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2017年10月13日 09:15

ワイ今川義元、雹が降って来たから今日は桶狭間で野営

ワイ今川義元、雹が降って来たから今日は桶狭間で野営

03

引用元:ワイ今川義元、雹が降って来たから今日は桶狭間で野営
http://hayabusa.open5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1507796928/

1: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:28:48 ID:96W
尾張大うつけも今日で終わりだな

3: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:29:38 ID:j3I
今日は野営ちゃうんか

5: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:30:41 ID:wuF
近隣農民ワイ「明日からは今川様の天下やし酒贈るで」

6: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:30:42 ID:kyt
ワイ地元住民
祝いの酒を今川様に持っていくンゴ

7: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:30:44 ID:96W
2万の大群なら負ける要素ないやろ

8: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:31:19 ID:urQ
今度蹴鞠一緒にやろうや
待ってるで

9: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:31:31 ID:Yr1
お前亡霊になってまで教えてくれた兄貴の警告無視してなんで出陣してんねん

11: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:33:08 ID:96W
海道一の弓取りのワイが信長の首なんかひょうふっと射たるわ

13: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:34:56 ID:wZV
殿、ワイら兵隊もがっつり休憩していいンゴ?

14: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:35:37 ID:IyO
織田って斯波さん下克上しとったやろ?
なーんか一癖ありそうなんよなぁ

15: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:36:22 ID:96W
なんや周りが騒がしいわ
まぁ兵が酒飲んで騒いどるだけやろ

18: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:45:00 ID:3gZ
あっ…(察し)

19: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:45:56 ID:ShT
今川義元の一人称は麻呂という風潮

22: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:48:18 ID:CAB
>>19
公家のアレがしゃーない

23: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:48:29 ID:Jcb
グッバイ義元
フォーエバー義元

24: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:50:24 ID:P8e
最近ではそもそも休憩してないし油断もしてないって説が有力だと聞いたような
織田が手あたり次第攻めた場所がたまたま本陣だったとか

夢のない説やけどね

25: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:58:44 ID:Jcb
>>24
流れ弾に当たったみたいなもんやんけ
義元かわいそうや

27: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)18:07:39 ID:IVY
岡部元信「主力の熱田神宮軍の将、千秋季忠を討ち取ったンゴ」
松平元康「大高城への兵糧入れ完了ンゴ」

この時点で負ける要素ないんだよなあ

33: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)18:58:07 ID:dfH
本陣が逃げたら総崩れになるから踏ん張ったんかもな

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2017年10月13日 09:19 ID:9a727GfB0▼このコメントに返信
交通事故もらったみたいなもんやろなぁ
2.名無しさん:2017年10月13日 09:20 ID:8tac5naB0▼このコメントに返信
タイムテレビで観たい戦場第一位だな
実際見たら拍子抜けしそうだが
3.名無しさん:2017年10月13日 09:21 ID:AwH29U2W0▼このコメントに返信
油断大敵の良い見本
4.エンアカーシャ:2017年10月13日 09:29 ID:JcWwPBud0▼このコメントに返信
京都への上落を目的に、織田の領地を通行中の、今川さん、

織田との<滅亡戦争>を考えていたのかは、未だに不明、

なので · · · 、
自分が今川に成った気分で、部隊配置の意味を逆算してみよう、
もしかしたら、正解を見付けられるかも?。

5.名無しさん:2017年10月13日 09:32 ID:6DKejo1R0▼このコメントに返信
24: 名無しさん@おーぷん 2017/10/12(木)17:50:24 ID:P8e
最近ではそもそも休憩してないし油断もしてないって説が有力だと聞いたような
織田が手あたり次第攻めた場所がたまたま本陣だったとか

夢のない説やけどね

>>何処の馬の骨とも知らない学者()や研究家()が目立ちたいが為に適当な事言ったんやろ
6.名無しさん:2017年10月13日 09:36 ID:9O0X0Y8f0▼このコメントに返信
今川「西に行くで~!」→ 外出先で戦死

武田「西に行くで~!」→ 外出先で病死

上杉「西に行くで~!」→ 外出前の厠で病死


や北条N1
7.名無しさん:2017年10月13日 09:37 ID:pHWG.JyW0▼このコメントに返信
ここで野営じゃ
殿、尾張勢の襲撃に備えた方が宜しくありませぬか
ハハ、あの尾張のうつけに何ができようぞ

ってアニメのシーンにあったらコテコテ過ぎるって批判されそうなフラグだよな
8.名無しさん:2017年10月13日 09:38 ID:BkuoVh3W0▼このコメントに返信
信長は目前の今川軍は戦いづめで疲労困憊であるから、勝てるって突撃したが、実際はそうではなかった(新手だった)
信長の勘違いで突撃したら、今川軍の前衛が後退、たまたま本陣を直撃して今川義元の首をとってしまったっていう説
9.名無しさん:2017年10月13日 09:39 ID:YEMsOA140▼このコメントに返信
テレビで見たと思うんだが、
あらかじめ義元が陣を構える場所を想定しておいて、しっかりと確認した後奇襲をかけたって説がなるほどなあと思った
もちろん義元自身の首を取れたのは幸運だったからで、本来は敵主力の壊滅から撤退に追い込むのが目的だったと思う
10.名無しさん:2017年10月13日 09:39 ID:IlvWtP3P0▼このコメントに返信
義元ーっ!うしろーっ!
11.名無しさん:2017年10月13日 09:40 ID:2v58bRWX0▼このコメントに返信
※5
だとしても戦列伸び切ってたか相互支援できない状況作っちゃったのなら酷い侮りか
突っ込んでこれてるわけだし
12.名無しさん:2017年10月13日 09:42 ID:Xs4pJxzp0▼このコメントに返信
おれ、京都に着いたら天下統一するんだ(脂肪フラグ)
13.名無しさん:2017年10月13日 09:47 ID:KP1lF9vk0▼このコメントに返信
田楽挟間なんだよなぁ
14.名無しさん:2017年10月13日 09:49 ID:A7aaWMUo0▼このコメントに返信
※5
そうでもない、今川が油断して…の最初の出典は「著者自身が面白ければ嘘を書くのが物書きとしての本分」と言い切ってる尾瀬甫安が書いた「信長記」とそれを元に考察した江戸時代の研究文…
つまり大本の資料が「面白さ最優先の虚実(虚が大目w)入り混じった信憑性なし」なんですよw
最近の研究(というか昔からあったが、陸軍が信長記を採用して研究した為に異端視されてた)では太田牛一の「信長公記」を第一級資料とすれば、今川方もかなり慎重だったことが窺える
義元本体&護衛部隊数千の前に、千ちょっとの兵力で集結しつつあった信長本体を見て(堂々と目の前に布陣してるw)、信長の意図を測りかねてた義元が高級武将を本陣に集めて議論してる最中に「突然暴風雨が降り、信長の陣方面から今川の陣方面へと叩きつけ、大木が折れるなど大混乱、雨が過ぎて混乱から立ち直れないうちに織田が猛攻を開始」というのが本当らしい(雨中の奇襲などでも、織田が急に出てきたわけでもない)
今川方の武将の手記にも似たような記述があるため、信長公記のほうが信頼できると考えられる
なんでもかんでも「昔の偉い人が言ってたから正しい」なんてわけでもないんだよw
15.名無しさん:2017年10月13日 09:49 ID:jfgixB1E0▼このコメントに返信
「尾張の大うつけ」てはっきり記録に残されるほどのことをやらかした信長www
具体的に何やらかしたかはよく知らんけど、今川義元が舐めてかかるくらいの噂が広まってたんやろなあ
16.名無しさん:2017年10月13日 09:49 ID:hiC318Au0▼このコメントに返信
今川義元なる茶坊主かぶれは、黒衣の宰相亡き後

瞑想した挙句に挙兵し、京に赴く戯けは・・・

もはや、信長の餌食となるのは時間の問題であった。
17.名無しさん:2017年10月13日 09:56 ID:gaYyrD4P0▼このコメントに返信
※14
>信長の意図を測りかねてた義元が高級武将を本陣に集めて議論
ここが怪しい、陣立て終わって布陣した後に集めないやろ
18.名無しさん:2017年10月13日 09:59 ID:1QlLTnqg0▼このコメントに返信
義元が勝ったIFもの見たいなぁ。
3英傑とかどうなるんだろ。
家康は残ってそうw
19.名無しさん:2017年10月13日 10:03 ID:gby31y.Q0▼このコメントに返信
※14
勉強になります。
20.名無しさん:2017年10月13日 10:07 ID:zGY9DmMP0▼このコメントに返信
当時、関東一円にはびこった茶坊主集団が最も恐れたのは。忍びである。

よって、その忍びを上手く活用したのが、信長・秀吉・家康である。
21.名無しさん:2017年10月13日 10:10 ID:9hs2MNE80▼このコメントに返信
基本的に、雨降って谷間で休憩なんて自然をなめている。
鉄砲水で部隊が全滅してもおかしくない。
22.まさにコミックブーム:2017年10月13日 10:13 ID:cckfGJQZ0▼このコメントに返信
田楽狭間「本当はここであった合戦なのに・・・」
23.名無しさん:2017年10月13日 10:13 ID:9CCge63h0▼このコメントに返信
「雨が強かったから大混乱でした」「敵は混乱せず統率が取れてました」「でも僕らは油断してません」「結果数倍の戦力比で負けました」

笑える
24.名無しさん:2017年10月13日 10:16 ID:heXPeth90▼このコメントに返信
※21
谷間やなくて高所に陣取ってたみたいよ。桶狭間って名前だから勘違いされるけど
高所に陣取ってて奇襲されてなくて迂回戦術でもなくて油断もしてないのになんで負けたと聞かれると困るけどw
25.名無しさん:2017年10月13日 10:16 ID:vhm9uj230▼このコメントに返信
狭隘な地ってのは大軍であることの利点をゼロにしてしまうし襲撃されたら身動きできない禁忌の地、
念入りに偵察と露払いをやったうえで極力足早に本隊が通過せねばならない地形であるというのが兵法の常識。
戦慣れした今川がド素人よろしく「狭間」に野営するなど考えられないんだが・・・。
26.名無しさん:2017年10月13日 10:17 ID:wKIhw4730▼このコメントに返信
センゴク外伝おもろいよな
27.名無しさん:2017年10月13日 10:23 ID:9hs2MNE80▼このコメントに返信
※24
それは知らんかった、勉強します。
28.名無しさん:2017年10月13日 10:25 ID:wKIhw4730▼このコメントに返信
※24
雨降ってたから奇襲受けたのに気づくのに遅れてその間に敵に深くまで陣をえぐられて体制立て直せなくてそのまま大将首取られたとか聞いたけどな
あと今川の兵士は農民兵が主力だから練度って面でも難があったらしい
29.名無しさん:2017年10月13日 10:36 ID:ZkBMax270▼このコメントに返信
索敵機「織田勢ラシキモノ見ユ」「馬廻衆ラシキモノヲ伴フ」
山口多門「現装備ノママ攻撃隊タダチニ発進セシムルヲ正当ト認ム」
30.名無しさん:2017年10月13日 10:38 ID:hiC318Au0▼このコメントに返信
とにかく、今川義元という茶坊主かぶれの末路は

大名格では珍しくその場で首をはね捨てられた経緯を鑑みれば

黒衣の宰相亡き後、単なるお飾り同然視されていたことを

うかがい知ることができる。特に風雲児の脳裏には・・・
31.名無しさん:2017年10月13日 10:41 ID:sPnQQul00▼このコメントに返信
大軍で攻め入って隊列を伸ばしたり、
雨が降ってきたのに斥候を強化しないのを
油断というのではないだろうか・・・
32.名無しさん:2017年10月13日 10:43 ID:7Kkn8DBP0▼このコメントに返信
あちこちの出城が落ちて兵力が分散してたってはあると思うな
そこは信長の作戦じゃないかと思う
33.名無しさん:2017年10月13日 10:45 ID:zGY9DmMP0▼このコメントに返信
たぶん、本陣の義元の首をはね捨てたのは、初代半蔵かもしれないね!
34.名無しさん:2017年10月13日 10:54 ID:7q01D9DW0▼このコメントに返信
義元の代までどうにも今川家は不慮の死が多すぎ
氏実以降の健やかさが嘘みたいだ
35.名無しさん:2017年10月13日 11:04 ID:8aFflh3K0▼このコメントに返信
自分がみたサイトだと、元康が後詰めに兵糧を入れた城へ向かう義元の軍勢を西に伸びさせ、軍勢中央の奇襲に成功したってのがなるほどって思った。
36.名無しさん:2017年10月13日 11:09 ID:SSngo5xp0▼このコメントに返信
実は織田と今川の戦力差は殆ど無かった説。
織田が名前を轟かせる為に話を盛ったんだとか。
37.名無しさん:2017年10月13日 11:22 ID:dK0Xqna.0▼このコメントに返信
※34
まぁ、それが戦国大名ですよ。
義元に上洛の意志はあったのか?
今は、「信長を屈服させ、伊勢湾通商圏を掌中に収める」のが目的だったんじゃね? と言われてますね。
まぁ、天下取り(将軍になる)の野望は無かったでしょうね。
東海道の通商圏を押さえて実力を強化し、細川・大内に代わる管領家となって、彼らのように足利将軍家を支える(傀儡とする)大大名となり、東国の間接支配を狙ったんじゃないでしょうか。
要は、室町幕府の政治システムの立て直し。
38.名無しさん:2017年10月13日 11:29 ID:i3.sWYId0▼このコメントに返信
※14
わかってるのかどうかは知らないけど、信長公記も桶狭間に関しては怪しい点があるけどね
桶狭間の年号が永禄3年(1560年)じゃなくて天文21年(1552年)だったり、信長がどう今川義元本陣に攻め入ったか書いてなかったりするし
そもそも信長公記は首巻と1~15巻の全16巻だけど、首巻に関しては写本しか見つかってないし書いたのも信長の死後に書かれたと考えられている訳で
同じような記述のある三河物語も作者の大久保忠教は1560年生まれで参加してない可能が高いし
39.名無しさん:2017年10月13日 11:32 ID:hiC318Au0▼このコメントに返信
現代でもなお見晴らしのいい場所である桶狭間において

野営をするという無能ぶりは、まさに茶坊主かぶれ出身であること示している。

つまり、ドツボにはまった野郎ごときに、わざわざ信長でなくても

大概の武将クラスでも容易に察しのつく地形的場所である。(地政学的観点より)

まして、首をはね捨てられるとは・・・悲劇ではなくトホホギスである。
40.名無しさん:2017年10月13日 11:43 ID:saQvq5d80▼このコメントに返信
※35
終始、織田信長の軍勢の場所が把握されてたのに、そりゃあねーわ。
41.名無しさん:2017年10月13日 11:54 ID:URmmIJ.f0▼このコメントに返信
まあ信長自体が5倍の敵に正面から突撃して壊滅させたり重臣が誰も予想できなかった敵軍の行動を完全に見抜いて直属部隊のみで突撃・壊滅させるような奴だし…
相手が悪かったとしか言いようがない
42.名無しさん:2017年10月13日 11:59 ID:H3WTHQvu0▼このコメントに返信
今川義元は実在しなかったという事でいかがかな?
43.名無しさん:2017年10月13日 12:02 ID:3LvninBX0▼このコメントに返信
仮に黒衣の宰相が顕在していたのなら、今川勢は遠江・三河辺りから

船団を利用して京に赴いたとしても、村上水軍の餌食になっていたかも・・・

どっちみち、今川氏という族上りは、井の中の蛙大海を知らず で没落するのは

避けられなかった・・・
44.名無しさん:2017年10月13日 12:13 ID:fkbpwDN30▼このコメントに返信
2万も軍勢おらんし野営してたわけでもないし
45.名無しさん:2017年10月13日 12:16 ID:nFYcbS.X0▼このコメントに返信
>>2万の大群なら負ける要素ないやろ
「今川家の為なら命を捨てる覚悟」の兵は三千。残りの1万7千は「勝ち馬に乗って、おこぼれを頂こう」と集まった烏合の衆で、普段は領地紛争でいがみ合っている地方大名が我慢しながらの呉越同舟状態だったから、団結力に欠けた。
「常在戦場で厳しく警戒」していれば織田軍に襲撃されても三千名で撃退出来た筈だが、兵の気のゆるみ、油断が命取りになった。
一説には「織田の領地の農家に今川のスパイが配置されており、そいつが今川本陣に信長出陣を知らせたが、織田軍が崖を駆け下りて奇襲してくる戦法までは判らなかった」といわれる。
46.名無しさん:2017年10月13日 12:16 ID:tgYauqkx0▼このコメントに返信
風評被害酷いよね

義元さん、いろいろ凄いひとなのに
47.名無しさん:2017年10月13日 12:19 ID:lgyFK0DL0▼このコメントに返信
信長は味方すら騙される演技力で大うつけを演じていた天才
48.名無しさん:2017年10月13日 12:22 ID:3LvninBX0▼このコメントに返信
※46
凄かったのは黒衣の宰相がいたからであり

没後の五年後、義元は首をはね捨てられた。

つまり、君臨できたのはたかが、五年程度である。

よって、五年程度で人間が凄いとはならないです。
49.名無しさん:2017年10月13日 12:24 ID:7S1wgHl.0▼このコメントに返信
油断というか織田軍が襲撃した部隊がたまたま本陣でたまたま総大将がやられちゃったという
超絶ラッキーヒットだからなあ
50.名無しさん:2017年10月13日 12:29 ID:dW6t2iRR0▼このコメントに返信
幼少みぎりワイ「信長天下統一まで後一歩やったな、最後の所しくじらなければいけたやん。よっしゃ不始帰でそれをもとに攻略したら楽勝や!」
ワイ「なんや国力糞やん。今川攻めてこうへん。攻められたら奇襲仕掛けても負けるやんけ!なんやこのクソゲー!」
ワイ「じゃあ徳川に、、、まず謀反起こさなあかんやん!!」
51.名無しさん:2017年10月13日 12:37 ID:xij18uMQ0▼このコメントに返信
あの時代のそれこそ「目の利く」人材ならほとんどが同じ手を打ったと思うけどね

自分の国が滅ぼされるほど強大な軍がこちらに向かってくる(もしくは近いうちには確実に来る)
当然軍力からみて 補給線は伸び 軍隊も移動時には間違いなく間延びする(高速移動できる軍隊組織ではなかった)
自分の立場から見て 和睦は難しく降伏するか討ち死にするしかない
ではどうするか?
どうせまともにやっても勝てないのなら最初から「全力でヤる」
全力でヤるのなら 少数でも確実に間違いの無いところを思いっきり突く 本当に命がけの一発勝負

てなるから 「義元は油断 信長はガチの本気で一発勝負」 になったんじゃないの?
52.名無しさん:2017年10月13日 12:44 ID:8aFflh3K0▼このコメントに返信
※40
善照寺砦から中島砦に移動した時に、信長軍は桶狭間山の義元本陣を捉えていた可能性があるとか。
その中島砦から桶狭間山のルートは谷底で一直線で行けて、後詰めの元康がいた大高城や鳴海城からはその谷底ルートは見えない。
後詰めを捨ててまでの奇襲作戦だから義元を討つ為だけの戦略かと。
53.名無しさん:2017年10月13日 12:45 ID:XvU6CEVf0▼このコメントに返信
織田アンチがいくらageしようとしても最期が情けないからageられない義元
54.名無しさん:2017年10月13日 12:54 ID:Uy69YUD.0▼このコメントに返信
ここをキャンプ地とする
55.名無しさん:2017年10月13日 13:02 ID:ZPYQYSai0▼このコメントに返信
別に奇襲じゃなくても今川方が大軍でなくても信長の評価が下がるわけじゃないんだけどな
信長の凄さはその後の軍略や政治経済の先見性にあるんであってたかが一地方大名の首ぐらいで揺らぐものじゃないんだよなあ
56.名無しさん:2017年10月13日 13:05 ID:Mwet5HQM0▼このコメントに返信
あの戦いって攻めてるのは信長側なんだよ。自分の家臣が裏切って3つの城が寝返ってしまった、そこへ今川が軍勢を送り込んだんで奪い返そうと鳴海城を包囲。義元の軍勢は、せっかく手に入れたばかりの城を奪われるわけにもいかなんので防衛のための出動だった

この時点で、まだ義元は織田を攻め滅ぼすつもりではない。軍勢の大きさから言ってあわよくばと言う考えはあった可能性はあるが、三河をまとめたばかりで支配に不安のありまくる今川がそのまま尾張まで飲み込もうとした可能性は低い。織田がどれだけ動員できるかも分からんので多めに連れて行ったという話で、まずは味方の城の防衛が最優先。信長は滅亡の危機にあったわけではなくて、ここで負けたら包囲を解いて引き下がればそれで戦役が集結する公算が大きかった

むろん滅ぼされる危険性は当面なくても、味方の城が寝返ってそれを奪い返せないというのは戦国大名として致命的な失態で、織田・今川の抗争としては完全に敗北となる。そのままだんだん領地を削られて家臣に裏切られてついには信長自身が独立を放棄しなければならない事態は遠からずやってくる。どうせ負けが濃厚なら一戦やっとこうということであって、博打なのは間違いないが、この時点での討死はまだ覚悟してなかったと思うよ

そもそもこの時点で信長は兵数的には全力出してないし。桶狭間に突っ込んだのとは別に鳴海城を包囲してた部隊もあるし、たぶん対美濃を睨んで動かせなかった兵力もあったろう。尾張一国でわずか3千というのは、決死の作戦としてはショボすぎる。何もしないわけにはいかないけど、ここで負けてももっかい国内の態勢を整えて外交努力も重ねて、巻き返せる可能性を睨んだうえでの攻撃だったんじゃない。戦国大名はこういうアリバイ作り的な作戦ってよくやる
57.名無しさん:2017年10月13日 13:05 ID:s468iyJ20▼このコメントに返信
もっと♪もっと♪よしもっと♪
織田を討ってちょ~だい♪
58.名無しさん:2017年10月13日 13:11 ID:C5EqAI4l0▼このコメントに返信
ワイの先祖、織田家に下剋上されたばかりに無能無能アンド無能になる、なお、やはり無能な模様
59.名無しさん:2017年10月13日 13:15 ID:wJXoD3YY0▼このコメントに返信
※15
ぱっぱの位牌に「志半ばで何死んどんねん!」って言って焼香投げつけただけやで。

皆が、「三郎信長公を例の大うつけよと、とりどり、評判し候なり」といっていた中で、九州からの旅の坊主だけが、
「その中に、筑紫の客僧一人、あれこそ国は持つ人よ、と申したる由(よし)なり」
と信長公記には書かれとるらしいぞ
60.名無しさん:2017年10月13日 13:18 ID:LP4fiLqw0▼このコメントに返信
最近の研究では

今川は谷あいに陣を敷いていないし、

織田軍が斜面を一気に下ったわけでもない

信長は今川軍の兵力分散を狙って、小さな砦を複数作って、

それを攻めている最中に、別動隊が今川の本陣を急襲して首を取った

ということになっているはず
61.名無しさん:2017年10月13日 13:19 ID:mQv3U5te0▼このコメントに返信
田楽狭間定期
62.名無しさん:2017年10月13日 13:40 ID:NrkG.GFp0▼このコメントに返信
桶狭間の戦いがなかったら歴史はどうなっていたか
63.名無しさん:2017年10月13日 13:46 ID:NrkG.GFp0▼このコメントに返信
信長も本能寺で手薄な本体を狙われてとられたというのがなあ
さすがに戦中の桶狭間と同列じゃないが、油断禁物
64.名無しさん:2017年10月13日 13:51 ID:NrkG.GFp0▼このコメントに返信
当時の衝撃ってのはどれほどだったろうかなあ
65.名無しさん:2017年10月13日 14:30 ID:HS4sUMlD0▼このコメントに返信
や姉小路N1
66.名無しさん:2017年10月13日 14:49 ID:a6EuKdc60▼このコメントに返信
義元~後ろ!後ろ!
67.名無しさん:2017年10月13日 15:31 ID:5zTtVUrm0▼このコメントに返信
※48
今川が繁栄を誇ったのは師匠たる太原雪斎のおかげの面はあるが
義元も十分すごいと言っていいと思うぞ
自分は宰相のおかげというより二人は車の両輪で片方が欠けると…という関係と考えてる
68.名無しさん:2017年10月13日 15:39 ID:saQvq5d80▼このコメントに返信
当時の織田信長の直轄部隊は精鋭(森、川尻、前田、佐々など)だから、今川本隊と普通に衝突しても勝てた説を提唱しとく。
69.名無しさん:2017年10月13日 15:53 ID:EDuGhz.E0▼このコメントに返信
今川の石高110万石で尾張65万石だから言う程さはない。
それに徳川家康巡って織田の親父とやりあっているから油断もしてないと思われる。
むしろお家争い終結後を狙って尾張に侵略したんだろうからかなり準備していたと思うが。
70.名無しさん:2017年10月13日 16:50 ID:QL5gBHbF0▼このコメントに返信
1554に今川・武田・北条の三国同盟をしてから三河方面の調略をして6年かけて本体が尾張入りだから準備は念入りではある。
尾張は1559年まで内乱状態だったわけだし石高と同等の兵を集められるはずもない。国衆なんてほとんど日和見。
今川は準備万端で油断なし。信長は寡兵なのも間違いなし。
本当になんで勝てたんだ?
71.名無しさん:2017年10月13日 17:07 ID:8TuJaHUp0▼このコメントに返信
米24
本陣までの道のりってそんなにガバってたっけ?
72.名無しさん:2017年10月13日 17:08 ID:8TuJaHUp0▼このコメントに返信
米5
お前の数万倍くらいは有名なやつだったから
ちゃんとぐぐってこいよど低脳君w
73.名無しさん:2017年10月13日 17:26 ID:saQvq5d80▼このコメントに返信
※70
平手政秀を粛清して織田弾忠家の莫大な財源を獲得。
津を掌握して莫大な資金源を獲得。
自分以外の有力な織田弾忠家の領土を内戦の結果、獲得。
下剋上を行った自分の上司にあたる織田信友の領土を下剋上し獲得。
尾張北部に領土を持つ織田信賢を追放し領土を獲得。ついでに熱田も獲得。
尾張の有力な国衆の佐治や水野の支持もある。

父親の織田信秀の全盛期に及ばないにしても、尾張の殆どを自分の領土に出来たし、今川から領土を防衛出来る軍事力はあったんやで。
74.名無しさん:2017年10月13日 17:42 ID:URmmIJ.f0▼このコメントに返信
※73
名義上獲得したからってその瞬間に全土の兵が裏切りや手抜き警戒せずにすむほどの忠誠誓ってくれる訳じゃないしな
信秀全盛期の動員だって信秀晩年のボロボロさを見ると弾正忠直属以外は曲がりなりにも守護だった斯波義統のお墨付きと信秀の実績から仕方なく従ってた奴が大半なんだろうし
仮に桶狭間時点の信長に尾張衆全体が忠誠を誓ってたとしても信長目線から見れば数年前から前年で守護代やお屋形潰したばっかだし
今川軍とガチでぶつかる危険な役目に全力動員なんて怖くてできんわあ…ってなるでしょ
75.名無しさん:2017年10月13日 17:50 ID:jQKSRY6z0▼このコメントに返信
今川義元は、有能な将であり、将として適切なタイプ。

一方、織田信長も、今川義元と同様のタイプ。

今川義元は、圧倒的優勢だが慢心しなかった。桶狭間という休憩に適した土地を選択した。

信長は、義元は慢心しないと読んだ。なので、休憩をするならここと解った。雨が降り、出撃。

義元は、なぜ自分の居場所が知られたのかと思い混乱。信長は天啓を得たと思い高揚。勝敗が決する。

義元の敗因は、気を引き締めてしまった事。慢心して、遊びでふざけた位置に布陣していれば読み勝った。

諸葛亮vs司馬懿では、面白い行動が多い。明らかに、劣勢の諸葛亮が司馬懿を青二才と考え気を緩めている。空城の計など。詳しくはないが、当時の軍の法則などにはその様にした方が勝てるような記載があるのかとも思える。
76.名無しさん:2017年10月13日 18:42 ID:pnPqvrSN0▼このコメントに返信
※26
あれの桶狭間決着後の「やっちまった感」は正直草生える
77.名無しさん:2017年10月13日 18:54 ID:saQvq5d80▼このコメントに返信
※74
織田信長が率いてた2000程の手勢に農民兵がいないんやで。
78.名無しさん:2017年10月13日 19:44 ID:w1xPTceL0▼このコメントに返信
※74
むしろそれらの連中どもを相手をしなきゃいかんから今川に何かしら突っかからないと面子が潰れ、それをネタに下克上待ったなし、という背景もあったのではとも考えられるけどね~実際信長の内輪って常に警戒しなきゃ回らない状態だったし・・・

まあ研究者があれこれと検証しても真実は闇の中にしかならんのやろな~、と・・・
79.名無しさん:2017年10月13日 19:58 ID:saQvq5d80▼このコメントに返信
※78
※77
80.名無しさん:2017年10月14日 00:00 ID:UK52HfvO0▼このコメントに返信
「数に劣る相手」に「奇襲」を喰らって「総大将を討ち捕られた」、あげく「総大将の首級を敵に持ち去られた」
此れ程の『大敗』を喫したのは、今川義元と竜造寺隆信くらいでは?
(大将が討たれてもその首級は奪い返すか、守り通して帰還する方が多かった)
81.名無しさん:2017年10月14日 02:25 ID:CBtuhjWe0▼このコメントに返信
※73
津(三重県)じゃなくて津島(愛知県)な。当時海岸沿いの津島は船着き場で、交易相手の津の反対側よ。
82.名無しさん:2017年10月14日 03:33 ID:yV9KV1W40▼このコメントに返信
※80
軍の撤退と引き替えに今川の首は戦場で返還されてる。
83.名無しさん:2017年10月14日 13:42 ID:0qjS3j.20▼このコメントに返信
信長の電撃戦の強さを他の戦から見れば十分ありえる話ではある

刀根坂の戦い
>信長は本陣より自ら1,000人の手兵・馬廻のみを率いて軍を返し、朝倉方が守る大嶽砦を奇襲した
なんと桶狭間より少ない兵力で突破

天王寺の戦い
>信長は3000ほどの兵で本願寺勢1万5千に突撃した

この二戦を見ても
信長の戦闘能力は非常に高い
84.名無しさん:2017年10月15日 02:58 ID:GMeb6LCT0▼このコメントに返信
※6
謙信は二回上洛達成してる。
死んだの関東出兵前。

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