2018年10月27日 09:05

日本の城とか鎧とかについてつらつら書く

日本の城とか鎧とかについてつらつら書く

05

引用元:日本の城とか鎧とかについてつらつら書く
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1540545110/

1: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:11:50 ID:G5Q
書かせてくれ

5: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:13:17 ID:CXf
盾持ってないのは不可解だよな

8: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:14:31 ID:G5Q
>>5
ざっくり書くとマケドニア兵は肩から盾をつるしたが、
日本の武士は両肩に盾をつるしていた、
戦国時代については陣形で戦うので白兵戦に必要な手盾はおおむね廃れたという認識

7: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:13:42 ID:G5Q
西洋との比較でいうと、
西洋の城はなんか堅そう、日本の城はなんか緩そう、とか
鎧にもだいぶ違いがみられるので。
今日は地形とか気候の差も含めて書きたい。

10: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:16:32 ID:G5Q
まず大きな話でいうと、
そもそも論として欧州はまずだいぶ昔にできた地形なので
アルプスなどを除いて比較的なだらかで平野が多い地形、
地震は少なく、気候については比較的気温は高くなく湿度が低い。

日本は比較的新しめの地形のため峻嶮で山岳も多く、
地震が多く気温も高め。そして湿度は高い。

11: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:18:20 ID:G5Q
大前提、騎士にしろ武士にしろ(雑兵や足軽にしろ)、
彼らは兵士。

相手と直接対峙して白兵戦で戦うというのは、
本当に彼らの任務のごく一部。

14: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:19:52 ID:G5Q
なので普段の話からいうと、
自分の領地で暮らしながら、いざというときには
集まってぞくぞくと行軍する。

行軍したら目的地で味方と合流して軍に編成される。
そっからさらに敵に向かって行軍したり、
別の味方への増援に向かったり、防御のために陣地作ったりする。

15: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:21:17 ID:G5Q
騎士や武士でウマに乗ってる人からしても、
そりゃ重量はある程度ウマがかばってくれたり荷物を御付きが
持ってくれるにしろ、何しろウマに乗るのも疲れる。
素人が載ると股ずれやら筋肉痛やらで死ぬ。

歩いている人々もそれはそれは大変。
全期間通じて歩いてるだけだったという兵士がほとんど。

16: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:22:08 ID:G5Q
ということは、自然に鎧やら持ち物も、
それぞれの気候にあったものにならなければそもそも
行軍したり軍役についている間に生活したりはできないことになる。

19: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:23:40 ID:G5Q
欧州に行ったことのある人はわかると思うが(地域によるけど)、
全般的には日本より気温がかなり低め、湿度が低いから気温が
高くてもまぁまぁ過ごすのはそんなに大変じゃない。

20: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:24:01 ID:CXf
鎧武者みたいなのは
あんなん着て動き回れるとは思えないけど
実用性的にはどうなんだ?

22: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:26:31 ID:G5Q
>>20
どの時代の鎧武者かによるが、
20kg~30kg程度の鎧を着て動き回るのは余裕。
現代歩兵も装具あわせたらそれくらいには余裕でなる。

29: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:30:18 ID:o1c
>>20
可動域は意外と広い

21: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:26:04 ID:G5Q
例えば、ロンドンの気温でいうと、
まぁ20度超えが真夏でも少なく、真夏の気温がせいぜい
日本の初春から秋にかけて。

イタリアやフランスの一部、スペインはもうちょっと暖かいがね。

23: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:26:55 ID:B0s
日本の鎧は風通しいいよな

25: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:28:39 ID:G5Q
>>23
先にいわれた

27: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:29:49 ID:G5Q
まぁズバリでいうとそう
基本的に日本の当世具足やら、鎌倉時代なんかの大鎧とかを見て
もらえればわかるけど、かなりスキマが多い
特に糸で重ねて威していたり、兜も下からみたりすると、
しころの部分なんか特にそうだがちゃんとスキマがある。

30: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:31:17 ID:G5Q
西洋の鎧も実はまぁまぁスキマがあったりするんだが
(城に飾る、飾り用の鎧とか馬上槍試合の増加装甲付きのものは別)、
兜なんかはみっちり板金でとても蒸れる。

34: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:33:43 ID:o1c
>>30
隙間も鎖帷子で塞ぐしな

36: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:35:56 ID:G5Q
>>34
鎧下着の上から金属鎧を着るんだが、
必ずしも鎖帷子を着用するとは限らないよ。

31: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:32:11 ID:G5Q
実際夏に着用してみるとわかるが、西洋の騎士が装着する
12世紀~15世紀くらいの鎖帷子+バケツヘルメットとか、
板金鎧とかはほんとうに日本だと無理。
暑くて蒸れて立ってるだけで死ねる。

33: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:33:24 ID:G5Q
一方日本の鎧は、そりゃ西洋のイメージに比べると
スッカスカだと思うが、
鎧や軍装の要件として「あれを着用して長期にわたって
行軍したり生活しなければならない」というものがある。

日本の気候は全般的に暑く湿度が高いから、
どうしても妥協していくとああなってしまう。

37: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:37:14 ID:G5Q
よく西洋の騎士と日本の武士が戦えば、という話があって、
想定としてはとても面白いんだけど、
例えば12世紀くらいの十字軍兵士が夏に上陸してきたら地獄だったと思う。
鎧を脱いでへばってるところを襲撃されたら壊滅する。

砂漠は熱いが湿度が低いから気温が50度くらいあっても、
上着を着ていればまぁまぁ涼しかったりするからね。

38: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:38:34 ID:o1c
地の利のあるほうが勝つよな

39: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:39:05 ID:G5Q
鎧や軍装というのは、
その土地の気候や風土にあわせて長いことかけて作られるものなので、
どうしてもそれに依存する形で発達する。

もしも日本が西洋のような気候風土であれば、
短甲タイプの鎧のほうが発達していったと思う。

40: 相反するインキュベーター◆d1bIho9adc 2018/10/26(金)18:40:36 ID:x8C
ガチガチの西洋鎧ってなんか貴族とか騎士が見映えを気にして着てるイメージある

47: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:47:05 ID:o1c
>>40
完全オーダーメイドで他人は着用出来ないから
どうしても金持ちしか買えなくなる

50: 相反するインキュベーター◆d1bIho9adc 2018/10/26(金)18:49:01 ID:x8C
>>47
なるほど
確かにあんな鎧個人に合わせて作らないといかんわな

41: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:42:36 ID:G5Q
ちなみに日本の鎧は極力蒸れないように作ってあるし、
蒸気が上から抜けていくようには作られているのは見事だと思う。

さらに面白いのは特に武士の場合は、絹の鎧下着を着用している点。
絹は一時期防弾衣としてもつかわれたことがあるくらい繊維として非常に強い。
綿を入れた鎧下着はこれ自体がそれなりの防御力を持つ。

43: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:45:30 ID:G5Q
しかも誤解があるのもあるが、
西洋の鎧でみんながイメージする、
板金鎧というのはほんとうに数ミリの薄い金属で
わりと全身を覆うスタイル。
重量的には徒歩で戦えるタイプのものは15kg~20kg程度。

日本の鎧も当世具足は10kg~15kg、
鎌倉時代くらいまでの大鎧は25kgくらいでかなり重い。
スキマがありそうに見えるだけで重要な部分は分厚く作られていると思う。

44: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:45:59 ID:G5Q
さて、ここまで話したところでそろそろ城の話題に移りたいと思う。

46: 名無しさん@おーぷん 2018/10/26(金)18:46:57 ID:G5Q
まぁそれぞれいろんなタイプの城があるんだけども、
日本の城はもともと「山城から発達した」というのが大前提。

55: 名無しさん@おーぷん 2018/10/27(土)03:17:02 ID:pe0
日本は特にそうだが、地形的に平野から平野の間にどうしても山岳が挟まる。
日本で鎌倉時代くらいまで、いわゆる「平城」があまりないのは、
わりと簡単な柵と地形利用でかなり堅固な城塞ができてしまうからだと思っている。

56: 名無しさん@おーぷん 2018/10/27(土)03:18:15 ID:pe0
一方、欧州の場合はもちろん利用できる地形があるときは
山城もわりと構築されているんだが、
どちらかというと高い壁を作ってそこを防御するタイプが発達した。
中国もそれに近い。

57: 名無しさん@おーぷん 2018/10/27(土)03:19:00 ID:pe0
ところが日本でそういう城を作ろうとすると、
どうしても地震が問題になってしまう。

熊本城もかなり長期保たれたとは思うんだが、
さすがに耐えきれなかったようだ。

60: 名無しさん@おーぷん 2018/10/27(土)03:23:40 ID:pe0
実際は堀や石垣が本体だと思っている。
山を削ったりして城を構築するのが和城で、
高い壁で守るのではなくて、「平地でも山を人工的に作って拠点にしてしまおう」が
和城の発想。

土塁を積み上げ、粟石というのをしこたまいれ、
要所は切り出した石、それ以外は適当に組み合わせててしまえば、
少々の地震でもあまり崩れない。

61: 名無しさん@おーぷん 2018/10/27(土)03:24:05 ID:pe0
欧州の中世のような高い壁を作ってしまうと地震で崩壊して
防御の要をなさなくなる。

62: 名無しさん@おーぷん 2018/10/27(土)03:26:23 ID:pe0
天守閣や、郭というのはあくまで防御のかなめである
石垣と堀の補助施設だと俺は考えている。

ちなみにさっきよく炎上しているという話はあるし、
そりゃあ燃やそうと思えば燃えるは燃えるんだけれども。

63: 名無しさん@おーぷん 2018/10/27(土)03:28:16 ID:pe0
だからこそ簡単に燃えないように、
木の枠組みに土壁を作り、そこを耐火性の高い漆喰で固める。

だから逆に少々の攻撃ではゆるがない施設になる。
ちなみに欧州の城でも補助的な設備は木製だからね。

64: 名無しさん@おーぷん 2018/10/27(土)03:29:12 ID:pe0
実際、明治時代の熊本城攻防戦でも西郷軍の攻撃に
それなりに熊本城は耐えている。

どの記録か忘れたが、戦国時代に欧州の船に砲撃してもらっても
あまり効果がなかったという話もある。

65: 名無しさん@おーぷん 2018/10/27(土)03:31:32 ID:pe0
色々とみてきたんだけども、
結局日本の甲冑や城というのは、
日本の気候や風土、地形に合ったものだと俺は考えている。

白兵戦の強さ、いうなれば
完全空調での現代的なリング的発想で考えてもしょうがない。

日本に限らず中国、欧州などそれぞれの文化、技術、気候風土にあわせた
装備などが発達してきたわけで。

だからぱっとみの鎧の面積をみて
日本の武士が「防御力が弱そう」とか、
日本の城が「なんかダサくて弱そう」というのに一言言いたかった。

ここまでつきあってくれてありがとう。

67: mon 2018/10/27(土)03:51:40 ID:Uvl
木造でも城壁はできそうなものだけど。
建造物に耐震性を持たせるのがどんだけ大変なのか、素人過ぎて全くワカラン・・・

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


★★★★★★★★★★★★★★ 最新オススメ記事 ★★★★★★★★★★★★★★

コメント

1.名無しさん:2018年10月27日 09:15 ID:3v1pGy7g0▼このコメントに返信
素晴らしい考察でした。
2.名無しさん:2018年10月27日 09:20 ID:3wG6m2250▼このコメントに返信
多分
歴史好きやミリオタなんぞにすれば常識の範疇なんだろうけど

[知らない者]から見たら[日本の城は脆い]だの[武士の鎧はスカスカ]だのって話になるわな

こう言う考察出来るのと
こないだの[中世ヨーロッパ騎士が日本の城を攻めたらが一日で落城しそう]てイッチを戦わせたら(勿論思考実験)どうなるだろう?
3.名無しさん:2018年10月27日 09:22 ID:r1hXMqtP0▼このコメントに返信
日本の武具は古代の中国式が原型になっている。
城も原型は大陸タイプだったのかもしれん。
いずれにせよ、武具も城も大陸式とはまったく
異なる形に変貌して独自の形態を持つようになった。
古代中国文化を土台にして独自の発達をした
日本文化をよく現しているとも言えるだろう。
4.名無しさん:2018年10月27日 09:23 ID:K9vxmsaZ0▼このコメントに返信
盾持ってないのは不可解って
日本は山岳国家だから

スイス傭兵ハルバードや
スコットランドのハイランダーの
クレイモアみたいに

片手も開けられる両手武器が発展した
5.名無しさん:2018年10月27日 09:25 ID:K9vxmsaZ0▼このコメントに返信
米3
日本の城は元来は
山をそのまま要塞化したものが主流

後に統治の方に重きを置いて
や象徴として館と城を合体させた平城ができる

毛利家の吉田郡山城→広島城みたいな
6.名無しさん:2018年10月27日 09:28 ID:1BFqITuE0▼このコメントに返信
日本の主力武器が長弓だったってのもある。
戦地で置いて使う柴束や大盾じゃないと防げないから。
7.名無しさん:2018年10月27日 09:30 ID:GiTb30bs0▼このコメントに返信
武士は大きな失敗をすると責任を取って切腹させられた
だから真面目に仕事をするし町人も尊敬していた
日本の政治家も見習ってほしいな
8.名無しさん:2018年10月27日 09:31 ID:r1hXMqtP0▼このコメントに返信
※5
はるか古代の西暦300年代ぐらいの城の土塁ややぐら、堀などの
構造を知ることはもはや無理なんだと思うが、おそらく
大陸由来の構造を持っていたと思う。なんせ武器が中国式だから
そういう系統のものだったのではないかと思う。
9.名無しさん:2018年10月27日 09:31 ID:K9vxmsaZ0▼このコメントに返信
大鎧なんかが糞重たいのは
ラメラアーマーの小札の更に上から
威という革紐で執拗なまでに強化してるから

和弓は敵対したモンゴル軍が
見た目ほど射程距離はないが破壊力が凄いと
記録してるくらい強力な大弓な上な上に構造上
そこまで怪力はいらないのでコレがスタンダード
これに対抗しなきゃならんからよ
10.名無しさん:2018年10月27日 09:34 ID:Iu2mejUK0▼このコメントに返信
そうねぇ

完全石造りの城が西洋にどれだけあるかっていうと・・・・
向こうも結構可燃物あるよな
11.名無しさん:2018年10月27日 09:34 ID:K9vxmsaZ0▼このコメントに返信
日本の戦争で盾か用いてない
イメージは大きな誤解で

弓矢が主流な時代は
鎧着込んでる武士はともかく
下級兵は木製の盾が防具として好まれた
12.名無しさん:2018年10月27日 09:35 ID:OeGTM8Uu0▼このコメントに返信
ゲーム的な発想をすると、単純な防御力だけでなくて、
属性防御や敏捷性の増減にも気を使うという感じかな。
13.名無しさん:2018年10月27日 09:37 ID:Iu2mejUK0▼このコメントに返信
あと日本は置き盾もあるしな・・・・
14.名無しさん:2018年10月27日 09:37 ID:eljgBUaF0▼このコメントに返信
日本には城壁都市は無いかな?
15.名無しさん:2018年10月27日 09:38 ID:K9vxmsaZ0▼このコメントに返信
西欧の前身プレートアーマーは
14世紀の終わり頃に出現したが
30kg〜40kg

16世紀になると材質強化して
溝だらけにして20kg程度まで軽量化した
フリューテッドアーマーが出現するが

同時に火縄銃がスタンダード化や発達してきた
為に下半身の防御を諦めて 上半身の厚みを強化した
半甲冑の方が主流になっていく
16.名無しさん:2018年10月27日 09:41 ID:K9vxmsaZ0▼このコメントに返信
鎌倉時代になると
大鎧と胴丸(腹巻)の折衷案として
胴丸鎧っていうのが出来て元寇辺りだと
着てる武士も少なからず見受けられるが

現存してるのは一領だけ

後 腹巻と胴丸はこれらが廃れた16世紀に混同され
意味が逆になってしまってるが この胴丸鎧の
存在と 腹当→腹巻(胴丸)という事を考えると
無理はないと思う
17.名無しさん:2018年10月27日 09:42 ID:Iu2mejUK0▼このコメントに返信
※12

というかやな。西洋鎧に比べて、大鎧は比較的、対弓矢特化なんやな
もちろん白兵戦でも鎧として機能するが

同時代の西洋式のチェーンメイルと比べて、鉄の小札を重ねたラメラーアーマーなので
刺突や弓矢に強いんやな

当世具足は、西洋でも主流になってた胸甲の流れを汲んだもの
西洋でもプレートアーマーなんか肝心なとこの防備が薄くて、鉄砲も出て来た事もあって
意味ねーじゃん、という事になり、他を剥き出しにする代わりに急所を特に厚く
ガードする胸甲に変わって行った

で、日本も西洋のそれに倣ったんやね。もともと隙間あった大鎧だったってのもあるし
18.愛と平和の瞑想で核戦争を粉砕しましょう!!!:2018年10月27日 09:46 ID:gf8R.wvh0▼このコメントに返信
祝平成~新元号天照(アマテラス)へ!(^^)

大政奉還し明治憲法を復活せよ! 国連を潰し地球政府を創れ!

移民難民外人労務者受け入れ反対! 在日に税金と参政権を与えるな!
消費税反対!貨幣制度廃止で完全配給制度へ移行せよ!
放送禁止用語を復活しろ!電通NHK朝日新聞ほ潰せ!


天才政治で検索 楽園主義で検索 AH73年10月27日







19.名無しさん:2018年10月27日 09:47 ID:..pzcder0▼このコメントに返信
※6
俺も長弓に対抗しているうちに鎧が重量過多になって
守るべきところを取捨選択した結果隙間が生まれたんだと思うわ
20.名無しさん:2018年10月27日 09:47 ID:K9vxmsaZ0▼このコメントに返信
16〜17世紀は上にすでに書いたが
十字軍以降の鎧の進化の系統は

11世紀 〜13世紀
バケツヘルムと避暑用から生まれた
サーコートにチェインメイル
それから更にコートオププレートを着込んだり
手足が段々と補強されていく

14世紀〜15世紀
この辺りで大体イメージされる騎士鎧は出来上がる
まず手足からガッチリし始めて 中央のコードオブプレートの胴体進化版であるブリガンダインとかも
置き換えて全身をプレートにして完成
サーコートは15世紀くらいには
ハルバードみたいな引っ掛ける機能のついた
両手武器の流行により衰退
21.名無しさん:2018年10月27日 09:47 ID:RkNm5COS0▼このコメントに返信
兵士の携行食についても知りたいところ。
22.名無しさん:2018年10月27日 09:48 ID:YyWU0xaw0▼このコメントに返信
昨日もののけ姫見たんだが
下半身が褌だけの鎧武者がいたり、裸同然の格好の侍もいたり
下級武士ッてあんなんだったのかね
23.名無しさん:2018年10月27日 09:49 ID:PZfr7bGi0▼このコメントに返信
※4
日本と同じく山がちなイタリアやスペインでは盾持ちの剣兵が一時期復活した
コルテスの新大陸制圧部隊も大半がこのスペイン剣兵隊
24.名無しさん:2018年10月27日 09:52 ID:K9vxmsaZ0▼このコメントに返信
※17
大鎧型は
弓矢には強いけど
槍の刺突には実はそこまでは強くない
プレートは槍の穂先が滑ったりするけど
ラメラアーマーは引っ掛かりがある分
スブっと行きやすい

日本で南北朝時代に槍が復権し始めた時に
あまりにも簡単に鎧武者が倒せるという
事実に驚いて 最初は雑兵用から武士へと
急速に普及してる

動きを阻害しないとはいえ
ラメラアーマーはそこら辺りがネック
25.名無しさん:2018年10月27日 09:54 ID:K9vxmsaZ0▼このコメントに返信
※22
布が貴重な時代なので
戦闘による損耗を嫌ったり
単純に暑いからだったり

陣中での博打で身ぐるみ剥がされたり色々

もののけ姫は近世的な戦国時代ではなく
応仁の乱や明応の政変の後くらい
終わりの方とはいえ日本の中世を正面から
描いた貴重な映像作品でもある
26.名無しさん:2018年10月27日 09:57 ID:K9vxmsaZ0▼このコメントに返信
※23
木製の盾が設置式以外廃れてきて以降の
金属製の小盾のやつだろ?

といってもイタリアもスペインも
日本やスイスやスコットランドほど
急斜面やガタガタ地形の国家でもないような
27.名無しさん:2018年10月27日 09:57 ID:rmudeB9s0▼このコメントに返信
盾(手盾)は廃れたって言うけど軍記とか見ると城攻めとかの臨時装備としては意外と使ってるんだよな
28.名無しさん:2018年10月27日 09:58 ID:r1hXMqtP0▼このコメントに返信
日本のかぶとで面白いのは前立。多種多様で個性的で何でもアリで面白い。
うさぎとかなまずとかトンボとかそんなもんかぶとにつけてどーすんだよ
と思ったりもする。
29.名無しさん:2018年10月27日 10:09 ID:subEtaeS0▼このコメントに返信
※27
攻城戦だと防衛側が矢を大量に用意してるからだろうな多分
日本の矢は野戦において小銃的に使われてる。個人が携行しての機動射撃するもんとして
欧州みたいに荷馬車の歴史がないし、つまりは組織火力としての大量投射は普通行われてない
例外的に兵站集積地としての城では個人の弾切れが考慮されずに火力的に運用されることになり対応を迫られてたってことじゃね?
30.名無しさん:2018年10月27日 10:15 ID:.oBlAZXi0▼このコメントに返信
どうせなら、携行し易くコンパクトに収納できるのは利点まで書いて欲しかったな。
31.名無しさん:2018年10月27日 10:17 ID:O5dS8kMs0▼このコメントに返信
要は甲冑はカッコいい!!
32.古古米:2018年10月27日 10:17 ID:wBx58S1A0▼このコメントに返信
※27
自分は日本も初期は楯とか使っていたけど、片手が塞がる事を嫌って肩当や手甲に変化したのかなと思っている。
まぁ鉄砲が出て来た時には、竹の束とか柴の束とかの置き楯で銃弾を防いでいるしね。
33.名無しさん:2018年10月27日 10:18 ID:q2LAWnSz0▼このコメントに返信
城の発展も時代性を考えないと

西洋の城は、都市城壁と領主の拠点要塞の2系統があるわけだが、当然ながら都市城壁の方が時代が古い。古典古代で言えばギリシアではペルシア戦争当時まだポリスは城壁を備えておらず、ペロポネソス戦争直前からその真っ最中にようやく城壁が全ギリシア規模で普及していく。都市と言うのは大勢の人間が家を密集させて定住しているというだけでかなりの防御力を持つので、オリエントも含め、ぐるりと囲う大規模な城壁はごく一部の大都市において長期間の工事によって形成されていた。ギリシアローマではオリエントにかなり遅れて城壁を作るようになった

ローマが崩壊したあと、ゲルマン社会のごちゃごちゃから封建制が形作られていく過程で、城壁にせよ要塞にせよを彼らが作ることはあまりなかった。じつに10世紀以降まで古代の要塞を修復しながら使ったりしている。ただ封建領主はモット・アンド・ベイリーに代表されるような拠点要塞をだんだん作るようになっていき、一方でこの頃ようやく中世都市というものが大規模化していき城壁を建築するケースが目立ってくる。コンスタンティノープルなどの例外を除き、欧州の「城」が発展してくるのはこのあたりの時代から。むろんその技術は十字軍時代以降、中東の技術や発想を取り込むことでさらなる発展を見せていくが、15世紀末フランス軍におけるイタリア方面での作戦の際、近代砲によってそれまでの城塞技術がほぼ無力化されたことを受けて、近代要塞への革命的発展が促されることになる

つまり「高い壁を作ってそこを防御するタイプが発達した」時代というのは実はそんなに長くない。またそういった城は当然ながら都市の発展と深く関わっているから、日本と様相が大きく変わるのは地形というより社会構造の問題。日本と同じように山と海で寸断されているギリシアは、古典期に都市城壁を持ってたわけで
34.名無しさん:2018年10月27日 10:25 ID:aoxl1dbB0▼このコメントに返信
昨年、激しい豪雨と雷で落雷の命中に遭った犬山城。
しゃちほこが避雷針の役目を果たし粉々になったけど、その損傷で済み「何か持っている」と思った。
川から小山の上に建つ姿は要塞感たっぷりでりりしい。
35.名無しさん:2018年10月27日 10:28 ID:BbcsyB5A0▼このコメントに返信
※26
スペインは旅行行ったことあるけど、結構山多い
バルセロナは街の近くが山だらけだったし、マドリードからグラナダを鉄道で移動したけどやはり山だらけだった
そしてグラナダは山の斜面に街があって、一番頂上がアルハンブラ宮殿
36.名無しさん:2018年10月27日 10:38 ID:nGDZk3ss0▼このコメントに返信
※8
古代日本だと、遠征では船を使っていたと思うんだけど
そうすると防御側は海岸線の監視拠点や、上陸部隊を叩くために海に近い場所に基地を置き、
政治中枢は山地近くに置いて攻略を難しくすると思うが、実際どうだったんだろうな。あまり詳しい資料を見かけない。
37.名無しさん:2018年10月27日 10:40 ID:q2LAWnSz0▼このコメントに返信
日本の城は、古代と中世で明らかに様相が違う。古代日本の場合は朝鮮式城塞なんて呼ばれることもあるが、おそらく朝鮮半島からの技術輸入ではなく、日本列島の政治勢力が半島に進出し新羅や高句麗と戦闘を行う際に自ら習得していったものではないかと思う。これを古代の人々は「き」と呼んでいたが、漢字は古くから「城」と「柵」が混ざって使用されており、城の場合は拠点をぐるりと囲った防御施設全般を呼んでいたらしい。すなわち白村江のあとに築かれた巨大な水掘と土塁の組み合わせを水城と呼んだり、稲穂を積み重ねた防御施設を稲城と呼んだりしている。ただ対蝦夷政策として東北地方に築かれた拠点はことごとく「柵」の字を用いており、こちらは当然ながら木材を堅固に組み合わせて集落や官衙を防衛させたその構造を反映している。これらの柵は中央から派遣された役人によって管轄され、他の地方から「柵戸」と呼ばれる移住者が送り込まれ、地元の服属済みの蝦夷の協力を得て統治されていた、中央主導の都市もしくは防御集落という性格が強い

蝦夷に代表される反中央(大和)勢力がほぼほぼ駆逐されると、これら古代式の城柵はいったん廃れていく。軍事的に言えばとくに律令軍団制が廃止され、少数エリートの騎馬戦士(健児)に置き換えられたことで、城塞そのものの意義が低下した。源平合戦などで顕著にみられる城の構造は、敵の進軍する街道をふさぐように建設されたバリケードのようなもので、やぐらや、石弓と呼ばれる落石機能などが設けられたものの、いわゆる中世城郭の精緻な構造はまだとっていない。奥州藤原氏が築いた長大な土塁はまさにその延長にあると考えられ、かりに同じ戦略目的であれば戦国時代なら多数の山城で対応しただろうものが、平安末期ではまだ登場していない
38.名無しさん:2018年10月27日 10:57 ID:SKaAILRw0▼このコメントに返信
米14
日本の場合は城下町の堀と迷路みたいな作りが壁がない代わりに相手の進軍を阻む作りになってるよ。

大阪の地図あるなら見てみたらいいが現在の大阪の場所で堀とつく地名は昔堀だった。
ああいう場所まで城下町が続いていたよ。
山城は文字通り山の地形が敵の進軍を阻む。
城の周りなら一応城壁はあるが欧州みたいに城下町全体をむちゃくちゃ高い壁で囲うのは日本の城では聞かないな。
39.名無しさん:2018年10月27日 11:01 ID:yS7.WQhr0▼このコメントに返信
鎌倉武者鎧や戦国武者鎧が欧州にいった場合はどうなんやろ?
一概に日本の鎧は通気性抜群ってイッチは考察してるけど、そら機内をはじめ日本風土の多くは夏が泣けるんやから密封性はいらん。でも伊達や上杉のような信州東北の日本海側は熱波よりも寒波の方が対処せなあかんやん?
欧州はそっち方面に近いんかなーという印象なんやが、その寒めな気候に鎧武者は順応できるんやろか。
40.名無しさん:2018年10月27日 11:01 ID:wBEmbl7u0▼このコメントに返信
長弓は下手すりゃ火縄銃より威力げある、銃の普及は威力より、弓より訓練がいらない点がで大きかったくらい。
現代の再現テストでも金属兜を簡単にぶち抜いてしまうのが確認されているが、そんなのが主力の戦場で手持ち盾がどれだけ役に立つのか。
41.名無しさん:2018年10月27日 11:03 ID:q2LAWnSz0▼このコメントに返信
戦国時代に全盛期を迎える日本の中世城郭が、地形や気候に応じて発展したのはその通りなのだが、それ以上に戦略的理由、すなわち当時の抗争における戦場の「近さ」に対応するものであったと思う

たとえ国持ち大名同士の戦役であっても、お互いの拠点から最前線にいたるまでの行軍距離はわずか数日程度。この短時間で数千数万の軍勢が現われてしまうわけだから、これを防ぐには素早く、かつ効果的な防御施設でなければならない。また日本は都市というものがいまいち未発達だったから都市を囲う防御施設は発展せず、敵の進軍を妨害しうる箇所に小規模な城塞を作る方がずっと費用対効果が高かった。ここに、堀と土塁を幾重にも組み合わせて複雑な経路設定を伴う後退防御、それによる「時間稼ぎ」を本分とする中世城郭が成立する
領主の拠点には城下町のようなものが形成されたが、城は街を守るためではなく、あくまで領主を守るための避難場所として作られている。戦国時代の合戦では城に攻め込んだ軍勢が町を焼き払って「はだか城」にする光景が頻繁にみられるが、そこからさらに踏み込んで城の攻略まで行うケースはずっと少なかった。逆に言えばいま残っている中世城址は、ほぼ間違いなく城の外側に居住区域となる町を備えていたハズで、急こう配を登った先にある山城の内部に大名や重臣たち屋敷跡があったと考えるのは間違っている

しばしば惣構えを都市城壁のような街を守る施設だと考えるものがいるが違う。惣構えはあくまで城の防御施設の一部であって、その内部で平時に建設されている住居は戦闘の邪魔にしかならず、いざと言うときは容易に破棄された。非武装民も籠城の際には邪魔にしかならないので、城外のどこかへ避難するほうが普通であって、城内に女子供が残っているのはあくまで武士(とくに領主)階級の家族たち
42.名無しさん:2018年10月27日 11:13 ID:imT1zD7E0▼このコメントに返信
※14
小田原城、大阪城、江戸城などかね
戦国末期には統治中心の平城に移行して、城下町ごと守るようになっている
下手な欧州の城壁を持つ城よりはるかに規模が大きい
江戸城は広義には今の山手線の内側全部が城のようなもの
城壁より堀と石垣および櫓(出城)による防御が中心ではあった
43.名無しさん:2018年10月27日 11:15 ID:SKaAILRw0▼このコメントに返信
米39

現に東北で奥州藤原が一発屋ではあったが栄えたし戦国時代も上杉武田が凌ぎを削っていたし戦国以降も他に南部や最上や伊達が君臨し続けていたわけだし対応はすぐできると思うよ。
戦場で火縄銃があればかなり優位になれると思うが和弓でも対応はできると思う。
武器に関しても野太刀や大太刀があるし薙刀や長巻きもあればフルプレートの騎士には苦労するだろうけど欧州の兵隊もフルプレートの甲冑ばかりではないしうまく対抗策見つけると思うよ。
野太刀や大太刀でフルプレートの甲冑騎士は殴ればいいし
44.名無しさん:2018年10月27日 11:23 ID:rFFZv1wc0▼このコメントに返信
日本の城のが主だが。掘りにも色々あって、例えば、「軽い塹壕程度の掘り」もある。

騎馬隊の突撃に対し、「つまづき」を与える効果を狙った物で、深く掘ると、包囲戦になる。敵兵に、包囲戦をやられると積むので、攻撃誘導を行い、敢えて低く防御面を落とす。様な所があるが、理に叶っているとはいいがたいが、そういうもの。
45.名無しさん:2018年10月27日 11:24 ID:sg9qhH.T0▼このコメントに返信
弓は時代ごとに製法が違うの考慮したほうがいいよなあ
平安〜鎌倉初期はまだ伏竹か三枚打だし、初期の弓矢戦はかなり近距離で行われてるんだよね
46.名無しさん:2018年10月27日 11:25 ID:SKaAILRw0▼このコメントに返信
米42

大阪城は豊臣の時と徳川が再建したのがあるから違いを詳しくみたら面白いだろうな。
戦国時代と安定した時代の差別化はあるだろうし
47.名無しさん:2018年10月27日 11:38 ID:r.VQOQMv0▼このコメントに返信
城の価値は堀、空堀、 石垣、 塀これだけが守りのかなめ。屋敷、天守閣は飾り。 最終的形は西洋から得た五稜郭。死角が無い。あれで堀がもっと広ければ完全。
48.名無しさん:2018年10月27日 11:44 ID:9SYVmuxA0▼このコメントに返信
※42
環濠都市は、城壁都市の下位分類なのか、別種なのか。
城郭都市という言葉もあるね。
49.名無しさん:2018年10月27日 12:02 ID:NvpxMmbj0▼このコメントに返信
※4
一応日本にも戸板とか盾はあるぞ。行軍多いから陣地製作用になっただけで。
50.名無しさん:2018年10月27日 12:21 ID:imT1zD7E0▼このコメントに返信
※47
五稜郭も大砲の射程が伸びたから、最後の戦いではやられ放題だったけどね
51.名無しさん:2018年10月27日 12:26 ID:DSpPMrfM0▼このコメントに返信
※47
それ、石垣なんて飾りです()
飛び道具が発達すると(空)堀や防塁の形が重要なので東の方では平城でも土塁で現在は青々と草が生えてるよ
52.名無しさん:2018年10月27日 12:35 ID:r.VQOQMv0▼このコメントに返信
縄文遺跡は大概、堀が有り。大きな屋根の家、見晴らし台のような塔がある。これは敵人種が近隣にいたのだろう。単に平和で暮らしていたなら、防衛設備は必要ないはず。当時中億大陸では戦国時代で、多くの逃走民族が海に逃れ、沖縄近海を走る黒潮に乗ってしまったに違いない。一端黒潮海流に乗れば、後は流れに任して九州、紀伊半島に着く。縄文人は多分恐る恐る近寄って行って、戦闘民族の大陸移民に矢を放たれ、ハチの巣状態になった。縄文遺跡から、地域のものでは無い矢じりが無数に刺さった骨格が出てきた。そう云う出会いが有っても、やがて融合して村を造り、
外来の知識で要塞型の集落が出来上がって行ったと言われている。やがて時代が下り、要塞の概念が生まれて徐々に村の位置は攻めるに難しい位置を選んで造られた。ヤマトタケルが九州のハヤト、クマソを征伐したというのも彼らが異民族だったのだろう。実際に九州の遺跡には日本人としてはなじめない文様の遺跡がある。
53.名無しさん:2018年10月27日 12:58 ID:SKaAILRw0▼このコメントに返信
米51

旧幕府軍が新政府軍の兵器のスペックを知らなかったからだろうな。
知ってても完全な対策できたとは思えんけど被害は減らせたかもって程度かな。

対策できてれば戦争の結末は変わらないだろうけど終わるのが遅くなったくらいの変化はあったかもね。
54.コロンブス:2018年10月27日 13:01 ID:7eRIzGeM0▼このコメントに返信
日本の城がみすぼらしいとか書いているが、近世城郭は美しいし機能的でもあると思っているけどね。
最近思うんだけど、日本人はネアンデルタール人?(だったかな)の血が混じっているという説が気になっている。
日本人の美的感覚が他の民族と違うのはどうしてかと考えると根源的な差がありそうに思えるからだ。
アニメのキャラは日本のものと西欧のものとは全然違う。
アジアにしても最近では日本的なデザインが浸透していってはいるが、結構違う。
日本の刀剣の美しさもそれを愛でる文化も他国にはない。
そういうユニークな美的感覚はあらゆる所に表れており、城の造形にも影響していると考えている。
一言で言って誇れるということです。
55.名無しさん:2018年10月27日 13:20 ID:FnEP30R80▼このコメントに返信
※19
大鎧から当世具足に至る間に、どんどん重装備化してるよ。それは徒歩での打物戦への対応でそうなってる。
大鎧は、基本馬の弓の撃ち合い用。
馬に乗ると、前後左右の草摺に太腿がすっぽり隠れちゃうんで、脛当しかつけない。弓が主兵装だから、それ用に篭手も片手だけ。
肩周りを厳重にしすぎると、弓が引けなくなるから空けてる。隙間に来る矢は肩の大袖で防ぐ。顔に来る矢はちょっと横向いて、兜の吹き返しで止める。
隙間は多いけど、二枚かさね札を更に重ねてるんで、20kg~30kgある。
あと誤解があるけど、ほとんど革札(ニカワで固めた牛革)で、主要部は鉄札を1枚置きとか交ぜる場合もある。
ちなみに価格は家1軒に相当とかなんとか。
56.名無しさん:2018年10月27日 13:29 ID:FnEP30R80▼このコメントに返信
*47
一応、鉄砲の時代は建物にも意味があった。櫓ってのは天気に関係なく撃てて、重層火力を発揮できるってのが利点になるから。
実戦を意識していた時代は、天守が本丸虎口に横矢をかける位置に建ってたるもする。天守って城内最大の重層トーチカだからね。

それが平和な時代になると、城下から一番見栄えの良い場所に天守を建てるんで、天守が二の丸に建ってたりする城もある。
57.名無しさん:2018年10月27日 13:36 ID:imT1zD7E0▼このコメントに返信
※53
旧幕軍が最後に五稜郭にこもったのは、防衛の要の開陽丸が座礁・沈没して新政府軍の上陸と海上からの砲撃になすすべがなくなったから
逆に開陽丸が健在の間はその強力な砲撃力で政府軍は北海道に上陸は不可能だった
新政府軍の装備の能力を知らなかったわけじゃない 援軍もないわけで、最後の意地を見せただけの事
58.名無しさん:2018年10月27日 14:09 ID:55QHjbtH0▼このコメントに返信
面白かった(こなみ)
59.名無しさん:2018年10月27日 14:17 ID:Gd9AHxAd0▼このコメントに返信
砲撃には土塁の方が強かったりするしなぁ
60.名無しさん:2018年10月27日 14:42 ID:Vc6aIrXK0▼このコメントに返信
>>64どの記録か忘れたが、戦国時代に欧州の船に砲撃してもらってもあまり効果がなかったという話もある。
これ島原の乱の事かな。一揆勢がこもる原城跡にオランダ船が砲撃を加えたが破壊効果が無いとして中止にしている
61.名無しさん:2018年10月27日 14:43 ID:uy8QhTnd0▼このコメントに返信
近所の山城跡なんかを散策していた時に感じた疑問。

巧妙に作られた空堀(からぼり)や堀切(ほりきり)、堅牢な曲輪(くるわ)と虎口(こぐち)、
攻城者を寄せ付けない土塁(どるい)・・・
だけど、史実を見ると「豊臣方の北関東連合軍に攻められて、一日で落城。全滅・・・」だったりする。
主力が出兵後、弱い守備部隊しか残っていなかったとは言え、お城弱すぎ。
62.名無しさん:2018年10月27日 15:08 ID:Xds2rePS0▼このコメントに返信
※60
多分、門司城の事だろう。

※61
弱い守備部隊といえば聞こえは良いが、北条が城に残したのは臨時招集した農民兵だし。
昨日まで水権等をめぐって殺し合ってた村々の連中を寄せ集めて城に籠らせてるんだから、そりゃあっけなく落城するよ。
そもそも自分らの土地ならともかく、内も外も周囲は全部敵なのに誰かの城なんぞ命がけで守る理由も無い。
63.名無しさん:2018年10月27日 15:19 ID:Xds2rePS0▼このコメントに返信
※51
石垣は急勾配で高く築くことが可能で、更にその上に多門櫓や天守など射撃用プラットフォームが置ける。
これにより敵の侵入を物理的に遮断した上で高所から一方的に銃撃できる。
花崗岩など硬い岩の産地である西日本では石垣は盛んに作られたが、良質な岩の少ない東日本では限定的に使われるのみ。
なので東日本では縄張りを巧妙化(堀底道の迷路化や十字砲火可能なキルゾーンの構築等)させる方向で発展した。
西日本(というか織豊・徳川系)は一直線の高石垣による遮断線に多門櫓などを建て、縦に並べた射列の一斉射撃による制圧を重視した。
64.名無しさん:2018年10月27日 15:48 ID:VHDW7FAH0▼このコメントに返信
30万騎を相手にした500騎楠木の千早城がそうだな
金剛山は山伏の通り道だから,後醍醐の隠密だよな
山伏はあの山々の全てを知っている
歩くGoogle先生
65.名無しさん:2018年10月27日 16:33 ID:gNL7ZQyk0▼このコメントに返信
南蛮由来の白兵武器って輸入されていたのかな
南蛮胴や南蛮兜、硝石、鉛の輸入とかは聞くけど、
ハルバートやレイピア、カトラスといった白兵武器の遺物はないのかな
66.名無しさん:2018年10月27日 16:57 ID:stS5Ufd80▼このコメントに返信
※3
古代チャイナの城を真似たのは平城京や平安京。 城としての機能は全然劣ってたけどね。(というか結局必要性がなかった)
それ以外の日本の山城は独自のものでしょ。中原は平地で日本と地形が全然違うから真似しようがない。長安よりずっと西のほうは山脈あるけどまだ中華じゃなかった。
67.名無しさん:2018年10月27日 17:26 ID:CnHIHswI0▼このコメントに返信
概ね納得できるんだけど、耐震までほんとに考慮してたのかな?とは思う
築城に熱心だったのは 地震より隣国の方が怖い時代でしょ
68.名無しさん:2018年10月27日 17:36 ID:5Q29.B1N0▼このコメントに返信
いや,南北朝のゴタゴタからでしょ
戦いは,日付と場所の談合をやらないといけないし
農家へは,農産物買い上げを数倍以上(遺体回収料)のお金が必要経費だし
金閣寺から銀閣寺が詫び錆びなんて言う総理官邸になったのは,銭が無くなったからだよ
結局,
国をおさめる為にお城が必要になったんだよ
信長も
69.名無しさん:2018年10月27日 18:00 ID:ObAQQ7N80▼このコメントに返信
コレ系にしては珍しく
見る価値のあるまとめだった
ナイスイッチ
70.名無しさん:2018年10月27日 18:18 ID:tO2m5oAu0▼このコメントに返信
※14
有名な所だと小田原や大坂がそれだね
71.名無しさん:2018年10月27日 18:18 ID:ooinLbo90▼このコメントに返信
ヨーロッパやチャイナの「市壁」というやつは、税源である住民を監禁するために発達した。
なおチャイナの場合、税源だけでなく食糧であるという説も……
72.名無しさん:2018年10月27日 19:04 ID:kKFAQFDq0▼このコメントに返信
※65
ハルバート←十文字槍や鍵槍でいい
レイピア←手突矢でいい
カトラス←鉈や小太刀で同じような事やってる
珍しい物好きな武将が個人購入した可能性はあるけど、コストが劇的に安いわけでもないのに似たような使い方できる武器が流通していてしかも製法とかが違ってくるようなのは広まらなかったんじゃないかな
73.名無しさん:2018年10月27日 19:52 ID:zoQragYm0▼このコメントに返信
あんま気候をからめて考えたことなかったから凄い納得したわ。
74.名無しさん:2018年10月27日 20:02 ID:Y.dGO3.c0▼このコメントに返信
室町~戦国は今よりだいぶ涼しかったんじゃねーの
75.名無しさん:2018年10月27日 20:05 ID:ooinLbo90▼このコメントに返信
※74
湿気は大して変わらなかっただろうから、夏の炎天下はキツかったはず。
76.名無しさん:2018年10月27日 20:25 ID:j2y26qVI0▼このコメントに返信
気候も考慮して考えたことなかったからホント納得。
77.名無しさん:2018年10月27日 20:39 ID:FnEP30R80▼このコメントに返信
※61
要の山中城は北条家から人が行ってるし、縄張りも相当厳重なんだが1日で陥落してる。
ただ、当時の記録を見ると、ココを抜くのが最初の山場だってんで、かなりの力押し(おそらくは飽和攻撃)してんじゃないかとも言われてる。
78.名無しさん:2018年10月27日 22:38 ID:Z7WlIBqZ0▼このコメントに返信
※72
さすがに十字槍とハルバードだとハルバードのが有用では?
斧やピックの部分による鎧貫通力は強力だし
レイピアに関してはそもそも戦争用の武器じゃないので除外

ただレイピアやハルバードにしても、使いこなすには熟練が要るとされたり、専用の剣術が必要だったりするから、武器だけ持ってきても仕方ない部分はあるだろうけど
79.名無しさん:2018年10月27日 23:16 ID:kKFAQFDq0▼このコメントに返信
十文槍も色々種類あるしなぁ
ものによってはルツェルンハンマーに近いからその下位互換のハルバードより有用だったりするぞ
80.名無しさん:2018年10月27日 23:32 ID:Wp0OsGW.0▼このコメントに返信
※77
一方で忍城や韮山城なんかは主要な進軍ルートから外れるからか、無理な力押しはされずに長期戦になってるよな。
81.名無しさん:2018年10月28日 00:40 ID:ZYDJXo3u0▼このコメントに返信
武士の登場あたりから江戸の終わりころまで、おおよそ日本は小氷期で今とは気温が違う。
記録によると大坂夏の陣の1ヶ月後(慶長二十年6月1日)には、江戸一帯に雪が降った事が記録されている。
これを太陽暦に換算すると1615年7月9日。 7月の関東に雪が降る、それが武士のいた時代。
82.名無しさん:2018年10月28日 01:05 ID:U9cLcxsp0▼このコメントに返信
※81
マジか
佐々成正やべぇな
83.名無しさん:2018年10月28日 02:07 ID:Jz0jDujD0▼このコメントに返信
※16
源義経のだね。八艘跳びの鎧。
腹巻(胴丸)に、弦走りの革張ったタイプ。
手軽でも弓の弦の滑りがいい。
弓が徒士に普及する時代と、武将も機動性や下馬戦をし始めた頃。
84.名無しさん:2018年10月28日 02:23 ID:Jz0jDujD0▼このコメントに返信
日本の城も、自治都市の堺や御土居の築かれた都も、城塞都市とは言えるね。
ヨーロッパや大陸みたいな。
もちろん、小田原以降の惣構えも。

住民は逃げて下さい型と、一緒に戦う型がある訳だよね。

民族は基本的に一緒だから、大陸みたいな皆殺しは無いよね。
85.名無しさん:2018年10月28日 07:41 ID:NngMcN6Q0▼このコメントに返信
八艘飛びは,
壇之浦の,潮目の流れに寄って全滅寸前に追い込んだ平家が,突然,潮目の変化で劣勢になり,
更に,義経が「漕ぎ手を射よ」と禁じてを命じる
それでも
平教経は大薙刀でバッサバッサと勇敢に攻め込んだが
平知盛が「増兵は規則に反するからやるな」と命じるから,薙刀の持ち手で攻め込み
義経の寸前まで攻め行った時に逃げた様子だよ
86.名無しさん:2018年10月28日 07:52 ID:NngMcN6Q0▼このコメントに返信
漕ぎ手(漁民)と,増兵(農民)は,守れ
なにがなんでも勝て
との違いだよ

しかし,これが,鎌倉幕府が始まった年号なんだけど.どう考えても史学者はおかしいだろう
普通は,陛下に任命された時が××内閣だぜ
普通に1192だろう
左翼史学者は天皇弱体化教育洗脳してるな

天皇を説明しないと,どうしようも無い,南北朝もスルー教育してさ,後醍醐帝を悪者にして

聖徳太子も抹消しようとしている
87.名無しさん:2018年10月28日 09:43 ID:4GsH8bib0▼このコメントに返信
>後醍醐帝を悪者にして

後醍醐天皇「交代即位を持明院統が破ろうとしている、幕府さん何とかしてください!」

数年後、後醍醐天皇「交代即位なんか知らん、口出しする幕府は皆殺しだ!」

悪者以前にサイコだろ
88.名無しさん:2018年10月28日 17:28 ID:oEIr5R4W0▼このコメントに返信
鎌倉幕府は,朝廷から徳政令が出され,国家破綻したんだよ
それを,
89.名無しさん:2018年10月28日 17:53 ID:oEIr5R4W0▼このコメントに返信
鎌倉幕府は,朝廷から徳政令が出され,国家破綻したんだよ
それを,領地を一旦,天皇下に戻す
守護の半分が北条家の不良債権処理・建武の中興を実施しようとした
しかし,改革には反対勢力がつきもの
天皇自身が親政を実施したのも,独裁者に映ったのだろう
別に権力を手にしょうとした訳でも無い
人材もいなかったからな


90.名無しさん:2018年10月28日 20:49 ID:9YnGvLSd0▼このコメントに返信
日本は盾がないというか盾を置くって発想になったからな
前に立花家史料館で置盾の実物が展示されたのを見たけど扉みたいな盾だった
91.名無しさん:2018年10月28日 23:00 ID:Jz0jDujD0▼このコメントに返信
置き盾は矢を防ぐもんな。厚いよね。
あれを運ぶ小荷駄は大変。
材木加工も手仕事だし。

お名前