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2017年09月12日 09:15

石田三成って何で人望無かったんや?

石田三成って何で人望無かったんや?

mitsunari

引用元:石田三成って何で人望無かったんや?
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1505124582/

1: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:09:42 ID:xA0
忠義に暑くて欲がなくて妻一筋ってメッチャカッコええやん

2: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:11:09 ID:qgW
完徹残業からやっと帰ってきた奴にかしこまった食事の席を設ける空気の読めなさ

3: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:14:24 ID:rOW
石田三成「ほーん献上品に桃か、季節外れやのに立派な実やなぁ!すごいなぁ!
でも時期外れのもん食って秀吉様が腹壊したらアレやからいらんわ」

4: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:15:23 ID:xA0
>>3
これ献上品差し出してきた奴の目の前で口に出したんか?

14: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:18:03 ID:rOW
>>4
献上品届けてきた家の奴を後日呼び出して返した

16: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:18:46 ID:xA0
>>14
ヒエ~ッwww

20: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:21:26 ID:h4I
>>14
なお、毛利な模様

5: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:15:25 ID:oKI
頭が硬すぎてトップには向かない
ナンバーツーで力を発揮する嫌われ者の典型

6: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:16:09 ID:xA0
関ケ原でもトップは毛利でナンバー2でいたやんけ

12: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:17:52 ID:h4I
>>6
関ヶ原本戦の時点で毛利はやる気無くしてんだよなぁ

7: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:16:22 ID:3LY
単純な実力不足
みんな勝ち馬に乗りたいんやで

8: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:16:58 ID:jZf
秀吉に忠実過ぎたからやろ(適当)

9: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:17:17 ID:LFg
小早川の寝返りなければワンチャン

10: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:17:30 ID:XjO
欲がないってマジなん?
一族に有利なよう働きかけたと聞くが

18: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:20:33 ID:h4I
>>10
佐和山落城後に検分したら嗜好品とか貯蓄の一切無かったって話からやろ

乾坤一擲仕掛けるなら素寒貧になるのは当たり前だが

11: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:17:50 ID:oUr
あれやん、家康って徳川コンツェルンの社長やん?
ほんで他の武将も、規模は小さいけど一国一城の社長やん?

石田光成は豊臣コンツェルンの仕事が出来る社員であって、しょせん社員なんや
小さい企業とはいえヨソの社長と対等になれると思うん?

17: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:20:18 ID:LFg
打ち首の直前に柿を拒否るくだり好き

19: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:21:10 ID:xA0
物欲の無い光成も地位とかは気にしてたかもな

23: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:22:35 ID:h4I
>>19
ぶっちゃけ、あのままなし崩しに家康政権になると三成の居場所無いからな
謹慎してるし

22: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:21:46 ID:uPr
融通がきかない頭でっかちの上司に仕えたいか?
つまりそういうことよ

26: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:22:50 ID:xA0
>>22
そういう生き方もドラマの主人公みたいでカッコいいやんけ

25: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:22:44 ID:59R
組織のトップはカリスマアホでいい。
石田はナンバーツーでこそ輝く。

29: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:25:11 ID:Otg
>>25
ツーは下との調整せんとあかんから秀長にしか無理
三成は大臣クラスや

28: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:25:05 ID:9jU
ノッブとかああ見えて部下に気を使っていたけど
イッシーはそこらへんどうなん?

31: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:26:40 ID:h4I
>>28
給料全部やるから仕えて?
↓出世後
給料半分やるから仕えて?

こんな事してるで。後、ちょいちょい他家から引き抜きしたりしてる

30: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:26:27 ID:LFg
黒田官兵衛が関ヶ原の合戦の合戦期間の見積もりを誤るくだりすき

32: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:28:18 ID:h4I
>>30
あの時は各地の大名の殆どが長期戦前提で戦略立ててるんだよなぁ
西軍ですら美濃で遅滞防御が基本路線だったし

70: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)20:04:32 ID:EEi
>>32
逆に言えば1日で決着ついたからこそ、キョウゴクさんの立花食い止めた証になったかもしれん。
何週間も関ヶ原戦ってたら只の食い止めれんかった出家武将におちたかも

72: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)20:10:20 ID:h4I
>>70
妹の七光りで命助かる奴www
みたいな扱いやろなぁ

33: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:29:20 ID:kGL
そう考えると毛利ってよく立ち回ったと思うわ

34: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:29:40 ID:pZn
>>33
吉川「ワイのおかげやな」

37: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:30:45 ID:h4I
>>33
まぁ、岐阜失陥で当初の作戦オジャンになったし…

35: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:30:15 ID:xA0
毛利とかの方が賢いし家族や部下のためになっとると思うんやけど
やっぱ何か卑怯者と感じてしまうわ

41: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:32:24 ID:h4I
>>35
賢いもクソも豊後・伊予・讃岐・阿波に手を出しつつ、本戦介入するガッツリ黒幕なんだよなぁ

43: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:34:15 ID:kGL
>>41
全盛期の勢い考えると関ケ原以降は凋落もいいとこやけどそれでも勝ち組やな

49: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:39:46 ID:h4I
>>43
本来なら三成と一緒に処刑でもおかしくないからな
輝元はここからが本番やし

36: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:30:34 ID:LFg
家臣としては有能だったんだろ
ただトップの器じゃなかった
人望はあったけど、社長タイプじゃない

46: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:37:07 ID:wdT
三成って石高の少ない小大名やろ
それに比べ400万石を有する徳川やからな

50: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:41:56 ID:59R
まぁ、家康と戦わなかったら歴史の教科書載れんかったやろなぁ。
ちな、文部省のせいで永世名誉裏切り者にされた小早川くん。

54: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:43:53 ID:59R
>>52
そもそんな悪い奴ちゃうしな。

53: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:43:51 ID:xA0
一番最初に裏切った小早川と、家康の勝勢がより盤石になった小早川裏切り後に裏切った武将達
よりクズなのはどっちなんや

56: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:45:54 ID:8vJ
>>53
小早川は元から東軍説だったのが最近のトレンドやろ 東軍に味方しようとしたけど物理的な都合で西軍に取り込まれた説なんかも前からあったやで

58: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:48:50 ID:Otg
前田利家と徳川家康の大合戦なら面白かったかもな

60: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:50:29 ID:3LY
>>58
利家なら戦闘にならない落としどころを見つけたかもなあ

62: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:52:10 ID:h4I
>>60
戦闘になるか怪しくね?
関ヶ原にいた東軍の大半前田シンパやろ

65: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)19:59:24 ID:Otg
>>62
加藤、福島、黒田は前田についたかもしれんな

66: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)20:00:10 ID:h4I
>>65
浅野・宇喜田も前田派ちゃうかなぁ

69: 名無しさん@おーぷん 2017/09/11(月)20:03:03 ID:IqF
>>1
コミュ障やったんやろ

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2017年09月12日 09:21 ID:.b9.MA730▼このコメントに返信
人望ちゃうで、実力やで。三成が300万石の領主なら雑魚どもが慕ってきてた
2.名無しさん:2017年09月12日 09:29 ID:ySwVix.k0▼このコメントに返信
検地奉行だったのも嫌われる要因かね
3.名無しさん:2017年09月12日 09:32 ID:D.I9C4i70▼このコメントに返信
まあ脳筋武将が多かったからな~。
4.名無しさん:2017年09月12日 09:35 ID:R.T64LjO0▼このコメントに返信
頭のいい大学を出た上司みたい。「あなたの言うことは正しい。でも・・」みたいに理路整然と部下に指示するのは、今も同じ。ソクラテスが、自死しなければならなかったのも、相手に逃げ道を与えない言葉で攻め立てたからで、普通の人々の反発を招いた。劉邦はだらしない人物だけれど、有能な人が、うちの大将を何とかしてやりたいと思わせる人物。要は人徳かな。
5.名無しさん:2017年09月12日 09:35 ID:8GJlcHny0▼このコメントに返信
秀吉に逆らえないからすべて側近の三成のせいに
駒姫事件もな
6.ゲハロエおやじ27号っス:2017年09月12日 09:36 ID:o.PQx5H40▼このコメントに返信
早い話が協調性がないんだね、誰だって横柄な態度だと、そりゃカチンとくるさ。
勿論、頼られれば面倒見は良かったみたいだから、悪い男ではないんだけどネ。
7.名無しさん:2017年09月12日 09:37 ID:XnWcDb2o0▼このコメントに返信
人の好き嫌い激しくて端から見てもはっきりと態度が違う人物と聞いたが。
8.名無しさん:2017年09月12日 09:37 ID:FushcPYa0▼このコメントに返信
歴史に詳しくないんだけど、小早川って奴が裏切っただけで形勢逆転するような状況だったの?そんだけ影響力がある奴だったわけ?
9.名無しさん:2017年09月12日 09:37 ID:jM9xoVAZ0▼このコメントに返信
秀吉に反感が向かわないよう汚れ役を買って出た
融通が利かない生真面目さが更に三成への不満や敵意になっていったのも有るんだろうけどね
大谷吉継との友情話すこ
10.名無しさん:2017年09月12日 09:37 ID:8Uvx8Na70▼このコメントに返信
この10年位で大谷吉継とセットで人気が急上昇したよな

ちょっと前までは家康に楯突いた戦下手の無能なみたいな扱いだったのに
11.名無しさん:2017年09月12日 09:40 ID:rIE1bvpm0▼このコメントに返信
戦国鳥獣戯画~乙~の第8話とか好きw
12.名無しさん:2017年09月12日 09:42 ID:ph3PcEoe0▼このコメントに返信
なんとなく東条英機に似てると思ったわ
13.名無しさん:2017年09月12日 09:43 ID:7agVS.4F0▼このコメントに返信
石田三成が見直され始めたのって、影武者徳川家康辺りからか?
14.名無しさん:2017年09月12日 09:46 ID:erHTUBrJ0▼このコメントに返信
四角四面の真面目くんにはついていきたくないやろ
15.名無しさん:2017年09月12日 09:50 ID:eBLTVz0h0▼このコメントに返信
武将の多くが大名かそれに準ずる武家の出か、あるいは槍一筋で戦場で地位を手に入れた連中だから、
お茶汲みの機転で見出された三成にはいい感情を持っていなかっただろうな。
それでも、その後に戦場で実績を挙げたり前線で戦う連中に気を遣ったりすれは印象も変わっただろうけど、
そのあたりの機会を、ことごとく駄目にしているからね。
16.名無しさん:2017年09月12日 09:51 ID:KqFAu1Ln0▼このコメントに返信
一人二人ならともかく(それでも大概だが)多数の味方に命狙われる時点で擁護不可のドクズなんだよなぁ
17.名無しさん:2017年09月12日 09:54 ID:gzeog2Hw0▼このコメントに返信
三成が好きな武将
津軽信成(三成の介添えで元服、次男・娘を保護)
佐竹義宣(親友だが中立かまして秋田転封)
直江兼続(親友だが景勝が従わなかった)
島津義弘(検地の便宜により)
大谷吉継(親友、家康方でもある)

※10
家康が何でもお見通しで準備万端だったのに
楯ついた無能・奸臣・極めてゲスな嫌な奴みたいな
徳川史観が払しょくされて、家康はかなり危ない橋を渡っての勝利で
三成もかなり善戦したと真実が伝えられ始めたのはいいが
反動が強すぎる気もする
ただ豊臣のためにと戦った忠臣と水戸の黄門様もおっしゃっているから
そこは間違ってない
18.名無しさん:2017年09月12日 09:55 ID:4PlVagmH0▼このコメントに返信
秀吉の後ろで参謀していただけだから人望がないんだよ
虎の威を借る狐みたいに思われていたから。武断派からは完全に嫌われていたし
号令をかければ秀吉の威光を背負っているから集まってくるが裏切りやすいわな。三成個人には従いたくないから
19.名無しさん:2017年09月12日 09:59 ID:kY1KIzjj0▼このコメントに返信
融通が利かないイメージ
なにより大体の大名より格下だから従うやつが居らんかった
20.名無しさん:2017年09月12日 09:59 ID:2xnF96hU0▼このコメントに返信
三成結構有能ってのは昔から言われてるわな
関ヶ原にあの布陣しただけでもある程度有能てことで
21.下流老人:2017年09月12日 10:00 ID:o.PQx5H40▼このコメントに返信
*8
関ヶ原では実動は東軍が多勢だったが、西軍は当時最強の野戦築城戦術で守りを堅め、石田、宇喜多、小西の軍勢が奮戦したため、東軍が攻めあぐねて戦線が膠着状態だった。
そこで二股をかけていた、小早川の裏切りが決定的になった。
小早川が西軍につき東軍が総崩れとなれば、同じく日和見を決め込んでいた毛利勢もどう動いたかわからない。
22.名無しさん:2017年09月12日 10:02 ID:gzeog2Hw0▼このコメントに返信
※5
蒲生殺したんだろ!→手の施しようのないガンでした
→蒲生郷舎など蒲生遺臣を雇用して関ヶ原で討ち死に多数

秀次失脚させたんだろ!→むしろ調停に奔走してました
→高野山に押し掛けて「観念して腹切れや」と告げたのは福島正則
→遺臣を雇用して関ヶ原で討ち死に多数

陰謀で殺したような奴の家臣にわざわざならんだろ
23.名無しさん:2017年09月12日 10:02 ID:ywXfI5Ri0▼このコメントに返信
加藤清正「たまには腹割って飲みに行こうや」
三成「行かんわボケ」

いつもこんな調子だとそら嫌われるわ
24.名無しさん:2017年09月12日 10:06 ID:VS.A1GrS0▼このコメントに返信
この石田治部小輔三成全身全穴にて茶を飲まん!
25.名無しさん:2017年09月12日 10:06 ID:7jdTUDVm0▼このコメントに返信
司馬遼太郎の小説では事務方として非常に有能な一方
四角四面に物事を捉え融通の利かない人物に描写されていたな
26.名無しさん:2017年09月12日 10:06 ID:gzeog2Hw0▼このコメントに返信
※8
正面の敵と激戦してるさなかに
本陣のすぐ側面の山にいた1万5千(土壇場の裏切り者含めると2万)が
突っ込んで来てんだから死ぬだろ
なお刑部は1万5千を800で一時山の中腹まで押し返して右翼の指揮官を戦死させた模様
27.名無しさん:2017年09月12日 10:07 ID:p2RJv4.j0▼このコメントに返信
後世の創作まで史実だと思っちゃうやつがまだいるんだね。
28.名無しさん:2017年09月12日 10:07 ID:6MfEmPei0▼このコメントに返信
超有能だけどクソ真面目だったからだろ
それでもイジれるキャラならまだよかったのに
現代日本でも生きて行きにくいタイプ
29.名無しさん:2017年09月12日 10:08 ID:PE5.GdW90▼このコメントに返信
原漫画だったら影武者徳川家康以降の島左近じゃない
光栄では初登場時からすでに評価されていた
30.名無しさん:2017年09月12日 10:10 ID:D.I9C4i70▼このコメントに返信
※26
腰に載った状態で息子に指示するだけで其処まで持っていったて・・万全な状態だったら小早川が返り討ちになっていたかもな。
31.名無しさん:2017年09月12日 10:10 ID:rKReAx.I0▼このコメントに返信
真面目過ぎた。物事を数字で評価。優秀な官僚。政府で言えば次官。公共事業を任せれば完全にこなしたが寛容さに欠ける。
32.名無しさん:2017年09月12日 10:14 ID:VMyhtqxz0▼このコメントに返信
友人からも「お前、性格悪すぎ。」
なんて忠告を食らった男。
アクが強すぎるのかとことんまで付き合う親友になるか
とことんまで嫌われる敵になるかの二者択一。
33.名無しさん:2017年09月12日 10:16 ID:.OfSagg20▼このコメントに返信
なんてことない! 将と参謀の格の違いだ! 石田君は参謀が上限だったのさ!
34.名無しさん:2017年09月12日 10:17 ID:9iBPqhq30▼このコメントに返信
※25
いろんな小説とか漫画とか読んでると、なんか、
『超有能だが豊臣に仕えるしか思想の無い堅物』みたいな印象あるんだが、
実際どうだったんだろうな。
35.名無しさん:2017年09月12日 10:19 ID:078ui1yj0▼このコメントに返信
※8
仮に全体の戦力が10、小早川の戦力比が1だったとしても、10対10で戦ってる時に、1が相手に寝返れば9対11になる。
それでも西軍が一致団結して奮戦すれば持ちこたえられたかもしれんが、西軍は東軍以上に烏合の衆だったから、負けが見えた時点で逃げる奴、寝返る奴が出た。そうなると差は雪だるま式に広がっていくから取り返しがつかない。
36.名無しさん:2017年09月12日 10:23 ID:Vq.W27Zf0▼このコメントに返信
?「戦と普請続きで銭がない」
家康&三成「困ってるなら銭貸すで」
・・・後日
?「返す銭がないんや」
三成「約束は約束じゃ、利息つけてきっちり返さんかい!」
家康「気にすんな、ある時払いでええんやで~
   ところで、うちと縁組せえへんか?」

一事が万事この調子
理屈は通ってるんだけど
「その通り だから余計に 腹が立ち」
ってのを地で行ってたから

37.名無しさん:2017年09月12日 10:24 ID:g5iwj6HH0▼このコメントに返信
関ヶ原後の毛利って、山中鹿之助の息子に借金申し込んでにべもなく断られたイメージしか沸かん
38.名無しさん:2017年09月12日 10:24 ID:K.jgreFq0▼このコメントに返信
※24
へうげものの光成ほんとすき
39.名無しさん:2017年09月12日 10:25 ID:7jdTUDVm0▼このコメントに返信
※34
さぁね
歴史というのは後の世の権力者が都合よく書き換えるから大筋で信用はできても細かい真実はわからない
だから小説で楽しむのが正解なんだろうな
40.名無しさん:2017年09月12日 10:26 ID:isfTAEdD0▼このコメントに返信
清濁併せ呑む家康には、自らの道義的後ろめたさをも預けられる器の大きさ、懐の深さがあった。
一方三成は、清廉篤実ではあるが理想論者すぎ、生臭い現実を生きてきた海千山千の大名にとっては自家の将来を預けることに不安もあっただろう。
大名たちにとっては、忠義の旗を立てつつも、本音では自家の存続が第一であった。その現実を三成は見ていなかった。見えたときにはもう遅かった。
それもやむなしだろう、三成とは秀吉の忠実な奉行であり、視線は太閤だけに向けていればよかったのだから。
「かくあるべし」だけでは人はついてこない。
解る奴にだけは解る、そんな人物なのだろう。近しい者だけは三成の純真な忠義、篤い情を知っていただろう。
人望とは、個人の魅力ではなく、安心して身を任せられる力、器のことだと思う。
41.名無しさん:2017年09月12日 10:28 ID:FRGUQ4Ot0▼このコメントに返信
性格悪いけど好いてくれる人もいたみたいだから
悪人ではないよね

徳川が勝ったことで最終的に秀頼死亡までいったけど
秀吉子飼だった奴らはどう思ったんだろう
清正は途中で死んでるけど福島正則は豊臣のために戦うよりお家存続を優先させたのかな
最後は転封だったけど
42.名無しさん:2017年09月12日 10:32 ID:3H.w8MZI0▼このコメントに返信
三成をNo.2と言ってる人が居るが、あれはNo.2の器ですらないだろ。
トップの小間使いとして輝くキャラだろ。
現代の会社で例えれば、社長付き秘書。
43.名無しさん:2017年09月12日 10:36 ID:mSsHs5AZ0▼このコメントに返信
ルールが絶対の正論マンで嫌われてたんだろ?
44.名無しさん:2017年09月12日 10:37 ID:eaMj5E3.0▼このコメントに返信
行政、事務能力が抜群な官僚で、政治、軍事には不向きな人物だった様だ。
平和な時代は行政官として活躍できるが、乱世では単独では生き残れない人物。
45.名無しさん:2017年09月12日 10:40 ID:G0232dr00▼このコメントに返信
官僚、前川の国会での答弁見たでしょう。現場無視、独断、机上の論理だけの押し付け、なんら悪びれず、更に威圧的態度の印象から客観性姿勢のない学問バカ(社会人として大人の知性をまるで感じさせない)の典型、申し子。三成が何故、嫌われたのかようやく数10年ぶりに謎が解けた。
46.名無しさん:2017年09月12日 10:43 ID:gTnjZDXC0▼このコメントに返信
空気読めない性格だったのが災いしてる。
あと、俗に言う七本槍組の両加藤や福島あたりの妬みもある。
5奉行が「豊臣の家の子大名」の輪番で、彼らにも奉行就任の目がある仕組みなら、こうもこじれなかったと思う。
だってさ、朝鮮であれだけ苦労してスカンピンになって帰ってきて、この先は中央政界へ返り咲きも難しいとなれば、豊臣暫定政権(5大老・5奉行制度)をぶっ壊そうとも思うでしょ。
47.名無しさん:2017年09月12日 10:44 ID:xeofIrE50▼このコメントに返信
武官は文官が決めた朝鮮出兵で、領地経営が出来ないわ、兵站出費で借金かさむわで、経済状況ボロボロやったからなあ。
当然、残留組に対して感情的なしこりが残るやろ。
48.名無しさん:2017年09月12日 10:45 ID:KwiKGHwE0▼このコメントに返信
もうちょい最前線で戦う人間を気遣ってやればね。
朝鮮出兵のときは三成自身も渡海してるんだけど、清正みたいな危険な目にはあってないしね。
そういうポジションで秀吉に悪口吹き込んじゃダメでしょ。
49.名無しさん:2017年09月12日 10:52 ID:mJZkkKdS0▼このコメントに返信
※1
それと皆秀吉が嫌いだった
汚らしい豊臣(笑)政権と大阪城を何とか潰したいと内心思っていた
信長公が天下を取るべきだった。

秀吉は草履を胸で温めている時点で「調子が良すぎる人間は家はいいです。
結局濃尾平野が一番広いんで、もし完全な武力衝突になった際、ここを押さえている我々が物理的に有利なのは明らかです。
あなたは必要ありません。
ところであなたは、自分の部下にも草履を胸で温める事を強要するような人間ですか?ですね?はい。さようなら。」と放逐するべきだった
50.名無しさん:2017年09月12日 10:52 ID:dn0xH6WH0▼このコメントに返信
小早川が裏切ったのは三成のせいと言うより
秀吉が悪いんだがな
51.名無しさん:2017年09月12日 10:55 ID:CYIzoyNS0▼このコメントに返信
そりゃあ、人望無いことにしとかな戦場脱糞ニキにとって都合悪いからね
52.名無しさん:2017年09月12日 10:55 ID:N9KjG7Gg0▼このコメントに返信
謹慎中の小大名が筆頭大老相手に真っ向から合戦するのだから有能だったのだろう。
ただ、公務で友人には贔屓して公正な人物では無い。
53.名無しさん:2017年09月12日 10:55 ID:hZzwEi1K0▼このコメントに返信
毀誉褒貶の差が激しいということは自分と親しい人は優遇したり便宜を図ったりする一方でそうじゃない人には冷たいということ
そういう人間が政権運営に関わっていたのだから敵を作らないわけがない
54.名無しさん:2017年09月12日 10:56 ID:dn0xH6WH0▼このコメントに返信
まあ、家康は石田三成の子孫を自分の懐に拾い上げてるんだけどな
55.名無しさん:2017年09月12日 11:01 ID:ahB6KmQg0▼このコメントに返信
最近の総理で言えば福田やな

官房長官でヘイト集めやらしとけば使えるけど、
トップにしても被害担当のクセが抜けないから変わらずヘイト集めて組織ごとボロボロにするタイプ
56.名無しさん:2017年09月12日 11:05 ID:NP3T.R740▼このコメントに返信
銀英伝でのムライやオーベルシュタインをライバルでもある立場で同僚だったらどう思うか?だろ
57.名無しさん:2017年09月12日 11:11 ID:iGM1vyqB0▼このコメントに返信
好かれてる面もあったんだろう 能力もあって西軍をあそこまで組織できたわけだし
家康はやはり信長とともに戦ったり信玄や秀吉と一戦交えてるってことですでに当時の世間では名声的にはすごいものだったんじゃないかと思う
信玄謙信がすでに伝説的名声があったという話もあるようだし
58.あくまでもイメージだし:2017年09月12日 11:11 ID:q7QJmo8C0▼このコメントに返信
彼が実際はどんな人物だったのかだれも知らない。それに日本では人望とか人徳とか、 分けがわからず時には事勿れ主義、判断できないことなどが基準となってしまうということもあるので、時代でも基準は違うし、あまりあてにならないな。
59.名無しさん:2017年09月12日 11:14 ID:rPMhl81S0▼このコメントに返信
前田利家なら、家康は喧嘩なんか売らないで関東に引きこもってたろ。
人望だと利家>>家康>>>>他の五大>>超えられない壁>>三成
くらいの差があったから、名目の総大将に毛利を据えて、自分は関ヶ原で指揮を取ろうとしたんだし。
だも言うことを聞かない大名は多かったよね
60.名無しさん:2017年09月12日 11:15 ID:wiLQCl0v0▼このコメントに返信
今やってる映画だとちょっと三成を格好良く書きすぎててあまり歴史知らん人が見ると
どうしても最後に正義が負ける、みたいな釈然としない終わり方になっちゃうよな

個人的には多分朝鮮から引き上げた時点で三成の能力とはあまり関係なく
豊臣政権の命運は尽きてたと思うわ
61.名無しさん:2017年09月12日 11:15 ID:6tUk7PSn0▼このコメントに返信
一言で言ったら“潔さがない”。
人望が有ったら「縄目の恥辱」を受ける必要もなかった。
後世で言えばナポレオンについても同じ事が言えると思うが
自決して全てを墓場へ持って行くこともけじめと言える。
そのナポレオンを尊敬していた西郷隆盛はやはり武士の鑑で天晴れな最期だった。
官軍の捕虜にされて辱しめなど受ける事など望まなかった。
その点が後世でも尊敬の念が厚い事実が証明されている。
62.名無しさん:2017年09月12日 11:16 ID:GcGmGcHn0▼このコメントに返信
勝者が敗者をこきおろすのが歴史だからなあ
63.名無しさん:2017年09月12日 11:16 ID:C.2BC3.w0▼このコメントに返信
エリートで真面目融通きかなくて空気もイマイチ読めない男に、
ヤンキーやヤクザが付くかって話。
64.名無しさん:2017年09月12日 11:17 ID:ahB6KmQg0▼このコメントに返信
※51
ああいう諜略合戦になると、最後にものを言うのはどっちにつけば自分に都合がいいか、という心理戦だからな
その辺トータルで言っての人望よ
だからこそ、関が原の戦いはトップの人望の戦いであり、負けた方は人望がないと結論付けられる

もちろん、家康との比較でだけどね
65.名無しさん:2017年09月12日 11:17 ID:VXJbszmI0▼このコメントに返信
武功がないのに官僚として権力を持ってるから
66.名無しさん:2017年09月12日 11:18 ID:iGM1vyqB0▼このコメントに返信
朝鮮の役みたいな大戦争を裏で支えた人らは能力あったと思うよ
もちろん日本国的に物資が足らない面はあったがそれは仕方ない
67.名無しさん:2017年09月12日 11:22 ID:YETTNDmY0▼このコメントに返信
三成が人気ではじめたのって戦国無双から?
68.名無しさん:2017年09月12日 11:23 ID:iGM1vyqB0▼このコメントに返信
>佐竹義宣(親友だが中立かまして秋田転封)
今の秋田知事ってこの子孫なんだな
69.名無しさん:2017年09月12日 11:27 ID:4.k6kW2x0▼このコメントに返信
経理が社長になったらだめやな。
70.名無しさん:2017年09月12日 11:30 ID:GNAU6En70▼このコメントに返信
冷徹な文官だから、戦争しか能がない猪武者からは嫌われて当然。
71.名無しさん:2017年09月12日 11:31 ID:Ck9ktWir0▼このコメントに返信
お前より人望のあるやつと、お前の差はなんだと思う?

それが答えだろ
72.名無しさん:2017年09月12日 11:36 ID:k20bYyb40▼このコメントに返信
話変わるけど
関ヶ原の合戦布陣を外国の将校に見せて「どっちが勝つ」とドヤ顔する話嫌い
布陣だけ見せて裏切りまで予想はできんだろ
73.名無しさん:2017年09月12日 11:41 ID:iJEDR2xu0▼このコメントに返信
※35
そのキッツイ取り立ての指示、秀吉だから、、、

三成はけっこう取り立て以外ではこまごま手助けしてるよ
島津家なんてのも良くしてもらってたし、、、
74.名無しさん:2017年09月12日 11:48 ID:NTAPIgXW0▼このコメントに返信
むしろなんで人望があると思うねん
軍隊でいうと三成=少佐・家康=大将ぐらいやろ
少佐が人望で大将超えたらあかんやろ
75.名無しさん:2017年09月12日 11:48 ID:QEtkMsGA0▼このコメントに返信
※30
脇坂はともかく小川赤座が刑部に呼応してたら小早川は死んでた
76.名無しさん:2017年09月12日 11:53 ID:CNZXvnlJ0▼このコメントに返信
よくいるじゃん。
『仕事は出来るけど、思ってる事そのまんまストレートに言うキツい人』ってさ。
こういう人は他人に関心ないからね。
だからリーダーになれない。
何かの間違いでリーダーになると全てが不幸になる。
77.名無しさん:2017年09月12日 11:58 ID:9853kPDH0▼このコメントに返信
一言でいうと、泥水啜っていないから。
一番大切なのは豊臣家と口で言いながら、
いざ関ヶ原という段階で秀頼を
無理やりでも担ぎ出せない時点でダメ。

家康が譜代のほとんどと秀忠を別行動にしたのは
もし秀頼が出てきた場合には戦いにもならずに
自分が切腹して収めるしかないと考えていたから。
家康は最悪の事態になっても徳川を生き残らせる方法まで考えていたわけだ。
三成は泥水を啜ってないから乾坤一擲の博打しかうてない。
忍城の時も失敗した後のことは何も考えていない。
78.名無しさん:2017年09月12日 11:59 ID:AbDBbrQq0▼このコメントに返信
秀吉の威光や後ろ盾あってこそ生きる能力だったんだろうけど
大名が動き始めた秀吉没後は正直ただの1官僚がどうこうするには無理がある規模だろう
79.名無しさん:2017年09月12日 11:59 ID:iGM1vyqB0▼このコメントに返信
朝鮮の役は、明国を疲弊させ、女真族の統一を促し、豊臣政権の弱体化を招いた
80.名無しさん:2017年09月12日 12:02 ID:C56fQyBJ0▼このコメントに返信
「前田が上にいたら?」みたいに、人望あって豊臣一枚岩、加藤や福島、黒田なんか子飼い共が一緒だったら家康も仕掛けなかったかもだね
81.名無しさん:2017年09月12日 12:03 ID:iGM1vyqB0▼このコメントに返信
前田家は江戸時代になっても優遇されてるから人望はあったんだろうなあ
ちなみに東京大学は前田家と縁があるようだ
82.名無しさん:2017年09月12日 12:04 ID:C56fQyBJ0▼このコメントに返信
※63
島津「ついたけどクソだったわ」
83.名無しさん:2017年09月12日 12:10 ID:C56fQyBJ0▼このコメントに返信
※81
前田利家が病死と共に、武闘派ヤンキーどもが三成シバきにいったあたり
なんか人望あったんだろうな
84.名無しさん:2017年09月12日 12:13 ID:pWK0b1ki0▼このコメントに返信
※73
いうて家康につく予定が巻き込まれて西軍になちゃっただけの島津さん的には対して恩義感じてなかったんとちゃうかな
85.あっら~あくばる:2017年09月12日 12:15 ID:kaFqSuQf0▼このコメントに返信
「二番じゃダメなんですか!」な~んてヤツをトップに据えて勝てるわけがなかろう。
最近の政局が実に良い実例になってるぞ。

端から見れば有能に見えるのかもしれんが、
当事者になったらたまったもんじゃない。
86.名無しさん:2017年09月12日 12:16 ID:gzeog2Hw0▼このコメントに返信
※7
冬の大坂城内で三成と浅野長政が火鉢で暖を取っていると
家康が大坂城に都城してきたので「徳川殿が来たので頭巾を取れ」と言っても
無視したのでキレた浅野が頭巾をむしり取って火鉢にぶっこんだ
三成は素知らぬ顔でそのまま火に当たっていた

書かれたので江戸時代だから信憑性はどうかなってね
まぁ家康を日ごろから警戒していたからそうだったのではっていう

三成がトップだとダメだというけど
そもそも三成の上に秀頼がいる以上トップになりようがないんだよな
取って代わろうとかは当時から一言もいってないわけで
87.名無しさん:2017年09月12日 12:16 ID:2LqVi6kX0▼このコメントに返信
小早川秀秋=裏切りのイメージで語られてるけど、
豊臣家の秀秋の扱い見てると、まあそうやろな
としか思わない
88.名無しさん:2017年09月12日 12:17 ID:KQJbxEdm0▼このコメントに返信
三成みたいなんも必要や、天下取れへんかっただけで全てを否定するんが行き過ぎなだけやでんねん。
89.名無しさん:2017年09月12日 12:18 ID:mJZkkKdS0▼このコメントに返信
※61
お前、西郷はあんな穴蔵で自殺するようなタマじゃないだろ・・・・まあいいけどさ。

そもそも後世に伝えられてる事の80%以上は不正確
90.名無しさん:2017年09月12日 12:21 ID:gzeog2Hw0▼このコメントに返信
※83
その三成を守りに佐竹・立花・宇喜多が救援に駆けつけて
毛利も援軍にくる予定で出陣してるんだがな
なぜか三成は嫌われ者だったので孤立無援でしたみたいになってる
91.名無しさん:2017年09月12日 12:25 ID:mJZkkKdS0▼このコメントに返信
そもそも
源氏を自称する平家康が言いがかり付けて戦争始める時点で異常
小泉純一郎が日本中の商店街と小売業者を潰して楽天イオン朝鮮街にしたのに支持者が多い時点で異常
それを肯定する馬鹿共は日本鬼子
92.名無しさん:2017年09月12日 12:27 ID:OOL.sAQy0▼このコメントに返信
カリアゲの方が人望があるってことか?w
93.名無しさん:2017年09月12日 12:29 ID:PgZcYOOg0▼このコメントに返信
人気社長の汚れ仕事を一気に引き受け憎まれ役を買う
人情で管理職してたら精神がぶっ壊れるメンタルなので心を閉ざしてビジネスライク
無茶ぶり社長とアドレナリン吹きまくりの現場との折衝で精神屈折
尾張閥(百姓小倅の肉親コネ入社組)と近江閥(元浅井家有能子弟ヘッドハンティング組)の派閥争いの先端に押し出される
戦働き実績皆無のため社長がお膳立てした誰でも勝てる忍城攻撃の失態で現場で役立たずのレッテル
これで社長死後に実質本社No.1になっても支店長どもが言うこと聞くわけがねー
94.名無しさん:2017年09月12日 12:39 ID:aRlX37.L0▼このコメントに返信
細川忠興にも柿あげようとしてマジギレされたり何かと柿に縁がある武将だよね
95.名無しさん:2017年09月12日 12:59 ID:d0BEMuuw0▼このコメントに返信
豊臣コンツェルンの杓子定規な官僚だからね。
コンツェルンの運営には必要だが、独立企業から豊臣コンツェルンの傘下に入った社長たちをまとめるには力も魅力もなかったかな。
会社でいえば総務部長止まりだよ。
96.名無しさん:2017年09月12日 13:00 ID:C56fQyBJ0▼このコメントに返信
※87
まああの扱いだと、家康についてもしょうがないな
とは思う
97.名無しさん:2017年09月12日 13:08 ID:P93m9NFG0▼このコメントに返信
光成は淀の方に入れ込み過ぎて、北政所のご機嫌取ってなかったんじゃないかい。老いた尼さんごときと小馬鹿にしてたんじゃないかい。
ねねちゃんなら家康抑えるくらいお茶の子さいさいだろ、義理堅い武将連中なら寧々ちゃんには口答えも出来んはず。
家康が書信書いて一戦やりますが良いでしょうかと、お断り伺いしてたような。
98.名無しさん:2017年09月12日 13:08 ID:TItmEbLE0▼このコメントに返信
別に人望がないわけではない。位が低くて、若造なだけ。

つまり相手が家康なら、誰が相手でも、人望は無くなる。

三成のために、命を懸けて戦った人間も多い。

99.名無しさん:2017年09月12日 13:11 ID:2Iy1tbBo0▼このコメントに返信
一度は徳川方へ行きかけた大谷吉継が友情を優先して味方してくれたり、何処の大名からも引っ張りだこの島左近が家臣になってくれたりと意外に嫌われてはいないんだよな。結局三成が嫌われたのは朝鮮出兵の時の処理が原因だろう。何処の世界でも現場と後方の対立ってのは珍しくないが、それを徳川家康に巧みに利用されたって話じゃないか?
100.名無しさん:2017年09月12日 13:13 ID:xa08Jah30▼このコメントに返信
三成ではなくむしろ毛利が無能すぎたんだがな
利家がいなくなった時点で家康の狙いが明白なのに
三成方についても戦わないから大丈夫とかあるわけないのにね
101.名無しさん:2017年09月12日 13:15 ID:2xnF96hU0▼このコメントに返信
秀長が秀頼成人まで生きてたら関ヶ原はおろか豊臣政権は続いてただろうなぁ
102.名無しさん:2017年09月12日 13:18 ID:3xKi2SDn0▼このコメントに返信
勝者側も敗者側にも自分達を良く言い相手側を悪く言う奴がいるという現代でもある当たり前の話。
103.名無しさん:2017年09月12日 13:27 ID:EqQVpgpp0▼このコメントに返信
朝鮮帰りの連中は補給と戦功の件で全員三成殺すマンだっただろ
あと秀吉の威光あっての官僚に過ぎないってのを自分が自覚してなかったんだろうな
本人は豊臣家のために!って燃えてたんだろうが金で買った忠誠が長続きすると思う所も
ずいぶんお目出度いと思うよ
104.名無しさん:2017年09月12日 13:28 ID:gTnjZDXC0▼このコメントに返信
※83
一足飛びに大名になった武将たちが、
「領地経営が分からない! 年貢って一括で納めさせるの? 水争いって、どうやって仲裁するの!?」
と途方に暮れていると、ひと足先にその境地を経験した利家がアドバイスしたり、自分んとこの官僚系家臣を
「おまえにやる。大事にせいよ」
と分けてあげたりしたそうな。
105.名無しさん:2017年09月12日 13:35 ID:xFVlFWGM0▼このコメントに返信
石田三成って実際は西軍の首謀者でも何でもなかったんだろ? 実際は西軍に参加した只の一武将
それを徳川創作歴史で敗軍の将の汚名を着せられて、あげく性格が悪くて裏切られたなんて捏造されて…
死者に口なしの元祖みたいなモンだな
106.名無しさん:2017年09月12日 13:51 ID:d0BEMuuw0▼このコメントに返信
別に性格は悪くない。
ただ、管理系の人材が経営とか営業に関与しだして失敗しただけ。
107.名無しさん:2017年09月12日 13:52 ID:.ozf5KBf0▼このコメントに返信
「風雲児たち」によると、へいくわいもの だったからだとか。
108.名無しさん:2017年09月12日 14:08 ID:6veSNc7D0▼このコメントに返信
※98
だよな
109.名無しさん:2017年09月12日 14:59 ID:Ccq7tSDa0▼このコメントに返信
人望はあったろ
あったからこそ家康と対峙できるだけの軍勢が集まったんじゃねえか
三成のミスは武断派の連中をまとめて敵に回したこと
110.名無しさん:2017年09月12日 15:59 ID:DcsA1y9f0▼このコメントに返信
3で書かれてる桃の話だが、もし秀吉が食べてお腹壊した場合に、毛利家の誰かが腹切らないと収まらない話になってしまうから。と返すときに説明してるとなんかで見た気がする
111.名無しさん:2017年09月12日 16:23 ID:Cqhblfua0▼このコメントに返信
しかし、関ケ原の合戦では石田勢の働きは目覚ましく、西軍劣勢になったときもひるまず東軍に立ち向かい、主人三成を逃がしたと言われている。
そのため、関ケ原の合戦後、各大名は競って石田の遺臣を召し抱えようとしたと言われている。三成は同僚の大名たちとはうまく付き合えなかったようだが、家来たちの心はよくつかんでいたようだ。その点は光秀ともよく似ている。
112.名無しさん:2017年09月12日 16:38 ID:umYKY1F50▼このコメントに返信
前田利家はいわゆる将器って奴があったんだろうな、別に才能や知恵が働いたって感じはしない
でも三成が逆立ちしてもマネができなかったのがこの将器って奴なんだろう
113.名無しさん:2017年09月12日 16:48 ID:rqhj6f.U0▼このコメントに返信
いや根回しの問題だろ。
政治力がなかったってこと、それだけ。
114.名無しさん:2017年09月12日 17:29 ID:XGhM.LcS0▼このコメントに返信
道理や筋目だけじゃ人がついてこないんやろ、欲得があるもの
加藤剛が三成やってたドラマはDVDでみたけど
清潔感と堅苦しさがよく出ててすげえはまり役だったわ
115.名無しさん:2017年09月12日 17:49 ID:ODPjr2ha0▼このコメントに返信
武力もそれなりにで戦闘に参加したこともあるが殆どが兵站など後方業務だったので三成は他の大名から舐められていた
理解者が秀吉や大谷良継くらいしかいなかった
116.名無しさん:2017年09月12日 18:10 ID:euHUnb.i0▼このコメントに返信
※115
武力に関しては賤ヶ岳で同僚大谷吉継らと共に先駆け衆戦功(一番手柄)を立てているし、関ヶ原でも実際10倍近い東軍の攻勢を(敗れたとはいえ)半日以上持ちこたえるなど、難局でも粘り強い印象が強い。
彼は兵站の重要性を熟知し、秀吉の早期天下統一に大きく貢献している。文禄の役でも兵站の問題から戦線の縮小を提案し諸将を説得している。福島や加藤など豊臣恩顧の武将をも敵に回したとされることの多い彼だが、豊臣政権は室町幕府と同じく基盤が脆弱であり、中央集権派と地方派との争いが絶えない状態にあった。
特に秀吉政権後期は両者の経済面での領地(勢力)争いが激化していたので、一概に彼のみの性質のみに起因するとは言えないだろう。
ただ、機転を示すエピソードの殆どは創作であろう点に留意が必要(江戸時代は儒教の影響で功利主義が悪と見なされた為、そのような逸話は三成のものとされた可能性がある)。
117.名無しさん:2017年09月12日 19:57 ID:BWH8.ETL0▼このコメントに返信
忍城水攻めと朝鮮出兵、両方で武断派の(正当な)怒りを買ってるからな
この2件の三成はホンマ無能上司でクズ
118.名無しさん:2017年09月12日 20:14 ID:AJw0NXGb0▼このコメントに返信
なぜそんな嫌われるコミュ障から三杯の茶のエピソードが生まれたのか。

捏造?
119.名無しさん:2017年09月12日 20:56 ID:QEtkMsGA0▼このコメントに返信
※117
忍城は難攻不落の堅城だし水攻めは秀吉の指示
武断派の福島正則も韮山城を落とせてない
賤ヶ岳の戦いでも吉継と一緒に七本槍に次ぐ軍功を立てている
でもなぜか三成が戦下手とか言われてる
失望を買うなら福島の方だろう
大谷吉継・長束正家・真田昌幸・真田信繁 ・直江兼続・佐竹義宣 など
忍城攻めに関った武将は三成方に付いている点も見逃せない

朝鮮は武断派の勝手な振る舞いが多かったためだし
逆恨みで主家滅ぼして自分らも改易食らってんだから様はないよな
120.名無しさん:2017年09月12日 20:58 ID:loEFr1i.0▼このコメントに返信
頭が良すぎて、他人が馬鹿見え、空気読めなかった。
あと負けたからボロカスに書かれてる。

上司に人たらしの天才、超絶バランサーいて、ようやく機能する感じ。
121.名無しさん:2017年09月12日 21:19 ID:5QzSY.I10▼このコメントに返信
善政をしいて、領民には愛されたと聞くけどな

生まれた時代が江戸になってからなら、名君として名を残したのかもしれない
122.名無しさん:2017年09月12日 21:37 ID:FgX3YmK60▼このコメントに返信
官僚(奉行)だからさ。
豊臣家に対しての忠誠心が低下したら、その家来が優秀であろうと求心力は生まれんだろ。
それに豊臣家は武士のトップである「征夷大将軍」でもないし、世襲化した関白職の継承の仕方も疑念の残る過程をとった。
政治的な正当性が弱ければ「豊臣家恩顧」を背景にしたとしても、大名への影響力は低下するもんだろう。
123.名無しさん:2017年09月12日 22:29 ID:9853kPDH0▼このコメントに返信
正直、関ヶ原は秀頼さえ引っ張り出せれば戦にもならずに、
家康は責任とって切腹するしかなかったんだけどな。
家康もそれが判っていたから後継ぎの秀忠と子飼いの譜代のほとんどを
別行動にして自分は外様と一部の供回りだけで関ヶ原に布陣したわけだ。
秀頼が出馬した場合には外様のほとんどが自分の命令など聞かないだろうからな。
最悪自分が責任取らされて切腹しても、秀忠が参戦していなければ規模は縮小しても
徳川家が残ると考えていたんだろう。そこまで考えている家康に対して、
三成がしたのは只兵馬を整えて家康に戦で勝つという行動だけ。
負けるべくして負けたわけだ。
124.名無しさん:2017年09月12日 23:55 ID:o3sOSlzX0▼このコメントに返信
石田三成の最期を聞いて
家康「三成はさすがに大将の道を知るものだ。平宗盛などとは人間の出来が違う」
相対していた家康からの評価は意外なまでに高かった模様
125.名無しさん:2017年09月13日 00:22 ID:BF8pK7I30▼このコメントに返信
どちらも大義名分は逆臣の討伐、あとは

情と利で人を魅了した家康か
義で人を従わせようとした三成かの違い

人の本質を見抜いていた家康の器量が勝ったのは当然結果だろう。家康の偉大なところは、三成を将として遇し、10万の兵を集めて挙兵に及ぶのは気宇壮大と讃えた事だろう。
126.名無しさん:2017年09月13日 07:56 ID:mI4SHJSa0▼このコメントに返信
キリシタン
127.名無しさん:2017年09月13日 08:33 ID:DyNb.SCR0▼このコメントに返信
※121
善政をしていたので井伊直政があとに入ったけど
石田家を早く忘れるように佐和山城を石垣にいたるまで完全に破壊し
石田家の事績を抹殺した。なにがひこにゃんだ
石田村の人たちは石田家を敬慕し続け
井伊家に見つからないようにひっそりと祠を建てたり墓を建てたりして祀り続けた

※124
敵をほめたたえることは自分の度量を広く見せる効果もある
(例 司馬懿が諸葛亮を「彼こそ天下の奇才でる。
あの世でじっくりと語りあいたいものだ」と讃えた)
五大老筆頭の自分を向こうにして五分までもっていった手腕を讃えても不思議はない
128.名無しさん:2017年09月13日 10:03 ID:v.qWPh.d0▼このコメントに返信
組織の中で憎まれ役は、どうしても必要だけど
オーナーも自分の身内にはやらせたくないから、三成にやらせてたんだろう
まわりも分かってたけど、やっぱムカつくみたいなもんちゃうかな
129.名無しさん:2017年09月13日 10:40 ID:fpVfcfXV0▼このコメントに返信
秀吉のこの手の調整してたのは弟の秀長で、秀吉の全家禄の1割で敵の敗残武将の囲い込みとか
信長に呼び出されえたときの留守居役とか余り成り上がりの為に不人気な仕事を丁寧にこなしてたんで
家中で一目置かれたこの人に頼まれたらしゃーないなって思わざるを得ない立場にいたんだわ。
人事部長が秀長、兵站とかは子飼の官僚集団ってハッキリわかれてたんだけど、前者がコロっと大往生
してから豊臣家中はボロボロー、家格も必要な仕事をテクノクラートが行おうって時点で詰んでるんだよなw

秀吉が後継指定とその引継ぎの為の準備ができてなかったんじゃドウシヨウモナイんだけどな。
130.名無しさん:2017年09月14日 08:16 ID:ZIAbML8U0▼このコメントに返信
官僚だから不人気なのが当たり前(徳川だと本多親子とか)
諸葛亮みたいなのは例外中の例外
131.名無しさん:2017年09月14日 09:53 ID:Lua.9jJL0▼このコメントに返信
息子?の為に、秀次を粛清して秀秋は遠ざける。そりゃ絶対権力者の秀吉が生きていればなんとかなったけど、いなくなった時に格下で武将としてよりも官僚としての能力で成り上がった三成がしゃしゃり出れば嫌われるよ。
132.名無しさん:2017年09月14日 14:15 ID:2adPy.cf0▼このコメントに返信
優秀な事務方で、何より敵と味方をハッキリ線引きしすぎる人だったんだろうな。だから敵には憎まれたが、味方にはその頑なさも含めて愛された。(味方からすれば何があろうと絶対裏切らない男なわけで)
豊臣家と三成に恩のある津軽氏が、明治までずっと秀吉を祀る祠を建てて供養していた話と、三成の息子をかくまった話は豊臣ファンには涙無くしては語れないエピソード。

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