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2018年09月30日 10:05

うちのじいちゃん太平洋戦争のときビルマで戦ってきたらしい

うちのじいちゃん太平洋戦争のときビルマで戦ってきたらしい

Type_95

引用元:うちのじいちゃん太平洋戦争のときビルマで戦ってきたらしい
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1534770951/

1: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 22:15:51.38 0
そんなじいちゃんも亡くなってしまい詳しい話を聞くことはできなくなったけど

4: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 22:19:21.17 0
インパール作戦か

6: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 22:22:01.56 0
仙台か姫路か四国の出身か
苦労したろうな

10: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 22:26:15.80 0
>>6
どういうこと?

15: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 22:29:34.22 0
>>10
おそらく復員できたとするとシッタン作戦で撤退に成功した28軍を編成してた師団のいづれかなんだろうな、と
第3師団が仙台で54と55師団が姫路と四国の部隊だったからな

7: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 22:23:58.90 0
うちは母方が陸軍で満州
父方は海軍で補給艦の艦長だったけど湾内で沈没して泳いで戻って助かった

8: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 22:24:21.36 0
戦争でじいちゃん死んでたら生まれてなかったな

9: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 22:24:54.13 0
うちのじいちゃんは腹に弾丸受けてて
風呂上がりに傷跡見せてくれた

11: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 22:26:30.33 0
ビルマの竪琴見てると合唱やりたくなるな

14: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 22:28:17.83 0
うちは祖父の戦前の写真結構あるよ
朝鮮で校長だったらしいから
日本国内でないのが残念だが

16: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 22:33:43.78 0
九州だけど死んだ近所のおじいちゃんが昔ビルマに行ってたよ
かなり昔に新聞で取り上げられたから間違いないと思うよ

17: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 22:40:15.60 0
有名なインパール作戦の15軍は祭(15師団)が豊橋/京都で烈(31師団)が甲府で弓(33師団)が仙台
この三師団はインパール作戦で兵員が消耗し尽くして復員できた人は本当に少ない

19: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 23:00:55.99 0
うちの祖父も東南アジア行ってた
どこの国とか具体的なことは教えてくれなかった

20: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 23:03:27.88 0
親戚のじいさんは朝鮮半島に行かされてたな

22: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 23:08:53.96 0
うちのじいちゃんは「みんな戦争のこと悪く言うけど軍隊はそんな悪いところじゃない」と言っていたそうだ
いつも和気あいあいとしてて敵に当たりもしない位置から適当に弾打って危なくなったら逃げてたらしい

23: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 23:11:56.92 0
うちの爺さんも春に亡くなったわ
なかなか踏み込んだ話はしにくいけど亡くなった後に戦中の話聞いときゃ良かったと思うよな

24: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 23:12:57.35 0
ビルマの竪琴とアーロン収容所はセットで読みたい

NHKの戦慄の記録 インパール も見ておくべきか

25: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 23:17:38.35 0
戦争のことを話せるご老人がどんどん亡くなっていってるのがまずい

26: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 23:20:10.81 0
死んだ爺ちゃんは旧ソ連行ってた
死ぬ思いして帰ってきたらしい
何故か魚屋始めたてた

28: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 23:24:00.34 0
学校の先生に戦争体験者がいて、夏休み前に体育館に集められて話を聴かされた

29: 名無し募集中。。。 2018/08/20(月) 23:28:15.45 0
部隊に剣道の達人がいていつも自慢している嫌な奴で戦闘中に
突撃命令が出たらそいつが死にたくないとか言って動かなくなったので
いつも威張っていたのに情けない奴だなあと思ったっていう話を何度も聞かされたなあ

35: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 00:06:12.35 0
そういえば祖父さんから戦争の話聞いたことないな
日の丸の国旗に隊の寄せ書きしてるのは見たことあるけど

37: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 00:09:55.78 0
寄せ書きしてある日の丸はひい爺ちゃんの家で見たことあるけど
当時の話は聞かせてもらった事無い

38: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 00:10:20.68 0
なんか怖くて聞けないよな

39: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 00:14:05.29 0
自分の子供に昔話なんてしないよ
若い頃を話すシチュエーションなんてないだろ

49: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 04:27:54.26 0
>>39
父方が10人兄弟で長男から10番目まで15歳位離れてたんで田舎に帰ると従軍した5番目までの兄弟に
中学生以下で行ってない兄弟と飲みながら話してるのを見てたわ
その時沢村栄治は米軍が投げた手榴弾キャッチして投げ返したってホント?って親父が聞いて長男が見てないけど
昔のなら可能だから本当かもながははwwwって話は子供ながらに覚えてるw
そこで自衛官になってた兄弟と手榴弾投げの講義してたw

50: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 07:21:18.66 0
ウチの場合爺ちゃんは父方母方共に20年位前に他界してる
母方は満州に居て命からがら引き上げてきた
父方は沖縄戦線で捕虜になってた
その弟はサイパンだかグアムだかその辺りで戦死

52: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 08:04:21.78 0
うちの爺ちゃんは南支で歩兵だったって言ってたな
終戦時に栄養失調で危なくてすぐ帰国出来なくて
現地で入院して2年くらい後に帰ってきた
中国の人に良くしてもらったって言ってたな

56: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 09:36:09.29 0
俺の母方の祖父ちゃんなんて赤紙収集食らって軍隊行った1週間後に終戦で帰ってきたらしい

60: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 09:54:44.01 0
婆ちゃんは戦闘機に撃たれたよ激しい痛みを感じ撃たれたと思ったが
銃弾が跳ね上げた石に当たったのが痛みの正体だったようでほぼ無傷だった
戦闘機は列車の襲撃に向かい婆ちゃんは再度攻撃される事は無かったが列車では甚大な被害が出た
らしい

66: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 10:26:36.99 0
特攻隊出陣直前に終戦で命拾いした人って結構多いよね

69: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 10:34:21.31 0
祖父は病気持ちだったから前線には行った事なくて
手先が器用という理由で給食係やらされてたらしいから
戦争の話はあんまり聞いた事無いな

それより祖母から米兵が近くの海岸から上陸してきて
女子供に乱暴を働くんじゃないかという噂があって
怖くて仕方無かったという話の方がよく聞いた

70: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 10:41:38.95 0
大学切り上げ卒業か何かをして職業軍人だった祖父だったが
戦争をするべきでは無いという話はしたが何をしていたのかは詳しくは話してくれなかったな
だから父も祖父の軍歴についてはいつその階級になったかとかその時に居た場所くらいしか知らない
何回か新聞社の取材が来たりしていたが
それも身内には詳しくは話さなかったな
ちなみに終戦はインドネシア

71: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 10:43:16.25 0
俺のじいちゃんは北九州で子供のころ貝ほりに行って
いきなり、グラマンに銃撃され松林に逃げ込んだが、友達が
お尻に銃弾がかすって怪我をしたと言ってた

72: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 10:46:44.83 0
昔のやくざ映画見てると「あいつは特攻の生き残りだから」みたいなセリフがたまに出て来る
一度死んだ命だから無茶苦茶暴れるんだろうな

74: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 11:01:04.34 0
うちの爺は国鉄職員だったので徴兵じゃなく徴用されてビルマの泰緬鉄道の担当やってた
色々面倒なことになって戦後何年も帰れなくて
別人になってヨロヨロに帰ってきた後は国鉄やりながら
半分床の上で56歳で「老衰」で亡くなった

78: 名無し募集中。。。 2018/08/21(火) 20:28:20.37 0
知り合いのじいさんは従軍(土木)でロシアへ行って
軍人と一緒に抑留された
でも土木重機をなんでも操作できたため重宝された
帰国の際にも「厚遇するから残ってくれ」と懇願されたって言ってた

98: 名無し募集中。。。 2018/08/23(木) 22:35:52.47 0
俺のじーちゃんは佐世保の工場で徴用させられてた
当時のことはほとんど周囲に話さなかったというから
どういう生活だったか俺の親や親戚も詳しく知らないらしい

あの辺は軍事工場が多いから米軍機に狙われて危なかったし
直接被害はなかったけど原爆投下を目の当たりにしたことだろうからな

99: 名無し募集中。。。 2018/08/24(金) 09:58:03.91 0
地元の工場に爆弾落とされたという話は聞いた

102: 名無し募集中。。。 2018/08/24(金) 20:23:08.74 0
激戦地から生還してきた人はすごいわ

103: 名無し募集中。。。 2018/08/24(金) 21:30:01.55 0
大震災の時避難所で話をしたおじいさんは
砲兵隊で中国で戦ってきたと言ってた

104: 名無し募集中。。。 2018/08/24(金) 22:03:06.47 0
爺ちゃんは戦争中稲刈りの終わった田んぼで友達と遊んでたら
滑空してきたグラマンに機関銃で撃たれたって言ってたな
婆ちゃんは 空襲警報で防空壕に逃げて 警報解除で外に出たら 道路で
近所の中学のお兄さんが上半身と下半身が別々になって死んでたって。
米軍機の12.7mmに撃たれてんだろな
でもこれって民間人の子供を照準に入れて撃ち殺してるんだから
戦争犯罪だろうにね

107: 名無し募集中。。。 2018/08/25(土) 04:11:30.90 0
爺ちゃんの世代までは戦争やってたんだな

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2018年09月30日 10:14 ID:kCwLrhyr0▼このコメントに返信
国家総動員法下なんだから民間人はいない、って知らない人がいるのか…
2.名無しさん:2018年09月30日 10:15 ID:zcyXSoiR0▼このコメントに返信
佐藤中将「牟田口がアホやさかい、イクサは止めじゃ」
3.名無しさん:2018年09月30日 10:20 ID:8v8i.ZwL0▼このコメントに返信
待機中の守備兵に、重機与えて。最悪、スコップとコンクリと鉄筋を与えて、それすらなければ、手や木の枝で掘り、石は現地で収穫のタダ石垣で、

地下要塞でも、少しでも島に作らせておけば。

少数のマンパワーで、広域を守備するドクトリンを形成でき、守備兵を撤収、満州や前線に移動などが可能であった。

工夫でアメリカなど勝てたのに。

日本は世界で唯一成功した社会主義国家と呼ばれる。東条英機はレジェンド。お前らが倒せない。熱かった時代、あの頃、戻りたいような戻りたくないような。

だって、教えたら皆、その技術できる様になって、勢力が脅かされるかも知れない。お前らに解りやすく。もうちょいとある。取りあえず、その理解で良い。たりまえ。お前らとて、海外には技術流出をさせないし。
4.名無しさん:2018年09月30日 10:24 ID:l15mFmBl0▼このコメントに返信
戦争体験って空襲の話だけじゃなく、こういう話も聞きたいよね
5.古古米:2018年09月30日 10:24 ID:TCFFw9Tc0▼このコメントに返信
※2
「烈師団長、発狂す」ですね。
補給が無いのに戦えとは・・・
正気の沙汰じゃ無かったのは、どちらかは今は明白だけど。
6.名無しさん:2018年09月30日 10:26 ID:goQLUZlv0▼このコメントに返信
母方のうちのじいさんもそうだぞ。
写真を一度だけみたことある。
7.名無しさん:2018年09月30日 10:27 ID:goQLUZlv0▼このコメントに返信
※6
すまん。
どこに行ってたかは、聞いてない。
8.名無しさん:2018年09月30日 10:27 ID:pH1En1nU0▼このコメントに返信
※1
国民皆兵で国家総動員だからね
国民義勇隊とかもあったし、沖縄だと鉄血勤皇隊や護郷隊みたいな少年兵部隊もあったわけで
9.名無しさん:2018年09月30日 10:29 ID:tEud2ZeO0▼このコメントに返信
海軍の造船技師だった爺さんは口数の少ない人で自分から当時の事を話すことはなかったなぁと
母親から 椅子に座った若き日の婆さんの横に立っている白い軍服を着たきりっとした丸めがねの青年が当時の爺さんだよと 子供の頃に写真を見せてもらっただけ
10.名無しさん:2018年09月30日 10:32 ID:1vaCdB8b0▼このコメントに返信
※1
年端もいかない女子供も軍人で、殺しても戦争犯罪にはあたらないっていいたいの?
敗戦国の自虐史観ここに極まれりだな
11.名無しさん:2018年09月30日 10:34 ID:KpuGJ48Z0▼このコメントに返信
ウチはマレーだったがな(銃弾で片目が遣られて終戦前に帰国した)

※5 弾が無ければ銃剣で武器が無ければ殴れ、蹴れ、最悪噛みついてでも戦え
食料が無くとも神の国の兵は戦える・・・と、言ってボロ負けした挙句、飢えと疫病で撤退だけでも脱落者続出(連合軍側は疫病を恐れて追撃を諦めた、まぁ勝手に日本軍の人員の減少は止まらなかったが)
周囲の将校達の話に耳を貸さない無謀っぷり。
12.名無しさん:2018年09月30日 10:34 ID:5XydAU7l0▼このコメントに返信
じいさんは福岡出身で31師団歩兵58連隊でインパールに行って復員した。遺品の連隊史に当時のことも何箇所か書いていますね。
他の人の話で、害獣駆除で現地人と一緒に象を狩って食べたけど現地の人はおいしいというけど、正直まずかったとか。
13.名無しさん:2018年09月30日 10:36 ID:pBu.bTfF0▼このコメントに返信
俺の父方、母方の爺さんどちらも出兵してないわ……
父方はその時すでに老いてて徴兵適応外で父は祖父がそこそこ年齢いったときに生まれた子だったから
尚その祖父はその後も子供作り続け、後妻までもらうんだからタフな男な人だったようだが、俺が生まれる前に死んでるんであったことない
母方の祖父は病気がちのため出兵されなかった。母が幼いころに亡くなってるから母も祖父の記憶はそんなにないそうだ
母方のひい爺さんが日露戦争にいった写真はあったから一応日本軍に家系的にいかなかった人はいないんだが
祖父二人は違かった
14.名無しさん:2018年09月30日 10:36 ID:ObX.SxAJ0▼このコメントに返信
しんだ祖父が豚肉食いたくないの一言だった
ガキの頃は炊飯兵で相当食いまくったのかと思ったが、豚肉って
人肉にも色なのでよっぽどすげえ戦場だったのかもしれんと
今なら想像できる
15.名無しさん:2018年09月30日 10:37 ID:wtqB8oOA0▼このコメントに返信
なぜ、負けたのかしっかり分析し、今度は負けないようにしよう。
16.名無しさん:2018年09月30日 10:40 ID:cBymysUn0▼このコメントに返信
祖父は特別高等警察官で内地にいて
叔父は憲兵で朝鮮に行っていたとの事
二人から昔の話を一切聞いたことがない
17.名無しさん:2018年09月30日 10:41 ID:KpyAMOEh0▼このコメントに返信
マスオさんもインパール作戦の生き残り

爺さんは徴兵されたけど敵地には行ってない
婆さんは学徒動員されて小田原の軍需工場で働いてた
婆さんの兄さんは敵地から台湾経由で復員したけど敵地での事は何も話さなかった

米軍のパイロットはハンティング感覚で女子供お構いなしで機銃掃射してたからな
後にベトナム戦争で祖国から殺人鬼みたいに扱われたけど全くその通りだから
18.名無しさん:2018年09月30日 10:42 ID:690meHVw0▼このコメントに返信
父母方どちらも年食ってたから爺様は従軍していないと聞いた (どちらも自分が産まれる前に死去)
大叔父が内地勤務だったとは聞いた事があるが・・・
19.名無しさん:2018年09月30日 10:42 ID:om6uzVFU0▼このコメントに返信
※10

年端もいかない女子どもに軍事教練して、沖縄戦では少年兵部隊も投入されてるんですがそれは
20.名無しさん:2018年09月30日 10:43 ID:rnCEzdoK0▼このコメントに返信
※2
そんなこと言って第31師団が無断撤退したので、隣りの第15師団はほぼ壊滅。退き口には退き口のやり方があんねん(牟田口がそれを考えいたかどうかは知らん)
21.名無しさん:2018年09月30日 10:43 ID:fyRsr8.p0▼このコメントに返信
戦闘に参加した人では無いけども。うちの台湾の爺ちゃんは戦中戦後タクシーの運転手だったらしく、終戦直後に中華民国海軍の元帥を台北付近(北投ってとこ?)の温泉街まで連れてったことあるらしい。
22.名無しさん:2018年09月30日 10:45 ID:oudVsbuI0▼このコメントに返信
>NHKの戦慄の記録 インパール も見ておくべきか

〇カになるぞ。
23.名無しさん:2018年09月30日 10:48 ID:hDd6UUjc0▼このコメントに返信
米12
自分の曾祖父も福岡出身で菊8905部隊、歩兵第114連隊って事が見つかった手紙でわかったよ
ビルマで戦死してるけど
24.名無しさん:2018年09月30日 10:50 ID:.f9C.U5R0▼このコメントに返信
71の話だと、北九州苅田の潮干狩りが有名な所だな。
潮干狩りの場所の真横が松林だもん。
あんな所でそんなことがあったんだな。
25.名無しさん:2018年09月30日 10:51 ID:lf4Q5d1W0▼このコメントに返信
俺の母親の話。
学校の先生「将来何になりたいか?」
男の子「兵隊さんになりたいです」
俺の母「看護婦になりたいです、兵隊さんたちを助けます」
そんなわけで、戦争中は国立看護婦養成所にいた。
天国のようなところだったらしい。
米軍の攻撃はないし、食料はふんだんにあるし、楽しい行事がたくさん。
しかも仲の良い友だちいっぱいできて、先輩も教官もやさしい。
結局、何一つ苦労することなく終戦を迎え、看護婦免状も手にしたとか。
26.古古米:2018年09月30日 10:51 ID:TCFFw9Tc0▼このコメントに返信
昔、ひい婆さん家に遊びに行くと、船の写真と軍服を着た男性の写真が飾ってあった。
今思うと陸軍の軍装だったから、戦地に行く前に輸送船でボカチンくらったのかも知れない。
その人が誰なのか名前も知らない。
ひい婆さんも大叔父も婆さんも、何も話してくれずに旅立った。
当時は「お国の為」と思っていても、肉親を失った思いは何年経っても癒されないみたいだ。
27.名無しさん:2018年09月30日 10:53 ID:pdaCjDxv0▼このコメントに返信
ワイのじいちゃんなんかニューギニアやぞ。
28.名無しさん:2018年09月30日 10:53 ID:R6eyyIHJ0▼このコメントに返信
※23
戦死と分かってるだけまだいいよ。うちは未だ行方不明。
29.名無しさん:2018年09月30日 10:54 ID:.w29acjc0▼このコメントに返信
大和が沈む時、護衛の駆逐艦に乗ってたって言ってたなぁ。
30.名無しさん:2018年09月30日 10:56 ID:x9jokZpz0▼このコメントに返信
犬神助清かな
31.※25:2018年09月30日 10:57 ID:lf4Q5d1W0▼このコメントに返信
ちなみに母親の兄は艦が撃沈され行方不明のまま。
32.名無しさん:2018年09月30日 10:59 ID:40p3X.pv0▼このコメントに返信
鉄底海峡に沈んでるわ。どうぞ安らかに。
33.桜キッズ:2018年09月30日 11:00 ID:3rZH7w460▼このコメントに返信
★参考討論
チャンネル桜🌸YouTube

『【討論!】あらためて大東亜戦争を考える』[桜H25/11/30]
  出演、馬渕睦夫、小堀桂一郎、田中英道、高山正之、他
34.名無しさん:2018年09月30日 11:01 ID:rbIePUKD0▼このコメントに返信
一族ずっと神戸なんやけど祖父が支那とビルマに行ってたらしい。てことは姫路の55師団所属で合ってる??
たしか陸軍伍長の騎兵やった
めっちゃでかい出征旗にコゲと血がついてた
全く話さんかったけど地獄やったんやろな
親戚は戦後シベリアに強制連行されてたけど生きて帰ってきたよ
35.名無しさん:2018年09月30日 11:02 ID:T.AIMyq30▼このコメントに返信
おまえらいくつだよw
36.名無しさん:2018年09月30日 11:02 ID:KLIN7M1z0▼このコメントに返信
魚雷はイルカかクジラが泳いでいるのに似ているって話はきいたわ
37.名無しさん:2018年09月30日 11:04 ID:0aFqFo3N0▼このコメントに返信
ワイの祖父は、満州、サイパンと渡り歩いて、終戦時はボルネオだったたらしい。色々、話きいたぞ!階級は、軍曹でした!
38.名無しさん:2018年09月30日 11:05 ID:VdC0Op6f0▼このコメントに返信
練習駆逐艦だかに乗ってたとかなんとか
複葉機も好きだった
葬式の時は海軍時代の知人が何人も当時の軍服姿でやってきて、棺に海軍旗掛けて軍歌歌ってた
39.名無しさん:2018年09月30日 11:07 ID:eMDn3L3Z0▼このコメントに返信
>>72
>昔のやくざ映画見てると「あいつは特攻の生き残りだから」みたいなセリフがたまに出て来る

これは9割が在日、三国人が特攻隊を騙っていうセリフ。モデルの三国人に雇われた日本軍人ってのも実在するが、ほとんどはそのモノマネなんですよ。ちなみに外地で飛行場の建設などに当たった半島出身軍属といえば勇敢に戦闘に参加した人間は若干居る(ブナの戦闘など)が、大抵は捕虜となり、その皇道派ルーズでだらしなく、米軍が悪い意味で感心、普通の意味で呆れるほどだったという。多くはそのまま米国に在住している。
40.名無しさん:2018年09月30日 11:08 ID:IdCMltH20▼このコメントに返信
祖父は膝に砲弾の破片が入っていたが
支障がないためそのままだったよ
機関銃中隊に属していた?のか
戦闘中にパニクった隊長が「あの方向に弾をバラマケェ!」と絶叫して 後になり「撃て じゃなくばら撒け なんて命令始めて聞いたな」と同僚と笑い合った話とか
敵戦車によじ登りハッチを開けて手榴弾を投げ込んでやっつけたとか蛇でも蜥蜴でもなんでも食べたとか話していたのを朧げに覚えてる
ビルマかニューギニアにいたのかね
後 戦地の写真を大量に持っていたが 遺品整理で両親が全部捨ててしまった
どこかの司令部幕僚の集合写真や捕虜になったインド兵らしき集団がトラックの荷台に満載されていて周りを着剣した銃で警備してる日本兵の写真とか資料的価値も高いのもあったはずなんだけど残念だ
41.名無しさん:2018年09月30日 11:09 ID:40p3X.pv0▼このコメントに返信
もうひとり爺さんは元騎兵、一応職業軍人下っ端だが。だが時代の波には勝てなかったようで機関銃中隊へと異動。
北・南支事変後~開戦までの戦閑期だったので戦地には行ってないが満州・朝鮮・沖縄には出張あり、軍生活は楽しかったそう。
なお上官は超嫌いだった。めんどくさくなって退職。開戦後も招集かからず。なかなか強運なのかもな。
42.名無しさん:2018年09月30日 11:09 ID:cBymysUn0▼このコメントに返信
身内ではない取引先のじいさんの話だが
関東軍の情報将校で暗号電文を司令官に渡す係で戦況が手に取るようにわかり、何度も内地に返してくれと願い出て
それならば特攻要員でよければ帰っていいと、それでもいいと内地に帰り震洋の訓練中に終戦を迎え生き残れた
当時の同僚はほとんどが戦死か抑留された、自分は目先が利いていたので助かったと自慢げに言っていた
43.名無しさん:2018年09月30日 11:19 ID:EM6A1jSg0▼このコメントに返信
なんやこのコメ欄。創作くさいのばっかだな。お前らの爺さん婆さんはどうせ戦中戦後生まれだろ。
44.名無しさん:2018年09月30日 11:19 ID:F.UwWrWQ0▼このコメントに返信
戦争の事はもっと語るべき
悲惨さでなくて武勇伝をね
生きて戦地から帰った方には勇敢に祖国や戦友を護って散った仲間の勇姿を伝え語ってほしいと思う
それを許さない今の日本の空気は間違ってるよ
皆の回りに存命の方が居たらぜひ話を聞いてもらいたい
45.名無しさん:2018年09月30日 11:22 ID:THMth2v30▼このコメントに返信
父方のおじの知人は戦前に満州の鉄道会社で働いていた
敗戦で本土に帰ると、本土の生活の貧乏臭さに驚いたという
もちろん戦災の影響もあっただろうが

満州や朝鮮で暮らしていた日本人が敗戦後に本土に帰って本土の貧しさのギャップに驚くって話しは、他の人{プロ作家含む)の話にも見たことがある


46.名無しさん:2018年09月30日 11:22 ID:dLY4wBFs0▼このコメントに返信
うちの祖父は海軍だったと聞いている
祖父は15年前に亡くなったけど、出征旗も大事にとってある
最近祖母の写真とかを探してたら、アジア一帯の地図がついた、軍から貰った記念品(そういう感じの文面が書いてあった)らしき帳面が出てきたわ
祖母の若い頃の写真が沢山あったから、多分戦後に祖母が写真帳として使ってたんだろう
47.名無しさん:2018年09月30日 11:23 ID:7L4jKErM0▼このコメントに返信
30年以上前お盆里帰りの母の実家で祖父が戦中、中国行ってたことを話しだした。同居してた従兄弟いわくそれまで一度もだれにも話したこと無かったそうだから、あまり話したく無かったのかなと。軍服で馬乗ってる写真をその後見た。


とりあえず旭日旗掲げるな言ってる韓国はクソ。
48.名無しさん:2018年09月30日 11:31 ID:zcyXSoiR0▼このコメントに返信
※20
佐藤師団長は抗命罪での死を覚悟して部下の命を守った
他の師団長は、ムダに部下を死なせただけ
49.名無しさん:2018年09月30日 11:34 ID:40p3X.pv0▼このコメントに返信
藪から出てきた青龍刀担いだ毛沢東に追いかけられた。という逸話があってな。
ネタだと思うがwww 話は面白い人だった。
50.名無しさん:2018年09月30日 11:34 ID:hW6NFDnN0▼このコメントに返信
安倍政権になってからこんな爺ちゃん自慢ばっかり
51.名無しさん:2018年09月30日 11:37 ID:.n1Loui.0▼このコメントに返信
オレの爺さんの兄は徴兵され、ビルマのインパール作戦に従軍し19才で亡くなった
19才だぞ
52.名無しさん:2018年09月30日 11:38 ID:rtqR.ThO0▼このコメントに返信
オレの爺さんは10歳の頃日本軍に殺された
53.名無しさん:2018年09月30日 11:39 ID:XRP6YK470▼このコメントに返信
高祖父が日露戦争でウラジオストクまで行った話なら祖母から聞いたなぁ
騎兵とか言ってたけど戦果の話もなかったしどうなったのやら
54.名無しさん:2018年09月30日 11:41 ID:bomkDvDN0▼このコメントに返信
うちの母(昭和16年生まれ)の思い出話。
・学校のクラスで水を運びに海岸に行った。
・昼休みに男の子達が浜辺に落ちていた物を投げあって遊んでいた。
・その物が爆発して遊んでいた子は全員死んだ。
手榴弾か機雷の一部だと思うけど...戦争終わっても悲劇はなかなか
とまらないね。
55.名無しさん:2018年09月30日 11:41 ID:R4pVFk1c0▼このコメントに返信
うちのじいさんもインパール作戦から帰って来たらしい。ちな長野

物心つくぐらいには死んでしまったから詳しい事は知らないが、
精神病んで最後の方は躁鬱だったようだ
56.名無しさん:2018年09月30日 11:42 ID:JNx3.9jZ0▼このコメントに返信
ウチのじいさんもビルマ出征して生きて帰ってきたぞ

で、縁といっていいのか分らんが、俺の会社でミャンマー人を雇用することになりそうでさ、
じいさんビルマで戦ったんだよねって話はしてもいいものかな?

戦時中のことで現地の感情(反日的?親日的?)ってどんな感じか知ってる人、教えてほしい。
ほんとに知りたいからよろしくお願いします。
57.名無しさん:2018年09月30日 11:43 ID:.n1Loui.0▼このコメントに返信
※53
日露戦争で騎兵だったのなら秋山好古の下で大活躍したハズだ
58.名無しさん:2018年09月30日 11:48 ID:hKE4bAnK0▼このコメントに返信
四国民だけど、父方の祖父はビルマで戦死。
母方は輸送船の乗組員で潜水艦にやられたので
自分のじいさんは写真の中でしか知らない。
59.名無しさん:2018年09月30日 11:57 ID:s3uP9eZF0▼このコメントに返信
死んだ爺さんは時計技師だったから、満州は行ってたが最前線までは行かなかったくせに、遊びで出掛けたら近くで地雷が爆発して片足失った。時計技師だから指失わなくて、さらに生きて日本に帰れるってことでラッキーだと思ったって。
戦争はアメリカとやる前から負け戦さになるの分かってたからお国の為にとかは思わんかったらしい。時計屋やって、恩給がついて傷病手当?がついてたり電車も年に何回か無料みたいっだらしくて旅行行きまくりだったな。いまだに靖国神社から小誌送られくるけど、寄付でもしてたのかな。
やっぱり死んだ婆ちゃんの実家は米作地方の米問屋だったから、戦時中でも普通に米を食べてて困った事は無かったって。
60.名無しさん:2018年09月30日 11:57 ID:VMHHvd.70▼このコメントに返信
母方の爺さんは中国戦線だな。砲弾の破片か銃弾を食らっての帰国組。

俺が産まれた二日後に亡くなってるから話しや写真でしか知らないがこの前、母が亡くなって「本家」で
駐屯地から送って寄越した手紙というのを初めて見た。

70年以上経ってるのにそれほど黄ばんでおらず下手ながら丁寧に書かれていたな。
内容はたいした事なくて皇軍兵士として頑張っておりますとか●●様もお元気で、みたいな内容だった。

父方の方は絶縁なんで爺さんには数回しか会った事ないが九州の大名の家系なんでたぶん陸軍の要職にあったと思う。
ただ戦後近所から「お前らのせいで酷い目に遭った」ってリアルに石を投げられたとかいう話もあるから、まぁ戦争中の話はしないだろう。

友人のお父さんが諜報活動してた、というのが最近発覚した。
ガキだった頃に聞いたゼロ戦の話とか空中戦とか南方での捕虜生活とかウソだったんだな(笑)

俺らにまで真実を語らなかったというのに驚いた。
61.名無しさん:2018年09月30日 12:00 ID:o.DbL5iN0▼このコメントに返信
※43
悪いな、俺は40代だから俺のじい様は大正生まれだ

だけど、台湾とか戦況がいい頃の中国戦線とかにしか行ってないから書き込めることはあんまり無いけどな
62.名無しさん:2018年09月30日 12:01 ID:58oOVvQ90▼このコメントに返信
本スレの74がまさに俺のじいちゃんとかなり似た経歴だな。
鉄道部隊に所属し普段は後方部隊ということで主に負傷兵の看護してたらしい
ビルマのヤンゴンに向かった際はその辺の道の端に死んだ兵士が
身ぐるみ剥がされて放置されてたと聞いた
ヤンゴンについたら丁度インパールから兵士たちが逃げ帰ってきてる最中で
その兵士たちと一緒に東に撤退していってシンガポールに着いたときに終戦となり捕虜
戦後は四国で国鉄職員として働いた
63.名無しさん:2018年09月30日 12:02 ID:VMHHvd.70▼このコメントに返信
親戚の婆さんが90歳になるけど戦時中は横須賀の工場で働いていた。
破れたり血が付いたパラシュートの修繕係だったって。

休日はたまに東京に行ったりしてたようだけど田舎の人だからあまり遊び歩かず親戚の所に行ったりという生活だった様子。

戦争になった時は、アメリカって言うと一家に一台自動車がある金持ちの国と戦争なのかって言ってたらしい。
今は一人一台ですねっていったら本当だって笑ってたよ。
64.名無しさん:2018年09月30日 12:06 ID:eMDn3L3Z0▼このコメントに返信
>>73
泰緬鉄道で活躍した主力のC56 1-90との符号ですやんか。
泰緬鉄道は次の5つの路線が検討された(泰緬鉄道ノートより)
① チェンマイ=トングー:サルウィン何の大架橋とトンネルが必要。
② ピサヌロークとフーヘン(ターク)=モールメン:比較的短距離だが、トンネルとメナム何二支流への架橋が必要。
☆ ③カンチャナブリータンビザヤ(三塔峠ルート):距離は長めだが、トンネルを必要とせず。
④同上=タボイ: 最短距離だが、トンネルが必要となる。またビルマ側においてタヴォイ=イエ間の鉄道敷設が新たに必要となる。
⑤チュンポン=メルグイ: 距離が短く、地形も難しくないが、ビルマ側でメルグイからモールメンまでが海上輸送となる。

①はインパール作戦前に1個師を投入して道路改良した経路で、国連構想AHのA1は約100㎞東側のチェンラーイ、メーサイを通過する。
私の戦略眼なら一部を道路、索道としてもこのルートを選ぶだろう。ビルマ失陥時の各師団の退却路でもあった。バンコクよりマンダレー、メイテクーラへの最短距離を構成し、海上兵力とも懸絶する。
②以下は海上交通、水上交通を以てしてそもそも代替可能なものである。1000t船舶8隻もしくは小船舶による蟻輸送でも代替可能な群島海域なのである。さらにメイテクーラでは河川横断に積み替えを要し、次のシッタン川は川津波(ボア)の名所で鉄橋があい路であり、実際この鉄橋が破壊された後、退却日本軍は最大の損失をここで見ている(シッタン作戦)。死地を構成してしまうアイデアなのである。
①は徹底抗戦も考えるシャン高地の後背ルートでもあり、大本営の百年籠城構想の実現を助ける補給路ともなったであろう。(いらんけど
65.名無しさん:2018年09月30日 12:07 ID:mXVPSDqZ0▼このコメントに返信
731部隊って、世間で言われてるのは基本的に疑わしい内容ばっかだよな
たとえあまりよろしくない実験あったとしても、当時は便意兵(テロリスト)とか露助スパイとかがそこらかしこに居るんだから、
人権の適用されない人がいくらでも手に入った。そういう人をチョメチョメしても国際法の違反ではない
まあ、大っぴらにすると当時としてもあまりよろしくないだろうけど
なんで731の話かっていうと、うちの爺さん731部隊だったらしいんだよね
66.名無しさん:2018年09月30日 12:13 ID:NMMoCJHz0▼このコメントに返信
スマトラ島に行った元兵士の話を聞いた事がある。戦闘は経験せず、原住民との関係も大変良好で食事も美味かったそうだ。

日本に戻って名古屋が焼け野原で驚いたと言ってた。
67.名無しさん:2018年09月30日 12:19 ID:KpuGJ48Z0▼このコメントに返信
※43 お前の頭の中ではそうなんだろ?(プッ!根拠も無ぇのにダッセェwww
68.名無しさん:2018年09月30日 12:23 ID:eMDn3L3Z0▼このコメントに返信
うちは特設海防艦前甲板8センチ高角砲はこけおどし、船橋上7ミリ7×2は豆鉄砲、後甲板の25mm単装だけが頼りの対空射撃指揮官。高射算法は丸暗記の実戦では当てズッポウ。爆雷に座っていた部下が突然の機銃掃射で爆発し、足を曳く後遺症となった。緒戦で如月が沈没し、日本軍の爆雷は世界一安全な三号爆雷に改修されていたので、その程度で済んだようである。うちのは関門海峡で爆沈した死体が小魚につつかれているのを見ていたので、キビナゴ、コウナゴ、白魚などの小魚を食べられなかった(煮干しは除く)。男3人いて3人帰った。兄はシベリアで遅くなり、弟は御坊西山の貼り付け陣地(現自衛隊駐屯所)で陣地構築であった。陸軍の対米上陸作戦は米軍計画のものとほぼ一致していて戦術眼の優れている部分を見せている。(やれば出来るらしい)
69.名無しさん:2018年09月30日 12:31 ID:eMDn3L3Z0▼このコメントに返信
※65
良く話を聞いておくのが良いよ。
731部隊は「防疫給水部隊」「石井部隊」と呼ばれて、現地での住民慰撫、匪賊帰順に絶大な力を発揮した正義の部隊だよ。
731が来ると話が伝わると、町や村に市が建ち、周辺から病人がやってきて現地が一気に親日ムードになったという。

巡回医療班、削井部隊、石井防疫給水部隊が大陸での宣撫三大組織だったのである。
馬鹿中角栄が1972日中国交回復時に「井戸を掘った人の事は忘れませんから」と言われたのは田中の事ではなく、
当時の河北省の井戸の三分の二を掘っていたという帝国陸軍のこと。勘違い角栄の罪は果てしなく不快
70.名無しさん:2018年09月30日 12:34 ID:hGJ.Q2920▼このコメントに返信
親父が言うには26年前に亡くなった爺さんもビルマまで行ったらしい、大昔に聞いた話しだと戦車に乗っていたとかナントカ? 地元は長崎なんだけど、どうなんだろ?
別件なんだが、長崎という土地柄婆さんが缶詰工場で働いているときに原発落ちたらしく、俺は被爆三世だとか
71.名無しさん:2018年09月30日 12:39 ID:Zn09jruS0▼このコメントに返信
うちのじいさんは町内の消防団で消火活動に参加
空襲で街が焼き払われるも、水がでないので缶詰工場から缶詰かっぱらってきて、火災現場でムシャムシャみんなで食べていたとか
72.名無しさん:2018年09月30日 12:46 ID:mXVPSDqZ0▼このコメントに返信
※69
爺さんは俺が生まれる前に早死にして、ばあちゃんももう死んじまったからな
爺さんは戦中のことなんも言わんかったらしい。親も話全然聞けなかったと
731部隊が日本の学術界でどう言われてんのかしらんけど、部隊に対する親の印象も悪いし、
言わなかったってことはあまり言いたくない記憶だったんじゃないかって思うわけよ。個人的にはな
あくまで個人の話な
73.名無しさん:2018年09月30日 12:49 ID:RxKjrkte0▼このコメントに返信
爺ちゃんは終戦時18歳でギリギリ戦争行かなくてすんだらしい
74.名無しさん:2018年09月30日 12:50 ID:D5p.ruln0▼このコメントに返信
そういや高校時代やけに歴史が好きになって詳しくなって、祖父祖母連中に色々聴いたの思い出したわ。
父方の爺ちゃんは霞ケ浦で予科練やってて、訓練兵の間に終戦したとか、その後ジェリー藤尾のバックで米軍基地周ってたとか揚々と話してたけど、母方のばあちゃんは満州帰りだったから、聴いても聴いても「覚えとらんのよ・・」ばっかり。
その後色々調べて知ってみて今考えると、相当な事あったんだろうなぁ、って後悔してるわ。。
ばあちゃん、無知だった当時の俺を許してくれ。。。。
75.名無しさん:2018年09月30日 12:53 ID:RxKjrkte0▼このコメントに返信
※19日本ってほんと昔からゴミみたいな国なんだな
76.名無しさん:2018年09月30日 12:55 ID:kE6N6xgS0▼このコメントに返信
※1
こういうこと自分で言っちゃうんだから日本人てチョロイわ
77.名無しさん:2018年09月30日 12:56 ID:MT3TYgSr0▼このコメントに返信
ビルマの竪琴
78.名無しさん:2018年09月30日 13:02 ID:0Sp.fim50▼このコメントに返信
ウチの身内には「北鮮で戦病死」という人がいるが、具体的にどこでどう戦闘して…ってとこまでは分からん。

あと、近所の人の墓石には駆逐艦若竹に乗艦してて戦死って書いてあるし、若干不謹慎かもしらんが、昔からある墓地で墓石巡りをしてみれば色々書いてあるだろうな。

あと、仏壇に軍人手帳とかあったりするから、お前らも探してみれば?
79.名無しさん:2018年09月30日 13:11 ID:H7oF7KvD0▼このコメントに返信
婆さんのお父さんが近衛師団で
戦時中は南京に居たって話なのだけど

近衛師団ってそのとき、そんなとこおったんか?
80.名無しさん盆地:2018年09月30日 13:12 ID:zw4cGi0I0▼このコメントに返信
私の父の一番上の兄さん(父は三男)もインパール作戦に従軍して戦死してる。31師団だったのか。
母方の祖父は満州で終戦迎えてシベリアに抑留されたけど、なんとか生きて帰って来てくれたよ。バイカル湖の近くだったとか言ってた。
81.名無しさん:2018年09月30日 13:14 ID:D5p.ruln0▼このコメントに返信
※78
満州帰りのジジババが死んで、遺品整理に駆り出されたんだけど、満州の郵便貯金通帳みたいなんがあって、預金が「800円」ってあったんよ。
あの当時の800円って相当な額だろ?? ジジババかなり稼いでたんだなぁ、って今思ってる。
(ちなみに郵便局持ってたら、800円ですから800円なら換金できますニコっってな対応だったわ) んなんより満州郵便局の通帳の方が貴重だからさっさと帰ってきたが。
82.名無しさん:2018年09月30日 13:20 ID:CYj0wozS0▼このコメントに返信
特攻といっても、死ぬのはいやだと8回も生還したヤツがいた
あながち強制ではなかった

83.名無しさん:2018年09月30日 13:38 ID:jVf.W6gA0▼このコメントに返信
俺が子供の頃は親世代は終戦直後だし高齢者はみんな戦争経験者だったな
今と比べればまだ終戦の名残みたいなものは結構あったな
84.(たま):2018年09月30日 13:41 ID:S.ce48yB0▼このコメントに返信
我が家の家系は戦場に行った人はいないけど、戦時中は近くの大村海軍航空隊に農産物を納めてた農家だった。
出来た農産物を兵舎に納める訳だけど、あまりにも調子に乗りすぎて『冬瓜』ばかり納めて兵士達から不評を買いまくったそうだ(冬瓜は、それ自体に味は無く、鶏肉等と煮込まないと食べられ無い食材)

終いには兵舎の壁に、『冬瓜作りはタヒね!』・・・と大きく落書きされたそうだ。
85.名無しさん:2018年09月30日 13:49 ID:E4TuGpla0▼このコメントに返信
敗軍の将、兵を語らず
少なくても楽しい経験では無い、そっとしておいてあげるのが靖国の元
86.名無しさん:2018年09月30日 13:57 ID:Ns6.LEE50▼このコメントに返信
うちのじいちゃんはビルマで死んできたらしい
87.名無しさん:2018年09月30日 14:00 ID:zHOxcSlI0▼このコメントに返信
爺さんの弟さんがテニアンから生きて帰ってたな。
親族にすら最後まで何も語らず亡くなった。
 
大人になってWikiとかでちょっと調べたら、
何も言わなかったのは直ぐに理解できた。
88.名無しさん:2018年09月30日 14:09 ID:igTn04tU0▼このコメントに返信
うちの爺さんは満州で撃ち合いやってた。
斬り合いもやったらしい。
89.名無しさん:2018年09月30日 14:11 ID:cXQCgqkv0▼このコメントに返信
大正生まれの父親は 陸軍で上海勤務。
戦後、復員したら戦犯容疑で米軍に逮捕された。2年後、容疑は晴れて無罪。
遺品に中支(?)方面軍の書類が有った。
90.名無しさん:2018年09月30日 14:26 ID:TkoFVsk10▼このコメントに返信
親類に特攻で亡くなった人やシベリア抑留で何とか生きて帰ってきた人がいたが、話を聞けなかったな。本人も口にしないし、こちらから聞けるような雰囲気でもなかった。何か人間の業の深みを見尽くしたような感じの人だった。
91.名無しさん:2018年09月30日 14:34 ID:UQiG63CU0▼このコメントに返信
みんなすげーとっしょりなんだな。
うちのじーさんばーさんはふたりとも戦後生まれだが?
92.名無しさん:2018年09月30日 14:34 ID:NkFSrTR40▼このコメントに返信
ウチのじーさん水兵として海軍に入隊して勉強して海兵海大出て、戦後は警察予備隊に行けて最終的に陸将補で退官したみたいだけど
改めてみるとすげー出世っぷりだわ。兵から将まで行ってんだもんな。

戦中は11回船が撃沈されて海に飛び込んで生きて帰った生命力もすごい。
93.名無しさん:2018年09月30日 14:36 ID:J7jvw4fh0▼このコメントに返信
父方のお爺ちゃんは陸軍少尉で南支戦線で支那兵との戦闘中にチェッコ(支那兵のチェコ製軽機関銃)の弾が右耳の上部分をかすって、縄文土器の模様みたいな火傷跡がずっと残ってたな。台湾の陸軍病院で終戦を迎えて、戦後は日本と台湾を行き来する商社マンになって昭和の終盤まで生きてた。
94.名無しさん:2018年09月30日 14:55 ID:npD9iPT00▼このコメントに返信
「風呂上がりに男根見せてくれた」のワロタ
95.名無しさん:2018年09月30日 15:06 ID:amDTGJJx0▼このコメントに返信
みんなの爺ちゃんたち立派な日本人でええな、、、
俺のじいちゃんばあちゃん、憧れの国日本へ密航船で来たやつらや。。
96.名無しさん:2018年09月30日 15:15 ID:tmJViVfX0▼このコメントに返信
※19
軍役につけるときにはちゃんと手続きが必要。
国家総動員法とは全員が兵士って意味じゃない。
国家の資源を最優先で軍事に当てはめるための法律。
個人の資産を勝手に軍用には出来ないから、その法的根拠を得ただけ。
鉄供給令ですら買い取り前提だよ。
97.名無しさん:2018年09月30日 15:38 ID:TJWJRoiY0▼このコメントに返信
市内で爆弾落とした米軍の爆撃機や、
護衛の戦闘機が、
その帰りに人や車に列車や建物と、
手当たり次第に撃ってたらしいね
98.名無しさん:2018年09月30日 16:06 ID:Ls9yFTzp0▼このコメントに返信
曾祖父は徴兵忌避して呉の軍港で事務員やっていた。一応軍人なので赤紙は来ない。
上司も徴兵忌避した短期現役士官だった。
 
ここに入り浸ってる連中は、だいたい祖父母が戦後すぐの生まれでは?
99.名無しさん:2018年09月30日 16:19 ID:1TIEZ4Lg0▼このコメントに返信
聖戦を戦った親族を是非誇りにしてもらいたいね
もう何年もすれば大東亜戦争の評価も180度変わるだろうしな
もともと米英やコミンテルンの策略に嵌められただけなんだよな
100.名無しさん:2018年09月30日 16:19 ID:35BOPvcy0▼このコメントに返信
祖父が戦争行ってた世代となると50歳以上くらいか?
随分高齢な方々が集まってんだな
101.名無しさん:2018年09月30日 16:54 ID:lU3Ynl0S0▼このコメントに返信
※100
何でそうなるのかね
1920年代生まれなら徴兵されてるわけで祖父と父がそれぞれ30代で子供出来てれば1980年代生まれの孫がいる
俺がそうだが。まぁ俺の爺さんは軍需工場勤めで戦場言ってないけど
祖父や父が遅めに子供出来てればもっと年齢低いのもいるだろう
102.名無しさん:2018年09月30日 17:11 ID:35BOPvcy0▼このコメントに返信
でも大抵50歳以上でしょ?
そうじゃない人も中にはいるとか言われてもそんなの知らんし
103.名無しさん:2018年09月30日 17:22 ID:om6uzVFU0▼このコメントに返信
※96

鉄血勤皇隊とかはまさにその手続き上に問題があったことが指摘されているんですがそれは…
104.名無しさん:2018年09月30日 17:27 ID:qGIT16IW0▼このコメントに返信
ドラマは脚色してる、戦争体験者の話はその人の主観の世界でしかない
って傷病兵で帰ってきたらしい親戚のお爺さんが言ってたのは印象的
105.名無しさん:2018年09月30日 17:40 ID:rH3.yQ3T0▼このコメントに返信
私は67歳なので、皆さんと違って父親が戦地に行った。少年通信兵学校を出てビルマへ。乗っていた輸送船は新造船だったが途中で舵が故障したため、船団から離れて修理をした。海軍も新造船を失うのが惜しかったのか、駆逐艦が1隻随伴し潜水艦から輸送船を守ったそうだ。目的地に着くと先行した三十数隻の輸送船は数隻しかおらず、みんなバシー海峡で潜水艦に沈められていた。配属先は戦車第十四連隊の本部、19歳の事だ。連隊長が複数戦死した歴戦の部隊で、終戦時は95式軽戦車が1両のみしか残らなかった全滅判定を受けた部隊だった。終戦後は武装解除でイギリス軍へ兵器を供出したが、捕虜ではないので指定された収容所では結構自由があったようだ。その収容所に居た際に、父はビルマ人の結婚式に招待されたそうだ。戦地であるビルマに居て唯一楽しかったことだと笑っていた。これがどのような事か皆さんなら解りますよね。少なくとも戦車第十四連隊はビルマの人々に対して残虐非道なことは行わなかったと言う事です。他の多くの部隊も同じでしょう。東南アジアの占領地で日本軍が現地人を殺害したのは、欧米の手下に成り下がった現地人が敵対行為を行ったからですよ。そして戦後、殺害された遺族を中心にして日本軍の残虐性を世界に訴えた訳です。戦勝国も日本を悪者にしておけば、自分たちの植民地時代から目をそらせるとでも考えたのでしょう。まぁ歴史は勝者が作る訳で仕方がないのかもしれませんが、日本の若者には歴史の真実を知って欲しいですね。
106.名無しさん:2018年09月30日 17:57 ID:BBjxBmFq0▼このコメントに返信
実際に戦争に行った人は黙して語らず、
行ってもいないない人が戦争体験とか盛って適当に話す。
107.名無しさんMcAfee SECURE - Certified Site bizapedia.com:2018年09月30日 18:01 ID:1GX.bMh70▼このコメントに返信
【パヨク悲報】野党第1党の立憲民主、支持率4.4% | 保守速報
108.名無しさん:2018年09月30日 18:36 ID:7XsUs28y0▼このコメントに返信
じいちゃんから戦争の話聞いたことなかったけど、亡くなったあとに、戦中宮内庁で働いてたって親戚から教えられた

話聞きたかったよ…
109.名無しさん:2018年09月30日 18:42 ID:sFM1S2sY0▼このコメントに返信
うちのじいさんはシベリアにずっと抑留されてた。それでも、京都暮しだったけど石川出身者だったから金沢師団も北へ行って、結果生き残った。もし第16師団でレイテにいってたら帰ってこれなかっただろうね。
110.通りすがりの名無しさん:2018年09月30日 18:44 ID:lHZCuMVO0▼このコメントに返信
※97
福岡では結構列車がやられたし、小学校の庭にも爆弾落とした。
鬼畜米兵ここに極まりだな。

日本は真珠湾で宣戦布告が遅れて奇襲攻撃になったけど、軍事施設や軍艦のみ攻撃目標にして市街地への攻撃は一切していない。
中国戦線でも事前に飛行機でビラ撒いて市街地内の基地へ攻撃を予告しているから「効果有る訳無いじゃないか」と誇らしげに笑いながら話す日本兵の話が載ってた。

111.名無しさん:2018年09月30日 18:45 ID:sFM1S2sY0▼このコメントに返信
※100

俺のじいさんは明治生まれで戦争行ったけど、俺は四十代中盤だぞ。
112.名無しさん:2018年09月30日 18:54 ID:690meHVw0▼このコメントに返信
※97
目標に爆撃出来なかったB-29が「何処か適当に落とさんと着陸出来ん」で爆弾処理目標になった所もある位だからなぁ・・・
113.名無しさん:2018年09月30日 19:10 ID:UKVUUucZ0▼このコメントに返信
今現在の国籍、民族、そして主義に関係性なく、
色んなことを配慮しなければならない。
その最大公約数が戦争に携わった方々の戦後の生き方だった。

下手に兵隊として動員され、内地に帰って一生を終えられた日本人より、現地で日本と協力したがために、という方々の方が、どれだけの苦難を味わったのかわからない。

そうした方々の幸福のバロメーターによって日本の外交は変わってくるのは当然であった。
114.名無しさん:2018年09月30日 19:11 ID:pH1En1nU0▼このコメントに返信
※110

福岡は普通に市街地に基地があったから爆撃受けてるんですがそれは
115.名無しさん:2018年09月30日 19:16 ID:UKVUUucZ0▼このコメントに返信
ビルマで戦った辻政信氏は、戦後、日本と協力したがゆえに、裁判でも自己の正義を堂々と主張した末に処刑された南京政府関係者の遺族を訪問していた。
そのときの記事も残っている。

一つの正義を、日本側が放棄したことにより、総てを失った方々が沢山おられた。

日本において、戦勝国バイアスを経ずに歴史を見返すことは悪いことではないが、それが可能になったのであれば、まず心を致すべきところではないだろうか。
116.名無しさん:2018年09月30日 19:36 ID:G.heIxzd0▼このコメントに返信
※95
そのじいちゃんばあちゃんのお陰で
今があるんだから感謝の一語ですぜ
117.名無しさん:2018年09月30日 19:40 ID:Bj.mjQSI0▼このコメントに返信
※115
辻がややこしい事したからだろうが
118.エンアカーシャ:2018年09月30日 19:41 ID:Djm6E7i90▼このコメントに返信
日記やメモを、ネットにアップして、公開、
実話を、後世に残そう。
119.暴君:2018年09月30日 19:48 ID:jj8Ri2zg0▼このコメントに返信
>>26
>死んだ爺ちゃんは旧ソ連行ってた
>死ぬ思いして帰ってきたらしい
>何故か魚屋始めたてた

 毎日、新鮮な刺身が食べたいとか、思いつめてたのかな。

だとしたら、ちょっと切ないな。
120.名無しさん:2018年09月30日 19:51 ID:.CgQiR2E0▼このコメントに返信
満蒙国境地帯でソ連兵を射殺した経験のあるひと、引き上げ時に満州に子どもを
置き去りにせざるをえなかったひと、ラバウル基地で整備担当をしていたひと、
俺の周囲のご老人たちはみな詳細を話さないままお亡くなりになられてしまった
121.名無しさん:2018年09月30日 20:00 ID:BlWE2EPS0▼このコメントに返信
♪兜に残る玉の後♪自慢じゃ無いが見せたいぃな♭
122.名無しさん:2018年09月30日 20:30 ID:xkCEFWGy0▼このコメントに返信
祖父が少なくとも90くらいってことは報告者もそれなりの年齢なんだよなあ
ちなワイのじいさま支那で憲兵してたけどもう10年ぐらい前に逝った
123.名無しさん:2018年09月30日 20:32 ID:NMMoCJHz0▼このコメントに返信
朝鮮戦争や保導連盟事件を調べたら日本統治下の朝鮮半島は天国じゃん。
在日嘘ばかりついてんじゃねえよ。

本当は、まだ韓国が怖いんだろ?
だから、帰んねえんだな。
124.名無しさん:2018年09月30日 20:43 ID:UKVUUucZ0▼このコメントに返信
プレスコード下の占領民主化時代。再独立で建て直した途端の、それを挫くための60年代からの様々な動き。

そういった悪意を経た上で平成後があるとするならば、
都合のよい記録だけが残され、それによって誘導され、
場合によっては犠牲になられた方々の係累が更に犠牲になるようなことは絶対にあってはならないと思われる。

実際に戦争を戦った方々の希望は平和にあり、そのためには自己を全否定しかねない9条すらも敢えて掲げて日本が戦争に巻き込まれないようにされた。

それでも、占領期以降の脈絡の上にある、あの事故は回避できなかった。

日本を他国の都合よく戦争に巻き込まないことには成功したが、肝心の自分で自分の身を守るという本義を、占領期あるいはそれから続く悪意ある政策の前に御座なりにしてしまったからだろう。

ここまでは流石に、上下一体となって裏表無く慎重に取り組まなければ不可能であったと思われる。
125.名無しさん:2018年09月30日 20:48 ID:UKVUUucZ0▼このコメントに返信
117

したから、ではなく、すでに政治的脈絡として立派に存在していた。
それが南京政府だった。

日本はそれを利用し、そして利用された。
お互い様と言えばそれまでで、戦後もそうした関係性は継続していたのかもしれないが、それでも、日本が戦争に負けた後でさえ、一貫して、そうしたことに思いを致し、我が身を殉じることができた人間がどれだけいたろうか?
126.名無しさん:2018年09月30日 21:08 ID:30pEpdhC0▼このコメントに返信
うちの爺さんは大陸打通作戦で一日100キロ歩かせられたと言っていた
12人の分隊も最後は3人しか生き残らなかったらしくみんな栄養失調だとか
敵の支那兵も金で簡単に寝返り道案内とかしたらしい
作戦はB29の飛行場の破壊らしいがサイパンに移動してもぬけの殻だったとか
戦後捕虜になって自分達で破壊した飛行場の修復をやらされたらしい
127.名無しさん:2018年09月30日 21:30 ID:K6kK.lWj0▼このコメントに返信
※29
うちの爺ちゃんと一緒やな。
この前軍歴証明取ったら、浜風って船乗ってた。
128.名無しさん:2018年09月30日 22:45 ID:Q3ERL.6c0▼このコメントに返信
ビルマじゃ大変な苦労をしたんだろうな。
でも孫までできて、生きて帰れてよかったと思ってくれてたらいいな。

俺の祖父の長兄(大叔父っていうの?)は一回目の徴兵では中国で、二回目は南方でオランダと戦った、って言ってたからジャワ戦線かな。
「日本兵がいちばん強い」
「斬り込み隊で敵陣突入するとやつらは泣きながら逃げ惑うだけ」
と言ってた。
こどものころはオジさんすげえって思ってたけど、やっぱり火力不足、補給不足で斬りこむしかなかったんだろうな。

ある時、亡くなる数年前だったか、「俺は人の肉を食って日本に帰ってきた」と言っていた。
悲しむとか、後悔してるとかいう感じではなく、「俺の尻にはホクロがあるんだ」みたいな感じで。(わかるかな)
いよいよ弾薬も医療品もなく、糧食も尽き、現地の村に出ようとすると敵に待ち伏せされるのでジャングルから出られず
戦友同士で「俺とお前のどちらかが先に死んだら残った方は肉を食って生き延びて日本に帰る」って約束してたって。
自分たちだけじゃなくて生きてた兵隊はみんなそういう約束をしてたって言ってた。

それからは日本がやったことが侵略戦争なのか防衛戦争なのかとかはどうでもよくて、でも徴兵した兵隊にメシも食わせず
薬もなくもちろん弾なんかなくてただ刀で戦うのみ、っていうような戦争をさせた奴ら、そんな状況に陥っても
止めようとしなかった奴らは心底憎いと思った。
大叔父は生涯上官への文句を一切言わず、立派な上官だったと語り、先帝陛下を敬いながら生きて、眠るように亡くなった。
129.名無しさん:2018年09月30日 22:50 ID:ex.csATh0▼このコメントに返信
学校の剣道の先生が、中野学校出身で大陸で3日三晩逃げ回った話聞かせて貰った

命がけで逃げて鉄砲も服も捨てて、最後はふんどし一丁で逃げたとか。

適当に練習してると、「それでは人は切れんよ」が口癖だった。
130.名無しさん:2018年10月01日 00:13 ID:G6v3MiqX0▼このコメントに返信
母方の祖父は満蒙開拓がらみで京城帝国大学に進学し学徒動員で前線派遣される直前に終戦、ソ連軍南下もギリギリで躱し帰国。戦後は天下のM財閥の重役になり、地元の選挙でも死ぬまで顔役として知られていたらしい。
父方の祖父は陸軍中野学校の最後の生徒として本土決戦の準備中に終戦。戦後はそのコネで色々とやってたらしい。
 
どっちも詳しい話を聞けないまま鬼籍に。今になって随分と惜しいことをしていたと痛感する。
131.名無しさん:2018年10月01日 00:30 ID:iY4kyz4g0▼このコメントに返信
母方の祖父は戦中子供だった人で父方は体が弱くて田舎の療養暮らし。
二人とも反戦かつ革新的な思想を持ってるのを見るに、
どうも先の大戦を「戦った」人より「体験した」人の方が反戦の傾向が強くなるようだね。


思うに日本による東亜唯一の躍進を知らず、なおかつ米国の空襲が頭に焼け付き、
加えて戦後の教育がそういった類のものだったからではないかと。
132.名無しさん:2018年10月01日 02:47 ID:aZ10Scpg0▼このコメントに返信
連続更新失敗くり返す連続更新失敗!
133.海軍一誠会:2018年10月01日 13:10 ID:0l97SBG40▼このコメントに返信
学徒昭和18年出陣海軍組だったのだが、戦後は右派左派に見事に分裂した。うちのは次男だったことも有り心情的には左翼、商売的には現実的に保守主義であり、共産主義などへの傾倒は一切なかった。戦友会の会合でも両派が対立し、時に先鋭化するなかで幹事を務めあげ晩年には皆仲良くなりました。昭和30年代後半の「聞けわだつみの声」「鶴田浩二誹謗事件」ってのは俺氏3才~10才までの間だったが事件・論争の深刻化した状況などはよく覚えている(記憶を後の情報で肉付けしたもの)。同期からは機上偵察員、回天練習員、震洋艇部隊以外には特攻殉死は出ていないが、終戦が長引けば特攻する身であった。「わしらもみんな特攻隊だ。死ぬ覚悟は出来ていた」と鶴田浩二の立場を涙で弁護していた。という訳で海兵出身者は大嫌いな模様であった。福田国税庁長官、中曽根康弘はうまくやりやがってと、別に批判口調でなく評していた。

まあ、海軍閥が戦後を大きく牽引できたのは、「海軍精神、海軍一家」で親米丸出しのこのグループが日本を大きく復興成長させたと言える。
無理を言える仲間が全国、各所に居たのだ。そしてイデオロギーの対立も表面だけで根は繋がっていたのである(数組の個人関係を除く程度)
134.名無しさん:2018年10月01日 14:43 ID:qB25gbCs0▼このコメントに返信
どこでの話かわからんけど、夜中どうしても腹減って、一人食糧庫に忍び込んで暗がりの中、小麦粉の缶を開けて、すいとんを作って食べたと。
んで、翌日、食事を作っていて、小麦が必要だったんで感を開けたら虫が湧いて食べられたもんじゃなかったと。
135.名無しさん:2018年10月02日 21:36 ID:rWA.Ekm.0▼このコメントに返信
第二次大戦での日本兵英雄譚っていっぱいあるんだろうな、そんな日本人先輩達を悪者にして黙らせた朝日新聞、侮辱し続ける韓国、ホント許せない!うちの叔父さんはシベリア抑留後何とか帰国、90歳過ぎてるが今も健在だ、長生きして欲しいものだ。

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