スポンサーリンク

2018年07月17日 09:05

信長>秀吉>>>>>>>>家康という風潮

信長>秀吉>>>>>>>>家康という風潮

03

引用元:信長>秀吉>>>>>>>>家康という風潮
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1531470041/

1: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:20:41 ID:dLi
一理ある

3: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:23:29 ID:GeO
信長>家康>秀吉

6: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:32:49 ID:RlG
信長は部下に甘過ぎた
秀吉はいくらなんでもやり過ぎた
家康は…なんやろなぁ

10: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:36:08 ID:dLi
>>6
あえて言うなら日本の進化200年分とめて糞したってとこちゃうか

7: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:33:25 ID:eEW
秀吉は大陸を攻めたから圧倒的に最下位

8: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:35:14 ID:hMg
>>7
ワイは秀吉評価するけどな

9: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:35:41 ID:eEW
>>8
日本最初の帝国主義者やん

11: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:36:22 ID:RlG
秀吉ほどロマンある日本人おらんしなぁ

12: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:38:36 ID:dLi
>>11
能力値で言えば1番かもしれん
生まれがもっと良けりゃ単体で天下統一してたかも

21: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:42:45 ID:RlG
>>12
浅井長政と秀吉がそれぞれ入れ替わったら割とガチで信長終わってた説

16: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:40:46 ID:40s
家康>秀吉>信長なんだよなぁ

17: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:41:04 ID:2a7
グチグチ言っても結局一番結果残したのは家康なんだよなぁ
織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに 食うは徳川

18: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:41:20 ID:QoZ
家康ってなんか地味やから3番目でええよ

22: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:43:34 ID:Gko
秀吉がガチで家康潰そうとすれば潰せたよな?
無理か?

24: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:44:34 ID:RlG
>>22
小牧長久手で失敗した時点で無理
せやから母親差し出すレベルで強引に懐柔した訳やし

23: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:44:27 ID:Fyy
なんだかんだ植民地にされなかったんやから家康も評価するで

26: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:45:29 ID:VMM
信長はここで普通失敗するやろって綱渡りを乗り切り続けた
実力や家柄とは違うところでの凄さを感じる

29: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:46:54 ID:hMg
サッルってノッブの影響受けまくりマンやろ

32: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:48:16 ID:Fyy
武家が続いたのはええけど外様抑えるために力そぎすぎたんは
内政面ではよかったけど外交じゃ大痛やな
徳川時代にもっと軍備拡張すべきやった

47: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:53:27 ID:JsZ
秀吉死ななかったら慶長の役は日本の判定勝ちやったけどな
秀吉死ぬまで終始優勢やったし

49: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:53:55 ID:kIU
秀吉って負け戦多くないか
信長が一番負けてなさそう

52: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:54:45 ID:RlG
>>49
戦国大名で最も敗戦が少ないのが秀吉やで
信長はちょくちょく負けてる

51: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:54:39 ID:JsZ
一発逆転の桶狭間が決まってなかったらそのまま今川の天下やったと思うと面白い

53: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:55:36 ID:77d
脱糞のせいで日本の近代化が遅れた
植民地がろくにないのも太平洋戦争も脱糞のせい

55: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:56:16 ID:JsZ
>>53
その前にろくな船がなかったからお外に出るのは困難やろ

61: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:59:12 ID:77d
>>55
仙台藩が作れたからガレオン船の技術は輸入されてた
東南アジア各地には日本人街があってまさに日本は大航海時代が始まったばかりだった

63: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)17:59:54 ID:JsZ
>>61
出てく場所が東南アジアしかないから西欧諸国とぶつかってそのまま敗北する可能性高そうやけど

68: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)18:02:55 ID:77d
>>63
高くも無いだろ
日本人もアングロサクソンやスペイン人のように
世界中に移民して増殖するポテンシャルはあった
なにより日本はアジアまで行くのに喜望峰もマゼラン海峡も超える必要がない

73: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)18:05:48 ID:JsZ
>>68
保有船舶数と技術力が違いすぎるやろ
相手が一隻でも大砲どっかーんでやられてまう

86: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)18:10:48 ID:77d
>>73
スペインがイギリスとドンパチやってて弱ってるときに地政学的有利な日本に勝てるかね
伝来から数年で鉄砲も量産できる日本のポテンシャル舐めないほうがいい

76: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)18:06:21 ID:AqV
今の日本にも通じるけど島国に引き籠っておったのが悪い

84: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)18:09:16 ID:kIU
明智光秀が秀吉倒してたらどうなってたんやろね

88: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)18:11:08 ID:JsZ
文禄の時点でほぼ完勝してたのに明も日本も面子を優先した結果お互いに相手が降伏したと思い込むというお笑い

89: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)18:12:49 ID:z5j
>>88
まともな外交チャンネル無いのに戦争という外交手段を取ったらアカンよねw

91: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)18:13:36 ID:RlG
>>88
明からしたらあくまで領土の端っこでちょいちょいやり合ってた程度でありそれは日本も同じやからなぁ
被害や状況が分かりにくい

111: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)18:21:04 ID:0GK
ワオ
家康>>>信長>>>>>>秀吉という結論に落ち着く

119: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)18:23:58 ID:rJU
戦略 秀吉≧信長>家康
政略 家康≧秀吉>信長

122: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)18:24:51 ID:bqp
>>119
のぶちゃん政略悪いんか?
なんちゃら市みたいな奴偉いなーと思ったんやが

125: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)18:25:51 ID:z5j
>>122
それを吸収してさらに上乗せしてるのが秀吉
そっからさらに上乗せしたのが家康や、まぁ結果論だね

120: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)18:24:25 ID:77d
植民地にされるような国って庶民がほぼ農奴みたいなやつらで識字率もほとんどないんやろ
日本を植民地化しようとしたら激しい抵抗にあうと思う

121: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)18:24:43 ID:JsZ
江戸時代やったら装備は火縄銃で止まってるしマスケット装備のブリカスに勝てる気がせんけどなあ

188: 名無しさん@おーぷん 2018/07/13(金)19:28:58 ID:FEj
信長は他家の政策をパクってるとは言え日本統一を目指した先見性が随一やろ?
それまでは基本的に今ある領地を拡大出来ればええなぁ程度やったんやろ?

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


スポンサーリンク

★★★★★★★★★★★★★★ 最新オススメ記事 ★★★★★★★★★★★★★★

コメント

1.名無しさん:2018年07月17日 09:10 ID:RdR.VVcS0▼このコメントに返信
300年近く続く政権の基盤作っただけでも凄いでしょう。
2.名無しさん:2018年07月17日 09:16 ID:8vOz8C600▼このコメントに返信
信長は志半ばで倒れたことで、成しえたかもしれない可能性に思いをはせることができるからね
秀吉の場合も似ているが、後趾が絶たれたことで潰えた可能性と言ったところか
家康は全部やっちゃったから、もう他の可能性が見えない
3.名無しさん:2018年07月17日 09:19 ID:nrjN3rRC0▼このコメントに返信
家康は為政者というより謀略家のイメージしかないからな
徳川幕府が長続きしたのは秀忠がしっかりしてたからだし

それを言うと秀吉の弟の秀長が超優秀すぎるけどw
そういう意味では信長が一番凄いのは納得できる
4.名無しさん:2018年07月17日 09:21 ID:vgDIAqu40▼このコメントに返信
そもそも家康は海外貿易推進派で孫が鎖国したのと関係ないだろ
海外への武力進出は秀吉が大コケした後だし、諸大名の心情を考えれば現実的じゃないしな
5.名無しさん:2018年07月17日 09:21 ID:F3GOAqLa0▼このコメントに返信
まーた、戦国武将Disスレまとめかよ。
6.名無しさん:2018年07月17日 09:23 ID:mXHBNYlK0▼このコメントに返信
部下の管理を怠って寝首をかかれた信長
死後わずか2年で部下に天下をひっくり返された秀吉

そう考えるとやっぱ徳川の管理能力ってすげーわ
7.名無しさん:2018年07月17日 09:24 ID:4YCOO0mI0▼このコメントに返信
家康がすげーのは自家製の貨幣で経済を作り上げた事。
馬鹿が主のままならお隣の国みたいに他所様に併合していただけるまで物々交換だ。
8.名無しさん:2018年07月17日 09:28 ID:USh1qDzp0▼このコメントに返信
信長と同盟を最後まで貫いたのが織田家の勢力拡大につながってるし
 家康と秀吉どっちか切り捨てねばならないというIFがあれば 当然秀吉が切られてたやろう
それほど織田家への貢献度で考えれば大きかったということ
9.名無しさん:2018年07月17日 09:29 ID:xaIyohqo0▼このコメントに返信
創作物にするとまったく面白くない家康さんサイドにも問題がある
10.名無しさん:2018年07月17日 09:32 ID:HQhMnkNG0▼このコメントに返信
家康が居なければもっと植民地があった筈とか言ってる奴がいるけど日本の場合は植民地持てば持つほど本国は貧しくなるからな

戦後高度経済成長したのは外地を全部手放したからやで
11.名無しさん:2018年07月17日 09:33 ID:LisOXbyP0▼このコメントに返信
ほとんど統一した信長が凄いと思うけどな
秀吉と家康は領土拡大より統治能力が必要やったし信長とは別の才能だと思うのよ
12.名無しさん:2018年07月17日 09:36 ID:gG4xg.Yx0▼このコメントに返信
信長が一番でしょ。
しょせん、秀吉も家康も信長の部下じゃんwww
秀吉も家康も信長がいなければあそこまで出世できなかったでしょ。

13.名無しさん:2018年07月17日 09:37 ID:USh1qDzp0▼このコメントに返信
秀吉の場合 権力集中したために政局でひっくり返る体制を自ら作った。(悪くいえば地方の財を大坂へ集中)
家康の場合、地方分権をすすめ各国での内需拡大につながってるし日本の平和の基礎を作ったとおもう
 260年も戦争しなかったって日本人なら誇りにしてもいい

この後、世界の闇が迫ってた為、また権力集中型(明治政府)に移行したのは・・・仕方ない。
14.名無しさん:2018年07月17日 09:47 ID:aEyMCLms0▼このコメントに返信
戦国時代には世界屈指の技術先進国であり軍事大国だった日本が欧米に差を付けられたのは江戸時代の停滞のせいだからなぁ

平和?
進化のない平和なんてゴミですよ
15.名無しさん:2018年07月17日 09:52 ID:upgalZ6X0▼このコメントに返信
秀忠再評価の流れでいくと
日本の進化を止めたのはむしろ秀忠のせいとなるのだが
16.名無しさん:2018年07月17日 10:00 ID:J3FOxdki0▼このコメントに返信
やっぱ結果が大事
17.名無しさん:2018年07月17日 10:02 ID:gc.XroYM0▼このコメントに返信
個人 秀吉>信長>家康
一族 家康>信長>秀吉
18.名無しさん:2018年07月17日 10:05 ID:USh1qDzp0▼このコメントに返信
その平和のうちに文化を育ててるんですけどねぇ~ それが観光財や心の豊かさにつながている。
 将棋も江戸幕府が推奨して保護してたわけでいまの将棋連盟に系譜してるし
平和ゴミいうなら 将棋もゴミいうんやね笑
 将棋だけじゃないよ。ほか文化も平和だからこそ発展していったし
19.名無しさん:2018年07月17日 10:07 ID:k8UvOMmF0▼このコメントに返信
朝鮮征伐を実施した秀吉が一番。
20.名無しさん:2018年07月17日 10:09 ID:D3u7.Go60▼このコメントに返信
こりゃ時世だよ。
信長は信長一人だと恐れるに足りんし、秀吉は家族を想い過ぎた。
身内の死も受け入れ、流れに乗った家康こそ将たる器よ。

21.名無しさん:2018年07月17日 10:16 ID:dyfYgvRe0▼このコメントに返信
信長が生きている間は秀吉も家康も何も逆らえなかったんだから格が違う
秀吉は一代で大企業を作り上げたワンマン社長
家康はおこぼれで獲った天下を後生大事に守っただけけの凡庸な武将
22.名無しさん:2018年07月17日 10:19 ID:F9qYxRn50▼このコメントに返信
家康だけじゃ天下泰平はできなかったけど信長と秀吉は日本平定したら外国に戦しかけて終わらないからな、家康が最後の勝者だからこそええんじゃ
23.名無しさん:2018年07月17日 10:19 ID:yAKoGAjU0▼このコメントに返信
信長がいなければ秀吉も家康もなかったと思われてるからかな
24.名無しさん:2018年07月17日 10:20 ID:ffVO.jwn0▼このコメントに返信
家康はどっちかいうと信長より秀吉に学んだところが大きかったしこの順位は残当
25.名無しさん:2018年07月17日 10:35 ID:1NPpyINP0▼このコメントに返信
天下に泰平をもたらした者を英雄と呼ぶので、死後に大乱を招いた秀吉よりも少なくとも上位に置かんと
秀頼の子をことごとく頃したことは家康が嫌われる材料の一つだが、その一手こそが英雄たる資質だわ
曹操と似て徹底して歴史に学ぶヤツやから、激しさが削がれてどうしても地味になりがちな点も不人気理由のひとつ
26.名無しさん:2018年07月17日 10:36 ID:YxcgCNMZ0▼このコメントに返信
日本家屋は韓屋(ハノク)のパクり
秀吉が持ち帰った技術であろう
27.名無しさん:2018年07月17日 10:41 ID:N.r4.pAl0▼このコメントに返信
秀吉の生まれが良ければ云々あるが、生まれで性格変わる可能性あるだろうし、あれだけの成果が出せたかは別に成るキガス
28.名無しさん:2018年07月17日 10:41 ID:uKPPWoy90▼このコメントに返信
3人とも個性が強烈でそれぞれ得意不得意はあったけど、甲乙はつけがたいなあ。

己の信念と野望の為に邁進してきたことが、結果的に周囲を巻き込んで後世のためになってるのは皆一緒。

まあ個人的に一番会ってみたいのは秀吉かな。稀代の「人たらし」と話してみたいね。

後、創作物では家康は分が悪い…序盤から中盤は苦労の連続だけど最後に盤石の体制を作ってしまって、死に方もギャグで滅びの美学も無し。せめて夏の陣で真田信繁(幸村)と相打ちとかやってればワンチャンあったのに。

29.名無しさん:2018年07月17日 11:01 ID:giHGy5Ch0▼このコメントに返信
そんな風潮ない
30.名無しさん:2018年07月17日 11:04 ID:1NPpyINP0▼このコメントに返信
※25
秀吉にはバテレン追放令というトンデモ英断があるので、家康の下位ということは無かったな
あれが無ければ日本は中南米のようなキリスト教蔓延+ヒスパニックという腐れ国に堕ちていた可能性も大
31.名無しさん:2018年07月17日 11:07 ID:Oqq4nXry0▼このコメントに返信
信長と秀吉で本願寺を事実上無力化したのは後々を考えればファインプレーだった
32.名無しさん:2018年07月17日 11:11 ID:KUY5j.YS0▼このコメントに返信
織田が突き、羽柴がこねし天下持ち 座りしままに食うは徳川っていう落首あるやん
当時からそんな認識だよ
信長が既存の勢力を破壊し秀吉が継承して完成させ
家康が天下をひっくり返して権力を奪ったと
しかし語呂を会わせる為に豊臣じゃなくて羽柴とか言っちゃうあたり
つくった人も苦労してんだなと思うよw
昔の人はコロコロと名前が変わりすぎだろ
もっと言霊というか自分の名前大事にしろよ
「名字が鬼庭とか縁起悪いわ茂庭にしろ」「はい」
「お前凄いから百武って名字にしろ」「はい」
「松平から家系図無理矢理つなげて新田系の徳川って名字に変えるわ」
「丹羽殿と柴田殿から拝領させていただいて羽柴って名字にしますだぎゃ」
33.名無しさん:2018年07月17日 11:13 ID:AimiW6W80▼このコメントに返信
鎖国ひきこもりは、家光のせいだってばよ定期
家康の頃は、朱印船貿易やってたし、
三浦按針(エゲレス人)を取り立ててもいた

伊達はこっそりスペインへ艦隊を派遣しているわ、
日本人町は東南アジア各地にあるわ、
山田長政はタイ中枢に食い込むわ
「官職名は琉球の守がいいです」とのたまった奴もいるわ
日本が世界にはばたくIFは、家康の時代には、まだあったんだ
34.名無しさん:2018年07月17日 11:17 ID:KUY5j.YS0▼このコメントに返信
※3
戦はからっきしダメで後継を
秀忠か秀康か忠吉の誰にするか家中で揉めたときに
治世では穏健(平凡)な方がいいと決まったってエピソードが真偽不明で出来てしまうあたり
「こんなんで大丈夫か」ってのが空気が当時の徳川家中でもあったんだろうな
35.名無しさん:2018年07月17日 11:30 ID:NLLWWST80▼このコメントに返信
家康は人間的魅力に乏しいけど実績は十分すごい
後の江戸時代の行き末をここで論じるのは筋違い
36.名無しさん:2018年07月17日 11:38 ID:B6gsL.3T0▼このコメントに返信
※32
当時の名字は現代とは感覚が違う。どちらかと言えばあだ名に近い。
人名の正式名称には氏、姓、名字、通称、実名の五つを使う。
家康の正式名称は源(氏)朝臣(姓)徳川(名字)次郎三郎(通称)家康(実名)となる。
武将にとって重要なのは氏であって、名字はそれほど重要ではなかった。
37.名無しさん:2018年07月17日 11:39 ID:n74aAMzt0▼このコメントに返信
>>53みたいなバカがいるから家康の評価が低いんだよなぁ。
家康はバリバリの海外貿易推進派。外国人を顧問にしたのは三英傑の中で家康だけだぞ。
家康は信長や秀吉のような天才ではないが学習能力と長期的な視野では二人より優れてる、それでいいだろ。
38.名無しさん:2018年07月17日 11:44 ID:47L0x3b90▼このコメントに返信
「機を見るに敏」なところは、信長秀吉家康はともに全員優れてるな
39.名無しさん:2018年07月17日 11:58 ID:47L0x3b90▼このコメントに返信
家康ってあんま失敗ないよね
40.名無しさん:2018年07月17日 12:00 ID:KUY5j.YS0▼このコメントに返信
※9
信長と秀吉が死ぬまで我慢する
武田にいいようにやられても我慢する
江戸に追いやられても我慢する
秀吉が死んだから好き勝手に動く
三成を小物っぽく描写
毛利のおかげでなんか勝った。でも毛利は○ね
「狙うは家康の首ただ一つ!」
勝った。永眠

家康ってスカっと勝つっていうか
モヤっとした勝ち方しか出来ないのが問題
41.名無しさん:2018年07月17日 12:16 ID:24B3SyjX0▼このコメントに返信
石田三成は徳川家臣だったら、徳川幕府の優秀な官僚として活躍出来たよな。
戦には全然向いてない。
42.名無しさん:2018年07月17日 12:17 ID:USh1qDzp0▼このコメントに返信
歴史を研究してないバカ→  秀吉最高~
43.名無しさん:2018年07月17日 12:20 ID:KUY5j.YS0▼このコメントに返信
※41
家康は超譜代重視で中途採用で成功したのは
天海とか大久保長安(のちに失脚)とかくらいしかいないから
佐吉を登用はしないと思う
むしろなんだかよく分からない天海をよく召し抱えたな
44.名無しさん:2018年07月17日 12:25 ID:AqNYHsjF0▼このコメントに返信
お漏らし→マイナス3000点
45.名無しさん:2018年07月17日 12:32 ID:4j9fnDRX0▼このコメントに返信
家康>信長>秀吉、だな。
46.名無しさん:2018年07月17日 12:34 ID:4j9fnDRX0▼このコメントに返信
韓屋?
知らねえな。
47.シンシュウ:2018年07月17日 12:41 ID:tg.nHFZ70▼このコメントに返信
家康のすごいところ
いわゆる君たちには到底できない事を教えよう
1、戦上手で跡取りなら最高の自分の長男に切腹を命じる。君たちにできる?
2、関ケ原で均衡状態の中、敵か味方かわからない隣の山に陣取ってる陣に大砲を打つ(怒ってこっちに攻めてこられたら打った方が大敗は必至、この究極の判断ができる?)
3、武田信玄を相手に野戦で戦う
4、ほぼ天下取った秀吉と戦う決意
5、織田信長と戦て砦を落とすが引いてこっそり浜松城を手に入れる(浜松は織田勢力地の出鼻で下手したら織田に襲われる。さっきまで戦った織田との外交が命運をわける)
6、関ケ原直前、小山の陣で西の諸侯らに西に戻って西に加勢してもいい。帰路の安堵は保証する。(いくら福島正則と打ち合わせがあったとしていざ言える?一種のかけ)
家康は一種のかけばかりしててそれがかなりの確率で成功してる
自分が家康の立場ならできるかとなるとどうだろう?
結果が分かったる今ならできるとみんないいそうだが結果がわからないその当時、出来るか?となったらそうはできないと思う
だから天下を取れた
48.名無しさん:2018年07月17日 12:46 ID:YxcgCNMZ0▼このコメントに返信
※46
君はかわいそうな人だ
49.名無しさん:2018年07月17日 12:58 ID:2M5qq8ay0▼このコメントに返信
※14
では日本が発展し続ける為に戦争しましょうと街頭演説でもしたら?
当然あなたは先頭に立って戦うんだよねw

その「停滞」した時代に文化とか発展しているんですがねw
産業革命後の欧米ですら識字率10%~30%なのに、日本はそれ以上で外国人がびっくりしてるんだよ

あ、しまったこれ突っ込んだら負けっていうやつだねwww
50.名無しさん:2018年07月17日 13:04 ID:4aWH6K3H0▼このコメントに返信
ていうかこの3人が居なかったら今の日本国民の民度は無かったやろ。下手したら互いにつぶし合う好戦的な戦闘民族のままだった。300年の安定と平和は大事やぞ。
51.名無しさん:2018年07月17日 13:05 ID:5GDs8ZQg0▼このコメントに返信
「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに 食うは徳川」
あれ、出来たのが明治の言葉らしいからw 徳川貶めのために長州人あたりが造語して広め多っぽいな
誰が何といおうと、関東平野を開拓して石高倍増させたのは家康だからな
52.名無しさん:2018年07月17日 13:35 ID:VE7STh0M0▼このコメントに返信
秀吉>信長>>>>>>>>>>>家康
53.名無しさん:2018年07月17日 13:47 ID:Pat822k30▼このコメントに返信
家康は信長秀吉が築いたものをあとから掠め取っただけだからなあ
あと豊臣家滅ぼした印象が悪すぎる
54.名無しさん:2018年07月17日 14:03 ID:HlgeZaia0▼このコメントに返信
歴史的勝者は 家康>秀吉>信長 だけれど。
キャラクターの印象では 信長>秀吉>家康
だと思う。
55.名無しさん:2018年07月17日 14:15 ID:8EEogfFl0▼このコメントに返信
※51
そりゃ徳川の支配下で神君と崇めてる家康を貶せる訳ないでしょ。
幕府統治下で持ち上げてた分が明治で下がっただけ。
56.名無しさん:2018年07月17日 14:16 ID:ZLz.uvmp0▼このコメントに返信
戦国時代をほぼ終わらせた信長
天下統一した秀吉
江戸時代・東京の祖を築いた家康
実績的には信長=家康>>>>>>>秀吉な感じ
あと多分秀吉は農民生まれじゃなければ、あそこまで頑張らなかったと思う
57.名無しさん:2018年07月17日 14:30 ID:BRhREBhx0▼このコメントに返信
信長のやり方の良い所悪い所を見て、それを改良したのが秀吉。
秀吉のやり方の良い所悪い所を見て、それを改良したのが家康。
天下統一でも何でも、あとの二人は信長の基盤・土台が無いと何もできない。
58.名無しさん:2018年07月17日 14:36 ID:USh1qDzp0▼このコメントに返信
※53 あちゃぁ~秀吉擁護派が人情論語ってるよ
 秀吉の罪/ 大量虐殺・日本を代表する茶人の処刑・太閤検地による米の強制収集&反対する者処刑
織田家合議制の拒否→柴田家滅ぼす(反対に豊臣家で合議制とってる)・織田家乗っ取り

対して家康
 最後まで同盟堅持。姉川で国力の限りの援軍・
たとえ相手が10万の大軍だろうが信雄の頼みを聞き挑み。
のち秀吉に処刑されそうな人を何人も助ける。
今川氏真も家康の人柄がわかるからこそ 単身徳川家に逃げ込んでいるし
家康に「約果たせ!」いって 家康も約束守ろうとしている。

義理を果たしてるのが家康で 私利私欲にはしってるのが秀吉
59.名無しさん:2018年07月17日 15:02 ID:24B3SyjX0▼このコメントに返信
自分がウンコを漏らしたことが歴史に記されたりしたら、将門以上の怨霊になって、歴史家を片っ端から呪い○すよ。


60.名無しさん:2018年07月17日 15:07 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※3
信長も秀吉も十分謀略家なんだよなぁ。秀忠は関ヶ原の失敗が嘘みたいな名君になってる。

秀長の死はつくづく悔やまれるな。独裁者にとってはきつい言葉をかけてくれる人が救いになるんだが、秀吉の場合秀長死後は誰もいなくなり歯止めが利かなくなったと言えるな。因みに家康には最後まで口うるさい連中がいた模様。
61.名無しさん:2018年07月17日 15:09 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※6
徳川幕府は、第二の明智光秀・豊臣秀吉を生み出さない様に頑張ったからね。
62.名無しさん:2018年07月17日 15:11 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※8
信長は家康と同盟組んでなかったら、武田と領地が接してしまって西上など夢のまた夢だったからな。信長躍進での家康の役割はかなり大きい。
63.名無しさん:2018年07月17日 15:13 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※10
唐入りが失敗した時点で、流石の大名たちも懲りたんだろう。秀吉死後の動乱で国内にチャンスが巡ってきたし。
64.名無しさん:2018年07月17日 15:16 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※11
信長はパイオニアだからな。統治能力は未知数だが。
65.名無しさん:2018年07月17日 15:18 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※12
家康は※62。
秀吉はその通り。織田家以外では間違いなく重臣にはなれず、天下人にもなれなかった。
66.名無しさん:2018年07月17日 15:21 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※13
秀吉は織田家を踏み台にして天下人になったから、今度は家康が豊臣家を踏み台にしただけなんだよな。正に下剋上。
260年って明治から現在までよりも長いんだから、その基礎を築いた家康はもっと評価されるべき。
67.名無しさん:2018年07月17日 15:25 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※14
そもそも江戸時代の日本人は進化を望んでいたのか?ペリー来航で無理やり西洋世界のルールに引きずり込まれただけじゃないのか?欧米との差が開いてしまったのは事実だが、当時の人々は一部知識層を除き気にしてなかっただろう。
68.名無しさん:2018年07月17日 15:26 ID:UjFwFV.B0▼このコメントに返信
結局、信長は部下の謀反で死ぬわけだから、先が見えてる。中国の劉邦も部下で漢帝国を作れたし、家康もそうだと思う。
69.名無しさん:2018年07月17日 15:28 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※17
個人 信長>秀吉>家康
一族 家康>信長>家康
家臣 家康>秀吉>信長
70.名無しさん:2018年07月17日 15:30 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※69
一族 家康>信長>家康→一族 家康>信長>秀吉
71.名無しさん:2018年07月17日 15:34 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※19
唐入りだよ。秀吉視点では、朝鮮は対馬の宗氏の家臣だから相手にしてなかった。しかし「主君の」宗氏を裏切った不忠者を征伐するという名目で朝鮮征伐に目的が変わったの。
72.名無しさん:2018年07月17日 15:42 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※20
信長は当時の人々からは既得権益をぶっ潰すヒーローとしての人気があっただろう。秀吉は家族思いだが、母親を人質に出したりしてる。やむを得ず殺した信康・立場をわきまえなかったため改易した忠輝を除き、実子を厚遇した家康はかなりの家族思い。
73.名無しさん:2018年07月17日 15:47 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※21
秀吉も信長のおこぼれで獲った天下を後生大事に守っただけの凡庸な武将と言われても文句言えないぞ。

※24
確かにそうだが、秀吉も結構失敗してるからね。信長>秀吉≧家康が妥当かな。
74.名無しさん:2018年07月17日 15:53 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※25
家康は260年の太平の基礎を築いたから、もっと評価されるべき。結果だけ見れば、家康>秀吉>信長。
秀吉も織田家をないがしろにしているし、家康は秀頼の女子を助命してるぞ。もし男子を助けたら、かつて平清盛に救われた源頼朝・義経みたいな事になりかねんしな。頼朝の大ファンの家康が知らんわけないし。
75.名無しさん:2018年07月17日 16:11 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※27
生まれのコンプレックスが秀吉の動力源と言えるな。

※30
英断だけどざるなんだよなぁ。

※31
最終的に本願寺を無力化したのは家康。東本願寺を作り西本願寺と対立させる事で、真宗からお上への反抗心を奪った。

※36
秀吉って死ぬまで「羽柴秀吉」だったんだよね。

※39
過去の失敗から学んでるから、同じ失敗は繰り返さなかっただけの事。

※40
むしろスカッと勝つ必要があるの?結果が伴えばモヤっとしてても問題ない。

76.名無しさん:2018年07月17日 16:13 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※42
言えてる。

※45
結果だけ見れば、家康>秀吉>信長だがな。
77.名無しさん:2018年07月17日 16:31 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※47
1、家康の前の二代はどちらも暗殺されている。殺さなきゃ殺されるのだから殺すしかないだろう。別に戦国の世では親兄弟息子娘を殺すのは珍しくない。信玄も嫡男を殺してるぞ。
2、均衡状態(大体が家康に内応済み)。そもそも秀秋が三成に味方する理由は特にない。
3、領土を素通りされる方がさらに問題だが。
4、嘘乙。家康・北条・島津・伊達等まだまだ敵はおります。なおこいつらは信長には服属の意を示しておりました。
5、これは一種の賭けですな。結果的に正しい選択だった。
6、そもそも朝廷・豊臣家公認の東軍と違い、秀頼の名を騙る西軍は大義名分など皆無。(福島だけではなく、黒田・細川辺りとも話はついてる。)
家康は「勝てる戦」に持ち込むのが上手いイメージがある。賭けはほとんどしない。特に年を取ってからはその傾向が強い。行き当たりばったりで天下を取れるほど戦国は甘くない。
78.名無しさん:2018年07月17日 16:54 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※52※56
人物評価は、信長>秀吉≧家康が妥当。

※53
秀吉も信長の築いたものをかすめ取っただけとも言えるぞ。織田家を衰退させた印象も良いとは言えん。
もし本能寺の変が起こらなかったら、信長は秀吉より五年以上早く天下統一を果たしたと言われてるからな(家康が反抗せず、織田家の内紛も起きないし、既にほとんどの大名が信長に服属の意を示していた。)。

※56
正しくは信長のプランに自分なりのアレンジ(関白就任による朝廷利用・金配りなどによる人心掌握等)を加えたのが秀吉。大坂城も唐入りも信長のプラン。秀吉のみならず過去の武家政権全てのやり方の良い所悪い所を見て、その当時に最も合った形に改良したのが家康。

※58
千利休は政治家としての側面もあったから処刑が間違っていたとは言い切れない。太閤検地・刀狩は「第二の豊臣秀吉」を生み出さないためには必要、見せしめがないと命令に従わないため根切りは必要。信長には気の毒だが信忠が同時に死んだのが運の尽き。
それに対して、家康は確かに義理を果たす人で豊臣家の服属を人間50年の時代に70越えまで待った。
79.名無しさん:2018年07月17日 17:51 ID:hkpCcXiR0▼このコメントに返信
家康は中央集権で地方から搾取した江戸庶民以外すべての日本人の敵だろ
持ち上げてるのは東京人だけで実際は戦犯だよ
80.名無しさん:2018年07月17日 18:04 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※79
ん?確か藩には独自の藩兵がいたはずだし、その藩でしか使えない藩札も発行していたはず。幕府は余程の悪政をしてない限りは藩に介入しなかった。2018年現在よりもはるかに地方分権してるんですが?中央集権してたのはむしろその前の秀吉とその後の明治政府だよ。
ちなみに自分は近畿圏の人間ですが、秀吉も家康も好きですよ。
81.名無しさん:2018年07月17日 18:13 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※79
そもそも家康自身はあまり江戸に執着してないぞ。駿府にいた時期の方がはるかに長い。
82.名無しさん:2018年07月17日 18:50 ID:YpktrSV90▼このコメントに返信
そもそも江戸時代のシステムも豊臣時代でほとんど完成していたし家康はそれを掠め取っただけ。強いて言うなら大奥作ったことくらいしか新しいことしていない。

まあ秀吉は天下統一と国家システムを全て作り上げた点から考えて

秀吉>>>>>>>信長>家康

だな
83.名無しさん:2018年07月17日 18:58 ID:k39I61Q30▼このコメントに返信
家康は信長、秀吉の悪いところを知ってたから無難にことを進めることができたのは事実だよな

安定した江戸幕府は日本全体に停滞をもたらしたのも事実だし
江戸時代後半のアホ将軍が続いたときにもう少し早く倒幕とくべきだったわな
84.名無しさん:2018年07月17日 19:02 ID:k39I61Q30▼このコメントに返信
倒幕のとに日光東照宮を破壊しなかった明治政府は心が広いよね

薩摩、長州とか幕府に積年の恨みがあったのに
85.名無しさん:2018年07月17日 19:03 ID:1QxrHwjr0▼このコメントに返信
単体では秀吉はカリスマの塊。抜きん出てる。
けして高くは無い身分出身、見た目は鼠?猿?身体も多指症?ながら、
あの時代に主君が実子を養子に与えるくらいの才能の持ち主。
本能寺否、山崎の合戦くらいまでは、これに勝てば秀吉が台頭するだろうけど、
羽柴家は信長の血が継ぐやろ〜的な期待込みで信長が付けた寄力衆は動いていたやも。

というか、天下人三人が認めたお寧が一番凄いカカァである事は間違いない。
86.名無しさん:2018年07月17日 19:12 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※82
信長がいなければ、秀吉・家康が天下人になり得なかったのだから、信長が秀吉より下は絶対にない。
>秀吉は天下統一と国家システムを全て作り上げた点から考えて
嘘つくなよ。戦国大名たちを天皇の名前と自分の力で抑え込んでただけじゃないか。やり方が旧態依然としてるし、室町幕府の欠点(中央に比べて大名の力が強すぎる)が全然解消されてないじゃないか。天下統一と国家システムが完ぺきだったのなら、家康が付け入る隙がなかったはずだろうが。

※83
>江戸時代後半のアホ将軍が続いたときにもう少し早く倒幕とくべきだったわな
アホ将軍でも統治できるシステムを作ったのが家康。将軍周りが優秀であれば問題ないの。
87.名無しさん:2018年07月17日 19:21 ID:oRN0w8Zy0▼このコメントに返信
日本の歴史上、江戸時代以上に地方分権だった時代はないだろ
88.名無しさん:2018年07月17日 19:21 ID:oRN0w8Zy0▼このコメントに返信
縄文や弥生のあたりは除いて
89.名無しさん:2018年07月17日 19:27 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※84
土佐・肥前もいるぞ。対外的な事も考えてやらなかったんだろ。

※85
カリスマが抜きんでてるのは信長だろ。秀吉を見出したし、家康を有力な同盟関係として選んだ。秀吉は当然だけど三人とも身分が高いとは言えないんだよな。秀勝は秀吉の方から信長の機嫌取りのために養子を希望したんだよ。秀吉の家督が秀勝に渡るなら信長も安心だしね。秀吉が天下を狙えると確信したのは清須会議だろう。信孝・信雄を織田家中枢から排除して、事実上の秀吉独裁を実現したんだから。

高台院が最強なのは否定しない。
90.名無しさん:2018年07月17日 19:51 ID:4aWH6K3H0▼このコメントに返信
※87
まあ地方分権でも秀吉の刀狩りで平民は武器採り上げられたし、徳川の時代で武士と平民に完全に別けられ参勤交代で国力も落とされたから、戦国時代程簡単に反乱起こしたり国力上げられたりできない状態だったと思う。
91.名無しさん:2018年07月17日 20:30 ID:y3BpGiyW0▼このコメントに返信
こういったスレでの家康は、5代目くらいまでの功罪をまとめて評価されてる感がある
92.名無しさん:2018年07月17日 20:54 ID:bT6flHxA0▼このコメントに返信
家康より信長や秀吉の方が浪漫があるから人気なのはまあわかるんだけど
同じく浪漫のあった清盛より陰性の頼朝の方が評価されるのは腑に落ちん
93.名無しさん:2018年07月17日 20:56 ID:P6qis.iK0▼このコメントに返信
信長殺した奴まじ罪重い
94.名無しさん:2018年07月17日 20:56 ID:EsiltkKz0▼このコメントに返信
※56
秀吉は農民出身を唄っているけど実際は嵯峨源氏の末裔っぽいぞ

対して家康はガチの小作頭の家柄だぞ
武士や貴族どころか神社の小作人
しかも藤原氏ですらなく賀茂氏だからな
戦国・織豊大名でも脇坂の次に家柄が低い

本人のスタート時の立場としては秀吉が一番低いけど
後の江州閥を考えると作られた可能性が・・・
95.名無しさん:2018年07月17日 20:59 ID:NsXYQDH80▼このコメントに返信
※49
当時外征にいるのは職業軍人のみ、嫌なら帰農すればいい。
外国を征服せず何もしないで農民から搾取していきたいとかぬかす武士はいらない。

文化の発展?君馬鹿だろ、現代の美術と狩猟していた時代の壁画のどちらに価値を見出すかは人による。文化に優劣とかいっている時点でバカ
そもそも江戸時代の文化ってなに?歌舞伎は安土桃山時代、茶は室町時代、浮世絵も安土桃山時代の時木版画技術が入ってきたからで、
江戸時代に生み出された文化なんてないんだよ。あっても幕府はむしろ規制していた酷い時代

江戸時代の識字率は10%あるかないか。ねつ造データを信じないように、学制が導入されてからでも識字率は低かった。
96.名無しさん:2018年07月17日 21:04 ID:NsXYQDH80▼このコメントに返信
※58
それ家康だな、遠州攻めでは各地で大量虐殺を繰り返す殺人鬼が家康であるし、その後も各地で殺戮を繰り返し最後の大阪の陣でもひどかった。
秀吉は兵糧攻めなどで極力ころさず降伏に追い込み、当時は戦争になったら捕まって売られるのも当たり前だったが、秀吉はそれらも一切禁止にした、なお家康は大阪の陣で拉致しまくってた

あれだけ義元に世話になったのに今川氏真を裏切り、今川家を滅ぼし、
織田家にあれだけ世話になったのに、信長死んだら甲斐信濃に攻め込み、信雄を担いで三法師に謀反をする。なお三法師はのちに家康に国を追われて死ぬことになる
秀吉に北条領250万石を与えられ厚遇されていたのに、秀頼を裏切り天下を盗み、最低最悪の江戸時代というものを作り上げた
97.名無しさん:2018年07月17日 21:35 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※95
石田三成のところで秀吉をやたらと神格化されてた方ですか?
>当時外征にいるのは職業軍人のみ、嫌なら帰農すればいい。
兵農分離が進んでいる頃に帰農しろとは無茶言いなさんな。外国を支配する事が悪いとは言わん。武家政権は「御恩と奉公」。秀吉には国内で部下にやる領地がないから外征した、それだけの事。

>文化の発展?君馬鹿だろ、現代の美術と狩猟していた時代の壁画のどちらに価値を見出すかは人による。文化に優劣とかいっている時点でバカ
この部分は同意できるのに、「そもそも江戸時代の文化ってなに?」で早速矛盾してるぞ。マウント取りたいからって支離滅裂な事言うなや。現在の歌舞伎「野郎歌舞伎」は江戸時代に確立したものだし、茶も浮世絵も江戸期に大きく発展を遂げている。まさか文化が入ってきたら変化せずに右から左へ進むだけだと思ってるの?

識字率は以前別の所で言ったが、庶民が自分の名前を書けるというのはすごい事なんだよ。この前提があるから、幕末以降に農民出身で活躍した方々が出てきたんだよ。
98.名無しさん:2018年07月17日 21:53 ID:SUmT94QO0▼このコメントに返信
※94
どこかに書いてんのかそれ?秀吉が嵯峨源氏だと?
大阪の渡辺党を追い出しやがって…本物の嵯峨源氏やぞ。
大阪の古い古い坐摩神社も渡辺氏に関わるから移動させたんや。
仁徳天皇の時代にも関わる神社をアホが勝手に移動させたんやで。
徳川家は源氏か賀茂氏と言われてるが、賀茂氏が小作なんかしてるわけないやろ。

99.名無しさん:2018年07月17日 21:58 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※96
戦国大名に殺人鬼って(爆笑)。何意味分からん事を言ってるの?戦国大名が人を殺すのは当たり前だろ?殺さなきゃ殺される時代だぞ?秀吉は人一人も殺さない聖人君子とでも言いたいの?それは秀吉をも侮辱してるからやめて欲しい。信長・秀吉・家康は皆天下統一のために邪魔する連中を殺しに殺してようやく頂点になったんだよ。現代の倫理観で戦国を語るのはよしてくれ。

100.名無しさん:2018年07月17日 22:08 ID:D3o4hoyO0▼このコメントに返信
江戸を開墾した家康の脛を未だ現代人はかじってるのと違う?
101.名無しさん:2018年07月17日 22:16 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※96
とことん家康を否定したい様で。
仏教勢力殲滅は必要悪。仏教伝来以降、強大な既得権益を得て、室町時代には頂点を極めていた。信玄・謙信等多くの戦国大名は仏教勢力と妥協したが、仏教勢力(特に一向宗)を野放しにしておくと天下統一等不可能。詳しくは「天文法華の乱」を調べて。特に一向宗には「仏の前では皆平等」という思想があり支配層からは非常に不都合な存在で、他の諸仏教も自分たちが正しいという意識が強く話し合いの余地はない。だから三英傑は仏教勢力を殲滅した。殺戮以外には手がないのだから。信長たちは殺しまくったが、仏教連中もやられるだけの被害者ではないので殺しまくっている。こういった苦労があったから、後の秀吉・家康の仏教統制が容易になった。何故高野山は無血開城した?過去の例があり、また秀吉にためらいが無い事が高野山側には分かっていたからだ。
続く
102.名無しさん:2018年07月17日 22:33 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※96
当の今川氏真さんは家康を許してるし仲が良かったみたいね。今川を滅ぼしたのは武田もだろ。しかも信玄は反対した嫡男を殺すという暴挙に出てる。

謀反()って。家康は織田家の家来ではないのだから謀反もクソもないだろうが。甲斐信濃の件も信長が死んだのが悪いんだよ。自らのリスク管理もできてないんだからな。北条に奪われるくらいなら自分がという判断だろうよ。秀信とか調べれば調べるほどバカにしか見えないんだよ。織田の棟梁としては全然ダメだし、自分の領土すら守れなかった不甲斐ないやつ。

秀吉が家康を厚遇したのは秀吉の失敗じゃないか。家康を武力で屈服できなかったからな。やればできたとかは言い訳にならないぞ。織田家を裏切り天下を盗んだ秀吉に、家康の事をどうこう言う資格等ない。それから何を根拠に最低最悪なの?何か基準があっていってるんだろうけど、まさか近代国家じゃないだろうな?近代化前ならどの国も同じ様なものだよ。
103.名無しさん:2018年07月17日 23:01 ID:NsXYQDH80▼このコメントに返信
※97
ああ、家康と神格化しているアホの人ですか?

>兵農分離が進んでいる頃に帰農しろとは無茶言いなさんな。
武士として戦うのが嫌なら帰農は当然事、戦いたくないけど武士として暮らしたいなんてわがままは通りません

>現在の歌舞伎「野郎歌舞伎」は江戸時代に確立したものだし、茶も浮世絵も江戸期に大きく発展を遂げている
女性も参加できたのを幕府が規制して男しかできなくしただけ、茶も古田を殺害したり、歌川を逮捕したりと規制しまくりで発展を阻害していただけですな。どっちにしろ文化の発展なんて誇るべきものでもなんでもない、「発展」していないほうが価値がある事などざらにあるからだ

>識字率は以前別の所で言ったが、庶民が自分の名前を書けるというのはすごい事なんだよ

凄くもなんともありません。自分の名前だけかけるのを識字率に含めるなら世界中の識字率が大幅に上昇します。
明治をへて学制を制定して識字率はやっと向上しました
104.名無しさん:2018年07月17日 23:12 ID:NsXYQDH80▼このコメントに返信
※99
兵士以外を極力殺さないようにきれいな戦争をしていた人と、住民の拉致と殺戮をメインにしていた人達の評価が異なるのは当然
※101
仏教は権力者ともわりとよろしくやっていたし、信長が大阪退去をいうまでは献金したりしていたんだよ
仏の前にみな平等?仏教なんて血統主義と元の身分で完全にその後が決まる社会だぞ、皇族や将軍家などは入信した場合座主などの高いくらいに行くのは当たり前だった。一向宗は完全な世襲体制。
※102
仲なんてよくないよ。家は滅ぼされ、対武田で協力関係となったのに長篠で織田の力で逆転した後は追放された。
家康に媚びを振らないと生きていけなかっただけ

家康は織田家の家臣ですよ、駿河を拝領し、徳川家臣団は信長こそ上様と書いている。家臣ではなかった同盟国だったとかいうのは江戸時代の創作
そして家康は秀吉が武力をふるう前に全面降伏したから処罰されなかっただけだぞ。

江戸時代ほど最低最悪の社会は日本史上ではない。
無駄な参勤交代や江戸滞在費、天下普請で諸藩は借金漬けにされ、重税をかされ庶民が飢餓地獄に追い込まれた。
監視と密告より成り立った社会であり、一部の特権階級の人間が富を独占し搾取する北朝鮮のような社会。
それが江戸時代
105.名無しさん:2018年07月17日 23:30 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※103
自分は家康を神格化した事などないので別人ですね。
>武士として戦うのが嫌なら帰農は当然事
武士と農民が別物になった時点で帰農もその逆も無理。秀吉がそうしたんだから。

>発展を阻害していただけ
権力者が社会の全てを動かすわけじゃない。下々独自の動きもあるだろう。

>凄くもなんともありません
人に物を教えた事ある?何も知らない状態と少し知ってる状態は全然違うよ。江戸と明治は続いている時代なのだから、前提があるの。

106.名無しさん:2018年07月17日 23:31 ID:k39I61Q30▼このコメントに返信
秀吉が暴走せずに支配を盤石にして家康の勢力を削ぐことに注力して豊臣幕府が開かれた方がいい時代になったとは思う
秀吉はキリスト教に対して厳しかったけど正しい判断だったし

江戸時代は中期以降は停滞の時代だし、発展していたのは江戸、大坂、京都、尾張くらいだからなぁ
107.名無しさん:2018年07月17日 23:43 ID:NsXYQDH80▼このコメントに返信
※105
>武士と農民が別物になった時点で帰農もその逆も無理。秀吉がそうしたんだから

武士やめて農民になるのは可能、転封嫌がって昨日した武士なんてごまんといる。
また毛利など厳封された結果養えなくて大勢の武士を帰農させて農民にした事例もやまとある
また農民が戦についていって武功をたてて武士になるのも可能
朝鮮征伐の時にも農地すてて出征した農民もごまんといる

>権力者が社会の全てを動かすわけじゃない。下々独自の動きもあるだろう。

庶民が「発展」させていたのを幕府が規制していたのに庶民の動きもないだろ。女が芸事をやるのと禁止したり、あれは書いていけない描いてはいけないとかで作家や画家を逮捕しまくっていたのが江戸幕府

>人に物を教えた事ある?何も知らない状態と少し知ってる状態は全然違うよ

明治政府が一から教えただけ、
今でいえば園児レベルのものをもって識字率とは普通は判断しません
108.名無しさん:2018年07月17日 23:54 ID:jStHLmyJ0▼このコメントに返信
※104
>兵士以外を極力殺さないようにきれいな戦争をしていた人
戦国時代の兵士の定義なんて凄く曖昧だよ。今と違って庶民は弱くないから。秀吉がする必要がなかったのは何故かは言ったはずだし、そもそも秀吉も織田家の武将の頃は殺しまくる側の人間だったはずだが。

>仏教は権力者ともわりとよろしくやっていたし…
それはダメなんだよ。従わせないと。
一向宗上層部が世襲なのは知ってる。下っ端の名もなき人たちの事を言ってる。上層部は下の人たちを洗脳し戦わせたクズどもなんだが。

>仲なんてよくないよ。
その割には高家にしたり優遇してたな。

>家康は織田家の家臣ですよ…
わざわざ信長自身が招いて持て成した家康が臣下?同盟相手だよ。仮に信長の臣下でも、清洲同盟は信長の死で解消だから三法師の臣下という意味にはならん。
言い訳はいい。秀吉は家康に野戦で負けた。これは覆す事のできない事実。だから豊臣政権の重鎮になった。

>無駄な参勤交代や江戸滞在費、天下普請で諸藩は借金漬けにされ…
どれも無駄じゃないじゃないか。これらは一種の軍事行動だよ。戦争の代わりにやってるんだよ。また金を使う事で商売が成り立って社会が回るじゃないか。庶民からの搾取とか昔は当たり前だし。明治の頃でも負担が変わらずに一揆起きてるよ。
一部の特権階級が支配する社会とかも近代化前なら他国でもあるだろ。
109.名無しさん:2018年07月18日 00:07 ID:R00NOfnp0▼このコメントに返信
※105
>武士やめて農民になるのは可能、転封嫌がって昨日した武士なんてごまんといる。
可能ではあるが、そもそも武士と農民はほぼ同じもの。それを分別したのが秀吉以降進められた兵農分離。戦国期だからまだ許されたんだろ。江戸に入れば不可能。

>庶民が「発展」させていたのを幕府が規制していたのに庶民の動きもないだろ
しかし元禄文化とか化政文化とかがある。規制が緩くなる時代はあった。

>明治政府が一から教えただけ
そうなの?寺子屋とか藩校とかは?
110.名無しさん:2018年07月18日 00:27 ID:R00NOfnp0▼このコメントに返信
※105
毛利とか敗者の事を例にされてもなあ。毛利なんて秀頼を騙る西軍の大将やってたバカだし。リストラしきれなかったから仕方なくだろ。
111.名無しさん:2018年07月18日 00:29 ID:R00NOfnp0▼このコメントに返信
※109と※110は※107宛
112.名無しさん:2018年07月18日 01:39 ID:bJFQulrg0▼このコメントに返信
実際に信長の前に出たら、秀吉も家康も文句も何も言えないだろ。
それが人間としての格の違い。


113.名無しさん:2018年07月18日 01:46 ID:8.ajEl9v0▼このコメントに返信
信長の死後、秀吉が後を継げたのは政治的センスがあったから
秀吉がいなければ家康が信長の後を継げたか? 政治的センスがない家康では無理
小牧長久手の戦いでは、北条・長宗我部・佐々・雑賀衆・根来衆・織田信雄・徳川で包囲網敷いたのに、結局秀吉にしてやられてる

秀吉が生きている間に家康が天下をとれる可能性あったか? 家康は秀吉の死後も前田や同世代大名が生きている間は動けなかったので、生きている間に天下とることは無理

家康は政治力があったから徳川幕府が続いたのか? 徳川幕府のシステムは秀吉が作ったシステムをそのまま導入したもので特に目新しいものではなかった

結論としては、信長>秀吉>>>>>>超えられない壁>>>>>>家康だろう
114.名無しさん:2018年07月18日 02:33 ID:R00NOfnp0▼このコメントに返信
※113
>信長の死後、秀吉が後を継げたのは政治的センスがあったから
それだけじゃない。秀吉が信長の跡を継げたのは、①信忠も死んで、跡目が幼君だったから。②柴田勝家以外の宿老を味方につけて清須会議を有利に運んだから。③金と謀略で関白に任官されたから。④家康を屈服させたから。の四つもある。包囲網も当時の秀吉の勢いを止めるほどの連帯はない。

>秀吉が生きている間に家康が天下をとれる可能性あったか? 家康は秀吉の死後も前田や同世代大名が生きている間は動けなかったので、生きている間に天下とることは無理
家康は「勝てる戦」に持ち込むのが上手いので利家の死を待った。前田は利家の死後に家康に屈服してる。家康は生きてる間に天下を取ったよ?

>家康は政治力があったから徳川幕府が続いたのか?
家康の政治センスは低くない。秀吉のシステムを流用したのは事実だが、朝廷・武家・寺社統制は徳川のシステムが使われてる。目新しい物は少ないが秀吉までの武家政権の失敗を踏まえた修正も施されている。例えば、征夷大将軍の位階の上昇(従三位→従一位)・大名の財と政を分離・員外官の制度によって朝廷と大名を分離・秀吉の失敗の一つの後継者問題も御三家を設けてカバー(役に立った)。

結論としては、信長>秀吉≧家康が妥当だろう。
115.名無しさん:2018年07月18日 03:00 ID:.UK.UjfU0▼このコメントに返信
「秀吉が継いだ」って ほんと感情が入ってて無知レベル
  間違いなく乗っ取ってるのに なぜそのあたりを歪曲するのかな?
下克上が当たり前の時代なのに 「下克上が成功した」でいいんじゃないですかね。

感情レベルで語るなら それはそれで結構。 ただその感情に歴史をくっつけないで頂きたい。
 歴史を語るなら客観性も持たないと駄目だよ。
柴田が合議制にして織田家を盛り立てようっていってるのに 反対してるからね
 もうこの辺りで下克上の算段は出来上がっている。
116.名無しさん:2018年07月18日 03:13 ID:.UK.UjfU0▼このコメントに返信
※113 家康がいなくても信長は西進できたか? まずこれの回答から頼むよ
 家康の貢献度がどれだけの価値があったのかわかってないようなので
117.名無しさん:2018年07月18日 12:40 ID:uUCkVhjL0▼このコメントに返信
ノブの築いたものをほぼそのまま継承出来た秀吉は最後の最後までラッキーマンやろ。
本来なら小牧長久手でズタボロにされそうな筈がヤッスに講和持ちかけてたのがギリギリ通ったから生き長らえた訳やん。
せやから懐柔するのも母親送るほどに難航したわけだし。
天下取ってからのあの雑さはもしかすると先人が居なかったから猿真似できんかったからなんかとさえ思うで。

ヤッスは元々地盤が弱かったからノブと同盟して西からの攻撃を防いで東側に特化出来たけど、その東側が強国揃い。
土地増やせずに虎視眈々と狙って行ったからこそ高齢になっても雑なことはしないで徳川250年を築く礎になったわけよ。
特に規律に関してはかなりうるさかったんと違うかね。
秀吉の小牧長久手なんて結局部下の暴発が元で敗戦してるし、そういう所をきっちりやらんと金も人もどんどん無くなる、そうなると小国だった頃なんて死亡フラグやん。
そういう所をわかってたんやろな。
118.名無しさん:2018年07月18日 13:20 ID:R00NOfnp0▼このコメントに返信
※115
よくよく考えたら、信長の跡を秀吉が継ぐのはおかしいからな。これを下克上と肯定するなら、秀吉の跡を家康が継ぐのも同様にすべきだろう。秀吉好きは感情的に家康を下げる方が多い。
119.名無しさん:2018年07月18日 13:35 ID:R00NOfnp0▼このコメントに返信
※116
※62を参照。家康が武田・北条への抑えだった事を軽視する方が多いんだよな。度々信長の援軍に駆けつけてるし、信長の死の直前には信長自ら家康をもてなしてるし。

※115
乱世で合議制は難しいかも。しかし織田の血筋で成人してる方を三法師の後見にすべきだった。

※117
信長・信忠が同時に死ななければ100%秀吉は天下を取れなかった。家康は秀吉を野戦で負かしている。家康は自分の価値を高めた上で秀吉に下った。だから家康は豊臣政権の重鎮になった(他にも理由はあるが)。
120.名無しさん:2018年07月18日 13:45 ID:R00NOfnp0▼このコメントに返信
※117
秀吉は基本的に信長のプランを大体そのままやってる(大坂城・唐入り等)し、明智討伐以降つきまくってたから調子にのりすぎたのもあると思う。
家康は自分の領土をしっかり治めてた。紆余曲折あったけど、三河武士団という強力な譜代衆もいた。これは秀吉にはない強み。
121.名無しさん:2018年07月18日 21:23 ID:3aNc8WHU0▼このコメントに返信
※108
そりゃ主君の命令には逆らえないが、自分の裁量でやる分には殺さないようにするのが大事でしょう。

一向宗も平等思想なんてないってこと。仏教も支配者が下層を支配するためのツールに過ぎない、江戸時代の檀家制度なんてその最たるもの

高家ってべつに厚遇じゃないですよね。大名ならまだしも。秀信や松下は大名になってますね。

家康は信長の家臣ですよ、もてなし?そんなの秀吉勝家なども同じ事、信長みずから茶をふるまったりしている。

清州同盟が信長の死で解消ってのも意味が分からない、家同士の同盟が当主が死んだ事で解消されるなら三国同盟は義元が死亡した時点で解消されたんですか?
また小牧長久手で秀吉が家康に負けた事などありませんよ、秀次の間違いでしょ。

※109
豊臣時代どころが毛利藩の事例をみてもわかるように江戸時代になっても普通に起こっていたことです。

規制が緩いというか過干渉しない時代があったというだけで、それは誇る事なんですかね?

寺子屋も藩校も幕府が作ったものではない、藩校は武士だけのものであるし、寺子屋にしても一年生レベルのものでしかない。また寺子屋に通う人間も非常に少ない。長州藩や岡山藩みたいに藩が率先して寺子屋たてて初等教育を実施した事例もないわけではないが、あくまで例外当然幕府は何もしていない。
122.名無しさん:2018年07月18日 21:30 ID:3aNc8WHU0▼このコメントに返信
※110
リストラされた武士は何すると思ってるの?浪人で士官先がなかったら全員餓死してたと思ってるの?
※115
何か勘違いしていますが、三人の合議で信孝の後見人の地位から追い落とされ後見人が信雄に移り、それに反発した柴田が挙兵したんですよ。
※116
横レスだけど、別に家康いてもいなくても何も変わりません。
三河が織田家に占領されるかされないかでしかない。
当時の氏真に西進するだけの余裕はなく、斉藤義龍存命中はどちらにしろ美濃は落とせず、義龍死後は当然食い荒らされる。
123.名無しさん:2018年07月18日 21:33 ID:3aNc8WHU0▼このコメントに返信
※119
家康が勝手に武田に喧嘩うったんだぞ。武田と織田は同盟関係だった。家康が氏真北条と結びと武田が戦争状態になり、
それに織田まで巻き込まれただけ、むしろ織田家の天下取りが家康のせいでかなり遅れた事例。
※118
秀吉の時にすでに天下は統一されており、国内では内乱もなくなっている。
家康が権力を握るために騒乱起こした時以外はね。
124.名無しさん:2018年07月18日 23:00 ID:R00NOfnp0▼このコメントに返信
※121
>自分の裁量でやる分には殺さないようにするのが大事でしょう
秀吉は信長への機嫌取りが上手いから重臣にまでなれたんだろう?優秀なだけでは信長に信任されんぞ。必要とあれば殺しまくっただろう。

>一向宗も平等思想なんてないってこと
一向宗が国を支配するレベルにまでなったのは、一種の平等思想があったから横の連帯が強くなったため。上からやれと言われただけでは庶民はまとまらない。平等思想ってのは「極楽に行く」ってやつね。西洋の平等思想も似た様な所から発生してるんだよ。

>清州同盟が信長の死で解消ってのも意味が分からない、家同士の同盟が当主が死んだ事で解消されるなら三国同盟は義元が死亡した時点で解消されたんですか?
そもそも同盟関係って互いに利益があるから行うものだろ?家康が信長亡き後の織田家と組む利益がなかった、それだけ。現に信玄は現当主が生きてるにもかかわらず、同盟を破り今川を攻め滅ぼした。これは同盟破棄の方が利益があるという考えだろうよ。

>豊臣時代どころが毛利藩の事例をみてもわかるように江戸時代になっても普通に起こっていたことです。
まあ改易や減封になるやつの方が悪いわな。

>規制が緩いというか過干渉しない時代があったというだけで、それは誇る事なんですかね?
近代化前ならどの国でもある事だろうが。そんな中でも文化が発展して、現在に伝わってるんだろ?

>寺子屋も藩校も幕府が…
確か藩校には豪農等も通ってたはず。そもそも武家はその家で教育するだろ。なら何で奇兵隊とかが成立したんだよ?庶民がある程度の知的水準があるから倒幕に動いたんじゃないの?
125.名無しさん:2018年07月18日 23:20 ID:R00NOfnp0▼このコメントに返信
※122※123
>リストラされた武士は何すると思ってるの?浪人で士官先がなかったら全員餓死してたと思ってるの?
こういう連中が治安を乱していたんだなぁ。幕府は浪人が出ない様に色々工夫してたはずだが。

>何か勘違いしていますが、三人の合議で信孝の後見人の地位から追い落とされ後見人が信雄に移り、それに反発した柴田が挙兵したんですよ。
三人の合議(内2人は買収済み)。秀吉が独断で信長の葬儀とかして柴田を挑発したんだよね。

>別に家康いてもいなくても何も変わりません
無茶苦茶言いなさんな。家康が東にいたから武田・北条との直接対決を避けられたんだよ。もし信長が三河を取れば東の武田・北条に背後を突かれることを意識して西上できないし、斎藤と武田に挟み撃ちにされた可能性も十分ある。

>家康が勝手に武田に喧嘩うったんだぞ。武田と織田は同盟関係だった。
元々三国同盟をぶち壊した武田が全ての元凶じゃないか。それに反発した氏真・北条が家康と共に包囲してただけの事。武田と織田の同盟も義昭の命令を受けた信玄が一方的に破っただけで家康は特に関係ない。

>秀吉の時にすでに天下は統一されており、国内では内乱もなくなっている。 家康が権力を握るために騒乱起こした時以外はね。
しかし秀吉は恒久的な豊臣家の支配体制を創れなかった。だから死後争乱が起きた。何度も言うが、関ヶ原のきっかけの会津征伐は上杉の暴挙から始まった事。そして朝廷・豊臣家から承認された家康率いる東軍は、秀頼の名を騙る西軍を打ち破った。


126.名無しさん:2018年07月18日 23:34 ID:R00NOfnp0▼このコメントに返信
※121
高家は官職上非常に優遇され、朝廷の使者の接待等の重要事項を任された、幕府にとっては重要な存在。
127.名無しさん:2018年07月19日 03:14 ID:5wHCBxWY0▼このコメントに返信
秀吉は腹心脇坂安治宛の書状(1585年)で信長の事を呼び捨てにしている(手紙であっても主君を呼び捨ては不忠)。信長の死後三年程度で、関白にもなっていないのにこれである。
実際、秀吉は信長の息子信孝一族を皆殺しにし(信孝に関しては直接手を下さず、三法師を使い信雄に殺させた)、
信雄を改易し(信雄は織田性に復しているため主君筋である)、
三法師(秀信)を飼い殺しにした(本来天下人の秀信に、正三位権大納言・岐阜城を与えたのみ)。
そして主君信長の娘・姪を次々手籠めにした(生前は頭を下げなければならなかった方々にこの仕打ち)。
これらは秀吉の織田家への忠誠なんて上っ面だけで、己が欲のために織田家をしゃぶり尽くした事が良く分かるエピソードである。
なお、司馬遼太郎(関西出身)は著作『覇王の家』にて秀吉の事を「史上、類を絶した大悪党」と言っている。

因みに脇坂は石田三成が「秀頼のために家康を討つ」とか正当性のない事を言って引き起こした関ヶ原の戦でさっさと東軍側に寝返った。他にも山内・堀尾・福島・加藤清正・小早川秀秋…、家康についた・寝返った連中の多い事。秀吉が心優しい名君ならこのような事態は起きなかった。家康が豊臣家に行った行為も「秀吉が織田家にやったことをやったに過ぎない」になる。しかも家康は70過ぎまで豊臣家の服属を待っており、秀吉に比べて何と優しい事か。かつての秀信の様に徳川の世を受け入れれば良かったのに、豊臣家は秀吉の栄華に囚われいつまでも現実を見る事ができなかった。
つまり、豊臣家滅亡は完全に秀吉の自業自得である。
128.名無しさん:2018年07月19日 09:29 ID:LOYcv1f70▼このコメントに返信
家康って調べて行くと下げにくくなるんだよねぇ、何かと玄人好みな感じ
信長秀吉には負けるけど十二分に波乱万丈な人生だしね。
129.名無しさん:2018年07月19日 10:20 ID:.rwb7KIv0▼このコメントに返信
10月16日、勝家は堀秀政に覚書を送り、秀吉の清洲会議の誓約違反、及び不当な領地再分配、宝寺城の築城を非難している(『南行雑録』)

12月2日(12月26日)秀吉は大軍を率いて近江に出兵、長浜城を攻撃した。

柴田の敗因は秀吉の「いまは攻めません」を信じて長浜城の防衛を強化しなかった事。
 秀吉は冬場にその約束を破って長浜城攻め 調略で落城。美濃への侵攻を許した。

この長浜城は超重要拠点であり、明智の謀反ではわざわざ明智が奪いにいった城で美濃と京を結ぶ交通の要衝であった。
このあたりの考え方が  明智・羽柴>柴田なんだろうケド

まぁいずれにせよ秀吉は野心の塊だったのは間違いない。
130.名無しさん:2018年07月19日 14:03 ID:5wHCBxWY0▼このコメントに返信
※128
よくよく調べたら、家康より秀吉の方が余程人の道に外れた事をしてるんだなよなぁ。家康はそこまで残虐な行為はしてないし。

①遠州攻め 仏教勢力は死を恐れず妥協をしないため、根切りは止むなし。
②会津征伐 上杉の暴挙が全ての始まり。上杉は反省し、戦後の減封も素直に従っている。
③大坂の陣 この時点で徳川の世は揺るぎなき物となっている(家康が戦死しても幕府は動ける)。豊臣は味方する大名が一人もおらず、関白にもなれない(家康は秀吉が五摂家から奪った藤原氏長者・関白を朝廷に返還したため、豊臣が関白になる正当性はない)のだから家康に下るべきだった。まあ世を乱す浪人の大掃除が出来たと思えば上々かな。
131.名無しさん:2018年07月19日 14:12 ID:5wHCBxWY0▼このコメントに返信
※130
④秀頼の幼子の殺害(女子は生かしている)
これは事後処理としては当たり前に行われていた。そして女子は生かして仏門に入れるのがルール。武士の誕生の頃から度々行われており、信長は浅井の嫡子を殺している(実行したのは恐らく秀吉)。
しかし秀吉は秀頼可愛さに秀次一族を女子供に至るまで殺しまくった。この結果豊臣家内で家康の求心力が上がったのだから、人倫に反する事はするものではないと思う次第である。
132.名無しさん:2018年07月19日 18:04 ID:LOYcv1f70▼このコメントに返信
家康の一番凄い所はこいつになら天下を任せてもいいか と思わせた所ではないかな?
最後に物を言うのは信用なんだろうなぁと、実力の裏打ちがあった上での事では 無論あるけど。
133.名無しさん:2018年07月19日 18:23 ID:5wHCBxWY0▼このコメントに返信
※121
一つ忘れてたけど、秀吉が秀次に一軍の大将を任せた時点で、その軍勢は「秀吉軍」なんだよ。つまり秀次の敗北=秀吉の敗北なの。だから秀吉は敗走した秀次に対してぶちギレたわけ。大将に任じた秀吉の面目丸つぶれだからな。
134.名無しさん:2018年07月19日 18:44 ID:5wHCBxWY0▼このコメントに返信
※132
秀吉は在京中の大名の妻子に手を付けようとしてるしな。その点は家康なら安心だ。
小牧・長久手後、信雄は独断で和睦したが、家康は快くそれを受け入れた。また家康は豊臣政権時からケチで評判だったが、同僚の大名からの頼みならすぐに金を融通した。秀次事件では連座の危機に陥った大名たちを救った。そういう出来事が積み重なって家康が天下人になったんだなぁ。
135.名無しさん:2018年07月19日 21:05 ID:k7v4I0OI0▼このコメントに返信
※124
>秀吉
秀吉がご機嫌取りをする人間かね?無断撤退とか勝手に宇喜多を取り込んだりとかわりと好き勝手してる

>一向宗
世襲の権力者がいる社会で平等思想もないだろw

>同盟
つまり信玄同様、都合が悪くなったら同盟切る人間だったってこと

>文化
つまり文化の発展など誇るものではないということです。戦乱の時代であった室町時代においても今に残る文化の多くが生まれている

>教育
だから幕府は何もしてないの、むしろ規制していたがわ、一部の藩が勝手にやっていただけ
136.名無しさん:2018年07月19日 21:14 ID:k7v4I0OI0▼このコメントに返信
※125
>浪人
工夫なんてしてませんよ、だからその後も浪人は増え続け浪人の反乱すら起こった。一握りの連中だけが肥え栄えて、あとは勝手にしろというのが幕府

>合議
買収したら合議でない?なら当時では合議なんて存在しないよ。柴田を挑発したからとかいっているけど、柴田も勝手に信長の葬儀やってるからな

>清州同盟
だから家康なんて意味ねーって、今川は西進する余裕ないし、武田と織田は同盟関係、幼君にかわる斉藤が動けるわけもなし

>信玄
だから信玄と家康が同盟組んで今川討伐したわけ。当時は織田とも同盟関係だったから、三国同盟になっていたんだよ。それを家康が今川北条と結んで破綻させたの。

>秀吉死後
上杉は何もしていない。完全な難癖。前田に難癖つけて失脚させ前田派の浅野も失脚、石田を事前追放して、諸大名はみな大阪から帰らせて大阪城に私兵をいれて占領した家康がやったことにすぎない、他の大老と奉行の同意など当然ない。完全な独断専行
137.名無しさん:2018年07月19日 21:21 ID:k7v4I0OI0▼このコメントに返信
※126
高家なんてたくさんいます。石高も少なく厚遇でもなんでもない
※127
当時においては名前で呼ぶのはむしろ尊称ですよ。秀頼なんて役職で呼ばれた事などない、大老もみな名前で当時の史料には書かれている。奉行衆のほうが役職名である

三法師に謀反をおこした信孝は犯罪人であるし、殺したのは信雄である。秀吉は柴田征伐にいっておりノータッチ
つか神戸家や北畠家の人間よりも秀吉のほうが地位が上なので、問題にもならない、そうしたのは信長である。
三法師は大名にしてさらに地位は大老クラスである。家康のような人非人とは違う事がわかる。
信長の娘も娶っており、織田家を大事にしていたことがよくわかる。

家康は豊臣家に忠義を尽くしたふりをして豊臣恩顧をだまして、彼らの多くが死んだ後(大半は暗殺)秀頼を殺した大罪人
138.名無しさん:2018年07月19日 21:34 ID:k7v4I0OI0▼このコメントに返信
※129
勝家の質問が間違いだったので、堀からもこれはねーなと思われて堀も秀吉につきましたとさ。
そして勝家の野心を見抜いた秀吉が動いたということ、ていうか勝家が先に動いたんだけどな
勝豊は勝家を嫌い離反しただけ、信孝は三法師を拉致監禁したことで秀吉に後見人の地位を首になった。
※130
① 遠州攻めでの虐殺のオンパレードは宗教勢力でもなんでもない。城攻めで苦戦したので、八つ当たりで籠城していない連中まで虐殺された
② 上杉は何もしていないのは明らか 家康のただの難癖なのが史実ですな
③ 藤原氏長者の地位など奪っていないというのに、猶子に家督を継承する権利はない、後見人の地位を悪用して豊臣家の資産を横領して、主君を殺しただけですね、織田家でいえば信長の後見人の平手が信長殺して織田家乗っ取ったようなもの
④ 秀次の幼い娘は助命されて真田の嫁になっている。なお家康は自分の孫でもある信康の娘まで殺戮している、織田家の娘は流石に手が出せなかったが側室の娘はほうは殺した
※133
つまり寡兵の真田に何度も大敗したのは「家康」だったということだな
139.名無しさん:2018年07月19日 22:05 ID:5wHCBxWY0▼このコメントに返信
※135
>秀吉がご機嫌取りをする人間かね?無断撤退とか勝手に宇喜多を取り込んだりとかわりと好き勝手してる
秀吉の信長にまつわる有名なエピソードなんて機嫌取りばっかりじゃないか。秀吉が信長のイエスマンだったとは言ってないよ。従わない時にもそれ以上の成果を信長に献上していたから信長に重用されたんじゃないの?

>世襲の権力者がいる社会で平等思想もないだろw
現在の日本やイギリスでも平等が成り立ってますが。一向宗の末端の名もなき人々の事を言ってる。

>つまり信玄同様、都合が悪くなったら同盟切る人間だったってこと
それが悪いのか?家臣や領民の事を考えれば当然じゃないか?秀吉だって藤原家と組んで関白になったのに、藤原家を裏切り関白を返さなかったじゃないか?

>つまり文化の発展など誇るものではないということです。戦乱の時代であった室町時代においても今に残る文化の多くが生まれている
江戸時代の文化の発展の先に我々がいるのに何言ってるの?明治時代から別民族になったんじゃないぞ。身近な例では、食事は一日三食も江戸時代発祥だよ。浮世絵・黄表紙・滑稽本
140.名無しさん:2018年07月19日 22:27 ID:5wHCBxWY0▼このコメントに返信
※139※136
途中送信のため続き
浮世絵・黄表紙・滑稽本といったのも江戸時代発祥だぞ。

>だから幕府は何もしてないの、むしろ規制していたがわ、一部の藩が勝手にやっていただけ
幕府としては庶民が馬鹿な方が統治しやすいから当たり前だろう。外国人のゴローニンやシュリーマン等が「全ての日本人は読み書きができた」と言うくらいなのだから、学のない人々にも最低限の知性はあったんだろう。

>工夫なんてしてませんよ
殉死の禁止等で浪人の出所を減らす等してる。

>買収したら合議でない?なら当時では合議なんて存在しないよ。
合議前に結論が出てるなら合議する意味ないよな。要は信孝・勝家が邪魔だから大義名分が欲しかったって事だろ?だから度々挑発した。

>だから家康なんて意味ねーって、今川は西進する余裕ないし、武田と織田は同盟関係
今川にはなくても同盟組んでる武田・北条にはあるだろ。信玄は信長の事を完全になめているし、同盟中にも関わらず信長の敵の朝倉と挟み撃ちの算段をつけてるんだぞ。家康抜きでも同盟は潰れる。

>上杉は何もしていない。完全な難癖。
じゃあ誰が見ても難癖にしか見えないのに、朝廷・豊臣家は出陣を許したの?これじゃ豊臣家は無能の集まりじゃないか?これは滅亡しても仕方ないな。
141.名無しさん:2018年07月19日 22:46 ID:5wHCBxWY0▼このコメントに返信
※137
>高家なんてたくさんいます。石高も少なく厚遇でもなんでもない
官職上は優遇されていると言った。家康が上手いのは官職・幕府の役職・石高を巧みに操り、大名に全てを与えなかった事。豊臣家はその大勢の中にも入れなかった無能。

>当時においては名前で呼ぶのは…
名前で呼ぶにしても、公とか様をつけるだろ。秀吉は主君信長を呼び捨て。

>三法師に謀反をおこした信孝は犯罪人であるし…
だから言ったろ?信孝殺しは自ら手を汚さず信雄にやらせた。
信雄は北畠から織田に復帰しているため主君筋。そもそも信長存命時は信雄・信孝は一門衆で別格の扱いだが。特に信孝は安土城留守居を任されるほどの重用ぶり。家康が人非人って何?

>信長の娘を娶っており、織田家を大事にしていたことがよくわかる
自分の拍付けくらいには大事にしたんだろうな。その娘も大勢いる側室の一人に過ぎないが。

>家康は豊臣家に忠義を尽くしたふりをして豊臣恩顧をだまして、彼らの多くが死んだ後(大半は暗殺)秀頼を殺した大罪人
秀吉は織田家に忠義を尽くしたふりをして織田恩顧を買収して、敵対する連中を殺した後秀信に天下を返さなかった大罪人
暗殺って根拠あるの?タイミングが良すぎるとかだろ?
142.名無しさん:2018年07月19日 23:14 ID:5wHCBxWY0▼このコメントに返信
※138
①遠州攻めは間違えた。すまん。これは徳川・今川両方とも被害が甚大だし、家康は城攻めが苦手っぽいので引きずり出そうとしたんだろ。この時代、殺す奴より守ってくれない領主の方が悪いっていう理不尽がある事をお忘れなく。

②何を根拠に何もしてないって言えるの?実際は上杉が年貢を持ち出したのが問題になったんだろ?五大老ともあろう景勝がそんな汚い事をするから、家康が兵を挙げる大義名分を与えたんだろうが。豊臣は難癖で家康出陣を認める無能なのか?

③関白がどんなに特別な官職か分かってないな。人臣でありながら天皇の代理人であり、親王の呼び名「殿下」を使えるつまり準皇族の特別な官職だぞ。そいつが氏長者じゃないという事は、天皇の代理人が実家の長には頭を下げるというおかしな事になるから、平安以降関白=藤原氏長者になってたんだよ。そして秀吉は一代限りの藤原氏長者・関白になった。しかし秀吉は猶子のくせに藤原家を裏切り、関白・藤原氏長者を返さず、豊臣氏長者の地位に取り込んだ。そして家康はその異常を解消した。

④信康に関しては信長の手前、半端な処理はできなかったという事だろ。女子を殺すのはやりすぎだが。
信康は明確に謀反の疑いがあったが、秀次は冤罪の可能性が高い。秀吉が秀次一族を皆殺しにしたとは言ってないぞ。しかし秀次一族の処理のまずさが後の家康台頭を招いたのは事実だからな。

>つまり寡兵の真田に何度も大敗したのは「家康」だったということだな
その通りだよ。長久手で家康に負けたのは「秀吉」だし、真田に負けたのは「家康」。何か思い違いしてると思うけど、自分は家康の全てを擁護する気はないので。ただ秀吉も家康も結局同じ様なものなのに、秀吉だけを絶賛し家康を下げるのが納得いかないだけ。
143.名無しさん:2018年07月19日 23:20 ID:RnCk7jfe0▼このコメントに返信
※77
それは後の人が当時の情報をまとめた話だから言えることであって
当時、まさにその瞬間、のちになってあらゆる情報がないまさにその瞬間
その瞬間にその判断ができるか?ってことを言ってる

今の現代人がすべての情報と分析が揃ってる中の判断でなくリアルタイムで今貴方が同じことができるか?
144.名無しさん:2018年07月19日 23:52 ID:5wHCBxWY0▼このコメントに返信
※143
どれの事を言ってる?自分は当時の人間の考えで答えたつもりだけど。何か変だったらすまん。

1.家康の前の二代が殺されたのは当然家康も知ってる。殺さなきゃ自分が殺されるならやるだろ。後の秀忠は生まれてるし。
2.家康が内応を働きかけたんだから、家康が知らないわけがない。そもそも秀秋は流れで西軍にいただけで、本来東軍希望だった。
3.信玄に領土を素通りされるのは、信長にも領民にも自分が役立たずですと言わんばかりだから受けて立つしかない。
4.戦国大名同士は結構情報交換してるから、現代人が思うより情報は正確で早い。最終的に屈服するのは目に見えてるから、秀吉に受けて立つ事で名を上げるのだよ。
5.運も実力のうちって言うよね。
6.家康は戦う前に様々な準備を施す事で、「勝てる戦」に持ち込んだんだよ。家康が朝廷・豊臣から認められて出陣したのは知られてるし、西軍は結局秀頼を担ぎ出せなかった(因みに秀頼は関ヶ原に来てないよ)。
145.名無しさん:2018年07月20日 00:58 ID:mMkpe7UF0▼このコメントに返信
清洲会議での決定を覆したのは 秀吉だぞ 間違ってるのか?
 信雄を上手く利用して兄弟喧嘩をさせたのも秀吉。 そのとき 信雄を織田家当主名代としたのも秀吉。
そこで主従関係が結ばれたわけである。
つまり、 信雄の家臣が秀吉って事だ。

次は後見人として信雄が三法師を育てる予定が 秀吉に安土城を退去させられている。
どんどん喧嘩を仕掛ける事で 目の上のたんこぶを取り除いている。
 最早、主従関係を解消して下克上開始してるわけである。

信長が生きてたら 秀吉は「織田家信長の臣 秀吉」でいいよな
反論あるなら どっから臣という文字が消えるんだよ

そのあたりは本人が一番わかってて関白の称号を手に入れたんじゃないのかな

何で「織田家を利用してのし上ったという事実」を否定するのかが意味がわからんが
べつにこの時代、下克上なんていっぱいあったし 秀吉が織田家利用したからって その事自体に
軽蔑などしないよ。
146.名無しさん:2018年07月20日 14:12 ID:pNTwhcAp0▼このコメントに返信
家康は、関ヶ原時点では淀殿・秀頼との仲は良好である。大河ドラマなんかで関ヶ原の頃から険悪そうなのは誤りだよ。こういったところでも下準備を欠かさない家康だった。
147.名無しさん:2018年07月20日 17:21 ID:pNTwhcAp0▼このコメントに返信
秀吉の忠誠の対象は、織田家ではなく信長個人だっただけ。だから信長の死後、秀吉が織田家を最大限に利用してのし上がった。
秀吉が真に織田家に忠誠を誓っているのなら、成人した秀信に天下を返すはずだからね(信長存命時に天下は八割強統一されてる、むしろ秀吉が引き起こした内乱で予定より遅くなっている)。

家康の忠誠の対象は、豊臣家ではなく秀吉個人だっただけ。だから秀吉の死後、家康が豊臣家を最大限に利用してのし上がった。そして、その他の大名も豊臣家への恩義より家康を選んだ。
148.名無しさん:2018年07月20日 18:46 ID:pNTwhcAp0▼このコメントに返信
信長死後の織田家(簡単にまとめ)

明智追討→清須会議(秀吉、筆頭家老となる。信孝、三法師の後見人となる。)この段階では、信孝with三法師>秀吉。

その後、信孝側の違約(三法師の安土城移転が実施されなかった等)によって、秀吉が清須会議の決定の破棄を一方的に宣言。(秀吉も領地配分等で違約しているためお互い様。それに三法師の保護なら、天守の燃えた安土城より岐阜城の方が安全。)

同じ頃、北畠信雄が織田に復姓→秀吉・池田恒興、信雄を主君として忠誠を誓う(この段階で、信雄>秀吉)。秀吉は信雄を擁して、三法師を擁する信孝・柴田勝家と対立。なお、信雄は織田家当主として徳川家康と同盟。

信雄が岐阜城を攻め落とし三法師を奪取(信孝を殺害)、秀吉、北ノ庄を落とし、勝家夫妻を自害に追い込む(信孝の母・娘を殺害)。これにより、三法師の後見人が信孝→信雄に変更され、信雄が三法師とともに安土城に入城。

しかし、秀吉が主君信雄を安土より追い出す(この時点で三法師の後見人が信雄→秀吉に変更)。→秀吉・信雄が三井寺で会見を行うも関係は決裂。→信雄、同盟者の家康を頼り、秀吉と対立→信雄、秀吉と内通した重臣を殺し、秀吉は信雄・家康を討つべく兵を挙げる。→小牧・長久手の戦で秀吉軍は家康に敗退。しかし、信雄・家康との和解に成功し、以降信雄は秀吉の軍門に下る(この段階で、秀吉with三法師>信雄)。

秀吉、朝廷より次々に官職を得て主家織田家を凌駕し、織田家の臣下の苗字である「羽柴」の使用を止める(平秀吉。またこの段階で事実上秀吉>織田家)。その後、関白を得て(藤原秀吉)、さらに豊臣姓を得た秀吉は「豊臣秀吉」を名乗り、関白の名において織田家を完全に臣従させた。
149.名無しさん:2018年07月20日 19:06 ID:pNTwhcAp0▼このコメントに返信
※141
>三法師に謀反をおこした信孝は犯罪人であるし…→この部分を変更
「神戸家や北畠家の人間よりも秀吉のほうが地位が上なので」とか言ってるけど、秀吉より三法師を擁する信孝の方が上だし、信雄は織田に復姓して秀吉は自分から臣従してるじゃないか。騙されるところだったよ。信孝は四国方面軍の司令を任されるほどの有能だ。信雄は実績はかなり微妙だが、一門での序列は信忠に次ぐ高さだぞ(信忠・信雄・信包・信孝の順)。家康が人非人って何?
150.名無しさん:2018年07月21日 00:51 ID:ONYIPxWU0▼このコメントに返信
147~149さん まとめありがとうございます。
 織田家の兄弟喧嘩を上手く利用したワケで それが歴史的事実であり
正しく書いてある通りで個人的忠誠でいいとおもいます。家康もその通りですし、
制夷大将軍になってから武家の棟梁となったワケでその時点で豊臣家は格下になります。
平和を乱すなら 命令ひとつで済むのです。

信忠・信雄・徳姫の3人は生駒吉乃(実質的正室)の子で
家康からすると信雄は息子嫁の兄であり 一時は親戚関係にあったわけで
 溺愛する徳姫を徳川家に継がせるってことは 信長からすると本当に弟のようにおもってたとおもいますよ。
151.名無しさん:2018年07月21日 08:54 ID:1FvlyfqD0▼このコメントに返信
※139
>秀吉
信長の切腹命令を無視して、部下を逃したり、逆らって撤回させたりと、信長のイエスマンではないのはエピソードをみても明らかなんだが

>一向宗
底辺が平等というのなら、武家の雑兵や小作人も平等だろ?

>浪人
なんで殉死の禁止で浪人が減るんだよ。些細な事で福島や加藤、最上など改易して大量に浪人だしてるってのに

>合議
清州会議では会議前にすでに合議による三法師の家督就任が決まっていたと言われている。

>武田
武田と織田の関係がこじれたのは家康が武田との同盟を廃棄して北条今川と結んで武田攻めをしてからだが

>上杉攻め
当時の六歳くらいの秀頼やおなごに何を判断しろと?
152.名無しさん:2018年07月21日 09:12 ID:1FvlyfqD0▼このコメントに返信
>同盟
つまり家康は簡単に同盟を廃棄する律儀でもなんでもない外道な人間だったってことですよ
>文化
出版物ってのは秀吉の時代から始められたものでしてね。木版技術を朝鮮征伐や南蛮貿易で得てから生み出されたものです。
>識字率
そりゃ外国人はえらい武家や上流の庶民しか会わないからですよ、地方の識字率は1~2%程度、新聞読めたのはそのくらいであったとの調査があります。
>高家
実権も兵力も持てない公家と同じ扱いで厚遇ねえ、旧主を大名として厚遇した秀吉との差がよくわかる。
>名前
実はつけてないのもわりと一般的なんですよねえこれが、秀吉の遺言とかみても誰にも敬称なんてついてません
いえやす、かげかつ、、、、、と書かれてます。
>賤ケ岳
秀吉が信雄に信孝殺害を命じられるほどに偉いのなら、織田家宿老>>>織田家一門であるのでやはり当然の事では?信孝は謀反人であるのも確かですしね
>婚姻
妻を出すというのはその家との関係持つことであり、当時の織田家にとっては必要な事ですよ、柴田の所に市が嫁にいったのも同じこと。
>家康と秀吉
秀吉は大名として厚遇し、家康は殺害した。大きく違いますな。そして大阪の陣前に秀康加藤前田浅野池田仙石堀最上堀尾中村生駒と大量に死んでるんだよなあ
153.名無しさん:2018年07月21日 09:21 ID:1FvlyfqD0▼このコメントに返信
※142
① 当時の付近の住民の数割が女子供を中心に殺害されているわけで、普通に考えて外道ですが?
② 年貢の持ち逃げなんてよくあった話、江戸時代でもよくあった、半分残すのがとうじの慣習でありましたけどね。それで改易された話は聞いたことないね、ちなみに家康のやった無断婚姻は普通に江戸時代でも武家諸法度違反の大罪
③ 別におかしな話ではないよ、天皇や将軍がくらいを譲っても前任者の地位は保障される、上皇や大御所、関白なら太閤としてね。だから氏長者と兼任することはないんですよ。こんなの常識でしょうに
④ 信康に明確の謀反の疑いがあったとはなんですかね?秀次以上の疑いが?信康も秀忠が生まれた直後に殺されているのを考えると今川家の血が入った子供は不都合なので処分されただけの可能性もあるのに?なお信康の側室や実母まで家康は殺してますね。
⑤ 普通はそうは考えないのですよ、配下に任せたのならその配下の勝敗です。 
154.名無しさん:2018年07月21日 09:39 ID:1FvlyfqD0▼このコメントに返信
※145
間違いだらけですね。
元々信雄と信孝は対立関係で、清州会議の時は双方が一色触発の事態になっています。
信雄は信孝のかわりに後見人になっただけで、秀吉より偉いわけではありません。
信長の後見人だった平手が織田家の代行でも、筆頭家老でもなかったようにね。
信雄は実子に三法師と同じ名前を付けるなどをしてあからさまな事をやっていたので退去は当然
※148
まず信孝よりも秀吉など宿老のほうが地位は上、後見人の地位はそんなに高くない。だから秀吉などにより信孝は後見人の地位を簡単に失った。
信孝は三法師を岐阜に拉致監禁する事態が発覚したことで、地位を追われたなお当時はすでに安土城は復旧されているんだなこれが、
なお秀吉の違約違反はない
信雄が三法師をのけ者にして織田家主君になったこともないですね、信孝が後見人を首になったので、かわりの後見人となっただけです。
信雄が信孝を攻めた時にはすでに三法師は岐阜から安土に移されており、後見人の地位も事前に信雄が得ています。
信雄が実子に同じ名前をつけて安土で養育するということをしたもんですから、疑われて追放されましたとさ
小牧長久手で信雄家康は秀吉に押されまくり、伊勢伊賀美濃を失い、尾張の大半も占領された所で降伏して助命されました。
なお信雄が単独講和したからというのは後世の創作で、家康も夏ごろには子供や異父弟を人質にするので降参すると交渉してますね。
155.名無しさん:2018年07月21日 13:22 ID:gbpWwBgp0▼このコメントに返信
※151
>信長のイエスマンではないのはエピソードをみても明らかなんだが
信長の子秀勝を養子にしてたり自己保身に余念がない秀吉だからな(秀勝に家督が譲られれば、秀吉の領地が織田家の物になる)。

>底辺が平等というのなら、武家の雑兵や小作人も平等だろ?
戦国ならそれに近いが、江戸時代以降の身分の固定された時代なら違う。

>なんで殉死の禁止で浪人が減るんだよ。些細な事で福島や加藤、最上など改易して大量に浪人だしてるってのに
殉死はミスった。四代・五代以降幕府は大名家を改易する事を極力控える様になったんだよ。末期養子とかでね。

>清州会議では会議前にすでに合議による三法師の家督就任が決まっていたと言われている。
柴田勝家以外を買収してね(まあ柴田も三法師自体には文句なかったみたいだが)。

>武田と織田の関係がこじれたのは家康が武田との同盟を廃棄して
信玄は義昭の命令であっさり信長を切った。家康と信玄の仲が決裂したのも、二人の領土の境界線だった大井川の国境を武田方の秋山虎繁が勝手に踏み越えて侵入してきたからで非は信玄にある。要するに信玄は信長・家康をなめていたという事。

>当時の六歳くらいの秀頼やおなごに何を判断しろと?
家康と同等(?)の大老・奉行さんたちは何をしていたんでしょうねぇ?失脚した前田・石田以外は何故家康の出陣を止めなかったんでしょうかねぇ?結局淀殿・秀頼を味方にしている後見人家康にあとの連中は何もできなかっただけだろ?三成以外無能だらけじゃねえか。
156.名無しさん:2018年07月21日 13:52 ID:gbpWwBgp0▼このコメントに返信
※152
>つまり家康は簡単に同盟を廃棄する律儀でもなんでもない外道な人間だったってことですよ
しょっちゅう同盟破棄してる信玄辺りと比べたら、家康は十分マシだと思うけど(清洲同盟は戦国時代での最長の同盟)。

>出版物ってのは秀吉の時代から始められたものでしてね。
嘘乙。出版物は奈良時代から行われている(「百万塔陀羅尼」を検索)。それ以降も各地で寺院などでは印刷が行われている。何を根拠にこれらの事実を無視するのかな?

>そりゃ外国人はえらい武家や上流の庶民しか会わないからですよ
しかし、日本に来た外国人がそろいにそろって庶民は賢いと言ってますがな。全員武家か上流の人にしか会わなかったの?

>実権も兵力も持てない公家と同じ扱いで厚遇ねえ、旧主を大名として厚遇した秀吉との差がよくわかる。
室町幕府の事をご存じない?あれは守護大名に力を与えすぎたせいで、幕府開始時より不安定な状態が続いたんだよ。権威と武力が結び付けば脅威になるのは目に見えてるからねぇ(実際薩長が力をつけたのは、江戸期のはるか昔から朝廷とのパイプがあって、前例を重んじる幕府がそのパイプを黙認してたせいなんだよ、挨拶ぐらいならOKってね)。

>実はつけてないのもわりと一般的なんですよねえこれが、秀吉の遺言とかみても誰にも敬称なんてついてません
目上から目下へだったら要らんだろうが、目下から目上へなら要るだろう。まして秀吉は信長の「忠臣」なのだから。

>秀吉が信雄に信孝殺害を命じられるほどに偉いのなら、織田家宿老>>>織田家一門であるのでやはり当然の事では?
少し思い違いをしてたよ。この時点では信雄が織田家当主で秀吉がその臣下だから信雄>秀吉だわ。当主信雄が自ら謀反人信孝を成敗したわけだな。
続く
157.名無しさん:2018年07月21日 14:04 ID:gbpWwBgp0▼このコメントに返信
※156
>妻を出すというのはその家との関係持つことであり、当時の織田家にとっては必要な事ですよ
つまり秀信がそう判断したと?柴田勝家はお市を正室にしたのに、秀吉は一側室にしただけって織田家をなめてるんじゃないの?北政所(おね)は身分も低いし、彼女を側室に格下げしてでも織田家の娘を迎えるのが織田家への忠義じゃないのかな?

>秀吉は大名として厚遇し、家康は殺害した。大きく違います…
家康は何度も服属の機会を与えていたのに秀頼が断ったんだろうが(淀殿は服属に前向きだった)。秀康は個人的に秀頼と仲が良かったが、それ以上に家康・秀忠と仲が良かったので秀頼につく可能性はない。あとの連中は死のタイミングが良すぎるから暗殺説とかだろ?
豊臣家滅亡を家康に愚痴った 伊達政宗は生きてるじゃないか?




158.名無しさん:2018年07月21日 14:24 ID:gbpWwBgp0▼このコメントに返信
※153
①戦国の世では、攻めてきた敵>守ってくれない領主だからね。守り切れなかった今川に過失があるんだよ。

②しかし、それが会津征伐の大義名分になった以上当時はそれが悪行という認識があったんだろう。それともちょうてい朝廷・豊臣家は家康を難癖で出陣させるほどの無能ぞろいなのか?

③上皇や大御所、関白なら太閤。どれも法的根拠はないが力を持っている。隠居する事で法を逸脱した存在になったからだ。だから太閤秀吉に氏長者は必要ないんだよ。そんなものがなくても豊臣家当主秀次や諸大名を従える事ができるからな。

④武田との内通だろ(信康)?実母も共犯だからだろ?今川家の血が入った子供は不都合なので処分されただけの可能性もあるな。しかし家康は大義名分を重んじる男なのできっかけがないと殺さなかっただろう。秀吉の秀次一族殺戮に関しても、秀頼が生まれて秀次一族が邪魔になったから処分しただけって事だよな?

⑤秀吉が秀次を総大将にした=自分の名義を秀次に貸したになるんだよ。それにこれは悪手じゃない。もし秀次が家康を討つ事ができれば秀吉の手柄になるのだから。
159.名無しさん:2018年07月21日 14:48 ID:gbpWwBgp0▼このコメントに返信
※154
※145は簡単にまとめただけだからね。

信孝単独では秀吉に劣るかもしれないが、三法師を擁する事で秀吉より上になった。三法師の意向を聞き実行できる信孝が軽輩なわけないだろうが。三法師の岐阜城入りは信孝なりの配慮だと思うがね。二の丸しかない安土城と難攻不落の岐阜城なら岐阜城の方が安全だろ(そもそも安土城は隠居した信長の居城で、岐阜城は当主信忠の居城だったのだから理にかなっているとも言える)。

そもそも秀吉に清須会議の決定を覆す権利があるのかね?それに清須会議の決定を破棄して、信雄を織田家当主にしたのは秀吉だよね?言っとくが秀吉が信雄に忠誠を誓ったのは疑いようのない事実だからね(この時点で秀吉の中では三法師が用済みになったわけだ)。

信雄は少々問題のある男だが、秀吉公認の織田家当主。三法師を当主にという清須会議の決定は破棄されているから、信雄が当主ぶっていても全然問題ないわけだ。しかし信雄は律義に三法師の面倒を見ていたのに、秀吉が信雄を安土より追い出した。そして長久手で家康に大敗した秀吉は各個撃破を狙って信雄領を襲撃し、遂に主君信雄を屈服させたわけだ。
そして家康を従えるために母妹を送って、ようやく秀吉は家康を臣従させた。
160.名無しさん:2018年07月21日 14:50 ID:gbpWwBgp0▼このコメントに返信
※159
※145は簡単にまとめただけだからね→※148は簡単にまとめただけだからねに訂正。
161.名無しさん:2018年07月21日 16:02 ID:gbpWwBgp0▼このコメントに返信
何か現代の倫理観で考えてる人がいるが、戦国の世は弱肉強食。弱いやつ(殺されるやつ)が悪い世界で、領民を殺戮する侵略者より領民を守れない領主の方が悪い、まさに世紀末な世界なわけだ。信長が一向一揆を殺戮したのも、世間に本願寺の無能ぶりを見せつけるため。

だから秀吉に乗っ取られた織田家が悪いし、家康に滅ぼされた豊臣家が悪い。弱いやつが悪いのだから。
162.名無しさん:2018年07月21日 17:27 ID:gbpWwBgp0▼このコメントに返信
五大老の関ヶ原前後(小早川隆景以外ね)
徳川家康...秀吉死後、最大勢力である自らの力で豊臣家を補佐。前田失脚後、豊臣の名による召還命令を無視した上杉を討伐すべく、朝廷・豊臣家の名の下に兵を挙げる。残りの三大老が三成方につくが、豊臣恩顧の諸大名と前田を味方につけ、関ヶ原では西軍諸将を次々に寝返らせて家康勝利。淀殿・秀頼からの戦勝祝いを受け、慶長8年(1603年)、征夷大将軍に就任し武家の棟梁となった。

前田利家・利長...秀吉死後、秀頼の傳役として後見人家康と二頭体制となる。家康の無断婚姻が発覚するも和解。利家の死後、利長が大老を継ぐが、加賀帰国後、謀反が発覚し征伐の対象となる。家中の新家康派・反家康派を抑えられず、結局生母芳春院を差し出し、以降家康派となる。関ヶ原後、謀反を働いて没収された弟利政の所領と加増分を合わせて、122万石の大大名となった。

上杉景勝...利家死後、会津へ帰国。国元での軍事力強化・直江兼続の年貢持ち逃げについて、豊臣家後見人の家康が釈明の召還命令を出すと、景勝はいわゆる直江状で家康(つまり豊臣家)を挑発。関ヶ原のきっかけとなる。東北で慶長出羽合戦という大合戦が行われるが、家康の勝利により景勝は家康に降伏。改易は免れたものの会津120万石から米沢30万石の大減封を受けた。
続く
163.名無しさん:2018年07月21日 17:33 ID:gbpWwBgp0▼このコメントに返信
毛利輝元...利家死後、広島へ帰国。石田三成の勧めで西軍の総大将となる。自らは動かず、毛利秀元・吉川広家・小早川秀秋を関ヶ原に派遣。同時に九州・四国を襲撃。岐阜城陥落によって西軍の敗北を確信した広家を通じて、家康と和平交渉(家康本人ではない)し、大坂城より退却。しかし、輝元の西軍への積極的加担が発覚し改易しかけるも、広家の懇願で112万石から周防・長門29万石の大減封を受けた。余りの無能ぶりに長州藩は輝元を歴代藩主のリストから抹消。輝元は無能の代名詞に。

宇喜多秀家...利家死後、岡山へ帰国。三成襲撃事件の際に三成をに救出。その後三成の誘いに乗り西軍につく。西軍の副大将(最大の1万7000人を動員)し、伏見城攻略等を行い関ヶ原に出陣。奮戦するも家康への寝返り多数で西軍が敗退。死罪の予定だったが、前田・島津の助命嘆願で備前・美作・備中・播磨57万石を改易にして八丈島へ流刑。後に罪が許され大名への復帰を勧められるが辞退し、八丈島で一生を終えた。

個人的には家康・秀家が好きだな。秀家は最後まで豊臣家に尽くした義の男だし。それに比べて上杉・毛利が無能すぎる。上杉は豊臣家を侮辱した無能だし、毛利家は家中を一つにまとめられなかった無能。しかもこの二人は家康に命乞いをして生き永らえた情けない連中。この人選をした秀吉はつくづく見る目がなかったな。まあ前田は順当に勝ち組についた感じ。
164.名無しさん:2018年07月22日 04:14 ID:GtwUa.kX0▼このコメントに返信
織田家の家督
信長→信忠→三法師(信孝が後見人。秀吉の清洲会議の決定の破棄により失脚)→信雄(秀吉が決定。秀吉に屈服し失脚)→三法師(秀信。秀吉の信雄追放により再び当主に)→秀信、西軍についた事により改易、織田宗家滅亡。

豊臣家の家督
秀吉→秀次(秀吉は関白・氏長者を退き太閤に)→秀吉(秀次殺害後、氏長者に復帰)→秀頼→秀頼、家康の降伏勧告を何度も拒絶し、二度の大坂の陣により豊臣宗家滅亡。

徳川家の家督
家康→秀忠(次男秀康は結城家に養子に行き候補外)→家光…以下略
165.名無しさん:2018年07月22日 16:31 ID:GtwUa.kX0▼このコメントに返信
豊臣秀次について(簡単にまとめ)

豊臣秀吉の姉、日秀尼の長男。浅井の家臣へと人質に送られて以降、様々な家の養子になる(宮部吉継→三好信吉→羽柴信吉・秀次→豊臣秀次)。

信吉(秀次)は秀吉の身内の年長の武者として重宝されるも、小牧・長久手の戦で家康に大敗し秀吉に恥をかかせ斬られかける。しかし、それ以降は紀伊雑賀攻め・四国征伐・小田原攻め・奥州仕置き等で武功を挙げる(秀吉家臣としての序列も家康・信雄・秀長に次ぐ高さで、小田原攻めでは副将として活躍)。結果、100万石の大大名に。

天正19年(1591)秀長・鶴松が亡くなり身内最年長となった秀次は関白・内覧・豊臣氏長者(豊臣秀次)となり、太閤秀吉と二元体制が成立(天正→文禄改元も秀次の関白世襲に伴うものと考えられる)。その直後に淀殿の懐妊が発覚し拾(秀頼)誕生(恐らく秀吉は秀次への関白移譲を後悔)。秀次自身は淀殿とは良好な関係で秀次の娘を拾の正室とする事になるが、秀吉の圧迫により病気気味となる。

その後、突如秀吉が秀次を伏見に召喚するが、登城も拝謁も許さず秀次を高野山へ追放し出家させる。その後高野山内で切腹。秀吉はこれに満足せず一族の殺戮を開始。若君・側室・侍女等39名を斬首(秀吉の盟友菊亭晴季の娘すら処刑。また関係したとされる大名を処罰するが、全員徳川家康に救われ家康の求心力上昇に繋がった)。また秀吉は聚楽第・近江八幡山城を基礎に至るまで完全に破壊し、諸大名に拾への忠誠を誓わせた。

秀次事件の結果
秀次事件で豊臣家最大の親族が失われ、豊臣家全体が弱体化(秀頼を支える豊臣一門が消滅。秀家・秀秋は他家の養子)。秀次事件・唐入りにより豊臣政権内での親家康派が増加、秀吉死後の家康の天下取りに大いに役立つ事となった。


166.名無しさん:2018年07月22日 17:10 ID:GtwUa.kX0▼このコメントに返信
※165
豊臣秀次の評価

・秀次の戦場での失敗は長久手の一回だけであり、それ以降は様々な戦場で武功を上げ奥州仕置きでは総大将となる程の活躍。
・秀次は公家との交流も盛んで(『源氏物語』を愛読)、茶道・連歌等もたしなむ(千利休の弟子だった)当時の一流教養人。
・ルイス・フロイス等の宣教師からも高評価(秀吉と違って、禁欲家)。
・秀吉と同じで男色嫌い。個人の武術も極めて優秀。

「殺生関白」について
・実は当時の「殺生関白」のソースは太田牛一の『太閤さま軍記のうち』しかない。太田は秀吉の家臣であり秀次の印象操作をした可能性が極めて高い。しかも肝心の内容が「上皇崩御の際に鳥獣を狩っていた事」であり、喪に服していなかったから非難されただけで人を殺したという意味ではない。
・フロイス曰く、名君秀次には人を残虐に殺す悪癖があった(妊婦の腹を裂く・鉄砲の的にする等)と言われるが、殺したのはいずれも罪人(妊婦=罪人は十分にあり得る)で、刑罰も当時としてはそれ程珍しいものではない。あくまで西洋人視点から見たら残虐に感じただけと思われる。
・他にも秀次には様々な罪状があるが、ほとんど秀次死後の後付けばかりである(比叡山での宴会に至ってはアリバイがあり完全に白)。
・なお、石田三成の讒言説は現在までに否定されている。

疑問点
・何故、「謀反人」秀次を切腹させた?(当時謀反人は斬首・獄門、しかも秀次は出家しており尚更切腹はあり得ない)
・なぜ秀次一族を殺戮(生き残りはいるが)し、豊臣家の所有物である聚楽第・近江八幡山城を基礎に至るまで完全に破壊した?
167.名無しさん:2018年07月22日 18:48 ID:GtwUa.kX0▼このコメントに返信
信長と仏教勢力(簡単にまとめ)

・並の戦国大名以上の戦力を持つ。女子供まで洗脳し戦力に投入。宗教家としてのモラル(笑)等皆無(気にいらないやつは殺す)。
・座・関所等の特権で肥え太り、庶民からは憎悪の対象。朝廷・幕府に対しても強訴で恐喝。
・流石の戦国大名(毛利元就・武田信玄・上杉謙信等)もビビッて仏教勢力とは妥協。
・信長は仏教を信じていなかったわけではないが、非論理的・説明不可なものは否定していた様である。
・天下人を目指す信長は、徳川家康と共に強大な既得権を持つ仏教勢力(特に本願寺)の徹底的な無力化を開始。しかし本願寺は武田・朝倉・浅井と包囲網を形成し、信長・家康領内で一揆を誘発して二人を追い込む。本願寺勢により信長の身内も殺害。
・信長は信玄死後、包囲網に綻びが見えたところで反撃開始。信長は朝倉・浅井とつるんだ延暦寺に中立勧告を出すが拒絶。そのため事前の通告通りに延暦寺を焼き討ち。織田領内の長島一向一揆も根切りに(女子供も戦力だから仕方ない)。石山本願寺を10年近く包囲し、朝廷の斡旋で石山開城(信長は天台宗・一向宗の布教禁止は言っておらず、顕如・教如を殺していない)。信長領では楽市・楽座で自由な交易が可能になり、商業が栄えた(ただし、本能寺の変は関所がないために起こったので、家康は交通規制としての関所を復活)。
・信長は安土で浄土宗と法華宗の宗論を行う。結果、浄土宗が法華宗を論破して法華宗が屈服(それ以前に法華宗はキリスト教と宗論を行っており、法華宗側が刃物を持ち出したため、信長から顰蹙【ひんしゅく】を買っており、浄土宗との宗論は名誉挽回のチャンスだった)。

信長の仏教勢力の無力化により、その路線を継いだ秀吉・家康は仏教統制を行いやすくなった事から、やはり信長はパイオニアであったと言えるだろう。
168.名無しさん:2018年07月22日 19:59 ID:GtwUa.kX0▼このコメントに返信
信長と秀吉・家康の関係

・秀吉は信長によって小物から織田家第二位の重臣にまで上り詰めた(一位は明智光秀)。そのため信長と秀吉の差は歴然。秀吉は信長の直臣であるため、気にいらなければすぐにでも首を切られる(色んな意味で)可能性はあった。

・家康は元々信長とは対等な立場で清洲同盟を結んだ。しかし、信長が右大臣・右大将になった(右大将は征夷大将軍より格上。源頼朝と同等であり事実上の天下人を意味する)辺りで主従関係に近い関係となった。この頃から家康は信長を「上様」と呼んでいるが、あくまで臣従する盟友という立場であり、織田政権下では、信長>家康>秀吉の力関係であった。

お名前