2019年04月29日 09:05

【朗報】元寇の鎌倉武士、言うほどヤバくはなかった

【朗報】元寇の鎌倉武士、言うほどヤバくはなかった

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引用元:http://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1537524529/

1: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:08:49.75 ID:3HbREZZQ0
元寇時の鎌倉武士打線(最新の研究)

1(遊)モンゴル襲来の6年前に大陸にヤベーのがいるのを察知して情報収集してた
2(三)壱岐・対馬は見殺しにしたのは敵情を研究したのではなく単に対馬守護少弐氏への嫌がらせ
3(一)最初の蒙古襲来で人質を盾にしてたモンゴル軍に人質無視して射殺してた
4(指)博多を略奪したのではなく物資と人員と銅銭を徴発してただけ(太宰府天満宮に「徴発やめてよー」という願文と請願が残ってる)
5(右)蒙古襲来4年前に非御家人の動員の権限を幕府が接収、北九州に西国の武士を集中させてた
6(左)使者をぶっ殺した時に書状を見ずに殺したために三度目の使者の書状が和睦(休戦)の使者なのを知らなかった
7(中)二度目の南路軍来るのを半年前に察知して海賊が襲いまくって南路軍が博多に来たときはボッロボロだった
8(二)鷹島掃討戦で高麗人、モンゴル人は皆殺しにしたけど女と宋人は助命してそのまんま戦利品として6千人ほど御家人で山分けしてた
9(捕)実は元寇の後にに来た高麗と元の和平の使者を話を聞かず6回ほど博多で殺してる

6: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:10:28.26 ID:LPHBPFTXa
ムカついたら即斬首がデフォ

7: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:10:34.07 ID:L0FWz5njM
4番はそれを略奪というだけやろ

335: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:42:05.78 ID:eNXZKS0D0
>>7
略奪と臨時徴税一緒にしたらいかんでしょ

10: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:11:00.63 ID:IZYc0lNs0
4番ちょっと言い方変えただけで草

12: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:11:05.00 ID:QW0npHsya
海賊有能すぎひん?

20: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:12:54.30 ID:3HbREZZQ0
>>12
南路軍は鑑真ルートで12万のうち6万人は非戦闘員の移民船団やで

43: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:14:54.44 ID:m3/C5sQRa
>>12
ベトナム「やっぱゲリラ戦やな」

16: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:11:54.03 ID:0rZr96xV0
和平の使者やりたくなさすぎて草

18: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:12:21.57 ID:P9Bwnt0O0
源平合戦から百年経ってるのになんでそんなすぐ戦闘モードなれるんや

24: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:13:06.05 ID:P+EAZd4F0
>>18
野盗野盗&野盗
油断したら死ぬ世界のままやでまだ

36: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:14:07.19 ID:Mhq5LaPQ0
>>24
治安の悪さが役に立つってのもなんだかな

49: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:15:45.20 ID:nUfnvn/c0
いうて大陸への備えは奈良平安からずっとやっとるわけやし「突然来たぁ!」みたいな雰囲気ではないわな

59: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:17:06.69 ID:3HbREZZQ0
>>49
因みに
二度目のあとこっちから攻めようと
軍船と兵隊準備してたで

385: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:45:34.82 ID:EZbtbCO40
>>59
なんで攻めへんかったん?

390: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:46:15.88 ID:3HbREZZQ0
>>385
みんなで必死に止めた
それでも準備してたら34歳の若さで時宗さん病没

50: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:15:58.08 ID:DLthnTAA0
元々陸戦特化の遊牧民族やからな
海戦が絡む侵略戦争はだいたい負けてる

56: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:16:50.31 ID:P+EAZd4F0
>>50
なんでヨーロッパ特化しなかったんやろうなあ
アジアに本拠置く必要性あったんかな

86: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:19:36.66 ID:N4K9q6/ad
>>56
この時期のヨーロッパは森だらけでろくに耕作に使える土地もない上に山賊もアホみたいに居って通路としても使えんかったからやで

51: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:16:05.47 ID:JTfQ3Wn70
それまで穏やかな表情だった仏像が鎌倉時代になった途端に金剛力士像になるの草しか生えない

58: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:17:03.18 ID:NOU+LkWw0
こんなんチートなだけで蛮族やんけ

61: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:17:15.78 ID:FoLmViXIp
俺のご先祖様はどうしてたんやろ
どうせ農民で震えて眠っていた感じだと思うが

65: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:17:47.34 ID:3HbREZZQ0
>>61
農民も農民でヤベーのがだらけやぞ

70: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:18:12.09 ID:m3/C5sQRa
>>61
農民(兼山賊)

71: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:18:18.12 ID:rgbhXGEM0
昨日のヒストリアは結論が
煮詰めたウン○を船に投げ入れる鎌倉武士に蒙古がドン引きして帰った
ってことになってたわ

185: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:29:07.28 ID:KL8QWMrM0
>>71
煮詰める係りは誰がやらされたんやろ

301: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:39:08.10 ID:uexcR1+80
>>71
臭いはすごそうやけど病原菌は少なくなってそう
適度な温度にしたら逆にえらい繁殖するもんなんか?

444: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:50:13.76 ID:zfNFUJK6d
>>301
高温にしたら菌は死滅するからな

74: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:18:38.15 ID:TUx4FyQ8p
日本の治安まともにしたのは誰なんや?秀吉?

92: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:20:02.50 ID:wDdONoX9d
>>74
秀吉から江戸初期~中期の流れやな
評判悪い綱吉とかも最近人道派として見直されていなくもない

100: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:20:52.05 ID:JTfQ3Wn70
>>74
秀吉やろな
刀狩りはでかいわ

76: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:18:45.45 ID:pJWF6mC+p
日本とかいう海に守られた国

78: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:18:58.14 ID:FtxLuzEQ0
よーわからんけど大陸の人やから海戦が苦手なんかな

107: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:21:44.26 ID:BtJPKAgv0
いうても危機感あったの九州の武士だけだろ
他の地域は情報もこないだろうし

111: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:22:24.18 ID:P5RMrXXU0
一番が「言うほど○○ない」要素を全て担ってる

126: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:23:31.31 ID:HGSUOEng0
江戸時代「戦国時代の武士は頭おかしい」 
戦国時代「室町時代の武士は頭おかしい」
室町時代「鎌倉時代の武士は頭おかしい」
鎌倉時代「最近の武士は頭おかしい」

165: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:26:48.51 ID:yJelUr3D0
>>126
日本の歴史ってもしかして江戸時代が奇跡的に平和の期間長かったんか?それ以外争いしかしてないやんけ

181: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:28:40.50 ID:clgCqtI00
>>165
江戸まで実質的に治めてる人間がバラバラやったからな

188: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:29:14.54 ID:TwcJtcAZ0
>>165
律令国家が終わってヤクザが自分の土地もちだしてからはそらもう
織田豊臣徳川で武士を土地から引っ剥がしたのはめちゃくちゃ偉業

190: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:29:18.17 ID:YIgpXbET0
>>165
鎌倉、室町の安定期と言われてる時代でさえ地方はしょっちゅう戦起きとるし
下手すりゃ鎌倉、京都でも戦闘が起きるからな

128: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:23:34.96 ID:D+eHDz1xa
察知してたの有能やな

226: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:32:21.86 ID:1BsY4jzC0
元寇で博多辺りにそのまま居着いたモンゴル人とかおらんの

244: 風吹けば名無し 2018/09/21(金) 19:34:06.95 ID:YIgpXbET0
>>226
捕虜のモンゴル人、高麗人は皆殺しで旧南宋人は助命して奴隷にしたで

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2019年04月29日 09:15 ID:kxADV6Wk0▼このコメントに返信
武士が大人しくなったのは応仁の乱で京都から逃げた貴族が
武士に教養をもたらしたのも大きいかな
それまで蛮族だったので
2.名無しさん:2019年04月29日 09:18 ID:7qJ.w2.o0▼このコメントに返信
2番と3番と4番と6番と9番も相当ヤバイだろww
3.名無しさん:2019年04月29日 09:19 ID:S3Q0ik4x0▼このコメントに返信
農民(兼山賊)は東西問わずだからなぁ・・・w
江戸時代の安定も秀吉の刀狩りが基礎にあるのは記事の通りで
更に江戸初期の戦国時代の気風からの転換を綱吉辺りからコツコツと積み重ねて来た結果ですな
平安時代とかは字面に騙されがちだが末期は羅生門状態だしね・・・
4.名無しさん:2019年04月29日 09:21 ID:aODEUSmO0▼このコメントに返信
下位打線の重量感ヤバすぎでしょ
5.名無しさん:2019年04月29日 09:23 ID:etebGkDO0▼このコメントに返信
1274年の当時者でもないのに後からゴタゴタ言うな
6.名無しさん:2019年04月29日 09:23 ID:.LMbllfN0▼このコメントに返信
こんなん和平の使者に任命されるのって実質死刑やんけ
7.名無しさん:2019年04月29日 09:25 ID:4OkGbSAl0▼このコメントに返信
十分蛮族だよなぁ・・・
8.名無しさん:2019年04月29日 09:25 ID:0PgSYaQl0▼このコメントに返信
うちの氏神さんとこに奉納用やけど重文の刀置いてるけど
千年位前のやけど、あんなんで切られたらマジ死ぬて。
9.名無しさん:2019年04月29日 09:30 ID:Q99kJE280▼このコメントに返信
蒙古に征服・蹂躙されとったら どんな未来になってたんかなぁ
歴史的にどんな可能性があったんやろか
「もしも・だったら・今頃は」的な番組作ってくれんかなぁ
例えば 戦国鍋TVみたいな感じで
第1話 蒙古の属国になっちゃった
第2話 日露戦争でボロ負けしちゃった
第3話 竜馬の暗殺失敗しちゃった
とか シリーズでおねしゃす



10.名無しさん:2019年04月29日 09:31 ID:eEbHH.vu0▼このコメントに返信
さすがに東胡の国は伊達じゃないなあ
幕末も意味不明なほど京都で殺しあっているし・・
やっぱ戦後かな・・・日本人の牙が抜かれたのは
11.名無しさん:2019年04月29日 09:31 ID:zRhvf.xB0▼このコメントに返信
治安の悪さが役に立つって、アメリカとかソマリアとか見たら納得。
12.名無しさん:2019年04月29日 09:32 ID:5yBUaZda0▼このコメントに返信
※8
千年も前の物が残っているってすごい
13.名無しさん:2019年04月29日 09:33 ID:7qJ.w2.o0▼このコメントに返信
もし全盛期の近代モンゴル海軍が元軍についてきてたら日本も征服されてたかな?
14.名無しさん:2019年04月29日 09:33 ID:UeM0xyTa0▼このコメントに返信
>日本の治安まともにしたのは誰なんや?秀吉?

>秀吉から江戸初期~中期の流れやな

幕府が開かれて100年後の赤穂浪士の討ち入りの時点で、浅野内匠頭が吉良に馬鹿にされて斬りかかったのは当然ってのが社会的な空気だったんだろ。
これで赤穂浪士がきっちり裁かれたことで法治がまともに行われる前例が出来たってところか?
15.名無しさん:2019年04月29日 09:34 ID:eEbHH.vu0▼このコメントに返信
ソマリアもシリアも米軍逃げしたもんな・・
シリアは結局プーチン閣下がシリア軍を再編して再統一だっけ?
ソマリアはいまどうなっているのやら
16.名無しさん:2019年04月29日 09:34 ID:S3Q0ik4x0▼このコメントに返信
※7
むしろ山賊とか蛮族から「オラの土地」を守るために農民の中から生まれたのが武士だから
その「オラの土地を奪いに来る連中など全て滅びろ、慈悲?あるわけねーだろ」なので一切の容赦がなくなるという・・・w
17.名無しさん:2019年04月29日 09:35 ID:aylvPbtx0▼このコメントに返信
源平合戦なんて無いけどね
源氏と平家は特に敵対関係ではない
どっちの側にも源氏も平家もいたし藤原も多く混じってる
いまだに「源平」でくくるのが歴史観古くてかなわない
18.名無しさん:2019年04月29日 09:36 ID:eEbHH.vu0▼このコメントに返信
※16
頼朝なんか、現地の関東武士が京都に税金払いたくないと担ぎ出しただけだもんなあ・・

19.名無しさん:2019年04月29日 09:42 ID:69HuXXJW0▼このコメントに返信
>腐乱した牛馬を船内に投げ込む 
>煮たてた糞尿を船内に投げ込む

絶対絶対 やられたくなぁ~い
20.名無しさん:2019年04月29日 09:47 ID:8mLfcNbQ0▼このコメントに返信
「むくり」「こくり」の鬼が来る
21.名無しさん:2019年04月29日 09:50 ID:zRhvf.xB0▼このコメントに返信
※19
>>19

やる側に回るのも御免なさいだな。

腐乱した牛馬を担ぐのも、煮たてた糞尿を柄杓?で撒くのも。絶対にイヤー!
22.名無しさん:2019年04月29日 09:51 ID:6zQV6T9V0▼このコメントに返信
高麗人モンゴル人37564ってわかってるなw
23.名無しさん:2019年04月29日 09:52 ID:25eV.86E0▼このコメントに返信
史学が学問として確立されてないからか
こういう素人の妄想を研究とかいうのほんと流行してんな
24.名無しさん:2019年04月29日 09:53 ID:ludG9SnW0▼このコメントに返信
>>92
「生類(人間含む)憐みの令」だからね。
25.名無しさん:2019年04月29日 09:53 ID:S3Q0ik4x0▼このコメントに返信
※14
本来の当時の法基準で言うと赤穂浪士の切腹という最後の沙汰は温情なんだけどねw
後浅野は完全にアウト、法的にも武士道的にもw

法:殿中で刀抜いた時点でアウト
武士道:よぼよぼの爺様一人すら不意打ちで斬れない上、その場で腹も切れずに取り押さえられるとかねーわ
という意味でね
26.名無しさん:2019年04月29日 09:53 ID:QBYefl2z0▼このコメントに返信
>>11
現代日本も多少治安が悪い方が国としては良くなるのかもね
なんか経済が悪化してるのに治安は良くなるっておかしくない?今はなんかもう戦う気力すらないって感じだし
27.名無しさん:2019年04月29日 09:54 ID:eHjpniFZ0▼このコメントに返信
宋人なりすましもいたのでは?
28.名無しさん:2019年04月29日 09:55 ID:ZOTrTGMy0▼このコメントに返信
※16
山賊が来るんじゃない、「隣人」とか「兄弟親戚」とか顔見知りが土地取りに来るんだよ、、、

平安時代末は子供で分割相続が普通だったけど、領地が小さくなると防衛力も弱くなるわけで
鎌倉時代には身を守るために本家にすべてを集中させる形で相続するようになったのよ、、、
ソレに伴い分家はみんな廃止(というか本家の下)になったわけだけど
それはまぁ「力」で統合されてったわけで、平和つってもTOP巡って日常殴り合いしてたとしか言いようが、、、

室町将軍は、その本家頭領の取り合いに介入することで支配してたわけで
ただ失敗すると嘉吉の変とか応仁の乱とかどーしようもない戦が起きたわけで、まぁ、、、
29.名無しさん:2019年04月29日 09:55 ID:Vx8cVHuz0▼このコメントに返信
4番がアホくさくて草
実体をみれない秀才肌か
30.名無しさん:2019年04月29日 09:56 ID:S3Q0ik4x0▼このコメントに返信
※22
まあ農民から生まれた日本の武士からすりゃ騎馬民族のモンゴル人とか不倶戴天の敵だしな・・・w
高麗人はそりゃあいつ等がモンゴルそそのかしたのが原因の一つだし自業自得だわw
31.名無しさん:2019年04月29日 09:58 ID:ZeicE3CI0▼このコメントに返信
和睦の使者って実質死刑やったんか。。。
32.名無しさん:2019年04月29日 10:00 ID:S3Q0ik4x0▼このコメントに返信
※28
農民(兼山賊)ですからね・・・w
尚その後も水争い他が原因の集落単位、個人単位での殺し合いは割とよくある話の模様w
33.名無しさん:2019年04月29日 10:00 ID:lHM76.6G0▼このコメントに返信
マルコ・ポーロ松「あそこには金が潤沢で良い場所やで」
34.名無しさん:2019年04月29日 10:01 ID:Iynza4HI0▼このコメントに返信
高麗人皆殺しとかいう名采配
35.名無しさん:2019年04月29日 10:08 ID:Q9onCFiB0▼このコメントに返信
3段階に分けて日本人は変わった

北条泰時が御成敗式目で本音と建て前を教えた 大義名分なく人を殺したり土地を奪うの禁止
徳川綱吉が文治政治で学問で出世できることを教えた 人を殺さなくても出世できる
GHQが武器を根こそぎ奪い日本人の心を折って教育により凶暴性を取り除いだ
36.名無しさん:2019年04月29日 10:09 ID:Jtfc5mg00▼このコメントに返信
なわけないw
37.名無しさん:2019年04月29日 10:09 ID:miWHUkJF0▼このコメントに返信
落ち着いて考えると日本って国民皆兵の軍事国家だった期間の方が長いのか?
38.名無しさん:2019年04月29日 10:14 ID:zejp0wVL0▼このコメントに返信
上杉謙信の話で、最近の武士は、妖怪変化を斬らないと退治できない、そこいくと、平安時代は弓の弦音でびびって逃げたという話があるので、武勇でいうと平安時代の武士がかなりおかしい模様。
39.名無しさん:2019年04月29日 10:16 ID:S3Q0ik4x0▼このコメントに返信
※38
平安武士はそれこそ山サイズの百足狩ったりするモンハン世界の住人だからな・・・w
40.名無しさん:2019年04月29日 10:17 ID:Qe58SIVe0▼このコメントに返信
宋人は殺さなかったのは知ってたけど、奴隷にしたのかw
開放はしなかったのね。そりゃそうだな
41.名無しさん:2019年04月29日 10:20 ID:MuAm8BQs0▼このコメントに返信
関係ないが、イブンバットゥータやマルコポーロには日本に来てほしかった

あと博多あたりの都市を略奪するのは拠点や補給させないための普通の作戦だろうね
そこで一呼吸できないだけで、日本側は圧倒的に有利に戦える
42.名無しさん:2019年04月29日 10:23 ID:MuAm8BQs0▼このコメントに返信
もし京都を強襲とかあったら京の町もそうしたかもしれない
そうしないために大軍を配置してたってことなんだろうけど
43.名無しさん:2019年04月29日 10:23 ID:eHjpniFZ0▼このコメントに返信
そのころの奴隷の扱いはどんなもんだろう?
多少技術を持つ者は、多少は優遇されたのでは
44.名無しさん:2019年04月29日 10:25 ID:aP3oW2020▼このコメントに返信
切り取った御印を持ち歩いていたレベルだ 普通に生活していてもバンバン死ぬ時代 今の感覚では分からない とにかく命を取るところに躊躇はなかった時代 
45.名無しさん:2019年04月29日 10:25 ID:LF7Fvibc0▼このコメントに返信
>>5
なんJ民は韓国人。
蒙古の子孫だからあれこれ文句を言いたいんだろ。
46.名無しさん:2019年04月29日 10:25 ID:F4qCr6gz0▼このコメントに返信
朝鮮モンゴルは皆殺しで宋は助けたって日ごろの行いって大事だなと思ったわ
47.名無しさん:2019年04月29日 10:35 ID:LDD9C7KA0▼このコメントに返信
>>7
ま攻めて来た方も蛮族ですし
48.名無しさん:2019年04月29日 10:36 ID:u4ABZ0hD0▼このコメントに返信
※43
奴隷が制度として定まってたわけじゃないから待遇には天地の開きがあったと思う
49.名無しさん:2019年04月29日 10:36 ID:O2T8rUTe0▼このコメントに返信
>和平の使者を話を聞かず6回ほど博多で殺してる

1番目の人「お任せ下さい!かならずや和平を実現してみます!」
2番目の人「一番目の人は失礼な事でも言ったのかな?俺なら上手くやれるね」
3番目の人「…なんか変じゃない?でも俺で和平成立させよう」
4番目の人「…あ」
5番目の人「絶対に行きたくない!あいつらやべぇって!」
6番目の人 諦めの境地
50.名無しさん:2019年04月29日 10:39 ID:GjSrnegn0▼このコメントに返信
※40
清盛の日宋貿易以来、日本は宋とつながりがあったし、平家に焼かれた東大寺の復興や鎌倉の寺だの船だのを作る際に宋人の力を借りるなど、技術指導者的な人たちは来ていた(記録に残っている)。何らかの技能があれば、「ぜひうちに」的な武家・公家・寺社はフツーにあったので?
51.名無しさん:2019年04月29日 10:39 ID:LDD9C7KA0▼このコメントに返信
>>25
荻生徂徠曰く
武士の情けだもんな
52.名無しさん:2019年04月29日 10:49 ID:DrwMPh.E0▼このコメントに返信
※46
高麗側としては日本との関係を悪化させたい意図はないぞ。
渤海が滅んでからは高麗は北方の契丹と女真族と立て続けに戦争中で、日本と敵対する余裕なんかない。
日本と敵対して余計な敵を増やしたくないから、刀伊の入寇でも日本人を救出して、丁重にもてなして返してる。

ただ、日本側が新羅と敵対関係で、新羅の海賊にたびたび被害を受けてて、
新羅が内戦で滅んで高麗が建国されても、国号を変えただけで
新羅と同じものと見て敵対視が続いたって経緯がある。

53.名無しさん:2019年04月29日 10:52 ID:y4ilzUJQ0▼このコメントに返信
鎌倉武士VSヴァイキングが見たいわ
54.名無しさん:2019年04月29日 10:55 ID:ACuHLjec0▼このコメントに返信
人類絶滅しなかったのが不思議に思えるぐらい過酷な世界
55.名無しさん:2019年04月29日 11:05 ID:vrWvLQSx0▼このコメントに返信
※29
4番は、略奪=焼き払う&乱暴狼藉って認識の人が、焼き払ってないんだから略奪もされてないって言いはった結果
56.名無しさん:2019年04月29日 11:09 ID:DrwMPh.E0▼このコメントに返信
※53
時代によるけど
8~10世紀:まだ個人警護員れべるの武士 vs バイキング全盛期
12世紀:源平合戦、武士の時代の幕開け vs バイキング衰退期
57.名無しさん:2019年04月29日 11:11 ID:F4qCr6gz0▼このコメントに返信
※52
それも含めてよ
南宋は離れてるから悪さされないし離れてる分やってくる人らはまともだし

※53
鎌倉防衛なら武士勝ち
スカンディナヴィア半島防衛ならヴァイキング勝ち
58.名無しさん:2019年04月29日 11:12 ID:Xhoxq6VH0▼このコメントに返信
何!?さっきの奴は和平の使者じゃったと?
戦やめたければ来んかったらええだけやないかい!
59.名無しさん:2019年04月29日 11:13 ID:KyG8jXlo0▼このコメントに返信
>>1
武士が大人しくなったのは江戸時代。儒学などというヘタレ思想に洗脳されたから。
60.名無しさん:2019年04月29日 11:17 ID:8mLfcNbQ0▼このコメントに返信
※37
税を肉体労働・お金・生産物などで払っていたので、兵役義務は税の一種。兵役という言葉は、役務(≒サービス)という意味から来てる。防人なんかもそうだよね。武器も路銀も自腹。兵役期間が終わった後は、出身地に帰る途上で路銀が尽きて飢えたものが多数いた。
61.名無しさん:2019年04月29日 11:17 ID:Xhoxq6VH0▼このコメントに返信
>>13
アメリカズカップでスイスチームが優勝したみたいな話やな
62.名無しさん:2019年04月29日 11:18 ID:IQCYiS7n0▼このコメントに返信
ご先祖様つええw
63.名無しさん:2019年04月29日 11:19 ID:bwOM2b330▼このコメントに返信
昔は戦争中に来る使者をサクサクするなんて日本に限った事でもないし
6回もって事はそれだけ休戦の条件がふざけてたって事だろ
64.名無しさん:2019年04月29日 11:31 ID:sJWu3Dz50▼このコメントに返信
9番が一番あかんてwwww
もうやめてクレメンス状態じゃねえかww
65.名無しさん:2019年04月29日 11:33 ID:64O5s0q20▼このコメントに返信
戦国時代前までは普通に肉食もしてたから、ガタイも今くらい良かったんだろ?
農民まで常在戦場で、刀も出来いいし、パワーもスタミナもケタ違い。
66.名無しさん:2019年04月29日 11:34 ID:pE1po2CS0▼このコメントに返信
>>47
全世界蛮族の大蛮族時代だぞ
67.名無しさん:2019年04月29日 11:36 ID:neGYN24.0▼このコメントに返信
※28
俺が習ったのは武家は男も女も分割相続受けられて所領細分化、加えて自給自足が困難になる貨幣経済の浸透で困窮する御家人が出てくるのが鎌倉時代なのだが
ちなみに20年ほど前
68.名無しさん:2019年04月29日 11:38 ID:7DjMjiWG0▼このコメントに返信
その当時って、どれだけ言葉の意思疎通ができていたのかな?日本国内だけでも方言だらけで、何を言っているか判らないのにねw元寇の和睦の使者が死者になってるから、訳分からなったんじゃないwwww
69.名無しさん:2019年04月29日 11:40 ID:pE1po2CS0▼このコメントに返信
>>19
正直腐乱した牛馬はともかく煮立てた糞尿は嘘臭いがな。
匂いも細菌も無くなってほぼ別もんだろ。投げ込まれた方もなんだコレ?ってかんじでドン引きもなにもない。
70.名無しさん:2019年04月29日 11:41 ID:AoPNlO9L0▼このコメントに返信
3番はテロリスト相手の態度としては当然だな
71.名無しさん:2019年04月29日 11:58 ID:tvY7oM8f0▼このコメントに返信
ここのまとめサイトは反日
72.名無しさん:2019年04月29日 11:59 ID:xelgm2130▼このコメントに返信
>>13
近代モンゴル海軍って湖のみの名ばかりの奴よな?
73.名無しさん:2019年04月29日 12:04 ID:B8XD.ePj0▼このコメントに返信
※16
そうそう、律令制度が崩れ、力ある者は勝手に自分達の農地を広げ始めた。
それを一族郎党で守ることで武装集団が生まれた。これが元々の武士。
「一所懸命」っていう言葉があるだろ、これは自分達の土地に命を懸けるって意味なんだよ。
今言う「一生懸命」とは別。
その頃は、要するに農民=武士だったんだよ。
互いに領地の奪い合いがあった訳だ。
それが戦国末期まで続いて徳川家康が全国平定してそれが終わった。
そして士農工商と身分が分かれたんだね。
因みに我が家は平安末期にこの地を攻め登って、土着したと言われている。
元々は源氏配下の武士でその後は農民となって今に至っていると言われているんだよ。
由緒正しき百姓なんだよ。
74.名無しさん:2019年04月29日 12:07 ID:KyG8jXlo0▼このコメントに返信
>>11
武家封建社会に対して今日の感覚で治安が悪いとか、何言ってんの?
75.名無しさん:2019年04月29日 12:08 ID:KyG8jXlo0▼このコメントに返信
>>13
ありがとう、勉強になった。
76.名無しさん:2019年04月29日 12:09 ID:OlYrK8rw0▼このコメントに返信
農民、次男以降は土地引き継げないからいっちょ合戦に出るかぁってノリ
あと各地域の町に道場あるのもその辺の名残
77.名無しさん:2019年04月29日 12:16 ID:mcZDhEmk0▼このコメントに返信
高校の先生が「元冦は高麗人が船をワザとボロに作ってくれたおかげで勝てた。」と言っていた。
78.名無しさん:2019年04月29日 12:17 ID:ZLGfmXu70▼このコメントに返信
>この時期のヨーロッパは森だらけでろくに耕作に使える土地もない上に山賊もアホみたいに居って通路としても使えんかったからやで
同時期の日本も山と森林だらけで山賊よりヤバいのがアホみたいに居たのに気付かず侵略しちゃったのかw
79.:2019年04月29日 12:18 ID:dA7TAjJE0▼このコメントに返信
このコメントは削除されました。
80.名無しさん:2019年04月29日 12:19 ID:RpjOEjcP0▼このコメントに返信
※77
最近の元寇沈没船の海底調査で船自体はしっかりしてたって結論出してたで
81.名無しさん:2019年04月29日 12:20 ID:VdwynhPx0▼このコメントに返信
>>9
仮定に仮定を積み重ねた歴史は荒唐無稽になるだけだよ。
82.名無しさん:2019年04月29日 12:22 ID:KyG8jXlo0▼このコメントに返信
>>52
日本文化の基底は宋文化。それを元朝が台無しにした。高麗文化も高度だったけど、李朝が自分で廃絶した。

それが残っているのは日本だけ。
83.名無しさん:2019年04月29日 12:26 ID:RpjOEjcP0▼このコメントに返信
※78
各方面軍がそれぞれの侵攻方向へ攻め込んでたけど
本国でチンギス・ハーンの直系の子供が全部が死んだもんで
次期ハーン争いをするために指導者層が一気に引き上げて侵攻が止まったんやで
欧州の2万の連合軍を一方的にボコってたけど上記のことが起きたから本国へ帰還した
84.名無しさん:2019年04月29日 12:32 ID:SRENg3390▼このコメントに返信
元寇の後の倭寇の話も聞きたいわ
倭寇自体は日本人のみならず多国籍集団だった事とか台湾の神様・鄭成功のお父さんも居た事とかね
85.名無しさん:2019年04月29日 12:33 ID:udsVaaIV0▼このコメントに返信
>>33
あと

宋商人「博多は宋と貿易ガンガンやってたから富がウハウハっすよ」
86.名無しさん:2019年04月29日 12:37 ID:oZ7cYN6J0▼このコメントに返信
>>69
臭わせるのが目的じゃね?
87.名無しさん:2019年04月29日 12:41 ID:udsVaaIV0▼このコメントに返信
>>50
博多にいた謝国明が日宋貿易で博多から日本に多大な影響を及ぼしてたね
88.名無しさん:2019年04月29日 12:43 ID:HO4jtS0m0▼このコメントに返信
>>6
使者「いやですぅ…」
フビライ「族滅」

この文明国w
89.名無しさん:2019年04月29日 12:43 ID:QaQ.igw30▼このコメントに返信
※35
最後の3段階目、結果として日本人は駄目になったわけだ。まあそうなるように仕向けてるんだから当然だが。
牙は必要だってはっきりわかんだね。
90.名無しさん:2019年04月29日 12:44 ID:zyyC9YfV0▼このコメントに返信
9番とか話通じなさ過ぎて
やっぱり蛮族だは
91.名無しさん:2019年04月29日 12:46 ID:x67IOIuV0▼このコメントに返信
2、6、9の畜生っぷりが際立ってるようなw
信長とかが出てくるまで農民といえども基本足軽と兼業みたいなもんだったろうから男はだいたい戦争覚悟してるみたいな時代だったろうしなぁ
92.名無しさん:2019年04月29日 12:46 ID:QaQ.igw30▼このコメントに返信
※39
それだけでなく頼光四天王とかの時点でもう比較にならんだろw
そりゃ妖怪だって弓弦の音だけですくみ上がるわw
93.名無しさん:2019年04月29日 12:46 ID:24j8CC.10▼このコメントに返信
以前テレ東の「新説日本ミステリー」って番組が、日本を攻めようって言い出したのは高麗の王様だから、これは元寇じゃなくて朝鮮の侵略だって放送したら、その番組すぐ終わっちゃったんだよな。
言論の自由を守らないマスコミ界隈。
94.名無しさん:2019年04月29日 12:48 ID:kYLtQ.gx0▼このコメントに返信
元ネタが、2018/09/21(金) って。
95.名無しさん:2019年04月29日 12:48 ID:V.F1QNSF0▼このコメントに返信
>>69
粘性が高いから、かけられると流れ落ちずに大火傷する。
96.名無しさん:2019年04月29日 12:53 ID:VQDf7DfI0▼このコメントに返信
利休ががんばってわびさびとかお茶碗とか広めたから武士にも教養が備わった
97.名無しさん:2019年04月29日 12:54 ID:7Svb4Raa0▼このコメントに返信
心意気だぜ!
98.名無しさん:2019年04月29日 12:57 ID:lro25.iZ0▼このコメントに返信
今川了俊さんが、九州を制圧していった時に、施設を作って連歌とかの中央の文化を広めて流行らせていったんだぞ。

島津除いて。
99.名無しさん:2019年04月29日 13:01 ID:FfZpjyks0▼このコメントに返信
沖の蒙古の船を小船で夜襲が一番ヤバイ
海上で音が通らないから朝気付いたら隣の何隻かの船が全滅してるんだぞ?
100.名無しさん:2019年04月29日 13:03 ID:qT96pY2H0▼このコメントに返信
結局この打線コピペってアップデート前のも含めて史料どころか提唱してる研究者や論文のソースすらほとんど不明なんだよなあ
日本軍が普通に勝ったってことは間違いないけど細かい部分について根拠不明のエピソードがここ数年で急速に既成事実化してて一昔前の日本軍ボロ負け説を笑えない状態になってるわ
101.名無しさん:2019年04月29日 13:17 ID:P0JVUCZQ0▼このコメントに返信
>三度目の使者の書状が和睦(休戦)の使者なのを知らなかった

知らないわけがないというか知ってても知らなくても生きて返さなかったよ。
元(というか高麗)の狙いは和睦じゃなく使者を使った敵陣と勢力の視察だから。
だいいち、現代のお花畑日本人と違って当時の日本人が元と高麗が和睦の約束を守るなんて信じると思う?
元の情報も高麗の情報も当時は渤海を通じて幕府側は把握済みだよ。
102.名無しさん:2019年04月29日 13:30 ID:DrwMPh.E0▼このコメントに返信
※101
渤海滅亡:926年
元建国:1271年

どこで何を把握したんや
103.名無しさん:2019年04月29日 13:52 ID:m6S5T4Vc0▼このコメントに返信
※35
日本人の本質なんざおいそれと変わるもんかい。
徳川の太平の世が300年ほど続いて武士道は戦国よりマイルドになったが幕末の動乱はあるし富国強兵だって起きる。
大正ロマンのなよっとしたモダンボーイの世代が第二次大戦では打ちてし止まんなわけだ。
日本人の心なんざ全く折れちゃいないぞ。基本的に日本人は日本人。なんも変わりゃしない。闘争心の塊だと思うぞ。
そうでなくてどうして世界に工業製品を輸出出来るよ。
敗戦国で元悪の枢軸の首魁だったのだから商売するでも完全アウェイだわな。
104.名無しさん:2019年04月29日 14:01 ID:m6S5T4Vc0▼このコメントに返信
※96
どんなに強い大名でも教養がないと治世は難しいし、天皇やら貴族やらに相手にされず上洛しても意味が無くなる。
教養のない武家なんてあってたまるかい。
105.名無しさん:2019年04月29日 14:11 ID:cZqSBBlq0▼このコメントに返信
4番さんの表現をマイルドにしただけやろーがw
106.名無しさん:2019年04月29日 14:11 ID:vrWvLQSx0▼このコメントに返信
※100
ソース元とだいたい同じなのは1・3・5・7・9だな
ちょっとカスってるのは6
107.名無しさん:2019年04月29日 14:13 ID:vrWvLQSx0▼このコメントに返信
※106
7じゃなくて8だった
108.名無しさん:2019年04月29日 14:19 ID:rIP8o1Yx0▼このコメントに返信
御成敗式目の所々幼稚園かい!感すこ
109.名無しさん:2019年04月29日 14:27 ID:9U4fbbhD0▼このコメントに返信
日本攻めようと元の皇帝唆して、元寇…、二度日本攻めて負けたから、日本に和平の使者を高麗が出したところで、信用できん、斬るって選択は正しいと思う。見習おう、古人の優れた行いを。
110.名無しさん:2019年04月29日 14:29 ID:Ac7CzLvZ0▼このコメントに返信
※52
高麗は宋が滅んで元朝になってから、何度も妃を娶ってて殆どモンゴル化してたろ。
つーか元に逆らって征伐されて民族浄化もされてるしな。
高麗は高麗で建国から周辺の情勢に合わせて変化しまくりだったよ。
白頭山の噴火記録を克明に記録する教養人も居なかったようだしな。
111.名無しさん:2019年04月29日 14:36 ID:250j.UKM0▼このコメントに返信
教えて欲しいけど
女は助けたって モンゴルはモンゴル人の女を舟に乗せてきたの?
対馬で攫った女の子とを言っているのなら自国民を助けただけのことじゃないのか?
教えて詳しい人
112.名無しさん:2019年04月29日 14:41 ID:Ac7CzLvZ0▼このコメントに返信
※111
植民しようとしてたみたいね。
牛、豚、鶏とかも乗っけてたみたい。
植民船団も引き連れてたんだよ、舐めてるよねw
113.名無しさん:2019年04月29日 14:42 ID:Er13hif40▼このコメントに返信
どうせネタ元は最近書かれた小説か漫画なんだろ?
それともなんか研究家の書いたレポートでも発表されてんのか?
114.名無しさん:2019年04月29日 14:44 ID:iMi5hDdz0▼このコメントに返信
※113
今は旧来の史料を軽視した歴史研究がどんどん覆されてる時代なんですよ。
115.名無しさん:2019年04月29日 14:45 ID:m6S5T4Vc0▼このコメントに返信
※113
ヒント、(最新の研究) 。そのくらい自分で調べよう。
116.名無しさん:2019年04月29日 14:46 ID:Ac7CzLvZ0▼このコメントに返信
※113
人気のある研究課題だし、文献も広く残ってる。
大宰府天満宮の記録もあるだろうし、鎌倉期の記録は意外と多い。
あと元史研究で大陸側の研究もあるし、古い写本は日本にあったりする。
大陸は戦乱で焼けるし、文革で歴史書とか一時一掃されたしね。
117.名無しさん:2019年04月29日 14:46 ID:DrwMPh.E0▼このコメントに返信
すまんが、※110の内容が
※52の
>高麗側としては日本との関係を悪化させたい意図はない
に、どう反論されてるのか分からんのだが。

元寇以前の高麗が日本を敵対視してないって話やろ。
118.名無しさん:2019年04月29日 14:51 ID:Ac7CzLvZ0▼このコメントに返信
※113
あと本願寺系(一向宗系)、日蓮系、天台系、真言系など寺社の消息文(手紙)が山ほど残ってる。
刊行されてるだけでも大きな本棚2本は埋まるんじゃないかな?
それに加えて公家武家関係者の消息文や日記など山のようにある。
刊行されてない大きな神社の記録も膨大だったりする。
色んな切り口から研究できるからね。
119.名無しさん:2019年04月29日 14:54 ID:Om8AxcXC0▼このコメントに返信
あいつら何する判らん、割に合わんという評判がヨーロッパ人からの植民地化を防いだ。一方極端な中央集権だったインカは王様を人質に取るだけで、数百人のスペイン人により植民地化された。
120.名無しさん:2019年04月29日 14:57 ID:Ac7CzLvZ0▼このコメントに返信
※117
元寇以前から元の支配下にあったんだけど?
王族のモンゴル化も進んでたぞ?
つか、元朝設立以前にもチンギスの時代に攻め込まれてたからなw
忠烈王自身、クビライの娘娶っとるがなw
121.名無しさん:2019年04月29日 15:06 ID:DrwMPh.E0▼このコメントに返信
※120
いや、それは直近の話であって、

高麗が元の支配下になる前から
日本は高麗を新羅と同列視して敵対視してたのに対して、
高麗側が日本に対して敵対視してたことはないって話だよ。
122.名無しさん:2019年04月29日 15:14 ID:FQ0WIfjH0▼このコメントに返信
捕虜を斬り殺したのは、宋や朝鮮で外交使節が、大々的にスパイをしていたという情報を、事前に手に入れていたから。
そりゃ使者の皮を被った工作員は斬首して良いよ。
文明国でそんなお為ごかしは通用しない。
近代国際法でも、諜報活動をしているスパイには国際法の「庇護は無い」。
脅迫され、拷問され、二重スパイにさせられ、テロリストに準ずる扱いだ。
坂東武者的優しさで、一瞬で首を刎ねたのだろう。

北条時頼が有能過ぎた。
そしてその息子時宗は、ウィリアム・ピットやワシントンを遥かに凌ぐ世界史的な名宰相(独裁者)。
それと平安時代初期からの、伝統的に防人体制が、安全保障の底流に有ったというのも大きい。
123.名無しさん:2019年04月29日 15:21 ID:Wxnr.dn.0▼このコメントに返信
>>59
いや、島原の乱とか一揆でナデゴロシし過ぎて、その後武士が飯食えなくなって再建に糞金がかかってから方針変えたと聞いたが。
124.名無しさん:2019年04月29日 15:23 ID:28iwag720▼このコメントに返信
なに?朝鮮プロパガンダー?
和平条件に火薬の製造法を教わろうとしてウンコ持って行ったら
実は朝鮮民族の口からでまかせで、製造過程で朝鮮民族ごと爆風で木っ端微塵に
吹き飛んで跡形もなく、カミカゼの台風って事になったということなのか?
125.名無しさん:2019年04月29日 15:27 ID:Wxnr.dn.0▼このコメントに返信
>>84
一次倭寇は対馬とかモンゴルにやられた家族の報復らしい。だから、倭人ばかり。
二次倭寇は倭寇が商売になって、よそ者がまねしだした。
126.名無しさん:2019年04月29日 15:28 ID:LCpnZM..0▼このコメントに返信
>>106
1と5は普通に幕府の政策を言ってるのは分かるけど人質を楯になんてどの史料に載ってるんだろ
文永の役の戦況を詳しく書いてる史料って悪名高い八幡愚童訓除けば蒙古襲来絵詞みたいな参加した武士の記録と高麗史くらいだろうけどどっちもそんな描写は無かったはずだが
127.名無しさん:2019年04月29日 15:29 ID:LCpnZM..0▼このコメントに返信
>>126
訂正 ×人質を楯に 〇人質の楯ごと
128.名無しさん:2019年04月29日 15:30 ID:Wxnr.dn.0▼このコメントに返信
>>114
織田信長が真面目に平和を目指してたとか、実は足利義輝が馬鹿やる前は忠実に地位もいらず仕えてたとか。変わりスギィ
129.名無しさん:2019年04月29日 15:32 ID:Wxnr.dn.0▼このコメントに返信
>>119
宣教師の話で平気で喧嘩で人をタヒす。命が軽いとか、鉄砲持ちスギィとか、いろいろあるとな。
130.名無しさん:2019年04月29日 15:37 ID:60Oa34Bm0▼このコメントに返信
本スレ>>74
秀吉では無いなぁ
完全にまともになったのは
やっぱり色々規制しまくった徳川幕府の功績
131.名無しさん:2019年04月29日 15:45 ID:iMi5hDdz0▼このコメントに返信
※123
島原の極端な税率とか割と異例なほうで通常年貢は5割以下だぞ。
132.名無しさん:2019年04月29日 15:47 ID:iMi5hDdz0▼このコメントに返信
※128
義輝ではなく義昭ではないかなぁ
133.名無しさん:2019年04月29日 15:53 ID:g49EBokU0▼このコメントに返信
>>13
近代モンゴル海軍の主力艦は観光フェリーらしいが。
まさかの海軍民営化→観光フェリー会社に転身したし。
134.名無しさん:2019年04月29日 15:54 ID:.2b59KH40▼このコメントに返信
深い森を切り開いて田畑作り出すってしんどいけどね。そんなしんどい労働をしてた農民と分類されている武士が波に揺られて疲れきった侵略軍に負けるはず無いだろう?騎馬弓と和弓の威力の違いもあっただろうし、大軍(人の波)を利用した上陸をされてるから、博多の土塁がなかったら侵入されてた可能性はある。闇討ち(ゲリラ戦)は土地勘が優れてないと失敗するから、鎌倉側は優れていたんだろう。騎馬戦では使わない槍の戦術は大きかったはず。長期の遠征で日本の気象変化の想定していなかった?のも致命的でしょうね。平安時代は人攫いが闇を闊歩してたし、治安以前の問題。ヤるかヤられるかの日常が鋭敏なサバイバル技能を高めてた。島国特有の防衛力は高かった。
135.名無しさん:2019年04月29日 15:55 ID:Wxnr.dn.0▼このコメントに返信
>>132
すまん
136.名無しさん:2019年04月29日 15:57 ID:DrwMPh.E0▼このコメントに返信
※125
倭寇報復説って、いわば大義名分であって、
単純に経済的に見るなら、現代のソマリアみたいに
元寇以前から存在してたならず者集団の海賊たちに、
元寇によって経済基盤を失った対馬と壱岐の人たちが生きるために海賊化して
地域産業化していったって見るべきじゃね?

137.名無しさん:2019年04月29日 16:04 ID:fuIXOw8m0▼このコメントに返信
※17
源氏も平氏も元は「皇籍からはずれちった(テヘ)」な人達なだけだからなあ…
系統も根拠地も色々
138.名無しさん:2019年04月29日 16:08 ID:DrwMPh.E0▼このコメントに返信
※134
でも、銃の登場以前まで、兵の質で農耕民族が騎馬民族を圧倒したことないよ。
それにこの時の武士は騎馬主体じゃね?
139.名無しさん:2019年04月29日 16:16 ID:iMi5hDdz0▼このコメントに返信
※134
というか元軍上陸後の比較的コンディションの良い状態で野戦して負けてるから元側に勝ち目なんて無い
140.名無しさん:2019年04月29日 16:41 ID:Er13hif40▼このコメントに返信
※118
でもお前らは漫画を鵜呑みにしてるだけだろ?
141.名無しさん:2019年04月29日 17:02 ID:fygQBFuo0▼このコメントに返信
本スレ、去年の9月なの?
142.:2019年04月29日 17:33 ID:f0aM.Tug0▼このコメントに返信
このコメントは削除されました。
143.名無しさん:2019年04月29日 17:47 ID:.A4PCInj0▼このコメントに返信
というか日本に攻めてきたころの元軍なんてとっくに中国と同化しちゃってて
チンギス・ハーン、バトゥの頃の精強な騎馬軍団じゃ無くなってるから他の国でも陸戦で負けまくってるよ。
日本に上陸した元軍なんて日本の武士100名とかたった8人とかに遭遇してびびって逃げちゃったりしてんだから。

ベトナムの陳朝にも3回遠征していずれも失敗してるしジャワ、樺太にも遠征して敗退してるし
1260年からハイドゥの乱が起きて第2代オゴタイ・ハンの孫のハイドゥがハンを自称して
チャガタイ、キプチャク両王家と結んで中央アジアで挙兵。
約40年におよびフビライ・ハン率いる大元朝と対立し、中央アジア以西のモンゴル諸勢力が独立した。
144.名無しさん:2019年04月29日 17:54 ID:FKjVjRYK0▼このコメントに返信
モンゴル軍は全軍騎馬兵。攻めてきた殆どは朝鮮兵と支.那人兵。モンゴル人は督戦の佐官クラスが少々とモンゴル学の泰斗である杉山正明先生が著作で書いていらっしゃるw
145.名無しさん:2019年04月29日 18:00 ID:nZ.GuEx90▼このコメントに返信
和睦って 口頭 なのか? いやまぁ上からのことを伝えるのに口でやるというのは普通かもしれんが
予告状とか属国になれとかの文があるなら和睦の文もないとな。
偽物と思ったのかもしれんが六回のうち再戦考えたことは無かったのか。

スパイっても九州での事なら見られても困らなくないか、勝てないと思わせる軍備しときゃあ
和平でたんまりと賠償させられる。 モンゴルからもらいたいものがあるのかどうか。
146.名無しさん:2019年04月29日 18:17 ID:.A4PCInj0▼このコメントに返信
当時の元なんてベトナムに遠征軍送って2度負けてフビライはそっちのほうに大激怒して3回目遠征してるし(これも負け)
ハイドゥの乱が起きてハイドゥはチャガタイ、キプチャク両王家と結んで

オゴタイ・ハン国
チャガタイ・ハン国
キプチャク・ハン国

が元朝に反旗を翻し40年に及ぶ戦いになった。
アジア以西が元朝と敵対しちゃって日本に遠征してる場合じゃない。

秀吉の朝鮮出兵の時でいえば美濃から東が叛乱してるようなもん。
147.名無しさん:2019年04月29日 18:29 ID:7qJ.w2.o0▼このコメントに返信
>>133
観光フェリーになる前なら武装ぐらいあったんじゃね?
148.名無しさん:2019年04月29日 18:40 ID:RWfSwz8R0▼このコメントに返信
※19
煮立てたら殺菌されるからノロ攻撃の効果ないやろ。
149.名無しさん:2019年04月29日 18:42 ID:z9ivG7K.0▼このコメントに返信
馬賊以上の戦闘民族。
150.名無しさん:2019年04月29日 18:43 ID:3MuzEmHB0▼このコメントに返信
※144
総大将がモンゴル人なのに何言ってんだ?
馬鹿なのかな。
151.名無しさん:2019年04月29日 18:44 ID:yBYfA4CY0▼このコメントに返信
※149
ドラゴボの読み過ぎ
152.名無しさん:2019年04月29日 18:52 ID:pE1po2CS0▼このコメントに返信
>>95
熱いまま使うってこと?戦場でグツグツ鍋煮立てて前線までアツアツのまま持ってくんの?うーん
153.名無しさん:2019年04月29日 19:03 ID:pE1po2CS0▼このコメントに返信
>>152
あ、船内に投げ込む訳じゃなくて、防衛側で砦の上からかければいいのか。
154.名無しさん:2019年04月29日 19:17 ID:h5mN68mA0▼このコメントに返信
※150
たぶんモンゴル高原にいた本来のモンゴル軍ってことなんじゃ
基本彼ら全員騎兵なんだとは思う
155.名無しさん:2019年04月29日 19:19 ID:s0dQRLjr0▼このコメントに返信
>>77
んなわけねえw
日本侵略を提案したのが高麗だぜ
156.名無しさん:2019年04月29日 19:19 ID:iMi5hDdz0▼このコメントに返信
※154
第一回目の元寇ではモンゴル人兵士が約半分なんですけどねぇ。(馬は渡海作戦だからあんまりもって来れなかったようだけど)
157.名無しさん:2019年04月29日 19:22 ID:s0dQRLjr0▼このコメントに返信
>>90
あの頃の和平の使者って、敵情視察兼ねてるのが多いから普通だぜ
158.名無しさん:2019年04月29日 19:22 ID:h5mN68mA0▼このコメントに返信
※156
半分ってどうやってわかったの?
159.名無しさん:2019年04月29日 19:25 ID:s0dQRLjr0▼このコメントに返信
>>52
悪化させたい意図がないなら何故日本侵略を提案するんだよw
160.名無しさん:2019年04月29日 19:26 ID:s0dQRLjr0▼このコメントに返信
>>68
共通語として漢文があるんだよ
161.名無しさん:2019年04月29日 20:00 ID:h5mN68mA0▼このコメントに返信
欧州やイスラム遠征にでたのが2万程度なようなんで、日本遠征に1万どころか2万がでてても可能性としてありえないことではないな
半島にヒンドゥって人が5000の兵を持ってたらしいが、それはモンゴル兵なんだろうか
162.名無しさん:2019年04月29日 20:05 ID:9vtgOh4T0▼このコメントに返信
※10
GHQの、ウォーギルトインフォメーションプログラム(主要なものは3R, 5D, 3S 政策)が恐ろしいほど日本人が気が付かないレベルで浸透してるからね
一度血の雨が降らないと今の日本人は目が覚めないだろう
163.名無しさん:2019年04月29日 20:27 ID:.S1TfX6b0▼このコメントに返信
敵の補給に使われたくないからあらかじめ通り道になるであろう自国の集落を潰しておくのは世界史ではよくある手法。
164.名無しさん:2019年04月29日 20:29 ID:9vtgOh4T0▼このコメントに返信
※43
奴隷という概念は契約上のものっていうのは西洋における概念で東洋では違ったから一概には言えない
アジアだとタイなんかでは移動の自由は制限されてたけど結婚や仕事、信仰の自由なんかはあったからね
日本の場合だと古代ギリシャの奴隷制度に似てる感じで財産として所有されてたってのに近い感じだと思う
信長の家臣だった黒人奴隷の弥助なんかかなり大事にされてたみたいだし。
165.名無しさん:2019年04月29日 20:30 ID:Zlw9uAaS0▼このコメントに返信
こういった歴史のまとめは面白いですね。
細部を知ると、当時の気風と歴史の進行が感じられる。
166.:2019年04月29日 20:35 ID:sbwLAcCo0▼このコメントに返信
このコメントは削除されました。
167.名無しさん:2019年04月29日 20:36 ID:.S1TfX6b0▼このコメントに返信
※10
元々日本人は平和ボケ民族だよ。気性が荒いのは関東武士と西国武士くらい。
幕末に薩長が支配してから規律が厳しくなり、大正終わりから間違って解釈して受け継いだ他県の次世代がやたら根性論叩き出して、戦後に普通に戻っただけ。
168.名無しさん:2019年04月29日 21:19 ID:lk5D6.Qw0▼このコメントに返信
それまでの刀では元の革鎧が切れないからって、即行で品質改良した正宗というチート刀工と、量産化の鬼・長光のことも時々でいいから思い出してあげてください。
169.名無しさん:2019年04月29日 21:53 ID:lLZu1jvW0▼このコメントに返信
恐ろしく野蛮な時代やな
170.名無しさん:2019年04月29日 22:53 ID:VKiZ0f4S0▼このコメントに返信
※169
そりゃ元の原型を作ったチンギス・ハーンが、人生の一番の楽しみは「他部族を襲って(男は)殺して女を犯すこと」なんて言ってた時代だからな。
現代人の感覚はともかく、当時はさほど珍しくも無い。
171.名無しさん:2019年04月29日 23:33 ID:.A4PCInj0▼このコメントに返信
※161
君の推測は正しい。

チンギス・ハーンみずから参加、息子たちも参加してる
対金戦争でのモンゴル軍の兵力7万

チンギスは第1次金遠征の後に末弟のテムゲをモンゴル高原に残し
1218年に全力でホラズムへの行軍を開始する。その数15万とも20万とも言われる。

1221年 インダス河畔の戦い モンゴル軍4万 VS ホラズム軍5万

第2次対金戦争 1227年8月25日にチンギス・ハーン死去。チンギス4男で正妻ボルテの子 トルイに対金戦争任せる。
1232年 三峰山の戦い トルイ軍4万 VS 金軍15万
172.名無しさん:2019年04月29日 23:34 ID:o9pUIdYe0▼このコメントに返信
※168
革鎧じゃないよ、鉄を貼った木の盾だよ。
短弓を防ぐ盾だからそんなに鉄板は厚くないけどそれでも切れちゃうってのはやばいけどね。
173.名無しさん:2019年04月29日 23:34 ID:.A4PCInj0▼このコメントに返信
バトゥのヨーロッパ遠征 7万 これもモンゴル軍一丸の戦いで
四狗で名将の誉れ高いスブタイ。
チンギスの3男オゴデイの長男でのちのモンゴル帝国第3代大ハーン、グユク
チンギスの4男トルイの長男でのちのモンゴル帝国第4代大ハーン、モンケ
が参加してるが兵力7万ほどで3つの部隊に分かれて進軍した。

1241年4月11日 モヒの戦い
モンゴル バトゥ率いるハンガリー方面軍 1万 VSハンガリー 軍1万

1241年4月9日 ワールシュタットの戦い
モンゴルポーランド方面軍 2万 VS ドイツ・ポーランド軍2万5000
174.名無しさん:2019年04月29日 23:34 ID:.A4PCInj0▼このコメントに返信
『元朝秘史』によれば、バトゥのヨーロッパ遠征は各王家の長子クラスの皇子たち、また領民を持っていない皇子たち、さらに

万(戸)の、千(戸)の、百(戸)の、十(戸)のノヤンたち、多くの人は誰であっても
己が子の兄たる者(長子)を出征させよ。王女たち、(その)婿どのたちは同じようにして
己が子の兄たる者(長子)を出征させよ。

とあって、帝国全土の王侯・部衆の長子たち、すなわち次世代のモンゴル帝国の中核を担う嗣子たちが出征するという甚だ大規模なものだった。
バトゥは遠征軍に参軍する皇子たちを統括し、グユクはそのもとで皇帝オゴデイの本営軍から選抜された部隊を統括するよう勅命によって
定められていたことが続けて述べられており、加えて『集史』によれば、チンギス・ハンの功臣筆頭のボオルチュの世嗣ボロルタイが
このバトゥの本営・中軍の宿将としてこれを率いていた。

この遠征では前述のとおり各王家の当主クラスの皇子たちが出征した。すなわち、

ジョチ家からは総司令バトゥを筆頭に、その異母兄オルダと異母弟ベルケ、シバン、タングト。
チャガタイ家からはチャガタイの長子モエトゥケンの次男ブリ、その叔父にあたるチャガタイの6男バイダル。
オゴデイ家からは長子グユク、その末弟カダアン・オグル。
トゥルイ家からは長子モンケと7男ボチュク。
そしてチンギス・ハンとその次席皇后クラン・フジンとの子であるコルゲン。などである。
この時バトゥが率いた兵力は、4個千人隊(約1万人)だったと推定される。
175.名無しさん:2019年04月29日 23:35 ID:.A4PCInj0▼このコメントに返信
フレグの征西 
モンゴル帝国第4代大ハーン、モンケの弟フレグがモンケの命令で中東に侵攻。
モンケの命令に基づき、全モンゴル軍の10分の1の兵士がフレグの軍に編成された。
フレグはイラン入りする過程で、先行してイラン方面の支配を担当していたイラン鎮戍軍とイラン総督府に加え、
ルーム・セルジューク朝、ファールスのアタベク政権サルグル朝、モースル、ロレスターンなどのアタベクたち、
ケルマーン・カラヒタイ朝、キリキア・アルメニア王国、グルジア王国などの
イラン高原一帯の諸王侯・スルタンたちの伺候を受け、それらを支配下に置いた。
更に北インドのカシミール方面の鎮戍軍、カラウナス軍団もモンケの勅命によってフレグの幕下に加わり、
モンゴル帝国勢力下の南西部にあった戦力のほとんどが、フレグの指揮下となった。
また中国人部隊も参加していて攻城戦の名将、郭侃が参加していた。

バグダード包囲戦 1258年1月29日 - 2月10日 モンゴル軍12万
アッバース朝を屈服させる

アルメニア人、グルジア人、ペルシア人、トルコ人といった現地の諸勢力を吸収したモンゴル軍は圧倒的な戦力で
二十日間に渡ってバグダードを攻めたが、その攻撃には当時でも最新の攻城兵器が使われた。
攻撃部隊には大規模なキリスト教徒の派遣団がいた。フランスの歴史家アラン・ドゥマルジェによると、
アンティオキア公国からのフランク人部隊も参戦していた。
176.名無しさん:2019年04月29日 23:36 ID:.A4PCInj0▼このコメントに返信
モンゴル軍はアッバース朝を屈服させると、今までの軍に加えルーム・セルジューク朝、モスルのアタベク政権、
キリキア・アルメニア王国、さらに十字軍の諸勢力さえもモンゴル軍に参集しており、
当時エジプトにはクーデターで成立したばかりのマムルーク朝があったが、もはやモンゴル軍の侵攻を止めることは不可能に思われた。

モンゴルはマムルーク朝に降伏の使者を4度送り付けるも、いずれも使者が斬首されてモンゴル軍大激怒で進行。
が、ちょうどその時、大ハーン、モンケ死去の報が届きフレグは部下のキト・ブカに任せて大ハーンに俺はなると帰国。
バトゥと同じことが再び起こるとマムルーク朝が勢いづき攻めてくる。
モンゴル軍は神流川の戦いの滝川一益状態になり傘下にいた諸侯は協力せず、モンゴル軍と少数のキリスト教徒のみで戦うことになる。

モンゴル軍総大将不在の中
1260年9月3日 アイン・ジャールートの戦いが起きる。
モンゴル軍 2万VS マムルーク軍 2万

マムルーク朝はモンゴル軍得意の偽装退却からの包囲戦を行いモンゴル軍は見事に罠にはまり包囲殲滅され壊滅。
イランにいたフレグは次兄・クビライと弟アリクブケが大ハーンをめぐって争いを始めたと聞き大ハーンになるのを諦め、
フレグはモンゴル帝国には帰還せずに現在のイラン付近に留まり1260年秋にイル・ハン朝を建国した。
177.名無しさん:2019年04月29日 23:36 ID:.A4PCInj0▼このコメントに返信
チンギス・ハーンや息子たちが参加して一丸となった対金戦争7万。
チンギス末弟のテムゲだけ残して全力で攻めたホラズム遠征15~20万。
バトゥのヨーロッパ遠征 7万
フレグの征西 モンゴル兵士 モンゴル帝国の1/10。
弘安の役 モンゴル軍15万。

これで元寇はモンゴル兵士が多かったと思える頭ってどうなってるんだろうねw
そんでもって元寇には征西軍と違って
オゴタイ、チャガタイ、キプチャク、イル・ハン国は参加してないしも大ハーンとその兄弟も皇子も参加してない。

Wikiペディアによると

弘安の役 モンゴル軍 総数 140,000〜156,989人

蒙古・漢軍 30,000
高麗軍 9,960
水夫 17,029
江南軍 100,000人 ←ここ注目w

蒙古・漢軍で3万。果たしてモンゴル兵だけで2万いるかな。
いないだろうな。
178.名無しさん:2019年04月29日 23:49 ID:.A4PCInj0▼このコメントに返信
※156
お前が無知なんだよ。

※171-※177読めばーか。
179.名無しさん:2019年04月29日 23:54 ID:L7xiaJMk0▼このコメントに返信
狂ってるやべえヤツが計画性のあるやべえヤツになっただけで草
180.名無しさん:2019年04月30日 00:08 ID:7vzo4uzb0▼このコメントに返信
>>68
博多には日本語喋れる宋人の華僑が結構いたからもしかしたら通訳係とかもあったかもね
181.名無しさん:2019年04月30日 01:10 ID:vrLkAjop0▼このコメントに返信
※93
アンゴルモア元寇合戦記というマンガで
詳細に描かれてるね。
高麗の地位を上げるために
高麗王が日本の侵略をフビライに進言してた。
182.名無しさん:2019年04月30日 06:21 ID:QGts6lsd0▼このコメントに返信
※167
なに言ってんだか
鎌倉、室町時期の京都近辺がどれだけ修羅の国だったか知らんのか?

武家の行列を見物してたら、行列の中の武士がいきなり見物してた子供をぶった切って
「虫の居所が悪かったのだろうか」とだけ書かれて終わる時代だぞ

そしてこの話を紹介してる研究者は「そういうことがあると、その子供の属している集団(町内)の面々が一斉に飛び出してきて武士をぶち殺しにかかるものだったが、この件についてはその動きが見られないので、斬られた子供は親なしの浮浪児に近い存在だったのではないかと推測される」とも言ってたりする
183.名無しさん:2019年04月30日 07:14 ID:ua44QI0y0▼このコメントに返信
族滅の日本に手を出した元が悪い
184.名無しさん:2019年04月30日 08:10 ID:4F71Rk060▼このコメントに返信
>旧南宋人は助命して奴隷にしたで

このとき南宋人が稲作文化をもたらした
185.名無しさん:2019年04月30日 12:31 ID:ZeCzaOiW0▼このコメントに返信
※93
それな。
モンゴルが本気だったらバトゥやフレグのように王族を総大将にしてオゴタイ、チャガタイ、キプチャクの国からも参加させるわ。
元寇なんて朝鮮がうるさいからんじゃやってみろ程度の戦い。

『元朝秘史』によれば、バトゥのヨーロッパ遠征は各王家の長子クラスの皇子たち、また領民を持っていない皇子たち、さらに

万(戸)の、千(戸)の、百(戸)の、十(戸)のノヤンたち、多くの人は誰であっても
己が子の兄たる者(長子)を出征させよ。王女たち、(その)婿どのたちは同じようにして
己が子の兄たる者(長子)を出征させよ。

とあって、帝国全土の王侯・部衆の長子たち、すなわち次世代のモンゴル帝国の中核を担う嗣子たちが出征するという甚だ大規模なものだった。
バトゥは遠征軍に参軍する皇子たちを統括し、グユクはそのもとで皇帝オゴデイの本営軍から選抜された部隊を統括するよう勅命によって
定められていたことが続けて述べられており、加えて『集史』によれば、チンギス・ハンの功臣筆頭のボオルチュの世嗣ボロルタイが
このバトゥの本営・中軍の宿将としてこれを率いていた。
186.名無しさん:2019年04月30日 12:32 ID:ZeCzaOiW0▼このコメントに返信
この遠征では前述のとおり各王家の当主クラスの皇子たちが出征した。すなわち、

ジョチ家からは総司令バトゥを筆頭に、その異母兄オルダと異母弟ベルケ、シバン、タングト。
チャガタイ家からはチャガタイの長子モエトゥケンの次男ブリ、その叔父にあたるチャガタイの6男バイダル。
オゴデイ家からは長子グユク、その末弟カダアン・オグル。
トゥルイ家からは長子モンケと7男ボチュク。
そしてチンギス・ハンとその次席皇后クラン・フジンとの子であるコルゲン。などである。
この時バトゥが率いた兵力は、4個千人隊(約1万人)だったと推定される。
187.名無しさん:2019年04月30日 12:33 ID:ZeCzaOiW0▼このコメントに返信
バトゥのヨーロッパ遠征 7万
四狗で名将の誉れ高いスブタイ。
チンギスの3男オゴデイの長男でのちのモンゴル帝国第3代大ハーン、グユク
チンギスの4男トルイの長男でのちのモンゴル帝国第4代大ハーン、モンケ
が参加してるが兵力7万ほどで3つの部隊に分かれて進軍した。

1241年4月11日 モヒの戦い
モンゴル バトゥ率いるハンガリー方面軍 1万 VSハンガリー 軍1万

1241年4月9日 ワールシュタットの戦い
モンゴルポーランド方面軍 2万 VS ドイツ・ポーランド軍2万5000

服属させた国の兵士入れなきゃモンゴル軍は7万程度
188.名無しさん:2019年04月30日 15:05 ID:f4o1UjCE0▼このコメントに返信
その当時のモンゴルは12万戸ってことで1戸5~6人として全人口60~70万前後
その1/10ってことで妥当ではあるな
1戸から1人の兵がでるとしたら基本12万ともいえないが
だいぶ後の隣の女真満州が制度なんかは違うだろうが、やはりそのくらいの人口でそのくらいの兵力だったようだ
189.名無しさん:2019年04月30日 17:16 ID:pmEgkHAr0▼このコメントに返信
農民は農民で田んぼに引く水や薪にする木等の資源をめぐって近隣の村々で戦闘をしていた模様。
190.名無しさん:2019年04月30日 17:25 ID:hdPH6ikA0▼このコメントに返信
>>1
水争いにしろ、領地の境界線にしろ、相続問題にしろ、戦国時代までは気に入らなきゃ武力に訴えてたんだから荒っぽくなりますわ。
191.名無しさん:2019年04月30日 17:36 ID:CloNsN7F0▼このコメントに返信
※182
それどころか昭和30年代〜40年代でさえ流血沙汰が普通の水争いしてるのにな
さらに古い時代は死人が出るほどの苛烈なものだし
陸では水争い海では魚場争いで昔の日本はどこもかしこも力こそ正義だよ
その前の世代に比べればおとなしい団塊世代でさえ今の子に比べれば荒っぽいもん
192.名無しさん:2019年04月30日 18:03 ID:8OgVJW.N0▼このコメントに返信
ワイの母ちゃんの旧姓は松浦なんやで!
193.名無しさん:2019年04月30日 18:04 ID:GfQe3n9E0▼このコメントに返信
上陸作戦は敵の数倍の兵力があっても難しいのに、
日本の方が兵力が多くて、中央からの主力軍がまだ到着してなかったとか
どう考えても勝ち目ないわ。
194.名無しさん:2019年04月30日 22:58 ID:1pekY7jP0▼このコメントに返信
※43
農耕を知ってる文明人は約に立つからな。技術持ってる職人なら山奥に隔離して特産品でも作らせれば、、、w
奴隷言うても、日本人が言う所の奴隷だからな。せいぜい小作人扱いって所だろ。そもそも労働力足りてないしな。

モンゴル・高麗の略奪・暴行しか出来ない嘘吐きな役立たずは全員斬首が正解。
先人は解ってたのに、なんで明治以降は人間扱いしちゃったんだろうな。
人間っぽく見える謎の別生物って扱いが正解なのにな。
195.名無しさん:2019年05月01日 01:56 ID:urpNKeCn0▼このコメントに返信
どう考えても江戸時代が異常に平和すぎるw
それ以前との記録に残って無い紛争・狼藉のレベルが違いすぎるわ
幕府による各藩の監視が平和と繁栄を強制したんだが、凄いw
196.名無しさん:2019年05月01日 02:51 ID:7E5hYVxW0▼このコメントに返信
>三度目の使者の書状が和睦(休戦)の使者なのを知らなかった

これは嘘
「小国が大国に従属するのは当然の事、お前らなんで従属しないんだよ」と書状に書いてる奴が対等の和睦を申し込む訳ない
カーンは死ぬまで何度も執念深く日本を侵略する提案を出し続けてた
197.名無しさん:2019年05月01日 07:04 ID:zAN5IdUl0▼このコメントに返信
助命ェ・・・
198.名無しさん:2019年05月01日 15:11 ID:GE0qw0oz0▼このコメントに返信
>>55
実際、焼き払われてるぞ。
文永の役では博多湾岸に焼き払いながら侵入を決行、祖原に陣地を構えた。
その遺跡もある。

199.名無しさん:2019年05月01日 15:26 ID:GE0qw0oz0▼このコメントに返信
>>68
宗に留学した南浦紹明と言う僧がおってだな、彼が博多の興徳寺にて通訳や接待をした。
詩を詠み合うなどの事実も残る。
南浦紹明はその後天皇の招きで上洛した。
200.名無しさん:2019年05月01日 15:41 ID:GE0qw0oz0▼このコメントに返信
>>73


貴族の持つ荘園を襲う輩が続出して、荘園を守るために武力が必要になったからや。
その武力集団の勢力が増大し、それを守るため表向きに幕府や地元権力者に土地を寄進した。
だから地元や幕府の権力者に土地が集約。天皇直轄領であった荘園もその憂き目にあった。
あくまでも表向きだけどね。
201.名無しさん:2019年05月01日 15:50 ID:GE0qw0oz0▼このコメントに返信
>>99
だよ。生の松原から夜討ちの船を出したんだが、そこだけ防塁の形状が違う。
歴史ヒストリアに出た服部英雄元九大教授の説でもそこが出発地。
202.名無しさん:2019年05月01日 18:47 ID:n7hN5Z.j0▼このコメントに返信
平安中期から武士同士でやりあってたんだから、そんな簡単に平和モードにはならん。
もっと言えば、弥生時代から戦争ばっかやっていたからね。古代日本で一番平和だったのは縄文時代後期。
203.名無しさん:2019年05月02日 01:50 ID:IMWM5mKE0▼このコメントに返信
江戸時代まで日本人の戦闘民族っぷりはすごいな。北斗の拳の世界や。きっといろんな色のモヒカンがいっぱいいたんだろうな。
204.名無しさん:2019年05月02日 13:12 ID:DmV65qBS0▼このコメントに返信
元寇は国防という点から見て重要な参考書なんだよな
今の日本は専守防衛だし、尚更元寇の歴史をしっかり学んでおくべきだと思う
間違っても計画性のない話し合いとか非武装化とかしちゃいけない
こっちから手を出す必要はないけど、やられたらやり返すのは大事
それも敵が二度と思い上がらない程叩きのめす必要がある
205.名無しさん:2019年05月02日 17:12 ID:37LXPUQ60▼このコメントに返信
いわゆる軍人階級である武士だけがこんなんだったんだろと思ってる人は
「殴り合う貴族たち」を読むことをお勧めする
全部読まなくても目次だけでもいい
206.名無しさん:2019年05月02日 23:25 ID:YasE0RWL0▼このコメントに返信
十分すぎるほどヤバくて草
207.名無しさん斩月屠龙Ödeme Merkezi | Yapı Kredi:2019年05月04日 13:27 ID:fpUkDQvf0▼このコメントに返信
※204
208.名無しさん:2019年05月05日 10:02 ID:oRNm8DUG0▼このコメントに返信
>>4
ホームランバッター(即斬)集め過ぎや
209.名無しさん:2019年05月05日 10:10 ID:oRNm8DUG0▼このコメントに返信
>>43
今の日本の技術者の待遇考えたらお察し…
210.名無しさん:2019年05月05日 11:36 ID:YHWvGphT0▼このコメントに返信
※9
別に大した事なってへんで。
モンゴル軍が凶悪ってのは古い考えで、最近の研究では寧ろ戦いを極力避けて、情報戦を駆使して相手を屈服させてたってのが通説。
極悪な奴らが来るぞって言う噂を流して相手の降伏を促してたらしい。
杉山正明さんの著書とか面白いぞ。
降伏させた後も税の納入を求めるくらいで、庶民には悪影響なんてなかったやろな。
211.名無しさん:2019年05月05日 11:36 ID:43rpp5Gg0▼このコメントに返信
やぁ~や!あの当時は大変だったよ
212.名無しさん:2019年05月05日 11:39 ID:YHWvGphT0▼このコメントに返信
元寇において庶民の一番の敵は鎌倉幕府やったんだろうな。
見殺しにするなんて酷すぎるしさ。
WW2の時の沖縄差別とすごく構図が似てる。
鎌倉武士が無駄にイキったおかげで被害被ったんだからさ。
213.名無しさん:2019年05月07日 14:12 ID:zkk2wyij0▼このコメントに返信
※210
大体そうなんやけどわざわざ女子供動物草木に至るまで皆殺しにして塩まいて不毛の土地にすることもあるからね
主に寛容な統治をするから凶悪なだけという見方は間違いだけど、機嫌次第で徹底的な殺しをする人々でもあるから凶悪というのも事実よ
日本は結構強烈に反抗してるから京観コースでもおかしくはない
214.名無しさん:2019年05月07日 22:31 ID:OmO17F6.0▼このコメントに返信
元寇でモンゴル兵が大半だったら、まず日本にすら到着出来ない上に慣れない船上で御陀仏だろうな。

クビライは航海技術のある投降した旧南宋人や服属した高麗人を上手く利用して日本遠征軍を編成した。

日本遠征軍は日本遠征に合った軍勢で攻めた。
ただ、それを上回る日本の防衛力でクビライの野望は潰えたに過ぎない。
215.名無しさん:2019年05月07日 22:34 ID:OmO17F6.0▼このコメントに返信
そもそも、モンゴル人の人口は極端なほど少ない。純粋なモンゴル人だけで戦争したことがあるのかすら疑わしい。
216.名無しさん:2019年05月08日 22:21 ID:y3CivZR50▼このコメントに返信
いつも反日左翼が
「南路軍はただの移民で戦闘員じゃない」
とかいってるけど

根拠が沈没戦艦から農具が発見されたってだけで、それ現地調達の屯田兵やろ
元軍は鷹島で野営しながら屯田してたが、普通に戦闘もしてたしな
217.名無しさん:2019年05月09日 09:52 ID:lcqqP03z0▼このコメントに返信
※189
ってか知識人層のはずの坊主どもなんかも「自分とこの本尊が火事で焼け落ちたから他所の寺の本尊略奪してきたろ」
なんてやってる時代だし、鎌倉初期。興福寺の伝山田寺仏頭の歴史的経緯調べたら草生えたわw
218.名無しさん:2019年05月09日 10:45 ID:f7UYvwWT0▼このコメントに返信
頼むから書状は読んでくれ
読んでムカついて殺すならまだ分かるわ
なんで読まんで殺すねん
読まないなら使者は追い返せや
219.名無しさん:2019年05月09日 10:56 ID:qptxjjF70▼このコメントに返信
※1
教養ある蛮族になっただけなんだよなぁ・・・
220.名無しさん:2019年05月13日 18:55 ID:YdPQivsV0▼このコメントに返信
>>168
そういう話なんか?目から鱗が落ちた!!!
オリゴ糖!
221.名無しさん:2019年05月13日 19:18 ID:VMndwmQi0▼このコメントに返信
蛮族結構
侵略者を親切にしてた各国の先住民は皆滅亡してしまった
222.名無しさん:2019年05月13日 22:09 ID:BCTNEnIx0▼このコメントに返信
※103 戦闘民族だった日本人の平和ボケ
幕末の水戸藩の女性が書いた本があるんだが、銀のかんざしを武家女性はつけるんだが、襲われたら護身用にこれで刺して相手の両眼を確実につぶせと教えられるらしい 懐剣も 何かあった場合の自害の仕方も耳学問にしかすぎず、実際抜いたことがなかったそうだ 徳川270年の平和でどちらも使うことはなかったが、幕末の激動期になると、みんなちゃんと教えられたとおりにやっていたので感心したと書いてあった まあ、DNAレベルにあるのかもね
223.名無しさん:2019年05月22日 03:08 ID:ljWeOLm20▼このコメントに返信
※68
元の国書は最初っから漢文で書かれてる
当時の支配層は漢文読めるし、だから日本も最初っから手紙の内容は理解してた
224.名無しさん:2019年05月28日 13:04 ID:kP7WcTwW0▼このコメントに返信
福岡に唐人町ある。

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