2018年08月17日 09:05

薩英(薩摩vsイギリス)戦争、下関(長州vsイギリス)戦争とかいう珠玉の歴史ロマン

薩英(薩摩vsイギリス)戦争、下関(長州vsイギリス)戦争とかいう珠玉の歴史ロマン

KagoshimaBirdView

引用元:薩英(薩摩vsイギリス)戦争、下関(長州vsイギリス)戦争とかいう珠玉の歴史ロマン
http://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1534134215/

4: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:26:31.77 ID:X0HoC0a00
薩英は意外と善戦したやろ

6: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:28:44.89 ID:TMeCTkGGa
あの頃の幕府さんいくらなんでも弱すぎじゃない?
イギリスがチート過ぎたのか?

7: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:28:58.36 ID:2IY1iwb20
昔の日本血の気多過ぎやろ

8: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:29:03.61 ID:X0HoC0a00
イギリスがチートやろ

9: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:29:04.54 ID:P2BGgUdJ0
なぞの薩摩善戦、負債は幕府にぽーい

11: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:30:18.84 ID:cDxs0jbIp
鳥羽伏見で3倍で負ける幕府ってなんなん?
装備もフランスの支援で一応新しいの揃えてたろ?

12: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:31:04.91 ID:eh08Zyo/0
幕府「今度こそ、長州征伐してやるぞ」

なお

29: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:37:34.87 ID:BQ6g5SYB0
>>12
長州を攻めろ攻めろ言ってた近藤が青ざめて中止を願い出るぐらい
現場の連中の士気もレベルも低かったからなあ

13: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:31:12.15 ID:kxeyB3Fk0
海上から一方的に撃たれまくるだけの戦いがロマンか?

15: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:31:30.21 ID:4aLhUxbYa
高杉晋作とかいうロマンの塊

16: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:32:23.73 ID:eh08Zyo/0
>>15
奇襲とか日本史でも屈指のものやしな

19: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:32:57.90 ID:cDxs0jbIp
薩長←関ヶ原の恨みもあるしまあ多少はね
土佐←5万石から一国主に取り立ててもらっといてなんだこいつ!?

25: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:34:47.57 ID:kxeyB3Fk0
>>19
薩摩はギリギリで勝ち馬に乗っただけで幕末の前半は佐幕派やで

38: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:39:51.44 ID:cDxs0jbIp
>>25
知っとるで
最終的にはって話や

30: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:37:48.14 ID:P2BGgUdJ0
>>25
薩摩のおかしいとこはそれ、第1回長州征伐はいけいけでやってるのに次には同盟って頭おかしいやろ

34: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:39:24.77 ID:4aLhUxbYa
>>30
幕府が長州潰したら次はそのまま薩摩潰しに雪崩れ込んでくるぞって漫画では龍馬に脅されてた

20: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:33:26.85 ID:P2BGgUdJ0
あのとき幕府側がノリノリやったら薩長vs幕府で甚大な内戦が繰り広げられ疲弊後に英仏の侵略により植民地化されてたやろ
幕府が潔く引いたおかげで植民地化は防げたといってもやよい、東北が生け贄になったけど

21: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:33:51.85 ID:NIdNW048M
幕末の長州が対立してた相手www

アメリカ
フランス
イギリス
オランダ
朝廷
江戸幕府
雄藩(薩摩藩、会津藩ほか)

31: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:38:09.65 ID:Qp8iPpEa0
そもそも薩英戦争ってイギリスが舐めプしてただけやからな

37: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:39:43.34 ID:anXMRV9Ep
>>31
そら極東のちっちゃな1地方相手に本気になるかよ
リターン少なすぎる

36: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:39:29.28 ID:3JeqMMw0a
言うほど戦争か?

40: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:40:43.30 ID:Sqn2uKtR0
長州人て頭いいよな、江戸時代寺子屋も日本一多かったみたいだし
塾も多かったし知能全振りしてたろ

44: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:41:33.64 ID:Qp8iPpEa0
>>40
薩長は明治の世の中枢やからな

54: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:45:24.11 ID:oHwRK8VK0
戦争じゃなくね?
ただの撃ち合いやん

56: 風吹けば名無し 2018/08/13(月) 13:45:44.22 ID:Qp8iPpEa0
射程が4倍違うのにわざわざ薩摩の大砲の射程圏に停泊する舐めプイギリス

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2018年08月17日 09:18 ID:VSMzLTOp0▼このコメントに返信
ここでイギリス倒しとけば薩長が世界の覇者になった可能性が微レ存?
2.名無しさん:2018年08月17日 09:27 ID:h1R7ytK40▼このコメントに返信
中国一国がまるで敵わなかった世界の大悪魔の大英帝国の艦隊に一地方領主が大損害を与えて戦闘では勝利
してしまうという事実。
3.名無しさん:2018年08月17日 09:28 ID:7HcxdkPN0▼このコメントに返信
彦島割譲してたら下関は香港シンガポールになれたのに。
4.名無しさん:2018年08月17日 09:31 ID:Our9XH920▼このコメントに返信
薩英はイギリス側の方が死者が多かったからな
5.名無しさん:2018年08月17日 09:33 ID:Gm1EYSwH0▼このコメントに返信
近代化完了前の日本の戦いって記録が曖昧だったり酷い誇張混じりだったりでいまいち面白く感じれない
6.名無しさん:2018年08月17日 09:36 ID:Gm1EYSwH0▼このコメントに返信
※2
参加した艦艇数や状況は全然違うけどな
イギリス艦隊は清と真正面から潰し合いしたわけでもないし
7.名無しさん:2018年08月17日 09:37 ID:J8YGqW9J0▼このコメントに返信
薩英戦争や馬関戦争の役に立った事は、英仏その他が、日本と中国が軍事レベルで雲泥の差だと実感したことだな。だから日本に手を出そうという列強が消滅して、英仏は日本に媚びるようになった。阿片戦争やアロー号事件のような事が不可能だと実感出来たからね。
8.名無しさん:2018年08月17日 09:38 ID:nVQIbk730▼このコメントに返信
※5
記録が曖昧なのではなく、単におまえが無知なだけ。
薩英戦争なんて当時ニューヨークタイムズの記事になったくらいで、世界各国に詳細な記録が残ってるのになにが曖昧だよ。
9.名無しさん:2018年08月17日 09:39 ID:dQzQdjmt0▼このコメントに返信
400諸侯でたった1藩! たったの30万石ちょっとで800万石の幕府に立ち向かった狂気というか英気というか!
薩摩は時を見てというより、長州に引っ張られるような形で反旗を翻したがノウ。
戦後でも何人も首相を出していることを考えると、ほんと長州人の何たるかが分かるワイ!
若衆は嫁・婿は出来るだけ、長州から迎えるがよろしかろうて! 
10.名無しさん:2018年08月17日 09:40 ID:S8SqPpoT0▼このコメントに返信
射程が違うっつっても、遠いほど命中率は落ちるし物質は有限なんだよ
11.名無しさん:2018年08月17日 09:41 ID:k6iIbBbn0▼このコメントに返信
イギリス側の再襲来が無かったのは、元々幕府から賠償を取ったあとに、
さらに薩摩からもカツアゲしようとしたら(実際、薩摩側の軍船を拿捕している)、
想定外の損害(大破1、中破1、旗艦の艦長・副長戦死)で、相手の市街地にも
被害を与える見苦しい戦いに、本国からも非難を受けたから。
12.名無しさん:2018年08月17日 09:46 ID:h1R7ytK40▼このコメントに返信
※6
薩摩以外の有象無象の土侯国だったら一方的に蹂躙されて賠償させられて下手すりゃ占領。
なにげないけど当時の世界から見れば奇跡的とも言える。
イギリス・ザンジバル戦争などを思えばそういう思いだ。
13.名無しさん:2018年08月17日 09:46 ID:7buKsPJC0▼このコメントに返信
欧米列強っても植民地とガチの対外戦争で制圧してるわけやないしな。対立内戦煽ったり経済で締め上げたりばっかりや。大砲にビビらない支配層がいる人口3千万の地域相手に手が出せる国なんてなかったやろ。
14.名無しさん:2018年08月17日 09:46 ID:QetFwYML0▼このコメントに返信
島津義弘のルーツ。

薩摩は武勇に自信がある。戦といえば薩摩武士。

日本の芋といえば、サトイモ。絶望感。ヤマイモ。少し戦える。

せめて、サツマイモを。

海外の皆さん、日本食は、「ヘルシー」です!
15.名無しさん:2018年08月17日 09:47 ID:T0MH1E4.0▼このコメントに返信
この時の敗戦で不平等条約を結ぶことに
16.下流老人:2018年08月17日 09:57 ID:ZmuC.8o.0▼このコメントに返信
薩摩藩の勝利は二重の意味でスゴいと思うヨ。
軍事的には劣っていたのに英国艦隊を撃退し、かつ政治的にも賠償金の支払いを譲歩することによって、戦いを終結させた。
第二次大戦や現在ア〇〇ホぶりから、とても同じ日本人とは思えないくらいだネ。
17.名無しさん:2018年08月17日 10:02 ID:m18e3HPl0▼このコメントに返信
ユダヤの手先の売国奴薩長。
18.名無しさん:2018年08月17日 10:03 ID:acgHCT.b0▼このコメントに返信
でも賠償金は江戸幕府が払わされるんですけどねw
19.名無しさん:2018年08月17日 10:18 ID:iJWz.9Wn0▼このコメントに返信
「功山寺決起に来なかった事を怒ってないよ だからおいで」と手紙で山県 有朋に送った話 好き
20.名無しさん:2018年08月17日 10:21 ID:V2kII8id0▼このコメントに返信
💀 異聞~北の大地!北海道!
丸ごと買収された袋小路の集落は今

北海道で中国資本や中国の影が見え隠れする資本に買収された不動産の定点観測を始めて3年。買収された地域は今、
どうなっているのか。現状を報告する。
不可解な集落の丸ごと買収、非耕作地で放置された農地、
空を舞う正体不明のヘリ、不釣り合いな高級車の来訪、
日本国籍を得た者に対する「仲間に入れ」という強い勧誘、
中継基地計画…。情報提供者らは「不可解なことだらけだ。いったい何をやろうとしているのか。年月がたつに従って
不安と危機感が膨らんでいる」と話した。
 閉鎖的で触れてはならない集落を計画しているのではないかという住民の声が現実的に思えてくる。2018・8

21.名無しさん:2018年08月17日 10:22 ID:CrN32M3c0▼このコメントに返信
あの極悪非道の英仏に腹黒の米蘭相手に戦争して、領土獲られなかった長州は、異常だは。
イギリスとしては、彦島欲しかったんだろうけど。
薩摩は、陸戦で示現流の洗礼うけたわけじゃないのに、引き下がるイギリス。
22.名無しさん:2018年08月17日 10:25 ID:qkZ.8Cs.0▼このコメントに返信
幕府が、アメリカをもって関税20パーセントに取りまとめたのを、尊王攘夷でご破算にしたイベントだな
武威を示せたのは良かったけども、結果論に過ぎない、大英帝国のアヘン戦争なんかのやり口をみればリスクありありだった。

ペナルティーは幕府を介して日本国全体へ関税5パーセントへという幕府の妥結よりも15パーセントも損失をだして負荷されることになった。
尊王攘夷と言いながら、その後のイギリスと長州の電光石火の連携は、上海租界で先に結託していて、アメリカが幕府相手に日本国との交渉の主導権を握ったのをご破算にするべくして下関事件を起こさせ、ぶち壊させた八百長の可能性もあり得る。

四か国連合はそれに乗ることで関税ペナルティーに乗った。長州はなにがしかのリターン(対幕府における武器供給支援や資金貸付および軍艦払い下げ)をこのポイントで大英帝国と共謀して為したりはして居なかったか疑惑は有るかな

もっとこの時期の日本への列強の砲艦外交の実態と本国や東インド会社の対日経済政策などの実情が研究されるべき
23.名無しさん:2018年08月17日 10:25 ID:CrN32M3c0▼このコメントに返信
※12
弱いのは、東海道の親藩・譜代連中だけだろ。
24.名無しさん:2018年08月17日 10:26 ID:CrN32M3c0▼このコメントに返信
※14
日本食は、砂糖を多く使うから糖尿病になりやすいぞ。
25.名無しさん:2018年08月17日 10:31 ID:qkZ.8Cs.0▼このコメントに返信
※20
北海道は、幕末明治維新の頃はプロイセンが目を付けていたけどなんとか止めてもらったんだよ、プロイセンに諦めさせた大地を中華にのっらせるぺく今日も今日とて占領憲法による無主権崩壊性治世のままやられまくりんぐ、またやられまくられる体制を改めようとすると戦後体制で引き込まれた反日周辺国勢力がギャーギャー騒ぎまくられて、メディアら国民意識を洗脳できる手段を有している業界はほとんど抑えられているみたいなので国民の間で共有知が形成されることは無い
26.名無しさん:2018年08月17日 10:35 ID:9.BEW.l40▼このコメントに返信
>薩英は意外と善戦したやろ

気持ちよく負けたし町も焼かれたが
あそこで一発かましたお陰で
イギリスが日本侮りがたしと認識したのは確か

シナをクスリ漬けにした鬼畜ジョンブルが
極東の小さな島国と日英同盟なんて組む遠因がこれ
27.名無しさん:2018年08月17日 10:36 ID:Gm1EYSwH0▼このコメントに返信
※8
俺が言ってるのは単に日本について記した記録でなく「日本側が記した記録」の話な
大体当事者の記録がイマイチって時点でちょっと・・・
西欧じゃ15世紀頃でも詳細で信頼出来そうな記録が結構あるのに
28.名無しさん:2018年08月17日 10:43 ID:rGAcF8xD0▼このコメントに返信
鹿児島は未だに誇ってるらしくて明治維新150周年とかうたってるの恥ずかしいからやめて欲しい
150年も経ってるのにそれしかないんかって
29.名無しさん:2018年08月17日 10:47 ID:qkZ.8Cs.0▼このコメントに返信
薩長、特に長州藩は密貿易での列強(特にイギリス)との接触がもっと歴史研究されるべき、ジャーディン・マセソン商会との接触はいつから始まっているのかとか、現在も皇室などを見るにつけ何故かアメリカよりもイギリスの影響力が日本に垣間見られる。
イギリスもより内実はイギリス資本が意思を代弁している筈なので、当時のイギリス資本の動きが研究されるべき

アメリカが幕府と穏当に関係を結び、あるいはそれを梃にアメリカが日本市場を押さえることで、大英帝国が主眼としていた清帝国貿易の市場に対して東から参入してくることを好ましくは思っていなかったであろうから、第二次大戦期のタイのように、アメリカの極東進出を阻害するために、イギリスとしては日本の直接の植民地化は先送りして一旦は据え置きにしながら、幕末内戦に対しては口座を開いて暴利で劣化武器を売り払い、貸付をすることで利潤を上げた方が得と判断したのでは?ハワイ王国が合衆国に吸収されるのも列強に対してアメリカの国力が伸長してくるまでは踏み切れなかったわけだが、アメリカが国力が伸びて来て強大化するであろうことは早くから予想されていたみたいだし。

ロシアの極東での南下政策の進展とともにグレートゲーム東方版としての手駒として日本国に利用価値を見出し日英同盟したんじゃないの

30.名無しさん:2018年08月17日 10:59 ID:57H3B.iJ0▼このコメントに返信
28
未だに長男信仰・男尊女卑だもんな
老害の老害による老害の為の鹿児島
都道府県内で一番時給も低いのも納得
31.名無しさん:2018年08月17日 11:05 ID:qkZ.8Cs.0▼このコメントに返信
※30
しかし、資本主義国アメリカから来たGHQによる大土地所有者の私有財産の分配という共産主義活動によって誕生した農家は、
高い相続税もあり、田わけ者に成って行く路線だが、アメリカのように相続を指定して分散化を防ぐというような相続による回避も出来ない。
家制度を崩壊させたために、長いスパンで物事を考える視野が無くなり、今この時の個人としての私権利益のみにしか気が回らなくなった。
長男信仰を止め家制度を止めさせるにおいて、欠陥システムが組み込まれることによってイギリス資本がアイルランド人から土地を巻き上げていった手法としての農村の零細化が始まり、70年のスパンの中でわずかな世代交代ですでに農村は土地の放棄による外資の回収がどんどん進んでいってる。

アメリカの農産物の売り手市場として日本の農村の自給率が崩壊するようなシステムが初めから計算されていた可能性は高い
32.名無しさん:2018年08月17日 11:28 ID:CNf7HmNm0▼このコメントに返信
薩摩はまあよく頑張った。

それに比べて下関で民間船を追い払って粋がってた長州よ。四か国にボコボコにされるわ、悪政に耐えかねた領民に裏切られるわ散々だった。彦島租借を阻止した高杉は偉大。
33.名無しさん:2018年08月17日 11:32 ID:VSMzLTOp0▼このコメントに返信
薩摩「ぶ、ブリさん! 砲撃激しくしないで!」 ブリ「うるさいですな……」ドンドンドン

薩摩「あ、あぁ~ッ!」 ズドンズドンズドーン!

ブリ「はい、今日の戦闘は終わり。お疲れさまでした」

薩摩「うぅ……あ、ありがとうございました……」

数週間前、武蔵国にブリさんが観光したのですが、『ジャッピばかりの街にいると皆斬り殺されてしまうのでは』
という懸念の声があり、結果、ブリさんが定期的にわたしの城下町を砲撃してくれるようになりました。しかしブリさんはなんだか
わたしのことがキライみたいで、いつもいつも不愛想に城下町砲撃して、城下町イタイイタイなのでした。
34.名無しさん:2018年08月17日 11:32 ID:12JRELl60▼このコメントに返信
俺の中で、昔の船や大砲の最後のロマン期みたいな感じはあったかもしれない
35.名無しさん:2018年08月17日 11:33 ID:CNf7HmNm0▼このコメントに返信
※18
普段幕府に楯突いて異人相手に粋がっていた癖に、ボコボコにされたらあっさり異国に屈服し自分のケツもふけない不甲斐ない連中、それが長州。
36.名無しさん:2018年08月17日 11:36 ID:CNf7HmNm0▼このコメントに返信
※4
下関も死傷者は四か国側の方が多いけど長州の勝ちとは言えないだろ?
37.名無しさん:2018年08月17日 11:36 ID:12JRELl60▼このコメントに返信
日清戦争のころの戦艦もいいんだが、そのあとどんどんごつごつ進化していってしまう
38.名無しさん:2018年08月17日 11:50 ID:ehRh.uzF0▼このコメントに返信
薩英戦争の英語版wiki見てみ
英語わからん? ぐぐる翻訳があるだろ
Bombardment of Kagoshima

砲撃しただけ
あちらさんは戦闘とは思っても、戦争とは思っていない
39.名無しさん:2018年08月17日 12:12 ID:d6VmsT9X0▼このコメントに返信
日本陸軍の散兵戦術の始まりは下関戦争。イギリス兵
に下関砲台を占領されるまで長州兵は散兵戦術を知ら
無かった。ために四方から撃ってくるイギリス兵に惨
敗することになった。そこから長州も学んだんだな。
40.名無しさん:2018年08月17日 12:52 ID:Fol.O.u90▼このコメントに返信
おい、ここへ護衛艦「まや」をタイムワープさせようや。(偽装前)
41.名無しさん:2018年08月17日 12:56 ID:Nf.MKYPH0▼このコメントに返信
この戦争での英国の意義は、英国籍者はどこに居ようと何をしようと英国の法律外の理不尽な仕打ちは許さないという方針の元での戦争なんだよね。つまり英国人を数人を無礼打ちにして、英国人民間人一人死亡、数人重症の対価として、幕府から修好条約に基づいて賠償金が支払われ、薩摩の町が火の海になったことで戦争目的としては終了してるわけ。
戦争中に司令官だろうがなんだろうが軍人が死んでもそれは戦争の被害であって、その事は戦争目的に比べたら大したことではないわけ。
英国民間人への仕打ちに対する報復という、やる事はやったから終わっただけです。
42.名無しさん:2018年08月17日 13:03 ID:Fol.O.u90▼このコメントに返信
※40
艤装
43.名無しさん:2018年08月17日 13:18 ID:2P.2fCPr0▼このコメントに返信
じっくり学ぼう!日本近現代史(倉山満先生)シーズン1

04.近代編第4週 激動の幕末へ! 2話薩英戦争〜薩摩、大英帝国に喧嘩を売る【CGS 倉山満】

ttps://www.gstrategy.jp/blog/1545/
44.名無しさん:2018年08月17日 15:06 ID:rbQR.h6J0▼このコメントに返信
ワイ下関市民(長州)喧嘩っ早くてごめん
45.名無しさん:2018年08月17日 16:48 ID:WKTgyZUc0▼このコメントに返信
くっさ
46.名無しさん:2018年08月17日 17:22 ID:MpHsRCur0▼このコメントに返信
>>26
町焼かれるのも承知でやってた感がまさに狂気
47.名無しさん:2018年08月17日 17:35 ID:6cfOu7yU0▼このコメントに返信
当時の帝である孝明天皇は大の長州嫌い
真の保守派なら国家騒乱ばかり起こすテロリスト集団の長州藩みたいな偽官軍を美化したりしない
攘夷の名の元に内乱を起こして国家転覆を成し遂げた挙げ句、自分らが造った政権で「文明開化、西洋化バンザーイ!」とか何の冗談だよ
薩摩はまだ大久保みたいな国士もいるが明治以降の長州には利欲にまみれた俗物しかいないから大嫌いだわ
48.名無しさん:2018年08月17日 18:02 ID:C8fr7aRf0▼このコメントに返信
※31
遺伝子組み換え大豆の怖い所は除草剤に強い大豆を作り飛行機から除草剤を上から散布している

ラウンドアップ=モンサントは多額の賠償金で訴えられている あまり外食は控えたほうがいいし自分で作った野菜が一番安心だぞ

外国の野菜は最初は安いだろうが産業潰された後は値段上げまくられるぞ
49.名無しさん:2018年08月17日 18:44 ID:CNf7HmNm0▼このコメントに返信
※47
>当時の帝である孝明天皇は大の長州嫌い
禁門の変で御所を攻撃したから当然。

>真の保守派なら国家騒乱ばかり起こすテロリスト集団の長州藩みたいな偽官軍を美化したりしない
京放火・孝明帝拉致を図った結果新選組に成敗されて、逆上した長州の暴走によって長州朝敵認定。薩摩のお情けがなければ長州滅亡は避けられなかった。

>攘夷の名の元に内乱を起こして国家転覆を成し遂げた挙げ句、自分らが造った政権で「文明開化、西洋化バンザーイ!」とか何の冗談だよ
真っ当に開国を主張した長井雅樂を切腹に追い込んだ後、攘夷一色となり下関から異国船を攻撃。調子こいてたら四か国に報復され一方的に蹂躙された(領民も寝返った)。その後手のひら返しで開国派に(ガチガチの尊攘派河上彦斎に裏切り者扱いされ、長州閥は口封じに処刑)。

>薩摩はまだ大久保みたいな国士もいるが明治以降の長州には利欲にまみれた俗物しかいないから大嫌いだわ
山縣有朋・井上馨が典型例。まともな方な伊藤博文も女狂いで明治帝から叱責。長州閥のトップ木戸孝允も不正を見過ごすだけではなく、追及していた江藤新平を政府から追放。
50.名無しさん:2018年08月17日 19:23 ID:bo3zVQaQ0▼このコメントに返信
※49
ほぼ同意だが、強い国を作るって点では評価できる。
仇敵である会津をのけ者にしなければもっとな。

強いのであれば猶更仲間に入れるべきだろ、私怨で会津を恨み倒した山縣はどうしようもないくず。
51.名無しさん:2018年08月17日 20:45 ID:1ouydXKE0▼このコメントに返信
※50
会津藩は薩長の徳川家への憎しみを一身に背負わされた哀れな存在だ。慶喜を殺せなかった悔しさを会津で晴らしたという感じだろう。会津藩は孝明帝に信頼されていたのに朝敵とは何と酷い。
52.名無しさん:2018年08月17日 21:12 ID:N7.7fLZF0▼このコメントに返信
※49
>禁門の変で御所を攻撃したから当然

御所に籠る賊を攻撃しただけ、だからのちに誤解であったとされ御所に籠った賊こそが朝敵となった

>京放火・孝明帝拉致を図った結果新選組に成敗されて、逆上した長州の暴走によって長州朝敵認定。薩摩のお情けがなければ

京都放火計画は新撰組のでっち上げ、一次史料にそんな記述は一切ない また長州征伐では薩摩は一兵も支援していない。単独で幕府軍は撃破された

>攘夷一色となり下関から異国船を攻撃。調子こいてたら四か国に報復され一方的に蹂躙された

異国船の打ち払いの朝廷の命令であり、幕府の命令でもあるのだが?なお四か国艦隊の被害のほうが大きく、寸土も奪われず、追い返したのが長州藩。住民からも圧倒的に支持されていた
なおもともと長州藩は開国派である。不平等条約廃棄派であるにすぎない

>山縣有朋・井上馨が典型例。まともな方な伊藤博文も女狂いで明治帝から叱責。

日本でもっとも優秀な三人であり、日本を大国に押し上げた人物。江藤などの無能な連中とは違う
腐敗しまくっていた江戸に比べれば非常にクリーンである
53.名無しさん:2018年08月17日 21:39 ID:1ouydXKE0▼このコメントに返信
※52
御所を攻撃=天皇を攻撃だから、孝明帝の怒りは当たり前。孝明帝存命中に長州は許されていない。

勤皇の「志士」古高から自白を取った(長州もまずいと思ったか古高奪還を計画)。第一次長州征伐は西郷のお情けで救われたし、第二次も事前に薩摩から武器を仕入れ薩摩を不参加にできたからから勝てた。

領土を蹂躙され領民に裏切られた長州が勝ったと言うのは苦しすぎる。領土を奪われなかったのは現場の高杉が頑張ったからに過ぎない。長州のやり方に不満を持った兵士が地元で反乱を起こしている。
開国派の長井を死に追いやった松蔭一派が何だって?

三名が優秀なのは否定しないが、最も優秀なのは西郷・大久保だね。江藤は近代司法制度を導入した有能。山縣・井上は「クリーン」な明治を汚した。





54.名無しさん:2018年08月17日 22:46 ID:Z7F0elB80▼このコメントに返信
国(正確にはせいぜい艦隊だけど)と一国の一地方が戦争ってよくよく考えるとすごいことだよなぁw
55.名無しさん:2018年08月17日 22:58 ID:1ouydXKE0▼このコメントに返信
※54
せやな。でもこいつら賠償金を幕府に押し付けてるからな。
56.名無しさん:2018年08月18日 00:23 ID:VEGal5l50▼このコメントに返信
※55
おそらくはあなたの視点は、薩長閥憎しで歪んでいると思われる。

朝廷・幕府・一会桑・薩長土肥・奥羽越列藩同盟・蝦夷共和国いずれの勢力も、
多少の違いはあれど、国際法と国内法の取扱のいかんで、まず政治抗争をしているのであって、
その視点を欠いたあなたの議論は不毛に陥る。

薩英戦争は、京と江戸に上った島津久光公の動きがなければ起きていない。
彼は無位無官である以上、勅使はほかに立てていたから、彼だけの無法でことが通らなかったのは自明。
生麦事件は、国内法に照らし合わせて合法。薩英戦争の処理も英国は、すでに賠償金を幕府から得ている。

下関戦争も、朝廷工作を行っているとは言え、攘夷実行は幕府から通達されていて合法。
しかし、砲撃は国際法上、違反であるので反撃も受けるのは当然。
徐々にこの国際法・国内法の相違を諸藩が学習しながら、幕末維新が加速していく。

などなど常に、法の取扱いかんを視点の中心に据えるべきだと思う。
57.名無しさん:2018年08月18日 05:29 ID:1LT1YvpB0▼このコメントに返信
>幕府が潔く引いたおかげで植民地化は防げたといってもやよい

そもそも、旧来の幕府の利権と徳川家の権力に固執せず
薩長のように幕藩体制、封建領土、身分世襲制等、古い利権を廃した近代化を志向していれば、対立する必要もなかったんだがな

慶喜が押し通そうとしたのは、中体西用ならぬ日体西用だ
しかも、江戸での古い挑発計画が暴発した事に対する薩摩藩邸焼き討ちが戦意を高揚したとはいえ、戊辰戦争を始めたのは幕府方

薩長は政治工作で戦争に頼らず改革しようとしていたのに
58.名無しさん:2018年08月18日 05:50 ID:e9vHL5B20▼このコメントに返信
※57
>旧来の幕府の利権と徳川家の権力に固執せず
>戊辰戦争を始めたのは幕府方
>薩長は政治工作で戦争に頼らず改革しようとしていたのに

慶喜は大政を奉還したし、徳川家の力を必要としたのは新政府(岩倉・薩長以外)。新政府は慶喜の内大臣・諸外国との外交権を任せたままにしていた。それに不満を持った薩長の工作で慶喜を朝敵にした事から始まったのが戊辰戦争。

薩長は徳川家を武力で潰す気満々だった。慶喜が殺されなかったのは勝の尽力とイギリスの圧力によるもの。その代わりに会津藩が血祭りにあげられた。
59.名無しさん:2018年08月18日 05:54 ID:lQNhLA9t0▼このコメントに返信
※51
会津藩は、幕府軍の朝廷に対する大規模武力強訴に従軍したから朝敵になったんですよ

当時も朝廷内で議論になったものの、冤罪というわけではありません
長州藩とて、生粋の尊皇だが御所に武力を示したことで朝敵となりました

それと、松平容保と会津藩士団は、福島のミニナチスと呼んでもよい程あってはならない統治者であり、非道な兵士達であった事は知っておくべきです

会津世直し一揆と、ウィリアム・ウィリスの戊辰戦争の記録を学んで下さい
廃藩置県を待たぬ会津藩の早期討滅は、会津の人々のことを考えると欠かせなかったと言わざるを得ません
60.名無しさん:2018年08月18日 06:08 ID:e9vHL5B20▼このコメントに返信
※56
確かに一理ある。

「法の取扱いかんを視点の中心に据えるべき」なら、京を焼き孝明帝の拉致を企画・禁門の変で御所を攻撃・度々幕府に逆らい幕府の意向を無視した長州は法に違反する存在だが。
61.名無しさん:2018年08月18日 06:27 ID:e9vHL5B20▼このコメントに返信
※59
慶喜・会津が朝敵になったのは薩長の工作では?

元々会津藩は京都守護職を望んでいなかったが断り切れず就任した。役職の都合滞在費の負担が重く領民の負担も増えただろうが、会津藩の京滞在を望んだのは孝明帝・幕府だからね。庶民はともかく武士階層は皆朝廷に尽くした容保公を慕っていただろうし。

それから、長州も下関戦争で長年の悪政に耐えかねた領民に裏切られているし、藩士たちの反乱も起きているよ。

あとナチスを悪口に使っているけど、ナチスが悪なのは負けたから。ユダヤ人迫害に関しても世界中に賛同者がいたし、ナチス発祥の技術は世界中で使われている。ナチスは合法的に誕生した政権だからね。
62.名無しさん:2018年08月18日 06:29 ID:e9vHL5B20▼このコメントに返信
※61
長州藩兵の反乱は維新後だった、訂正。
63.名無しさん:2018年08月18日 07:57 ID:VEGal5l50▼このコメントに返信
※60
朝敵になっている状態での禁門の変だけ抽出すれば、その見方となるが、それはアンフェアすぎる。

経緯としては、安政の五カ国条約が、勅許なしで締結~ここから幕府と薩長ほかの朝廷工作が開始。
戊午の密勅が、御三家の水戸藩に下賜~後の水戸藩の自滅の遠因に、そして安政の大獄~桜田門外の変。
これで幕末維新の本格的な開始。つまり、まず朝廷と幕府いずれの国内法が優先するか否か、が焦点。

この矛盾解消のために公武合体を目指す朝廷と幕府と各藩。
さらに朝廷と各藩の内部も大きく即刻、破約攘夷を求める派閥と漸進的な攘夷を唱える派閥に分かれる。
ご存知のとおり、長州の航海遠略策がその一例。島津久光公も尊攘派を支持せずに寺田屋騒動が起きる。
巻き返す尊攘派の公卿が久坂玄瑞などと組んで、将軍上洛~攘夷決行の言質を取らせる。
64.名無しさん:2018年08月18日 07:58 ID:VEGal5l50▼このコメントに返信
※63のつづき
長州は攘夷決行、薩摩は生麦事件~薩英戦争で、国内法に即しても、国際法と列強の軍事力に抗しえないと悟る。
同時に尊攘派の対外的失敗と過激化を憂慮して、会津と薩摩によるクーデターで長州は朝敵となる。
中央から逐われた過激な尊攘派が各地で騒乱やテロを起こす。禁門の変と下関戦争がピーク。
功山寺挙兵~四境戦争の勝利なかりせば、長州は恭順したまま、いずれかの時点で朝敵解除されたと思われる。

秘密同盟である薩長同盟、一橋家の慶喜公の将軍就任、孝明帝の崩御と情勢変化が続き、薩摩も倒幕に変わる。
兵庫開港の勅許を得るなどの政治力を拡大させる幕府に対して、倒幕派の公卿への工作で討幕の密勅が下される。
山内容堂の意見を入れて大政奉還で交わし、それに対して王政復古の大号令。そして、戊辰戦争へ。

法に基づく工作をそれぞれの陣営が行っている。繰り返しますが、禁門の変だけ抽出するのはアンフェアです。
65.名無しさん:2018年08月18日 08:14 ID:VEGal5l50▼このコメントに返信
※64
訂正:朝敵とされたのは禁門の変以降だった。ちなみに朝敵解除は王政復古の大号令の前日。

さて再説ですが、
1.勅許なしの安政の五カ国条約が、安政の大獄を誘発。
2.幕府を飛び越しての戊午の密勅が、桜田門外の変を誘発。
3.将軍上洛~攘夷決行の言質が、下関戦争を誘発。
4.官位なしの久光公の上京が、寺田屋騒動と生麦事件と薩英戦争を誘発。
5.孝明帝による過激尊攘派の排除を求める宸翰が、八月十八日の政変と禁門の変を誘発。
6.倒幕派の工作が、大政奉還を誘発。
7.慶喜公の政治力排除を求める大久保らが、王政復古の大号令と戊辰戦争を誘発。

過激派と穏健派いずれも法的な根拠を求める工作ありきであって、どちらか一方を責めるべきではありません。
66.名無しさん:2018年08月18日 12:23 ID:e9vHL5B20▼このコメントに返信
※63※64※65
大体納得した。しかし少しだけ。

>安政の五カ国条約が、勅許なしで締結
反対派を黙らせるために勅許が必要になっただけで、本来勅許など要らないのでは?朱印船や鎖国体制に朝廷が勅許を出したとか聞かないし。

>いずれかの時点で朝敵解除されたと思われる。
少なくとも孝明帝存命中にはあり得ないと思う。御所(=天皇)を攻撃したのだから。幼君を掌握した岩倉一派と薩摩のおかげで何とかなったけど。
67.名無しさん:2018年08月18日 12:42 ID:VEGal5l50▼このコメントに返信
※66
ある意味、責任逃れから朝廷に条約の話を持っていった。
これで朝廷の権威が、再確認されたのは言うまでもありません。

それ以前に、国学と水戸学の学問的発展の過程で、幕府に連なる御三家自身が、
朝廷の権威を再発見していったことをお忘れなきように。

孝明帝の存命中は確かにありえない話でしょうが、長州憎しの観念論から離れた方が宜しいでしょう。
薩摩に至っては、公武合体~一会桑~長土肥と鞍替えしている節操の無さなのですよ。
68.名無しさん:2018年08月18日 13:12 ID:e9vHL5B20▼このコメントに返信
※67
大体納得。

責任から逃げなかった井伊大老は有能だったと。

慶喜は水戸家出身なので朝廷を重視していた。新政府も当初は慶喜参加を求めていた(外交権・内大臣はそのまま)。薩長が慶喜排除に動かなければ、戊辰戦争は起きなかったのでは?イギリスも慶喜殺害はやりすぎだから圧力をかけたのでは?

別に長州が無能というわけではない。優秀な人材がいたのは事実。しかし幕末の国内の混乱は長州が原因のものが多い。長州の独走癖は後の陸軍に繋がるものがあると思う。
薩摩は幕末常に勝ち組についているリアリストなのであまり驚かない。慶喜との決裂については慶喜側が悪いし。
69.名無しさん:2018年08月18日 13:18 ID:xtij6zjV0▼このコメントに返信
※67
節操のなさと言うが、薩摩にも理屈はある。
骨を折って擁立した一橋慶喜が人でなしで散々恩を仇で返し虚仮にしてくれたのだからな。

それ以前にも幕府には木曾の治水工事を命じられて、工事を始めれば嫌がらせを権威を笠に着た嫌がらせを受け、散々恨みがあった。
それでも長州征伐に功を挙げ、幕府に尽くしたにも関わらず、次は薩摩だと無下に扱われたら徳川赦すまじともなるだろう。

徳川なんぞどこの馬の骨ともわからない家柄に鎌倉以来の名家島津家の誉れを汚されたとあればな。
70.名無しさん:2018年08月18日 13:44 ID:VEGal5l50▼このコメントに返信
※68~※69
西国の雄藩が天子を担げば、東国に攻め上がる大義名分論となる。

その保険として、紀伊でも尾張でもなく水戸に「尊皇攘夷」を唱える水戸学を発展させた。
上野戦争後の逃走経路に見られるように、奥州と白河、水戸に分岐する日光街道を通した。
さらに奥羽越列藩同盟を裏切った佐竹氏の故地である水戸に水戸家、会津に保科氏=会津松平氏を配した。

その結果、水戸藩は有為の人材を失い、会津藩は犠牲になった。
しかし、最終目的として徳川宗家は守られた。

西国の雄藩ということであれば、長州征伐のあとは摂家筆頭の近衛家とつながりの深い薩摩の可能性は高い。
なるほど別段、不思議なことではないでしょう。

ただし陸軍が満州で行った独断専行は、むしろ山県有朋ほか長州閥がいなくなってからのこと。
事実と明らかに違う。どうしてそこまで、長州憎しから離れられないのか、すこぶる疑問ですがね。
71.名無しさん:2018年08月18日 13:53 ID:xtij6zjV0▼このコメントに返信
会津松平家がNHKのプロデューサーしてるからじゃね?
72.名無しさん:2018年08月18日 14:11 ID:VEGal5l50▼このコメントに返信
※71
失礼、※69さんは※68さんと違う方でしたか。

慶喜公は「政治的に有能」であればこそ、一橋家ながら宗家を継いだ訳ですし、
桑名も会津も、薩摩も切り捨てて、幕府の官僚に基盤を見出した。
その後の判断も、天狗党の乱など水戸藩瓦解の経緯を知ったればこそでしょう。

いずれにせよ、会津松平家は宗家を守り抜いた功績大と考えて、
現在の宗家を継いでいるのですから、報われているものと思います。
73.名無しさん:2018年08月18日 16:12 ID:e9vHL5B20▼このコメントに返信
※70※72
信じてもらえないかもしれないが、自分は別に長州が憎いわけではない。しかし幕末・維新・明治初期全てで長州が足を引っ張っていると思う。

>最終目的として徳川宗家は守られた。
>会津松平家は宗家を守り抜いた功績大と考え
会津藩が攻撃されたのは慶喜助命の後では?やはり慶喜を殺せなかった薩長が会津藩で憂さ晴らしをしたとしか。望まぬ守護職をこなした結果が朝敵とはあまりに酷いのでは?

>陸軍が満州で行った独断専行は…
日本陸軍の事実上の祖は山縣有朋。そして山縣は長州の汚点。幕末異国に勝ち目のない喧嘩をふっかけた(当人達は勝てる気だった)のと、昭和に中国・アメリカを同時に相手する様に主張した陸軍は似たもの同士では?

>慶喜公は「政治的に有能」であればこそ
明治帝も慶喜を必要としていたのだから、薩長が事を荒立てる事はなかった。
74.名無しさん:2018年08月18日 23:27 ID:VEGal5l50▼このコメントに返信
※73
松蔭門下のリアリズムを超越した書生っぽさ、大村益次郎の徹底した軍事的リアリズムの両輪。
これが長州に見られますね。長門・周防の二国に押し込まれたことで、農民化した武士も多かった。
故に奇兵隊などの設立、伊藤博文と山縣有朋など低い身分からの栄達もしやすかった側面もあります。
四民平等の先駆的現象と併せ、木戸孝允が「五箇条の御誓文」にも関与している点も考慮して良いか、と。

朝敵とされた理不尽さはあるでしょうが、会津藩の位置は奥羽越列藩同盟を打倒するためには、
避けて通れないものでした。朝敵の赦免嘆願が契機となった同盟である以上、政治的にも避けられません。
また、慶喜公が「政治的に有能」であればこそ、薩長土肥は彼を排除する必要があった。
箱館戦争以降、幕臣が反乱を起こさなかったのは、彼らを糾合する指導者がいなかったからです。
佐賀の乱~萩の乱~西南戦争でもお分かりかと思います。

さらに陸軍が満州で行った独断専行については、軽くしか書きませんでしたが。
単純な陸軍悪玉論に毒されないで頂きたい。
戦間期の外交軍事を書くのは膨大すぎます。海軍も外交も内閣も、国民全般のあらゆる組織、階層の失敗があり、
支那事変の南京陥落や日米諒解案など、決定的な好機を逃しているのは陸軍のみの仕業に帰することはできません。
75.名無しさん:2018年08月19日 03:36 ID:7mTcqWG90▼このコメントに返信
>あの頃の幕府さんいくらなんでも弱すぎじゃない?

世界最強だった織田豊臣の日本を世界最貧弱にしたのが売国奴徳川
76.名無しさん:2018年08月19日 09:39 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※74
久坂玄瑞の無謀な行為、山縣・井上の金への汚さ、不正を正そうとした江藤新平を追放した木戸孝允(と大久保)も忘れてはいけない。長州閥は人間的に汚い連中が多い気がする。


>朝敵とされた理不尽さはあるでしょうが…
だから薩長が慶喜を嵌めて戊辰戦争を引き起こさなければ、会津藩が攻撃される事もなかっただろう?それから慶喜を敵視したのは薩長だけだよ。土佐は最初幕府よりだったし肥前はまだ介入してなかった。
「佐賀の乱~萩の乱~西南戦争」が起きたのは正に新政府の不始末では?

確かに陸軍については言い過ぎたかもしれない。しかし幕末の長州と陸軍には似通った点があるのは確か。
77.名無しさん:2018年08月19日 09:44 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※75
でも平和だったんだよ。現在の憲法9条信者なら泣いて喜びそうだ。
78.名無しさん:2018年08月19日 10:31 ID:9.Cax.mL0▼このコメントに返信
※76
いい加減、呆れますね。結局、具体的な施策の成否に触れずに人格批判に堕している。
長州と言いながら「(と大久保)」と、括弧付きでしれっと薩摩の人間を混ぜている姿勢も酷い。

こちらは、将軍上洛~攘夷決行の言質を取り、その反動で八月十八日の政変~禁門の変を誘発した、
と書いている通り、久坂玄瑞の工作と失敗は述べた訳です。

それに松蔭門下の思想的背景としての行動原理、陽明学「知行合一」的な方面には目も向けない。
何度も言いますが、あなたの発言と思考は公平さに欠けている。

まったくの人格批判に終始するので、例えば井上馨の財界への貢献、彼の縁戚から藤田財閥、
日立・日産コンツェルンが生まれたことなどを肯定しないのでしょうね。

長州と陸軍が似通った点があるのは確か、とかも単なる印象操作の発言に過ぎません。
いずれの人物にも毀誉褒貶はあってしかるべきなのに、人格批判のみで語っている姿勢が改まらない。
あなたの人格そのものが批判すべき対象になっていることに気づきませんかね?
79.名無しさん:2018年08月19日 17:12 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※78
長州閥の仕事は有能なのは既に認めているよ。山縣は日本陸軍の祖だし、井上も有能なのは事実。しかし人間的に汚い連中が多いとも言っているだけ。仕事ができれば負の部分はスルー?
当時江藤と対立していた大久保と組み、長州にとって都合の悪い江藤を追放したと言っただけ。

将軍上洛~攘夷決行の言質だって長州が七卿とかいう口だけの集団を利用して取ったものだろ?

吉田松陰は「幕末のビンラディン」だと思うね。自らの勢力拡大のために長井を死に追いやったのだから。その挙句久坂のせいで朝敵になるわ、尊攘派のせいで長州領が蹂躙され賠償金を踏み倒すわ、迷惑ばかりかけてると思うけど?

幕府が善玉とは言っていない。しかし明治帝は慶喜を必要としていたのに排除しようとしたのは薩長だろ?関ヶ原以来の恨みを晴らすためにやったとしか思えないな。

陸軍については言い過ぎたよ。別に戦前の陸軍が悪玉とは思っていない。唯勝ち目のない敵に勝てるとか言っていたのに、長州の尊攘派に近いものを感じただけ。

意見が違うからといって他者の人格批判はよくない。少なくとも自分はそちらさんの人格批判をする気はない。意見が合わないと人格を否定するなら討論なんてできないんじゃないかな?
80.名無しさん:2018年08月19日 17:26 ID:YmQv0kPH0▼このコメントに返信
※79
>意見が違うからといって他者の人格批判はよくない。
これは意見を言っている相手の事ね。歴史上の人物なら実績だけでなく人格も評価するべきだろ?
81.名無しさん:2018年08月20日 00:53 ID:Qh8hHvNu0▼このコメントに返信
※79~※80
舌の根も乾かぬうちに長州批判とは、その性根と底意に呆れる、と一貫して言うまでです。
つまりは「死者に鞭打つ」のは構わない、と勝手にあなたが断じているに等しい。
それは日本人の美徳からかけ離れた中韓人の所業へと、あなたが自分から堕落しているに過ぎません。

誰が誰を裁く価値基準があるのか? あなたの正義は誰が決めているのですか?
まったくもって善悪を論じ、断じる決定権など、あなたにはありません。

こちらとしては、そういった善悪論から離れるために、幕末維新期においても、
その政治的闘争は、主として国際法・国内法ともにその法的手続きと法的瑕疵のいかんで、
行われていることを基準点として、論じているのです。

それに一貫して、気付かずに長州批判に堕するあなたの愚物さを批判して止まないのは当然でしょう。
82.名無しさん:2018年08月20日 01:00 ID:Qh8hHvNu0▼このコメントに返信
※81のつづき
当時の幕閣、各藩内では長州同様の政治的闘争があったことを棚上げして、長州のみ取り上げる姿勢。
こちらの再三の意見にも関わらず、公正さを欠く、これを批判するのは、また当然でしょう。

薩摩ではお由羅騒動と寺田屋事件あり。土佐では吉田東洋の暗殺と土佐勤王党あり。
水戸では天狗党の乱あり。いずれもテロルと粛清の嵐ではありませんか。なぜ、他藩に盲目なのか?

井伊大老は、久坂玄瑞と七卿の一時成功した朝廷工作すら出来ず、勅許なしの条約締結を行った。
これは現在では議会の承認なし、陛下の御璽御名なしの条約締結に等しい。
その上、法の濫用によって安政の大獄で政治的弾圧、その流れで戊午の密勅~桜田門外の変に至る。

果断かもしれませんが、明らかに法的瑕疵があり、その政治的失敗を取り繕うために、
政治的弾圧に走り、当時の政治的敗北が物理的な死に繋がる幕末維新の幕開けを自ら体現した訳です。

その幕末維新のテロルの始まりは、御三家の水戸藩が主導し、首級をあげたのは薩摩の人間です。
繰り返しますが、何故長州だけ大きく取り上げて批判するのか、まったく公正さに欠けている。

こちらの、あなたへの批判は一貫している。ひとつは長州だけは不公正。
ひとつはあなたの善悪論など意味はなく法的取扱の是非のみで判断すべき。この2つに過ぎません。
これらを理解できないことに、むしろあなたの理解力に疑問を感じ、
あなたが思想バイアスに取り憑かれていることに危惧を感じますね。
83.名無しさん:2018年08月20日 03:09 ID:fmvdI0m30▼このコメントに返信
※81※82
何故呆れられないといけないか分からないが、過去の偉人の人格を批判したら「死者に鞭打つ」事になるのか?死者だろうが愚行を犯した者はいるしその批判を許さないのはおかしいだろう。それに何故批判したら他者を裁いている事になるの?

別に自分は正義か悪かで歴史上の人物を判断しているわけじゃない。歴史では正しい奴ではなく勝った奴が正義。歴史において正義を語る程無意味なものはない。しかし当時の時代を法的に解釈する事はできる。そう考えれば当時大政を預かっていた幕府が正しくその邪魔ばかりしていた長州は間違っているという事にはなる(善悪なんて幾らでも変わる)。

幕府・薩摩・長州・土佐・水戸…問題のある連中はどこにでもいる。しかし朝敵となり、四か国に蹂躙されたのは長州だけだろう。これがどれだけ愚かな行為か分からないの?せっかく幕府が国を一つにまとめ植民地化を回避しようと懸命に努力しているというのに(朝廷からの圧力で仕方なく攘夷命令は出したけど馬鹿正直にやったのは長州だけ)。危うく彦島が「香港」になるところだったんだよ(長州上層部は彦島の租借を受け入れていた)。それに比べて慶喜は危機的状況になっても決して国を売らなかった(フランスへの蝦夷地租借を断った)。」

井伊大老は幕府の慣例に基づいて条約問題を解決しただけだろう(朱印船も鎖国も朝廷にご注進などしなかった。幕末の朝廷権威の強化によっていつの間にか勅許が必要という認識になっていただけ)。当時の法的にも問題ないしあくまで幕府の権力の範囲内で収まる処理だろう。「法の濫用」も大老の役職的に当然(非常時だから大老がいるんだよ)だし、罰せられた連中も皆幕府の法に違反した奴ばかり。その中の吉田松陰は異国船に乗り込んだり倒幕を計画した(幕府から見れば)極悪人だろ?当時幕府転覆を図る連中は死罪が当たり前。それを逆恨みしたのが松陰のお弟子さん達。
84.名無しさん:2018年08月20日 03:48 ID:fmvdI0m30▼このコメントに返信
※83 続き
一つ忘れてたけどイギリスに喧嘩売った薩摩も大概だからね。生麦事件は合法だが、異人を斬って藩のトップが無視したとなれば後々問題になるのは目に見えてる。結局幕府の苦労を一つ増やしただけ。賠償金の踏み倒しは許せないがイギリスとの友好関係を築けた点は評価できる。

井伊大老だが、彼の権力行使は合法であり「濫用」など問題にならない。一橋派への弾圧も幕府のご政道に口出ししたのが悪い。挙句将軍後継に口を出すとか思いあがるのにも程がある。脱線するが当時の様々な状況的にも「法的」にも14代は慶福(家茂)しかあり得ないのに一橋派が妨害した。水戸・薩摩脱藩浪士の井伊大老暗殺は決して許してはいけない暴挙。完全に逆恨みだし法的根拠も全くない。しかし仮にも武家の端くれが暗殺される様な失態(井伊大老は悪くないが)を犯したのだから井伊家の減封は仕方ないだろう。

水戸藩は尊攘派の巣窟の様な場所。当主斉昭も女狂いだし(大奥に嫌われるレベル。慶喜が14代になれなかった要因の一つは父親)、上下皆問題のある藩だったのは間違いない。しかし水戸は勝者にならなかったからまあいい。薩摩も藩士の暴走が多かったが、国府久光の下に一つとなり西郷・大久保の様な逸材も活躍した。そして西郷・大久保に代表される薩摩人は維新後も身を粉にして働き、山縣・井上の様な目立った汚職・不祥事を起こさなかった(明治初期)。

長州は幕末に迷惑ばかり起こしたのに、薩摩と組んで幼君を掌握できたために勝者となり、その幼君が必要としていた慶喜を恨みで排除(松陰大先生の敵とか思ってたんだろうな)。新政府入りしてから山縣・井上は汚職・不祥事を起こすわ、それを木戸はかばうわ、追及した江藤を追放するわ散々じゃないか。そして西郷・大久保の死後は過去の汚職・不祥事に見向きもせず実績だけは積んで元老入りだよ。
85.名無しさん:2018年08月20日 04:30 ID:fmvdI0m30▼このコメントに返信
※84 続き
吉田松陰が崇高な理想を掲げていてシンパが大勢いたのは確かだろう。優秀な人材を生み出したのも事実。しかし忘れてはいけないのは、松陰は罪人だという事。現実的な開国路線を掲げて各方面から支持された長井雅樂を朝廷・藩に圧力をかけ死に追い込んだのも松陰一派だ(長井は感情的な松陰と違って常に冷静沈着、最期の瞬間まで藩の行く末を考えていた傑物)。

「七卿」を使って孝明帝を動かし、実現不可能な攘夷を幕府に押し付けた(幕府は諸外国と直に接しているから、攘夷の不可能さは斉昭の様な例外を除き皆分かっている)。結局松陰一派は藩・朝廷を思うがままに動かし幕府を妨害したかっただけにしか見えないんだよ。結局上手くいかなくなると武力で恐喝し、御所に攻撃して朝敵だ。薩摩がお情けをかけなかったら長州は確実に滅びていた。
長州を朝敵にした久坂玄瑞の考えの基は吉田松陰だ。松陰のいいところばかり見て負の部分を見ないのはおかしいだろ?松陰の過激な思想に染まった連中が池田屋事件・禁門の変を起こした。

幕府が不平等条約を結んだのも、当時の国際情勢や日本人全体の知的レベルとしてはしょうがない部分もある。幕府は当時できる限りの事をしたと評価したい。自分は長州なら幕府より上手くできたとは到底思えない。「日本の武威を見せる」とかで下関みたいに喧嘩を売ってボコボコにされて、結果日本はイギリス・フランスの分割統治領になっていたかもと思うと恐ろしい限り。

もう一度言うが、長州に「仕事が」優秀な人材が多いのは確かだし実績も高い。しかし明治初期、長州閥は汚職・不祥事を繰り返しトップの木戸は不正を黙認するばかりか追及した江藤を大久保を利用し排除した。留守政府代表西郷もかばいきれず、一時期は長州参議が一人もいなかった。軽輩が出世したのは結構だが、それ故にモラルもない。一番マシだと思う伊藤ですら明治帝に女狂いで叱責されている。
86.名無しさん:2018年08月20日 22:54 ID:Qh8hHvNu0▼このコメントに返信
※83~※85
それは呆れますよ。こちらは最初から一貫しています。視点はふたつ。
ひとつは、どの勢力に対しても公正に見る。
ひとつは当時の法的手続きと法的瑕疵を巡る政治的闘争のみに焦点を当てる。

あなたは善悪とかモラルとかで論じる。カネとか女性問題とか、所詮枝葉末節ですね。
さらに過去の思想信条を現在の価値観に当てはめて、評価・批判する愚を犯している。おおよそ無意味です。

当時の国学や水戸学が、当時の志士の行動原理にどのような影響を与えたかを論じずに、
現在の価値観で弾劾しても、あなたの無知無学、過去の思想への無理解を露呈するばかりです。

再掲しますが、
誰が誰を裁く価値基準があるのか? あなたの正義は誰が決めているのですか?
まったくもって善悪を論じ、断じる決定権など、あなたにはありません。

さらに重要なのは、幕末維新期、政治的決定がなされるプロセスの変化が起きていることを認めずに、
やたらと井伊直弼の幕政を擁護しても、墓穴を掘るだけですね。
87.名無しさん:2018年08月20日 22:56 ID:Qh8hHvNu0▼このコメントに返信
※86のつづき
井伊直弼以前の幕政の流れを無視するべきではなく、老中の阿部正弘が「安政の改革」に繋がる幕政改革を行い、
外様大名のみならず、開国派・攘夷派、身分に囚われず民間からも人材を登用して、幕政に参画させた。
そこに将軍継嗣問題があり、南紀派・一橋派が入り乱れた。

この時点で、あなたの主張=幕府(多くは譜代)のみが大政を担うべき、というのは終わっています。

また、阿部正弘から老中を継いだ堀田正睦が、朝廷工作を失敗したことは事実です。無視されないように。
すでに孝明帝は和親条約のとき、幕府に「海防勅書」を下し、大権を再認識させており、
通商条約のとき、廷臣八十八卿列参事件が起きて、下級公家まで政治力を持てる様になった。

この事実からも、あなたの主張=幕府のみが大政を担うべき、というのは終わっています。
88.名無しさん:2018年08月20日 22:57 ID:Qh8hHvNu0▼このコメントに返信
※87のつづき
この時点から、戊午の密勅が下される環境が整っています。
また、戊午の密勅をあなたが完全否定するならば、天皇の権威を貶めることになりますが、どうですか?
引いては「天壌無窮の神勅」を否定しかねないのですよ。

すでに朝廷と幕府の慣例が覆った後であり、大老・井伊直弼が通商条約締結を強行すれば、法的瑕疵のある状態。
いざとなれば勅許なしでの条約締結を現場に指示していたのは、間違いなく大老であって、
彼自身、勅許の必要性は理解していました。井伊直弼と言えど、阿部~堀田以前に時計の針は戻せない。

そこに、家康公~家光の頃の朱印船、鎖国を持ち出すのは愚の骨頂です。
89.名無しさん:2018年08月20日 23:02 ID:Qh8hHvNu0▼このコメントに返信
※88のつづき
現場で勅許不要・即時締結を主張していた松平忠固が押し切った形ですが、大老の責任は免れない。
そのくせ、堀田正睦と松平忠固に罪をかぶせて、失脚させている。
ここからすでに安政の大獄の前段階です。
一橋派の登城停止・謹慎処分については、一橋慶喜は正式な登城日でしたが、処分を食らっています。
これらが「法の濫用」と言わずして、何を指すのでしょうか。この一連の政治的策謀も正当化できるのですかね。

幕府に無視された孝明帝は譲位を宣言されて、それを翻意させるひとつの方策として戊午の密勅が出されます。

密勅の写しは、尾張徳川家、越前松平家、加賀前田家、薩摩島津家、肥後細川家、筑前黒田家、安芸浅野家、
長門毛利家、因幡池田家、備前池田家、津藤堂家、阿波蜂須賀家、土佐山内家にも拡散されています。

西国雄藩が政治に関わる積極的意志を持たなくても、この時点で関わらざるを得なくなっていきます。
長州にはこれに加えて、兵庫に兵を派遣する旨、別途の勅が下賜されています。

無論、この動きに当時の松蔭門下は一切、関係ありません。
90.名無しさん:2018年08月20日 23:08 ID:Qh8hHvNu0▼このコメントに返信
※89のつづき
加えて井伊直弼の腹心、長野主膳は「戊午の密勅」関係者を摘発するのに際して、陰謀論を展開します。
首謀者は徳川斉昭と青蓮院宮であり、斉昭の実子の一橋慶喜を将軍として、青蓮院宮を天皇にして、
実質的に斉昭が日本の支配者になるのだという証拠もない陰謀を井伊大老に述べ、それを大老は否定しなかった。

当時「飯泉喜内初筆一件」と呼ばれた安政の大獄は、現在の罪刑法定主義、コモンローの弾力性から見ても、
前段階の一橋派の登城停止・謹慎処分の推移からも、ただの政治的弾圧による「法の濫用」と言わざるを得ない。

これらに対して、あなたは何一つ抗弁できないと思いますが、いかが?

かくて、各々の勢力が政治的発言力を自覚しているとき、安政の大獄を行えば、反動が来るのは自明の理です。
大獄のとき、寛典論を採用しなかったことが、のちのち薩長ほかの強硬論がまかり通った前例となりました。
91.名無しさん:2018年08月20日 23:09 ID:Qh8hHvNu0▼このコメントに返信
※90のつづき
桜田門外の変以降は、
無位無官の島津久光の率兵上京~薩摩の幕政参画を目指した「文久の改革」も実現しており、
一連の流れから見ても、幕府のみが大政を担うことが不可能になったことを再追認したに過ぎません。

思想的に、実務的にも、法的にも幕府だけで政治運営ができなくなっていたことなど、
一般的な歴史書を通読すれば、一目瞭然ですがね。

さて、井伊大老の政治的敗北が物理的な死=暗殺に繋がったように、長井雅楽の政治的敗北は切腹に繋がり、
吉田松陰と久坂玄瑞と真木和泉も政治的敗北が、処刑と自害と戦死に繋がった。
これらに、特に相違を感じませんがね。

それにあなたは、長州批判をしたいがためだけに、彦島租借の一件を持ち出していますが、
会津藩と庄内藩が戊辰戦争のとき、プロイセンに蝦夷地売却を打診したことは公文書に残っていますし、
これが実現していれば、朝敵に加えて文字通り売国奴ですが、何か反論は?
それに蝦夷共和国と明治新政府のガルトネル開墾条約もある。

これらの事例のように、公正さを欠いた長州批判に固執するので、すぐにあなたの批判は足元を掬われる。
愚かしい上に、無駄な足掻きとは思いませんか?
92.名無しさん:2018年08月20日 23:48 ID:fmvdI0m30▼このコメントに返信
※86〜91
初めに言っておくと貴方の言う事の方が遥かに客観的ですしよく調べられています。自分は長州に拘りすぎて他の状況を把握しきれていませんでした。お詫びとして自分は今までの意見を撤回します。こちらも一通りこの時代は調べていましたが、貴方に比べたら遥かに「無知」であった様です。長い間下らない意見に対して反論して下さった事には感謝しています。

正直に言うと昔自分は長州閥の事を旧態依然とした幕府を破壊した英雄と思っていました。吉田松陰の開明的な考えや政治家を輩出し続けた人材の豊富さ、西郷・大久保亡き後若輩だった伊藤たちが日本を強国に押し上げました。
しかし改めて調べると近代国家の首脳にあるまじき行いをしていた方がいたのを知りました。
長州閥は歴史の勝者です。明治以降も勝ち続けています。しかしそれは果たして良かったのだろうかと思う様になり遂無茶苦茶を言ってしまいました。
93.名無しさん:2018年08月21日 00:15 ID:Giozz1Da0▼このコメントに返信
※93 続き
しかしあまりにも感情的になりすぎ「長州は悪い」となってしまっていた様です。申し訳なく思っています。

歴史とは勝者が創り出すもの。長州は薩摩と組んで朝廷を掌握し旧幕府勢力を倒しました。どう言い訳をしても、歴史的には薩長が正義で慶喜が悪なのは変わりません。山縣・井上を追求していた江藤も歴史の敗者となり、山縣・井上は勝者となって政府で君臨し続けました。

法的に正しいかどうかで判断する様な事を言っていましたが、前近代では法が全てにおいて絶対の価値があるとは思いません。近代国家の様な手続きを経たわけではないですし、法自体の製作段階に何者かの意図が強く入り公平性に欠く事があると思うからです。

最後にまた下らない事を書きまして失礼しました。
しかし意見が合わない他者の人格を批判する事
だけはご勘弁を。こちらは決して反論相手の人格を批判する事はしません。まあ自分がこんな事を言っても仕方ないですが。
94.名無しさん:2018年08月22日 00:09 ID:1fQhBwWS0▼このコメントに返信
※92~※93
こちらも数々の煽りを入れたことを率直に詫びたいと思います。大変、申し訳ありませんでした。

さて、勝敗が決した現在から見れば、過去の敗者は悪者のように見えるかも知れませんが、彼らにも大義はあります。

それに、我が国の伝統から言えば、勝者の側がシナの史書のように、確定的に歴史を決めることはありません。
正史である『記紀』ですら異説がふんだんに盛り込まれています。
国譲りさせられた側の『出雲風土記』は朝廷に編纂を命じられて、全く別の系統の神話体系を今に残してます。

そもそも皇統が北朝であるはずなのに、南朝正統論は残りました。
後醍醐帝の建武の新政の執念が約500年の時を経て、明治維新に繋がっているではありませんか。

彦根は、今でも井伊家直系が市長になるなど、人々は井伊家を敬愛しています。
会津は、幕末に忠孝に殉じた精神を尊び、誇りとしています。
西郷隆盛は南洲神社に祀られ、彼に付き従って敗死した者たちは南洲墓地に眠ります。
江藤新平も維新の十傑であることに変わりなく、子孫は政界ほかで活躍し、死後の顕彰も続いています。

偉人であろうと、市井の人であろうと、成功者であろうと、敗者であろうと、自ら反論のできない死者に
功罪のうち罪だけをなじり、現在のモラルで叩くのは見苦しいし、それは形を変えた人格批判。
止めて頂けて良かったです。
95.名無しさん:2018年08月22日 00:10 ID:1fQhBwWS0▼このコメントに返信
※94のつづき
現在の我々は忘れてしまっていますが、朱子学・陽明学から崎門学・国学・水戸学が生まれ、
幕府と藩の垣根を越えて、ひとつの近代国家、同じ国民としての「日本」の意識が形成されていきました。

当時、立場は異なれど、上下一心が、この思想に影響されて行動していたことを考慮に入れなくてはならず、
現在の価値観、モラルのみで断じることの愚を侵さないようにしなければなりません。

井伊大老も国学の徒であり、松平忠固も松陰の密航未遂を蟄居で済ませるなど、その政治的立場で左右されるにせよ、
近世から近代に移る時期、先駆的なナショナリズムを共有していたことを軽視すべきではありません。

また幕末維新期、国際法・国内法ともに法的取扱と法的瑕疵に基づいて政治的闘争を行ったことが、
中韓のそれと比べるとき、我が国だけが、北東アジア~東南アジア~西アジアの国々になし得なかった国民国家を
つくりあげたことへ繋がったと、力説して止みません。

ドイツとイタリアと合衆国と同時期に国民国家を成立させ、その後も列強の一員となり、現在も先進国の一角となった。
この点を忘れてはなりません。彼らの統一戦争=内戦の死傷者と比べての相対的評価もできます。
96.名無しさん:2018年08月22日 00:17 ID:1fQhBwWS0▼このコメントに返信
※95のつづき
そして、ときに勝利者が敗者を裁くのは一面の事実ですが、我が国の敗者を遇することを知っているセンスと、
「法の支配」に対するセンスは高く評価すべきです。

現在の合衆国ですら、南軍の英雄の像や南軍の旗を敵視し、撤去したり、引きずり下ろすような嘆かわしい風潮がある。
ハーケンクロイツと旭日旗を同一視するのと同じような事が起きているのです。
事後法で半世紀、100年前の過去を裁くなど、我々はしません。

もう一度言いますが、時代によって法律は変わりますが、法をどう取り扱うかのセンスは不変です。

清朝がアヘン戦争~アロー戦争を起こした原因は、ともに国際法を無視して遵守せず、国内法を守る基盤に欠けていた。
この点に尽きます。彼らは国際法を守れば侵略もされず、治外法権の租界も作られなかった。
中国人の国際法・国内法のセンスは今も変わらないからこそ、米中貿易紛争などで、彼らが追い込まれていくのです。

一方、我が国で外国人が早々に居留地以外でも暮らすことができたのは、我が国に法治があったからです。
つまりは「法の支配」もしくは法治に対するセンスの相違が日中の現在に続く違いを生んだ。
ですから、幕末維新の法的取扱と法的瑕疵に基づいて政治的闘争をことさら重要視して、繰り返して述べているのです。
97.名無しさん:2018年08月22日 00:19 ID:1fQhBwWS0▼このコメントに返信
※96のつづき
話は戻り、近世、特に述べている幕末維新期において、法の制定・運用に公平さが欠けていると思う人たちが、
いたればこそ、尊攘派が大いに力を振るった当時の背景があります。

現在でも求刑に対して判決は軽くなることは多く、求刑通りの判決は厳しいと思われます。
情状酌量です。
当時も死一等を減じて、遠島、蟄居閉門とされるのが通例でしたが、井伊直弼は果断にして苛烈でした。
吟味方が厳しい裁きを勧告しても、通例、寛恕によって刑が低くなるはずが、安政の大獄では大老が勧告を書き換え、
斬首ばかりにされました。これが恨みを買わない訳がありません。

また、水戸藩に「戊午の密勅」を朝廷に返納せよ、と迫り、すでに藩論が分裂混乱していた水戸藩から脱藩が相次ぎ、
追い詰められ、行き場を失った浪士が桜田門外の変を起こすしかない状況を井伊大老自ら、作って行きます。

太平の世を築いたとは言え、紛うことなき軍事政権の大名が、行軍中になすことなく暗殺される。
「井伊の赤備え」が犯した武士の面目丸つぶれの無様さが、徳川幕府の権威を失墜させたのは間違いない。

これ以降、老中を継いだ安藤・久世政権と朝廷の力関係は逆転します。
98.名無しさん:2018年08月22日 00:38 ID:1fQhBwWS0▼このコメントに返信
※97のつづき
そもそも征夷大将軍は朝廷から受けるものであり、親藩・譜代・外様すべて朝廷から官位を貰う。
皆、直臣なのです。
よって実質的支配者としての「大君」の勢威が衰え、西国の雄藩が天子を担ぎ出すとき、倒幕・討幕される。

しかし、孝明帝は攘夷派ではあっても、討幕派ではなかった。それ故に安藤信正と久世広周は、
公武合体のための和宮降嫁の見返りに、7~10年後の「破約攘夷」を約束・公表させられている。

これがのちに久坂玄瑞と七卿らによって、攘夷決行の幕命を引き出す根拠になります。
また、現状として進んでいる開国を両立させるべく、長州献策の「航海遠略策」を採用する。

長州は朝廷と幕府に喰い込むために、この策を提出したが、この建白書が世に出回ると、ある一文が注目されます。
「攘夷というのは浅薄な慷慨家の議論である」
攘夷論を唱える孝明帝を批判するが如きと、三条実美や久坂玄瑞に批判されます。
藩論として認めていた周布と来原も距離を置き、幕政に参画したい諸藩の警戒を買う。
99.名無しさん:2018年08月22日 00:57 ID:1fQhBwWS0▼このコメントに返信
※98のつづき
これが無位無官の島津久光による卒兵上洛から「文久の改革」に繋がり、さらに生麦事件と薩英戦争です。
現在に当てはめてみれば、有力政治家の親(あくまでも民間人)が軍隊を率いて、有力者のコネを使って、
実力行使に打って成功した訳です。

これが前例となれば、策謀が横行するのは当然の流れであり、清河八郎のように幕府の許可を採り、
過激志士を江戸から追い出しつつ、警護の名目で京に集めて、倒幕・討幕のための浪士組を結成することも起きる。
のち、浪士組は新選組となって、京都守護職となった松平容保公の庇護下に置かれたのはご存知の通り。
この事例からも、幕末維新の情勢は、常に流動的なのです。

政治的決断がひとつ失敗すれば、八月十八日の政変と禁門の変と下関戦争と四境戦争。
長州は高杉晋作の功山寺挙兵がなければ、維新回天をなせなかったでしょう。この辺は知っていることと思います。
100.名無しさん:2018年08月22日 01:02 ID:1fQhBwWS0▼このコメントに返信
※99のつづき
時代は下り、薩長閥が批判される立場になれば、黒田清隆と五代友厚の間の開拓使官有物払下げ事件を
契機に明治十四年の政変で大隈派は失脚しますが、同時に自由民権運動の成果として、国会開設の詔も出ます。

当時も薩長閥が絶対だった訳ではなく、帝国議会も予算先議権は衆議院にあったことなども評価すべき化、と。
大日本帝国憲法を起草した伊藤博文が議会を弱め、長州の実質独裁を試みるなら、予算先議権など与えません。

現在も野党が参議院で多数を占め、特例公債法案を否決すれば、内閣は倒れます。安倍第1次~福田~麻生、
菅~野田まで、いずれの政権も短命だった要因はここにあり、予算先議権が先進的だったと分かるはずです。

法の制定に「何者かの意図が強く入り公平性に欠く」ことは、大日本帝国憲法においては、
むしろ先進的・理想的すぎて、統帥権干犯などで致命的になったというべき、と思っています。
101.名無しさん:2018年08月22日 16:37 ID:6rk2R78.0▼このコメントに返信
※94~100
ご迷惑をおかけしたのに詳しいご説明をありがとうございます。

「南朝正統論」は未だによく分からないんですよね。北朝の子孫である明治帝が南朝を正統とするという、一歩間違えれば自称南朝の子孫に国を乗っ取られるかもしれないリスクを犯すのは(実際戦後に出てきましたし)。だから明治帝は南朝の子孫とかいう俗説も出るんでしょうね。南朝を再評価するのと南朝を正統とするのは少し違う気がします。その結果が鎌倉幕府を打倒し建武政権樹立に貢献した足利尊氏の逆賊扱いですし。尊氏は北朝公認の武家の棟梁ですし、最終的には南北朝の「合一(統一という表現は駄目らしい)」によって南朝側も足利家を(一応)認めたはずなんですがね。自分は水戸学の楠木正成の再評価からの流れの一環だと思っています。

井伊大老についてですが、彼は譜代の名門井伊家出身。安政の大獄の印象から暴君の様な人物と思われますが、実際は部屋住み時代が長かったためか、大身でありながら謙虚で親しみやすい人物であった様です。普段大人しい人物を怒らせると怖いと言いますが、井伊大老はそれに「幕府を守らなければ」という重圧が加わってかなりの無理をしてしまったのでしょう。大老という「法の濫用」ができる役職にいた点もあります。吉田松陰にも井伊大老に付け入られる隙があったのは確かですし、不運が重なった結果と言えますね。また反論されるかもしれませんが、自分は井伊大老には同情的です。
安藤・久世政権の公武合体路線も元々井伊大老発案だったそうなので、朝廷の重要性を理解していなかったわけではなかったでしょう。ただ価値観が「朝廷<幕府」だったのでしょうね。
102.名無しさん:2018年08月22日 17:32 ID:6rk2R78.0▼このコメントに返信
※101 続き
やはり天皇という神に連なる一度も絶えた事のない(とされている)王家があった事が、日本に「先駆的なナショナリズム」を生み出したのでしょう。天皇は古来から「国民統合の象徴」だったと。

「征夷大将軍は朝廷から受けるものであり、親藩・譜代・外様すべて朝廷から官位を貰う。 皆、直臣なのです。」これは幕末では事実ですが必ずしもそうとは言えない時代もありました。平安時代末期の源頼朝から、武家の官位は棟梁の裁可で与えられるものという慣例がありましたし、徳川家康はそれを厳格化しました。武家が天皇を敬っていたのは事実ですが、実質的な力関係が「武家>天皇」だった事もあります(足利義満の様にあと一歩で完全に「天皇(上皇)」になりそうだった人物もいます)。つまり天皇の権威も「流動的」だという事です。幕末の天皇権威の上昇・幕府権威の下落によってまた常識が変わったと考えるべきかと。

伊藤博文は先進国になるために議会政治が重要であると分かっていたのでしょうね。何度も渡欧している分理解は早いでしょう。衆議院が稼働すれば自然と藩閥もしにくくなると。新政府の首脳となるだけあって仕事は素晴らしいです。なお憲法に内閣を明記しなかった事が戦前の軍部の台頭に繋がっているそうです。

改めて考えると、第二次安倍政権が野党(維新以外)・マスコミ・市民(?)団体等に総叩きにされているのに潰れないのは参議院を掌握しているからなんですね。支持率も4割をキープできているし近年稀に見る安定性です。憲法改正なども今の政権でないと難しいでしょうね。安倍総理の次の人がすごく不憫です。

以前も別の人と似た様な事があったのですが、返信が面倒でしたら無視してもらって構いません。独り言みたいなものですから。
103.名無しさん:2018年08月22日 21:56 ID:1fQhBwWS0▼このコメントに返信
※101~※102
仕事が詰まり気味でして、取り急ぎ簡略に説明します。詳しくはいずれ。

再三述べているのは、
第1にフェアな視点で、第2に現在の価値観に囚われず、第3は法的取扱と瑕疵に基づいて、です。

これは当時のイデオロギー=国学・水戸学・崎門学を我々は知らないか、体現できない上に、
現在の思想信条・イデオロギーで見る愚を侵さないように、という意味からです。

南朝正統論が『大日本史』や『記紀』を読んだ人たちの共通の思想だったからこそ、
ある人は江戸で昌平黌などに学び、ある人は遊学し、ある人は脱藩して、我々は同じ国民である、
という意識を醸成していった。薩摩と水戸の方言が通じなくても、彼らは志士として「日本」を意識した。

大正時代ですら断絶があるのに、況や現在のイデオロギーで判断してどうするのか?
これを一貫して述べ続けています。
104.名無しさん:2018年08月22日 22:16 ID:1fQhBwWS0▼このコメントに返信
※103のつづき
江戸幕府は開府当初は、たしかに朝廷と公家に法的に縛るだけの強さがありました。
武家諸法度と同様、禁中並公家諸法度を出していますが、鎌倉殿も室町殿もできていません。
しかし、家康公以来の政治的威光が続く訳もなく、井伊大老にしても、井伊家の立場ならば、
徳川宗家を守り、血筋から南紀派支持になるのは当然でしょうが、それらは適わなかっただけです。

「一度も絶えた事のない(とされている)王家」というのも現在からの観念に縛られています。
他の見方もあってしかるべきで、雄略天皇などの逸話を読むと、色々面白いかもしれません。

それに「軍部の台頭」というのも現在から見た一種のファンタジーに過ぎません。
戦間期の外交軍事は到底書ききれないので、割愛しますが、陸海軍はもちろん、陸軍内部の派閥あり、
東條首相ですら、陸相、参謀総長兼任しても、岸ひとり罷免できず、倒閣されています。
105.名無しさん:2018年08月22日 22:16 ID:1fQhBwWS0▼このコメントに返信
※104のつづき
第2次安倍政権の誕生の契機は、中国が尖閣諸島にちょっかいを出したゆえ、政権が継続しているのは、
アベノミクスで金融緩和を継続しているからです。これは小泉政権後期の金融緩和といざなみ景気と同じです。
第1次安倍政権になると同時に日銀が金融緩和を止めたために、その後、短命政権が続きました。

個人的は安倍首相に憲法改正に政治的リソースを使ってほしくない。米中貿易紛争の流れを見るに、
憲法改正が間に合う前に、武力衝突まで悪化するか、中国が完全に「封じ込め」されるかでしょう。
アベノミクスの継続だけで充分と思います。
106.名無しさん:2018年08月22日 22:37 ID:6rk2R78.0▼このコメントに返信
※103〜105
お忙しい中何度もご迷惑をおかけします。疑問が解消される様で感謝しています。

イデオロギーに関してはまだまだ現代の基準に毒されている様です。申し訳ない。

>況や現在のイデオロギーで判断してどうするのか?
この理屈はよく分かったのですが、「南朝正統論」は当時としても危険と思うんですよね。「『大日本史』や『記紀』を読んだ人たちの共通の思想」なのも分かりましたが、共通の思想であるからこそ反乱分子に使われるかもしれない危険な思想です。
明治政府の首脳陣は自称南朝の子孫を担いだ反乱分子が出るかもとは考えなかったのでしょうか?士族の反乱とはレベルの違う脅威になり得たと思うのです。

武家政権は終盤になるに従って朝廷権威にすがる傾向があるので、幕末の展開は思想の影響を無視しても当然の帰結と言えますね。井伊大老は譜代故の限界があったのですね。

一応かつて古代の天皇(特に女帝)について詳しく調べた時期があったので「万世一系」が大嘘なのは分かっています。関係ない話ですが女帝について調べると持統帝たちのいわゆる草壁皇子の皇統への異常な執着がよく分かります。
107.名無しさん:2018年08月22日 22:57 ID:6rk2R78.0▼このコメントに返信
※106 続き
軍部の台頭に関しては全く知りませんでした。自分は戦前の軍部が悪だったとは思っていません(マスコミの報道激化で引くに引けなくなった結果だと思っています)。しかし有名な五一五事件や二二六事件の様な暴走もありました(これも共産主義者や飢饉の影響という説があります)。改めて考えるとこの二つだけを見て軍部を語るのは危険ですね。大東亜戦争では日本軍に救われた国々が多くあるし、今でも感謝している国もあるとか。
東條元首相の処刑は日本が救われるための生贄だったと思っています。東京裁判では事後法で裁かれているのですから。

自分は民主党政権のマイナス面を体験したわけではありませんが、経験者たちの証言を見る限り安倍政権の誕生は必然に感じるんですよ。

安倍政権での憲法改正は現状では困難です。安倍総理には負のイメージがつき過ぎました。しかし安倍総理ほどのリーダーシップを発揮できる後継者が見当たらないです。憲法改正に積極的だと思われた石破氏が護憲を言い始めましたし。
108.名無しさん:2018年08月24日 00:46 ID:YfM8Z8Es0▼このコメントに返信
※106
取り急ぎ「南朝正統論」についてのみ。

現在の我々が儒学・国学・蘭学を直接学んだりすることはありません。水戸学・崎門学もなおさら。
以前、断絶という言葉を遣いましたが、より正確には学問としては細分化されて、その名前で学ぶことは、
ないし、特に国学・水戸学・崎門学の歴史的役割が終わっていることが挙げられます。

なぜ、国学・水戸学・崎門学を取り上げたか?
当時、それらを学ぶ過程で起きたことが重要だからです。
国民=ネイションの形成、国民国家=ネイションステートの誕生に必要だったからです。
『記紀』『大日本史』などが必須だったのは、彼らが同じ神話や物語を共有することで、
同じ国民として再認識していく教材だったから。そこに「南朝正統論」も記述されていた。

後南朝は応仁の乱の中で歴史に闇に消えていきました。無論、後裔が何らかの形で残っていたでしょう。
しかし、それらを守り立てる勢力が強固でなければ、後裔を探し出して担ぎ上げての反乱は、
当時の尊攘派は誰も考えていなかったでしょう。

ありうるとすれば、戊辰戦争で幕府が徹底抗戦を選択して、奥羽越列藩同盟とともに「東武皇帝」を擁立する。
輪王寺宮=上野寛永寺の意味合いはそこにありましたし、日光街道と水戸、会津松平を置いた理由もその一環。
西国雄藩が天子を担いだときの家康公の保険だったのですが、彼にも欧米列強の動きまでは想定できなかった、
ということでしょう。
109.名無しさん:2018年08月24日 15:13 ID:f7.xRYyw0▼このコメントに返信
※108
なるほど。

儒学・国学・蘭学は重要な事柄ではあったが、歴史全体では通過点でしかなかったと?仮にそうでも当時の人々の感覚を理解するなら必須なわけですね。

応仁の乱で西軍に担ぎ上げられた人物以降南朝の子孫と名乗る人物は、戦後に湧いてくるまでいないですからね(一人天皇になっちゃいそうだった人がいました)。つまり南朝の子孫など存在しないし、仮にいても明治政府を脅かす存在にはなり得ないと判断したわけですね。納得しました。

そう考えると、徳川家康って本当に政治システム構築にかけては天才的だったんですね。外圧がなければ薩長に逆転のチャンスはなかったでしょうから。
110.名無しさん:2018年08月25日 13:55 ID:S2NgeXIk0▼このコメントに返信
※109
※108のコメントの一番大事なところは、
国民=ネイションの形成、国民国家=ネイションステートの誕生なんですけどね。

※70でも書いていますが、家康公から家光公あたりまでに構築された幕府の政治的保険は、
西国の雄藩が天子を担いだ場合、上野寛永寺にある宮様を東の天子として擁立する。

江戸の籠城及び援軍のために、自らを祀る東照宮を作り、そこに向かう日光街道を通す。
日光街道は、水戸街道と奥州街道に分岐する。
水戸には御三家のひとつ、水戸家を配し、会津に保科氏=会津松平氏を配した。

朝敵となるのを防ぐ保険として、紀伊でも尾張でもなく水戸に「尊皇攘夷」を唱える水戸学を発展させた。
この水戸学が、国学・崎門学と並んで、我が国のナショナリズムの基礎となり、
欧米列強に伍して、国民国家をつくる思想的基盤を図らずも用意した。

この巡り合わせこそ、家康公の深謀遠慮の思わぬ、そして幕府だけではなくすべての藩・朝廷にとって、
また我々にとっての望外の幸運だった、と言いたかったのです。
111.名無しさん:2018年08月26日 11:47 ID:bTaqhD5a0▼このコメントに返信
※110
なるほど、よく分かりました。ありがとうございます。
112.名無しさん:2018年11月11日 17:05 ID:d6x36eYW0▼このコメントに返信
旧式の軍が輸入した最新装備揃えてるのは負けるイメージ強い。
ハードウェアだけ良くてもダメなんやね。

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