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2018年11月01日 10:05

お前らのジッジは戦争中何してた?

お前らのジッジは戦争中何してた?

Type_95

引用元:お前らのジッジは戦争中何してた?
http://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1540528327/

1: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:32:07.40 ID:gcWnuSiSr
ワイのジッジは軍艦で飯炊いてたらしいで

5: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:32:53.50 ID:c3Nnk50Jd
アッツ島いっとったぞ

11: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:33:29.97 ID:Aeb0ath+a
満州で歩哨やった

14: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:34:06.37 ID:6WYfYW8t0
通信兵と聞いたな。モールス信号とかやってたのかも。死んだから聞けん

15: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:34:22.81 ID:UErsOW5dM
鉄道の整備士やわ

30: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:35:58.25 ID:Q3fLASP3a
砲弾の観測やっとったと聞いた

42: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:37:26.86 ID:+nB+yYtO0
国内で陸軍戦闘機の整備士やぞ

49: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:38:45.31 ID:gcWnuSiSr
>>42
かっこええやん

62: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:39:59.49 ID:+nB+yYtO0
>>49
頑張ってたご褒美に飛行訓練に同乗させてくれて空飛んだのを自慢してたンゴ

72: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:41:06.82 ID:gcWnuSiSr
>>62
一生の思いでやね

43: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:37:27.87 ID:HDkmTraRd
つーか、ジッジとバッバは満州にいたりしたみたいだが

51: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:38:49.63 ID:6ASQOlzod
詳しいことは教えてくれなかった
なんか腰の辺りに弾が3発残ってるとか言ってた

65: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:40:15.19 ID:YyOQPCBud
中国で馬の世話役や

66: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:40:20.20 ID:iFTm7EbfM
わいは工場でなんか作ってたわ
じいちゃん何してたか覚えてない

87: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:42:36.07 ID:rbguR0020
徴兵でビルマに行ったって聞いたんやけどビルマって危なかったん?

118: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:46:30.29 ID:HpFMGyDUr
>>87
南方はどこも危ない

114: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:45:58.01 ID:IDOcqSbNd
警察官やったから内地で憲兵
楽しとるわ

117: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:46:25.85 ID:3yqvnCZR0
満州で小便したら小便が凍って大変やったらしい

127: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:47:17.86 ID:bslib8SM0
満州で中国人使って綿花栽培してたらしいわ
ジッジは他の日本人と違って中国人にひどいことしなかったから
戦後中国人に守ってもらえたって言ってた
戦闘経験もあってケツに銃創があるのと隣りにいた人が死んだって言ってたわ
お昼時になるとみんな飯食うから戦闘やめるって言ってた

134: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:49:00.83 ID:v49BhqAh0
戦争末期に予科練にいたそうやがずっとそれを誇りにしとるな
わいの目には中国大陸に行った親戚のお爺さんがみな口を閉ざしてるのとは対照的に映ったな

139: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:50:04.59 ID:PbnZxAD7d
満州行ってた人多いやろ

173: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:53:33.26 ID:9EHJTqli0
ぎり徴兵されなかった

189: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:55:47.36 ID:K+s1GV61d
工科兵だか工兵で道路の舗装してたって言ってた

191: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:55:59.58 ID:GoJJeu7P0
ワイのジッジはシンガポールに行ってたな。赤紙やのうて志願兵やったから、ちょこっと出世してたらしい。
敵兵の銃弾がデコのど真ん中に命中したからデコが凹んでたよ。ヘルメットのおかげで死ななかったけど
死なんかったからワイも生まれた訳で

211: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:58:04.44 ID:PdDovCA+a
台湾の基地でカルピス飲んでたらしい

217: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:58:33.42 ID:cV2VAfYBr
じいさん60なんだよなぁ…

222: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 13:59:04.80 ID:cv84wchL0
子供の頃戦闘機に機銃掃射されかけたらしい。どこまで本当かは知らん

243: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 14:01:40.05 ID:B3Zo8YQW0
満鉄の社員
死に物狂いで帰ってきてくれた
おかげでワイも産まれた
1回話聞いたけどよく生きて戻ってこれたなって思った

256: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 14:02:57.77 ID:AxIYrSSEr
中国で衛生兵だったらしいわ
帰国すんのも最後の方だったとかなんとか

278: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 14:05:38.68 ID:uY6pW3K00
満州の士官学校だかに行ってたと聞いたことがある
途中で終戦になって逃げかえってきたとか

289: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 14:07:21.97 ID:XurXs0X90
流石に日露戦争行った爺さんはいないだろ

290: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 14:07:27.74 ID:RFdVpH/U0
小学校時のクラスメイトのじいさんが戦時中に敵に見つかって撃たれそうになったらしいけど見逃してくれたらしいわ
そこで撃たれたら「僕は居なかった」って話をいまだに覚えてる

304: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 14:09:28.59 ID:brXKYdMQ0
理系やから兵隊行かなくて済んだらしいんやが理系ってそうなん?

314: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 14:10:31.09 ID:eNp/MriLd
>>304
技術者はそうやな

318: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 14:10:47.69 ID:gcWnuSiSr
>>304
理系が居なかったら戦う為の道具を誰が設計して作るんや

333: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 14:12:14.50 ID:IHuJxUe+0
>>304
海軍工廠の技官やったから呉と長崎にいたわ
広島に原爆落ちて長崎に移動→原爆 それでも運よく生き延びて高専の教師で天寿を全う

379: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 14:15:37.71 ID:uYghuz4ud
満州行ってた
朝鮮行ってた
ブラジル行ってた

このジジババ案外おおいよな

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2018年11月01日 10:06 ID:j5SGMaSf0▼このコメントに返信
捕虜やってたらしい。
2.名無しさん:2018年11月01日 10:09 ID:46kxP1Oo0▼このコメントに返信
町長
戦時中の混乱期には、町ひとつ運営していくのも大変だったろうな
3.名無しさん:2018年11月01日 10:10 ID:pCjacVxa0▼このコメントに返信
我ニ追イ付クグラマン無シと入電した
4.名無しさん:2018年11月01日 10:14 ID:YBVmOAfi0▼このコメントに返信
実家は畑作してたが本人は鉄道員の仕事もしていたらしい
肺が良くなかったようで兵役には関わることがなかった
5.名無しさん:2018年11月01日 10:16 ID:4z13pbRK0▼このコメントに返信
台湾で高射砲撃ってた。
6.名無しさん:2018年11月01日 10:17 ID:z5Y8dk080▼このコメントに返信
1945から73年たってると考えるともう終戦時20歳でも93歳だな。20代30代にはひい爺さん世代だ。
7.名無しさん:2018年11月01日 10:18 ID:m6LNw6cm0▼このコメントに返信
現在の北朝鮮の北東部にあるハンギョン北道(プクド)とかいう所にあった三菱鉱山で労働者の管理監督をしてた
本物の金日成とも誘拐された労働者やその家族の身代金交渉をした事があるらしい
労働者には日本人も朝鮮人もいて彼ら馬賊やら匪賊は見境なしに誘拐したらしい
8.名無しさん:2018年11月01日 10:19 ID:HgMuQOUR0▼このコメントに返信
商船員と兵役行かずにすんで普通にくらしてた爺さんの孫です
9.名無しさん:2018年11月01日 10:19 ID:Qy4TH7uS0▼このコメントに返信
鉄工所の技術者だったって聞いた。
10.名無しさん:2018年11月01日 10:20 ID:JT8.lsA30▼このコメントに返信
ひいじーじはサイパン島にいた
バンザイ突撃で重傷を負ったけど奇跡的に回復して、アメリカ経由で帰ってきた
アメリカの衛生兵の人ありがとやで
11.名無しさん:2018年11月01日 10:20 ID:.qDICqnn0▼このコメントに返信
亡くなった爺ちゃんは満州で水道管工事してた
日本に帰ってこられて良かったけど、平成になってもソ連兵に追われる夢みてうなされてたわ
12.名無しさん:2018年11月01日 10:21 ID:o1b1lUeM0▼このコメントに返信
記念艦三笠の管理。もう戦場に行ける年齢ではなかった
13.名無しさん:2018年11月01日 10:22 ID:ZXG..nra0▼このコメントに返信
美大で絵を描いてたらしい
14.名無しさん:2018年11月01日 10:23 ID:HWp.ahYw0▼このコメントに返信
満州で陸軍将校、シベリアに拉致られて終戦後4年ぐらいたって帰ってきた。
15.名無しさん:2018年11月01日 10:23 ID:AKXq3Bbv0▼このコメントに返信
ウチの爺ちゃんは陸軍の通信隊だったって言ってたな、戦後は電力会社勤務だったから間違いないだろう
年齢から逆算したら、太平洋戦争始まってすぐ入隊と考えた方が自然か
一時ボケた時に記憶が開戦着前に飛んだことがあるけど、当時からアメリカ相手じゃ勝ち目無いって思ってたようだ
16.名無しさん:2018年11月01日 10:24 ID:hGI9qREa0▼このコメントに返信
※打つお前らの年齢高杉ワロタ
17.名無しさん:2018年11月01日 10:25 ID:AKXq3Bbv0▼このコメントに返信
※15
×着前 ○直前
18.名無しさん:2018年11月01日 10:26 ID:5562VsmR0▼このコメントに返信
戦争中に二度の徴兵、一度目は大陸、二度目は南方。
二度目に行ったときはマラリアにかかって病院に居たので優先的に帰還船に乗れたとか。
もう片方は軍需産業を経営していたので引っ張られなかったそうな。
19.名無しさん:2018年11月01日 10:26 ID:oeQ6ZR4A0▼このコメントに返信
海軍に志願したけど小さかったから戦地には行かず、そうこうしてるうちに終戦したって言ってた
20.名無しさん:2018年11月01日 10:26 ID:eVH9az.U0▼このコメントに返信
血縁のじーさんはフィリピンの南方戦線。
再婚でやってきたじーさんは病気で招集を免れたそうだ。
21.名無しさん:2018年11月01日 10:27 ID:KFjp.Wdf0▼このコメントに返信
そら太平洋の方はほとんど全滅玉砕なんだから数少ないだろ
大陸の方はなんだかんだ戻ってこれたしな
ちなうちの爺様は満州で鉄道警備してた
22.名無しさん:2018年11月01日 10:27 ID:m6LNw6cm0▼このコメントに返信
母方の爺さんは大阪の新聞記者だったらしいが詳しい事はわからないと母が言ってたな
23.名無しさん:2018年11月01日 10:27 ID:eXBQNEPA0▼このコメントに返信
赤紙来て身体検査ではねられたそうだ
健康だったが前の日に農薬撒いてその薬品で足の付け根まで変色してたせいだって話だ
24.名無しさん:2018年11月01日 10:28 ID:Sn.t6PdW0▼このコメントに返信
栃木県の茂木町住まいで、水戸の陸軍の練兵所で射撃訓練してたと聞きました
その間に終戦
こう聞かされてみると、生々しい話だと感じました
25.名無しさん:2018年11月01日 10:29 ID:.wFQmlsG0▼このコメントに返信
インパール戦で佐藤幸徳師団の司令部付きと聞いた。
支那から輸送船で移動する際に大船団の周りの護衛艦や上空の掩護戦闘機の編隊を見たと言っていた。
26.名無しさん:2018年11月01日 10:29 ID:VLCX31DU0▼このコメントに返信
官僚だったから満州開発研究。戦争後期は北海道で燃料研究。終戦で戦犯となり財産没収。
ばあちゃんは苦労してたってよ。
27.名無しさん:2018年11月01日 10:29 ID:lyOli.nh0▼このコメントに返信
父方はそこそこの資産家だったせいか危ない橋は渡ってないはず
母方は満州の開拓民だった。そっちの爺さんが何とか帰国できたおかげで俺は今日も生きている
28.名無しさん:2018年11月01日 10:29 ID:AKXq3Bbv0▼このコメントに返信
※16
三十路だけど高いか? ウチの爺ちゃんはは90過ぎで最近婆ちゃんのとこに旅立ったから
子供が孫が30前後ずつで生まれた場合はこういうパターンも普通にあり得るっしょ
29.名無しさん:2018年11月01日 10:30 ID:LjKRk.Ji0▼このコメントに返信
父方は隼戦闘機の整備兵で、戦後、数年してシベリアから帰還
母方は、陸軍で原爆投下1~2週間後位の広島で死体の整理や町の整理に行っていたと言っていた。
奥さんの父方は、皇居で近衛兵
奥さんの母方は、陸軍主計局軍人だったらしい。
30.名無しさん:2018年11月01日 10:31 ID:0MrLEaMm0▼このコメントに返信
一人は226事件に衛生兵として出動して、犬養だったかの手当てしたって言ってたな。母方はインパールの生き残りだそうだ。
31.名無しさん:2018年11月01日 10:32 ID:Wtmrgpq.0▼このコメントに返信
中島飛行機の工場で飛行機の組み立てをしてたって聞いてる。特攻機の修理に出張で呼ばれて行ったんだけど直せなくて結局飛ばせられないまま終戦になったらしい。
32.名無しさん:2018年11月01日 10:33 ID:qK33u9G10▼このコメントに返信
父方は樺太の役所勤めのクソ貧乏人の息子、母方は満州で関東軍お抱え設計士のボンボンで中国人や朝鮮人の召使い雇ってた御屋敷住み。
引き揚げの際は父方は命からがらの脱出劇、母方は軍にVIP待遇されての脱出行だったそうな。
33.名無しさん:2018年11月01日 10:33 ID:XpJOLmxb0▼このコメントに返信
現在92歳、国内飛行場で整備士してたらしい。爆弾で指と目を負傷、指欠損片目見えないがピンピンしとる。
34.名無しさん:2018年11月01日 10:35 ID:iQOaq.X90▼このコメントに返信
工学部の学生で1945年9月頃に技術将校で入隊予定だったが
その前に終戦でセーフ!
尚、私費でオーダーしていた軍刀、代金も物も帰らずじまい。
35.名無しさん:2018年11月01日 10:35 ID:gfP1MEtC0▼このコメントに返信
小学生のときに戦争体験を聞くって課題のときに
「家でぶらぶらしてた」っていわれた
そのときはそのまま書いたけど…
あとで「じぃちゃん終戦時7歳やん」って…
ちゃんと説明しろよくそじじぃ
36.名無しさん:2018年11月01日 10:36 ID:ZyOHGG1H0▼このコメントに返信
うちのじーさんは15,6歳だったので特になし。
戦後にシンガポールに行ったとは聞いた。
もうボケてるから何をやったか聞いたが自分でもよくわからん模様。

戦闘機すら見たか覚えてない感じだった。
37.名無しさん:2018年11月01日 10:38 ID:9.JOsa6t0▼このコメントに返信
満鉄の警護?してたらしい
鉄道についてた機関砲みたいのに座ってたとか。まあ何もなければ座ってるだけかもしらん
母方は招集かかったけど戦況悪化で地元の沖縄に帰れなくなったとかで配属されんで終わったらしい
38.名無しさん:2018年11月01日 10:39 ID:VLMOMpxW0▼このコメントに返信
南方戦線にいて、流れ弾にあたり本国送還されて治療中に自分のいた部隊が全滅したそうだ。
39.名無しさん:2018年11月01日 10:39 ID:7u0.6..x0▼このコメントに返信
漁師してて船持ってたから見張りを兼ねて最後まで普通に漁師してたらしい
船にモールス信号機を積んで、南〜南西方面から飛んでくる機影をみたらモールスを打ってたんだって

40.名無しさん:2018年11月01日 10:39 ID:hGI9qREa0▼このコメントに返信
※28
お前特別な部類
戦中現役なら生まれはほぼ大正生まれか若くて昭和元年レベル。
当時で30代で結婚はかなりの晩婚。当時は産めよ増やせよで10代での
結婚なんて当たり前だったからなw
ちなオレ50代だがうちのばあさん17で結婚して12人子供産んで
お国から表彰された。ジッジは南方(場所は忘れた)に出征したが
無事に復員したわ
41.名無しさん:2018年11月01日 10:39 ID:gqjHoVE70▼このコメントに返信
航空隊の整備員で島にいったけど戦況悪化して戦闘機とパイロットは他の部隊に移動されたけど整備員や設営隊とかは輸送の船が足らずに島に置いてけぼり
地理的にそこまで重要でもなかったらしく攻め落とされず現地住民とともに終戦まで暮らしてたらしい
42.名無しさん:2018年11月01日 10:40 ID:IhCtBw0l0▼このコメントに返信
うちのジッジは満州で軍医で少尉だったって言ってた。
終戦時にソ連の捕虜になり、シベリアの収容所行って戻ってきたわ。
そんときに入れられた入れ墨が左肩付近にあったわ。
一緒に満州にいたバッバは子供4人(0歳~4歳)を連れて帰ってきたけど朝鮮半島通るときに嫌がらせされたらしく朝鮮人を生涯嫌ってた。
逆に中国人は優しかったらしく悪感情なかったな。
43.名無しさん:2018年11月01日 10:40 ID:LAPMgNwS0▼このコメントに返信
通信兵として中国を転戦
44.名無しさん:2018年11月01日 10:42 ID:xZ8ufwQX0▼このコメントに返信
横須賀→台湾で飛行機絡みの仕事してたらしい。
45.名無しさん:2018年11月01日 10:43 ID:ENXHRXmC0▼このコメントに返信
日本人今より戦前の方が外国行ってる人多いんじゃね?
46.名無しさん:2018年11月01日 10:43 ID:dYQ8ySa30▼このコメントに返信
立場はしらんけどハルピン行っとったらしい
47.名無しさん:2018年11月01日 10:44 ID:oZl.GnnK0▼このコメントに返信
母方のバー様は90で学徒動員世代で東京大空襲の生き残り。女学校行けてた勝ち組だったから、前日まで普通に授業してたそうな
48.名無しさん:2018年11月01日 10:44 ID:0fenmKPu0▼このコメントに返信
満州→シベリア抑留で帰って来るのが遅くなった。
ただ帰国してからは近衛連隊のつてで外航や今では大きくなった会社の初期株主になったおかげで畑しながらのんびり暮らしてた。
一般兵として後から招集されるより、良い位置に先に入っておくのは生存戦略として有利だと思った。生きて帰れさえすれば。
49.名無しさん:2018年11月01日 10:44 ID:P6pea5sV0▼このコメントに返信
最前線での工兵だったそうな。いち早く前線でテントやら飛行場やら整備する仕事。
当然危険もあって殺し合いにもなる。遭遇戦なんで銃撃つより格闘戦になるんで
撲殺が多かったみたい。銃で殴るとすぐ壊れて上官にぼこぼこにされるってんで
武器はシャベルだったそうな。一回六殺って一度の戦闘で6人殺さないと自分が
死んでるんだって。
50.名無しさん:2018年11月01日 10:44 ID:h.RIR1G40▼このコメントに返信
祖父さんはビルマで戦死や

祖父さんの弟は戦闘中に死んだふりして助かったらしい
敵軍が去った後に怯えながら頭を上げたら一面死体の山
その内似たような事(死んだふり)してたヤツが数人頭を上げた時は死ぬほど嬉しかったって
クズ同士戦線で逃げ回って無事帰国・・・・恥ずかしい話だよ
51.名無しさん:2018年11月01日 10:45 ID:8OINk54i0▼このコメントに返信
南方でスパイ。具体的には本人もほとんど話さなかったらしい。終戦時は偽名を使いなんとか日本に帰ってきたとだけは父親から聞いた。
52.名無しさん:2018年11月01日 10:45 ID:iJyuRkI60▼このコメントに返信
南部で民間船舶の船員をしてたとの事
53.名無しさん:2018年11月01日 10:47 ID:SUKYMey.0▼このコメントに返信
ペリリュー島で戦死
54.名無しさん:2018年11月01日 10:48 ID:4FlCHnsJ0▼このコメントに返信
回天で出待ちしとった
長崎から異動になって数日後に原爆落ちたって
出撃前に敗戦
55.名無しさん:2018年11月01日 10:48 ID:aUutdarH0▼このコメントに返信
また、戦前の話。まるでどこかの国とよく似ている。そもそも、そんな事を聞いていったいどうするの?結局、戦前の日本は悪かった?
56.名無しさん:2018年11月01日 10:49 ID:gKJfLskW0▼このコメントに返信
満州事変も直前までおったらしい。農家の長男だからか甲種合格だからか知らんが基本的に大事になる前に帰されてた
従軍何年かしたら軍隊にいかんでええよとかあったんかな?詳しくは知らんけど満州で甘い物食いまくって虫歯になったそうな
57.名無しさん:2018年11月01日 10:49 ID:I8JDPfWw0▼このコメントに返信
曾祖父さんは紳士服の仕立て屋やってて、戦時中は戦争行かずに軍服作ってた
たぶん将校用だろうな


58.名無しさん:2018年11月01日 10:50 ID:iuSVp.WW0▼このコメントに返信
父方の祖父は長崎の山奥で農業やってて原爆に遭わずにすんだ。母方の祖父はフィリピン辺りに従軍してて広島の実家が原爆でぶっ飛ぶのに巻き込まれずにすんだ
59.名無しさん:2018年11月01日 10:50 ID:acMG3UPp0▼このコメントに返信
農大の講師だった爺さんは軍属としてフィリピンの第14方面軍で何かしてたみたい。スキルのある人はなにか特別な任を与えられるって靖国の書庫の方が言ってたけど、終戦間際8月に戦没してしまったので何をやってたのかわからない。軍属には戦友会みたいなものもあまりなく調べられなかった。
60.名無しさん:2018年11月01日 10:52 ID:Y2BdnUAK0▼このコメントに返信
国民学校の校庭を耕してサツマイモ作り
61.名無しさん:2018年11月01日 10:52 ID:dWCuIYZI0▼このコメントに返信
死んだじっちゃは大陸で運転手やってた言ってたなあ
人を運んでたのか荷物運んでたかは知らないけど
戦闘には参加しなかったけど夜な夜な銃声聞こえてきてビビったとは言ってたっけ
62.名無しさん:2018年11月01日 10:53 ID:vwG0yy210▼このコメントに返信
支那・南方と長期間行ってたので通信の上等兵だったらしい。
確かに家でも電話をする時のピシッとした姿勢でメモを取りながら応答する姿はカッコよかった。
小学生の時に小銃タイプの空気銃を買ってもらった時に撃ち方を教えてくれたのは良い思い出。

63.名無しさん:2018年11月01日 10:54 ID:Qvf30Izi0▼このコメントに返信
戦時中は在郷軍人として、地元の中学校で子供の軍事教練に協力してたと父親が言ってた。
64.名無しさん:2018年11月01日 10:55 ID:PEypHcOK0▼このコメントに返信
心臓疾患(狭心症?)という事で家にいたそうだ。
建築職人(車の免許を取らず近所の現場には自転車にセメント袋を積んで行く)で88歳まで元気に生きていたけどw
昔のセメント袋は一体50kgぐらいあったそうだ。
65.名無しさん:2018年11月01日 10:55 ID:RXHehySg0▼このコメントに返信
母方の方は徴兵はされたが病気で出兵しないまま戦争が終わった
父方の方は聞いたことがない
66.名無しさん:2018年11月01日 10:56 ID:98T8wUbM0▼このコメントに返信
俺の爺は焼夷弾で自宅焼かれるのを眺めてたらしい。一回キャッチ出来たらしいけど、本当かは怪しい。

※55 爺の思出話書いてるだけだろ?それより、お前のじっじは何してたんだよ?
67.名無しさん:2018年11月01日 10:58 ID:uo2y2z7.0▼このコメントに返信
当時17歳で満鉄系の電気通信会社の社員だったが応援部隊への軍事教練中に終戦
満州に派遣されていたらソ連進行でマジヤバかった
68.名無しさん:2018年11月01日 10:58 ID:QQa35CeO0▼このコメントに返信
父方は多分パイロット、何に乗ってたかは知らん
母方は詳細不明、戦後に陸奥の遺品引き上げに関わった事だけしか分からん
69.名無しさん:2018年11月01日 10:59 ID:d8zNuTPm0▼このコメントに返信
父方の祖父は学徒出陣で陸軍に行って訓練中に終戦、母方の祖父は長崎に住んでたけど山が原爆の熱線と爆風を防いでくれたおかげで被害に遭わなかったらしい
親戚でもなんでもなかったけど近所に住んでたおじいさんは特攻要員でいつ出撃命令が出てもおかしくないってとこで戦争が終わったとか
70.名無しさん:2018年11月01日 10:59 ID:aVK85gSt0▼このコメントに返信
重機関銃の射手で軍曹で、列車を攻撃してたP40戦闘機を撃墜したことがあるんだって。
71.名無しさん:2018年11月01日 10:59 ID:vwG0yy210▼このコメントに返信
※43
うちのじいさんも通信兵と言っていたし、上にも通信兵とか多いけど
孫に敵兵とは言え人殺しした事を知られたくないからの方便だったのかも?
と亡くなった後に思ったよ。
72.名無しさん:2018年11月01日 11:00 ID:7T6h.HZ20▼このコメントに返信
一人は国鉄職員だったから終戦間際に徴兵され京都で訓練兵だったらしい
もう一人の方は呉の鎮守府所属で軍港や海軍工場の警備をしてたらしい
73.名無しさん:2018年11月01日 11:01 ID:CtkpOMS60▼このコメントに返信
手が不自由だったから地元で農業やったり防空壕掘ったりしてたらしいがあんまり話したがらんかったな
戦地に行った友人は誰も帰ってこなかったらしいし悲惨な思い出しかなかったみたいだ
74.名無しさん:2018年11月01日 11:01 ID:8WUPlYgz0▼このコメントに返信
75.名無しさん:2018年11月01日 11:01 ID:f4cj1pqa0▼このコメントに返信
東京大空襲で兄弟一人残して皆殺されたらしい
76.名無しさん:2018年11月01日 11:02 ID:xmAzCTIG0▼このコメントに返信
父方の爺様はビルマ戦線だったけど、大股に銃弾受けて動けなくなったから生きて帰ってこれた。
77. ガルパンのまとめでもこういうのあったな。:2018年11月01日 11:02 ID:lib6O.Q00▼このコメントに返信
満州、朝鮮の馬賊ってなぜか今は韓国では独立義勇軍扱い
らしい。じゃなんで鮮人を襲うんだよ。

昔「オレたちひょうきん族」内の「ひょうきんニュース」で
「日露戦争の残留兵士が見つかりました」とやってたな。
ほんと、今じゃ考えられんよ。
78.名無しさん:2018年11月01日 11:03 ID:YyAQr.9s0▼このコメントに返信
父のジジは満州で死んだ。母のジジは高雄で生還して往生した。
79.名無しさん:2018年11月01日 11:03 ID:HwEldCsk0▼このコメントに返信
東南アジアの島に行ってたらしいやで
敵来なかったから地元民に農業指導とかしてたって言ってたな
80.名無しさん:2018年11月01日 11:04 ID:Cf9AjNyq0▼このコメントに返信
俺の爺さんは上海で技師やってたらしい 友達の親父は戦車兵で乗り心地最悪と言ってた
4回の出兵で二択を迫られてその全てで生き残り、他は玉砕したって強運爺ちゃんもいた
81.名無しさん:2018年11月01日 11:04 ID:5ShfrjpU0▼このコメントに返信
※71
ねーと思うぞ。戦時の価値観は戦後も変化はあまりないし、よく戦った奴は自慢の種だし。徴兵逃れはずっと馬鹿にされ続けるし、補給部隊は最低の部隊で自慢にならねーし。うちは補給だな、輜重隊だっけか
82.名無しさん:2018年11月01日 11:05 ID:AfF9mmp.0▼このコメントに返信
昔に聞いた話だからうろ覚えだが、父方のジッジは駆逐艦乗りで、米軍に撃沈されて泳いで近くの島までたどり着いたんだと。
さて母方のジッジは満州で騎馬隊に所属、シベリア帰りの鉄人だったそうな。
二人とも俺にとってはただただ優しいジッジズやったが、現役時代はめちゃくちゃ怖かったらしい(父母談)
83.名無しさん:2018年11月01日 11:05 ID:cFIDMUyN0▼このコメントに返信
赤紙で中国戦線へ。なお俺が聞けたのは
「最初は人を殺すのが嫌で空に撃っていたが、隣の戦友が討たれて戦死した時に自分が敵を殺していれば戦友は死なないで済んだと思いそれからは敵兵を撃つようになった。」と言う話だけ。
他は「お前は戦争の話しは知らないんでいいんじゃ」としか答えて貰えなかった。

ガキの頃の記憶では爺様はいつも酒瓶を隣に置いていたが、後に婆様に聞いたところ出征前は一滴も酒を飲まない人だったらしい。
激戦をくぐった人ほど思い出したくないのか戦時中の話をしたがらない傾向があると思う。
武勇伝とか語る奴は当時は大抵壕の中で震えていた奴か、後方の安全地帯に居たやつが多い。
恥辱感とバツの悪さがそうさせるのだろう。
84.名無しさん:2018年11月01日 11:06 ID:v.YRbiBr0▼このコメントに返信
父方の伯父は予科練だった。重巡筑摩の航空兵で零式三座水偵で索敵任務にあたってた。マリアナ沖海戦で索敵中に未帰還で戦死認定された。
父は、終戦当時初等滑空訓練生でグライダーの練習中だった。
85.名無しさん:2018年11月01日 11:07 ID:Rnw9bF6O0▼このコメントに返信
父方は大地主だったからか田舎にずっといた
戦後のGHQの土地改革&博打で借金抱えて9割ほど資産失くしたとかいうアレな人
母方は田舎の次男坊だったので満州へ移住
結構手広く商売してたが、敗戦で帰国
その時雇っていた朝鮮人が襲撃してきて友人一家惨殺、自分たちも危なかったけど取引先の満州人たちが撃退殲滅、引き上げ船に乗るまで護衛してくれたとか
「満州人には世話になった。朝鮮人は絶対許さん」って言ってたな
中国人じゃないの?って聞いたら自分が関わったのは満州の人、中国なんて国は知らんとの事でした
86.名無しさん:2018年11月01日 11:08 ID:.99f0aWe0▼このコメントに返信
軍艦で飯炊きしたり
鴨緑江の戦地後方で兵器のメンテやっとったと聞いた。
ジッジが最前線の兵士だったら、ワイたぶん今ここにいなかった。
87.名無しさん:2018年11月01日 11:08 ID:tDD66yUU0▼このコメントに返信
どっかの隊長さんだったとは聞いた。原爆投下後少しして広島入りしたために被爆した。ばあちゃんは穴倉で戦闘機作ってたと聞いた。やっぱり被爆した。でも二人とも元気で生きて、ばあちゃんはまだ生きてる。
88.名無しさん:2018年11月01日 11:08 ID:cGbx.CMl0▼このコメントに返信
母方のジッジは満州で負傷してハルビンの病院にいたらしい。その後無事生還して90まで生きたで。
父方のジッジは、既に40近かったので軍務には付かず、地方新聞のブン屋やってた。
89.名無しさん:2018年11月01日 11:09 ID:I3rJY2LV0▼このコメントに返信
ジッジ今年100才存命中
教員やってたので徴兵は最後の方で出兵直前に終戦、戦闘経験無し
ストレスが少ないとやっぱり長生きするんかね
90.名無しさん:2018年11月01日 11:09 ID:w.WsPd0o0▼このコメントに返信
徴兵が怖くて上海に逃げたと言ってたが・・・
上海に行けば避けられるものだったのか、そもそも上海って安全だったのか、
謎は多いが、もう永遠にわからん。
91.名無しさん:2018年11月01日 11:09 ID:VQ6rhdHd0▼このコメントに返信
亡くなった爺さん遠洋漁師、英艦に拿捕されシンガポールへ。スパイ容疑をかけられ終戦を迎える。帰還後、弟が16歳でビルマで戦死した事を知り悲嘆にくれる。
92.名無しさん:2018年11月01日 11:11 ID:FPe4tpJa0▼このコメントに返信
ワイのジッジは軍人やったけど達筆な人で、司令部の書類の代筆やってたから戦地には行かんかったんやて。
あと当時は連合艦隊の停泊地の近くに土地と屋敷を持ってて、海軍に貸してたんやて。
その縁で海軍の将校が結構家に出入りしてて、バッバは戦艦長門に食事に招待されてお土産にミルクの缶詰もろたって言ってた。
水偵がカタパルトから発艦するところも間近で見たけど、すごい迫力だったって。
93.名無しさん:2018年11月01日 11:11 ID:zyDfdUXM0▼このコメントに返信
通信兵やってたらしい。その流れで戦後に電気屋開業した。ちな現在98歳。
94.名無しさん:2018年11月01日 11:11 ID:8WUPlYgz0▼このコメントに返信
母方のジッジは満州に行って前線行く前に病気で死亡
ソ連侵攻前だったからバッバは乳幼児を含む子供6人を連れて無事帰国

親戚のジッジは入隊して配属されてすぐ(1週間)終戦&シベリア送り
無事に帰ってきて農家やってた
95.コロンブス:2018年11月01日 11:12 ID:o4vYbc2z0▼このコメントに返信
自分は直接話を聞いたことがない。基本的には戦争のことは語らず。
満鉄の専売公社にいたらしい。職場結婚。
戦争には砲兵として参加。かなり戦果を上げたらしい。(トーチカの銃眼狙いが得意だったらしい)
金鵄勲章功七級を受ける。陸軍曹長の乗馬写真、勲章の賞状と新聞記事、軍刀は見たことがある。
これらの物は処分したようで残っていない。
終戦前に本土に帰り家を建てている。
母方はタイ方面に配属、一等兵だったらしい。
地主の跡継ぎだったためか実戦経験はなかったらしい。
96.名無しさん:2018年11月01日 11:12 ID:cGbx.CMl0▼このコメントに返信
そいや父方の兄弟で一人、ビルマ最前線に行って、無事帰国できたけど、戦争で精神おかしくなって、自宅療養中に失踪。
結局見つからず、そのまま死亡手続きした兄弟がいたと聞いている。
97.名無しさん:2018年11月01日 11:13 ID:.99f0aWe0▼このコメントに返信
※85
満州人は大陸でもっとも文明的だよ。
漢族や朝鮮族は文明人に非ず
98.名無しさん:2018年11月01日 11:13 ID:NYQpeFyS0▼このコメントに返信
祖父が戦争関与とか
みなさん60代ぐらい?
99.名無しさん:2018年11月01日 11:13 ID:B1iwn8bI0▼このコメントに返信
中国の漢口にいって
それからパラオ諸島に派遣された
昭和19年に除隊した。
兵歴は長かったようだ
大陸の写真はよく見せられたけど
南方の写真は一枚もない
っていうのは帰りに輸送船が潜水艦で撃沈されたので
命からがらだったようなんで。
話もよく聞かされた。
パラオには行きたいって言ってたけど
とうとうかなわなかったね。
母方のほうは
最後は沖縄に派遣、
本島でなかったので助かったが
物資はかなり不足したようだ。
こちらも兵役は長かった。
100.名無しさん:2018年11月01日 11:14 ID:NJxWRSYP0▼このコメントに返信
>満州行ってた
>朝鮮行ってた
>ブラジル行ってた
>このジジババ案外おおいよな

多くが何とか帰れたからな。
ガタルカナル・フィリピン・ビルマ辺りは多くが帰ってこれなかった。
101.名無しさん:2018年11月01日 11:14 ID:M.1qlR.w0▼このコメントに返信
徴兵で陸軍に入って下士官から砲兵将校になった我が爺さん。ポツダム進級で最後は中佐。
お袋によると、30歳ごろに士官学校に入って数学を勉強するハメになったんで
近所の女学生さんに教えてもらってたとか。
部隊長として中国にいたんだけど、地元の中国人には慕われていたらしい。
102.名無しさん:2018年11月01日 11:14 ID:BhyspoN90▼このコメントに返信
近衛兵で通信兵やったらしい。
最初は馬、次は電信、終戦間際はバイクで近畿地方を走り回っていたらしい。
103.名無しさん:2018年11月01日 11:15 ID:5ShfrjpU0▼このコメントに返信
愛媛行った時に、回天乗りが居て今でも集まってるといってリストを見せてくれた。なんと9割が戦死でその生き残り。かっこよかったな、うちのは輜重隊と母方は大地主ゆえに内地のコックと楽させてもらってるからな。
104.名無しさん:2018年11月01日 11:15 ID:cFIDMUyN0▼このコメントに返信
※98
うん、年代もまともに計算できないゆとり馬鹿は引っ込んでいてね。
105.名無しさん:2018年11月01日 11:19 ID:EKKPdB4g0▼このコメントに返信
満州で憲兵やってたから、1度も戦場に出たことがないって言ってたな
106.名無しさん:2018年11月01日 11:20 ID:.BqihAAp0▼このコメントに返信
呉に徴兵されたけど健康診断に落ちてすぐ帰ってきたらしい
107.名無しさん:2018年11月01日 11:20 ID:DMxDJHCo0▼このコメントに返信
あくまで本人が言ってることなので叩かれるの覚悟で言うけどな。
まず祖父。
抗日闘争してて朝鮮で捕まって日本に連れて来られて牢屋に入ってたらしい。
終戦後は日本軍から接収した物資を売って財産を築いた。
ちなみにウソか本当か知らないが終戦のとき口封じのため襲ってきた看守をぶっ殺して仲間と一緒に牢屋を解放したと自慢してた。
そして祖母。
村から抗日ゲリラが出たから日本軍に攻撃されて家族も全滅するも死んだふりしてやり過ごした。
そのあと道を歩いてたら別の日本兵に声かけられ、ご飯を食べさせてもらったけどその後、日本へ連れて行かれ、強制労働させられたが終戦になり、たまたま知り合った祖父と結婚したと聞いた。
もう祖父も祖母も故人だが自分は全部作りだと思うけど厳しい戦中戦後生き延びたのだからしかたないと思う。
108.名無しさん:2018年11月01日 11:21 ID:pRhOYfiV0▼このコメントに返信
母方のひいジジイは2人とも満州行ったらしいけど何してきたかは知らない
ちな父方の先祖は仙台藩に就いてたらしいけど何してたかは知らん
もっと聞いとくべきやったなあ
109.名無しさん:2018年11月01日 11:21 ID:.7EqcATR0▼このコメントに返信
母方は朝鮮で警視だったとかで
お偉いさんだったから逃げるの大変だったとか
父方は朝鮮で商売やってたらしい。現地の人に親切だったから殺されずにすんだとか言う話
叔父がシベリアから何年も帰ってこれなかったということだったが、詳しい話を聞くほどの仲じゃなかったのが悔やまれる
いずれにせよ、
引揚者は日本に帰ってからが無一文で家もなくとても大変だったらしい。親父とかネズミの天ぷら食ってたとよくいってた。
110.名無しさん:2018年11月01日 11:22 ID:VZwRcFPK0▼このコメントに返信
爺さんじゃないけど大叔父がWikipediaに載ってる程度に有名で身バレするから書けない
111.名無しさん:2018年11月01日 11:22 ID:U4CkJoOP0▼このコメントに返信
家のじいさんは陸軍で最初は支那戦線に向かい、終戦は南方で迎えたらしい。帰ってきたときはマラリアにかかってたって婆さんが良く話してた。戦後、抑留地で世話になった米兵をウチに招いたこともあったって話だ。
112.名無しさん:2018年11月01日 11:23 ID:gKJfLskW0▼このコメントに返信
父方も母方も戦争では亡くなってないがどっちも南方には行ってないからなあ
どこに配属されるかっていう運不運で一生が分かれたんやろねえ
113.名無しさん:2018年11月01日 11:23 ID:.99f0aWe0▼このコメントに返信
今ジッジの昔の写真みたら
水兵さんの格好してて、軍帽に《大日本帝国海軍陸戦隊》
という文字が刺繍されてる。
114.名無しさん:2018年11月01日 11:23 ID:ZxcZ.g8o0▼このコメントに返信
田舎の小学生だったらしい
でもあの頃は田舎暮らしでも大変だったろうね
115.名無しさん:2018年11月01日 11:24 ID:MCW9csz40▼このコメントに返信
戦争で亡くなったから会ったこと無い。写真はすごい優しそうな人だった。
116.名無しさん:2018年11月01日 11:25 ID:LYwbdjNc0▼このコメントに返信
詳しいことは教えてくれんかったな
戸籍謄本とか見ると、ガ島で戦死してる兄弟があったし、誇って話すようなことじゃないんだろう
117.名無しさん:2018年11月01日 11:27 ID:CsiQFnYk0▼このコメントに返信
ジジは海軍。気がついたらヘルメットに弾丸の凹みがあった話と隣にいた人が死んでたって話は聞いた記憶が微かに・・・
戦争終盤は高野山で予科練の教官していたらしい。
もっとジジババに戦中戦後の話聞いておけば良かったって最近よく思う。私の育ったころは今よりある意味平和だったからな~
ジジは職業軍人だったせいか軍人色が抜けなくて、「○○であります」って電話に出ていたw
118.名無しさん:2018年11月01日 11:27 ID:.h0SqyRI0▼このコメントに返信
農家は農業やってるだろ。
商家は物売ってるし。
板金屋のくそジジイはロシア行って、板金やってたそうだ。
119.名無しさん:2018年11月01日 11:28 ID:RYW53uKp0▼このコメントに返信
おいらの場合、
じっじは二人とも戦前にお亡くなりになっとる。
親父は学校出てから霞ヶ浦の予科練行って、出てからは鹿児島行って震洋の訓練。
もう満足な飛行機も燃料も殆ど無かったとか。
で、出撃の直前に終戦。
120.名無しさん:2018年11月01日 11:28 ID:wA2rQo0V0▼このコメントに返信
ガダルカナル
121.名無しさん:2018年11月01日 11:29 ID:M7rWL1NL0▼このコメントに返信
俺が生まれる前に死んだから直接聞いてないが陸軍で南方だったとは聞いた。
なんか銃撃浴びただかなんだかで足に大けがしてたらしい
122.名無しさん:2018年11月01日 11:29 ID:.QXNGggi0▼このコメントに返信
水兵として入隊して勉強して海兵学校に入学。卒業後上海事変に行って金鵄勲章授与。2・26事件時は横須賀鎮守府勤務。
開戦時は少佐で二水戦の参謀。11回海に飛び込んだ(船が沈んだ)けど生きて帰った強運持ち。終戦時は中佐で海上護衛艦隊所属。
戦後C級戦犯として公職追放されたけど追放解除後は数少ない海軍出身としての警察予備隊初期幹部に引っ張られた。
海軍出身者ってことでめっちゃいじめられたらしい。陸将補として退官(本人は退官時に陸将になれると思ってたけどダメだったぽい)。

兵から将まで行ってて結構歴史的事件に立ち会ってるからドラマ化出来そうな人生やね。
123.名無しさん:2018年11月01日 11:31 ID:MvqR02g.0▼このコメントに返信
隊長してて中国人の部下もいたっていう話は聞いた
124.名無しさん:2018年11月01日 11:32 ID:NeHyKvdO0▼このコメントに返信
南方の島で基地勤務だったらしい、ゼロ戦っぽい戦闘機の写真があった
125.名無しさん:2018年11月01日 11:32 ID:ZLytg7ca0▼このコメントに返信
冬月で大和と一緒に沖縄や
126.名無しさん:2018年11月01日 11:32 ID:28AyKP0s0▼このコメントに返信

もう随分前に亡くなったが中学生の時に聞いたら造船部門の技術将校って聞いたな

新造船じゃなく被弾した艦の修理専門で外地には行かなかったと。
127.名無しさん:2018年11月01日 11:32 ID:4T.tqRRU0▼このコメントに返信
昭和8年生まれだと疎開中で戦争にはかかわってない。
学校の校庭も畑耕してイモ食ってたと。
128.名無しさん:2018年11月01日 11:33 ID:Wnmt42oj0▼このコメントに返信
父方の祖父は満州で機関銃歩兵 
母方の祖父は南方でトラックの運転手として輸送任務
戦時中の話は詳しく聞いた事はなかったなぁ
子供の時に、写真とか銃弾とか折った軍刀は見たことがある
129.名無しさん:2018年11月01日 11:37 ID:cGbx.CMl0▼このコメントに返信
※28
ワイ30台やけど、終戦時にジッジ41歳でバッバ37歳。出征してた長男が19歳やったらしい。
ちなうちの親父、11人兄弟の末っ子で、生まれたのがバッバ43歳の時。戦後過ぎてから。
当時は高齢多産が普通やったん。
130.名無しさん:2018年11月01日 11:38 ID:hDxmu1oJ0▼このコメントに返信
飛行場造ってたって言ってたな
軍服?交換したらその人がじいさんと間違えて戦地飛ばされたって言ってたけどそんな事ありえるんか?
131.名無しさん:2018年11月01日 11:40 ID:95.TJXPe0▼このコメントに返信
特攻隊へ志願。即終戦。
132.名無しさん:2018年11月01日 11:40 ID:L95Q9sXQ0▼このコメントに返信
母方のじっじは陸軍で対馬の警備
父方は先生だったぉ
133.名無しさん:2018年11月01日 11:41 ID:h7M.TrTX0▼このコメントに返信
※14
うちの親父の上官か?
全く同じだわ
親父は戦車関係の兵隊だったらしいが詳しくは知らん。
ふくらはぎに銃創があったよ。
134.名無しさん:2018年11月01日 11:42 ID:x0KHWZ1j0▼このコメントに返信
うちのは中途半端な年齢(ちうごくがキナ臭くなる前に徴兵されて退役しとる)だったんで
戦時中は普通に船大工しとったわ
で原爆投下の翌日に大八車に息子(ワイの伯父)乗っけて広島市内の様子見に行って入市被爆したで
135.名無しさん:2018年11月01日 11:42 ID:0Iv47T710▼このコメントに返信
民間船乗り → 船ごと徴用されて特設敷設艇に艤装 → 触雷沈没
生還して貨物船乗り → 再び船ごと徴用されて特設捕獲網艇に艤装 → 沈没
生還して電欖敷設艇乗り組み → 撃沈
→ 三度生還して戦後船乗りして天寿を全う

じいちゃん不死身すぎだろ・・・
136.名無しさん:2018年11月01日 11:46 ID:oUvMh38.0▼このコメントに返信
どっちの爺も戦争行ってないみたい。
片方は健康の面で、片方は国鉄だったからかな?
137.名無しさん:2018年11月01日 11:46 ID:u279d28h0▼このコメントに返信
中国で馬に乗ってる写真を見たな。
騎馬隊なんてあるのかね?
138.名無しさん:2018年11月01日 11:48 ID:LrQhOKj40▼このコメントに返信
爺さんは予科練で鹿屋にいたそうだ。訓練するにも飛行機があまりなかったって。
婆さんは有明海の向こう側の原子爆弾のきのこ雲を見たって。
139.名無しさん:2018年11月01日 11:48 ID:5ShfrjpU0▼このコメントに返信
※137
はい、輜重隊w
馬大事だから、盗まれたら誰かの盗み返すのが鉄則
140.名無しさん:2018年11月01日 11:49 ID:MN.zaAsq0▼このコメントに返信
漢口あたりで情報将校の護衛やってたって言ってた。もう死んじゃったよ。
141.名無しさん:2018年11月01日 11:51 ID:WgXhjpub0▼このコメントに返信
じいさんは海軍の船乗りで沖縄で死んだって言うから坊ノ岬で永眠してるんだと思う
何に乗船してたかはわからん
142.名無しさん:2018年11月01日 11:52 ID:yuywc7370▼このコメントに返信
父方は結核で闘病、結局終戦前に死んだ。親父は幼稚園前だったが、借家や畑など土地を大量に残してたのでなんとかはなった
母方はエンジニアで中小社長。戦争で一発あてて戦後も愛人が糞ほどいた
ばあさんはしらんが子供たちと愛人たちは仲が良かった模様
戦争未亡人を愛人として囲うのは人助けの一種という社会風潮だったそうな。
143.名無しさん:2018年11月01日 11:54 ID:gpSPZmU80▼このコメントに返信
じいさんは兵隊にならなかったけど、ばあさん(じいさん嫁)の弟はベトナム行ったときいた
戦争自体はもうグダグダで、必死に港まで行って船に乗って帰ってきたが背中を痛めてしまいずっとそのままだったが、10年後くらいに全然違う病気で入院したら背中も治って不思議がってたらしい
子供のころちらっと聞いただけでうろ覚え
ベトナムって日本軍戦ってるイメージがないけど何してたんやろ
144.名無しさん:2018年11月01日 11:55 ID:H8qe0JMP0▼このコメントに返信
満州でソ連兵に捕まりシベリア抑留されてた。
その際に牛革の良いベルトソ連兵に盗られた事を母に話してくれたらしい。
もう20年くらい前に亡くなった。
145.名無しさん:2018年11月01日 11:57 ID:VLbePD200▼このコメントに返信
「ニイタカヤマニ ノボレ ヒトフタマルハチ」に 参加してたらしい
146.名無しさん:2018年11月01日 11:58 ID:vQwFsKGy0▼このコメントに返信
母方は立川で飛行機の研究をしていたと小さい頃聞いた。
大人になってから調べてみて練習機が多くて少し残念な気持ちになったけど今思えばやっぱり誇らしい。
147.名無しさん:2018年11月01日 12:01 ID:jXvUnzHs0▼このコメントに返信
父方のひいじいちゃんは陸軍兵長
ビルマで戦死
母方のひいじいちゃんは満州に出稼ぎ
実家には帰れたが、結核で病死

母方の実家の近くに住んでたおじいちゃんは、呉で大和を作ってた
父方の親戚のおじいちゃんは訓練所のラッパ卒
滅多にない休みをもらって帰省する途中で空襲に遭遇

148.名無しさん:2018年11月01日 12:01 ID:zvn83rFu0▼このコメントに返信
うちのじいさんは満州で機関士してたらしいんだが、御用列車の機関士もしたとか眉唾なんだよなぁ。地元では大きな商家の出だから完全に嘘とも言い難いのが何とも
149.名無しさん:2018年11月01日 12:01 ID:M6LgGcMI0▼このコメントに返信
父方はまだ小学生
母方は空襲で怪我したらしくて兵役免除になったとか言ってたな
150.名無しさん:2018年11月01日 12:02 ID:noRAlcb10▼このコメントに返信
うちのじーさんは当時14歳で、家から一里半歩いた先の海軍飛行場で勤労奉仕(ボランティア)をしていた。要は爆撃の穴凹埋め。
終戦の時は訓示と放送で解散。あの暑い中を歩いて疲労感半端なかった(意訳)と言ってました。
151.名無しさん:2018年11月01日 12:04 ID:UDIf3eO60▼このコメントに返信
割と早くに亡くなったので詳しくは知らないが、
鉄道連隊所属で、泰緬鉄道に関わっていた。
本土から遠く離れた処だったのもあって、終戦時には捕虜になった。
152.名無しさん:2018年11月01日 12:05 ID:auAhETTJ0▼このコメントに返信
※138
ウチの爺サマは陸軍の少年飛行兵(海軍の予科練みたいなもん)で大刀洗(福岡)におったそうや
飛行機無くて訓練受けられんかったのは同じみたいやけど、板付基地(福岡)におった故ポップ吉村とつるんでバイクで走り回ってたことの方が武勇伝やわ
153.名無しさん:2018年11月01日 12:06 ID:.Ny..dLJ0▼このコメントに返信
反戦訴えたせいで捕まってたらしい
終戦で死なずに解放されたと言っていた
154.名無しさん:2018年11月01日 12:07 ID:iufY0yJV0▼このコメントに返信
爺さんの自慢は『わしが決めた航路では一隻も沈んだことが無かった』とのころ。

・・・日本郵船で南方の輸送船の航路を決める軍属でした。
155.名無しさん:2018年11月01日 12:12 ID:ghOU.mKb0▼このコメントに返信
横須賀港地上勤務→空襲で艦隊壊滅→陸軍機関銃手 やったらしいで。1発撃つ間に10発撃ち返されるそうやで。
156.名無しさん:2018年11月01日 12:14 ID:0qEh.vvE0▼このコメントに返信
陸軍にいて馬の世話してたらしい
馬と人間共通の病気がいるから、医学にはそこそこ詳しかったみたい
流石に戦争行った明治生まれの人だからしっかりしてたなあ
157.名無しさん:2018年11月01日 12:14 ID:zso.VD.g0▼このコメントに返信
中国に行った、そして撃たれた
でもまだ日本が勝っていた時期だったので、病院船で日本に搬送され助かった
中盤以降だったら、危なかったらしい
158.名無しさん:2018年11月01日 12:15 ID:tzslo9N.0▼このコメントに返信
山梨県に疎開してた。疎開は楽しかったらしい。
159.名無しさん:2018年11月01日 12:16 ID:DB3WCZO10▼このコメントに返信
宇都宮第14師団で華北で2回ほど撃たれて入院してる間にペリリュー島で原隊が全滅して終戦。
戦友会で気まずかったらしいぞ
160.名無しさん:2018年11月01日 12:18 ID:IVeWn.9j0▼このコメントに返信
父方も母方も戦死で遺影の軍服写真が飾ってあったが状況を詳しく聞いたことがないな
でもご先祖様に祟られるのは嫌だから国民の敵NHKには不払いで通してる
161.名無しさん:2018年11月01日 12:21 ID:nyazKYGP0▼このコメントに返信
じいちゃん薬剤師みたいな研究職、ビルマの沖で沈んだとしか聞いてないがカメラが趣味、27歳没。遺品に写真多数。若いばあちゃんの旅行姿ほか、どこかの隊が日の出か夕陽に向かって皆でポーズしてるやつは角度変えて撮りまくっててじいじの熱い演出こだわりwを感じる
162.名無しさん:2018年11月01日 12:21 ID:BMvp9mkF0▼このコメントに返信
佐幕派の家系ということが知られて
上官に殴られて怪我して帰ってきたらしい
同期の半数は死んだらしいから良かったのか悪かったのか
163.名無しさん:2018年11月01日 12:24 ID:JEE0pee20▼このコメントに返信
父方祖父は徴兵はされたけど前線行きの意思見せたら本土決戦の部隊に回されたらしい
164.名無しさん:2018年11月01日 12:25 ID:KA.Wly9F0▼このコメントに返信
中国が多数派で中国は割と生存ルート入った人が多いんだよね
そういう人らは地獄を見たまでは大抵行ってないから、割と話すのに抵抗なかったり
南方行った人は真に様々やね・・・・終戦まで放置プレー食らってた人らも居るみたいだし
165.名無しさん:2018年11月01日 12:26 ID:MQSF9MJn0▼このコメントに返信
シベリアで抑留されてたぞ
166.名無しさん:2018年11月01日 12:27 ID:QOWAqYDD0▼このコメントに返信
経緯は判らんが、兵隊で大陸に行った先で現地の子供たちに簡単な算数など教えてたと。村の長老みたいな人から感謝の書を頂いて腹に巻いて持ち帰り、掛け軸にしてあるのが実家にある。
167.名無しさん:2018年11月01日 12:29 ID:1w7yM1Jc0▼このコメントに返信
じーじが唯一教えてくれた戦争中の事は、どのような状況でそーなったのかは語ってくれなかったけど、中国で12月にほぼ一晩中川の中で銃を構えてたって事。とにかく自分の事は語らない人だった。子供の頃にじーじに飯盒炊飯借りたんだけど、それが戦時中に使ってたやつだと亡くなってから知る。
168.空缶:2018年11月01日 12:31 ID:ezeFrxAF0▼このコメントに返信
母方
満蒙開拓団
父方
三菱の孫請けで左うちわ
なお戦後
169.名無しさん:2018年11月01日 12:31 ID:.WjrvHLy0▼このコメントに返信
ワイのジッジは伊勢に乗ってたで当時16歳や。
まだ元気やで
170.名無しさん:2018年11月01日 12:32 ID:RqL56zDE0▼このコメントに返信
爺さんは、満鉄で勤めてたらしい。
終戦時爺さんはシベリアへ
爺さんの妻は朝鮮半島でかなり悲惨な目にあって、福岡目前の船上から子供と一緒に入水自殺
俺の祖母は、爺さん帰国後に結婚した後妻にあたる。
爺さんは、最期まで満州からシベリアまでの話をしなかったなぁ
171.名無しさん:2018年11月01日 12:32 ID:3fjAOtSK0▼このコメントに返信
今は秋篠宮家の次女・佳子さま、コンビニでiTunesカードをご購入
172.名無しさん:2018年11月01日 12:33 ID:Nby2IF510▼このコメントに返信
満州で通信兵してたらアカ便衣兵の襲撃くらって後送されて、小倉で終戦。もし広島に落とされた原爆が予定通りに小倉に落とされてたらジッジもバッバ(勤労奉仕で小倉に居たらしい)も死んどったわ。
173.名無しさん:2018年11月01日 12:33 ID:x8UtfT.A0▼このコメントに返信
陸軍で戦地は東南アジア
台湾で陸軍と警察の連絡係してた頃に、巡査がたまたま同じ町内の出身者で娘を嫁に貰った。
巡査は俺の曾祖父さん、娘は俺の婆さん。
婆さんから聞いた話。
爺さんは戦地は辛かったようで話はしたがらなかった。
一個笑い話を聞いただけだな。
174.名無しさん:2018年11月01日 12:34 ID:Lf3mGOIP0▼このコメントに返信
父方は満州で工兵だかやってた、んでシベリア抑留を生き延びて帰国。
母方はまだ小学生くらいで戦争には行ってない。

祖父の末っ子の末っ子が自分で、28歳。
多分これくらいが限界なのかな。
175.名無しさん:2018年11月01日 12:34 ID:.CmoyXfn0▼このコメントに返信
小学校低学年の時に聞いた話だからホントか冗談かはわからんが「満州で井戸に落ちて風邪ひいて帰ってきた」って言ってた
飲んだくれのロクでもねー爺さんだったが、国のために働いたんだから尊敬するわ
もう片方の爺さんは皇族のお付きで戦地には行ってないらしい。もっと話きいときゃよかったなぁ
176.名無しさん:2018年11月01日 12:35 ID:7UHGsYov0▼このコメントに返信
船を作っては、樺太、アッシ島に船を届けに行ってた。
177.名無しさん:2018年11月01日 12:37 ID:2K1ER5YE0▼このコメントに返信
肺病で隔離病院に入ってた
178.名無しさん:2018年11月01日 12:38 ID:32YV..JA0▼このコメントに返信
知り合いの人の爺さんは朝鮮半島に配備されとって朝鮮人が嫌いになったそうな
179.名無しさん:2018年11月01日 12:38 ID:7EbmNCM40▼このコメントに返信
父方の祖父は予科練に志願して行って 卒業後再招集で震洋の訓練を終えて戦地に行く前に終戦を迎えたらしい、母方は陸軍で台湾で輸送機だか戦闘機が来なくてそのまま終戦を迎えたらしい
180.名無しさん:2018年11月01日 12:42 ID:KUVYOav60▼このコメントに返信
満州にも血税投入しているんだものなぁ
戦争ではなく、日本本土が貧しいわけさ。
181.名無しさん:2018年11月01日 12:45 ID:Lwfdeb420▼このコメントに返信
両祖父とも徴兵年齢に達してなくて租界してたよ…。兄である大叔父達はフィリピン沖で乗ってた駆逐艦が潜水艦の魚雷受け沈没死亡、中国大陸で従軍中病死、もう一人は占守島で戦車乗っててシベリア抑留されて生きて帰ってきた。
182.名無しさん:2018年11月01日 12:51 ID:86I.q6970▼このコメントに返信
じっちゃんから聞いたんだけど、まだ子供の時に爆撃機か戦闘機?が日本軍の対空砲に当たって山に墜落したとかなんとかー…話してくれたな
183.名無しさん:2018年11月01日 12:55 ID:iwcS5XXY0▼このコメントに返信
戦時中は中支にいたらしい。上官の娘と婚約、まだ会ったことない、写真も後になって見たらしい
終戦後は九州の方で復員兵の世話をして自分が帰ってきたのは冬だったとか
就職先を探して生活の基盤ができた夏になってやっと結婚して
子供、孫、ひ孫に恵まれて夫婦二人とも九十過ぎまで生きた
184.名無しさん:2018年11月01日 12:55 ID:INTlqGlr0▼このコメントに返信
占守島の生き残り。
185.名無しさん:2018年11月01日 12:56 ID:bCmVaUfA0▼このコメントに返信
明治時代のじっじは日露戦争で馬乗ってた。
第二次大戦中のじっじは、満州でソ連兵に頃されかけてた。
186.名無しさん:2018年11月01日 12:56 ID:v.k7Y.St0▼このコメントに返信
銃剣教えてたとか言ってた。
最終的に前線送られることが決まって移動前に終戦になったと。
187.名無しさん:2018年11月01日 12:57 ID:FHmQ.e1y0▼このコメントに返信
当方40歳。
母方の爺さんは米兵を至近距離から撃った話を武勇伝にしてた。
父方の爺さんは一切教えてくれなかったけど、
数年前軍歴を取り寄せて、色々とわかった。
日中戦争から参加してたみたい。
188.名無しさん:2018年11月01日 12:58 ID:UkzevLih0▼このコメントに返信
ベトナムの密林中を進んでたらしい。
189.名無しさん:2018年11月01日 13:00 ID:FHmQ.e1y0▼このコメントに返信
※170
竹林はるか遠く を思い出した。
190.名無しさん:2018年11月01日 13:02 ID:XIjcJ0o80▼このコメントに返信
まだ兵役に付くには若かったから兵器工場で砲弾作ってたとか言ってた気がする
191.名無しさん:2018年11月01日 13:04 ID:ryNMRcDH0▼このコメントに返信
学校の校長だったらしい
死んだとき勲章贈られてた
192.名無しさん:2018年11月01日 13:04 ID:2Q8gnSzE0▼このコメントに返信
グラマンの銃撃から逃れて桑畑に隠れてたらしい。
小学校に上がった途端戦争が終わったとか。

ひいじいさんはマタギで、戦時中はずっと熊やイノシシと格闘。
山奥過ぎて赤紙は届かなかったようだ。
193.名無しさん:2018年11月01日 13:04 ID:3aoHUxRO0▼このコメントに返信
父方は炭鉱で労働
母方は海軍にいたらしいが、話をしたがらなかったので
徴兵で行ったらしいことと、大和の随行艦のどれかにいたことしかわからんな
194.名無しさん:2018年11月01日 13:05 ID:mMZkWP2M0▼このコメントに返信
祖父は士官学校でて陸軍中尉としてフィリピンで従軍していた。
前半は勝っていたが…後半は‥本当に悲惨だったらしい
戦後もB、C級?の戦犯にされかけた話を晩年に聞いたことがある。

祖父は日本が勝って欧米をアジアから叩き出したらフィリピンに学校創って
そこで現地の人たちを教育して人材を育成したいという夢を持ってたね。







195.名無しさん:2018年11月01日 13:05 ID:iwcS5XXY0▼このコメントに返信
もう片方は、賞金首だったとか。
どこか出かける時には、同じ道を往復してはいけないというのが家訓
196.名無しさん:2018年11月01日 13:06 ID:nfTfoEnE0▼このコメントに返信
朝鮮で工兵してたらしい。
終戦3ヶ月位で復員してきたとか聞いた。
197.名無しさん:2018年11月01日 13:07 ID:4NotIa5X0▼このコメントに返信
インパール作戦の後方部隊で従軍した後、満州に送られて、そこでソビエト軍に捕まってシベリア抑留されて収容所のスプーン盗んで帰って来たっていっとった。インパールで英軍に腕を撃たれて死ぬかけたが貫通した傷痕にウジが沸いて腐った肉を喰ってくれたから助かったらしい
198.名無しさん:2018年11月01日 13:07 ID:ryNMRcDH0▼このコメントに返信
長男だと思ってたじいさんやおとんが、実は戦中に上の兄弟何人も失って戦後家を守るために繰りあがりで長男にさせられてたって話はわりと震えた
199.名無しさん:2018年11月01日 13:08 ID:GHxCeEUe0▼このコメントに返信
爺さんは内地で海軍の兵隊として潜水艦を作ってた
後期は特戦隊に入れられて本土上陸されるのに備えてたそうだ
爺さんの兄貴は満州の防衛隊の一士官だった
戦後はソ連に追われたけど中国人に助けられて日本に帰ってこれたと爺さんから聞いた
爺さんの上官(技術士官)が大和特攻で殉職した
その上官との写真が今でも、祖父の実家にある
200.名無しさん:2018年11月01日 13:10 ID:fv1vJ.ik0▼このコメントに返信
※107
当時は大変だったんだなー。
戦時・戦後だしそういう事もあるだろうね。面白い話が聞けたわ。
現時点で君が日本国と国民に対しての悪感情を持ってないのであればこういう話も全然聞けるし良いと思うよ。
もし、その話から発展させて反日感情を爆発させたいんだったら「祖国へお帰りください」としか言えないけど。
201.名無しさん:2018年11月01日 13:11 ID:fv1vJ.ik0▼このコメントに返信
父方の祖父はビルマ戦役に出兵したが撤退することになり日本までの帰路を船を使う区間以外は全て徒歩で移動させられたらしい。仲間が帰路の途中でで力尽きてくのがとても辛かったと言ってた。で、終戦後帰国したら社民党支持者の大学の歴史教授になってた。
母方の祖父は戦時中警察官だったが徴兵されて満州鉄道敷設隊に入隊させられた。中国共産党軍のゲリラ攻撃で仲間が殺された事が辛かったと言ってた。で終戦後帰国した後警察官に復職した。
202.名無しさん:2018年11月01日 13:13 ID:5qsFZ5hX0▼このコメントに返信
南方で戦シした。
戦シの知らせを受けて、母は祖母に手をひかれて靖国神社に行き、小さな小さなツボを受け取ったそう。
ツボの中には爪と髪の毛が入っていてそれが遺骨の代わりで、祖母から「兵隊さん達は靖国神社で会おうと言い合って出兵した。それはきっと生きて帰れないであろうから、戦シしても魂だけは靖国神社に帰り、そこで再び会おうと誓いあったんだよ。戦シした兵隊さん達の魂は靖国神社にいるんだよ」と教えられたそう。 
靖国神社は出兵した方々の思いがこもった場所だと思った。
203.名無しさん:2018年11月01日 13:13 ID:HaTMZHFP0▼このコメントに返信
母方の祖父は市役所の役人で真面目一徹な方だったらしいが、空襲で家を焼かれるだの焼け跡を他人に取られるとか
苦労したらしい。長男は病死したし、終戦直後の話題はタブーのようになっていて、大まかな話しか聞いてない。
父方は満州で手広く商売をしてて、そこそこ見入りも良かったとか。ところが、ある時突然店を閉め
土地や債券も全て売っぱらって、日本に引き揚げて悠々自適の生活を始めたらしい。家族も周りも首を
ひねってたらしいが、一年もしないうちにソ連軍が参戦、現地に残って日本人たちの惨状は、今更語るまでもない。
戦後も周りが苦労する中、余裕のある生活をしていたみたいだが、俺が中学生の頃に大往生を遂げた。
もう少し、こちらも大きければ満州での商売の話とか、どうやってソ連の参戦を確信したのかとか聞きたい
話題もあったんだが、今となっては知る由もない。
204.名無しさん:2018年11月01日 13:15 ID:qDT1Kidx0▼このコメントに返信
20数年前に一度だけ聞いたこと
あるが、アジア南方系のところに出兵して
戦闘する前に終戦だったと聞いた。
場所は覚えていない。
205.名無しさん:2018年11月01日 13:16 ID:PYJxEM0r0▼このコメントに返信
父方は淀なんとかって船乗ってた。シンガポールの話はしてた。持って帰ってきた象牙の麻雀パイ今でもあるかな。島根にいたとき原爆投下の無線受けて日本で2番目に知ったって言ってたけど、2番目ってどういうことだったのか。
206.名無しさん:2018年11月01日 13:20 ID:iwcS5XXY0▼このコメントに返信
本※87
ほんとの初期の頃は寝仏見物したりマラリアにかかって死にそうになったりで、別に戦闘してたわけじゃないらしい

行った先とか、時期とか、元からの職業軍人と徴兵で行った人では、同じ戦争と思えないほど話が違う
戦争全否定も賛美もしないし基本反戦だけど、全部が全部悲惨だったわけじゃないらしい
207.名無しさん:2018年11月01日 13:20 ID:unqBJZZF0▼このコメントに返信
軍需物資の確保で色んな所を飛び回ってたらしいけど
死んだあと日記を見たらどうもスパイ的な事をしてたらしいけど字が下手すぎて読めない
わざと読めない字で書いたのかもしれないけど
208.名無しさん:2018年11月01日 13:20 ID:NPM45vxW0▼このコメントに返信
村の祭事で帰還兵から色々貴重な話が聞けた

馬の陸揚げは毎回蹴られて人が死ぬ危険作業だったとか
補給物資をわざと列車から落として廃棄扱いにして、あとで回収してちょろまかしたとか
ちょろまかした大福がワイロのセオリーで、上質飼い葉と交換して上官の馬をきれいに仕上げて気に入られたとか。

あと八路軍(共産党)ゲリラの現地斬首なんかはあったが
支那の言うような民間人虐殺や朝鮮人性奴隷なんかデタラメもいいとこだってよ。

歴史の闇に消えそうなんでここに書いておこう
209.名無しさん:2018年11月01日 13:21 ID:zAf5x.Ky0▼このコメントに返信
※50
うちのじいちゃんも満州~シベリア送りだと言ってたな
シベリアは体が頑丈なだけなやつは死んで、必ず日本に帰ると強い意志を持ったやつだけ生き延びただってさ
210.名無しさん:2018年11月01日 13:24 ID:z.pU.dWu0▼このコメントに返信
東部ニューギニア戦線へ。
予備役徴兵で戦争にいった祖父は
同じ地区から行った名簿を残していたんだが
生き残ったのは3割しかいなかった。

これは実際の東部ニューギニア戦線の現状とも一致する。
食糧が不足し、蛇や虫を食べて生きながらえたと話していた。
211.名無しさん:2018年11月01日 13:24 ID:N3lJreJS0▼このコメントに返信
満州で航空整備かな
戦争中の敵襲ゼロで拍子抜けしたとか
終戦で引き上げの日程が決まらないからって周囲を小旅行してた
そんな旅行手記が遺品で見つかった
生きてるうちにそういう話を聞きたかった
212.名無しさん:2018年11月01日 13:28 ID:sVyUw.j.0▼このコメントに返信
父方のジッジは駆逐艦に乗ってたらしい。詳しく聞く前に死んでしもうたが。
母方のジッジは終戦時はまだ小学生だった模様。
ただし、ジッジの兄は輸送戦の乗組員として徴兵されて南の海で潜水艦にやられてしまったそうな。
213.名無しさん:2018年11月01日 13:29 ID:iwcS5XXY0▼このコメントに返信
※28
じいさま大正生まれで戦争終わって結婚して、末っ子の末っ子が平成生まれだわ
214.名無しさん:2018年11月01日 13:30 ID:AKdoCrcW0▼このコメントに返信
俺のじいちゃんは種子島に出兵してたから生きて帰ってこれた、じいちゃんの兄ちゃんはビルマで戦死
215.名無しさん:2018年11月01日 13:30 ID:.exvhrjM0▼このコメントに返信
足が悪くて行けなかったって聞いた。
どんな気持ちで戦時中を過ごしたのか聞いとけばよかったわ
216.名無しさん:2018年11月01日 13:30 ID:hnIJJrMJ0▼このコメントに返信
満州で少年開拓団率いてたらしいわ。その後ロシアに抑留されてから帰国したんや。ロシアは辛かったみたいやな。あと葬式に当時少年だった人が沢山来たわ。ありがとうやで、ジッジ。
217.名無しさん:2018年11月01日 13:31 ID:Ym29fid.0▼このコメントに返信
田舎でのほほんとしてた
戦争中でもたまに避難訓練とかやるくらいでほとんど生活はかわらんかったらしいな
その後神戸にでて結婚して鉄道員として働いて94まで生きた
あほくさい戦争に駆り出されて命を落とすよりよっぽどいい人生だな
218.名無しさん:2018年11月01日 13:31 ID:4MLg3riM0▼このコメントに返信
何してたんだろ。無口な爺ちゃんだったからな。でも戦争でもらった小さな勲章は仏壇の引き出しに入ってたな
219.名無しさん:2018年11月01日 13:32 ID:HaTMZHFP0▼このコメントに返信
※100
>満州行ってた
>朝鮮行ってた
>ブラジル行ってた
>このジジババ案外おおいよな
>多くが何とか帰れたからな。
>ガタルカナル・フィリピン・ビルマ辺りは多くが帰ってこれなかった。

ちなみに俺の親族は九州の人間なんだが、叔母で東北の人が一人いた。
で、その旧家に行った折、戦争で死んだ親族の写真がいくつもあったんだが、
あの人は中国で、これは南方の島で、この人はビルマでって具合に、本当にあちこちで死んでるんだよ。
聞けば東北の連隊ってのは、激戦地を使いまわされたという話でね。
遺骨すらろくに帰ってこない故人の思う親族の気持ちはいかほどかと。
220.名無しさん:2018年11月01日 13:33 ID:njAn5K1Y0▼このコメントに返信
ワイのジッジ満州より帰還
ジッジの弟、硫黄島にて戦死…
221.名無しさん:2018年11月01日 13:34 ID:HUMHpxRC0▼このコメントに返信
うちの爺さんはビルマで後方で無線とかやってたとか聞いたな
上官から順番に飯食べ始めて少尉が食べる頃には冷めてた言ってた
222.名無しさん:2018年11月01日 13:36 ID:dltPDyAH0▼このコメントに返信
郵便局員で郵便配達してたらしい
223.名無しさん:2018年11月01日 13:39 ID:jBMxd46r0▼このコメントに返信
父方祖父は工場で働いてて、空襲に遭うが助かる。
母方祖父は炭鉱で落盤事故で片足を失い、徴兵されず。
大叔父は1名フィリピンで戦死、1名は大陸で
輜重兵、スパイ容疑掛けられた現地人の斬首
に立ち会ったのを一度だけ話してくれた。
近所の爺さん連中もあちこち出征してて、
嫌な上官は戦後の引き上げ時、朝になると
船から消えていたそうだ。




224.名無しさん:2018年11月01日 13:45 ID:TwoQsE480▼このコメントに返信
父方の祖父は駆逐艦の機銃員で大和の最期目撃してるわ
母方の祖父は大陸→除隊→召集→南方

3親等以内の親族なら厚生省(海軍)や各都道府県(陸軍)に問い合わせたら軍歴証明書貰えるよ
225.名無しさん:2018年11月01日 13:46 ID:uW.Zbu7C0▼このコメントに返信
サイパンの洞窟の中でバッバと子作りw
226.名無しさん:2018年11月01日 13:47 ID:RD2mY8N30▼このコメントに返信
>>31 中島飛行機の社員、うちの祖父の弟だ。東工大出て社員になって徴兵されて戦争は生き延びたのに帰りの船でお腹壊して死んだ。兄弟で1番いい人だったと大叔父の妹が言ってた。
東伏見稲荷神社の裏手に分かりづらいとこにひっそりと石碑が建ってるんだが、中島飛行機の工場がこの辺一帯にあって、空襲で大勢の社員が亡くなったそうだ。今ひばりヶ丘PARCOで25周年記念にひばりヶ丘周辺の今昔写真展示してるんだが、お客さんのコメント掲示板があって、今90歳の人がここら辺で中島飛行機の工場で働いてたって書いてた。結構田舎から出てきた人が働いてたと。
で、うちの祖父は虫も殺さない性格だったから戦争行きたくなくて、絶食貫いて健康診断で徴兵落選したんだが、カメラマンって職業上戦争の最前線に行かされて、隣にいた兵士に弾が当たったとか経験したそうだ。あの頃の報道映像で、戦地に咲く花から映像が始まるのは祖父の撮影と思っていいらしい。花ばっか撮影したっつうから。戦後も花の映像で何か受賞してた。戦時中米軍の取材?に行って(そんなコネあるのか)、豪華な弁当手土産に貰って、「こんな財力もある国相手に勝てるわけないよな」と当時彼女だった祖母に言ったっていうから、一般人て、報道にあるような日本が勝つとか信じてなかったみたいよ?祖母も、祖父の妹も戦前は米国映画ばかり見て憧れてたし。これは靖国神社でつのだ☆ひろが夏の奉納公演で言ってたけど、海軍には洋楽ジャズファンが多かったって。
祖父の兄貴は慶応出て軍医だったと思う。戦後は大学戻って教授職。
みんな生きてたら90代後半から110歳かな。24歳で戦争の時死んだ大叔父が不憫でならない。祖母の兄も23歳でミャンマーあたりで死んでる。毎日2人には祈ってる。
227.名無しさん:2018年11月01日 13:47 ID:3VnZiUAn0▼このコメントに返信
祖祖父は小型の船の艦長、魚雷発車など口頭で指示してたとか、船で空襲にあい南方の島で死去。
その息子、自分から見たら祖父は呉にいて呉の山あいに軍港を覗けないようにフェンスが建っていたとか空爆で焼夷弾使われたときは雨が降ったように薬品がばら蒔かれて火種の爆弾が地面についたとたん一気に燃え広がったと話してる。
その祖父の遠い親戚は陸軍の戦闘機パイロットで中国で敵機と接触し投げ飛ばされ気がついたら野戦病院、なお戦後バイクで山道走って道路からそれて滑落死。
九州にいる祖父はF6Fの機銃掃射を見たとか、ただ遠方だから殆ど話はきけてない。
228.名無しさん:2018年11月01日 13:48 ID:YuKGHq3e0▼このコメントに返信
もう亡くなりましたが、父方の祖父の形見に支那事変の従軍記章があります。母方の祖父は太平洋の戦場に行っていたそうです。祖父が乗った船は祖国に帰って来れましたが、あと少し遅ければ戻って来れなかったと話していたそうです。
229.名無しさん:2018年11月01日 13:52 ID:AkpniY.80▼このコメントに返信
爺さん2人その前に若死してる
230.名無しさん:2018年11月01日 13:54 ID:TJv5jOQC0▼このコメントに返信
満鉄関連で満州にいたらしい。
231.名無しさん:2018年11月01日 14:04 ID:hgR1.WC80▼このコメントに返信
事変で中国に出征して地元の人と仲良くやって中華料理を覚えて帰ってきたなうちの爺さんは。中華料理はプロ並みに美味かった。
232.名無しさん:2018年11月01日 14:06 ID:rszC0eeH0▼このコメントに返信
硫黄島で栗林中将の側近やってたってばあちゃが言ってた
233.名無しさん:2018年11月01日 14:06 ID:WimGrDin0▼このコメントに返信
ガダルカナルの戦いに参加してたと聞いたことがある。半分以上の日本人が飢餓や病気で死んだ悲惨で有名な戦地だったと後で知った。銃剣で人を刺したりしたこともあったらしい。志願兵でそこそこ偉い海軍の中尉だった。どうやって帰ってきたのかは知らない。
234.名無しさん:2018年11月01日 14:13 ID:SG9IFUNV0▼このコメントに返信
婆ちゃんが子供の頃空襲にあって無事逃げたって事くらいしか聞いてない。
爺ちゃんは大学出たのに工場勤務やったな
235.名無しさん:2018年11月01日 14:19 ID:CdLIXRMa0▼このコメントに返信
父方の祖父は大砲撃ってたって言ってたから国内のどこかで対空砲撃ってた
母方の祖母は看護師として働いてた
祖父母は4人共生きて終戦迎えたけど祖父母の兄弟は半数以上靖国に行った
236.名無しさん:2018年11月01日 14:20 ID:L0affKpr0▼このコメントに返信
うちのじいちゃんチハたんの操縦手だったって
車の高齢者講習のときにでイキってたらしいw
237.名無しさん:2018年11月01日 14:23 ID:PxauQT230▼このコメントに返信
母親から舅が兵隊経験者で、川を戦車で渡るために、沢山の兵隊が二列並んで肩に板をその上を戦車を走らせて川を渡らせて、辛かったって話は聞いたな、戦争なんてするもんじゃあないって、私が生まれたときには、亡くなっていたから、本当かどうかはわからないけど、当時は兵隊より、戦車が大事だったろうから、結構精神論で無理させられたんだろうね
238.名無しさん:2018年11月01日 14:27 ID:puLvZGCB0▼このコメントに返信
詳しく聞いてないが大陸方面に行ってたのは確かやな
アメリカよりもチャ.ンチョ.ンロス.ケがめちゃくちゃ大嫌いやったで

もう片方の祖父は農家の一人娘んとこに婿入りしたから
末期まで召集令状来なかった
とうとう来て大島まで行ったらそこで終戦だったらしい
239.名無しさん:2018年11月01日 14:30 ID:2txpr5zZ0▼このコメントに返信
※55
あなたのご先祖様はどこにいたの?

240.名無しさん:2018年11月01日 14:44 ID:zlSDvqTX0▼このコメントに返信
阿武隈乗って真珠湾行ったってさ、その後北の方にいたっていうから多分キスカの撤退作戦も行ったんじゃいかな
もっと良く聞いときゃよかったわ
241.名無しさん:2018年11月01日 14:45 ID:l5q0WLPc0▼このコメントに返信
家系がずっと床屋だから兵士にならず戦地で床屋だと
みんながみんな丸坊主だった訳じゃないんだと
242.名無しさん:2018年11月01日 14:46 ID:r0IoQqa.0▼このコメントに返信
漢口で通信兵
皇居警備の近衛兵
支那戦線のどっか
満州で少年兵からのシベリア抑留
テニアンの地獄から生還
 
知っているのはこれくらいかな。
どれも詳しい話は聞いたこと無し。
もしくは聞いても覚えてない(笑)
243.名無しさん:2018年11月01日 14:47 ID:XcYZu7Rf0▼このコメントに返信
私の父方の祖父・・内科医でタイで診療所を開いていた。戦後は都内で小さな町医者を細々とやっていた。
     長男・・理系大学で学徒へは行かなかったが中島飛行機で技師をやっていた。
     次男・・国立文系大学卒で陸軍の百式司令部偵察機の通信員をやっていたらしい。
     三男・・父、同じく国立文系大学生で予備少尉として学徒出陣で神宮球場を行進したが戦地に行く前に終戦
私の母方の祖父・・耳鼻咽喉科の町医者で特に何もなかったが、珍しい話で鈴木貫太郎首相にお会いしたという。
         大屋敷に住んでいたために戦後はGHQの将校の為の静養宿泊所に指定されていた。 
     長男・・国立理工学部学生で海軍航空隊で飛行訓練を受けていた。
244.名無しさん:2018年11月01日 14:47 ID:XO9P4Kgz0▼このコメントに返信
大和の護衛艦に乗って機銃の弾込めしてた
一方ばあさんは米軍戦闘機機銃から馬で逃げてたらしい
本当か嘘かはわからん
245.名無しさん:2018年11月01日 14:49 ID:8oaVHufz0▼このコメントに返信
鹿児島で終戦って言ってたから結構危なかったのかも
246.名無しさん:2018年11月01日 14:51 ID:Q30QBqji0▼このコメントに返信
長男=軍艦設計・建造
次男以下=陸海軍兵士
海軍は生存者数名、陸軍はマレー戦線で生き残り7人
終戦を迎える時には親戚合わせても10数人しか生き残ってはいない
247.名無しさん:2018年11月01日 14:55 ID:Ch84XWmH0▼このコメントに返信
父方の祖父は陸軍中尉で中隊長、戦争中に後送され戦病死
母方の祖父は日中戦争時に看護兵で従軍
W2時は招集されなかった。
看護兵だから、周りからは大事にされた。
248.名無しさん:2018年11月01日 14:59 ID:Mh4ISr6P0▼このコメントに返信
父方は大連の国民学校に通ってたらしい、終戦直後に復員
母方は若くして亡くなったから話したこともなければ会ったこともないけどまだ子供やったんちゃうかな
249.名無しさん:2018年11月01日 15:03 ID:e3i8mok.0▼このコメントに返信
父方のじいさんは満州の開拓民やってたらしい。当時だと15歳くらいだから、徴兵はギリセーフ。
でも、すごく辛かったのか、その事実を話したのもかなり最近になってから。具体的に何をしていたのか、どうやって帰ってきたのかは誰にも話してない。
母方のじいさんは中国の前線でヘッドショット食らって即死だったらしい。実家に手日記が残されてて、戦争自体に不満や疑問を書き連ねていた。
250.名無しさん:2018年11月01日 15:03 ID:c3.etwcq0▼このコメントに返信
これは父の話だが、旧制高等学校学生だったがゼロ戦のエンジン作ってたらしい。ロクに勉強もしてないし、敵性言語の英語も教わらなかったが、卒業証書もらって、その資格だけで東大入学させてもらったという。で、ロクに勉強もしないのに県庁役人にしてもらって、ロクに働いてもなかったのに国家公務員にしてもらって霞ヶ関に席をもらい、ロクに仕事もできなかったので課長以上出世できなくて周囲の邪魔をしていたのに、閑職の部長待遇をもらって、ウン千万円の退職金もらってから天下りして、ロクに仕事もしないどころか会社の邪魔をしてばかりだったので、ウン千万円の退職金をもらって悠々自適の生活を送り、実の息子を業者扱いしながら楽しく暮らしたが、この間死んで実の息子に無視された。国家公務員の見本のような男だったな。
251.名無しさん:2018年11月01日 15:03 ID:mtCI.FCS0▼このコメントに返信
うちの祖父は国鉄職員だったので戦闘行為には参加していない
252.名無しさん:2018年11月01日 15:10 ID:.pbXnZv40▼このコメントに返信
父方ジッジは中島飛行機開発の1人。
元は刀鍛冶で軍刀作ってた。
全日空創設役員は皆んなお友達。
母方ジッジは満州で機関銃兵。
無事朝鮮経由で復員。シベリア送りだったらワイは居ない。
253.名無しさん:2018年11月01日 15:20 ID:yQHoaaIH0▼このコメントに返信
母方は零戦乗り⇒紫電改乗り
父方は軍医で天皇陛下より勲章貰ってる
俺は血筋的には日本軍ではエリートなんだけどなー
254.名無しさん:2018年11月01日 15:23 ID:3ucsh3Hq0▼このコメントに返信
父方:公務員
母方:ソナーで水中の音きいてた
255.名無しさん:2018年11月01日 15:26 ID:.TQuFNvA0▼このコメントに返信
祖父は沖縄で戦死
256.名無しさん:2018年11月01日 15:30 ID:Vw71dPwP0▼このコメントに返信
親父(明治生まれ)は海軍にいた、赤城に乗ってた、赤城が被弾した際に破片を食らって負傷。
父の兄3人も海軍だが運が良かったのか戦死者は無し。
母方の爺様(明治生まれ)は網元だったので徴兵免除、爺様の兄が大陸で戦死と聞いたので、たぶん打通作戦に参加したのだろう。
母方の婆様の縁者で3人戦死したらしいけど、こちらは詳しくはわからない。
257.名無しさん:2018年11月01日 15:35 ID:f118Ew.20▼このコメントに返信
開戦前に徴兵期間終了して退役。国鉄職員してたな
徴兵中は近衛師団にいたそうだ
258.名無しさん:2018年11月01日 15:38 ID:MC6yDf5A0▼このコメントに返信
自宅警備員・・・
259.名無しさん:2018年11月01日 15:43 ID:8rtnFxzn0▼このコメントに返信
曾爺と爺さん親子で電気技師で国内勤務。戦後はNTT。大伯父は沖縄司令部付かなんかだったけど戦死したで。
260.名無しさん:2018年11月01日 15:46 ID:PtLmvxRc0▼このコメントに返信
母方爺さんは、旧制中学辞めて熊本の予科練で訓練していた。乗る飛行機が無くなり茨城に行かされて終戦。
祖母さんは、旧制女学校行ってたけれど、軍事工場で勤労奉仕。
爺さんの三兄達は、中国・フィリピン・満州→シベリア4年抑留で、三人共復員してきた。

父方は戦争に行かず、農家なので兵隊さんへ送る食料を作っていた。
261.名無しさん:2018年11月01日 15:46 ID:H5KiT1fu0▼このコメントに返信
うちの爺さんは中国に行って衛生兵だったって家族には話してた。沢山歩かされたとかしか聞かなかった。
本当のことはわからん。自分が戦地に行ったとしても真実はなるべく話さないようにするだろうと思う
262.名無しさん:2018年11月01日 15:46 ID:qwowQ94S0▼このコメントに返信
父方のじーちゃん、北海道に派兵されてたらしいけど、まさかねえ…
とうの昔に死んでしまったので、詳しいことは分からん
戦争帰りのおっかねえ爺さんだったらしい
263.名無しさん:2018年11月01日 15:48 ID:bBup4gnP0▼このコメントに返信
雪風に乗って大和と特攻した!マジで
264.名無しさん:2018年11月01日 15:49 ID:aCWJV.cv0▼このコメントに返信
スマトラで現地人からクエスト受注してリアルモンハンやったっていうのが自慢話だった
265.名無しさん:2018年11月01日 15:57 ID:vBbS6wrZ0▼このコメントに返信
じいちゃんは、在日韓国人で、大阪の工場に徴用されたらしいけど、
韓国人は行くか行かんか自由やったみたいで、行かんかった。
だから、北海道とか行商で回ってたみたいや。

徴用工のことでもめてるけど、韓国は嘘ばっかりや。
日本人は強制で工場で働かされたみたいやけど、じいちゃんは「韓国人は行かんでも自由やった」って言ってたし。
あんなん、韓国は嘘ばっかりついて日本からお金をふんだくろうとしているんやで。
266.名無しさん:2018年11月01日 16:05 ID:5uZAtwVJ0▼このコメントに返信
17歳で招集されて、通信兵としてビルマに行ってたらしい。同期会?のお知らせみたいなハガキが来てたわ。
267.名無しさん:2018年11月01日 16:06 ID:5oAzr.nw0▼このコメントに返信
大連におったで
268.名無しさん:2018年11月01日 16:17 ID:OmmK8GtU0▼このコメントに返信
死んだ爺さんは近衛兵だったらしい
皇居前を軍馬に乗って警備してる写真見せてくれた
269.名無しさん:2018年11月01日 16:28 ID:VgW4Oit10▼このコメントに返信
どうでもいいけど"ジッジ"だとか"バァバ"とかキモチワルイ言葉を日本で使わないでくれよ!
ぞわっとするわ!
塩撒くぞ!!!
俺は"爺さん"で何の抵抗もないぞ!73だけど。
俺の息子のヨメがそんな言い方したら出入り禁止にして遺産もやらんわ!!!
けったくそ悪い!
270.名無しさん:2018年11月01日 16:28 ID:kLHCeBex0▼このコメントに返信
終戦間近で入隊して呉で甲板磨きしてて終戦後に他の人が帰還する中で湾の機雷除去してから帰還って言ってた
271.名無しさん:2018年11月01日 16:29 ID:od5fDIGs0▼このコメントに返信
うちのじいちゃんはまだ子供で、竹槍訓練始めようとしてたら広島方面にきのこ雲が見えたらしい。
272.名無しさん:2018年11月01日 16:33 ID:UrXbKMjG0▼このコメントに返信
インパール作戦に参加したけど生き残ったって話だ
でも最後はマラリアが悪化して死んじまった
あれ一回なると結局、完治は難しいみたいだね……
273.名無しさん:2018年11月01日 16:39 ID:3W96grbG0▼このコメントに返信
祖父が現役の兵隊だったとしら書き込みする奴は若くても40代後半以上だな。
その辺の設定をちゃんとせんととすぐ見破られるぞ。
274.名無しさん:2018年11月01日 16:41 ID:g3Lw0i3o0▼このコメントに返信
母方の祖父 南方で戦死、乗船していた軍艦が沈んだらしい
      遺骨もなく詳しいことはわからない
      軍人だったのに調べようがないとか
275.名無しさん:2018年11月01日 16:45 ID:IzHAvFa00▼このコメントに返信
爺ちゃんは大東亜戦争中は各務原でテストパイロット。母方の曾祖父さんは晩年は神宮の神主だったが、日露戦争時には陸軍で戦地に居たそうだ。
276.名無しさん:2018年11月01日 16:46 ID:5.zhkW.n0▼このコメントに返信
父が祖父から聞いた話を父から聞いた話。
戦争初期は満州にいて、その後フィリピンに送られてそこでマラリアにかかって戦力にならないから一旦内地に戻って回復するのを待った。そして終戦の少し前にまたフィリピンに送られる途中で爆撃を受けて海上に放り出されるも近くの島まで泳いだらしい。そしてその島でまた爆撃を受けて腕の肉が吹っ飛んだらしいが根性で耐えきって復員したらしい
とんでもねえ生命力だとおもったわ
あと、写真でしか見たことないけど爺さんの背筋超ピンピンだったわ
277.名無しさん:2018年11月01日 16:46 ID:AmFbXLuk0▼このコメントに返信
父方のジッジはシベリアから帰ってきて、農業に励もうとしたらしいけど、体壊して三十代でなくなった

母方のジッジは予科練行ってたけど、震洋の搭乗員に回された。後一週間終戦が遅ければ乗ってたらしい。今も元気だ。
278.名無しさん:2018年11月01日 16:47 ID:.h0SqyRI0▼このコメントに返信
※258
それ普通の農家。
279.名無しさん:2018年11月01日 16:49 ID:g3Lw0i3o0▼このコメントに返信
※265
炭鉱で働いていた朝鮮人は、
日本人と同じ待遇で働いていたと祖母も言っていた
母などは朝鮮の家で夕食を御馳走になったりしていた
つまり貧しくない生活を送っていたということ
(その上で何故だか祖母は大層嫌っていたけど)

父方の家は商家で何人か人を使っていたが、
朝鮮人が父のお守り役としてついていた
ただついて回るだけでご飯を食べさせてやっていた
住む家は所有の長屋だったが、数軒あったものをいつの間にか取られた
日本人は馬鹿
280.名無しさん:2018年11月01日 16:59 ID:I6MRi..w0▼このコメントに返信
師範学校から学徒動員で台湾いって
古参兵に嫌な顔をされながら士官候補生を目指し勉強してたと言ってる
281.名無しさん:2018年11月01日 17:10 ID:TrSO1DkP0▼このコメントに返信
満州で建築やってた
282.名無しさん:2018年11月01日 17:13 ID:GTUefj8S0▼このコメントに返信
ひいじいちゃん・大陸で戦車兵していたらしい。
じいちゃん・ひいじいちゃんのコネで戦車工場で変速機の組み立てしていて大戦末期に本土防衛で整備兵になる。
両方とも生きて帰ってきて運がよかったな。
283.名無しさん:2018年11月01日 17:26 ID:bojknDP80▼このコメントに返信
父方は生理学の大学教授。
母方は大蔵省の官僚。
284.名無しさん:2018年11月01日 17:30 ID:ofEUuo100▼このコメントに返信
時期が違うから日本で普通に暮らしてた。
285.名無しさん:2018年11月01日 17:36 ID:B4BWG9jc0▼このコメントに返信
飛龍でミッドウェー
286.名無しさん:2018年11月01日 17:41 ID:UdOGf4mi0▼このコメントに返信
佐世保海兵団からの駆逐艦の乗組員
実家に乗組記念として扶桑型の戦艦の写真が残ってる
287.名無しさん:2018年11月01日 17:53 ID:wHN1HFfN0▼このコメントに返信
母方の爺様は満州でバスの運転手をしてたらしい。(満鉄バスと言ってた)
結構奥地の方までいったらしく、「馬賊や赤匪が出る路線もあった」とか
「(バスの)運転席の下にモールチャン(モーゼル)を忍ばせてハンドル握ってた」と話してくれた事があったな。
生きてるうちに当時の話を聞いておくんだったよ。
婆様も満鉄社員の家で家政婦をしてた。
北京に家を借りて住んでたそうで、晩年に中国旅行に行ったらその家がまだ残ってたとか、
行きつけの店が残ってたとか話してくれた。
ちょっと怖い話も聞いていて、引き上げの為に北京から大連へ向かう途中で、
当時まだ小さかった母達(伯母、母、叔父)を、「その子をくれるなら食料をやる。」と言ってきた中国人が結構いたそうな。
288.名無しさん:2018年11月01日 17:54 ID:9X4UIIxE0▼このコメントに返信
※146
立川飛行場は、戦争中にぶんどったB-17を持ち込んで、
大型機開発のために詳しく調査してたんやで。
アンタのジッジが立飛の研究開発者なら、調査の主役だったはずや。
289.名無しさん:2018年11月01日 18:01 ID:trQ1PQlM0▼このコメントに返信
晩飯の魚獲りにいってグラマンに銃撃されてた
290.名無しさん:2018年11月01日 18:03 ID:utv40k190▼このコメントに返信
母方は田舎の役場だったり教員だったりした模様
父方は鉱山の検査技師だったらしいけど父親も死んだし爺さんも若く死んだらしいので戦時中は良く分からん
291.名無しさん:2018年11月01日 18:03 ID:RlJ61zzN0▼このコメントに返信
うちの爺様は南方(主にボルネオ近辺)で敵の沈んだ補給船のサルベージを、軍にやらされてたらしい
軍から「家族の命が惜しければ言う通り仕事しろ」と脅されて南方へ行ってたと、うちの婆様から聞いたわ
サルベージしてたのは主に缶詰みたいな食料品だったらしい
制海権が縮小し始めて潜水艦が怖くなったのか44年には逃げ帰って来たって話だわ
292.名無しさん:2018年11月01日 18:08 ID:utv40k190▼このコメントに返信
※129
一番下の叔父さんと一番上の従姉が田舎で同級生 ばぁちゃん頑張りすぎ
293.名無しさん:2018年11月01日 18:08 ID:ejcNSJsX0▼このコメントに返信
広島のじいちゃんは土木技師やったらしくて、トンネルの設計したり掘削計画したりしたらしい
給料出るし、配給で酒やら煙草やら貰えるしで戦争中は良い思いしたって自慢しとった
294.名無しさん:2018年11月01日 18:13 ID:KCVzHoo70▼このコメントに返信
軍でも偉い方で某有名な作戦に携わってた。無事で敗戦を迎えたがGHQの公職追放で無職になった。
子供たちは幾人かが赤化した。
295.名無しさん:2018年11月01日 18:14 ID:hs8bvr.V0▼このコメントに返信
陸軍に志願入隊して朝鮮で訓練してる内に終戦になった
軍隊は会社と変わらん要領よくやってりゃ殴られることもないとさ
296.名無しさん:2018年11月01日 18:39 ID:zMfYIEPV0▼このコメントに返信
陸士出て任官して満州からのソ連に捕まってシベリア

帰国後→公職追放からの自衛隊任官という良くあるパターンやで
297.名無しさん:2018年11月01日 18:51 ID:0vAOGhE70▼このコメントに返信
289: 風吹けば名無し 2018/10/26(金) 14:07:21.97 ID:
流石に日露戦争行った爺さんはいないだろ

父方の祖父は旅順攻略に従軍し名誉の負傷したよ、母方の祖父は明治37年生まれだよ。
298.名無しさん:2018年11月01日 18:52 ID:lkVH3rzJ0▼このコメントに返信
昭和6年生まれなのでまだ小学生(というか国民学校の高等科)
面白いのが学制改革で、そのまま卒業でもよし、新制中学3年をやってもよし、という選択可能だったらしい
勉強嫌いだったのでそのまま卒業し、最終学歴「小学校」の最も若い年代だ、というのが自慢(笑

299.名無しさん:2018年11月01日 18:56 ID:DW7GMMN10▼このコメントに返信
フィリピンで戦死
戦後の混乱で先祖代々の土地は雲散霧消
300.名無しさん:2018年11月01日 19:12 ID:OpkFu8f10▼このコメントに返信
補給兵やってたらしい
最前線じゃなくてホッとしてたとか
301.名無しさん:2018年11月01日 19:14 ID:LS2elmXL0▼このコメントに返信
おいらの爺さんは
父方は東京で呉服屋
母方は田舎で農業
だぞ
302.名無しさん:2018年11月01日 19:16 ID:0.UFh.VR0▼このコメントに返信
デゴイチ運転してたそうだ
シュッシュッポッポ
303.名無しさん:2018年11月01日 19:17 ID:07I.eS.C0▼このコメントに返信
満州で士官やってからのシベリア抑留だった。
家に政府からのシベリア抑留の慰労品として銀盃が飾ってある
304.名無しさん:2018年11月01日 19:19 ID:piTnZx4N0▼このコメントに返信
曾祖父さんなんけどその時はまだ小学生で有田焼の窯元やってる家住みで特に生活には困ってなかったそうな
普通にアイスクリーム食ったり佐世保の百貨店に買い物しにいったりしてたそう
305.名無しさん:2018年11月01日 19:22 ID:M0HS8cCY0▼このコメントに返信
爺ちゃんはルソン島から生還してきたよ。
ひいじいちゃんは工兵として203高地でロシア陣地から馬を盗み出して勲章もらってたよ〜
306.名無しさん:2018年11月01日 19:22 ID:tQN2aJaC0▼このコメントに返信
731何とかに居たって言ってたな
307.名無しさん:2018年11月01日 19:38 ID:.xh.7tVT0▼このコメントに返信
満州に行ってたが心臓が悪く軍の病院を入退院してる内(一度帰国して結果父親が生まれる)に本土決戦で九州に移動して終戦をむかえたとの事だったな
308.名無しさん:2018年11月01日 19:47 ID:gpSPZmU80▼このコメントに返信
※287
「その子をくれたら食料をやる」ってこわい
食料くれるんだから両脚羊として買いたいわけじゃないよな
変態に売り払うつもりだったのかね
309.名無しさん:2018年11月01日 20:01 ID:kqN9tf850▼このコメントに返信
母方の祖父は日中戦争の頃から一兵卒として参加して軍曹まで上り詰めたが内地で終戦
父方の祖父は何故か中々赤紙が来ず、終戦間際に召集されてこっそりギター持ち込もうとして
バレて上官に殴られてた内に戦争が終わった運の良い男だった
310.名無しさん:2018年11月01日 20:16 ID:iudJmZTi0▼このコメントに返信
海軍で造船関連の技術者をしていたそうな
311.名無しさん:2018年11月01日 20:19 ID:jAORJXc10▼このコメントに返信
沖縄の激戦地の生き残り。色々えぐい話も聞けた。
312.名無しさん:2018年11月01日 20:21 ID:0nD0FZBa0▼このコメントに返信
海軍にいたらしいんだが、ほとんど語らなかったな。
アッツ島に送られる直前で玉砕した、とは聞いたことあるが。
もっとよく聞いとけば良かったな、と後悔してる。
313.名無しさん:2018年11月01日 20:21 ID:f2QawX6K0▼このコメントに返信
ワイのジッジは潜水艦に乗ってたらしいよ、まだ潜ったまま帰って来んけど
314.名無しさん:2018年11月01日 20:30 ID:Bz8InR.Z0▼このコメントに返信
陸軍船舶部隊で大発に乗っていたぞ。大陸から南方までだいたい回ったらしい。
結局軍に10年いて最後は曹長だったと言っていた。終戦時は山口にいて原爆投下後の広島にも行ったらしい。
315.名無しさん:2018年11月01日 20:39 ID:U9jooXay0▼このコメントに返信
ウチの亡くなった爺さんも本スレ>>127と同じだったわ
なんでも爺さんのいた部隊は通称「植林部隊」と呼ばれてて
中国農村部の荒れ地に苗とか植えたり畑を耕したりとかなり良心的な部隊だったらしい。
んで現地の人間から大変喜ばれたんだと。
特にウチの爺さんは中国語が堪能だったから通訳として部隊から重宝されてた。
終戦時には親しかった現地人から「アンタは中国人としても十分やっていける!どうか日本に帰らないで残ってほしい!」と
引き留められるくらいに信頼されてた。(まぁ爺さんなら中国でやっていけただろうけど、今の俺は存在しなかったなw)
後年、爺さんは度々中国に旅行に行っては当時お世話になった現地の人に会いにったり、爺さんの部隊が耕地した土地が
緑豊かになったんで中国政府から感謝状もらったりしたわ
マジでありがとう爺ちゃん!!



316.名無しさん:2018年11月01日 20:40 ID:PH49stEW0▼このコメントに返信
母方
司令部付きの伝令兵として支那事変に従軍した後、一旦満期除隊するが
対米英戦開始後に再召集され北海道の礼文で守備任務に就くも脚気に罹患し入院中に終戦。

父方
戦前から満州で畜産関係の会社に入社、現地で日本人移住者へ畜産の指導をしていたが
ソ連の参戦で現地召集され長春付近で陣地構築に従事。
終戦直後には朝鮮族や満州人の暴動鎮圧に動員され支給された軍刀で
数名を突き殺したと言っていた。
終戦から暫らくして構築中の陣地へソ連軍が襲来し部隊は全滅するが、直前に自動車部隊へ
応援に出されていて難を逃れる。
奮戦するも、ろくな装備もなく高度に機械化されたソ連軍には勝てず、捕虜になり
シベリアへ送られるが数年後に無事帰国。
317.名無しさん:2018年11月01日 20:42 ID:U9jooXay0▼このコメントに返信
※306
マジか!?
実際に人体実験とかあったかどうか聞けたか!?
318.名無しさん:2018年11月01日 21:00 ID:JGuiHWzk0▼このコメントに返信
海軍病院だな、原爆が落ちた時は大変だったらしい
319.名無しさん:2018年11月01日 21:18 ID:LJDknX.L0▼このコメントに返信
母方は赤紙来て、満州行って終戦前には帰ってきたとの事
(5年間だっけ?)徴兵の任期満了で帰ってこられたみたいだが本当かは知らん
父方は農家で食い物作ってたが昭和19年秋にいよいよ赤紙が来て徴兵
でも結局、仙台で終戦迎えて前線には行かなかった、との事

なので子供の頃は爺さん二人いるのは当たり前と感じてたが
大人になってから父方の家系図見たら、爺さんの同世代の親族で5・6人は戦死しているらしい
母方の方は分からん
320.名無しさん:2018年11月01日 21:29 ID:SkraWKZi0▼このコメントに返信
大和の砲術員だったと聞いたな
321.名無しさん:2018年11月01日 21:37 ID:z0lCv1VX0▼このコメントに返信
父方→末期に徴兵されてビルマへ。赤痢になって隊を外されて命拾い。その隊は戦闘で玉砕。ほとんど詳細は語らず。辛い思いをしたんだろうと思う。
祖母は子供三人抱えて留守番。防空壕の話なんかそれなりにしてたなぁ。
母方→公務員のため出兵せず。
322.名無しさん:2018年11月01日 21:54 ID:sSZ6SL6q0▼このコメントに返信
瀬戸内海で船員してたがある日米軍機から機銃掃射を受けた
物陰に隠れた同僚が鉄板の壁ごと打ちぬかれて亡くなったそうで
生きた心地がしなかった、あんな怖い目にはあいたくないと繰り返し言ってたな
323.名無しさん:2018年11月01日 22:38 ID:lBsqfuHa0▼このコメントに返信
高等商船出で国際航路の客船船長やってたので
自動的に予備士官として海防艦の艦長。
潜水艦のボカチン喰らって、
陸地まで泳ぎ着き捕虜になった模様。
324.名無しさん:2018年11月01日 22:56 ID:iRq9Vfv70▼このコメントに返信
じっちゃん:満州のお役所務め
パッパ:少年航空兵 若すぎて特攻にはいかなかったので今の俺がいる

※274
正規軍人なら、防衛省で調べればわかる可能性あるよ
325.名無しさん:2018年11月01日 23:20 ID:2hUe.K1W0▼このコメントに返信
父方祖父1 海軍 豊川の工廠に居たと思われる。
  祖父2 陸軍に徴兵 地域的に陸軍歩兵34連隊に所属、戦後シベリアに抑留中に事故死。
母方祖父  徴兵不適の為、内地にて過ごす。
326.名無しさん:2018年11月01日 23:20 ID:PIDye1wb0▼このコメントに返信
じいさんは終戦の年に小学校に上がった。
出征する兵隊さんを日の丸振って送ったのを覚えてるってのを聞いて映画で見たようなことって本当にあったんだなと改めて実感するようになった

ひい爺さんは空港で働いてて特攻隊も見送ったって聞いたことがある
327.名無しさん:2018年11月01日 23:36 ID:10HRBldU0▼このコメントに返信
父方の祖父は私が幼稚園の頃に癌で亡くなっちゃったのでよく判らないなぁ。
(祖父の兄弟は出征で戦死したらしいが)

母方の祖父は学校の教員だか教頭だったので徴兵免除だったそうだけど。
(地元の名士だったらしく葬儀には当時の市長も来たっけね……。)

これからは日本も世界の警察として世界中に派兵する事になるようなので、必然的に兵員確保の為の
兵役制度復活が起こりえるかも知れない以上、

若い世代は兵役免除を勝ち取るためにも若いころから勉強しまくって実力派公務員に出世しないとね。
328.名無しさん:2018年11月01日 23:42 ID:ysO.atVC0▼このコメントに返信
戦死したと報告があって葬式も済ませてたのに、終戦二年後に帰ってきた。
329.名無しさん:2018年11月01日 23:44 ID:9RLRzo8z0▼このコメントに返信
おれの爺さんは陸軍で旅順攻略してたよ。乃木大将のフンドシを洗っていたそうだ。
つまり日露戦争な。
ちなみに親父は近衛で憲兵だった。つまり親父は大東亜だ。
330.名無しさん:2018年11月02日 00:10 ID:54siutSw0▼このコメントに返信
父方は、特攻して死んじゃった。今でも実家に掛け軸が飾ってある。
母方は、地元が某財閥の工場地帯で、勤務中に空襲くらって死んだ。
その意味じゃ、母方のばーちゃんの方が色々苦労したらしい。
331.名無しさん:2018年11月02日 00:10 ID:pdIL0PVk0▼このコメントに返信
あるときは戦車乗りと
あるときはビルマまで行ったと
真相はわからん…死ぬ前に聞いておくべきだったかもな…
332.名無しさん:2018年11月02日 00:59 ID:vQHTS1X20▼このコメントに返信
陸軍の偵察機パイロットで中国行ってたはず
詳しい話は聞かないまま死んじゃったけど「幸い殺したり殺されたりってことはなかった」みたいなことが晩年の自伝(詩集?)に書いてあったのが印象的
特攻に行く前に終戦したみたいな話もおぼろげに聞いたことがあるなぁ
死ぬまでずっと飛行機が好きで本とか模型とかいっぱいあったな
333.名無しさん:2018年11月02日 01:10 ID:yjK1xdxc0▼このコメントに返信
戦前は「妙高」などで訓練し、開戦後は「天霧」で南方やら東インド洋やらで沈んだ後は、「神威」「雲龍」←これでも雷撃喰って死にかけ、「潮」「長門」←空襲で死にかけ・・・。戦後は昭和48年まで海自にいて、海上自衛隊発展に貢献したとかで田中角栄首相から超デカい賞状と、勲五等の勲章もらった。なぜか「金剛」が好きで私の1歳の誕生日プレゼントが戦艦金剛のデカいプラモデルだった。まだつかまり立ちの赤ん坊がそんな物をどーしろと?米兵からもらった銃剣と戦場食器セットは残っている。
334.名無しさん:2018年11月02日 01:23 ID:fjaparIP0▼このコメントに返信
満州で補給の仕事してシベリアに連れて行行くかれたけど、ロシア人に気に入られて思ったよりすぐ帰れたって言ってたな。
335.名無しさん:2018年11月02日 01:47 ID:vKdeOGAw0▼このコメントに返信
父方は明治生まれ、足が悪かったので徴兵されず、戦時中は電気屋だったらしいけど父が子供の頃に病死
母方はマレーシアだか行ってたらしいけど母には現地人に歌を習ったとか楽しい話しかしなかったそう
336.名無しさん:2018年11月02日 03:34 ID:Td2yHMpE0▼このコメントに返信
父方は職業軍人 士官学校首席で卒業 日本で隊長をこなした後 羅南、台北に派遣され 日本に戻り士官学校校長を務め最後は中将 
A級で巣鴨に入ったが部下からの嘆願で裁判受けずに放免 
巣鴨で「一日一善~」のおいちゃんと仲良くなり、戦後はボートレースの役員だった
背筋がびしっとして おっかなかったが散歩行くと 甘味処であんみつ食うのが好きなおじいちゃん

母方も職業軍人 たたき上げ 満州を主にまわり最後は少将

父方のじいさんは名前でぐぐると単独のwikiページや当時の資料に記載が、海外のページもあった
田舎の蔵には蓄音機用の南方戦線報告のレコードとか勲章やらサーベル、儀礼服、制服いっぱい
337.名無しさん:2018年11月02日 03:38 ID:mcWNvzeZ0▼このコメントに返信
片方は商船や漁船の運行
もう片方は鉄工所
338.名無しさん:2018年11月02日 03:43 ID:yOSAGIAH0▼このコメントに返信
友達の父ちゃんが当時バイクに乗りたくて乗りたくて仕方なくてユーゲントになったけど楽隊で才能発揮したとかで戦後は音楽家になったって聞いた。なお母ちゃんとはかなり歳の差婚。今どうしてるんだろう。
339.名無しさん:2018年11月02日 07:35 ID:ab4R.dUV0▼このコメントに返信
原爆作って、ミサイルも作って
340.名無しさん:2018年11月02日 08:18 ID:W0VAjP9.0▼このコメントに返信
父方のジッジは樺太で商売。
母方はジッジはキスカいっとった。
父方は行方不明、母方は無事帰還。
最近知った。
341.名無しさん:2018年11月02日 09:57 ID:G6IBacAh0▼このコメントに返信
ウチのジッジは開戦の時は家で自営業
末期に赤紙で徴兵、陸軍軍曹で石川の独立高射砲部隊へ
軍馬の扱いが上手だと上官から誉められたとか
バッバの叔父は陸軍少佐で満州へ
写真も見たことあるが勲章いっぱいマジイケメン
342.名無しさん:2018年11月02日 10:23 ID:I6oBw6dE0▼このコメントに返信
家で寝ていた。
結核で徴兵を弾かれて、結核が良くなっても白い目で見られるから外に出られなかったらしい。
343.名無しさん:2018年11月02日 10:56 ID:qqhi7CuQ0▼このコメントに返信
※288
マテリアル系の研究者だったのでもしかしたらそういった側面で調査に参加していたのかな?
考えるだけでワクワクするような情報をありがとう。
344.名無しさん:2018年11月02日 11:08 ID:2mAmLydS0▼このコメントに返信
南方にて戦病死。
爪しか戻ってこなかった。
345.名無しさん:2018年11月02日 11:12 ID:MjvZEJru0▼このコメントに返信
母方の曾祖父さんだけど石垣に住んでて徴兵されて沖縄戦経験したらしいで
弾カスって生きて帰ってきたけど
346.名無しさん:2018年11月02日 13:44 ID:aaRoYRxr0▼このコメントに返信
じいさんが岡山の黒石部隊?ってのにいたらしいんだけど、わかる人いる?
347.名無しさん:2018年11月02日 15:39 ID:wVBB8HXv0▼このコメントに返信
祖母の弟は海軍兵士で海軍病院に入院して亡くなった(詳しくは知らない)
祖父の兄は陸軍兵士で戦死(伍長、出征前に近所の警察署の警部補から祝のメッセージの手紙が残ってる)
やはりいずれも政府から勲章?みたいなのが来てた(戦死者に来るらしい)
祖父の弟は商船勤務で米軍の爆撃にあい行方不明
祖父は赤紙が届いて出征前に終戦
348.名無しさん:2018年11月02日 15:46 ID:wVBB8HXv0▼このコメントに返信
※344
祖国に帰りたかっただろうなあ

南方の兵士によく歌われた曲が中学でも習う「椰子の実」
歌詞には

 故郷の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月
 海の日の沈むを見れば 激(たぎ)り落つ異郷の涙
 思いやる八重の汐々 いずれの日にか故国(くに)に帰らん

という歌詞には兵士の望郷の想いと被るものがあるよね
349.名無しさん:2018年11月02日 16:27 ID:ZgG6X1X.0▼このコメントに返信
南京で後方任務
尚、謎の銃創(戦傷ではない)があったけど、何があったかは墓に持っていってしまった
350.名無しさん:2018年11月02日 18:42 ID:ySsKSrai0▼このコメントに返信
ご先祖の1人は神通に乗ってた。じっちゃんは陸軍だったかな?
351.名無しさん:2018年11月02日 18:48 ID:mLR.v5Hw0▼このコメントに返信
※54
うちの死んだじーさんともしかしたら会ってるかも
と考えると、何か不思議な気分だ

あ、ちなみに死んだじーさんは海軍航空隊所属で長崎で終戦迎えた
352.名無しさん:2018年11月02日 19:08 ID:zd6DAq950▼このコメントに返信
伊勢に乗って二番高角砲担当員でマリアナ沖に行った
353.名無しさん:2018年11月02日 19:19 ID:QKDsu63H0▼このコメントに返信
※308
まあ、当時の満州(中国)の田舎での話だったそうだから、普通に養子に(労働力として)くれ。
ということだったらしいがね。
特に叔父を「くれ」という人が多かったそうだ。
「じいちゃん達が強く断って、常にばあちゃんがそばにいるようにしてたから一家揃って日本に帰ってこれた。」
「もしかしたら、きょうだいの誰かが中国残留孤児として、あの人達のように日本に親戚を探し来ていたのかもしれない、
と考えると、他人事とは思えない。」
と、母が中国残留孤児の来日を伝えるニュースを見て話してたのが、印象に残ってる。
354.名無しさん:2018年11月02日 19:31 ID:.ZH8kcqa0▼このコメントに返信
秋月に乗ってで少尉してたそうやが12年前に死んでもうたから詳しくはわからんなぁ
もうちょいいろいろ聞いてたら良かった・・・・
355.名無しさん:2018年11月02日 19:45 ID:lfcqhqRu0▼このコメントに返信
関ヶ原
356.名無しさん:2018年11月02日 19:54 ID:RvrkVJC00▼このコメントに返信
暗号係だったと言ってた
それで硫黄島に行かずに済んだと言ってたな
でも、輸送船が魚雷でポンポン沈んで行くときは死ぬと思ったらしいで
357.名無しさん:2018年11月02日 20:28 ID:HZ.t83fd0▼このコメントに返信
九七艦攻操縦士で真珠湾行って魚雷命中させたとか。
ミッドウェー海戦で戦死だそうな。
故ばあちゃんのお話。
358.名無しさん:2018年11月02日 22:16 ID:kGBflTzb0▼このコメントに返信
陸軍の爆撃機「飛龍」を製造してた。その弟さんは「栄型」や、「誉型」のシリンダーヘッドを製造してたと聞いた。
といえば工場はわかるよネ。
359.名無しさん:2018年11月02日 22:20 ID:39RG15Ut0▼このコメントに返信
フィリピンから帰って来なかった
360.名無しさん:2018年11月03日 01:17 ID:pI0KA0rf0▼このコメントに返信
終戦3日後に樺太の海でソ連潜水艦にボカ沈
なんで俺が居るかって?
ばあちゃんが旦那兄弟の末っ子と再婚したからだ。
戦時~終戦直後はよくあることだったらしい。
361.名無しさん:2018年11月03日 13:45 ID:AlL7nfqt0▼このコメントに返信
父方祖父→病気の為徴兵免除(のち若くしてなくなる)
母方祖父→新聞記者の為徴兵免除
ちなみに、
父方祖母→夫なき後幼児の父を連れて北海道に移住。大学図書館司書として定年まで勤め上げる
母方祖母→九州の農家。90近くまで現役で畑耕してた
なので、父も母も戦中戦後生まれであるにもかかわらず、ひもじい思いや不自由な思いをほとんどしたことないどころか、戦争とも縁遠かったとかで、戦時中や戦後の話を聞いても「大学のお兄さんお姉さんに可愛がってもらって、特に冬は毎日一緒にスキーして遊んでた」(父)、「毎朝卵を集めるのは私の役目なんだけど、毎日のことだから雄鶏に覚えられてて、つつかれる前に逃げるのが大変だったわー。卵落とすと私の分のお弁当の玉子焼きが無しになるし」(母)と、大変のどかなコメントしか出て来ず、学校の宿題で発表したら、1人だけ先生にスルーされた思い出があるw
362.名無しさん:2018年11月03日 15:46 ID:AEnxxUrl0▼このコメントに返信
どこに行ってたとか詳しい話は聞いてないけど、乗ってた軍艦が沈んで1500人中500人くらい助かって残りは死んだとか言ってた
363.名無しさん:2018年11月03日 16:43 ID:pWQCYzr30▼このコメントに返信
工場勤務
信じるなら、大和造った
下っ端だったとは思うがな
一度しか言わんままあっちに行った
も少し生きてりゃ、もっと色々聞けたろうに
364.名無しさん:2018年11月04日 08:00 ID:JGYOIBTD0▼このコメントに返信
※361
悲惨な話じゃないといけないんだよな
普通に暮らしてたり楽しい思い出は許されないらしい
疎開ネタでも楽しかったのはダメ、寂しかったり肩身がせまい思いした話はおk
365.名無しさん:2018年11月04日 12:37 ID:QlDpJziI0▼このコメントに返信
母方→全て不明。大酒飲みの大寅で炭鉱の落盤事故でしんだらしいから、全く解らん。尚、婆ちゃん前の旦那さんも落盤でなくしてる。
父方祖母祖父→校長先生だったらしいが函館で船が撃沈されてなくなったらしい。おひいさま扱いされて育ったので、100才近いが未だにクソババァwww
父方祖父→8人兄弟の長男で、父親が早くになくなったので、一家を養うため給料の良い憲兵隊になる。満州に渡って色々戦争に出たりなんだりしたらしいが詳しい事はよくわからない。支給品のサーベルは切れなくて、日本刀使ってたらしい。悪いことや酷いことも沢山してきたんだろな。
晩年お寺の草むしりや手入れを無償でやってた。札所巡りや四国巡礼等もやっていた。癌で自分が中学生の頃亡くなったが、「汽車に乗っていくの」が最後の言葉。...どこにいったんだろうね。
因みにこの人も炭鉱で落盤喰らってるけど、ベルトコンベアーの下に潜って生存。
366.名無しさん:2018年11月05日 13:37 ID:0fapL6Wp0▼このコメントに返信
うちの母方祖父母は北関東に住んでいるんだけど戦争は無縁だったらしい。
兎に角田舎だったので兵士も疎開も来なかったらしく、普通に祖母は畑と田んぼ管理していて、祖父は大工で家や牛小屋を当時建築していたらしい。
私が小学校の時に夏休みの宿題で「周りのお年寄りに戦争について聞いてまとめる」ってのがあった。
その時母方の実家に帰り祖父母に聞いたのが↑の話。祖父母の家の周りの方に聞いて同じ。誰も、何も経験していなかった。
唯一祖父が東京まで出向き棺桶を作った。ってのが唯一の戦争の話だった(それも作ったらすぐ帰って来たらしく本当に何もなかったらし)
祖母は畑で野菜と田んぼで米を作っていて周りは牛やら鶏を飼育していたので食べ物に困った事はなかったそうだ。
特に知らない人が来て食べ物を分けて欲しいとかそんなのもなく、ある日勝手に戦争が終わったっていたそうだ。

そんな話しか聞けなくて当時はだしのゲンを見ていた自分は「つらすぎて記憶から消した」と、勝手に解釈。
近所の老人クラブに行き話を聞いたが、祖父母と偶然同じ出身の方がいて「あまり戦争を感じなかった。戦後東京に出て来た時は東京オリンピック直前で凄い街だと思った」と、言われ本当に経験してない人がいるんだとびっくりした。
宿題は正直に書いた。特に祖父が棺桶を作ったって所は大げさに。

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