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2018年08月19日 09:05

大坂の陣の豊臣って勝ち目あるん?

大坂の陣の豊臣って勝ち目あるん?

osaka

引用元:大坂の陣の豊臣って勝ち目あるん?
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1534262738/

1: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:05:38 ID:jZv
史実の状況なら絶対に勝てないとしたらどんな条件があれば勝てた?

3: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:07:31 ID:O5R
戦の途中に家康が病死したら勝てた

5: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:07:51 ID:jZv
>>3
秀忠はおるけど一時的に退却することになるん?

6: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:09:24 ID:O5R
>>5
たぶんするでしょ
その時期はまだ幕府が安定してないし

8: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:10:12 ID:jZv
>>6
仮に家康も秀忠も死んだらどうなるん?

9: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:10:43 ID:k0g
冬の陣でヘマしなけりゃなぁ

10: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:11:01 ID:jyT
実は大阪の陣で家康は死んでた説あるよな

11: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:12:27 ID:jZv
>>10
籠の中の家康が刺されて堺まで落ち延びたけど籠を開けたら家康が死んでたってやつ?

12: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:13:11 ID:jyT
>>11
詳しいことは知らんが大阪の陣が終わって翌年に死んだことからそう推理する人がいると聞く

13: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:14:34 ID:jZv
死因はガンやっけ?
ガンで死ぬ1年前は元気やったりせんの?

15: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:16:35 ID:O5R
堀を埋められて圧倒的に不利になったんやっけ

19: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:24:34 ID:iwC
豊臣は孤立 所領は摂津・和泉・河内のみ
京、伏見城に5000の兵が詰める
彦根には井伊
伊勢には藤堂
播磨には池田

打って出てどうにかなるか?

20: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:26:50 ID:jZv
やっぱり1人の指揮官が居ないとあかんな
誰かおらんか…

22: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:29:50 ID:O5R
理論上は城にいる方が有利やけどな
堀を埋められたとはいえ守りも堅く戦況も把握できる
やっぱ指揮官が無能だった

24: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:40:17 ID:jZv
>>22
かと言ってまともな指揮官候補おるかな?

八丈島から泳ぐしかないやろなあ…

25: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:41:23 ID:G36
幸村が家康ぶっ殺せとったらどうなったんやろか

26: 名無しさん@おーぷん 2018/08/15(水)01:42:50 ID:jZv
>>25
夏の陣で討ち取っても最終的には負けると思う

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2018年08月19日 09:11 ID:LJ1TL1UT0▼このコメントに返信
政宗と内通して、兼続に再起してもらって・・・いや、無理だ。
関ヶ原で検証すべき。
2.名無しさん:2018年08月19日 09:14 ID:qnRHNoTg0▼このコメントに返信
冬の陣ならあのまま籠城で粘れば徳川側の方が先に干上がってた
夏の陣はむりむりむりカタツムリ
3.下流老人:2018年08月19日 09:20 ID:MN7y4Ece0▼このコメントに返信
徳川方は兵糧に苦しんでいたというが、大坂方はどうだったんだろう?
何しろ徳川方20万、大坂方10万だからね、食い物とウ〇コの始末が大変だからネ。
4.名無しさん:2018年08月19日 09:21 ID:Mwyq8d.V0▼このコメントに返信
真田丸潰されずに内堀まで埋め立てられなければもう少し持ちこたえた。
5.名無しさん:2018年08月19日 09:28 ID:e3kWQI7.0▼このコメントに返信
籠城なんかせず出撃すればわかんなかったって聞いたことある
6.名無しさん:2018年08月19日 09:28 ID:q5sjz7bG0▼このコメントに返信
大坂城に兵糧や弾薬の備蓄がどれだけあったかだな。事実上、豊臣は孤立無援で兵糧や弾薬を運び入れてもらえることも絶望的。秀吉死後、方広寺など寺社に金を使いすぎて金銀の蓄えもかなり減っていて牢人衆への給金の支払いに四苦八苦。攻める徳川も大軍の士気や補給を維持するのに苦労していたが豊臣も長期籠城戦には耐えられなかったと思う
7.名無し伍長:2018年08月19日 09:29 ID:gtpdIQiF0▼このコメントに返信
普通なら無いと思うが、それを言うなら桶狭間の今川も厳島の陶もあり得ない敗北だからなあ。
ことに、70台の高齢だった家康の後継者は、家中ですら軽んじられている有名な戦下手の秀忠だった事を考えると……
(仮にも二代目の将軍という絶対権力者のはずなのに、後世にまで散々な言われよう書かれようがされている)
逆転を夢見る者が出てもおかしくは無い。事実、大大名でも慎重な家は両方に懸けたりしていた(毛利とか)。

家康が戦場でぽっくり逝ったら(戦死でなくても良い)、正直その後は分からなかった。
それを間違いが起こらないように畳めるのが、徳川家康の家康たる所以だが。
8.名無しさん:2018年08月19日 09:30 ID:w1UsxF.p0▼このコメントに返信
大阪の陣合戦図屏風に描かれてる
一番の被害者だった大阪の民からすれば
家康に死んでほしかったんじゃなかろうか
9.名無しさん:2018年08月19日 09:31 ID:672dII6g0▼このコメントに返信

中華様に敵対してフルボッコに蹴散らされた時点で下賤日本政権は求心力失って終わりだよ

10.名無しさん:2018年08月19日 09:33 ID:q5sjz7bG0▼このコメントに返信
大坂城で大きな発言力を持っていた女房衆はいざとなれば豊臣恩顧の大名たちが馳せ参じてくれると無邪気に信じていたそうだね。浮き世離れも甚だしいわな
11.名無しさん:2018年08月19日 09:34 ID:PvRbI2Dz0▼このコメントに返信
籠城で粘っている間に、外国が介入してくるのを待つ戦略。
当時はカトリックとプロテスタントの対立の最中。
江戸幕府区はプロテスタントのイギリス・オランダ寄りだったので、カトリックのスペイン・ポルトガルが豊臣サイドを支援する可能性はあった。
12.名無しさん:2018年08月19日 09:34 ID:AGSpdq4K0▼このコメントに返信
豊臣に可能性が残ってたのは関が原まで
秀頼が関が原に出陣していればワンチャン有った
13.名無しさん:2018年08月19日 09:34 ID:fEdDPl3.0▼このコメントに返信
すでに大阪城にも間者がいて寝返り多数の状態だった 唯一の可能性は家康を後方から脅かす武将、伊達、上杉などが江戸や駿府を攻撃することくらい
14.名無しさん:2018年08月19日 09:37 ID:FRXOy9Gb0▼このコメントに返信
坂、阪でゲシュタルト崩壊したわw
15.名無しさん:2018年08月19日 09:37 ID:3KFbzn3i0▼このコメントに返信
勝ちの定義を豊臣家の存続にするならば
方広寺の時になりふり構わず土下座外交をしていれば何とかなったかもな
16.名無しさん:2018年08月19日 09:39 ID:l1ZzyRwP0▼このコメントに返信
最後の手で大阪城に潜入して秀頼暗殺あるから無理じゃね、浪人集めてるから間者何人も入られてるだろうし
17.名無しさん:2018年08月19日 09:42 ID:q5sjz7bG0▼このコメントに返信
戦を回避したいなら次の3条件のどれかを受諾しろと徳川が豊臣に迫ったと言われているね

1.大坂城を出て大和への国替えに応じる

2.秀頼が江戸へ参勤交代する

3.江戸へ淀殿を人質として住まわせる

そんな3条件は無かったという人もいるが、これらの条件はやっぱり豊臣としては受け入れられなかったんだろうか?
18.名無しさん:2018年08月19日 09:43 ID:OR9r9kYO0▼このコメントに返信
まぁ、野戦でワンチャンに掛けるしか無かったろうな
そういう意味じゃ桶狭間の信長は流石の決断だった
19.名無しさん:2018年08月19日 09:49 ID:q5sjz7bG0▼このコメントに返信
大坂の陣で豊臣方が勝ったのは真田丸攻防戦くらいなもので野戦は連戦連敗。やっぱり難しいわな
20.エンアカーシャ:2018年08月19日 09:49 ID:znyqvK9K0▼このコメントに返信
全世界の戦略家が、<豊臣有利>と判断している、
戦力配置図を見て、徳川の敗北は確実だったらしい、

徳川側が、焦って、小早川に発砲したから、優勢が入れ替わっただけであり、
双方の裏工作が、完璧だったのは確実、
完璧同士なら、あとはアドリブ次第、と、

豊臣が有利たったので、勝ち目は充分、
そうでなければ、最初から、裏切った陣営は、徳川軍として、参戦していた、
はい、証明終了。
21.名無しさん:2018年08月19日 09:51 ID:q5sjz7bG0▼このコメントに返信
結局、最後まで秀頼が戦場に立つこと無し。そんなことで勝てるわきゃないよな
22.名無しさん:2018年08月19日 09:54 ID:7Duhwwr80▼このコメントに返信
真田の親父が生きていたらワンチャンあったかもね。
23.名無しさん:2018年08月19日 09:54 ID:7mV2HRfX0▼このコメントに返信
まず勝利条件の前に勝利の内容定義をしないと。
大阪城攻防戦で徳川方が根負けして退却すればいいなら、冬の陣はまさに勝っていた。

戦後に堀を埋められたのは場外乱闘みたいなもんだ。
24.名無しさん:2018年08月19日 09:57 ID:H.C0PW2V0▼このコメントに返信
俺が居れば楽勝よ
25.古古米:2018年08月19日 10:01 ID:3ctNdawJ0▼このコメントに返信
前田利家が死んだのが詰み。
後は秀吉が家康に天下をくれてやる代わりに、秀頼の今後を頼めば丸く収まった。
26.名無しさん:2018年08月19日 10:01 ID:fhO8wIhz0▼このコメントに返信
冬の陣に至ってなお講和で解決すると思ってる頭じゃダメだろ
豊臣の危機を理解してた連中は関が原で散ってるし
人材が終わってる
27.名無しさん:2018年08月19日 10:01 ID:RMJyH.Ji0▼このコメントに返信
徳川方は積極的に損害出しながら攻める武将も少なく持久戦になりそうだった。食料が不足してたから、引き分けにはできたかもね。豊臣に有利な講和条約が結べたら生き延びたかも。
28.名無しさん:2018年08月19日 10:02 ID:OR9r9kYO0▼このコメントに返信
※23
徳川側が負けを認めて秀頼に征夷大将軍の地位を継がせる
29.名無しさん:2018年08月19日 10:05 ID:mEUSOboB0▼このコメントに返信
※15

それは負けの定義に該当する
30.名無しさん:2018年08月19日 10:06 ID:mEUSOboB0▼このコメントに返信
※20

それは関ヶ原や
31.名無しさん:2018年08月19日 10:07 ID:dDDZecvJ0▼このコメントに返信
※27
あそこで引き分けに終わるって選択肢は徳川側に無いだろ
アレは対外戦争じゃなく、内戦なんだから
中央政府側が挙兵した以上、討伐するまでは引っ込みが付かない
亡ぼすまで続けるしか無い
32.通りすがりのキチ:2018年08月19日 10:07 ID:HH61Jzdt0▼このコメントに返信
徳川側に「勝ち目」しかないから「戦」を仕掛けられている。
国内勢力で覆す要素が無い以上「国外勢力」を頼るしかない。

しかしながら、豊臣は「大陸系」には喧嘩を売り、西欧系も
キリストを目の敵として喧嘩を売り、そこに庇護を申し入れ
るとか「身売り」でしかなく、さらに没落するだけの事。

古参の家臣が離反した時点で既に詰んでいるのではないか。
33.名無しさん:2018年08月19日 10:09 ID:0CHQfvPc0▼このコメントに返信
※28
その条件だと豊臣家は絶対勝てないんだが…
清和源氏の血筋でないと征夷大将軍には就けないから、
秀吉は関白→太閤の地位を戴いたんだし。
34.名無しさん:2018年08月19日 10:12 ID:Tb2U.ye90▼このコメントに返信
城や領土を放棄して公家化すればワンチャンあるで
35.名無しさん:2018年08月19日 10:12 ID:OR9r9kYO0▼このコメントに返信
※33
その説は現在否定されとるぞ
明白に清和源氏じゃない信長や秀吉が、普通に征夷大将軍就任の要請受けてるからな
二人とも断ったけど
36.名無しさん:2018年08月19日 10:13 ID:gsTZN50a0▼このコメントに返信
まず外堀の規模を素人は知らんからな。徳川だろうとなんだろうと攻略不可能な規模だった、豊臣方はなんだかんだ外堀さえ埋めなければ負けることは難しかった。
37.名無しさん:2018年08月19日 10:13 ID:FtLwGtL90▼このコメントに返信
※3
大坂の陣での徳川方の兵糧不足は家康の指示で蔵米や豊臣家からの没収分を放出したのであっさり終わってる
豊臣方は直前に買い入れたものの兵数が多すぎて兵糧は心許ない状態だった

割を食ったのは庶民の方で米価が高騰して粥すら食えなくなったそうな
38.名無しさん:2018年08月19日 10:13 ID:KvmcS3y00▼このコメントに返信
豊臣恩恵で味方につきそうなやつがことごとく病死(あんさつ?)してるからこの段階ではもう無理
39.名無しさん:2018年08月19日 10:13 ID:NZ2bWG2q0▼このコメントに返信
秀頼に秀吉並みのカリスマと行動力があり
勝つマザコンでなければ勝ち目はあり
大阪城にあれだけ浪人があることから分かる通り
まだまだ世は戦国の気風を残していた
そんな中秀吉並みの武将が立てばぞくぞくと人は集まってくる
野戦で一発秀頼ここにありと見せ付けられれば 大名すら寝返ってくる
大将次第では逆転の目はあり
まだまだ徳川盤石ではない
それが分かっていたからこそ徳川は豊臣を必死に潰そうとしたんだし
無害だったら 放置しておくでしょ
40.名無しさん:2018年08月19日 10:16 ID:TffAsdVn0▼このコメントに返信
家康が死んでも、対等くらいの数字で長期包囲戦にでたら大阪方は武器弾薬、食料を維持できないだろう。
別に、秀忠を前線に出す必要もないしな。
41.名無しさん:2018年08月19日 10:21 ID:mEUSOboB0▼このコメントに返信
まあ家康の暴謀略に負けたんだわな。印象は。

開戦にもっていくまでの謀略に次ぐ謀略
そして和議の振りをして、豊臣の最大の戦力(白の防御力)を奪い滅亡を図る

故に
①謀略に計られなければどうなったか?
②家康は力攻めでは自らには不利なことを知っていたから(年齢もあって、当時東洋随一の要塞であった大阪城を早期に潰すことは困難とみて)
なりふり構わない謀略を重ねて豊臣の滅亡を図ったので、豊臣に勝ち目があったのではという論拠の余地が残る。

この戦によって家康の印象は悪いものとなって(律義者→謀略家)だからこそ徳川政権は、豊臣が前政権の織田を徹底的に弾圧しなかったことに比べて徳川は豊臣の遺風を全く残さない路線を取ることになったと思う。

ま日本にとっては豊臣政権が続くより徳川政権が続いたほうが相対的には良かったのではないか?
関ケ原前の豊臣政権ならそれなりの官僚組織(5奉行、筆頭石田三成)があって、それなりの治世ができたかもしれないが、
大阪の陣の頃の豊臣には城は女房衆が幅を利かせ、国を動かす組織も人材もなし、キリシタン大名には大判振る舞いの約束していたのだから、
豊臣が勝ったら外国勢力に侵食されたかもしれなかった。

とはいえ大阪の陣は 判官びいきの心も起こるるから、切ないというか、豊臣にもっとうまくやれ余と思う一方、家康のやり方に爽快さを感じなかったりはするんだよな
42.通りすがり:2018年08月19日 10:21 ID:2ia0aRv50▼このコメントに返信
冬の陣の段階で
大御所の首を上げれば
可能性は無くはない。
伊達や黒田が腹に一物あったのは知られているし
上杉だって……

信長は今川の首を挙げる事で今川を支配した。
カリスマであればあるほど…

夏の陣は丸裸だし
43.名無しさん:2018年08月19日 10:22 ID:2QP1leYG0▼このコメントに返信
※35
清和源氏の血筋の養子になる条件とかがついていたんじゃないの?
それなら断る理由も納得できるし、秀吉が関白になるために養子になったこととも辻褄が合う
44.名無しさん:2018年08月19日 10:22 ID:SRRfgLNs0▼このコメントに返信
淀殿を城から追い出して秀頼に采配させてれば士気が上がって勝てたかも
45.名無しさん:2018年08月19日 10:22 ID:OR9r9kYO0▼このコメントに返信
豊臣方は「武将」がいない以上に「外交官」の不足が深刻だろうな
たとえ夏の陣で善戦できたとしても、その後が続かない
家康市んでも、外交なら普通に秀忠がバリバリやれる
結局包囲網が続くだけだ
46.名無しさん:2018年08月19日 10:23 ID:mEUSOboB0▼このコメントに返信
※40

近代戦の計算ではね

でもこの時代は大将の存在の軽重で、他の武将は動いている。
外様はどう出るかわからない、徳川家とて内紛の萌芽はないわけではない
47.名無しさん:2018年08月19日 10:26 ID:3KFbzn3i0▼このコメントに返信
※33
>清和源氏の血筋でないと征夷大将軍には就けないから、

平成も終わろうとする時代に徳川のプロパガンダを信じるアホがまだ現存して居るのか…
初代征夷大将軍は源氏では無い、というか源氏自体が無い。
源氏宗家断絶後の鎌倉幕府の将軍は宮将軍だぞ。
48.名無しさん:2018年08月19日 10:26 ID:zJJ26uhR0▼このコメントに返信
※45
そもそも対徳川の外交窓口担当である片桐且元を追い出したのが事の発端だからなあ……
夏の陣に至っては外交どころか内部の浪人衆の制御すらまともに出来なくなっているグダグダっぷりよ
49.名無しさん:2018年08月19日 10:28 ID:gsTZN50a0▼このコメントに返信
徳川方というのは、烏合の衆だからな。織部や真田のように大阪方に裏では組みしてる連中もいる。長引けば戦費も持たない。家康の寿命も短い。我慢すれば好転する要素は多い
50.名無しさん:2018年08月19日 10:28 ID:S7howRnS0▼このコメントに返信
そらやっぱし、逆包囲(ウラヌス作戦)じぇねーの?
51.名無しさん:2018年08月19日 10:29 ID:h5NQuK9R0▼このコメントに返信
細川、真田、仙石と二男クラスを城に入れてるし
毛利、黒田、加藤は意を含めた部下を入れていることからしても少なくとも豊臣が生き残る可能性を考えていたことは間違いない
52.名無しさん:2018年08月19日 10:29 ID:ennE0yCf0▼このコメントに返信
人材の多くが死ぬこと前提に
53.名無しさん:2018年08月19日 10:30 ID:bBa1v5u40▼このコメントに返信
関ヶ原を西側対反石田でなく豊富対徳川に出来なかった時点で負け確定
大阪の陣は小競り合いで頑張っただけで援軍もない籠城なんてそもそも無理
54.名無しさん:2018年08月19日 10:33 ID:OR9r9kYO0▼このコメントに返信
※43
一応、信長は足利の養子になるって話があったな
でもそれは「足利幕府を継ぐから」って意味であって、清和源氏だからって意味じゃない
秀吉については大納言になったタイミングで征夷大将軍も兼務するよう要請があったんだから
そんな条件は特に無い
55.名無しさん:2018年08月19日 10:33 ID:gjMjx9E70▼このコメントに返信
※12
>秀頼が関が原に出陣していればワンチャン有った
関ヶ原自体はどうにかなっても
「幼君を担ぎ出すとわ!!」
って反感買って、どっかで再燃する
56.名無しさん:2018年08月19日 10:38 ID:q5.timUm0▼このコメントに返信
大阪の陣そのものを勝てても大局的に見たら勢力逆転は難しいしね。
あれは家康が自分が生きてる内に念押しのために仕掛けた戦な感が強い。
57.名無しさん:2018年08月19日 10:41 ID:mEUSOboB0▼このコメントに返信
※43

その源氏の子孫でなければというある種の「慣例」があったのはその通りで、だから徳川の征夷大将軍の正式の名前は「源家康」
家康は政権とりのはるか前の織田政権の頃からたしか源氏の末裔を唱えていた。

もちろん、それはいかがわしいもので、当時も諸大名誰からもおそらく胡散臭いと思われていただろうが、
多くの諸大名も似たようなもので、平氏、源氏を唱えていた(織田は平氏)
当時は権力と金とそれなりの数代遡れる氏素性があれば何とかなった(数代遡るとうやむやにできた)
だから徳川の場合は養子になったわけではないが。

秀吉の場合、そこら辺の氏素性のない農民のこと言うことは当時の諸大名・貴族から庶民に至るまでそれを知っていたから
さすがに源氏の末裔と称する(偽る)ことはできなかった(不可能だった)、家系図も作りようもなかった(本人すら3代以上前を知っていたかどうか・・・・)。秀吉程度「~の子孫」と称して可能だったら、あの時代の封建の権威はすべて崩れる
よって近衛前久の「猶子」という手法を取ったといわれる。


58.名無しさん:2018年08月19日 10:44 ID:ennE0yCf0▼このコメントに返信
夏の陣はほとんどが戦場で死ぬことを目的としてたし勝つのは無理。

冬の陣は有能な人材が淀君に嫌われてたせいで入城できないしやっぱり厳しい
59.名無しさん:2018年08月19日 10:46 ID:q7TANhMK0▼このコメントに返信
援軍の来援や政情変化が期待出来ない籠城にそもそも勝ち目なんかないだろ
60.名無しさん:2018年08月19日 10:46 ID:gjMjx9E70▼このコメントに返信
~すれば伊達が寝返る、上杉が寝返る、毛利が寝返る

って希望的観測ばっかりで寝返るせるための工作を
何もしてないから負ける
61.名無しさん:2018年08月19日 10:47 ID:iOfr74DS0▼このコメントに返信
家康の寿命まで頭下げ続けて秀忠の代になってから西軍再集結させれば
62.通りすがり:2018年08月19日 10:47 ID:2ia0aRv50▼このコメントに返信
そんなことより、
私は秀頼の首が気になるんだ……
現代に発見され
綺麗に埋葬されていた
秀頼らしき首に僧侶が改葬のためお経をあげると
ボロボロ大粒の涙を流したと言う…
63.名無しさん:2018年08月19日 10:47 ID:gjMjx9E70▼このコメントに返信
※60
寝返らせるための工作 の間違い
64.名無しさん:2018年08月19日 10:50 ID:gsTZN50a0▼このコメントに返信
勝つ必要はない、大阪城に籠もって一切妥協せずに徹底抗戦するだけでいい。
65.名無しさん:2018年08月19日 10:53 ID:qnRHNoTg0▼このコメントに返信
関ヶ原で徳川に知行権をとられた時点で厳しいな
あの時点で豊臣は西軍に全ツッパしないといけなかった
恩だ義理だは結局のところ誰から金を貰ってるかという話だからな
だから秀吉に恩はあっても秀頼に恩はないという話になってしまう
66.古古米:2018年08月19日 10:53 ID:3ctNdawJ0▼このコメントに返信
凄い極論だけど、男の子でも女の子でもねねが秀吉の子供を産んでたら徳川の世は無かった。
男の子なら秀吉の後継ぎに、女の子なら婿が秀吉の後継ぎになれた。
秀吉恩顧の大名は、こぞって支えただろうし。
67.名無しさん:2018年08月19日 10:55 ID:jI3qpDyu0▼このコメントに返信
秀頼が前線に出ればワンチャンあったかも
豊臣恩顧の大名はひるむやろさすがに
68.名無しさん:2018年08月19日 10:55 ID:2vJfAaHh0▼このコメントに返信
講和しないで堀埋めないで籠城徹底抗戦してたら勝てなかったでしょ。
絵に徳川軍は兵糧切れてて馬食べてる絵がある。シンガポール戦の山下軍団みたいに徳川軍もギリギリだった。
あれで徳川軍撤退してたら求心力落ちてそのまま南北朝みたいにできた可能性はある。
あの時点でまーだ毛利も福島も豊臣に協力的。
淀がいるから難しいけどあの女がいなくて徹底籠城してたらまず大阪城は落ちない。
69.名無しさん:2018年08月19日 10:58 ID:dl7kywig0▼このコメントに返信
言うて内堀外堀埋められる前までだったら粘れただろ?
大砲にびびってたけどピンポイントで狙えるわけでもなく秘密裏に身を隠せば良かったんだよ
後は時間との勝負
家康が過労で倒れるかすれば撤退を余儀なくしてた
史実はもって一年の命だったし
それでも豊臣の一大名かは避けれんと思うが
70.名無しさん:2018年08月19日 10:59 ID:mEUSOboB0▼このコメントに返信
※61

そんなことさせないための大阪の陣なんだからそれは無理
戦なしの交換条件が徳川のおひざ元関東の千葉の端に事実上幽閉配置(いつでも殺せる)だし。
子孫共々いつ排されるかわからない

まあっもっと早くから臣従の姿勢を見せていればどうかとも思うが
それでも家康自体がそれで豊臣をたばかってある意味政権を簒奪したから、秀吉が家康に認めた程度の臣従(領地もたくさん与え、地位も与え)では絶対に認めないでしょう。家康はそれが認められたしその力があったから秀吉から滅ぼされずに済んだわけだし。
71.通りすがり:2018年08月19日 11:02 ID:2ia0aRv50▼このコメントに返信
夏の陣は無理すじだが
冬は寝返る可能性0ではないよ。

史実として真田信繁の子供を伊達がかくまっているから、
伊達と真田は何らかの繋がりがあった。
上杉とも繋がりはあったと思う
72.名無しさん:2018年08月19日 11:03 ID:gsTZN50a0▼このコメントに返信
アフガン、イラクの掃討戦ですら明日を考えず、ただ徹底抗戦する。これが最強なのはハッキリしてる
豊臣なんか勝算まであるからな、これを無理とか思うのは日本の無条件降伏に由来する戦争観としかいえない。
綺麗に負ける、綺麗に勝つ。そういう理想論に感化されてる
73.名無しさん:2018年08月19日 11:06 ID:3KFbzn3i0▼このコメントに返信
※57
慣例なんてねえよw
平氏である信長に誘いだしてんだから。
朝廷とすりゃ面倒見てくれるなら誰でもOK

因みに鎌倉幕府の将軍は

①源頼朝 河内源氏 ② 源頼家 河内源氏 ③源実朝 河内源氏  

④藤原頼経 藤原氏(九条家) ⑤藤原頼嗣 藤原氏(九条家)

⑥宗尊親王 皇族 ⑦惟康親王 皇族  ⑧久明親王 皇族 ⑨守邦親王 皇族

なんで源氏もクソもないんだよなあ
74.名無しさん:2018年08月19日 11:08 ID:kHXhfcXJ0▼このコメントに返信
俺に旧軍の一個師団、いや、一個連隊があれば…
75.名無しさん:2018年08月19日 11:10 ID:szpinXKQ0▼このコメントに返信
大坂方も持久戦は無理だったみたいだぞ。冬の陣の時点で弾薬不足だったようだし、
夏の陣で城に籠もらなかったのも結局そこだし。
76.名無しさん:2018年08月19日 11:17 ID:gsTZN50a0▼このコメントに返信
鉄砲が決定的な兵器になるのは連発とかライフリングとか火薬の改良、実包とかね大分後の話。まだまだへっぽこ武器なのが火縄銃
77.名無しさん:2018年08月19日 11:20 ID:T9aR7h1M0▼このコメントに返信
堀を埋めさせず脅しの砲撃が繰り返されても籠城を粘るべきであった。
三年ぐらい持ちこたえられる兵糧の貯えがあったそうだから、長期戦を覚悟して何年でも踏みとどまれば寄せ手の側にも新たな政変が起きたのでは?
合戦が長引くと地方から出張している大名なんかは地元の運営が気になって厭戦気分が広がると思う。
78.名無しさん:2018年08月19日 11:32 ID:qw1bRhtv0▼このコメントに返信
前田や伊達がいきなり裏切ってそれに呼応する連中が出てこないと無理じゃね

※8
太閤殿下と大坂の威光のためだけに押し潰されてきた連中や改易された武将からすればあの程度じゃまだまだ足りんわ
79.名無しさん:2018年08月19日 11:33 ID:TffAsdVn0▼このコメントに返信
※72
んなーこたーない。
アフガン、イラクで面倒なのはゲリラ戦。これはベトナムでも証明している。
だが、大阪戦役は大阪城限定の局地戦だから攻め手が積極的に攻城しなくても、食料が先に尽きたほうが負け。
徳川方も食料補給に難があったのは事実だが、改善の余地は十分にある。
他方、豊臣方は絶望的。

豊臣恩顧と腹に一物抱えた外様の連中が謀反したとしても、戦乱に戻るだけで豊臣が復活できた目はほとんどない。
80.名無しさん:2018年08月19日 11:33 ID:siJHF2uN0▼このコメントに返信
※77
主導権握ってんのが淀と大野兄の時点で
なにやってもダメ
又兵衛「出撃して迎え撃つぞ!」
牢人衆「そうだそうだ!」
大野兄「勝算はあるのか?却下!何か真田が内通してるっぽいし!」
真田丸「ドーン!」
家康砲「ドーン!」
淀「キャア!侍女が死んだわ!講和よ!」
真田「右府様に御出馬願え!」
大助「はっ!」
秀頼「出るか」旗印バッ!
淀「そなたが雑兵の手にかかれば一大事です!」
秀頼「それもそうですな」旗印たたみーの
真田「えっ!?ちょ、おま」
81.名無しさん:2018年08月19日 11:37 ID:gsTZN50a0▼このコメントに返信
※79
いやいや外堀埋めなきゃ、攻め寄せるの無理だから。守るの余裕。
空爆すらある現代のゲリラに比べたらクソみたいに楽
82.名無しさん:2018年08月19日 11:41 ID:qnRHNoTg0▼このコメントに返信
完全な結果論だが
家康はあと一年ちょっとしか持たないから冬の陣で籠城に徹していれば良かった
徳川方、勿論豊臣方もだが厭戦気分が蔓延する中家康が倒れれば
例え秀忠が健在だとしても兵を引き上げるしかなかっただろう
大坂の陣を乗り切った豊臣と家康を失った徳川では
次の会戦で豊臣方につく家がほんの少しは増えたに違いない
83.名無しさん:2018年08月19日 11:41 ID:siJHF2uN0▼このコメントに返信
※4
外堀埋めは家康方の陰謀ではなく両軍ともに合意の上での破却

※22
昌幸「わしが生きて入場すれば知名度もあって必勝の秘策も入れられやすいが
お前には知名度がないから軽んじられて入れられないだろう。それが残念だ」

※75
肝心の牢人どもを冬の陣で召しはなっちゃったから夏の陣では兵力が減ってるんだよね
5000~7000の真田毛利にそれぞれ1万でも付けてやればよかったのに
大野にだけなんで1万も兵力つけてんだよ
84.名無しさん:2018年08月19日 11:48 ID:q5.timUm0▼このコメントに返信
※73
そもそも征夷大将軍なんて武士や源氏が表舞台に現れるずっと昔から有る役職だしな。
血筋や家格で言うなら本来は貴族家系じゃないと就けない関白のがよっぽど条件厳しいってのに、
こんな珍説まだ信じてる奴が居るのが信じられん。
85.名無しさん:2018年08月19日 11:53 ID:mkd.l9CZ0▼このコメントに返信
大阪の陣とは、やるなら関ヶ原の直後にすべきだった戦
その後は戦いではなく豊臣家の存続を目的として行動しなくちゃ
86.名無しさん:2018年08月19日 11:59 ID:p7AuTm6x0▼このコメントに返信
大坂の陣は真田丸で幸村が言っていたように
家康が京都にいる内に兵を差し向けて家康を始末してしまえば冬の陣で決着が付いた
87.名無しさん:2018年08月19日 12:03 ID:dDDZecvJ0▼このコメントに返信
※81
横からだが、食料が尽きる言うてはるやん
城内で芋でも植えるのか?
88.名無しさん:2018年08月19日 12:09 ID:qL68bIUs0▼このコメントに返信
自らが主家を乗っ取っておいて、自分が死ぬときには幼年の秀頼を盛り立てろって言っても無理だろ。
ただ単に因果が巡ってきただけ。で、大坂城を出ていれば延命の機械があった可能性は微レ存?
あんな浪人共を集めて籠城したって先は見えてるのにな
89.名無しさん:2018年08月19日 12:13 ID:TffAsdVn0▼このコメントに返信
源氏である必要はないけど、ただまあ、征夷大将軍は、開府して独自の兵権を行使できるを
権限をもっていたからなあ。しかも、鎌倉以降は臨時ではなく常設化するし、朝廷としては信用できる
やつじゃないと困るのもまた確か。鎌倉時代はそのせいで、河内源氏の後は摂家だの親王だのが
補任されていたわけで。

まあ、そうしたら足利将軍家が従五位下や正五位下で補任しているのはなんなんだーというのはあるけど。
内裏がすぐ近くだから、内閣府外局くらいの扱いだったのかもしれんなと思う。
90.名無しさん:2018年08月19日 12:13 ID:x7v3yOfG0▼このコメントに返信
真田昌幸の計って結構的を得てるんだよな
守勢ではなく攻勢に出て、豊臣恩顧の大名の気持ちを取り戻す
西二八の形勢が、西三七の形勢に変わるだけで豊臣恩顧の大名は西に傾く気持ちになる
その中でビッグネームが一つでも動けば、流れが変わる可能性は現実的になる
状況が刻々と変わる中で、それを仕切り判断を下せるのは西側では真田昌幸だけだったと思う
関ケ原に近い勢力バランスにまで持っていけば、野戦で十分に勝てたと思う
91.名無しさん:2018年08月19日 12:15 ID:2Pfmp.2Y0▼このコメントに返信
どんな素晴らしい戦力をもっていてもトップがクソだと惨めに負ける好例
というかこの辺は日本500年ぐらい成長してないな
92.名無しさん:2018年08月19日 12:15 ID:qL68bIUs0▼このコメントに返信
※11
あの頃のスペインは欧州中で戦っていたから、辿り着けるかも不明な極東に兵をだせるわけがないww
出せるなら対イギリスで南米方面か直接イギリスを叩くでしょww
93.名無しさん:2018年08月19日 12:26 ID:y7ZLjpVn0▼このコメントに返信
前田見捨てた次点で、詰んでるよ。助けてくれない奴に誰が尽くす。まあ、冬の陣で和睦しなきゃ、何らかの事件が起き、有利な立場での交渉でお家存続の可能性もあったかもしれんが。
94.名無しさん:2018年08月19日 12:27 ID:Y4egpEgL0▼このコメントに返信
おふくろさまがいる限り勝てない
95.名無しさん:2018年08月19日 12:31 ID:x7v3yOfG0▼このコメントに返信
※91
トップが駄目だと組織が滅ぶのは
日本に限らず不変の定理だな
96.名無しさん:2018年08月19日 12:31 ID:pmq.f9Tw0▼このコメントに返信
征夷大将軍は武家の棟梁であって、天皇の代理として公家および征夷大将軍に直接命令を下す事ができる摂政・関白の方が格上。
豊臣は摂関家、徳川や前田は摂政関白になれない一つ下の精華家。
ただし、秀頼は関白になっていないので、当時の官位出世順では、家康が上。
家康の後を秀頼が、秀頼の後を秀忠が就くという順番になっている。
大坂の陣で家康の首を取るか、籠城が長引いて家康が死去していれば、徳川幕府は存続できなかった可能性が高い。
関ヶ原(豊臣の内紛)の後でも、公家・大名、民衆の多くは、秀頼が成人したら家康が天下を譲ると考えていたようだ。
上杉家の景勝公御年譜には、諸大名たちは秀頼に新年のあいさつをするために大坂城を訪れた事が記してあり、
オランダの和蘭東印度商会史には、家康は老齢で、秀頼は諸侯に人気がない。秀頼の人気は高く大名諸侯や平民も秀頼が天下人に
なる事を望んでいる。などの記述がある。
このため、家康は自分が生きている間に秀頼を亡き者または豊臣の力を大きく削減する必要があったので、大坂の陣をおこしたと
考えられる。
97.名無しさん:2018年08月19日 12:41 ID:C1fDdV7y0▼このコメントに返信
淀の放出が最大の補強
98.名無しさん:2018年08月19日 12:43 ID:pmq.f9Tw0▼このコメントに返信
お前ら、歴史を語る時は情報の出典文献などを明示しろよ。
99.名無しさん:2018年08月19日 12:48 ID:siJHF2uN0▼このコメントに返信
※98
そんなことしてる間にこのスレどんだけ後ろに流されるんだよ
それにこれ史学科のゼミでも学術雑誌でもなんでもないからな横書きだし
もう史料に註つけんのはうんざりなんだよ
引用にはマス目2コ下げろよ
100.通りすがり:2018年08月19日 12:50 ID:hiyteG4j0▼このコメントに返信
※97
大坂の陣で色々考えてると
マジでそう思えるんだよねw

劣勢明らかな時誰が淀と共に死にたいと思うんだよっていうw

因みに秀頼公に最後まで忠義を尽くした真田大助は
本当は父上と一緒に居たかったんだよ…
101.名無しさん:2018年08月19日 12:53 ID:id6Wt32G0▼このコメントに返信
関ヶ原の戦いで家康が勝利して、豊臣恩顧の大名が誰一人として大阪方につかなかった時点で9割方詰んでるんだよなぁ。
明治政府の版籍奉還・廃藩置県もそうだけど、二段階に分けて他勢力の力を削ぐという手法が非常に巧妙だった。
102.名無しさん:2018年08月19日 12:56 ID:pmq.f9Tw0▼このコメントに返信
※99
情報の真偽を確かめた事があるなら、それくらい普段からまとめられるだろ。無能か?
103.名無しさん:2018年08月19日 12:57 ID:bGqVcwgz0▼このコメントに返信
無理無理
家康がかなり下手こいてですらこれなんだから
104.名無しさん:2018年08月19日 13:02 ID:qL68bIUs0▼このコメントに返信
家康が征夷大将軍を授かった段階で勝負は終わってたんだよね・・・・
105.名無しさん:2018年08月19日 13:11 ID:x7v3yOfG0▼このコメントに返信
※103
それ以上に豊臣方がヘマやらかしてるからな
冬の陣で求心力のあるリーダーが豊臣方にいれば、十分にワンチャンあったんだけどな

徳川勢と戦った実績は、徳川家康相手に物怖じしない証明。しかも小規模とは言え徳川勢に二度も戦術的勝利を得ている(知名度抜群)。息子(嫡男説まである)はで秀頼直属の馬廻衆を務めていた(豊臣への忠誠心も文句なし)。戦略的勝利を得た実績が無いのは経歴上誰もが仕方ないとするところ。欠点と言えば、最後の点だけ。

真田昌幸が生きていれば勝てたかもというのは伝説かも知れないが、もしもがあれば十分な可能性はあった。
106.名無しさん:2018年08月19日 13:14 ID:x7v3yOfG0▼このコメントに返信
※105
で秀頼直属の馬廻衆>秀吉直属の馬廻衆
107.名無しさん:2018年08月19日 13:23 ID:4IpDdErj0▼このコメントに返信
援軍の来ない籠城戦とか言うムリゲー
108.名無しさん:2018年08月19日 13:33 ID:qL68bIUs0▼このコメントに返信
※105
物怖じしないというか、ただの浪人衆の集まりだったっていうのがね・・・・
実際に大坂城包囲の時に徳川を後ろから襲撃する、豊臣恩顧の大名も反徳川の大名もいなかったからね。
どんだけ徳川が恐れられて、豊臣は軽視されてたの?って状態だろww
109.名無しさん:2018年08月19日 13:38 ID:stPDvaG.0▼このコメントに返信
徳川に不満持っている勢力は多かったから冬の陣でもうちょい上手くやってれば乱世逆戻りくらいまでなら持っていけたよ
110.名無しさん:2018年08月19日 13:52 ID:etCMEHGs0▼このコメントに返信
鉄壁の大阪城で無期限の籠城をした後、
極力有利な講和条件をと企んでいたら
南蛮渡来の謎の長距離砲で度肝を抜かれた
これだけが決定打ではないにしても、あの長距離砲の存在は大きかった
111.名無しさん:2018年08月19日 13:57 ID:dl7kywig0▼このコメントに返信
例え歴戦の司令官たる真田昌幸が生きてて指揮取ろうと頑張っても、自由に指揮させない足を引っ張る素人で無能な首脳部(淀他)がいる限り、ぶっちゃけ勝ち目はなかっただろう
112.名無しさん:2018年08月19日 14:00 ID:lzd8XhlF0▼このコメントに返信
まだ秀吉子飼いの武将が居たのだから
墓から引きずり出して
ゾンビ太閤として稼働させれば
ワンチャンあるで
113.名無しさん:2018年08月19日 14:00 ID:9vamWuwz0▼このコメントに返信
家康さえ殺せれば政宗君がかき混ぜてくれただろ
114.名無しさん:2018年08月19日 14:02 ID:2g3nn5j60▼このコメントに返信
北条氏とか豊臣氏みたいに全国に味方がいないという状況で籠城するのはどういう心境だろうか
豊臣氏はまだ権威も防衛耐久力もあったから多少ましだけど
115.名無しさん:2018年08月19日 14:04 ID:CNf5OrbB0▼このコメントに返信
一代で、他者を飲み込んで財閥作った豊臣の、次期社長にカリスマ性がなかったんだろ…
乗っ取りに動く副社長の徳川と、日和見決め込む常務の有力大名
っで、社長夫人と息子、専務である奉行連中と社員だけ集まって、財閥維持しようなんてのは無理な話

戦になった時点で、負けだろ…
116.名無しさん:2018年08月19日 14:08 ID:5PZ3PLAT0▼このコメントに返信
※47
頼朝からその不文律が出来たんだよ
117.名無しさん:2018年08月19日 14:10 ID:5PZ3PLAT0▼このコメントに返信
※47
いや、お前がアホだろ
平成も終わりになろうって時代に文献を参照することもできないのかよ
118.名無しさん:2018年08月19日 14:10 ID:Ks21Xngb0▼このコメントに返信
まぁ最初は家康も豊臣家に気を使っていたわけでしょ?
もう徳川天下はしゃーないって諦めて家康の言うとおりにして大阪から退去したりしてたらどうなったんやろう。再起したんかな?
119.名無しさん:2018年08月19日 14:13 ID:5PZ3PLAT0▼このコメントに返信
そんなに知りたきゃ歴史板にスレ立てろよ
ボッコボコにされるのが怖くてできなかったんだろ?
120.名無しさん:2018年08月19日 14:22 ID:e7GmWpS80▼このコメントに返信
なんか真田昌幸に過剰に期待している人を散見するけど、たかが3万石の大名の意見なんか豊臣首脳陣が聞くわけ無いだろ
土佐一国の太守だった長宗我部だってただの浪人扱いだぞ(浪人衆のかなでは扱い良かったが)。活動地域が信濃上野の田舎ばかり、しかも大名の友誼が東国の極一部の大名にしかないし豊臣への臣従だって紆余曲折あり信頼度そのものが低い。こんなやつの意見聞くか?
いかに素晴らしい戦歴があってもそれを強く証明(保証)してくれる大名が居なければ正当に評価されるわけない(よりによって証明できるのがこの時点では敵である徳川だけというのも)
知名度だって余程、息子の信繁のほうが秀吉の馬廻りでかつ2万石近い所領を持っていたので昌幸より大きかった可能すら有る
秀吉が馬廻りとして親父と別に所領を与えるほどに信頼し、豊臣内部に知人が多かった筈の信繁ですらこの扱い。昌幸が生きていても多少マシになったってぐらいだろ
121.名無しさん:2018年08月19日 14:30 ID:gjMjx9E70▼このコメントに返信
夏はムリゲーだし
冬もワンチャン程度
さっさと公家になっとけばいいのに
122.名無しさん:2018年08月19日 14:35 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
秀頼が家康・秀忠に敵うとも思えないし無理だろ。秀吉が家康を始末できなかった時から秀頼は詰んでる。
123.名無しさん:2018年08月19日 14:36 ID:x7v3yOfG0▼このコメントに返信
※108
それも金で集めた傭兵が大多数だからな

※120
長宗我部と昌幸を同列にされてもな…共通点は元大名と言うだけで

何万石あろうが西軍に役立たなかった小早川秀秋の例もあるし、
大坂方で大坂の陣の時点で何万石の大名が駆け付けた例のほうが少ない
主力は浪人衆と名のある浪人達
身分のある者も実践経験が無いか、あっても無いに等しい連中ばかり

この状況で昌幸が取り上げられないほうがおかしいけどな
現実は死んでしまってて有り得ないんだけども
124.名無しさん:2018年08月19日 14:40 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
大坂の陣時点では徳川家が武家の棟梁なので、諸大名が徳川家に味方するのは当然。現に大坂の陣で豊臣の味方をした大名は一人もいない。
125.名無しさん:2018年08月19日 14:45 ID:2g3nn5j60▼このコメントに返信
つんだのは関ケ原後に豊臣家が弱体化させられた段階だろな
あれで単独220万石から70万石大名に落ちた
ただ要所だし資金も豊富だったから後で目を付けられる運命にあった
資金を放棄して摂津和泉河内から移れば存続させられた可能性はそれなりにあったと思う
126.名無しさん:2018年08月19日 14:47 ID:1xA4pXJK0▼このコメントに返信
大坂の陣の豊臣側の人材事情を見ると
三成に焦りがあったのかもとは思う
釣られる形だがむしろあのタイミングしかなかったのかもな
127.名無しさん:2018年08月19日 14:48 ID:atNGo6Aj0▼このコメントに返信
秀吉が秀次を自害に追い込まなければ、家康の出番はなかった
若いころから関係した多数の女誰一人孕ませることができなかったのに、老いらくの恋は醜い
128.名無しさん:2018年08月19日 14:54 ID:5l8kxD2m0▼このコメントに返信
冬の陣のから始めて
秀頼が毛利元就や武田信玄並みに権謀術数に優れてるか
上杉謙信や朝倉宗滴並みの神がかり的に戦が強かったら勝てる可能性あるぞ

129.通りすがり:2018年08月19日 14:56 ID:N3kaTr9K0▼このコメントに返信
真田昌幸は上田の戦で勝利してるが
いわば局地戦だからね…

「真田丸で言うところの大蔵卿局」みたいな人間が蔓延る大坂城で昌幸なんか田舎侍と全く相手にされないよw

第一信之と兄弟の信繁を内通者と見る人間も多かったようだし…
確か真田丸でも真田を監視するような兵がいたと思う。
130.名無しさん:2018年08月19日 14:57 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※127
秀吉は性的に不能だったとしか思えないな。確実な史実で秀吉の子を産んだのは淀殿だけ。
秀頼は秀吉の実子ではなく、秀次はそれを分かっていたために粛清されたという説がある。

とにかく秀次事件により、秀次派が家康派になったからね。

秀次がいれば家康の出番がなかったとも言い切れない。かつて秀吉が信雄を使って信孝を始末した様に、家康が秀次を使って秀頼を始末した可能性がある(逆パターンもあり得る)。
131.名無しさん:2018年08月19日 15:00 ID:etCMEHGs0▼このコメントに返信
※127
寧ろ若き日の市姫への永遠の恋心が全ての元凶
市姫似の淀に盲目となり見事に豊臣を乗っ取られた
132.名無しさん:2018年08月19日 15:03 ID:l2QSf.S50▼このコメントに返信
冬の陣も小田原も篭城側が戦う意志が薄弱
まだ余力あったし、もし帝国陸軍並みの徹底抗戦してれば歴史は違ってたと思うよマジで
133.名無しさん:2018年08月19日 15:03 ID:h9nUqT840▼このコメントに返信
※8
そこだけクローズアップしてみると徳川方が悪逆非道に見えるけど
大坂方も大坂方で堺を焼き払って壊滅させてるしろくなもんじゃないぞ
堺の町衆が戦後捕まった実行犯の大野治胤の引渡しを京都所司代の板倉勝重に要求して
わざわざ磔にして火あぶりにするほど憎まれてたからな
134.名無しさん:2018年08月19日 15:05 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※131
秀吉のお市への恋慕は近年否定されている。清洲会議の時に柴田勝家とお市の婚姻を勧めたのは秀吉。

秀吉は身分の高い女(特に織田家の女)が好きなだけ。
135.名無しさん:2018年08月19日 15:13 ID:S4h75y.f0▼このコメントに返信
戦争自体には勝ち目あるけど、遅かれ早かれ徳川の時代になってたぞ
136.名無しさん:2018年08月19日 15:19 ID:bN5A5uYm0▼このコメントに返信
大阪の陣は徳川楽勝みたいなイメージもたれてるけど、日本一の金持ちだった秀吉の遺産、鉄壁の大阪城に10万の戦国生き残りの浪人、出丸の真田丸には火力を集めた陣地、攻める側からしても憂鬱になるだろ

家康も秀忠も城攻めは苦手

冬の陣で優先なのに和睦、堀を埋め大阪城を丸裸にする約束とか、自ら進んで滅びにいってる
137.名無しさん:2018年08月19日 15:26 ID:pXF0VSEa0▼このコメントに返信
※20
君、自分が思ってるほど頭よくないで?
あと、読点、やたら、多すぎ、や、ない、ですか、
138.名無しさん:2018年08月19日 15:29 ID:2g3nn5j60▼このコメントに返信
ごく一部だが河内国に北条氏の子孫が大名になったってのは因果を感じる
以前豊臣家のために北条家はひどい目にあったようなんで
139.名無しさん:2018年08月19日 15:32 ID:dl7kywig0▼このコメントに返信
同じ条件で同じ戦力で同じ状況下での大阪籠城戦も、総大将が戦の素人秀頼と淀じゃなく、歴戦の指揮官秀吉ならば、きっと徳川側を退けて勝ってしまう気がする
140.名無しさん:2018年08月19日 15:39 ID:bN5A5uYm0▼このコメントに返信
124.名無しさん

>大坂の陣時点では徳川家が武家の棟梁なので、諸大名が徳川家に味方するのは当然。現に大坂の陣で豊臣の味方をした大名は一人もいない。

源氏の正当、氏長者、武家の棟梁、征夷大将軍

源頼家、実朝「お、おう」

歴代足利将軍達「・・・・」
141.名無しさん:2018年08月19日 15:42 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※139
そもそも秀吉が生きてたら豊臣家の危機はなかったってのは置いといて、もし秀頼が秀吉並の人物なら一旦徳川家に臣従して家康の死後に再起を図っただろうね。普通に考えて大名の味方がいない現状はまずいから、臣従後に機会を伺った方がいい。
142.名無しさん:2018年08月19日 15:44 ID:CNf5OrbB0▼このコメントに返信
※138
女系(姉の流)だけど、豊臣は九条家(正室)に入って明治天皇のおばさんが豊臣氏の末裔
っで徳川潰すんだから、権力者の小さな世界で、日本は回ってるんだなと…
143.名無しさん:2018年08月19日 15:51 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※140
>源氏の正当、氏長者、武家の棟梁、征夷大将軍
>源頼家、実朝「お、おう」
>歴代足利将軍達「・・・・」

おいおい、前提も条件も違う連中じゃないか。
右大将家(頼朝一家)は東国武士団の神輿に過ぎない。頼朝はそれを理解した上で武士団を利用し、義仲・平家・奥州藤原氏を滅ぼした。しかし右大将家は中央志向が強く、それを裏切りと感じた武士団に暗殺されたと言われている(二代頼家は神輿で収まろうとしなかったため粛清)。

足利将軍家は自ら基盤を不安定にした初代尊氏が全ての元凶。応仁の乱も尊氏が将軍権力を強固なものにしなかったが故に起きたもの。
144.名無しさん:2018年08月19日 15:57 ID:F1DhvNlG0▼このコメントに返信
間違えた、不文律ができたのは足利からだった
145.名無しさん:2018年08月19日 15:59 ID:F1DhvNlG0▼このコメントに返信
※47
え?源氏はもうない?足利も源氏ですけど?
君もしかして、氏(うじ)と家名(名字)の違いがわからないの?
無知なら黙っててくれないかな、場が混乱するから
146.名無したん:2018年08月19日 16:18 ID:lW3NiIis0▼このコメントに返信
当時の幕府は統治組織として完成されつつあった。

家康を殺してもダメだね。
秀忠も殺せてどうにか一時的な猶予を得られる程度か・・・
147.名無しさん:2018年08月19日 16:26 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※28※33※47※145
何か勘違いしている人がいるけど、「源氏=征夷大将軍の有資格者」ではないし、秀吉は将軍になれなかったから関白になったわけでもない。

右大将家(頼朝一家)は東国武士団の代表(神輿)として征夷大将軍になっただけ。神輿に余計な力は必要ないから、右大将家滅亡後は摂家将軍・宮将軍を擁立した。

足利家が将軍になれたのも、北条得宗家以外の御家人で一番強く家柄が良かったのが足利家だったからに過ぎない(源氏としては足利より格上のはずの新田氏は雑魚扱い)。

信長・秀吉は朝廷から将軍を勧められている(信長は返答前に死に、秀吉は断った)。秀吉は織田家に成り代わった簒奪者に過ぎず、将軍足利義昭はいまだ健在。「百姓のせがれ」秀吉は権威・権力で織田家・義昭を超えるべく関白を目指した。「秀吉が関白になった」をサラッと流す人は多いが、武家の実力者なら誰でもなれる将軍と違って、関白は五摂家という藤原氏の頂点の人間しかなれない官職で、ハードルは将軍よりもはるかに高い。しかし秀吉は金で五摂家のプライドを買う事に成功し関白となった。

徳川家康は建前では「室町幕府の後継組織」として江戸幕府を開いたため、源氏を名乗る必要がった(家康の将軍就任の際の方式も室町三代義満の儀礼を踏襲したもの)。なお徳川の姓は、加茂氏→藤原氏→豊臣氏→源氏と変遷している。
148.名無しさん:2018年08月19日 16:39 ID:.Fjv.BMu0▼このコメントに返信
※145
横からだが落ち着いて読んだ方がいいんじゃない?
「初代大将軍は源氏じゃない。源氏がそもそもいない」はそのとおりでしょ
征東将軍時代を含めなくても、征夷大将軍は大伴弟麻呂が初代(791年)なんだから
その時は臣籍降下で源氏は誕生してない。源氏の誕生は嵯峨天皇の時代、814年だもの

ただ個人的に言わせてもらうと「宮将軍」自体は「源氏」であることは軽視してなかったと考えるよ
頼朝に近い血筋から取ってるんで。でも源氏長者に関してはこの時代は村上源氏のものだったのは留意すべき

それから足利氏を源氏宗家に数えるのは難しいと思う。あれは義国系の家だから
頼朝の系統からは結構離れてる。頼朝の系統を宗家と考えたときに足利氏が継承権を名乗るのはちょいと厳しい。
だからこそ、「源氏長者」を村上源氏から分捕ったとみた方が自然ではないだろうか。

んで「征夷大将軍が源氏しかなれない」っていう林羅山発の与太話は
室町時代の足利義満が始めた「征夷大将軍」と「源氏長者」はセットが基盤
ただし、室町時代の源氏長者も村上源氏と持ち回りだったけどね
「征夷大将軍・源氏長者バリューセット」は江戸幕府開始時点で100年ぐらいの実績しかないんじゃない
149.名無しさん:2018年08月19日 16:40 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※147
×名乗る必要がった→○名乗る必要があった

秀吉は関白を独占するために朝廷から関白任免権を奪い豊臣家で独占しようと図ったが、家康が関白を朝廷に返還したため独占が不可能になった。そのため秀頼が関白になれた可能性はかなり低い。
150.名無しさん:2018年08月19日 17:03 ID:etCMEHGs0▼このコメントに返信
ところで現在の日本に「豊臣」姓の人はいるのだろうか
勝手に名乗っている歴史オタクはいたとしても除外
151.名無しさん:2018年08月19日 17:21 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※150
豊臣姓を称している大名は多かったが豊臣宗家滅亡後に皆使用を止めた。しかし秀吉の正妻高台院の親族木下氏は豊臣姓を使い続けた。
152.名無しさん:2018年08月19日 17:56 ID:z.LSAj8k0▼このコメントに返信
豊臣秀頼は、関ヶ原戦後も、というよりも関ヶ原戦後だからこそかもしれないが、近畿を中心に寺社に対して莫大な献金をし続けた。

寺社はそれそのものが城であり、武装力量であった。
実際に有名どころで今に残っている寺社に、秀頼再建になるものが結構多い。

籠城が長期化すれば、徳川方が大軍を屯させている近畿一帯が不穏化したかもしれない。
その場合には豊臣方は近畿一体を戦場に出来る。
実際に、紀州和歌山方面では相当大きな広域的武装蜂起が起こっている。
153.名無しさん:2018年08月19日 18:03 ID:z.LSAj8k0▼このコメントに返信
こう考えれば、秀頼が寺社に金を使ったのは、単なる慈善事業だけとも、金持ちの道楽だけとも、果ては徳川方の豊臣家弱体化計画に乗せられただけとも思われない。

寺社が幕府に飼い殺しにされた江戸時代末期から見ても、寺社は相当の領土と人民と影響力を保持していた。
まして戦乱から間もないあの時代は尚更だろう。

様々な動きは、こう見ると突飛でも何でもなくなる。
154.名無しさん:2018年08月19日 18:07 ID:3KFbzn3i0▼このコメントに返信
※145
不勉強且つ朝鮮脳
生き恥晒して顔真っ赤wwwww
155.名無しさん:2018年08月19日 18:08 ID:mEUSOboB0▼このコメントに返信
※73
あのね。貴族は例外というかそれが本来であって、貴族が官位役職につくのはOKなの。
坂上田村麻呂は源氏でないでしょ?貴族苦行の例を挙げて「ほら?っ源氏以外もOKでしょ」なんてのは例証にならない
156.名無しさん:2018年08月19日 18:11 ID:z.LSAj8k0▼このコメントに返信
いったん戦争が終わってしまえば、数百年に及ぶ寺社奉行や各藩との関係性において、寺社は豊臣家との関係性を積極的に消し去るに至る。

しかしながら、そのような過程を経た上であっても、なお今現在に消し損ねた痕跡が残ってしまう程の関係性をたどってみれば、大阪の陣の解釈は変わってくる。
157.名無しさん:2018年08月19日 18:14 ID:RSnEZ7Hn0▼このコメントに返信
腹を据えて戦えば、城方有利だった。
旅順要塞に使用されていたような戦闘設計された城だからな。
また、奈良県は穀そう地だが、大阪は船以外近郊との交通の便が悪く、山か川を超えての補給戦になる。
堺の港以外は大船をつけにくく、石山本願寺攻めでも、攻囲戦で苦労したところ。
そして、持久戦で20万人を維持するだけの石田三成クラスの文官が徳川にはいない。
攻城戦は撤退が最も危険で、講和しても撤退が決まった軍を襲えば全滅させることもできる。
豊臣の秀吉が築城した城は、計略なしで落ちることはない。
守城の力量を見極めたうえでのばくちだった。
これは、関ヶ原戦でも同じ。
一旦安定した政権を覆すには、何度もばくちを打たないといけないし、連勝する必要が有る。
家康はそういったことを実施するために大坂方から人を排除し続けた。
158.名無しさん:2018年08月19日 18:17 ID:mEUSOboB0▼このコメントに返信
※111

阿波の守なら場内クーデターをおこしたかもしれない
二代目の幸村はその点スマートだったかもと「空想」してみる
159.名無しさん:2018年08月19日 18:19 ID:mEUSOboB0▼このコメントに返信
※157

そもそもあの城は一つの街のように広い。あれ、食料を賄うにはとても足りないかもしれないが、少々の耕作はできたんじゃなかろうか?
160.名無しさん:2018年08月19日 18:31 ID:RSnEZ7Hn0▼このコメントに返信
※6
直前に城下の武家から8万石の米の徴収があったようなことを聞いたことがある。
一人0.8石だと、140キロくらいか。食料の心配は当面ないな。
大坂自体も結構コメが取れたので、それなりの備えはできただろう。
当時は輸送が大変だった。
3方向が山で、大坂湾は淀川の堆積により大きな船を付けるには、浚渫が必要だった。
兵站の補給は、今とは違う。
豊臣の財力は、例えば金は世界の半分位を保有していた。
明治維新で廃藩置県をしたとき、尾張の城から金の分銅が出て来た。金貨じゃないぞ。
まだ造幣局か財務省が保管していたと思うが、桐の印がある。豊臣の印だ。
夏の陣で落城した時、尾張と紀州に、いざという時の軍資金として配布したらしいな。
鉛と硝薬は輸入品で、没後日本全国とでも戦えるように準備した豊臣の秀吉が手抜かりしないだろう。
161.名無しさん:2018年08月19日 18:40 ID:RSnEZ7Hn0▼このコメントに返信
※159
肥後1国からの徴収が8万石だったはず。加藤清正の実質の進呈だった。
162.名無しさん:2018年08月19日 18:47 ID:3Bb8A5RL0▼このコメントに返信
※136
それはそのとおりだと思うし、実際に冬の陣は膠着してた
だから幕府方は力攻めを諦めて指導者の心を折りにいって成功した
豊臣方は指揮系統に問題があるので、戦術面で善戦できても戦略面や外交面では大きな枷をしてるようなもの
大局観とか関係なく感情で動いてるからどうしたって不利なんだよなあ
そもそも大局を見れてるならあの時期に幕府とは戦わない、
とっとと従うかのらりくらり時間を稼いで家康の死を待つかするでしょ

淀殿を意思決定プロセスから排除しないとダメだけど、
豊臣首脳陣は淀殿の幼い頃から仕えてる者たちによって固められてるから豊臣家そのものを排除しないことには無理っていう
163.名無しさん:2018年08月19日 19:04 ID:ys9.prDe0▼このコメントに返信
冬の陣ならまだ可能性はあった
でも出来るなら関ヶ原で秀頼出陣させておけば天下のままだった
164.名無しさん:2018年08月19日 19:19 ID:siJHF2uN0▼このコメントに返信
※102
じゃあお前がまとめろよ
出来んだろ?まさか出来ないのに口だけは立派な無能か?
さぁ存分に出典・一次資料を駆使して説明してくれたまえよ
165.名無しさん:2018年08月19日 19:34 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
大坂の陣における勝利条件
(冬の陣)
徳川方 家康…豊臣家の無力化及び徳川家への臣従(家康自身は当初豊臣家を滅ぼすつもりはなかった)、浪人衆の殲滅。
    秀忠…豊臣家・浪人衆の殲滅(秀忠は豊臣家を潰す気満々。)

豊臣方 秀頼…家康・秀忠を討ち取って豊臣家の天下復活(秀頼は主戦派)。
    淀殿…現状維持(徳川家が豊臣家をないがしろにしなければそれでよかったっぽい)。
    浪人衆…家康・秀忠を討ち取って世の中を乱世に戻す(そうすれば浪人衆にもワンチャンあるかも)。

(夏の陣)
徳川方 家康・秀忠…豊臣家・浪人衆の殲滅(この期に及んでは豊臣家を滅ぼすしかない)。

豊臣方 秀頼・淀殿…現状維持(不可能なら減封・転封も受けるつもり)。
    浪人衆…家康・秀忠を討ち取って世の中を乱世に戻す(邪魔をするなら秀頼・淀殿でも容赦しない)。

冬の陣の時点で屈服できていればなあ… 豊臣家は滅びなかっただろうに。
なお秀忠は出陣が決まって「豊臣狩りだ!今日は人生最高の日だぜ!(意訳)」と言ったそうな。
166.名無しさん:2018年08月19日 19:43 ID:zJAzSZLL0▼このコメントに返信
大砲の登場によって非戦闘員を抱えて城郭に延々とこもり続ける持久戦は不可
そして外からの援軍が期待できない、補給もない軍が籠城したところでどうしようもない
結果的に家康は一年後に寿命で死んだが、当時そんなことがわかるわけもない
状況はどんどん悪くなるから初手で打って出るのが正解
とにかく戦力をかき集めて徳川方の拠点の一つでも落とせばなびく大名も出てくるかもしれない
そこを説得して戦力を増やしていく、これしかないが
徳川方は、交渉の余地が残る籠城案を豊臣方が選択するよう誘導しまくっていた
各大名とコネクションを持ち工作ができるような人材もいない

結果、籠城案を採用し疲弊したあと、家康と秀忠を同時に討ち取ったあと各大名と交渉するという
最悪の博打を撃たざるを得なくなって案の定負けた
167.名無しさん:2018年08月19日 19:55 ID:zJAzSZLL0▼このコメントに返信
関ケ原にしたって西軍当初の防衛プランである美濃の防衛ラインをあっさり突破された時点で毛利は日和って家康と水面下で交渉を始めてる
結果、関ケ原で毛利は大阪から動かず、吉川は傍観して後ろの軍をブロック、小早川は裏切ってる
関ケ原も大坂の陣も、家康は勝ってから仕上げとして合戦を始めている
168.名無しさん:2018年08月19日 20:26 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※167
美濃を守っていたのは秀吉に利用され続けた織田秀信だったね。織田の嫡流のくせに「家臣」秀吉にいい様に使われた不甲斐ない奴。もっと戦が強い大名を配置すべきだったな。

吉川はともかく小早川は最初から家康側だよ。秀秋が三成と敵対する理由はあるが、味方する理由は全くない。

関ヶ原も大坂の陣も徳川方は戦う前から必勝の準備を欠かしていない。浪人衆に振り回された豊臣家とは違う。唯一の問題は大坂城の堅さだが、大砲を使えばどうにかなるレベルの問題だしね。あとは堀を埋めて試合終了。
169.名無しさん:2018年08月19日 20:37 ID:TPz6YJcA0▼このコメントに返信
※66
秀吉自体が、6本指のミュータントだから、繁殖能力ないんじゃないの。
170.名無しさん:2018年08月19日 20:40 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※169
※127
171.名無しさん:2018年08月19日 20:42 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※170
※127じゃなくて※130のミス。
172.名無しさん:2018年08月19日 20:48 ID:I6NZseGD0▼このコメントに返信
堀を埋められたのが致命的だったな
あれが無ければもっと戦いは長引いたろうし、ひょっとすれば大坂の領地だけは守れたかも知れない
まぁこの期に及んでも家康の話を信じた豊臣の失敗ではあるけど
173.名無しさん:2018年08月19日 21:08 ID:3Bb8A5RL0▼このコメントに返信
※172
無理だぞ
豊臣家だけなら現状維持案でも受け入れられる、でも浪人衆がいるから彼らがそれでは納得しない
彼らの多くは豊臣大事で集まってるわけじゃない
行き場を失った者たちが大名にしてくれるとか豊臣家に召し抱えてくれるという空手形で寄り集まってるだけ
実際、夏の陣は豊臣家が浪人の処理ができなかった事が原因の一つだからな
その意識の差が冬の陣の豊臣家首脳陣(籠城策)と浪人衆(出撃策)の意見の違いだったわけだし、
その後も度々対立してるのは、豊臣家の生存と、浪人達の再起という各々の目的が対立が原因
174.通りすがり:2018年08月19日 21:09 ID:2ia0aRv50▼このコメントに返信
秀頼公が百貫デブだったってまじなんかなぁ?

重すぎて普通の馬に乗れないからサウジからデカイ馬を取り寄せたんだよね。


ちなみに、当時家康が取り寄せた大砲は命中精度が悪すぎてあまり役に立たなかったらしいよ。
淀殿をビビらせるには十分だが…
175.名無しさん:2018年08月19日 21:13 ID:3Bb8A5RL0▼このコメントに返信
デブってのは悪意があると思うけど、
祖父の浅井長政は大男だったらしいから、巨漢であった可能性は十分あるでしょ
176.名無しさん:2018年08月19日 21:18 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※172
堀があろうとなかろうと冬の陣時点で徳川家に臣従できなければ、徳川家は豊臣家を滅ぼすしかない。徳川家にも面子があるから度重なる譲歩を蹴った豊臣家を生かしておくわけにはいかない(他の大名に舐められる)。世を乱す浪人を飼っているなら尚更。

※174
じいさん(浅井長政)似の巨漢イケメンだったとか。

戦もろくにした事のない秀頼にはビビらせる大砲で十分。事実そうなった。
177.名無しさん:2018年08月19日 21:24 ID:etCMEHGs0▼このコメントに返信
江戸幕府に反発して豊臣方についた浪人衆は
幕末に明治政府に反発した保守派と通ずるものがあるのかも
178.名無しさん:2018年08月19日 21:41 ID:bN5A5uYm0▼このコメントに返信
江戸幕府に反対したんじゃなくて、関ケ原で西軍側で戦った大名が改易や減封されたので、首になり仕官先のない浪人が全国に溢れてた

その浪人達が、城持ちになる野心やら新しい仕官先の確保、最後に名を上げて死に花を咲かせるためとか色々な思惑で集まってるんだよ

戦国武将にギラついた野心はあっても、保守か革新なんて意識ないでしょ
179.名無しさん:2018年08月19日 21:54 ID:7mTcqWG90▼このコメントに返信
>実は大阪の陣で家康は死んでた説あるよな

堺在住やけどウチの近所に家康の墓がある。死ぬ間際に腰をかけた石とか。
いまは名前変わっているけど昔は東照宮と言われていた。
180.名無しさん:2018年08月19日 21:57 ID:FtLwGtL90▼このコメントに返信
※174
秀頼がすんごいデブだったのは複数の史料があり、対面した外国人も書き残してるので事実と思われる
家康も晩年はかなりのデブだったと書き残されてるが、秀忠は色黒で肥満はしてなかった模様
181.通りすがり:2018年08月19日 22:13 ID:2ia0aRv50▼このコメントに返信
やっぱりデブだったんだw
秀頼公に関して面白いことを言う人が居てね。
実は秀頼公はデブ過ぎて
走れる馬が無いから真田の出陣要請に答えられなかったとか言う説w

太平楽と言う比較的大きな愛馬も居たが100貫デブ乗せて長距離は無理だったのかも
武豊とか体重40 だし
182.名無しさん:2018年08月19日 22:19 ID:bN5A5uYm0▼このコメントに返信
当時の大砲で大阪城を崩すのは無理ある

玉も当時は爆発する炸薬弾じゃなく、砲丸投げよろしく、でかい玉を火薬で飛ばして目標物にぶち当てるだけだし、そもそも命中精度も荒すぎる

砲撃の一発が天守に当たって侍女が死に、淀がビビったのと、砲撃の音を昼夜鳴らして、心理的に追い詰めた効果の方が大きい

正直、現代の凄惨な兵器を見てしまってると、淀もビビり過ぎだと思うけど、当時はあれが最新なんやろね
183.名無しさん:2018年08月19日 22:30 ID:kcd1rzEm0▼このコメントに返信
秀吉が旧北条領丸々与えたのが間違いだった
朝鮮出兵の際も所領開拓理由に国内に籠って力を蓄えさせてしまったのも原因
184.名無しさん:2018年08月19日 22:51 ID:3Bb8A5RL0▼このコメントに返信
※183
まず北条征伐で一番兵を出した大名だから論功はそれなりにならざるを得ないというのが一つ
もっとも断れば信雄コースだし、成政みたいに失敗コースもあり得たから、悪手ではない
それを上手くさばいた家康の手腕が確かだっただけ

上記の理由から、唐入りでもこき使って成功した場合、手がつけられないほどの大大名にせざるを得ないので正直使いにくい
逆に家康を外して、自分の子飼いの大名たちや毛利や島津を使って唐入りを成功させれば家康に対抗できる勢力を育てることができる
なので唐入りで家康を外したのは妙手
問題は、その唐入りが失敗しちゃったこと
185.名無しさん:2018年08月19日 23:17 ID:zaQ.SiGV0▼このコメントに返信
籠城戦の基本は援軍の見込みがある事。
だから、「大阪冬の陣」勃発時点で豊臣陣の負け決定。
186.名無しさん:2018年08月19日 23:23 ID:kcd1rzEm0▼このコメントに返信
※184
秀吉が旧北条領の潜在能力を見誤ったに尽きると思うね
当時なんもないただだだっ広い田舎に左遷して家康を封じ込めたつもりだったんだろうけど肥沃で平地の関東平野与えたのはまずかった
先祖代々の地三河を捨てて素直に国替えするとは思えず歯向かえば潰せる大義名分あったんだろうけど言う事聞いちゃうのが秀吉の誤算なとこもあったと思う
そもそも唐征伐なんか不可能に等しく豊臣恩顧の殆どの大名や武将もこの件で秀吉に見切りを付けられたのが敗因
無謀な朝鮮出兵に家康は全力で回避して上手い事国力温存させてしまった
187.名無しさん:2018年08月19日 23:31 ID:3Bb8A5RL0▼このコメントに返信
※186
我々の視点から見れば唐入りは不可能なのはもちろんだけど、当時の情報量からすればやっちまおうぜとなるのはしゃーないでしょ
やる以上は成功するつもりだから取り分を与えたくない家康をはぶるのも当然
また秀吉に限らず国内統一したら国外に打って出るやつって多いし、また国内の治安や雇用面から考えればそれも仕方ないし、
中国征服は無理でも朝鮮半島とるだけでも大大名を並立させることができるから家康が突出する自体は防げた
問題はやはり失敗したことと、そちらが指摘した秀吉の野心に乗ってくる大名が少なかったことも大きいね
あと関東の潜在力をなめてたのも同意
188.名無しさん:2018年08月19日 23:49 ID:5UTnGdgK0▼このコメントに返信
※9
嫌いな日本にコソコソ隠れて兵役逃れしてる民族の裏切り者w
189.名無しさん:2018年08月20日 01:15 ID:fmvdI0m30▼このコメントに返信
※184※186※187
家康の関東転封は家康にとって不利な事ばかり。領主として有能だった北条氏の旧領であり徳川家とは何の縁もない土地。しかも本拠地を都会の小田原ではなくド田舎の江戸に指名する嫌がらせ。さらに家康は豊臣政権の重鎮であるため中々領地に帰れない。家康領の周りは豊臣恩顧が包囲と散々。これだけの不利な状況から一気に天下人に上り詰めた家康はやはり凄い。なお家康は江戸になじめなかったらしく江戸にはほとんど行かず、駿府時代の方がはるかに長かった。

唐入りについてだが、秀吉が往年の頃の才覚を発揮できていれば勝てるはずの戦だった。当時世界最大の陸軍を持ち、秀吉を頂点に一つにまとまっている(秀吉軍よりはるかに小規模のヌルハチが明を滅ぼし清を建国している)。しかし秀吉の采配とは思えない様なミスの連続で失敗に終わった。因みに家康は唐入りに参加する気満々だったが、秀吉の渡海が中止になったので秀吉に付き従い国内に残る事となった(家康レベルの大物が行けば現地の大名たちはもめなかっただろう)。そのため結果的に徳川の兵力を温存する事になった。

結局秀吉が家康を潰さなかった事が全ての元凶なんだよ。家康がそのすきを与えなかったのはもちろんだが、絶対権力者の秀吉ならやろうと思えばどうとでもできただろうに。関白秀次を消せて家康を消せないという事もないだろう。
190.名無しさん:2018年08月20日 08:59 ID:dKCWxrde0▼このコメントに返信
すべては、総大将の能力次第w
191.名無しさん:2018年08月20日 12:20 ID:fmvdI0m30▼このコメントに返信
どうも秀忠を軽視している人が多いなぁ。関ヶ原で遅参(これも諸説あり)した頃とは違う。家康以上に長い間将軍として実績を積み重ね、徳川家の天下を揺るぎないものとしたのは秀忠の成果。優柔不断なイメージも大嘘で、実際は公明正大、そして冷酷残忍な男。大坂の陣の頃は官位で家康と並び同等の実力者だったのは間違いない。

秀忠は世の秩序を乱す豊臣家・浪人衆の殲滅を主張し、最終的に意見を押し通した。千姫をあっさり切り捨てる判断をした事も「優柔不断」とは程遠い。

家康を討ち取れば豊臣家にチャンスがあると言う人は何も分かってない。大坂の陣で家康が死んでも幕府は続くし豊臣家に未来はない。むしろ家康が助命の意思を示していた時に降伏すれば良かった。きっと高家として丁重に扱われただろう。家康は「名門コレクター」だから。
192.名無しさん:2018年08月20日 14:25 ID:69lGHEUz0▼このコメントに返信
少数の兵力で篭城する。真田幸村とかいらん。

持久戦で、家康寿命で、オタワ。淀開放主義者。
193.名無しさん:2018年08月20日 15:05 ID:jPMcaAtp0▼このコメントに返信
徳川が諦めるまで戦を引き延ばすしかないな
194.名無しさん:2018年08月20日 16:43 ID:fmvdI0m30▼このコメントに返信
※193
徳川家は諦めないよ。豊臣家・浪人衆を放置しておいては徳川による太平の世が実現しない。豊臣家を無力化し浪人衆を潰すしか徳川家に道はない。

そもそも、全国の大名を動員できる徳川家が諦める理由がない。相手は戦を知らない秀頼・淀殿、そして有象無象の浪人衆。豊臣方に勝ち目などあるはずがない。唯一勝機があるとすれば家康・秀忠を同時に討ち取るぐらい。
195.名無しさん:2018年08月20日 22:15 ID:sj1G..ym0▼このコメントに返信
ところで当時の豊臣・徳川は双方とも複雑な親族関係だったとか

淀殿の実妹が秀忠の正妻だったり
秀忠の実娘が秀頼の正妻だったり
196.名無しさん:2018年08月21日 00:22 ID:Giozz1Da0▼このコメントに返信
※195
秀吉の意向だね。本来秀次の娘が秀頼の妻になる予定だったけど、色々あって徳川家にその役割が回ってきた。秀吉は豊臣家と徳川家を一つにして、秀吉死後の難局を乗り切ろうとしたわけ。それを家康に利用された形。
197.名無しさん:2018年08月21日 09:08 ID:NgeJCTF.0▼このコメントに返信
生き延びるのが目的ならそもそも最初から浪人集めるようなアホするなと言う話で
勝利条件があるとしたら徳川の統制から外れた治外の存在である事を認めさせる
もしくは徳川家になりかわる、ぐらいは必要だろうかね 相打ちとかそれこそ無意味だし

楠正成よろしく籠城で形勢変わるのを待つぐらいが現実的じゃないかな
現実味ないけど、そもそも戦国の浪人とかならずものと大差ないのが殆どだから
198.名無しさん:2018年08月21日 21:55 ID:GJUNzoq20▼このコメントに返信
奇跡的に夏の陣を凌いだとしても
その後外部に攻め入って領土拡大など
軍事的にも政治的にも到底不可能

それでも引けない意地があったのか
199.名無しさん:2018年08月22日 02:15 ID:6rk2R78.0▼このコメントに返信
※197
各勢力の目的は大体※165。淀殿はどちらかと言えば戦を避けたかった。秀頼は主戦派。豊臣の当主として「家臣」徳川家に思い知らそうとか思っていたんだろう。

籠城は外部に援軍がいるからこそ有効な策。それに豊臣には楠木正成レベルの戦上手はいない(真田は所詮浪人風情で実績もない)。
豊臣家に恩義がある大名は結構いたが、自分たちの全てをかけてまで肩入れする事はない(信長の様なガチ勢でもない限り、戦国でも基本的に大名は我が身大事で保守的になる)。義の上杉家も家を優先して徳川家に従っている。

豊臣家は家康の「名門コレクション(高家)」の一つになれば生きながらえる事はできたんだよ。秀頼はプライドからそれを拒み、浪人衆もそれを許さなかった。その結果が豊臣家の滅亡。
200.名無しさん:2018年08月22日 02:26 ID:6rk2R78.0▼このコメントに返信
※198
夏の陣で生き延びる可能性は限りなくゼロだと思う。冬の陣と違って徳川家は仕留めに来ているから。

意地はあっただろう。大坂の陣時点でも豊臣家(摂関家)の家格は徳川家を上回ってる。それに家康は秀頼の父秀吉に屈しているし、秀頼幼少の時は家康も「忠臣」だったからね。

しかしかつて父秀吉も主家織田家に同じ事をしたのを忘れてはいけない。秀頼と秀信(三法師)の違いなど死んだか死んでないかぐらい。
201.名無しさん:2018年08月23日 13:57 ID:f8wPuagj0▼このコメントに返信
全ては関ヶ原で終わっている。そして15年後豊臣側宿将の半分は病死(半数は死因不詳の不審死)でこの世におらず。万が一家康が死んでも既に本人は隠居状態なので、体制そのものは大きく揺るがない。
(徳川家子孫達は頑強に家康の戦死説を否定するが、一方で死亡?した本人を埋葬したと見られる寺の存在も明らか。戦いが終わった後日に一度だけ秀忠・家光がこの寺を訪問した記憶もある)
202.名無しさん:2018年08月25日 00:48 ID:ZeSabxpQ0▼このコメントに返信
関が原は形の上では豊臣配下での勢力争いであり徳川と豊臣の直接対決ではなかったため
豊臣方は関が原の後も豊臣の天下は続く、2代将軍は秀頼に譲られると能天気に構えていた
関が原の時点で家康は豊臣自体を滅ぼす気満々だったと言うのに

ところで江戸城内でボッチ・無能とされた家光を立ち直らせて3代将軍にしたとこが
家康の最期の仕事となったのだが家康戦死説と折り合いはつくのかな
203.名無しさん:2018年08月25日 01:00 ID:DIfsTU590▼このコメントに返信
※202
直接対決も何も関ヶ原時点では家康が豊臣家の代表。秀頼の名を騙る三成・三大老を駆逐したのが関ヶ原。

あと豊臣家は摂関家であり、征夷大将軍の様なチンケな官位を狙う必要はない。関白になればいいのだから。しかし五摂家(藤原氏)はかつて関白を奪った豊臣家を警戒していたから、秀頼が関白になれる可能性はかなり低かっただろう。

三代家光についてだが、仮に家康が大坂の陣で死んでいても秀忠が家康の遺命で家光を指名した事にすればいいし、そうすれば家光に箔をつける事もできる。政治方面では超優秀だった秀忠なら思いつきそう。
204.名無しさん:2018年08月25日 01:07 ID:DIfsTU590▼このコメントに返信
※202
>関が原の時点で家康は豊臣自体を滅ぼす気満々だったと言うのに
家康が豊臣家殲滅を最終的に決めたのは夏の陣直前。それまでは難問を押し付けつつも豊臣家生存の可能性を残していた。それに対して秀忠は娘千姫を切り捨ててでも豊臣家を(ノリノリで)殲滅するつもりだった。

まあ秀頼の往生際の悪さと浪人衆のしぶとさが豊臣家に破滅をもたらしたのだよ。

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