スポンサーリンク

2017年12月14日 10:05

織田信長「我が軍は4000、対して今川軍は3万か...」

織田信長「我が軍は4000、対して今川軍は3万か...」

03

引用元:織田信長「我が軍は4000、対して今川軍は3万か...」
http://hawk.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1507180169/

1: 2017/10/05(木) 14:09:29.83 ID:vM/6Ab7SF
信長「勝てるわけないし降伏したろ!」

3: 2017/10/05(木) 14:10:10.78 ID:TNAtdE4Ea
せやろか?

4: 2017/10/05(木) 14:10:22.94 ID:xLDAVNIT0
余程の自信がないと戦えないな

5: 2017/10/05(木) 14:10:32.14 ID:e76vyGIM0
包囲したら勝てるんじゃね

10: 2017/10/05(木) 14:11:50.59 ID:AT1sm3tTd
>>5
約7倍やぞ
キツイやろ

14: 2017/10/05(木) 14:12:17.24 ID:e76vyGIM0
>>10
いやいや四方から囲んで殲滅するんや

492: 2017/10/05(木) 15:11:47.11 ID:Jfx+dPY5d
>>14
どうやって包囲すんだよ…

758: 2017/10/05(木) 15:43:41.59 ID:4572CH2M0
>>14
四方からいったら各個撃破されて終了
一番無能が考える采配

7: 2017/10/05(木) 14:11:06.15 ID:KokenA4C0
大将の首だけ取る

533: 2017/10/05(木) 15:16:21.73 ID:j3NK+hRUr
>>7
出来たら苦労しないんですが

9: 2017/10/05(木) 14:11:38.67 ID:ORa7Tlj70
その時歴史は動いた

12: 2017/10/05(木) 14:12:10.23 ID:viyPE0qK0
信長「我が軍は疾風戦術を使うぞ」

831: 2017/10/05(木) 15:57:42.66 ID:Sf4pVnil0
>>12
実際やってたんだよなあ

15: 2017/10/05(木) 14:12:26.05 ID:K/XssnOQd
適当に陣攻めたろ!

18: 2017/10/05(木) 14:12:51.04 ID:1xIv5hsi0
第二次中東戦争もこんなもんやろ
イスラエルのボロ勝ちやで

25: 2017/10/05(木) 14:13:37.54 ID:h71dPUcI0
今川義元「大雨やな…奇襲あるかもしれんから本陣かためたろ!」

60: 2017/10/05(木) 14:16:58.65 ID:0rb+7T9u0
>>25
かしこい

27: 2017/10/05(木) 14:13:39.07 ID:aldhWh5H0
武田動かして今川襲わせればよくね?

34: 2017/10/05(木) 14:14:19.68 ID:B+jATX/Xd
>>27
上杉・北条「ダメです」

36: 2017/10/05(木) 14:14:25.94 ID:hNSbP3+tp
実際これ勝算あったんかね?
それとももう一か八かで決戦か?

47: 2017/10/05(木) 14:15:51.58 ID:viyPE0qK0
>>36
さすがに勝算はないでしょ

42: 2017/10/05(木) 14:15:36.81 ID:ypQAhHizH
ようわからんが前に敵がいるから攻撃したろ!
おいおい大将の陣やんけ!

こうだろ

51: 2017/10/05(木) 14:16:24.56 ID:ABRjnKEB0
一人当たり8人倒せばいいだけやん
本気出せば余裕

57: 2017/10/05(木) 14:16:47.34 ID:0w+z+HyJM
ワイ未来人「やめろ義元ー!こんな所で休むんじゃなーい!」
今川「確かに危ないな、ここ。サンキュー未来人」
織田「うぎゃあああ(死)」

68: 2017/10/05(木) 14:17:50.15 ID:viyPE0qK0
>>57
今川「怪しい格好の不審人物? ほーん、斬れ」
部下「おかのした」

63: 2017/10/05(木) 14:17:03.17 ID:EpVn6YjpM
実際は5000vs20000くらいだったらしいけどな

676: 2017/10/05(木) 15:32:55.83 ID:NmlSDaNi0
>>63
桶狭間では2000対5000ほどらしいぞ

65: 2017/10/05(木) 14:17:17.06 ID:hQIplP11a
ろくに布陣もしてない移動中を奇襲された戦ってあんま無いよな

75: 2017/10/05(木) 14:18:51.84 ID:e76vyGIM0
近現代の戦争でこういう大逆転劇ってないんか?

89: 2017/10/05(木) 14:20:33.14 ID:1dGgIhfQp
>>75
シモヘイへ「ほーん」

なお戦争そのものは

396: 2017/10/05(木) 14:57:54.56 ID:QNG2k6d2M
>>75
キューバ革命
○16人革命軍
●4万人国家軍

660: 2017/10/05(木) 15:30:48.13 ID:qXBToN+Nd
>>396
無双かな?

887: 2017/10/05(木) 16:08:49.02 ID:TEQY71tOa
>>396
ほんますごい

902: 2017/10/05(木) 16:11:18.41 ID:T8ndIPdd0
>>396
なんやこれ・・・

421: 2017/10/05(木) 15:01:59.12 ID:p1hMeb+n0
>>75
イギリスの少数の軍隊がアフリカの多数の部族襲撃して虐殺とかあった気がする
あくまで数の上ではの話やけど

909: 2017/10/05(木) 16:12:46.72 ID:nFtmcICd0
>>421
射程で優れる小銃と砲で方陣を組むと
10倍の相手でも完封出来る時代もあったな

集まったから今日明日にでも攻撃しないと解散になっちゃう!
って部族相手限定やけど

110: 2017/10/05(木) 14:22:51.59 ID:aSeqKHb60
最近は兵数も拮抗してたって説が有力なんやろ?

125: 2017/10/05(木) 14:25:27.18 ID:BQqKxEe0r
>>110
まあ実際細長く行軍してても大将回りぐらいちゃんと固めてるのが普通やろしな
それに横から来れるぐらいの山道ならどれだけ奇襲上手くいっても退路絶たれそうやし

134: 2017/10/05(木) 14:26:50.96 ID:EpVn6YjpM
>>110
織田軍総数5000のうち精鋭2000で同数くらいの今川本陣を討ち取った
今川軍は総数でも最大20000くらい
30000はありえないと

137: 2017/10/05(木) 14:27:15.74 ID:4JVHMnrN0
桶狭間で今川が勝って上洛できても京を維持できてなさそう

169: 2017/10/05(木) 14:30:15.27 ID:8hYPMFyhK
信長は天才天才言われるが桶狭間だけはよくわからんよな
本当に勝算あったんか?

265: 2017/10/05(木) 14:41:50.76 ID:aSeqKHb60
>>169
ノッブは天才っていうか若いころから戦三昧やから経験値が半端ないんやろ

275: 2017/10/05(木) 14:42:42.30 ID:z9zFWHJ7a
>>169
桶狭間はむしろ土地勘あって相手の位置予測できたのが大きいらしいで

177: 2017/10/05(木) 14:30:55.10 ID:WV1H6Ewq0
この時代の情報の価値くっそ高いよな 相手の位置さえ掴めたら数の差なんてどうとでもなる

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


スポンサーリンク

★★★★★★★★★★★★★★ 最新オススメ記事 ★★★★★★★★★★★★★★

コメント

1.黒いテロリスト:2017年12月14日 10:10 ID:tHOwbhaj0▼このコメントに返信
???「土砂崩れおこして本隊と分断したろ」
2.名無しさん:2017年12月14日 10:11 ID:vLN6UR340▼このコメントに返信
これを今の日本企業に例えると、根性論で何とかなると本気でそんな作戦を考えて部下に命じるだよな。
3.名無しさん:2017年12月14日 10:20 ID:Xao3cIzk0▼このコメントに返信
待ち伏せして移動中の敵を奇襲はよくある戦術じゃないですかねぇ
ほとんどは襲撃側の人数少なくてさっさと逃げるか、襲われた側がいったん逃げて体制整えるか、その場で戦いになりにくいだけで
4.名無しさん:2017年12月14日 10:20 ID:KnsvizkG0▼このコメントに返信
これが中世のなろうか
5.名無しさん:2017年12月14日 10:23 ID:.jBQSO1T0▼このコメントに返信
>10倍の相手でも完封出来る時代もあったな
今も同じや。
北の核ミサイル。
通常戦力から見たら10倍どころと違う。
金豚(信長)にしたら、降伏=死なんも同じやで。
完封ちゃうけど、万単位で自国民が蒸発させられるとオモタら、仕掛けられんで。
6.名無しさん:2017年12月14日 10:24 ID:rhOikFCM0▼このコメントに返信
※2
敵の本陣がどこにあるかを的確に把握する情報戦やぞこれ。
7.名無しさん:2017年12月14日 10:27 ID:6Kj3LFXF0▼このコメントに返信
戦いは数だよ兄貴
8.名無しさん:2017年12月14日 10:27 ID:ohJeq8K00▼このコメントに返信
田楽挟間やぞ
9.名無しさん:2017年12月14日 10:35 ID:6Ad1OQkz0▼このコメントに返信
桶狭間の戦いは奇襲戦術が如何に有効かを実証するお手本のような戦いだからな。
源義経も一ノ谷で同じようなことやってるけれど
寡兵で大軍を相手にするなら奇襲は基本中の基本だよ。
10.名無しさん:2017年12月14日 10:41 ID:QdMSQczp0▼このコメントに返信
※2
根性だせば成功する作戦か、いくら根性だしても無意味(または逆効果)な作戦かでは大きく違う
結果論かもしれないが信長は前者だった
日本企業の大半は後者
11.名無しさん:2017年12月14日 10:47 ID:pRPZnQAK0▼このコメントに返信
この奇襲が成功したのは正確な情報をノブさんが手に入れたからでしょ?
だから戦功第一が梁田政綱になったんでしょ?
12.名無しさん:2017年12月14日 10:47 ID:6Ad1OQkz0▼このコメントに返信
桶狭間の戦いのポイント
1.桶狭間は狭く大軍だと縦長にながり一箇所に兵力を集められない
2.既に敵領なので奇襲されることを想定しなければならないが今川義元はこれを怠る
(この辺が今川義元が信玄や謙信と比べてイマイチ評判が良くない所以)
3.雨が降って索敵能力が落ちている所を奇襲される
4.たった一度の失敗で人生台無しになるというのを体を張って示した男、それが今川義元
13.名無しさん:2017年12月14日 10:48 ID:1sLSSovn0▼このコメントに返信
数で勝ると敵を侮って戦線を伸ばして薄くしてはいけないという戒め
なお同じ事を龍造寺隆信さんもやってしまい討ち取られる失態を犯したものの、地方の九州での出来事でもあり、ほとんど注目されず義元さんのように評価を貶められなかった模様
14.通りすがり:2017年12月14日 10:49 ID:sFUkvP7Q0▼このコメントに返信
織田の奇襲戦術は見事ハマった、九死に一生の勝利。

最大の疑問
『今川家当主が討ち死に』
    ↓
織田許さん、敵討ちじゃ!ボコボコして領地と首取ってやる

って流れに何故ならなかった????

織田信長が本能寺で明智光秀に奇襲で討ち死にした後の、
『敵討ちレース』で秀吉が見事敵討ちに成功、その後の『出世レース』で首位になったりしたが。
15.名無しさん:2017年12月14日 10:49 ID:yeOo.YkX0▼このコメントに返信
※14は多分なろう小説のネタだと思う
16.名無しさん:2017年12月14日 10:50 ID:yeOo.YkX0▼このコメントに返信
間違えた、>>14ね
17.名無しさん:2017年12月14日 10:51 ID:6Ad1OQkz0▼このコメントに返信
※14
すぐ武田が駿河を攻めて今川氏が滅亡したから。
18.名無しさん:2017年12月14日 10:54 ID:ePr7k4Wy0▼このコメントに返信
※12
???「フィンランドなんて3日で落ちるわw進みすぎてスウェーデンまで突っ込まないようになw」
19.名無しさん:2017年12月14日 10:59 ID:1sLSSovn0▼このコメントに返信
※17
裏切り王信玄と同盟を結んだだけで油断した今川さんサイドにも落ち度がある
元々仲が良かった北条さんと寄りを戻し上杉とも組んで武田を締め上げ先に潰しておくべきだった
20.名無しさん:2017年12月14日 11:00 ID:SNn8u5Pl0▼このコメントに返信
最新の研究では単なる正面攻撃だったみたいね。
ぶっちゃけ、死ぬ気の織田勢と楽勝気分の今川勢の差が出た。
21.名無しさん:2017年12月14日 11:00 ID:W.5YOQsq0▼このコメントに返信
※14
松井宗信、由比正信といった重臣も纏めて討ち取られた上、再建中に松平家は離反するわでそれどころじゃなかった
(そして仇討ちをやった場合、真っ先に目標になるのは裏切り者の狸だw)
22.名無しさん:2017年12月14日 11:00 ID:VWWWCvXO0▼このコメントに返信
※14
信長は家臣に対して家柄ではなく本人の才能と実績を重視していたし
家臣に任せた問題は半ば丸投げするようなタイプだったから、
自ずから信長という企業グループには経営力のある子会社社長が現れた。
23.名無しさん:2017年12月14日 11:01 ID:0YpsuI1e0▼このコメントに返信
未来人のアドバイスやろ
24.名無しさん:2017年12月14日 11:01 ID:wmsIx8P10▼このコメントに返信
でも偉大な戦国武将だったことは違いないよね。暗さつされずに織田政権になっていれば
日本の形も大きく変わったに違いない。それがいいか悪いかは分からない。
25.通りすがり:2017年12月14日 11:02 ID:sFUkvP7Q0▼このコメントに返信
※17
なるほど流れが分かりました。
織田に構ってる暇ないですな(笑)
※15
自分ちの大将やられたら報復・敵討ちは当たり前でしょう。
しかも相手は自分より半分以下の小国、戦国時代舐められたら喰われて終わる。
26.名無しさん:2017年12月14日 11:04 ID:NbkAuom.0▼このコメントに返信
ギュリちゃん キムハヌルちゃん >> 一般女性数万人
27.名無しさん:2017年12月14日 11:06 ID:6Ad1OQkz0▼このコメントに返信
※19
今川義元が上洛の際は上杉とも組んで信玄を北信濃から動けないようにしてるんだよ
だから今川義元は後世で言われてるような愚将ではなくむしろ優秀な部類だと思う。
本当にたった一度の失敗で人生そのものを台無しにして後の世の自身の評価までダメにした人物
28.名無しさん:2017年12月14日 11:07 ID:G0xHUo0a0▼このコメントに返信
※15※16
包囲殲滅陣、あんだけネタにされてたのにもう忘れ去られてるんだな…
29.名無しさん:2017年12月14日 11:13 ID:sFUkvP7Q0▼このコメントに返信
※19 ※21
なるほど。織田に重臣やられたボディーブロー+後ががら空きだったトコロを武田に急所攻撃。
急所守ってたファールカップ松平が外れてたわけか・・・・

※22
信長流人材活用術は今川家潰した後の成長期だとおもうんですが。
今のベンチャーが外の人材生かす様なやり方は、戦国時代有能な人材が貴重だったので成長目指す武将は人材募集に力を注いでたと思います。
現状維持路線の武将は子飼いだけで回そうとしますが。
30.名無しさん:2017年12月14日 11:15 ID:SpT80ewZ0▼このコメントに返信
しかしその信長が天下統一目前まで行ったんだから
たまたまとか運良くだけでは済まされないものを感じる
31.名無しさん:2017年12月14日 11:16 ID:G0xHUo0a0▼このコメントに返信
※27
今川義元が愚将なんて言われてないような
主役を信長にしたときストーリー序盤の踏み台になるから扱いは悪くなるけど、馬鹿扱いってことはマトモなドラマならないよ
今川義元といえば「海道一の弓取り」って修飾語がつくくらいだし、そんな有能な大敵を打ち破ったから華麗な展開になるわけで
それまあ、有能だけどちょっと油断してましたー程度に描かれることはあるけどさ
32.名無しさん:2017年12月14日 11:22 ID:Xao3cIzk0▼このコメントに返信
※29
武田関連の時系列がかなりいい加減なので補足しとくと

桶狭間と同じ年に上杉が関東侵攻して小田原包囲、翌1561年に武田と上杉が川中島合戦、同時期に松平が離反の動き
この時期の武田に駿河を攻める余裕はあまり無く、今川との関係悪化は武田義信が廃嫡される1565年頃からです
33.名無しさん:2017年12月14日 11:23 ID:WB.sPfMg0▼このコメントに返信
信長は奇襲してないってのが最近のトレンド。
今川は丸根砦と鷲津砦攻略に兵を割いてたので、局所的な兵力優位はそれほどでもなく中島砦攻略中の部隊は城攻めで疲弊。
疲弊してる今川部隊に本日初戦闘の織田軍が攻め懸けたら敗走。
敗走した部隊を正面から受けて弱気が移った今川本陣は馬廻りのみが機能。
馬廻りが大将護衛して逃がそうとしたけど兵力差ですり潰される。
大体こんな感じ。
34.名無しさん:2017年12月14日 11:27 ID:jur5.8g.0▼このコメントに返信
当時の日本で、尾張って相当豊かな地域だったらしいから、
ぶっちゃけ1560年の時点で、信長って知名度や朝廷の官位の箔がないだけで、ポテンシャルは相当だったみたいね。
35.名無しさん:2017年12月14日 11:35 ID:kFNFIp9J0▼このコメントに返信
※33
桶狭間と鳴海城跡、大高城跡、沓掛城跡を、自転車で回ったけど、丘陵地帯で今でも地形はボコボコだぞ。
もう少し東の知立市辺りになると、平地が広がって視界が良好なんだけど。
天気もあると思うけど、平地で視界が良ければ、他の部隊をすり抜けてやすやすと今川本陣に近づけさせるようなことはせんだろ。
36.名無しさん:2017年12月14日 11:39 ID:RBOExNUw0▼このコメントに返信
桶狭間も地の利と情報戦で制したんちゃうん?
雨天時の突撃でも勝てるかどうか分からん状況なのに
無策で正面衝突してたらあっさり負けてたでしょ
37.名無しさん:2017年12月14日 11:54 ID:So1CjhFu0▼このコメントに返信
※25
チョイ違うよ。武田が敵対してくるのはもうちょい後。
今川の有力家臣がそろって桶狭間で討ち死にしたせいで氏真が国内まとめるのに時間がかかった。
その間に家康が三河で独立して尾張の織田との間の壁になった。
敵討ちするなら数か月以内に国内まとめて兵を再編成して迅速に行動しないと無理だったが、氏真は出来なかった。
そして今川の国力が落ちたのを見計らって武田が裏切った
38.朝鮮とは距離をとります:2017年12月14日 11:54 ID:sFUkvP7Q0▼このコメントに返信
※32
なるほど。ここいらごっちゃになりそうで。
これだけ大勢力に囲まれた尾張。生き馬の目を抜くような油断出来ない状況下、下手に手を出すとヤラレルわけですね。

※33
今川は丁寧に通り道の織田側の城を攻略したのは聞いたことがあります。今川も流石に大軍とは言え無傷ではないはず。

※34
産業も豊かだったと。京都周辺は度重なる戦と飢饉による流民等で政情不安+田畑が荒れ食糧不足。
故に京周辺以外の地域が生産力が向上したんだと。
39.名無しさん:2017年12月14日 11:55 ID:GmD0sg4W0▼このコメントに返信
織田「負ける気せぇへん地元やし」
40.名無しさん:2017年12月14日 11:57 ID:7pZ7k2Q60▼このコメントに返信
ぶっちゃけ下手したら俺より戦上手いかもしれん
41.名無しさん:2017年12月14日 11:58 ID:So1CjhFu0▼このコメントに返信
※34
尾張は豊なんだけど信長が真に尾張統一したの1559年だからね。
尾張が全力を出せば1万5000くらいは動員出来たかもしれないけれど、今川が攻めて来る中で信長と運命を共にしようというのは3000くらいしかいなかったというところ
42.名無しさん:2017年12月14日 11:59 ID:hikgHQJx0▼このコメントに返信
※33
そのトレンドを生み出した?研究者の説によれば、「疲弊した今川軍」というのは信長の誤解と言うかそう信じたかったというだけの話で、実際に義元率いる今川勢は後方部隊なので戦闘未経験、元気いっぱいの状態。しかも前田利家らの300名だかが先走って攻撃しかけて敗走してるんで奇襲の効果もなかった。今川本陣からは信長の動きが丸見えだったし

信長が情報と戦略を駆使して見事に勝ちを拾った戦い、という江戸時代以降の(このコメ欄でもさんざん言われてる)評価とは全然違って、信長だって事実誤認はするし情報なんか揃えられてないし判断ミスだってある。それでも勝てちゃった幸運や、その運を引き寄せる勇猛果敢な点を評価すべきではないかっていう主張だね

兵数の議論はもう確定したことは言えないからなんともアレだけど。4000と3万なんてどっから出てきた話だかは知らん
43.名無しさん:2017年12月14日 12:03 ID:2ICf1YfW0▼このコメントに返信
今川の尾張侵攻の戦力比が5000:20000~30000だっただけで
桶狭間の戦いは織田方の2000~3000に対して今川本陣5000前後だぞ、それでも倍近い敵を打ち破ったことになるが

最近の学説は、なるべく後世創られた俗説よりも、当時書かれたもの、その中でも当事者によって書かれた一次史料重視にスタイルになってる
比較的有力で新しく出てきた説だと、信長は後詰として出陣した以上勝ち負け関係なく敵と戦わなければメンツ丸つぶれになってしまうため敵を探索していたところ
沓掛城から移動する部隊を発見してこれを攻撃したら、それがたまたま義元本陣だったのではないかってのがある

簗田の勲功第一は信憑性のある史料には存在しない、というか簗田政綱がどんな人物で何をした人物なのかすら分かっていない
はっきりしていることは尾張国春日野郡に領地をもっていた人物ってことだけで、実は桶狭間に関係していたかどうかも戦後沓掛を領したかどうかもはっきりしていない。
44.通りすがり:2017年12月14日 12:03 ID:sFUkvP7Q0▼このコメントに返信
※37
今川の跡取りが頼りにならない話は、今の大河ドラマでしっかりと描かれてますね(笑)
政治より遊興に溺れ家臣離反、没落していくのを忘れるため遊興に没頭。
今川家から離反しそうな国衆の頭を誅殺したのも大きかったようで。

いまウィキ見たら、家康と主従逆転する事になるが代々徳川家に仕え幕末まで生き残るのだからこれはコレで。
今まで今川滅亡=一族死亡だと思ってた。

知らない事が多くて(笑)
45.名無しさん:2017年12月14日 12:10 ID:qNtGDKvK0▼このコメントに返信
※29
信長は守護の下の城代に仕える家老格の家柄で津島を祖父の代に支配下においたことで尾張内で一躍抜けた存在なったけど
信長の代になるまでは守護の陣代とかの扱いで他国と戦ってて
信長の代に下克上を上手く計略を使って名実ともに尾張の国主となったので
統治のために必要な人材が足りなかったから新しい人材が必要になったからどんどん新しい人入れてたんやで
他家と大きく違うのは領土の広がるスピードが段違いだったからその分新参者でも大出世出来たって話

三好家でも松永弾正久秀とか三好長慶に見出されて出世していってるしな

※32
桶狭間の後に武田の中でも今川から嫁貰ってる長男は現状維持派で信玄追放して家督相続しようとするも失敗して幽閉とかやってるし
上杉謙信と停戦ライン確定させるために第四次川中島の戦いやって大損害お互いに出してそこから回復させる必要もあったからそれぐらいになるよね
46.名無しさん:2017年12月14日 12:12 ID:qUnCXW3X0▼このコメントに返信
織田家の精兵は信秀の時代から戦い続けていて強そう
47.名無しさん:2017年12月14日 12:16 ID:yydGFWCs0▼このコメントに返信
島津「3000も居たら包囲して全員討ち取れちゃうどうしよう」
48.名無しさん:2017年12月14日 12:17 ID:aNuRpCtQ0▼このコメントに返信
尾張は国力あるから兵力差なかった説は当時の信長が守護や守護代を潰したばっかって状況を考えてない
信長からしたらまだ消極的に従ってる程度の連中がサボりや寝返りしないか怖くて最前線に尾張衆全力投球なんてできんでしょ
49.名無しさん:2017年12月14日 12:23 ID:Xao3cIzk0▼このコメントに返信
北の斎藤も敵になってるし西にある長島も今川に呼応して蜂起してるし、※48の状況も含めてむしろよく2000も集まったなと
そして最近の説だとあの六角が援軍に来てた可能性が出て来たりでもう訳わかんない
50.名無しさん:2017年12月14日 12:27 ID:4nmU09020▼このコメントに返信
信長が義元に勝つのと、大日本帝国がアメリカに勝つ(滅ぼすってことじゃなく日本有利の和平交渉を勝ち取る)のは、当時の人の感覚からいったらどっちが勝算が大きかったんだろうか。
51.名無しさん:2017年12月14日 12:28 ID:mqQIzJcl0▼このコメントに返信
※47
あの九州の鬼神国と関西圏最弱の尾張兵じゃ違いすぎ武田兵1人対尾張兵5人や松平兵1対尾張3人てな感じだぞ。
52.名無しさん:2017年12月14日 12:30 ID:mqQIzJcl0▼このコメントに返信
※48
親父の代に4万近い大軍で斎藤家を攻めたりしていたからな~唯その大軍も罠にハマり親父を残し壊滅したらしいけど。
53.名無しさん:2017年12月14日 12:30 ID:hikgHQJx0▼このコメントに返信
というか今川の兵数2万5千だの4万5千だの、あるいは織田方2千だのいうのは足軽雑兵含めてな話なわけだけど、当時のそういう兵力って兵役名簿に載ってる人を動員令かけて召集するんじゃなくて、かなりの部分がその都度集められて報酬によって契約する傭兵、というかアルバイト兵なわけで。石高から自動的に兵数が弾き出される豊臣徳川政権期と違って、この時代はまだまだその時の大名や家臣たちの財政状況等によってかなり左右されてくる。米麦の収穫以外に潤沢な資金源があれば石高を大幅に越えて募兵できるかもしれんし、ヤケクソ動員みたいなのもあり得たかもしれんが、逆に資金や時間が無ければ石高ほどの兵数が集まらないってパターンも往々にしてある

だからこそ常備兵力としての武士に戦力比重を置いていたのが当時の軍隊で、信長は若いころからなかなか優秀な武士団を率いて名を馳せていたらしいことが信長公記なんかでは強調されている(ただの世辞かもしれんけど)。一か所に集まってドンとぶつかるならともかく、見かけ上の兵数が二倍三倍程度であれば奮戦の次第によってちゃんと勝負になる、くらいの読みは信長にもあったと思う

まぁかりに負けがほぼ確定してたって、目の前に敵がいたらとりあえず一当たりしとけって考え方がわりと普通にあった時代。ここで撤退したら大名としての自分自身の命運がほぼ決してしまうという場面で、何もせずに逃げ帰ると言う選択肢は信長にはなかったよね。戦って負けても戦わずに後退しても待ち受ける展開は変わらないわけだから
54.名無しさん:2017年12月14日 12:36 ID:D1l1Nem70▼このコメントに返信
ここのコメント、現地で見てきてるやつ大杉やろ
55.名無しさん:2017年12月14日 12:36 ID:dSvgFx.h0▼このコメントに返信
上杉「風車のように戦力を逐次投入したろ!」
ワイ「うそやろ!?すごすぎない?」
歴史家「嘘でした」
ワイ「、、、」
56.名無しさん:2017年12月14日 12:41 ID:3yBFjx0S0▼このコメントに返信
信長のすごいとこは桶狭間という大戦果を経験しながら、その後の戦いでそれを繰り返していないところ。
奇襲はやむを得ない下策であることをきちんと理解している。
57.名無しさん:2017年12月14日 12:41 ID:kFNFIp9J0▼このコメントに返信
※42
「戦闘未経験、元気いっぱいの状態」、「疲弊した今川軍」などの話は想像の域を出ない主観的な内容なので、
歴史を見る上ではなるべく排除して考えることが必要だよ。
当時の経済状態、地形、兵の動きなど客観的なデータに基づいて考える優先することが大事で、
大名個人の心情を想像しても無駄。
58.名無しさん:2017年12月14日 12:43 ID:mqQIzJcl0▼このコメントに返信
※56
大軍相手の奇襲策て武田当たりに遣ったら徳川の若さゆえの過ち処じゃ済まないからかも
な。
59.名無しさん:2017年12月14日 12:46 ID:aNuRpCtQ0▼このコメントに返信
※52
あんときは1万程度じゃなかったか?
それも衰えたとは言え一応織田一族全体の上司で信秀を気に入っていた斯波義統の権威が大きかったっぽいしね
※56
天王寺砦の戦いで桶狭間並かそれ以上の無茶をやってるんだよなぁ…
信子曰く無茶した理由は「兵が揃わないからと言って味方がやられるのを見てるのは武士の名折れだから」とのこと
60.名無しさん:2017年12月14日 12:47 ID:hikgHQJx0▼このコメントに返信
※57
わしじゃなくて藤本氏に言ってくれw

いちおう補足すると、義元自身の本陣がまだ戦闘に参加してなかった兵力なのはほぼ確実だし(大軍の本陣がいきなり城攻めに参加するわけがない)、今川軍は戦いを終えたばかりで疲れ切ってるだろうと信長が述べて発破をかけたのは信長公記にある記述。太田牛一は参加してないからよくて伝聞、おそらく妄想や創作かもしれんが
61.名無しさん:2017年12月14日 12:53 ID:mqQIzJcl0▼このコメントに返信
※59
斎藤家と今川家相手に結構万単位の戦を繰り返していた見たい良く尾張の人口を超えているとか言われるけど当時は、武将すら人材派遣の見たく短期雇用で補填出来たらしいよまあお金が無いと無理なんだが信秀は、戦は、突撃バカぽかったけど経済は、達人級だったらしい。
62.名無しさん:2017年12月14日 12:58 ID:hikgHQJx0▼このコメントに返信
※57
ていうか前のコメからの流れで補足するべきだった、ごめん

今川本陣の前にそれなりに有力な大部隊がいて、これを信長は城攻めの帰りで疲弊しきった兵力に違いないと考えたわけだけど、じつはそうじゃなくてまだ戦闘に参加させていなかった予備兵力だった、これに正面から突っ込んだら潰走してそのまま義元本陣までなだれ込むことに成功した

というのが信長公記から読み取れる桶狭間のあらましな。それをもとに※33への返信をしたわけ
63.シンシュウ:2017年12月14日 13:01 ID:W1acJNED0▼このコメントに返信
今川隊は2万といっても家康(松平元康)隊など分散してたし分散した見方の各地の勝利の情報が次々入ってきてるし
本体今川はもう数でも各地の勝利でももう勝ったと油断しただろうね
信長は分散した今川に気づかれないよう回り込んで近づき雨も降って音も消され
襲撃にきたのを直前まで気づかず襲われた。
度胸、運、地の利すべて相まっての勝利だと思う
64.名無しさん:2017年12月14日 13:07 ID:W1acJNED0▼このコメントに返信
※44
今川は公家への接待などの指導役で重宝され幕末までそれなりの地位で生き延びていく
かつての家来筋の家康にもぐりこんだり信長にもぐりこんだり信長が終われば妻の実家の北条に身をよせたり
恥を忍んで生き延びてゆく
65.名無しさん:2017年12月14日 13:10 ID:R.5dLxoU0▼このコメントに返信
※44
今川の跡取りが頼りにならない話は、今の大河ドラマでしっかりと描かれてますね(笑)

…と思ったら、最後に大化け。
明智光秀が信長に対して謀反を起こす、という徳川の命運に関わるような重大情報を、光秀本人から入手しています。
(京で「文化活動」をいろいろやった結果、さまざまな人脈ができた。その人脈の一つが明智光秀)
この情報を最大限活用した結果、徳川は領地を拡大したので、駿河一国を貰っても不思議ではないような大手柄なんですよ。これ。
この跡取りだったら、京都で文化活動を行って、公家や諸大名、豪商との間に人脈を作り、その人脈を利用して徳川が天下を取れるように、水面下でお膳立てをした、とかでも、不思議ではないような気がする。
66.名無しさん:2017年12月14日 13:10 ID:.IAwiwVC0▼このコメントに返信
CGの群集シミュレーションでGI300人対ローマ兵1万人はマシンガン乱射のGIが辛勝してたな。まぁ弾が尽きたら一気に殲滅されるんだけど。

それくらい相手と圧倒的な差がないなら少なくとも兵数は上回っておきたい所存。
67.名無しさん:2017年12月14日 13:11 ID:L2N3fh9M0▼このコメントに返信
※9
そうは言うても寡兵で大軍を奇襲って普通無理やろ?

68.名無しさん:2017年12月14日 13:19 ID:NlRUUmDu0▼このコメントに返信
今川家の軍勢は寄親寄子制で当時としては結束か固く、負けそうだからといって逃げ出すということもなく、逆に義元ピンチ!を聞いて周辺部隊が本陣の救援に向かい、逆に被害を大きくした。
69.名無しさん:2017年12月14日 13:41 ID:kFNFIp9J0▼このコメントに返信
善照寺砦に信長が入っている状態で、沓掛城から大高城方面に今川本体が移動するってのが危なすぎるだろ。
情報収集が十分でなかったか、油断したかのどちらかとしか考えられない。

織田隊の情報が逐次把握できているなら、少なくとも迎撃する陣形をとり、
最悪義元が退却できるようにするだろうし。
70.名無しさん:2017年12月14日 13:53 ID:61WyZ5wm0▼このコメントに返信
孫子曰く10倍の敵には敵軍を10の部隊に分断し各個撃破せよとある
30000を3000にして2000と2000で挟めば勝てる 地の利を忘れずに

要は30000も入れない地形に陣取ればよい もしくは囮の砦を増やす
桶狭間でも信長は囮の砦を盾にして機を伺い桶狭間へ直行した
71.名無しさん:2017年12月14日 14:07 ID:HlYkGFpT0▼このコメントに返信
この時の今川は織田の倍いるかいないかで
そんなの城攻めで織田を完全に勝利するのは無理だし
結構様子見で攻め込んだみたいな感じみたいだな

奇襲を喰らって討ち死にしたのは事実だけどw
72.名無しさん:2017年12月14日 14:30 ID:C11wL.rH0▼このコメントに返信
だからー
ノブさんの凄いところは
情報の収集力・分析力
正しい情報・誤った情報
必要な情報・不必要な情報の取捨
それとそれを確実に実行する行動力・統率力
なんだぞ。

桶狭間も荒天が予想される夜間に
相手本陣がどこにいて何人に守られてるか
どこを突けば少数乱戦に持ち込めるか

それぞれの情報を正確に判断した
織田軍が勝つのは当たり前

恐らく湯漬けをかっ食らった段階で
勝利は確信してたと思うぞ
73.名無しさん:2017年12月14日 14:41 ID:3ommqH7.0▼このコメントに返信
この勝利に驕ることなく、この後は勝ち安きに勝つ状況を作り続けたのが凄い
日露戦争に勝って驕りまくって国を滅ぼしかけた何処かの国に陸軍は信長の爪の垢を煎じて飲め
74.名無しさん:2017年12月14日 14:44 ID:vtIaItrt0▼このコメントに返信
「通説はおとぎ話で、最近の学説が無条件で正しい」かのように語ってる人は、なんだかちょっと危なっかしい感じがする
通説の全てが正しいとは言わんけど、新しい研究とか学説なんてものは注目されるために通説への逆張りが基本なんだから
ある程度割り引いて考えた方がいいぞ
75.名無しさん:2017年12月14日 15:20 ID:m1WzFRil0▼このコメントに返信
鍋島の今山の戦いは面白いぞ
76.名無しさん:2017年12月14日 15:26 ID:sSRVm3zi0▼このコメントに返信
実際は、今川軍は落とした砦や城に部隊を分散していて義元の本隊五千ぐらい。
一方信長は自分の直属の旗本が二千、落とされた砦から撤退してきたのが一千。
そして立ち寄った熱田で千秋家から一千の援軍があったので四千ぐらい。
しかも義元は余りに侵攻が旨く行き過ぎたために、直前で道を変えて直接熱田へ行軍を変更。
つまり、今川軍は一時的に義元本隊の正確な位置を見失ったわけだ。
そこに急激な雷雨で立ち往生したところでほぼ同数に近い信長軍に奇襲されてしまう。
それでも義元は一時的には押し返したりして一時間以上戦闘を継続してる。
しかも自分が戦わないといけない段階では信長の馬回りを相手に大太刀回りを演じている。
少なくても信長が義元の佩刀を以後自分の腰に差しているぐらいの戦いがあったわけだ。
イメージで今川家は公家崩れとされているけど、元々は超の付く武門の名門で
八幡太郎義家や源頼光に並び称される足利幕府副将軍の今川範政や一国一苗字の今川範忠などを輩出している。

77.名無しさん:2017年12月14日 15:34 ID:sSRVm3zi0▼このコメントに返信
でも、後を継いだ今川氏真もかわいそうな人だよね。
才能が文化人としては最高、内政官としても高い能力があるのに、
ただ一点戦に弱いという理由で無能扱いされているからな。

同じように織田家の信雄もね。
何で信長は子どもの才能を見て信雄を武将として使おうと考えたのかね。
俺が信長なら、北畠に入れた後にそのまま公家にして最終的には近衛か九条の養子にでもして
同じ摂関家から嫁貰わせて、断絶していた鷹司家を復興させてやったのに。
78.通りすがり:2017年12月14日 15:55 ID:sFUkvP7Q0▼このコメントに返信
※65
 あの大河ドラマで『明智光秀謀反』が計画的なクーデターな風に描かれ、
公家崩れの今川が人脈で光秀本人から情報得たようになってるが、

 私的な意見で言わせてもらうと、『そんな事ありえません』
実務家で足利将軍家から織田家へ派遣された光秀が、計画するのであれば
・足利将軍家の名を使い織田と対立している毛利、上杉などに事前にクーデーターの書状を送る。
 (書状を送ったのが信長討った後、毛利に送った分は中国攻め中の秀吉に没収され・・)
・クーデター成立後の明確な行動計画が全く無い。

 故に、光秀のクーデターは突発的な行動だったと考える。原因は諸説あり。
79.名無しさん:2017年12月14日 16:24 ID:4v0VUCC10▼このコメントに返信
WoWsでもいるんだよなぁ
中立2or4(4の場合は1拠点ずつ敵味方POP地点目の前)のマップで >>5 みたいな思考の駆逐の数で負けているのに、わざわざ両サイドの中立地点取ろうとするアホ
スポット差(隠ぺい率と言うステータスが有り、一定距離離れると絶対に見えなくなる)が物を言うのにわざわざ戦力分散させるとかアホの極み
個人で勝手に勘違いするならまだしも、そういう戦術も戦略も理解できてねぇ奴が指揮取ろうとするから更にタチが悪い
で、案の定、中央フラッグ取られて中央取った敵駆逐がサイドの一方に合流してそこの味方は壊滅&フラッグとられて、最後は数の差で包囲されて終了w
指揮した奴がくっそ上手くて行った1サイドは絶対にフラッグ取れて、駆逐生存はもちろんの事、絶対的有利で敵を排除できるという自信があるなら構わんのだけどな
こういうアホは確実と言っていいほど芋って最後まで残ってて挙句、味方がいなくなったら暴言(Noobなど)吐くような奴がほとんど
昔の仕様の様に味方空母有り/敵空母無しなら戦闘機張り付かせてスポット可能だから取れる戦術だが今は空母は1-1か2-2で確実に敵にも存在しているから索敵に艦載機を回せないからな
80.名無しさん:2017年12月14日 16:26 ID:Qz5ULxBc0▼このコメントに返信
※78
光秀は確かに謀反後に手紙をあちこちにだしまくってるけど、織田家にあって今更今川なんぞに申し伝えるわけないんだよなw
何の影響力もねぇし。NHKの大河ドラマやからしゃーない。
81.名無しさん:2017年12月14日 16:29 ID:4v0VUCC10▼このコメントに返信
※78
歴史物のドラマって結構憶測の事柄も描かれたりしているからね
まぁ過去の歴史を忠実に再現するなんて不可能だから仕方ない部分もあるけど…
歴史ものには「フィクション」ってのを大きく掲示して欲しいわ
最低でも「この物語は歴史の解釈の一部を再現した物であり…」みたいな文章を入れて欲しいわ
82.名無しさん:2017年12月14日 16:45 ID:Yps2MyHa0▼このコメントに返信
岡部元信 

「なんや同僚たちは。大将失っただけでみんな逃げ帰りおって。
ワイは主君の首を取り返すンゴ」

「鳴海城を返還の条件で首、取り返したンゴ。」

「帰りに刈谷城があったから手勢100人しかいないけど、鳴海城の代わりに頂いていくンゴ」

優秀過ぎw
83.名無しさん:2017年12月14日 16:49 ID:LtiHQndT0▼このコメントに返信
そもそも今川は手広く攻撃をしてるから本陣の人数は少ないし、竿の時に攻撃されれば側面が薄くてがら空き。
京にあがる任務ではなく、どうも知多半島を押さえると言うだけの話みたいだし、手下は松平家ではないけど外様が多いのだろ。
84.名無しさん:2017年12月14日 16:54 ID:soQwm45F0▼このコメントに返信
義元の本陣を織田方の地侍の梁田らが正確に把握して信長に逐一、報告していたんだよな。信長も義元の首級をあげた侍よりも義元の居場所を特定した侍の方により厚く恩賞を与えている
85.名無しさん:2017年12月14日 17:15 ID:So1CjhFu0▼このコメントに返信
※81
大河の場合は最後に紀行やって本編はフィクションですをやってるから
たまに本編全否定の紀行があって笑う
86.名無しさん:2017年12月14日 17:17 ID:H5CK9qTe0▼このコメントに返信
少数軍の勝利は敵の大将を倒すこと!
狙うは、今川義元の本陣と首。これで勝てる。流石、信長!
狙うは家康の首。流石、真田幸村だ。
87.まさにコミックブーム:2017年12月14日 17:19 ID:DZzLDToN0▼このコメントに返信
幾ら2万くらい軍勢がいても視界が悪い時に、狭い場所でしかも一方からまとめて突入されたら
兵力差なんてあまり意味無いからな。寧ろ混戦でまとまりを失ったりして
潰走するだろ
88.名無しさん:2017年12月14日 17:36 ID:aNuRpCtQ0▼このコメントに返信
信長は従来の脳筋武将とは一線を画す存在、とか武勇では無く革新的な制度や思想で台頭した、みたいなイメージにされてることが多いけどそうでもないんだよな
基本的に制度・思想は過大評価、武勇は過小評価だよね
89.名無しさん:2017年12月14日 17:39 ID:K0Qh5Pth0▼このコメントに返信
そこそこ兵が強くても1人で10人くらい倒さないと勝てないんだぞ
90.名無しさん:2017年12月14日 17:42 ID:YMO.JnrP0▼このコメントに返信
さりげなく最前線に取り残される元康さん
91.名無しさん:2017年12月14日 17:53 ID:X1JY5bD30▼このコメントに返信
ここで敗れていたら歴史上、モブ長で終わっていた
92.名無しさん:2017年12月14日 17:53 ID:2xJUZzko0▼このコメントに返信
桶狭間の地形で狭い道を3万の兵は散りじりでヘビのように分散だからな・・1カ所の大平原の4千と3万じゃ勝てない。
今川の本体を知る情報収集で1カ所目がけて奇襲なら戦略的に成功 雨模様と地元の者達がお酒や食い物を提供しての本体の場所の
情報を知る 今川軍も上洛途中の前哨戦位に思ってたがまさかの奇襲 あの名将の今川義元は討ち取られるとは思わんかったろうに
超ラッキー男の信長軍  その後に手柄として情報提供者にはご褒美 徳川家康も今川の支配から抜ける大大ラッキーの始まり。
今川氏滅亡の始まりと徳川家が織田家に恭順の意を示す。
3万と言うが進軍に当たり全員が戦闘要員では無く雑用や飯支度・殿様など上の者の宿泊や食材集めなどに従事するから3万は違う。
でも今川氏は明治まで名を残すから凄い。 
93.名無しさん:2017年12月14日 17:58 ID:9x3xN.L40▼このコメントに返信
大河ドラマで話する人いるけど、主人公からして想像の産物だからね。
まあ、1年間有る事無い事で楽しませて貰ったが。
94.名無しさん:2017年12月14日 18:04 ID:BE2h4No.0▼このコメントに返信
義元さんちに未来人が来ても、
けっきょく姪婿の松平元康が東海3国を
継承しているような
95.名無しさん:2017年12月14日 18:14 ID:h72awFil0▼このコメントに返信
雑兵や非戦闘人員などを含むであろう今川本陣と、純粋な戦闘人員で固めた信長勢だと、単純に数が多い今川本陣が有利とは言い切れない。
96.名無しさん:2017年12月14日 18:20 ID:h72awFil0▼このコメントに返信
※25

ただでさえ少ない駿河勢のしかも由比蒲原みたいな東の抑えの旗本部隊を失なった中で、今川義元の時代になってから制圧した西遠江と三河の軍勢で報復戦をしたら、西遠江勢に裏切られて進軍途中に暗殺されかねない上に、武田の侵攻を許しかねないので、安易な報復戦を行うことは出来なくても仕方がない。
97.名無しさん:2017年12月14日 18:24 ID:X1JY5bD30▼このコメントに返信
義元のダメダメな麻呂でおじゃるのイメージは江戸時代からあったのだろうか
98.名無しさん:2017年12月14日 18:31 ID:4rDEi14n0▼このコメントに返信
簗田政綱とかいう謎の人物
マジでスパイだったんじゃねぇのコイツ
99.名無しさん:2017年12月14日 18:38 ID:soQwm45F0▼このコメントに返信
今川は義元が軍制改革、寄り親・寄り子制を導入したことで格段に強くなった。それまでの戦は上下の指揮命令系統がはっきりせずほとんど暴徒の群れでコントロールが効かないのが当たり前だった。それを義元はそれぞれの所属や上下関係をはっきりさせて組織だった戦ができるようにした。今川の尾張攻めも各方面軍が同時進行で着々と織田方の拠点を攻め落としていたが、それは義元の本陣が手薄になるということにつながる。そこに信長が決死の奇襲を仕掛けて逆転劇が起きた。義元の先進性が敗北を呼び込んだというのがとても面白い
100.名無しさん:2017年12月14日 18:42 ID:fsKmWlGT0▼このコメントに返信
正面切って戦って勝ったなら、尾張は弱兵みたいな評判は一体何なんだろうな。
101.名無しさん:2017年12月14日 18:47 ID:soQwm45F0▼このコメントに返信
ボンクラと言われる氏真がしぶとく立ち回って武力や政治ではなく、礼法や文化に活路を見いだし、明治維新まで今川家が続いて行く礎を築いたのは本当に面白い。生きる道はひとつではないと教えられるよ
102.名無しさん:2017年12月14日 18:53 ID:ZAPZ.ADT0▼このコメントに返信
>織田信長「我が軍は4000、対して今川軍は3万か...」
なんで信長は、「今川が3万で攻めてきた」かがわかるんですかね?
南北戦争時ですら敵兵力の過大な見積もりがいくらでもあったのに

お前らに言っておく

「歴史ものの数字は信用するな、それらはあくまでおおざっぱな目安でしかない」

石高や人口にしても、度量衡などを統一して調査できたのは秀吉以降
それまでは基礎単位すら違うガバガバ状態だから
103.名無しさん:2017年12月14日 18:56 ID:soQwm45F0▼このコメントに返信
後年、信長は桶狭間の話を出されると不機嫌になったというエピソードが伝えられているな。普通は若き日の武勇伝を嬉々として語りそうなもんだが桶狭間の戦いは信長が理想とする戦いではなかったんだろうね
104.名無しさん:2017年12月14日 19:06 ID:g7hKvf9n0▼このコメントに返信
※14
今川家に忠誠を誓えるのは駿河15万石の譜代だけ
遠江と三河は所詮外様だから
105.名無しさん:2017年12月14日 19:11 ID:PY8IcytS0▼このコメントに返信
※97
そりゃ江戸時代の徳川御用史家達のせいだろね
実際の義元の人生って花倉の乱以降は一時も休む間が無いくらいに多忙だった
106.名無しさん:2017年12月14日 19:15 ID:0BItveux0▼このコメントに返信
※100
駿河・遠江勢が尾張兵に比べて強いと何時から錯覚していた?
107.名無しさん:2017年12月14日 19:52 ID:jHhoBKi90▼このコメントに返信
織田側に近江の六角氏から加勢にきてたって話、知らない人多いんだな
今年の夏、桶狭間のお寺で新資料が見つかって、徳川美術館で展示されてたよ
興味がある人は「桶狭間の戦い 六角氏」で検索してみ
108.名無しさん:2017年12月14日 19:54 ID:He5YqFol0▼このコメントに返信
ノッブが配下や足軽に首獲るな、落ちた武器拾うな指令だしだからね。当時としては異例の事
109.名無しさん:2017年12月14日 19:55 ID:5Wjh0ude0▼このコメントに返信
※100
どこが弱兵強兵なんて大概は利害関係者の宣伝とか後世の勝手なイメージだし冷静に戦績見るにしてもどこを切り取るかによるからな
まあ少なくとも織田軍(尾張兵)弱兵説はそんなに説得力が無い
桶狭間・刀根坂・天王寺砦みたいに戦国屈指の強兵にしか見えないような戦いもあるからな
110.名無しさん:2017年12月14日 20:02 ID:aNuRpCtQ0▼このコメントに返信
※107
前から知られてた文献だけど書かれたの江戸時代だし、織田六角同盟なんてにわかに信じがたいしなあ…って扱われてたのが
別の研究で義昭を奉じての上洛は当初六角も協力していたってのが確実な史料からわかって説得力出てきたって話だったっけ
でも斉藤道三のこと大嫌いだった六角が信長に協力って何があったんだろうな
111.名無しさん:2017年12月14日 20:11 ID:cWyGJN6E0▼このコメントに返信
※75
今山で局地的に勝っただけで、大友軍が全軍撤退したっていうのは江戸時代で捏造したものだけどな
実際はその後人質出して大友に従属してる
112.名無しさん:2017年12月14日 20:26 ID:N2LlNFOV0▼このコメントに返信
信長が一番手柄としたのは、義元に一番最初に攻撃を加えた奴でも止めを刺した奴でもなく、情報を掴んだヤツってのが良かったな。
戦場での個人の武勇だけでなく、戦機を掴むための情報をより重視したのがいいね。

戦国時代も後になればなるほど、この情報重視やら独自の法整備やら経済振興策やら、諸侯が合理的になってくのが面白い。
113.名無しさん:2017年12月14日 20:57 ID:LW62MMpd0▼このコメントに返信
砦落ちちゃったしとりあえず近くの敵部隊叩いて士気あげるで!→今川義元本陣じゃねーかwww
114.名無しさん:2017年12月14日 21:08 ID:25qfyqAG0▼このコメントに返信
義元を討った信長を誰も討てなくなったのは義元の優秀さが
あまりにも有名で天下取り候補の一番手だったから。
義元はマグレや運で勝てるような相手じゃなかったからこそ
義元を討った信長に簡単に手を出せなくなった。
115.名無しさん:2017年12月14日 21:25 ID:HyJATEof0▼このコメントに返信
※14
そもそも戦国時代で仇討なんてやったのは秀吉くらいのもの。
主の仇に仕えるのが戦国武将ってもんだ
116.名無しさん:2017年12月14日 22:19 ID:8ghAUy2Z0▼このコメントに返信
この時代というか、今も位置情報はずば抜けて大切だよ。
それを知るためのレーダーであり、赤外線装置であり。
また、自分の位置を正確に知るためのGPSであるんだから。
あと、自分からは見えなくても、より遠くでも目標が見えている同僚から位置情報を教えてもらって、そこを正確に撃ち抜ければ、それほど良い話はないよね(10式のネットワーク戦)
やっぱり位置情報は戦術的にも戦略的にもいつの時代も大切だ。
117.名無しさん:2017年12月14日 22:27 ID:Eo5A.7YT0▼このコメントに返信
※14
駿・遠の有力国衆も討ち取られて、領内再建が優先だろ。
各領主の跡継ぎ問題もあるし。井伊家とかね。
118.名無しさん:2017年12月14日 22:41 ID:Eo5A.7YT0▼このコメントに返信
※56
姉川合戦後の朝倉陣地に奇襲からの越前付け入りや、天王寺の合戦など、
奇襲・強襲を信長自身が率先してやってる。
上杉景虎と同じ、戦術眼がいいだけだろ。
で、武田晴信並みの戦略眼・調略術。
119.名無しさん:2017年12月15日 01:54 ID:B42zl7a40▼このコメントに返信
島津8000 vs 明20万
120.名無しさん:2017年12月15日 02:17 ID:Chi75FGO0▼このコメントに返信
実際にはなんで出陣したのかさえ不明なんだよな織田討伐とか京都に行こうとしてたとか
北条とかにも内密で移動したらしいし
121.名無しさん:2017年12月15日 05:11 ID:dJrWnA8u0▼このコメントに返信
田楽狭間という高台に陣を張っていた 奇襲しにくい立地でも、太原 雪斎が死去してたのと天候など運も良かった
122.名無しさん:2017年12月15日 06:59 ID:tucFyUrf0▼このコメントに返信
今の学説だと上洛よりも織田家征伐の方が有力なんだっけ?
123.名無しさん:2017年12月15日 08:16 ID:D9xrcsOA0▼このコメントに返信
中国軍10万 石原莞爾関東軍1万 石原完勝
124.名無しさん:2017年12月15日 09:32 ID:h.CiMJJL0▼このコメントに返信
※14
戦後処理に時間かかるし2万規模の出兵して敗戦したから金もかかる
織田家の矢面に立ってる家康から催促されたけど(わかっててやってたのかもしれんが)対応できんかった
125.名無しさん:2017年12月15日 10:21 ID:yiefyB1c0▼このコメントに返信
良い武将が偉大な武将に打ち負かされた
そういう話だろ
126.名無しさん:2017年12月15日 11:22 ID:ScunvZmZ0▼このコメントに返信
賞賛なくても戦うだろ
恥をさらすことが死よりも嫌いな武士なんだから
127.名無しさん:2017年12月15日 22:33 ID:IAZN7iE40▼このコメントに返信
ダメダメな麻呂でおじゃるのイメージは寧ろ足利最後の将軍が近かったかも

お名前