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2018年01月22日 09:05

騎士vs武士 12~3世紀について考えてみた

騎士vs武士 12~3世紀について考えてみた

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引用元:騎士vs武士 12~3世紀について考えてみた
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1516466014/

1: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:33:34 ID:L90
立ったら書く。
「12,3世紀の日本に十字軍が攻めてきたら勝てただろうか?」
というスレに影響されて考えてみた。

以前スレ立てた時と同様、専門家じゃなくてただの趣味者の
私見と思って読んでくれたらうれしい。

2: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:33:48 ID:L90
お、立った。
夜中だからあまり人いないかな?

3: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:36:35 ID:bpl
その時の日本の武器ってなんだったっけ

5: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:37:13 ID:L90
>>3
まず装備から順番にだいたいのを書いていくつもりなのでちょっと待ってね。

4: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:36:40 ID:L90
まず十字軍といってもわりと年代も幅広いので、
おおむね第一回十字軍くらいとしようと思う。

手元の「十字軍の軍隊」の資料に準拠する。

6: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:37:52 ID:L90
まず、それぞれのだいたいの装備。
それからおおよその編制などなどについてざっくり書いていく。

研究者じゃないのでだいたいこんな感じかな?という素人考えだけどね。

9: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:40:45 ID:L90
まず十字軍側の装備。
騎士はおおむねいわゆるバケツヘルメット、鎖帷子、剣にカイトシールド。
(スペイン出身騎士は円形の盾のもよう)
その他、いわゆる普段からの部下で領臣ってのが鎖帷子、盾、斧など。
歩兵は粗末な綿の外衣に剣だけとか、投石とか農機具なんて例もあるようだ。

10: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:43:05 ID:L90
次に日本側の装備。
武士はいわゆる厳星兜に大鎧、大弓、太刀。
足軽は頬当て、腹巻、長刀や太刀に弓。などの模様。

12: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:44:00 ID:L90
ただいまいち日本側は編制などが不明点多いので、
推測に頼るしかない部分は多い。
それは十字軍側も同様なんだけどね。

13: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:45:12 ID:L90
さて状況としては日本に攻めてきた、とかこちらが欧州に上陸しようとした、
だと非常に無理があると思う。
お互い離れすぎているし補給拠点をもった帝国ではないので兵站の観点からも無理だろう。

だからまぁ真面目に考察するというような話ではない。

14: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:47:23 ID:c9s
13世紀前半までの前期ロングソードなんぞただの鋳造した鉄の板やぞ

15: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:47:48 ID:L90
第一回十字軍は、移動した人数だけなら数十万規模のようだが、
実際の戦闘員となるとだいぶ限られるようだ。
「最大の軍勢」と書かれているトゥールーズ伯の兵力が
騎士500(おそらく騎乗する従士ふくむ)歩兵500ほど。
そのため全体でも戦闘要員は騎兵4500、歩兵30000ほどと推計されているらしい。

なお歩兵といっても組織だった戦闘要員というより
上述の農機具だけ持ったような民兵紛いが大半らしい。

16: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:49:41 ID:L90
十字軍というと、どうしても封建領主の集団であり、
契約関係に基づいた軍編制になるので部下の部下は命令聞かなかったりする。
唯一プロの戦闘要員が騎士、従士、領臣といえる。

数百人~数十人の封建領主の兵力が雑多に集まっているのが十字軍の実態。

17: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:51:36 ID:L90
余談だが徐々に組織的に反撃に出たサラディンは
数千単位~数万単位でまとまった騎兵や弓兵を集めているので、
騎士個々の武勇で肝を冷やす展開はちょいちょいあるものの
おおむね釣り野伏のような高度な戦い方に十字軍側は弱かったようだ。

ほとんど宗教的情熱(と略奪に対する欲望)のみで
高い文明をもった中東とそれなりに戦えたという事実のほうがむしろ驚嘆に値すると思う。

18: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:54:06 ID:L90
一方、日本側もそこまで組織だった「軍隊」だったわけではない。
だいたい家の格などに基づいて家中の者が動員される。
騎馬武者に足軽がくっついていって戦闘する。
名乗りを挙げたという話については、
どうもあまり確定的な証拠が平家物語以外にはあまりないらしく、
実態はいまいち不明。

名乗りという観点では通俗的な英雄物語は一騎打ちをしたことに
なっている戦が多いので俺個人は「やぁやぁ我こそは…」は
あまり行われなかったと思っている。

19: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:54:55 ID:L90
まぁ組織という観点からは、
十字軍側も日本側も12世紀であればやや雑然としていて、
数千の兵科がまとまって行動するような戦い方はあまりしておらず、
戦闘のプロである騎士や武士の勇猛さに頼っていたように見える。

20: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:56:05 ID:c9s
そもそも名乗りを挙げての一騎討ちは数例しか記録が無かったような
戦場ではやらない方が当たり前だったと思われ

21: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:56:11 ID:L90
編制にあまり差がないなら装備はどうだろう、という話になる。

23: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)01:59:57 ID:L90
鎖帷子に木製のシールド、バケツヘルメットの騎士スタイルと
重厚な兜に皮や鉄などの札を威した大鎧の武士スタイルは、
重量上もあまり差がない。

大きな違いがあるとしたら当時の鎌倉武士は、
元軍の記述に頼ると「騎兵は結束し」集団で戦うようなので、
集団で和弓を射かけてくる騎馬弓兵であるという点。

25: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:02:25 ID:L90
現代弓道は現代剣道が剣術と違うようにだいぶ異なるようだが、
それでも全長2mで世界最大の弓であり、
14kg~20kgほどの張力でも1mmの鉄板や2mmのフライパンをブチ抜く模様。

それに対し鎌倉時代だと研究者によるようだが、
戦闘用の弓なので3~40kg、人によっては70kg前後という人もいる。
非常な強弓で元軍の弓より射程威力で優っていたという人もいる。

28: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:07:24 ID:oM3
>>25
モンゴル側の記録に和弓は威力は高いが射程は短いとあるぞ
これは矢の重さと撃ち方の問題もあると思うが

32: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:09:25 ID:L90
>>28
どうも記録によるっぽい。

26: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:04:24 ID:zvH
鎌倉武士の大鎧は騎乗を前提に作られてるので下馬したら動きにくい

27: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:05:11 ID:L90
>>26
肩で支える構造だからね。
腹巻とか当世具足では腰で支えるのでだいぶ動きやすくなったはず。

29: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:07:24 ID:L90
さて、第一回十字軍の推定兵力は上の方に書いたが、
鎌倉武士側は文永の役のほうの兵力で検討しようと思う。

文永の役の兵力は結局本土からの増援の前に九州北部の
御家人が追い払ってしまったようだが、人口からみて
だいたい4~5000騎、足軽5000人くらいが初動の対応にあたったと
推計している人がいたのでそれに準じる。

31: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:09:24 ID:RPJ
季節によっては田んぼという泥沼トラップがあるからな

33: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:09:49 ID:g7X
武装云々の前にヨーロッパと日本での風土や気候の違いにどれだけ
対応出来るかってのも気になるな

46: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:28:43 ID:L90
>>33
日本の鎧は通気性がある程度担保されているが、
砂漠とかだとまず日差しを何とかする必要があるので
当時の足軽はきつかっただろうね。
まぁ服装かえればいいだけだけど。

一方バケツヘルメットは日本の気候では無理だと思う…。
軽装の半帽ということになるとそれは厳しいしね。

34: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:10:31 ID:L90
たとえば「海からみた日本の防衛」などでは
和弓のほうが威力射程ともに上回っていたとしている。

まぁいずれにせよ恐ろしいのは、
かなり重武装の騎兵が集団で、本来なら歩兵しか持てないような
長大な弓を射かけてくる点。

35: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:12:53 ID:L90
一方騎士は白兵戦に特化し、
雑然とではあるがそれなりの突進力を持っている。
さらにある程度刃に対して抗じんできる鎖帷子を着て、
その下には肉鎧で衝撃を吸収するという集団。

36: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:14:41 ID:L90
もしも第一回十字軍と文永の役の鎌倉武士が遭遇した場合、
鎌倉側の後詰を考えなければ、
騎兵の数:同等
歩兵の数:十字軍側が6倍以上 ただし大半は雑兵

という形になる。
比較的鎌倉側は歩兵の装備が整っているにしても、
数ではだいぶ不利な状況に見える。

37: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:16:00 ID:L90
この場合、もしも宗教的情熱を活かした
十字軍側が正面から突破しようと雪崩れてくるのに対し、
鎌倉側が正面から受け止めようとすると、
相当な苦戦になり場合によっては押し負けてしまうのではないかと思う。
そうなれば十字軍側の勝ち。

38: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:16:45 ID:oM3
ローカル後家人ズ対ヨーロッパ全キリスト教圏はアンフェア過ぎないかい?
とりあえずフン族やモンゴルにボコられた事からヨーロッパの連中は弓騎兵には滅法弱そう

40: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:19:22 ID:L90
>>38
人数的にはアンフェアなのはわかっているのだが、
どうも当時の西欧の十字軍は編制上も頼りないし
宗教的な情熱によるモチベーションを除くと、
あまり組織的な戦いも得意でないように見える。

それに後詰まで考えると、
歩兵3万騎兵5000にすぎない十字軍に対し、さらに
2~3万騎などが出現することになるので勝負にならないんじゃないかなぁと。

39: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:17:58 ID:L90
ただ蒙古軍や反撃に転じた時代のサラディンがよくやったように、
鎌倉側は歩兵の支援を捨てて騎兵だけで結束し、
両翼から弓で射かける戦法に切り替えれば、
騎士、歩兵の集団ともに大打撃を受けると思う。

前に立てたスレで書いたが、現実に蒙古軍として上陸してきた
高麗の重装歩兵を1/10の騎馬武者が騎馬襲撃で蹂躙している。

41: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:22:16 ID:oM3
まぁ確かに
ヨーロッパは動員力で言えば日本や中国とは比較にならないほど少ないからな
十字軍の殆どが同じキリスト教徒を的にした押し入り強盗の類いだったっぽいし

42: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:22:24 ID:L90
というわけでここまで書いてきた感じ、
どうも十字軍と当時の武士ということになると、
騎馬弓兵であるがゆえに、装備上も鎌倉側がかなり有利。

一方、もしも十字軍が城にこもったら鎌倉側がかなり不利だろうとか、
状況に応じて色々あるが野戦では日本のほうが有利に見える。

騎士個人個人の武勇そのものはサラディンからみても脅威に値したようで、
白兵戦や乱戦ではもしかすると騎士側にワンチャンあるかもというイメージ。

43: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:25:26 ID:L90
船戦とかになるともうちょっと面白くなる気はする。

十字軍と比較するなら古墳時代の律令制の軍団のほうが面白いかもしれない。
歩兵の一部が弩を保有しているとか、
手盾を用いた歩兵が中心であるとか、騎兵もどうも白兵戦がメインだったらしいとか。

そういう意味ではかなりの重武装をしているにも関わらず、
馬を駆って弓を軽快に操り、小船に乗って夜襲に襲撃もできる
「武士」という兵科の汎用性が個人的に恐ろしい。

なんとなく武士は軽武装とみんなが思ってるのは、
まるで軽歩兵か何かのような動きもできてしまうがゆえに誤解なんじゃないかと思う。

44: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:26:57 ID:L90
というわけで長々と書いてしまったけど、
お付き合いいただいた方々ありがとう。

弓の射程については議論の余地があるのは重々承知だが、
こういう考え方もあるんだなくらいでとらえていてくれると嬉しい。

それじゃあおやすみ。

45: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:28:29 ID:oM3
とりあえず戦場がどこか勝利条件はどうかと仮定してしまわないとイメージが沸かん
日本に攻めて来たらという話なので十字軍がヨーロッパのように高く頑丈な城壁を築いて籠城はほぼ不可能だよね
野戦も恐らく九州の海岸線近くのどこかになると思うが
モンゴルよりこっぴどくボコられるしかないと思う

47: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:30:01 ID:L90
>>45
日本で待ち受けるスタイルだと十字軍はもうどうしようもないので、
何となく中間的な気候で遭遇戦に近い形を想定した。

逆に十字軍が城に拠って戦うシチュエーションだと、
当時の鎌倉武士の能力だと基本的には包囲して相手の食糧水が尽きるのを
待つしかなくなると思う。

48: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:30:58 ID:L90
城攻めということになると、
新羅の「首都」を囲んだりしていたりとか、
詳細不明だが「石はじき」なる投石器を持っていたらしい
律令制軍団のほうが得意だったんじゃないかと思っている。

49: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:31:46 ID:L90
まぁ色々な無理があるのは分かっている。
ただ仮定に仮定を重ねすぎるとわけわからなくなるので
何となく装備や編制上からゆるく考えたくらいに思っていてほしい。

50: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:32:57 ID:g7X
そもそも十字軍に上陸能力があるのかな・・?割りと陸路移動中心だった気がする
蒙古の侵攻も南宋の兵士や海洋技術抜きじゃ厳しかっただろうし

51: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:34:53 ID:L90
>>50
なくはないけど強襲上陸は当時の蒙古軍でも無理ゲーだったので、
あくまでどこかの港に揚陸して雑然と陸路で進撃するのが実態に近いと思う。

なのでこれは日本に対し上陸してくる十字軍を想定しているわけではない。

52: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:36:12 ID:L90
たとえば弘安の役のような、
日本側が全長20kmにおよぶような防塞を構築した上で、
数万の軍勢で(おそらく大半が弓を持っている)待ち受けてるとしたら
もう十字軍時代の欧州だとどうにもならないと思う。

53: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:36:51 ID:oM3
大陸型の城壁なら日本では運用が難しく効果も怪しい支那風攻城兵器の運用や穴攻も試みるだろうし
補給の問題もあってお互い遠征先の中立地での戦闘となると籠城は座して死を待つ事になりそう
十字軍の数が多いので当然城外にも展開しているだろうから武士が逆に包囲される展開も在りうるが

54: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:37:27 ID:L90
港湾の占領すらままならず海上で小舟に襲撃されてしまう。
ちなみに日本側は元軍に対し、大船を作るプランもあったようだが
時間と技術上の問題で放棄したらしい。

結果小舟で大船に集って斬りこみする戦法があたったわけだけど。

55: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:38:56 ID:L90
というわけですまんが寝ます。
お付き合いいただいた方々ありがとう!

56: 名無しさん@おーぷん 2018/01/21(日)02:39:43 ID:oM3
おやすみ

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2018年01月22日 09:15 ID:x27suN5v0▼このコメントに返信
どっちがどっちに攻めていくとしても、地獄やね。

航海中には飯は少ない水もない、壊血病が怖い。

そんなヘロヘロの状態でやっとの事で上陸して、さぁ戦えって言われるんだからさ。
2.名無しさん:2018年01月22日 09:18 ID:Xd00dTUl0▼このコメントに返信
この時代の足軽は荷夫、人足の類で戦闘員じゃない
3.名無しさん:2018年01月22日 09:20 ID:Hxcenxvo0▼このコメントに返信
哲学ニュースからかな?
4.名無しさん:2018年01月22日 09:24 ID:CTSRFiWt0▼このコメントに返信
向こうからせめて来たって世界半周の海越えだろー?無理無理
ヨーロッパから日本に来る前に既に瀕死だぞ
アルプス越えってか山越えとか、海越えとか、冬将軍とか基本的に難しい
5.名無しさん:2018年01月22日 09:25 ID:Hxcenxvo0▼このコメントに返信
>モンゴル側の記録に和弓は威力は高いが射程は短いとあるぞ
>これは矢の重さと撃ち方の問題もあると思うが

これはガチやで。
というか和弓だけに限らず、基本的に長弓が持つ構造上の限界なんだけど。
とくに和弓がでか過ぎるから起きる問題。

遠距離曲射すると極端に威力と精度が失われる。
6.名無しさん:2018年01月22日 09:28 ID:AnY69QPu0▼このコメントに返信
糧食、風土、地形、土地勘などに問題があるから簡単にはいかないだろうけど
人員、装備、戦術などほとんど全てはヨーロッパが大幅に有利だろうね
何とも言えないのは装備くらいか 

まあどうなるかはわからんけど、逆に「12,3世紀の武士がヨーロッパで十字軍に攻め込んだら」
お話にならないくらいボロ負けすると思う
7.名無しさん:2018年01月22日 09:38 ID:s8uGKcXU0▼このコメントに返信
※6
単純に比較して、野戦なら元寇を押し返せた鎌倉武士のほうが上だな
ナショナルジオグラフィックでの検証ではイングランドロングボウよりも和弓のほうが貫通力に勝っていた
一方、攻囲戦なら、投石器などを持たない武士が不利だな
8.名無しさん:2018年01月22日 09:43 ID:HSnZoOLB0▼このコメントに返信
基本どっちが攻めても負ける、以上
9.名無しさん:2018年01月22日 09:47 ID:JQXygq.x0▼このコメントに返信
足軽は室町時代やで。
傭兵で、臨時雇い。
鎌倉時代だと、雑兵というくくりやで。自家の郎党なので、足軽とは出身母体が違うで。

この時代の武士団は、血縁的結束でもって軍団を形成しておるで。
それを地縁的にデカいボスの武士が、統合して大武士団を形成する感じ。

基本的に、武士も騎士も集団行動というのは苦手で、個人的武勇に頼って戦う。
なので、統制をきかすには、血縁的な方法で、親父や長兄から怒られたりしないと統制がきかん。

ただ、騎士も武士も両方ともものすごい血なまぐさい集団なので、乱戦になるとその性質は遺憾なく発揮されたと思われる。
10.名無しさん:2018年01月22日 09:48 ID:AZr3eE4w0▼このコメントに返信
途中の移動過程は除いての話なのに、空気読めない連中が湧いてくるぜ
11.名無しさん:2018年01月22日 09:51 ID:ut4siiKS0▼このコメントに返信
※1
航海も何も12-3世紀じゃ双方海路で軍隊が辿り着けないぜよ
12.名無しさん:2018年01月22日 09:52 ID:0efVeaah0▼このコメントに返信
※3
別のスレだぞ
13.名無しさん:2018年01月22日 09:55 ID:ii8YfAZd0▼このコメントに返信
戦闘地域にもよるけど、どちらも補給線の概念が
あまりない  地元でなけりゃ継戦能力が無い
物資のつきた方が負ける
十字軍も基本は海賊のようなもの
都市を占領出来ればしばらく支配出来るが
そうでなければ略奪だけしてHit&Run
兵糧が尽きれば疫病が蔓延して全滅する時代だ
14.名無しさん:2018年01月22日 09:59 ID:9Y7Tupai0▼このコメントに返信
13世紀のロングソードが鋳造とか間違いも程がある。
鋳造で造られたのは、せいぜい古代の青銅剣くらいだよ。
古代ローマから中世ヨーロッパにかけての剣は、すでに鍛造鋼剣だ。
15.名無しさん:2018年01月22日 10:10 ID:UqLgkn5n0▼このコメントに返信
ローカル御家人ズで草
16.名無しさん:2018年01月22日 10:12 ID:bHsxcKee0▼このコメントに返信
日本の刀 って12,3世紀だと まだ 太刀?
17.名無しさん:2018年01月22日 10:20 ID:9CrCaioz0▼このコメントに返信
第一回だと十字軍の方が過去なんだな
まあ他に比べると比較的諸侯の統制が取れてるとは思うが
18.名無しさん:2018年01月22日 10:23 ID:X5pzBu.p0▼このコメントに返信
重騎兵が使えるかどうかが鍵だろうな。
時代設定がまた微妙なとこだ。
10~11世紀なら重騎兵優勢
14世紀になると馬刺しになったり
長弓にフルボッコにされたりといいとこない。
19.名無しさん:2018年01月22日 10:24 ID:Xd00dTUl0▼このコメントに返信
※16
太刀、刺刀、長刀(薙刀)あたり
室町以降に刺刀が打刀に変化して長刀が廃れた
20.名無しさん:2018年01月22日 10:26 ID:V0gc.B5s0▼このコメントに返信
勝算がどうかという話になるとどれだけ統制を保って戦えるかという事になる
乱戦になればもう見通しなんか立たず結果で全てを決めるしかなくなるだろう
でも騎士も武士も乱戦が本領なのが困ったチャン
21.名無しさん:2018年01月22日 10:29 ID:Qyl0Gf9m0▼このコメントに返信
和弓の射程については注意が必要で、前近代においてもっとも威力の高い弓のひとつだったのは間違いないんだが、それに合わせて大鎧も発展しているので、武士同士の戦いではどうしても十数メートル以内まで近づかないと有効打を与えにくかった。そして当然それを想定して武芸を磨いているので、それぐらいの至近距離まで急接近して一撃必殺の矢を放ち、仕留め損ねたら反撃をかわすために一端離れてから再度突進という戦法(あくまで原則としての話だが)。この通りに戦っている場面が多ければ元軍の印象としては射程の短い弓使ってんなと思うだろうが、有効射程無視して放てばそれなりの射程を稼げた。ただ、モンゴル軍だって遠距離戦のための軽い矢とトドメを差すための重い(短射程の)矢を使い分けてたりするが、鎌倉武士の矢はだいたい重たかっただろうから弓が強くてもそれだけで射程が伸びるわけではない

ただいずれにせよ、騎士本人がまともな射撃武器を持っていない場合が多いと思うので、鎌倉武士の馬術が西欧と同等以上であればわざわざ積極的に白兵戦を受け入れてやる義理はない。スレ主が考察しているように正面攻撃を避けて両翼から射撃~なんて組織戦が当時の武士にできるとは思わんが、騎士だってそこまで密集してるわけでもないから正面から受け止めての乱戦でも武士たちはちゃんと自分の間合いを確保できたと思う。そしてかりに白兵戦にもつれ込んでも、武士は馬をぶつけて相手を落馬させたり、そのうえで自分も下馬して格闘戦なんてのも日常茶飯事だったので、決して後れを取るようなことはない
22.名無しさん:2018年01月22日 10:45 ID:X5pzBu.p0▼このコメントに返信
そもそも十字軍で武力討伐成功したのは不意打ちかました第一次だけ。
あと成功したといえるのは第三次だけど交渉でだからなあ。

組織として内部対立があり過ぎて指揮系統に問題があり過ぎる。
その点からすれば指揮系統が統一されている日本のほうが有利かもな。
23.名無しさん:2018年01月22日 10:48 ID:Hxcenxvo0▼このコメントに返信
そもそも騎士は領主からの要請に40日間出なければならない契約だから、
40日過ぎると自腹になるから、さっさと戦を終わらせようと突撃してるだけやで
24.名無しさん:2018年01月22日 10:57 ID:oOaY4yPP0▼このコメントに返信
*14
必ず出てくるんだよねぇ、この説。
鍛造なんて紀元前からやってるのに、なんだって剣を鋳造で作ると思い込んでるんだろ、、、、
25.名無しさん:2018年01月22日 11:25 ID:esWC72K20▼このコメントに返信
まあ、当時の日本は侍という戦士だらけの軍事大国だからな。

26.名無しさん:2018年01月22日 11:48 ID:NeK4wRxR0▼このコメントに返信
※24
量産品を鋳造で作ってるイメージがあるんじゃ無いか
多分、映画の指輪物語のシーンみたいに映画の記憶で印象が固定されたとか
ただ、当時の刀剣だとロングソードより重量はほとんど変わらず構造が優れる太刀が優秀だとは思うけど
27.名無しさん:2018年01月22日 11:50 ID:oOaY4yPP0▼このコメントに返信
十字軍時代の騎士の戦闘ってのもよく判らんよなぁ。馬上だから、やっぱり槍なんだろうか、、、。

当時の日本は槍が無くて代わりが弓で、ぶっちゃけ弓を騎槍の代わりに使ってた。
だから、騎乗戦だと戦闘距離と防御力(大鎧と違ってチェーンは刺突に弱い)から、日本側有利か?。
一方で、下馬戦闘になるとおそらくはチェーンの方が動きやすい。大鎧はほぼ馬上用で徒戦には不向き。
蒙古襲来絵詞見ると、胴丸着て馬上に居る武士もいるようなので、下馬戦闘が多くなるようなら、同様にして対応したかもしれんが。
28.名無しさん:2018年01月22日 12:10 ID:3SaYOEco0▼このコメントに返信
中世ヨーロッパの騎馬兵の基本戦術は、鎧を着た騎馬兵が槍を構えて隊列を組んで突撃するものだったようだ

ただ10世紀くらいまでは強かったけど時代が下るにつれ騎馬兵はあまり活躍できなくなったみたいだね
29.名無しさん:2018年01月22日 12:11 ID:N.tUCvo20▼このコメントに返信
マイクロソフトのエイジオブエンパイア3で、ポルトガルやると、何故か武士が傭兵で雇えるようになる。
その武士が強い強い。
作中、最強かと言うくらい他国の騎士、兵士をなぎ倒していく。

外国人の武士に対する観念って、こういうものか?と思った思い出
30.名無しさん:2018年01月22日 12:23 ID:Qyl0Gf9m0▼このコメントに返信
※27
※28
十字軍ではないが、ヘイスティングスの戦いを描いたタペストリーにおいて、短槍を逆手に振り上げて戦うイングランド軍を、長槍を脇に抱えて突進するノルマンディー軍が打ち破る光景が描かれている。おそらくちょうどこの時代に、大陸側において騎兵戦術の変換が起こっていたようだ。ただ本スレの1が記述しているように、まだまだ剣を持って戦う騎士も少なくはなかったっぽい。長槍で隊列組んで突撃なんてのも、いったいどれだけの戦闘事例でそういう理想的な突撃ができたのかははなはだ疑問。まぁこの時代はまだ馬で乗り入れるだけで歩兵が戦意喪失する時代だし、逃げる歩兵を捉えるには剣で斬りつける方が早い

鎧については十字軍時代(とくに1~3回あたりの時代)は騎士の必須装備には入ってなかったりする。体を守るのは鎖帷子の役目で、鎧が注目されるようになるのはもう少し後の時代、たぶん歩兵の戦闘技術が向上して対歩兵戦闘を真面目に考えないといけなくなってからではないかな。武士も平安鎌倉期は歩兵なんていないようなものだったけど、のちに足軽が戦力として本格運用されるようになると弓+大鎧の典型的組み合わせを捨てて様々な武装や戦術を採用するようになってくる。
31.名無しさん:2018年01月22日 12:28 ID:VFkmTcfH0▼このコメントに返信
十字軍って各国連合だからそれを日本一国の兵力で、しかも幕府の御家人だけで戦うってのはちょいと比較がひどすぎない
相模とか安房のおおよそ県ぐらいの行政区分を国とか言ってたけど
32.名無しさん:2018年01月22日 12:34 ID:uQG.aQlG0▼このコメントに返信
※21
>>正面攻撃を避けて両翼から射撃~なんて組織戦が当時の武士にできるとは思わん

制度・社会から考えると現代人がそういう印象になるのも無理は無いけど、蒙古襲来絵詞の
元軍を馬の動きやすい場所で待ち受けて一斉攻撃っていう当初の作戦(結局グダるけど)や
騎兵を迂回させたりしてる太平記の六波羅攻防戦とかの描写見る限り意外と出来たんじゃないかとも思う
33.名無しさん:2018年01月22日 12:57 ID:h8rbyrRK0▼このコメントに返信
※31
各国連合だけど、基本的にはあぶれものの
貴族の次男以下の寄せ集めにしかすぎない
それも海路で輸送できる人数だけ
そんなに強いわけがない
34.名無しさん:2018年01月22日 12:59 ID:QK.Roset0▼このコメントに返信
キング ダム  オブ  ヘ ブンって映画ですごい映像美で当時の設定は観れるよ
時代考証が正しいかどうかは確証はないんだが
35.名無しさん:2018年01月22日 13:17 ID:Hxcenxvo0▼このコメントに返信
※34
あれはディレクターズカット版だと最高傑作やけど劇場版だとB級映画やったね・・・


時代考証とか描写はメッチャガチやで。ハリウッド史上もっとも中世文化をほぼ完璧に描写した映画や。


主な描写は

・創設間もない聖ヨハネ騎士団(救護騎士団)を見て、「騎士は騎士、修道士は修道士だろ」って文句を言ってる。
・エチオピアの黒人騎士が登場する
・黒人騎士が欧州騎士の衛生概念の低さに驚いている
(衛生という概念は中東/アフリカはあったけど、当時の欧州には無かった。)
(のちにスペインを通じて欧州に広まる概念)

逆に史実と違うところは
実在した登場人物の描写と宗教観とトレブシェットの威力
くらいしかない

絶対見たほうがいい映画や!ディレクターズカット版だけ見るんや!
36.名無しさん:2018年01月22日 13:23 ID:40yvPcD50▼このコメントに返信
この時代の日本の馬は小さかったんだぞ。
鈍足小型の騎馬兵なんて怖くないだろ。
白兵戦だって、そもそも体格が違うだろ。
時代が遡って古代西洋人が今より小柄だとしても、相対的に日本人はもっと小さかった訳だし。
37.名無しさん:2018年01月22日 13:31 ID:Qyl0Gf9m0▼このコメントに返信
※32
大将が事前に「こうしようぜ」って相談なり命令なりしてみんなで意識を共有するレベルであれば可能だと思う。けど本スレの39で言っているようなのはハンニバルが率いないと厳しくね?w
騎乗した武士の攻撃範囲は前方から左半分そして背面までなので、矢を自分の右側に向けて放つには体そのものの向きを変えないといけないから、突っ込んでくる敵をかわして距離を保とうとした場合、左翼部隊は右翼に比べると遥かに難しい機動を要求される。歩兵の弓兵集団に比べて、騎兵戦において流動的な展開の中でこれを実現するには入念な打ち合わせがないとね。事前に奇襲部隊を配備しておき、左翼部隊が迂回ではなく正面攻撃のカタチがとれるように取り計らっておけば、スレ主の言っているような展開は可能ではある

逆にスレ主が考えているような騎士の正面突撃に対して武士が脆弱だとも思わんのだけどね。たぶん初見からいきなりそんな対策なんて取らないだろうから、だからこそ武士は至近距離まで近づいて射撃という従来の戦法をとろうとし、それで十分に騎士に対抗できると思う。そして騎射戦というのは常に敵を自分の左側に見て、なおかつ敵から攻撃されないような位置取りが重要なので、そういう機動は部隊単位ではなく個人にやらせたほうがずっとうまく行く。だから正面からぶつかっての乱戦のほうが、下手な小細工を仕掛けるよりずっと効果的かと。武士のメンタリティ的にもそのほうがいいだろうし
38.名無しさん:2018年01月22日 13:33 ID:qs5N1JJK0▼このコメントに返信
まあ軍の組織運用も当時の日本の規模じゃたいしたことはないと思うしなぁ
元寇でも一騎討ちを挑んでやられてたって言うしあれも台風のおかげで買ったようなもんだし移動とかを考えずにガチで正面からぶつかったら日本には勝ち目はないと思うわ
戦力規模の単位が一桁違うと思うしな
しょせん日本小さい島国だかいくさの規模も小さいしねぇ
39.名無しさん:2018年01月22日 13:34 ID:BFJCy3jS0▼このコメントに返信
※38
無知丸出し
40.名無しさん:2018年01月22日 13:35 ID:qs5N1JJK0▼このコメントに返信
※38だけど脱字多くてすんません
しょせん日本は小さい島国だからいくさの規模も小さいしねぇ←これが正解です
41.名無しさん:2018年01月22日 13:44 ID:SKwRUWKf0▼このコメントに返信
※29
ポルトガルってことは
戦国時代の終焉で海外に出稼ぎに行った日本人傭兵を表現してるのかもな
42.名無しさん:2018年01月22日 13:50 ID:X5pzBu.p0▼このコメントに返信
鎮西八郎を投入出来れば間違いなく日本が勝てそうだ
43.名無しさん:2018年01月22日 14:03 ID:oOaY4yPP0▼このコメントに返信
*40
元寇は、九州の武士だけで元軍をガチで押し返したんだよ。
鎌倉武士って、ヴァイキングも真っ青のヒャッハー連中だぞ。
44.名無しさん:2018年01月22日 14:13 ID:1jRfM.hr0▼このコメントに返信
バーソロミュー・ディアスがアフリカ南端に到達するのが1488年ぢゃ
前提にも有るが道中の事は考えるだけ無駄だね
45.名無しさん:2018年01月22日 14:13 ID:Hxcenxvo0▼このコメントに返信
※43
いちおう補足するけど、そこに島津の武士が活躍してたんやで
46.名無しさん:2018年01月22日 14:22 ID:Oy1sgWv50▼このコメントに返信
まとめの通り、武装度が違いすぎて野戦は武士有利圧倒だわな
攻城戦は〜とか言っても、それはどっちかどっちを攻めるにしても絶望だし
47.名無しさん:2018年01月22日 14:22 ID:KdVONatM0▼このコメントに返信
※36
この頃の欧州(フランス&ドイツ)の騎士が戦場で使う馬は、デストリア種、今のペルシュロンやブルトンだぞ
図体は大きくて、力はあるものの、大人し過ぎて牽引はともかく騎乗戦闘には向かない冷血種だ

現にそれ使って、日本在来馬と同レベルの馬に乗ってたモンゴルにワールシュタットで負けてるんだよな
48.名無しさん:2018年01月22日 14:33 ID:s8uGKcXU0▼このコメントに返信
※47
貴方の言う通り、モンゴルの馬と日本の馬は遺伝的にほぼ同じ
こういうスレではなぜか日本の在来馬を貶める発言が出てくるんだよな
ちなみにワールシュタットとはドイツ語で死体の山を意味する
仮にヨーロッパの馬がモンゴルの馬よりも強かったら死体の山ができることはなかっただろうな
49.名無しさん:2018年01月22日 14:33 ID:Hxcenxvo0▼このコメントに返信
※47
ワールシュタットは馬の差では負けた戦じゃないで。

欧州側は多国籍軍で命令伝達に難があって、


モンゴルの釣りに釣られた騎士団と、それに戦功欲しさに加わった
第1~3陣が包囲殲滅されて、機動力で優位を持っていかれて
一方的に包囲せん滅されたから負けたんやで。
50.名無しさん:2018年01月22日 14:43 ID:Hxcenxvo0▼このコメントに返信
※49
続き
残った第4~5陣の
チュートン騎士団、ボヘミア騎士団、ポーランド騎士団は
オンリー騎士構成じゃなくて、日本の武士と同じく、自分の従者や領地の農民兵も連れてて
その歩兵たちを騎兵の機動力にあわせて移動させてたから、疲れ果ててた状態で戦わされてそのまま全滅
51.名無しさん:2018年01月22日 14:48 ID:KdVONatM0▼このコメントに返信
※49
ワールシュタットだけならそれ言えるけど、
3日後にモヒでもハンガリー軍がバトゥ本隊に騎兵突撃繰り返して追い払われた上に、スブタイの別動隊に包囲殲滅喰らってるからなあ
52.名無しさん:2018年01月22日 14:53 ID:VFkmTcfH0▼このコメントに返信
日本待ち受けなのか適当なフィールド仮定してやりあうんだかわからんのがな
元寇の代わりに十字軍来た設定ならあの時代大体どこが来ても日本は互角以上の勝負するだろうし
53.名無しさん:2018年01月22日 14:57 ID:Hxcenxvo0▼このコメントに返信
※51
騎兵突撃は騎士の契約関係から派生した騎士の慣習やからね。

でも、モンゴル軍も騎士の突撃をもろに受けたら勝てないって認識だし、

モヒの戦いでも、負けはしたけど総司令官のバトゥがピンチになるほど欧州勢は善戦してるよ。

ハンガリー騎士団の猛攻にバトゥの護衛兵(戦国での馬廻衆みたいな武将クラスの精鋭)が30余名死亡、副官のバカトゥが戦死してて自身もピンチになってる

スブタイの援護で撃退/せん滅してるけど、それなりに脅威だったのは確かやで
54.名無しさん:2018年01月22日 15:54 ID:Qyl0Gf9m0▼このコメントに返信
※53
知識が無いんで教えて欲しいんやけど、マジャール人社会でも西欧的な騎士の契約関係って有効だったの?
封建制である以上はなんらかの契約に基づいた主従関係なんだろうとは予想してるんだけど、西欧の騎士とハンガリー騎兵をどこまで同列で扱っていいのか分からん。どっちかっていうとハンガリーは遊牧民由来のかなり精強な騎兵集団を擁していたって言う認識で、ハンガリー高原は地理的にも歴史的にも中央ユーラシアの遊牧民居住域の延長上にあるから軍馬の数も質もかなり高かったんじゃないかと思ってるんだけど
55.名無しさん:2018年01月22日 16:08 ID:Qyl0Gf9m0▼このコメントに返信
※53
54を読み返したらなんか前後がつながってなくて誤解を招くような書き方になってるな

気になってるのはハンガリー騎士に西欧と同じ封建社会のルールが適応できるのかどうか(モヒの戦いでの騎兵突撃がそういう西欧的契約の一例として語っていいのかどうか)って点と、どうしてそこに疑問を持ったのかって話で後段のハンガリー人の由来が遊牧民だったよねってことね。もし何か知ってたら教えてください
56.名無しさん:2018年01月22日 16:42 ID:HAHNS6lI0▼このコメントに返信
動員兵力が違いすぎる。しかもヨーロッパは馬乗りながら弓使えないし鍬、脱穀機の農民軍に何度も大敗してる。
ヨーロッパは一国が総動員して3万。3万なんて源氏、平氏の動員兵力にも及ばない。3万なんて木曽義仲の倶利伽羅峠の戦い程度の動員兵力。
人口の2%ぐらいが動員兵力と言われてるから13世紀の日本の人口700万~800万だから日本だけで16万は動員できた。
57.名無しさん:2018年01月22日 16:51 ID:OksvuUbm0▼このコメントに返信
※55
横だけど、レヒフェルトの戦いで敗北後成立したハンガリー王国は
1000年にローマ教皇からもらった王冠で戴冠式して始まったよ、、、
つまりこの時点から西欧の他国と同質の政治経済軍事的社会構造であったのは確か、、、
58.名無しさん:2018年01月22日 16:58 ID:wBE7e82e0▼このコメントに返信
※55

ハンガリーが西方のシステムに組み込まれたのは955年のレヒフェルトの戦いでの敗戦でこれ以上の西方侵攻が難しくなった上に、逆に西方からの侵略の危機に怯えるようになってからで。

今まで非キリスト国家ながら、コンスタンティノープルから主教が派遣されてり、コンスタンティノープルで洗礼を受けてたりしたのを西方勢力に攻撃の大義名分を与えないために、一気にローマカトリックに改宗した時点から始まってる。

まだこの時点では形だけの改宗だったけどハンガリー王国になると、初代国王のイシュトヴァーン1世になると教皇から王冠を授かり、伝統的なマジャール人の制度にこだわる勢力(親族など)をドイツの騎士を使って駆逐して完全に西方システムに組み込まれて、十字軍の時は欧州最強国家の一つに名を連ねてる。

ただ、騎士の突撃とは若干関係ない。西方システムに組み込まれたことと、十字軍参加によって、軍の編成や装備が西方よりになった影響。



というかそもそも騎兵突撃戦法は古くはマケドニアから端を発し、東ローマ+中東で使われてた戦術で、いわゆる騎士の槍ともいわれるCouched Lance(脇で抱える突撃槍)も東ローマ/中東生まれの武器。

それが西方に伝わると爆発的に普及すると、東ローマ+中東では重騎兵は側面/後方を攻撃する用途の武器なのに
西方諸国はそれを相手が重装だろうが軽装だろうが、正面だろうが側面だろうが敵陣が崩壊するまで突撃するのをやめない!って戦法になって、
十字軍でも「近接戦に限って」はイスラム勢力を圧倒してる。モンジザールの戦いとか顕著な例。
59.名無しさん:2018年01月22日 17:21 ID:oOaY4yPP0▼このコメントに返信
重装歩兵の方陣には突っ込めないから、基本は突破しての側面後方包囲用なんだわな、古代の騎兵って(鐙も無いしなぁ)。
ファランクスが廃れたからこそなのかな?>騎兵の正面突撃
60.名無しさん:2018年01月22日 17:30 ID:LtVQ31oB0▼このコメントに返信
※2
足軽が本格的に兵士として運用され始めたのが応仁の乱からだったはず
それまでは律令制時代は中国と対して変わらないけど平安後期~応仁の乱ぐらいまでは職業軍人の武士がメインでそこに従者とかが加わる形だしな
61.名無しさん:2018年01月22日 17:48 ID:uQG.aQlG0▼このコメントに返信
武士の軍隊の場合変に秩序立てないほうがかえって上手く行きやすいってのはあったかもしれんな
元寇の文永の役の日本軍も
①総司令部が待ち伏せ包囲攻撃の計画を立てる②一部が突出して(命令無視か偶発的かはわからんが)敵先鋒と交戦開始
③それに釣られて全軍が想定外の突進を始める っていうどう見ても負けフラグの展開なのに普通に勝ってるし
62.名無しさん:2018年01月22日 18:03 ID:Qyl0Gf9m0▼このコメントに返信
※58
なるほどなぁ。つまりモンゴル侵攻時のハンガリー軍は騎兵については西欧と同等のモンと思っておいていいんかね。

古代の騎兵戦術については研究したことがあって、長槍での突撃戦法はもとはスキタイ発祥なんだよな。マケドニアについてはギリシア人の一部がそれを取り入れていたのを本格的に採用したって流れで、ただヨーロッパとはいえ西欧文明とはいったん断絶してるのはおっしゃる通り。その後の中央ユーラシアの遊牧民はいわゆるカタフラクト騎兵流行の時代があったりして騎射だけでなく長槍突撃も積極的に行っていたから、マジャール人が欧州へ乱入する前に東方にいる間に長槍採用して中世のハンガリー王国の騎兵もその流れを汲んでるんではと思ったりもしたんだけど、そこは人為的に古い組織捨てて西欧式に乗り換えてるのね
63.名無しさん:2018年01月22日 18:09 ID:3FHS1jfp0▼このコメントに返信
※36
在来馬が小型っていっても当時の武士が使用したのは、体高四尺(約120cm)を基準として、+何寸で
表される馬でしょ。もっとも高価な軍馬とされるデストリアー種が体高約150cmくらいで、多くはそれより
小柄な種に乗ったようだし、いうほどの差になるんだろうか?
ちょっと人間の方をググったら、比較的大柄なノルマン人が11世紀前後で平均約170cmらしいし、
鎌倉時代が平均約160cmというから、そこまで決定的な差にはならないんじゃないのかな。

在来馬はポニーで騎乗戦闘に耐えなかったという本が昔出回ってたらしいけど、その名残りなのかな?
ポニーという言葉の意味するところが知られずにイメージが一人歩きしてる気がする。
64.名無しさん:2018年01月22日 18:13 ID:Qyl0Gf9m0▼このコメントに返信
※59
>重装歩兵の方陣には突っ込めないから、基本は突破しての側面後方包囲用なんだわな、古代の騎兵って

自殺行為っぽく見えるけど案外そうでもない。アレクサンドロスの槌と金床戦術は側面迂回ではなく敵陣のど真ん中を突っ切ってその後方へ突破する騎兵戦術で、ファランクス相手でも突入箇所とタイミングさえ正しければ突破できた(まぁ言うは易しで、大王は天才だったと思うw)。ファランクスって攻撃時は走って突撃するんで、なかなか理想通りに堅固な陣形を維持し続けるってのは難しいから隙を作ること自体はできる。ペルシア戦争ではペルシャ軍がギリシアのファランクスを突破したり肉薄して善戦したりしてて、これが騎兵かどうかは議論があるけど、槍衾自体はそこまで万能ってわけじゃない。それとは別にテルシオ方陣も騎兵に食い破られた事例があったと思う

問題はそのレベルの騎兵を養成するのが難しいってことじゃないかな。これを解決する手段のひとつが封建制だと個人的には思ってる。土地を与えてやればその領主が自腹で馬と装備を整えるので、歩兵の動員力は激減する代わりに重騎兵は継続して維持できる。本当にできてたかどうかはまた別の話だけど
65.名無しさん:2018年01月22日 18:22 ID:s8uGKcXU0▼このコメントに返信
※64
方陣は対騎兵用と言われるが、結局は指揮官の力量と兵士の練度次第だな
ナポレオンの時代もフランス軍、同盟軍ともに度々方陣を破っている
しっかり陣を組めば持ちこたえられるが、練度の低い兵士では突き破られている
逆に古代においては、戦象の突撃は騎兵の突撃よりも衝撃力が強大で、方陣を組んでも食い止めることができないので、
ザマのスキピオのようにわざと隙間を作って突撃を受け流す戦法で対抗したなど、いろいろ工夫が見られて面白い
66.エンアカーシャ:2018年01月22日 18:25 ID:f8dBmOj80▼このコメントに返信
全身甲冑の騎士は、侍に勝てない、
100メートル動くだけで、騎士はスタミナが切れる、戦闘不能だ、
後は、動けなくなった所を、料理するだけの侍、

戦争の話だよな?、
一騎討ちでは無く。
67.名無しさん:2018年01月22日 18:33 ID:oOaY4yPP0▼このコメントに返信
*64
なるほど。
どうもギリシアのファランクスって、槍は振り下ろすように(投槍のように保持する)使ったらしいんだってね。
ということは、対騎兵ではそれほど有効ではないのか、、、。
マケドニアの長槍は脇抱えなのかな?。
ただ当時の騎兵は鐙無しの曲乗りだから、後世の騎兵ほどの衝力はまだ無いような感じもするが、、、。

68.名無しさん:2018年01月22日 18:43 ID:BFJCy3jS0▼このコメントに返信
※67
マケドニア式の場合盾は首にかけてるだけだから槍は両手で持つねん。
69.名無しさん:2018年01月22日 19:04 ID:b3.L76Q30▼このコメントに返信
※45
関が原勝利後の家康もまともに戦うのビビッて講和に持ち込んだ島津はNG
あいつらは頭がおかC(ほめ言葉
70.名無しさん:2018年01月22日 19:23 ID:xQ91.GBO0▼このコメントに返信
動員力を言ってる人がいるがこの時代ヨーロッパの人口はゴミだしね
農業生産力が低いから都市人口を賄えない
ロンドンなど首都クラスで5万、10万に届くとなると中世後期のパリとかにならないと存在しない
71.名無しさん:2018年01月22日 19:26 ID:.llQ1IYM0▼このコメントに返信
※38
台風のおかげで買ったなんて、今時昭和の教育丸出しの知識。
72.名無しさん:2018年01月22日 19:28 ID:xQ91.GBO0▼このコメントに返信
あと体格差もこの時代だとそこまでじゃないね
日本人の平均身長はむしろ江戸後期~明治初期が最低で鎌倉室町はもう少し高い
仏教の影響で肉食から遠ざかったのに
皮肉にも平和な江戸時代に白米の生産量が上がり庶民も食えるようになってしまった為
雑穀より蛋白質やビタミンに欠ける白米食により縮んでしまった
73.名無しさん:2018年01月22日 19:32 ID:NeK4wRxR0▼このコメントに返信
※70
世界基準で見て一番欧州が没落してた時期だよな、中世暗黒時代直撃だし
ついでに、麦と稲の違いと、豊富な水資源の差で面積当たりの生産量も桁違いだし
高コストの重装弓騎兵である武士を維持できてた時点で、相当裕福な国家なのは確実だし
74.名無しさん:2018年01月22日 20:01 ID:p8tTKjno0▼このコメントに返信
12世紀の騎士なんてモンゴル兵にボコボコにされてやり返せない程度だぞ
ゲームや映画のイメージで語りすぎ
75.名無しさん:2018年01月22日 20:09 ID:A.Pk8YtG0▼このコメントに返信
でもモンゴル兵って戦わない軍団だったはず。

2年位かけて情報収集と調略した上で大軍団で包囲して降伏させるのが本筋。
勝ちすぎて、そこから進みすぎるとコロッと負けて撤退、そこからまた2年かけて
調略の繰り返し。
76.名無しさん:2018年01月22日 20:10 ID:E3ZZjehP0▼このコメントに返信
十字軍時代のロングソードは重くて馬上では使用できなかったらしい。しかも非常に脆かったという。
鎖帷子は斬り刺しには強いが打撃に脆かったこともあり、ロングソードより先端に金属板を巻き付けた木製バットの方が戦場で猛威をふるったと聞いた。
77.名無しさん:2018年01月22日 21:54 ID:3GxHm0jq0▼このコメントに返信
楠正成も万を超える歩兵を率いて
500騎程度の宇都宮公綱に一方的に負けているので
当時の武士は今で言う特殊部隊みたいなもんじゃないの?
78.名無しさん:2018年01月22日 22:48 ID:Xd00dTUl0▼このコメントに返信
※66
動けなくなるような装備で戦場に出る馬鹿はいねえよ馬鹿
79.名無しさん:2018年01月22日 23:20 ID:mTvl0y6W0▼このコメントに返信
※66
全身甲冑なんてもっと後の時代
80.長文、ゴメン:2018年01月23日 00:13 ID:X9NY8OfU0▼このコメントに返信
夏なら日本軍圧勝
日本の夏をナメてはイケナイ。 高温多湿の熱帯並みですぜ
発汗量が半端ではなく、飲料水はともかく、ナトリウム欠乏から来る熱射病&熱中症で、西洋の騎士団は、戦う前に戦意喪失であろう
そうかといって、生の岩塩などを、一度に大量に舐めると、急性胃炎の原因となり、弱体化に拍車を掛ける

その点、日本は梅干しや、沢庵漬け、味噌などを上手に活用することで、対応していた
常温でも保存可能で、変質しない<漬け物><味噌>などは、貴重な軍需物資でもあった
沢庵漬けは、<蓄え(漬け)or貯え(漬け)>の訛音で、
<糠漬け大根>などは、古くは<蓄え(漬け)or貯え(漬け)>の名で、平安時代後期から文献に登場し、レシピも残っており、
ほぼ今の<沢庵漬け>と、大差の無い代物である

余談ついでに、<脳味噌>の語源説に、薄気味悪い話がある
鎌倉時代の頃から、戦場で斬り落とした敵の首を<首実検>まで保存する方法として、エジプトのミイラ同様、鼻軟骨を破壊して
腐敗し易い脳を金属の篦などで取り出し、代わりに<味噌>を詰め込んで<防腐剤>としたという説がある
実際、岩手県の平泉に伝わる藤原泰衡or忠衡のミイラ(晒し首の刑に処された後の首だけのミイラ)などは、鼻が削がれており、
↑の記述通り、鼻軟骨を破壊した痕跡らしき代物が確認されたとする論文もある…ようだ(コレは、悪いけど未確認)
<晒し首の刑に処された>首が、相当に良好な状態でミイラ化している…というのは、何らかの<防腐処理>が必要で、
<脳味噌>語源説に、説得力を与えている 鎌倉時代、現代の<味噌>と、ほぼ変わらない醸造技術があった傍証であろう
81.名無しさん:2018年01月23日 00:48 ID:xbkw03690▼このコメントに返信
※73
中世西欧ってのは、暗黒時代どころか経済成長著しい時代だよ、、、
この時代大都市が生まれなかったのは、いわゆるシャトーによるバン封建制で
兵士供給が農村部に広がってたから都市集中する必要がないからなだけ、、、

つか修道院による大荘園領管理とか大規模な三圃式農業が広まって一気に農業生産性が数倍になった時期
だから市場経済規模は拡大し、ロスチャイルドみたいな銀行家が生まれたり
十字軍国家なんて西欧経済圏から銀貨輸送(この業務でテンプル騎士団大きくなった)して維持してたんだぞ、、、

82.名無しさん:2018年01月23日 01:58 ID:HnMlliMv0▼このコメントに返信
※73
中世欧州と言っても長いから、ローマ時代終焉の冬の時代から
ルネッサンスの立ち上がりの上昇時期がある
お題の12~13世紀はルネッサンスの萌芽が出始めたころ
まだ全盛期にはいたらない
為替とかの金融業の発達も14世紀位になってからだ
12~13世紀はイスラムから見て蛮人の世界
83.名無しさん:2018年01月23日 04:59 ID:AF.I4l.c0▼このコメントに返信
※82
12世紀には金融関係はかなり発達してたよ、とくに十字軍活動のせいで、、、
例えば1146年ルイ7世が仏国庫をテンプル騎士団管理に任せたりしてるわけで
それ以前からテンプル騎士団による自己宛為替手形とか預金通帳とか近代的サービスは始まってたわけで、、、

つか西欧経済圏とオリエント経済圏は、一度も経済的に断絶したことはないわけで、、、
十字軍以前でも、フランク王国の時代からユダヤ人(アシュケナジーム)が
戦争捕虜の非キリスト教徒奴隷(スラブ人)を輸出し贅沢品を輸入する東方貿易に従事してたのよ、、、
10世紀には神聖ローマ帝国にスペインのユダヤ人(セファルディーム)が接触してるし
11世紀後半にはウィリアム一世のユダヤ人保護政策で英国移住も行われてるわけで
まぁ十字軍以前の中世西欧ではユダヤ人組織の近代的な金融機構があって
王のオリエント貿易を担当する宮廷ユダヤ人が多数存在した一つの経済界があったわけで、、、

つまり市場や金融システムに関する限り、一度も西欧は中東経済圏に劣ったことはないと思われ、、、
まぁずーと互いに貿易してたんだから同質になるのは当たり前の話だけど、、、
84.名無しさん:2018年01月23日 05:38 ID:2Mj1Ew5N0▼このコメントに返信
兵力動員や兵站の話をすると、米と小麦に20倍以上の収穫量差があるのを忘れてはいけない
85.名無しさん:2018年01月23日 11:11 ID:.aysGCCV0▼このコメントに返信
※53
詳細補足

モヒの戦いは元寇でも見せてくれたモンゴル軍の長所と短所がよく分かる戦い。


まず、当時のハンガリーはまだ集権的国家の体裁ではなく、国王のベーラ4世は貴族に相当嫌われてて、よく知られているモンゴル軍3万に対してハンガリー軍4万って言われてるけど、現実1.6万程度で。兵力構成も国内の政治混乱が続いたせいでかなり劣化が来てた。
さらについて来た貴族たちがモンゴル軍の欺瞞戦術によって兵力大半を持って退却しちゃってる状況で、相手は3倍以上の軍勢に、重騎兵と軽騎兵で構成された軍団。

当初、ベーラ4世は夜襲を計画してたけど、モンゴル軍のとてつもない進軍速度のため失敗し、相手の長所を制限すめにモヒに流れる川を挟んで対峙した。正面には、川の唯一橋である、狭い橋が一つだけあり、そこを陣地化し、正面や側面を馬車で囲んで簡易要塞にし、そこにクロスボウ兵を配置した。一方モンゴル軍は軍を2分し、バトゥは正面から。スブタイは南に迂回して川を渡って側面と攻撃し包囲殲滅しようと動く。

バトゥの最初の攻撃は馬車要塞からのクロスボウによって阻止。そこでバトゥは投石機と重騎兵を使って橋を集中攻撃するが中々耐える。しかし、ハンガリー軍の判断ミスによってモンゴル軍に橋を奪われ渡河を許す。そこでベーラ4世は全面攻撃を命じる。背後が川であるため逃げ場も無く、機動力が制限されたバトゥの軍はハンガリー軍との白兵戦を余儀なくされ。ハンガリーの重騎兵と重装歩兵に一方的に蹂躙されて戦線崩壊一歩手前の状況まで瓦解し始める。そこでバトゥが最前線に立って士気崩壊しかけた兵士を励まして立て直して耐えてたところにスブタイがハンガリー軍の背後を強襲してモンゴル軍は勝利。

さらにわざと逃げ道を作っておいて、追撃でトドメを刺してハンガリー軍は事実上崩壊する。
86.名無しさん:2018年01月23日 11:41 ID:qBtPMfxa0▼このコメントに返信
しかし軍事力差が凄いな・・・
ヨーロッパ全土の兵力と比較するのが日本の一地方レベルって、
どんだけ軍事大国なんだよ、日本ヤバすぎだろw
87.名無しさん:2018年01月23日 12:03 ID:8R.Wc4Rp0▼このコメントに返信
※86
ところが12世紀から13世紀だと、日本もヨーロッパも兵站がクソなんで
一度に大軍を動員できない。
小田原の役の頃、石田三成その他の官僚が頑張って差配して一か所に集めたのが
16万。ヨーロッパでヴァレンシュタインの下、10万以上(12万5千とも)の軍勢が
結集したのがある程度確実なのは、三十年戦争中の1627年。
88.名無しさん:2018年01月23日 13:29 ID:FWhQIIXt0▼このコメントに返信
※85
なんか所々嘘くさい気がする
89.名無しさん:2018年01月23日 13:35 ID:8R.Wc4Rp0▼このコメントに返信
※88

英語が分かれば、ここに出典付きで書いてあるぞ。

ttps://goo.gl/vPyoXe
90.名無しさん:2018年01月23日 16:01 ID:BuNn3neQ0▼このコメントに返信
ttps://www.youtube.com/watch?v=PUwmA3Q0_OE
世界の人口推移ならこんな動画もある
いかにローマ崩壊後のヨーロッパがクソザコナメクジだったかがよくわかる
中世後半に農業技術の向上があって増加傾向になるがその後ペストで相当やられるしな
国力がアジアを上回るのは産業革命以降にならんと
91.名無しさん:2018年01月23日 20:20 ID:k8nWkyWp0▼このコメントに返信
※90
スレの13世紀までは順調な発展して西欧の人口って減ってないぞ、、、
ペストや大飢饉、100年戦争起きるのは14世紀入ってから、、、


つか偉大なるローマ帝国だって、3世紀の危機のころはかなり弱体化進んで、、、
92.名無しさん:2018年01月23日 21:07 ID:jaVMST5R0▼このコメントに返信
※91
ローマ末期から11世紀くらいまでフン族、アヴァール人、ノルマン人、マジャール人、
イスラム勢などが次々にヒャッハーしに来るわ、カール大帝の孫たちは内戦を起こすわで
同時代の年代記作者も決して明るい時代として記述してはいないものだから、上手く行ったこと
など一つもないなんてイメージがあるのかも知れん。
カロリング・ルネッサンスとかミンネザングとかに目を向けると、単に暗黒な時代だなどとは
少しも思わないけど。
93.名無しさん:2018年01月23日 21:11 ID:FWhQIIXt0▼このコメントに返信
※89
ほんとだ概ね合ってる
強いて言えば「一方的に蹂躙」と言える記述は分からんかったけど
疑ってすまんかった
94.名無しさん:2018年01月23日 21:46 ID:SYm8r3ok0▼このコメントに返信
確かに古代ローマからグラディウスなど鍛造した鋼の剣使っていたがローマ崩壊後には冶金技術が衰退し鋼の安定生産が出来なくなった
13世紀前半までの実戦で使われたヨーロッパの剣はほとんど鋳造成型した鉄製だぞ
鋼が使われるようになったのは13世紀後半以降の後期型と呼ばれる物から
鋼を使うようになった事で刀身も細くなっている
95.名無しさん:2018年01月23日 22:24 ID:jaVMST5R0▼このコメントに返信
※94
いや、間違ってる。ローマが残した製鋼技術は中世の混乱期でも残り、発展を遂げた。
13世紀どころか中世初期にあたる10世紀のものでも普通に輸入品でない西欧で製作された
鍛造鋼剣が残ってる。
鋼材の主な入手手段は塊鉄炉(ドイツ語ではRennofen)であり、12世紀頃にはそれを改良・
大型化したもの(ドイツ語でStückofen)でさらに安定的に鋼を入手できるようになった。
そもそも鉄や鋼って鋳造には向いてないんよ。
96.名無しさん:2018年01月23日 23:10 ID:q1D8BYDu0▼このコメントに返信
そもそもローマ時代はイベリアが製鋼の拠点だったり
西ローマの技術を継承(簒奪)したのがヴァイキングで
だからこそヴァイキングソードがロングソードの基点になったり
97.名無しさん:2018年01月23日 23:38 ID:jaVMST5R0▼このコメントに返信
※93
「The struggle seemed(中略) siege engines.」

「この戦いはモンゴル軍にとって恐ろしい展開となったかに見えた。二時間に及ぶ戦いの中で
彼らは重大な損害を被り、攻城兵器の火力のおかげで辛うじて、ハンガリー騎士の突撃に
よって総崩れとなることを免れた。」

まあ、攻城兵器で一矢報いて潰乱を免れたけども、それがなければ総崩れとなる程度には
一方的な展開だったと読めるな。
98.名無しさん:2018年01月26日 13:43 ID:VtiJL.oW0▼このコメントに返信
竹装備の村農村武士何言っている?完敗だろう。
99.名無しさん:2018年01月31日 01:59 ID:qKpx97CZ0▼このコメントに返信
米98
日本語があやしいぞ?

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