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2018年06月19日 09:10

武士「やあやあ我こそは~」モンゴル人「プッw何あいつw」

武士「やあやあ我こそは~」モンゴル人「プッw何あいつw」

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引用元:武士「やあやあ我こそは~」モンゴル人「プッw何あいつw」
http://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1529329339/

1: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:42:19.99 ID:d/C0SX+Z0
恥ずかしくないんか

5: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:43:22.67 ID:StB8aKSX0
てつはうズドーン

9: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:44:11.03 ID:sagPNvet0
日本側も夜襲とか仕掛けてた定期

10: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:44:38.39 ID:9H0WQIsE0
ゴーストオブツシマ楽しみ

11: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:45:08.36 ID:tNGLPFSX0
なお、名乗りは最初だけで後は腐った牛とか馬を投げ込む嫌がらせを仕掛けていた模様

12: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:45:43.58 ID:jA93quFt0
武士「元軍に略奪される前に略奪しといたろ!」

13: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:46:10.24 ID:8t51Ulla0
神風のおかげとか言われてるけど日本の武士も強かったんやろ

45: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:53:05.85 ID:P6dpo/G80
>>13
万事が神風のおかげみたいに伝わっとるのがあかんな
実際は神風来る前も防御塁のおかげで圧倒的優位やったし

17: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:47:19.40 ID:GTn6sXxJ0
マジレスすると味方に対しての名乗りだぞ

21: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:48:44.37 ID:RG3NdA2z0
>>17
誰が手柄を上げたかってアピールするためやから
そういうことになるわな

20: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:48:27.77 ID:uvwskFa7d
なお二回目

24: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:48:48.34 ID:GaYmIBkD0
せや!夜な夜な死体を船に投げ込んだろ!

25: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:48:58.18 ID:jZyBQ64y0
なお夜襲で報復される模様

28: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:49:22.54 ID:C++q9vRV0
この頃の日本人強かっただろ

30: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:49:31.38 ID:0UEIjUII0
九州武士とかいう修羅

39: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:51:43.36 ID:WgKno89g0
源平の戦いから100年経ってるのに何ですぐ戦闘モード入れるんや

53: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:54:32.21 ID:P6dpo/G80
>>39
間に承久の乱挟んどるやろ

66: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:56:08.79 ID:+tsvvrt10
>>39
鎌倉の奴らは内ゲバばっかりで普通に殺し合いしとったぞ

71: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:57:15.75 ID:1bdsnpJK0
>>66
ガチでやったもん勝ちの世界やからな
しょっちゅう鎌倉の街炎上しとるし

40: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:51:45.10 ID:CoAHy9ULd
何十キロも海渡ってきた直後の人間が強いわけないよな

46: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:53:22.52 ID:desfnlIh0
鎌倉武士「このまま攻め込まれたら町に被害がでてまう……」
鎌倉武士「そのまえに略奪の限りを尽くしたろ」

51: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:54:27.62 ID:jZyBQ64y0
>>46
焦土作戦やぞ

60: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:55:20.18 ID:vq4DbnVGM
何で2回目行こう日本に攻めて来なくなったんや?

77: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:58:19.10 ID:P6dpo/G80
>>60
3回目の計画はあったが内政不安で反対された

61: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:55:32.27 ID:D1A94afS0
実際には襲来前に上陸予定地から食料全部徴収したり夜中船に死体やら馬糞やらを大量に投げ込んだりして追い返した模様

62: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:55:39.74 ID:desfnlIh0
当時の日本ってガチで世界最強やからな
モンゴル軍を退けた勢力は他にもあったがモンゴルの本隊を一方的に叩き潰したのは日本だけ
何百年も戦い続けてる戦闘集団だから当然だが

73: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:57:43.45 ID:jA93quFt0
>>62
退けたのはそうやけど
実質高麗と南宋のグダグダ連合軍みたいなもんで
モンゴルのガチ精鋭騎兵部隊が来たわけじゃないし

75: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:58:00.66 ID:p9fwJg6P0
>>62
いうて大陸の平野部なら鎌倉武士も負けたやろ

99: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:01:24.21 ID:J/whN+nhd
>>75
だけど大陸みたいな戦い方は狭い日本では向こうもでけへんやろ

68: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:56:35.11 ID:vFjviMzl0
そもそもモンゴルの主力兵器である馬は運べんし運んでも悪路だから対して役立たんし航海は大変やし
そら神風なんて無くてもなんとかなるわな

74: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:57:59.46 ID:ygid8DTD0
元「捕虜盾にしたろ!」
日「捕虜いる船のほうがよく燃えるやん!火つけたろ!」

76: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:58:16.68 ID:desfnlIh0
教科書「てつはうという新兵器に鎌倉兵は苦戦した」
大松「馬がちょっとびっくりするくらいだぞ」

85: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:59:25.60 ID:08TJ583I0
>>76
教師松「今の教科書ではそんな事書いてないぞ」

80: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 22:58:40.02 ID:SJuakZZD0
人道という概念がないからあらゆる行動が残酷で卑劣
一番大河に向かない時代なのは間違いない

106: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:02:39.17 ID:ycACLCa5a
鎌倉武士とかいう薩摩がかわいく思えるキリングマシーン

131: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:05:49.24 ID:08TJ583I0
>>106
いや、活躍したのは鎌倉武士じゃなくて主に九州在住の武士やし

117: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:04:04.71 ID:3Fq/EG/A0
ベトナム「モンゴル倒したぞ」
ベトナム「フランスもおっぱらったぞ」
ベトナム「アメリカ撃退しといたぞ」
ベトナム「次いでにカンボジアを解放したぞ」
ベトナム「カンボジア解放した次いでに中国軍も撃退しといたぞ」

118: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:04:06.15 ID:jA93quFt0
モンゴルは当時から敗走を装って敵の騎兵をおびき出して弓騎兵で包囲して射かけて
敵の主力歩兵を分断してどうのこうのやってたし
平野でなんてとても戦闘にならない

119: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:04:13.09 ID:WyvZUJzXa
1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた
2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた
3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた
4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた
5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が)
6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた
7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま徒歩で戦ってた
8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
9(投) 元軍が壊滅した後、取り残された元軍の内、宋人は助命したが高麗人、モンゴル人は負傷者も女性も含めて皆殺しにしてた

いつもの

138: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:06:22.53 ID:ef6f3jbwd
>>119
この黄金バッテリー強すぎ

169: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:09:14.40 ID:/65Xxqvu0
>>119
準備を怠らない武士の鑑

148: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:07:27.83 ID:qjtOT/lM0
当時の日本の馬ってくっそ小さいんやろ?
今で言うポニーみたいな
そんなんで向かってきても笑われるだけやろ

161: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:08:19.96 ID:jA93quFt0
>>148
モンゴルもちっさいぞ

167: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:08:55.76 ID:qjtOT/lM0
>>161
お互い様やね

152: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:07:44.05 ID:desfnlIh0
モンゴルは遊牧系騎馬民やから船作る技術なんか皆無に等しかったんや
で、征服した高麗に船作ってもらったけど、高麗人が適当に作って、なおかつあんまり上手く操縦出来んかったから元寇失敗した説好き
神風というか台風もあったとかなかったとからしいが

162: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:08:28.55 ID:yQCXLetza
アンゴルモア7月から始まるから見るんやで
なお

176: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:09:49.13 ID:ef6f3jbwd
>>162
アニメ?

206: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:11:52.76 ID:yQCXLetza
>>176
アニメ
対馬に攻めてきた元軍と戦うお話

175: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:09:32.40 ID:desfnlIh0
秀吉の朝鮮出兵もそうやけど船使って他の大陸に攻めに行くのっていうほど効果あるんか?
兵站の関係ですぐジリ貧なりそうやし長期的に支配できる気がせんのやが
朝鮮出兵も大して打撃なさそう

189: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:10:57.35 ID:E1b31cKi0
>>175
領土拡張は単純な帝国主義じゃなくて国内が平和になったらやることない軍人向けの公共事業的なとこあるからしゃあない
朝鮮出兵も正にそれ

190: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:10:58.59 ID:MCTIvpxIM
>>175
国内でやることなくなってメジャー挑戦するようなもんやろ、マジで

188: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:10:47.94 ID:PLRVs+mq0
元が人質作戦取っても構わず攻撃して逆に鎌倉武士が人質作戦取ったんやっけ?

208: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:12:14.33 ID:ef6f3jbwd
>>188
柔軟性あるな
手段選ばん時代は色々あるんやな

198: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:11:14.48 ID:yQCXLetza
文永の役で蹂躙されたのは対馬と壱岐と松浦の一部やな
博多は互角っぽいが民間人被害はよー分からん

210: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:12:51.45 ID:C++q9vRV0
あの時代に海渡って攻めるとか無理ゲーやろ

212: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:12:54.34 ID:MCTIvpxIM
船に馬の腐乱死体を投げ込む絵が想像出来ない

371: 風吹けば名無し 2018/06/18(月) 23:28:07.48 ID:8rUwMKXD0
そら騎馬戦が得意なやつが島国に来て戦うなんてムリよ

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2018年06月19日 09:17 ID:.jA2o6Gi0▼このコメントに返信
アンゴルモア面白いよね。
2.名無しさん:2018年06月19日 09:26 ID:zQaxZfOB0▼このコメントに返信
有名な、モンゴルの敗残兵を日本の武士が執拗に追いかけて狩ってるシーン(の一部)な
偏向報道の最たる切り抜きの例
3.名無しさん:2018年06月19日 09:29 ID:9ue8j00j0▼このコメントに返信
元も世界初の細菌攻撃やってるし戦術は最終的に結構どこもにるんだよね
4.名無しさん:2018年06月19日 09:32 ID:4gif.BsT0▼このコメントに返信
シンザトのような犯罪を恥とも罪とも思わない
そして奴隷船で連れてこられたわけでもないのに
かってに日本にやってきて反日活動に勤しむ黒人

日本在住の黒人活動家バイエ・マクニールが、ヘイトスピーチ対策法に罰則を設けるよう主張している。
穏健な書き方をしているが、以前、英語で発表した記事は、日本の差別主義者に対して宣戦布告するような内容だった。
5.名無しさん:2018年06月19日 09:34 ID:x83NeuYA0▼このコメントに返信
鎌倉時代の武士なんて蛮族みたいなレベルじゃねーの
6.名無しさん:2018年06月19日 09:35 ID:lccq3wgc0▼このコメントに返信
文永の役の序盤戦で名乗りを止めた後は待ち伏せしたり手段を選ばず戦ったんやろ?
侵略を受けている側だからなりふり構っていられないしな
7.名無しさん:2018年06月19日 09:35 ID:puRBivZQ0▼このコメントに返信
この時代はまだ村上水軍とかなかったのかね
8.名無しさん:2018年06月19日 09:36 ID:etAqFTQO0▼このコメントに返信
未来の人間が過去に行われた事を馬鹿にして何が得られるんだ?
当時命懸けで戦った人を笑う資格なんかないだろ、恥ずかしくないんかって、1が日本人として一番醜いわ。
9.名無しさん:2018年06月19日 09:36 ID:WOXGqkHq0▼このコメントに返信
鎌倉武士「相手の戦略見極め研究したろ!うわ野蛮やんけ!ぶちのめしたろ!」幕府「やべ大勝してんじゃん報奨足りんわ神風っと」昭和軍人「神風がー」現代大学教授「軍事研究反対ホルッ」
10.名無しさん:2018年06月19日 09:36 ID:DZr9emcG0▼このコメントに返信
牛馬の死体を投げ込むとか攻城兵器みたいのがないと無理やろ
11.名無しさん:2018年06月19日 09:38 ID:hbAozu9q0▼このコメントに返信
やぁやぁ~我こそは~(訳:こんにちは、しね)
12.名無しさん:2018年06月19日 09:38 ID:t0B6zt5j0▼このコメントに返信
戦闘民族対戦闘民族なら地の利がある方が勝つわな
13.名無しさん:2018年06月19日 09:38 ID:wPt8mcAL0▼このコメントに返信
※10
切ってほうりこんでたんじゃないか?
ぶっちゃけ、腐ってたら船の上で疫病でるし。
14.名無しさん:2018年06月19日 09:39 ID:M3m9prG70▼このコメントに返信
※10
バラバラに解体して投げ込んでたんじゃない?
そのほうが戦意低下しそうだし
15.名無しさん:2018年06月19日 09:39 ID:f5Z3UKf40▼このコメントに返信
※3
神代にスサノオはアマテラス(の侍女)の御殿に
逆皮に向いたウマの死体(呪術的意味がある)を
面白半分に上から投げ入れてたりする
アマテラス(または侍女)はビックリして機を織っていたヒを股間に
ブッ刺してしまったりした
これにアマテラスは切れてスサノオを追放した
スサノオにとっては「姉ちゃんビックリしただろw」と
いたずらのつもりだったのかは知らんが結果的に
高天原から追い出されることになった
16.名無しさん:2018年06月19日 09:43 ID:qOAfn2hB0▼このコメントに返信
鎌倉武士「まだうちの子が名乗り出てる途中でしょうが!」
17.名無しさん:2018年06月19日 09:43 ID:o.5Ry3A.0▼このコメントに返信
「赤ん坊を股裂き、子供を奴隷として拉致、女性は手に穴開け数珠つなぎ…博多を血と炎で染めた」

ttps://www.sankei.com/west/news/140614/wst1406140068-n1.html
あんたらこれを読んでも同じこと言えんの?
18.名無しさん:2018年06月19日 09:43 ID:.347y4BU0▼このコメントに返信
そもそも、モンゴル軍は上陸戦だからね~。

お得意の騎馬をどの程度使えたんだろうね。
…一方当時の武士は供回りの家来を除けば重装騎馬弓兵なんて世界的にも珍しい中二的兵科が基本だったわけで。
19.下流老人:2018年06月19日 09:43 ID:9QO7.60e0▼このコメントに返信
モンゴルの使者を斬っちゃうんだから、そりゃね、まあ、戦いというものをしってるからネ。
初めは低姿勢で、相手の実力を値踏みするのは普通だからネ。
もしかして、いろいろ情報はつかんでたかもネ。
20.名無しさん:2018年06月19日 09:43 ID:N3rEmFyV0▼このコメントに返信
※5
いや鎌倉武士はまだ荘園領主っぽかったよ
混沌としてくるのは戦国時代少し前くらいから
21.名無しさん:2018年06月19日 09:44 ID:OKNGDrcF0▼このコメントに返信
神風のおかげにしておかないと支払う報奨金がなかったからだろ?
だから、武士のおかげではなく天皇家の神話を利用して神風のおかげとしておいただけ
防衛戦争は得るものがないからな

北条家は昔から百済救援だので朝鮮半島出兵させてるし敗北して以来は何もしてなかったけど
百済の難民受け入れたりして来ることはわかってたから防衛戦争の準備を進めてた。
22.名無しさん:2018年06月19日 09:45 ID:JqWAC7iO0▼このコメントに返信
モンゴルが使ってた複合弓はニカワを使ってて湿気に弱い
だから湿度の高い日本や南のベトナムなんかには苦戦してたんやで
23.名無しさん:2018年06月19日 09:45 ID:19IWe6Zn0▼このコメントに返信
対馬と壱岐を捨て駒にして元の戦法観察したり元に味方の捕虜を盾にされて矢の雨を遠慮なく浴びせたりとか対抗して元の捕虜を盾にしたしとか博多を元に略奪される前に鎌倉武士が先に略奪したりとか元の船に牛馬の腐乱死体を投げ込んだり闇に乗じて元の船に夜襲仕掛けて燃やしたりとか元の記録にてつはう届かない場所から矢が飛んでくるし人質とったら人質ごと殺しにかかってくるし鎌倉武士が鬼畜過ぎてもうやつらに勝つの無理って書いてある。
24.名無しさん:2018年06月19日 09:46 ID:rkveF6s30▼このコメントに返信
神風って言い訳で助けられたのは元軍でしたって素直に認めろよ
あんな大軍出して上陸できない時点で遠征が大失敗だったのは火を見るより明らかだ
25.名無しさん:2018年06月19日 09:48 ID:Qc6P.PrP0▼このコメントに返信
元というより、鮮・・・じゃなくて先人は高麗の下っ端どもだろ
26.名無しさん:2018年06月19日 09:49 ID:FXK6RYxN0▼このコメントに返信
こういうの最初の戦闘だけで、あとは名乗りとか無しでやってただろ
日本の武士を貶めたい勢のアレだな
27.名無しさん:2018年06月19日 09:49 ID:eMFohHoi0▼このコメントに返信
水軍なんて海賊レベルの小規模なもんだからな。
飛び道具も火矢ぐらいしか無かったろうし、モンゴルの大群相手に戦う術がない。
28.名無しさん:2018年06月19日 09:50 ID:eMFohHoi0▼このコメントに返信
※25
主力は南宋遺兵と思われ
29.名無しさん:2018年06月19日 09:50 ID:.eCmaawP0▼このコメントに返信
松浦党という600年続く海の蛮族
30.名無しさん:2018年06月19日 09:52 ID:m4pZxAfP0▼このコメントに返信
モンゴル軍は、神風とは関係無しに負けたと思う。最大の敗因は陸に攻撃拠点を築城できなかった事、彼らは夜になれば船に帰っていた。海にいては戦線の拡大は不可能。
しかも彼らの死因の大部分は台風ではなく脚気だった。
さらに多くの兵は、海賊による船への放火に怯え寝不足になり満足に戦える状態では無かった。
31.名無しさん:2018年06月19日 09:53 ID:3v41gRhq0▼このコメントに返信
名乗りは敵だけでなく味方にもするものなので、敵に通じなくても別に問題ない。
武士は一騎討ちなんてしてない(一騎討ちすると後世まで物語になるくらい珍しい)。
鎌倉武士はヴァイキングもドン引きのインテリ蛮族。手柄のためには手段を選ばない。
モンゴルも鎌倉武士も兵科は同じ騎馬弓兵。日本の鎧は矢にめっぽう強い。
32.名無しさん:2018年06月19日 09:53 ID:eMFohHoi0▼このコメントに返信
※23
俺が聞いた話じゃ「城を占領して日本国王の妻子を捕らえたが補給が続かずに已む無く撤退した」という事になってるらしいが?
ソースは東方見聞録(マルコポーロ)。
33.名無しさん:2018年06月19日 09:53 ID:7jjL5qzf0▼このコメントに返信
疑念を抱く!
34.名無しさん:2018年06月19日 09:54 ID:Cf145KKQ0▼このコメントに返信
知識が古いままの人が炙り出される話題
35.名無しさん:2018年06月19日 09:54 ID:ExWXEYkG0▼このコメントに返信
何を言ってみたところで、2度も攻めてきて2度とも敗退したのはモンゴル
どっちが恥ずかしいんですかね?
36.名無しさん:2018年06月19日 09:54 ID:191mmiBh0▼このコメントに返信
日本軍の夜襲を恐れて船に引き篭もったら、台風に襲撃されたそうな
37.名無しさん:2018年06月19日 09:56 ID:19IWe6Zn0▼このコメントに返信
米5
チンパンジーも真っ青になるレベルでえげつないよ。
当時の文献に族滅って言葉があるくらい。戦争がなくても小競り合いで殺しあいは当たり前。武士一族抗争になると族滅なんか普通にやってる時代だよ。
族滅ってのは文字通りその一族を皆殺しだしな。
38.名無しさん:2018年06月19日 09:56 ID:Ym0tFvXr0▼このコメントに返信
ほんとうに名乗りなんて上品な事やってたのかね
当時の記録見ると武士とか蛮族だよね?
39.名無しさん:2018年06月19日 09:57 ID:FVZtFWPz0▼このコメントに返信
鎌倉武士「援軍送るで~」
九州武士「もう片付けといたぞ」
40.名無しさん:2018年06月19日 09:57 ID:MyIZ.eyw0▼このコメントに返信
上から一騎討ちとかないわ
41.名無しさん:2018年06月19日 09:57 ID:m6orHK9K0▼このコメントに返信
さすが鬼退治してた頃の武士は違うな
42.名無しさん:2018年06月19日 10:00 ID:N3rEmFyV0▼このコメントに返信
※36
実際台風被害にも遭ってる
43.名無しさん:2018年06月19日 10:00 ID:uMQZquWg0▼このコメントに返信
2ヶ月もの間、上陸させずに防いでいたんだぞ
ボロボロになった元軍にトドメをさしたのが台風ってだけだ
44.名無しさん:2018年06月19日 10:01 ID:LB724spE0▼このコメントに返信
義経と木曽義仲が残虐ファイトかましたおかげだな戦に良心も人道も無くなった
お行儀の良い平家の頃の武士だったらここまでやれんわ
45.名無しさん:2018年06月19日 10:02 ID:3v41gRhq0▼このコメントに返信
*30
橋頭保作ったら、さっそく攻撃されて追い出されたんじゃなかったっけ?
46.名無しさん:2018年06月19日 10:02 ID:WcmAPdHy0▼このコメントに返信
薩摩隼人がやばすぎる
いっちゃん最初の戦闘が本体に合流しようとしてた5人が敵の100だか200人くらいの集団を見つけて、「このままスルーするのは口惜しい(???)から戦ったろ!」だからほんとやばい
敵も偵察かなんかだと思ってたらいきなり突貫しかけてきたサムライにうろたえて対応が遅れた模様
47.名無しさん:2018年06月19日 10:02 ID:Y0tJ4OfF0▼このコメントに返信
戦いの始まる最初に、先鋒や先駆け任された武士が名乗りを挙げてから進んだってのは確定っぽいけど
全員が名乗りを挙げてから戦ったというわけではない、というのが定説
48.名無しさん:2018年06月19日 10:03 ID:Ym0tFvXr0▼このコメントに返信
秀吉の時もそうだがお互いに20万程度じゃ相手を打倒するまで行かないんだろうな
やっぱ50万くらい用意しないと無理なんじゃないか
そんだけ運べるか、そこまでするメリットがあるかは別として
49.名無しさん:2018年06月19日 10:04 ID:IAYzA6sI0▼このコメントに返信
あの時代に海を越えてそこそこの兵力をそろえて、補給も確保するだけで大変だからな
橋頭堡が確保できたとしても、日本征服など夢のまた夢 朝鮮人にだまされた元が哀れ
50.名無しさん:2018年06月19日 10:04 ID:19IWe6Zn0▼このコメントに返信
米38
自分が戦果挙げたことを見た証人が必要だろうしやってるとは思うよ。
一度やったらあとは敵は手段選ばず皆殺ししたろうけど
51.名無しさん:2018年06月19日 10:05 ID:lFm1lTMM0▼このコメントに返信
で、鎌倉武士に負けたくせに。ベトナムにも負けたんだってね。
52.名無しさん:2018年06月19日 10:06 ID:IAYzA6sI0▼このコメントに返信
※36
そりゃ長期戦してりゃ台風の季節にもなる
53.名無しさん:2018年06月19日 10:07 ID:WcmAPdHy0▼このコメントに返信
※38
手柄の横領とか抗議したら族滅とか普通にあった時代だから証人作るためにやってたに一票
54.名無しさん:2018年06月19日 10:07 ID:h2imRRGT0▼このコメントに返信
上陸して陣設営出来ないほどだったんだよ
だから海上待機せざるを得なかった
55.名無しさん:2018年06月19日 10:09 ID:FVZtFWPz0▼このコメントに返信
朱元璋「日本攻めたろ」
→元寇についてお勉強
朱元璋「やめとこ」
56.名無しさん:2018年06月19日 10:12 ID:RUzviCrv0▼このコメントに返信
※53
基本的に証人居ないと幕府が活躍を認めてくれないからねぇ
57.名無しさん:2018年06月19日 10:12 ID:19IWe6Zn0▼このコメントに返信
米53
武士の一族皆ヤクザっていっていいからな。仁義なき戦いがかわいく見えるレベルのエグさだろうな。
58.名無しさん:2018年06月19日 10:15 ID:Ym0tFvXr0▼このコメントに返信
どっちも企画倒れになったけど日本側の高句麗討伐作戦と元側の第三次侵攻あったらもっと世界史にインパクトあっただろうな
59.名無しさん:2018年06月19日 10:15 ID:19IWe6Zn0▼このコメントに返信
米51

ベトナムの戦法も日本とは方向は違うがえげつないよ。
ベトナムは昔から密林の戦いとゲリラ戦知り尽くしてる。
60.名無しさん:2018年06月19日 10:16 ID:5f0C6xZQ0▼このコメントに返信
本スレ152
>モンゴルは遊牧系騎馬民やから船作る技術なんか皆無に等しかったんや
まだこんな情弱いるのか。教育が悪いな。
高麗に造らせたのは、竜骨のあるペルシャ船(アラブ船?)だとゆうのに。
なおその技術は、李氏朝鮮には、まったく継承されず。秀吉の水軍に完敗。
モンゴルも海流に乗って、若狭湾か越後にでも上陸すればいいものを。
61.名無しさん:2018年06月19日 10:18 ID:Hp3prcIb0▼このコメントに返信
「俺は! 不死身の! 杉本だ! 」
「あー、あいつが杉本ね。あいつスゲーなあ。」
62.名無しさん:2018年06月19日 10:19 ID:RUzviCrv0▼このコメントに返信
※49
朝鮮は冊封を勧めただけで侵攻は勧めて無いぞ
朝鮮が元に影響力を持つ大国ってイメージを植え付けたいのかもしれんが、あの国はあくまで属国で金がかる侵攻を勧められる立場に無い
元寇に一万も出せない小国だし
63.名無しさん:2018年06月19日 10:20 ID:RUzviCrv0▼このコメントに返信
※62
すまん、一万も、じゃなく一万しか、だ
64.名無しさん:2018年06月19日 10:21 ID:37ycL0ni0▼このコメントに返信
向こうが名乗っても意味わからんけどなw
65.名無しさん:2018年06月19日 10:21 ID:c5q6Vxp60▼このコメントに返信
北条時宗「わし、頑張ったんだけどなぁ……みんな神風の手柄にされてしまった」
66.名無しさん:2018年06月19日 10:23 ID:FVZtFWPz0▼このコメントに返信
※65
恩賞けちるために幕府が神風を政治利用したんやろ。
67.名無しさん:2018年06月19日 10:23 ID:CmOb6Jw00▼このコメントに返信
武士がいつも通り名乗りを上げる⇒そんなお約束知らない敵が先制攻撃⇒そっか、あったまきた(冷静)
で、上陸させずに迎撃し続けて、台風の追い打ちで撤退
68.名無しさん:2018年06月19日 10:25 ID:q823ry390▼このコメントに返信
※32
マルコポーロは日本に来たわけじゃなくて又聞きとかをまとめて東方見聞録書いてるからだいぶおかしい部分も多いで
日本の建物は黄金で出来てるとか中尊寺金色堂の話が街全体みたいな表現になってたりするし
69.名無しさん:2018年06月19日 10:25 ID:ExWXEYkG0▼このコメントに返信
日本の武士を必死こいて堕としてるのは、例によって日本人w
同じことを欧州の騎士がやったら「カッコいい!」だろ
さっさと日本から出て行けよ
70.名無しさん:2018年06月19日 10:25 ID:5f0C6xZQ0▼このコメントに返信
※18
そりゃあⅢ号戦車で、大陸蹂躙してたドイツ軍が、
突然現れたT-34に自慢の大砲(軽量合成弓)が通じづ、
相手の大砲(和弓)が、同じ距離届く上に装甲破り(胴体貫通)するんだから。
びびるはな。
71.名無しさん:2018年06月19日 10:26 ID:GOey4Xgd0▼このコメントに返信
※51
当時攻められた時のヴェトナムは陳朝大越国とチャンパ王国で2分しててそのうちの前者大越だけよ
桂林から渡ってきた陳さんが王となって統治してた華僑の国
北ヴェトナムはしょっちゅう君主と国が変わってる、明とかにも攻められてるし

チャンパ王国はチャンパ王国で南洋から来たチャム族が開いて西暦180年から1800年位続いた長寿な王国
北から阮朝に統一されるまでずっと南北が分断されてた

まあヴェトナム戦争でもその構図になってたから文化的にも南北は違うんだろうね
72.名無しさん:2018年06月19日 10:26 ID:gO5bN9hQ0▼このコメントに返信
戦闘民族に喧嘩売ったお馬鹿さん(元寇)って認識しかない
73.名無しさん:2018年06月19日 10:28 ID:4WrMQMFB0▼このコメントに返信
※17
ふぁっきん朝鮮人が日本で虐殺をしたっていう話やね。で、この話の証拠となる文献は?朝鮮がわの視点っぽいしうさんくさい。文献がなければ全部信じることはできんな。
74.名無しさん:2018年06月19日 10:28 ID:q823ry390▼このコメントに返信
※62
人質の朝鮮の王子が元の皇帝に日本は金がいっぱいで支配するといいぞーって吹き込んだのが原因って聞いたわ
それ聞いて元の皇帝が幕府へ使者送って支配下に入って金とか女とか寄越せって要求したら幕府が使者ぶっ殺して開戦になったとか
※66
神社とか寺とかが俺らが祈祷したから神風が吹いたんだから俺らにも恩賞寄越せって報奨のたかりやったって聞いたで
75.名無しさん:2018年06月19日 10:28 ID:19IWe6Zn0▼このコメントに返信
米64

仮に元側が名乗る風習あったとしても鎌倉側は敵は皆殺せってスタンスだし元も熊倉武士を皆殺しにするつもりでかかっていくからそれはお互い様だしな。誰が手柄挙げたか見せるための名乗りだし味方に伝われば問題ない。
76.名無しさん:2018年06月19日 10:29 ID:j51dB.t00▼このコメントに返信
ポニー以外の馬なんてあの時代ほぼいないだろ、アラブ馬でかいの選別したらそれぐらいいくかどうか
サラブレッドもアラブ馬から品種改良仕立てのころの基準が体高15ハンド(約152.4cm)
現在のポニーの基準は肩までの高さが147cm以下
日本の中型馬で木曽馬はヨーロッパや中国の在来の馬と比べて小さいわけでもない
もちろん武士の騎乗する馬なんて平均に比べてより大きいものを選別して育ててるから木曽馬の平均よりずっと大きかった
戦国時代の武田信虎の愛馬鬼鹿毛は体高は四尺八分八寸(148cm)でポニーの基準を外れる大きさ
秀頼の愛馬である太平楽は体高は160cm越えで遺骨も発掘されてる、まあこれはアラブ原産ではないかといわれてるが
日本の武士の乗ってた馬をポニーと馬鹿にするのはあまりに無知だろう
77.名無しさん:2018年06月19日 10:29 ID:FVZtFWPz0▼このコメントに返信
鎌倉武士が特殊なんじゃなくて、日本人がアタマ日大なのは白村江からやで。
船のサイズが違いすぎて突撃が意味ないのにずっと突撃命令してたんやで。
78.名無しさん:2018年06月19日 10:29 ID:5f0C6xZQ0▼このコメントに返信
※20
室町時代の足軽が主力になってからじゃない?
79.名無しさん:2018年06月19日 10:30 ID:Hp3prcIb0▼このコメントに返信
しかし元軍くそザッコすぎる。
何ヶ月も上陸できないなんて。
秀吉の朝鮮出兵の時は簡単に上陸して7年もいて城も築いていたんだもんな。
日本に帰ったのは秀吉が死んで日本国内が国取り合戦状態になってきたため。
ボーッとしてたら日本の自分の領土を取られてしまうからな。
80.名無しさん:2018年06月19日 10:31 ID:4WrMQMFB0▼このコメントに返信
※30
いろいろ想像で話がでてるけど、毎夜船に戻ってたっていうのが戦況をよく表してるよね。
81.名無しさん:2018年06月19日 10:31 ID:.2xZengp0▼このコメントに返信
てか鎌倉兵到着してねえじゃん。
西国武士だけで応戦しとるやん。
82.名無しさん:2018年06月19日 10:31 ID:5p2.SnMe0▼このコメントに返信
同じ武士でも、江戸時代と戦国以前は全く別物と考えたほうがいい。
しかも、その戦国以前でも、時代によって様相が異なるし。
83.名無しさん:2018年06月19日 10:31 ID:jlKbMr1e0▼このコメントに返信
「てつはう」が現役のころは日本が攻められるターン、南蛮から鉄砲伝来したら日本が攻めるターンになってるんだから、「てつはう」は軍事的に十分役立ってたんだよ。鎌倉・室町の時代は厳密な意味で鎖国してたわけでもないのに、朝鮮出兵できてないどころか、攻められる一方だったわけだからな。
84.名無しさん:2018年06月19日 10:34 ID:4WrMQMFB0▼このコメントに返信
※32
マルコポーロはモンゴルで役人してたから、話盛って聞かされてるぞ。当然日本にも来てない。
ていうか日本についての記述は一度読んでみたほうがいい。ファンタジーすぎて笑えるからw食人文化があったとか書いてるしw
85.名無しさん:2018年06月19日 10:35 ID:kdFKhbl70▼このコメントに返信
源義経の時代に名乗りとか無視したんちゃうん(知ったか)
86.名無しさん:2018年06月19日 10:35 ID:4WrMQMFB0▼このコメントに返信
※42
撤退時にやられたっていう話だね。
87.名無しさん:2018年06月19日 10:36 ID:.2xZengp0▼このコメントに返信
※83
純粋に海上輸送力の問題だろ。
大陸(半島)も日本も、大軍引き連れて海渡るほどの海軍力持ってなかっただけ。
日本海は穏やかじゃねえし、近い訳でもないし。
88.名無しさん:2018年06月19日 10:36 ID:25p4fIoO0▼このコメントに返信
朝鮮の王が日本に攻めるよう唆したら、船作るために朝鮮の山が禿げ山になって産業壊滅する流れに草生える。
89.名無しさん:2018年06月19日 10:36 ID:GVaduehB0▼このコメントに返信
神風って、祈祷してた寺社仏閣が褒美を求めたのと
武士団にあまり褒美をやれない幕府が、武士団の努力を削るために神風を前面に出したんじゃね?

あとは戦前の軍部がアホのように神国日本は神のご加護があるから物量や技術で負けても最後は勝てるみたいな
テキトーな洗脳の道具として使ったんだろw
90.名無しさん:2018年06月19日 10:37 ID:EVRXnLF10▼このコメントに返信
その説が否定されてだいぶ経つが、未だに周回遅れのやつっているんだな・・・
91.名無しさん:2018年06月19日 10:39 ID:TxJkfMGO0▼このコメントに返信
日本:敵の捕虜になる=恥=盾して利用されるくらいなら楽にしてやる=良い事をした=味方の戦意に影響無し。
元:敵の捕虜になる=盾にされているぞ!助けなきゃ!=くそぉ、無理だ、仕方が無い。楽にしてやる。=味方殺しの無能=戦意喪失。

捕虜に対する概念がまったく違うよね。つか、二次大戦にいたっても捕虜になる=恥って概念は変わってないよなぁ。
92.名無しさん:2018年06月19日 10:40 ID:4WrMQMFB0▼このコメントに返信
※60
2011年に日本海の海底で現物が見つかってたね。全長20mでキール(竜骨)は12mだとか。
93.名無しさん:2018年06月19日 10:40 ID:RUzviCrv0▼このコメントに返信
※74
使者ぶっ殺したのは最初の元寇の後、あからさまなスパイだったから即効殺されただけ
そもそも、朝鮮は内乱続きな上、内乱を鎮圧した武官が内乱を起こすギャグを繰り返して侵攻どころじゃない
94.名無しさん:2018年06月19日 10:41 ID:.2xZengp0▼このコメントに返信
※89
ちと違う。
今の感覚では神も仏もナニソレ美味しいの?という感覚だろうが、中世では絶対的な存在なんだよ。
だから寺は本気で護摩するし、荒天も仏の加護という事が、一般人の感覚として受け入れられたんだよ。

「戦前の軍部」であれば自爆兵器は戦術展開しない。
負けが込んで余裕ナッシングになった「戦中の軍部」が悪だな。
95.名無しさん:2018年06月19日 10:47 ID:R9skvz9E0▼このコメントに返信
わしが小学生の時社会の先生がスレタイトルと全く同じ事言っとったなぁ。スレ建てた奴大分の人間かもしれん。
96.名無しさん:2018年06月19日 10:48 ID:1GwxAqIm0▼このコメントに返信
※4
黒人活動家バイエ・マクニール
コイツの事知らなかった。教えてくれてアンガト。

日本での活動は、よほど美味しいんだろうな。
97.名無しさん:2018年06月19日 10:48 ID:4WrMQMFB0▼このコメントに返信
※62
いや、朝鮮人がそそのかしたって言いたいんだと思う。心情的には昔すぎて思い図るのは難しいけど、ハンがあったかもね。
実際、新羅の宗主国だった倭国を制圧できれば利益は大きかっただろうし。まぁ、できればね。
98.名無しさん:2018年06月19日 10:49 ID:932Rumkg0▼このコメントに返信
歴史を知らない奴は 鎌倉武士の 名乗りを 馬鹿にするが 中国でさえ 一騎打ちというのは あった!
モンゴルが攻めてきたというが 中味は 高麗人だ。あいつらには 武士道 西洋の騎士道がわからない
野蛮人で いまだに 戦争にも ルールがあることを無視する 野蛮人だ!
99.名無しさん:2018年06月19日 10:50 ID:4cCVmJqU0▼このコメントに返信
神風が吹いたは現場よりも上層部の政治結果やってわかってるやろ
ここら辺は今も第二次の時も元寇の時も変わって無いんやで
人なんてそうそうかわらねぇよ
100.名無しさん:2018年06月19日 10:51 ID:97z8Jd.f0▼このコメントに返信
ゴーストオブツシマの主人公って当時感覚ならただの卑怯者なのかな
101.名無しさん:2018年06月19日 10:54 ID:XTwh.fQs0▼このコメントに返信
「坊主が歩いてたら弓の練習台にしろ」

ファッキン鎌倉武士
102.名無しさん:2018年06月19日 10:55 ID:juEtOofk0▼このコメントに返信
元軍が台風でやられたのは間違いではない。
なんせ鎌倉武士が強くて九州本土に上陸出来なかった。やむなく船上に待機するしかなし。
そこで鎌倉武士は夜襲をかけたり死んだ馬を投げ込んだり元軍はタジタジ。
結局上陸して陣営を築けず台風で海の藻屑となった訳。

まあ~、武士のおこりは自分達の土地を守るために武装したのが始まりと言うからね。
普段は百姓、いざとなって武装して武士にってこと。
こんな言葉があるでしょ、「一所懸命」。
一つの土地を守るために命を懸けるってことだね。
103.名無しさん:2018年06月19日 10:56 ID:4WrMQMFB0▼このコメントに返信
※94
優秀な人は戦争初期でお亡くなりになってたんですよね。途中からは教育も短い百姓の息子が参謀に配属になってたぐらいだし。
別に百姓を馬鹿にする意図はないけど、軍人の息子と百姓の息子のどっちが戦術眼があるかっていう話になるとね・・・
104.名無しさん:2018年06月19日 10:56 ID:tLVDu.1R0▼このコメントに返信
のび太かよ
105.名無しさん:2018年06月19日 10:58 ID:19IWe6Zn0▼このコメントに返信
米85
義経は壇之浦で船の漕ぎ手を狙ったからな。
当時は武士は狙っても漕ぎ手は非戦闘員扱いで狙わないのが常識だったのを無視したしとにかく汚くても勝てばいいを実践した
106.名無しさん:2018年06月19日 10:58 ID:rW5c3D2g0▼このコメントに返信
アンゴルモア面白いけど、やがて蹂躙されると思うと読んでてつらくなる
九州での地上戦を書いた漫画が読みたい
107.名無しさん:2018年06月19日 10:59 ID:28YQp9uc0▼このコメントに返信
元軍の構成は朝鮮族と朝鮮人というネタ。
鎌倉武士の鬼畜レベルは日本の歴史上でもトップレベルだからなぁ。
108.名無しさん:2018年06月19日 11:01 ID:gxIV9S2F0▼このコメントに返信
また古臭いネタを持って来たもんだ。
109.名無しさん:2018年06月19日 11:03 ID:.HeW.ox.0▼このコメントに返信
神風と言っても、なんでそんな悪天候の時に海上にいなきゃならんのって話だわな。普通に、ボコられて上陸できなかったんじゃないのか
110.名無しさん:2018年06月19日 11:05 ID:cCMcAzHf0▼このコメントに返信
パヨ「武士「やあやあ我こそは~」モンゴル人「プッw何あいつw」」
やぞ
111.名無しさん:2018年06月19日 11:07 ID:KeBIx6wI0▼このコメントに返信
元の使者にそんな規模の軍勢なのか喋らせるだけ喋らせてから切り捨てる。そして準備。
大化の改新から戦続きで、人情何て無くなっていた時期です。人質を助けて味方が多数犠牲になるのを避けるには見捨てる。当時の野蛮人に敵うわけ無い。領地防衛には手段選ばず。美化する必要はないって事です。
112.名無しさん:2018年06月19日 11:08 ID:4cZSvOCP0▼このコメントに返信
サムライ「(遠方の珍しいお客さんにちゃんと挨拶しなきゃ!)やぁやぁ我こそは~」
モンゴル「ここで大陸の超兵器てつはうドーンwwww」
サムライ「……ロスぞ」

サムライ「朝も昼も夜も問わず陸に居ても海に逃げても何処までも何処までも追いかけてしぬまでコロスぞ」
モンゴル「ひぇっ、沖に逃げて船を鎖で繋いで籠城するわ…」
台風「やあ」
113.名無しさん:2018年06月19日 11:08 ID:xmliD8ja0▼このコメントに返信
本コメ5
飛び道具とは卑怯なり
114.名無しさん:2018年06月19日 11:10 ID:OWPP.VxZ0▼このコメントに返信
日本の馬が小さいって話で一つだけ納得いかんのが、鎌倉時代の絵巻物とかに描いてある馬がそこまで極端に小さくないってとこ
江戸時代や近代になって描かれた屏風とかじゃなくて鎌倉文化で有名な絵巻物ね
もちろん日本人の大きさも今と違うから比率差はあるだろうとしても、サラブレットみたいな比較対象もない時代にナポレオンの自画像みたいにかっこよく描くためにでかい馬かいてたってのは微妙だと思うし

道産子みたいな馬は知ってるし、日本固有の馬としていたのはわかるけど、それ以外にも大きめの戦馬がいたんでないのかん?
115.名無しさん:2018年06月19日 11:13 ID:xmliD8ja0▼このコメントに返信
※109元寇って二回とも元々の計画は嵐のシーズン避ける様に計画してます
主力の朝鮮兵かノンビリしてて遅刻した結果です
Kの法則
116.名無しさん:2018年06月19日 11:13 ID:vvYacD4.0▼このコメントに返信
後で鎌倉の円覚寺で死者みんな祭ったらしい
歴史的な大規模な戦いだし死者もかなり多いようだ
華北中満州モンゴル朝鮮人はぶっ殺したらしいが、その場の勢いがあるから仕方ないかもね
117.名無しさん:2018年06月19日 11:14 ID:GepU9R..0▼このコメントに返信
神風説とかの鎌倉武士ショボかった説が嘘だらけなのは今さら言うまでもないけど最近はその反動で元軍のショボサさと鎌倉武士のヒャッハーさをそれこそ神風説なみの捏造や妄想で強調しまくってる話が多いんだよな
本スレにある打線コピペとか大半の話が史料的な裏付けはないぞ、コピペの受け売りを裏も取らずに最新の研究って広める馬鹿が多すぎるだけ
元寇スレはいろんなとこで見たり参加してるけど元軍が来るまでに博多を焦土作戦、とか載ってる史料をちゃんと書いてた奴一人も見たことないわ
118.名無しさん:2018年06月19日 11:15 ID:f7K1lUUP0▼このコメントに返信
・・・とっくに否定されてる説なのに、今時>>1みたいな事言ってるヤツの方が恥かしい定期。
119.名無しさん:2018年06月19日 11:16 ID:KTXCXTsH0▼このコメントに返信
虎は死して、皮を残し 人は死して名を残す・・・・と言う言葉が有ってだな
今は昔の時代・・・今でも多少也と自分の名声を轟かせたい、後世に語られたいと言う
名誉欲から来ているんだが・・中国に有った言葉だぞ?
モンゴルには伝わらなかったのかな?
120.名無しさん:2018年06月19日 11:16 ID:TYMMP92q0▼このコメントに返信
ナウな武士メンは人質ごと射殺す模様
121.名無しさん:2018年06月19日 11:17 ID:UgzjkdOD0▼このコメントに返信
昔はやあやあ我こそわ~でやられてたって話だったけど
最近の研究ではなんか違うらしいって話があったような
122.名無しさん:2018年06月19日 11:17 ID:gxIV9S2F0▼このコメントに返信
※112
ネタにマジレスするのもあれだけど、竹崎季長は元軍に突撃する際に先に敵陣に突撃して来た味方の武士に名乗りを上げて情報貰っただけだぞ。
たったの5騎で突撃して来た竹崎季長相手に鉄砲まで持ち出して必死に防戦した元軍の図が、あの有名な絵の場面だよ。

※114
16世紀のヨーロッパでも日本馬より一回り小さな軍馬で突撃してたという現実。
123.名無しさん:2018年06月19日 11:20 ID:xmliD8ja0▼このコメントに返信
源平合戦は戦国絵巻
お互い格好付けた戦い方
此れは鎌倉時代迄続けてる
源義経の戦い方は其れの裏をかく
卑怯な戦い方だけどねさ
124.名無しさん:2018年06月19日 11:21 ID:vvYacD4.0▼このコメントに返信
鎌倉武士って鎌倉時代の武士って意味で言ってるんだろうに九州武士とかいってなんか張り合ってんのかね
125.名無しさん:2018年06月19日 11:23 ID:IAYzA6sI0▼このコメントに返信
※114
ひよどり超えの時に馬を半ば背負って崖を降りてるからな
それが出来る程度の大きさではあったと
126.名無しさん:2018年06月19日 11:27 ID:j93SOc.10▼このコメントに返信
※114
ポニーだと言われるとミニチュアサイズに思っちゃうけど、普通にデカいよ。定義上ポニー(体高148cm以下)って話なのと、競走馬が大きすぎるだけ
小さいと言っても比較対象が何なのかって話。自分で突っ立ってみて、体高130cm前後(鎌倉時代の軍馬の出土例のうちもっとも多い推定体高)ってのを想像してみたらいい。その大きさの馬に、大鎧を着たままヒラリと跨らないと武士は務まらない。
127.名無しさん:2018年06月19日 11:29 ID:RUzviCrv0▼このコメントに返信
※115
朝鮮は主力じゃ無いっつーに
元軍が上陸後橋頭堡を保てなかったって話に無理矢理弱小属国を絡めるなよ
128.名無しさん:2018年06月19日 11:32 ID:qOAfn2hB0▼このコメントに返信
源為朝「武士たるもの弓でトマホークミサイルを射ち出すべしDA★ZO」
129.名無しさん:2018年06月19日 11:35 ID:QI4ozAK90▼このコメントに返信
武士「やあやあ我こそは」
高麗人「プッw何あいつwチョパーリのガキ股から槍突き刺して殺したろ女の手の平穴開けて数珠繋ぎにして盾にしたろw」
武士「この糞喰らい共が!奴らを皆殺しにしろ!!やられたらやり返せ!あ、宗の人は助けたろ」

こうやろ。
130.名無しさん:2018年06月19日 11:42 ID:otRBwoJb0▼このコメントに返信
※126
大体が最初に「中・近世日本の騎馬はポニー」って言い始めた奴が悪いわな
「サラブレットより小ぶりで走破性能を重視した品種=木曽馬」って説明するのがめんどくさくて「ポニー」って言っちゃったもんだから、
一般的なポニーのイメージに当てはめて「成人男性の腰程の全高しかない馬に跨る武士」っていう間抜けな絵面が浸透しちゃった
131.名無しさん:2018年06月19日 11:48 ID:2bJaKZ5O0▼このコメントに返信
鎌倉武士「え゛?名乗り挙げないと、手柄が誰のものか解らないじゃん。ひょっとして大陸では手柄については嘘つき放題?さすが土人www」
132.名無しさん:2018年06月19日 11:51 ID:qMJqBkiB0▼このコメントに返信
一騎打ちしてたとかぼろ負けしてたってのは「八幡愚童訓」にしか載ってない事実だし。
この後に「八幡神社から神兵がやってきてあっという間に蹴散らした」と続く。
まさかそんなもんを信じてるの?
この資料は八幡神社を持ち上げるためだけのクソ資料だから。
文永の役は資料が少ないとは言え、こんなものを一次資料として扱っていた学会はクソ。
133.名無しさん:2018年06月19日 11:56 ID:wxX.CoB40▼このコメントに返信
まぁそもそも鎌倉武士という重装騎馬弓兵という「ぼくのかんがえたさいきょうのせんし」を何万も擁する当時の日本は異常な軍事国家やで。

同数のモンゴルの軽装騎馬弓兵と正面から当たれば装甲が分厚い分勝るし、弓を扱わない西欧の重装騎士に対しては射程で勝る。
正面から当たってもそうそう負けない
134.名無しさん:2018年06月19日 12:00 ID:0C5kQNhR0▼このコメントに返信
※130
馬といえば競走馬のサラブレッドしか思いつかないような知識量の少ない人だけが騙されるんだよな
135.名無しさん:2018年06月19日 12:11 ID:SNMCdts40▼このコメントに返信
元スレの※119の打順式のヤツって、4番目以外は全部ネット上のデマでしょこれ…。
男衾三郎絵詞とか後三年合戦絵詞に出てくる武士たちを参考にすれば成り立つ話ではあるけどさ。
136.名無しさん:2018年06月19日 12:12 ID:N3rEmFyV0▼このコメントに返信
和弓は鉄弓が出てくるまでは実は最強の弓
特徴は長さが平均2.2mにもなる長弓であること。
これにより蒙古弓よりも和弓の方が長射程で威力も強いんだよ
形状は当時のものも今のものも殆ど変わらない。
源平合戦時には和弓はほぼ完成状態にあった。また日本の武士の鎧は弓矢にめっぽう強く作られている。
蒙古の得意とする弓で鎌倉武士に勝てなかったのが最大の敗因と考える人も居るほど
137.名無しさん:2018年06月19日 12:13 ID:Z.v1u8lW0▼このコメントに返信
神風が!と誤解されるのは、武士が一生懸命に戦って撃退しまくってたとき、「日本のノミ・ダニ」こと朝廷の公卿連中が怨敵調伏の祈祷を熱心にやってたのが一つ。
もう一つが、元軍の名前借りたトンスランド&女真兵が魚の餌になった後、筆まめで声の大きい公卿連中が、「いやぁ~、やっぱ御仏にすがって調伏祈願は最強」と自分らの業績を誇示しまくり、それを記録に残しちゃったからw
138.名無しさん:2018年06月19日 12:14 ID:1cpNcSJn0▼このコメントに返信
「やあやあ我こそはー(難易度を選択してください、変更は出来ません)」
139.名無しさん:2018年06月19日 12:15 ID:tcSjRCvk0▼このコメントに返信
御恩と奉公の時代なのに何も収穫もなかった元寇だからね
命を賭して戦った武士に対して与えるものがなかった朝廷が
武士とかザッコwww神風のおかげで勝てたしwwwwwって吹聴しまくったんだろ
140.名無しさん:2018年06月19日 12:17 ID:RWNWw1Ha0▼このコメントに返信
※6
というより相手を貴族扱いして、名乗りをやったら向こうがやらなかったので
平民以下のゴミしか居ないと認識して以降普通に戦ったというところだろ
相手が相応の身分なら首に価値があるが
有象無象しか居ないなら味方にアピールする必要もないんで
イチイチ確認しないで淡々と殲滅する方向になっただけ
ちなみに名乗りをあげるのは日本以外の国でも昔からやってたことで
歴史が古い国なら昔の話では名乗りをあげる描写が大概ある
逆に昔は名乗りをあげる習慣があった事を知らない国は
歴史が浅い国だったりする
141.名無しさん:2018年06月19日 12:18 ID:1buLcBud0▼このコメントに返信
歴史も知らずにスレをあげてるお前の脳ミソが恥ずかしいわ
142.名無しさん:2018年06月19日 12:18 ID:k46Xekj70▼このコメントに返信
これから竹崎の話は無視な
143.名無しさん:2018年06月19日 12:23 ID:jw.qzqN00▼このコメントに返信
「地震が起きた? 騒ぎのどさくさに気に入らんあいつぶっ殺したろ!」

幕府の実権を握る執権自らこんなことやる時代だからな。
144.名無しさん:2018年06月19日 12:24 ID:4cCVmJqU0▼このコメントに返信
ポニー言うんなら欧州だってポニーで突撃してるしナポレオンのエジプト遠征時に用いたスペイン経由でフランスに当時もたらされたアラブ血統のお馬さん4000頭の中型馬はポニーって事になる
ポニーをどう解釈してんのかわからんが4000頭のポニーでナポレオンはエジプトで暴れまわったんやで
145.名無しさん:2018年06月19日 12:26 ID:N3rEmFyV0▼このコメントに返信
※142
でも竹崎季長の蒙古襲来絵詞みても一騎打ちしてる奴なんて一人も居ないから
普通に集団戦で戦ってたんじゃねぇのかな?
146.名無しさん:2018年06月19日 12:31 ID:eMFohHoi0▼このコメントに返信
※84
つまり、それが元側の「正式な記録」なんだろ?
「鎌倉武士団が強すぎてかないません」なんて話はどっから出て来たんだ?

147.名無しさん:2018年06月19日 12:34 ID:34tQavoK0▼このコメントに返信
コピペが確証ないのはもう当然として
当時モンゴルを撃退したのは九州武士だったが本隊はもっと後方にいる
つまりモンゴルがあそこで勝ってようが慣れない地で更に数万の鎌倉武士団を相手にするという無理ゲー
あと二回目は日本側も対策立ててるから言う程大苦戦って訳でもない
148.名無しさん:2018年06月19日 12:36 ID:pr..Mp2R0▼このコメントに返信
またこのネタかよ、あとポニーネタも飽きた。
149.名無しさん:2018年06月19日 12:37 ID:f5Z3UKf40▼このコメントに返信
※105
結果的に武士の支持を得られずに総スカンくらったけどな
平氏打倒の大殊勲者なのに郎党以外誰も付いてこなかっただろ
150.名無しさん:2018年06月19日 12:40 ID:j93SOc.10▼このコメントに返信
※130
んー、まぁ昔の騎兵隊が乗ってたのは実はポニーでした~、ってのは欧州史でもよく出てくる話だからね
有名どころだとグスタフ・アドルフの騎兵隊。スウェーデン騎兵は当時の基準においてさえかなり小ぶりの馬にまたがっていて、けれどもその小さな騎馬隊でもって、カラコール戦術が持て囃されていた時代に果敢な突撃復活させて大戦果を挙げた。この体格の軍馬でよくぞ・・・という敬意も込めて、グスタフ・アドルフの騎兵隊はポニーだったとたびたび記述される。むろん、それより以前の軍馬だってポニーサイズが普通に使われていたし、だからこそアラブ馬やそれに対抗する欧州の軍馬が大きくて立派な体格を追求されていた。んでその大型の軍馬に乗った重装備の騎士やアラブ騎兵が、小ぶりなトルコ馬に蹂躙されていくわけだ(そんでもモンゴル軍なんかは各地から優秀な軍馬を献上させてたんで、自分らのもともと乗ってた馬の小ささに不満を持ってた可能性はあるが)

その話を聞いた研究者が、日本の騎馬武者について記述するときに「ポニー」を強調したっていう流れじゃないの。ちょうど時代劇とか大河ドラマで大型の馬を使って西洋流乗馬術やってたのが、歴史愛好家とかから非難されて歴史に忠実な描写を心がけていった時代と重なると思う。昭和の頃には、騎馬武者がサラブレッド並みの大型馬に乗ってたと思ってた一般視聴者は多かったんだよ、それしか馬って見たこと無かったんだから。んでそういう時代には、当時の馬がポニー相当という言論は必要だった

問題なのは、「だから騎乗戦闘なんかやってなかった」とかいうトンデモ史観を広めようとしたヤツ
151.名無しさん:2018年06月19日 12:41 ID:nqL2Bw3d0▼このコメントに返信
高麗人が適当に作ったって話が昔からあるけど、当時の荒れた日本海を渡れる船は日本にも中国にもない。
荒れてない時期を(沈みまくった)記録と長年の船乗りの勘で短時間で渡っていた。
なので、海で何ヶ月も船団が停泊してたら荒れる日もあれば台風だってくる。
第四艦隊事件や太平洋戦争中のコブラ台風などで鋼鉄の近代艦だって沈む時は沈む。
152.名無しさん:2018年06月19日 12:45 ID:rI8gme0r0▼このコメントに返信
※95
元寇 → やあやあ我こそは~
帝国憲法発布 → 万歳で天皇の馬が驚いて~
日本海海戦 → たまたま司令塔へ砲弾が飛びこんで~
盧溝橋事件 → マルコポーロが~、兵士がトイレに~

このあたり、ふしぎなほど全国共通なんだよ
なんか、マニュアルか手本でもあったんじゃないかね
153.名無しさん:2018年06月19日 12:45 ID:wU9W9J9d0▼このコメントに返信
戦国時代の武士など雑魚でしかない鎌倉武士という超戦闘民族
それ以上に頭おかしい平安武士
154.名無しさん:2018年06月19日 12:46 ID:GepU9R..0▼このコメントに返信
※142※145
教科書に使われる竹崎季長が包囲されてる場面は
指揮官に許可を取って直属の数騎のみで先行したら敵発見→部下から「後続の味方を待ちましょう」と進言されるが
貧乏御家人ゆえ功を焦っていた季長は自分たちだけで突撃を敢行→当然ピンチになったところを後続の白石通泰率いる百騎に助けられる っていうシチュエーションだからな
そもそも一騎打ちをしようとしてる場面じゃないんだよ 自身は無茶ってわかってるし味方は集団で突っ込んできてるんだから
蒙古襲来絵詞自体は日本側の元寇史料では最上級といっても過言じゃない上質なものだけど上記の一騎打ちに見せかけようとしたりとかの悪質な取り上げ方をする奴がいる
あと、「蒙古襲来絵詞は恩賞を得るための宣伝だから信用できない!」って言う奴もときどきいるがこれも完全に矛盾してる
そもそも季長がだいぶ歳を取ってから描かせたもので恩賞支給を訴えたのも絵詞の中の一場面(つまり過去の話)として描かれてるからな
155.名無しさん:2018年06月19日 12:51 ID:AjJJnMoa0▼このコメントに返信
名乗りは今で言えば宣戦布告。

当時の日本には戦にもルールがあった証拠なのに、それを馬鹿にしてきたのが日本の歴史学者。
156.名無しさん:2018年06月19日 13:03 ID:jkeUmLaP0▼このコメントに返信
竹崎季長が一人突出してるけど
他の後続は堅実に倒してん進軍してるのが分かる
157.名無しさん:2018年06月19日 13:04 ID:KQKd.d4R0▼このコメントに返信
伊予の水軍も忘れないでやってください。
158.名無しさん:2018年06月19日 13:17 ID:qt45G1..0▼このコメントに返信
>当時の日本ってガチで世界最強やからな

工作なのか知らんけど、マジで当時の日本は世界最強だと話を盛る奴は辞めて欲しい
日露戦争でも余裕だったと言ったり、ミッドウェー海戦までは日本海軍は世界最強だったと言い張る
こういう慢心が今の日本の閉塞感を強くしているんだよ、もっと謙虚になって現実と向き合うべき
未だにIT速報でも「日本の発明特許率は世界第2位だからグーグルなんてあっという間に抜く」と
平気でIT産業で日本から有名なのが出てこないのは何故かと言う話題に希望論を語る奴も居るからな
159.名無しさん:2018年06月19日 13:20 ID:84ZROkql0▼このコメントに返信
ずーっと戦いばっかりやってんねや
鎌倉武士とかさ
ヤバいよ、あいつら
同じ日本人と思えん
160.名無しさん:2018年06月19日 13:23 ID:JV0av0A00▼このコメントに返信
なんという髭切にいさんw
161.名無しさん:2018年06月19日 13:27 ID:2Zawv4cZ0▼このコメントに返信
ここはホント中学生か小学生が立てたようなスレしかまとめないよな。あるいは自演か。コメント欄が割とマトモな時もあるので面白いから見てるけど。
162.名無しさん:2018年06月19日 13:33 ID:QEImzQ800▼このコメントに返信
鎌倉武士「やぁやぁ我こそは」(将軍様にアピール合戦)
将軍様(恩賞が足りねぇ、マジでやべぇ・・・そうだ!)
「うーん、神風のおかげw」
163.名無しさん:2018年06月19日 13:47 ID:jw.qzqN00▼このコメントに返信
※将軍様は皇族だし多少はね?
164.名無しさん:2018年06月19日 13:53 ID:NU9mupDG0▼このコメントに返信
鎌倉武士って、鎌倉という地域の武士と勘違いしてるアホコメがちらほらあるな。
鎌倉武士=御家人だそ。九州にいようが鎌倉武士。
それに蒙古襲来を予想して、東国武士であっても九州に所領を持つ者は、防衛のために現地に下るように指示されてるからな。
165.名無しさん:2018年06月19日 14:01 ID:jOa2k8400▼このコメントに返信
馬の死体は丸ごとを想像してたが
馬糞くらいにカットしたのを投げてたのかな
166.名無しさん:2018年06月19日 14:07 ID:3GEHR3GY0▼このコメントに返信
向こうは平野部だから地の利だとかいう戦略が日本の場合とは違うからね。どっちかというと数で押し切るって戦術だから
当時の日本は戦い馴れてた上に戦略や戦術に長けてた奴も多かったから
長年、鎖国してた国だから録に知りもしないのに下に見て侵略しようとしたら返り討ちにあったってだけだから
167.名無しさん:2018年06月19日 14:08 ID:SCm5UMh70▼このコメントに返信
体格でも当時の日本人は結構なデカさだからな
食糧事情が良くて肉食もしてたからだろうけど
168.名無しさん:2018年06月19日 14:16 ID:Y0tJ4OfF0▼このコメントに返信
※114
「モンゴル 馬」でググると、だいたい木曽馬と同じサイズの馬に乗ってる人の画像出てくるぞ
169.名無しさん:2018年06月19日 14:27 ID:eE2b0aIr0▼このコメントに返信
※117
完全に同意
鎌倉武士団が博多を略奪とか何が根拠なんだか
170.名無しさん:2018年06月19日 14:30 ID:OjB.pHgc0▼このコメントに返信
鎌倉時代の人は獰猛過ぎると思うw
171.名無しさん:2018年06月19日 14:31 ID:OcPLVSbS0▼このコメントに返信
※151
渤海交易もしらんのか?無知め。
シナのジャンクは、福原に来て平家うるおしてるぞ。
日本の和船が、たらい舟だから、渡海能力無いだけ。
高麗の船は、ペルシャ系で、十分渡海能力ある。
172.名無しさん:2018年06月19日 14:36 ID:Ym0tFvXr0▼このコメントに返信
※162
武士A「は?(威圧」
武士B「いかんでしょ」
武士C「これは倒幕やろなぁ」
173.名無しさん:2018年06月19日 14:45 ID:AuDOuPlc0▼このコメントに返信
やあやあ我こそは~ってコメ欄でも敵に向かってやるもんだと思い込んでるのがまだ居るな
身内への挨拶と士気向上演説をなんで当日に敵にやるんだよ
開戦前に仲間内だけで済ます決起集会やぞ
174.名無しさん:2018年06月19日 14:50 ID:NpaQQx9n0▼このコメントに返信
地上戦じゃ元軍に歯が立たず一方的にやられて追いたてられたけど台風のおかげでなんとか撃退たきたんでしょ?
しかも2回ともだし元の方が日本の地理や気候を把握していなかったおかげなんとか追い払えたようなもんでしょ
日本の実力と言うよりは元の情報不足と日本の地理的、気候的要因のおかげでなんとかなったと言うのが客観的な事実だろうね
175.名無しさん:2018年06月19日 14:52 ID:nqQ.8Bn20▼このコメントに返信
野蛮な大陸からの侵略者が対馬で女子供を連れ去って、船に吊るしたってのは有名な話し。
だが干し肉にして食べる事が目的だったとは余り知られてない、当時の大陸では人肉文化が普通にあったからね・・・
それを知った当時の侍達の怒りがどれほどだったか想像してみると良い。
176.名無しさん:2018年06月19日 14:55 ID:nqQ.8Bn20▼このコメントに返信
>地上戦じゃ元軍に歯が立たず一方的にやられて追いたてられた

それ完全な嘘、日本の武士たちの士気が高く地の利もあり橋頭堡を侵略者は確保出来なかった。
現代戦でも強襲上陸は至難、補給や補充などの問題が大きい。
当時のしょぼい補給線や上陸能力を考えると、強靭な侍と砦や城を屈服させるのは無理、戦略的にも戦術的にも敗北するは必定。

二度目の元出兵に至っては、日本の水際防衛がしっかりしてたので上陸すら出来なかった。
177.名無しさん:2018年06月19日 14:58 ID:J1uJvVwh0▼このコメントに返信
いや基本的に、攻めてきたのは高麗軍だから
地の利は日本と同じ、高麗軍は何度か攻めてきてるので
元史によると、南宋平定して兵も余ってたところ、高麗側から日本攻めようと猛アピールきて
じゃぁ、公共事業的に攻めますかとなった
南宋は、歴史的に日本に近くてそのままにして置いて反乱されても困るってので口減らし

当たり前だけど、元寇に参加した元人は数十人の指揮官だけで
基本的に動いてたのは、高麗軍
南宋の水軍は台風の後追いで、待ち合わせに遅れた

だから、宋人の捕虜は開放で、その他は皆殺しなの
178.名無しさん:2018年06月19日 14:58 ID:nqQ.8Bn20▼このコメントに返信
ここに居るニワカは知らなんだろうけど、九州の武士は猛烈に強い事で有名だからね。
内外を含み反日本だけ読んで歴史を語るとか笑っちゃうよ。
179.名無しさん:2018年06月19日 15:02 ID:nqQ.8Bn20▼このコメントに返信
百歩譲ってある程度、蒙古軍が進出した所で大群の水や食料と占領地での安全を確保しながらの進軍など無理。
その後のオランダやポルトガルが日本に偵察に来た宣教師が日本の軍備状況をしっかり報告してる。
思いつきで攻めてきた大陸の野蛮人が知る良しもない事だがな。
180.名無しさん:2018年06月19日 15:05 ID:Cz3KHqIz0▼このコメントに返信
要因の一つとしては※136
元が得意とした弓を上回る弓を持ってたし、元側が揚陸作戦であったため矢の持ち込みが制限されて投射火力数でも相対的に上回ってた

また蒙古襲来絵詞見りゃわかるけど、元側が歩兵ばっかなのに対して日側は騎兵を運用してる
元側が歩兵だけなのは当たり前で馬を陸揚げするには橋頭保を確保しなければならないし、阻止側としては橋頭保確保前の浮遊戦力に騎兵の衝撃力を与えて瓦解させるのは現代でも軍事常識

また戦力を中国大陸から送り込む輸送船にいくら人員がいようが、作戦展開できる兵数は揚陸艇の数に依存する
実際の所の戦力比は日と元で絶望的と言えるほど開いてはいなかった


つまるところ勇者や奇跡を排除して普通に分析しても勝算は余裕であったよってお話。揚陸作戦において防御側が圧倒的に有利なのは当然
神風食らったのも元が先勝分岐点を越えて撤退を決断、帰路の海上で暴風雨にあったのが真相だそうだし
第二攻撃時なんか日本側は防御陣地を用意して揚陸作戦の決行自体を困難にしてたしな
181.名無しさん:2018年06月19日 15:05 ID:nqQ.8Bn20▼このコメントに返信
地の利とは、現地人の協力が必要不可欠。
肉食で女子供を拉致する大陸からの野蛮人が攻めてきたら、農民を含み民は避難する。
仮に占領地が拡大した所で食料や現地の協力が得られない時点で詰む。
戦略的にも戦術的にも大陸側が無策だった、水上にとどまり結果自然災害で滅んだ訳だが。水上から動けなかった理由を考えろって話し。
182.名無しさん:2018年06月19日 15:11 ID:nqQ.8Bn20▼このコメントに返信
現代戦でも強襲上陸ともなると、強襲後に大量の物資を輸送船団が運ぶ。
そんな戦略が当時の蒙古には実現は無理。
弓矢や弾薬、馬や食料など軍隊は大量に必要とする、船から動けなかったのはそれらを輸送する専門部隊など存在しないから。
出兵してきた戦闘部隊自らが、兵站を補う。船から離れられない最大理由がそれ。
船から離れると言う事は補給を失うと言う事であり、戦略的にも戦術的にも無理がある。
大した補給能力も無く海を渡り戦う困難さを知らぬ愚か者に過ぎない。

負けて当然、だから反日本では英雄だのニホンガーだので誤魔化そうとするだけの事。
183.名無しさん:2018年06月19日 15:12 ID:yPWZW1z70▼このコメントに返信
※173
あれは敵味方双方にだぞ
武士は基本武士と戦うから相手は日本語が通じる、というか顔見知りだったりもしくは知人の知人とかもざら
なので味方に対しては「いいとこ見せるから見てろよ見てろよ」であり、
敵に対しては「ワイの大活躍を目に焼き付けてワイの武名をせいぜい喧伝しろやwww」となる

まあ元寇に限って言えば通訳は連れてきてただろうけど、基本話の通じない相手だから味方アピールが主だけども
184.名無しさん:2018年06月19日 15:12 ID:GepU9R..0▼このコメントに返信
※174
1回目の文永の役だと本土での戦いは昼間の陸上部隊同士の会戦のみで日本が勝利してる
2回目の弘安の役でもむしろ日本軍のほうから元軍が制圧した離島に上陸戦やって勝ったりしてる
※177
他のレスも触れてるけど高麗兵は両遠征とも数分~十数分の一くらいしかおらんけどね
状況証拠的ではあるけど朝鮮に日本遠征用の大規模な牧場を整備した話やモンゴル高原のほうにも結構な軍役負担があったと取れる話が元側にあったりで蒙古人や女真人の精鋭もそれなりの数連れてきてた説もある
それと旧南宋軍は口減らしとかじゃなく普通に戦力として期待してたと思うぞ
旧南宋軍主力の弘安遠征軍が壊滅した結果情勢不安を招いた訳だから口減らし目的だとしたら元朝首脳陣があまりに無能すぎるからね
何より最初はともかく途中からは一番日本遠征にノリノリだったのはフビライ自身でむしろ高麗は泣き言ばっか言ってる
185.名無しさん:2018年06月19日 15:15 ID:.2xZengp0▼このコメントに返信
※171
日本の船も渡海能力が無い訳じゃないぞ。
誤解されがちだけど”たらい船”ではなく底板が西洋船の竜骨同様に出っ張ってるから、逆風でもきちんと前に進める。
あと、これは高麗船にもジャンクにも和船にも共通して言える事だが、舵が非常に大きいんだよね。言い換えると、破損しやすい。
舵を失った船は制御できない流木と同じ。
それが荒天を避けつつ沿岸航海をするのが主流であった最大の理由。

あと、日本が特に顕著だけど東アジア共通の造船思想として、人命軽視ってのがある。
具体的に言うと水密構造ね。いまは甲板があるのがフツーと考えてるだろうけど、近世以前は甲板無かったから。
甲板が有ると積載能力が下がるからね。
高額商品を扱う一部の遠洋貿易船には甲板があったが、通常の運搬船には全く付けられなかった。
甲板の無い船は、嵐に遭えば船に水が入りたい放題。帆を切って荷物片っ端から捨てて、それでもダメならマスト切り倒して、あとは神仏の加護を必死で祈るという感じ。
鎌倉期どころか平安期の遣唐使船でも水密構造にしてたのに、江戸時代になっても廻船の99%は非水密。水夫の命は非常に安いってね。
186.名無しさん:2018年06月19日 15:48 ID:ZHOicf3c0▼このコメントに返信
ゴーストオブツシマ …
もう少し時代考証をしっかりできなかったものか。鎌倉期の武具・装束じゃないじゃん。
187.名無しさん:2018年06月19日 15:52 ID:bTMASUpb0▼このコメントに返信
こんな情勢だから筥崎宮にお参り行って来たわ
188.名無しさん:2018年06月19日 16:01 ID:Pp.FCHII0▼このコメントに返信
※171
「荒れた」日本海を渡れなかったと言ってるのに、渡海能力はあった!とか、何を見当違いの話ししてんの?
189.名無しさん:2018年06月19日 16:05 ID:0plnSwvZ0▼このコメントに返信
またか
普通に上陸して砦占領して騎馬で戦ってると何度言えばわかるのか
190.名無しさん:2018年06月19日 16:19 ID:RUzviCrv0▼このコメントに返信
※171
日本は朝鮮の役で十数万の兵とその糧食を海上輸送するほど渡海技術が高いんだが
そもそも、渡海技術がないなら対馬を維持できんし
191.名無しさん:2018年06月19日 16:25 ID:N9.ATnLV0▼このコメントに返信
最初は鎌倉武士も戸惑っただろう。ルールを知らない相手だったから。でもすぐ慣れて、善戦した。また日本の弓は射程距離が長く、モンゴルは
船上から揺れて撃ったので当たらなかった。馬に乗らないモンゴル兵は弱かった。 てつはうは鉄砲のことだろう。中世はてふてふと書いて蝶々と読むくらいだったから。
192.名無しさん:2018年06月19日 16:48 ID:Crk5kluw0▼このコメントに返信
※191
日本の弓が射程長いって、それ戦国期になって、和弓の改良が進んだ後のverのことだろ。
当時の和弓は単一弓に毛が生えたようなもんだから、射程は蒙古弓の半分以下だぞ。
193.名無しさん:2018年06月19日 16:57 ID:.2xZengp0▼このコメントに返信
※192
古い神社や博物館に行けば鎌倉弓の本物見れるのにね。
まあ、弓道やってた人じゃない限り、見てもわかんないと思うけど。
194.名無しさん:2018年06月19日 16:58 ID:Crk5kluw0▼このコメントに返信
※136
世界最強の弓の基準をどう規定するの?
コンパウンドボウ登場以前の弓で
コスパならイングランドロングボウ
射程ならトルコ弓、蒙古弓

だよ。
和弓は世界最大の長弓だけど
それは弓自体が長いと言う意味で
ロング(長い)=射程が長いってわけじゃない。

和弓の能力自体は平均的な弓程度だって。
日本の気候と地理条件に最も適した弓であって、世界最強ではない。
195.名無しさん:2018年06月19日 17:03 ID:JaUX.fwk0▼このコメントに返信
当時の幕府やたらめったら有能だったからなー
無能極めてたら橋頭堡築かれて年単位でやってた可能性は大いにある(それでも最終的には勝つ
歴史の悪戯やね
196.名無しさん:2018年06月19日 17:07 ID:C90WVM5y0▼このコメントに返信
蚊に刺されて祟りだと思って逃げたんでしょ
197.名無しさん:2018年06月19日 17:15 ID:Crk5kluw0▼このコメントに返信
※171
いやいや、高麗の船も船底が平たいたらい舟なのは一緒だぞ。
日本の舟でも十分に航海能力はあったけど、問題は
「大型船の建造技術」が未熟だったことやで。

主に内海での交易や海賊の海戦がメインだったから、大船建造技術の成熟が遅れた上、
戦国中期頃になって海戦に戦国大名が直接的に関るようになって
より有利に戦うために関船や安宅船などの大型船が登場するけど、
大型化が目的だから、船梁を家の大黒柱みたいに大きくする方法で
手っ取り早く大型化したから、大船になるほど耐久性がおざなりで、遠海に出せないものになるんや。

欧州の船との比較で竜骨をよくいうけど、実は竜骨から伸びる肋骨も大型和船には無いから
横腹に衝撃が加わると破損しやすい欠陥がある
198.名無しさん:2018年06月19日 17:16 ID:zTbmTl.M0▼このコメントに返信
まあ、坂東武者自体が、リアル北斗の拳の悪人みたいなもんだから。
彼らを律する為に作った御成敗式目の 内容を読めば、
相続関係以外の法は、殺人、恐喝、横領、放火、から不倫まで、
恐ろしくレベルが低い。
逆に言えばそれらが横行していた訳。

足利家といえば、室町幕府を開いた源姓足利氏の事を指すのが普通だが、
本来の栃木県足利市辺りの荘園は、藤原姓足利氏の物だった。
此方が、本来の足利氏。
之を、源氏の兄弟が騙し討ちして、横領した。
この兄の方が新田本宗家の始祖、源義重、弟の方が源義康で足利尊氏の先祖に成る。
将軍家の先祖にして、こんな具合だから、
下っ端に至っては、押して知るレベル。

199.名無しさん:2018年06月19日 17:18 ID:j93SOc.10▼このコメントに返信
※194
ロングボウってあれ運用人員まで考えるとかなりコスパ悪いんだよ。イングランド王家がかなり強引な政策やってむりやり弓兵育てていたので、左右の腕の長さが違うとまで言われるほど弓に特化した兵員を育てることに成功した。が、同じことを他の国は出来ていない。しかもそんだけやって、フランス騎士の装甲を射抜くまでにはなってないからね。大量の矢でうんざりして戦意喪失したのは間違いないが、トドメはイングランドの下馬騎士らを主力とする近接歩兵戦。

トルコやモンゴルら遊牧民の用いる弓矢も射程が長いわけじゃない。彼らは軽い矢じりを遠距離用、重たい矢じりを近距離用に使い分けていたが、逆に言えば遠距離用の矢では致命傷を与え切れなかったケースが多かったということ。遊牧民の短弓は構造上かなり強力なのは間違いないが、このコンポジットボウの構造自体は紀元前からあり、また漢なんかは射程で上回るよう弓を大きくしたという例もあったりして、遊牧民の弓が特別射程が長かったわけではない。むしろその利点は取り回しの良さで、乗馬の技術と合わせて敵の懐にさっと入り込んでの直射で有効打を与えられるようになっていた。敵の射程外をちまちま走り回ったりとか、曲射での一斉射撃とか、やらなかったわけではないだろうがそれをアテにしたものではなかった

和弓も同じように、有効射程が十数メートル程度と認識されていたけれど、大鎧の防御力に対しての有効射程であって敵の防御が弱ければもっと射程を稼ぐこともできる。そしてモンゴル同様のコンポジットボウであり、その中で最大級の大きさを誇っていたことを考えれば、威力に関しては和弓のほうが高かった。矢じりが重たいんで射程は稼げないけど。「日本の気候と地理条件に最も適した弓であって、世界最強ではない」←これには同意
200.名無しさん:2018年06月19日 17:19 ID:xIdSLr6U0▼このコメントに返信
当時描かれた絵巻だと結構苦戦してる絵図だったりするけど、報償釣り上げる為にわざと大変な様に描かせた説あるし
201.名無しさん:2018年06月19日 17:22 ID:Crk5kluw0▼このコメントに返信
※199
イングランドのロングボウのコスパは製造面で言ってた。
削っただけで、複合弓と同じものが出来るチート素材。
202.名無しさん:2018年06月19日 17:26 ID:QTvzY5H40▼このコメントに返信
野蛮人共が海を渡って攻めてきたら守る方はもっと野蛮人だった模様。
北条も良くこんな奴等をまとめ上げてたな、感心するわ。
203.名無しさん:2018年06月19日 17:32 ID:Crk5kluw0▼このコメントに返信
※199
和弓は世界でも有数の長い弓で、矢も同じく長くなる関係上、
どうしても遠距離での矢の揺れによるエネルギー減衰が他の弓矢より激しいのがあって、
これだけは矢じりを軽くしようとも解決できない。
筒を使って短い矢を飛ばす秘伝を持つ弓道の流派もいたけど、名前が思いだせん。
204.名無しさん:2018年06月19日 17:36 ID:RUzviCrv0▼このコメントに返信
※197
つーか、日本や中国の造船技術が低いってのも眉唾だと思うぞ?
そもそも、日本は元や南宋とも貿易してたわけで、普通に日本と大陸との商船航路は確立してたっぽいし、日本の場合離島があるから対馬を筆頭に外海を航行できないと維持が難しそうな島もある
それに、元寇の侵攻先が博多に限定されてて、中国人や朝鮮人に土地勘が無いことから見て、大陸との貿易は日本船と日本人船員による渡航が大多数だったし
そもそも、そうでも無けりゃ、前期倭寇でそこら中で暴れ回られんでしょ
205.名無しさん:2018年06月19日 17:39 ID:Crk5kluw0▼このコメントに返信
※204
対馬は例外だぞ。

朝鮮南西部から船出せば、
海流の関係上、何もせずにほっといても対馬・九州・沖縄までたどり着けるし、
季節によっては逆に朝鮮側への渡航も海流任せでいける。

韓国からのゴミが流れ着くのが多いのはそういう関係。

206.名無しさん:2018年06月19日 17:47 ID:LmGVL8Dk0▼このコメントに返信
このあたりの時代、ここ三十年前後でかなり定説が覆ってる
「時代遅れの日本武士は負けていたが元軍が自滅した」から
「日本武士は普通に優勢だった。というか元軍はモンゴル正規軍不在で、ほとんどの部隊は占領地の不穏分子粛清のため全滅前提だった」に変わった
207.名無しさん:2018年06月19日 17:47 ID:Crk5kluw0▼このコメントに返信
※204
>元寇の侵攻先が博多に限定されてて、中国人や朝鮮人に土地勘が無いことから見て、

逆だよ。
博多湾の地図を良く見れば分かるけど、大船団が安定して停泊し、上陸できる地点は博多しか存在しないの。
博多湾の地形が天然の港の地形で、綺麗に囲むようになってて波も安定してる場所だと、モンゴルにすでに知られてるってことだよ。
逆に大船団が上陸できる場所がそこしかないという限定的条件も日本側も知ってるから、そこに石垣を建てて備えたわけ。
208.名無しさん:2018年06月19日 17:56 ID:RUzviCrv0▼このコメントに返信
※205
で、流れに乗せた倭寇を乗せた船が偶然元まで流れ着いてたって主張するのか君は
技術面を語るのは構わないが現実と相違がある以上どこかが間違ってると考えた方が良いぞ
209.名無しさん:2018年06月19日 17:57 ID:Ogsg.Z.Q0▼このコメントに返信
名乗りを上げるのは成熟した文化があったから
ただ敵をヤルだけの野蛮人にはない文化だよ
それ自体がどうということはない。
文明として優れてるかただの動物かっていう違い
210.名無しさん:2018年06月19日 18:14 ID:f41nGbTA0▼このコメントに返信
※208
対馬が特殊ケースであるのと、
大型船の建造技術面で、劣ってたのは事実じゃないかな。

遣隋使や遣唐使の船も
日本書紀で
「日本の船は航海できないから、航海できる新羅の船を3隻輸入した。」
って記述あるし
乱暴に言えば新羅の船のコピー品疑惑あるし。
純粋な和船とは言えないかも。
211.名無しさん:2018年06月19日 18:16 ID:5eKYiqiA0▼このコメントに返信
宋人はやる気なし、日本に情報流しまくってたから処分なしだったけれど、高麗人は相変わらず事大主義で本気で日本に攻めたから撫切りにした
212.名無しさん:2018年06月19日 18:22 ID:4e3HAf.H0▼このコメントに返信
現代の技術でも数十万の部隊に渡洋上陸させて補給も滞りなくというのはアメリカにしかできないことだからね。
しかも日本の地勢が山と沼地が大部分で騎兵の集団戦術に不向きだということぐらい、情報収集に長けたモンゴル軍が知らないわけないし。
元寇は棄民政策による全滅予定部隊だったという議論が有力だわ。
213.名無しさん:2018年06月19日 18:31 ID:h.rnXa3L0▼このコメントに返信

で、滅びてやんの
214.名無しさん:2018年06月19日 18:32 ID:h.rnXa3L0▼このコメントに返信

大陸民族だから、台風やシケに無防備でやんの
215.名無しさん:2018年06月19日 18:34 ID:gXf.ferO0▼このコメントに返信
名乗りを上げる、というのは言葉が通じないから記録がないだけで元軍もやってたんじゃねえかなあ。
元も貴族社会のようだし、軍の指揮官たる貴族(日本の武士に相当)は皇帝の覚えをめでたくするために自分の手柄を周囲に示さなければならないはず。
216.名無しさん:2018年06月19日 18:48 ID:tRH2y3Rt0▼このコメントに返信
※215
当時の記録には、名乗りを上げた記述ってないんだよ、、、

あるとすれば、八幡愚童訓に、少弐資時が戦の作法として最初に鏑矢を射掛けたら
元軍がコレを馬鹿にして鬨の声を上げた、ってのがあるくらい、、、

鳥飼潟の戦いの後、少弐景資と大友頼泰は引付(参陣・戦功を記録すること)して
勲功の確認は戦場に居た他の部隊や本人の怪我を確認して各人の戦功確認をしっかりしてる
(このとき竹崎季長も書下もらってる)ので
まぁ名乗りが必須ってわけでもなかったりする実情はあるのよ、、、
217.名無しさん:2018年06月19日 19:01 ID:l1ggKnLy0▼このコメントに返信
※212
棄民説の理屈だとフビライが頭おかしいレベルの無能になるけどな
「モンゴル人のために高麗軍や南宋軍を使い潰したいなあ…せや!日本遠征で壊滅させたろ!」

モンゴル人皇族・貴族「日本遠征の負担重ウザいなあ…反乱起こしたろ!」→フビライ、これを討伐

本末転倒なんてレベルじゃない それに壊滅させること前提の危険な戦いになぜ貴重なモンゴル人戦士まで同行させたのかってなる
旧南宋軍を率いてたのも実績はパッとしないし末路も悲惨とはいえ朝廷でかなりの立場だった范文虎だしね
218.名無しさん:2018年06月19日 19:04 ID:gXf.ferO0▼このコメントに返信
※216
元の軍事組織ってどうなってたんかな?
手柄を立てた武将は論功行賞で恩賞にあずかる、当然戦いに臨んで周囲に名乗りをあげあるいは旗印や紋章で出自を示す必要があるのは遠く離れたヨーロッパの騎士でも同じ。元軍でも朝鮮軍でも当然そういう行為はあったはずだと思うのだけど…
219.名無しさん:2018年06月19日 19:25 ID:RUzviCrv0▼このコメントに返信
※210
事実は大型船建造能力は不明だが、少なくとも大陸沿岸を自由に航行できる渡海能力、及び現地戦力を駆逐した対馬が維持不能と判断される程度には、兵力を渡海可能な海運能力を有していた、だろ
元に大量の日本の商船が渡海してたのは事実だし、更にこの数百年後の戦国時代には十数万とその補給を海運で賄う、時代からすると明らかに異常な能力を得てたわけだし
それと、日本書紀の記述を例にとっても、遣隋使から元寇まで何回中国の王朝が代替わりしてると思ってるんだ
220.名無しさん:2018年06月19日 19:26 ID:MRN8Dgpy0▼このコメントに返信
※217
フビライ「お前。なんでこっちに寝返ったの?」
范文虎「賈似道の奴がおれたちを皇帝に讒言したんだ」
フビライ「でもお前、南宋の皇帝や民衆から何かされたわけじゃないよね? それで家族まで見捨ててこっちに来るんだから、賈似道のやったことって讒言じゃなくね?」

こういうやり取りあったらしいし、フビライが南宋の降将たちを持て余してたのは本当なんじゃないかな
221.名無しさん:2018年06月19日 19:29 ID:EYcl4jAf0▼このコメントに返信
※198
???
足利って名字は関東へ行く前から源氏一族の名字だけど。
222.名無しさん:2018年06月19日 19:42 ID:4e3HAf.H0▼このコメントに返信
※217
棄民説に立つと、反乱分子のあぶり出しに成功し(范文虎を含め)これを見事に無力化、鎮圧したのでこれは政治的に理にかなっているといえなくもないし、被支配民の南宋人を戦わせるには督戦役のモンゴル人が不可欠なのでこれもやむを得ない。骨を切らせて肉を絶ち、結果フビライ超有能。むしろ、元寇が本気だとすると客観的に無謀極まりない作戦で、結果的にも惨敗。よって超無能。まあ元寇が棄民政策だとしても、知ってるのは本人と少数の幕僚だけだろうし証拠もなにもあるわけない話なのはもちろんですが。
223.名無しさん:2018年06月19日 19:50 ID:f41nGbTA0▼このコメントに返信
でも、日本侵攻は、南宗攻略開始以前からでてたから、口減らし説は無理くない?
224.名無しさん:2018年06月19日 19:52 ID:aeO2TRMl0▼このコメントに返信
※17
読んでないけど日本がしたってこと?負けたらそれ以上のことされんのに何言ってんだってなるだけだと思うが。
225.名無しさん:2018年06月19日 19:56 ID:aeO2TRMl0▼このコメントに返信
※17
ああごめん証拠すら無かったのね、慰安婦といっしょで逆にそんなこと無かったって証拠出てきたりしてな。
こういうのきちんと一匹ずつ叩き潰してかねーと。
226.名無しさん:2018年06月19日 20:03 ID:GepU9R..0▼このコメントに返信
棄民が目的だったとしたら棄民説のいう一番大切な目的であるはずのモンゴル人の優先・保護が全く出来てないからな
弘安の役の後の中止になった日本遠征計画の一つだと万単位の遊牧民精鋭部隊を投入する予定になってたりとか
江南の民が困っているのを理由に徴発していた船を返して代わりにモンゴル人所有の船を充てるとかしてるしやっぱり棄民は無理がありすぎる
227.名無しさん:2018年06月19日 20:29 ID:93VvnJoa0▼このコメントに返信
鎌倉武士ってのは鎌倉幕府に所領安堵を受けた国人領主ってことだよな。
それ以外の武装集団は土豪とか言われるわけだ。
228.名無しさん:2018年06月19日 20:30 ID:ttS.bBmI0▼このコメントに返信
モンゴルが弓騎兵主体で山岳の多い日本では不利と言っても、日本の武士も弓騎兵主体で戦法、甲冑、武器が進化してるから、平野でもモンゴルには言うほどアドバンテージ無いでしょ。歩兵の郎党が常についていると言うわけでもないぞ。
229.名無しさん:2018年06月19日 20:43 ID:j93SOc.10▼このコメントに返信
※201
だから複合弓は中世レベルの鎧ならちゃんと射抜けるのに、ロングボウは特殊な教育を徹底した精鋭弓兵でないと同レベルにはならんってことを言っている。そりゃ複合弓だってモンゴル人にせよ鎌倉武士にせよ不断の努力が必要だったけどね。鎌倉時代ではちと参考にならんが、もう少し時代が下がってくると、封建領主ではない階層の戦闘員でも和弓を使って戦力に計上されているわけで、ロングボウ自体が本当に生産が容易だったとしてもそれを(当時基準で最高威力であっただろう)クロスボウに匹敵する戦力にするには尋常じゃない努力を強いる必要があった。これはコスパ良いとは言えん

まぁ武器の最強論議なんてものが不毛だってのはその通りだからいいんだけれども。鎌倉武士の弓の威力を平均的一般的なレベルと断定するのも違うんじゃね
230.名無しさん:2018年06月19日 20:48 ID:0.s8EzgN0▼このコメントに返信
神功皇后と八幡大菩薩が霊威を振い猛火と暴風を起こしたんだから、蒙古兵は早々に戦意を喪失したはず
231.名無しさん:2018年06月19日 20:52 ID:2s3mKyiG0▼このコメントに返信
そもそも、辺境にそれなりに財宝や資源のある島があって、そこは既に懐柔しました。
と聞いて、言ってみたら、そこそこの抵抗を受けて。
話が違うんじゃないかと本気で攻め込もうとしたら、死を恐れない戦闘集団だったと言うオチ。
(大陸の人間は死を恐れます。死ぬくらいならさっさと逃げます。)

まぁ、半島の言う事を信じたのが悪い。
232.名無しさん:2018年06月19日 21:27 ID:mM78bIPj0▼このコメントに返信
でも十万人規模の元兵が鷹島で殲滅されたんでしょ
233.名無しさん:2018年06月19日 21:40 ID:HxVRg5WB0▼このコメントに返信
※232
戦争犯罪(名乗り無視)する連中やししゃーない
やらかした後に投降した所で的当てや試し斬りの練習台や
234.名無しさん:2018年06月19日 21:53 ID:xvd3bvSc0▼このコメントに返信
元寇は純粋なモンゴル軍の侵攻じゃねーからな
元に侵略されて奴隷と化した朝鮮人とそいつらの作った欠陥軍船が敗因の一因になってる
235.名無しさん:2018年06月19日 22:06 ID:bH9X.7gv0▼このコメントに返信
まだこんな俗説信じている無能っているんだなw
236.名無しさん:2018年06月19日 22:07 ID:rADdFV2x0▼このコメントに返信
※234
モンゴル人は遊牧民でもともと人口はそんなに多くない(100万人程度)
基本的には、どこの遠征軍にしても多民族混成軍で構成されています。
日本遠征軍だけが、そうであったわけではありません。
蒙古軍は陸上戦が得意であって、海戦で日本を撃破する目的で襲来したわけではなく、上陸して征服するための軍勢で、
船の欠陥のせいで陸上戦に敗退したわけではありません。
鎌倉武士に上陸を阻まれて不利な海上に撤退せざるを得なかったというだけです。
237.名無しさん:2018年06月19日 22:09 ID:EYcl4jAf0▼このコメントに返信
※234
まるでモンゴル軍相手じゃ勝てない様なセリフだね。
蒙古は真剣に日本潰したがってたんだけどね。
勝てなかっただけだよ。武力にもまじないにも。
238.名無しさん:2018年06月19日 22:14 ID:4uvdWb.n0▼このコメントに返信
日本軍も
ファランクスのように、殺されても殺されても、大和魂でとにかくゴリ押し突撃し続けたり
人質ごと、船を焼き払ったり、昼夜問わず24時間戦闘し続けて睡眠取らせなかったり、超頑張ったんだぞ

だからこそ、台風まで粘れたのだぞ
239.名無しさん:2018年06月19日 22:17 ID:isK.5F3o0▼このコメントに返信
相変わらず下位打線も強いなw
240.名無しさん:2018年06月19日 22:18 ID:rADdFV2x0▼このコメントに返信
文永の役(高麗側の文献)
対馬壱岐は順調に占領し、九州上陸(10月20日)では奮戦したものの、形勢は不利で軍の統制が取れなくなり物資が枯渇し撤退。
船に乗り込んだときに暴風(寒冷前線)にあい、多くの軍船が破壊され帰還できたのは900隻中の400隻程度であった。
日本から拉致した童男童女200人を高麗王と妃に献上した。
241.名無しさん:2018年06月19日 22:22 ID:rADdFV2x0▼このコメントに返信
※240
つづき

弘安の役(高麗側文献)
高麗軍兵1万人。東路軍にはモンゴル人・漢人からなる3万人。後に合流する南宋軍(江南軍)10万人。
前回同様に対馬壱岐までは順調に確保できたが、九州上陸は優勢な日本軍に阻まれことごとく失敗し、江南軍と合流するために壱岐まで撤退。
食糧不足と疫病の蔓延により3000余人死亡し、江南軍と合流し鷹島沖に集結し上陸を再開したものの、
日本側の頑強な抵抗にあい上陸はうまくいかず、海上にて台風(7月)にあい壊滅。さらに日本側の追撃を受けた。
242.名無しさん:2018年06月19日 22:25 ID:EYwKlMWM0▼このコメントに返信
※203
243.名無しさん:2018年06月19日 22:56 ID:cpx1Tt6I0▼このコメントに返信
名乗り上げないと味方から証言して貰えず褒章が無いので武士としては死活問題なんだよな
あの時代の武士は半ば蛮族なんで言われてるほどルールに則った戦いなんてしてないよ
国内の戦いも闇討ち焼き討ち当たり前だし
むしろ応仁の乱以降京都から焼け出された貴族が地方武士に匿われるようになってお上品になったレベル
244.名無しさん:2018年06月19日 23:03 ID:Bv50Nz.70▼このコメントに返信
アンゴルモア、アニメするのか
245.名無しさん:2018年06月19日 23:05 ID:zTbmTl.M0▼このコメントに返信
※221
何を言っているのか解らないが、源姓足利氏の始祖は、源義国で(足利式部大夫)その次男義康が足利姓を称したのが始まりだよ。
足利荘は、元来八幡太郎より与えられた義国の本貫地だったが、実質的には、藤原秀郷流の藤原姓足利氏が支配していた。
之は藤原姓足利氏が平氏側だったのも大きい。
だが、勅勘を受けた義国が本貫地へ都落ちしてみると、藤原姓足利氏がいかにも邪魔になった。
新田荘を本拠地に時を待っていた、源姓足利氏の源義重、義康兄弟は、
頼朝が天下を取り源氏の体制が固まると見るや之を収奪に動いた。
結果、藤姓足利氏4代当主足利俊綱は、家臣の桐生六郎に騙まし討ちにされた。
この現場の山は、地元で赤雪山といわれている。
俊綱の首より滴る血潮て雪が赤く染まったのが其の名の由来と言われる。
246.名無しさん:2018年06月19日 23:10 ID:cpx1Tt6I0▼このコメントに返信
※199
「矢は長しと雖えども、遠くあたわず。」元側の証言としてとあるので
和弓はそこまで飛距離が無かったのは間違いないだろうな
当時の大鎧は25kg前後と一番重たい時代だから
飛距離犠牲にしてでも大型で重い矢じゃないと貫けないという事情があっただろうが
247.名無しさん:2018年06月19日 23:54 ID:DhtZ690m0▼このコメントに返信
※36
そもそも上陸戦しかけておいて船に引き返すとか敗戦以外の何物でもないよな
248.名無しさん:2018年06月19日 23:58 ID:GepU9R..0▼このコメントに返信
藤姓足利氏はもともと河内源氏と主従関係を結んだ足利荘の管理者だったけど
河内源氏のうち義国流の勢力が「大事な経済基盤だし直接足利らへん管理するわ」って乗り込んできてこじれた結果滅ぼされたんだっけ
249.名無しさん:2018年06月20日 00:05 ID:8SC.nFuN0▼このコメントに返信
>あの時代に海渡って攻めるとか無理ゲーやろ

元軍は上陸作戦大好き軍。
日本を攻めるまで、元も上陸作戦で負け無しだったけどな。
250.名無しさん:2018年06月20日 00:36 ID:KhjZjjU30▼このコメントに返信
でも負けたんですよね?都合の悪い時だけモンゴルの責任にするけど、古代中国が、中国4000年の歴史とか言ってたのに含まれる地域と時代の人間が昔の日本に。中国雑っ魚。
251.名無しさん:2018年06月20日 00:52 ID:lxVFqwiB0▼このコメントに返信
私有財産守ったり、増やしに行ってるんやから、そら必死だわな。
252.名無しさん:2018年06月20日 01:15 ID:4Zu0dwZ20▼このコメントに返信
※246
矢の種類は何個かあっただろう
最初は遠距離の打ち合いで様子見するだろうし この場合はある程度軽量の矢を使う
そのうち接近して大破壊力の大型矢で破砕する
253.名無しさん:2018年06月20日 02:05 ID:2ntECTst0▼このコメントに返信
(マルコポーロの伝聞した「元寇」より抜粋)
さて、私は今一つ、次のような驚異についてお話しするのを忘れるところであった。
それは、戦いの初め、大カアンの軍隊がジパングに上陸して平野を占領した時のことであった。
一つの塔を落とすと、中にいた人々は降伏を肯じなかったので、その首を刎ねたのであったが、
どうしても八人だけは首を切り落とすことができなかった。その八人は、うまく隠れて外から
は見えなかったが、腕の肉と皮膚の間に石を埋め込んでいた。その石には魔術が施れ、
決して刃物では殺されぬという効能を帯びる。これを聞いたタタール人の将軍たちはその八人を棒で殴り殺し、
その死骸から石を取り出すと大事にしまったのであった
254.名無しさん:2018年06月20日 02:33 ID:J.HRSqTG0▼このコメントに返信
このブログでは、元寇ネタも国債残高ネタ同様定期的に繰り返されるよね
255.名無しさん:2018年06月20日 02:34 ID:9sPjUgcf0▼このコメントに返信
野球のスタメンみたいなコピペ最近になって良く見かけるけど、なんかかなり見たことも聞いたこともないやつ混じってるけどソース知らないんだよな。調べても出てこないし
武士団に口上は味方に周知するためってのと神風吹く前から善戦してたって事くらいしか無くね?
256.名無しさん:2018年06月20日 03:11 ID:CXzBPPtr0▼このコメントに返信
※252
確かに鏃はカートリッジ式になってて変えられるようになってるが
どうしても矢の長さがあるので短弓の矢よりも飛距離は伸びない
大型の和弓は運動エネルギー自体は優れているので貫通力や破壊力はあるんだけどね
257.エンアカーシャ:2018年06月20日 05:39 ID:MtK0Jdc10▼このコメントに返信
こうして、日本は、モンゴル帝国に戦勝しました、
中国と韓国は、モンゴル帝国に敗戦して、国家そのものが消失して、滅亡しました、

そう言う話。
258.名無しさん:2018年06月20日 06:57 ID:p4wuQoW40▼このコメントに返信
※212
棄民のために資材も金もかかる船4400隻作るくらいなら、宿敵のカイドゥあたりと戦ったほうがましだろう。
そもそも武威をもって大陸に君臨するモンゴルがそんなことしたら帝国の維持に支障をきたす。
投降した国民党軍を朝鮮戦争に投入した中国人と極めて似た発想。
259.名無しさん:2018年06月20日 07:43 ID:HJUsLOpc0▼このコメントに返信
高麗人の方が多かったんだよ。
260.名無しさん:2018年06月20日 08:01 ID:K51M0sbl0▼このコメントに返信
沈んでる船調査したら鉄釘が船底にむき出しの沈むべくして沈んだ様な手抜き船だったとか言う話だな。
261.名無しさん:2018年06月20日 08:03 ID:K51M0sbl0▼このコメントに返信
名乗り云々言うけど普通に元に侵略された欧州方面の騎士も名乗りとかやってたとか言うしな。
262.名無しさん:2018年06月20日 08:11 ID:UPzVxVir0▼このコメントに返信
※255
海上に逃げた元軍を夜襲して回ったみたいな話はあるぞ、向こうは騎馬兵なんで布の鎧だからスパスパ切れたとかしりょうあるでよ。
263.名無しさん:2018年06月20日 08:26 ID:m.1ein9s0▼このコメントに返信
日本側は夜襲を繰り返した為に
上陸すら出来なかったし
モンゴル軍は海上に停泊していても小舟で乗り込んでくるのでおちおち眠る事が出来なかったよ
264.エンアカーシャ:2018年06月20日 08:58 ID:ZbtunC7J0▼このコメントに返信
257の2、

つまり、
モンゴルの侵略に敗北して、国家が消滅した、中国と韓国は、日本より下の存在って事な、

 中国 我は皇帝なるぞ!
 韓国 我は全世界神だ!

 モンゴル ぷっ、ナニアレ (笑)

<戦場のしきたり>より、<存在しない名誉>を優先させ破滅した、中韓。
265.名無しさん:2018年06月20日 09:35 ID:Q0UulYrE0▼このコメントに返信
※262
船酔い+う・ん・こ投げ込まれて疫病蔓延中の弱ってるやつらだからであって、
このときの元の鎧はガチガチの重装備だよ。支配領域がこうだいになったため、「モンゴル人騎馬戦士」が貴重になってきたため、
初期の軽装騎馬中心だった構成から、重装歩兵中心に移ってる。

また、モンゴル人=軽装なのは誤解で、初期でさえも日本の胴丸程度のラメラアーマーを着用してた。
ただ、モンゴルの寒冷気候の問題で「鎧の上に毛皮の服を着る」習慣があったから一見軽装に見えるだけ。


後期になると、毛皮の裏地に鉄板つけたほうがより防護性が高まることから
「服裏地に鉄板付けたら楽やな」って発想でラメラアーマーの進化系の<モンゴル ブリガンダイン>が誕生するねん。

高温多湿の日本の気候には合わなかったけど、生産コストの大幅削減/保守修理の用意さ/規格化可能
のメリットから以後、<モンゴルブリガンダイン>が東アジアの標準防具になるほど優れた防具だったし、
朝鮮役でも、手に入れた<モンゴルブリガンダイン>の朝性の将官の鎧を性能を試して
<うわぁ、すごい>って言ってる記録がある。


決してモンゴルの鎧が薄いわけではない。
266.名無しさん:2018年06月20日 09:55 ID:NXDQH.VI0▼このコメントに返信
元寇いっても最初は8割高麗兵だからな。負ける気がしない
267.名無しさん:2018年06月20日 10:47 ID:bLIeo2080▼このコメントに返信
※255
上のほうの※でもあるけど、打線コピペは大半が近年急にネットで見かけるようになった話で出展史料の提示されてる書き込みを見たことないので裏付けは恐らく無い
焦土作戦で博多略奪だの人質ごと攻撃だの死体を船に投げ込みだの日本側にも元軍側にも一時史料には一切ない話 やたら見かけるから騙されないようにな
※259※266
これも上のほうの※で触れられてるが、高麗兵は両遠征とも数万~15万のうちせいぜい1万程度っていう小勢だよ 水夫入れれればもうちょいいただろうが
※262※263
夜襲をしてない訳ではないが元寇は普通に昼間の大規模戦闘で日本軍が正面から敵を撃破ってパターンのほうが多いよ
少なくとも一時史料からわかる限りだと文永の役では夜戦は一度もないし弘安の役でも夜襲が1回、昼から夜明けまで続いた戦闘が1回とかそんなレベルだったはず
268.名無しさん:2018年06月20日 12:21 ID:EHBzrNoi0▼このコメントに返信
ネットのデマを鵜呑みにしてる馬鹿が多いって事は判ったわ。
(一人の暇人が串変えて色々書いてるのかも知れんが)
269.名無しさん:2018年06月20日 13:47 ID:knpLted10▼このコメントに返信
まだ元はガチじゃなかったなんていってる人がいるんだな
ガチじゃないのに二回も遠征するわけがない
270.名無しさん:2018年06月20日 14:35 ID:oVUAd8rT0▼このコメントに返信
絵巻で苦戦というか
「勇敢に戦うモンゴル兵」自体が加筆されたものだし
271.名無しさん:2018年06月20日 16:50 ID:rPJZWEo.0▼このコメントに返信
※269
ガチだったら二度も大敗したらその時点で国が傾いてるだろ
中央アジアや東南アジアで多方面戦争しながらの片手間で、そこに更に三度目の遠征計画中だぞ
272.名無しさん:2018年06月20日 17:18 ID:GHhGelCA0▼このコメントに返信
※112
あの時代の資料に「裏切ったのは別にいいけど去るときに挨拶しなかったから殺すわ」っていうのがマジであって草
273.名無しさん:2018年06月20日 17:22 ID:GHhGelCA0▼このコメントに返信
※150
ポニーを馬鹿にしてる人間は一度モンゴルのナーダムを見た方がいいよな
普通に迫力ある
274.名無しさん:2018年06月20日 17:32 ID:2zR4.vem0▼このコメントに返信
名乗り上げるのはテストに名前書くのと同じ
良い点とっても誰の解答用紙かわからなかったら意味ないだろ?
小学生以上ならこの理屈わかるよな?
275.名無しさん:2018年06月20日 17:32 ID:GiU7OiIl0▼このコメントに返信
※10
闇夜に紛れて小舟で接近し、荒縄を敵船に引っ掛けてから馬の腐乱死体を詰めた袋を背負って敵船に乗り込んだ後、甲板上に袋から出した馬の臓物や腐汁とかをブチ撒けて敵負傷兵の間に疫病を感染させるんやでw
276.名無しさん:2018年06月20日 17:34 ID:gS1dL9SX0▼このコメントに返信
後のゴレンジャーである。
277.名無しさん:2018年06月20日 17:39 ID:bLIeo2080▼このコメントに返信
※271
ガチじゃ無かったらモンゴル高原勢力からも不満出るような軍役を課してまで10万以上+船を動かさない
というかモンゴル帝国史上最悪の失敗遠征をやらかしてなお反対を振り切って執拗に第三次を計画準備してたあたりかなりムキになってるでしょ
278.名無しさん:2018年06月20日 17:45 ID:z67LBLaf0▼このコメントに返信
モンゴル軍は諜報活動が優秀と聞くのに、日本侵攻に関しては怠けていたのか?
平原に出ないとお得意の戦術が使えないのに
279.名無しさん:2018年06月20日 18:01 ID:GiU7OiIl0▼このコメントに返信
※278
日本への侵攻をモンゴルに進言したのは高麗側だし、過小報告でもしないとモンゴルをその気にさせられなかっただろうしな。
高麗側の妄言を鵜呑みにしたまま戦闘民族が跋扈する列島に進軍してきたモンゴル側の致命的な過失だよwww
280.名無しさん:2018年06月20日 18:06 ID:CXQ5wAfO0▼このコメントに返信
※137
普通に考えりゃ旅行や移動でなんでも現地調達(強盗)していた朝鮮人が上陸できなきゃ兵糧が尽きるわな
281.名無しさん:2018年06月20日 18:09 ID:yJ3EWxwr0▼このコメントに返信
※4
ヘイトスピーチの罰則は在日にも課さないと全く意味ないんだけどね
日本人のヘイト煽るだけなのが理解出来ないバカ外人が差別を語るなと言いたい
282.名無しさん:2018年06月20日 18:19 ID:Tjaw8L.s0▼このコメントに返信
>>119
これを見に来た
283.名無しさん:2018年06月20日 18:26 ID:UF1px1Fk0▼このコメントに返信
※271
次は本土まで行って皆〇しにするわ。
284.名無しさん:2018年06月20日 19:07 ID:ieINEq.l0▼このコメントに返信
文永の役は元軍の威力偵察による撤退(と武士団の抵抗)が同時に起きて日本側防衛に成功
弘安の役は江南軍の遅延と防御を整えた武士団の抵抗が功を奏し、かつ低気圧直撃で防衛成功

まあ実際に天皇の異敵降伏の勅筆とか7日間700人の僧侶に元軍撃退の護摩祈祷をやったりして
見えざるパワーが働いたのかもしれんね
285.名無しさん:2018年06月20日 19:21 ID:Ua.ZzdLj0▼このコメントに返信
現地の元指揮官がやる気ゼロ説
286.名無しさん:2018年06月20日 19:42 ID:l6R..XYW0▼このコメントに返信
※284
文永威力偵察説って史料的には一切根拠がないけどな
高麗史に書いてある撤退前の軍議も素早い一撃とか適当な戦いで終わりのつもりだったことを匂わせるような雰囲気はカケラもない
大国として有名な国でも無ければ文永程度やそれ以下の人数で大勝利とか降参まで行けるから単に戦力の見積もりをミスっただけ
287.名無しさん:2018年06月20日 21:56 ID:tM4vrSmk0▼このコメントに返信
名乗り上げなんて身内に対する自己紹介でしかないよ「俺、現場に出たから褒賞の時sなんで証人宜しくね☆」でしかない
源平合戦の頃から集団戦闘してんのにタイマンなんてやるかよw

※45
実際文永の役じゃ上陸して赤坂の山に陣を形成してんだけど日本軍終結場所に向かってた菊地勢と小競り合いした後陣を放棄して即船まで逃げ帰ってるのよね。折角の橋頭保を自ら放棄
で、夜間の危険を冒してまで船で脱出してんの

弘安の役の元軍は向こうからすればオールスター武将揃えて船には占領後の準備までしてたんだけど何故か捨て駒扱いされてる不思議
288.名無しさん:2018年06月20日 22:01 ID:DT9GBCx00▼このコメントに返信
当時の大鎧が約25kgでそっから弓薙刀太刀を装備してぴょんぴょん駆け回るとかヤバいし怖い
どんな筋肉ダルマやったんや
289.名無しさん:2018年06月20日 22:05 ID:MtmgLVee0▼このコメントに返信
※287
弘安の役は、艦隊を平戸に再集結させて
海岸防衛がない唐津方面に再上陸しようとしたときに
嵐がやってきて作戦中断になったんだよなぁ、、、

まぁ元軍にとっては不運だったとしか、、、
290.名無しさん:2018年06月20日 22:10 ID:K51M0sbl0▼このコメントに返信
沈んでる元軍の船とみられる残骸を調べたら船の作りが手抜きで沈むべくして沈んだとか言う話やってたな、
船の船底とか釘がむき出しですぐ腐食する様なつくりだったとか、船作った高麗が数揃えるために造船で手を抜いた
のか早く作るために簡易的なつくりにしたのかはわからんが。
291.名無しさん:2018年06月20日 22:35 ID:ILSRGmRn0▼このコメントに返信
本スレ189がサラッと嘘こいてる
スペインが中国とりそうだったから攻めたんやで

朝鮮なんて通り道よ
292.名無しさん:2018年06月20日 22:38 ID:2zR4.vem0▼このコメントに返信
これも昨日のコロンビア戦と同じだよな
何とか日本側を不当に貶めたくて仕方がない層がいるって事で
事実をフラットに見れないなら歴史もスポーツも語らないで欲しいわ
293.名無しさん:2018年06月20日 23:05 ID:aoCyTfF00▼このコメントに返信
>だけど大陸みたいな戦い方は狭い日本では向こうもでけへんやろ

いや、どんだけ広い戦場が必要なんだよ

平原戦ができないほど日本狭かねえぞ?

大戦略のやりすぎやろ
294.名無しさん:2018年06月20日 23:11 ID:aoCyTfF00▼このコメントに返信
>一番大河に向かない時代なのは間違いない

大河やったけど?
295.名無しさん:2018年06月20日 23:12 ID:aoCyTfF00▼このコメントに返信
>高麗人が適当に作った

あいつらその時代からケンチャナヨなのかよ
296.名無しさん:2018年06月20日 23:14 ID:aoCyTfF00▼このコメントに返信
代打…日本の戦意を削ごうと船に生首を並べておいたら首を奪い返しに来た
297.名無しさん:2018年06月20日 23:17 ID:aoCyTfF00▼このコメントに返信
村上水軍いなかったのか?とか言ってるやついるが
ググれ
298.名無しさん:2018年06月21日 07:11 ID:azfnQkh00▼このコメントに返信
※284
威力偵察の意味と目的を調べなおしたら?
299.名無しさん:2018年06月21日 07:21 ID:azfnQkh00▼このコメントに返信
※271
モンゴルの武威が落ちたせいで反乱分子が現れてますなあ。
300.名無しさん:2018年06月21日 07:43 ID:uCQ2nMoV0▼このコメントに返信
※290
逆だよ 海底調査の結果、元軍の船は割としっかりした作りだったことが分かった
弘安の役だと南宋軍の船より新造の高麗船のほうが頑丈だったって書いてる史料があるくらいだし実際に高麗船を使ってた東路軍はけっこう生還できてる
そもそも暴風雨にあったら現代の船ですら危ない訳で、日本まで問題なく軍を連れてこれてる時点で粗製濫造もクソも無い
結局、元軍船粗製濫造説って根っこは文永威力偵察説とか弘安棄民説と一緒で、神風説は完全に論破されちゃったけど日本が普通に勝ったってのは何としても認めたくない勢力が史料の裏付けも無く言ってるだけ
間違いだらけとはいえ出展になる文献が一応ある神風説のほうがまだマシなんじゃないかってレベル
301.名無しさん:2018年06月21日 11:42 ID:3.yUbq9S0▼このコメントに返信
でもこれってモンゴル人の方も笑ってられない状況だったんでしょ?
長旅の上にものすごい海荒れてたんだし
302.名無しさん:2018年06月21日 12:08 ID:WLwibhPW0▼このコメントに返信
大陸じゃ敵なしで「小っせえ島国?余裕ッス!けど海わたるのダリ~超ダリ~」
ところがどっこい、その島国に住んでいたのは蟲毒の中で生き残ってきたような生粋の戦闘民族でしたとさ
303.名無しさん:2018年06月21日 12:12 ID:Z1HG.Sup0▼このコメントに返信
※146
キルレシオまでは記録に残ってないけど、大動員してもモンゴル負けてるんは事実じゃないん?
304.名無しさん:2018年06月21日 12:20 ID:Z1HG.Sup0▼このコメントに返信
※212
豊臣秀吉もかなりすごかったぞ。
305.名無しさん:2018年06月21日 17:25 ID:shWne0lq0▼このコメントに返信
薩摩武士は尖兵にすぎぬ、がガチだったからな
306.名無しさん:2018年06月21日 17:26 ID:azvJKxAD0▼このコメントに返信
戦ったのはモンゴル人じゃなくて
昔の特亜人だけどね
307.名無しさん:2018年06月21日 19:32 ID:ORBdpGfW0▼このコメントに返信
元軍を最終的に虐殺した鷹島の地名を地図で見てみなよ、虐殺の様子がよく解るぜw
308.名無しさん:2018年06月21日 22:02 ID:cYsj.4CD0▼このコメントに返信
意地でも日本側が負ける想定に持っていこうとするのはなんなの…
309.名無しさん:2018年06月21日 23:02 ID:sIAWYiiX0▼このコメントに返信
※5
それは元軍の方だろう。対馬での行いなんてモロにゴブリンスレイヤーのゴブリン達だぞw
310.名無しさん:2018年06月22日 00:22 ID:wX4EQyMg0▼このコメントに返信
九州武士団、強かったのが分かっているよ。神風は、こうしとけばより面白いからという日本の独特の精神もある。
このセンスわかりますか?
311.名無しさん:2018年06月22日 08:09 ID:fVJ.JW2w0▼このコメントに返信
まぁ元寇のおかげで現地には親戚送り込むだけで着任せず都から指示だけ出してた九州の武士団がこれを切欠に土着したからな
大友や島津や龍造寺のライバルの少弐家はこの元寇の時に九州に本家も来て親族と一緒に土着して戦国時代の九州の3雄となる

鎌倉以来の名家だというプライドが島津には常にあったからな 何処の素性か判らんような徳川に対して反骨があるのも当然
312.名無しさん:2018年06月22日 11:43 ID:RbMvPcRF0▼このコメントに返信
モンゴル軍  16万 戦死者 14万余

幕府軍先遣隊 不明 戦死者 わずか
幕府本隊   6万  到着前に決着

313.名無しさん:2018年06月22日 11:47 ID:iFuNJoZe0▼このコメントに返信
朝鮮出兵はわざと攻略しないようにしてて、本気で攻める方がKYらしいよな。
モンゴル軍はシナ朝鮮の口車に乗って日本に攻めて来た説があるよな~。俺はその説を信じてる。
314.名無しさん:2018年06月22日 12:19 ID:AZkik00G0▼このコメントに返信
※10
腐ってんのなら細切れでもええやろ
315.名無しさん:2018年06月22日 12:47 ID:ugzRLK4q0▼このコメントに返信
※12
背負ったのは武士の中でも怪力のおっさんやで。

畠山重忠 怪力伝説
1、宇治川の合戦で、重忠の馬が矢に射られてしまい、川沿いを歩いていると、平家の大串重親がくみついてきたので、重忠は、その怪力で重親を向こう岸に投げたそうです。(平家物語)
2.一の谷の合戦で源義経の部隊に加わったとき、人馬の通れない鵯越にさしかかったとき、馬をけがさせてはいけないと、怪力の重唯は、愛馬の三日月を背負って急な崖をおりたといいます。(源平盛衰記)
3.源頼朝が鎌倉の永福寺を造営した際に、庭園におく大石を一人で持ち上げて、所定の位置に置いたので、人々はその怪力におどろいたそうです(吾妻鑑)
4.関東大一の力持ちと称される長居という力士が、源頼朝の前で自分は天下無敵であると自慢したそうです。
そこで頼朝は、畠山重忠との取り組みを命じたそうです。
長居がまわしをとろうとしたところ、重忠は長居の両肩を押さえて、肩の骨をくだいてしまったそうです(古今著聞集)
316.315:2018年06月22日 12:53 ID:ugzRLK4q0▼このコメントに返信
315は※125.への返信の間違いや。ごめんしてや。
317.名無しさん:2018年06月22日 19:42 ID:1veGkjnP0▼このコメントに返信
元が日本を攻めようとしたきっかけとして
日宋貿易で日本が金銀使って美術品を南宋から大量に買い漁ってて
それで得た大金で南宋は元と長年戦えてたんで資金源を断ちに来た訳だな
黄金の国ジパングもここから来てる
318.名無しさん:2018年06月24日 11:12 ID:WrqNUKyd0▼このコメントに返信
※7
村上氏が瀬戸内に進出したのは平安末期だが、村上水軍に関する記述が残ってるのは南北朝期から。
319.名無しさん:2018年06月24日 15:42 ID:nMmSzcPJ0▼このコメントに返信
モンゴルもキ●ガイだったけど
それ以上に日本の武士もキ●ガイだった定期
320.名無しさん:2018年06月26日 17:27 ID:5x25W9cM0▼このコメントに返信
※278
その点は使節などがしっかり、やってた。

で、それに気づいた日本側は次以降やって来る使節をスパイとして捕縛して良くて監禁、悪ければ即斬首と化している。

というよりも、モンゴルの使節の捕縛監禁最終的に処刑って日本以外でもされているところを見ればモンゴル側も派遣された側も使い捨てのスパイとしか見ていない可能性が・・・。
321.名無しさん:2018年06月26日 22:47 ID:hQ0qm4wT0▼このコメントに返信
武士が名乗りを上げるのはあくまで論功行賞のためやで。
周りにアピールして「あいつがあそこで戦ってた」って後で証言してもらう必要があるんやで。
褒美がかかってるんだから、危険だろうが何だろうが毎回必ず名乗ってたはずやで。
そもそも当時の武士に「正々堂々」とかいうメンタリティは一切ないやで。
322.名無しさん:2018年06月28日 09:26 ID:vfg.NzYn0▼このコメントに返信
※7
九州の長崎の松浦水軍、大分の海部、愛媛の伊予水軍が参加。伊予水軍が後の村上水軍。
323.菜緒子:2018年06月28日 14:09 ID:VCc.pyrE0▼このコメントに返信
1281年の「弘安の役」の時の江南軍は武装難民。
324.名無しさん:2018年06月28日 15:37 ID:OtMGWYRa0▼このコメントに返信
※323
武装難民は4400艘の船わざわざ作って遠征しない。
325.名無しさん:2018年06月29日 05:20 ID:YW37BCoE0▼このコメントに返信
「てつほう」は後世書き加えられたもの。ネタ元は戦国時代に使われた「焙烙玉」。主に瀬戸内水軍が使用。
326.菜緒子:2018年06月29日 05:22 ID:YW37BCoE0▼このコメントに返信
武装難民を訂正。
武装棄民。
元朝が旧南宋住民を船に乗せて日本に捨てた。
327.小沢一郎は甦る:2018年06月29日 13:05 ID:cUh9UkOk0▼このコメントに返信
これで結構死んでいった武家いたらしいな、
328.名無しさん:2018年07月02日 04:48 ID:QU.gvr840▼このコメントに返信
※184 ※267
文永の役は高麗人は14700で4割近く。
弘安の役の東路軍の高麗人は27000で7割近い。

なんか最近、高麗の人数が少ないって強調して、
日本侵略の関与を薄めたがってるコメントが散見されるな。


※300
実は東路軍と同じ海域で停泊している一部の旧南宋軍の船も
そんなに沈んでいないんだよね。
別海域の主力の旧南宋軍の船はほぼ壊滅。


東路軍が停泊していた周辺は、周囲に島々があって
現代においても、船舶が台風を避けるときに有効な地形。
そのために当時のモンゴル人は高麗船が頑丈だと、
過大評価した部分もありそう。
329.名無しさん:2018年07月02日 11:44 ID:fxJy05UK0▼このコメントに返信
元寇の主力は高麗人。これは否定のしようがない史実。
330.名無しさん:2018年07月05日 12:41 ID:DNbJWzaI0▼このコメントに返信
これ惨敗こいたから他人事みたいな顔してるけど
万一勝って九州占領とかしてたら主力は高麗だったニダ!誇らしいニダ!
って絶対主張してるよな
331.名無しさん:2018年07月06日 11:49 ID:p09ggQWm0▼このコメントに返信
今でも対馬は韓国だとか主張してるし。
根拠、何?
まさか、元寇?
332.名無しさん:2018年07月06日 15:02 ID:n6drxt3k0▼このコメントに返信
せんせー!ぼく学校で「モンゴルが攻めてきました」としか習ってません!
なんで実質朝鮮軍だったことは隠すんですか?
333.名無しさん:2018年07月06日 23:35 ID:y0eXIZ8o0▼このコメントに返信
とりあえず
この真ん中で弓をひいてる元軍兵は、どこの誰かが書き込んだ落書きと言う事実(笑)
334.名無しさん:2018年07月13日 20:21 ID:5pw1ZER70▼このコメントに返信
*44
>義経と木曽義仲が残虐ファイトかましたおかげだな戦に良心も人道も無くなった

なるほど。
発達障害みたいな奴らだったから、当時の常識無視して勝ちまくって以後、流れが変わったのか?
335.名無しさん:2018年07月13日 21:12 ID:QIYlt09N0▼このコメントに返信
義経の頃は集団戦だよ。
名乗りとかは源義家あたりまで。
まだ、武士が少なかったし。
軍事貴族だったし。
336.名無しさん:2018年07月13日 21:16 ID:.yUimX0I0▼このコメントに返信
>117
ベトナムとか持ち出すなら日本だって辛勝とはいえ帝政ロシアに勝ってるんですが。
しかも旅順要塞はイギリスが連合組んで1年程かけて攻略した要塞より遥かに強固なのに攻者3倍どころか2倍の戦力しかなかったのに1年足らずで攻略に成功してるそうだし、日本海海戦ではバルチック艦隊が万全でなかったのを差し引いても損耗軽微で壊滅させてるし。
三國志演義における呂布みたいな帝政ロシア相手に。

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