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2018年09月16日 10:05

子供ワイ「長篠の戦い?信長が鉄砲を使ったくらいで歴史の教科書にのるんか?」

子供ワイ「長篠の戦い?信長が鉄砲を使ったくらいで歴史の教科書にのるんか?」

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引用元:子供ワイ「長篠の戦い?信長が鉄砲を使ったくらいで歴史の教科書にのるんか?」
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1536975740/

1: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)10:42:20 ID:xDK
今ワイ「武田の有名武将が農民部隊に敗れるならそりゃのるわ・・・・」

3: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)10:43:46 ID:xDK
四天王軒並みいってしまったんだよな

5: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)11:34:11 ID:V7Y
教科書的には鉄砲の集中運用の方が大事だぞ。

7: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:32:33 ID:lk0
>>5
ワイもこれしか知らんわ

10: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:34:09 ID:UfE
いうて織田にも有能は多かったから…

11: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:34:54 ID:lk0
>>10
織田の武将の方がすごそう(コナミカン)

19: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:42:53 ID:Fvv
>>11
天下人候補ぎょうさんおるしな

12: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:35:20 ID:B1x
身分上は農民部隊かも知れんが実質は訓練された兵隊やろ?

16: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:41:52 ID:WpP
結局柵に壕に鉄砲三段撃ちは本当なのか嘘なのか

17: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:42:30 ID:UfE
>>16
流石に嘘ちゃうやろ…

23: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:43:42 ID:5Nx
今まで主戦術だった騎馬隊を新兵器でぶっ放したのが一番の要因やろ

24: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:44:18 ID:VVe
柵に壕はほぼ間違いないと思うで
ただ三段運用は出展が怪しいんだよね
まぁ原文は見たことないからわからんけど

25: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:45:34 ID:Fvv
>>24
でもそれやんないと超一流の騎馬隊を一方的に虐殺なんて真似は当時の火器の性能じゃキツそうだし、逆説的に正しいと思う

26: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:46:13 ID:oVN
研究が進んだ今では戦い自体の有無まで疑われてて草

28: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:46:52 ID:WpP
>>26
ファッ!?

27: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:46:49 ID:wjH
長篠の戦いは織田軍が数が多いんやしそら勝つわ感が

32: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:48:08 ID:dYe
長篠の戦いはまあ防衛戦やからな
武田が圧倒的戦力持って来ないとそりゃ負けるわ

45: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:52:39 ID:nal
武田軍が織田徳川連合を舐めていた(前の戦いではすぐに逃げた)
織田徳川連合は武田軍の2倍近い兵力を持っていた
柵や堀などの防御陣地を構築したこと
川に面した土地に布陣し騎馬隊の衝撃力を抑えた
徳川の別働隊が武田の退路を断った
武田の一部隊がそれに焦り戦線を離脱

49: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:58:00 ID:wjH
逆に勝頼が強すぎたから滅んだって本で見たわ

51: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)19:58:23 ID:UfE
>>49
んん?どういうこと?

59: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:01:20 ID:wjH
>>51
強すぎるゆえに弱気の作戦を拒否した

63: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:03:03 ID:UfE
>>59
なんかわかる
戦国最強言われてたぐらいの騎馬隊やったしな

65: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:03:50 ID:wjH
>>63
勝頼自体が謙信や信長に高評価されてる有能な人物だったんや
何もかも出生が悪い

77: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:16:57 ID:XbT
結局参加人数も人によって説がバラバラやしよくわからんことばっかやな

78: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:18:11 ID:xDK
>>77
せやな

参戦に四天王全員反対したっていう定説やけど、それも怪しいしな

79: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:22:12 ID:lk0
勝頼って無能なイメージしかないわ
家臣も裏切ったんやろ?

83: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:31:41 ID:xDK
>>79
そこに関しては仕方ない
愛知岐阜京都手中にしてる織田にかなうわけがないからな

80: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:26:39 ID:XbT
>>79
謙信も信玄も後継者に関して適当すぎたしまあ求心力は減るわね

81: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:30:38 ID:xDK
>>80
信玄に関しては後継者が裏切ったからしゃーない

86: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:38:34 ID:g2j
>>79
一応領土広げてる
スタートから親父が外交で裏切りまくった負債を抱えてるからな

89: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:44:42 ID:nal
>>86
そうしないと米食えなかったし多少はね

87: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:42:32 ID:xDK
家康も北条も上杉も信玄嫌いやからな、、、
謙信はすかれてるが

88: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:44:02 ID:g2j
子供の頃は信玄カッケーって思ってたけど、よくよく話みたら結構とんでもないんだな
親父が悪辣非道なんで追放したって話あったけど、実はそうでもないみたいだし

92: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:46:27 ID:xDK
信長の野望やると分かるけど信玄の土地ってコメ作れんから兵糧貯められないし
周りが北条、上杉、今川で力が拮抗してるから動くと後ろから攻められるし
裏切り上等じゃないと伸ばせないのはわかる

95: 名無しさん@おーぷん 2018/09/15(土)20:48:27 ID:XbT
>>92
米と塩がなければいくら戦が強くても戦えんしな

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2018年09月16日 10:16 ID:KqKLhtIk0▼このコメントに返信
フィクションを史実と信じてしまう
どっちもどっちだな
2.名無しさん:2018年09月16日 10:17 ID:42iquBPL0▼このコメントに返信
>米と塩がなければいくら戦が強くても戦えんしな

武田、上杉は貧しかったからこそ強かったって聞くけどなぁ
ハングリー精神こそが強さの源って
 
本当にハングリーだった長島本願寺は皆殺しになったけど
3.名無しさん:2018年09月16日 10:19 ID:sX.1plSi0▼このコメントに返信
最初に鉄砲を実戦使用したのは島津
4.エンアカーシャ:2018年09月16日 10:22 ID:3jeZgHTP0▼このコメントに返信
数万の、騎馬軍団を、
歩兵部隊で撃退したのが、世界初、

知らないのは、スレ主だけ。
5.名無しさん:2018年09月16日 10:24 ID:1jKIZI480▼このコメントに返信
ある本に書いてあったが、種子島銃は銃兵がきっちりと照準をつけて撃たないと当たらない
西洋のマスケット銃みたいに横一列に並んで隊長の合図で「撃て!」バキューンなんてやってたら10回撃っても絶対当らない
だから3段撃ちは虚構だと

6.名無しさん:2018年09月16日 10:25 ID:0VgCXqvX0▼このコメントに返信
鉄砲隊の集中運用だと三段撃ちは間違ってない
マスケット銃の戦列隊とかわらない
7.名無しさん:2018年09月16日 10:27 ID:pkUvB7Dm0▼このコメントに返信
※5
狙ってもほとんど当たらないような時代の銃だから一斉射撃で命中精度を補ってたんですが
散発的にまぐれ当りが出ても突撃の勢いは止められないから、集中的に運用する
8.名無しさん:2018年09月16日 10:29 ID:oza56ZPj0▼このコメントに返信
将来的な戦争でどんな かっきてきな新兵器を使えば未来の教科書に記載されるだろか。
9.名無しさん:2018年09月16日 10:30 ID:vZrZ5z8p0▼このコメントに返信
なんか最近の再評価ブームで勝頼持ち上げるやついるよね
勝頼の時代に武田は最大版図になったとか
でもそれって結局は親父の信玄が育てた軍事力頼りだったわけで
自力でそこまで育成したわけじゃないからそこまで評価することかと思うわ
10.名無しさん:2018年09月16日 10:31 ID:fu4RtRYR0▼このコメントに返信
騎馬隊って、弓騎兵として騎馬民族がうまく運用したというだけで、元帝国末期の時代すでにフランス騎馬隊がイングランド弓歩兵にぼろくそに負けたりしててひどい目にあっててそんな強くないみたいだな
ぬかるんだ場所に騎兵だけで突撃でぼっこぼこにされるってのが古今東西ある
飛び道具もった歩兵の前に柵や杭をうたれてやられてるケースはこの長篠の戦いもそう
室町時代前あたりから足軽的な兵が多くなったのもそんな経緯があるのかも
11.名無しさん:2018年09月16日 10:32 ID:fu4RtRYR0▼このコメントに返信
明治時代より前に数万規模の騎馬隊って日本にいたのかね
12.名無しさん:2018年09月16日 10:33 ID:gRf3Ibio0▼このコメントに返信
野戦築城(馬防柵)と火力集中を効果的に組み合わせれば、騎馬突撃も壊滅出来るという戦術革命だから。
ヨーロッパではパイク(長槍)歩兵と銃兵の組み合わせた陣形の時代になる。
13.名無しさん:2018年09月16日 10:37 ID:pwwI4O6T0▼このコメントに返信
とりあえずこの長篠の件を見れば勝頼は部下視点だと超絶無能
14.名無しさん:2018年09月16日 10:38 ID:fu4RtRYR0▼このコメントに返信
武田家は最初の突撃で1500人ほど戦死、撤退時の追撃で7000人戦死って情報もあるが、本当なら、とんでもない大ダメージで戦国時代の大激戦として教科書に載るのも当然といえるだろう
本当にこんなに戦死してたら武田家の命運はこの戦いでつきたろう
15.名無しさん:2018年09月16日 10:40 ID:WkOb3mmd0▼このコメントに返信
武田は強すぎたから滅んだの教訓の1つだよな

織田徳川3万8000に武田1万5千
実際は鳶ノ巣山城に2千割いてるから1万3千

それでも当時の武田の将士は戦えば武田が勝つと信じていた

太平洋戦争前の日本軍と同じで強かったのは間違いないだろうがそれでも覆らない戦力比というものがあることを知らなければいけない

16.名無しさん:2018年09月16日 10:44 ID:X5GUv.3S0▼このコメントに返信
※4
古代ローマのコルブロとか、いくらでも、、、

※10
兵種なんてどれだって利点も欠点もあるんだから、すべて運用次第なんだよ、、、
十字軍なんて、完全重装突撃型騎兵軍団だったけど
軽弓騎兵のイスラム勢に対しても、勝ったり負けたり、
どっちが優勢だったかてのは、完全に作戦の優劣で決まったとしか、、、

つか推定だと、長篠での武田軍騎兵の割合は1割強(多くて1800騎)
騎兵主体の軍だとは、編成上は言えないんだよねぇ、、、
17.名無しさん:2018年09月16日 10:45 ID:tEuHE6dc0▼このコメントに返信
※5
並べて一斉に撃つってやり方自体が命中精度補う方法だろ。点を線にして、三段にすることで疑似的に面にしてる
本を間違って読んだか
少しでも自分で考えてみたら、内容を疑うだろ
18.名無しさん:2018年09月16日 10:46 ID:rB8zERS00▼このコメントに返信
重装騎兵の騎馬突撃はロマン。踏み潰せ、やりおったなー。

19.名無しさん:2018年09月16日 10:46 ID:WYYsHcSB0▼このコメントに返信
日本の種子島銃は東南アジア経由で入ってきた瞬発式で、当時の火器としては狩猟や対人狙撃に向いていたんだよな。
欧州や中国で使われた緩発式より、ブレの無い安定した照準ができる利点がある。
今の小銃とは比べ物にならないものの、それでも現代の長銃身大口径拳銃くらいには脅威。
1町(=100mちょっと)まで寄られるとかなりヤバい。
20.名無しさん:2018年09月16日 10:47 ID:.drhJPU80▼このコメントに返信
一回長篠に行ってみろ。
凄く複雑な地形で、長篠城が鉄壁なのもわかるし、設楽原の決戦場の狭さも実感できる。
なにより豊橋から飯田線でアクセスしやすいし、新東名開通ですぐに行けるようになった。
21.名無しさん:2018年09月16日 10:49 ID:.yhg42.V0▼このコメントに返信
※10
元帝国末期というか、100年戦争のときにフランスの騎士団がイングランドの長弓隊にボロ負けした「アザンクールの戦い」のことだろ?
だけどイングランドの長弓兵は単なる歩兵ではなく10年単位で厳しい訓練を受けたエリート部隊だから、これをもって騎馬兵が「そんな強くない」は言いすぎだな。むしろ長弓隊が強すぎた。
イングランドの長弓兵は育成に期間と予算がかかりすぎたせいで他の国がまねできず、この戦いの後も数百年にわたって騎馬兵有利は続いたわけだし。
22.名無しさん:2018年09月16日 10:50 ID:9EKvX7eC0▼このコメントに返信
※11
いるわけがない
武田の動員力じゃ歩兵を合わせても2万もいかんだろ
数万の騎馬隊とかアホの言う事だわ
武田軍が騎馬で突撃してたかどうかも怪しいって言われてるのに
23.名無しさん:2018年09月16日 10:52 ID:fu4RtRYR0▼このコメントに返信
騎兵突撃は弱まった部分へ、ってのが有効なことが多いようだね
亀裂が入ったところにくさび打ち込むみたいな
機動性をいかして側面や後方から攻撃させるみたいなことも
本当の烏合の衆相手には正面突撃もいいんだろうけど

イングランドの場合はあれ農民に法律で長弓の訓練を課してたらしいね
24.名無しさん:2018年09月16日 10:56 ID:a7lbWklg0▼このコメントに返信
鈴木眞哉 説

騎馬隊はなかった
鉄砲三段撃ちはなかった
槍が主武装 刀はほとんど使わなかった

一時期燎原の火のように拡散したこれらの説
漫画のセンゴクも上記の説を採用していたが
反論もあって本当のところはどうなのかね
自分は信じていないが
25.エンアカーシャ:2018年09月16日 10:56 ID:wJajfbKm0▼このコメントに返信
4の2、

中国人も、韓国人も、2018年現在、
信長の偉業を、模倣出来ていない、

その歴史的事実が、中国人と韓国人に、劣等感を与えているのだろう · · · 、
嫉妬。
26.名無しさん:2018年09月16日 10:57 ID:FCu2seOp0▼このコメントに返信
鉄砲3千も多すぎるウソだって言われるけど
明智の兵制で全体の1割強が鉄砲隊って記録が残ってて
明智隊は織田家中でも鉄砲が多い方だったにしても
長篠の時は畿内居残りの不参戦勢からも50とか100とかずつ
鉄砲かき集めてた記録が残ってるから、ありえない数でもないんだよな
27.名無しさん:2018年09月16日 11:03 ID:jFd9iEEt0▼このコメントに返信
紀元前の古代ローマの戦いは細かい流れまでわかってるのになんでたかだが数百年前の戦いがこんな曖昧なんだか。
28.名無しさん:2018年09月16日 11:03 ID:bOAIwdC20▼このコメントに返信
鉄砲戦術を進化させたのは本願寺なんじゃないかね。織田は本願寺との戦いでは何万人もの軍勢を出して
将官クラスでも大勢の戦死者を出している。散々やられて懲りていたからその戦法を武田にやってやったような気がする。
29.名無しさん:2018年09月16日 11:04 ID:GwBjXQo.0▼このコメントに返信
刀は殆ど使わなかった

倭軍の刀術は秀逸でその刀は鋭利で人馬ごと切り倒してくる

鉄砲の三段撃ちはなかった

降倭により鉄砲の戦術を学んだ明軍
後の明軍の兵法書には三段撃ちをしている絵が描かれている

文禄慶長の役の明朝鮮の日本軍に対する記述を見る限り鈴木眞哉の説は誤りだろう
30.名無しさん:2018年09月16日 11:04 ID:3eYsmevs0▼このコメントに返信
鉄砲隊も銃手三人が一組よりも一番腕のいい一人だけが銃手で残りは弾込めやっていた方が効率がいいだろういし。
31.名無しさん:2018年09月16日 11:08 ID:LG5crRGr0▼このコメントに返信
※29
なんでこういう時だけとかく誇張表現が好きな大陸の言い伝えを信じるのかね。
だいたい人を馬ごと斬り殺す豪傑がいたとして、流石にそんなのが大勢いるわけもなく。
大半の兵士は凡人なのだから「主武装」を論じる根拠にはならんだろ。
32.名無しさん:2018年09月16日 11:09 ID:A1KXCThw0▼このコメントに返信
※24
そもそも日本にも馬はおるし騎馬の技術はそれこそ平安末期ぐらいには確実にあったからな
大量の騎馬隊はおらんでも数百から千ぐらいやったら持ってるとこはおったやろ。
33.名無しさん:2018年09月16日 11:11 ID:57D9ZfbR0▼このコメントに返信
記録だと北条の方が騎馬隊多かったらしいな
長篠の戦いでの敗戦はそんなに重要ではないという研究者もいるし、その後兵数もそんなに減ってないし領土拡大もしてるだとか
上杉の内乱絡みで北条と悪化して織田につけ入られたのが滅亡の要因として大きいかと
34.名無しさん:2018年09月16日 11:11 ID:GJietvOe0▼このコメントに返信
※28
まあ長篠のアレは雑賀集の多段撃ちのアレンジとか言う説もあったしねぇ
35.名無しさん:2018年09月16日 11:15 ID:t9q2cNyG0▼このコメントに返信
※31
別に良いじゃないか
一人で何万もの軍勢を足止めしたとか
大将同士の一騎討ちが頻繁に行われていたと書かれてる三国志に大げさな誇張表現だとケチつけないだろ
36.名無しさん:2018年09月16日 11:16 ID:5gjEBp6D0▼このコメントに返信
※4
うわぁぁぁぁ
いつか自分の過ちに気付くといいね
37.名無しさん:2018年09月16日 11:17 ID:.drhJPU80▼このコメントに返信
※33
山県、馬場、内藤の戦死はどう考えても組織の弱体化だろ。
領土も拡大しているけど、三河には指一本出せなくなった
38.名無しさん:2018年09月16日 11:20 ID:LG5crRGr0▼このコメントに返信
※35
三国志演義基準で史実を語っちゃダメだろw
あくまでフィクションとしてなら良いけどさ
39.名無しさん:2018年09月16日 11:22 ID:57D9ZfbR0▼このコメントに返信
武田滅亡の要因の中には金山の枯渇問題もあったな
信玄末期の頃には金山の産出量が落ちていて新しい鉱脈探しに躍起になっていたとか
武田は地元勢力を金で動員してたから勝頼の時代に離反されたと
40.名無しさん:2018年09月16日 11:23 ID:RVSkb0cA0▼このコメントに返信
最近の「○○はなかった」系は、鈴木眞哉が必死に提唱してるわけで。

・・・鈴木眞哉の言うことが正しいのかどうかを検証したほうが早くね??
41.名無しさん:2018年09月16日 11:29 ID:57D9ZfbR0▼このコメントに返信
※37
むしろ邪魔な老臣を排除できてやりやすくなっただろ
山県は仲悪いし馬場は高齢で偉いんだかどうかもはっきりしてないし
42.名無しさん:2018年09月16日 11:32 ID:pDjPO1jW0▼このコメントに返信
小西行長も朝鮮で三段撃ちやって朝鮮騎馬部隊を壊滅させたの
43.名無しさん:2018年09月16日 11:32 ID:bOAIwdC20▼このコメントに返信
武田はツキに見放されていた。
金は尽きるし、鉄砲の生産地が領内にないし、勝頼は領主というよりは盟主で統率が弱いし
攻め込む土地もないし、そもそも甲斐・信濃なんか生産性が低くて織田・北条・上杉に
対抗できたのはそもそも信玄が超人だったからだし。
鉄砲云々関係なくもうダメだった。
44.名無しさん:2018年09月16日 11:32 ID:.yhg42.V0▼このコメントに返信
※38
三国志オタには演義基準じゃないと承知しない奴もいるからなあ。
以前に知り合いの三国志オタに
「諸葛亮孔明は演義では天才軍師なんていわれてるけど、正史では非常に優れた行政官だけど軍事面はシロートという評価だよ」
といったら発狂された経験がある。
正史はあくまで史実であり、こちらはその史実について語ってたんだが。
45.名無しさん:2018年09月16日 11:34 ID:bm12UmIS0▼このコメントに返信
※37
山県、馬場、内藤あたりの戦死はそこまで問題ない
高齢化していたし、本人達もそれを分かっているから殿を務めた

むしろ真田信綱やら土屋昌次、甘利信康、原昌胤、横田康景ら次世代を担う中堅・若手の戦死が痛手だった

そしてむしろ積極的に死ななきゃ成らない一門衆は悉く戦線離脱
ノッブの親戚兄弟の戦死率と比較してコッチの方がヤベェ
46.名無しさん:2018年09月16日 11:35 ID:yBpFPFWj0▼このコメントに返信
武田勝頼の敗因は家臣と親族をまとめる時間が足りなかったところ
ちょっと不利になったら逃げ出すような親族じゃあ戦場では役にたたない
47.i774:2018年09月16日 11:38 ID:fAeXkKp.0▼このコメントに返信
どちらかというと「鉄砲の調達能力」=「経済拠点支配力」という意味が大きいんだよなぁ。
上杉家の軍事と政治が石高でなく「越後ちりめん」で支えられてたように、経済への影響力が国力を左右したんだから。
48.名無しさん:2018年09月16日 11:38 ID:hDht1l9I0▼このコメントに返信
最近の研究だと三段撃ちじゃなくて鉄砲隊を三班に分けてそれぞれの鉄砲陣地から射撃を加えたって事みたいだね。
49.名無しさん:2018年09月16日 11:38 ID:RVSkb0cA0▼このコメントに返信
※42
文禄・慶長の役の後、明の兵法書にも「鉄砲隊の効率のいい運用の仕方」つって、
三段撃ちが記載されてるらしいんだよなあ。

正直、「三段撃ち」という呼び方は後世につけられたものだとしても、
そう呼ばれる鉄砲の撃たせ方はやってたと思うよ。
50.名無しさん:2018年09月16日 11:43 ID:IBfoJEu.0▼このコメントに返信
嫡男粛清して四郎を陣代っていう微妙な立場にしたのが調略を加速させた一因なんだよな

上杉北条との同盟が成功してたらあるいはってところだが
51.名無しさん:2018年09月16日 11:46 ID:5gjEBp6D0▼このコメントに返信
※35
満更 デタラメではないぞ
初期の頃は呂布、華雄、顔良なんかが活躍したのは大将が最前線で戦わないと部下が付いてこない
最前線に出て大将が強かったから率いる軍も強かった。それで名を残してるわけで。
過去で言えば項羽がまさにそれ。だけど曹操がその流れをがらりと変えたわけで
それに対抗するには同等の事をしなきゃ勝てないので陸孫 諸葛亮がトップになった経緯
たまに旧以前の事やると超効果的なのは張遼みれば分かる

日本だと平安も同じ。
武士が最前線で やあやあ我こそは~で名乗りを上げて一騎打ちを誘う。
重装備なんで決着付かない&引き上げて 隊の争いに入る。

戦国だと
まず遭遇戦のような感じで 挑発、投石から入る。
52.名無しさん:2018年09月16日 11:47 ID:4xhxaKAt0▼このコメントに返信
取り敢えず
当時の世界で
鉄砲を一番多く集めた軍団が
東洋の辺境の会戦で勝った
ということかいなと
53.名無しさん:2018年09月16日 11:50 ID:WYYsHcSB0▼このコメントに返信
※48
単純に陣へ防壁として張り付けるんじゃなくて、複数の狙撃隊を作って攻めの運用をしていたって話は聞いたことある。
54.名無しさん:2018年09月16日 11:55 ID:j11Slhki0▼このコメントに返信
※9
信玄からマイナス評価と負債漬けにされたまま武田家を継いだからな。判官贔屓って奴だよ。
55.名無しさん:2018年09月16日 11:59 ID:SyP..bFE0▼このコメントに返信
単に近代史を学ばせたくないから、当たり障りの無い縄文時代とか戦国時代とかを沢山載せて
時間を稼いでるんだよ。
実際、縄文〜江戸までの授業時間は3ヶ月ぐらいでいいんだよ。
あとは江戸と近代史を9ヶ月掛けてじっくりと教えろよ。
遥か昔の良く分かってない時代より、近代のしっかりと資料が残ってる方が教えやすいだろうに。
56.名無しさん:2018年09月16日 12:05 ID:5gjEBp6D0▼このコメントに返信
単純に数に任せたいくつもの土塁陣地構築
待ち構えて鉄砲で射撃
合間ぬって進んできたやつらを再度鉄砲で射撃
さらに進んできて接触したやつらには数に任せて反撃
この3段階の攻撃だけで数に少ない武田なんて蹴散らせる
しかも撤退を考えていない(後ろ詰められてるので考えられない)ので待っててもしばらくすれば再度敵が来る状態
57.名無しさん:2018年09月16日 12:09 ID:8uk91Bx10▼このコメントに返信
軍オタの間では三段撃ちは虚構、もしくはかなり話盛ってるってのが常識だろうに
西洋の軍事知ってりゃ分かる
「入れ替わり立ち代わり撃てば連発できる」って思いついた奴は信長より先にヨーロッパにいた
マウリッツってオランダ人だ(当時はネーデルランドだが)
彼は、その思い付きを元に猛訓練及び軍制の改革を施したが
結論としては「有効な連射を得るためには最低でも5列は必要」だった
つまり3段じゃ足りねーんだよ
ちなみに、この訓練を「オランダ式教練」、この戦術を「背面行進」と呼ぶ
さらに、この思い付きを一歩進めて
「打ったやつが後列に下がるんじゃなく、撃った奴はその場で弾込めて、後列の奴が打った奴の前に出て撃つ」
「これを繰り返せばキャタピラみたいにどんどん前に進んでいけるんじゃね?」
と思いついたのが、スエーデンの英雄、グスタフ・アドルフだ
58.名無しさん:2018年09月16日 12:13 ID:X5GUv.3S0▼このコメントに返信
※49
紀効新書ですな、、、
ただ部隊全体で一度に打たずに3組に分けて打て、って書かれてるだけなので
それが三段撃ちなのか、火力は落ちるけど部隊全体として発射後の弾籠めブランクを埋めるための工夫なのか、かなり微妙かも、、、

国文研で、現物がデジタル公開されてる(ググると一発で出る)ので、良ければぜひ原文確認してくだされ、、、
本文は漢文だけど挿絵が多く読みやすいですよ、、、
59.名無しさん:2018年09月16日 12:18 ID:5gjEBp6D0▼このコメントに返信
※57
それ平地での話しや
60.名無しさん:2018年09月16日 12:21 ID:zS9CmRVM0▼このコメントに返信
>>57
結局複数で回しうちが有効ってことじゃねーか
あと、銃の性能さっぴいて考えて3じゃなくて5とかいうてもダメだろ
それぞれがどんな銃を前提に考えられた戦術かの背景抜きにいうても根拠としては薄いわ
先に考案されてたならその分旧式の銃だったとも考えられてしまうだろうが
61.名無しさん:2018年09月16日 12:22 ID:8uk91Bx10▼このコメントに返信
※59
設楽原も普通に平地だぞ
62.名無しさん:2018年09月16日 12:23 ID:FCu2seOp0▼このコメントに返信
※57
射手ごと入れ代わりじゃなくて雑賀衆とかがそれ以前からやってた
分業制を取り入れたんだろうって方が今は主流でしょ
63.名無しさん:2018年09月16日 12:26 ID:8uk91Bx10▼このコメントに返信
※60
先にと言っても、ほぼ同時代だぞ
さらにグスタフ・アドルフが活躍したブライテンフェルトの戦いともなると
1631年、こっちは普通に江戸時代だな
64.名無しさん:2018年09月16日 12:33 ID:8uk91Bx10▼このコメントに返信
さらに言うと、ヨーロッパで三段での斉射を始めて実現できたのは
あのフリードリヒ大王だ
プロイセンの職業軍人どもの変態じみた猛訓練と、18世紀の技術があってようやく成し遂げた事を
信長があの時点で実現できたはずないわ
65.名無しさん:2018年09月16日 12:36 ID:DHjbDS4N0▼このコメントに返信
日本の軍オタてかなり無知だよね
鉄砲は戦象と同じなんだよ
悪臭と轟音で馬が恐慌状態に陥るから無力化できる
馬は本来非常に憶病な動物だからね

騎馬対策だけなら鉄砲には兵器としての実力は特に必要ない
66.名無しさん:2018年09月16日 12:47 ID:ueIXE8y.0▼このコメントに返信
逆に言えば、鉄砲がこの時最も輝いた戦い。
以降は対策されて運用が難しい兵種になった。
指揮官の能力や天候に左右されるし、
相手に同種の指揮官がいると読まれやすい。

馬が臆病なのは事実だが、同時に慣れやすい生き物でもあるので
軍馬に爆音の訓練するのは必須となった。
67.名無しさん:2018年09月16日 12:51 ID:X5GUv.3S0▼このコメントに返信
※64
少なくともマスケットでの三斉射システム始めたのは、グスタフ・アドルフ、、、

火打ち石と紙袋薬莢の使用でマスケットの取扱と発射速度を簡単にし
全軍の2/3を小銃兵にして三列横隊陣形組み戦場での火力を増大することを始めたのは、、、
68.名無しさん:2018年09月16日 12:51 ID:onIpMVV60▼このコメントに返信
※65
なんかすげー漫画で得た知識っぽい
69.名無しさん:2018年09月16日 12:52 ID:9SFJ3dqe0▼このコメントに返信
※65
いくらなんでも、武田だってかなりの数の火縄銃揃えてたし
鉄砲に慣らしてない馬なんていねーよ

長篠に関していえば、強いのは三段撃ちじゃなくて、馬防柵プラス火縄銃だろ
この組み合わせは、塹壕プラス鉄条網プラス機関銃という形で、第一次世界大戦まで使用される事になる
コレを撃ち破ったのがナチスドイツの電撃戦だな
70.名無しさん:2018年09月16日 12:52 ID:kBbFY6j80▼このコメントに返信
米65
そんなドリフターズで散々こすられたネタをドヤ顔で言われましてもw

基本的にマスケットは相手の表情が伺える距離になってから撃てと言われているが
3段撃ちで黒色火薬の銃をバカスカ撃つと硝煙で前なんか見えなくなる
そんな自陣すら危険に陥れる可能性のある戦術を取るとは思えない
3段撃ちに近い、ローテーションを組んだ鉄砲隊が組織されてた可能性はあるが
それを裏打ちする証拠が無い
71.名無しさん:2018年09月16日 12:55 ID:.yhg42.V0▼このコメントに返信
※65
悪臭と轟音なんて事前に訓練すれば慣れる。軍馬の訓練に対鉄砲対策を組み込めばいいだけ。
だから鉄砲が使われるようになって400年以上が過ぎた第二次大戦になっても多くの国で騎兵が現役兵種だった。
72.名無しさん:2018年09月16日 12:56 ID:bLbG2DL00▼このコメントに返信
長篠は鉄砲よりも馬防柵などの野戦築城が肝
野戦築城のせいで、戦いは平地での戦いから攻城戦に移ったことに武田側は気が付かなかった
攻城戦するのであれば最低でも守備側の2倍は兵力欲しいのに武田は織田徳川連合の半分以下だった
野戦築城が完了した織田徳川連合と戦うには少なくとも8万の軍勢が必要
単純に武田側の兵力不足
73.名無しさん:2018年09月16日 13:00 ID:jGBpcPnb0▼このコメントに返信
※54
こういう逆張りが増えたなあ、信玄は甲斐一国から信濃駿河上野飛騨遠江にいたるまでの広大な地域を制圧している。
勝頼はそれを滅ぼしただけ
負債なんてねーよ。
74.名無しさん:2018年09月16日 13:02 ID:DHjbDS4N0▼このコメントに返信
※69
「一斉に」撃ったから悪臭と轟音が凄まじかったんだよ
散発的に撃ってたこれまでとは全然違う

あと塹壕プラス鉄条網プラス機関銃を打ち破ったのは砲兵隊の地域飽和射撃だぞ
ナチスが打ち破ったのはベルサイユ条約で制限されてたポンコツ兵器だ
75.名無しさん:2018年09月16日 13:07 ID:8uk91Bx10▼このコメントに返信
ごめん、※57だが色々と訂正させてくれ…うろ覚えで書き込んじゃダメだったわ…
まず、この戦法を思いついたのは、ヴィルヘルム・ルートヴィヒって人だった
マウリッツは、そのアイデアを取り入れただけだったんだな…
しかも、マウリッツの時代では5列どころか10列前後までしか減らしてねーわ
グスタフ・アドルフでやっと5~6列くらいになってる
76.名無しさん:2018年09月16日 13:11 ID:.yhg42.V0▼このコメントに返信
※67
グスタフ・アドルフはオランダ独立戦争の英雄マウリッツ・フォン・ナッサウのオランダ式方陣を参考にしたそうだから、ヨーロッパにおける元祖はマウリッツにすべきだろ。
マウリッツはスペインのテルシオ戦術に対抗するためにマスケット銃兵を主力としたオランダ式方陣を生み出したわけだから、それまで無敵といわれていた敵を倒すために鉄砲の火力をメインにすえたという意味でも信長と似てる。
長篠合戦が1575年、マウリッツがマスケット銃を初めて組織的集団的に運用したのが1594年だから、信長のほうが20年ほど早いが。
77.名無しさん:2018年09月16日 13:13 ID:9SFJ3dqe0▼このコメントに返信
※74
キミほんとうに生半可だな...
まず第一に、「一斉に」撃てるわけねーだろーが
大将の号令一下に撃てば、とか言うなよ?
音には音速ってもんがあるのよ?意外と遅いぞ?

あと、地域飽和射撃で塹壕線が突破できたわけねーだろうに
結局お互い砲兵で撃ちまくっても、まだ塹壕は生き残ってて結局戦線は膠着したままってのが
第一次世界大戦の戦争じゃねーか
78.名無しさん:2018年09月16日 13:13 ID:Fa6IxxiJ0▼このコメントに返信
騎馬隊はなかったって主張するのはまぁいいんだけど
そうなると、馬防柵や拒馬と呼ばれる構造物はなんのために存在したのか分からなくなるんだよなぁ
79.名無しさん:2018年09月16日 13:14 ID:S34B3tro0▼このコメントに返信
勝頼がまともなら良かっただけ
80.名無しさん:2018年09月16日 13:19 ID:DHjbDS4N0▼このコメントに返信
※77
相手騎馬隊だぞ?
引き付けてから打つに決まってるだろw
音速?
なに言ってんのお前?

それただ砲兵で撃ってるだけで飽和射撃じゃないよね?
もう一度言うよ
なに言ってんのお前?
81.名無しさん:2018年09月16日 13:20 ID:X5GUv.3S0▼このコメントに返信
※76
あなたの意見に賛成するけど、、、元祖論議は難しいところが、、、

自分は軍制から判断するので、背面行進はマウリッツだけど
完全に軍主力をマスケット兵にし、マスケット射撃での制圧火力で
攻勢に出る軍制整えた(完成させた)のはグスタフだと思うなぁ、、、
82.名無しさん:2018年09月16日 13:23 ID:uNWjtSsm0▼このコメントに返信
※72
最大の要因はコレだと思うわ
馬防柵と設楽原を望む斜面を削った塹壕陣地に、元からある小川と泥田を堀にして騎兵の機動力を制限したところ

鉄砲三千丁ばかり話題に上がるけど当然のごとく弓も大量動員してるよな
83.名無しさん:2018年09月16日 13:25 ID:J3M63exc0▼このコメントに返信
勝頼はイエスマンの意見ばかり聞く典型的な二代目お坊っちゃんやで
どう考えてもガチガチに守りを固めた兵力二倍の織田・徳川連合に突貫したのはアホアホの諸行
84.名無しさん:2018年09月16日 13:27 ID:9SFJ3dqe0▼このコメントに返信
※80
ほんとうに本当に生半可だなぁ...
敵の進出を待ってからの射撃じゃ、益々一斉射撃は難しいだろうに
普通に考えて、分からんか?


あと、飽和射撃も、実際どう運用されてたのか分かって無いだろキミ
つーか、そもそも何のための飽和射撃かも分かってないよな?
85.名無しさん:2018年09月16日 13:28 ID:uNWjtSsm0▼このコメントに返信
※83
長篠城は陥落寸前だったからね
援軍を野戦で蹴散らして改めて攻める策自体はおかしくない
信長家康の布陣を待たずに強襲しなかったのは大失敗
86.名無しさん:2018年09月16日 13:30 ID:L1ddvymm0▼このコメントに返信
三段撃ちは一発目なら綺麗に並んで撃てるかもしれないが二発目以降は無理だ
三人で入れ替わり撃つだけじゃなく横の列とも動きを合わせないといけないから運用するには高度な訓練が必要になる
長篠の戦いの勝因は馬防柵で武田の突撃を防いだことだろ
87.名無しさん:2018年09月16日 13:31 ID:Fa6IxxiJ0▼このコメントに返信
※81
マウリッツの時代はフリントロックは主流じゃなくて、まだマッチロックが主流だったから
銃兵を密集させて大量に配置すること(=主力として使うこと)が難しかったよ
17世紀はじめくらいから徐々にフリントロックの原型の型が出回り始めたんで、銃兵をより密集させることができるようになって主力として使えるようになったよ
88.名無しさん:2018年09月16日 13:34 ID:XjkSuakL0▼このコメントに返信
※24
馬の維持コストってかなり掛かるから武田の財政状況から類推するとそこまで多くはないのではないかな
ただ、武田の騎馬は有名だったみたいだし勝敗のトドメに使って印象付けを行って相手の戦意を挫く目的で存在はしてたのでは

あと鉄砲に対向するために武田では竹束って竹を縄で縛ったものを使ってるのは記録に残ってるから三段撃ちが有効だったかは不明だから諸説出てるんだろ
89.名無しさん:2018年09月16日 13:35 ID:DHjbDS4N0▼このコメントに返信
※84
あのさぁ
いくら何でも頭悪すぎないかお前?
無知なだけならまだ救いがある
でも度を過ぎた頭の悪さはどうしようもない

えっ?
馬防柵と濠の役割全否定?

地域飽和射撃(ないし爆撃)が一次大戦の泥沼の塹壕戦を終わらせた
こんなもん常識中の常識だぞ
90.名無しさん:2018年09月16日 13:47 ID:8uk91Bx10▼このコメントに返信
※89
え?
馬防柵で足止めしたところを一斉射撃するって話なの???
おかしいだろそれ
自分で言ってて分らんか?

あと、飽和射撃とは(っつーか、火力の集中運用と言ってほしいが…)何なのか、結局知らんのね…
あのね、塹壕ってのは、事前の地図に書いてあるわけねーし、ちょっとの間に新しく掘られちゃうし
そもそも丘の稜線のさらに先に掘っちゃってるから、基本的にどこにどうあるか分らんのよ
当時は航空機の偵察もまだまだ精度低かったしな
で、分らんから、とにかく怪しいところ全部撃っちゃえ!!!ってのが飽和射撃
その結果、無駄に砲弾ばっかり費やして、費用対効果が悪く、しかも結局塹壕生き残ってる、ってのが頻発した
ドイツが負けたのは、ハッキリ言ってアホみたいに撃ちすぎた結果、砲弾が不足したからだよ
その苦い経験から、「無駄に砲弾使わないで、なんとか勝てねーもんかなぁ」って考えから電撃戦が考案されたといってもいい
91.名無しさん:2018年09月16日 13:58 ID:DHjbDS4N0▼このコメントに返信
※90
馬防柵に足止め以外のどんな意味があるんだよw
お前の脳はガチで異常だぞ

その電撃戦が機能してたのがベルサイユ条約で制限されてたポンコツ兵器が相手のときだけだった
と最初から言ってるんだがね

結局電撃戦は幻想なんだよ
敵ヨエー状態でしか効果を発揮しない
俺ツエーじゃなくて敵ヨエーだ
ここのところを勘違いしたからナチスも日本も二次大戦で大惨敗を喫した
92.名無しさん:2018年09月16日 13:58 ID:.yhg42.V0▼このコメントに返信
※81
調べてみると当時のフランス軍も防御時には横隊で鉄砲の多段撃ちに近いことはやってたみたいだし、マウリッツもこれを信長と同じ梯団方式に改良して戦術として確立しただけだから、完全な元祖はいいすぎだったかもしれない。
ただグスタフ・アドルフとの関係で言えば、マウリッツは雑賀衆でグスタフは信長にあたると思ってる。部隊指揮官の戦術だったものを国家単位の軍制に発展させて活用したという意味で。
93.名無しさん:2018年09月16日 13:58 ID:WauPm.ml0▼このコメントに返信
伊達政宗も昔は母親に毒殺未遂された説だったのに
現在では毒殺事件なんかなくて二人とも仲良かったことになってて草
94.名無しさん:2018年09月16日 14:08 ID:.KvC5Alq0▼このコメントに返信
まず、現地の検証で三人一組で動けるほどの場所がないそうなので、
恐らくは、射手と弾込めととに分かれた分業制での射撃だったと思われる。
それと自信があったから武田は撤退しなかったのではなく、
長篠城が陥落してその時点で一万五千の軍が安全に退却する方法がなかったから撤退できなかっただけ。
補給線も切れてるから短期決戦で一度相手を退けないといけなかったわけだ。
95.名無しさん:2018年09月16日 14:19 ID:dD4d1LOB0▼このコメントに返信
三段射ちも、斜面を利用した階段状の三段の可能性もあるって歴史雑誌に載ってた。
96.名無しさん:2018年09月16日 14:27 ID:ju.jyOt30▼このコメントに返信
※29
実際に刀は殆ど使われなかったは正解
メインは飛び道具、その後は槍で叩きあって敵陣を崩す、崩れた敵陣を最後に刀で壊滅させる
日本軍はその最後の乱戦が尋常じゃなく強いから連中の印象に残ってただけ

よく空手漫画で出てくる剣道三倍段だけど、薙刀三倍段とも言う
素手相手には圧倒的刀が強いけど槍や薙刀相手には勝つのは困難
幾ら弱卒揃いの朝鮮軍でも槍相手に刀で挑むのは勝つにしても損害が出るよ
97.名無しさん:2018年09月16日 14:34 ID:ROSiOnX70▼このコメントに返信
※73
勝頼に不遇な面も確かにあるが言うに事欠いて信玄のせいはないわな
勝頼は強さアピールが必要でその結果領地は一時的に大きくなったが
結局イキリに過ぎなかっただけ
98.名無しさん:2018年09月16日 14:47 ID:1shGtgvn0▼このコメントに返信
太郎義信の腹心諏訪四郎勝頼としてなら、相当の活躍が期待できた。
信玄が悪い。
99.名無しさん:2018年09月16日 14:51 ID:uF1Fe.ow0▼このコメントに返信
長篠の戦いは有名だけど、なぜここで戦端が開かれたかの状況は知らずに語ってる人達だらけ説
100.名無しさん:2018年09月16日 14:58 ID:TOe47pZD0▼このコメントに返信
三段撃ちに関しては邪馬台国並みに諸説あるよなあ
まず、三千丁自体が本当なのか確証が取れない、原文だと千丁だった筈。

次ぎに三千世界という言葉があるように当時の言い方で三千丁=多数の意味合いであり
具体的な鉄砲数を言った訳では無いという捉え方もある。

過去に火縄銃をある程度集めて実験ををやったら黒色火薬で連発をすると
煙で視界が取れなくなくなるので命中率が相当下がるだろうという推論がでた。
因みにこの時には三段撃ちの方法も検証したが三人で個別に回すより、
射手、清掃、装填のチームで撃つ方が発射速度が速い事も実証されている。

武田の損害にしても大半は追い打ち時のものであるという説もあるし謎の多い戦いではある。
101.名無しさん:2018年09月16日 14:59 ID:VGWPgGRw0▼このコメントに返信
飽和射撃ってw
それでも生き残る一握りの機関銃や塹壕と予備戦力で敵の攻勢は阻止できるってのが第一次大戦の戦訓だろ
だからそれを突破する戦車の登場が衝撃的だったんで
102.名無しさん:2018年09月16日 15:22 ID:MttYHZH20▼このコメントに返信
酒井の決死隊が後方遮断に成功したのが、武田に玉砕覚悟の特攻をさせた原因らしいな。
103.名無しさん:2018年09月16日 15:41 ID:Bv57c8UI0▼このコメントに返信
鉄砲があっても火薬がなければ意味が無い。
火薬の作り方が分かるまでは、女性の人身売買なりが頻発して
それでは困るので、キリストの宗教弾圧には、なったらしいね。
104.通りすがりの名無しさん:2018年09月16日 16:27 ID:7.eZ.ZKj0▼このコメントに返信
※5
鉄砲の集中運用で命中率の面はカバーできる。
それより、鉄砲の音になれていない騎馬や武士たちがビックリして足ふみする事が重要。

マスケットの命中率云々であるが、100m先の的に命中させられる腕が有っても人を撃つとなると心理的要因で命中率・殺傷率は極端に落ちる。
戦場における人殺しの心理学で指摘されている。
105.名無しさん:2018年09月16日 16:36 ID:GmtnHjOu0▼このコメントに返信
鉄砲三千丁ってのは創作だけど今分かってる範囲だけでも
高台にしっかり馬防柵で陣地作って鉄砲の集中運用で迎え撃つって
そりゃセオリー過ぎて負ける要素無いよなこれ
106.名無しさん:2018年09月16日 16:37 ID:7FmY9Nkj0▼このコメントに返信
1氏は、いい年して信長の野望と両親に影響されすぎっぱなしで呆れる
107.名無しさん:2018年09月16日 16:37 ID:d6dZHIpi0▼このコメントに返信
※102
酒井隊が長篠城を囲む山の砦を陥落して、長篠城包囲を完全に崩した。
んで長篠城と共に信濃方面の街道を封鎖して、
設楽原で決戦せざる得ない状況に持っていかせたのが勝因
108.名無しさん:2018年09月16日 16:42 ID:d6dZHIpi0▼このコメントに返信
※99
奥三河の諸勢力が徹底した日和見で、信濃から三河に出る
要所の長篠城が徳川勢に寝返ったから。

ちなみに地形的に長篠を制圧しないと、信濃から三河は進出できない。
長篠を取れば、太平洋側の要所の豊橋や本拠地の岡崎は目と鼻の先。

109.名無しさん:2018年09月16日 16:47 ID:oyQE.DWS0▼このコメントに返信
※106
どうでもいいけど
影響されすぎっぱなし
って日本語おかしくない?
110.名無しさん:2018年09月16日 17:03 ID:hdAfLsHP0▼このコメントに返信
三段撃ちは俗説だが、取り替え撃ちは長篠の戦い以前にやっているから、その戦法を用いたと考えるべきだろう。
111.名無しさん:2018年09月16日 17:10 ID:hdAfLsHP0▼このコメントに返信
※24
・騎馬隊は無かったが、騎馬を用いた戦法を使っていたのは事実。
・三段撃ちではなく、取り替え撃ちを行っていた(信長公記において、信長は1554年の村木城攻めで『鉄砲を取りかえ引きかえ放った』との記述がある。)
・槍を主武器は当たり前。長槍の開発を行わせたのは信長。
112.名無しさん:2018年09月16日 17:40 ID:ea5RbyK00▼このコメントに返信
有名な合戦図にあんだけ鉄砲が整然と並んでいたら
実態はどうであれ鉄砲で有名な合戦になって当たり前に思う
113.名無しさん:2018年09月16日 18:10 ID:7FmY9Nkj0▼このコメントに返信
※109
経験上の社会的な表現でしょ
114.名無しさん:2018年09月16日 18:12 ID:DHjbDS4N0▼このコメントに返信
※101
戦車をやたら過大評価してるのも日本の軍オタの特徴だよな
登場が衝撃的だったから何なんだよw
戦車が泥沼の塹壕戦を突破できたのか?
戦車用の塹壕を掘られて終わりだったじゃねえかw
塹壕戦を終わらせたのは大量の爆撃隊と砲兵隊だよ

戦車や歩兵はただのトドメ刺しだ
重要な役割だが主要な役割ではない
115.名無しさん:2018年09月16日 18:40 ID:NsVh3veX0▼このコメントに返信
三段撃ちが情景としておかしいのは、バラバラに突撃してくる騎馬武者に向けて一列ごとの一斉射撃という非効率的な方法を取るわけがないってこと
日本の、とくに戦国時代の騎馬武者は、騎兵だけで単一兵科として扱われてたわけではない。指揮官役以外の「槍働き」の武士は、足軽の前面に出て敵の戦列を切り崩すのが目的。絵巻なんかでも明らかだけど、明らかに騎馬武者が単騎(実際には従者を含む少人数の重装戦闘集団だったと思われる)で突っ込んできている

そして日本の場合、火縄銃は「狙って当てる」武器。弓もそうだけど、命中率の低さは斉射ではなく技量で補った。朝鮮半島での戦いのように敵が一団となって突っ込んでくるなら射程の長い軽量弾による一斉射撃というのも行ったが、前述のように突出してきた重装備の武士こそが合戦の脅威であった国内の戦いにおいて、弓や銃はそれらの武士を撃退するために、現代人がしばしば思い込んでいる以上の至近距離まで引き付けて射撃した。
このような運用法の場合、一定のリズムで斉射を繰り返すよりも、突出してきた敵に向けてその受け持ちと判断される部隊が個別に狙撃するほうがずっと効果的。かりに集中攻撃を受けた部隊が、速射を目的として複数人での役割分担による弾込めと射撃を繰り返すことはあった可能性が十分あるが、三段に分けた戦列が号令一下に射撃をするという光景は当時の合戦ではまったく現実的ではない。こういうのは動きが鈍重で多人数が固まったまま進撃してくるテルシオ相手に考案された戦術であって、日本ではまったくふさわしくない
116.名無しさん:2018年09月16日 18:52 ID:Cd6nOVYh0▼このコメントに返信
>裏切り上等じゃないと伸ばせないのはわかる

せやけどそれやって後継問題起こってやら重臣も切ってそんで裏切られてるからね
仕方ないね
117.名無しさん:2018年09月16日 19:07 ID:71.fnZkG0▼このコメントに返信
身分と兵数と訓練での戦の勝ちが、産業の向上による勝ちに時代が変わったからだぞ。戦国時代だから戦争の話かと思うけど、日本の中の産業革命の出来事として一番インパクトがあるのがそれだからな。
118.名無しさん:2018年09月16日 19:13 ID:oyQE.DWS0▼このコメントに返信
※113
答えになってなくね?
影響されっぱなしや影響を受けすぎっ記載なら分かるがな

それを社会的表現ってwお前だけだよw




119.名無しさん:2018年09月16日 19:34 ID:IGeVZA050▼このコメントに返信
※114
戦車の登場は当初は確かに衝撃的ではなかったよ。
ほとんどが戦闘前に行動不能になったからね。
ただそれはソンムにおけるマークⅠの初陣の話で、その戦訓を基に改良を重ねて翌年にはマークⅣが1000両投入されるようになる。
ドイツは塹壕を広げるなどして対応しようとしたが、イギリスはその塹壕に粗朶束を投下して即席の道を作って戦車を通した。
また追撃に特化した快速戦車マークA・ホイペットが開発され、数km進めば大成功だった当時に100km後方まで敵を追撃するようになっていく。
イギリス戦車の威力を目の当たりにしたドイツとフランスも戦車を開発したが、どちらも同じような走破性の恐ろしく悪い動く棺桶でしかなく実用性は低かった。
ただ諦めずに戦車開発を続けたフランスが奇跡を起こし、FT-17という現代まで続く戦車のひな形を産み出した。
FT-17は大戦後に日本を含めた世界各国に輸出され、戦車の時代が来ることを予感させている。

ちなみに砲撃は第一次大戦中盤までアホみたいに続けていたが、無駄だと分かったので戦車で代用するようになる。
一つの目標に直撃するよう願いを込めて数日かけて砲弾の雨を降らすより、戦車で直接行って一発撃った方が早いからね。
120.名無しさん:2018年09月16日 20:21 ID:gRf3Ibio0▼このコメントに返信
野戦築城としての馬防柵は、騎馬突撃を防ぐためではなく進路を限定するため。実際の長篠の戦いでは馬防柵の手前で、信長軍が三段撃ちで武田騎馬隊を殲滅したのではない。馬防柵を何段か突破させて前方のみではなく左右からも火縄銃を撃ちかけた。馬防柵は騎馬の機動性を奪うためのもので、鉄砲足軽を守るためのものではない。
121.名無しさん:2018年09月16日 20:55 ID:uNWjtSsm0▼このコメントに返信
※115
合戦前日まで降った雨が原因で川が増水し田畑は泥濘んで、踏み固めた農道意外に騎馬隊が通れる道はなく弓鉄砲はそこに集中砲火したと言われてる

頼むから、多少は調べてから書き込んでくれないか?
122.名無しさん:2018年09月16日 21:58 ID:ERLw4eoQ0▼このコメントに返信
なんで塩が大切なんですか?塩分とるの?
123.名無しさん:2018年09月16日 22:00 ID:H98.RDBC0▼このコメントに返信
鉄砲の三段撃ちとか変に有名になって、それが中心になってるけれど、

当時、鉄砲はどの大名も一応は持っていたので全くの新兵器ではない。
しかし、鉄砲の生産自体は国内でできていたが、火薬の材料の一部は輸入に頼っていいたので
鉄砲を大量投入して戦力化は難しかった。

信長のすごいところは、いち早く、輸入の窓口の堺などを抑えて鉄砲を戦力化したこと。
その結果が現れたのが長篠の合戦なので、重要な戦い。

そいう流れを説明せずに何年に何々の戦いがあって……しかしないからよくわからないことになる。
124.名無しさん:2018年09月16日 22:11 ID:gRf3Ibio0▼このコメントに返信
イギリスのマークIは世界初の戦車とされているけど、本当は世界初の「無限軌道式装甲車」であり、塹壕陣地突破兵器。
歩兵支援用に360度回転砲塔を備えたフランスのルノーFT−17が世界初の戦車。
125.名無しさん:2018年09月16日 22:19 ID:9mbjJsPb0▼このコメントに返信
上杉も北条も結構手ひどい裏切りを繰り返してるのに武田だけ槍玉に挙げるのはどうなのよ
126.名無しさん:2018年09月16日 22:41 ID:eqRtS01D0▼このコメントに返信
鉄砲のある程度の集中運用(雑賀根来のような)は長篠以前のずっと前からあるでしょ。
野戦築ぽいものなんてのも、置き盾や逆茂木を連ね壕を掘るのようなのが源平の頃にも見られる。
戦術とか戦法とかそんなのは、今さらでそんな大した話ではないと思う。
前々年に朝倉氏滅亡、前年に喉元に詰まった小骨のような伊勢長島一向一揆が壊滅。
長篠で東で直接接する武田家の西への攻勢が完全に頓挫したことで、本拠の美濃尾張や京との連絡線を
脅かす脅威が無くなって織田家が全面的に攻勢に出れるようになる歴史的転換点となる戦いだったから
大きく取り上げられるじゃないの。独ソに例えればクルスク、太平洋ならガ島。
長篠の翌年に安土城の築城が始まったのが象徴的だと思う。
127.名無しさん:2018年09月16日 23:20 ID:6sH.QBSZ0▼このコメントに返信
※126
一人二人の名将猛将では抗えない戦略の強み、近代戦の端緒って部分が重要なんじゃない?
急ピッチの野戦築城や鉄砲の大規模導入みたいな経済力=強さを見せ付けたあたり
128.名無しさん:2018年09月16日 23:58 ID:FWZ0zUSB0▼このコメントに返信
長篠の戦いは、比較すべきは、マウリッツではなく、軍事改革者ゴンサロ・デ・コルドバが指揮したチェリニョーラの戦い(1503年)とか、あとは同じイタリア戦争期のマリニャーノの戦いやビコッカの戦いとかも見るべきところが多い、この時代は工兵(スペイン工兵は優秀だった)と陣営構築術が発展したから、野戦築城と投射武器の活用が多く見られますし
129.名無しさん:2018年09月17日 00:02 ID:hKIHqKpA0▼このコメントに返信
>天下人候補ぎょうさんおるしな
甲陽軍鑑末書が発見されるまでは、「天下目指す」宣言してたのは信長一人だったとされているんだと。
130.名無しさん:2018年09月17日 00:09 ID:hKIHqKpA0▼このコメントに返信
※6
普通に実戦を数度やれば、「終わったやつはすぐ引いて、順にやったほうが邪魔にならなくて良くはないか?」
って発想になるよね。 戦法とか言う以前の段取りレベルの話だと思うわ。 100人いたら100人やるって。
131.名無しさん:2018年09月17日 00:48 ID:yf1KZpgj0▼このコメントに返信
いわゆる三段撃ちがフィクションであったとして、
では、果断なく銃撃を続けるのは、以下の方法があるのだが、
長篠の戦では、いずれであったと思われるでしょうか。

1)早合(火薬と弾丸を紙等で包んだもの)を用意して射手が弾薬装填も行う
熟練者だと約20秒に1発撃てるそうだが、約15秒に1発という話もある。
もしかしたら、装填に15秒、射撃姿勢を取って狙いを定めて引き金を引くのに5秒かと。

2)取り替え撃ち(一組につき火縄銃2丁、射手1名と弾薬装填手1名と火縄挟み手1名)
射手が撃ち終わると、装填手に手渡して、挟み手から銃を受け取る。
銃を渡された装填手は弾薬を装填して、挟み手へ銃を渡す。
銃を渡された挟み手は射撃の衝撃で外れた火縄を火挟みに挟み直して待機。
記憶違いかもしれないが、この方法だと5秒に1発撃てるとか。
この5秒に1発のペースは、現代の射撃のペースと同じらしい。
さらに、弾薬装填時に早合を使えば、このペースも可能か。
132.名無しさん:2018年09月17日 01:36 ID:10K3FpZf0▼このコメントに返信
※61
もちっと勉強してからおいで
133.名無しさん:2018年09月17日 02:19 ID:YEaTIYs.0▼このコメントに返信
射撃手と装填は分業制にした方が効率が良い
複数の作業を覚えるより専業でやった方が熟れるし
仲間や道具の位置が常に認識できているから確認作業が無い。
何より射撃のタイミングになってから敵の状況を把握するようではロスがあり過ぎる
交代で撃つ事で戦闘中に目を外すとか無駄にも程がある

そもそも三段撃ちは銃と射撃手が1:1でしか成り立たないし
色々あり得ない創作だろ
134.名無しさん:2018年09月17日 04:56 ID:rHwz9.zR0▼このコメントに返信
長篠合戦図屏風(まだ戦の生存者がいるうちに描かれた)だと
鉄砲足軽のそばに予備の鉄砲や槍などが見当たらない。鉄砲交換サポートメンバーもいない。
いれかわりたちかわり運用できる列配置にもなってない。
騎馬で突入されたとき足軽を守る備え槍兵はおらず馬防柵だけ。

早合が実用化されてなきゃ無理じゃね
135.名無しさん:2018年09月17日 14:12 ID:.RjE37KW0▼このコメントに返信
長篠の勝因って、火力じゃなくて陣地構築力の差だよね
136.名無しさん:2018年09月17日 14:17 ID:XAgOF79j0▼このコメントに返信
※134
長篠合戦図屏風は貴重なものではあるが完全に当時の様子を再現したものではないよ
どちらかと言うと武将にフォーカスを当てたものだ。

大体ど真ん中で柵の前で鉄砲を撃っているぐらいだしな。
だから貴方の考え方はちょっと間違っている。

>鉄砲足軽のそばに予備の鉄砲や槍などが見当たらない。鉄砲交換サポートメンバーもいない。
>いれかわりたちかわり運用できる列配置にもなってない。

雑兵を細かくは描いてないんだなー
137.名無しさん:2018年09月17日 20:13 ID:XvROjXi70▼このコメントに返信
「三段構え」が輪番射撃を意味していたなら、当時のヨーロッパでも普通に行われていたし、宋代の兵法書にも弩の戦法として記載されてる。
138.名無しさん:2018年09月17日 20:37 ID:aYir9KS60▼このコメントに返信
※137、弩と火縄銃を一緒にするなよ。装填時間が全然違う。
139.名無しさん:2018年09月17日 23:14 ID:WMyPLHoh0▼このコメントに返信
前列・中列・後列配置だと敵が集団でせまってきたときのパニック誤射がこわい
それならいっそ単純に前後配置ではなく1列で右の人から順に撃ち左端がひとが撃つころには
最初の右の人が弾込めがおわって射撃可能になってるほうがいい
火の粉はうちおわった右のひと側にとぶから火皿の火薬に着火する事故リスクもさがる
140.名無しさん:2018年09月19日 19:44 ID:U5PEOYtL0▼このコメントに返信
※138
「装填に時間の掛かる兵器の運用」として流用可能だろ。
実際、信長の時代には武経総要はトレンドな兵法書だった。

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