無に等しい。北条は大身だったが田舎者故に秀吉や中央の武将たちに舐められていた。

>武家だけではなく公家からも利用する価値なしと見捨てられた
何度も言うが、豊臣の権威は大名にとって利用価値があったし公家社会ではぶられていた訳でもなかった。

大体家臣が味方しなかったとか言うけど、貴方の言うそれは江戸に入って朱子学が入った後の常識であって、元来武家社会はビジネスライク。
459.名無しさん:2019年09月07日 00:34 ID:qC8u.bww0▼このコメントに返信
※458
両国→領国

※456
>山出しのあらくれ集団を率いていた頃の感覚で武家の棟梁になったから
当時の武家の主従関係は江戸時代ほど洗練されていないよ。

>武家が重んじていた大切なものを蔑ろにしてしまった
それはそもそも秀吉支配下では必要なかったんだよ。秀吉は拡大路線で家康は現状維持。ならば両者の重んじるものが変わるのは必然。

>豊臣家あっての家臣団ではなく、家臣団あっての主家豊臣。
前者は秀吉で、後者は秀頼。
※457の方が言っているが、「それがやれるだけの実力が秀吉個人にあった」。
460.名無しさん:2019年09月07日 00:40 ID:oHr4dQo80▼このコメントに返信
武家は源平一門、朝廷は藤原一門絶対常識を覆したのは、新興勢力たる織田、豊臣、徳川なのは確か
幕末、明治は武家も転覆させられ意味ないものにされた
新たに西洋式華族(貴族)やら爵位導入したものの、戦後は民衆勢力で、旧武家、華族、公家なんて政治を司さどる国会や政府には特に重要ではない
権威の存在はある、皇族も天皇もいる、でも政治にも日本の政治権力には直接は関係ない
今でも朝廷内官位はあるが宮内庁ならいざしらず、一般人にはただの名誉職と栄誉称号
461.名無しさん:2019年09月07日 00:40 ID:eEsyo18y0▼このコメントに返信
※458
生前の秀吉は家康と仲が良かったと言ったりド田舎への改易を申し渡したりと忙しいね。
結果論だけで語るなとは言うけれど、どれだけ創造性に富んで理想的な過程を経ていても
結果的に豊臣家は没落したし豊臣の関白位で武家に言う事を聞かせようとすれされなかった訳で、
初代秀吉にしか扱えなかった、すぐ後の世代であっても無用の長物に成り下がっているんだから
「着眼点は良かったけどダメでしたね」と言うしかないじゃないですか。
稀代の天才だと幻想を抱かれているのは十分にわかりましたが、決して万能でもなく、何があろうと若殿を
お守りせよと代々引っ括めて慕われていた訳でもないのだから、豊臣家当主としては大目に見て及第。
個人の力と権威は絶大であっても武家の棟梁として家にそれらを備えるには至らなかったという結果論。
別にその時代だけではなくて、現代だって「家」ってのを重視してる所はそんなもんだよ?
古いとか新しいとかの言葉で切って捨てるのは簡単だけど、その家、人が大切にしているその価値観を
軽んじるような事をしたのが秀吉で、それを拾って理解を示したのが家康。
462.名無しさん:2019年09月07日 00:44 ID:oHr4dQo80▼このコメントに返信
ただね、秀吉が天下を取れたのも実力以外に、時節、地理的優位、運という要素もあった
特に京で起きた本能寺の変と明智討伐という点でね
463.名無しさん:2019年09月07日 00:49 ID:eEsyo18y0▼このコメントに返信
※459
秀吉が作りたい時代に必要ないと捨てたから人も去った。
それを家康が拾って、去った人達と「こちらのほうがしっくり来る」という徳川の治世に繋がった。
何度も言っているように、個人の全てを家に残せなかったから当主としては大目に見て及第点までなんだよ。
個人の威光はその寿命で尽きて、秀吉が描いた理想は誰も引き継がず不要とされて、
徳川が新しい時代を作る賛同者を得て、豊臣家に残された将軍位と財貨を簒奪するべく蜂起して
豊臣の全ては灰燼に帰したんだよ。
464.名無しさん:2019年09月07日 00:50 ID:qC8u.bww0▼このコメントに返信
※461
>生前の秀吉は家康と仲が良かったと言ったりド田舎への改易を申し渡したりと忙しいね。

政治的な価値が皆無でも源頼朝ファンの家康からすれば嬉しかった事だろうよ。ただし小田原を使わせてもらえなかったけどね。

あと改易じゃなくて転封ね。佐々成政もそうだけど秀吉は当初家康が統治に失敗するのを期待していた。しかしそつなくこなした点を気に入りどんどん出世させた。ど田舎に飛ばした事と仲が良かった事は矛盾しない。

>創造性に富んで理想的な過程を経ていても
秀頼に天下人の資格があると考えられていた事や関白に任官する可能性があったのは当時の大名や公家が記述している事実。

貴方って武家社会について江戸以降の常識を押し付けすぎだよ。
当時の武家は個と個、家と家になるのは秀吉より後。
465.名無しさん:2019年09月07日 00:52 ID:oHr4dQo80▼このコメントに返信
秀吉も、全盛期でありながら実力と権威をもってしても徳川を潰せなかった
豊臣家も屈するべきところは屈っし、取るべき手立てをとってたなら、権力の座からは引きずり落とされたとしても、滅亡まではさせられなかった
ただ滅亡をさせないための周囲の努力も提案も拒絶したがゆえに潰すのは致し方無しになった
466.名無しさん:2019年09月07日 00:57 ID:eEsyo18y0▼このコメントに返信
秀吉は豊臣なれど豊臣は秀吉にあらず。
そこに線引しているから、どれだけ理想的な殿についての御高説を伺っても
豊臣の家名には権威なぞ汲み取れない。
その秀吉でさえも、何もかもを手中に収めようとしてかき集めた末に、無用と
投げ捨てたものが仇となって没後の豊臣家失墜の引き金を引いたのだし。

そもそも、江戸時代になったら自動的に主従関係が洗練されたのではなく徳川の
治世に洗練された主従関係の構築というものも含まれていただけ。
それは織田と豊臣は必要だったけど実現できなかったのか、そもそも無用だと
切り捨ててしまったもののどちらかなんだろうね。
467.名無しさん:2019年09月07日 01:02 ID:eEsyo18y0▼このコメントに返信
※464
「当時の武家は個と個、家と家になるのは秀吉より後」
家名に誇りを持って旗印を掲げて御家の為に将軍の為に、ひいては日の本、帝の為にと
奔走していた鎌倉武士からの価値観を勝手に塗り替えないでほしいな。
個であれど才覚があれば立身できると体現した秀吉が大好きであるのはもうわかったから、
彼を基準に常識を作らないでくれないか?
468.名無しさん:2019年09月07日 01:06 ID:oHr4dQo80▼このコメントに返信
家康とて御家のために人質にも行き、同盟で呼びつけられれば直参して戦い、関東への移封にも応じ、身の危険承知で大阪まで行って秀吉に頭を垂れ、嫁取りも承諾して受け入れた
469.名無しさん:2019年09月07日 01:16 ID:oHr4dQo80▼このコメントに返信
秀吉没後の豊臣家が最後まで捨てられず諦めきれなかったのが権力の座
だからより強い権力によって滅ぼされた
470.名無しさん:2019年09月07日 01:30 ID:oHr4dQo80▼このコメントに返信
武家として権力の座になくても落ちぶれても摂関家は摂関家だし、関白は関白よ?
秀吉の血筋にこだわらなければ豊臣家を残すことも可能
血縁にこだわらねければね
秀頼の命も他の何を捨てても全てに優先すると言うなら生き延びる手段はないわけではない
471.名無しさん:2019年09月07日 01:36 ID:eEsyo18y0▼このコメントに返信
秀吉が抱いていたであろう「お武家様コンプレックス」を克服できずに
近衛の名義貸しでも満足できずに豊臣宗家として武と威を以て万人に認めさせんと
したから「一族」というものすら満足に持ち得なかったんだろうね。
それを克服できたとしたらの「一色の秀吉」から、まさかここまで拗らせられるなんて。
472.名無しさん:2019年09月07日 04:12 ID:t.K947Kc0▼このコメントに返信
※467
日本のために奔走していた武士がたくさんいたら
鎌倉幕府はつぶれなくね?
473.名無しさん:2019年09月07日 04:48 ID:vHNg7PoV0▼このコメントに返信
※206
北イタリアの多くは、政治家名家や金融や商家の富豪が後に貴族化していっただけよ
ほとんど共和制市民都市国家だから
474.名無しさん:2019年09月07日 04:50 ID:vHNg7PoV0▼このコメントに返信
473
ごめん、誤爆した
475.名無しさん:2019年09月07日 06:55 ID:eEsyo18y0▼このコメントに返信
※472
求心力を失った武家の棟梁の寿命が尽きただけ。
国体としては君主として帝を頂点に頂く体制だから、鎌倉幕府の滅亡は
現代でいう所の内閣総辞職+衆院総解散あたりの規模に相当するのではないかと。
476.名無しさん:2019年09月07日 07:22 ID:oHr4dQo80▼このコメントに返信
※472
北条一族による私利私欲独裁汚職政府になり果てていたから
将軍は皇族将軍でお飾り
かつて執権として将軍補佐が権力握って政治を司ったが、得宗家執権もお飾りになり
執権得宗家の執事の内管領が権力駆使していたような腐敗した状態だった

ただこのあたりの時代は、天皇家と朝廷の黒歴史でもあるからなあ・・・
公武共に互いに深入りしすぎてた
477.名無しさん:2019年09月07日 07:38 ID:oHr4dQo80▼このコメントに返信
秀吉は、大阪城内にもう一つの内裏を作ったんだよ
関白・太政大臣として秀吉は大阪城でで内裏政治を行い、帝の権威を利用した
自分に逆らうということはすなわち帝に対する・・・をあからさまにやった
各自武士たちはそれぞれ官位を持っていたわけだし

一時的な戦乱の世を終わらせ安定させる手段としては、そういう時期も必要ではあると思う(その後も数回ある)
ただそれは長くは続けられない
建武新政の失敗がそのいい例
公家には朝廷という政府が、武家には幕府という政府が、民衆には国民内閣という政府がそれぞれ独立して必要
特別な場合を除き
478.名無しさん:2019年09月07日 11:16 ID:uoZj2nri0▼このコメントに返信
叩き上げの粗野な身分が貴族ごっこをしても貴族にはなれないんだよねw

あからさまに役立たず扱いしたところで、その貴族が持ってる冠位やらが羨ましいから取り潰してしまわずに取り込もうとしたり冠位をもらってキャッキャしたりはしゃいでいる内に、その口八丁手八丁の世界を生き抜いてきた生粋の貴族にいいようにあしらわれて結局は何もかもを奪われたりしちゃうしw

そもそもアレだw
力尽くでお山の大将になっても後ろ盾がないと別の大将にやられてしまわないかと不安だからって力もないくせにと見下した貴族のバックアップに頼るんだから、天才だとか体制を変えるなんて大口を叩いても程度は知れてるんじゃない?
479.名無しさん:2019年09月07日 15:22 ID:DALrPs1j0▼このコメントに返信
遅くなってごめんね。

まず一色家云々の結論を言うとやはりない。何故なら足利氏の分家だから。どうあがいても義昭より上になれない。足利義昭の養子になろうとしたというガセネタの方がまだ現実的。

※431
おいおい、こちらは豊臣家信者じゃないから事実は話すよ。豊臣家の最期は見苦しい事この上なかった。


※463
>秀吉が作りたい時代に必要ないと捨てたから人も去った。
違う。家康が復活させ、それを押し付けたんだよ。豊臣家を滅ぼした圧倒的な武威によってね。

>去った人達と「こちらのほうがしっくり来る」という徳川の治世に繋がった。
諸大名の領土欲は秀吉死後も未だ強く関ヶ原もその流れで起きている。それを完全に封殺したのが家康。しっくり来る(物理的に)ね。

>秀吉が描いた理想は誰も引き継がず不要とされて
何故か秀吉を否定したいらしいが、家康は豊臣政権の政策・システム・秩序を粗方継承して、それを若干軌道修正しただけ。

>将軍位と財貨を簒奪するべく蜂起して
豊臣家は将軍職を持ってないって。財貨に関しては否定しない。
480.名無しさん:2019年09月07日 15:32 ID:DALrPs1j0▼このコメントに返信
※467
「当時の」が読めなかったのかい?いつから戦国時代は鎌倉時代になった?

>家名に誇りを持って旗印を掲げて御家の為に将軍の為に、ひいては日の本、帝の為にと奔走していた鎌倉武士からの価値観

勝手に価値観を創りなさるな。鎌倉武士は「恩賞を与えてくれる主君」「家の誇り」のために働くんだよ。日の本・帝なんて二の次。承久の乱は鎌倉武士の信条が分かるモデルケースだよ。

>個であれど才覚があれば立身できると体現した秀吉が大好き

確かに好きだが、基準にしている訳じゃない。何回もイレギュラーと書いているし。

貴方こそ戦国時代にまだ安定していた時代の常識を押し付けすぎ。
この時代は何もかもが軽い時代だった。権威も軽い。平時であれば秀吉がいくら金を積んでも・武力で脅しても関白にはなれなかった。
481.名無しさん:2019年09月07日 15:43 ID:DALrPs1j0▼このコメントに返信
※468※469
家康は一般的に知られているほど信長に好き勝手させられていた訳じゃないし、清洲同盟は結果的に終生続いただけ。

>身の危険承知で大阪まで行って秀吉に頭を垂れ、嫁取りも承諾して受け入れた

時系列が違う。「嫁取り」を「承諾して受け入れた」後に、秀吉の母を受け取って身の安全を確保してから「大坂まで行って秀吉に頭を垂れ」た。

家康は信長・秀吉が相手であっても非常にしたたかだった。家康をただの小物扱いするのは不愉快だな。

>豊臣家が最後まで捨てられず諦めきれなかったのが権力の座
淀殿の書状などを見れば分かるけど、豊臣家が捨てられなかったのは豊臣家の権威と特殊性。
豊臣家はその特殊性が認められるなら徳川に下るつもりだった(というより豊臣家でも徳川の方が上という認識はあった)。
482.名無しさん:2019年09月07日 15:52 ID:DALrPs1j0▼このコメントに返信
※470
>秀吉の血筋にこだわらなければ豊臣家を残すことも可能

それこそ平時の武家の思考。第一戦国時代のきっかけになった応仁の乱を思い出せば分かる。
将軍家クラスの名門でも我が子が可愛いんだよ。
反論があるかもしれないから言うけど、養子が嫌で実子に変えたケースは義政の同時代でも複数あった。豊臣家・毛利家でもあった。

実子を優先する傾向は当時全く珍しくないどころか、むしろ当時のスタンダードと言ってもいい。

貴方の言うそれは平時、特に江戸以降の「血統より家」を優先する価値観の影響を受け過ぎている。
483.名無しさん:2019年09月07日 15:59 ID:DALrPs1j0▼このコメントに返信
※471
>「一族」というものすら満足に持ち得なかったんだろうね。

豊臣家の特殊性の一つは秀吉が豊臣姓をばら撒いた事。有力大名は皆豊臣家の一員だった。一族がいないからこその奇策だね。そいつらを氏長者秀吉が支配する。

「一色秀吉」があり得ないのは一色が足利の分家に過ぎず、氏長者になるには家名が低すぎる事もある。一色秀吉が天下人になるなら足利本家を始末し、一色を足利本家にするしかない。
484.名無しさん:2019年09月07日 16:11 ID:DALrPs1j0▼このコメントに返信
※471
さらに言うと、家康が新田を選んだのも非足利の源氏だったから。

※476
>北条一族による私利私欲独裁汚職政府になり果てていたから
北条一族が腐敗したのが間違いだったのであって政治思考は足利家も認めていた。初期室町幕府は得宗専制体制の再現を図っていた。

※477
>秀吉は、大阪城内にもう一つの内裏を作ったんだよ
内裏は信長もつくっていたよ。秀吉は家康戦以降方針を変えて融和路線となったから、自ら京へ行く事にした。

>建武新政の失敗がそのいい例
建武新政失敗の最大の原因は政治のアップグレード失敗と後醍醐天皇という無能なんだけどね。
後醍醐帝は醍醐・村上時代を理想としたが、周りが全くついてこれなかった。
485.名無しさん:2019年09月07日 16:23 ID:DALrPs1j0▼このコメントに返信
※478
草を生やす人は真面目に返してないと思うからね。

>貴族ごっこをしても貴族にはなれないんだよねw

ガチの貴族である豊臣に何言ってるの?
豊臣家の悲劇は武家であり公家である事が裏目に出た事。この時代の武家の論理なら弱い武家は落ちていくのみ。

>力尽くでお山の大将になっても後ろ盾がないと別の大将にやられてしまわないかと不安だから

家康も例外じゃないよ。徳川も家綱・綱吉までは戦々恐々。

>あからさまに役立たず扱いしたところで
秀吉がいつ役立たず扱いしたよ?むしろ頼ったじゃないか。

>見下した貴族のバックアップに頼るんだから、天才だとか体制を変えるなんて大口を叩いても程度は知れてるんじゃない?

何度も言うが豊臣家は貴族の一員。見下すも何もその一員。
秀吉は自分という例外を秩序そのものにしたのであって体制を変えた訳じゃない。「秀吉=体制」だったんだよ。
486.名無しさん:2019年09月07日 16:24 ID:DALrPs1j0▼このコメントに返信
※462
秀吉を語るのにそれを知らない人がいる訳ないと思うけどね。
487.名無しさん:2019年09月07日 16:34 ID:uoZj2nri0▼このコメントに返信
没落貴族の末裔さんチッスチッスw
超時空太閤ヒデヨシに負けない大物になれよw
俺はお前の情熱を見込んで応援してやるから負けんなよwww
488.名無しさん:2019年09月07日 16:39 ID:DALrPs1j0▼このコメントに返信
話が逸れるけど徳川家康について。
徳川家康は主君を何回も変えているけど、家康側にも理屈はある。

・今川の場合は仇討ちに動かない主君氏真に見切りをつけて離反した。
・信長の場合は当人が死んだ事で同盟が消滅(当時の主従・同盟関係は個と個)。直ちに甲斐・信濃へ侵攻した。
・秀吉の場合も同じ。というか「秀吉には」最後まで仕えている。家康が秀頼から離脱したのも下剋上の習わしに従っただけで別におかしくはない。

家康は秀吉存命時から下剋上を考えていたのではない。あくまでスタートラインは秀吉の死後。
秀吉のスタートラインが信長・信忠の死後だったのと同じ。
489.名無しさん:2019年09月07日 16:41 ID:DALrPs1j0▼このコメントに返信
※487
「没落貴族」が豊臣家の事なら、秀吉の末裔なんていないよ。

超時空太閤ヒデヨシ?秀吉は神になったが時を超えた訳じゃないね。
490.名無しさん:2019年09月07日 22:18 ID:eEsyo18y0▼このコメントに返信
※480
軽い軽いと軽んじながらも三法師を擁して織田家の禅譲を得て貴族という枠組みの最高位に割り込んで
古めかしいものの歪なパッチワークを作り上げたのが秀吉の偉業の正体ではないのか?
ハイブリッドと言い換える程の大した偉業でもなし、かつ後の世代では公武分離で徹底した統治の慰撫で
戦乱の世は終わったと知らしめて、教育と殖産に勤めたのが次善であったと評価されるべきだと思うのだが。
何度も言うように貴族・貴種というものはそんな軽いものではないからこそ絶やさず連綿と受け継がれている
ものであり、絶大な権力を得たから資格ありと迫って寄進と引き換えに与えられた肩書程度では
武家に叙して喜ばせておけば良い程度の冠位となんら変わらない程度の代物なんだよ。
太閤御自慢の黄金の茶室はお披露目された後、貴種・貴族を招いて亭主として饗した事はあったのか?
聚楽第は貴種・貴族の庭に造成されたが、後陽成天皇を饗した後に貴種・貴族を序列に応じて招いて
尊重するような礼儀を払ったのか?
代を重ねてスタートラインに立つ資格を得るような名誉のみに立脚している家々をぞんざいに扱い、
最高位たる朝廷のみ相対するに値するという態度であるから「権威も恣にできた」なぞと思い上がったのだな、と。
言うなれば、老舗旅館を買収し内装を全取っ換えして「最新設備で快適な老舗旅館のオーナーでござい」と
旅館組合に我が物顔で乗り込んだ成金オヤジを見るようなイメージなのだが。
491.名無しさん:2019年09月07日 22:18 ID:eEsyo18y0▼このコメントに返信
氏素性の知れぬ山出しの成り上がりものに誰が従うかと公然と豊臣の太平を認めない名族揃いの奥州勢に
朝廷の威を借り惣無事令を出すなどの善政も当然あるが、貴族としての振る舞いも継承もなしに菊亭や近衛の
家名に泥を塗りつけるが如く使い捨てを繰り返し、関白が下々に使う気なぞ無いとの振る舞い。
豊臣の家名についた箔は自分自身の力で奪い取ったものだけで、その傍若無人極まる太閤殿下は終ぞ貴種と
交わることすら許されず、ギリギリでスタートラインに立つ資格を有した秀頼であるならば豊臣家を貴族に
組み入れる世話を焼いてもらえた程度には「豊臣家の力」はあったにしても、養子すら秀吉没後にようやく
であった事から豊臣秀吉は貴族としても認められず肩書だけの男であったと看做されたとしか言えないだろう。
作った秩序に自分を嵌め込んで君臨したつもりであっても、その秩序は名ばかり形ばかりで貴族の秩序は別に
存続し続けて上辺の追随程度であしらわれていた、それこそ「軽い」神輿でしかなかったのであろう。
貴種を入れられず空位の関白は後世の公武合体でようやく再利用され、それまで塩漬けにされても誰も
その座を誰も狙いはしなかった関白は、やはり張りぼてであったと言わざるを得ない。
所詮、秀吉個人の恐ろしさ故通用した地位であって、独りよがりな独善であったに過ぎない。
朕は国家なりと言わんばかりの「秀吉=体制」論であるが「豊臣家=体制」にできていなかった時点で
家を持ち、家を従える器ではなかった「個の人」止まりの傑物。
492.名無しさん:2019年09月07日 22:20 ID:eEsyo18y0▼このコメントに返信
そして、一色の例えはもちろん「当時の価値観に受け入れられやすいキャリアアップの手段」に過ぎず、
いきなり最高位を力尽くでもぎ取るよりかは一色の名を背負って織田に仕えて(史実通り)足利を廃し
源氏長者の席に名を連ねる資格はあると「周囲の納得」を得らんとする下地作りに利用できたのでは?
という戯言程度であるのに、そこまで噛みつかれても正直困る。
あなたが馬鹿にした旧弊の価値観の「納得」を産む下地作りさえできていれば、強引なやり方で反感を
買いつつ力でねじ伏せるという駆け足人生を歩むこともなかったろうにと思っただけなのだから。
493.名無しさん:2019年09月07日 23:23 ID:RxnILKLX0▼このコメントに返信
※490
>古めかしいものの歪なパッチワークを作り…
まあ確かにね。徳川に比べたら中途半端なのは否定しない。しかし、

①秀吉が足利将軍家を終焉させた事で新しい将軍家の誕生する余地が生まれた。
②家康が豊臣政権のNo.4でなければ徳川幕府の誕生はあり得なかった。

>ハイブリッドと言い換える程の…
関白任官と日本全土の統一は過去の天下人でも成し遂げられなかった偉業だよ。

>戦乱の世は終わったと知らしめて、教育と殖産に勤めたのが次善であった…
何か勘違いしているが秀吉の戦いは生涯終わっていないぞ。秀吉が戦を全くしなかった期間は1年あるかないか。

>貴族・貴種というものは…連綿と受け継がれている
そしてそれが日本史上かつてないほど軽かったのが戦国時代。下剋上が流行る世の中だけど?

>絶大な権力を得たから…代物なんだよ。
資格ありと認めたのは朝廷と五摂家と大名たちだよ。だから秀吉が天下人となる事が許された。いくら強くても秀吉一人で全てが動かせた訳じゃない。
494.名無しさん:2019年09月07日 23:24 ID:RxnILKLX0▼このコメントに返信
※490
>後陽成天皇を饗した後に…礼儀を払ったのか?
>代を重ねてスタートラインに立つ…
礼儀?秀吉は秩序を決める立場だぞ?序列を決めるのも尊重云々も全て秀吉の判断次第。
五摂家もそのつもりで関白にしたはず。それとも五摂家は礼儀より金を選んだ愚か者と言いたいの?

>「権威も恣にできた」なぞと思い上がった
どうしても認めないみたいだけど、秀吉は「権威も恣にできた」んだよ。

>旅館組合に我が物顔で乗り込んだ成金オヤジ
成金オヤジとの一番の違いは時の権威たちが皆秀吉を認めて専制君主にしたという事だね。
495.名無しさん:2019年09月07日 23:41 ID:eEsyo18y0▼このコメントに返信
※494
「それとも五摂家は礼儀より金を選んだ愚か者と言いたいの?」
そうだよ。
だから「金で買った権威」と表現している。
義理も道理もすっ飛ばす力を得て、金で転ばせて得た権威だから秀吉本人の脅威が
失われた途端に失脚したんじゃないか。
敬われ求められ戴かれた権威ではなく、武威を以て金で誠意を示して横車を押しに押して
強奪した秀吉は「権威も恣にできた」のではなく「恣に権威を弄んだ」と言い換えてもいい。
だから金をせしめて秀吉の脅威が去った豊臣家の関白が空位になっても、そこに価値なぞ
見出されることなく「徳川の世、それはそれで」と無かったことにされた。
決して貴種・貴族が聖人君子の集団ではなかったけれど、かと言ってそれらが守ってきた
信条を踏み躙る真似をしても請われ慕われる程のカリスマは秀吉にはなかったんだよ。
おっかない成金オヤジが死んでしまえば2代目・3代目なんて怖くないと軽んじられるくらいの
家しか残せなかった成金オヤジは認められたと言えるのだろうか?
あなたが嫌いな結果論で言うが、惜しまれなかった「それ」は認められてはいない証拠であると断言する。
496.名無しさん:2019年09月07日 23:42 ID:RxnILKLX0▼このコメントに返信
※491
>公然と豊臣の太平を認めない名族揃いの奥州勢に
中央からすれば皆田舎武者でしかないけどね。伊達政宗とかも秀吉生前はただの田舎者。

>菊亭や近衛の家名に泥を塗りつけるが如く使い捨てを繰り返し
忘れてはいけないのは菊亭や近衛が先に秀吉に擦り寄った事。公家連中が先に秀吉を頼った事実を忘れなさんな。

>貴種と交わることすら許されず
織田がそれだし秀吉より上の貴種はいない。
秀頼は徳川という清華家を配偶者にするほど順調な滑り出し。まあ滑り出しだけだが。

>養子すら秀吉没後にようやくであった
誰?小早川秀秋なら生前から養子になっているぞ。

>豊臣秀吉は貴族としても認められず
残念ながら現皇室には豊臣の血が入っている。認められなかった訳じゃないみたいだね。

>「軽い」神輿
そもそも「軽い」神輿だった朝廷を重くしたのが信長・秀吉だから。
497.名無しさん:2019年09月07日 23:44 ID:RxnILKLX0▼このコメントに返信
※491
>誰も狙いはしなかった関白は
ん?秀吉が関白になれたのは五摂家が関白を奪い合っていたからだし、秀吉存命時は秀吉が任免権を持っていたから狙うなんて不可能だぞ。

>「豊臣家=体制」にできていなかった
その体制を内側から破壊したのが家康。

用事があるので続きはまた後で。
498.名無しさん:2019年09月07日 23:51 ID:eEsyo18y0▼このコメントに返信
※494
この物言いはどちらにも失礼なのは承知で例えるが、あなたの描く秀吉の有り様は
「全盛期だった頃のホリエモン」と同じものを感じる。
時代の寵児とまで評された彼も金の切れ目は縁の切れ目とばかりに金に群がった
有象無象が去って、口々に悪し様に言われるまでの扱いをされてしまった。
何者も尊敬に値しないとのぼせ上がったのである人物が、尊敬を集められると
本気で思っているなら裸の王様と言う他はない。
上り詰めた先は頭を垂れるべきではないという帝王学や美学をお持ちなのかもしれないが、
であれば豊臣家の家訓として金と力であらゆるものを捻じ伏せる恐怖政治を徹底して
教え込むべきだったね。
誰もに慕われる君主にはなれないにしても、結果が全ての手段を正当化できる訳もないのだから
泥を飲む覚悟も叩き込むべきだった。
499.名無しさん:2019年09月08日 00:06 ID:XnsYJQXM0▼このコメントに返信
※496
「中央からすれば皆田舎武者でしかないけどね。伊達政宗とかも秀吉生前はただの田舎者。」
その瞬間、瞬間の地位や所在のみで物事を量るから傲慢極まりない物言いになるのですね。
奥州は武家の名門が紐解くのが嫌になるくらい混じり合った、それこそ代官レベルでも筋を辿れば
源氏源流に行き着くような、本物の「権威の座」を狙う名分を持った土地柄で、だからこそ関東管領に
任ぜられた上杉・北条でさえも大義名分を以て仕置に行けない地域だったのだから。
それらの血筋に一方的な命令を下しても、誰も咎める事ができないものこそが「錦の御旗」くらいしかなく
だからこそ朝廷の威光に頼るしかなかったのではないか。
そして、織田は貴種ではない。
名門武家の傍流に過ぎず、しかしその時代の趨勢で主家を飲み込み貴族・貴種の社交界に関わる
口実を得た程度の家格で、信長本人もその伝統や面子の厄介さを知っていたからこそ足利の追放や
朝倉の仕置に至るまでの段取りに苦労したのではないか。
あなたの思い描く秀吉が本人像と等しいというのであれば、人の上に立つべきではない名誉欲に飲まれた暗君だ。
500.名無しさん:2019年09月08日 00:24 ID:XnsYJQXM0▼このコメントに返信
「忘れてはいけないのは菊亭や近衛が先に秀吉に擦り寄った事。公家連中が先に秀吉を頼った事実を忘れなさんな」
更に言うなれば、秀吉には金で名義貸しする以上のものは差し出されなかったと言うことです。
菊亭や近衛は秀吉の傘の下に収まり羽振りの良い暮らしをしたかったが、姻戚となる程の
バックボーンは存在しない、取り込む価値までは見出だせない人物というのが「当時の貴族の動き」で
証明された事実であり残された結果です。
面子を保てつつ怖くはないからと取り込みの動きがあったのは、秀頼の持つ血に貴族・貴種の言い訳の
余地があったからで、武家と公家の名誉や血縁を軽んじた秀吉に与えるものなぞ無いという事実。
それは媚び諂いであっても敬いなどないでしょう。
あなたが僕をそう扱い、僕があなたをそう扱うように。
豊臣の瑕を殊更に言い募る僕の持論をあなたは否定したいように、
頂点を極めたら何をしても許される思い上がりを是とするあなたの持論は否定し続けます。
何を続けたいのかは存じませんが、秀吉が貴種・貴族に請われ慕われ尊敬を集めていたという点について
「そうだった」と言わせたいのなら諦めて下さい。
一色秀吉の空想論のダメ出しをしたいのなら、どうぞご自由に。
そちらは「〜だから無理じゃないか?」「だとしたら〜という手はどうだ?」と空想議論を楽しめる余地しかない与太話なので。
僕は歴史を結果論から遡って考えるので、ロマン溢れる仮想を「〜であったはずだから事実である」とまでの決めつけは
受け付けられませんのであしからず。
501.名無しさん:2019年09月08日 07:46 ID:he7S8QWl0▼このコメントに返信
5摂家や6摂家なんて言い方をしているが、豊臣視点だと最高位を継ぐ資格が
他の摂家にもあるような役職を選んでしまったことは、まずいよねぇ。
家康も内大臣といった役職を兼任していたけど、あくまで徳川宗家のみが継ぐ資格のある「征夷大将軍」が根本であり、
「これを継ぐことを妨害することが他家はできない」ことが徳川の権威を保証していた。

しかし「関白」はほかの摂家が継ぐことができる。「幼少で任を継げないから空位にしておく」よりは、
他の摂家が継ぐ方が常識的なわけで、豊臣家から関白が逃げていく大きな理由となっている。

豊臣家の根本を「関白」にしたというのは、源頼朝の発想から数段劣るといったのは、こういうところ。
まあ秀吉は日本・中国を統べる「何か」になることで「オンリーワンたる根本」を実現するつもりだったのだろうが、
それがとん挫した段階で、「関白」に代わる「何か」を準備できなかったのは、やはり彼の落ち度だと思う。


502.名無しさん:2019年09月08日 08:13 ID:7FWSzzmK0▼このコメントに返信
※484
>内裏は信長もつくっていたよ
信長がやってたのは幕府ごっこじゃなかった?
~介殿とか、~守殿とか(ほとんど足利幕府の武家官位真似て自称や付けあった官位での幕府ごっこ)

※501
>家康も内大臣
大阪城内朝廷で家康は内府殿だったっけ?
503.名無しさん:2019年09月08日 08:24 ID:7FWSzzmK0▼このコメントに返信
どちらかといえば、秀吉は平清盛パート2みたいな朝廷政治型体制じゃね?
ただ平氏は下賤出の秀吉とは違い、皇族の臣籍降下によって創設された臣下分家で由緒正しき名門武家だけど
504.名無しさん:2019年09月08日 09:09 ID:b0IMuROU0▼このコメントに返信
※498
秀吉をホリエモンと一緒にされてもねぇ。

>何者も尊敬に値しないとのぼせ上がったのである人物
秀吉も秀頼も尊敬されていたよ。ただ尊敬されているのは力の背景もあるからだけど。秀吉は公家であり武家だから。力のない秀頼はどう扱われたか…

>上り詰めた先は頭を垂れるべきではない
>豊臣家の家訓として金と力であらゆるものを捻じ伏せる…
豊臣家が頭を下げるべき対象は天皇ぐらい。もっとも秀吉が有力大名に頭を下げた例はある。

豊臣家にそんな家訓があるなんて初耳だよ。

誰もに慕われる君主にはなれないにしても
505.名無しさん:2019年09月08日 09:13 ID:b0IMuROU0▼このコメントに返信
※498
>誰もに慕われる君主にはなれないにしても…
秀吉は乱世の英雄として皆から慕われていたよ。推論ではなく事実。

以前殖産が何とか言ってたけど、秀吉は国内の戦争を止めただけで戦争を止めた訳じゃない。秀吉と家康の役割は違う。
506.名無しさん:2019年09月08日 09:21 ID:XnsYJQXM0▼このコメントに返信
豊臣秀吉が一族というものを軽んじていた一例に過ぎない小早川秀秋を持ち出して
金や権力以外の要素で公武から「認められる」に値せず。に反論したつもりに
なっているのも如何かとも思ってしまう。
前提からして既に姻族である北政所の甥に豊臣を継がせるべく養子に迎えたのは
当時当たり前のようになされていた政治的縁組ではあるが、実子秀頼ができたので
あれば不要とばかりに手土産を持たせて犬の子のように小早川にくれてやるのは
やはり傲慢甚だしいと言う他はない。
自身が力尽くでもぎ取り弱きものはひれ伏すべきとせしめた関白位を、自ら委ねた
豊臣家頭目秀次に対しても、実子秀頼の誕生後に急転直下で豊臣家の家督を継承する
権利を何一つ残されない徹底した一族掃討が行われたという記録が残されている。
だからこそ、絶大な権力という甘い蜜があろうとも姻戚を乞うて豊臣の春に
相乗りしたいと嫁や養子を「姻戚ではない」公武の旧家・名家から差し出される
事もなく秀頼頼みになってしまったのではないか。
これで「慕われていた」「敬われていた」「認められていた」と断言できるのは
やはり武家が手に入れられない関白位を得て、公家が持ち得ることのない武力で
全てを手中に収め、この秀吉、日の本に頭を垂れる相手無しと言わんが如くの
万能感から来る勘違いではないだろうか。
507.名無しさん:2019年09月08日 09:36 ID:aN5XOvy70▼このコメントに返信
※492
>一色の例えはもちろん
だったら足利の分家以外を使うべきだったね。足利義昭を軽視するのは勉強不足だよ。

>最高位を力尽くでもぎ取る
ここからして事実誤認だけどね。秀吉が関白になったやり方は無理矢理だけど合法。

>馬鹿にした
馬鹿にしてないよ。秀吉の時代は軽くなった朝廷の権威を上げていく過程。「結果論」として、秀吉が関白として朝廷の権威を上げ続けたから朝廷の重みが復活した。

>織田に仕えて…「周囲の納得」を得らん
秀吉は近衛家に入る前は平氏だったから。織田家の後継者という自負があったんだろうね。

・織田に仕えたままでは天下人になれないよ。秀吉は時の当主と織田家臣の納得を得て従えているからね。

>源氏長者の席に名を連ねる資格はある
それって結局室町幕府と同じだよね。秀吉は同時代の人間として幕府滅亡を目の当たりにしている。将軍は心許ないと考えていた可能性はあるね。
仮にそれをやってもやはり足利義昭が問題になる。
508.名無しさん:2019年09月08日 09:39 ID:XnsYJQXM0▼このコメントに返信
※505
乱世の英雄としては同意する。
頂点に上り詰めたその先の、あなたの言うような尊大さを「許された」とする思い上がりは
慕われるという言葉とは真逆のものであると推測する。
その根拠に、豊臣姓を賜った以後は秀吉存命中に姻戚を望まれる事すら終ぞなく、一族に
秀頼しか存在しなく、それに付き従い諫められる臣下も得られず淀殿が豊臣家を弄ぶ始末。
秀吉が豊臣を賜るまでの半生は後世でも絶大な人気を得ているだろうし、当時もそうするべく
支えられて駆け抜けたのであろうと思う。
そして豊臣を賜り戦乱を終わらせるべく錦の御旗を極めて合理的に利用して平定したのも
豊臣秀吉の功績である事も間違いようのない事実。
だからこそ、豊臣家の末路をあのような徹底した孤立を招いた「家としての豊臣」は
残念な事この上ないお粗末な代物だというのも結果から導き出される事実である。
前にも言ったが、秀吉は豊臣を作ったが豊臣は秀吉だけのものではないのです。
それが「家」という存在であり、歴史に積み重ねられるものなのです。
509.名無しさん:2019年09月08日 09:49 ID:XnsYJQXM0▼このコメントに返信
※507
「それって結局室町幕府と同じだよね」
そうですよ?
それが間違っていると断言する理由がわからない。
足利は足利としての価値があったのではなく、源氏長者足り得る系譜を
持っていたからの家なのだから。
そして、その縁を手繰り寄せて同様に新田流であると掲げて室町と同じで
室町の轍を踏むまいと「上手くできた」のが徳川の治世。
足利と新田という枝が違うから全く話が違うとでも言いますか?
僕は「家」というものを積み重ねるもので軽いものではないと何度も
言っているように、ぽっと出の豊臣は最高位の家格だから敬われ尊い
ものだと言われても、所詮一代限りで成り上がりが急拵えしたもの
としか見えません。
格を確かにする積み上げというものは、歴史の結果論の連続なのですから。
だから秀吉個人が如何に優れていようと豊臣家の格の程度は・・となります。
510.名無しさん:2019年09月08日 09:51 ID:aN5XOvy70▼このコメントに返信
※499
>その瞬間、瞬間の地位や所在のみで物事を量るから傲慢極まりない物言いになるのですね。

嫌味で言った訳じゃない。北条氏も関東では名門北条氏の名跡を継いだ名門だけど、中央からでは国司程度の身分しかない。右大臣信長や関白秀吉とは比較にならない。

上杉や北条は単純に色々不足していただけ。現に空前絶後の権威と武力を持つ秀吉の前に奥州は無力だった。

>誰も咎める事ができないものこそが「錦の御旗」
初めて使ったとされる承久の乱で早速咎められていたね。旗は武力と合わさる事で初めて意味を持つ。

>名門武家の傍流に過ぎず
公卿を多数輩出しているし、時の朝廷も信長を源頼朝と同格と見なしていた。

>足利の追放や朝倉の仕置に至るまで
朝倉はともかく義昭の追放は苦労しただろうね。

>人の上に立つべきではない名誉欲に飲まれた暗君
個人の感想以上の評価はない。
511.名無しさん:2019年09月08日 09:51 ID:EXoXZA5h0▼このコメントに返信
京の公家連中を甘く見すぎているねえ
秀吉を利用するだけ利用して、邪魔となれば潰すことすら厭わん連中だよ
平氏討伐で頼朝を使い、今度は義経たらしこんで兄弟離反させ、頼朝討伐させる
足利の時も同じようなことして尊氏潰しやろうとしてたでしょ
京の人の言葉や態度の裏表、額面通りに真に受けると大変よ?w
梯子外しもお手の物なら、味方やたらしこんで利用する相手をコロコロ変えるのもお手の物
512.名無しさん:2019年09月08日 10:07 ID:EXoXZA5h0▼このコメントに返信
京の朝廷、内裏さしおいて大阪で武家を集めて朝廷政治ですかあw
さぞかし秀吉と豊臣家にはおべっちゃらとにこやかな態度で接してくれたことでしょうね
513.名無しさん:2019年09月08日 10:09 ID:aN5XOvy70▼このコメントに返信
※500
>秀吉には金で名義貸しする以上のものは差し出されなかったと言うことです。
その結果秀吉に関白と藤原氏長者を奪われた。名義貸しで渡すには色々と不味いんじゃないかな。

>姻戚となる程のバックボーンは存在しない…
取り込む価値がないなら猶子にしない。利用対象を自分たちと同じにしてどうするんだよ。

>武家と公家の名誉や血縁を軽んじた秀吉
家康が旧時代の反動で重視し過ぎたんだけどね。

>あなたが僕をそう扱い、僕があなたをそう扱うように。
貴方はどうか知らないけど、こちらは貴方の意見も尊重しているよ。考えの違う相手を一方的に否定する様な事はしない。

>頂点を極めたら何をしても許される…
否定したい気持ちはよく分かるよ。しかし事実として秀吉は日本史上トップレベルの専制君主だった。秀吉は「何をしても許され」たんだよ。

>「〜であったはずだから事実である」
こちらは当時の書状などからの人々の心情を事実として伝えているだけで仮想じゃないよ。
あと当時の常識を前提とした推論は出しているけど。
貴方の一色秀吉も当時の秀吉を無視した「ロマン溢れる仮想」。
514.名無しさん:2019年09月08日 10:17 ID:aN5XOvy70▼このコメントに返信
※501
>最高位を継ぐ資格が他の摂家にもあるような役職を選んでしまったことはまずい
それを言うなら将軍職はさらに条件が緩いよ。徳川が武力と既成事実で征夷大将軍を独占したから、「徳川宗家のみが継ぐ資格」になった。

>「関白」はほかの摂家が継ぐことができる。
秀吉生前は無理。関白任免権を持っているのは秀吉で、家康が返還するまでは未だあった。

>豊臣家の根本を「関白」にしたというのは、源頼朝の発想から数段劣るといった
源頼朝は家康と同タイプの天才だから別方向の天才の秀吉と比べる対象ではない。

あと頼朝の将軍任官について、頼朝個人はご不満だった。頼朝は終生中央志向が強かったから暗殺された説もある。
515.名無しさん:2019年09月08日 10:20 ID:aN5XOvy70▼このコメントに返信
※502
ごっこと言うよりそれ以外見本がない。

※503
>平氏は下賤出の秀吉とは違い、皇族の臣籍降下によって創設された臣下分家で由緒正しき名門
「平家物語」に清盛の父忠盛が袋叩きにされかけた話がある。臣籍降下しても代が過ぎれば貴族からは虫ケラでしかない。
516.名無しさん:2019年09月08日 10:32 ID:aN5XOvy70▼このコメントに返信
※506
>豊臣秀吉が一族というものを軽んじていた一例に過ぎない小早川秀秋
逆逆。一族を重んじていたから一度豊臣家に入れた後に小早川に渡した。まあ確かに秀秋個人への仕打ちは酷かったけど。

>姻族である北政所の甥に豊臣を継がせるべく養子に迎えた…
違う。豊臣(羽柴)の後継者は養子秀勝の死後空席。秀次も後継者に指名されたのは鶴松死後でそれ以前はただのコマでしかない。

>権利を何一つ残されない徹底した一族掃討
応仁の乱を考えれば分かるが、反対派を生かしておいたら後々まで危険になるんだよ。基本的には頼朝も家康もやった事(だからやらなかった尊氏の評価が落ちる)。

>相乗りしたいと嫁や養子を
秀頼と清華家徳川がいれば問題ないと判断したんだろうね。豊臣はまだ始まったばかり。

>日の本に頭を垂れる相手無しと言わんが如くの万能感から来る勘違い
秀吉自身としては「日の本に頭を垂れる相手無し」だったからね(天皇除く)。
517.名無しさん:2019年09月08日 10:36 ID:EXoXZA5h0▼このコメントに返信
※513
>秀吉は日本史上トップレベルの専制君主だった。秀吉は「何をしても許され」たんだよ。
そう思いですか?
「許された」がどういう意味のことで言っているのか知りませんがね
思い通りにやれた=何の恨みも買わずにみんなから許された
ということですかねえ?

※514
頼朝は京から遠い鎌倉にあえて幕府を開いたのは中央志向とは逆ですよね
518.名無しさん:2019年09月08日 10:48 ID:aN5XOvy70▼このコメントに返信
※516
養子秀勝は信長の子秀勝ね。

※509
>それが間違っていると断言する理由がわからない。
室町幕府の滅亡だよ。人は実際見たものに影響されるもの。流れ公方を何人も見てきた当時の人々に将軍職をよく思う気持ちはあまりない(利用価値があるかどうかは別問題)。

家康も室町幕府をそのまま継承したのではなく、室町幕府の全盛期を築いた足利義満の前例を基に幕府を創った。三位相当でしかなかった将軍職を一位相当にも上げた。上手く行くためにも色々変える必要があったんだね。

>足利と新田という枝が違うから全く話が違うとでも言いますか?
うん。家康自身は最初意識してなかっただろうけど、非足利なのは結果的に非常に好都合だった。
将軍職任官に邪魔な足利家を秀吉が無力化したのも大きい。

>ぽっと出の豊臣は最高位の家格だから…
豊臣姓は当時藤原姓を得た中臣鎌足と同等の快挙だとされていた(秀吉も鎌足を意識していた節がある)。

貴方は豊臣が三代で滅びたという結果から遡って見るから低評価になるけど、鎌足を祖とする藤原氏からすれば衝撃的だっただろう。今新しい歴史が生まれたのだから。
519.名無しさん:2019年09月08日 10:54 ID:3lVfD9XM0▼このコメントに返信
ええやん成金オヤジ
ワイにはしっくり来るで?

ヨイショ芸で偉いさんやら先輩にゴマすりまくって成り上がったら急に
お前らワシより下やんwもう偉そうにすんなやwて調子乗ってて
そのオヤジがいない飲み会で悪口大会開かれてる成金オヤジみたいなもんやろ?

んで嫁さんの親戚を次期社長にするって養子に取ってたのに愛人に子供できたら
親戚風情に継がせてたまるかって縁組解消して突っ反したんやろ?
そらそんな会社潰れるわwww
520.名無しさん:2019年09月08日 10:54 ID:aN5XOvy70▼このコメントに返信
※517
>思い通りにやれた=何の恨みも買わずにみんなから許された
秀吉個人は全て許されたんだよ。その歪みが秀頼に来たけどね。

>頼朝は京から遠い鎌倉にあえて幕府を開いたのは中央志向とは逆ですよね
頼朝は鎌倉武士の「御輿」だったのだから鎌倉に拠点を築くのは当然。
頼朝の凄いところは「御輿」である事を理解しつつ鎌倉武士を利用して敵対者を抹殺した事。頼朝の敵と鎌倉武士の敵は必ずしも一致していた訳ではない。

しかし頼朝自身はこいつらと違うという認識があり続けたんだろうね。平家の真似をして娘を入内させようとして大失敗しているし。
521.名無しさん:2019年09月08日 10:58 ID:aN5XOvy70▼このコメントに返信
※519
>嫁さんの親戚を次期社長にするって養子に取ってたのに愛人に子供できたら、親戚風情に継がせてたまるかって縁組解消して突っ反したんやろ?

行っておくが、このあたりの時代には当然の様にあった事だぞ。むしろ暴発前に始末できたのは凄い。まさに専制君主だからこそできた荒技。
522.名無しさん:2019年09月08日 10:59 ID:aN5XOvy70▼このコメントに返信
※520
「鎌倉武士=関東御家人」の意味で使っているので悪しからず。
523.名無しさん:2019年09月08日 10:59 ID:3lVfD9XM0▼このコメントに返信
ワイようわからんけど、藤原てネームバリューが今まで続いたのって
凄いことちゃうん?

信長の子孫はテレビ出てるから知っとるけど秀吉の子孫て今どっかに居るん?
豊臣さんとか昔の名字ってイメージで今は聞かんけど
524.名無しさん:2019年09月08日 11:00 ID:3lVfD9XM0▼このコメントに返信
選挙出まくってた羽柴秀吉は子孫ちゃうよな?
525.名無しさん:2019年09月08日 11:01 ID:EXoXZA5h0▼このコメントに返信
※515
>臣籍降下しても代が過ぎれば貴族からは虫ケラでしかない
虫けらですかあ
文官だけが貴族だと思ってます?
朝廷内に左右があったのはなぜかおわかり?
天皇が源平を創設した武家の元は軍事専門貴族ですよ
藤原家、公家もいざとなれば弓を取り戦闘軍団に変わった
526.名無しさん:2019年09月08日 11:03 ID:3lVfD9XM0▼このコメントに返信
許されてないやんwww
親の因果が子に報いまくってて許されてないやんwww
だから秀吉の家滅んだんちゃう? 滅んだで合ってるよな?
527.名無しさん:2019年09月08日 11:05 ID:aN5XOvy70▼このコメントに返信
※523
せや。

秀吉の子孫なんている訳ないやん。でも高台院の親族が豊臣姓を使い続けたし、今の天皇には豊臣の血が入ってるで。
528.名無しさん:2019年09月08日 11:07 ID:3lVfD9XM0▼このコメントに返信
今の天皇が秀吉の子孫になるんちゃうん?
529.名無しさん:2019年09月08日 11:10 ID:aN5XOvy70▼このコメントに返信
※524
ちゃう。

※525
知ってる。しかし清盛は桓武平氏が臣籍降下してからかなり後の人物だからね。中央貴族からすれば虫ケラだよ。

清盛がまだマシだったのは祖父正盛以降院の寵愛があった事、貴族平氏との婚姻関係があった事。
それでも納得できなかった貴族連中が言い出したのが「清盛御落胤説」。
530.名無しさん:2019年09月08日 11:12 ID:aN5XOvy70▼このコメントに返信
※526
>親の因果が子に報いまくってて許されてないやんwww
だから「秀吉個人は」って言ったで。

>だから秀吉の家滅んだんちゃう?
原因の一つやけどそれだけやないで。まあ自分で調べてえな。
531.名無しさん:2019年09月08日 11:14 ID:aN5XOvy70▼このコメントに返信
※528
秀吉自身の血は入ってないけど豊臣の血というならそうや。すまんかったな。
532.名無しさん:2019年09月08日 11:18 ID:EXoXZA5h0▼このコメントに返信
秀吉の血を継ぐ豊臣家は滅亡させられ、豊臣とは縁こそあれ秀吉の血は一切引き継がれていない豊臣家の方が存続認められいるとw
いらんのは秀吉の血を受け継いだ者たちだけだったということね
豊臣家は朝廷が作り、とりあえず秀吉に初代当主として入ってもらっただけと
必要だったのは家と豊臣の姓で秀吉と秀頼は用がなくなればいらん
533.名無しさん:2019年09月08日 11:20 ID:3lVfD9XM0▼このコメントに返信
不勉強ですまんな
高台院て誰かいなと調べたけど寧々さんは知ってたでw
ええとこに養子に入って秀吉に嫁いで、親戚がたらい回しにされたんに
旦那の名字守ってたの偉いやん

けど恨み買いまくった成金オヤジの血は残らんでよかったんや思う
嫁さんが豊臣の爪痕を天皇家まで残せただけでも大出世やろ
534.名無しさん:2019年09月08日 11:25 ID:EXoXZA5h0▼このコメントに返信
ますます生前の秀吉と清盛の権勢、豊臣家と清盛入道没後の平氏の運命がダブって見えますねえ
535.名無しさん:2019年09月08日 11:33 ID:EXoXZA5h0▼このコメントに返信
方や滅亡させるのに源氏・頼朝・義経を使い、方や家康を使ったと
どちらも関東武士団の神輿
とりあえず報奨が征夷大将軍と幕府(武家政府)を開く許可
536.名無しさん:2019年09月08日 11:54 ID:EXoXZA5h0▼このコメントに返信
京の公家衆はしたたかで時に冷酷で海千山千で生き残ってきた連中だと
特に藤原家は始祖の鎌足から多くの分家を作り、戦乱、陰謀渦巻く日本の歴史の中で1400年近くもの間、天皇家の陰陽向となり支えて存続してきている
その間、大なり小なりの豪傑や暴君も数しれず現れた 秀吉も彼らにとってはその歴史の中のひとりだったというだけ
対処法、処世術の歴史の蓄積者たち
537.名無しさん:2019年09月08日 11:58 ID:EXoXZA5h0▼このコメントに返信
欧州の名門貴族も教皇も同じ
長い歴史の中で生き残ってきた歴史の蓄積者たち
それが権威の権威たる元
538.名無しさん:2019年09月08日 12:05 ID:EXoXZA5h0▼このコメントに返信
清盛が虫ケラなら秀吉も所詮虫けら
虫けら亡き後の血縁者など更に虫けら
539.名無しさん:2019年09月08日 12:23 ID:3lVfD9XM0▼このコメントに返信
若い頃一緒に頑張った仲間まで偉くなったとたんに見下して
友達なくすような男はやっぱあかんねん

540.名無しさん:2019年09月08日 12:26 ID:EXoXZA5h0▼このコメントに返信
豊臣は秀吉と豊臣家を影から支えていたネネ殿がいたからこそその敬意に対して残してもらえた
主に家康のネネ殿への敬意と豊臣家抹殺に対するせめてもの罪滅ぼしの意味もあっただろうが
秀吉は確かに豪傑であり、日本の当世、後世のための偉業を成し遂げたのは確か(この点は家康も認めている部分だと思うし感謝している部分かもしれない)
その点は素晴らしいと思う
しかし、当世の人たちにとって過酷な専制君主でもあった
それが豊臣家滅亡、秀吉の血を受け継ぐものへの抹殺へと繋がった
541.名無しさん:2019年09月08日 17:23 ID:8QM8TvMP0▼このコメントに返信
※488
一番上は今川は動きたくても動けない、できるものなら直ちにやってるし
徳川が今川と手を切る言い訳でしかないと思うぜ

二番目 そもそも主君じゃない 実質的主従関係のようなものはあるが 主君じゃないね

三番目 いいんじゃね 秀吉も三法師洗脳したし
542.名無しさん:2019年09月08日 20:56 ID:he7S8QWl0▼このコメントに返信
*514

征夷大将軍に簡単になれる?。
室町幕府があんな体たらくでも基本的には足利宗家一族しかなれなかったことを考えれば、
一度決まればそんなに簡単なものではない。
特に徳川家の場合は、二代目秀忠を大御所家康が後見し、三代目家光は大御所秀忠が後見した。
これらの処置で盤石になっただろう。

関白の場合は、摂家という有資格者は限られるが、その間では持ち回りが常態化していた役職だ。
征夷大将軍と比較すると、関白は家々を動きまわる役職だったのだ。
秀吉という個人的な力があればそれを留め置けたが、そんなものが失われれば、直ちに元に戻り流動化する。
家康が摂家に返したのも、摂家を中心とした朝廷側の要請に答えたものであり、
返す必要のないもの返したわけではない。
秀吉の権力がなくなればご破算になるのは、相続対策としてお粗末極まりないといえる。

豊臣家の権力を代々続けたいのであれば、関白などではなく、豊臣家にとどめて置ける役職を捻りだすべきであり、
それができなかったことに秀吉の限界があったといわざるを得ない。


543.名無しさん:2019年09月08日 23:11 ID:XnsYJQXM0▼このコメントに返信
※513
個人と家人の違いにおける感想は千差万別だし、僕は僕で結果論からというしかない訳で置いておいて、
「貴方の一色秀吉も当時の秀吉を無視した「ロマン溢れる仮想」」
これのロマンについてもう少し詳しく「こうであったら面白い展開があったろうにな」を書き連ねさせてもらう。

・秀吉半生の歩みでネックになったのは、その氏素性が余りにも他の同輩とかけ離れて低い事に起因していた。

・それは頭角を現した時でさえ、織田家重鎮の面子を優先させて報奨や身分が功績に比べて軽くせざるを得なかった記録から読める事実。

・織田家は源氏長者の最右翼たる今川を撃破してしまい乱世の大穴として一躍脚光を浴びてしまい、その時点の尾張の国力や
 周辺諸国との関係性、家柄、今川の上洛に比する上洛の大義名分という難題を抱えるくらいに難題を抱えまくっていた。

・秀吉を含む忠臣の活躍もあり美濃という目の上のたんこぶを取り払え、その手腕を買ってか細川らが還俗させ義昭と名を改めた
 足利の継承者を引き連れて永禄の変後の混乱を一旦収めるに至った。

ここで織田家は足利を神輿に据える事で地位・責任を足利に、実利のフリーハンドを得て急速に織田家のポテンシャルを
高める事に成功する。
ここまでは史実通り。
544.名無しさん:2019年09月08日 23:11 ID:XnsYJQXM0▼このコメントに返信
ここから織田家は足利を傀儡に天下を睨んで硬軟織り交ぜた政治手腕を発揮するが、史実では

・義昭は義昭で将軍として武家の政は権威のある足利が取り仕切るべきで織田の僭越は許され難し。と力なき権威に縋る道を取る。

・織田は力なき武家の威なぞ右から左にと天下布武の道を邁進し、武家足利との対立を避ける妥協はしない道を取る。
 さりとて武家の威をおいそれと疎かにもできず、徒に名のある武門名家が反織田に回るのを回避すべく苦労する事になる。

ざっくり過ぎるけど、ここまでも史実通り。
足利の血が三管四職の系譜に連なる各地の武門が敵対を表明する危険性を常に意識させたし、後の信長包囲網で対立は決定的になったから
各人の心情は各人の胸の内として表面的な動きとしては現実の出来事。
545.名無しさん:2019年09月08日 23:12 ID:XnsYJQXM0▼このコメントに返信
ここからがロマン溢れる「仮にこうであったら」に入ります。

・将軍家足利による信長包囲網は忠臣の尽力によってどうにか凌ぐ事ができ、決定的な反目を企てた筋目として足利家を失脚させる決断を
 取らざるを得なくなった織田家。
 しかしいくら強い者が正義と言えども未だ将軍家の足利を族滅させるには至らず、京都からの追放が精々の仕置になった。

・ここで家名・家柄の厄介さを肌で感じた織田陣営、余りに身が軽く忠義・功績も目出度い秀吉を「足利の不徳を糾せる家格を有しつつ
 丁度いい具合に族滅寸前のザコ、一色家」を乗っ取らせれば良いではないかと目を付ける。

・斯波氏傍系織田に、改めて(乗っ取った)一色秀吉が臣下の礼を取り管領傍系と四職主家のタッグで「足利の将軍位返上」の上奏を敢行。
 かかる乱世の責、将軍家が将軍家たる職責を満足に全うできず御所に戦火が及ぶに至らんは足利の不明によるもの明白なり。
 とか朝廷からの将軍位取り上げに働きかけ、織田も一色(秀吉)も将軍にはならないしなれないよ。と、
 史実通り「弁えた」スタンスで権威側のご機嫌取りをしつつ足利一門の権威の失墜で包囲網に参加した武家の大義名分を取り上げる。

都合よく事が運ぶ事をできたら秀吉は一廉の武門として正室高台院や淀殿に次いで「今をときめく織田家の一色」に色めき立った
養子縁組や嫁取りが「女好きの汚名を被る暇もなく」転がり込んで秀吉が晩年まで苦労した家柄と直径存続の問題が軽減なり
霧散する道に行く可能性もあったのかな? という妄想物語。
546.名無しさん:2019年09月08日 23:13 ID:XnsYJQXM0▼このコメントに返信
もし史実通り信長が本能寺の変で横死してしまい中国大返しで明智を討って清州会議に至ったとしても、才覚目覚しき羽柴秀吉ではなく
名門一色の名を再興させた秀吉が三法師を擁して織田家の跡目を庇護すると臣下の礼を取れば、執権として柴田・丹羽・池田の家格を
凌駕した筆頭として存分に動けたろうし、古い価値観や筋目に拘った信孝・柴田からも一定の納得を得られて織田の一色として天下取りの
波動に盤石の体制で歩み出せたのではないか。 という妄想物語。

信長が生きていたら殿と一緒に天下統一ができたら万々歳ではないのかな? という妄想物語。
ただ1人の傍若無人な天下人が目標であるなら不満だろうけどね?
547.名無しさん:2019年09月09日 00:49 ID:nhuNp3kZ0▼このコメントに返信
明治天皇と大正天皇は秀吉のお陰で国が護られた
徳川家のせいで国が滅びかけたと断言してるね
548.名無しさん:2019年09月09日 01:30 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※547
視点を世界の中の日本とした時、門戸を固く閉ざして変化を拒んだ弊害が
身に迫った際、矢面に立つ役割を押し付けられた張本人だからね。
公武合体での「あってはならない」事柄の生々しい実例を残してくれた
秀吉の存在はこの上なく貴重な教科書だったろうさ。
549.名無しさん:2019年09月09日 01:38 ID:OKp95mhk0▼このコメントに返信
日本の歴史、政治、体制の蓄積データの一部
秀吉、豊臣時代もその一部
メリットもデメリットも含めね
でもそれが過去のデータを蓄積してこれた日本という独特な国家の強み
550.名無しさん:2019年09月09日 02:03 ID:sFcB4.Pa0▼このコメントに返信
※547
そう公言されてこその朝廷、天皇家ですよ
いろいろな意味でねw
551.名無しさん:2019年09月09日 02:12 ID:sFcB4.Pa0▼このコメントに返信
550
昭和以降の時代、現天皇はまた違ったお言葉を申されるでしょう
552.名無しさん:2019年09月09日 19:18 ID:iAXAY3P00▼このコメントに返信
※532
先祖の血を引き継いでない家系なんて腐るほどあるで。江戸時代に「血より家」という傾向へ変わったから。秀吉の配下蜂須賀・黒田とか調べてみな。

結果として秀吉は必要だったが秀頼は要らんかったかもな。

※533
勝者は常に恨まれるものやで。家康も例外やない。大事なのは勝ち逃げや。

※534
まあな。秀吉にも清盛にも言える事やけど、当時イレギュラー過ぎてやり方が分からず持て余した感がある。
頼朝は将門・清盛を見てからどこまではセーフか理解できた。家康は歴代武家政権を研究できた(愛読書は吾妻鑑、太平記は武家階級なら誰でも読んでる、豊臣政権で研修)。
553.名無しさん:2019年09月09日 19:33 ID:iAXAY3P00▼このコメントに返信
※535
頼朝・義経と違って家康は泣く子も黙る独裁者や。秀吉ほどではないがな。

それから頼朝に与えられた褒賞は右大将や。後白河院は生涯征夷大将軍を渡しとらへん。
それに幕府を開く許可も出しとらへん(てか幕府は江戸時代にできた概念や)。頼朝が既成事実を積み上げた結果生まれた体制を後世幕府と呼んだんや。

※536
恐らく藤原氏史上最大の脅威だっただろう。秀吉・秀次のせいで何年か藤原氏長者が不在だったし。

※537
欧州で例えるならカエサルだろうな。

※538
正しくは虫ケラ「だった」。公卿になった時点で雲の上の人。

※539
いや、秀吉って友達多いで。前田利家との友情とか有名やん(個人的に利家は好きちゃうけど)。
554.名無しさん:2019年09月09日 19:39 ID:iAXAY3P00▼このコメントに返信
※540
家康って夏の陣直前までは生かすつもりだったんだよ。さっさと消したがっていたのは秀忠。
家康も秀忠も高台院を敬愛していた点は一致している。

>当世の人たちにとって過酷な専制君主でもあった
当時の人々は今の人間より遥かに逞しく残忍。そうでもしないと国が治らない時代だった。現代の基準で「過酷」を使うのはどうかと。

豊臣家が滅んだのは過酷だったからではなく、色々稚拙だったから。
555.名無しさん:2019年09月09日 19:48 ID:iAXAY3P00▼このコメントに返信
※541
一番目…当時の慣例として、主家は仇や部下の危機に対しては率先して戦わないといけないというのがあった(家康が勝ち目のない三方ヶ原戦をした理由もこれ)。これをしない主君は見限られる(武田勝頼はこのせいで裏切りが続出した)。戦国期の主従関係は江戸期ほど強固ではない。

二番目…信長の晩年頃、家康は信長を「上様」と呼んでいた。主君です。

三番目…洗脳はしてないぞ。むしろぞんざいに扱っていた(一回廃嫡にしたぐらい)。

556.名無しさん:2019年09月09日 19:59 ID:iAXAY3P00▼このコメントに返信
※542
>征夷大将軍に簡単になれる?
関白に比べれば遥かに簡単だし、何より秀吉は将軍任官を断っているんだよ?信長も推任された事を考えると、当時の朝廷には「武家の実力者で日本の大半(畿内込み)を制覇した者」というぐらいの認識しかない。

>征夷大将軍と比較すると、関白は家々を動きまわる役職だったのだ。
関白の候補は5人しかいないが、将軍候補はかなりいる。信長・秀吉でも候補だった。

>家康が摂家に返したのも、摂家を中心とした朝廷側の要請に答えたもの
家康がそれをできたのは関ヶ原後豊臣政権から豊臣家を切り離したから。

>豊臣家の権力を代々続けたいのであれば…
そんなものを作っても征夷大将軍には敵わないので意味がない。関白を独占する方が効果的。
557.名無しさん:2019年09月09日 20:12 ID:a6GpL.q30▼このコメントに返信
※545
現実
・信長は義昭追放を後悔しており、帰京を促していた。

・信長は秀吉に息子秀勝を与えており、いずれ羽柴家は織田一族となる。そのため一色に放り込む必要がない。むしろ謀反を疑われる。

・義昭追放後、朝廷は信長を足利に代わる新たな棟梁として重用開始。信長の朝廷重視の姿勢に天皇以下皆大喜び。

・若き秀吉にとって大事なのは信長の機嫌と自らの出世、ついでに女。家柄を気にし始めたのは信長死後。秀吉は秀勝をもらって有頂天。
558.名無しさん:2019年09月09日 20:26 ID:4EK0NLF20▼このコメントに返信
※545
>「足利の将軍位返上」の上奏を敢行。
これなんだけど「一色秀吉」なら不味いよ。主家の前将軍義昭が分家の将軍秀吉に与える影響が少なからずある。平和的に済ませたなら尚更。
義昭を無力化するなら、史実通り将軍より上の権威で屈服させるしかない。

※546
>名門一色の名を再興させた秀吉が三法師を擁して織田家の跡目を庇護する
>柴田・丹羽・池田の家格を凌駕した筆頭として存分に動けたろうし

現実…秀吉は三法師を擁していない。三法師擁立は織田家の総意。三法師を庇護したのは信孝。秀吉は三法師を廃して信雄に替えた。

秀吉と信孝・勝家は立場上対立せざるを得ないのであんまり変わらない。

>柴田・丹羽・池田の家格を凌駕した筆頭として存分に動けたろうし
織田家は実力社会ですぜ。家格で決まるなら名門北畠の養子信雄一択になるし。

>信長が生きていたら殿と一緒に天下統一ができたら万々歳ではないのかな?

史実通りでも信長の元で秀吉の地位は約束されているから、秀吉自身は万々歳だよ。
559.名無しさん:2019年09月09日 20:49 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※557
現実はそうね?
だから足利が足利の最後の切り札たる権威を引っ剥がして武家社会の不始末全てを
押し付ける口実に斯波氏傍流と一色本家を使えば?って与太話なのに。
力が伴わない武家名門が矛を収める言い訳にもなるしね?
そもそもあなた、現実で「幾人の胸の内、機微、可能性」を否定するのであれば、
やはり豊臣は秀吉個人の脅威が去れば、さしたる価値もなく歴史に埋もれる程度の家であるし、
なんとしてでも血縁者を残さんと周囲に惜しまれる事もなかった程度の人徳だったって所に
落ち着かざるを得ないでしょうに。
栄光の半生を持ってしても晩年を汚したって評価は覆らんよ。
むしろ凄すぎた分、本当に同一人物か?と疑われるかのような所業は浮き彫りになるだろうし。
560.名無しさん:2019年09月09日 21:06 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※558
ちゃんと読んでます?
与太話だからって噛みつきたい所だけ抜粋されても困るんですけど。
足利が将軍である事がネックになって信長が困ってたというのであれば、その時期最も
朝廷を丁重に扱い守る能力があった織田家が足利に次ぐ家格の一色を臣従させた形で
「足利の将軍位を剥奪」して頂くよう上奏するだけですって。
元から機能不全が久しかった足利将軍の世で、武家の棟梁を空位にして大きく趨勢は
変わりますか?って話ですよ。
強くなければ話は始まらない時代であるのは間違いないし、朝廷に働きかけて足利の
失脚を実現させたってポジションで「織田が最も将軍に近い。けど簒奪はしていない」の
状態になれば織田誅すべしなんて大義名分すら掲げにくい状況を作れますから。
「誰もが秀吉に平伏さねばならぬゴール」が大前提であるならば話にならない与太話で
しょうけれど、あなたにとっての秀吉は絶対的な「それ」でなければいけないのなら
もう無視してくださいな。
所詮戯れの与太話なんですから、現実は結局〜だ。で否定否定ばかりであれば、
こちらもムキになって「誰からもその大英雄の血を惜しまれなかったくせに」と返し続けたく
なってしまいますから。
561.名無しさん:2019年09月09日 21:29 ID:LuGe9XH00▼このコメントに返信
※559
>力が伴わない武家名門が矛を収める言い訳にもなるしね?
なるかなぁ?信長の部下時点でアウトな気がする。


>豊臣は秀吉個人の脅威が去れば、さしたる価値もなく歴史に埋もれる程度の家であるし

物理的に消されたから埋もれた家なんだよね。価値がないとか何言ってるの?

>なんとしてでも血縁者を残さんと周囲に惜しまれる事もなかった程度の人徳
家康含め残さんとする動きはあったが。豊臣家自身の失態と秀忠の存在がなければ生き残った可能性大。

>栄光の半生を持ってしても晩年を汚したって評価は覆らんよ。
後世の評価なんて如何様にも変えられる。有名な失点・秀次事件も応仁の乱などを加味すれば間違っていたとも言い切れない。

唐入りは秀吉死後続行理由がなくなったため中止されただけで敗退した訳ではない(撤退戦でも普通に勝っている)。当時の大名の大半が唐入りを望んだ(家康も)。

>むしろ凄すぎた分、本当に同一人物か?
秀吉にそんな点があったかい?秀吉は日本屈指の専制君主だという前提で考えるとおかしい事は特にしていない。

そういう人って「秀吉は貧しい身分から成り上がったスゲーやつ」という綺麗なイメージしかないだけだろう。信長を革命家・家康は天下を掠め取ったとか言ってるニワカさんとか。
562.名無しさん:2019年09月09日 21:47 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※561
日本屈指の専制君主殿も事実上は一代限り家も守れなかったというのが歴史の結論。
明智光秀の三日天下よりかは長くて偉かったね。
続ける事の難しさ、偉かろうと他者を立てる事の重要さ、そういった対人間の政治手腕だけで
戦い生き抜いてきた貴種・貴族を、古い家名と血筋だけの雑魚と軽んじた男はできなかった。
権威や肩書を記号としか思ってないから続けられたかもしれないものも続かなかっただけだよ。
563.名無しさん:2019年09月09日 21:52 ID:LuGe9XH00▼このコメントに返信
※560
>最も朝廷を丁重に扱い守る能力があった織田家が足利に次ぐ家格の一色を臣従させた形で
「足利の将軍位を剥奪」して頂くよう上奏するだけですって。

信長自身は晩年まで義昭に帰ってきて欲しかったから、将軍位剥奪とか考えていないよ。剥奪するなら追放ではなく始末した方が早いし。
信長はイメージに合わず保守的な人物。

>武家の棟梁を空位にして大きく趨勢は変わりますか?
だから朝廷は足利の代わりを信長にした。その後信長がいなくなれば「後継者」秀吉に。

>織田誅すべしなんて大義名分すら掲げにくい状況を作れますから。
大義もなく戦があった時代だから意味があるかは何とも言えない。史実よりはマシだったかもね。

>「誰もが秀吉に平伏さねばならぬゴール」
それが豊臣政権じゃないか。

>現実は結局〜だ。で否定否定ばかりであれば、
貴方の意見は面白いし頷く部分もある。

結局貴方は「豊臣は滅んだ。だから権威なんてなかった(豊臣を一般常識で考えている)」という結論ありきだし、こちらは「豊臣という権威は確かにあった。そして徳川が散々利用した後でもその権威は脅威であり続けた(豊臣はイレギュラー)」という結論がある。
そのズレがある限り並行線は続く。
564.名無しさん:2019年09月09日 21:58 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※563
権威とは人間ではなく実態のない積み重ね。
秀吉は権威を掴んだが豊臣家は権威足り得る存続が叶わなかった。
徳川が利用したのは秀吉個人の遺物であるが豊臣家というガワは無用だった。
権威の概念に関しては、あなたの持論に数名が異議を差し挟んでいるようですが?
565.名無しさん:2019年09月09日 22:01 ID:LuGe9XH00▼このコメントに返信
※562
>事実上は一代限り家も守れなかったというのが歴史の結論。
家康が上手くやったからね。流石天下人。

>明智光秀の三日天下よりかは長くて偉かったね。
褒めてあげてください。天国で喜ぶよ。

>生き抜いてきた貴種・貴族を、古い家名と血筋だけの雑魚と軽んじた男
誰それ?秀吉は古い家名や貴種に憧れ続けた男じゃないか。

>権威や肩書を記号としか思ってないから続けられたかもしれないものも続かなかった
信長・秀吉は屈指の勤王家。そして、秀吉は既存の権威・肩書きを最大限尊重して最大限に利用しただけ。
566.名無しさん:2019年09月09日 22:06 ID:LuGe9XH00▼このコメントに返信
※564
>秀吉は権威を掴んだが豊臣家は権威足り得る存続が叶わなかった。
確かにね。

>徳川が利用したのは秀吉個人の遺物であるが豊臣家というガワは無用だった。
未だに必要だったから嫁を出したままだったんだよ。豊臣の様な火種は慎重に扱わないとせっかくの天下が台無し。

源頼朝の崇拝者である家康なら「豊臣家というガワは無用」なんて絶対に思わなかっただろう。

>権威の概念に関しては、あなたの持論に数名が異議を差し挟んでいるようですが?
スマホからなので「数名が異議を差し挟んでいる」のかは分からない。
567.名無しさん:2019年09月09日 22:11 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※565
「秀吉は既存の権威・肩書きを最大限尊重して最大限に利用しただけ」
尊重するべきは超えてはいけないラインの天皇のみ、摂家は力なき者で脅威にあらず。頭を垂れる必要もなし。
これは尊重したのではなく都合のいい所だけ利用していたと受け止めています。
だから「思い上がり」という言葉を何度も使っています。
積み重ねられた歴史を軽視して、それよりも強大なものを己の手で作り上げて「続けば立派」であったろう
強大な権威になるはずだったものは続かなかった。
だから権威たり得ない代物。
あなたの言葉を借りるなら「イレギュラー」なので、積み重ねもなにもない秀吉の栄華を飾るいち記号。
568.名無しさん:2019年09月09日 22:15 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※566
「源頼朝の崇拝者である家康なら「豊臣家というガワは無用」なんて絶対に思わなかっただろう」
それは家康や近侍の書物として残されている言葉?それとも推測?
どちらにせよ高台院のみが豊臣の家名を辛うじて残して、次なる武家棟梁の徳川が姻戚や家臣を用いて
囲い込み、豊臣の存続を手中に収めたとは聞いたことがないが。
569.名無しさん:2019年09月09日 22:22 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
「スマホからなので「数名が異議を差し挟んでいる」のかは分からない」
536、537にある「蓄積が権威の権威たる元」という言葉。
絶大な時の権力者は権威に口を挟ませない力も有しているけれど、権威そのものになる事はできないし
それこそ皇女、内親王を手篭めにして権威の継承者に己の血を入れてしまうくらいでしか、次の世代から
絶大な威となる権威の継承は不可能ではないかという見解。
570.名無しさん:2019年09月09日 22:29 ID:LuGe9XH00▼このコメントに返信
※567
中々上手く言うね。

>尊重したのではなく都合のいい所だけ利用していたと受け止めています
ほう。しかし武家政権にとって朝廷は「尊重はするが都合のいい所だけ利用」するものだからね。平安末期から武家の朝廷観はそんなもの。

だからこそ、武家の意図から外れた後鳥羽院・後醍醐帝は排除された。

むしろ秀吉は信長の意志を継いで最大限朝廷を尊重していたと思うよ。時の公家たちも仲間として迎え入れたしね。
571.名無しさん:2019年09月09日 22:35 ID:LuGe9XH00▼このコメントに返信
※568
>それは家康や近侍の書物として残されている言葉?それとも推測?

史実に基づく推測だよ。源頼朝は平清盛に生かされ放置された事により、結果として復讐を果たした。吾妻鑑を愛読し、秀吉から鶴岡八幡宮管理を「源氏として」任された家康がその事実を知らない訳がない。

>次なる武家棟梁の徳川が姻戚や家臣を用いて
囲い込み、豊臣の存続を手中に収め

豊臣家家老片桐且元は家康の家臣でもあるし、秀頼の嫁は孫の千姫。めっちゃ囲い込んでますが。
572.名無しさん:2019年09月09日 22:38 ID:LuGe9XH00▼このコメントに返信
※569
>皇女、内親王を手篭めにして権威の継承者に己の血を入れてしまうくらいでしか、次の世代から絶大な威となる権威の継承は不可

言っただろ。秀吉は勤王家だって。そんな事をするのは足利義満ぐらいだろう。

>絶大な威となる権威の継承は不可能ではないかという見解。
秀吉は不完全ながら行えたし、家康は後継者に恵まれて無事に成し遂げたよ。
573.名無しさん:2019年09月09日 22:41 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※570
「むしろ秀吉は信長の意志を継いで最大限朝廷を尊重していたと思うよ。時の公家たちも仲間として迎え入れたしね。」
割り込める範囲内での最高位に割り込んで口出しされなかったのが「仲間として迎え入れた」のであれば、
空位となった時に誰もその地位に成り代わろうと動かれなかったのは「居なくても困らないと見捨てられた」とも言える。
そもそもがイレギュラーな代物だから継承するノウハウもなけりゃ、意欲的に継ぎたいほどの旨味も残ってない形式上は
最高級な散位だったんでしょう。
574.名無しさん:2019年09月09日 22:46 ID:iM.PfFJj0▼このコメントに返信
秀頼と家康を京の公家・朝廷は両天秤にかけた
どちらにも適当なことを言いつつね

だから秀頼と豊臣家に公家・朝廷からの働きかけ部分だけを切り取って尊重されていたなんて浮かれている事自体アホとしか
575.名無しさん:2019年09月09日 22:47 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※571
「史実に基づく推測だよ」
推測であるのなら特に言うことはないよ。
徳川は秀吉のやり方を踏襲せずに源氏棟梁として公家との両輪体制に戻すという手形で
同志を募り武家としての天下を拾わせてもらったんだろうし。
名家、羽林家を顧みる価値もなしと君臨した豊臣は持て余すから塩漬けにしたし、
豊臣の遺臣も縋るほどの義理もメリットも感じず、徳川に目を付けられたら困るとかな理由で
羽柴や豊臣から改名したのでは?
576.名無しさん:2019年09月09日 22:52 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※572
「秀吉は不完全ながら行えたし、家康は後継者に恵まれて無事に成し遂げたよ」
秀吉が武家として成し遂げた功績の継承は徳川が拾ったので部分的にそうであるとも言える。
豊臣としては何も遂げていない。
成したのは秀吉個人で豊臣家が遂げたものはない。
577.名無しさん:2019年09月09日 23:04 ID:LuGe9XH00▼このコメントに返信
※573
>空位となった時に誰もその地位に成り代わろうと動かれなかった
関白は豊臣が任免権を掌握していたから成り代わるのは不可能だったと言ったよ。

>継承するノウハウもなけりゃ、
これは認める。しかし秀吉は「神になる」という奇想天外な手段を使った。

>意欲的に継ぎたいほどの旨味も残ってない
家康は関白を選ばなかっただけで、豊臣政権自体の方向性は正しかったので、若干軌道修正した後最大限活用しているよ。

朝廷に対しては三英傑の中で一番厳しいのが家康。朝廷と同化しようとした豊臣に対して、徳川は「尊重はするが都合のいい所だけ利用するもの」という古き伝統に立ち戻った。
578.名無しさん:2019年09月09日 23:11 ID:LuGe9XH00▼このコメントに返信
※574
朝廷はいつも適当な事言って時間稼ぎするからねぇ。

>働きかけ部分だけを切り取って尊重されていたなんて浮かれている事自体アホとしか
関白を輩出してしまった家だからねぇ。その時点でもはや別格。「浮かれている」って何?

「東夷」徳川と「摂関家」豊臣なら自然と後者に傾くものだよ。朝廷の関東蔑視は酷いものがあるからね。
579.名無しさん:2019年09月09日 23:11 ID:7Yt0xNUs0▼このコメントに返信
京で5摂家が天皇を擁して内裏と御所を持っている以上、 大阪城の関白などどうでもいいこと
特に秀吉没語なんて
580.名無しさん:2019年09月09日 23:12 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※577
朝廷だけが尊重される権威であり、それより下は顧みる価値なぞないというのは「権威を尊重する」とは言わない。
頂点のみの談合が交わされれば下々は御意と答えれば良しと言わんばかりの絶対君主に憧れを持つのはいいが
より多くの家々の納得の元で尊重し合えたのは公武で一線を引いた徳川の治世だったのだから。
先々を睨んで子々孫々の憂いを摘めてこその継承なのだし、家を背負って上手くやるというのはそういう事だと思うのだが?
581.名無しさん:2019年09月09日 23:18 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※578
「「東夷」徳川と「摂関家」豊臣なら自然と後者に傾くものだよ。朝廷の関東蔑視は酷いものがあるからね」
新田流にロンダリングして権威の序列で身の程を示す処世術は、貴種・貴族の出自卑しく家名持たざる血への
蔑視よりかは歓迎されたという結果論。
序列は摂関家よりも遥かに低いが調子に乗るなと武威で牽制してお互いの面子を立て合う茶番を不合理と
切って捨てた秀吉に社交界での居場所はなかったんだよ。
582.名無しさん:2019年09月09日 23:18 ID:7Yt0xNUs0▼このコメントに返信
※578
帝が座していない大阪城を居城としている豊臣摂関家はたしかに別格だわなあw
違う意味での別格だがねw
583.名無しさん:2019年09月09日 23:23 ID:LuGe9XH00▼このコメントに返信
※575※576
>徳川は秀吉のやり方を踏襲せずに…
表向きは「公家との両輪体制」だが、実際は徳川による公家・武家統率の一強体制だよ。朝廷に近づきすぎた秀吉の反動から来たもの。
「摂関家」豊臣を滅ぼした武威により朝廷を屈服させた。

>名家、羽林家を顧みる価値もなしと君臨した豊臣
「清華家」徳川を忘れてるぞ。

>徳川に目を付けられたら困るとかな理由で羽柴や豊臣から改名したのでは?
徳川幕府初期に秀頼から豊臣姓や官位をもらった大名はそれなりにいる。豊臣姓を使わなくなったのは豊臣宗家が滅んだから。

>秀吉が武家として成し遂げた功績の継承は徳川が拾ったので部分的にそうであるとも言える。
そりゃそうだろう。家康は秀吉のいいところを模倣しまくったんだから。豊臣姓をばらまく事・親族を大勢大名にする事・「神になる」事…、家康は模倣しまくっているよ。

>成したのは秀吉個人で豊臣家が遂げたものはない。
正しくは「秀頼が成し遂げたものはない」だね。豊臣家としては色々と成し遂げている。
584.名無しさん:2019年09月09日 23:30 ID:LuGe9XH00▼このコメントに返信
※580
>朝廷だけが尊重される権威であり
武家も尊重されていたが。自分に従うもの限定だが。

>頂点のみの談合が交わされれば下々は御意と答えれば良しと言わんばかりの絶対君主
これって家康も同じだが。家康が絶対君主である事を忘れているなんて大河ドラマとかの見過ぎだぞ。人間臭い逸話が多いが家康も立派な絶対君主。

確かに秀吉も家康も好きだよ。それは認める。

>多くの家々の納得の元で尊重し合えた
納得(物理)で尊重を押し付けたのが家康。

>家を背負って上手くやるというのはそういう事だと思うのだが?
関ヶ原前までは薄氷の上だが上手くやっていたんだよ。家康に食いつぶされたが。
585.名無しさん:2019年09月09日 23:40 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※583
「正しくは「秀頼が成し遂げたものはない」だね。豊臣家としては色々と成し遂げている」
それは正しくない言葉遊びでは?
正統継承者たる秀頼が豊臣家の末路を決定付けた以上、豊臣家は志半ばで成し遂げたものはないんだよ。
秀吉が成し遂げ後世に引き継ぎたかった豊臣家は後継者と家臣に恵まれず全てを手放した。
積み重ねの第一歩で失敗した家だから、家としては無念の最期を遂げただけ。
586.名無しさん:2019年09月09日 23:40 ID:LuGe9XH00▼このコメントに返信
※581
>新田流にロンダリングして権威の序列で身の程を示す処世術
秀吉も平氏にロンダリングして「信長の後継者」アピールはしていたよ。

>貴種・貴族の出自卑しく家名持たざる血への
蔑視
豊臣姓を賜った時点で卑しい家ではなくなっている。

>序列は摂関家よりも遥かに低い
徳川の事?「将軍家」徳川は摂関家に次ぐレベルの家名だよ。

>調子に乗るなと武威で牽制して
徳川は関白を恫喝したり罷免も自由自在だからね。流石納得(物理)。褒め言葉ね。

>切って捨てた秀吉
「切って捨てた秀吉(朝廷に莫大な利益をもたらした)か「締め付け続けた徳川」か。どっちが朝廷にとって幸せだったんだろうね。

※582
京の拠点伏見城は徳川に奪われたからね。大坂城にいるのは秀吉の遺言。
587.名無しさん:2019年09月09日 23:40 ID:iM.PfFJj0▼このコメントに返信
関白空位状態の帝を擁している5摂家・公家が守る内裏、御所の京の朝廷と
関白職のいない摂家豊臣家の大阪城内内裏、大阪朝廷と
どちらのほうが権威があって正統な朝廷でしょうか

ましてや大阪の摂関家は大阪城と自分の家の存続、継承者秀頼のことしか考えていない
588.名無しさん:2019年09月09日 23:43 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※584
「人間臭い逸話が多いが家康も立派な絶対君主」
家康は君主ではあったけど秀吉ほどは、その人、その家が後生大事に守ってきた
価値観を踏み躙りはしなかったのでは?
あなたの描く「傲慢を許されたと思い上がった」秀吉と比べればであり、実際はそこまで
他人の機微が見えていない暗君とは思わないがね。
589.名無しさん:2019年09月09日 23:48 ID:LuGe9XH00▼このコメントに返信
※585
「豊臣家」としては天下統一を果たし、公卿を多数輩出した。「豊臣家は志半ばで成し遂げたものはない」というのは言い過ぎだね。武門の夢は果たしたんだから。

しかし「積み重ねの第一歩で失敗した家だから、家としては無念の最期を遂げた」。つまり勝ち逃げできなかったのがダメだった。その辺は家康の方が遥かに狡猾。

>豊臣家は後継者と家臣に恵まれず全てを手放した。
全てではなかったがね。まあほとんどは家康に吸われた。
590.名無しさん:2019年09月09日 23:51 ID:SEQOEwtV0▼このコメントに返信
※586
「豊臣姓を賜った時点で卑しい家ではなくなっている」
だが血は卑しいままで、秀頼の血と豊臣の家で「ようやく」貴種・貴族の仲間入りを
認めてやらんこともないという動きだったのが歴史の現実。
嫁の世話や養子縁組すら世話されず恐怖で縛っていたに過ぎない関係性を
「迎え入れられた」とは随分と御目出度い。
力なき摂家に垂れる頭なしと言える力を持った秀吉には許される増長であったのでしたね。
591.名無しさん:2019年09月09日 23:51 ID:iM.PfFJj0▼このコメントに返信
関白を秀頼に継がせようと空位状態にしてしまった事自体
もう摂関家としての責務果たす能力がなく価値もなし
権力と権威にしがみつくだけの独占欲にとりつかれた餓鬼
592.名無しさん:2019年09月10日 00:01 ID:YmVYQIgg0▼このコメントに返信
※587
>どちらのほうが権威があって正統な朝廷でしょうか
御所の京の朝廷に決まっているじゃないか。秀吉も聚楽第や伏見城で政務を執っていた。

>大阪の摂関家は大阪城と自分の家の存続、継承者秀頼のことしか考えていない
武家の最優先課題は自分たちが生き残る事。

※588
>その人、その家が後生大事に守ってきた価値観を踏み躙りはしなかったのでは?
家康の行った事は「価値観の固定」。踏みにじってはいないが形ばかりの尊重しかしていない。
秀吉は少なくとも朝廷に利益をもたらしたが、家康は固定しただけ。まあ武家政権としては家康の方が正しいし、束縛が尊重というならきっとそれが正しいんだろう。

>「傲慢を許されたと思い上がった」
秀吉は傲慢を許されていたし、家康も違う意味で傲慢。天皇すら支配できると考えたんだから。

しかし貴方の言い分だと、徹底的に支配・管理されていても役割が守られていれば尊重されていると言うんだろう。

秀吉も家康もベクトルが違うだけで暴君である事は変わらない。ある意味自由過ぎたのが秀吉で束縛し続けたのが家康。
593.名無しさん:2019年09月10日 00:06 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※589
「「豊臣家」としては天下統一を果たし」
そして、余りに気の毒な二代目、余りにお粗末な三代目で三代天下に終わった豊臣家。
勝ち方は知ってても守り方や下々の立て方がお粗末なのは、やはり叩き上げで帝王学のような
君臨する者としての教育を受けてこなかった事の限界だったのだろうね。
家康は武家の名門や公家をその血筋で、武勇明るい新参をその武で認めて立てて、だが増長は
許さずと「朝廷以外を踏み躙る絶対君主」とは違うと甘い顔を見せれば尻尾を振ってもらえた
だろうし、そういった面では秀吉様様だったろうね。
家康は殊更狡猾という訳でもなく、前が余りにも強引過ぎたから好きに料理できたのだろうし。
他家はおいそれと手を出せない「権威を蔑ろにした後始末」の労の報いとしては破格の
ご褒美でもあったのが豊臣が残した天下の分け前ってところじゃないかな?
身代を崩しかねない過ぎたる身分は丁重に返上して、源氏長者の将軍として武家を治めて
貴種・貴族は尊重するよう触れを徹底しますと腰を低くすればよかったのだから。
594.名無しさん:2019年09月10日 00:07 ID:8xDagRkv0▼このコメントに返信
家康が何したからどうしたから、だから豊臣家は・・・
そうでなければ豊臣家の世が続いていた
権威はあった、特別な摂関家だった言われてもですね

秀吉もそうやって政治外交、金を駆使してそのトップの座まで登りつめっることができた
家康もまた同じように政治、外交力を駆使して豊臣家を退け、政治外交力でトップに登りつめた

結局徳川に豊臣は負けたと言うだけ
595.名無しさん:2019年09月10日 00:12 ID:8xDagRkv0▼このコメントに返信
木下家と松平家の大きな決定的な違い
家を守り抜いて相続してきた歴史の長さとノウハウ
596.名無しさん:2019年09月10日 00:15 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※592
「秀吉は少なくとも朝廷に利益をもたらしたが、家康は固定しただけ。まあ武家政権としては家康の方が正しいし、束縛が尊重というならきっとそれが正しいんだろう。」
後世に渡り家としての存続を許された徳川は「結果的に正しい」
継承に失敗して家を守れる忠臣もおらず「イレギュラーな傑物」が限界だった秀吉のやり方は
「正しい事を証明できなかった」とも言えるから、惜しかったね。が精一杯の擁護。
朝廷に利益を齎したとは言えども、甘い汁を吸われただけで存続は叶わなかったね。
597.名無しさん:2019年09月10日 00:16 ID:YmVYQIgg0▼このコメントに返信
※590
>嫁の世話や養子縁組すら世話されず
あの…徳川を忘れてませんか?

>恐怖で縛っていたに過ぎない関係性
徳川幕府も基本的には「恐怖で縛っていたに過ぎない関係性」だよ。家光の発言があまりにも有名。

秀吉・家康は恐怖だけで支配していた訳じゃない。どちらも慕われるだけの人格はあった。

>血は卑しいままで
おいおい、家康も貶しなさんな。秀吉が引き上げたおかげで家康は将軍家に相応しい家格になったのであって、本来の徳川は三河守すら怪しいレベルの卑しい身分だぞ。系図ロンダリングを使って対処したけど。

秀吉の影響を無視・軽視して家康を語る方がお目出度いよ。

※591
>関白を秀頼に継がせようと空位状態にしてしまった事
太閤秀吉がいたじゃないか。あと幕府も将軍不在で回した例が何度もあるからそれほどおかしい話でもないぞ。

北条義時や足利義持辺りも「権力と権威にしがみつくだけの独占欲にとりつかれた餓鬼」なのか?
598.名無しさん:2019年09月10日 00:25 ID:8xDagRkv0▼このコメントに返信
※597
だから同じでしょ
聖人君子じゃあるまいし
特別なことなどなにもない
599.名無しさん:2019年09月10日 00:25 ID:YmVYQIgg0▼このコメントに返信
>>593
>守り方や下々の立て方がお粗末なのは、やはり叩き上げで帝王学のような君臨する者としての教育を受けてこなかった事の限界…
それもあるが家康が強過ぎた。

>「朝廷以外を踏み躙る絶対君主」とは違うと甘い顔を見せれば尻尾を振ってもらえた
「朝廷含め全てを束縛して支配する絶対君主」、それが家康。

>家康は殊更狡猾という訳でもなく
家康はお人好しの信長や秀吉に比べて遥かに狡猾だよ。信長・秀吉は変なところで甘さを見せたが家康にそれはない。唯一の例外が豊臣家の処遇だったが、秀忠が上手くフォローした。

>腰を低くすればよかった
関白を恫喝・罷免したり、朝廷人事にも介入しまくった徳川の腰が低い?徳川は決して腰が低い訳じゃない。自らの支配を受けるものを尊重するのは豊臣も徳川も同じ。
600.名無しさん:2019年09月10日 00:31 ID:YmVYQIgg0▼このコメントに返信
※594
ずっと言っているよ。豊臣の権威は徳川の武威に敗れたと。

あと家康も金や武力は使っている。

※595
松平家も家康の祖父清康ぐらいしか名のある武将がいないぞ。松平ってただの土豪だし。

※596
>継承に失敗して家を守れる忠臣もおらず
片桐且元がいたよ。追い出したけどね。

>「正しい事を証明できなかった」
そうだね。

>甘い汁を吸われただけで存続は叶わなかったね。
まあな。徳川には甘い汁を出してもらえず残念だね。でも武家政権的にはそれが正しい。
601.名無しさん:2019年09月10日 00:32 ID:YmVYQIgg0▼このコメントに返信
※598
じゃあその餓鬼に負けた後鳥羽院って何?
602.名無しさん:2019年09月10日 00:41 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※596
「北条義時や足利義持辺りも」
それらは武家としての権威のみで、天皇以外は並ぶものなしと踏み躙った御仁と比べるには
余りに暴論であるかと。
家康は松平家嫡男としての出自を名乗れるから、関白となった以上は押しも押されぬ武門の頂点と
いきなり頂点の血を自称した御仁と比べるのも余りに暴論であるかと。
そもそも、如何に絶頂期がすごかろうと、好かれていた自慢を並べようと、豊臣は徳川との直接対決で
武も徳も運も全てに於いて敗北して、徳川が必要なもの以外は不要と捨てられた現実が残っていますから。
そして、捨てたものの中に豊臣本家があり、姻戚ではあるので潰すでもなしと、後継の代までみだりに触らず
緩やかに消化して「とても上手に」処理されたのだし。
秀吉が上手くやれなかった事を家康が上手くやれたのは、権威を権威として重んじ、武家の格への理解が深く
次に繋がる負けを飲み込める度量があったからだよ。
地道な手順を踏んで、否を言わせないアリバイ作りをやっての、あなたの言う所の「物理的な」納得。
イレギュラーと便利な逃げ口上を振り回そうと、便利だからと数段飛ばしの力尽くの君臨と支配で「迎えられた」と
強弁されても、そちらの方が「物理的」過ぎて納得すら得ようとしない暴挙であるとしか。
多少は色気を出して平家筋であると自称したが、まさかそんな短期間で「驕る平家は久しからず」まで
やってしまうとは恐れ入る。
603.名無しさん:2019年09月10日 00:44 ID:8xDagRkv0▼このコメントに返信
>太閤秀吉がいたじゃないか。あと幕府も将軍不在で回した例が何度もあるからそれほどおかしい話でもないぞ。
は? 太閤は秀次に関白を譲ったからでしょ(家康が将軍職を譲ったあとに称した大御所みたいなもの)
秀次を関白から解任し、1598年に秀吉没で太閤も関白もいなくなり、1605年に近衛が関白就任するまで空位状態だったでしょうが

それに、朝廷、内裏における重職の関白と、あくまでも幕府における将軍職を同列に語るとは・・・
604.名無しさん:2019年09月10日 00:52 ID:8xDagRkv0▼このコメントに返信
※601
天皇の位を譲って隠居した院ですが? それがなにか?
605.名無しさん:2019年09月10日 00:53 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※600
やはり「推測から来る〜であったから」は響かず、結果論で考えてしまう。
丁寧な仕事で塗り重ねた漆器のようなものではなく、一気に厚塗して「どうだ!重厚だろう」と
言わんばかりの急拵えの箔付けで格を得たと説明されているようにしか思えず、
重宝されず、敬われず、簒奪すべく狙われもしない「自称でしかないのではないか?」とすら
思わせる「秀吉没後の豊臣の権威」に夢を見て、何故他の家々に事細かに見出す瑕を
「豊臣家」にはなかった事とするのだろうかと。
改めて、権威を道具としか見ていないお方なのだなと。
権威とは自称するものではなく与えさせるものでもなく、数代に渡って積み重ねた先で漸く「賜る」
ものであるのに、例外中の例外を「下々のそれより偉い」と本気で思っておられるのだから。
これに関しては金で売った公家の方に責任はあるにしても、招き入れられ慕われ尊重されたと
自負するのはなかなかな胆力をお持ちであると言う外はない。
606.名無しさん:2019年09月10日 01:03 ID:YmVYQIgg0▼このコメントに返信
※602
>余りに暴論であるかと。
日本最高の権威に将軍不在で勝利した北条義時を語るのが暴論?彼こそ武威で権威を叩き潰した良い例だよ。

>家康は松平家嫡男としての出自を名乗れる
松平家嫡男って誇って名乗れる程素晴らしいものじゃないよ。だから徳川に変えたんだろ。

>如何に絶頂期がすごかろうと…
それは認めているよ。

>捨てたものの中に豊臣本家があり
捨ててないよ。貴方は推測と切り捨てたけど、信長・秀吉も滅ぼした大名の一族には慎重な対応をしている。無駄に権威を持っている豊臣宗家は捨てたくても捨てられない。

>秀吉が上手くやれなかった事を家康が上手くやれた…
一番の理由は秀吉がレールを敷いたから。貴方流の考えで語るなら、「秀吉という暴君より遥かに人格者と思われた家康を皆が選んだ。」ただし、家康も秀吉程ではないが暴君には違いなく何かにつけて喧しい存在になった。

>力尽くの君臨と支配
武家政権は基本的に「力尽くの君臨と支配」だよ。徳川幕府も力尽くから方針転換したのは家綱・綱吉期。

>そちらの方が「物理的」過ぎて納得すら得ようとしない暴挙であるとしか。
朝廷外の秩序を朝廷に持ち込んだ家康が「物理的」じゃないって。過去の武家政権にもない事だよ(鎌倉・室町の場合は武家政権が巻き込まれた)。
607.名無しさん:2019年09月10日 01:07 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
成り上がりと統治に関しては押しも押されぬ名君。
豊臣を賜り室町の後始末をして民衆の生活の安寧を齎した政治手腕は豪腕。
しかして、合理主義の側面が強く俗世の機微を軽く扱う逸話も数見られ、
名家・名族の面子を潰すこと厭わず表立っての反逆はなけれど腹に一物を抱えた物も多く、
嫡男誕生に纏わる「始末の悪い」采配といい、秀頼に盤石な権力基盤を残してやれなかった
輝かしい半生とは打って変わった、立てた家にそぐわぬ余りに不安定な屋台骨。
御家の末を見るに、豊臣の世は秀吉と供に終わったと言わざるを得ない。
608.名無しさん:2019年09月10日 01:09 ID:6p53U9c30▼このコメントに返信
※602
>「驕る平家は久しからず」までやってしまうとは恐れ入る。
豊臣の場合は秀頼ではなく周囲が驕っていたんだがね。全体的に驕っていた平家とは少し違う。

因みに平家筋を主張したのは「信長の後継者」だったから。あと将軍任官の話が来たのはこの時。

※603
>太閤は秀次に関白を譲ったからでしょ(家康が将軍職を譲ったあとに称した大御所みたいなもの)
秀吉は太政大臣を辞めていないのを忘れてるぞ。前関白と太政大臣で権威は十分。

>朝廷、内裏における重職の関白と、あくまでも幕府における将軍職を同列に語るとは・・・
以前公家関白と武家関白は違うとか仰っていなかった?(別人ならすみません)
武家政権は武家の論理で動く。秀吉は関白を幕府の将軍が如く利用していたという事。

※604
院政をググりな。あの時代最高の権威が後鳥羽院。
609.名無しさん:2019年09月10日 01:15 ID:FIvPY.bU0▼このコメントに返信
※607
大体同意だが、

>嫡男誕生に纏わる「始末の悪い」采配といい
これは当時を考慮しないと分かりにくい。応仁の乱以降養子と実子で分裂するケースが多数出ている(毛利家にもあった)。秀吉は未然に防ぐため対処したと考えると一定の評価はできる。

>秀頼に盤石な権力基盤を残してやれなかった
残してやったよ。ただしそれが徳川家康だっただけ。
610.名無しさん:2019年09月10日 01:19 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※606
「松平家嫡男って誇って名乗れる程素晴らしいものじゃないよ。だから徳川に変えたんだろ」
血筋を辿ってロンダリングできるのなら上出来。
秀吉にはそれすらないから、立身出世の途中で名門一色を乗っ取って名門の家督と
名門の血を引く嫡男を作るチャンスがあったら面白いのにな。と妄想したのだし。
個人的に思う「秀吉に足りなかったもの」は、そこに集約されるんだよ。
徳川には「多少強引でも源氏長者たる資格があるから頭を下げても面子は保てる」と
一歩引く口実を与えられたのに対して、秀吉は「源氏の血なぞただの飾り」と
朝廷を従えて威を振るい尻尾を振る人間のみを重用した。
噛み付くには恐ろしく、しかしながら代を重ねた武門のプライドは収まらないと反感を
買っていたツケが没後に噴出して、家康が取りまとめたのだから。
武家が武家として力に傅く理由さえ作ってあげたら、徳川のつけ入る隙なんてなかったのに。
というのが、あなたが「現実」で尽く潰した一色秀吉の妄想。
611.名無しさん:2019年09月10日 01:21 ID:8xDagRkv0▼このコメントに返信
※608
>秀吉は太政大臣を辞めていないのを忘れてるぞ。前関白と太政大臣で権威は十分。
だーかーらー
なんで秀吉が死んだ後の豊臣家にまで秀吉が生きていることみたいにしたいの?
612.名無しさん:2019年09月10日 01:24 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※609
「残してやったよ。ただしそれが徳川家康だっただけ」
それは残したとは言えない。
奪われ利用されたそれは「残せなかった」と言う。
「残してやりたかったけど、守る力までは足りなくて残せなかった」が正しい。
あなたが嫌いな結果論。
613.名無しさん:2019年09月10日 01:28 ID:FIvPY.bU0▼このコメントに返信
※605
>重宝されず
家康に重宝された。
>敬われず
かなりの数の大名に敬われた。
>簒奪すべく狙われもしない
徳川(特に秀忠)に狙われ続けた。

>「自称でしかないのではないか?」
自称でしかないなら10年もかける必要はない。

>「秀吉没後の豊臣の権威」に夢を見て
徳川が脅威に思うほどの権威は存在したし、豊臣の権威を頼りに多くの大名や浪人が集まった(大名は肝心な時に味方しなかったけど仕方ない)。

>権威を道具としか見ていないお方
武家は権威を支配の道具としか見てないよ。初代天下人源頼朝からしてそうだし。

>数代に渡って積み重ねた先で漸く「賜る」
その例外が秀吉。
614.名無しさん:2019年09月10日 01:38 ID:FIvPY.bU0▼このコメントに返信
※605
>例外中の例外を「下々のそれより偉い」
実際その例外は「下々のそれより偉」かった。家康もその例外中の例外のおかげで清華家となった。

>招き入れられ慕われ尊重されたと自負する
少なくとも秀吉はそう思っただろうし、それは事実。

※610
>個人的に思う「秀吉に足りなかったものは、そこに集約されるんだよ。
それを補うのが豊臣よ。

>徳川には「多少強引でも源氏長者たる資格があるから頭を下げても面子は保てる」
だから家康をそこまで引き上げたのは秀吉だって。源氏なら誰でも氏長者になれる訳じゃないんだよ。

>朝廷を従えて威を振るい尻尾を振る人間のみを重用した。
家康の事だね。

>没後に噴出して、家康が取りまとめたのだから。
没後に噴出したのは中途で終わった唐入りに満足できない連中の領地欲。「武門のプライド」なるものは鉢植え大名にしてしまった時点で落ち切っている。あるのは権力・領地に対する野心ばかり。
615.名無しさん:2019年09月10日 01:44 ID:FIvPY.bU0▼このコメントに返信
※610
>武家が武家として力に傅く理由さえ作ってあげたら、徳川のつけ入る隙なんてなかったのに。
家康は不完全な豊臣政権を豊臣家の一員として崩した。武家はさらに強い力になびいただけ。

※611
失礼。よく見てなかった。
端的に言うと内大臣徳川家康・秀吉の正室北政所が後見していたから。

※612
結果としてはそうだけど、秀吉は秀頼を守るため家康に成人までの政務を任せた。この時点では確かに残していたんだよ。
616.名無しさん:2019年09月10日 01:49 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※613
「自称でしかないなら10年もかける必要はない」
10年程度で権威の重みを言われてもとしか。
秀吉が得たもの、作ったものは本物であっても、その描いた先やノウハウを
没するまでに「秀頼や家臣団が実行できるレベル」に落とし込んで伝えて
実行されなかったのであれば、それは失伝してしまったんだよ。
所詮10年、秀吉のみが存分に振り回した武力の脅しなのか権威の威光なのか。
使い方も知らず、扱える器量もなく、支える忠臣すら持たない秀頼に押し付けられた
「秀吉の傲慢を具現した道具」たる権威のようなもの。
力なき者は傅けとの先代の教えよろしく、豊臣は持て余したそれを存分に振るえず
力なき大将に付く目はないと縋る家名を持つ武門は旧守を是とする徳川に与して、
世の春を謳歌した家とは思えない末路を迎える始末。
徳川にしても「恐れ多い権威」でもなく「武門がいたずらに触れるには僭越過ぎる」それを
持て余しただけであるし、秀吉ありきの「権威のようなもの」はそれを創り出した怪物の
寿命とともに尽きてしまったんだよ。
だから豊臣家としての権威なんて存在していない。
あれはイレギュラーが生み出して、その個人の力と不可分な「その時だけ」の代物。
秀吉並みの器があって、それを存分に振るえる跡継ぎにバトンタッチできた時のみ
権威の積み重ねが始まるけど、徳川ですら落ちたそれを持て余して塩漬けにした
当時の武家には過ぎたるもので、権威という既存の枠組みには入れられないもの。
617.名無しさん:2019年09月10日 01:51 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※614
「少なくとも秀吉はそう思っただろうし、それは事実」
思ったろうかどうかは不明。事実は言い過ぎ。
上座の一位と二位の間に座布団を放り込んで綽々と座ったと思う。
という推測を事実と言ってしまったら正反対になるだろう?
618.:2019年09月10日 01:53 ID:1TIsN5380▼このコメントに返信
このコメントは削除されました。
619.名無しさん:2019年09月10日 01:55 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※615
「結果としてはそうだけど、秀吉は秀頼を守るため家康に成人までの政務を任せた。この時点では確かに残していたんだよ」
残したかったけど、残せなかった。
動機は結果を覆せないんだから、希望的観測を事実化しないで欲しい。
秀吉を主体に考えすぎて、秀吉没後の豊臣家を軽んじでいやしないか?
秀吉は豊臣家を作ったが、豊臣家の全てが秀吉ではない。
620.名無しさん:2019年09月10日 01:56 ID:FIvPY.bU0▼このコメントに返信
※616
>「自称でしかないなら10年もかける必要はない」
失礼。これは「自称でしかないなら豊臣家攻略に10年もかける必要はない」が正しいのでご指摘の内容とは違う。

>使い方も知らず、扱える器量もなく
ご指摘通り。

>支える忠臣すら持たない
片桐且元がいたよ。追い出したけどね。

>豊臣家としての権威なんて存在していない。
存在はしたさ。だから徳川も対処に10年もかけた。秀頼は無能だけど豊臣という名前は脅威。

>徳川ですら落ちたそれを持て余して塩漬けにした
いらなかったのと豊臣家の弱体化が主な理由だね。
621.名無しさん:2019年09月10日 01:58 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※618
あちらの人は秀吉をここまで美化しない。
不思議なくらい「秀吉だから許される」を連呼しているのは理解できないが、
それ以外は博識だし色々な角度で分析されているかと。
ただ、個人的に楽しみたかった妄想を「事実はこうだから無理」と切って捨てたのは
ご自身が抱いている「秀吉だから許される」みたいな態度で嫌い。
622.名無しさん:2019年09月10日 02:00 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※620
「片桐且元がいたよ。追い出したけどね」
つまり、忠臣はいなくなったと。
結果的に豊臣家を支える忠臣はいないではないか。
結果論。
623.:2019年09月10日 02:05 ID:hjkqJFoF0▼このコメントに返信
このコメントは削除されました。
624.名無しさん:2019年09月10日 02:08 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※620
「存在はしたさ。だから徳川も対処に10年もかけた。秀頼は無能だけど豊臣という名前は脅威」
その10年は豊臣が脅威でなくなるのを待ち続けた10年。
名前だけで実が伴わなくなった「豊臣家」だから権威なんてないと言っている。
秀吉がいなければ、その影響が薄まれば、そんな趨勢の移り変わりを許してしまった10年。
豊臣の名と威光を守る術を秀吉は伝えられなかったし、実行できる器量を持つ家臣もいなかった。
最も間近でそれを見て「公家への領分を如何に返すか」と武家の棟梁に立ち戻り、所領安堵の
空手形を出しまくったりの工作をしていたのが家康。
秀吉しかできない事だらけだったのに引き継げなかったから、豊臣家は秀吉の豊臣でなくなった
瞬間から衰退するしかなかったという結果論。
625.名無しさん:2019年09月10日 02:10 ID:8xDagRkv0▼このコメントに返信
※620
秀吉亡き後の豊臣家という存在にあなた自身がすでに答えだしていらっしゃいますよね?
626.名無しさん:2019年09月10日 02:11 ID:rRudWahH0▼このコメントに返信
※621
フォローしてくれてありがとう。

>「秀吉だから許される」を連呼しているのは理解できない
言っておくが秀吉は専制君主として何をしても許される立場にいたんだよ。日本史には専制君主がいないから分かりにくいだろうけど、中国史とか勉強すれば秀吉なんて赤子レベルだと分かるよ。

>個人的に楽しみたかった妄想を「事実はこうだから無理」と切って捨てた
ごめんなさいね。否定するつもりはなかったんだが、秀吉は信長死後がスタートラインであってそれ以前は準備をしようなんて発想自体なかったと分かって欲しかった。

※622
そうだよ。結果を否定する気はないからね。
627.名無しさん:2019年09月10日 02:12 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※623
「え?秀吉亡き後の豊臣に権威なんてないという貴方からそんな発言が出るとは」
なぜ驚かれるのかがわからない。
秀吉没後の豊臣家ははっきり言って取るに足らない家だと何度も言っている。
あなたが秀吉没後の豊臣家に秀吉の亡霊を纏わせて秀頼は飾りだけの君主で豊臣家は
秀吉の威光に支え続けられている権力と権威の象徴で有り続けたかのように話されているので。
没後、秀頼の豊臣は余り触れたくありませんか?
「権威なぞない」は、まさにそこからの豊臣家に対してなのですけれど。
628.名無しさん:2019年09月10日 02:17 ID:rRudWahH0▼このコメントに返信
※624
>その10年は豊臣が脅威でなくなるのを待ち続けた10年。
そう言っている。貴方は遠回しに豊臣には徳川が脅威に感じるほどの権威があったと認めているんだよ。

>豊臣の名と威光を守る術を秀吉は伝えられなかったし、実行できる器量を持つ家臣もいなかった。
そうそう。

>「公家への領分を如何に返すか」と武家の棟梁に立ち戻り
どうも家康の朝廷観については意見が合わないな。家康は秀吉のせいで増長した公家権力を縛り付けたかった。

あと秀吉も武家の棟梁ね。

>秀吉しかできない事だらけだったのに引き継げなかったから、豊臣家は秀吉の豊臣でなくなった瞬間から衰退するしかなかったという結果論。
そうそう。その通り。厳密に言えば家康が離脱してからだけど。
629.名無しさん:2019年09月10日 02:20 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※626
「言っておくが秀吉は専制君主として何をしても許される立場にいたんだよ」
後継者の数と器と年齢が足らず失伝したし、当時参戦した大名の半数は徳川に付いたから
立場上許されていても人徳を慕われていたとまでは言えないけれどね。
恨みを買った割には捌き方も後継に残せなかったという点で、家長としては下の下。
豊臣家を作った男ではあるけれど、家長としては下の下。
630.名無しさん:2019年09月10日 02:21 ID:rRudWahH0▼このコメントに返信
※625※627
秀吉亡き後の豊臣なんて権威があるだけの抜け殻。

>没後、秀頼の豊臣は余り触れたくありませんか?
散々触れているよ。そして権威以外何もないって言っている。秀頼には徳川の武威に負ける程度の権威しかない。
631.名無しさん:2019年09月10日 02:25 ID:rRudWahH0▼このコメントに返信
※629
>後継者の数と器と年齢が足らず失伝したし
>恨みを買った割には捌き方も後継に残せなかったという点で、家長としては下の下。

うん。武家として一番の失態。秀吉にも当然欠点はある。以前言った変に甘いところが遺言にもはっきり出ている。

>当時参戦した大名の半数は徳川に付いたから
関ヶ原のことを言っているなら、秀頼の人望を家康が利用した戦いなので違うぞ。
632.名無しさん:2019年09月10日 02:26 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※628
「どうも家康の朝廷観については意見が合わないな。家康は秀吉のせいで増長した公家権力を縛り付けたかった」
縛り付けたかったという史実からの推測?
こちらの推測では「公と武は互いに敬して侵さず」の回帰と徹底。
公の威で武家に口出しする事を許さず、武の威で公家を脅かすことなかれ。の事なかれ主義。
という史実からの推測。
公家に実権を持たせない為に武威をちらつかせて「わかってるな?」をやったってのは共通してるけど、
公家の領分は尊重して秀吉の時みたいに「そちらの権威や序列」には一方的に手出ししませんよ。という表敬を
あったとするかどうか程度?
633.名無しさん:2019年09月10日 02:28 ID:8xDagRkv0▼このコメントに返信
※630
朝廷・公家衆への工作、外交政治力も武家へのそれらももう秀吉ほどの力量がなかった
決して武威だけに負けたわけじゃない
634.名無しさん:2019年09月10日 02:28 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※630
「散々触れているよ。そして権威以外何もないって言っている。秀頼には徳川の武威に負ける程度の権威しかない」
ここの「権威」の有無はきっと相容れない。
秀頼どころか家康も持て余す「秀吉が権威として振るっていたなにか」で、武威をぶつける以前に「張れない」代物。
635.名無しさん:2019年09月10日 02:28 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※634
という認識なので。
636.名無しさん:2019年09月10日 02:34 ID:rRudWahH0▼このコメントに返信
※632
>史実からの推測?
そう。秀忠になるとさらに厳しい締め付けが待っている。

>「公の威で武家に口出しする事を許さず、武の威で公家を脅かすことなかれ。の事なかれ主義。」
ただし徳川は特別だというのがこちらの推測。皇位継承や朝廷人事への介入、公家の学問統制…などなど。

>「そちらの権威や序列」には一方的に手出ししませんよ。という表敬をあったとするかどうか程度?
そんなところかね。
貴方は否定するだろうけど、朝廷にとっては秀吉の方が幸せだったと思うよ。関白は奪われたけど秀吉に従うなら自由があったからね。
徳川は束縛に束縛の連続で息が詰まった事だろう。
637.名無しさん:2019年09月10日 02:35 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※626
「秀吉は信長死後がスタートラインであって」
秀吉のスタートは裸一貫に等しい身分からの成り上がりで、
ゴールを「たった1人だけが上り詰めた天下人」だけではなく「太平の世にする事」
であってもいいのなら、信長の隣で天下統一を祝うとかあってもいいなーの妄想ですので。
「武家として一番の失態」を避けうる環境に至らない下地として「ちょうどいい雑魚」として
名門一色を道具にする傲慢は僕にもある訳ですし。
638.名無しさん:2019年09月10日 02:39 ID:rRudWahH0▼このコメントに返信
※633
まあね。でも根本的には武力の差だよ。

※634
以前触れたけど、豊臣姓は中臣鎌足の藤原姓以来の快挙とされていたんだよ。藤原と同格の姓が誕生したのは非常に大きい。豊臣氏長者は関白に任官する都合で、付随する藤原氏長者も兼任する事になるから絶大な権威があった(秀吉・秀次期には藤原氏に氏長者がいない)。
639.名無しさん:2019年09月10日 02:39 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※636
「貴方は否定するだろうけど、朝廷にとっては秀吉の方が幸せだったと思うよ。関白は奪われたけど秀吉に従うなら自由があったからね」
羽振りのいい生活という面では間違いなく。
ただ、名家の自負を軽んじられた恨みは代々受け継がれるから絶大な支持までは行かないかと。
飢えを凌げたら施された恩を忘れて氏素性を言い出すでしょうから。
それと、大陸攻略に成功してしまったら朝廷は幸せどころじゃなく格下げは避けられないと思うので
別のドラマが展開されていたかと。
640.名無しさん:2019年09月10日 02:42 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※638
「豊臣姓は中臣鎌足の藤原姓以来の快挙とされていたんだよ」
一族さえ揃えられていれば栄華はあったのかもなので、一色秀吉のIFで妄想するのがお勧めですよ?
天下人を目指すのであれば信長さんは史実通り退場して頂く必要がありますが。
641.名無しさん:2019年09月10日 02:43 ID:rRudWahH0▼このコメントに返信
※637
こちらは「天下人としてのスタートライン」を示しているのに対して、貴方は「武家としてのスタートライン」を示している訳か。

前提が違うならそりゃ意見が合わないね。

信長死後がスタートラインならどうしても史実が理想のゴールになってしまう。秀吉がせめて明智光秀ぐらいの家に生まれていたなら…
642.名無しさん:2019年09月10日 02:46 ID:rRudWahH0▼このコメントに返信
※640
一色秀吉なら信長の退場はなかったかもね。義昭と和睦できているという事だろうし。

※639
長期的に考えたらそうなるだろうね。
643.名無しさん:2019年09月10日 02:48 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※628
「そう言っている。貴方は遠回しに豊臣には徳川が脅威に感じるほどの権威があったと認めているんだよ」
少し違う解釈です。
脅威であれど権威にあらず。
結構前に出した「太閤秀吉の熱量に浮かされた時代」の熱が引いて秀吉のいない現実が見えてくるのを
待っていたという時間であるかと。
イレギュラーで創ったものではない、元来の権威という存在は熱が引くように価値が減るものではないので。
644.名無しさん:2019年09月10日 08:14 ID:73xOdvrW0▼このコメントに返信
※643
>脅威であれど権威にあらず
どうかな?秀吉は自らを源頼朝と同類と語った(頼朝は流刑になった際に身分もどん底に落とされている)んだけど、頼朝も源氏の血・そしてわずかながらの元官位が権威として通用した(もちろん先祖の影響もあるだろうが)。

頼朝でこれなら現役公卿の秀頼はどうかな?他ならぬ太閤秀吉の血が流れている存在。
無駄に権威と金だけがある厄介な御輿だと考えたとしてもおかしくない。史実でも成人後の直接対面で家康が排除を決めたそうだし。
645.名無しさん:2019年09月10日 09:30 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※644
「秀吉は自らを源頼朝と同類と」
強大なのは秀吉であって、豊臣家に秀吉が残したものは然程ではないのでは?と
確信させるのに必要だったのが10年のという期間だったという見解。
これが誰もが認めるレベルの権威であれば、徳川が東であれこれと策謀を巡らせている間に
朝廷以下公家衆が秀頼を傀儡とするべく豊臣一門を懐柔に走ったろうし。
無駄に金と力があって、尚且つ当代が御しやすいのであればこれ幸いに骨の髄まで
しゃぶりつくさんと群がるのが公家・公卿のしたたかさであるのだから。
だから「引き継がれず、再利用もされずに持て余された権威ではない代物」であると。
恐ろしくはあれど貴くはなかったのが秀吉の血。
貴くはあれど恐ろしくなかったのが秀頼に淀殿の血。
貴い脈に恐ろしい素養が備わった血族という次なる可能性の枝を作れるだけの環境、人脈、
人望までは手に入らなかったのが、秀吉個人でも如何様にもできなかった限界点。
養子と実子で分裂するケースが多数出るケースも枚挙に暇がない悩み所であったとしても、
消えてなくなるのに比べたら分裂してでも残るのが次善であると思うのだが。
それこそかつての主家たる織田家のように、実子・係累がいても実力や野心が伴わず、
信長の後継者として臣下が後見人として執権を得て「織田家は頼もしい部下の庇護の元存続」が
許されたように、家としての命脈を保つ保険が作れなかった。
だから「秀吉亡き豊臣家」は持て余され、終ぞ日の目を見る事無くひっそりと断たれた。
646.名無しさん:2019年09月10日 22:40 ID:Byab5Pzu0▼このコメントに返信
※645
>強大なのは秀吉であって、豊臣家に秀吉が残したものは然程ではないのでは?
他ならぬ家康が「豊臣家に秀吉が残したもの」を最大限利用・警戒していたからねぇ。

>確信させるのに必要だったのが10年
こちらは「武家関白という例のないイレギュラーを上回るために徳川が必要とした10年」という解釈だね。

秀吉の織田偏重を考慮しても主家を裏切ったという後ろめたさが徳川にあったと思う。だからこそ当初は豊臣を生かした。そして体制が安定したところで勝負を賭けたのだろう。

>骨の髄までしゃぶりつくさんと群がるのが公家・公卿
そこは徳川の朝廷工作の優秀さを評価すべきところ。豊臣は摂関家だからとたかをくくっていたんだろうね。

>「引き継がれず、再利用もされずに持て余された権威ではない代物」
「引き継げず、再利用もできずに捨てられた権威」だろう。豊臣の再利用がなかったのは徳川の対策がバッチリだった事による。実際徳川の世が終わった後に秀吉の権威・武威は大いに利用される事となる。
647.名無しさん:2019年09月10日 22:57 ID:Byab5Pzu0▼このコメントに返信
※645
>恐ろしくはあれど貴くはなかったのが秀吉の血。貴くはあれど恐ろしくなかったのが秀頼に淀殿の血。
豊臣家は武家でもあるため武力での立場の証明が欠かせない。イレギュラーであったデメリットが出た瞬間だよ。イレギュラーは利点のみを生み出した訳じゃない。

徳川を超える貴い血だからこそ取り込もうとした(秀忠の正室)し恐れた。

>人望までは手に入らなかったのが、秀吉個人でも如何様にもできなかった限界点。
秀吉の人望を豊臣家の人望とできなかったのが失敗かな。

>分裂してでも残るのが次善であると思うのだが。
怒られるかもしれないけど、それは「結果論」だよ。秀吉は織田家の世継ぎ争いを巧みに利用して成り上がった。それを知る秀吉が家を割る要因を作る訳がない。

昔「秀頼を秀次の婿養子にして緩やかな権力・権威の移譲を行えばよかったのでは」と思ったが、家康の事を考えると間違いなく失敗する。
家康にしてみればその方がやりやすい。秀吉を見本にして、片方についてもう片方を潰した後に利用したやつを消せばいいだけ。
秀吉が未然に防いだおかげで家康は開戦理由を外様に求めないといけなくなった。

>「織田家は頼もしい部下の庇護の元存続」
結局のところ権威の有無が全てだよ。天下人に掠っただけの織田家と天上人となった豊臣家との違い。織田は放置できるレベルだが、豊臣は無理。
648.名無しさん:2019年09月10日 23:17 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※646
「実際徳川の世が終わった後に秀吉の権威・武威は大いに利用される事となる」
やっぱりここがネックなんですよね。
「豊臣家の」ではなく「秀吉の」と、そう言ってしまうくらいに個人の業績が強すぎる。
家康以下徳川は、秀吉ほどの「すべてを飲み込む器」は持っていないと自覚していたし、強烈な家のカラーは
代替わりで苦労するというのを今川、織田、豊臣の家の行く末を見たから「家として」代々受け継げる
システムを構築するにあたり、公家のヒエラルキーを侵すのを避けて権威の丸呑みを踏襲せずに「武家として」
だけで豊臣を超えて、公家に対しては「古くから武家に許していた範囲」の最高位で弁えるという一線を引いて
尊重して、結果的に上手く継承できるシステムに仕上げたんだから。
天上人になる事を至上命題にしているから、後始末の結果論は家康個人に「してやられた」という感想に
寄せてしまうのでしょうけれど、こちらは代々引き継げてようやく認められるものを家と権威としていますので。
なので、死んでしまえば名も惜しまれず御家の存続もされず、歴史に埋もれた「豊臣家」はイレギュラーで始まり
イレギュラーのまま持て余されて終わった。
秀吉が個人として勝ち抜いて頂点に立ったと誇るのであれば、家康は代を重ねて頂点に立ち続けただけ。
649.名無しさん:2019年09月10日 23:24 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
秀吉のは脅威の中でもとびきりたちの悪い脅威で、周到に既存の権威のシステムに
紛れ込んでいたに過ぎないもの。
だから秀吉個人さえ消えてしまえば、豊臣の家に残された「脅威で権威と言わせていたもの」は
「権威と言われていたもの」にスケールダウンして、でも他の誰も扱いきれないから秀吉の血は
残す価値なしと飼い殺しにされてしまった。
例えとして不快にされる方も多いかと思うが、秀吉は1000年に一度レベルのゲリラ豪雨に
過ぎないのに対し、徳川は100年に一度レベルの長雨って感じ。
総降水量は後者が上だけど時間あたりの降水量は比べ物にならないというスパンと計測方法の違い。
650.名無しさん:2019年09月10日 23:32 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
権力や脅威は短期間で育み成し遂げることができても、権威や伝統は一朝一夕で認められるものではない。
だからイレギュラーで作られた権威は継承に失敗した時点で権威ではなくなる。
せめて、最高位を極めている時に「豊臣の血を分けて下さい」と姻戚と子孫を望まれるくらいには人望があれば
話は違ったんだろうけど、そこまでは受け入れられなかったのか秀吉本人が弱者に血なぞ施さぬと拒んだのか。
651.名無しさん:2019年09月10日 23:44 ID:Byab5Pzu0▼このコメントに返信
※648
「秀吉の権威=豊臣の権威」だしね。秀頼は秀吉が残したものを食い潰していただけだけど、それでも脅威だったのが豊臣の力。

>天上人になる事を至上命題にしている
この部分がよく分からないんだけど、関白は親王が許される「殿下」を使う事が許される「名誉皇族」だから天上人なのは事実。

>家康個人に「してやられた」
「徳川家」にだよ。家康のみなら豊臣は生き延びていた。

>尊重して、結果的に上手く継承できるシステム
硬直させ、上手く継承するしか選択肢を残さなかったシステムね。しかもそれすら幕府の都合でしかなく不利益が出れば平気で前例を曲げる(尊号一件が有名)。

>イレギュラーで始まりイレギュラーのまま持て余されて終わった。
うん。イレギュラーであった事が幸運であり悲劇であった。

>秀吉が個人として勝ち抜いて頂点に立ったと誇るのであれば、家康は代を重ねて頂点に立ち続けただけ。
まあそうだね。家康だけなら豊臣には勝てなかったし、15代も続かなかった。
652.名無しさん:2019年09月10日 23:57 ID:irazY2Gc0▼このコメントに返信
※651
「この部分がよく分からないんだけど、関白は親王が許される「殿下」を使う事が許される「名誉皇族」だから天上人なのは事実」
いえ、あなた個人の価値観。
そこで本会を成し遂げた事に重きをおいて、後世に引き継げなかった事は然程の失点とせず歴史の必然とされているので。
秀吉の豊臣の間は「秀吉の権威=豊臣の権威」であれども、秀頼の豊臣になってからは「豊臣の権威?」に傾き、
豊臣の熱が引いた時に厚塗した漆にヒビが入るが如く「あれは秀吉だから成立していたものだった」に落ちてしまった。
だから豊臣家の末路から見て「あれは権威になるほどの実績を積めていなかった」という結論。
僕が家・血脈を存続させる事に重きをおいているから。
如何に秀吉が強大であったとしても、徳川家が積み上げ残した権威には比べるべくもなく「軽すぎる」代物。
武家の権威しか持たない徳川よりも公武を兼ね備えた秀吉時代の方が上という「最大値」の評価ではなく、権威は積み重ねて
箔がつくものという価値観で量る「総合値」の評価をしているので。
653.名無しさん:2019年09月10日 23:58 ID:Byab5Pzu0▼このコメントに返信
※649※650
>「脅威で権威と言わせていたもの」は「権威と言われていたもの」にスケールダウン
「無敵の権威」が「脅威ではある権威」にスケールダウンじゃないかなぁ。

>他の誰も扱いきれないから秀吉の血は残す価値なしと飼い殺しにされてしまった。
残す価値がないなら飼い殺しにせずさっさと物理的に殺しているよ。秀頼の豊臣でもそれができないぐらいの価値はあった。

>秀吉は1000年に一度レベルのゲリラ豪雨に過ぎないのに対し、徳川は100年に一度レベルの長雨
例えが難しいが、秀吉と家康にそれ程の差はないよ。家康も専制君主でなかっただけで独裁者であるのは変わらない。

>最高位を極めている時に「豊臣の血を分けて下さい」と姻戚と子孫を望まれるくらいには人望
その例が徳川ね。

>そこまでは受け入れられなかったのか秀吉本人が弱者に血なぞ施さぬと拒んだのか
施す程には血が足りない。一番血をばら撒いていたのが秀次なのは皮肉。

血族の少ない豊臣家の場合は「豊臣の名を分けて下さい」になる。
豊臣政権は緩やかな親族経営。だからこそ家康が真っ先にした事は豊臣姓の放棄。
654.名無しさん:2019年09月11日 00:02 ID:.gb4Xkjg0▼このコメントに返信
意図して混ぜているのかはわからないけれど、権威と脅威は別ですよね?
混同してしまうと朝廷は単体で究極の驚異となってしまいますが。
脅威で権威を掌握して権威を弄んだのが秀吉個人で、秀頼個人は秀吉ほどの脅威がなく
権威を掌握できておらず時間の経過とともに「秀吉の脅威の記憶」が薄れて家康の
手練手管が通用するようになった。
ですよね?
655.名無しさん:2019年09月11日 00:09 ID:PC67uNMh0▼このコメントに返信
※652
>いえ、あなた個人の価値観。
価値観ではなく事実だよ。摂関家が別格なのもそれが理由。彼らは皇族に片足を突っ込んでいる(近衛家に至っては皇族が養子に来た事がある)。

>後世に引き継げなかった事は然程の失点
武家が家を残せないのは一番の失点。秀吉は当然、信長もそう。江戸時代の大名間での信長の評価は「負け犬」。

>「あれは権威になるほどの実績を積めていなかった」
「権威を固定化する程の実績をつめていなかった」だと思う。秀吉を頂点に豊臣の権威は落ちる一方だったし。

>武家の権威しか持たない徳川よりも公武を兼ね備えた秀吉時代の方が上という「最大値」の評価

こちらは秀吉と家康のどちらが上かとは言った事がないが、徳川も公武を兼ね備えているよ。
秀吉のやり方を見て修正しただけで公武を利用したのは同じ。秀吉と家康に貴方が思う程の差はない。
656.名無しさん:2019年09月11日 00:16 ID:Bf9oJxeN0▼このコメントに返信
※654
>権威と脅威は別ですよね?
当たり前だよ。貴方は秀吉の権威を「権威ではなく脅威」と解釈しているから齟齬が起きているだけ。

>朝廷は単体で究極の驚異
武家政権にとって朝廷は「単体で究極の驚異」だよ。幕府が潰れるのはいつも「朝廷の権威が幕府の武威を上回った時」だし。

>脅威で権威を掌握して権威を弄んだのが秀吉個人
弄んだ?最大限利用するためには最大限の尊重が必要だよ。朝廷を蔑ろにしたら天皇の権威が最大の後見である秀吉の権威が下がる。

>秀頼個人は秀吉ほどの脅威がなく権威を掌握できておらず時間の経過とともに「秀吉の脅威の記憶」が薄れて家康の手練手管が通用するようになった。
同意だね。秀頼には秀吉程の脅威(武力)がなかった。だから家康がつけ込む隙ができた。
657.名無しさん:2019年09月11日 00:21 ID:Bf9oJxeN0▼このコメントに返信
※655
皇族が養子に来た→皇族が当主になるため養子に来た
658.名無しさん:2019年09月11日 00:23 ID:.gb4Xkjg0▼このコメントに返信
※653
「最高位を極めている時に「豊臣の血を分けて下さい」と姻戚と子孫を望まれるくらいには人望 > その例が徳川ね」
しっくり来ないのでwikipediaで調べてみましたが、豊臣との姻戚ではあるけれど最高位を極めている秀吉でもなく
秀吉の残党狩りの神輿になって徳川の管理下に置かれた秀頼に対するものでした。
この時系列が本当であれば、もう豊臣の夢ではなく公武分離の徳川体制での再利用を模索されていた時期という
印象でしかないと受け止めてしまいます。
言葉が悪かったですが「絶頂期の豊臣秀吉」の血に群がる事はなかったのかな?という意図でしたので。
申し訳ない。
659.名無しさん:2019年09月11日 00:32 ID:.gb4Xkjg0▼このコメントに返信
※655
「秀吉のやり方を見て修正しただけで公武を利用したのは同じ。秀吉と家康に貴方が思う程の差はない」
朝廷に並び立ち摂家は武威を伴わない半歩下、それ以下は関白豊臣にひれ伏すべし。の秀吉と
公家から賜る将軍に収まります。ただし公家衆の武家の取り込みには厳しく当たります。の家康に
差がないと思われるのも、権威の価値に対するスタンスの差であると。
ここはもう折り合いつきませんよね、ほんの数年だろうと絶対的な権威があると仰るあなたの価値観と、
それはあなたの言葉でイレギュラーな代物に過ぎず数年間の価値観で軽いし積み重ねもできなかった
権威のなりそこねと断言する僕の価値観の衝突なので。
660.名無しさん:2019年09月11日 00:33 ID:5JPKGYST0▼このコメントに返信
※658
>豊臣との姻戚ではあるけれど最高位を極めている秀吉でもなく
秀吉の妹をいただいた。別居してたけど生涯離縁していない。

>言葉が悪かったですが「絶頂期の豊臣秀吉」の血に群がる事はなかったのかな?
前にも言ったが豊臣には与える血が少なすぎる。だから血の代わりに「豊臣姓」を与えた。
貰った側は秀吉の一族に加わった形になる。それで大きくなったのが豊臣政権。

だからこそ家康が豊臣家離脱のため真っ先にやったのが豊臣姓の放棄。
661.名無しさん:2019年09月11日 00:44 ID:5JPKGYST0▼このコメントに返信
※659
>権威の価値に対するスタンスの差であると。
そうだろうね。武家政権として大々的に一線を超えた秀吉で、一線を越えるが巧妙に隠したのが家康だし。

>ほんの数年だろうと絶対的な権威があると仰るあなたの価値観と、それはあなたの言葉でイレギュラーな代物に過ぎず数年間の価値観で軽いし積み重ねもできなかった権威のなりそこねと断言する僕の価値観の衝突なので。

そうだね。貴方のお話は中々興味深いんだけどそれだけは合わなかった。

秀吉は本来何代かに分けて積み重ねるべきものを一代で積み切ってしまった。故にイレギュラー。
662.名無しさん:2019年09月11日 00:46 ID:.gb4Xkjg0▼このコメントに返信
※660
「前にも言ったが豊臣には与える血が少なすぎる」
ここも共通の認識。
そして、絶頂期の秀吉に侍るべく姉妹や娘を差し出して英雄の血を己の血族に連ねたいと
打診、斡旋する家がなかった事から「押しも押されぬ名族」として迎え入れられていたのかな?という疑問。
これを結果論で「その時代に当たり前のようにあった婚姻外交すらなかった」という点を重く見ています。
そして、豊臣姓の手形も秀吉が去れば家康の市場操作の後押しもあって値崩れしてしまいましたから。
663.名無しさん:2019年09月11日 00:56 ID:5JPKGYST0▼このコメントに返信
※662
>絶頂期の秀吉に侍るべく姉妹や娘を差し出して英雄の血を己の血族に連ねた
>「その時代に当たり前のようにあった婚姻外交すらなかった」

イレギュラーな存在である豊臣家に一般論を当てはめているのが不思議。豊臣家は姓を与える事で同族になった。それを氏長者秀吉が統率するのが豊臣政権の本質。

当時の有力者は「押しも押されぬ名族」になるため血ではなく名前を貰った。血は少ないため貰えたのは極一部。その極一部に徳川がいたのが不味かった。

>豊臣姓の手形も秀吉が去れば家康の市場操作の後押しもあって値崩れしてしまいましたから。
そうだね。
664.名無しさん:2019年09月11日 01:00 ID:.gb4Xkjg0▼このコメントに返信
※661
「一線を越えるが巧妙に隠したのが家康だし」
僕の言うところの「納得」がそこにありますね。
散々持ち上げた権威に対しては失礼ではあるけれど、権威には敬うポーズを常に示して
金と飯を与えておけばそこそこの関係を築けるし、下に置かない扱いで増長すると
私兵を持ちたがったり武家を取り込んで権勢に色気を出すので、そこだけは譲らず
貴種・貴族の面子を保てるよう謙るので、人事についてのみ口は出します。
と水面下の脅しを入れて共存の「納得」。
武家に対しては、単純に「源氏長者を名乗るアリバイ作りをしたから徳川が源氏長者ね」と
武家が徳川に下っても面子が保てるようにした「納得」。
足利末期のような力無き源氏長者でもなく、豊臣を手中に収め飼い殺しにした徳川という
「熱が引ききる前の豊臣家」を利用した武威の演出もあったのでしょうけど、力があって
新田流にロンダリングできる血があっての徳川になら「矛を収めて下ってやらんでもない」と
引いても面子は保てますので。
秀吉は下々の納得を「必要とはしなかった」ので、結果的に家の命脈はか細い綱渡りに
なってしまった。
665.名無しさん:2019年09月11日 01:09 ID:.gb4Xkjg0▼このコメントに返信
※663
「イレギュラーな存在である豊臣家に一般論を当てはめているのが不思議」
豊臣家はイレギュラーでも、他の家は「当時の価値観」で生きていたんですよ?
「秀吉存命の豊臣家」が婚姻外交を「不要」と切り捨てたのであれば血族を残すチャンスを
不意にした失点だったろうし、他の家が「一般論的に絶対強者に取り入ろう」と婚姻外交を
しなかったのであれば、迎え入れたというのは表面上のものに過ぎなかったのだろうと。
立志の途中で譜代ツートップから羽と柴を許された喜びがあったから、氏の下賜に過度の
期待を持って血族に並ぶものとしてしまったのか。
666.名無しさん:2019年09月11日 01:10 ID:I0.w4.4X0▼このコメントに返信
※664
「納得」に関しては意見が近いね。朝廷権威を最大限持ち上げたのが秀吉で、ある程度で押さえつけたのが家康。

>足利末期のような力無き源氏長者でもなく
足利末期に源氏長者はいない。 そもそも征夷大将軍は家康が引き上げるまでそれほど高位ではなかった。

>新田流にロンダリングできる血
金の力だよ。あと源氏→羽柴氏(豊臣姓)→源氏。

>秀吉は下々の納得を「必要とはしなかった」
そうそう。
667.名無しさん:2019年09月11日 01:21 ID:yhRv3WbD0▼このコメントに返信
※665
豊臣家は当時としても凄く浮いていたんだろうね。

>「秀吉存命の豊臣家」が婚姻外交を「不要」と切り捨てた
切り捨てていない。逆に重視していたからこそ清華家で外様最強である徳川との関係を「血で」結びつきを強くした。

>迎え入れたというのは表面上のものに過ぎなかったのだろう
一般の家が婚姻で拡大するのと同じ感覚で豊臣姓を与えていたという事。秀吉は家長なんだよ。

>立志の途中で譜代ツートップから羽と柴を許された喜び
それガセだよ。丹羽は当時軽輩(出世したのは秀吉配下になってから)だから、もし本当なら柴田が怒る。「軽輩と同格に見てるのか?」とね。
推測だが、恐らく羽柴は秀吉が勝手に創った氏で、後世の人々がそう解釈しただけ。
なお秀吉は羽柴を終生大事にしてお気に入りだけに羽柴氏を名乗らせた(豊臣姓より狭き門)。
668.名無しさん:2019年09月11日 01:25 ID:.gb4Xkjg0▼このコメントに返信
※666
「朝廷権威を最大限持ち上げたのが秀吉」
僕の見解では、天皇以外の公家の権威を軽んじたという点でアウトなのです。
持ち上げたのではなく、己の尊大さを示す為に秀吉に恐るる者なし(ただし天皇は除く)をやってしまったら、
権威を尊重したとは言えなくなると思っています。
下々を黙らせる為にトップにだけ恭しく接して、それで「尊重」になるのかと。
669.名無しさん:2019年09月11日 01:30 ID:yhRv3WbD0▼このコメントに返信
※668
>己の尊大さを示す為に秀吉に恐るる者なし(ただし天皇は除く)をやってしまったら、権威を尊重したとは言えなくなる
>下々を黙らせる為にトップにだけ恭しく接して、それで「尊重」になるのか

正に見解の相違だね。朝廷権威が高くないと秀吉の権威も上がらないんだよ。

だからこそ尊重は必要だったし、家康の様に縛り付ける事も出来なかった。自分で自分を縛り付ける事になるからね。
670.名無しさん:2019年09月11日 01:31 ID:.gb4Xkjg0▼このコメントに返信
※667
「推測だが、恐らく羽柴は秀吉が勝手に創った氏で、後世の人々がそう解釈しただけ」
ガセもその解釈も推測ですよね?
なら一説増えただけとしか思えませんよ。
「一般の家が婚姻で拡大するのと同じ感覚で豊臣姓を与えていたという事」
政略結婚の打診はないけれど氏長者として豊臣姓を与えていたから問題なし。ですか。
本当に慕われていたのかと疑う余地が増えてしまうだけです。
結局の所、秀吉の血は糟糠の妻しか残せなかったのですから。
しかも一粒種は持て余されて途絶えた訳ですもの。
671.名無しさん:2019年09月11日 01:36 ID:.gb4Xkjg0▼このコメントに返信
※669
「正に見解の相違だね。朝廷権威が高くないと秀吉の権威も上がらないんだよ」
見解の相違というか、今ここで衝突している2人の「他人に対する姿勢」から違うのかと。
己を飾り立てる道具として最適な扱いをするのを尊重と言うのであれば、もう無理です。
疲れました。
672.名無しさん:2019年09月11日 01:41 ID:CauH79CA0▼このコメントに返信
※670
>ガセもその解釈も推測ですよね?
一般論で語ると、当時の丹羽と柴田を同列に考えるのはあり得ない(柴田以外の重臣も怒る)。秀吉と柴田は不仲なので媚を売った線もない。

最初の文字が「羽」なのもおかしい。武家の慣習で高位の人物の方が前に来ないとおかしい。「柴羽」の方が自然。

>政略結婚の打診はないけれど氏長者として豊臣姓を与えていたから問題なし。
そうだよ。秀吉の親族事情も考慮しないと。

>本当に慕われていたのかと疑う余地が増えてしまうだけです。
それは滅亡という結果から逆算した意見。全盛期には我先にと豊臣姓を求めた。衰退した秀頼でも例外ではなく、徳川幕府も豊臣姓の増加を族滅以外に防ぎようがなかった。

>秀吉の血は糟糠の妻しか残せなかったのですから。
そうだね。因みに淀殿もある時期から正妻待遇。
673.名無しさん:2019年09月11日 01:49 ID:CauH79CA0▼このコメントに返信
※671
>己を飾り立てる道具として最適な扱いをするのを尊重と言うのであれば

事実そうなんだから仕方ない。尊重もするし敬意も払うが「己を飾り立てる道具として最適な扱いをする」のが武家。家康も例外じゃない。

秀吉や歴代将軍家(主家)と家臣を分かつ最大の点が朝廷との関係性の独占。独占できなくなると武家政権は崩れる。

>もう無理です。疲れました。
お疲れ様です。熱中症には気をつけてね。
674.名無しさん:2019年09月11日 01:54 ID:.gb4Xkjg0▼このコメントに返信
※673
ごめんなさい、最後に一言。
武家とかじゃなくて、こうして分析している現在の2人の根本的な部分。
マキャベリズムを是とするなら慕われるとか対極にあります。
そこに好かれるとか慕われるとかの可能性を見出すだけ無駄です。
675.名無しさん:2019年09月11日 02:05 ID:CauH79CA0▼このコメントに返信
※674
>そこに好かれるとか慕われるとかの可能性を見出すだけ無駄です。
秀吉が人に好かれていた逸話は腐る程ある。実は家康にはあまりない。

>マキャベリズムを是とする
マキャベリズムに一番近いのが家康なんだけどね。「好かれるとか慕われる」は秀吉に見られる要素で、家康はそういう不確実な要素は極力省いた。
秀吉は「あの人について行こう」と思われるタイプで家康は「あの人について行かないとやばい」と思われるタイプ。

長い間ありがとうございました。
676.名無しさん:2019年09月14日 11:17 ID:rP9q7CDK0▼このコメントに返信
なんか熱いレスバの伸びかと思ったらガチのサイコパスが見捨てられててワロエナイ

秀吉はお拾ができてから人が変わって盟主失格の烙印を押されただけなのに
神になったとか叩き上げの時のまま好かれてるとか都合のいい切り貼りで
天皇までバカにしてるし

末期の秀吉もこんな感じでお触り厳禁だったんだろうねー
677.名無しさん:2019年09月14日 18:00 ID:ErhiSxop0▼このコメントに返信
※676
>ガチのサイコパス
「サイコパスの主な特徴は、極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義」らしいけどどれよ?意味分かって使っているのかい?

>秀吉はお拾ができてから人が変わって
当時はそれ程珍しくないと言っているぞ。つまり当時同じ事が起こっていた連中は皆「盟主失格の烙印を押された」のか?

>神になったとか
豊国大明神を知らないの?現役の最高権力者が死後そのまま神として祀られた数少ない例なんだが。

>叩き上げの時のまま好かれてるとか
秀吉の人がいいエピソードは山の様にあるぞ。

>天皇までバカにしてるし
具体的にどこ?秀吉はむしろ持ち上げまくった方だが。
天皇を散々バカにして朝廷秩序や皇位継承にまで介入したのは徳川だよ。

>末期の秀吉もこんな感じでお触り厳禁だったんだろうねー
ある程度まで極まれば権力者は皆そんな感じだぞ。家康も晩年はかなり短気だし。
678.名無しさん:2019年09月14日 19:44 ID:rP9q7CDK0▼このコメントに返信
ID:ErhiSxop0がID:CauH79CA0ならの話になるけど、見捨てられたガチのサイコて
お前の事だから
679.名無しさん:2019年09月14日 19:50 ID:2809mTjo0▼このコメントに返信
具体的にどの部分がサイコか言えないのはいけないね。ただのレッテル貼りとしか思えないし。
680.名無しさん:2019年09月14日 23:51 ID:QOr4ozpr0▼このコメントに返信
何故人は触ってはいけないものに触りたがるのだろうか?
681.名無しさん:2019年09月15日 01:47 ID:Cgt0U2rh0▼このコメントに返信
子供の頃「○○をしてはいけない」と言われると、逆にしたくなっただろ?それみたいなもの。
682.名無しさん:2019年09月18日 00:46 ID:NYJT.53u0▼このコメントに返信
司馬先生の小説から知識がアップデートされてない奴ばっかりだなー
先生自身そういうの迷惑だって言ってたけど
683.名無しさん:2019年09月19日 21:39 ID:Tqge8yWM0▼このコメントに返信
人の良さは信長>秀吉>家康だろうね。
684.名無しさん:2019年09月26日 22:57 ID:rRIl.jrs0▼このコメントに返信
身内にダダ甘過ぎて人心掌握に綻びが出たのが信長
武家にも公家にもなりきれなくて孤独一直線だったのが秀吉
相手がキレるギリギリのラインで嫌がらせを止められる鬱陶しいのが家康
熱くなってる人らが神格化する程の秀吉のカリスマは農民目線だけじゃなかろか
685.名無しさん:2019年09月28日 02:08 ID:qQWtcJ6c0▼このコメントに返信
※684
>身内にダダ甘過ぎて人心掌握に綻びが出たのが信長
確かに。

>武家にも公家にもなりきれなくて孤独一直線だったのが秀吉
それは秀頼な。秀吉自体は人心掌握が上手かった。

>相手がキレるギリギリのラインで嫌がらせを止められる鬱陶しいのが家康
止めてないぞ。正しくは「ラインを超えた連中を始末して、人々をライン内に押し込んだ」。

>神格化する程の秀吉のカリスマは農民目線だけじゃなかろか
史実として秀吉は神格化されている。家康の神格化は秀吉のそれを模倣したもの。
686.名無しさん:2019年09月30日 13:14 ID:j6WDJrQp0▼このコメントに返信
信長以外には一族に入れるのも恥ずかしい血だと遠巻きにされた秀吉が家康に劣るのは自明の理
ヨイショする相手がいなくなった途端に人が離れる程度の人心掌握だからすぐに血が途絶えただけやろ
土豪上がりが一発屋になれただけでも上出来だから実績で徳川家と肩を並べたとか恥ずかしい事吹くのはやめときwww
687.名無しさん:2019年10月02日 01:11 ID:AsGCUW3O0▼このコメントに返信
※686
>信長以外には一族に入れるのも恥ずかしい血だと遠巻きにされた秀吉

あれれ?秀吉がどうやって関白になったのか忘れたのかな?
近衛家に入る事で関白を得たんだよ。豊臣姓を得た後も藤原氏の祭祀(興福寺など)に関わっていたのでしっかり一員扱いされているんだよなぁ。

>秀吉が家康に劣るのは自明の理
家康は秀頼を上回っただけで秀吉には勝ってないよ。徳川幕府ですら家康は秀吉に負けたと認めているのに。

>ヨイショする相手がいなくなった途端に人が離れる程度の人心掌握

秀吉存命中は人身掌握完璧だった。てか秀吉に擦り寄っていた筆頭が家康。

>土豪上がり

家康も土豪上がりだよ。「三河物語」とかでは最初から大名っぽかったとされているけど、家康の祖父清康以外は土豪レベル。

>実績で徳川家と肩を並べたとか

家康の実績はほとんど秀吉の継承なんだが。家康にオリジナリティはほとんどない。そんな事も知らない方が恥ずかしいぞ。
688.名無しさん:2019年10月02日 12:26 ID:G.SufFxJ0▼このコメントに返信
秀吉の実績はほとんど信長の継承なんだが
689.名無しさん:2019年10月02日 17:35 ID:RfWz1cOc0▼このコメントに返信
※688
>秀吉の実績はほとんど信長の継承なんだが

大名としてはね。ただし全国制覇は秀吉が初。

あと朝廷方面はほぼ秀吉の実績だよ。
家康が将軍になれたのも秀吉が朝廷を管理していた中で家格を上げてもらえたから。信長盟友時代の家格は低い。
690.名無しさん:2019年10月02日 17:45 ID:RfWz1cOc0▼このコメントに返信
しかし秀吉の実績は信長をベースにしただけで模倣した訳じゃないぞ。惣無事令・太閤検地・刀狩… 秀吉だからできた事も多い。

家康の場合豊臣政権の政策がいじる必要のないレベルで優秀だったからほぼそのまま継承した。
691.名無しさん:2019年10月02日 19:57 ID:zkZ8poxY0▼このコメントに返信
家康が凄い→秀吉のおかげ(粗方秀吉が用意してくれた)。
秀吉が凄い→信長のおかげ(信長が引き立てたおかげで成り上がれた)。
信長が凄い→親父のおかげ(親父が安定した基盤を残してくれたから良いスタートを切れた)。

一番凄いのは信長の親父信秀かもね。
692.名無しさん:2019年10月03日 00:28 ID:Em7TJgny0▼このコメントに返信
秀吉だからできた言うても家康がそのまま使えたのなら程度は同じじゃね?
むしろ後に続ける下地作りができた家康の方が優秀やろ
不世出の天才言いたいなら誰にも使いこなせんレベルのものじゃないとね
693.名無しさん:2019年10月03日 00:51 ID:rU5jVVfM0▼このコメントに返信
※692
>不世出の天才言いたいなら誰にも使いこなせんレベルのものじゃないとね

秀吉が開発・発展の天才なら家康は運用・維持の天才だから。得意分野が違う。
不世出の天才・秀吉の創った体制を上手く転換した家康もまた不世出の天才。

>むしろ後に続ける下地作りができた家康の方が優秀やろ

その下地を作ったのも秀吉なのは皮肉な話。秀吉から与えられた官位・権限・領地を使い、秀吉の開発・発展させたシステムを無理のない方向へ変換したのが家康。

秀吉が凄いから家康はダメダメとかそんな事は言ってないからね。秀吉・家康にはそれぞれ良さがある。
694.名無しさん:2019年10月03日 11:08 ID:Em7TJgny0▼このコメントに返信
※ 693
世継ぎガチャに失敗してるし家康にビビってケツまくる家臣しかいなかったから結局は一発屋でしょ
上の方で議論してなるほどと思ったけど、帝王学を知らないし教えられないって欠点が家を維持する当時の価値観で致命傷だっただけじゃない?
実子の出来も計れない内に養子を追放するとか家を残すのに逆行してるし
割ってでも残す覚悟もないなら武家としちゃ下の下でしょ
下剋上をしている時の人誑しっぷりも晩年じゃ真逆で人望も何もあったもんじゃないのも事実そうだし
平氏でさえ細々と命脈を保ってるのに比べたら豊臣氏の手のひらの返されっぷりはねぇ?
695.名無しさん:2019年10月03日 12:21 ID:ImCJ3DhM0▼このコメントに返信
※694
>家康にビビってケツまくる家臣しかいなかったから結局は一発屋でしょ

一発屋である事は否定してないよ。家康を持ち上げすぎたのは秀吉のミス。しかし秀吉が生前用意した体制で本来問題ないはずだった(家康が長生きし過ぎ)。あと忘れられがちだけど家康も豊臣一門だった(関ヶ原後に源姓に復姓)。

>世継ぎガチャに失敗してるし
>実子の出来も計れない内に養子を追放するとか

当時の人々にとって室町幕府はついこの間の話で、それが弱体化した原因が「実子と養子を並立させた事」というのは周知の事実。人の考えはその時代に影響される。「割ってでも残す覚悟」で共倒れされたら困る。

結局実子か養子かを選ぶしかない。しかし秀次は養子としては強くなり過ぎた。秀吉は秀頼後継を変えるつもりがない。ならばどうするかは分かるよね?
696.名無しさん:2019年10月03日 12:33 ID:ImCJ3DhM0▼このコメントに返信
※694
>晩年じゃ真逆で人望も何もあったもんじゃない

それは滅亡から逆算した結果論だよ。秀吉生前の人望は非常に高い。かの家康も「秀吉との仲」は良好だった。

>平氏でさえ細々と命脈を保ってるのに比べたら豊臣氏の手のひらの返されっぷりはねぇ?

平氏と比べる人いるけど、平氏と豊臣は誕生からの歴史の長さが違う。清盛の系統が全滅しても余裕で残るぐらいに土着しているからねぇ。
因みに織田家は清盛系の平氏(自称)。

さらに言うと、高台院の一族が豊臣姓を使い続けているから細々と残っている。
697.名無しさん:2019年10月03日 15:36 ID:Em7TJgny0▼このコメントに返信
しっかり記録も残ってるし氏姓で不特定多数の証拠も大量に残ってるもののパッチワークが歴史ってものの実体だから結果論で結構じゃねーの?
同じ時期に家を割ってでも続けようとしたし成功した真田の足元にも及ばなかったからマジで武家としちゃ下の下だったって事やん
698.名無しさん:2019年10月03日 17:14 ID:ImCJ3DhM0▼このコメントに返信
※697
>結果論で結構じゃねーの?

結果論は大事だが固執するのは良くない。今川義元・武田勝頼・足利義昭…、この辺は一般的に結果論のみで無能呼ばわりされている。しかし業績(滅亡までの過程)で再評価が進んでいる人物でもある。

>同じ時期に家を割ってでも続けようとしたし成功した真田の足元にも及ばなかった

忘れられがちなんだが、当時の有力大名は織田信雄を除きほぼ全員豊臣一門だった。
699.名無しさん:2019年10月03日 17:18 ID:ImCJ3DhM0▼このコメントに返信
※697
途中で失礼。

>武家としちゃ下の下だったって事やん

勝頼が武田を滅ぼしたからと言って信玄の評価が下がる訳じゃないよね?それと同じ。

まあ家の存続で言えば大失敗だが、それは家康・秀忠が秀頼及び秀吉の遺産を上回ったという事。
700.名無しさん:2019年10月03日 18:39 ID:Em7TJgny0▼このコメントに返信
叩き上げのワンマンオーナーが死んだら甘い蜜に群がってたアリは見向きもしなくなっただけっしょ?
無駄に持ち上げられすぎだけど再評価したら豊臣一門(笑)状態だなーって
農民のヒーローでも晩年没後は御同輩に見捨てられた結果は変わんねーんじゃねーの?
豊國神社と東照宮じゃ格が違うし、現実そんなもんよ
701.名無しさん:2019年10月03日 19:26 ID:7RUwRzxS0▼このコメントに返信
※700
>叩き上げのワンマンオーナーが死んだら甘い蜜に群がってたアリは見向きもしなくなっただけ

違う。秀頼の頃も甘い蜜に群がるアリは大勢いたので屈服させるために大坂を攻めた。
調べれば分かるが、秀頼から豊臣姓と官位を貰っていた大名は結構いる。

>再評価したら豊臣一門(笑)状態だなー

その豊臣一門(笑)の代表格が家康なんだけどね。五大老全員が豊臣朝臣羽柴氏。
秀吉の最大の誤算は秀頼最大の後ろ盾が家康だったという事。家康自身も関ヶ原で勝つまでは天下人になる気はなかった様だが。

>晩年没後は御同輩に見捨てられた結果は変わんねーんじゃねーの?

まあな。でも秀吉存命中は問題なかったというのは貴方も同意見なんだね。

>豊國神社と東照宮じゃ格が違うし

徳川がぶっ壊して神号を剥奪したからね。当然だよ。

豊臣と徳川なら徳川の圧勝だけど、秀吉と家康なら秀吉の勝ち。
702.名無しさん:2019年10月03日 20:09 ID:Em7TJgny0▼このコメントに返信
語るに落ちるとはこのことかw
「秀吉が凄いから家康はダメダメとかそんな事は言ってないからね。秀吉・家康にはそれぞれ良さがある」
「豊臣と徳川なら徳川の圧勝だけど、秀吉と家康なら秀吉の勝ち」
703.名無しさん:2019年10月03日 20:47 ID:sE3lOIM20▼このコメントに返信
※702
>語るに落ちるとはこのことかw

はい?「秀吉と家康にはそれぞれ良さがある」のと、「秀吉・家康の実際の優劣」を語ったのが矛盾すると?単純だなぁ。

「それぞれの良さがある≠互角」だよ。秀吉と家康は直接対決しているから優劣はつけやすい。

歴史の流れとして「信長→秀吉→家康」はあっても「信長→家康」はあり得ない。秀吉というワンクッションを挟まずに家康が天下人になる事がなかったという事実からも「秀吉>家康」という図式は成り立つ。

結果論として秀吉が家康を天下人に育てたんだよ。
704.名無しさん:2019年10月03日 21:08 ID:Em7TJgny0▼このコメントに返信
息子も満足に育てられない癖に?
そーいうの贔屓の引き倒しって言うの覚えときなw
705.名無しさん:2019年10月03日 21:33 ID:sE3lOIM20▼このコメントに返信
※704
>息子も満足に育てられない癖に?

早死したけど秀勝(信長の子)という立派な後継者がいたんだよ。秀吉は出世運が高い代わりなのかしらないが子宝に関しては徹底的に運がない。

一つ言うと家康の後継秀忠を育てたのは秀吉夫婦だぞ。秀忠は幼少の頃から人質だったから高台院の下で育てられた。そして秀忠は終生秀吉夫婦に感謝し続けた。

秀吉に後継を育てる能力がない訳じゃない。ただ子宝には恵まれなかった。後継者の誕生が遅過ぎたのが悲劇だね。

後継を育てるのが全てなら武田信玄は上杉謙信に全く及ばないというヘンテコな結論になってしまう。謙信も後継を育てるのがヘタクソだったが。
706.名無しさん:2019年10月03日 21:41 ID:59wO9a2w0▼このコメントに返信
※704
補足すると、秀忠は秀吉に大層気に入られて後継としては破格の官位を与えられるほど可愛がられていたが、家康自身はほとんど面倒を見ていない。別居していたから無理もないが。
707.名無しさん:2019年10月03日 23:11 ID:Em7TJgny0▼このコメントに返信
結局は言うほど人気者でもなかったから速攻で族滅しただけじゃねーか
武田とか上杉の方が家名残せてる分だけ没後もカリスマと縁があったって証拠だろ?
晩年のやらかしで全盛期の徳を殆ど失うくらいにダメダメだったのに全盛期ばっか見せよう語ろうとするから贔屓の引き倒しになるってのに
708.名無しさん:2019年10月03日 23:30 ID:P.URSKhA0▼このコメントに返信
※707
>言うほど人気者でもなかった

人気者だったから秀吉死後も豊臣に群がる大名が結構いたんだぞ。そのせいで徳川幕府の警戒心を強めてしまったが。

>速攻で族滅しただけじゃねーか

徳川が用意周到だっただけ。しかも家康は最後の最後まで除名するつもりだったからな(族滅は秀忠の意見)。

>武田とか上杉の方が家名残せてる分だけ没後もカリスマと縁があったって証拠だろ?

はっきり言って運が良かっただけ。上杉景勝は柴田勝家にも勝てず本能寺の変が起きなければ滅ぼされていた。

>全盛期ばっか見せよう語ろうとする

衰退していた「秀頼の頃も甘い蜜に群がるアリは大勢いた」って言ってるのに。というか天下人となった秀吉に衰退期はない。死ぬまで専制君主として君臨していたし。
709.名無しさん:2019年10月03日 23:31 ID:59wO9a2w0▼このコメントに返信
※708
除名→助命
710.名無しさん:2019年10月03日 23:40 ID:P.URSKhA0▼このコメントに返信
※707
>全盛期ばっか見せよう語ろうとするから贔屓の引き倒しになるってのに

そういう貴方も家康の全盛期でしか返せていないよ。信長盟友(臣下)・秀吉臣下時代は無視かな?
711.名無しさん:2019年10月03日 23:45 ID:Em7TJgny0▼このコメントに返信
確かに衰退期はないわなw
本人の突然死で戦略もクソもあったもんじゃない朝鮮出兵の尻拭いで天下人サマの後始末をさせられたから下々に見切られただけだから武家としても死に体だったろうし
成り上がりの最中ならいざ知らず金と権力に群がらせてイエスマンを侍らせたのを人気者とかお笑い草だわ
武田とか上杉レベルでも持ってる運すらないくせに「上杉景勝は柴田勝家にも勝てず本能寺の変が起きなければ滅ぼされていた(キリッ」ってバカじゃなかろか
本能寺の変がなかったら秀吉だってイチ家臣止まりじゃねーかwww
712.名無しさん:2019年10月03日 23:50 ID:Em7TJgny0▼このコメントに返信
ロクな味方も子供も残せないけど全盛期は最強だから「「秀吉>家康」という図式は成り立つ」なんて言っちゃう人が言っても正直困る?
武田も上杉も徳川も運に助けられたけど秀吉だけは実力なんですぅ〜って、なんだそれw
713.名無しさん:2019年10月03日 23:52 ID:Em7TJgny0▼このコメントに返信
で、甘い蜜に群がったたくさんのオトモダチ(笑)はどこに消えたのさ?
別のオトモダチ(怖)にビビって友情捨てちゃった?
大した人気者だなwww
714.名無しさん:2019年10月03日 23:56 ID:P.URSKhA0▼このコメントに返信
※711
>天下人サマの後始末をさせられたから下々に見切られただけ
むしろ下々はやる気満々でそのやる気が関ヶ原に繋がった。

>金と権力に群がらせてイエスマンを侍らせたのを人気者とかお笑い草だわ
それって家康も同じなんだが。領地と権力でイエスマンを侍らせたのが家康。というか家康は秀吉に似せてる。

>武田とか上杉レベルでも持ってる運すらない
武田や上杉に天下人となるレベルの運があったとは。

>本能寺の変がなかったら秀吉だってイチ家臣止まりじゃねーかwww
本能寺の変が起きなくても秀吉は毛利攻めの功績と養子秀勝の存在で生涯安泰。

家康の場合も天下人にならなくても豊臣一門の筆頭として安泰。
715.名無しさん:2019年10月03日 23:59 ID:Em7TJgny0▼このコメントに返信
ID:P.URSKhA0みたいのが「俺ってばカリスマ社長(キリッ」ってやっちゃうんだろうなw
金の切れ目が縁の切れ目よろしく、金と力で他人を呼び込んでも落ちぶれたら誰も助けちゃくれないような存在?
他人の成功は運で自分の成功は実力だとか恥ずかしくて言えないのに、死んだ後にそんな恥ずかしい擁護をされるなんて浮かばれないわーwww
716.名無しさん:2019年10月04日 00:05 ID:QJH78xjB0▼このコメントに返信
家康は秀吉に似せてる?
秀吉と違って家康は没後も家は安泰だったし東照宮も作れたのに不思議だなー?
似せたらそれ以上のものができちゃったのねー?
それも運のせいにしちゃう?
いいものは秀吉のパクリ、秀吉よりいい結果が残ったら運
そんな子供の屁理屈振りかざしたらなんでもアリだろwww
717.名無しさん:2019年10月04日 00:07 ID:5OJeE.4L0▼このコメントに返信
さっきから何一つ事象で反論できてないし。煽りたいだけ?

秀吉が超のつくレベルの幸運の持ち主なのは前提として知ってるだろうから言わなかっただけ。そういう奴に限って家康は自力で天下人になったとか言うからな。

秀吉と家康なら秀吉の方が天下人のスタートラインは困難だぞ。敵地のど真ん中だったんだから。
家康の様な準備万端(五大老筆頭)なスタートではない。

明智光秀を始末したから天下人に内定した訳ではなく、その後も織田家の内紛・信長に服従していた大名たちの反抗等様々な難題を突破した上での天下人。

それに比べれば家康のスタートラインはゴールにかなり近い。関ヶ原に勝ってしまえば後は秀吉に与えられた権力を利用してサクサク成り上がるだけ。
718.名無しさん:2019年10月04日 00:11 ID:5OJeE.4L0▼このコメントに返信
※716
>東照宮も作れたのに不思議だなー?
家康の神格化自体が秀吉の模倣だし。後出しなら先駆者の問題点を改善するのも容易いよ。
秀吉と同じ大明神から権現へ変更したのも改善点。

>それも運のせいにしちゃう?
家康は秀吉の失敗から改善点を見つけられるからかなり有利。秀吉は部下に豊臣を与えまくったけど、家康は徳川を与えず松平を与えるとかね。
719.名無しさん:2019年10月04日 00:17 ID:5OJeE.4L0▼このコメントに返信
徳川幕府の体制・政策は調べれば調べるほど過去の武家政権の模倣、欠点の解消に尽力しているのが分かる。良い部分は模倣、悪い部分は改善とね。

歴代武家政権の蓄積があったからこそ徳川幕府は歴代最高の武家政権になった(直近の豊臣政権の影響は特に大きい)。逆に言うとオリジナリティはほとんどない。
720.名無しさん:2019年10月04日 00:18 ID:QJH78xjB0▼このコメントに返信
あ、そーいうルール?
天下人になったら人生上がりで後は知らねってんなら秀吉くんの勝ちでいいっしょwww
ま、最終的には家も子孫も速攻でなくなったからそんなルールでしか勝てんだろうけどね?
天下人レースを日本で最初にゴールした秀吉くんすごーい!
で満足しちゃう?

事象で反論もクソも御家断絶な一発屋のフォロワーがゴタゴタ覚悟で御家存続できた家を
運だけで続いたなんて言っちゃう時点で終わってんだけど

天下人になった後からの秀吉は贔屓目に見ても他の大名よりかは高い所にいた下り坂っしょ
事象的に反論させてもらっちゃうと
721.名無しさん:2019年10月04日 00:23 ID:QJH78xjB0▼このコメントに返信
> 家康は秀吉の失敗から改善点を見つけられるからかなり有利
そちらさんの格付けで言う「家康のレベル」で失敗の改善ができちゃうくらいに秀吉はショボかったと証明しちゃったねぇw

「秀吉の創意工夫はオリジナリティで家康の創意工夫は秀吉の模倣!」
秀吉も草葉の陰で腹抱えて笑ってるだろこれ
恥ずかしすぎるわwww
722.名無しさん:2019年10月04日 00:26 ID:QJH78xjB0▼このコメントに返信
ID:5OJeE.4L0は、マジでそんな感じで生きてたら友達無くすからな?
ID:5OJeE.4L0が善意でA君を褒めても当て馬にされたB君どころかA君にまで嫌われる論法だからな?
ネットでだけならいいけどw
723.名無しさん:2019年10月04日 00:28 ID:QJH78xjB0▼このコメントに返信
もう夜遅いから寝るけど、マジで贔屓の引き倒しで秀吉の心象悪くなるだけだから好きなら好きで言い方ってもんを考えな
マジで
724.名無しさん:2019年10月04日 00:54 ID:2q5dFxVa0▼このコメントに返信
※720
>天下人になったら人生上がりで後は知らね
>天下人レースを日本で最初にゴールした秀吉くんすごーい!

言っておくが「天下人=畿内の覇者」だからね。秀吉は天下人になった後に日本の覇者になった。「天下人=日本の覇者」という認識になったのは秀吉以降。

因みに天下人の定義は常に変わってきたからあれだが、初代天下人は源頼朝。

>最終的には家も子孫も速攻でなくなった
秀吉の直系はいないが家は残っているし、豊臣家の血は天皇家に繋がっているぞ。

>運だけで続いたなんて言っちゃう
実際、大名の存続は運要素が強いんだよ。かつて天下人を輩出した織田宗家もあっさり滅亡したしね。

>贔屓目に見ても他の大名よりかは高い所にいた下り坂
贔屓目に見なくても秀吉は「他の大名よりかは高い所にいた上り坂、後に平面」だよ。下り坂になるのは死んでから。
725.名無しさん:2019年10月04日 01:08 ID:rzn.t9m50▼このコメントに返信
※721
>秀吉はショボかったと証明しちゃったねぇw

秀吉のやり方が優秀と言ったが完璧とは言っていない。当然欠点もある。一番の欠点は秀吉個人に権力が集まり過ぎなところ。家康は自分の後の将軍に権力が集中しない様にした。

>「秀吉の創意工夫はオリジナリティで家康の創意工夫は秀吉の模倣!」
正しくは「家康の創意工夫は歴代武家政権の模倣及び改善!」だけどね。家康はまさに日本人的な思考なんだよ。0からの開発はあれだけど、1から10に上げる能力に長けている。

それに対して、秀吉も過去の政権を模倣している点は多々ある。秀吉一番凄いところは局地的に行われていた事を全国レベルに広げた事で、秀吉が専制君主だからこそできた事。
726.名無しさん:2019年10月04日 01:14 ID:rzn.t9m50▼このコメントに返信
※722※733
そもそも人を煽らないと意見を言えない貴方に言われてもね。
貴方は最初からA君もB君もどうでもよくて相手を煽りたいだけだし。リアルで知り合いじゃなくて良かったよ。

>マジで贔屓の引き倒しで秀吉の心象悪くなるだけ
貴方が勝手に「贔屓の引き倒し」とか言ってるだけで、秀吉・家康の両方とも評価しているんだけどね。どうやら「0か100」じゃないと許せない人種の様だ。

貴方も煽る以外の言い方を考えた方がいいよ。ネット以外では無理だからここで煽るんだろうけど。

お休み。
727.名無しさん:2019年10月04日 14:29 ID:t7f57StZ0▼このコメントに返信
彼の考えだと、秀吉<家康<島津久光とかいう当時の歴史を全く考慮していない結論になってしまうんだよね。

島津は徳川家を追いやったが、それは「徳川の負け」であって「家康の負け」じゃない。豊臣も同じ。
728.名無しさん:2019年10月06日 21:40 ID:hB4Z2Jau0▼このコメントに返信
まだやってんのか
何もかもが一つの絶対評価になるわけでもないだろうにねぇ?
秀吉は
・下剋上を成し遂げた男としては極上
・武家と公家を一体化させて豊臣家を認めさせた権力と権威も最上
・最高位を極めてからの施政は民衆向けには良くて武家と公家には微妙
・秀吉の血を残せなかったから雄としては最低
・代と名を継げる下地作りに失敗したから宗主としては最低
・後々に外交的な遺恨を残す原因になったから国の舵取りも完璧ではなかった
・公家としては一族を豊臣に入れて乗っ取る程の価値はなかったから微妙
・武家としては御家再興の旗印にもしてもらえなかったって意味で微妙
秀吉の立身出世が好きすぎてその他のダメな部分を認めたフリして認めないような
ダブスタを繰り広げるから変な話になってんだよ
秀吉がどんだけ凄くても豊臣家は家としてダメダメ
729.名無しさん:2019年10月07日 04:08 ID:c9jWJqpk0▼このコメントに返信
※728
>・下剋上を成し遂げた男としては極上
>・武家と公家を一体化させて豊臣家を認めさせた権力と権威も最上
そうだね。

>・最高位を極めてからの施政は民衆向けには良くて武家と公家には微妙
少なくとも武家からは評判だよ。気に入ったのには大領を与えて、浪人には唐入りというセカンドチャンスも用意した。

>・秀吉の血を残せなかったから雄としては最低
上杉謙信は雄として最低か?蜂須賀・真田・黒田も血を残せていないから最低か?
豊臣の血は一応皇室に残っているよ。

>・代と名を継げる下地作りに失敗したから宗主としては最低
家康が上回っただけで当時できる最大限の事はしているぞ。まあこの点は武田信玄と同レベルかな。

>・後々に外交的な遺恨を残す原因になったから国の舵取りも完璧ではなかった
唐入りは当時の日本には必要な事。あれと関ヶ原で大名が懲りたからこそ太平の世へ繋がった。
730.名無しさん:2019年10月07日 04:18 ID:c9jWJqpk0▼このコメントに返信
※728
>・後々に外交的な遺恨を残す原因になったから国の舵取りも完璧ではなかった
さらに言うと、家康も「外交的な遺恨を残す原因」に関わった一員。渡海したいと秀吉に言った事もある(唐入りが長引けば行く計画もあった)。

>・公家としては一族を豊臣に入れて乗っ取る程の価値はなかったから微妙
>・武家としては御家再興の旗印にもしてもらえなかったって意味で微妙

武家からすると公家、公家からすると武家に見える特殊な家だからね。とにかく歴史が短すぎた。平氏・源氏と違って土着までの歴史がない。

それと「公家としては一族を豊臣に入れて乗っ取る程の価値はなかった」というのは大嘘。当時の藤原氏たちは豊臣を同族扱いしていた(秀吉・秀次は藤原氏長者だから当たり前だが)。

>ダブスタを繰り広げるから変な話になってんだよ
ダブスタって?
そちらも「秀吉の配下にならなければ家康は天下人になれなかった」という事実を完全に無視・軽視しているけど。都合の悪い部分から目を逸らすのはお互い様なのかもね。

>秀吉がどんだけ凄くても豊臣家は家としてダメダメ
これについては否定してないよ。秀頼が権威しかない無能だというのは事実だし。

こっちが言っているのは、家「豊臣<徳川」、個人「秀吉>家康(信長>秀吉>家康)」だから。
731.名無しさん:2019年10月07日 09:07 ID:qT8IkfzC0▼このコメントに返信
家康がどうとか一言も言ってないのに取り出してギャーギャー言い出して変な人だね?

事実としてオスとして血は残せなかったし家すら終わってるんだから武家を立てた人として最低でしょ?
養子縁組をして繋いだりのスペアすらろくすっぽできてなかったんだからさ
秀吉がオスとして最低限やらなきゃいけない事をできてなくて家が潰れたのに、そんなケースにだけ豊臣の血とか主語をすり替えてるからダブスタだって言ってるんだよ?

朝鮮出兵にしたって「仕方ない事」で擁護してるけど、それって国内での武家・武士の取り回しができないから外に逃げ道を求めた挙句に失敗して後始末もできない遺恨残しまくりの最悪な置き土産だけが後世に響いてるんだし

秀吉個人のダメダメさを一つも認めないで誰かのせいだの時代のせいだので逃げるからダブスタだっての
種が薄いなら種が薄いなりのやり方もあったろうにやってない結果が豊臣家滅亡なんだからトップに立ってからの所業はトップにすら立てなかった諸大名にも劣るものが沢山あったってこと

家の名を残せないのは武家・公家の両方で恥だから個人としてもダメダメな所はあるでしょ
732.名無しさん:2019年10月09日 18:33 ID:KbDKUobJ0▼このコメントに返信
※731
遅れてごめんね。

>家康がどうとか一言も言ってないのに
事実確認。外征した愚かな秀吉と内政に徹した謙虚な家康という一般的なイメージは誤りであると言いたかった。

>事実としてオスとして血は残せなかったし
それは秀頼の問題じゃないか。
武田勝頼や今川氏真が家を潰したら信玄や義元が悪いのか?
名高い北条早雲は子孫が家を残せなかったから無能扱いされるのか?

秀吉が色々火種を残したのは事実だが、滅亡を秀吉のせいにするのはおかしいだろう。徳川幕府滅亡は家康のせいとか言うぐらいの暴論だぞ。家の存続はその時の当主の責任。

>豊臣の血
事実なんだから仕方ない。宗家は潰れても血は残った。
733.名無しさん:2019年10月09日 18:45 ID:M5ZnLLAQ0▼このコメントに返信
※731
>朝鮮出兵にしたって「仕方ない事」で擁護してるけど
結果論だけで考えているからこそ起こる考えだ。「仕方ない事」じゃなくて「望まれた事」なんだよ。家康が内政にシフトできたのも「望まれた事」をやった結果、大名達が現状に満足した(させられた)から。時系列的に考えないと。

>秀吉個人のダメダメさを一つも認めないで
貴方が見ようとしないだけで秀吉は完全無欠じゃないと言い続けているんだよなぁ。

>誰かのせいだの時代のせいだので
豊臣家が滅んだのは時の当主秀頼が一番の原因。

>種が薄いなら種が薄いなりのやり方もあったろうに
秀吉は可能な限りの用意はした。家康・秀忠がそれを上回った結果だと以前言ったよ。

>トップにすら立てなかった諸大名にも劣るものが沢山あった
何々?

>家の名を残せないのは武家・公家の両方で恥だから個人としてもダメダメな所はあるでしょ
確かに秀吉にも非はあるが、一番は家康の度重なる降伏勧告を拒否し続けた秀頼。
734.名無しさん:2019年10月09日 18:57 ID:g20G8Myc0▼このコメントに返信
※731
>オスとして血は残せなかったし
そういえば「上杉謙信は雄として最低か?」について答えてないな。謙信視点では望んだ後継候補景虎に当主が渡らなかったんだが(若き日の自分の名を与え、前関東管領憲政が後見にいたので本命なのは確実)。

あと「蜂須賀・真田・黒田も血を残せていないから最低か?」についてもどうぞ。あれらも血は引いてない。
735.名無しさん:2019年10月10日 01:05 ID:ZllN.dXn0▼このコメントに返信
さらっと流されがちなんだが、秀吉が足利義昭の将軍職を取り上げたのは徳川幕府にとっても大きな出来事。義昭は京追放後も(主に西国で)将軍として権威を振るい続けた。

当時足利家の家職とされていた征夷大将軍を関白秀吉が義昭に返上させた事により、将軍職と足利家の関係を断ち切り(結果として)家康の将軍任官をし易くした。
736.名無しさん:2019年10月10日 21:21 ID:DG6CpfQy0▼このコメントに返信
そういうところだよ?
都合悪くなると別の名前出して必死に話題そらせようとして・・・

上も蜂も真も黒も血を残せてないって意味じゃオスとして最低でしょ
武家の棟梁として最低限の家の存続は果たせてるから秀吉よりかは上等でもあるけどね

過去の歴史の事なのに結果論の否定とか頭おかしい
737.名無しさん:2019年10月10日 23:09 ID:PJImoM.W0▼このコメントに返信
※ 736
>都合悪くなると別の名前出して必死に話題そらせようとして・・・
>最低限の家の存続は果たせてるから秀吉よりかは上等でもあるけど
逸らしてないんだよなぁ。類似例を出しただけだし。
秀吉が悪くないとは言ってないんだよ。しかし滅亡に関しては時の当主の責任が一番重い。つまり秀頼が一番悪い。

15代も安定した徳川が異常なだけで、その徳川ですら家康は器を作っただけで中身を整えたのは秀忠。家の存続は初代個人だけでは無理で、優秀な後継者が必須。秀頼が秀忠より遥かに無能だったのが悪い。
738.名無しさん:2019年10月10日 23:20 ID:PJImoM.W0▼このコメントに返信
※736 続き
あと「秀吉の教育が悪いから結局秀吉が一番悪い」と言う可能性もあるから言うけど、家康は親の教育を全く受けていないし秀忠もほぼ受けていない。「立場が人を作る」ってやつ。

それに比べて、秀頼は当主を継いだ時期の家康より遥かに恵まれた状況にいたのにヌクヌク暮らしていただけ。秀吉云々関係ない。

>上も蜂も真も黒も血を残せてないって意味じゃオスとして最低でしょ
大名家の継承を血だけで考えるからそういった結論が出る。謙信以外は全く最低じゃない。

江戸時代は「血<家」なんだよ。血が残るのは素晴らしいが家の存続には変えられない。時系列で考えないから「オスとして最低」とかいう当時を全く理解してない結論になる。
739.名無しさん:2019年10月10日 23:36 ID:PJImoM.W0▼このコメントに返信
※736
>過去の歴史の事なのに結果論の否定とか頭おかしい

信長・秀吉・家康は必然的に天下人になった訳ではなく、そこまでに何度も滅亡の危機に陥っている。
三人が蹴散らした敵の中には格上も大勢いた。信長は信玄・勝頼にビビっていたし、秀吉は家康を警戒した。家康は強国に挟まれ戦々恐々だった。

結果論を否定しているのではなく、それまでの過程を無視・軽視するなと言っている。
結果を学ぶだけなら「教科書見ろ」と言えばいい。しかし歴史にはそれまでの流れがある。ある日突然イベントが発生する訳ではなく、そこまでには様々な過程があるという事。

結果論(+表面)だけで見れば「信長包囲網とか無意味、秀吉はヌルゲーで天下人になった、家康は外征をしない謙虚な人物」とかいう本質を見てない結論になってしまうんだよ。
740.名無しさん:2019年10月10日 23:56 ID:DG6CpfQy0▼このコメントに返信
家を残せる可能性さえ捨てた秀吉って本質から逃げる人が何を言ってもって感じ?

秀吉がどんだけ凄くても豊臣家は家としてダメダメ
これに尽きる
741.名無しさん:2019年10月12日 00:36 ID:X2tmDJD60▼このコメントに返信
※740
>家を残せる可能性さえ捨てた秀吉って本質から逃げる人が何を言ってもって感じ?

秀吉は最大限残せる物を残したぞ。養子を有力大名の後継に押し込み、清華家徳川家を秀頼を後ろ盾にした。秀吉視点では「家を残せる可能性」は十分にあった。秀頼のヘマまで秀吉のせいにされてもね。

あと何度も言うが「秀次を生かす・秀頼の後見にする」は絶対にない。必ず豊臣家が割れて共倒れする(応仁の乱の前例あり)。

秀次を出家させて官位を没収しても、秀頼の代わりに秀次(またはその息子)を頭にして蜂起する連中が出るんだよ。
かつて将軍候補に過ぎなかった足利義視が「公方」と呼ばれ将軍義政と日本を二分したが、秀次は関白になっているから余計にタチが悪い。

秀吉の準備・遺産を家康が最大限利用して成り上がった。家康の立ち回りは大した物。
742.名無しさん:2019年10月12日 00:51 ID:xZq6tmHN0▼このコメントに返信
※740
>秀吉がどんだけ凄くても豊臣家は家としてダメダメ
もう一度言うが家を潰した時の当主が一番責任は重い。家康は豊臣を存続させたかったのだからその思惑に乗るべきだった。

徳川家が歴代最強(誇張なし)の武家政権を作ったからもある。「豊臣家は存続できなかったからダメダメ」というのは事実の一部に過ぎない。
徳川幕府は豊臣宗家滅亡後、豊臣の親藩福島・加藤を改易した。この様に徳川幕府初期は武断政治(一種の恐怖政治)であり、豊臣姓を使い続けるなんて不可能だった。それを口実として徳川・周囲の大名に袋叩きにされるから。

過去の武家政権なら生きながらえたはずの豊臣家が歴代最強の徳川幕府によって完全に封殺されたという事。
743.名無しさん:2019年10月12日 01:00 ID:xZq6tmHN0▼このコメントに返信
>>741
秀頼を後ろ盾→秀頼の後ろ盾
744.名無しさん:2019年10月17日 09:39 ID:mJ3fu20U0▼このコメントに返信
公家とか武家とかが連綿と受け継いできたものを踏みにじって
力こそが全てとか思い上がっちゃってる輩が、その受け継ぐ事すら
満足にできなかったってとこが豊臣家の笑い話なだけでしょ

大政奉還の後も普通に残された日光東照宮に比べたら、
別段事を構えずに権力がスライドしてきた朝廷が徳川の権勢が終わった
アリバイ作り程度に再建した豊国神社なんて格が違いすぎるし

神号を賜ったってのが自慢なんだろうけど、織田も島津も立花も同じだし
族滅と共に廃絶された分だけ他の家系を守れた歴々の武家より格下でしょ

型破りな目新しさは信長がやってた事からの引継ぎばっかりだし
秀吉個人のやり方は鎌倉と室町を否定したいからと平安の焼き直しのような
畿内で公武の一括管理・一極集中で平家の失敗をしないようにって程度の
マイナーバージョンアップでしょ?

しかも黄金の茶室やら聚楽第やら語り継がれている平家の奢りだけはしっかりと
真似してるんだし、成り上がってから先の在りようは賛否両論あって当たり前

死ぬまで人気者とか、ちょっとフィクション作品に影響されすぎかなって
745.名無しさん:2019年10月19日 01:11 ID:HlnUXrch0▼このコメントに返信
駒姫

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