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2018年02月06日 10:05

織田信長って大量の銃を運用する為の火薬やお金ってどう工面してたの?

織田信長って大量の銃を運用する為の火薬やお金ってどう工面してたの?

02

引用元:織田信長って大量の銃を運用する為の火薬やお金ってどう工面してたの?
http://hebi.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1517800829/

1: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:20:29.110 ID:0BK2nYZhp
そこ疑問なんだよね

5: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:21:17.533 ID:YuWq5sRgd
畿内を抑えてたし堺の商人とのコネクションよ

10: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:23:22.281 ID:0BK2nYZhp
>>5
なんやかんや経営者としても優秀だったってことか?

13: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:24:49.459 ID:kzJ9oWlo0
>>10
楽市楽座をはじめとして
商人にはいい時代だったわけだろ

18: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:27:30.851 ID:YuWq5sRgd
>>10
性格のイメージで勘違いされるがむしろ信長は戦より内政向きの人材だからな
重要な戦以外は結構負けまくってるし

8: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:23:01.114 ID:CCHuJJwzd
交通の要所やぞ
黙ってても金入る

14: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:26:08.069 ID:5ZI25aNUK
火薬生成に硝子粉末が必要で
その硝子ってば日本は輸入に頼るしかなかったからひたすら西を目指したんだよね
秀吉の頃には硝子粉末の代わりに硫黄使う方法編み出されたらしいけど

22: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:29:02.373 ID:tAa1lTY+d
>>1
出世払いに決まってんだろ

23: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:29:57.767 ID:urhGWisXd
堺を抑えてたからな。
鉄砲自体は伝来の翌年にはすでに国内生産が
可能になってるし、
問題は銃よりも火薬に使う硝石。
これはもう輸入にたよるしかないけど、
堺を抑えてたおかげで他よりは入手しやすかったと。
コストはあまり問題じゃない。
問題は入手しやすい環境にあったかどうか。

24: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:30:46.115 ID:nKZhFjQF0
とある小説だと牙軍(将軍家の軍)になるからそれでロハにしろって言ってたな

26: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:31:55.055 ID:350lOuLQ0
織田家って実家金持ちじゃなかった?

29: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:45:01.566 ID:7GIxI2Pqd
>>26
父の信秀はそのお金で朝廷にかなりの貢献してたんだよな
豊かで朝廷の覚えもよくて
さらに義昭を将軍として擁立する
信長の天下統一事業は実はかなりイージーモードだった
義昭が不満さえ持たなければ

27: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:32:07.076 ID:ZSeUAc6Ra
税収に目を付けてたから
信長が石高よりも税収気にするようになったのは祖父の信定が津島港確保して発展の基礎確保してたから

31: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:48:47.471 ID:IzlcUZtx0
西洋かぶれって単なる趣味なんかな?
それとも舶来品を持ち上げて価値を釣り上げて政治に利用したんかな?

32: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/02/05(月) 12:55:38.281 ID:r41sKlaGp
長篠は鉄砲よりいわゆる馬防柵ってのが大規模な砦だったのが勝因だと聞いた
織田軍の半数ほどしかいない武田軍が攻城戦みたいなことして勝てるわけない

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2018年02月06日 10:12 ID:20qsOFBR0▼このコメントに返信
韓国を植民地支配して韓国の高い銃砲製作技術を奪った後は徹底な搾取で金を作った
2.名無しさん:2018年02月06日 10:14 ID:AIF.wKQ10▼このコメントに返信
※1
どこの世界線から来た方ですか?
さっさとおかえりやす
3.名無しさん:2018年02月06日 10:16 ID:jNSh6eUr0▼このコメントに返信
しかも、田んぼの中の一本道を一列になって武田は馬防柵に突撃して手作業で引っこ抜こうって作戦w
其処を左右と正面ゼロ距離の鉄砲水平射撃で薙ぎ払うんだから
負ける方が難しいwwww
狙う必要すら無いんだぞ?正面の部隊に至ってはな。それこそ、装填済みの鉄砲を早撃ち射手に手渡しするだけでも良いぐらいの話で。
4.名無しさん:2018年02月06日 10:17 ID:awLbK6Sq0▼このコメントに返信
元々、尾張は伊勢神宮かなんかで巡礼の際の要所だから元々裕福なんじゃ無かったか?
代わりに兵が少なくて傭兵メインだから当時はすぐ逃げて弱兵で有名だったとか聞くが
5.名無しさん:2018年02月06日 10:19 ID:MPPnfsNP0▼このコメントに返信
※1
その頃は「韓.国」なんていうエベン.キの溜まり場はまだ無いよw
そんなことも分からない頭でコメントするなんてww
野良犬と商売女から産まれた中途半端な生き物は人間とは違うんだなぁwwwww
6.名無しさん:2018年02月06日 10:20 ID:0wMczUxm0▼このコメントに返信
楽市楽座って今風に言えば規制緩和とタックスヘイブンかね
7.名無しさん:2018年02月06日 10:24 ID:KESQPNgg0▼このコメントに返信
硝石は人糞か死体を腐らせて造った。一向一揆万歳!雑賀宗に栄光あれ!
8.名無しさん:2018年02月06日 10:25 ID:PK6UpIQp0▼このコメントに返信
※4
尾張兵が弱いというか甲斐・三河・近江あたりが基地外じみて強いというか。
9.名無しさん:2018年02月06日 10:28 ID:CUMXY0Bl0▼このコメントに返信
ロスチャイルドだろ
10.名無しさん:2018年02月06日 10:29 ID:Pa5fLEIO0▼このコメントに返信
雑賀衆から奪ったやで
11.名無しさん:2018年02月06日 10:31 ID:NYPVFRUW0▼このコメントに返信
火薬は蚕の糞を発酵させると出来る
金は流通と米 平地も多いし気候もいい
周囲には一向一揆の勢力があったが内政が安定してた
12.名無しさん:2018年02月06日 10:31 ID:O5kOZhAX0▼このコメントに返信
商人にカルテルを許可してお金を巻き上げてた。
※4
例えるなら、尾張の兵士は相撲の十両。甲斐の兵士は朝青龍。
13.名無しさん:2018年02月06日 10:31 ID:oqojwu3H0▼このコメントに返信
信長ってホトトギスのあれで歴史興味ない人からすればただの戦闘狂だもんな
14.名無しさん:2018年02月06日 10:32 ID:r2XTGfxe0▼このコメントに返信
火薬の原料の硝石は、「小便」を加工して作ったんだよ。
15.名無しさん:2018年02月06日 10:32 ID:gdvJuL0a0▼このコメントに返信
長篠の戦で鉄砲の三段撃ちがどーとかこーとかいってるけど
・経済を振興させ、経済界と緊密に繋がる
・国内の主要な鉄砲メーカーを傘下に抑えどんどん生産させる
・輸入業者を保護し、海外から必要な戦略物資を大量に輸入する
・鉄砲を扱える兵員を大量に養成する
・当時の最新兵器である鉄砲を大量(1000~3000?)に動員しRMA(軍事における革命)を起こす

戦争は事前準備で決まるっていう分かり易い例だよね
16.名無しさん:2018年02月06日 10:33 ID:oReF8bK60▼このコメントに返信
部下への褒美は、そこら辺の茶器を「これはすごいんだぞ」って事にして渡して倹約
17.名無しさん:2018年02月06日 10:35 ID:mgwhugOM0▼このコメントに返信
硝石の確保が非常に大事な頃だったからな
それを自前で用意できた本願寺とかもすごい強かったよね
18.名無しさん:2018年02月06日 10:38 ID:dCn8FtsF0▼このコメントに返信
親父の信秀の代に尾張の南西の港町津島湊を支配して荏胡麻油専売の権益と湊使用料が初期の金ヅル。

中期と後期は有名だから
19.名無しさん:2018年02月06日 10:42 ID:MJ9lWyyd0▼このコメントに返信
商人に米貸して利息を朝廷の費用に使ってたらしいよ、滅茶苦茶近代的な金策だよな
信長が朝廷つぶすとか帝嫌いとか言ってる人いるけど、むしろ信長は大の帝好きで相当寄進してる
20.名無しさん:2018年02月06日 10:42 ID:q5CXk6Fe0▼このコメントに返信
元々、名古屋は水運の要衝だったりした。
安土も琵琶湖の水運を抑える。
最終的に行くつもりだった(らしい)大阪も瀬戸内海の水運。
何気に重商主義の信長。というか、強い大名ってみんな金儲けの上手い大名なんだけどねw。

ちなに鉄砲に関しては硝石も弾丸(鉛)も輸入してた。
大坂の陣の前なんか家康はそれらの買い占めやってる。
21.名無しさん:2018年02月06日 10:43 ID:sT9K6u.y0▼このコメントに返信
火薬は死体と糞尿と硫黄で作った
金と食料は借りた
22.名無しさん:2018年02月06日 10:51 ID:9.R.QyKY0▼このコメントに返信
物流の大動脈である東海道、その中継地点である清州があり
さらに海外との貿易も盛んな熱田港もある
信長の偉大さは、その土台を活かした政策によるもんだろう
同じことをしようと思えば三好や大友辺りでも出来ただろうからね
23.名無しさん:2018年02月06日 10:51 ID:nE1K0hOk0▼このコメントに返信
※1
韓国ブタどもの相も変わらずの捏造言説にはアキれる
そんなことはルイス・フロイスをはじめとする当時来日・在留していた宣教師たちの
本国あて報告書のどこにもそんな記録は無いゾ
だいいち、そもそも、当時、朝鮮は日本からの侵略をイ・スンシン将軍の亀甲船で撃
破したんじゃなかったのかい?どうなのヨ?ご自慢だったでしょ
24.名無しさん:2018年02月06日 10:51 ID:YL6liSIU0▼このコメントに返信
信長は堺の商人から硝石を仕入れていた
火薬調合に必須な硝石は当時の日本では生産されておらず、明国は硝石の輸出を認めていなかったから南蛮から輸入するしかなかった
主要な貿易港は平戸、博多、堺、そして信長は上洛後その堺を抑えた

堺の商人に強い影響力を持つことができたから、他の大名よりも硝石供給の面で優位に立つことが出来た
普通に代金支払って仕入れることもあるし、上納金代わりに現物を差し出させることもあった
25.名無しさん:2018年02月06日 10:53 ID:OgED8Tkh0▼このコメントに返信
日本で石油がバンバン取れてたらどうなってたかなー。
26.名無しさん:2018年02月06日 10:56 ID:9.R.QyKY0▼このコメントに返信
※25
アメリカのジャパン州か、イギリス連邦・日本になってたと思う
27.名無しさん:2018年02月06日 11:00 ID:65uBBJx00▼このコメントに返信
普通に調べれば書いてるサイトも多いだろ
まず堺に矢銭2万貫を要求→拒否交渉からの妥協で支払う。拒否した他都市は焼き討ち、重税を訴え出た商人も投獄、自決などやはりカスに相応しい対処。誰が内政向きだって?戦国で生き、死ぬ定めの人間である
28.名無しさん:2018年02月06日 11:02 ID:XNzx4dLX0▼このコメントに返信
ばーか、リボ払いにすれば月々の支払いは定額で済むんだよ
そんなことも知らないのか?
29.名無しさん:2018年02月06日 11:02 ID:CY9lVNBi0▼このコメントに返信
※1にマジレスしてる奴らのイタさよ
30.名無しさん:2018年02月06日 11:03 ID:raweqsp70▼このコメントに返信
※1
なるほどー次の韓流の売り込むコンテンツはラノベ業界かー。
とある国の人が不慮の事故で亡くなった後で転生したら朝鮮人になっていて大陸人相手に無双して朝鮮人美女ハーレム状態、という内容で富士見書房辺りに売り込めば即、連載確定になるかもしんない。
31.名無しさん:2018年02月06日 11:05 ID:UTqP7rq.0▼このコメントに返信
武田の騎馬隊のサラブレッドってどうやって工面したの?
32.名無しさん:2018年02月06日 11:05 ID:S7XhcId90▼このコメントに返信
※1
もし釣りのつもりであってもそういう発想で書き込みが出来る時点であなたの中身は韓国人そのものだと思いますよ。

仮にそういう発想が出来て例え釣りであっても書きたくない内容ですからね。
33.名無しさん:2018年02月06日 11:07 ID:o0FgFhJ70▼このコメントに返信
元々織田弾正忠家は津島衆との付き合いが深くて、運上金が収入の中心になっていた。
だから信長の先進性だけじゃなくて家の政治体制そのものが銭ありきだったわけで、
美濃を取った時は木曾三川の利権や東美濃、奥美濃の材木利権なんかを握っているし、
上洛後も堺の他に琵琶湖を扼する大津、草津、伊勢湾を扼する安農津、大湊といった
銭になる場所を次々と抑えて運上金を集めてた。そして、南蛮との交易拠点を直接抑えて
中間マージンを減らすことで硝石を安定供給する体制が整えられたってことなんだと思う。

※4
尾張は弱兵って言われるようになったのって江戸以降なんだよね。
織田信秀の代には寡兵の尾張勢が優勢な今川+三河勢相手に何度も押し返してるし、
江戸時代の家康の神格化を考えると、ちょっと信憑性は怪しいと思うわ。
34.名無しさん:2018年02月06日 11:09 ID:2UdPjHwZ0▼このコメントに返信
ポルトガルやスペインと交易があって、そこから手に入れたモノを日本の刀鍛冶が真似て量産化した、火薬の成分は日本でも採取出来るもので、後にこの火薬を作り出した人達が花火職人になった
外国との交易には日本は銀が多く採れたので銀が交換の為の価値のあるものとして利用された
後は日本人はドレイとして海外に売られてたのは有名な話
35.名無しさん:2018年02月06日 11:13 ID:GDqZ.bKZ0▼このコメントに返信
大量に使ってたから硝石は南蛮貿易経由でいい金蔓だったらしいな
36.名無しさん:2018年02月06日 11:15 ID:Qr0AujLe0▼このコメントに返信
信長が戦下手とか武勇より商売の人とかって典型的なニワカ意見だよな
桶狭間、刀根坂、天王寺砦とかマイナー武将が一生に一度やってたらマイナー厨から神扱いされるレベルの勝ち戦を複数回してる
武勇や戦術もレベル高いっていう大前提があったからこそ金回りも上手くいったんだよ
弱い武将はそもそも金や食糧や物資を豊富に揃えられる立場まで行けない
親父のおかげでイージーモードだったってのも(半分自分のせいとはいえ)親父までの地盤は一度崩壊しかけてるからそこまでアテに出来るもんじゃなかったろうしな
37.名無しさん:2018年02月06日 11:18 ID:YL6liSIU0▼このコメントに返信
尾張は弱兵説、江戸中期の講談とか近現代の小説が元ネタなんじゃないかなーって思う
尾張は裕福だから兵がすぐ逃げるとか小説だとよく見る記述だけど、具体的にどの史料にそういう記述があるのかっての見たことないし
裕福=ハングリーさがない=弱いみたいな現代からみたイメージで作られたんじゃないかなと
尾張が豊かだったのは事実だけど、尾張に住んでいる人が裕福って訳じゃないからね

これが例えば、命令を守るよりも略奪に夢中になってたというような規律が低そうな記述があったり
軍隊内における武士身分が少なく統制が行き届いてないみたいな史料があればまた違うんだけど
38.名無しさん:2018年02月06日 11:18 ID:AIF.wKQ10▼このコメントに返信
みんなチよン・アイターさんに優しいなw

※30
朝鮮に転生?
俺なら神様に転生先ワンモアチャンスプリーズするわ

39.名無しさん:2018年02月06日 11:19 ID:Qteu.x2q0▼このコメントに返信
>>スレ14
ガラス…?

それはともかくまず濃尾平野が豊かな米の産地だったからってのが大きなアドバンテージ
次が流通(堺とか)の要地を押さえる事での税収っしょ
40.名無しさん:2018年02月06日 11:22 ID:MLiDKjS60▼このコメントに返信
※31
サラブレッドが「開発」されたのは18世紀に入ってからやぞ
戦国時代の軍馬はポニーや農耕馬みたいなもんだ
41.名無しさん:2018年02月06日 11:24 ID:YT9De7iu0▼このコメントに返信
*1お前いっつも占領されてんな
42.名無しさん:2018年02月06日 11:24 ID:UvyyzhEm0▼このコメントに返信
内職
43.名無しさん:2018年02月06日 11:24 ID:AIF.wKQ10▼このコメントに返信
※37
創作物になるさい信長の知略のすごさをアピールする為に付けられた設定みたいな事をどこかで聞いた記憶がある
ホントかどうかは知らないけど
ただ江戸時代だったとしても尾張の兵が弱いってのは別に信長サゲにはならんと思うんだよね
むしろ信長個人のイメージは上がらない?
44.名無しさん:2018年02月06日 11:28 ID:Qr0AujLe0▼このコメントに返信
※37
そこから更に派生して
信長は弱兵でも勝てる方法を考えてその結果
土地と強く繋がった武士や農兵と違い金で雇われる傭兵や鉄砲を重視した軍隊を作った
弱兵だったのがかえって近代的な軍の創設に繋がったのだ!これこそ兵農分離!
みたいな話になってくんだよな
これ半分通説化してるけど根っこの尾張弱兵説からして創作くさいので冷静に見ると割とガバガバみたいね
45.名無しさん:2018年02月06日 11:30 ID:cFlriV5K0▼このコメントに返信
>どの史料にそういう記述があるのかっての見たことないし
興味があるなら自分で調べてみては?
46.名無しさん:2018年02月06日 11:39 ID:EF2rgH2f0▼このコメントに返信
兵士を職業にしたのが信長だよね。直接指示できる体系を作り上げたんだよ。甲斐武田氏などは中小豪族の集団だからな。
「尾張名古屋は城でもつ」
指揮系統の優秀さを表してる。城すなわち指揮者、指導者だよ。
47.名無しさん:2018年02月06日 11:47 ID:gzD29Ssj0▼このコメントに返信
硝子(ガラス)ってなんだよwww
硝石だろw
48.名無しさん:2018年02月06日 11:52 ID:nASqo1Yx0▼このコメントに返信
※1
まじかよ!!!
そのままの勢いで徹底的に滅ぼしてくれて
この世から消してくれてたらよかったのにな!!!!!!
49.名無しさん:2018年02月06日 11:52 ID:Ek0YyWTY0▼このコメントに返信
※31
※40も言ってるけどこの頃はサラブレッドより小さい蒙古系の在来馬やね
数に関しては産業革命前の日本では地域差はあるだろうけど馬は現代の犬猫並にありふれた動物だったみたいだし少なくとも量はそれなりに揃えられたはず
特に甲斐は古代から朝廷認可の牧場が置かれたりして馬の飼育の実績があるしな
50.名無しさん:2018年02月06日 12:00 ID:oLSC7Dmg0▼このコメントに返信
まあ、諸葛亮も現実は戦争なんかより内政統治に優れた能力を発揮してたらしいしな。
国づくりには戦争より内政拡充の方が重要だって事は判ってるよ。
51.名無しさん:2018年02月06日 12:07 ID:UKGHGCCL0▼このコメントに返信
硝石の話ばかりしているけど、実は鉛も重要な輸入品だったんだよね。
硝石は糞などから作るなんてのは江戸時代の話。
信長が堺を押さえたのはこういった硝石や鉛の輸入を抑えるためだよ。

大体、種子島に伝わった鉄砲と言うのは鉄砲の製造技術だけじゃやない
硝石の輸入ルートもワンセットだった。だから一丁千両もしたんだよ。
ポルトガル人は鉄砲を売るよりも硝石と鉛の商売で儲けようとしたんだ。

それと信長の戦法は秀吉も踏襲しているけど野戦築城がすごい。
長篠では馬防柵ばかり有名だけど、それは野戦陣地の一部だ。

美濃攻略も小谷城攻略も毛利攻めも徹底した陣地戦に持ち込んでいる。
大体信長の部下は弱兵で野戦が弱かった。弱兵で勝つには陣地と鉄砲しか
なかったんだ。
52.名無しさん:2018年02月06日 12:10 ID:4kB5cO4O0▼このコメントに返信
※31
サラブレッドなんてレース専用のガラスみたいな馬種だぞ。
鎧武者乗せて不整地走ったら、あっという間に足折る役立たず。

戦場で使われるのは一回り小さくてスピードで劣っても
耐久性に優れた地力に優れた馬。あるいは西洋の金属鎧騎士をのせた
化け物のようにでかい馬。
53.名無しさん:2018年02月06日 12:12 ID:brmPNTR50▼このコメントに返信
技術格差があった欧州に対し火薬の対価なんて、金銀奴隷しかないんじゃない?
他に欧州にとって価値があり量がある物って何だろう。
54.名無しさん:2018年02月06日 12:16 ID:2CfTNt.G0▼このコメントに返信
当時の日本はよそから見れば金銀ザクザクのガチ黄金の国やし
まだ佐渡も残してたってのに
55.名無しさん:2018年02月06日 12:16 ID:Dbf1mSP.0▼このコメントに返信
楽市楽座ぐらい小学校で習うだろw
どこが疑問なんだか・・・・・・・
56.名無しさん:2018年02月06日 12:18 ID:p6AcO4rT0▼このコメントに返信
関所と座で税課さないかわりに現物納付などやってそう
57.名無しさん:2018年02月06日 12:21 ID:AhNGZEYX0▼このコメントに返信
※1
おまえはウンコでも売ってろ
58.名無しさん:2018年02月06日 12:22 ID:sgVnhSoy0▼このコメントに返信
※23
多分釣かと・・
59.名無しさん:2018年02月06日 12:25 ID:DhV9PK4Z0▼このコメントに返信
秀吉とか前田とか長屋みたいなところに住まわされてたらしいけど
戦がないときはどうしてたんだろ
出来高か給金にしても他と違って半農でもないし
60.名無しさん:2018年02月06日 12:26 ID:0PSUd85D0▼このコメントに返信
雑賀衆雇ったに決まってる。
61.名無しさん:2018年02月06日 12:27 ID:NlKJlfGP0▼このコメントに返信
岐阜城で公家や堺商人を呼んで接待し、力を誇示して堺商人に出世払いなどで都合してもらった。
その時の料理内容などを津田宗及などが書き残している。
また今井宗久も信長に仕え、一向宗の拠点として対立していた宗久の出身地である奈良の今井町も許され、
堺と同様の自由都市として発展していった。
秀吉や徳川も堺や大坂商人とのウインウィンの関係(実績を認めて商売の独占権を認めるなどをし、御用金などを
多く出させた)で、政権運営をしていた。
江戸時代は江戸の方が大坂の2倍以上の人口がいたが、経済において大坂は江戸なんかが足元にも及ばないほどの
日本最大で圧倒的な経済を誇っていた。ほとんどの藩の藩政は大坂を中心とした上方商人からの借金で賄っていた。
それを裏付ける記録は多数あるが、江戸時代初期は淀屋が、江戸時代中期には日本全体の年間流通金額とほぼ同じ額を
諸大名に貸し付けていた。これは幕末で江戸が隆盛しても、ほぼ変わらないくらいの経済状況だった。
ついでに言うと、明治後期~大正~昭和初期も、いち早く近代化が進み紡績などで大坂が最大の経済都市だった。
62.名無しさん:2018年02月06日 12:35 ID:JUUWF9go0▼このコメントに返信
信長のやってる商業政策や商人への課税って、当時のよその大名も普通にやってて、、、
徴兵システムにしても富裕農民地侍を動員対象にしてる(美濃支配したときなんかそう)
鉄砲使用も他所の大名と比較して割合が多いってこともないし
近畿の大名のように特別な鉄砲隊もなかったりする、、、
つまり他所の国とそう変わらなかったり、、、

まぁ少なくとも伊勢侵攻あたりまでは、武田との同盟や将軍使った外交での和平で
敵を孤立化し戦線を絞った状況で勝利してるわけで、信長個人の政治戦闘能力の高さは紛れも無く、、、

明らかに軍制(とくに動員システム)が変わっていくのは信長包囲網が始まってから、、、
武田や北条なんかで見られる「15歳から60歳までの総動員」ってのは
石山本願寺大敗後の信長出陣のために奈良で行われて以来(多聞院日記天正4年5月)まったくなくなる
他の大名と石高で明らかに優位になったことが、軍役が他の大名と比較して軽くなったことでわかるわけで
豊臣政権下で日常になる、堺や京都の大商人から当座の軍資金を借りる形が多くなり
兵農分離が徐々に進みつつあることが見られるわけで、、、


最終的な織田家の強さは、単純に支配地域が他と比較して格段に大きくなったから、としか言えないと思う、、、
63.名無しさん:2018年02月06日 12:37 ID:XFOzn01B0▼このコメントに返信
※1
強力な武器持ってんのにすぐ逃げるのはこの時からなんやなぁ
そら米軍から最新兵器貰っても捨てて逃げるわけや
64.名無しさん:2018年02月06日 12:39 ID:Pa5fLEIO0▼このコメントに返信
信長が何故あそこまで発展したかというとね、史上初の下克上制度を設けたからなのだよ。それで最後はキンカンに寝首を刈られたわけでやんす。
65.名無しさん:2018年02月06日 12:48 ID:6Kg.flZK0▼このコメントに返信
堺からがっぽり取ってるやんw
66.名無しさん:2018年02月06日 12:50 ID:OmAFMarr0▼このコメントに返信
当時米が流通の基本だった日本で重商業主義をひいいたのがノブでしょ
それを踏襲したのが秀吉くん
重商業主義だったから金はあるのよ金は
67.名無しさん:2018年02月06日 12:54 ID:MNyzAB6D0▼このコメントに返信
※10
68.名無しさん:2018年02月06日 13:08 ID:1LfgUCyZ0▼このコメントに返信
もともと金持ちだっただけ
69.下流老人:2018年02月06日 13:22 ID:qQ6B5eX10▼このコメントに返信
織田信長は戦国最強の戦術、野戦築城と鉄砲の複数使用による戦術を採用、これが全国統一の切り札だネ。
70.名無しさん:2018年02月06日 13:35 ID:7x3mR6mM0▼このコメントに返信
>韓国を植民地支配して<
正しくは後に韓国人となるエベンギ族を支配して…
それだけでない、見てくれの良い女をかっさらって従軍慰安婦(戦国版)にして現地さっしょう処分した。これは秀吉も実行(小田原攻めなんかで)し、近世でも40万人ほどがイアンフ化された。今もって、キムチ女には「見てくれ」よい遺伝子が存在しない、みんなへちゃむくれなのは数次にわたるイアンフ連行、総計で1000万ほど、良い女がイアンフ消耗したからだ。しかし喜べ、突然ヘンイがおこれば、100人のミュータントキムチから1人くらいは沢口靖子見たいのが出るから、それにヨンをかけてガキはらませてとやってけば500年後にはエラスガメ団子鼻の女が減る。
71.名無しさん:2018年02月06日 13:37 ID:YgQymfRv0▼このコメントに返信
※1
なぁ、秀吉が連れてきた陶工が帰ろうとしないんだがwww

なんで韓国は今も技術軽視なんかねー?ロケットとか2030年まで計画延期らしいし。
日本から盗んで、中国に売り渡して全然自分のモノにならないじゃん。
他国でウソの宣伝する韓国人なら何処にでも居るみたいだけどwww
72.名無しさん:2018年02月06日 13:46 ID:VibpGeQj0▼このコメントに返信
尾張の頃から津島の港で交易とかやって豊かな家だったらしいな
堺や大阪・琵琶湖周辺の海上交通の要衝を押さえたのも結局はその辺の事情だろ?
73.名無しさん:2018年02月06日 13:48 ID:kDXBXeCq0▼このコメントに返信
※1
日本には到底作れない長射程の銃を奪おうとして、抵抗する鉄砲鍛冶職人を卑怯にも朝鮮銃の射程外から一撃で射殺したんだったっけ?w
74.名無しさん:2018年02月06日 13:49 ID:rgoZlIj70▼このコメントに返信
商業重視の上に、尾張美濃近江で余裕で100万石超えやから資金力あるでしょ。
75.名無しさん:2018年02月06日 13:53 ID:xyDvX1Ly0▼このコメントに返信
マジレスすると京都を押さえた後は、堺を代表する商人連中や寺社などの金持ってる連中から巻き上げていたんやぞ
76.名無しさん:2018年02月06日 13:54 ID:0nu2fm650▼このコメントに返信
宇宙要塞で転移してきたハーレム野郎が用意した。
77.名無しさん:2018年02月06日 14:23 ID:yEfLGeGN0▼このコメントに返信
本※14
「硝子」
読み方を知ってるのか?
「硝石」
KNO3は硝子じゃないんだが。
78.名無しさん:2018年02月06日 14:33 ID:AUG7YjQh0▼このコメントに返信
日本の円は基軸通貨ですが中国の元も韓国のウォンも円の言い換えです
なぜなら日本で銀が沢山取れたからです、金が通貨の大元になる前は銀がその役目でした
ちなみにドルもヨーロッパの銀のとれる谷が名前の由来だそうです、つまり日本は大昔から
めぐまれていて、信長が外国から鉄砲などの高価なものを輸入するお金(お銀)が沢山あったということです
豊臣家も石見銀山とかで銀の精錬方法を革新してバンバン富(銀)をため込んでいたから
秀吉が死んだ後もなかなか滅びなかったというわけです、日本の繁栄はその条件が元からあったというわけです
現代もメタンハイドレードやマンガン団塊が海底から発見されたりしてるのでラッキーは続いてるようですね。
79.名無しさん:2018年02月06日 14:45 ID:Vkb5Ewcx0▼このコメントに返信
流石に熱田と周辺抑えただけでも経済規模がやばい。
家康が浜松で脱糞してたときも知多半島あたりからの援軍が
武田に向けて鉄砲撃ちまくってたらしいし基本的にあの地域金持ち
80.名無しさん:2018年02月06日 14:56 ID:Thsmdv030▼このコメントに返信
火薬を得る為に商人は女子供を売っていた。
ちなみに一樽、50人だったかな。これが後々秀吉の時代に発覚して大事になるんだが……
81.名無しさん:2018年02月06日 14:57 ID:xx4buKOs0▼このコメントに返信
親が金持でたくわえがあったからだろ

82.名無しさん:2018年02月06日 15:02 ID:.9TZI.qB0▼このコメントに返信
正直織田家中で最強の将は信長なんだよな。
能力主義っつーけど家老格に信がおけて有能な人材が少な過ぎなのの裏返しだと思う。
83.名無しさん:2018年02月06日 15:04 ID:o0FgFhJ70▼このコメントに返信
※46
いや、信長も最後まで国衆を被官化は出来てないぞ。
ぱっと思いつく範囲でも西美濃の稲葉氏、氏家氏、尾張の源姓丹羽氏、近江なら蒲生氏なんかは
最後まで独自に所領を統治していて、信長の上位検断権が行使できる環境ではないまま。
84.名無しさん:2018年02月06日 15:14 ID:KePoYtFd0▼このコメントに返信
鉱山か良港、そのどちらもない国はマジカスって事がわかんだね
85.ピロリン:2018年02月06日 15:24 ID:H7k0uSIT0▼このコメントに返信
※14
歴史群像で硝石の抽出法がついてた。穴掘って糞尿や枯れ草やもろもろ詰め込んで醗酵させるなんて気の長い作業
86.名無しさん:2018年02月06日 15:59 ID:VCGiba990▼このコメントに返信
黒色火薬は、炭の粉と硫黄と硝石を混ぜて作ると読んだし、
硝石は江戸時代およびその以前は、
硝石を作る村の便所を糞用と小便用に分けて、地面に穴を掘って作り、
一定期間を置いて小便用便所の弁ツボ周囲の土を採取し、それを煮て硝石(亜硝酸塩)を含んだ煮汁を集め、
数段階の煮沸精製を経て亜硝酸塩結晶を得たと、新聞記事かなんかで読んだ気がする。
富山県の五箇山は加賀藩の硝石製造拠点で、金沢から五箇山に通じる数本の山道は煙硝街道と呼ばれていたそうだ。
87.名無しさん:2018年02月06日 16:05 ID:.Avtc.Oj0▼このコメントに返信
※37
裕福だから弱いだろうってのは普遍的な発想なんだろうな
最近だと大阪八連隊なんかも商人出身ばかりですぐ逃げる弱兵だって言われてるけど
実際は陸軍で唯一戦功ご嘉賞を賜っていたり、日露戦争の南山攻略戦で敵砲台に一番乗りしてたりするし
88.名無しさん:2018年02月06日 16:11 ID:VCGiba990▼このコメントに返信
加賀藩が出たついでに言うと、
金沢城には結構古くから天守はないが、金沢城の屋根瓦は鉛瓦(鉛板を瓦の形に成型したもの)を使っている。
籠城戦時の鉄砲玉の材料にする為だね。肝心の鉛の入手経路は知らんけど。
姫路城はどうなのかな?年数がたつと白くなるようなら鉛瓦だね。
89.名無しさん:2018年02月06日 16:22 ID:VCGiba990▼このコメントに返信
八連隊が出たので言うと、乃木将軍で有名な203高地戦では金沢九連隊の兵士が大量に戦死させられた。
長州出身の将軍が加賀藩出身の兵士を大量に死なせて名を馳せた訳だ。
これは偶然ではないぞ。明治維新以後、徳川家縁戚の旧加賀藩(石川県)は徹底的に冷遇された。
ちなみに、日本最高学府である東大は加賀藩江戸屋敷跡だぞ。
90.名無しさん:2018年02月06日 16:48 ID:57NhBzdZ0▼このコメントに返信
※1
水車も作れないのが鉄砲なんて作れるわけないじゃんwww
91.名無しさん:2018年02月06日 17:34 ID:mo4GxuVr0▼このコメントに返信
尾張、美濃を統治している状態での年収の数倍に当たる借金をもとに上洛した。
ゆえに金だけかかり借金を返す当てにもならない、官位を辞退。堺の利権を求めた。
92.名無しさん:2018年02月06日 17:37 ID:.Sl5CNEl0▼このコメントに返信
木綿
93.名無しさん:2018年02月06日 18:28 ID:LXc..F9M0▼このコメントに返信
※91
堺には矢銭二万貫寄こせって脅してたね。
94.名無しさん:2018年02月06日 18:35 ID:rttTeJtt0▼このコメントに返信
※3複数の人数で弾込めて一人の射手が撃つのは「三段撃ち」馬防柵使って複数でメクラ撃ちするのは「三段構え」三段撃ちは籠城してないと意味無い、欧州でも三段撃ちは籠城した時にやってる。ディスカバリーだかナショジオだかで信長の三段構えの特集してたけどアレ凄いね、よく調べてる❗そりゃ負けるわなって感じだった。でもあの番組だと長篠城落とされたのが最大のネック見たいに感じたな。逆さ張りつけのアレ❕
95.名無しさん:2018年02月06日 18:39 ID:g9RWw8nr0▼このコメントに返信
>織田信長って大量の銃を運用する為の火薬やお金ってどう工面してたの?

油の流通の元締めだったから美濃とか周辺国に売って莫大な利益を得ていた。
鉄砲の流通(海運)も抑えていたから新型火縄銃が出ると自軍に装備して、
それまで使っていた中古の鉄砲を周辺国に超高値で販売した。
尾張統一前後でこの状態。
96.名無しさん:2018年02月06日 18:46 ID:q5CXk6Fe0▼このコメントに返信
*88
鉛瓦には、冬季の凍結割れ防止の意味合いもあるんで、、、。寒冷地じゃないと採用に踏み切れんと思う。
97.名無しさん:2018年02月06日 19:00 ID:JmgiNwRy0▼このコメントに返信
なんつーか信長の評価って素人から歴史作家や研究者に至るまで
「制度や思考の全てにおいて革新的だったことにしなければならない」って一種の強迫観念が作用してるよね
兵農分離を代表に他の大名でも普通だったことや根拠が不明確なことが革新的発想・政策として扱われちゃってることが多い
実際には軍制とかについては研究が進んでむしろ他の大名より後進的だったとする説すらあるくらいだったりする
別に無理に革新者に仕立てあげなくてもあそこまで行けた時点で十分すごいんだがなあ
98.名無しさん:2018年02月06日 19:14 ID:utSpMxYV0▼このコメントに返信
※88
戦国時代のもの、といわれてる鉛製品を調べた平尾良光ってひとによると、当時の鉛の40パーセントが輸入なんだってさ。
高い安い以前に需要をすべて満たせるほどの流通量がなかったんだろうなと思われる訳で、だから買えるだけ買っては備蓄するって方向性だったんじゃないかな。
鉄砲の大量運用を難しくしてた要因として本体が高価とか、硝石がほぼ完全輸入で高かったとかあるけど、弾に使う鉛がそもそも常時品薄状態だった、つう事情があったかもしんない、つう話。
99.名無しさん:2018年02月06日 19:24 ID:cUCJumuh0▼このコメントに返信
コツコツと商人が商売しやすい環境(楽市、楽座)を整え
外部勢力の横槍や内輪の反乱を潰して領内を安定させるという地味な積み重ねの成果だよ
実際、楽市楽座と似たようなシステムは桶狭間された後で氏真が今川領でもやっていたんだよ(むしろ時期的にはこっちのほうが先だった、という説もある)
が、下克上狙いの反乱や独立などのゴタゴタで領内の安定面でどうしても劣っていたので商人は織田側に流れてしまいぱっとしなかったのよね・・・
100.名無しさん:2018年02月06日 19:31 ID:cUCJumuh0▼このコメントに返信
※97
むしろ信長って部下の面子や京の公家相手に対しては律儀過ぎるくらいに昔からのしきたりを守っていたのだけどね~
古い制度に拘る連中に対してはそれまでの働きを認め評価して対応し
今までに無い新しい価値観を持ち込む連中の双方を尊重して抜擢し、その先進的な思考を後押しして保護するという
一歩間違えれば双方が衝突し瓦解しかねない新旧の価値観の相異を調停してバランス保持し続けた、というのが信長の凄さだと思いますわ・・・
101.名無しさん:2018年02月06日 19:34 ID:dkc.FnzC0▼このコメントに返信
鉄砲はこの時、武田軍も相当数持ってたんだよなぁ
織田徳川連合より持ってたって説もあるくらい
そもそも武田は兵数で圧倒されてたから、鉄砲も馬防柵も関係無く、普通にどうにもならなかったんだよなぁ
102.名無しさん:2018年02月06日 19:37 ID:cUCJumuh0▼このコメントに返信
※1
当時の半島のヒトモドキなら日本の水車のパクリ品すら碌に作れない馬鹿しかいなかったんだがな?w
まあ今での能無しの馬鹿しかいないけどwwwww
お前らヒトモドキって何時になったら人間まで進化できるの?これなんざもう何百年も前の話なんだがな?wwwww
103.名無しさん:2018年02月06日 19:43 ID:4OQZAZva0▼このコメントに返信
信長の父、信秀って未だにマイナー感漂い過ぎだよね。名前知ってるだけましレベルだし。
せめて「尾張の極1地区の下級役人程度だったのが『経済力』を背景に台頭した人物」程度まで把握している人が少ない。
そんな人物の嫡男が親を越えていけば、巨大な経済圏築くわな……。
104.名無しさん:2018年02月06日 19:50 ID:t3.9185K0▼このコメントに返信
※101
活用するための金がもう乏しかったって話もあるけどね。
信玄時代の信玄堤の建築費や上杉領での一向一揆扇動の工作費、更には上杉家武将への調略費
ポコジャカと金を使ったおかげで、勝頼時代には側近が上杉に金で釣られる始末(単に家臣が強欲だったという話もあるが)
そんな状態じゃ金食い虫の鉄砲はいくらあっても火薬と弾が用意できんわな。
105.名無しさん:2018年02月06日 19:54 ID:utSpMxYV0▼このコメントに返信
※104
あとそもそも海外貿易港持ってないと金のあるなし以前に火薬も弾も備蓄量が確保できないから、大した継続射撃が出来ないっつう。
106.名無しさん:2018年02月06日 20:42 ID:vLBMFCCS0▼このコメントに返信
※103
土地じゃなくて経済をバックボーンに勢力拡大したっていう稀有な戦国大名なのにな
鷹の親はとんびじゃなくてやっぱり鷹なんだって納得するわ
107.名無しさん:2018年02月06日 20:56 ID:tUTC42FB0▼このコメントに返信
堺、越前、尾張を押さえてたのがデカいんやろなあ
ちゃんと天下取りの道程を考えて戦略を立ててたんやろ
108.名無しさん:2018年02月06日 21:11 ID:7ZxBSKrs0▼このコメントに返信
硝石は、硝酸カリウムの事で、
自然界では硝化菌によって糞便などに含まれるアンモニアが分解され生成する。
これは、非常に一般的な事で、全世界何処でも常に起こっている。
只、硝酸カリは水に極めて溶けやすい為、常に植物などによって養分として吸収され
それ単体では普通存在しえない。
これが単体として析出するには、極めて乾燥した湿度の低い環境が必要と成り、
その条件にあった場所のみ鉱物として産出する。(チリやインドの硝石)
之を人口的に条件を揃え連続的に生産しようとした例が五箇山の硝煙産業に成る。
之は、雨のかからない床下や便所の周りの土に硝石が析出する自然現象を応用したものであり。
戦国時代には実用化されていた。

109.名無しさん:2018年02月06日 21:28 ID:pQC4DtsB0▼このコメントに返信
裕福な地域に「矢銭」を要求して断ればぶっ殺すと脅した。
110.名無しさん:2018年02月06日 21:31 ID:LXc..F9M0▼このコメントに返信
※97
過渡期の人だけに古いのと新しいの両方やってた。
撰銭なんかは現実的対応だよね。

結局は日本的なリーダーだったのではと。
111.名無しさん:2018年02月06日 21:37 ID:tLpWKbRC0▼このコメントに返信
弩とかが大陸から来てないのか
三国志の時代にあって戦国にはなく鉄砲が流行る。

※1
は結局半島バカにしているだけだよね、宝の持ち腐れというか猿に知恵与えるようなもん。


信長の義理の父親のまむしさんは行商人からのし上がったといわれるけど
そっち側の経済哲学とかはなかったんだろうか。

伊勢詣でって江戸時代にブームでやってたんじゃないのか
内戦という戦国で詣でる強者が居るのか。
不思議ね、一応内戦だけど商業的には問題なく行われている。
112.名無しさん:2018年02月06日 22:05 ID:sgqwdTXM0▼このコメントに返信
堺の商人達にカネ出させてたんだよ

結構強引にな
113.名無しさん:2018年02月06日 22:22 ID:18cEU0HM0▼このコメントに返信
尾張美濃近江と米は獲れるし通商の要所だしってところを次々抑えたのは大きいわな。
114.名無しさん:2018年02月06日 23:43 ID:SpGX1XxN0▼このコメントに返信
ドリフターズの信長が硝石丘使ってるけど、アレは秀吉が朝鮮出兵した際に現地で聞いた手法のハズ。
織田信長が生きていたときはほぼ全部輸入。
硝石はタイあたりからも輸入しており、品質が大変良いという記録が残ってるらしい。
便所や囲炉裏周囲の土から硝石を作る方法はかなり早くから知られていたようだけど、
日本の環境だと一度採取すると数十年は摂れないので、戦国時代末期には富山の五箇山あたりが養蚕による硝石製造を、
太平洋側の海岸周辺の土地では魚と糞尿を腐らせて作る硝石製造を、中国地方では蓬を発酵させて作る硝石製造ができた。
硫黄と硝石と黒炭を使った黒色火薬はポルトガル人から聞き出していたようだけど、比率については各地で一子相伝の秘伝扱いだった。
115.名無しさん:2018年02月06日 23:52 ID:85GD2YdM0▼このコメントに返信
以前に聞いた話だが、織田信長が堺からみかじめ料取るのに「守ってやるし自治も認めるから金出せ!! 出さなきゃワイが守らずに逆に潰すぞ」って金せしめてその金で鉄砲作らせたって聞いたんだが、本当なのか??
116.名無しさん:2018年02月06日 23:54 ID:ZUwR8g520▼このコメントに返信
※114
硝石の輸入先はインドと中国
前者はポルトガル人から、後者は倭寇の密貿易
117.名無しさん:2018年02月06日 23:58 ID:hkIPU95m0▼このコメントに返信
堺に矢銭を要求するのは、経済物流を一つにまとめ上げるために、足利幕府の構造をもってして要求することに正当性があるわけだよ、勝手に自治都市化している訳だから、だから代官職を、草津・大津・堺と得て正統性をもって行政措置をしているんだよ。

118.名無しさん:2018年02月07日 00:08 ID:wXkYPUl20▼このコメントに返信

堺を抑えてたのは終盤
ほぼ信長が誰も止められなくなったから

本能寺のちょっと前あたりの時期
119.名無しさん:2018年02月07日 00:10 ID:wXkYPUl20▼このコメントに返信
堺の商人か使えるようになるのは、かなり後だよ
一番苦しい時期の美濃や今川の時期はまだ、当たり前だけど堺の商人なんて使えない
120.名無しさん:2018年02月07日 00:28 ID:IynDlvOZ0▼このコメントに返信
信長の統治領域は、狭い面積に対して石高が集約された効率の良い土地を領土としていた
水運海運の要点である海港・川湊を持ち、港湾収入が得られる港を多く持っていた(武田家とかは海港は駿河を得るまでなかった)
信長は、熱田(持ってた)・津島(持ってた)・桑名・大湊・安濃津・大津・堺などあちこちと手に入れていった

尾張知多半島の窯業の素朴ではあるが当時としては先端である工業地帯を持っていたためその資金力があった
知多や濃尾三川の水運海運による物流や貨幣の流れによる利益を得ていた
信長だけではないが、荘園などの多重統治構造を解体し単純化して人々に対する課税者が複数存在ているのを整理単純化し、本年貢以外の過剰な年貢の勝手な取り立てを禁止した結果、領地は減税化された上に、訴訟は念入りに調査しての糾明を命じけして苛烈なものではなかった
関所を廃止して領民は減税化され、道路を敷設し物流を良くした。
軍規を厳しくして治安を良くし、多重段銭などは無いように計らっていた
後年では生野銀山なども手に入れて今井宗久などを起用して運営させていた、奉行はたぶん違うけど

初期の資金力は、津島・熱田・知多半島の窯業だったと思うが、今川が鳴海城・大高城と制圧して来たので信長としてもかなり追い詰められていたのは間違いないが、当初の資金力で得ていた兵力と、コンパクトにおさまった高い石高の領土、これにより短距離移動による今川迎撃が出来る経済力があったのではないでしょうかね、知多半島の窯業を抑える佐治氏と遠戚であるのもそうした布石だったのでしょう。
121.名無しさん:2018年02月07日 06:01 ID:CaMArQVv0▼このコメントに返信
※111
弩は三国志の頃だけでなく明代にも中国では普通に使われている。ただこれは馬上で使うには不向きなので、騎射に特化した中世初期の段階で日本では廃れ、技術の断絶が起こった
が、鉄砲さえコピーできる日本人が弩を作れないワケはないので、鉄砲よりかなり早い段階から倭寇等を通じてそういう武器が海外にはあると知っていただろうから、真似ようと思えば真似られたはず。日本で流行らなかったのは、弩なんかよりずっと性能の良い弓がすでに存在していたからで、騎射が行われなくなっても歩兵用の射撃武器として弩が復権することはなかった

あと物流や人の流れは内戦つっても普通に行われている。当時の大名は国民国家ではないので庶民の移動に制約をかけるのは難しく、戦略的に重要な物資(米とか)に限り越境を禁じたりとかはしてるけど、国交断絶したからって人の動きが止まる・止められるわけじゃない。そんな権限は大名に無い。さすがに関所で通行料取ったりはするけど
そもそも該当区域の生産や物流が完全にぶっ壊れるほどの凄惨な内戦ってのは近現代にならないとそうそう発生しない。軍隊の規模もそこまでデカくはないし、庶民も軍隊が接近したときの対処法を十分に弁えているから、戦争によって目も当てられないほど荒廃するという事例は稀
122.名無しさん:2018年02月07日 07:01 ID:lFOvQPyd0▼このコメントに返信
※121
鉄砲は作れても弩は作れなかった可能性がある。
膠の品質が低かったから、と言う説だな。まあ、梅雨の季節、台風の季節に雨に濡れる可能性もある。
が、それは攻城用の大型強力な弩の話だな。
歩兵用の弩は、弓に比べて練習は容易だろうが如何にも重い。
更に、弓は立てて使うが、弓を水平に持つと隣の弓兵が邪魔になり距離を取る必要も生じるだろう。
そんなこんなで、弩は弓に比べて機動性に劣っていた、それが日本で流行らなかった理由ではないかな?
123.名無しさん:2018年02月07日 07:03 ID:XUhvK6Qb0▼このコメントに返信
本願寺から奪ったんだろ
124.名無しさん:2018年02月07日 07:44 ID:uvqBgtUk0▼このコメントに返信
弩が流行らなかった・作れなかったってのは違うな
古代には設置型の大型も含めて(むしろ大型のほうが主流だった説まである)一拠点に数百とか用意できる程度には生産できてる
少なくとも日本国内では我が国の弩は大陸のものより優れているって認識すらあったみたいだし
まあ高価で管理が大変な武器なのは間違いないから、弓の性能が上がると弩って威力だけで使いにくいしコスパわりーなってなったんだろう
125.名無しさん:2018年02月07日 10:07 ID:.OJlkkwr0▼このコメントに返信
鉄砲合戦したと言われてる地域に弾丸が発見されてない事実
126.名無しさん:2018年02月07日 11:07 ID:lxNuVwZB0▼このコメントに返信
長篠って、未だに畑掘り起こすと鉛玉出るんだが。
127.ピロリン:2018年02月07日 11:47 ID:iCecErc70▼このコメントに返信
平日の深夜にわざわざ調べてコメント出す奴って本当に暇なんだね。
128.名無しさん:2018年02月08日 08:31 ID:zu7df3PJ0▼このコメントに返信
尾張平野はもともと肥沃な土地なんだ。そしてオヤジの代から織田家はかなりの権力、経済力もってたわけで。

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