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2017年08月13日 09:05

豊臣秀吉の中国征服って成功してたんか?

豊臣秀吉の中国征服って成功してたんか?

hideyoshi

引用元:豊臣秀吉の中国征服って成功してたんか?
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1502550742/

1: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:12:22 ID:Qou
つか成功してたらこんな今ひもじい思いしないで大国ぶってオラオラできたのに悲しいンゴ

2: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:13:08 ID:97j
中国?

3: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:13:30 ID:Qou
>>2
韓国征服して中国まで行こうとしたやん

5: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:14:48 ID:i5w
まだまだ明には余力があったし無理やろ

7: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:16:25 ID:i5w
日本も中華化して終わり

9: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:17:39 ID:joL
>>7の言う通り明倒しても元や清のように中華化するで

16: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:20:57 ID:joL
民族も文化も違うのを無理矢理一緒にしても内乱が起きるだけやぞ
そもそも統一する必要ないやん

23: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:24:11 ID:eWV
そのまま大人しく沿海州あたり植民しとけばよかったんや

25: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:26:54 ID:Qou
当時の戦国時代の日本が世界最強クラスってのも嘘なんやろ?
まだ対外戦争まともにやったことなかったろうし

26: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:27:46 ID:eWV
>>25
銃の物量は世界一やで

28: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:28:19 ID:Qou
>>26
ファッ?!?!
凄すぎるやろマジか 世界最強なの間違いないやんけそしたら

40: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:46:10 ID:8YO
陸上ではかなり有利に戦ってたはず
理由は日本側が百年以上も戦闘ノウハウを磨いていた戦闘のプロ集団で装備も充実してた
一方、李氏朝鮮は文官が実権を握り武官を蔑ろに扱いそのせいで軍の練度士気が低かった

43: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:48:43 ID:Qou
>>40
微妙だった文禄の時の経験も合わさって、素の力とリサーチが合わさり敵なしだったんやろね
ほとんど制圧して明の本軍も完勝してるやんけ

なんでこれ撤退したんやっていう
国内急に実践チートの城まで作ってるやん

58: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:56:54 ID:8YO
>>43
秀吉が死んで引き上げが決まったんやで
派遣された大名も順次南下して引き上げようとした
それを好機と見た中国と朝鮮義勇軍がここぞばかり追撃したんやけど
結局は島津義弘率いる四千の軍に中朝連合軍二十万の軍を粉砕されてしまって撤退を許してしまうんや

61: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:58:06 ID:Qou
>>58

最初から最後までやる気のないのに撤退戦ですらぼろ勝ちしたとか、聞いとるだけでなんか気持ちええなwew

75: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:11:26 ID:8YO
>>61
他国の軍と非正規兵の混成軍なうえ二十万人もいたから戦術レベルの連携なんてとれなかったやろなぁ
しかも日本側の迅速な撤退を弱さと勘違いして勝ちにはやって油断しまくってたし

78: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:13:13 ID:Qou
>>75
なんかググったら正面衝突でも勝ちまくって韓国8道のほとんど征服したってあるやけど
水軍も向こうが陸で負けたらすぐ奪われないように自分で壊したから戦わなかったとかなんとか
しかも築城のレベルが日本高すぎて防衛は全勝だったとか

87: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:21:31 ID:8YO
>>78
正直、李氏朝鮮自体は敵じゃなかった
補給と寒さと士気不足が致命的
あのまま続けても局所的な戦闘で勝てても中国の土地と大人口に負けていたと思うわ

90: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:23:00 ID:Qou
>>87
まぁ確かに李氏朝鮮とか戦争すらまともにしてなかったろうし勝てて当然なんやろね
中国本国のモンゴル末裔部隊が来たら全滅してたんかもな

45: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:50:00 ID:2T7
秀吉死んだからやないの?

47: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:51:03 ID:Qou
>>45
遺言で続けろゆうたのにそれを反故にするくらいの理由があったんやないの?

48: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:52:00 ID:2T7
>>47
みんな乗り気やなかった

52: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:52:46 ID:ry8
>>47
みんな面倒やったのに続けてたら内政ヤバくなるんちゃうか?

71: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:04:41 ID:8YO
>>47
最初から秀吉以外はあまり乗り気じゃなかったし
派遣された大名の国が出費と働き手不足で困窮したせいで秀吉政権はかなり大名から反感を買ってた
さらに困窮した大名に高利で金貸したのもアカンかった

これ以上豊臣家から大名が離れないように速やかに撤退させる必要があった

73: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:06:12 ID:Qou
>>71
なるほどな
そらに秀吉もうすぐ死ぬのわかっとったもんな
秀吉いったらまた混乱するのにそん時自国が弱すぎたらやばいしな

49: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:52:20 ID:joL
徳川も出兵反対派やっけ

54: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:53:32 ID:2T7
>>49
徳川自体出兵してないしね

55: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:54:17 ID:NmF
ってか多すぎる武士の削減的な意味合いだってあったやろ
大きな戦なくなって不良武士が大量にいたからガス抜きで他国攻めたんちゃうんか?

56: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:55:36 ID:JIB
>>55
いや、あれは完全に秀吉の中国果ては天竺までの支配の意志

59: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:57:15 ID:NmF
>>56
そんな意思があったら自分も攻めるやろ
参勤交代的な意味合いあったんちゃうか?

63: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:59:26 ID:2T7
>>59
自分も行ったら反乱起こされちゃうかもしれないから

64: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:59:32 ID:JIB
>>59
そのうち行くつもりやったんやで
戦況+体調悪化で結局行けなかったけど

62: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:58:37 ID:NmF
何が凄いって朝鮮軍は一応善戦してた李舜臣を自分たちで更迭しとるからな

んで、今になって英雄扱いとかひどすぎる

65: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)00:59:58 ID:Qou
>>62
こういうの聞くと本当文官と武官のバランスって大事なんやなあと思う
文官と仲良くしてないと結局国を滅ぼすんやね

66: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:00:48 ID:NmF
>>65
まぁそれは豊臣政権も同じやからな
どっちかっていうと武官が身を引かないといかんのやで

76: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:11:34 ID:NmF
織田信長が天下統一してても朝鮮出兵したんやろか

77: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:11:52 ID:Qou
当時の日本軍が大陸やったら世界席巻してたと思うと悲しいの

79: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:13:16 ID:NmF
>>77
多分無理やで
世界席巻するには騎馬戦得意じゃないと…
日本人はほぼ徒歩兵やから

81: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:15:43 ID:Qou
>>79
あれ騎馬隊おるでしょ?
武田とか
中国大返しだって馬使いまくったってあるし腐るほどいたんやないの?

83: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:18:50 ID:2T7
>>81
日本の馬は小さいから騎馬戦を大陸の騎馬としても勝てない

86: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:20:24 ID:Qou
>>83
馬のデカさできまんのかよ
まぁモンゴル末裔相手に騎馬戦挑むのは100%無理だよねって話ならまだわかるが

97: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:28:34 ID:62O
>>83
というか中東系の馬じゃなければ元の馬もそこまで大きくないで

80: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:14:09 ID:eWV
日本の強さは日本の地形と状況だからこそできた強さやで
大陸はこうはいかん

81: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:15:43 ID:Qou
>>80
でも銃の生産世界一ってさっき誰かいったやん

91: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:24:25 ID:3tR
まあええとこを上げるとするなら
日本式城郭は世界でも通用するシステムやったとわかったくらいやろか

121: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:46:52 ID:3tR
まあ世界征服するつもりはさらさら無かったってのが現実よね

結局山がちな地形で内輪揉めに特化してたわけやし
このせいで近代以降苦労するんやけど

124: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)01:48:17 ID:Qou
>>121
これがおしすぎる

171: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:17:19 ID:YYC
まあとりあえず秀吉ちゃんはちうごく征服しようとしてたところあの世にいったからこの話は結論が延々に出ない

178: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:20:10 ID:Qou
>>171
一応、統一の可能性はあっても、その後すぐ内乱で分裂するよねって話になった

180: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:21:20 ID:YYC
>>178
歴史にifはないけどその結論でええと思う

184: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:22:53 ID:Qou
>>180
終始やる気ないうえに、撤退中に背後から来た20万の軍勢を4千で完封したりしたのは最高に気持ちええなって感想も出て気持ちよく納得したンゴ

188: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:24:09 ID:NmF
>>184
20万つっても7割方義勇兵という名の漁師やろ

173: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:18:13 ID:NmF
近代史はスレ違いやからあれやけど、結論として秀吉の大陸制覇はどう転んだって無理やで
指揮系統もバラバラやし、士気も低いし、補給もままならん

178: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:20:10 ID:Qou
>>173
指揮系統バラバラかぁ
それに本軍のモンゴル末裔はやばそうやしな

177: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:19:38 ID:ysq
朝鮮出兵はどう考えても補給がもたんわ

181: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:21:41 ID:62O
>>177
朝鮮単体なら行けたんちゃうかな

183: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:22:42 ID:ysq
>>181
まともに外洋にもでれない船しかもってないから無理やで
海越えての補給は蒸気機関発明まで待たな無理や

189: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:24:14 ID:Qou
>>183
でも李氏朝鮮は釜山落とされた時点で自軍の船全部沈めたから、正直補給以外に負ける要素はなかったらしいな

193: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:25:17 ID:NmF
>>189
補給以外にって…
日本は補給で毎回破れてるのにこの楽観

198: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:26:59 ID:Qou
>>193
あっ....愚者は学ばない、反省ンゴ

196: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:25:45 ID:ysq
>>189
そもそも帆船まして和船の積載量なんかうんこなんよ
どんだけピストンしても10万規模の軍隊を機械なしで補給するのは無理や

200: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:27:08 ID:62O
>>196
基本その当時の対外戦て現地で奪うからイケイケの時はそこまで心配いらんで

201: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:27:42 ID:ysq
>>200
そうして元は負けてましたね……

204: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:28:39 ID:Qou
>>201

現地調達をあてにしたのはあと牟田六の野郎もいましたね
現地調達考える奴は愚将!

207: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:30:51 ID:62O
>>204
当時はそこまでおかしくはないで
だから焦土戦術なんて言うものもあるし

208: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:32:39 ID:Qou
>>207
蒋介石が日本に対してやってたやつか
逃げまくった挙句途中の街は徹底的に破壊したとか

182: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:22:11 ID:YYC
補給は間に合わないけど軍資金は潤沢だからなあ
もう少し時間かけてたらわからないなあ
あと五年早くいったらあったかもしれんね、拠点作れるし

185: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:23:08 ID:3tR
まあ日本の全盛期は明侵攻のときやなくて
1900年代のアレやから、あのとき出来ないならむりやわ

187: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:24:01 ID:YYC
個人的に戦国時代の日本を国として一括りにするのも無理あると思うで、士気がないってのはそこよ

192: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:25:10 ID:SSc
ノッブの場合あの最後だからこそ伝説になったんだろうしな
あそこで死なんで晩節を汚しとったら今程の人気はないと思うわ

203: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:28:26 ID:ysq
というか朝鮮ですら補給怪しいのに中国とか無理やろ

210: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:32:52 ID:ysq
というか現地調達でなんとかなるのなんかたかが知れるねん
結局中国までとなれば長期駐留は必須やし
挑戦半島は土地が痩せてるからあんま宛にならん
となれば陸路も海路も録に整備なしで食料火薬武器揃えるにはそうとうな部隊が必要になるわ

212: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:35:46 ID:Qou
>>210
その間国内も大変だしなぁ
領土も分割されちゃうし

218: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:40:54 ID:ry8
>>210
つか補給を考えんから早い進軍ができて一気に勝てたって事やないんかなぁ

221: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:42:38 ID:ysq
>>218
ww2の日本が完全再現してますね

227: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:44:21 ID:ry8
>>221
ほんまやね
戦線維持できんなっとるのに縮小もできんでジリ貧のスッカラカンって誰がアホやったんや

228: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:45:50 ID:1Yy
>>227
陸軍「戦況が辛くなって来たな...せや!ソロモン、ニューギニアから兵を撤退させたろ!」

海軍「駄目です」

陸軍「」

230: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:47:03 ID:Qou
>>228
腐敗だよね
斉の楽毅とか趙の李牧みたいな
くだらない喧嘩で国を滅ぼすいい例やわ

234: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:48:51 ID:62O
>>230
いまだにかわってないけどな
個々の利益の最大化が一番ていうのは日本のお家芸みたいなもんやで

231: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:47:13 ID:ry8
>>228
なんで今村中将みたいにみんな畑作らんかったんや?

232: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:47:54 ID:Qou
>>231
なんか作る段階ですでに体力がなかったらしいな
赤痢とか病も蔓延してて

235: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)02:48:56 ID:1Yy
>>231
その陣地を今日維持できるかも怪しいのに畑なんて作れないやろ

比較的安定してる中国じゃ作ってるけどな

238: 名無しさん@おーぷん 2017/08/13(日)03:55:12 ID:nAe
まぁ、大国に戦争仕掛けようとするあたり戦闘民族ですわ

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2017年08月13日 09:07 ID:lU4qCy5P0▼このコメントに返信
韓国にすら勝てなかったのに中国に勝てる訳がない
2.名無しさん:2017年08月13日 09:13 ID:Sn4K82910▼このコメントに返信
しかしまぁ、農民出の一歩兵から100年以上続いた戦乱の世を治めて天下人に、さらに他国まで侵略するなんてヤバすぎでしょ
マジで秀吉って化物だな
3.名無しさん:2017年08月13日 09:14 ID:oOesPtNx0▼このコメントに返信
不毛の土地の朝鮮など誰も欲しくなかったから、やる気がなくなって撤退
4.名無しさん:2017年08月13日 09:17 ID:71GOS9lx0▼このコメントに返信
中国言うから日本の中国地方かと思ったわ
5.名無しさん:2017年08月13日 09:17 ID:oaRDfCT.0▼このコメントに返信
万が一連戦連勝が続いたとして
明を倒して大喜びしてる最中に清に滅ぼされてたと思う
6.名無しさん:2017年08月13日 09:26 ID:J5twHYdc0▼このコメントに返信
600人の侍でカンボジアの守備隊並みの戦闘力

※1 朝鮮に負けてもいねーだろ!調子に乗るな万年敗戦国のチョ ン猿
7.名無しさん:2017年08月13日 09:29 ID:xBcsfQy.0▼このコメントに返信
朝鮮は明の手足ぐらいの役だろ。
小西某がやらかさなかったら如何にか成ってたかもな。
8.名無しさん:2017年08月13日 09:32 ID:raIoqAf50▼このコメントに返信
野戦で勝つ戦力はあっても土地を制圧する兵力はない
沿岸部の主要都市だけつまみ食い位が限界
9.名無しさん:2017年08月13日 09:32 ID:Rl92wdEz0▼このコメントに返信
>>76
GETEN2やろうぜ! 対明どころじゃなくて世界征服までやるけどww
10.名無しさん:2017年08月13日 09:36 ID:qRuddBXX0▼このコメントに返信
当時の明帝国の首都は北京
北京は非常に攻めやすい土地
天津に陸兵を揚陸すれば100キロちょいで北京
秀吉の手で北京の占領まではかなりの高確率でやれたと思う
問題はそこから先
11.名無しさん:2017年08月13日 09:39 ID:HNdZaItr0▼このコメントに返信
※1
韓国や中国なんて国はあの時代には存在せんぞアホタレ
あと朝鮮や明には負けどころか連戦連勝
見返りが薄くやる気がなくなったから勝手に撤退しただけ
12.名無しさん:2017年08月13日 09:39 ID:VQvSSrbu0▼このコメントに返信
小西行長さんホンマ無能

※1
朝鮮なんてボッコボコだったし、秀吉が生きてたらお前ら終わってたで
スレでも言われてる通り論点は明であって朝鮮なんて眼中にない
13.名無しさん:2017年08月13日 09:40 ID:t89tGmNn0▼このコメントに返信
とにかく通信技術の限界があるよな

今でこそ海底ケーブルや人工衛星があって、インターネットを介して海外との通信も余裕だが、
当時の技術の範囲で日本が朝鮮を統治するとなると想像を絶する
陸地ならともかく、海だからな

親日政権を立てるのがせいぜいだと思う
14.名無しさん:2017年08月13日 09:42 ID:ePHAorEK0▼このコメントに返信
※9
朝鮮で中国の主力部隊は壊滅してるよ
対中国の前哨戦じゃなく、実質朝鮮が舞台の日中戦争だったから
これが遠因で40年後に明は滅亡する

※13
その遥か昔に朝鮮に日本府置いて余裕で統治してたぞw
15.コロンブス:2017年08月13日 09:43 ID:h7PaC9Bu0▼このコメントに返信
この件に関しては学ぶことは結構多かった。
日本は負けて撤退したと思っていたが、撤退戦がないということは、負けていないということの証拠であり、
勝手に攻めて、勝手に帰ったというイメージが現実に即していると今は思っている。

大陸派兵を考えるならば、朝鮮半島を押さえるだけなら、支那と対峙しても、防御は不可能ではなく意味がないことはないが
出費も多く、元を取るのは難しい。

特に異民族を自国内に抱え込むことは国益に即さない。
こういう判断からやめた。ということだろう。

16.古古米:2017年08月13日 09:45 ID:mblcnTtG0▼このコメントに返信
各大名が朝鮮から撤退するときに、焦土作戦を行って一ッ子一人として残さなければ、子孫の我々が苦しまなくて済んだのに。
17.名無しさん:2017年08月13日 09:46 ID:FOnXyGV30▼このコメントに返信
上の者が下に直接声かけたり一緒に飯食ったりしてた島津だけ士気を維持してたんよね
18.※14:2017年08月13日 09:47 ID:ePHAorEK0▼このコメントに返信
※9じゃなくて※7だった
19.名無しさん:2017年08月13日 09:55 ID:kVF8MCUQ0▼このコメントに返信
兵の多寡や戦略戦術云々をいくら語ったところで
日本は兵站って概念をまるで学習出来てないから結局敗北する

秀吉から数世紀経っても学べないとか…
20.名無しさん:2017年08月13日 09:55 ID:IhXp4GZQ0▼このコメントに返信
※10
南京から、北京に遷都したばかりだからなぁ
ってか何で陸路で行ったのかねぇ?
挑戦に駐屯するのかと思えば、そうじゃないし

あの時代は、すでに航路も確立してて
苦もなく、大陸には行けただろうに
21.名無しさん:2017年08月13日 09:55 ID:Tplt90ls0▼このコメントに返信
兵士揃えるのに苦労している島津の書簡とか降伏した日本の武将について明側の記述も残っているみたい。
22.名無しさん:2017年08月13日 09:57 ID:SZPZQUCo0▼このコメントに返信
李舜臣も接近戦じゃ相手にならないから地理の差や船の違いに合わせて遠距離で消耗させたりと考えて頑張ってたのに
無理な作戦に無理と言ったら罪人として更迭されて100隻以上はあった船が作戦強行されたせいで負けて10隻以下になってからやっぱり指揮官いないからと呼び戻されたらまた戦えと言われたり味方に邪魔されすぎな割とかわいそうな人
23.名無しさん:2017年08月13日 09:57 ID:vLHOF3NS0▼このコメントに返信
これって秀吉が唐と貿易しようとしたことが発端じゃなかったっけ?
朝鮮をその仲介というか、通り道にしようとした

ところが朝鮮との話し合いで担当者が嘘だらけの報告して
話し合いがにっちもさっちも行かなくなったんで、サクーっと朝鮮を道に変えたろっていう進出というか
24.名無しさん:2017年08月13日 09:57 ID:HNdZaItr0▼このコメントに返信
※19
はい馬鹿発見
兵站効率を重視したから朝鮮北部の防衛作戦から朝鮮南部での迎撃作戦に変更したんだよ
25.名無しさん:2017年08月13日 09:59 ID:IhXp4GZQ0▼このコメントに返信
※19
単純に陸海軍が仲悪かっただけで
兵站は、基本的にはキチンとやってるよ(やろうとしていた)
海軍が役に立たないから、陸軍で潜水艦狩り用の空母作ったりね

インパール作戦みたいな、最終手段は別として
26.名無しさん:2017年08月13日 09:59 ID:Kz4q3od90▼このコメントに返信
成功してない
戦略目標を達成出来たか?という意味では明の勝ち
ただ、明も秀吉の暴走のお陰で国家の屋台骨が二三本吹き飛ばされて
その後の滅亡の遠因になってるからね
勝者の居ない戦争というのが正しい。日本側はあまり損害らしい損害出してないし
損害は馬鹿にならんとはいえ珍しく対外戦争勝てたんだから明も殊更に宣伝すりゃあいいのに、まあそこで判断誤ったってのはもう明自体がオワコンだったんだろうな

※16
日本は基本的に内戦しか経験してないから、焦土戦をやるという発想自体が無い
異民族は海という巨大な堀でシャットアウトされるからね
27.名無しさん:2017年08月13日 09:59 ID:6y3wVLbL0▼このコメントに返信
>当時の戦国時代の日本が世界最強クラスってのも嘘なんやろ?

当時20万動員できたの日本と明とオスマントルコしかなかったからな。
同時期スペインとイギリスが戦ってるけどスペインがイギリス上陸しようと国中かき集めて3万程度。
イギリスもスペインが上陸してくるって言うんで防衛に民間人かき集めて7万がやっと。
そもそもヨーロッパが団結してオスマントルコと戦えてたぐらい。

あとヨーロッパは傭兵多いし国のために命をかけて戦う奴なんて少ない。
よく中世ヨーロッパの戦闘シーンで危なくなったら降伏して身代金払って助かるシーンあるでしょ。
日本だったら首が恩賞になって殺されるから死に物狂いで戦うけど降伏して身代金払えば助かるなんてぬるい戦場のヨーロッパとはそういうところも違った。
28.名無しさん:2017年08月13日 10:00 ID:df8y8MrU0▼このコメントに返信
何いってんだろうね?
この1は?
400年前の話が成功してたら今、大国ぶっていられるとか?
その間なんも起こらないとか、たかが…そうね小田原とか関ヶ原を考えてみるに20万しか動員能力無いのに中国押さえきれるワケないでしょ?
今、中国が13億だろ?半分が男で6億5千
兵隊に出来るのが2世代として精々2億
たった2億で世界押さえきれるワケないじゃん
そういう妄想と同じよ
何?
そういう妄想持ってるの?
やたら秀吉出すのはそっち方面しかないが同じ話だから
29.名無しさん:2017年08月13日 10:01 ID:6y3wVLbL0▼このコメントに返信
※19
日本下げしたいのかわからんけど君はナポレオンのロシア、エジプト遠征知らないのかな?
銀河英雄伝説のアムリッツァの元ネタにもなって牟田口レベルのこと2回やってるんだけど知らなかった?
30.名無しさん:2017年08月13日 10:02 ID:Z7GQlmsy0▼このコメントに返信
李朝軍も明軍も敵ではないが、朝鮮の異常な貧しさが、大名たちの領土獲得欲を駆り立てなかったってのが有る。
元々気候に差がある上に、日本で言えば飛鳥時代以前の農業技術、灌漑用水どころか街道の公費整備すら行わずに役人の懐に消えるではな。

仮に秀吉が長生きしてたら最低でも39度線(38度ではない)辺りまでは獲得してたから、天下統一で生じた余剰戦闘員たちに国持ち大名の夢を見させて半島経由で大陸に送り込むかも。
キリシタン大名も軒並み送られそうだな。
31.名無しさん:2017年08月13日 10:06 ID:IhXp4GZQ0▼このコメントに返信
※28
>そういう妄想持ってるの?
>やたら秀吉出すのはそっち方面しかないが同じ話だから

日本史(主に安土桃山時代)が好きな人は
世界史知らないから、妄想しかできないだろ...
別にそこまで詳しくなくたって良いんだけど、本当に知らないからな
スペインが奴隷貿易初めて、まずいと思って唐入りとか本気で語ってる
あの時代は、ポルトガルがまだ幅きかせてて、スペインは宣教師くらいしか居ないのに
32.名無しさん:2017年08月13日 10:07 ID:Hk1FiwLo0▼このコメントに返信
「朝鮮があそこまで焦土戦術取るとは思っていなかった」なんて話を聞いたな。
ましてや明じゃなあ、縦深陣のさらなる焦土戦術でぺんぺん草も生えない
荒れた土地になるのは目に見えてる、そんな土地いらんし。
33.名無しさん:2017年08月13日 10:08 ID:xWBtU3GJ0▼このコメントに返信
都を制圧するところまでは頑張ればいけてただろうけど、
そのあと自国の10倍の人民を統治しないといけないんだろ。
途中で撤退してくれて良かったよ。
戦利品だけもらって支配者の責任は負わない。最善の結末になった。
34.名無しさん:2017年08月13日 10:08 ID:M..jDgCc0▼このコメントに返信
>>218
伝説レベルの時代の話だけど
項羽がやったんじゃなかったっけ。背水の陣のアレで
35.名無しさん:2017年08月13日 10:08 ID:DQVZRfjs0▼このコメントに返信
>> 121
>> 近代以降苦労するんやけど
日本人以外の人間が聞いたらぶち切れるレベルで自己が客観視できてないカキコだなw Meiji Restorationの外から見たときのインパクト舐めすぎ。

まぁ、秀吉が色んな意味で健康で正常ならば制服は可能だった、しかし統治はムリだっただろうというのが一番妥当な線だろ。戦術やら軍備は問題無いし、大砲なんて当時の日本の冶金技術ならコピれば終わりだからな。でも外征の経験が少なすぎて異国統治が判ってなかったからどうにもならん。朝鮮すら統治できなかった手腕で多様な明本土を治められるわけない。現地人の傀儡立てて民を慰撫する(騙す)という基本中の基本すらできてないからな。
36.名無しさん:2017年08月13日 10:10 ID:9ASPFCwF0▼このコメントに返信
日本の戦力自体は強いのに大陸に侵攻する時に限って行き当たりばったりな戦略なのは何故なのだ!?
37.名無しさん:2017年08月13日 10:11 ID:s4u.mACo0▼このコメントに返信
大河でも、反乱抑止の意味合いもあるって言ってたな
戦争は終わったら終わったでめんどくさいんやなぁって
38.名無しさん:2017年08月13日 10:12 ID:Kz4q3od90▼このコメントに返信
※36
大陸国家の常識を知らんかった
日本の常識は世界の非常識、これがすべて
39.名無しさん:2017年08月13日 10:13 ID:Q9eO8JcE0▼このコメントに返信
不毛の地を攻めろ言われても、やる気出ないよ
補給以前の問題
40.名無しさん:2017年08月13日 10:15 ID:ZF.xJwEb0▼このコメントに返信
大陸には素晴らしいものが沢山有ると夢見ていたが実際に朝鮮行って何も無かった
しかも住んでいるのは未開人ばかり、がっかり感は半端なかったろう
41.名無しさん:2017年08月13日 10:15 ID:xWBtU3GJ0▼このコメントに返信
※36
大陸の地理や風土に無知だから。
日本人の常識で考えて、朝鮮人や中国人の思考パターンを全く理解してない。

それは今も同じだろ?
こっちが謝れば向こうも引いてくれる。21世紀までこの戦術で外交やってたんだよ。
崩壊するのわかってる中国に新出する日本企業に比べたら秀吉のほうがまだ現実見えてるだろ。
42.名無しさん:2017年08月13日 10:16 ID:MdEQ4HjN0▼このコメントに返信
日明戦争が日本の敗北ってのなら、同じ理由で撤退したモンゴルの欧州侵攻はモンゴルの敗北って事になるが
まあ、そもそも華南位しかまともな土地が無いから、侵攻しても旨み無いから遅かれ早かれ撤退してただろうな、無駄だし
43.下流老人:2017年08月13日 10:24 ID:yXZCQ3qG0▼このコメントに返信
当時の兵站は現地調達が常識だが、当時の朝鮮半島では貧しすぎてむずかしい。
このように、他国を侵攻するという意識が欠如している。
早い話が現地調査が不十分、いわゆる孫子にいうところの敵を知らなすぎたネ。
44.名無しさん:2017年08月13日 10:29 ID:.ODFbfnw0▼このコメントに返信
当時は既に欧州の列強による侵略、植民地の大ブームだったのでそれらに対しての牽制もあったのではないかなぁ
日本史じゃ鉄砲教えてくれて金平糖くれる親切なおじちゃん達だけど世界史をみりゃ当時のスペインやポルトガルは相当えげつない訳だしね
45.名無しさん:2017年08月13日 10:32 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※44
牽制でなんでスペイン領フィリピンと真逆(北)の朝鮮半島攻めてるんですかね・・・
46.名無しさん:2017年08月13日 10:32 ID:IT9W.5IX0▼このコメントに返信
撤退してる時点で失敗やん
47.名無しさん:2017年08月13日 10:32 ID:xWBtU3GJ0▼このコメントに返信
※43
気づいた時点で引き返してるんだからえらいよ。
事前調査には限界がある。
やってみて想像と違う部分があるのも当たり前。実戦はそういうもん。
問題は気づいたときに止まれるか。秀吉軍はそれができた。
48.名無しさん:2017年08月13日 10:34 ID:Zg.3qQ7S0▼このコメントに返信
軍事力的に朝鮮南部までは長期領有できたと思うけど、そもそも国防のためでもないし完全な異国をもらって大名らがうれしいかどうか
開発や支配で大変だと思うかもしれない 要するに戦争動機はないし大義もない
49.名無しさん:2017年08月13日 10:34 ID:cI5bzsu40▼このコメントに返信
X 斉の楽毅
◯ 燕の楽毅 
50.名無しさん:2017年08月13日 10:36 ID:Kz4q3od90▼このコメントに返信
※45
先生、それ牽制球じゃなくてデッドボールです
51.名無しさん:2017年08月13日 10:37 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※47
>問題は気づいたときに止まれるか。秀吉軍はそれができた。
2回目(慶長の役)やる必要あったん?
52.名無しさん:2017年08月13日 10:37 ID:Zg.3qQ7S0▼このコメントに返信
※42
モンゴルはたしかに東欧支配は中断したが、征西してから支配領域をものすごい拡大してるんで少しも同じじゃないと思う
53.名無しさん:2017年08月13日 10:37 ID:PvPY5PoZ0▼このコメントに返信
朝鮮出兵は戦術的に見たら失敗だけど、戦略(政略)的には成功なんだよ。

背景には肥大化した戦国大名の軍事力削減という目的があったのだから。
刀狩りなどと同じ系統の政策。
54.名無しさん:2017年08月13日 10:39 ID:.ODFbfnw0▼このコメントに返信
※45
直接スペインと事を構える事が牽制にはならないからじゃん
すでに近場なんて半島と明くらいしかまともに独立を保っている国なんてなかったんだし
55.コロンブス:2017年08月13日 10:42 ID:h7PaC9Bu0▼このコメントに返信
※53
多分案外本質かもね。
豊臣政権が中央集権化と郡県制的な政治システムを構築しようとしていたのは本当なので。
石田三成が嫌われたというのは、この意味を理解できない同僚が多かったということなのでは。
56.名無しさん:2017年08月13日 10:43 ID:Y.vRCr1s0▼このコメントに返信
確か李氏朝鮮との戦いは3か月ぐらいでソウル陥落させて終わったはず。
その後の明との戦いが補給が続かず、最終的に撤退したとかそういう話だった気がする。
57.名無しさん:2017年08月13日 10:43 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※54
それって真の敵を目の前にしての仲間割れの図式になるんじゃ?
仮にスペインがアジアを狙っていたとすれば日本と明・朝鮮が互いに争ってくれるのが一番侵略に都合がいいし
58.名無しさん:2017年08月13日 10:43 ID:MdEQ4HjN0▼このコメントに返信
※52
どう見ても同じだろ
どっちだって勝ってた戦争で支配者死去で撤退した
現実を見ずに印象で語るのは良くないぞ
59.名無しさん:2017年08月13日 10:45 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※54
>すでに近場なんて半島と明くらいしかまともに独立を保っている国なんてなかったんだし
むしろ朝鮮出兵当時にアジアでスペインの植民地だったのってフィリピンのゼブ島とかルソン近辺だけだったんですが
60.名無しさん:2017年08月13日 10:45 ID:NGqkFzW10▼このコメントに返信
※28
そりゃ直後にホンタイジが明滅ぼして清建国しちゃうからだと思う、、、
アレキサンダー大王でもそ~なんだけど、啓蒙思想広まるまでは
既存の現地統治システムの上層階層温存すれば簡単に大国支配できた時代ではあるのよ、、、

ただ当時の秀吉政権は国内でも厳しい税取り立て進めてたので統治は不可能(一揆不可避)だったろうねぇ
朝鮮占領地も(飢饉なのに)減税せずに朝鮮政府そのままの税率で課税してるし
61.名無しさん:2017年08月13日 10:46 ID:IhXp4GZQ0▼このコメントに返信
※54
まだ中継貿易が中心で、植民地化なんてしてないぞ
その中での力関係ってのはあったとは思うけど
スペインがフィリピンをポルトガルから奪ったのだって
ヌエバエスパーニャ(メキシコ帝国)から銀を運んで
東南アジアの香辛料や、中国の陶器等の貿易の中継地として出し

植民地化されるから、牽制なんてのはのちの歴史を知ってるから言えるだけのこと
62.名無しさん:2017年08月13日 10:48 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※53
>朝鮮出兵は戦術的に見たら失敗だけど、戦略(政略)的には成功なんだよ。
>背景には肥大化した戦国大名の軍事力削減という目的があったのだから。

この戦略ってのは誰視点なのか? なんだよね
日本っていう国家の擬人化概念ならともかく、秀吉からすれば朝鮮→明を手に入れられなかったから失敗だし
戦後も"豊臣家"は朝鮮出兵後の三成とか武断派の対立が一因になって亡びちゃったわけだし
63.名無しさん:2017年08月13日 10:49 ID:6y3wVLbL0▼このコメントに返信
※43
>早い話が現地調査が不十分、いわゆる孫子にいうところの敵を知らなすぎたネ。

孫子愛読してたナポレオン。孫子大好きだったナポレオンは兵站さぞ重視してたんだろうね^^

ロシア遠征 50万動員。持ち運びしやすい缶詰あったけど兵站切れて生還率1%、生きて帰れたの5000人
49万5千人兵站失敗して消した名将ナポレオン

エジプト遠征 5万動因 兵站に失敗し敗色濃厚になると自分だけさっさとトンズラ。置き去りにされた1万5千人は補給が途絶えても戦い続けたが最後には降伏。お前は牟田口かナポレオンw
64.名無しさん:2017年08月13日 10:50 ID:Zg.3qQ7S0▼このコメントに返信
※58
モンゴルは本国から征西して東欧l近辺まで勢力を伸ばした
つまり勢力範囲は大幅拡大してる
だけど秀吉軍は完全撤退なんで支配領域が少しも延びてない
一部ではなく全体を見て俺は言ってる
65.名無しさん:2017年08月13日 10:52 ID:UPHk.Syq0▼このコメントに返信
あの頃の朝鮮は中国の一地方みたいなもんやで
日本も朝鮮の土地には興味が無くて(土地が痩せていて作物が育たないから)ただの通り道
通り過ぎる時に邪魔するから排除しただけ
66.名無しさん:2017年08月13日 10:54 ID:xWBtU3GJ0▼このコメントに返信
※62
秀吉個人の主観なんて、それ以外の全員にとって無意味なもんじゃね。
67.名無しさん:2017年08月13日 10:56 ID:xWBtU3GJ0▼このコメントに返信
※64
1ヘクタールも手に入れたい領土がなかったんだから仕方ない。
68.名無しさん:2017年08月13日 10:58 ID:oV2J4hTZ0▼このコメントに返信
出兵当初は半島を所領としてもらおうと思ってたのもいっぱいいたみたいだけど、
とんでもなく貧しい土地だったので出費に見合わないので出兵した連中も固執しなかったらしいな。
69.名無しさん:2017年08月13日 11:00 ID:qRuddBXX0▼このコメントに返信
※65
これから明帝国に攻め込むので我が国に寝返れ、って秀吉は李朝に通告しただけで、朝鮮に攻め入るって発想じゃなかったんだよね
李朝は秀吉を侮り、かといって明帝国に忠誠を尽くすわけでなし、結局中途半端な状態で秀吉に攻められた

そして女真族が明帝国を滅ぼそうとすると速攻で裏切ってる
秀吉を撃退してもらった恩があったのに

70.名無しさん:2017年08月13日 11:00 ID:Zu0DLX6E0▼このコメントに返信
※56
3ヶ月どころか釜山上陸~漢城(ソウル)制圧まで1ヶ月足らず。
むしろ侵攻が早すぎて補給線ボロボロよ。
71.名無しさん:2017年08月13日 11:00 ID:Zg.3qQ7S0▼このコメントに返信
北京近辺 満州 朝鮮半島 日本の当時の東北地方や北陸 どれが一番いい土地だろうか
異国異人支配の苦労分をのぞいてね
米を主に生産するには北京まで行っても貧しい土地なんじゃないのかね
72.名無しさん:2017年08月13日 11:06 ID:xBcsfQy.0▼このコメントに返信
まぁ、九州武将最恐って事だよ。
73.名無しさん:2017年08月13日 11:06 ID:stU66kFR0▼このコメントに返信
大砲もないのに山海関をどうやって突破するつもりだ
60年に渡る清と明(南明含む)の戦争で何千万人死んだか知ってて言ってんのか本スレの連中は
20万ぽっちの遠征軍程度でどうにかできるわけがない
74.名無しさん:2017年08月13日 11:09 ID:.ODFbfnw0▼このコメントに返信
※59
そりゃ明がでかかったし今の地図で国名を出せばそれだけかもしれんが
海岸線なんか完全に欧州列強の支配下に置かれていたぞ
※61
システマチックに植民地を運営するのはまだ先としても先住民を排して略奪搾取による
支配は行われている訳だ。当時の秀吉はじめ諸侯がそれらを気にも留めないってのもなんか変だなと思うだけだよ
75.名無しさん:2017年08月13日 11:10 ID:M06m813p0▼このコメントに返信
『明史』 320巻 朝鮮伝
自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息。

七年にわたる朝鮮の倭乱によって、兵数十万と糜餉(戦費)数百万を失い、
中国と属国(朝鮮)に勝算はなかったが、関白(秀吉)の死により戦禍は終息に向かった。

明の国書で秀吉が死んで明は助かったと総評してるし、
秀吉があと10年生きてたらどうなってたかね
あと国書によれば朝鮮は属国だった
76.名無しさん:2017年08月13日 11:10 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
食糧摘発もできない朝鮮半島を抜いて荒地の満州を経て山海関(万里の長城)まで20万の軍勢を送り込むことは出来ないし
万里の長城の辺りまで至ると、逆に明軍は本土に近くなるから補給&兵力が整えられるしで明を落とすのは無理ゲー
77.名無しさん:2017年08月13日 11:11 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※74
>海岸線なんか完全に欧州列強の支配下に置かれていたぞ
これはないわ
78.名無しさん:2017年08月13日 11:11 ID:LiaguvWX0▼このコメントに返信
.
日本の上層部の何がアホかって、
300年後にまた補給軽視で負けるんだよ。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
マジこれだわ。
79.名無しさん:2017年08月13日 11:13 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※74
>当時の秀吉はじめ諸侯がそれらを気にも留めないってのもなんか変だなと思うだけだよ

他の記事でもあったけど、これこそ後世の史観(欧州列強のやったことを知ってる)であって
当時の日本人大名によるそれらについての言及記録がない以上
歴史小説のネタならともかく史学としては単なる想像にすぎないのよ
80.名無しさん:2017年08月13日 11:14 ID:stU66kFR0▼このコメントに返信
※75
明史を編纂したのは明じゃなくて清やぞ
自分とこの正当性誇張するために前の政権ボロクソに貶すのは古今東西どこでもあること
81.名無しさん:2017年08月13日 11:14 ID:Zg.3qQ7S0▼このコメントに返信
当時の朝鮮半島って推定石高でいえばどのくらいだろうか
約1200万石くらいという話もあるようではあるが、信憑性はどうかはしらない
82.名無しさん:2017年08月13日 11:15 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※75
>明の国書で秀吉が死んで明は助かったと総評してるし、

中国の正史って次の王朝が書くんです。
んなので明史で明軍が弱かったと書いたのは清王朝だよ
83.名無しさん:2017年08月13日 11:15 ID:YPxWivDN0▼このコメントに返信
秀吉よりちょっと前の政権の三好がこれそっくりな崩壊の仕方してるんだよな
四国を本拠としてて海を渡って畿内を支配
嫡男を亡くして長慶死亡後に畿内の支配権を失ったのち細川含めた内紛で織田の横槍と長曾我部が漁夫の利得て崩壊
四国を日本本土、畿内を中国に置き換えるともし中国をある程度支配できても結局は内紛で崩壊したと思うわ
84.名無しさん:2017年08月13日 11:16 ID:T6Kocddn0▼このコメントに返信
中国なんて何度も外敵にヤられとるのに戦国武将じゃダメなんか
85.名無しさん:2017年08月13日 11:19 ID:gzbnVxVX0▼このコメントに返信
①天使の値打ち。
 正直で働き者で強要も整い文盲率も低い、宗教や主君に殉じる気概を持つ国と国民を治めたのに、何が悲しゅうて、嘘つきで身勝手ですぐ裏切り、怠けてばかりで非衛生、交渉もまともにできない組織の、生産性が悪い他国からの侵略も受けやすい国の天子を兼ねる。どう考えても格が下がる。
②各将軍は領主だったから、手柄をあげたら、「朝鮮半島に200万石を与える」その代わり日本の領地は返せとなる。いやだ。頑張れない。
あんなに生産性の悪い、怠け者の嘘つき領民は欲しくない。
86.名無しさん:2017年08月13日 11:26 ID:stU66kFR0▼このコメントに返信
※84
その外敵がことごとく当時の世界最強国ばかりな件について
英雄が率いた時の遊牧民族の強さはガチ
87.名無しさん:2017年08月13日 11:28 ID:Zg.3qQ7S0▼このコメントに返信
※85
ごもっともですが関白殿下の考えは違った(たぶん)
88.名無しさん:2017年08月13日 11:30 ID:Usr2I.2j0▼このコメントに返信
してたんか?って結果を知らないのかよ。日本人なら全員学校で習って知ってるぞ。歴史を歪曲して隠ぺいしてる国家は秀吉が悪人だと言ってそれ以上は知らないかもしれないがな。資料が残ってて研究もされてて、国民はそれを個人で好きなように評価すればいいけど。結果は結果だからね。成功していないという結果が出てるのにそれを聞く必要はない。お前が言うべきは「すべきだったか」だろうな。もちろんその日本語の意味の違いを理解できればだが。
89.名無しさん:2017年08月13日 11:35 ID:gzbnVxVX0▼このコメントに返信
※76
支那の民族性や戦い方は孫子などを読めば明白。
将軍が打ち取られ、幾度も援軍を送っても帰らない。そして戦線が首都に近ずいてきた。
普通の支那人はもう逃げる体制になる。
要塞の前で喚声をあげたら、町は空になる。
そういう時に黒田あたりが、「鬼神のごとき東海の主が銃という神具を持って征伐に来ている」などという噂を流し、
越(ベトナム)や女真族にも呼びかければ、もっと気楽に征伐できただろう。
一番の間違いは天竺や支那がもうちょっとましな国だと思っていたこと。
昨今の日本もやった。日本程度に教養や常識があると思っていたら大きな間違いだった。
ある意味、欧米のように、「お前たちはキリスト信者か?」と言って、ただ右往左往するだけなら動物と同じで、捕まえてアメリカに売ればいいという当時の常識は、あながち無茶でもなかったのかと思う。
90.コロンブス:2017年08月13日 11:44 ID:h7PaC9Bu0▼このコメントに返信
※81
当時の日本に近いようだが、こんなことはあり得ない。
半島全体で三分の一行かないぐらいだろう。
91.名無しさん:2017年08月13日 11:44 ID:lDZ9dikv0▼このコメントに返信
半島の貧しさが失敗の要因なんだよなあ
92.名無しさん:2017年08月13日 11:45 ID:RAZMBycb0▼このコメントに返信
日本側の武将や兵にモチベーション与えられて、秀吉が長生きしたら可能だったかもね。
93.名無しさん:2017年08月13日 11:47 ID:Wu8LiOKR0▼このコメントに返信
北伐は死亡フラグ、戦線が伸びれば兵站や調略難しくなり、文禄・慶長の役当時は半島は超ド不作。
94.名無しさん:2017年08月13日 11:54 ID:LW0RzsaQ0▼このコメントに返信
秀吉死んでなかったら朝鮮半島領有までは行ってたやろな
それが続くかは置いといて
後金がすぐ北に控えてるしね
95.名無しさん:2017年08月13日 11:54 ID:issNk9FY0▼このコメントに返信
※17
96.名無しさん:2017年08月13日 11:55 ID:stU66kFR0▼このコメントに返信
※89
流石に妄想が過ぎる
実際問題明の国境に接することすらできなかったのに何を言ってるのか
越(ベトナム)や女真族にも呼びかければってどう呼びかけるつもりだ
この手の連中って日中戦争で日本が負けたことも頑なに認めようとしないけど本当に頭が痛くなるわ
97.名無しさん:2017年08月13日 11:56 ID:YKfV5w5q0▼このコメントに返信
※78
今の企業でもそうだけど、ロジスティクス軽視の精神論じゃ勝てるもんも勝てんわな。
98.名無しさん:2017年08月13日 11:58 ID:BJNUrbbS0▼このコメントに返信
局地戦ではいいせんいくだろうが、結局補給がつずかないので無理無理。
99.名無しさん:2017年08月13日 12:00 ID:BJNUrbbS0▼このコメントに返信
追加:当時の秀吉主力軍は寒冷地仕様でないので、北伐はなおさら無理。
100.名無しさん:2017年08月13日 12:01 ID:issNk9FY0▼このコメントに返信
※17
総大将は防長2州を分家された毛利秀元やで
101.名無しさん:2017年08月13日 12:02 ID:Zu0DLX6E0▼このコメントに返信
※90
当時の朝鮮の人口がおそらく600万人くらいだから、石高もその程度はあったんじゃね?
検地もしてない1200万が盛りすぎだとしても、1/3はやや過小評価かと。
ま、米もろくに作ってない土地での石高が、指標としてどれほどの意味を持つかと言えば微妙だが。
102.名無しさん:2017年08月13日 12:04 ID:YufZPhDJ0▼このコメントに返信
日本人は昔から占領統治というのは同化政策だと思ってるから無理
満州族が漢土を統治できたのは支配者として君臨はしても礼節や祖霊信仰といった伝統的な教義は変えずむしろ漢族に合わせたからこそ
103.名無しさん:2017年08月13日 12:07 ID:GXvVEacL0▼このコメントに返信
※26
対日戦争で勝利したと宣伝できないほど泗川で島津にボコボコにされたからじゃない?
うる覚えだけど万歴帝も島津の首が無いと終戦を納得できないとかで家臣が偽物を用意して皇帝の前で処刑させた
らしいし。
104.名無しさん:2017年08月13日 12:08 ID:lI4fho9T0▼このコメントに返信
結局、李将軍は名将だったの? 昔の軍事革命史の本で、日本敗戦の要因を
1 亀甲船が暴れた
2 日本水軍の練度と士気
としてたんだけどもさ。最新の味方だと李将軍の評価ってどうなんかね。そもそも李氏朝鮮には負けてないって見解?
105.名無しさん:2017年08月13日 12:11 ID:2vn0ywMB0▼このコメントに返信
清ですらヌルハチが国境の城に敗死させられて20年落とせなかったのに
ジャップ秀吉は何歳まで生きるつもりだったんや?

やせた朝鮮の土地で餓死してどうぞー
106.名無しさん:2017年08月13日 12:18 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
たった20年じゃん。
日本国内でも10年とかざらだし。
107.名無しさん:2017年08月13日 12:20 ID:M06m813p0▼このコメントに返信
※80
※82
明史の資料的価値は『公平であり、よく考えられ大事な点は詳細に述べてあり、いまだこれほどの正史はない」
と言われるほど高評価されてるんだよ
108.名無しさん:2017年08月13日 12:25 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
支那の国史は、記録自体は、当時の王朝のもの使うからな。
それだけで歪曲の歯止めにはなっている。
109.名無しさん:2017年08月13日 12:25 ID:XZ6VqWWI0▼このコメントに返信
勘違いしている人多いが明滅ぼしたのは清ではなく順だから
110.名無しさん:2017年08月13日 12:40 ID:Zu0DLX6E0▼このコメントに返信
※104
1. 亀甲船は眉唾物だが、戦船の戦闘能力が朝鮮>日本だったのは確か
2. そもそも海戦の戦術が異なるから、単純に士気や練度では比較できず
李舜臣は他がgdgdすぎて(元均とか)過大評価されてるが、名将ではあったといえる。
少なくとも日本軍が全羅道に攻め入れなかったのは李舜臣の功績大だし。
勝敗については、局地戦はさておき基本は膠着状態だから何とも…
111.名無しさん:2017年08月13日 12:55 ID:6y3wVLbL0▼このコメントに返信
※80
そうでもない。
史記など漢に都合の悪いことも書いてるしちゃんと各地の資料集めて公正に編集してる。
三国志正史も別に前王朝ぼろ糞書いてない。
112.名無しさん:2017年08月13日 13:02 ID:2vn0ywMB0▼このコメントに返信
日本書紀、古事記ですら矛盾だらけの土人歴史書と同列に考えたらイカンよ。
ましてや平気でゴッドハンドするジャップは論外
113.名無しさん:2017年08月13日 13:05 ID:BcaFigVo0▼このコメントに返信
中国攻めは惜しいとこまで行った。
織田信長が主として羽柴秀吉に命じておこなった、毛利輝元の勢力圏である日本の山陰・山陽に対する進攻戦である。中国征伐とも称する。いくさは足かけ6年にもおよび、天正10年6月4日に講和するまで続いたが、その2日前、同月2日に本能寺の変にて信長は横死して、そのまま未完に終わった。 by Wikipedia
114.名無しさん:2017年08月13日 13:08 ID:FeXwoMjE0▼このコメントに返信
李舜臣率いる朝鮮水軍さえなかったら。、
中国の征服した、と思う。
115.113:2017年08月13日 13:10 ID:BcaFigVo0▼このコメントに返信
※113
編集中におくっちまっただ。惜しいのは信長がおっちんだことだわな。秀吉的には中国攻めは上手く行ってる。
スレ主は毛利攻略の中国攻めと混同したんじゃないかな。
116.名無しさん:2017年08月13日 13:13 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
>李舜臣率いる朝鮮水軍さえなかったら。、

どんどん上陸して、内陸に拠点作ってるんだけど…w
実際、兵站で困ったということもなかったということだし。
117.名無しさん:2017年08月13日 13:15 ID:N8SgUw6R0▼このコメントに返信
忠臣や功臣をないがしろにする国って先行き暗いよね。
これは何も中朝だけのことじゃなくて日本も猛将を飼っておけない度量の狭い国。
明日の我が身でなければいいが。
118.名無しさん:2017年08月13日 13:21 ID:IhXp4GZQ0▼このコメントに返信
※110
全羅道そもそも海から攻めてんの?
対馬から釜山ルートで進行して、うまく行ってるのにるのに、何で全羅道なの?
李舜臣どうこうではなくて
119.名無しさん:2017年08月13日 13:22 ID:6y3wVLbL0▼このコメントに返信
※116
そもそもこの時代に自国領からの輸送メインで侵略してた国なんて無いんだけどな。
ほとんどは攻めてるところで現地調達。略奪ではなくちゃんと買い集める輜重兵もいた。
桶狭間の今川の兵力のうち1/5ぐらいは輜重兵だったとも言われてる。
貧乏だった朝鮮では現地調達もままならずそれができなかっただけ。
120.名無しさん:2017年08月13日 13:22 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
ノルマンディーにしても上陸作戦って難易度高いだよな。元寇にしてもここでまず失敗している。
でも秀吉の朝鮮征伐の場合、ここをあっさりクリアして、内陸にバンバン拠点作ってる。
それ考えたら、秀吉の死後も作戦継続したら、華北ぐらいはぶんどれたんじゃないかね。
わずか6年って、日本でも本願寺すら落とせんわ。
121.名無しさん:2017年08月13日 13:25 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
大体、清正が満洲まで威力偵察に行ってるのに、いまさら全裸道はねーだろw
122.名無しさん:2017年08月13日 13:29 ID:IhXp4GZQ0▼このコメントに返信
※120
作戦継続したら、後金(女真)と、二正面作戦だから
かなり厳しいんじゃないかな、華北は
123.名無しさん:2017年08月13日 13:31 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※122
一旦同盟を組むと言う手もあるだろ。
124.名無しさん:2017年08月13日 13:36 ID:0hLYBvHf0▼このコメントに返信
※116
歴史学者の意見です。
李舜臣がなければ、中国の征服も可能だった。
125.名無しさん:2017年08月13日 13:36 ID:HHVhR0aw0▼このコメントに返信
当時の半島は土地として魅力なし?
126.名無しさん:2017年08月13日 13:38 ID:B42QP.AG0▼このコメントに返信
理解できないのが、
本来、信長や秀吉に滅ぼされた側の諸勢力関係者が、むしろ逆に豊臣政権に最後まで殉じていること。
明清演義でも同様のことが起こっているが、あれは理解できない。
127.名無しさん:2017年08月13日 13:39 ID:6y3wVLbL0▼このコメントに返信
※122
動因兵力6万足らずの後金などたいとたことない。
なんで後金があんなあっさり華北制圧しちゃったかというと
李自成による乱で明滅亡、「順」を建国。国境の要害山海関で清の侵入を阻んでいた明の呉三桂たちが清に降伏、
呉三桂の手引きによって要害山海関を戦うことなく突破して雪崩れ込み政治的に空白となった中国ほぼ全土を無抵抗で清が手に入れたような形だったからなんよ。。
128.名無しさん:2017年08月13日 13:41 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※124
朝鮮人の歴史学者なんて鼻糞の価値もないよ。

そもそも島津に釣り野伏せに引っかかってあっさり死んでるんだよ。
秀吉の死後も後継者が戦争継続していたら、どうする気だよ。
この時点で李舜臣の存在が歴史の流れに何の寄与もしていないことわかるはずだが。
129.名無しさん:2017年08月13日 13:46 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
日本軍も要害山海関を突破できないんじゃ
130.名無しさん:2017年08月13日 13:49 ID:VldKYm010▼このコメントに返信
同時期の新大陸方面への植民のように、あるいは中東でも20世紀に入っても為されたように、現地の住民を駆逐して植民というようなことをしていない。

これは中華も同じで、基本的に住民の文化や宗教には無頓着。

韓国建国時、北朝鮮建設時のようなのが本来の聖書的国家建設になる。

マルクス・レーニン・共産主義も聖書の落とし子。
131.名無しさん:2017年08月13日 13:53 ID:B42QP.AG0▼このコメントに返信
結局、秀吉もそう目論み、明側でもそれに応じていたように、講和によって今現在の韓国側に諸大名が居着き、各々が国を経営する以上には出なかった。

例外はキリシタン諸大名で。

彼等は李承晩のようなことをやったかもしれない。
132.名無しさん:2017年08月13日 13:54 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※129
朝鮮半島を完全制圧すれば海路からの同時進行も可能だから。
そもそも半島と支那本土とのメインストリートは満洲原野じゃなく海路だし。
黄海なんて日本海よりはるかに容易に渡ることができる。
133.名無しさん:2017年08月13日 13:55 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※128
島津にやられて死んだのは日本軍の撤退時だし
秀吉の後継者が~というifを持ち出されてもなー

李舜臣が戦争中に何の影響も与えなかったという主張にそれは意味ないだろー
134.名無しさん:2017年08月13日 13:56 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※132
>朝鮮半島を完全制圧すれば海路からの同時進行も可能だから。
これがさっさとできたらよかったね
135.名無しさん:2017年08月13日 13:56 ID:VldKYm010▼このコメントに返信
十年経たずに関ヶ原が起こったことを考えると、韓国側に国をもった諸大名も、並べて明側に戦力もろとも帰服していたろう。

そうなれば、明の滅亡はなかったかもしれない。
136.名無しさん:2017年08月13日 13:56 ID:6y3wVLbL0▼このコメントに返信
※129
秀吉の代じゃ無理だけど秀頼の代でも続けてればいずれ李自成による乱で明滅亡、「順」を建国。国境の要害山海関で清の侵入を阻んでいた明の呉三桂たちが日本に降伏してそのままとんとん拍子で行くんじゃねーのw

本願寺と10年戦い続けた日本軍の根気強さなら待てるよ。
川中島で対陣200日、秀吉の三木城包囲2年とか日本人の根気強さは半端無い。
明も万暦の三征でガタガタだったからな。

とりあえずここのサイト李自成知らない、明滅ぼしたの後金でヌルハチ一代でやったと勘違いしてる人多そう。
137.名無しさん:2017年08月13日 13:58 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※136
それは 秀吉以外の大名が朝鮮出兵継続に乗り気だったら という大きなIFが必要になるのが前提だしなー

なんで史実の秀吉死後の日本人は朝鮮から撤退しちゃったの? 根気強さがなかったの?て話になる
138.名無しさん:2017年08月13日 14:01 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
太平洋戦争スレでたまに目にする
「日本を壊滅させようとしていたルーズベルト大統領が死ぬまで粘ったから日本は生き残れた→日本はよく頑張った(負けてない)」
みたいに
「朝鮮出兵を主導していた秀吉が死ぬまで粘ったから朝鮮は生き残れた→朝鮮は良く頑張った(負けてない)」みたいな持ち上げも出来ちゃうんじゃないかと
(実際韓国人はそう思ってそう)
139.名無しさん:2017年08月13日 14:02 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※133
もし影響があったというなら、李舜臣が死んだのを好機に日本は戦争継続していただろw
和約破りで大義名分も立つしな。
それをしなかったというのは、要するに戦略的に何の存在価値もなかったということだよ。
戦術的に局地的な小さな勝利拾っただけ。
あくまで朝鮮征伐は日本の都合で始まって日本の都合で終わったただそれだけということ。
140.名無しさん:2017年08月13日 14:02 ID:9Nka.Pks0▼このコメントに返信
「豊臣秀吉の朝鮮出兵の真実を、日本人として知って置くべき!」
という記事をあるブログで読んだが、真偽はともかく非常に興味深く
思いました。
141.名無しさん:2017年08月13日 14:04 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※139
>もし影響があったというなら、李舜臣が死んだのを好機に日本は戦争継続していただろw
なんでそんなに李舜臣1人の存在感だけを問題にしてるのかわからんわ
142.名無しさん:2017年08月13日 14:07 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※140
真実の話なのに真偽は別にいいのか(困惑)
143.名無しさん:2017年08月13日 14:07 ID:HiEptX4J0▼このコメントに返信
※125
日本人の価値観だと米が作れるかどうかが当時の価値観で重要視されてたから
品種とかの問題で朝鮮半島だと作れないから魅力なかったらしいで
現在だと北朝鮮の辺りにレアアースとかウランとかあるからそこそこ鉱物資源あるけどな

強いて言うなら白磁器とか青磁器を作る陶芸職人が一番の戦利品だったらしい
陶芸職人も日本に連れて来られて本国の待遇よりもだいぶ大切に扱われたから日本にそのまま居着いたしな
144.名無しさん:2017年08月13日 14:07 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※141
それは
>李舜臣がなければ、中国の征服も可能だった。

こんなこと言ってる奴がいるからですw
145.名無しさん:2017年08月13日 14:08 ID:zSQqc7k00▼このコメントに返信
※73 ※76 ※105

日本が北方騎馬民族だとでも思ってるのかな?
壁の内側に上陸できる日本は山海関を苦労して突破する必要はない。
どれだけ立派な壁があろうと、相手によっては無用の長物だよ。
146.名無しさん:2017年08月13日 14:11 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※143
まぁ、
>日本人の価値観だと米が作れるかどうかが当時の価値観で重要視されてたから

これが固まったの江戸時代だけどね。
なにせ大名の家格付けをこれでやるようになったから。
戦国時代はそうでもない。豊臣家自体の石高もさほどだし。
147.名無しさん:2017年08月13日 14:12 ID:gzbnVxVX0▼このコメントに返信
※96
討論するには結論を述べてからその説明が必要だよ。
否定して理由がないというのは、半島の人の論法。
「慰安婦を強制連行した証拠が見つからない」
「慰安婦は強制連行された。私が証拠だ」
148.名無しさん:2017年08月13日 14:15 ID:9Nka.Pks0▼このコメントに返信
※142
ですよね。すいません。
149.名無しさん:2017年08月13日 14:16 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
つか、朝鮮半島を支那への通り道に使うってことの意味理解していない奴多くね?
あそこは古代からもっぱら海路が中心だぞ。
たいした航海技術なくても沿岸伝いに華北まで行けるからな。
150.名無しさん:2017年08月13日 14:21 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※145
なんで最初から明に海路で上陸しなかったの?て話に
151.名無しさん:2017年08月13日 14:28 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※150
渡海の難易度が全く違うだろ。
しかも、半島放置して、明攻めてたら、背後を属国に衝かれるだろうに。
少し頭使えば阿呆でもわかると思うんだが。
152.名無しさん:2017年08月13日 14:33 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※151
で、実際にそのための半島を制圧できなかったわけだ

半島制圧後から明本国への上陸をするためには
・朝鮮半島を維持しておくための朝鮮半島にいる日本軍への補給
・明本国に上陸した日本軍への補給 が必要になるわけで非現実的だ
153.名無しさん:2017年08月13日 14:40 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※152
実際、一旦制圧してるんだけど。それを日本騙して撤退させたから、慶長の役が始まったわけで。
おかげで日本の攻めもより過酷になったそうだけどなw

あと、日本側は兵站で失敗したと言う記録はない。石田三成はじめ豊臣家の奉行衆はこのあたりは優秀。
154.名無しさん:2017年08月13日 14:42 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※153
>実際、一旦制圧してるんだけど。それを日本騙して撤退させたから、慶長の役が始まったわけで。
>おかげで日本の攻めもより過酷になったそうだけどなw

で、結局 明上陸のための半島制圧はできなかったわけだ
兵站で失敗せずに半島を制圧できなかったのはどうして? 強くなかったから?
155.名無しさん:2017年08月13日 14:43 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※153
>あと、日本側は兵站で失敗したと言う記録はない。石田三成はじめ豊臣家の奉行衆はこのあたりは優秀。
慶長の役では半島北部から引き上げて(撤退して)南部に引いてたからね

こんな具合で何年たったら明上陸のための朝鮮半島全体制圧ができてたんだろうね
156.名無しさん:2017年08月13日 14:46 ID:gzbnVxVX0▼このコメントに返信
※146
太閤は検地を実施した。
禄高による兵員動員数という把握があったため、織豊時代は実に精密に調査していた。
家の格付けは徳川の所業。
豊臣の家禄は230万石程度で蝦夷の家康の250万石より低い。
しかし全国の金山銀山を直轄し、輸出入を管轄しており、1隻の行き来での実額を禄高に例えて管理していた。
その実質経済力は1200万石くらいだろう?
慶長と文禄の役は豊家が国庫を空にして実施した。
まあ、失業対策でもあった。
いろいろな行政実態が蝦夷の田舎侍により300年引き戻されたというべきだろう。
157.名無しさん:2017年08月13日 14:49 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
文禄の役と慶長の役で豊臣家が国庫が空になったのなら史実以上に何年も遠征を続けるのは不可能だった
→勝ち目はなかった ってことなんかな
158.名無しさん:2017年08月13日 14:50 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※155
何年? 為政者がやる気なら10年でも20年でも別に継続すればいい。
日本国内での戦いでもそれが普通。信長ですら稲葉山城で10年、本願寺で10年だよ。

でも、文禄の役や慶長の役での講和破り考えたら、日本側は根切りに方針転換するであろうこと容易に想像つくけどね。
そうなりゃ一気に時間短縮だよ。
159.名無しさん:2017年08月13日 14:52 ID:2aRuDvPx0▼このコメントに返信
これって未来の日本軍の姿なんだよな…
身の程知らずにも中国侵略を手始めに世界征服作戦。
どちらも返り討ちw
その後、韓国と徳川により豊臣帝国は崩壊、アメリカ、韓国により大日本帝国も崩壊!
歴史はくりかえすのだよ!
160.名無しさん:2017年08月13日 14:56 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※158
>為政者がやる気なら10年でも20年でも別に継続すればいい。

でやる気のあった秀吉は別に早死を望んでいたわけでもないのに不本意に死んでしまったわけだ。
どうやったら次の為政者にやる気を出させるか みたいなIFのアイデアはあるの?

史実の三成や家康にしてもあのまま続けても勝ち目も続けようもないから撤退したんであって
俺はそれを全うな判断だと評価してるけど

>日本側は根切りに方針転換するであろうこと容易に想像つくけどね。
>そうなりゃ一気に時間短縮だよ。
現時住民の反感を買ってゲリラを増やしてますます補給が困難になりそうなプランで
何をどうやったら時間短縮できるのやら
161.名無しさん:2017年08月13日 14:57 ID:6y3wVLbL0▼このコメントに返信
※73
6万の後金軍に戦わず降伏して素通りさせちゃったけどね^^
明が勝手に滅亡してくれて棚からボタもちだったから突破できたのにいばってんじゃねーよw
162.名無しさん:2017年08月13日 14:59 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
三成「殿下が死んで秀頼さまも幼いけど○○の理由で朝鮮出兵は続けるぞ!続けたほうが豊臣家のためだ!」とか

家康「秀吉が死んで実質わしが日本の指導者だけど○○の理由で朝鮮出兵は続けるぞ!そのほうが我が徳川家のためだ!」

みたいな○○のアイデアって俺の頭じゃ思い浮かばねーわ
163.名無しさん:2017年08月13日 15:00 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※160
>史実の三成や家康にしてもあのまま続けても勝ち目も続けようもないから撤退したんであって

ソースは?


>現時住民の反感を買ってゲリラを増やしてますます補給が困難になりそうなプランで
何をどうやったら時間短縮できるのやら

朝鮮人が武力や権力に対して果敢に抵抗するとでもw
実際、モンゴル都市殲滅することで領土増やしているんだけどね。
現実認識甘いよ。
164.名無しさん:2017年08月13日 15:01 ID:.kfnpEmx0▼このコメントに返信
まず当時の装備で白頭山を越えるのが物凄く大変。
絶対何割かは遭難したり凍死したりする。
冬は猛吹雪と極寒、春はぬかるみ。進むのはほとんど決死の作業。
あっちは日本とは気候がまるで違うのでこの天然の要塞を突破するのが関門になる。
そこまでして乗り越えても明が待ってるわけで、よっぽどの覚悟がないとやってらんない。ていうか無理。
165.名無しさん:2017年08月13日 15:02 ID:gzbnVxVX0▼このコメントに返信
※153
文禄の役は唐入りが目的だった。
慶長の役では「朝鮮人を始末して来い」
だった。戦の目的が違う。
日本の武士に品性下劣な下衆で卑怯なうそつきは居ない。
唐も朝鮮も同じだと思っていたら、いろいろ我慢ならないことが分かった。
まず、太閤は京都や大坂では上下水道とし尿処理を完備して町を作った。
一方北京や朝鮮諸都市ではフランスと同じでトイレがなく、表の通りに放り投げる状態だった。
川の上流でむつきを洗い、その下流で食事を仕込んでいた。
こういうのは日本人の感性では、牛馬と変わらない。衛生観念がないことはもっとも文化的でないと感じている。
高松城の水責めでは、毛利の一党が城主として赴任したが、城兵の助命を条件に白の明け渡しと自らの首を差し出した。
戦をする相手は対等と認め、その名誉も重んじた。これは国際法に準じる考え方だ。
しかし、支那朝鮮にはそういった感覚は無い。
実際に黄海開戦では、北海海軍の将、丁汝昌は敗戦後に身を処したが、自国兵員の略奪にあっており、北京へ遺体を輸送するのに現地の漁船を使うほどだった。
日本側が接収した商船を差し向けた。
それくらい日本では下劣とされ、倫理上許されないことがかの民族では公然と行われているんだ。
近くにそういった下劣な民族や国家があることに嫌悪しただろう。
166.名無しさん:2017年08月13日 15:02 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※163
>朝鮮人が武力や権力に対して果敢に抵抗するとでもw
で、朝鮮半島は制圧できましたか?

>ソースは?
逆に聞くけどどうして秀吉死後の日本は撤退しちゃったと考えてる?

秀吉と違って"為政者だけどやる気がなかった"から?
167.名無しさん:2017年08月13日 15:10 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※166
文禄の役で1月足らずで制圧してますが。自ら撤退しただけ。
慶長の役は明軍が本格参入してきたからだろ。

逆に聞くけどって、質問を質問で返すなよ、阿呆。
まずソース出せや。
168.名無しさん:2017年08月13日 15:12 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※167
>文禄の役で1月足らずで制圧してますが。自ら撤退しただけ。
はえーどうして撤退しちゃったのかな? 半島を制圧しておかないと明に上陸できないのにね?

>慶長の役は明軍が本格参入してきたからだろ。
明軍が参戦しなかったら日本は勝ててたんだ! といいたいのかな?
どこまで都合のいい甘ったれた主張なんだか

>逆に聞くけどって、質問を質問で返すなよ、阿呆。
俺の書いた理由以外の事情があるのかな?
どうして三成や家康ら残された指導者たちは"続ければ勝てていた朝鮮出兵"から撤退しちゃったの?
169.名無しさん:2017年08月13日 15:14 ID:gzbnVxVX0▼このコメントに返信
※157
空になったは比喩だよ。名古屋城を官軍が接収した時に、金の分銅がたくさん出て来た。小判でも、大判でもない分銅だ。
大坂城が夏の陣で落城したあと、金蔵を接収していざという時の軍資金に御三家(蝦夷、紀州、尾張)に分配したらしい。
実質1200万石あれば、継戦できる。諸大名に持ち出しを強要する必要もあまりない。
170.名無しさん:2017年08月13日 15:14 ID:3AnH.OUN0▼このコメントに返信
明は中国じゃない。
171.名無しさん:2017年08月13日 15:14 ID:p5N.c.eM0▼このコメントに返信
秀吉自身にビジョンが無い。欲が器を上回って、借り物の物差しで天下統一を果たしたのであのザマ。
朝鮮半島に侵攻する前に、既に政権の足元に火が付いている。
172.名無しさん:2017年08月13日 15:14 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
"撤退しなくてあのまま日本軍が出兵を続けていたら勝てていた" というのなら
三成や家康ら 日本の指導者たちは"みすみす勝機を逃した阿呆な人等だった" わけだ
173.名無しさん:2017年08月13日 15:18 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
逆に"続けていたら勝ててたけど日本にとって利益より損の方が大きいから撤退した"というのなら
それ以前にそんな出兵をした 豊臣秀吉という日本の指導者は馬鹿だった ということになる
174.名無しさん:2017年08月13日 15:19 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※168
>はえーどうして撤退しちゃったのかな? 半島を制圧しておかないと明に上陸できないのにね?

もうさ、おまえ歴史の知識まるでないだろ。それか朝鮮ファンタジー史観に染まってるか。

まず俺の要求したソースだせよ。それが筋だろ。それすらできないんじゃ低脳すぎて付き合い切れんから。
ま、※150でつこっまれてカッとなって引っ込みつかなくなったんだろうけどよ。
175.名無しさん:2017年08月13日 15:21 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※174
>はえーどうして撤退しちゃったのかな? 半島を制圧しておかないと明に上陸できないのにね?
これに答えられないんだったら俺もソース出さないよ

明に上陸するために半島を制圧する必要があったというのがあんたの主張でしょ?
176.名無しさん:2017年08月13日 15:25 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
つーか俺なりの史観なんだからソースっていうのはおかしいだろ

俺の考えを否定するならぜひとも どうして三成や家康が秀吉没後に撤退してしまったのか 教えて欲しいわ
177.名無しさん:2017年08月13日 15:26 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※175
それはお前が日本と明との講和の経緯も知らん無知ってだけだからな。そこまで付き合えんよ。
ソースが欲しければWikiでも読めよ。 原典名まで記載されてるぞ。
178.名無しさん:2017年08月13日 15:27 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※177
自分で答えられないからって結局は逃げるわけだ
179.名無しさん:2017年08月13日 15:27 ID:gzbnVxVX0▼このコメントに返信
※168
要するに唐入りは罰ゲームと気が付いたので文禄の役は引いた。
慶長の役は交渉でウソばっか垂れた下劣な連中を始末しようとしたんだ。
日本人は潔癖でまじめなのが多かったから、倫理的に下劣な連中が住んでいる近隣国を浄化しようと考えたのかもしれない。
しかし、諸将は領主だったから、戦功をあげてあんな国に領地替えされることを嫌ったんだ。
今も北朝鮮がアメリカに徴発しているが、あの国土と国民を対等に公選する相手とは思っていないし、もしも戦ってしばらく軍政を轢いたら、持ち出し決定だし、扶養国家になる。そしてその国民はあんな調子だから、米国民の兵員として損失を出してまで戦う気はない。
このことは支那もロシアも同じ。あの国の中でどのような日人権的なことが起きていても、ソロバンが合わない。
だから支那も有史以来流刑地として使っていた。
そして支那は同じ遺伝子を持つ連中の国。
戦えば勝てるが、自国明を戦死させてまで手に入れる値打ちがない。
これは稀有なことで、こんなに気楽に国土を維持できる方法はほかに見当たらない。
180.名無しさん:2017年08月13日 15:28 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
>史実の三成や家康にしてもあのまま続けても勝ち目も続けようもないから撤退したんであって

「史実」と言ったからソース求めたのに、「俺なりの史観」かよw
馬鹿なだけでなく卑怯だな。
181.名無しさん:2017年08月13日 15:29 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※180
で、あんたはどう考えてるの? ぜひとも正解を教えて欲しいな
182.名無しさん:2017年08月13日 15:30 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※178
馬鹿で卑怯な人間には丁度いい対応だろ。
そうじゃないなら、まず自分がソースだそうや。
183.名無しさん:2017年08月13日 15:30 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※179
>戦えば勝てるが、自国明を戦死させてまで手に入れる値打ちがない。
これを始める前に気づかなかった秀吉という日本の支配者が愚かだったということでFAだな
184.名無しさん:2017年08月13日 15:32 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※182
おいおい 俺なりの史観だったと告白してるんだがね?
というかソースという言葉を持ち出したのはあんたが先であってあんたは滑稽な重箱つつきをしているだけだぜ

で、俺からの質問にはどれ一つ答える度胸がないわけかな?
185.名無しさん:2017年08月13日 15:33 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
朝鮮人の屑さというのは人知超えているから仕方ない。
186.名無しさん:2017年08月13日 15:33 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※182
結論
日本軍は明に海路で上陸すれば勝てていたがそのためには半島制圧が必要だった(あんたの主張)
→だが日本は半島を制圧したくても出来なかった 
187.名無しさん:2017年08月13日 15:36 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※177
>それはお前が日本と明との講和の経緯も知らん無知ってだけだからな。

「文禄2年(1593年)3月、漢城の日本軍の食料貯蔵庫であった龍山の倉庫を明軍に焼かれ、窮した日本軍は講和交渉を開始する」
Wikipediaより

これを主張したかったのかな?w
188.名無しさん:2017年08月13日 15:36 ID:zSQqc7k00▼このコメントに返信
※155

結論ありきの君に言ってもあまり意味無いだろうけど、
目的が明攻めなら半島全域の制圧は不要だよ。
史実でそうであったように南の港を幾つか押さえとけば十分

こちらの補給線が最短になって、逆に敵の補給線が最長になるからね。
その甲斐もあって(朝鮮出兵最後の)三路の戦いも日本軍の大勝で終わる。
敵の派遣軍を粉砕して後顧の憂いも断ったし、いよいよ明へ出兵か?
って時にはもう秀吉は死去してたから明は命拾いしたけどね。
代わりに清(に成るもの)がトドメさしちゃったけど

後、勝てるなら何故日本は続けなかった?と言うが、
秀吉という絶対権力がいなくなって、
本国が戦国の世へ逆戻りするかもしれないという時に、
外国で遊んでる場合じゃないだろう?
189.コロンブス:2017年08月13日 15:36 ID:h7PaC9Bu0▼このコメントに返信
※165
関わりたくないという感じだったかもしれないね。
耳の塩漬けではなく、民族そのものをきれいさっぱり始末してしまった方が世界のためになるのに、日本人は相変わらず甘い。
いつも道義に縛られ、結果自分が不利になる。
190.名無しさん:2017年08月13日 15:38 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※188
つまり秀吉と日本軍は明を征服したくとも結局出来なかった訳だ 俺の考えと違いないんだが
191.名無しさん:2017年08月13日 15:39 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※184
ソースも出せない妄想で物を言う人間にこちらがなんで付き合わなきゃならんのかね?
お前が白状した段階でゲームセットだよw 
嘘吐きにかかずらわうメリットこちらにまるでないじゃん。だから勝手にWikiでもどうぞ言ったわけで。
俺の言ったことの趣旨まるで理解できていないみたいね。

ひょっとして俺なりの史観だったと告白して優位に立てるとでも思ったの?
192.名無しさん:2017年08月13日 15:39 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※191
で、結局日本軍は明を征服できずに戦略負けしたってことは認めるしかないわけだ
193.名無しさん:2017年08月13日 15:41 ID:EZOyQ6EM0▼このコメントに返信
※191
>嘘吐きにかかずらわうメリットこちらにまるでないじゃん。だから勝手にWikiでもどうぞ言ったわけで。
メリットないのに必死で解答ありがとさん そんなに悔しかったのかな?

このレスにも返信していいよ 俺はもうこないけどね
194.名無しさん:2017年08月13日 15:43 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
>史実の三成や家康にしてもあのまま続けても勝ち目も続けようもないから撤退したんであって

                  ↓

>つーか俺なりの史観なんだからソースっていうのはおかしいだろ


しかし、これ恥ずかしくないのかね?
195.名無しさん:2017年08月13日 15:44 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
あ、結局、逃げたな。
196.名無しさん:2017年08月13日 15:56 ID:Koy81fBT0▼このコメントに返信
朝鮮ってなんでこんなに弱いわけ?
いつも戦場扱いで自力で国土を守らないし
民族として欠陥があるとしか思えない
197.名無しさん:2017年08月13日 16:22 ID:df8y8MrU0▼このコメントに返信
なんだ?こりゃ?
最後におかしな話になってるな
秀吉がごり押ししてただけで諸将は別段やる気はなかった
それをやらされたのは直前の小田原攻めがあったから
秀吉の号令の元に反抗しても戦う以前の話になるから
諸大名はそれぞれ独立した存在でいくら集めても単独の存在だからな
別に何がなんでも北京侵攻なんて考えてないわ
だから秀吉死後、あっさり唐入りを中止にしたんじゃん
以降の政権は後を継ぐどころか鎖国に移行
別に海外進出など誰も考えてない
198.名無しさん:2017年08月13日 16:46 ID:zldRFXiw0▼このコメントに返信
当時の明軍の中で最強の部類の遼東の李家軍を小早川隆景と立花宗茂が倒してるからなあ
まとまって戦えば明軍には勝てるんだけど、
文禄で宇喜多秀家、慶長で小早川秀秋みたいな若いのを現地の総大将にしてるから
諸将のまとまりに欠けて、八道国割とかで勝手な行動をとるのが多かったように見えるな
199.名無しさん:2017年08月13日 16:54 ID:IhXp4GZQ0▼このコメントに返信
※196
土地的な問題だろ
日本からは滅多に攻めてこないし、中華が蓋してるので他からも滅多に来ない
文官>武官で、国の中枢には中華のご機嫌とりでのし上がる舌先三寸の文官だらけ
媚びへつらうだけで、戦いへの備えが希薄

だから冊封の中でも気を使う必要がないので、銅印なの
200.名無しさん:2017年08月13日 17:02 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※197
>以降の政権は後を継ぐどころか鎖国に移行

鎖国始まったの家光の頃だぞ。
家康(実際は秀忠の代だが)がやったのはキリスト教の幕領での禁止ぐらいで、それ自体は秀吉の政策踏襲したものだろ。
201.名無しさん:2017年08月13日 17:10 ID:rcaqrq3E0▼このコメントに返信
わざわざ半島経由で明に行くのがおかしいんだよな、まぁ直接中国本土に上陸は補給を考えたら無いからだろうけどいずれにせよ無理がありすぎる。加藤清正なんて道がわからず(そもそも道がほぼ無い)に現在のロシア領あたりまで突き進んでるし。攻めるなら島津の交易路を伝って琉球、台湾を獲って長江下流域からだと思う。
202.名無しさん:2017年08月13日 17:14 ID:B42QP.AG0▼このコメントに返信
簡単な話だ。

朝鮮戦争で旧敵側部隊を擂り潰したように、
朝鮮出兵で諸大名に分与できる領地が増えたあかつきには、朝鮮出兵に実働参加していなかった大名を朝鮮に六合替する。

たとえ明と講和しても、将来的には明は攻め続けてくると。
だから朝鮮に飛ばした大名は勝手に摩り潰れると。
そう考えていた。

しかしこれそのものが成り上がり者秀吉の限界で、そうなったあかつきには明側は朝鮮に飛ばされた大名を自陣営に取り込んでいただろう。

どう転んでも明に損はない。

徳川などは朝鮮に飛ばされる筆頭になるわけだ。
203.名無しさん:2017年08月13日 17:15 ID:B42QP.AG0▼このコメントに返信
202

六合替
国替

毛沢東が使ったような手を秀吉も使った。
204.名無しさん:2017年08月13日 17:18 ID:B42QP.AG0▼このコメントに返信
だから朝鮮半島の事は朝鮮出兵含む歴史的事実を知らなければわからない。

中国側ですら韓国の主張に幻惑されて国を誤ることになりかねない。
205.名無しさん:2017年08月13日 17:21 ID:YCnQ7TgF0▼このコメントに返信
大陸に侵攻してその土地を支配する能力が日本にはなかった
せいぜい倭寇の大規模版やって半島荒らしてほとぼり冷めたら引き上げるくらいが関の山
秀吉がもっと長生きしようが戦略的目標はどの道達成出来ず半島のとばっちりが増えるのみ
三成や家康にしたら海賊行為は趣味ではないし秀吉いなければ引き継ぐ理由もなし
206.名無しさん:2017年08月13日 17:21 ID:IhXp4GZQ0▼このコメントに返信
※201
交易路は琉球通らないよ
基本的に、ニンポウあたりに直で行く、そこから台湾その後
東南アジア、沖縄、呂宋って航路
呂宋からは、太平洋横断してメキシコまでのルートが確立してる
メキシコまで行けるのは、スペイン位のもんだけど(行く必要がないので)

だから呂宋が、当時の東西の交わる拠点港で賑やかな街だった
207.名無しさん:2017年08月13日 17:23 ID:B42QP.AG0▼このコメントに返信
秀吉の理想は豊家を裏切らない直参の大名および豊家直轄倉入地で日本を固めること。
皮肉なことには、その他ならぬ直参子飼いの諸大名こそが豊家を裏切ったこと。
208.名無しさん:2017年08月13日 17:24 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
※201
南方への長距離大量輸送なんて無理。ていうか、わざわざ難易度高いことする必要ないだろ。
本来、文禄の役で半島占領して、足場確保してその後本格的に唐入りのはずだったんだよ。
それが外交方の失策で撤退なんかするから。朝鮮人の性根なんて戦っってわかっただろうにな。

あと清正のは威力偵察だろ。いわゆる大物見。あれで満洲人に対する情報得られ、今後の方針にも役立てることができる。
209.名無しさん:2017年08月13日 17:31 ID:B42QP.AG0▼このコメントに返信
石田三成奉行衆と秀吉直参大名衆の対立が朝鮮が原因などというのは眠たい出鱈目で、その本筋は、家康が秀吉直参大名から支持を得て、倉入地を管理していた奉行衆が直参大名に反感を持たれたのは、豊家倉入地を秀吉直参大名に気前よく分け与えたからだ。
これも中国近現代史に繰り返し出てくるテーマ。
210.名無しさん:2017年08月13日 17:36 ID:gzbnVxVX0▼このコメントに返信
※183
実はそういうこと。
そしてアメリカ歴代の将軍や大統領も「人並の国」と錯覚して交渉し始め、のちに誤解が解けている。
マッカーサーの副官は毎日韓国軍が北の兵に鹵獲される装備品の量に呆然とする状態だった。日本軍の一部だという認識がそうさせた。
李承晩は南方で、金日成は北方でそれぞれアメリカと支那赤軍の将校にどつかれて、「戦線に戻れ」と逃亡を責められている。
つまり、世界の常識から飛び外れた連中だったわけで、太閤が見誤るのも無理はない。
そしてその国民は人に忠節を尽くす犬を嫌うんだ。自分たちにない人の美徳だからね。
福沢や伊藤はある程度見抜いていた。しかし明治政府の多くは気が付かなかった。
まさかこんな国や民族が残っていると夢にも思わなかっただろう。
211.名無しさん:2017年08月13日 17:37 ID:B42QP.AG0▼このコメントに返信
辛亥革命で中華を裏切り、中華を略奪した人達が、あたかも地方の鉄道の政策一つが総ての原因と、自分達が略奪した財産と歴史的名声のために清朝の失策をあげつらったように、
秀吉直参大名も、自分達が家康の御墨付きで倉入地を略奪したことを、管理していた奉行衆の人格に転嫁したわけだ。
212.名無しさん:2017年08月13日 17:51 ID:B42QP.AG0▼このコメントに返信
205

海賊こそは秀吉が取り締まった第一のものだ。

だから大規模なロジスティックスも可能だった。

貿易は相手が居てはじめて可能。
相手を潰して貿易は出来ない。
これなどは明側にしてみれば御手の物。

そういうものとは縁遠い農本主義家康には想像できない世界であったろうし。そもそもが成功した暁には朝鮮に飛ばされる候補者筆頭の家康が続行するわけがない。
213.名無しさん:2017年08月13日 18:06 ID:cCO.z.1X0▼このコメントに返信
朝鮮はあくまでも通路扱いだったからなぁ

秀吉の弱点は家臣団だよな。
仮に秀吉に生気がある時期にやったとしても、
成り上がりの悲しさかな、子飼いの武将以外に居ないのがねぇ。
秀吉の弟と言う立場ながら相手の気持ちも上手に汲んで取りなす
秀長がもっと存命だったら話は色々かわってたのかもしれない。
214.名無しさん:2017年08月13日 18:16 ID:IBuNA5290▼このコメントに返信
ええ女が全くおらんからやる気にならんやろ
215.名無しさん:2017年08月13日 18:53 ID:B42QP.AG0▼このコメントに返信
結局、子飼い外様の別なく、共に戦った絆の方が、それぞれの大名の決断に影響した。
それが関ヶ原にも現れてる。

実践で激しく戦ったのは、潰されかけたはずの島津、宇喜多、戦場は離れるが立花、
朝鮮で戦った浅野幸長は後方、加藤清正は在国、毛利秀元は動かず。

積極的に槍を向けて戦ったのは、結局は福島などの子飼い大名だった。
216.名無しさん:2017年08月13日 19:00 ID:B42QP.AG0▼このコメントに返信
豊前豊後筑前は倉入地がある。
旧徳川の東海道沿いもそう。

それら倉入地を管理していた秀吉子飼い大名の動向は如何ということになる。

体験の共有は、それまでの子飼い外様の別を乗り越える縁となる。

これが秀吉が最後までわかっていなかったことなのかもしれない。
217.名無しさん:2017年08月13日 19:07 ID:hfk7FQ7m0▼このコメントに返信
テメーの身内すら固められない程度の爺の妄想暴走  
218.名無しさん:2017年08月13日 19:08 ID:Qc4zLBUi0▼このコメントに返信
日本最低だな
219.名無しさん:2017年08月13日 19:12 ID:B42QP.AG0▼このコメントに返信
例えば韓国北朝鮮の建国は、連合国公認による大日本帝国に対する略奪と裏切りとそれによる利益獲得体験の共有に礎を置く。

さらには略奪するものが無くなった後には、その矛先は自国民の生命に対する攻撃へと続く。

やったものは、やったもの同士で強い紐帯を築くことになる。

このように体験の共有とは、色んなものについて言える。

秀吉は倉入地が子飼いの大名にネコババされ、ネコババしたもの同士の紐帯が石田三成に代表される奉行衆の奉公に上回るとは考えもしなかったろう。
220.名無しさん:2017年08月13日 19:21 ID:hfk7FQ7m0▼このコメントに返信
自国征服すら未完成すぐ崩壊するのにこの爺さんは青春まっただ中だったなー
221.名無しさん:2017年08月13日 19:30 ID:B42QP.AG0▼このコメントに返信
こう考えると、
中国の粛軍も、先立つ公安整理も
故のないことじゃないかもしれない。

本当は中国の文化みたいなものだったわけだし、中国が潰されるか潰されないかという時期には自助努力は逆に奨励されていたわけだから、その総てが果たして、というのはあるかもしれないが。

しかし「体験の共有」の魔力を考えたら、国を成り立たせるためには何処かの時点でというのもあったのかもしれない。
222.名無しさん:2017年08月13日 19:34 ID:B42QP.AG0▼このコメントに返信
秀吉の失敗は、奉行衆に力を持たせなかったこと。
奉行衆が朝鮮出兵時も含めて真面目に仕事をしたことが問題なのではなく、それら権限と管理の別が未統一で未発達であったこと。

よく言われる朝鮮出兵時の讒言なるものも、後から攻撃の言い訳に引っ張り出されてきたものにすぎないだろう。
223.名無しさん:2017年08月13日 19:35 ID:eqqYSheq0▼このコメントに返信
そりゃ、未完成の城に20倍の兵力で攻めても陥落せず、
逆に到着した増援部隊に30里追撃された挙句、軍団半数死亡とか
日本軍最強すぎて無理ですわ
あのままだったら、生産力の高い南部四道が日本軍支配下に置かれ続けて
朝鮮は疲弊する一方だから、なんらかの妥協が成立した可能性は高いな。
しかし、18世紀は過去2000年で最も寒い時期だったんで
遅かれ早かれ、不潔貧乏朝鮮植民地はやはり放棄じゃね?  
つまり古代大和朝廷と同じ結論に達する
224.名無しさん:2017年08月13日 19:43 ID:lo1YDL0B0▼このコメントに返信
※81
通り道の石高に意味はない。
ぶっちゃけお荷物やろ。
225.名無しさん:2017年08月13日 20:46 ID:r6n.pBWG0▼このコメントに返信
んぁ、伊賀討伐みたいなもんで
無法地帯を地ならししたって意味では成功
コリア半島の倭寇の拠点が大分消えた
226.名無しさん:2017年08月13日 21:00 ID:Usr2I.2j0▼このコメントに返信
日本では中国征服って名称は使ってないぞ。朝鮮出兵ってい言うんだよ。
227.名無しさん:2017年08月13日 21:11 ID:gzbnVxVX0▼このコメントに返信
※226
征伐だろう
228.名無しさん:2017年08月13日 22:38 ID:Usr2I.2j0▼このコメントに返信
※227
スレタイ
229.名無しさん:2017年08月13日 22:46 ID:bODpzKxD0▼このコメントに返信
中国どころか途中の朝鮮すら抜けずに撤退した史実がある時点でこういう妄想は恥ずかしい
そもそも当時の補給状況じゃその前に日本本土が餓死する
230.名無しさん:2017年08月13日 23:13 ID:dxCkncM20▼このコメントに返信
朝鮮なんて1月足らずで制圧だぞ。文禄の役の講和詐欺やられたおかげで仕切り直され、慶長の役は明本土でやるはずの戦いが半島で前倒しになっただけだし。そのおかげで半島ボロボロになるんだけどなw その場しのぎの嘘で却って自分の首絞める朝鮮人の性質って何も変わってないと思うわ。
231.名無しさん:2017年08月14日 00:23 ID:28beXRff0▼このコメントに返信
制圧してたら勝ってた
点と点しか拠点を確保できなかったから朝鮮軍に勝ちまくったのに補給がボロボロで結局負けたわけで・・・
232.名無しさん:2017年08月14日 00:27 ID:kM9sFyyE0▼このコメントに返信
朝鮮征伐で補給が失敗したなんて記録ないけど。
まぁ、どうせ太平洋戦争から勝手な推測してんだろうけどさ。
233.名無しさん:2017年08月14日 00:59 ID:ljfe.HvC0▼このコメントに返信
秀吉の唐入りは
海洋交易ルートの確保が目的だろ。
スペインやキリスト教国家の東亜進出への対抗ってのもあるだろうし。
重商政策を採る場合、
海外交易ルートの確保は自衛戦争と表裏一体になる訳で。

秀吉の唐入りに関しては大陸の
内陸部の事はあんまり考慮されて無さ気。
234.名無しさん:2017年08月14日 01:01 ID:mjKR4Pfi0▼このコメントに返信
中国の民族性とポテンシャルから将来必ず西欧列強に飲み込まれて
日本攻略の軍事拠点となるから、その前に日本が拠点を先に抑えておこうとした。
と言われてるね。 秀吉の読み通りになっちゃったけどね。300年後が見えてたんだね。
235.名無しさん:2017年08月14日 01:54 ID:Vx5.aZzp0▼このコメントに返信
日本と比べてモンゴルはなんであんなに行けたんや
統一戦が終わったら、普通はみんなヌクヌク暮らしたいはずなのに
236.名無しさん:2017年08月14日 02:07 ID:kM9sFyyE0▼このコメントに返信
そもそも近代の国民国家と違って、共同体意識なんて希薄だから、一つの街、一つの城皆殺しにして見せしめにする一方で、投降した時の安全さえ保障すれば、
一気に他の城は落ちる。要するに飴と鞭。だから近代以前は点と点の支配で十分。これを徹底してやったのがモンゴル。日本も国内同様の撫民何ぞ考えずにモンゴル式にやれば良かったんだよ。てか、戦国武将は学習能力高いから、朝鮮人と関わってたら普通にそっちにスイッチしていっただろうけどな。実際、慶長の役は朝鮮人の扱いが文禄の役比べて過酷になってるしw
237.名無しさん:2017年08月14日 02:10 ID:ljfe.HvC0▼このコメントに返信
>235
初期は狩猟の延長、収奪を目的とした侵攻。
その後、生産力のある地域を複数支配した際、
交易による利潤を重視した政策に切り替えた感じかと。
生産力のある地域を複数支配し領域が広大になった事や相続の在り方が分権体制を生み、中央集権が弱まって
国家として分裂を引き起こしたともいえるけど。
238.名無しさん:2017年08月14日 07:51 ID:TdHw2pIR0▼このコメントに返信
ロクな利益が出ない半島と長期支配するのが至難を極める中国なんて欲しいか?そこが分からん。
なんで秀吉は台湾を攻めてそっからどんどん南下しなかったんだ?って文句言うなら分かる。インドネシアとかの方が欲しいだろ。
239.名無しさん:2017年08月14日 08:23 ID:IxNYUH.90▼このコメントに返信
※228
<日本では中国征服って名称は使ってないぞ。朝鮮出兵ってい言うんだよ。 >
これは教科書などの記述を言っていると読んだんだ。
戦前から終戦後しばらくは征伐で、支那が共産党に支配されてから朝鮮出兵。
240.名無しさん:2017年08月14日 08:53 ID:IxNYUH.90▼このコメントに返信
朝鮮征伐の目的として、国軍の失業対策のほかに、もう一つある。これも戦争目的と考えれば達成されていると考えられるな。
源頼朝以降、敵の男系は根絶やしにしたが、城に籠る女は生け捕りにした場合、外国へ売りとばした。
まあ、殺されるよりましだし、外国へ行ったら刃向かいようがない。
ところが、こういった輸出品があると誘拐してまで奴隷商品にするようになる。
豊臣の秀吉は下賤の出だから、どんな日本人でも奴隷とされることには抵抗があった。
一番商売にしたのは朝鮮人、次が支那人。売り先はポルトガルのイエズス会系商社。
男子は苦役に耐えるので鉱山労働者や戦の先鋒に使われた。
こういった誘拐による奴隷の対象として日本人が狙われることを知り、憤ったが、支那トオンスルが改めるわけがない。
今も話してわかる相手ではない。
征伐と言うのはこういった経緯も含まれるんだろう。
征伐後は支那トオンスルでは誘拐奴隷を慎むようになったそうだな。
八旗軍の朝鮮蹂躙後は毎年朝鮮人奴隷を1000名ほど貢いでいたから、朝鮮人の奴隷市場があったそうだ。
支那で独り歩きするトオンスル人は逃げた豚と同じで、捕まえた者の物。
為政者の決意の違いが地域や世界での国の地位につながる。
今の日本は、拉致られても手を出さないし、日本上空をミサイルが通過しても衛星と言ってのけている。
世界での地位がどんどん下がっているな。
241.名無しさん:2017年08月14日 11:13 ID:3XF413P10▼このコメントに返信
そろそろ無双シリーズで朝鮮出兵や中華征服編を出すべき。
242.名無しさん:2017年08月14日 11:15 ID:GAPH14yB0▼このコメントに返信
※235
朝鮮と中国国家は、歴史的に、日本人には支配されたかない、みたいな抵抗感があったんじゃないかな
差別心みたいなもの
日清日露の時も、なぜか日本よりはロシアのほうが良いみたいな考えの人らがいたようだ
243.名無しさん:2017年08月14日 19:32 ID:yjRMPtAw0▼このコメントに返信
242

なるほど、ニコライエフスクか。
244.名無しさん:2017年08月14日 23:31 ID:2yZg5zdJ0▼このコメントに返信
明滅亡の根本原因やからな。
対日戦で経済が崩壊して、立て直すことが出来ずに滅亡した。
245.名無しさん:2017年08月15日 21:42 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
===================== 李舜臣 ==========================
朝鮮の水軍を率いて豊臣秀吉の朝鮮侵略(1592年~)と戦った。亀甲船を考案し、倭軍の水軍を次々と破り、その補給路を遮断した。一時罪を得て退いたが、再び前線に出て活躍したが、98年11月に戦死した。
豊臣秀吉の朝鮮侵略を迎え撃った、朝鮮の水軍の将軍。朝鮮でいう壬辰・丁酉の倭乱で、朝鮮の危機を救った、救国の英雄とされている。壬辰の倭乱が始まると、水軍を率いた李舜臣は、巧みな鶴翼誘引策の戦術と、自ら改良した亀甲船を駆使し、脇坂安治や九鬼重隆などの倭軍の水軍を襲撃し、大きな成果を出した。それによって倭軍は兵員、食料、物資の補給に苦しみ、作戦に大きな支障が生じた。一時ねたまれて無実の罪を着せられ失脚したが、丁酉の倭乱が起こると再び前線の指揮官として活躍、1598年11月、戦死した。李舜臣は現在も朝鮮の救国の英雄として、尊敬されている。
246.名無しさん:2017年08月15日 21:42 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
名将としての生涯
 李舜臣は1545年、ソウルに生まれ、1576年、武科に合格して軍人となった。文官として政治の中枢で活躍する柳成龍とは若いころから交友があり、二人とも官人の派閥では東人派に属していた。その後、県監・郡守などを歴任。1591年、47歳で全羅左道水軍節度使に抜擢された。壬辰の倭乱が始まると慶尚右水使元均を助け、亀甲船を駆使して倭の水軍を撃破し、その補給路を断った。この間、地位も上がったが、戦いにひるむ元均(西人派)のねたみを買い、讒訴されて罪を得、入獄し、後に許されたが白衣従軍(一兵卒として従軍すること)の処分となった。しかし、丁酉の倭乱が始まると、元均が戦死し、李舜臣は許されて再び三道水軍統制使となり、朝鮮水軍を再建し、明軍と力を合わせて戦った。1598年8月、秀吉の死により、倭軍は撤退を開始するが、朝鮮水軍と明軍は追撃作戦をとり、李舜臣は11月慶尚南道露梁津で島津の水軍と戦い銃弾に当たって戦死した。<北島万次『豊臣秀吉の朝鮮侵略』1995 吉川弘文館 p.101-102>
李舜臣は、その死の前日まで、詳細な日記を書いていた。その日記『乱中日記』は最近、北島万次氏によって皇帝翻訳されて、東洋文庫に三冊分冊として刊行され、読むことができるようになった。また翻訳にあたった北島氏が、その記録にもとづいて、李舜臣の人物と、戦術、朝鮮水軍の組織、亀甲船の実態、朝鮮水軍に降伏したいわゆる降倭などについて詳しく述べているのが近刊の『秀吉の朝鮮出兵と民衆』(岩波文庫)である。<北島万次『秀吉の朝鮮侵略と民衆』2012 岩波新書>
247.名無しさん:2017年08月15日 21:43 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
Episode 東郷平八郎が尊敬した将軍
 日露戦争でバルチック艦隊を撃破した日本海軍の司令官東郷平八郎は、後にイギリスを訪問した際、「日本のネルソン」として注目を浴びたことがあるが、戦捷祝賀会の席で、数々の賛辞に答えてこう語った。
(引用)不肖東郷を或はネルソンに喩へ、或は李舜臣に擬して賞賛されましたこと、身に余る光栄であります。然しながら、ネルソンはいざ知らず、李舜臣になぞらへたのはあたりませぬ。不肖東郷如きは、李舜臣の足元にも遠く及ぶ者ではあるませぬ。 <崔官『文禄・慶長の役―文学に刻まれた戦争』1994 講談社選書メチエ p.64>
 現在も李舜臣は韓国の国民的英雄として、ソウルの中心部にその巨大な銅像が建てられ、また閑山島海戦の戦捷の地の統営は李舜臣の号である「忠武(チュンム)」に倣って「忠武市」と改められている。
248.名無しさん:2017年08月15日 21:43 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
亀甲船
亀甲船
16世紀末の豊臣秀吉の朝鮮侵略と戦った朝鮮水軍の李舜臣が考案した戦船。

 朝鮮水軍の武将、李舜臣が考案したという戦闘用の船で、漕ぎ手の上に屋根を被せ、闘犬を隙間無く並べて敵兵が上に乗れないようにし、また漕ぎ手も外から見えないようにし、船首に龍首を設けてそこから火砲を発射できるようにした。壬辰・丁酉の倭乱(日本の豊臣秀吉の侵略)の時に豊臣の水軍を大いに悩ましたという。
Episode 李舜臣の亀甲船
 亀甲船というのは、木造船の上に鉄板(または堅い板)で覆い、敵が乗り込めないようにし、船の左右にたくさんの櫂をつけて速力を早めて敵に近寄り、無数の銃眼から鉄砲や矢を射るようにしたもの。舳先には口を開けた竜頭をすえ、上からも砲火を浴びせられるようにした。15世紀の初めごろから、倭寇と戦うために考案されたらしく、李舜臣が改良して実戦に使えるようにした。李舜臣はこの亀甲船と、潮の流れをうまく利用して日本海軍をほんろうしたという。<岡百合子『中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史』平凡社ライブラリー p.154>
249.名無しさん:2017年08月15日 21:53 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 李舜臣 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
545年、両班(貴族)の家庭に三男として生まれた。両班の家に生まれた以上、仕官するために儒学を学ばなければいけなかったが、舜臣は戦争ごっこばかりやっていた。舜臣はいつも指揮官役で、その巧みな指揮は見物している大人達を驚かせた。
250.名無しさん:2017年08月15日 21:53 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
1576年、31歳の時に科挙の武科に合格し、二年間、北方の咸鏡道の国境警備に就いた。舜臣は任期を終えて首都漢城に戻った後、訓練院の奉事(書記官)の職に就いた。この頃、舜臣の上官が、親しい人物の階級を特進しようとしたため、舜臣は上官を説得して、これを止めさせている。また、兵曹判書(軍部大臣)の金貴栄に、妾の娘を舜臣の妾にくれてやろうと言われた。出世のチャンスであったが、舜臣は、官職に就いている者が権勢のある人物とつながるのは好ましくないと断った。
251.名無しさん:2017年08月15日 21:53 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
権力欲の強い官僚らに毛嫌いされた舜臣は中央から忠清道に飛ばされた。舜臣はそこで軍官となったが、上官の節度使(司令官)が酒に溺れ気味なのを常に叱っていたため、節度使には煙たがられていた。1580年7月、鉢浦水軍万戸(部隊長)に任じられたが、上官の全羅左水使(提督)の成が琴をつくるために役所近くに生えていた立派な桐を伐採しようとしたことに反対して伐採を止めさせたために、就任から半年で任を解かれて、再び都の訓練院に戻った。

1583年、新たに咸鏡道節度使となった李ヒの下で軍官として咸鏡道の警備にあたった。李ヒは舜臣の鉢浦時代の上官で、相手が上官であってもはっきりと物を言う舜臣を嫌っていたが、舜臣の見事な仕事ぶりをみて改心し、己を恥じた過去を持っており、今回、再び舜臣が李ヒの部下になったのは、李ヒ自ら、王に舜臣を自身の部下にするよう願い出たからであった。舜臣は国境を侵す女真族の首領ウルチネを捕らえる大功を挙げたが、直属の上官である金禹瑞が妬んで嘘の報告をしたため、褒賞をもらうことができなかった。
252.名無しさん:2017年08月15日 21:54 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
同年11月、舜臣の父が死去した。翌年1月に知った舜臣は、忠清道牙山に行き喪に服し、この間、官職には一切就かなかった。喪のあけた1586年に造山万戸に任命され、再び国境警備の任に就いた。翌年には鹿屯島の屯田の責任者を兼任した。舜臣は全力を尽くして警備をしていたが、警備兵の数が少ないため、女真族の侵入を防ぎきれなかった。そのため舜臣は何度も上官の李鎰に援軍を求めたが聞き入れられなかった。そんな状況の中で女真族の大軍が侵入してきたが、舜臣は勇敢に戦い、遂に弓で敵の指揮官を射殺した。舜臣は指揮官を失って逃げた敵軍を追撃して60余人の捕虜を奪還した。
253.名無しさん:2017年08月15日 21:54 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
1588年6月、舜臣は刑期を終え帰宅した。当時、中央では軍備強化の一環として有能な人物を推薦しようとし、舜臣は第一級の人物として二番目に選定されたが、どの官職も任じられなかった。

翌1589年春、舜臣を高く評価する全羅道巡察使・李洸が浪人となっていた舜臣を全羅道助防将に推薦した。軍官となった舜臣は軍備の強化に努めた。一時、宣伝官(連絡官のようなもの)を務めた後12月に井邑県監に任じられた。舜臣は行政を巧みにこなし役人としての才能も示した。また、長期に渡って空席となっていた隣接する泰仁県監を兼任し、山積みとなっていた書類を迅速に処理し、多くの裁判問題に明快な判決を下してあっという間に解決した。これに感動した民衆は、舜臣を泰仁県専任の県監にして欲しいと政府に申し出ている。
254.名無しさん:2017年08月15日 21:54 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
舜臣の評判は高く、1590年7月には国境沿いの高沙里鎮の兵馬僉節制使、翌8月にも堂上官に位を上げて満浦鎮の水軍僉節制使に抜擢されたが、いずれも反対勢力によって任命は取り消された。1591年2月、南端の珍島郡守に任じられたかと思えば、赴任する前に北端の加里浦鎮の水軍僉節制使となるようにと命を受け、北方へ行く準備をしている最中に今度は全羅左道水軍節度使に抜擢された。一か月の間に舜臣の役職が三度も変わった背景には中央の舜臣の支持者と反対者の攻防があった。舜臣はどの党にも加わらず、権力者にへつらうこともなかったため、このような攻防はあずかり知らぬところであった。
255.名無しさん:2017年08月15日 21:55 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
水軍節度使という、現在でいう管区の司令官となった舜臣は軍備の強化に努めた。建国当初は数十万を数えた軍隊も、約200年間の平和の間に数万にまで減り、軍紀は弛緩し、兵の訓練は不足し、戦船など軍備は修理されずに放置されていた。舜臣は厳しく軍備の点検・修理し、要衝には鉄条網を巡らすなど拠点を厳重にした。兵士の訓練は実戦的なものを徹底した。舜臣は兵器の考案・改造も行った。舜臣は実戦で役立つように長柄の鎖鎌や四本爪の鉤を考案して兵士が自在に操れるようにし、戦船には必ず火砲を装備させた。舜臣の考案した兵器の中で最も有名なのが亀甲船という戦船である(詳細は亀甲船?を参照)。

舜臣は無駄な費用をなくし、個人的な蓄財、賄賂を厳格に取り締まったので管区内の民衆は進んで税を収めた。そのため多額を消費した一連の改革は、あらかじめ管区に割り当てられた国費で実現したのである。
256.名無しさん:2017年08月15日 21:55 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
壬辰倭乱・丁酉再乱
壬辰倭乱

1592年4月13日、豊臣秀吉指揮の下、15万の日本軍による朝鮮侵略が開始された。政府が日本の侵略はないと楽観し、防備をせずに少数の兵士を配置するだけだったのとは対照的に、舜臣は日本軍の侵入を警戒して臨戦態勢を整えていた。釜山浦から最短となる海雲台の慶尚道右水営(水軍本営)を守備していた元均は、日本軍の侵略が始まると対抗手段がないと判断して撤退しようとしたが、部下の李雲龍達の諌めを受けて撤退を取り消し、全羅左水営の李舜臣に援軍を求めた。日本軍の侵入から二日後の15日、元均から報を聞いた李舜臣は中央や他の官庁、沿岸の部隊に急報し、自身も水軍を出動させ陣を守備した。4月16日に釜山陥落の知った舜臣は日記に「憤激に耐えかねた」と記している。舜臣は部下を集めて作戦会議を開いたが、大半の部下は「慶尚道は管轄外であり、そこまで進撃するのは越権行為ではないか」として救援に否定的であった。しかし、部下の一人、宋希立が「敵の大軍が国土を侵し続けているのに狭い範囲を守っても守り通せるものではない。ただちに敵を攻撃した方が遥かにましであり、勝利を得れば敵を挫くことができ、戦死したとしても国民の道理として恥ずべきことではない」と救援を主張した。また、鹿島万戸の鄭運も「国恩を受けた民として、こういう時こそ命を賭して国恩に報いるべきで座視すべきではない」と言った。これに舜臣は喜び、出撃準備を整え、5月4日に出撃して巨済島沖で慶尚右水軍と合流し、更には全羅右水使の李億ギにも援軍を求めた。

李舜臣指揮下の左水営の戦力は80余隻で、その内訳を以下に記す。
257.名無しさん:2017年08月15日 21:55 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
板屋船 24隻 戦艦  大型
挟船  15隻 補助艦 中型
鮑作船 46隻 偵察艦 小型

朝鮮水軍の全兵船は日本水軍のそれより遥かに少ない160隻余りであった。

5月7日の早朝に、日本軍を攻撃するために加徳島へ向かった李舜臣率いる水軍は、昼ごろに藤堂高虎指揮下の50余隻の日本水軍を玉浦沿岸で発見した。襲撃を予期していなかった日本軍は全船が錨を下ろして、陸上で戦闘を行っており、朝鮮水軍は容易に湾内を封鎖して、日本水軍の中心に突撃し、大砲で猛攻を加えた。日本軍も陸から反撃したものの半数近い26隻を失って船内の留守部隊も船を放棄して陸へ退却し、一方の朝鮮水軍は一隻を失っただけで、最初の海戦は朝鮮軍の勝利で終わった{玉浦海戦)。更に同日午後、脇坂安治、九鬼嘉隆、加藤嘉明の指揮する日本水軍と合浦湾で交戦し、朝鮮水軍は日本兵船を上手に楯として活用しながら湾内に突撃し、大船4隻、小舟一隻を撃沈した(合浦海戦)。
李舜臣は最初の出撃から六日間で36隻の日本の兵船を撃沈する戦果をあげた。
258.名無しさん:2017年08月15日 21:56 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
5月27日に元均から日本軍が泗川、昆陽に向かっていると急報が入ったので、李舜臣は29日に兵船23隻を率いて麗水を出陣し、途中で元均率いる慶尚道水軍と合流して泗川浦に向かった。そこには加藤嘉明、九鬼嘉隆軍の楼閣船(大型船)12隻が停泊し、兵士400名が陸に陣を敷いていたため、李舜臣はわざと退却して日本軍を海戦に持ち込み、海が満潮になったのを見計らって、日本軍に攻撃を仕掛けて撃破した(泗川海戦)。この海戦では、火砲と新型兵船の亀甲船の成果が特に際立っていた。
6月2日、唐浦で、朝鮮水軍は亀井茲矩率いる水軍と交戦し、朝鮮水軍は亀甲船を船団の頭に配置し、日本の大船に的を絞った攻撃で旗艦を燃やし、指揮官級の武将を殺害した後、残余の軍船も焼やして、この海戦でも完勝した(唐浦海戦)。また朝鮮側は亀井が秀吉から賜った金扇を戦利品として獲得している。
李舜臣率いる水軍は交戦後にチュ島一帯を掃討して、全羅右水使の李億ギと合流したところに、唐項浦に加藤清正配下の水軍26隻が停泊しているという報告が入ったため、すぐに出動し、5日、戦闘が開始された。朝鮮水軍は作戦に沿って、日本軍を海上に誘い込み、陸への退路を断って攻撃を仕掛けて、完勝を収め、清正の旗印である「南妙法蓮華経」の大織を焼いた。この戦いでは朝鮮の官軍、義兵軍も朝鮮水軍に応じて、陸上から日本軍の上陸を防いだ。一連の戦いで功績をあげた李舜臣は資憲大夫(正二品)に叙せられた。
259.名無しさん:2017年08月15日 21:56 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
唐項浦海戦後、李舜臣率いる朝鮮水軍は本陣に凱旋する途中で来島通之らの船団(大型船5隻、中型船二隻)に遭遇し、朝鮮水軍の強さは既に日本軍に知られていたため、日本水軍は栗浦から釜山浦に向かって、船の荷まで棄てて逃走したが、朝鮮水軍はこれを追撃して、全滅させた(栗浦海戦)。この戦いで日本側は来島通之が戦死した。
交戦後に、朝鮮水軍は南海を捜索したが残っている日本軍はいなかった。出撃から13日間で朝鮮水軍は日本水軍の兵船72隻を撃破した。


このように、慶尚道南部の海域では朝鮮水軍が連戦連勝しており、日本軍は劣勢であった。7月7日、一連の朝鮮水軍の攻勢を受けて脇坂安治、加藤嘉明、九鬼義隆の三大名は朝鮮水軍の攻撃を命じられ、大型層楼船7隻を含む70隻余りの大軍を駆り出して攻めてきたが、李舜臣率いる朝鮮水軍は閑山島の沖合で鶴翼の陣を用いて日本水軍を包囲殲滅して完勝した。(詳細は閑山島海戦を参照)
260.名無しさん:2017年08月15日 21:56 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
休戦期
1593年、これまでの功績を認められた李舜臣は三道水軍統制使という朝鮮南部(慶尚道・全羅道・忠清道)の水軍を統べる指揮官に出世した。1597年に慶長の役の攻勢準備のために加藤清正が朝鮮へ着到することを小西行長の使者が朝鮮側に漏らし、朝鮮朝廷は加藤清正の上陸を狙って攻撃するように李舜臣に攻撃を命令した。しかし、李舜臣はこれを日本軍の罠と考えて独断で攻撃を実施しなかったため、朝鮮朝廷内部では抗命を咎める声が大半となり、李舜臣は更迭され拷問を受けて一旦は死罪を宣告されたが、鄭琢の取りなしで一兵卒として白衣従軍を命じられた。
261.名無しさん:2017年08月15日 21:56 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
丁酉再乱
1597年に李舜臣の後を継いだ水軍統制使元均*2が水軍による単独攻撃の命令を嫌がりながらも遂行したが、漆川梁海戦(巨済島の海戦)で大敗を喫し、戦死した。かわって水軍統制使に返り咲いて壊滅した水軍の再建を進めたのが李舜臣である。李舜臣が再任された時は、朝鮮水軍には僅か13隻の戦船(板屋船)しか残っていなかった。

同年8月、南原の戦いに参加した藤堂高虎ら指揮下の水軍は、穀倉地帯の全羅道支配、更には漢城侵攻を目論み、陸上部隊の進撃に呼応して全羅道南岸を西へ進んだ。そして9月半ば、藤堂高虎、加藤嘉明、脇坂安治、来島通総、軍目付の毛利高政らの兵船133隻の水軍は鳴梁海峡に迫ったが、李舜臣率いる朝鮮水軍は潮の流れを利用した攻撃を仕掛けて大勝を収めた(詳細は鳴梁海戦を参照)。

1598年、明・朝鮮軍が日本最西端の拠点である小西行長等が守る順天城を攻撃しだすと、李舜臣率いる朝鮮水軍は明水軍と共に水陸共同の順天攻撃作戦に参加し同時に順天城の海上封鎖を行った。しかし、水陸両面で明・朝鮮軍は損害を出しつつ苦戦し、厭戦気分が蔓延して攻撃は頓挫、海上封鎖を解いて古今島に後退した(順天城の戦い)。
262.名無しさん:2017年08月15日 21:57 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
李舜臣と陳リンは順天城攻撃の前の1598年7月中旬に合流したが、驕り高ぶり、乱暴という評判の陳リンと李舜臣が円滑に共同作戦を遂行できるか朝鮮政府も心配していた。しかし、李舜臣は陳リンを可能な限りもち上げ、また巧みな言葉で持ち掛けて、戦果があげれば明軍のものとするが、指揮権は李舜臣に任せるという約束をさせた。
しかし、順天攻撃では李舜臣が、引き潮になっているため一旦撤退した方がいいと警告しても、陳リンはこれを無視して攻撃を続けた結果、明の軍船が浅瀬に乗り上げて日本軍の集中攻撃を浴びている。

秀吉の死によって日本軍に退却命令が出ると小西行長は明・朝鮮陸軍との間に講和を成立させ、海路を撤退しようとしたが、それを知った明・朝鮮水軍は多くとも150隻の軍勢(朝鮮水軍約80隻、明水軍約60隻)で古今島から松島沖に進出し海上封鎖を実施、小西らの撤退を阻んだ。そのため今度は明・朝鮮水軍と休戦交渉を行い、明水軍の陳リンに賄賂を贈り、内諾を取りつけたものの、李舜臣は陳リンを通じて贈られた賄賂を断った。ともかく陳リンに賄賂を渡したことにより小西は島津に救援を求める使者を送ることができた。これを知った李舜臣は出撃を決意して、このことを陳リンに通達した。
263.名無しさん:2017年08月15日 21:57 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
島津義弘をはじめ、昌善島に結集した日本軍は11月17日に兵船500隻を以て進撃を開始し、出撃を聞いた明・朝鮮水軍は露梁海峡で迎撃することにした。
18日午前二時ごろ、日本水軍は露梁海峡に入ったところで朝鮮水軍の先鋒と遭遇し、ここにおいて露梁海戦が始まった。
先鋒の明将トウ子龍が島津方の砲撃で戦死すると明軍は不安に陥ったが、李舜臣率いる朝鮮水軍が先行して奮戦したため混戦となった。激しい戦いの最中に李舜臣は銃撃を受け、部下に戦いの最中であるから自分の死を知らせず、防牌で自分を見えなくするように指示して息絶えた。海戦は李舜臣の死を伏せたまま続行され、日本軍は兵船200隻を失って南海に退却し、明・朝鮮水軍の大勝に終わった。なお、退却する日本軍を明・朝鮮水軍は追い打ちして日本軍が放棄した一万石余の食糧と多数の牛馬を獲得している。
264.名無しさん:2017年08月15日 21:57 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
死後
李舜臣には葬儀の時に右議政の地位を朝廷から追贈された。1604年に、正式に戦争の勲功者を選定するときに第一等功臣の筆頭に挙げられ、「効忠仗義迪穀協力宣武功臣」の弥号と共に「大匡輔國崇禄大夫議政左議政兼領経筵事徳豊府院君」の地位を贈られた。
また、彼を追慕する朝鮮全土の各地の人々によって、李舜臣に縁のある地に祠や石碑が建てられた。その中でも李舜臣の埋葬地である忠清南道牙山市芳華山にある顕忠祠は韓国の国家管轄の祠堂に選定されている*3。
韓国には約1000体の李舜臣の像が建てられており*4、ソウル市世宗路と釜山市海雲台の像が有名である。
265.名無しさん:2017年08月15日 21:57 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
国際的評価

イギリス海軍・海軍大将を務め、バス勲章受章者でもある、海軍戦略家のジョージ・アレキサンダー・バラード(1862-1948)は、李舜臣について、戦略的状況を広く理解し、特に優れた海軍戦術で戦争におけるただ一つの正しい理念である不屈の攻撃規則により、常に鼓舞された統率原則を合わせ持ち、彼の激しい攻撃は断じて盲目的な冒険ではなかったと述べた。また、イギリスの英雄、ネルソン提督*5と肩を並べる人物がいるとするなら、それは、一度も敗れず、敵軍の中で戦死した李舜臣だとも述べている。バラードは、李舜臣が初めから終わりまで失敗しなかったというのは言い過ぎではなく、様々な状況下で完璧な対応を採っており、批判しようがないと述べ、そして、李舜臣の全業績を要約するなら、過去の歴史に手引きとするほどの教義が存在していなかったにも関わらず、彼は戦わなければならないときに戦って常に勝利を収め、祖国を守護する最も優れた犠牲で生涯を終えたと述べている。
266.名無しさん:2017年08月15日 21:59 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
旧日本海軍中将で、戦史研究の大家である佐藤鉄太郎(1866-1942)は李舜臣を「ネルソン以上の提督」と評し、ヨーロッパで李舜臣に匹敵する人物を挙げるなら、オランダのミヒール・デ・ロイテル以上でなければならないと述べている

267.名無しさん:2017年08月15日 22:00 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
これを発展させたのが帝国国防史論である。帝国国防史論はマハンの「海上権力史論」の影響を強く受けているのであるが、出版されたのは1890年であり、翻訳出版されたのは1896年である。田中秀雄は、佐藤が制海権の概念を思い浮かべたのは李舜臣を知った時からであり、それはある意味、マハンを必要としていなかったとも考えられるが、少なくともほぼ同時期だと考えられる、と述べている。

国家主義者で、明治・大正・昭和の三代にわたって日本の世論形成に重要な役割を果たした、評論家、歴史学者の徳富蘇峰*7(1863―1957)は、『朝鮮役』の中で、李舜臣について「彼は死してなお生き、死してなお勝った。日本水軍の諸将らは李舜臣に敵う人物ではなく、ひとは彼を恐れた。彼はじつに朝鮮の英雄にとどまらず、七年戦中の三国第一の英雄であった。」と称えている。

旧日本軍参謀本部編纂『日本の戦史-朝鮮の役』においては、李舜臣について、「朝鮮の陸兵が連敗したのに反し、水軍が連勝し、日本の水軍の西進を拒んだのは、一つは船舶建造が日本よりすぐれていたことにあった。しかし、戦船の運用や武器の使用は将帥その人の良し悪しにある。朝鮮の水軍は名将李舜臣を得てはじめてその効果をあげた」と賞賛している。
268.名無しさん:2017年08月15日 22:01 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
佐藤は、李舜臣の活躍を知ることで「攻勢防御」という概念を得たといい、国防私説」を書くきっかけとなった。これを発展させたのが帝国国防史論である。
269.名無しさん:2017年08月15日 22:02 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
参考文献
李殷直『歴代朝鮮名将伝』太平社、1975年(前半生の項のみ)
金奉鉉『秀吉の朝鮮侵略と義兵闘争』彩流社、1995年(徳富蘇峰についてのみ)
貫井正之『秀吉が勝てなかった朝鮮武将』同時代社、1992年
上垣外憲一『文禄・慶長の役』講談社学術文庫、2002年
中野等『文禄・慶長の役』吉川弘文館、2008年
北島万次『秀吉の朝鮮侵略』山川出版社、2002年
田中秀雄『石原莞爾の時代-時代精神の体現者たち』芙蓉書房出版、2008年(佐藤鉄太郎についてのみ)
George Alexander Ballard, The Influence of the Sea on the Political History of Japan (1921), Kessinger Publishing ,2009
Hawley, Samuel 2005 The Imjin War: Japan's Sixteenth-Century Invasion of Korea and Attempt to Conquer China. Republic of Korea and U.S.A.: Co-Published by The Royal Asiatic Society and The Institute of East Asian Studies, University of California, Berkeley
270.名無しさん:2017年08月15日 23:19 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
歴史の中の亀甲船
亀甲船は従来、朝鮮の軍艦の板屋船に鉄板でしめきられた蓋をかぶせて龍の頭をつけた発明よりは革新を通じて造られた新しい戦艦である。当時、全羅左水使であった李舜臣は、太宗のときから存在した亀甲船を改良して、本営と防踏鎮、順天府の船所で3隻を製作した。以後、閑山島に陣営を移したあと、2隻をさらに建造して朝鮮水軍は総5隻の亀甲船を保有していた。

亀甲船が概して板屋船に屋根をかぶせた船という点、亀甲船も他の多くの韓国伝統船と同じように、韓国式櫓を使うという点については学者らの間に異見はないが、亀甲船の具体的な構造についてはいまだに意見が入り乱れている実情だ。

亀甲船の構造と関連して、李芬の『行録』には

“大きさは板屋船と同じで、上には板で覆った。 板上には狭い十字路をつくって、人が通れるようにし、その他には全て刀錐をさして四方に足を付けることができないようにした。前には龍の頭をつくって、その口が銃穴になるようにし、後ろには亀尾をつけてその尻尾の下に銃穴を出した。左右に各々6門の銃穴を出したが、その全体の姿が概ね亀のようなのでその名前を亀甲船といった。”
271.名無しさん:2017年08月15日 23:20 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
と亀甲船について描写しており、一方、『忠武公戦書』にも李舜臣が建造した亀甲船から始まった統制営亀甲船の構造が詳しく記録されている。
亀甲船 - 3階甲板

これをまとめてみると、李舜臣が建造した亀甲船の外形は全面に龍の頭があり、亀甲船の左右に各々6門の砲が設置されており、亀甲船床板の蓋には十字形の通路がある。内部構造は2階(3階)になっているが、船の下と甲板の上の部分に分けられており、1階に倉庫、船室などがあり、甲板の上、2階には船長室をはじめとして、櫓軍と戦闘員が活動する空間だ。亀甲船に蓋をかぶせた理由は、敵船との接近戦で乗務員全員を屋根板で覆って保護し、また鉄串を打ち込んでおくことによって、亀甲船に上がる敵兵を遮断する効果を与えた。今まで復元された亀甲船は全て『忠武公戦書』に記録された全羅左水営亀甲船を土台にして製作された。
272.名無しさん:2017年08月15日 23:20 ID:JUfsNkJE0▼このコメントに返信
このような亀甲船の戦艦によって優秀性を挙げるならば、内部戦闘員を保護できるという点と火砲および防護力の強力さを挙げることができる。亀甲船は戦闘開始直後、敵艦船隊列に飛び込んで突撃戦をすると同時に、大砲を撃って敵の戦列を押し倒すために、亀甲船は厚い材質で製作され、敵の侵入から乗務員を保護しようと屋根板をかぶせて錐をさしておいた。また前後左右に14の火砲が装着されており、敵船によって包囲された状況下でも攻撃が可能だった。
特に《乱中日記》を見れば、亀頭の口に砲を設置したという記録があることから、全面火砲攻撃までも可能だったのである。そして、屋根板に鉄板がかぶせられており、防護力が優れているため、敵船が接近戦を繰り広げても簡単に侵入できないので、亀甲船が猛烈に突進して片っ端から砲を撃ち、龍頭を利用して撞破戦術を繰り広げることができた。このような点から決して海上のタンクと言っても過言ではないだろう。

まだ色々な側面で論議が続くが、亀甲船は壬辰倭乱のとき、朝鮮水軍が板屋船と一緒に運用してきた突撃戦艦であり、泗川海戦から投入されて閑散大捷、釜山海戦などの海戦で倭船を撃破するのに決定的な役割をしたという点は明らかだ。特にこの亀甲船には天字銃筒・地字銃筒などの大型火砲が装着されて強大な火力を駆使し、これは連勝の足がかりになった。以後、亀甲船はその重要性が次第に大きくなった。粛宗のときまで5隻だった亀甲船は、1746年(英祖22年)には14隻に増え、1782年(正祖6年)には実に40隻に達した。現在数多く伝えられている朝鮮水軍の訓練場面を描いた屏風類の絵図はこのような事実を傍証するといえる。それ以降、亀甲船の隻数が次第に減り、1809年(正祖9年)には30隻、そして1817年には18隻の亀甲船を保有していた。一方、高宗のときまで存在したという主張もあり、これから関連資料の新しい発掘を期待している。
273.名無しさん:2017年08月17日 14:36 ID:QFuSoyL.0▼このコメントに返信
※245~※272
長々とご苦労さんだが、
貫井正之、上垣外憲一、中野等、北島万次を
参考にしてる時点で、信ぴょう性はストップ安だぞ。
こいつらは、朝鮮側の都合の悪いことや、
日本側の軍事的成功や朝鮮民衆統治成功なんかを隠蔽する奴らだから。

ちなみに遠征に参加したキリシタン将兵たちから聞き取りした宣教師のフロイスの記録、
文禄2年に秀吉の使者に意見具申した内容には、
文禄元年に漢城周辺や以北への補給が秋以降に、滞り気味になった要因は、
人手不足、地形の困難さ、輸送部隊の往復の食料消費、冬到来に海峡の荒れのため
釜山、対馬、名護屋間の船の渡航制限が挙げられており、朝鮮水軍のことはでてこない。
なお、冬季においても漢城への補給は届いていた。

フロイスの記録では春になると、海峡が穏やかになるので補給が再開されると記されており、
実際に、秀吉は多くの指示を出しており、大輸送が展開され釜山周辺には
物資食料が溢れかえっていると記されている。
朝鮮側の記録にも、春季になると日本の大船団が続々と渡航している様子が
密偵を通じて報告されており、明軍や朝鮮王朝は恐れおののいている。
274.名無しさん:2017年08月17日 14:37 ID:QFuSoyL.0▼このコメントに返信
※273の続き

李舜臣が日本の補給線を断絶したのであれば、文禄2年の大輸送計画の指示書に
対朝鮮水軍のことが書かれていなければおかしいのだが、それがない。

あと文禄初期の日本水軍の船は、朝鮮船と比較すると中型であり、
日本の特性から竜骨も装備していないものであり、
圧倒的に朝鮮船が有利であったことも付け加えておく。
しかし、開戦から3ヶ月には日本も素早く対応し水陸から朝鮮水軍に反撃し、
大鉄砲、大型船の投入により、朝鮮水軍も船や将兵の被害が続出し、
大規模に出撃できなくなった。

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