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2017年09月14日 09:05

 ひまだから戦国時代の話しようぜ

ひまだから戦国時代の話しようぜ

03

引用元: ひまだから戦国時代の話しようぜ
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1505133219/

3: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:34:50 ID:8EG
いやーマジで辛かったよなあの時代はw

9: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:38:02 ID:Xmf
>>3
きつかったよな~

10: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:38:27 ID:oFW
秀吉の晩年は認知症か何かだったのかねぇ

15: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:40:38 ID:Xmf
>>10
俺もそう思うよ
でなかったとしても、頭の病気にはなってたと思う

11: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:38:32 ID:P4b
銃はマジ卑怯

19: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:42:34 ID:oFW
>>11
武田勝頼かな?

21: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:43:22 ID:Eaq
結局光秀はなんで謀反起こしたの?

26: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:46:21 ID:Xmf
>>21
積もり積もったものと、いくつかの小さいことがたまたま重なって、魔がさしたんだと思うよ
わりとガチで

29: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:47:18 ID:RS3
光秀「いま謀反起こしたらどうなってしまうんだろう‥?」

30: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:47:22 ID:oFW
光秀は信長の6歳年上なのに理不尽にパワハラされたしな
それも一因ではありそう

33: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:53:15 ID:Eaq
なんだそこそこ謎のままなのか
ノッブ討ち取ったあとの勝算はそれなりにあったの?
よく知らんから巨大勢力の中でなんか相当無謀なことやらかしたように見えるんだけど

35: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:54:15 ID:GHz
>>33
家康説もあるしね

34: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:54:05 ID:oFW
事前に根回しせず、事を起こしてからお味方しれくれと頼んでる辺り、かなり行き当たりばったりだった

37: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:55:57 ID:GHz
>>34
だからこそ斎藤利三が朝廷や家康にそそのかされて光秀が裏切らざるを得ない状況を作ってしまったって見方もあるみたいだし

39: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)21:56:27 ID:Eaq
>>34
なんとなく切れ者のイメージあったけどおちゃめさんだったんだな

60: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:07:00 ID:Wt1
てか、お前らはもうちょっと農民のことを考えたり考察したりするべき

63: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:08:46 ID:EKF
>>60
戦国の農民はガラ悪そう
足軽の供給源だし

79: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:18:05 ID:Wt1
>>63
柄悪くないよ。
むしろ、せっかく作業を教えた若いのから徴収されるんだからやってられない。
戦終わったら人いない上に一から田んぼ造るんだぞ?
水路とか生命線なのに、切られたりしてもう滅茶苦茶になってるにも関わらず年貢漠上げなんだぞ?
人集めるのどんだけ大変だと思ってんだよ。
その辺の大名よりうちのご先祖様の方がよっぽど人望あるよ。
強制力なしに人集めてたんだからな。

84: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:21:09 ID:RS3
>>79
今年は年貢払えないよとか交渉してるんじゃね
爆上げで唯々諾々ってわけじゃないでしょ

87: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:21:47 ID:dCT
>>79
いや、柄は悪いだろ
現代の民と戦国時代の民は概念からして少々違うだろ

71: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:13:33 ID:oFW
戦国時代は武将で、江戸時代は商人が大手を振ってる印象
農民は一揆してたとか落ち武者狩りとかそんなんばっか

81: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:19:00 ID:Eaq
待ち合わせ場所の関ヶ原まで歩いて集合だった足軽の皆さんは辛くないのか?
昔の人は健脚揃いだったんだろか
荷物も重かったろうに

86: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:21:18 ID:Xmf
>>81
ま、それが当たり前だしね
いつか同じように「車や飛行機で移動してて辛くなかったのかな」といわれる時が来るよ

83: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:20:41 ID:vSe
>>81
だから秀吉の大返しが意味を持つ

90: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:22:37 ID:9O7
>>83
官兵衛が兵站手配してたから成功したみたいな話読むと
秀吉も警戒したんだろうなぁと思う

92: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:23:34 ID:Mn1
>>90
美濃大返しは石田三成だけど…

94: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:25:10 ID:9O7
>>92
普通に中国の話かとおもった すまんこ
三成も官僚としては有能だったんだろうな ラストが不憫すぎる

95: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:25:45 ID:Xmf
>>90
最前線の戦場への兵站はみんなやってるよ
官兵衛だからやってたってわけじゃないよ

97: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:26:49 ID:9O7
>>95
やたら手際よかったみたいな話を何かで読んだ気がするのよ
おれイッチみたいにガチ勢じゃないからお手柔らかに頼むよ・・・

100: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:28:35 ID:Xmf
>>97
いや叩いてるつもりはないんだ!すまん
こういうもんだよ と教えて上げられればなあと

104: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:30:12 ID:9O7
>>100
いや大丈夫 気にしないで
やっぱ後方作戦でも有能無能いたんだろうなぁ という話だね

110: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:34:14 ID:Xmf
>>104
うんうん
ただ当時は後方の人は格下扱いだったからね
諸大名にも有能な官僚はいただろうけどもあんま記録に残ってない
天下とったから秀吉の官僚がクローズアップされて「すごい人物」って思うだけでね
地味に資料とか見れば、地方勢力にもなかなかの官僚や奉行はいるよ

112: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:36:24 ID:9O7
>>110
予算確保と兵站管理の方が重要なのになー 惜しいよね
戦場に付く前に勝敗が決まってるっていうのがふつうだと思うけど
それでも戦国時代は逆転劇も多いよね
桶狭間とか沖田畷とか?

122: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:42:49 ID:Xmf
>>112
地方と時代の流れで、大名家の裏方の考え方というかあり方がかわってくるんだよね
戦国前半はまだそんな生きるか死ぬかギリギリのいくさばかりじゃなく、のんびりしててね
大名自体の考え方も、搾取オンリーで、投資とか考えてる人が少ないし経営?もザルだったんだよね
戦争の頻度が激しくなって、戦費や兵糧の管理が必要にななってきた感じ
そういうのにいち早く着手した家が、いわゆる生き残ったり勢力増やしたとこなんだよね
そういう家と、昔ながらの家が戦えば、戦う前に勝敗が決まった感じ

132: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:47:01 ID:9O7
>>122
なるほどねー
織田VS朝倉とかそんな感じなのかね

135: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:49:37 ID:Xmf
>>132
そうだね
あそこは当主自体にも、ちと問題あるけどもw

91: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:23:21 ID:GHz
行軍も戦国時代にはノウハウあったみたいだけど
大阪の陣ぐらいにはノウハウが辛うじて残ってて
島原の乱のときには戦国時代の武将がいなくなってて大変だったみたいな記述があったような

96: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:26:05 ID:Eaq
足軽の装備よく知らんけど槍とか絶対重いだろ
なんて超人の集まりだったんだ
戦国時代パネェ…

101: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:28:44 ID:GHz
>>96
背負い鎧櫃で運ぶんじゃないの?

98: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:27:24 ID:Xmf
>>96
いや、ずっと着っぱなしじゃないよ
着用はあくまで敵地に近づいてからで

102: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:28:51 ID:Eaq
>>98
急に想像できる絵面が遠足みたいになった

105: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:30:45 ID:Xmf
>>102
地元出る時からピリピリしてちゃ、気力も体力も持たないからねえw
遠足とまでは行かなくても、想像するよりはのんびりほのぼの行ってたと思うよ

106: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:31:11 ID:RS3
戦国時代ってまだ荷馬車みたいなの無かったのかな?
人力で甲冑や兵糧運ぶの辛そうじゃね

111: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:36:20 ID:Xmf
>>106
山が多くて道が整備されてないし、太い道が作れなかったからね
東海道ですら、集落外れたら1mあるかないかの道幅だったらしいよ

116: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:38:24 ID:RS3
>>111
信長公記に道路整備したって話が出てきて
軍隊の移動の為かなって勝手に思ってたけど
考えてみたら兵站や領内の流通全般の為にも意味あることだったんだな

118: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:41:33 ID:9O7
>>116
信玄の棒道もそうだろうけど
インフラ整備した大名は有能感あるよね

126: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:44:45 ID:RS3
>>118
多分インフラ整備自体は規模に関わらずどこの領主もやってんじゃね
有能な大名はそれだけ求心力あるからより大きく先を見越した事業も出来るってだけで

129: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:46:00 ID:Xmf
>>116
というか、ちゃんと管理させないと草に埋もれてどんどん劣化したりなくなってしまう
ってのが真相だと思うよw

133: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:47:44 ID:RoK
>>129
街道が整備されれば戦時だけじゃなくて流通もよくなるから国力も増すだろうし、って狙いもあっただろうな

143: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:51:54 ID:Xmf
>>133
うーん
流通で国力が増す って感覚はかなり後期になってきてからだと思うよ
1570年代くらいからかな
座や市や関所がある以上ね
それに太い道は逆に「攻め込まれやすい」ってことにもなるからね
一概には言えないと思うよ

147: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:54:06 ID:RoK
>>143
信長な多少なりともその意識は持ってたような気がしないかねぇ?
朝廷や幕府の権威なんかいらん、それよか堺の町よこせやコノヤロー!
て言ってたくらいだし

155: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:57:38 ID:Xmf
>>147
うん、ごく一部の人間だけだと思う
それに広範囲というか、大袈裟に言うと天下規模のプラン考えてたりした人物もね
たいがいは自領のこと、せいぜいプラス1、2か国くらいの事しか考えてなかったと思う

138: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:50:29 ID:RS3
>>129
「隣国との決戦に備えて整備させたのに荒れ放題じゃねえか!」とかあったんだろうな
結局思いついて手を付けるのは誰でも出来るけど
管理する制度をつくって実際管理するってなると個人の才覚任せじゃしょーがない

146: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:53:59 ID:Xmf
>>138
その通りだと思うよ
自分の村から外なんかに気を配る余裕なんかない時代だろうからね
道がなくなったって、地元の農民は困らないしね

108: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:32:12 ID:GHz
まあ戦国時代の最前線への兵站なんてあってないようなもんだからね
籠城戦なんかが発生しない限り
米俵目一杯もって無くなりそうになったら引き上げてくる感じだし

130: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:46:17 ID:tEf
戦国時代の人口って今と比べてめっちゃ少なかったんやろ?
人口が増えたのは江戸時代からって聞いたけど

134: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:48:10 ID:Xmf
>>130
今と比べたらどの時代も少ないよw

141: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:51:18 ID:K2C
戦国でも投石が通用するってのが驚きだった
初めて小山田信茂のことを知った時の話

152: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:55:26 ID:sJR
>>141
小山田の拠点だった岩殿城は見たことある?
あの切り立った崖っぷちから岩落として当たったら死ぬw

151: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:55:21 ID:RYb
薩摩隼人、三河武士、土佐一領具足、甲斐兵など強兵で有名な国は数あれど、一番兵が強かったのはどこなんだろうね?
姉がを見ると三河武士>越前兵。
三方ヶ原見ると甲斐兵>三河武士。
うーん?

156: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:57:41 ID:sJR
>>151
隼人 突撃では強い
三河 粘り強い
一領具足 欲に忠実
こんな感じじゃね?

153: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)22:55:30 ID:9O7
最強云々はどういうジャンルかで全然変わってくると思うよね
戦略:ノッブ
戦術:家久
個人戦:鬼小島
忠誠心:鳥居爺
みたいな?

174: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)23:09:50 ID:Xmf
兵の強弱は頭で決まるってばっちゃが言ってた

176: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)23:10:50 ID:RoK
>>174
お前のばっちゃはナニモンだよw
直虎か?

179: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)23:20:12 ID:Xmf
個の城の造形を楽しむのもいいけど、支城との距離や立地、当時の主街道とか地形を踏まえて見てくるといいよ
リアルな息吹が感じられる

180: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)23:22:42 ID:RS3
福井駅まで電車でも往復3万位かかるわ
秀吉の中国大返しとか兵士一人につき幾らくらい掛かってたんだろう

184: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)23:26:01 ID:x4Y
>>180
織田家の兵隊は基本的に雇った兵隊やろしね
褒美とか考えるとすげえ金額やろね
清洲で言い負かされてたら破産したんちゃう?

190: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)23:28:46 ID:K2C
>>180
秀吉が電車貸し切りで輸送する絵面が浮かんだ

193: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)23:30:38 ID:RS3
>>190
「甲冑は別で運ぶので預けて下さーい!中川隊はこちらに集まって下さーい!」みたいなね

195: 名無しさん@おーぷん 2017/09/12(火)10:01:43 ID:f77
本能寺の変は室町幕府の再興が目的だった
そんなニュースが流れていた

196: 名無しさん@おーぷん 2017/09/12(火)10:40:12 ID:HRR
>>195
口実じゃね?
反乱起こしたら将軍家の御旗使うのが現実的だし

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2017年09月14日 09:11 ID:QR.q1AbA0▼このコメントに返信
 
Modi Shinzo roadshow  英語つべ検索

安倍首相インド大パレード 高速鉄道で
※日本語で検索すると何故かヒットしない
※メディアは1秒も報道してない 
 
 
  
2.名無しさん:2017年09月14日 09:12 ID:q3lnYPTr0▼このコメントに返信
話しが漠然としすぎ
3.名無しさん:2017年09月14日 09:25 ID:haD33sWt0▼このコメントに返信
お稚児さん可愛い愛してる(*´ω`*)
4.名無しさん:2017年09月14日 09:34 ID:U8THf7E10▼このコメントに返信
信長の鉄砲隊の隊員になる為には試験に合格しなければなれなかった。
例えば弓で約25m先の的のほぼ中心に命中する位の腕前が必要で3者中全てが的に命中すれば
合格と言われたらしい。
5.名無しさん:2017年09月14日 09:52 ID:gFNRQmQ00▼このコメントに返信
人口は戦国時代の100年間でも増えてるんだよね。その頃は小氷河期で食糧不足から世界的に戦乱が増えてた時期でもあるけど戦国時代後期くらいは有力な戦国大名が富国強兵で開発推進してたりしたからな
6.名無しさん:2017年09月14日 10:12 ID:mbXLDagx0▼このコメントに返信
光秀の本能寺直前直筆が見つかったと、最近のよみうりに出てた
7.名無しさん:2017年09月14日 10:19 ID:xNFiE3Ix0▼このコメントに返信
今更将軍家のためって言ってた手紙が出てきても
他の武将に対しても大々的に宣伝したわけでもないし、あの行き当たりばったりっぷりを考えるとカッとなってやっちまった言い訳にしか見えない
8.名無しさん:2017年09月14日 10:28 ID:AQxosJwa0▼このコメントに返信
奥州葛西氏の家臣だった俺の先祖は負け組。
子孫の俺も負け組。
9.名無しさん:2017年09月14日 10:30 ID:AttDoSVP0▼このコメントに返信
独身農民兵「勝てば女犯し放題だってよヒャッハー」
10.名無しさん:2017年09月14日 10:35 ID:6y2vYTr20▼このコメントに返信
戦国時代の農民って隙あらば落武者狩りするイメージ有りますが実際どんなもんだと言われてるんです?
11.名無しさん:2017年09月14日 10:49 ID:V5TOnvTG0▼このコメントに返信
秀吉の享年、61歳。痴呆にはまだちょっとかなり早すぎると思うんだが。
12.名無しさん:2017年09月14日 10:51 ID:Yuomd.qB0▼このコメントに返信
反乱の為の大義名分(外向けの話)が室町幕府再興ってだけで、実際の理由はあの書状からじゃわからん。
13.名無しさん:2017年09月14日 10:52 ID:V5TOnvTG0▼このコメントに返信
※10
支配者が変わるたび、年貢契約ってし直すんですよ。武器持って脅しに来て年貢払えやーって武士が来る。
本気で来てるならともかく、そうじゃない程度なら追っ払ってたらしいんですよね。
それ以外でも、刈り働きとか強奪とか色々来るから外敵は自分たちで追い払わなきゃならない
軍備はある程度は村ごとにやってたんですよ。
14.名無しさん:2017年09月14日 10:57 ID:TtKbUEPW0▼このコメントに返信
後北条氏がNo.1
15.名無しさん:2017年09月14日 10:59 ID:gFNRQmQ00▼このコメントに返信
本能寺の変の前に室町幕府再興を目指す文書が出たならともかく、本能寺の変の後に味方を集めるために秀吉と光秀が手紙合戦をしてたときのところだもんな。
そりゃ相手によって耳障りの良いことを書き連ねるわ
16.名無しさん:2017年09月14日 11:45 ID:kztZcZGf0▼このコメントに返信
計画的なら直前ってのも漏えい対策としてわからんでもないが、+αで幕府側のお墨付きですアイテムの存在を匂わす内容が出てこない辺り勝手に言ってるだけにしか見えんし、そも当時広島にいた義昭が関わってるなら毛利側に謀反の話が通ってないのはやっぱおかしいし、これで逆に幕府黒幕説が無くなるのかもしれない

てかやっぱその場の勢い説のが黒幕説より濃厚だよなぁ
秀吉辺りが光秀の動きを知ってたけど黙ってた位なら辻褄合わせ的にすっきりするけど、家康はタイミングと直前直後の行動的にメリットなしだし、朝廷説とかも険悪な勢力、人物全部に黒幕説が発生するレベルの根拠薄いとこだしな
17.名無しさん:2017年09月14日 11:45 ID:5k1324BV0▼このコメントに返信
米11

当時は人生50年の時代だよ。今の時代みたいに科学薬品や先進医療はないしストレス多かったろうし仕方ないと思うよ。
18.名無しさん:2017年09月14日 12:09 ID:HopCT7ON0▼このコメントに返信
室町時代、近畿地方を中心に農業生産力が上がってるから人口は増えたといわれる。
江戸時代になったらさらに増えはしたが中期以降はそれ以上は増えなかったようだな。
従来の日本独自の技術ではあれが限界だったんだろう。人口数的に諸説ある。
19.名無しさん:2017年09月14日 12:11 ID:HopCT7ON0▼このコメントに返信
>三方ヶ原見ると甲斐兵>三河武士。
こういうのって普段の訓練成果次第だろ
兵の強さじゃないと思う
20.名無しさん:2017年09月14日 12:14 ID:HopCT7ON0▼このコメントに返信
あるいは情報伝達制度とか
こういう合図があったらこう動け、みたいな
21.名無しさん:2017年09月14日 12:15 ID:vynXj2Bb0▼このコメントに返信
※11
色々説があるけど、白米ばかり食べ過ぎて栄養不足でイライラ説が面白かった。

戦国時代に鼻をほじる時は、小指だったんだと。
22.名無しさん:2017年09月14日 12:17 ID:HopCT7ON0▼このコメントに返信
本能寺の変の時に、信長が討たれて家康が近畿地方から東海方面に逃亡中ってニュースが広がってたのかね
もし広がってたら一般人に討たれてたかもね
23.名無しさん:2017年09月14日 12:21 ID:vynXj2Bb0▼このコメントに返信
※19
一番強い兵って、薩摩兵士でしょ。

捨てがまりが作戦として成立するというのは、
下級兵士レベルで理不尽な命令に対して忠実である事と、
共同体としての部隊に、全滅しようが何の疑問もなく連帯感がある事の証だし。
24.名無しさん:2017年09月14日 12:21 ID:axsh4.py0▼このコメントに返信
山中鹿之助の艱難辛苦を与え給え発言って実はドM宣言なのでは
25.名無しさん:2017年09月14日 12:30 ID:PSeL802p0▼このコメントに返信
庄内藩の殿様は間違えてばっかし。百姓、町人が、また幕府に嘆願書をだしに行かなければいけないな。
26.名無しさん:2017年09月14日 12:33 ID:PSeL802p0▼このコメントに返信
日の丸を返してくれ!色部家が謙信から貰ったものだ。
27.名無しさん:2017年09月14日 12:37 ID:HopCT7ON0▼このコメントに返信
※23
そういう兵がどれだけ多いかってのも目安になるかもね
28.名無しさん:2017年09月14日 12:47 ID:tBIKYo.u0▼このコメントに返信
新たに見つかったとニュースになった明智の手紙だけど、
「俺に味方しろ」って調略の手紙なんだから建前と考えるのが妥当でしょ。
個人的な日記に「信許せない。討って幕府を再興しなきゃ」と書いてあるとかなら、本心かもねと思うけどさ。
29.名無しさん:2017年09月14日 13:43 ID:zL.U1CZw0▼このコメントに返信
秀吉が兵農分離するまで専業農民は居ないぞ少しは歴史の勉強しろよ 
30.名無しさん:2017年09月14日 13:53 ID:HG2Yg.pb0▼このコメントに返信
有名どころだと毛利三兄弟とか経理軽視がよく分かるエピソードがあるね
31.名無しさん:2017年09月14日 13:55 ID:1TnSihCh0▼このコメントに返信
肥後細川家だったかな?
島原の乱で、関ケ原や大坂の陣に従軍した老人達に陣立て等を尋ねたが、
「なにぶん昔の事で忘れてしまった」という頼りない答えしか返って来なかったという話を読んだ事がある。
32.名無しさん:2017年09月14日 14:18 ID:N1sKI.QI0▼このコメントに返信
俺は戦国時代に一つだけ気になることがある。
火薬が存在したのに何故にそれを使って城の城門を吹き飛ばさなかったのか?
松永久秀が天守閣もろ共爆死してるんだから、それぐらいの威力はあるだろうに。
火薬で吹き飛ばせば城なんて防御施設にならないだろうに。
33.名無しさん:2017年09月14日 14:20 ID:3.0p.zDR0▼このコメントに返信
やはり戦国時代の日本人はかなり気性が荒れてたらしい。でもこの荒れた日本人を穏やかにしたのは、徳川綱吉。つまり生類憐みの令により命を大切にしなさいと徹底したために、穏やかな日本人が生まれたらしい。徳川綱吉の再認識が必要。
34.名無しさん:2017年09月14日 15:22 ID:bI3AAgN60▼このコメントに返信
※32
>松永久秀が天守閣もろ共爆死してるんだから
 天守閣ごと木っ端微塵になったのか、不明だからねぇ。
 窓が開いていた状態なら、壁や屋根の一部が吹き飛んだぐらいで原形は留めていたんじゃないかな。
 開けた場所での火薬の爆発力は、何も無い空間の方へ拡散するから、その無駄になる分も加味して城門を吹っ飛ばすほどに仕掛けたら相当な量になると思われ。
 
35.名無しさん:2017年09月14日 15:30 ID:bI3AAgN60▼このコメントに返信
※10
落ち武者狩りは、彼らが野盗の群れとなる前に叩き潰す予防措置の側面もあります。
なので、整然と後退する兵団はスルーするか、「話の分かる相手」として通行料をせしめて通すのがマナーというかお互いの安全策だったみたいです。
関ヶ原の薩摩の退き陣では、隊伍を組んでかけ声かけて行進して通過したり、「通行料よこせ」と言われて「代金はこれじゃ!」で日本刀振り回したり、色々あったみたいです。
家康の伊賀落ちも、実は比較的安全だったのを「神君もこんな逆境を乗り越えたんだよ」と言う点を大盛りにして伝わったんじゃないか? と言う説もあったり。まぁ、当時の山越えは歩くだけでもかなり苦労しますからね。
36.名無しさん:2017年09月14日 15:56 ID:85SekDl80▼このコメントに返信
当時、徴兵とかないで。

当時は、ほとんど傭兵で、強制的に徴募するなどと言うことはよほど無茶苦茶な状況でない限りない。
戦争に農民をかり出す場合でも、後方の陣夫としてきていただく。

農村から徴兵しても、農村が減耗しちゃうので、そんなことはできない。

ただし、水争いとか、土地の境界争いで、自前で村民を武装させて展開させちゃったり、近隣の村から増援を求めたりするので、柄は悪いと思う。

これ柄が良くなり出すのが、17世紀半ば以降。
37.名無しさん:2017年09月14日 16:00 ID:Xhn4IH.q0▼このコメントに返信
※32
火薬で吹き飛ばすって、特定方向に爆風を飛ばすにはかなり強靭で圧力に耐えうる火薬の入れ物と爆発前までは圧力を掛け爆発直後に特定方向に向け壊れる装置が必要やな。戦国時代にそんな冶金技術はないだろうし、唯一可能性があるのは門の下まで掘り進んで地雷?として爆薬を仕掛けることかな。ただ坑道掘りって籠城側も結構対策があったらしいから成功率は低そう
後は大砲で鉄の玉飛ばして門扉を破壊することぐらいだが、丸玉を飛ばすだけの当時の大砲だと門扉に正確に当てるのかなり距離を詰めないとあかん
色々無理があるかな
38.名無しさん:2017年09月14日 16:21 ID:jpT8e5z80▼このコメントに返信
※36
村ごとに戦の人数割り当てが来てたのでほぼ徴兵と言っていいのでは。
鉄砲が出てくるまでは戦の人死には少なく次男以下が死んでも村がやってけなくなるほどでもないし、
基本的に負けそうになったらすぐ逃散する。
傭兵は金がかかるので負担が大きく、津などで貿易ができる金持ちしかできなかった。
39.名無しさん:2017年09月14日 16:37 ID:bjZ7VL1e0▼このコメントに返信
明智のハゲw金柑頭〜www
本能寺でキャンプファイア
40.名無しさん:2017年09月14日 17:45 ID:kztZcZGf0▼このコメントに返信
※32
目の付けどころはいいと思うが、まぁ疑問の根拠となる松永爆死が事実として判然としないってのが。
実際、その疑問通りで天守閣なり人間の体なりを木端微塵に吹き飛ばせる実用的な爆弾が存在していたら歴史が変わる大発明になるからね。
実用的な爆弾としては焙烙玉なんて手榴弾的な物は存在してて、殺傷力もちゃんとあったので爆死自体は出来るので、爆死の件が創作じゃないとしても、平蜘蛛に火薬詰め込んで高級焙烙玉にでもした、位が一番ロマンがある死に方な気がする。
一応当時の火薬の種類でも1tとかあれば建物吹き飛ばす位は出来るらしいけど、まず当時の実情的に松永家にそれだけの火薬が用意出来たんだろうかってとこが問題かな。

松永云々の真相は置いといても、火薬で建築物の爆破が出来るのを知ってたとして、当時貴重品だった火薬を1つの城攻めで大量に使うのが現実的じゃなかった面もあっただろうね。
41.名無しさん:2017年09月14日 18:10 ID:PievnmOP0▼このコメントに返信
個人的には訓練が気になるな。
武士はともかく、徴用された農民とかはなかなか訓練できないのではといつも思う。
黒沢明監督の映画(タイトル忘れた)で、任侠同士が戦おうとするのを主人公が高みの見物をするシーンがあるけど、どっちも腰が引けていて、お互いの相手の動きに合わせて前に数歩ぐらい前に出たり、逆に相手が前に出ると後ろに下がりとなかなか戦おうとしなかったけど、結構戦場ではあんな感じなのかもと思ったりしたな。
42.名無しさん:2017年09月14日 18:45 ID:Z3FmrugJ0▼このコメントに返信
※32
城の城門は、いっぱいあるw

まぁ今残っている近世城郭の天守閣周辺だけ見ても、一番外側すら水掘りで囲まれて細い橋を渡って行かなきゃいけないし、そこで城門を突破したら迷路のような細い道を通って第二第三第四の城門を突破しなきゃいけない・・・。道が狭く入り組んでいるので大砲の長射程は意味がなく、結局ラムでぶち壊すのとリスクや手間は大差ない。ダイナマイトも無い時代の火薬なんてただ爆薬をドカンとやっただけじゃ門の表面焦がすだけだし、大砲持ってくより人力でぶち壊した方が遥かに早く経済的。これは織豊政権以前の古いタイプの中世城郭にもほぼほぼ当てはまる。日本の城は多重防衛線を構築しての後退戦術を想定してあるので、壁ひとつでぐるっと街を守るだけの大陸型城塞都市のようにはいかない

大砲が意味あるのは、城の奥深くまで問答無用で砲火に晒すことで敵の士気を下げることだけ。大阪城のような、大砲を想定していない時代の城ならそれもまぁ有効だったが、朝鮮出兵以降の城郭は当時の大砲の射程じゃ届かないところに本丸を設けたりするので効果が薄れる。また天守閣自体は戦闘時には単なる物置兼デカい物見台くらいのもんなので、これが焼け落ちても守備兵にやる気さえあれば城の防御力はそんなに変わらない。日本の城というのは突き詰めて考えれば土のカタマリみたいなものなので、これを砲撃だけで壊そうとしたら20世紀の技術が必要になるね
43.名無しさん:2017年09月14日 18:50 ID:jpT8e5z80▼このコメントに返信
徴用した後、戦に出発する前に支給された得物を使う訓練くらいはするのではなかろうか
普段から訓練はやれないよね。せいぜい鍬を振り下ろす動作が武器に通じるとかなんとかで誤魔化す
44.名無しさん:2017年09月14日 19:42 ID:LFHAxsBv0▼このコメントに返信
私の先祖が海賊(熊野水軍)だったから海の戦国史をもっとやって欲しいなあと思う。

ちなみにうちの先祖は熊野水軍の一派から織田信長の配下になって
滝川一益の与力として本願寺との戦いに駆り出され、第二次木津川口の戦いに参加
もしかしたら鉄甲船?に乗っていた可能性もあるみたい・・。

そのあと滝川と関東行って、本能寺の変後に北条にボコボコにされ・・・
滝川と命からがら伊勢に戻ったら、今度は賤ヶ岳の前に秀吉にボコボコにされ・・
小牧長久手の時は滝川と蟹江城をとったら家康にボコボコにされ・・

その後は秀吉の九州攻めの後、福島正則に仕え朝鮮出兵につき従い、李舜臣の水軍をボコボコにして(場門捕の戦い)
東西決戦の時は福島と岐阜城攻めして手柄を挙げた(!)・・けど大ケガして関ヶ原本戦には参加せず(残念)・・
その後、福島家中だから大阪の陣には参加せず、幕府のいちゃもんで改易されて・・
福島家の家老と共に紀州徳川家に百五十石で召し抱えら・・・結局地元?に戻ったという波乱万丈ぶりだった。

元が海賊だからなかなか面白い生涯だったと思う
うちは兄弟ふたりで海上自衛隊勤務なのもこの先祖の血か??と感じる。

あの時代で波乱万丈な生涯を送ったご先祖様をお持ちの人は結構多いのではないかな?と思う。
45.名無しさん:2017年09月14日 19:42 ID:PwuIFl4F0▼このコメントに返信
話が漠然としすぎて
ただのつぶやき合戦になってるじゃねーか
46.名無しさん:2017年09月14日 20:25 ID:4VDSlKlh0▼このコメントに返信
武田家の滅亡は今で言うと巨大企業倒産くらいのインパクトがあったのだろうな
しかも滅亡後に優秀な人材を家康が獲得していた説などは今に通ずるものがある

※42
大阪冬の陣で天守閣を打ち抜いたと言う謎の長距離砲は?
47.名無しさん:2017年09月14日 20:47 ID:SUN8293x0▼このコメントに返信
大名じゃなくて水を巡って農民同士で戦をしてる逸話が一山いくらで転がってるんですが…
名もなき浪人が相談されて策を授けて勝利する逸話が好き
48.名無しさん:2017年09月14日 20:52 ID:SUN8293x0▼このコメントに返信
※23
薩摩の場合は抗ったら軍法によって死が待ってるから…
薩摩の軍法は色々と頭おかしい
49.名無しさん:2017年09月14日 22:36 ID:3Vq03GAU0▼このコメントに返信
※36
んなわけねーだろwww
与えられた領地にたいしてお前の所はこんだけ収穫あるからこんだけ動員しろと指示があり村から徴兵してるわ。
金で雇った傭兵集団で大部隊組織してたのなんて武田信虎の「上意ノ足衆」、黒官の関が原(これも長年貯金してた金出し切って4000程度+留守番の正規兵5000)
と金が大量にあった豊臣の大阪の陣ぐらいなもんだ。
50.名無しさん:2017年09月14日 23:17 ID:zQc7zNMc0▼このコメントに返信
※33
最近では愛犬家が増えたせいですかねえ、生類憐みの令を再評価する声が大きくなってきたのは。
20世紀のうちに、「戦国の殺伐とした空気を綱吉が変えた」そんなこと言ったら、
ソースはどこにあるんだ、想像で断言するな、頭だいじょうぶか?って感じでしたがね。

綱吉の死後、柳沢吉保が綱吉の側室のもとを訪問し、生類憐みの令が廃されたことを嘆いて見せたら、
「なんじゃおまえは忠義心からではなく、本気であんな悪法を施行しておったのか!
 二度と私の所にこないでおくれ」と、追い出された話がある。

当時からつい最近まで、生類憐みの令が荒れた日本人を穏やかにしたなんて、荒唐無稽な話を信じる人は
ほとんどいなかったけど、犬を愛する心は、目を曇らせるとみえる。
51.名無しさん:2017年09月15日 00:06 ID:kqrNhm0F0▼このコメントに返信
※23
鎌倉時代からの由緒正しい税率8割で5人組連帯責任制度を取り入れてたから死んだほうが楽かも?って感じで常に死兵だったんじゃないかな。
52.名無しさん:2017年09月15日 06:06 ID:aCajC.8N0▼このコメントに返信
※46
だから※42で言及しているように、大坂城を作った時はまだ大砲の存在をそんなに重視していなかった。ここは大大名の拠点としては(17世紀の城としては)やや古い思想で作られた城だったわけよ。そんで、英国製の大砲を持ってた徳川が本丸まで射程に収める位置へ陣取ることができちゃった

これがもっと後の時代になると、外郭をさらに大きく広げていってそもそも本丸が射程に入らないようにしたり、狭い城でも本丸を高いところに築いて砲撃による致命的な損害が出にくいように工夫するようになっていく傾向がある。姫路城なんかは城外に天守閣を射程に収める絶好の砲撃スポットがあるんだけど、それに対して天守閣をナナメに向けているので威力が減殺されることが期待されていたり。逆に言えばハリボテの構造物でさえこの程度の工夫で守れちゃうくらいには、当時の大砲というのは威力が低かった。結局、この時代の大砲なんて西欧都市城壁のような薄くて高い石壁を壊すためのものでしかないわけよ

大坂の陣以前にも、関ケ原のときにやっぱり彦根城が砲撃に晒されて女衆の立て籠もる区画に被害が出たのが、降伏のきっかけになってたりするから、そういう活用ができれば大砲も決して無意味というわけではない。ただ、城門や土塁をぶち抜いて力攻めの足しになるかというと疑問って話だ
53.名無しさん:2017年09月15日 06:10 ID:aCajC.8N0▼このコメントに返信
彦根じゃねーww 大津城な
寝ぼけてるなぁ
54.名無しさん:2017年09月15日 09:32 ID:5E2.zs7e0▼このコメントに返信
大砲は九州の大友が輸入して国崩しの名で使われてたよ
使ったのは攻城戦でなく籠城戦で守りに使ったらしい。島津相手に
55.名無しさん:2017年09月15日 14:49 ID:pZwdaBqt0▼このコメントに返信
※54
まぁ島津がどうこうよりは運用側の考え方次第だろうしな
領地を安全に運搬出来る状況ならともかく、当時の九州情勢なら貴重品の大砲を引きずり回してあっちこっち移動するよりは城の固定砲台にでもした方がってのもあったかもしれん
56.名無しさん:2017年09月15日 20:20 ID:DNWxXMN40▼このコメントに返信
※50
生類憐みの令は現在の国内サヨクの「自分の国より周辺諸国を大切に想う」という思想に通ずるものがある
やはり最も重視すべきものを取り違えては本末転倒だろう

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