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2017年07月16日 09:05

長篠の戦い「三段撃ち」後世の創作か?

長篠の戦い「三段撃ち」後世の創作か?

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引用元:【長篠の戦い】「三段撃ち」 現実的でなく後世の創作か [無断転載禁止]©2ch.net
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1500024327/

5: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:28:05.21 ID:tETBZhT50
たまに信長は運が良かっただけ、とかいう説を見るけど、最近かえって凄みが増してる感
運とかもう才能や努力ではどうしようもない。主人公補正かよ

13: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:29:55.89 ID:M/PPrJaD0
>>5
これ
最期までドラマチックで本当に主人公感ある

16: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:31:07.99 ID:RpPXU7MR0
>>5
だな
英雄には雑魚の考えなんて及びもつかない天運が付いて回ると

68: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:41:59.71 ID:dVkCQMBc0
>>16
あと一歩のところで運使い果たすけどな

410: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:24:41.28 ID:UviHVoHf0
>>5
大日本帝国も運ででも良いから勝ってほしかったな〜

(´・ω・`)

487: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:33:04.81 ID:5qfy8krl0
>>410
第二次大戦でボロ負けするまでは、運を味方にして勝ってたじゃん。

511: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:37:11.47 ID:tZqJ5uJW0
>>487
WW2は工業力に起因する火力差や性能差でやられたけど
それまでの日本軍って普通に合理主義だぞ
日本海海戦なり旅順攻略なんか準備も戦力も整えた上での勝利だし

11: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:29:42.32 ID:cBZdkStO0
んじゃあどうやったんだってばよ?

711: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 20:02:27.84 ID:PhV2C+mi0
>>11
情報戦を仕掛け制覇し戦地の理を活かし倍の兵力で待ち伏せして敵の退路を遮断し当時の最新兵器を梅雨明け初日に最大限活用したたけだよ

27: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:34:51.01 ID:xkU0ql1g0
>>11
単純に兵力差で勝った
やらざるを得ない状況だったとは言え自軍の3倍の兵力でしっかりと野戦築城してる織田勢にさしたる工夫もなく騎馬突撃を仕掛けた武田勢に勝ち目は乏しかった

58: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:40:51.39 ID:IZD8vsJr0
>>27
武田は何故3倍の織田に突撃したのだろうね。

織田兵は弱いと思い込まされた?

ここで信長を討たねばジリ貧あるのみ、と思っていた?

132: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:52:06.83 ID:5qfy8krl0
>>58
家臣団が勝頼の言う事聞かなかったから。
この時期、武田の重臣達と勝頼の関係性は悪化の一途。
つーか、勝頼では武田家臣団の統率は無理。
勝頼が悪いというより、血統の問題。
典厩が生きてて、勝頼の後見人として目を光らせてたら違う結果になっただろう。

339: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:15:57.33 ID:A98ZRfaB0
>>58
野戦築城した織田本隊に武田本隊が接近するに合わせて
別働隊に山を迂回させて、武田の背後の長篠城を解放したんだよ
仮に武田が引き返せば、背後から追撃され→やがて長篠勢と挟み撃ちされる悪夢コース

更に、織田本隊は高めの土地に布陣し
野戦築城した防衛ラインは前方の低地に設けることで
武田からすると、目線の関係で織田本隊全体でどのくらいの兵数が居るか見えないようにしていた

完全に武田の戦術的敗北だね

364: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:19:36.41 ID:hOfik1Ju0
>>339 武田の部隊の背後から、別働隊が射撃をしながら接近してきたとあっては
武田隊はパニックを起こして前方に殺到してきたんだろうな。

785: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 20:09:55.71 ID:PhV2C+mi0
>>58
三方ヶ原で家康軍を僅か2時間で壊滅させた自信
明智、高天神等要衝を簡単に手放す信長弱しとの判断
梅雨時で鉄砲使用不能の判断
設楽が原へ移動すると退路絶たれ包囲してた長篠城からも追撃された

14: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:30:47.27 ID:nghJOGQM0
火力が強いなら一歩下がればできるんだよなw

15: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:30:53.63 ID:UeBYG5Hk0
実は当時すでに短時間で次の弾を装填できる早合というものが発明されていたので、三段撃ちをしなくても連射できたのだよ。

30: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:35:00.54 ID:Ox4EEtgv0
>>15
つっても連射つらいぞ。
タールが銃口内や、点火用の穴に詰るし、
連射すると、銃身が熱膨張するので、口径が変るし、
面倒なんよ。

176: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:57:09.06 ID:5qfy8krl0
>>15
早合はもう少し後だろ。

19: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:32:16.99 ID:oJmVNN4d0
ヒトラーも欧州攻略の序盤戦でもことごとく読みが当たって電撃戦を成功させたと
戦略家みたいに言われてるけど、ヒトラーのアホみたいなキチガイ命令を
死にものぐるいで遂行して成功させた「有能な指揮官」が当時一杯居ただけのことだしな。

39: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:37:01.17 ID:Ox4EEtgv0
>>19
ヒトラーは若手将校が立案した作戦を承認しただけなんだけど。
序盤の勝ちっぷりは。
後半、かなり口を出しすぎて自滅してる。

21: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:32:34.06 ID:vxyLmnnf0
川中島も大体が情報戦だったらしいしな

29: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:35:00.03 ID:jIsnZvsN0
「狭い場所で入れ替わり立ち替わり」って・・・そんなことする必要ないやろ・・・

撃つ人、弾を込める人、掃除する人の三人一組で
銃を受け渡しして、それぞれの担当分を繰り返せばいいだけ

181: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:57:42.43 ID:4rNZBR8D0
>>29
そうだね、バケツリレーみたいに

454: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:29:34.80 ID:wzPR84ED0
>>29
銃の管理が軍なのか個人になってるかでできるかできないか変わってくるな

595: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:47:46.58 ID:bUTucAix0
>>29
それじゃ射手が深手を負った時点でその組は使い物にならないじゃん。
またはちょっと攻め込まれて分散したら係なんて全く役に立たなくなるし

823: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 20:13:53.16 ID:LS8gNcyK0
>>595
現代のスナイパーでも複数人でチーム作って作業分担(撃つ役、観測する役、周辺警戒すえう役など)
してるんだからその点は何もおかしくによ

44: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:37:51.01 ID:1KYEuC+i0
まぁ実際は火縄を持った射手1人と弾込め要員2~3人で運用する、それが三段撃ちってことで何も間違っていない

53: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:39:46.81 ID:5qfy8krl0
>>1
あほか。
信長の凄いところは、そういう戦で今川義元の首を取ったのに、そういう危うい戦術をその後1度も取らなかったこと。
義元の首を取ったこと自体は、宗三左文字の金象嵌銘を見ればわかる。
しかし戦術には拘らなかった。

長篠の合戦のキモは、後世の創作である鉄砲の三段撃ちなどではなく、馬防柵を活用した野戦築城術。

67: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:41:57.80 ID:nghJOGQM0
>>53
馬柵は大事だよ
俺はそれで3回勝つた

60: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:41:04.26 ID:U1AJZB3j0
火縄銃じゃなくてもあの時代に3000人もの兵隊を規則正しく動かすのは無理だろ

77: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:44:03.98 ID:+owgMiCr0
>>60
無理でも3000丁の鉄砲が
約2分毎にランダムに発射されりゃ
結構な弾幕だろ

845: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 20:16:51.17 ID:PhV2C+mi0
>>77
遮二無二突撃する部隊に防護柵越しに十字射撃は抜群の破壊力だろうよ

911: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 20:24:56.84 ID:LS8gNcyK0
>>77
秒間25連射に相当するからプチガトリングガンだね
兵力を分散せず集中すれば突撃する側にはきつい弾幕

85: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:45:02.35 ID:COkBNMTS0
別に段になってる必要はないよね
横一列でも、3班に分けて撃てば連続射撃になるよね

92: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:46:01.29 ID:qdmuWDDY0
>>85
そうだな
動く時間もったいないし

88: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:45:41.08 ID:ylwCwEkB0
火縄銃なんて100メートルくらいしか飛ばないから
馬でなくて人間でも20秒もあれば目の前まで来ちゃう。

銃の性能を知ってれば完全な創作だってわかるよ

112: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:49:31.08 ID:OYwlSnEd0
>>88
まあそこは柵で時間を稼いだんだけどさ
それでも実際何か所かは陣を抜かれてるんだよね
なぜ勝てたかというとあらかじめ調略で武田側の片翼を日和見させることに成功したから
これで抜けた武将も前線で孤立して撤退せざるをえなくなった

91: 相場師 ◆lXlHlH1WM2 2017/07/14(金) 18:45:56.22 ID:cnML7wAU0
てか武田軍、横から回りこめよw

154: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:54:03.61 ID:6tPzEPnG0
>>91
長篠ってのは細長くて両サイドが山なんだよ、中に川も流れていてその
地形も織田軍は利用して妨害陣地を構築していた。

193: 相場師 ◆lXlHlH1WM2 2017/07/14(金) 18:59:18.42 ID:cnML7wAU0
>>154
そうだったのか・・・
ドラマとかだといつも広大な原っぱに鉄砲隊が並んでる画だからなぁw

280: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:09:18.36 ID:dVkCQMBc0
>>193
そもそも日本で広大な原っぱとかあんまない
武田の騎馬隊はそんなにいない
騎馬隊を倒しても残った武田軍をどうするんだよ

104: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:47:38.85 ID:v8xukNlw0
織田軍にもそれなりの死傷者が出てるから、常に馬防柵の後ろに射て鉄砲を撃ちまくっていたわけじゃない。
三段で三連射したら、騎馬や足軽が馬防柵の前に出て、応戦してたんだろ。
形勢が不利になったら、一旦馬防柵の後ろに逃げ込み、追撃してきた相手をまた鉄砲で撃ちかけ兵力を弱め、
それを機にまた、馬防柵の前に兵力を押し出すの繰り返し。
遠目には一進一退のように見えるから、武田軍はなんとか突き崩そうと兵力をどんどん押し出して、壊滅させられ
ていった。

114: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:49:58.69 ID:y363qIBG0
>>104
柵の前に出たかは知らんけど、連続で3段撃っても全て殺せる訳じゃないから中まで突っ込んでくる奴もいるわな

123: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:50:49.34 ID:dtWTqeZ00
>>114
その為の柵では?

119: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:50:24.65 ID:ttstG+ta0
前々から射手1名につき捕手2名の射撃だったと指摘されてないか?

それと砦を築いて三段と単純に三段では意味が違ってくる。
砦を築いて三段なのだから、築城用語などでは大将が座す位置に
近い柵を上段、遠いのを下段、中間を中段と呼ぶはず。

解釈のミスなんじゃないかと思うけど。

148: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:53:42.27 ID:+oa1lAaP0
当時の鉄砲はマスケット銃で、ライフルじゃないから
飛距離も命中率も低い。

先込めだし、まん丸の弾が火薬の勢いで出るだけで
いちいちゴシゴシ掃除しないといけないから熟練兵でも
弾込めから発射まで一分程度はかかる。

だから時間かかって命中率の低い欠点補うために
ヨーロッパじゃ集団戦になった

151: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:53:55.51 ID:K20nOT1f0
信長の件はともかく、
三段撃ちは別に出来なくはないだろ。
危ないなら距離とればいいだけだし、
テレビの絵面的にはみっしり寄せた方が絵になるってだけでさ。

153: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:54:02.90 ID:U1AJZB3j0
火縄銃の装填てめんどくさそうだし撃つ奴1人に装填係2人くらいがいいのかな
3人で3丁の銃を撃っては装填でローテーションする

157: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:54:22.34 ID:fgdzE4aW0
戦って勝った事には変わりないし、多少の尾ひれが付くのもしょうがないよ
在りもしない軍隊が戦った事もないのに戦って独立を勝ち取ったとか爆笑ものじゃないし

163: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:55:14.42 ID:6tPzEPnG0
鉄砲は敵を一方的に攻撃出来るからね、自分は損害を出さずに弾丸が戦ってくれる、
これが戦闘のメイン武器なのさ。

182: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 18:57:52.78 ID:XhepwjDG0
訓練すればできるよね、三段撃ち
プロの兵隊だったんだからできたに一票

211: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:01:26.61 ID:+3J/xdZ00
絶え間なく打ち続けるには
二段だろうが三段だろうが
交代で撃つしかないだろう。

玉を込める時間を考えれば、
複数の組が交代で撃つ必要がある。

3組が順繰りで撃ったと考えるのは合理的。

223: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:02:51.15 ID:VDpkUeYN0
射手と装填手を一組にして
撃つ度に後ろにいる装填手が鉄砲ごと交換すれば解決しねぇ?

233: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:04:00.29 ID:dtWTqeZ00
>>223
その頃分業制って確立してんだろうか?

248: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:05:43.81 ID:+LyJsnyI0
砲手と弾コメ係を配置してたんだろ、人が入れ替わる必要はない

249: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:05:47.16 ID:Ts0NqHbZ0
そもそも当時の戦国時代までの記録には三段撃ちなんて言葉は一言もなかったらしいじゃん
江戸時代の通俗小説で初めて三段撃ちという言葉が登場して広まったとか

260: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:07:43.60 ID:MIJODRwp0
後世の創作はわかった。
じゃあどうやって戦ってたんだ?
そこが一番重要な部分じゃない?

293: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:10:43.02 ID:X0T9F9qZ0
>>260
どうやって戦ったかは完全に解明されてるだろ
長篠の合戦って日本史上初の野外築城戦だぜ
織田徳川は築城して待ち構えててあとは武田が突っ込んでくるの待つだけだった
武田はこの少し前に後方に奇襲かけられて大損害出してるので引くに引けなかった

335: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:15:27.04 ID:+Kj2KWpa0
>>260
野戦築城
馬防柵よりも工兵の概念が無い頃に立体的な傾斜陣地で敵の進軍を阻害とか
まぁ、戦術の浪漫

265: 名無しさん@1周年 2017/07/14(金) 19:08:13.63 ID:g8tpb6uM0
バケツリレーみたいに渡せばいいんじゃないの?

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2017年07月16日 09:19 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
塹壕掘って、Ⅿ2を3000丁じゃなかったっけ?
2.名無しさん:2017年07月16日 09:21 ID:i3UZCCLh0▼このコメントに返信
長篠合戦の戦場は一度は見るべき。
地形に起伏があって非常に面白い古戦場だよ。
愛知県新城市
3.名無しさん:2017年07月16日 09:22 ID:tCEXOxcG0▼このコメントに返信
古書は表現が曖昧な上、筆者がみたまま書いたり伝聞で書いたりするから、どうとでも解釈できる。
本スレにもあったが、どっかで3段の野戦築城が、3段の鉄砲隊、そして3弾撃ちへとポケモン的進化したのだろう。
4.名無しさん:2017年07月16日 09:26 ID:JXOYsDFF0▼このコメントに返信
BS3で検証番組やってたが、現実的じゃなかったようで、維新以後の陸軍で作られた話で正解。
当時は火縄銃の射程も50M程度だったようだが、馬も在来種でポニーレベルの大きさだったはず。
まぁ、成人男子が150センチの時代だけどw
5.名無しさん:2017年07月16日 09:28 ID:eIYlOjVL0▼このコメントに返信
馬防柵+簡易堀ってのが解明されてたな
それを迂回しようとした場所はクロスファイアポイント
ってよく考えられた戦闘陣地に突入かます方が悪い

こういうのは歴史家に任せっきりじゃなく
各分野のエキスパートも交えて検証すべきよね
6.名無しさん:2017年07月16日 09:33 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
あそこの古戦場は、狭い。
馬で突撃するにも、あっという間。
合戦図屏風とは印象が違うなぁ。
あの距離で馬房策があれば、集団に対しての斉射で狙わずとも制圧可能な気がする。
しかも、馬は銃声で棹立ちだろうな。
戦場が乱れれば、指揮系統なんか維持不可能だろうなぁ。
7.名無しさん:2017年07月16日 09:37 ID:LOCLwBzO0▼このコメントに返信
別に創作でも構わないんじゃないか?
国内限定で450年も前の話
今に何が影響するで無し
コレが創作だとして新説がじゃあ正しいかと言えばそれだってあてになる話でもないんだろ?
8.名無しさん:2017年07月16日 09:37 ID:tvdldxoi0▼このコメントに返信
てか鉄砲取り替え撃ちは当時の資料(信長公記)にフツーに載っている件
9.名無しさん:2017年07月16日 09:38 ID:kG.lyX.D0▼このコメントに返信
そもそも火縄銃は火花で暴発する危険性があるから、
一旦後方に下がって安全な位置で火薬詰めする必要があるのを知らない人が多いんだよな
10.名無しさん:2017年07月16日 09:40 ID:E8GD0.aS0▼このコメントに返信
チョッパリの歴史は創作ばっかりなんだよなぁ
11.名無しさん:2017年07月16日 09:40 ID:bfD2jNov0▼このコメントに返信
長篠では三倍の兵力差で陣地構築して鉄砲有だから、負ける要素はあんまりないな
12.名無しさん:2017年07月16日 09:43 ID:9.BNfKUI0▼このコメントに返信
>>132から>>785の武田軍が突っ込まざるを得なくなる流れいいな
後から見れば無謀だけど現場ならギャンブル要素多いにしても魅力的な打開策とも取れる
13.名無しさん:2017年07月16日 09:44 ID:pQ23semx0▼このコメントに返信
たしか早合だけじゃ、馬防柵と武田側の陣地からの突撃じゃ間に合わなかったという番組をみた
当時をなるべく近く再現して、馬も木曾の在来種で甲冑こみで100Kになるように調整したらぬかるみの様な足場の悪い所でも50mを10秒以内で駆け抜ける事ができてたという再現結果がでてて、結局それに対抗するのは3段打ちとか、規則正しい指揮官による統制でなくって、鉄砲の扱いに長けた玄人がバラバラに目標を定めて、絶え間なく打ち続ける事でやっとこさ10秒単位での連続射撃をなんとか維持できるって感じだった

まあ、それもガバガバな検証だろうから、実際は本スレにもあったような色んな要因もあった上(別働隊で退路を断つとか)だと思うけど
14.名無しさん:2017年07月16日 09:45 ID:QvWtGnZE0▼このコメントに返信
創作だったとしても、何かそれっぽい事はあったんじゃないの?
15.名無しさん:2017年07月16日 09:46 ID:kGd8KICR0▼このコメントに返信
戦国最強と言われた父の影を追い続け憑きまとわれた武田のカッツと尾張の強豪と言われた父の葬式で御焼香スプラッシュをして親類縁者からドン引きされたノッブでは家臣の性質が違うし、その後の大乱闘織田家ブラザースからノッブは親や兄弟の家臣が以下に扱いづらいか知ってるからなぁ、武田のカッツの苦悩ってノッブが尾張統一の時に織田のカッツとのいざこざで経験してることなんよ
16.名無しさん:2017年07月16日 09:46 ID:h7Vt.gQz0▼このコメントに返信
野戦築城と騎馬隊が実力を発揮しにくい地形に戦場を設定し、そこで武田側に決戦を強いた事。
17.名無しさん:2017年07月16日 09:50 ID:7hSO098k0▼このコメントに返信
三段撃ち

確か一人が撃って、二人が球詰めだったとか・・・
18.名無しさん:2017年07月16日 09:50 ID:.NEmkVzQ0▼このコメントに返信
ジャンプ大パンチ>アッパー>昇龍拳
19.名無しさん:2017年07月16日 09:51 ID:J4RWo1aL0▼このコメントに返信
まぁ騎馬隊と言っても、その頃の日本の馬はラバ並みで臆病な性格で音から逃げるのが本能だからな。バラバラになって逃げ回るわな。なぜ馬の習性を理由とした説が出ないか不思議だわ。サラブレッドはずっと後だろ。
20.名無しさん:2017年07月16日 09:54 ID:VJCfH2C50▼このコメントに返信
昔も今も人間自体は大して変わってないよ。ただ科学力が違うだけ。要は装備が違うだけ。戦争が身近にあった世代なら今の一般人よりもよっぽど、その時ある物で合理的な対応を行うし思い付くだろうさ。やらなきゃ死ぬんだし。昔の人をばかにし過ぎ。
21.名無しさん:2017年07月16日 09:58 ID:JpcgqP9b0▼このコメントに返信
当時の鉄砲ってライフリング技術がないからめちゃくちゃ曲がって飛ぶんだろ、下手したら3m先からグイッとシュート回転して真横に飛んでくなんてこともあるわけで
22.名無しさん:2017年07月16日 09:58 ID:sRW0.S5s0▼このコメントに返信
織田軍が全てにおいて強かっただけ。
23.名無しさん:2017年07月16日 10:00 ID:F3lil2Dd0▼このコメントに返信
バケツリレー方式は石山本願寺がやってたな
掃除や弾込めなら女子供でも出来るから
24.名無しさん:2017年07月16日 10:00 ID:tvdldxoi0▼このコメントに返信
※19
馬は鉄砲の音で逃げないように訓練されてるからな。
鉄砲の出始めだとビビって逃げたが、それじゃ話にならんと対策するのは当たり前。
25.名無しさん:2017年07月16日 10:00 ID:1VgZZoKv0▼このコメントに返信
■ 川崎デモ行進・申請したデモが正式に公安委員会から許可、本日7月16日決行!

【日本浄化デモ】 朝鮮討伐 & テロ等準備罪施行・祝賀
日本人のデモ行進を妨害する在日朝鮮人を共謀罪で大量逮捕しなければならない!

デモに対し外国人の在日朝鮮人やパヨク、有田ヨシフなどが力づくで阻止すると息巻いている。近くの駅を取り囲み一歩も川崎の地を踏ませないという主張も目にした。
何なのだろう。正式に許可されたデモで、その集合場所に向かう日本人達の足を止めるなどと平然と言い放ち、それが不法行為で犯罪であることをもう隠していない。
昨年の川崎市におけるデモを暴力で中止させたのは有田らが支援する左翼と在日。

憲法で保障された言論・表現の自由、これは絶対に守らねばならないものである。それを国民から奪うなどの行為は厳しく糾弾されねばならない。

26.古古米:2017年07月16日 10:00 ID:HkNMJhd00▼このコメントに返信
武田軍は織田徳川軍みたいに統一された指揮系統は無く、土豪の集まりだったらしい。
古参の土豪の中には「勝頼に従うことは出来ぬ。俺が成り代わってやる」という思いが強くて、総崩れになったんじゃないかな。
どこかに「信玄は政治家だったけど、勝頼は軍人だった。だから負けた」みたいな記述を読んだ事あるわ。
27.名無しさん:2017年07月16日 10:00 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※19
馬の特徴は、モンゴル馬サイズで山岳に強いタイプ。
下手にデカい馬だと、上級武士の乗り物だから狙い撃ちの対象。
親分が負傷なら、従者が担いで後送するのが普通。

尚、この戦、織田方の何某が内通で「北方に通り道を作って待ってる」とのガセネタで調略。
信じる派と信じない派に分かれて揉めた。
信じる派が突撃して、あるはずの通り道まで行ったら、無かった。
そこへ、狙い撃ちがあった。

文献はあるよ。
三段うちとは少し違うけど。
28.名無しさん:2017年07月16日 10:02 ID:IM5PgGPX0▼このコメントに返信
なお徳川勢は柵の前で戦った模様
29.名無しさん:2017年07月16日 10:04 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
紀州雑賀衆のつるべ打ち、はあったよ。
どこかで混ざったんだと思う。
ジェットストリームアタックを火縄銃でやって見せた方法。
30.名無しさん:2017年07月16日 10:04 ID:h7Vt.gQz0▼このコメントに返信
「武田強いからなぁ~、抜かり無く出来る事やっとこw」と
「尾張の弱兵何するものぞ、鎧袖一触、騎馬で蹴散らしちゃる!」
の差でしょ。
31.名無しさん:2017年07月16日 10:05 ID:3JfHjLAc0▼このコメントに返信
何れにせよ武田は主だった武将を失ってるし信長の大勝なのは疑いようもないのに文句をつけてくるバカは後を立たない
32.名無しさん:2017年07月16日 10:05 ID:mlSVaXFH0▼このコメントに返信
織田・徳川連合軍の陣容は後世だからわかることで
リアルタイムでは武田はわかってなかったやろうな
武田は幹部とそれを支える士官クラスとベテラン兵が壊滅状態やし
よくそれから持ちこたえたと思う
33.名無しさん:2017年07月16日 10:08 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
この戦、長篠合戦ではなく、設楽ヶ原の戦い、にして欲しい。
長篠は攻城戦だから。
挑発に乗らずに、長篠城落としてそこに籠ったら、間違いなく勝ってた。
山岳地で川に囲まれ、大軍の運用は不可能。
34.名無しさん:2017年07月16日 10:10 ID:YiaECQJB0▼このコメントに返信
太田牛一が書いてないしな。
35.名無しさん:2017年07月16日 10:10 ID:SHm43HP90▼このコメントに返信
長篠合戦絵巻は、利休率いる堺商人(鉄砲のスポンサー)の要望で鉄砲を目立たせる絵にしたからだと思ってる
36.名無しさん:2017年07月16日 10:10 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※31
文句は言わないよ。
三段撃ちがあったかどうかだけ。
勝ったのは確実。
兵力差もあり。
守りが有利な上に、鉄砲も十分。
37.名無しさん:2017年07月16日 10:12 ID:ivZKEY.G0▼このコメントに返信
どいつもこいつもわかってないな

武田騎馬隊の強さの根源は、かならず突破できるという自信

かならず突破されるという相手の恐怖
だよ


信長のすごいところは、
あの最強の武田騎馬隊でさえも突破できないから、持ち場を離れるな
と部下を信じさせたところ

射手に恐怖心があると、突撃してくる馬を前にして、平常心ではいられないよ
馬ってものすごい音で走ってくるんだよ
38.名無しさん:2017年07月16日 10:12 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※34
今なら、ストーカーなのかね。
まあ、マメな人は、いつの時代も居るんだよね。
39.名無しさん:2017年07月16日 10:14 ID:oywI40rv0▼このコメントに返信
音って言うけど鉄砲出た時に馬に慣らせたりしないんかね
自軍のも使えなくなるじゃん
40.名無しさん:2017年07月16日 10:14 ID:Qgw2GuCR0▼このコメントに返信
認識が20年古いスレだな
41.名無しさん:2017年07月16日 10:15 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※37
解ってるよ。
事実、風林火山の旗は、始終立ってたのではなく、ここぞという時に立ててた。
味方は気合入るし、敵はビビった。
42.名無しさん:2017年07月16日 10:17 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※39
自軍の馬は、後方に置いてるよ。
守りには要らないから。
お休み中。
43.名無しさん:2017年07月16日 10:18 ID:O8BaBLRb0▼このコメントに返信
運でしょw

実際問題、前哨戦では負けているわけだし。
雨が降っていたら勝てたかどうかもわからない。

長篠以前の織田vs武田では、織田方は一度も勝てたことがない。
一方的にボコボコにされ続けており、兵士たちも苦手意識。
44.名無しさん:2017年07月16日 10:34 ID:AizQ5SHx0▼このコメントに返信
※11
とはいえ一部馬防柵を突破されたりしてるから、
想定内だろうけどそこまで楽勝でもないというか、腐っても武田
45.名無しさん:2017年07月16日 10:34 ID:Qb5D4CuM0▼このコメントに返信
主人公は秀吉なんだよなあ。簡単にいうと経済力の格差が鉄砲に現れてるように半端なく何度でも戦える実力がある。織田軍にとって敗戦は一時的なもの。一方武田や上杉は一度の敗戦が致命打になってしまう。しかも小賢しい武将は戦局を正確に読み寝返る。イージーなんだよな長篠とか
46.名無しさん:2017年07月16日 10:40 ID:iisqMIb60▼このコメントに返信
兵力差2倍以上。
どうみてもただの物量差です。

信玄のころは2万5千動員できたのに勝頼になったら1万5千。
信玄が石高60万石たらずで川中島、上野争奪戦を1万5千以上動員し100万石で三増峠で2万動員し勝つには勝ったが武田も戦死1000名以上だし名のある武将も討ち死にし川中島から農繁期おかまいなしに出陣しまくりで財政負担しまくって武田家の衰退は始まってたんだよ。
47.さんすけ:2017年07月16日 10:41 ID:cfV8yn8m0▼このコメントに返信
元記事は、素人っぽくて、三段撃ちがなかったというには説得力が無いね。
「当時の鉄砲は火縄銃で着火部分が露出している。3人の人間が火のついた鉄砲を持ったまま、狭い場所で入れ替わり立ち替わり撃ち続けるのは引火のリスクが高すぎる。現実的ではなく、後世の創作だと考えられています」
という記事で、リスクが問題だと言ってるが、ちょっと考えるだけで、火がついたままなら銃を掲げて安全な方向に向ければいいと思うし、安全装置はかける(火蓋を閉じておく)だろう。
それに、火をつけたまま持ち歩くという取扱要領を前提にしていること自体も疑問。なぜなら、火縄銃の操作で火縄を銃に取り付けるのは普通、構えて火縄を一吹きして勢いを上げてから火ばさみにつけるという手順。つまり元記事を書いた歴史研究家は銃の操作を詳しく知らずに、銃の取扱方が危険だと言ってるわけだね。
48.名無しさん:2017年07月16日 10:44 ID:REQjFpud0▼このコメントに返信
三段撃ちの恐ろしいところは、これがゲームじゃないってことだ
言葉にしたら当たり前だが、実際の光景を想像してみれば分かる

例えば1発出てから次の発射まで時間があれば
一気に接近して仕留めるって行動も可能だろうけど
ランダムに連射され、それが命中すると即死もありえるってなると
勢いよくそれに突撃しようってのは、人間の心理として難しいわけだ

だから三段撃ちというほど規則正しくなくても
隣の奴が撃ち終わったら次は俺が発射する
みたいなルールで順番に撃たせるだけでも同等の効果がある
49.名無しさん:2017年07月16日 10:45 ID:iisqMIb60▼このコメントに返信
※39
元寇のときもてつはう最初だけびっくりしただけで以後普通に戦ってるしな。
ってか鉄砲の音なんてすぐなれるし自軍の馬も使い物にならなくなる。
武田家に鉄砲ないならともかく武田家にもあるんだから竹だの馬も鉄砲の音には慣れてる。
50.名無しさん:2017年07月16日 10:46 ID:zmFgb.AX0▼このコメントに返信
信長と家康のコンビって結構良いよね
力関係の差はあったが、現代からみても戦友感が比較的ありそうに感じさせる
51.名無しさん:2017年07月16日 10:47 ID:3rDiU.a90▼このコメントに返信
信長は桶狭間以降無謀な事しなかったとか言っている奴いるけど、
その後も信長は単独で物見したり、朝倉攻めでは馬廻りだけで動いたり、
天王寺合戦でも小勢で突撃したりと無謀な事よくやってるぞ。
52.名無しさん:2017年07月16日 10:48 ID:Oa8vjums0▼このコメントに返信
長篠といえば騎馬隊無かった説と切っては切れない話題だけど、
現代の牧場から連れてきた個体への軍事教練はもちろんしてない、血統的にも軍用から退いて何世代も経ってるだろう木曽馬でも
鎧や槍を装備した人間を乗せて100mを10秒ちょっとで駆け抜ける能力はあるのがちょっと前の長篠を扱ったテレビ番組で検証されてたな。
少なくとも馬が戦う能力が無いから騎馬隊や乗馬戦闘は無かった、って見方は(前から散々言われてたけど改めて)否定された形だった
53.名無しさん:2017年07月16日 10:49 ID:3rDiU.a90▼このコメントに返信
※46
あの時は織田と上杉が同盟国で、高坂に一万あづけて北の守り固めていたから全軍じゃなかったんだよ。
54.名無しさん:2017年07月16日 10:55 ID:ivZKEY.G0▼このコメントに返信
※48
その作戦はだれかが持ち場を放棄して逃げると崩壊するわけで


実際にはそれでも武田軍は突撃してくるわけよ
戦線を崩壊させるのが目的なんだけど

一部突破されても戦線が崩壊しなかった織田軍の士気の高さはすごいで
55.名無しさん:2017年07月16日 10:55 ID:XABW3dgn0▼このコメントに返信
三段射ち自体は明治だか大正の陸軍による創作らしいけど、火縄銃の輪番射ちは朝鮮の役でも使用された戦術だし、その雛形みたいなモノは有ったんじゃないかな?
56.名無しさん:2017年07月16日 10:57 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
諏訪四郎勝頼は有能だよ。
残念だったのは、親父の最後。
勝頼はワンポイントリリーフと明言した。
お陰で、家臣に見くびられた。
言わなかったら、内輪揉めも無かった。
57.名無しさん:2017年07月16日 10:59 ID:sgkJiwCu0▼このコメントに返信
相手より大兵力動員してセオリー通りに長篠の高台に陣を築いて迎え撃ったんだっけか
さすがにそれを気力や根性で覆すのは無理だわな
58.名無しさん:2017年07月16日 11:00 ID:Oa8vjums0▼このコメントに返信
※49
というか元寇って確か双方の史料からはてつはうがどの程度効果あったのかあんまり分からないんだよな
①元軍側史料では火器の描写は特に無く、②日本側の蒙古襲来絵詞でも絵に描かれてはいるが文では特に触れられない
③寺社史料でようやく爆発に日本軍が驚く様子が出てくるけどこれは他史料と余りにかけ離れた神風だの日本軍ボロ負けだの説の諸悪の根元的史料だから手放しには信用できない
こんな感じだったはず
59.名無しさん:2017年07月16日 11:01 ID:Qb5D4CuM0▼このコメントに返信
はっきり言って兵器としては火縄銃は銃と呼べる代物じゃない。あんなので殺傷しまくったとか無理だろ、朝鮮の役は銃対弓矢の戦いだから勝ちまくったとか言うけど、実際は突撃とか切り結んだ刀が活躍したって説もあるよな。それで交易品として人気だったとかのが説得力がある
60.名無しさん:2017年07月16日 11:01 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※55
信長以前に、雑賀衆がつるべ打ちやってるよ。
草むらに3段で配置。前列が立って発砲。座ったところで2列目が立ち上がる。2列目発砲後、座らせて3列目。
次々と上がったり下がったりで、つるべ打ち。
これを真似たんだろうね。
61.名無しさん:2017年07月16日 11:02 ID:iisqMIb60▼このコメントに返信
※53
言うと思った。
信玄正常作戦の時は守備部隊置いてかなかったとでも言うのかこれ言う馬鹿ってよ。
高坂残って上杉の備えも残ったし和睦したとは言えつい最近まで戦ってた北条の備えも空にして行くなんて無謀なことできない。
それで北条裏切ったら武田なんていっかんのお終い。信玄はそんなアホなことしてない。
何しろ信玄自身が裏切りまくって同盟国攻めまくってるんだからな。
勝頼もかわいそうだよ。信玄のアホが財政破綻させて全包囲に敵作ったおかげで苦労したんだから。
62.名無しさん:2017年07月16日 11:05 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※58
平戸沖で発見された現物は、素焼きの内側に、鉄片入りの火薬球だったそうだよ。
破片手りゅう弾みたいなものかな。
その後、海賊集が持ち帰って、焙烙玉って焼夷手りゅう弾に改造して使ったよ。
船同士なら、船ごと沈めればいい、って。
63.名無しさん:2017年07月16日 11:10 ID:uQDNQDBJ0▼このコメントに返信
※55
信長公記に、ノブ様がまだ陣頭指揮していた尾張統一戦の頃、「自ら鉄砲を取り替え取り替え撃っていた」と言う記録がある。
射手の脇に装填手を控えさせておくことは、鉄砲伝来初期から自然と生まれた発想じゃないかな。
鉄砲が、最初は高価なことから武士階級の持ち物で有り、武士はもともと槍持ち・弓持ちを戦場でも近くに置いていたことを考えれば、自然な流れだと思う。
射手(鉄砲足軽)が戦場で装填から射撃まで単独で行うってことの方が、実は大量に普及した後のことじゃ無いかと思う。
64.名無しさん:2017年07月16日 11:13 ID:w7J.F9AJ0▼このコメントに返信
大前提として、三段撃ちがあったという一次史料がないのに、あたかもそれが真実であるというような風潮がおかしい。
65.名無しさん:2017年07月16日 11:16 ID:cfV8yn8m0▼このコメントに返信
だれか教えて
三段撃ちと、一緒に語られることが多い「馬防柵」だけど、資料としてはどこらへんに書かれてるの?
長篠合戦図屏風が第一次資料的なものなの?
66.名無しさん:2017年07月16日 11:17 ID:Aw0YG0BN0▼このコメントに返信
※59
飾りにしかならないものをあんな必死こいて全国の大名がかき集めないだろ
買うにしろ作るにしろとんでもない金とか手間なのに
殺傷力に関しては100m以内でなら割と当たる、威力はほぼ確実に鎧をぶち抜いて頭とかならまず即死させられるってんだから弓やらと比べて圧倒的に強いよ
実際射程や殺傷力で大きく劣っていた火縄銃より旧式の銃は14世紀に伝わってたけど記録に残るくらい持った大名は殆ど居なかったし
67.名無しさん:2017年07月16日 11:17 ID:8NXIvt8k0▼このコメントに返信
この戦はなんでこんな武田の幹部連中が
バタバタと死んだのかってのが大きいと思う。
実際はたまたまらしいが、幹部連中が集団自殺みたいな与太話が出るくらい酷い。
68.名無しさん:2017年07月16日 11:18 ID:5i05Bc9b0▼このコメントに返信
17人13丁連射という分業式の連射をやってたんだってさ。
つまり火縄銃1300丁使って弾幕は100発の連射式だよ
69.名無しさん:2017年07月16日 11:18 ID:uQDNQDBJ0▼このコメントに返信
※61
あとは、鉄砲生産地から遠いと言う泣き所がありますよね。
勝頼が何かの手紙で「鉄砲買えない(´・ω・`)」と愚痴を書いてる。
それでも、ある程度の数は確保出来たのは、日本海ルートの輸送を利用してのこと。
と言うのも、塩の道で知られる信越ルートを行き来する博労(馬方)衆は、上杉家の支配を受けていなかった。
瀬戸内の海賊衆なみのフリーダム集団。謙信が干渉すれば、彼のライフワークだった関東遠征への協力を断られる。
だから彼らが甲斐へ何を運ぼうと謙信は止められない。
美談「敵に塩を送る」は、博労衆が「いま、信濃甲斐では塩が高く売れるぞ!」と勝手にやったのを、謙信がイメージアップに利用したのが実のところらしい。
70.名無しさん:2017年07月16日 11:18 ID:uWsvhUK80▼このコメントに返信
この中で実際現場行って自分の意見を語ってるやつって何人くらいいるんだw
71.名無しさん:2017年07月16日 11:19 ID:zmFgb.AX0▼このコメントに返信
三段撃ちがあったかどうかなんてどうでもいいだろ
昔の人もバカじゃないんだからそのくらい普通に考えられたろう
そもそも弓矢攻撃でそういうのがなかったとは思わない
72.名無しさん:2017年07月16日 11:21 ID:zmFgb.AX0▼このコメントに返信
こじん的に武田家は浅井朝倉を滅ぼされてしばらくしてから屈服するしかなかったと思うよ
国力的に第二次信長包囲網が織田打倒の最後の機会みたいだと思ってる
73.名無しさん:2017年07月16日 11:22 ID:Qb5D4CuM0▼このコメントに返信
三段撃ち=立派な戦術というほうがおかしい。三段撃ちが成立するには、かなりのハードルがある実際に使える戦術ですらない
74.名無しさん:2017年07月16日 11:23 ID:uQDNQDBJ0▼このコメントに返信
※59
最初の頃は、鉛と火薬が高価なこともあって、口径が小さいんですよ。
だから殺傷力が低い。
でも威嚇効果は凄い。
それが、天正年間から火縄銃の口径が大きくなって、「一発当たれば手足がもげる」ほどになってる。
75.名無しさん:2017年07月16日 11:24 ID:02kr3.uZ0▼このコメントに返信
下手な弾込めしたら簡単に暴発する事を考えると、作業分担の方が難しそうだけどな
普段からの信頼関係無いと無理
76.名無しさん:2017年07月16日 11:25 ID:Qb5D4CuM0▼このコメントに返信
※74
笑ったわ射手が暴発で死にそうだ、幕末の頃の銃でもまだまだそんな代物とは程遠い。
77.名無しさん:2017年07月16日 11:26 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※70
テレビで見た。
遠すぎるから。
屏風とだいぶん違うと思った。
両陣地が異常に近い。
狭い上に、織田方の陣地後方はすぐに丘。
尚、屏風絵はRF-4で撮影を基に描いた模様。
78.名無しさん:2017年07月16日 11:26 ID:pSAK.sKz0▼このコメントに返信
【日本浄化デモ】(於:川崎)
朝鮮討伐&テロ等準備罪施行祝賀

桜井誠氏の「日本第一党」と稲田防衛大臣を支援し、朝鮮殲滅、憲法改正、軍拡・核武装、アカ狩り、教育勅語、秘密警察、言論統制、原発増設、オスプレイ 100機導入を実現する。

【日時】皇紀2677年7月18日14時30分
【場所】川崎市多摩川土手
【共催】日本第一党、行動する保守運動、在日特権を許さない市民の会、Aleph、稲田ともみ組、新社会運動、赤報隊別働隊、オウム真理教残党、排外社ニートクラブ
【服装】大日本帝國軍服、黒ラン.ジェリー、迷彩服、AKB48衣装、セミヌ.ード(但し、ネクタイ・靴下着用厳守)歓迎
79.名無しさん:2017年07月16日 11:26 ID:V8dQ.2sT0▼このコメントに返信
 三段撃ちを「鉄砲を撃ち続けるため」という前提で見るからいろいろ不自然が出てくるんだと思う。
 これを例えば、「突撃してくる敵を粉砕するために、三列の鉄砲隊の各列が斉射を行う」とすれば、三段撃ちでかつ非常に有効な戦術になると思うんだが。ついでにあんまり不自然でもないし。
 鉄砲の撃ち方としては、一列斉射、二列斉射(前列が屈み、後列は立つ)がよく実演されてたりメディァで再現されたりしてるけど、いずれも突撃してくる敵に対して撃てるのは一回ぐらいでしょう。一列百人とすれば、一列斉射は百発、二列斉射は二百発の鉛弾を送り出せる。
 で、突撃してくる敵に対してより多くの鉛弾を浴びせるために、もう一列増やして三列にしたのが「三段撃ち」じゃなかろうかと。前列は発砲すればその場に屈み、後列は前列が屈むと同時に狙いをつけて撃つ。三列が撃ち終われば、その場で再装填してもいいし、後ろに下がってゆっくり再装填してもいい。こうすれば一度の突撃に対して三百発の鉛弾をごちそうできる。
 四段、五段と増やしてもいい気はするけど、敵に接近されちゃうだろうから、三段撃ち終わった段階で槍足軽が前に出たんじゃないかな。前に味方がいる状況だと鉄砲撃てないし。
 持続的な火力発揮を目的とした三段撃ちの考証は多いけど、こういう瞬間的な火力発揮を目的とした場合の考証もやった方がいいんじゃないかな。
80.名無しさん:2017年07月16日 11:28 ID:Oa8vjums0▼このコメントに返信
※76
大鉄砲なら普通に手足千切れそうだけど
81.名無しさん:2017年07月16日 11:28 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
これ、鉄砲ではなく、矢戦だったらどうなんだろう?
それでも勝てた気はする。
82.名無しさん:2017年07月16日 11:30 ID:XABW3dgn0▼このコメントに返信
武田家は信玄の時代から鉄砲を導入しようと試みていたが、鉛玉と硝石が高過ぎて訓練不足の小規模な部隊しか作れなかった
織田家は潤沢な資金によって平時から鉄砲の訓練を実施できた上、実戦では弾幕を張れるほどの大部隊を編成できた
83.名無しさん:2017年07月16日 11:31 ID:uS9vdRi10▼このコメントに返信
当時の日本の軍隊編成は三段撃ちとかそんなに鉄砲の火力上げることは考慮されてなかったんだよなぁ、、、
(雑賀衆だけは特別に銃兵の割合が高かったので、組撃の意味はあったけど)

あの時代の西欧、テルシオだって三段撃ちとか3人組んでの釣瓶撃ちとかやってないだよ
なのに、重装甲騎士突撃がなかった日本の戦場で、西欧並以上の火力を上げる連射の工夫をした
ってな前提自体が、ちょっと無理があるようなきがするけど、、、

つかね、西欧でカウンターマーチ(三段撃ち)やるようになった部隊の銃兵の割合は全体の40%
でも長篠の戦いで集団運用した銃兵の割合は8%弱、ぜんぜん鉄砲火力に頼った編成装備じゃない、、、
当時の日本兵の強さは装備(銃)じゃなくて、よく訓練されて士気の高い士官下士官(武将)の存在だと思うんだ、、、
84.名無しさん:2017年07月16日 11:32 ID:XABW3dgn0▼このコメントに返信
当時の火縄銃って今でいうダムダム弾らしいから、当たれば必殺は確かでは?
85.名無しさん:2017年07月16日 11:34 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※79
そうだろうなぁ。
パイクとマスケット銃の組み合わせと同じで、槍衾、弓矢、馬防柵と合わせての運用だろうなぁ。
86.名無しさん:2017年07月16日 11:36 ID:7zfgNfQN0▼このコメントに返信
>「狭い場所で入れ替わり立ち替わり」って・・・そんなことする必要ないやろ・・・
>撃つ人、弾を込める人、掃除する人の三人一組で銃を受け渡しして、それぞれの担当分を繰り返せばいいだけ

ソレだと、「撃つヤツが手柄独り占めかよ!」って思われちゃう。
チームでの勝利とかハッキリわからせるには結構学が必要だよ。
で、いくら世界的にはマシな分類だったとはいえ、戦果での農兵にそういう学や得を理解させるのは結構めんどうくさい。

公平に手柄与える機会を用意したほうが良い。
87.名無しさん:2017年07月16日 11:40 ID:s9leQWuA0▼このコメントに返信
※86
信長は常備軍用意していたから鉄砲部隊を常備兵にすれば教育もいけそうだが
88.名無しさん:2017年07月16日 11:41 ID:XABW3dgn0▼このコメントに返信
※83
戦国時代、西日本には馬の産地が少ないため騎兵戦術は奇策の域を出なかったが名馬の産地が有る東日本では騎馬戦術を集団運用するレベルで盛んだった

慣れない戦術に対抗するために創意工夫を凝らした結果ではないかな?
89.名無しさん:2017年07月16日 11:42 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
ところで、信長さんって、いつの間に月代剃ったの?
そこが疑問。
90.コロンブス:2017年07月16日 11:43 ID:eG1I9ksK0▼このコメントに返信
検証番組を見たことがあるが、整然と並んで撃つのは効率が悪いし、前列と後列を入れ替わるのも危険性もありで、出来ないとは言わないが実際にはやらないだろうと何となく思う。

記録にもあることだが、武将が部下が弾込めした鉄砲を交互に撃ち続けることは普通にあったので、グループとして役割を決めて効率的に攻撃したと言う方が無理がない気がする。

では三段撃ちが無かったかといえばそうでもないと思う。言葉があるということは原則的な兵制があったと思うので。

日本の歴史に何でもかんでもケチを付け、矮小化しようとする連中が戦後体制の中に居座っていることを忘れてはならない。
ここの書き込み欄にもいる。でしょう。

聖徳太子がいないというのと同じ理屈。
歴史的な事実はあるわけだが、昔のことは我々は見ていないので本当のことは分からない。その分からない間を推測でつなぎ埋めていく作業が歴史学だと思うが、当然そこには思惟が入る。
なので、日本人は日本人としての歴史観をしっかりと持っておけばいい。
聖徳太子が居ないとする歴史は論理的に考えて成り立たない。
つまり、聖徳太子不在論を主張する学者は「大馬鹿ぱよく」ということ。
論理的に証明しましたw
91.名無しさん:2017年07月16日 11:44 ID:XNcFbBJ80▼このコメントに返信
※83
>重装甲騎士突撃がなかった日本の戦場で

重装甲侍の騎馬突撃ならやってるぞ。長篠で水野さんの人に50騎ほど、押し寄せてきたという記述もあるし、
92.名無しさん:2017年07月16日 11:47 ID:XNcFbBJ80▼このコメントに返信
※65
信長公記をはじめとする、いろんな史料にでてくるよ。
93.名無しさん:2017年07月16日 11:50 ID:ZcLP4R2o0▼このコメントに返信
長篠の戦いでは、武田軍の退路の砦を酒井の部隊が落としている。そのため、武田軍は一か八か正面突破を図ったんだよ。
酒井の部隊の奇襲がなければ、勝頼も闘わずに撤退していたかもね。
94.名無しさん:2017年07月16日 11:51 ID:d0ANy1Oq0▼このコメントに返信
古代から鎌倉時代までは弓騎兵、室町時代は刀槍騎兵の集団が普通に同時代の史料や物語に登場するけど、戦国時代にはどの程度になってたんだろう?
フロイスの証言とか見る限り少なくとも畿内ではだいぶ貴重になってたと見ていいのかね
長篠では信長公記とか書状で触れられてるからあったんだろうけど
95.名無しさん:2017年07月16日 11:54 ID:3rDiU.a90▼このコメントに返信
※61
信玄は同盟国を裏切ってなどいないぞ。
三国同盟廃棄は将軍家と担いだ織田家と同盟を組んだ事による対立。ここはまあ裏切りと言えなくもないが、
その後の徳川との戦いは、徳川が武田を裏切って今川北条と組んで武田と戦ったからで、裏切られたのは武田。
その徳川を支援したのが織田なので、武田は振り回されたほうだ。
北条はその今川を支援したから対立しただけで、その後は和睦している。
将軍家の命令で北条や上杉と和睦した上で、織田と戦う方針になっており、
あくまで信玄は将軍家の命令などの大義名分をもたぬ行動はしていないし、周囲全部的に回すような事はしていない。
96.名無しさん:2017年07月16日 11:56 ID:Qb5D4CuM0▼このコメントに返信
※90
そもそも日本の歴史の半分は仏教との戦いと言ってもいい。とにかくクソみたいな宗教で、一向宗とかイスラム過激派と全く遜色ない。
被差別部落なんてのは一向宗の村が落ちぶれてそうなったというのも多いと言われている。聖徳太子といえば、その仏教を国内に導入した魁だろう。
そんな人物を無条件で神格化してる奴は確実に無知である
97.名無しさん:2017年07月16日 11:59 ID:w7J.F9AJ0▼このコメントに返信
※86
一般的に弓と鉄砲扱う人は専業兵士だったよ、在城下か在郷かはまちまちだったけど。
98.名無しさん:2017年07月16日 12:02 ID:XNcFbBJ80▼このコメントに返信
※93
信長が、3万の兵力を敵から見えないように隠して布陣しているのも大きいと思うよ。
99.名無しさん:2017年07月16日 12:07 ID:eG1I9ksK0▼このコメントに返信
※96
馬鹿はお前。
日本の古代の政治制度(律令制)を大陸由来とするのは気にかかる面はあるが、それを採用することによって日本が先端の強力な国家体制を手に入れたのは事実である。

今の西洋化と同じだろう。

大切なことは精神である。
日本の原型の奥を覗けば聖徳太子が居る。ということだな。
100.コロンブス:2017年07月16日 12:07 ID:eG1I9ksK0▼このコメントに返信
※96
仏教とは何だ。書いてみろ。
101.名無しさん:2017年07月16日 12:10 ID:Oa8vjums0▼このコメントに返信
※96
2ch史観というべきかまとめ史観というべきか…
最近のネットでは日本史をよく学ばず盲目的に反仏教がトレンドよね
中世までの国民総ヒャッハーの原因を寺院にだけ押しつけるのはなあ
なんかサヨクの階級闘争史観に似た極端さを感じる論調だよな
まあ大衆が歴史観や政治に対して極論しか求めないのは仕方ないことだけど
この史観では近代以前は仏教界のトップでもあった皇室は恥ずべき存在なんだろうか
102.名無しさん:2017年07月16日 12:11 ID:FBF.I3sm0▼このコメントに返信
信玄の後追いしたかった古参の武将が無謀な突撃しまくったなんて説もあるそうな
103.名無しさん:2017年07月16日 12:11 ID:l.XEUUBx0▼このコメントに返信
※96
日本を法治国家にした人物を讃えられない奴こそまともじゃない
104.名無しさん:2017年07月16日 12:12 ID:Qb5D4CuM0▼このコメントに返信
※99
おろかな・・それこそが日本の歴史を否定する考え方。遣唐使は朝貢とか唐の偉大な文化を学ぶためとか考えているんだろう。
105.さんすけ:2017年07月16日 12:13 ID:cfV8yn8m0▼このコメントに返信
※92
ありがとう、読むわ
106.名無しさん:2017年07月16日 12:15 ID:g2q5691M0▼このコメントに返信
事実などどうでもいい 真実は後世が作るんだ
107.名無しさん:2017年07月16日 12:16 ID:clpDNnAY0▼このコメントに返信
三段射ちが有効なら、外国でも弩やクロスボウでも遊牧民対策で考案されなかった?
108.コロンブス:2017年07月16日 12:21 ID:eG1I9ksK0▼このコメントに返信
※104
私はここで何度か聖徳太子以来の歴史を書いてきている。面倒なので書かない。
唐は均田制を採り入れようとしているが、日本も同時期に同時進行で公地公民、口分田の制度を採り入れようとしている。
まあ、対等に近いと言っていい。
お前の学問とやらは間違っている。
多分一連の流れとしての歴史観は持っていないだろう。

書いてみろ。

それから「仏教」とは何だ。私はこれも書いている。きちんと論を展開した上で価値判断のある自分の意見を書けということだな。w
109.名無しさん:2017年07月16日 12:26 ID:JgYmWDMG0▼このコメントに返信
戦闘は激戦で辛勝、戦略目的の達成という意味では織田軍の大勝利でしょ

戦略上の勝利が、後世では戦術上の勝利でもあったかのように話が創作される、よくある話
110.名無しさん:2017年07月16日 12:30 ID:5oRVgfJy0▼このコメントに返信
三段撃ちは史料の誤読(ただし輪番射撃はあったかも知れない)。野戦築城は無かった。
これらが最近の研究だな。

※95
時系列がメチャクチャじゃねーか
信玄にとって裏切りなんて日常茶飯事。
だから周辺を全て敵に回して勝頼が苦労するハメになった。

111.名無しさん:2017年07月16日 12:31 ID:uQDNQDBJ0▼このコメントに返信
※107
攻城戦ではやったらしい(射手と装填手が別)。
112.名無しさん:2017年07月16日 12:31 ID:Qb5D4CuM0▼このコメントに返信
※108.
はっきり言えば俺の歴史観はお前のようなアホ史観とは全く違う。お前は外交、軍事、経済を知らん。そうだな、でなければそんな楽観的な思想にはなれん。昭和天皇には戦争責任があると言うやつがいる、俺は無いと思う実権がないからだ。だが、中大兄皇子、天智天皇には白村江の責任がある。こういう事を言っても聖徳太子バンザイのお前には分からんよな。遣唐使と関係ねえじゃん、馬鹿じゃないのかとお前は考える。そうお前はその程度だ
113.名無しさん:2017年07月16日 12:36 ID:k4wdJY600▼このコメントに返信
1800年代初頭のナポレオンの戦争の時代に使われた銃で、有効射程距離50mです。
弾丸を一斉に発射すれば煙で目の前は真っ白、涙が出て、それに加えて煙を吸い込めば むせて咳き込んだそうです。
普通、敵が飛び道具を持って待ち構えていたら、こちらも飛び道具で応戦して双方打ち尽くしてから、突撃開始になるのが「ものの道理」。
騎馬兵が守備を固めた陣地に対して、突然「突撃」はあり得ない設定ですね!
大事に育ててきた馬を銃の標的にして、むざむざ殺させるようなことは普通しないですよ!従って、騎馬兵による突撃は無かったと思われます。
世間で言われている三段撃ちが成立するためには武田勝頼が「ものすごい無能」であったという前提が必要です。
「三段撃ち」はワーテルローの戦いにおけるイギリス軍のフランス軍騎兵に対する方陣守備が見事だったため、それから発想を得て、話を盛ったのだと推測します。

114.コロンブス:2017年07月16日 12:38 ID:eG1I9ksK0▼このコメントに返信
※112
ではからむな。お前の歴史認識、いや、知識が毛ほどもないのがよく分かった。
文章は知性を顕す。

すまんが、レベルが違いすぎる。

仏教とは何だ。
115.名無しさん:2017年07月16日 12:39 ID:XNcFbBJ80▼このコメントに返信
※110
>野戦築城は無かった。

初耳だな。
どんな根拠があるんだい?
116.コロンブス:2017年07月16日 12:40 ID:eG1I9ksK0▼このコメントに返信
※112
忘れていた。お前は「大馬鹿ぱよく」なんだろう。
117.名無しさん:2017年07月16日 12:43 ID:XNcFbBJ80▼このコメントに返信
※113
>騎馬兵が守備を固めた陣地に対して、突然「突撃」はあり得ない設定ですね!
>大事に育ててきた馬を銃の標的にして、むざむざ殺させるようなことは普通しないですよ!従って、騎馬兵による突撃は無かったと思われます。

守備を固めた陣に正面からの突撃がない事と、騎馬兵における突撃全般がないことは全く別では?
118.名無しさん:2017年07月16日 12:45 ID:OMuUNwB.0▼このコメントに返信
※109
武田方の主たる武将がこの合戦でほとんど討死してるのに織田側の辛勝って・・・
双方の損害を比較したらどう見たって戦闘でも大勝利だろう
119.名無しさん:2017年07月16日 12:49 ID:XABW3dgn0▼このコメントに返信
武田の対織田騎馬戦術は騎乗したまま敵陣に乗り入れて撹乱するのが主だったようだ
古戦場の狭さと布陣を見れば、少数の犠牲を覚悟の上で敵中突破を試みたこと自体は間違いじゃない
120.名無しさん:2017年07月16日 12:51 ID:Z9rntu080▼このコメントに返信
野戦築城とひとくちに言うけど、堀と柵ごときで1万五千の突撃を防げるわけがないんだよな。機関銃じゃないんだから

日本の城は伝統的にバリケードの延長線上にあって、大陸型の城壁のようにひとつの防衛線で絶対に敵を食い止めるのではなく、敵の侵入経路を想定して段階的に戦力を削る後退防御の発想で作られている。近世城郭の石垣なんかもそうだけど、絶対に通れない障壁として作ってあるわけじゃなくて、通りやすいトコと通りにくいトコを明確に区分けすることで敵の動きをコントロールするのが目的

たまにこの合戦の再現図だかで、屏風絵を参考にしたのだろうが、真横に走ったわずか1列の防衛線で迎え撃ってるように表現されるけどあれは間違いだろう。実際には複数の防衛線があり、曲輪や出丸のように囲われた小規模な防塁があり、複雑な動線設計の中で敵が踏みとどまったり無駄な動きをしなければならないよう仕向けているはず。それでこそ何百何千という数の銃が効果を発揮するはずで、敵の戦列と並行に並んだ銃隊の一斉射撃ごときでは駆け足で突っ込んでくる敵を押しとどめるなんて不可能

信長は全軍にかならず徒歩で戦うよう命じ、なおかつ柵から出ないよう指示していたが、徳川隊だけは柵の前に出て攻撃を仕掛けている。勝頼は事前に対峙していた数日間で織田徳川軍がかなり少ない兵数で布陣しているだろうと確信していて、徳川勢が仕掛けてきたときに一気に畳み掛け、敗走する敵に乗じて野戦陣地の内部につけ入ろうと考えたに違いないが、まんまと迷路の中に踏み込んでしまった
121.名無しさん:2017年07月16日 12:52 ID:3rDiU.a90▼このコメントに返信
※110
信玄は裏切りなんてほとんどしていないし、
信玄は全方位敵に回すようなことはしていないぞ。
西上作戦の時は北条上杉とは和睦ずみ。将軍の仲介でね。将軍の命令で上洛するんだから、
織田を裏切ったわけじゃない。
122.名無しさん:2017年07月16日 12:54 ID:niT5bQSl0▼このコメントに返信
明治以降の軍事費の世論耕作みたいなもんだっけ?
123.名無しさん:2017年07月16日 12:59 ID:uS9vdRi10▼このコメントに返信
※88
いや 三段撃ちにしても組打にしても、
特に騎馬兵なら、鉄砲集中運用されてない戦線の弱点?をその機動性で突くことができるわけで
数万規模の野戦で3000名程度の集中運用ではぜんぜん戦局には影響がないわけで、、、

つまり全体の8%程度しか鉄砲兵が用意されてないなら
集中運用(三段撃ちや組打)なんて考えずに、対騎馬兵用小部隊として分散配備された
と考えるほうが、戦術的に適当なんじゃないかと、、、これなら三段撃ちなんて個人技以上のナニモノでもない、、、

つか、みんな鉄砲に夢持ち過ぎだと思う、、、
幕末鳥羽の戦いだって、当時最新西洋装備な伝習隊が旧来種子島に槍日本刀の鳥取藩兵の白兵突撃に撃退されたんだし
ライフルと後装銃と銃剣が広まるまでは、銃ってそんなに万能じゃないって前提で考えたほうが良いと思う、、、
124.名無しさん:2017年07月16日 13:02 ID:XABW3dgn0▼このコメントに返信
前日までの雨で田畑が泥濘んで簡易水堀として機能したと検証してましたね
単純に馬防柵と火縄銃だけで勝利した訳では無いと
125.名無しさん:2017年07月16日 13:03 ID:AizQ5SHx0▼このコメントに返信
※123
>つか、みんな鉄砲に夢持ち過ぎだと思う、、、
戦国末期というか江戸初期の編成だと一番人数が多い兵科は鉄砲だから、しゃーない
当時の武士たちも槍や弓より鉄砲だと思ってればこその↑だからな
126.名無しさん:2017年07月16日 13:06 ID:PuRb0ulJ0▼このコメントに返信
※87
旗本傘下の隊に鉄砲を任せ、十数年の時間をかければそういう感じの教育も出来ただろうが、
まだまだ戦まっさかりのあのタイミングじゃ無理。

極端な例を持ち出せば、どこぞの半島人共は30年教育しても「日本人的な考え方」は根付かなかった。
当時の日本人がそこまでひどいという事はないだろうケド、
それでも、「チームの勝利」みたいな文化的な考え方を馴染ませるのはやっぱ、骨。
人間はそこまで器用なヤツばかりじゃないよ。残念ながら。

※97
専業なればこそ、ますます「己の功」には拘るもんだ。
源平それ以前から脈々と続く「武家」の考え方を取っ払うのはマスマス大変だよ。
127.名無しさん:2017年07月16日 13:08 ID:XABW3dgn0▼このコメントに返信
※123
だだっ広い草原で開戦した訳でも無ければ、信長は数日前から陣地を築いて待ち構えてるその上で内通を装ってデマを流すなど準備に抜かりなし
騎兵突撃が脅威だから鉄砲を上手く駆使して対抗したんだよ
128.名無しさん:2017年07月16日 13:09 ID:Qb5D4CuM0▼このコメントに返信
※101
なんでこう日本の大人は子供なんだろうと思うよ。
権力闘争をどんなもんだと思ってるのか、罵り合いで終わるのか
天皇が実権を持つ時代から貴族が実権を握る時代の過程で何が起きたのか調べようともしない。
個人的に暗黒期と呼べる時代はまさにその過渡期だろう
調べなさい、皇族が何をやって権力を維持してきたか
129.名無しさん:2017年07月16日 13:10 ID:k4wdJY600▼このコメントに返信
※117
敵の陣形に動揺や崩壊の兆しがあると判断できれば、騎兵による突撃はあるべきだと考えますが、
ワーテルローの戦いにおいてはイギリス軍に崩壊の兆しがあると判断して、フランス騎兵の総攻撃がありましたが、イギリス軍の立て直しが早くて
フランスの騎兵隊はダメージを受け撃退されました。プロシア軍が戦場に現れた時、プロシア騎兵の追撃を振り切るためのフランス騎兵は弱体化しており、ナポレオンは決定的敗北を喫してしまいました。長篠の合戦の詳しい状況は判りませんが。武田が撤退する場面で騎馬兵の数が足りていなかった可能性はあります。敗走の場面で、逃げても逃げても騎馬兵に追いつかれて討ち取られることを想像すると、恐ろしいものがあります。
騎兵は戦場(特に戦いの最終局面)において決定的役割を担う兵種であると思います。
130.名無しさん:2017年07月16日 13:13 ID:tQ.Akqkb0▼このコメントに返信
だがこの通説には疑問が残る

>>67
成仏してクレメンス
131.名無しさん:2017年07月16日 13:15 ID:oywI40rv0▼このコメントに返信
3千の3段は1000だぞw
斉射面なさすぎww
3段の意味が変わって伝わったか、ポイントを絞って使ったか
鉄砲で勝ったみたいなのは無いんじゃね
132.名無しさん:2017年07月16日 13:19 ID:XABW3dgn0▼このコメントに返信
※129
スレとコメ欄を読み返せばわかると思いますが、武田方は長篠城攻略に失敗して退路として確保していた城も失陥した状態から設楽ヶ原での合戦に突入しています
敵に一当てして血路を開くのが武田方の戦術目標なので最初に精鋭の騎馬隊が出るのは不思議でも何でも無いですよ
133.名無しさん:2017年07月16日 13:22 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※118
日露の日本海は、辛勝だったな。
この場合の織田方はそれとは違うが。
134.名無しさん:2017年07月16日 13:23 ID:KU30x3QI0▼このコメントに返信
ローテ撃ちはよく言われてんよな
この撃ち方自体はもっと前に中国が弩でやってたりするし、わりと現実的だよな

あと、火縄銃の有効射程は約200mぞ
135.名無しさん:2017年07月16日 13:26 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※106
逆だろ。
真実が如何にあろうとも、事実は後世に創られる。
136.名無しさん:2017年07月16日 13:31 ID:y8.gkrUe0▼このコメントに返信
※134
それは弾丸が殺傷力を保ったまま飛翔する距離
流れ弾で死ぬくらいの距離
有効射程は「狙って当てれる距離」であって、小筒、中筒だと50~80mくらい
137.名無しさん:2017年07月16日 13:35 ID:XNcFbBJ80▼このコメントに返信
※129
もう少し、内容をまとめてくれ。
何が言いたいかわからん。
138.名無しさん:2017年07月16日 13:38 ID:7OrXNvP.0▼このコメントに返信
そもそも先込め式の銃だと理想的な火網はどうやっても作れないから、この方法がベストってのは無い
間断ない射撃をとるか、一斉射撃の火力を取るかで色々やり方が変わってくるし国によっても違いがある
そもそもロシアなんかは余り当たらない弾の出る槍でしかない扱いだったりした

長篠の戦の勝利の主要因が火縄銃にあった、的な認識を改めないといけないんだろうね
139.名無しさん:2017年07月16日 13:39 ID:2Y9kqAfz0▼このコメントに返信
とりあえず、ヨーロッパの戦術に詳しい方は『独ソ戦でソ連側はどうやってドイツ戦車部隊を破ったか』を思い出して欲しいわw
140.名無しさん:2017年07月16日 13:42 ID:2Y9kqAfz0▼このコメントに返信
※138
あの戦況を作った織田徳川の連携が最大の勝因でしょうねえ
火縄銃は当時珍しい大規模運用だったから良くも悪くも目立った感じ
141.名無しさん:2017年07月16日 13:54 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※129
騎馬隊の運用に関して、打撃力はあるが守備力は無く、諸刃の剣、ってことで良い?
運用に関しては慎重を期すべし、と。
142.名無しさん:2017年07月16日 14:00 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※139
逆の方が良くないかな?
「ドイツ軍がソビエトの反攻をいかに防いだか」
「ソビエトの陣形と戦術、損害について」
とか。
戦車と跨乗歩兵の損害の大きさは、待ち受けて射程に引き込んで十字砲火。
こっちの方が近いと思うよ。

ソビエト軍は冬将軍閣下のお出ましで反攻、って部分が入ると、つながらなくなるよ。
143.さんすけ:2017年07月16日 14:02 ID:cfV8yn8m0▼このコメントに返信
信長公記の関係部分を読んでると
「両山北南のあはひ、纔かに三十町には過ぐべからず。」という部分に行き当たった。
つまり、(陣地の幅になる)山の間隔はたかが3キロほども無いと言ってるわけで、グーグルマップに定規を当ててみると2キロ半ぐらいにも見える。
ここに、3,000挺の銃を配置しようと思ったら、1丁に1m足らずより、3m幅で3人交代で撃ってくれと言いたくもなるわな。
何日か前のスレにあった、戦列歩兵ならまだしも、後ろに槍なんかもいるから仕事しやすくしろってうるさいだろう。
三段撃ちは良さそうな案に思える。単なる反論より、対案、または検証の再構成が必要だと思う。
144.名無しさん:2017年07月16日 14:23 ID:k4wdJY600▼このコメントに返信
※132
自分が武田方の「雑兵 足軽」であったと想像してみます。
私は村の顔役である「騎馬武者の侍大将」の脇で駆け足で突撃していたところ、一斉射撃でその「侍大将」が射殺された場合、私は突撃をやめると思います。私はその場で「侍大将」を抱えて後方へ下がります。「侍大将」の名誉とは たとえ討ち死にしても敵には首を取られないことです。敵に首を取られることほど不名誉なことはありません。敵が目の前に迫っていれば村の「雑兵 足軽」は協力して「侍大将の首」を敵に取られないように戦います。敗北した場合でも「侍大将」の首だけは守り抜き、故郷へ持ち帰るのが「雑兵 足軽」の名誉だからです。
ドラマでの演出なのでしょうが、撃たれても撃たれても突撃を止めない武田の兵士や、第二次大戦中の「万歳突撃」のようなことは戦国時代にはなかったのではないかと想像しますが・・・ただ関ヶ原の島津のような例もあるので、その時は「村の顔役の侍大将がやられても気にせずただ前に進め!」という様な命令が出ていたのでしょう。島津の例は絶対絶命の状況下、例外中の例外のような気がします。島津だからこそ敵中突破も可能であったのだと思います。武田が長篠の戦で同じような状況であったかどうかは判然としませんが、「敵陣の中央突破をしなければ武田は全滅する」というようなことをすべての兵士に周知徹底しなければ決して成功はないでしょう。「雑兵 足軽」には騎馬武者の突撃が何を意味するのかを知りえないというのが一番の問題点です。 
145.名無しさん:2017年07月16日 14:25 ID:jQYCTM8f0▼このコメントに返信
鉄砲傭兵集団で知られる紀州雑賀党の2段撃ちは存在したとかコーエーの本に書いてあった
146.名無しさん:2017年07月16日 14:33 ID:2zxNqk1s0▼このコメントに返信
そもそも弾丸が出土しないって10年前から言われてるつーの
147.名無しさん:2017年07月16日 14:35 ID:XNcFbBJ80▼このコメントに返信
※144
だから、結局お前は何が言いたいの?
148.コロンブス:2017年07月16日 14:41 ID:eG1I9ksK0▼このコメントに返信
※144
武田方の武将の討ち死にの多さは、ひょっとすると勝頼を最初から逃がすためのものだったかもしれませんね。
勝頼は逃げ切っているので、負けが決まってから後退したのではなく、最初から逃がされたと見た方がいいかもしれません。
金ヶ崎の退き口と同じような気がします。
武将が勝頼をどう思っていたかは分かりませんが、名誉のために死んだと考えれば何となく行動が分かるような気がしてきました。
149.名無しさん:2017年07月16日 14:46 ID:tQ.Akqkb0▼このコメントに返信
>「長篠・設楽原の戦い」で使用された鉄炮は見つかっていない。
>火縄銃はないが、その時使われたと思われる銃丸が 12 個見つかっている。
『日本銃砲史学会発表資料 第 354 号 設楽原の鉛玉とその周辺』より抜粋
150.名無しさん:2017年07月16日 14:46 ID:jQYCTM8f0▼このコメントに返信
弾丸が出土しない理由かー。比重が重いから下に沈む。堆積物がたまるとさらに下に移動する。
151.コロンブス:2017年07月16日 14:52 ID:eG1I9ksK0▼このコメントに返信
※150
弾丸は貴重であり、リサイクル。戦後農民あたりに拾わせ、買い取りをしたのではないだろうか。
戊辰戦争や西南戦争でも弾を拾い、再度利用したというのが分かっている。
152.名無しさん:2017年07月16日 14:59 ID:O6CLJVEe0▼このコメントに返信
三段撃ちが後世の創作なんじゃなくて

まず第一に

「多段撃ち」自体、信長の父親の世代でも既にあった戦法

第二に

長篠の戦で勝敗を決定づけたのは鉄砲より白兵戦
鉄砲vs騎馬みたいな印象になってるが、緒戦のぶつかり合いなんて、長篠の戦の全体で考えたら一瞬と言っていいような些末なもの
戦の大半はドロドロの肉弾戦

したがって「三段撃ちで勝てた」というのは後世の創作とはいえるが、だからと言って「三段撃ちなんかやってない」とか言い出すとそれもまた嘘
153.名無しさん:2017年07月16日 15:00 ID:2p5pX9kl0▼このコメントに返信
夢幻の如くなり
154.さんすけ:2017年07月16日 15:00 ID:cfV8yn8m0▼このコメントに返信
※146
設楽原歴史資料館
ttp://www.geocities.jp/shimizuke1955/2090shitaragahara.html
資料館側も割に少ないと言ってるね
現地は川沿いの低地だから、洪水もあったのかもね
155.名無しさん:2017年07月16日 15:02 ID:QUElYU5g0▼このコメントに返信
不思議と大久保彦左衛門の「三河物語」による記述、
大久保忠世が柵の前に出て、敵が攻め寄せてきたら引いて鉄砲のところに誘導し、
敵が逃げたら追いかけて挑発を繰り返し、その巧みな動きに信長も賞賛したというのは誰にも採用されないよな
まあ、あの書物自体大久保一族サーガだから話半分に割り引くべきだけど
本人(彦左衛門)の戦果はむしろ割り引いていると言う、謙虚なのか傲慢なのかわからないあたりが魅力
156.名無しさん:2017年07月16日 15:03 ID:O6CLJVEe0▼このコメントに返信
※4
中世の軍馬でポニーレベルなら十分大きい
体高140cm体重400kgが突っ込んでくるんだぞ
笑い事じゃすまん
157.名無しさん:2017年07月16日 15:19 ID:Fr69yfVB0▼このコメントに返信
※155
三河物語だと北条早雲や松平清康の時代に既に戦場で鉄砲が使われてたって書いてるけどこれも殆ど取りあげられないよな
個人的には誇張する意図で鉄砲の登場をわざわざ早めるとは考えにくいから少なくとも彦左やその周囲では真面目にそう認識されていたんじゃないかと思ってるんだが
158.名無しさん:2017年07月16日 15:21 ID:3rDiU.a90▼このコメントに返信
※157
中国で使われていた鳥銃ならあっただろうし、それを戦場で使わないとも思えないけどね。
159.名無しさん:2017年07月16日 15:27 ID:oCPrFOwe0▼このコメントに返信
たくさんの銃を使ったらしいが戦場跡地にはほとんど玉が発見されてない事実
160.さんすけ:2017年07月16日 15:30 ID:cfV8yn8m0▼このコメントに返信
※156
中世の騎士の馬は肩の高さこそ160ほどでも、体重は450kgほどまでだったんだね
もっとでかいのかと思ったら、背が高くてスタイルがいいくらいの差だったんだ
161.名無しさん:2017年07月16日 15:37 ID:l8phymzy0▼このコメントに返信
※160
肩高160!?
>当時の平均的な馬は12 - 14ハンド(48 - 56インチ、122 - 142センチメートル)であったことから
外国文献の引用元のあるwikipeaiaの記載でこうなってたんだけど。
ヨーロッパの中世って1400年代あたりまでだから、何か勘違いしてない?
162.名無しさん:2017年07月16日 15:37 ID:k4wdJY600▼このコメントに返信
※147
結論「武田方は織田方の陣地に接近するが、多大の損害を出して、途中から兵士は戦意喪失」
163.名無しさん:2017年07月16日 15:40 ID:l8phymzy0▼このコメントに返信
※160
ごめん。同じ資料で
>王立武器博物館所蔵の現存するホースアーマーの分析は、元来15 - 16ハンド(60 - 64インチ、152 - 163センチメートル)の馬
ってあったわ
164.名無しさん:2017年07月16日 15:44 ID:CY4yLs1Z0▼このコメントに返信
フリントロックじゃあるまいし、火縄式じゃあ三段で密集して、それぞれがその場で発射→再装填を安全に繰り返すのは不可能
前列が射撃して後列と入れ替わり、後ろで再装填するというというのが、30年戦争以降のヨーロッパで用いられていた方法
ナポレオン時代の華々しい戦列歩兵に感銘を受けた明治時代の軍部が、我が国にもこういうのがあればな→あったことにしておこう、で史実が「作られた」ってところかな
165.名無しさん:2017年07月16日 15:48 ID:XNcFbBJ80▼このコメントに返信
※164
その話が、作られた話だね。
166.さんすけ:2017年07月16日 15:51 ID:cfV8yn8m0▼このコメントに返信
※163
了解、私はここら辺を見ました
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/軍馬
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Marwari_horse
167.名無しさん:2017年07月16日 15:51 ID:S0.47WCT0▼このコメントに返信
15世紀には有名なフスの馬車野戦陣地の鉄砲隊が射撃役と弾込め役を分けてる資料があるし、パヴィアの戦い(1525)でも野戦陣地から交代で射撃したという記録がある。
海外の情報が大好きな信長のことだからその欧州での150~50年前の戦争のことを宣教師なんかにに聞いてたってのはいくらでもあり得ると思うよ。
168.さんすけ:2017年07月16日 16:03 ID:cfV8yn8m0▼このコメントに返信
※159
その事実は、当時の銃の命中率が、現在想像されているより、かなり高かったことを示してるのかもしれないね
169.名無しさん:2017年07月16日 16:06 ID:k4wdJY600▼このコメントに返信
※148
「昔の合戦は一騎打ちで勝負がついて 今の戦争に比べると平和的だった」という人もいますが、実際は一騎打ちの後、やられた兜首をめぐって、敵味方で血みどろの雑兵同士の戦いがあったのでしょうね。下手をすると味方同士で兜首をめぐって殺し合いがあったかもしれません。
170.名無しさん:2017年07月16日 16:19 ID:.jvsLIs.0▼このコメントに返信
※159
・周辺耕作地も多かったりで土壌的に下に沈みやすい
・鉛自体が当時けっこうな高級金属だったのでまず間違いなく可能な限り回収されてる
(実際、出土した少ない鉛玉を成分分析したら国産・中国・朝鮮・果てはタイなどかなりのかき集めっぷりで、
鉄砲本体より火薬と鉛玉の大量確保がいかに難しかったかうかがえるという話)

あとは長篠の場合の多段撃ちってのは銃列が撃つごとに交代、じゃなくて階段状に銃列が並んでたっつう「段差が多段」の意味かもって最近いわれてるよね。左右に広がりにくい地形で射界確保するために隊ごとに段々畑みたいな高低差作ったっていう。

フランスだかドイツだかの軍で騎馬兵に限らず敵の突撃止められるレベルの連射を横列射撃の交代でやろうとしたら十列越えないと無理だったって話も見たことあるし。
171.名無しさん:2017年07月16日 16:30 ID:dLIV4vAo0▼このコメントに返信
もういいよ
あっちでは3段撃ち、こっちでは3人一組撃ち、そっちではやたらめったら撃ち、向こうでは指揮官が居て一斉うち
172.名無しさん:2017年07月16日 16:46 ID:4.8vtZ1i0▼このコメントに返信
ヤッス「三段腹!?」
173.名無しさん:2017年07月16日 16:51 ID:fDsxsHqz0▼このコメントに返信
三段撃ちは知らないが、三段締めなら…ハッ、ゲフンゲフンwww
174.名無しさん:2017年07月16日 17:01 ID:unW..yQn0▼このコメントに返信
※100
日本の場合は「自分があるべき理想の姿、歩むべき道を示すもの」かな?

仏教にはいろいろな宗派があるけど、大雑把に日本人が求めるのはそれ。


教義や中身は研究中のものであるから正しいかどうかは不明。それを自分で確かめろってのが教義。

因果律(縁起)・空・四諦から八正道に至り、諸行無常・諸法無我・一切行苦から涅槃寂静を目標とする。


仏教が入ってきた当初は蘇我氏が物部氏との対抗上、盛んに祀ってたみたいね。最後は神代から続く日本の歴史や聖徳太子が編纂した「天皇記」と「国記」が保管されていた書庫に放火して蘇我蝦夷が自害しちゃうんだよ。すごく怪しいよね。それまでの記録が全部燃やされてるの。

日本がずっと弥生時代だったとかいうお花畑が出てくる理由が、ここで記録が燃えちゃって正史が残ってないから。

神道対仏教の抗争は物部蘇我両者共倒れの後、藤原氏の勝ち?
175.名無しさん:2017年07月16日 17:04 ID:SrhuP8.h0▼このコメントに返信
これ書き込んでる人の大半はこの戦いが八時間ぶっ通しの戦いだったこと知らなさそう
176.名無しさん:2017年07月16日 17:19 ID:MhRPW6800▼このコメントに返信
で、1か月後には、同じスレが立って、幻魔大戦みたいに、あったよ!・ないよ!の果てしない闘いが続くんだろ?
そろそろ、最終決着つけろよw
177.名無しさん:2017年07月16日 17:31 ID:rTJcz8s80▼このコメントに返信
この戦いの信長のすごさは三段撃ちどうこうより
一番厄介な敵は本願寺なんだからまとまってない武田の相手は
家康に守らせるよう言っとく程度でよかったものを
本願寺が浮足立ってるのを見抜いて本陣を動かしたことよね
178.名無しさん:2017年07月16日 17:52 ID:5oRVgfJy0▼このコメントに返信
※121
だから順番が逆だというのに。将軍義昭が反信長に転向したのは元亀4年。
しかも信玄が死んだあとの話だぞ。そもそも信玄の西上作戦なんてのはとっくに否定されとる。

※158
中国の鳥銃は銅製なので連射が効かないし耐久性に乏しい。
そして数も少なかったので、当時は大音響がしても誰も気にしなかった的なエピソードが多い。
179.コロンブス:2017年07月16日 17:56 ID:eG1I9ksK0▼このコメントに返信
仏教はインド哲学を基本にしている。
その根本は世界は「のがれられない苦(四苦・八苦)」に満ちているということだ。そして全てのものがこれを克服することは出来ない。とする思想に基づく。
これを克服したものは宇宙と一体化する。それが所謂仏だ。(つまり釈迦)
「成仏」とはこのこと。

成仏できない者は、苦の連関から逃れることは出来ない。再び苦の世界に転生する。これが輪廻転生という。
釈迦はそれまでのインドの苦行を一通り行い、結局悟ることが出来なかったと自覚する。

それよりも、現世を少しでも心安らかに生きるための方策をと考えた。
そうして、仏教の教義をまとめていったということになる。

涅槃にいたり、成仏するための方策としては「八正道」を行うこと。

結局後には、仏を信じ念仏を唱えれば誰でも成仏し極楽へ行けるという解釈になっている。「般若心経」などは哲学的にも優れていると思うね。

日本は確かに神道の国だ。しかし、神道には教義がない。死んだら風葬。
葬式などの形式がある仏教は新鮮だっただろうとは思う。後の宗教勢力の横暴については聖徳太子とは関係はない。
180.さんすけ:2017年07月16日 18:01 ID:cfV8yn8m0▼このコメントに返信
教科書にも載る題材なんで、ネタが古くなりそうも無い、主は安泰だね
次の世代で決着がついてないだろうという確信がもてる
181.名無しさん:2017年07月16日 18:02 ID:O8BaBLRb0▼このコメントに返信
※121
信玄は裏切りの常習犯じゃんw
ちったー歴史勉強しろよ。
182.名無しさん:2017年07月16日 18:07 ID:EdyOeciJ0▼このコメントに返信
算段うちよりも力を発揮したのは馬防柵
馬房柵越しに一斉射撃したから
馬防柵を抜く前に騎馬隊は全滅した
183.名無しさん:2017年07月16日 18:17 ID:iisqMIb60▼このコメントに返信
※181
ひでーよな。
今川桶狭間で弱体化したらとっとと今川の仇敵織田と同盟組んで徳川と対今川共同戦線。
で、その時義信の奥さんだった今川夫人送り返すんだけどなんと輿にも乗せないで歩かせて帰らせたんだって。
これを知った北条大激怒で武田と戦ったんだけどこの一連の行動が裏切りじゃないんだってさw

ちなみに徳川とは駿河は武田、遠江は徳川で手出し無用って約束だったのに約束破りの常習犯信玄は速攻で約束破って遠江にもちょっかい出して徳川から怒られましたw
184.さんすけ:2017年07月16日 18:38 ID:cfV8yn8m0▼このコメントに返信
wikiの長篠合戦図屏風を引っ張って、拡大してみるだけで結構、面白い
人物は、当然大きく描いてるけど、地形の方は案外正確で、東西2km、南北3kmほどの範囲を屏風の概ね横2×縦1に落とし込む、鳥瞰図になってることがわかる
鉄砲の列の所々に、弓もいるけど、武田側に弓らしきものが見当たらないとか
馬防柵の作りが、現代の復元品にまるで似てないとか
185.名無しさん:2017年07月16日 19:02 ID:3rDiU.a90▼このコメントに返信
※183
裏切ったのは徳川だが?
今川と和睦して武田と敵対する道を選んだのは徳川。今川を共同で倒す事を約束していたのにね。
ちなみに天竜川を境にしていたと徳川が主張しているが、
徳川は結局その範囲も今川に苦戦して勝てず、武田軍が今川をおって川を越えた事に起因する。
186.名無しさん:2017年07月16日 19:09 ID:3rDiU.a90▼このコメントに返信
※178
義昭が反信長になったのはもっと前。元亀二年に諸侯に手紙送っている。
対立なら元亀元年あたりからもう起っている。元亀四年は挙兵した年だろ。
187.名無しさん:2017年07月16日 19:17 ID:3rDiU.a90▼このコメントに返信
※185
自己レス
天竜川じゃなくて大井川と徳川は主張していたんだった。
で武田は天竜川としている。
※183
今川夫人は普通に帰っているよ。武田に攻められた時北条夫人が歩いて逃げて行っただけ。
そして武田は北条との同盟廃棄はしていない。北条が同盟を破って武田を攻撃しただけ。
188.名無しさん:2017年07月16日 20:16 ID:zljMMo860▼このコメントに返信
弓矢の時点で軍隊なら統率をとって、様々な運用をしただろう
そもそも3段撃ちって、凄いアイデアでもないよな
189.名無しさん:2017年07月16日 20:50 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※184
馬防柵は、本物は横一列じゃないよ。縄かけて引き倒されるから。
立体構造に逆茂木くらいはするもんだ。
そこを支えに、鉄砲を撃つし、鑓も繰り出す。
190.名無しさん:2017年07月16日 20:52 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※176
191.名無しさん:2017年07月16日 20:53 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※176
最終決着。
誰も見てないので、解らない。
192.名無しさん:2017年07月16日 20:59 ID:XNcFbBJ80▼このコメントに返信
※187
武田側から見たらそうなんだろうが、他所から見たら裏切りの常習者としか見えないよね
193.名無しさん:2017年07月16日 21:26 ID:cfV8yn8m0▼このコメントに返信
※189
一列じゃ無いのはわかるけど、二重にもなっていない

>立体構造に逆茂木くらいはするもんだ。
>そこを支えに、鉄砲を撃つし、鑓も繰り出す。

いや、普通そう思うというのは同意するけど、当時の人こそ知ってたはずなんだ。
絵は大変緻密で他の部分の拡大図を見るともう、納得せざるえないくらい書き込んである。
ところが、馬防柵はあの通りなので、信長公記の「馬防ぎの為め、柵を付け」という記述の、
馬を防ぐという目的は本当だったのかと勘ぐってしまうんだ
194.さんすけ:2017年07月16日 21:45 ID:cfV8yn8m0▼このコメントに返信
※193
名乗りそびれました

思わず本音が出ました
日本の乗馬突撃はヘタレみたいな意見もあるから、補強や逆茂木はいらないのかなと思えば
※189 のような意見もあるわけで、そこらへん、決定打に欠けるなと思います。
195.名無しさん:2017年07月16日 22:31 ID:oKMegllt0▼このコメントに返信
とりあえず、当時の鉄砲は引き金が無かったから火縄の長さで発射タイミングが決まったのを考慮すれば
防御陣地である馬防柵は必須だったと思うけどね。
それと三段撃ちは場所の広さを考えて火薬カスの掃除と玉込めと射撃手の3人一組での武器交換制のほうが現実だと思う。

それと馬防柵はただのフェンスのような作りじゃなくて、馬出しなどの記述もあるからある程度L字構造も取り入れていたはず。
要するに砦の第一段階が馬防柵だからな。
196.さんすけ:2017年07月16日 22:56 ID:cfV8yn8m0▼このコメントに返信
※195
>当時の鉄砲は引き金が無かったから火縄の長さで発射タイミングが決まった

引き金が無い火縄銃、または火縄の長さでタイミングが決まる火縄銃が見つかりません、ご教示いただければ幸いです
197.名無しさん:2017年07月16日 23:16 ID:9IbKs.7d0▼このコメントに返信
※196
※195は前の信長記事でも同じ説展開してた人かな?
戦国時代中の火縄銃は引き金が無く導火線着火(ってことだよな?突飛過ぎてイメージできないけど)なので個人で発射タイミングを調整できなかった。
現在それが残ってないのは江戸時代に全て引き金式に改造されてしまったからだ、って話
まあその時聞いてもソース返ってこなかったから普通に釣りだと思うよ
つーかどう考えてもあり得ないしな、機械式引き金が登場する前の
火槍や銅銃やサーペンタインロックでも射手が火種を自分の意思で火皿に突っ込んで発射してたんだから
伝わったときの仕組の更に前の仕組より使いにくい仕組に退化させるわけ無い
198.名無しさん:2017年07月16日 23:25 ID:64Y3X4eJ0▼このコメントに返信
※193
これが、報道記録画でないから、後で絵師に書かせるんだよね。
だから大鎧姿の武者なんてのも出てきてる。
これは拍付けみたいなもので、この人は重要人物、ってサイン。
あまりに凄惨な絵は飾りたくはないだろうから、そこもカット。
で、依頼者の活躍がメインなので省略はありますよ。
元寇の竹崎季長絵図なんかも、恩賞の為に書かせてたし。
子々孫々に、ご先祖様は頑張ったんだ、位かと。
戦争素人の画家さんが、実戦を想定して、話だけで書いたらこうなりますよ、でしょう。
199.名無しさん:2017年07月16日 23:35 ID:O6CLJVEe0▼このコメントに返信
※198
>元寇の竹崎季長絵図

嘘はいけない
あの絵図は恩賞貰った後に描かれてる


200.名無しさん:2017年07月16日 23:42 ID:O6CLJVEe0▼このコメントに返信

そもそも蒙古襲来絵詞の中に安達泰盛へ直談判した様子が収められてるのに、
なんで「恩賞の為に書かせてた~」なんていう時間軸むちゃくちゃな解釈になるのか謎
201.さんすけ:2017年07月16日 23:45 ID:cfV8yn8m0▼このコメントに返信
※198
ところが、地形、特に川の流れと、高地の位置関係なんかは、現在の衛星写真と比べても、現地を自分で歩いたとしか思えないくらい整合してるんですよ
そんな人が、将軍家の命で作成する作品の中の個人の利害が関係無い部分で考証で、手を抜くでしょうか?
下手に手を抜いて画竜点睛を欠くようなものが、現存し、多数の模倣作品を生むような物になるでしょうか?
400年の時を超えて
202.名無しさん:2017年07月16日 23:45 ID:BcVVowZX0▼このコメントに返信
欧州でも弓や銃には近接武器の兵が護衛に当たるのは普通
柵や遮蔽物があればなおよし
それ自体は独創では無いが、戦場で相手の動きを封じる位置に
柵を設置してそこに誘導したのが有能
3段だったかどうかは別として、その前後の信長軍の装備からして、
それなりの火力を用意して制圧したんだろう
203.名無しさん:2017年07月17日 00:09 ID:z.Mx92YS0▼このコメントに返信
※202
ほんとこれ
普通に話を読んでれば恩賞のため描かせたなんて解釈には絶対にならないはず
陰謀論と言えばそれまでだけど、恩賞のための宣伝だから信憑性はイマイチだよーって史料価値を貶めるために悪意でこのイメージが広められたとしか思えん
蒙古襲来絵詞が一番信用できる史料ってポジションだと日本軍がボロ負けしたことに出来ないからな
自虐史観が流行った頃に日本軍ボロ負け・神風説の根拠になる寺社史料(信憑性は低い)を相対的に強くするために学会や教育界が広めたんじゃないかと思うわ
神風説の流布には戦前戦中の皇国史観の責任もあるけど、それでも戦前は武士の奮戦にはちゃんと触れられてたって言うしな
204.名無しさん:2017年07月17日 01:24 ID:xx6dwdPJ0▼このコメントに返信
※194
あの馬防柵って、盛り土の土手の上におっ立てたものだから、、、
アレと空堀、銃眼付き土塁の3つ揃って「騎馬対策」になってるのよ、、、あの柵だけで止めようとはしてない、、、
というか他の2つ、空堀と土塁でほぼほぼ騎馬突撃に対抗できたと思われ、、、

まぁ室町時代の陣地(本陣)を囲う柵ってなのが、あの絵のようなものだったんだよねぇ、、、
効果というよりは、構築陣地の存在を示す柵だったのかもしれないよねぇ、、、
205.名無しさん:2017年07月17日 06:54 ID:KicStDAP0▼このコメントに返信
※186
その認識は時代遅れ過ぎる。

浅井長政書状から将軍義昭が反信長方に加担したのは元亀4年と確定している。
そして元亀2年説の根拠も書状の年代比定が変わってる。
206.名無しさん:2017年07月17日 07:47 ID:5sSKj1y.0▼このコメントに返信
※203
奮戦で撃退は間違いない。それと、蒙古軍の予定通りの撤退。
第一次は威力偵察みたいなもんだったよ。

設楽ヶ原に、戦時には絵師は行かないでしょ。
終了後、説明受けながら実地検分で土地の様子は見るけど。
その時には、柵は無かったと考えるんだが。
207.名無しさん:2017年07月17日 08:50 ID:7trHC2nc0▼このコメントに返信
※206
予定通りの撤退だったら高麗史で撤退するか背水の陣で戦いつづけるかで議論してるのは何なのかってなるけどね
威力偵察説(と弘安の役棄民説)って何故か一定の市民権を得てるけど史料的には一切の根拠が無いんでしょ
言い方悪いけど研究者のうち「日本ごときが真面目に戦うつもりのモンゴル帝国軍を撃退できる訳が無い」っていう
前提ありきになってる人たちが完全に否定された神風説の代替品として生み出したものにしか見えない
208.名無しさん:2017年07月17日 09:56 ID:YDGLH.1a0▼このコメントに返信
あの馬防柵、屏風絵を見ると横向きに寝かせた丸太の真ん中部分が欠落してて、おなじ絵図中にある長篠城に設置されている柵とは明確に構造が異なってる。これは敵が乗り込んでくる際に足をかけて乗り越えられるのを防ぐためなので、少なくとも野戦に挑んだ織田本隊が、柵そのものにも敵を押しとどめる役目を期待していたであろうことが推測できる。もしもっと本格的な堀や土塁を用意できていたらそんな工夫は不必要だったと思うから、ただの目印としてではなく、やはり「”馬防”柵」ではあったと思うんだよね

で、この場合、柵を乗り越えてくるのは騎乗したままでは無理なので、馬を防ぐと言っても本当に騎兵隊の集団突撃を想定していたんではなく、馬に乗れる身分の武士たちを先頭にした、歩兵中心の戦闘集団による突撃に対する対策だったと思う。まるで武田が騎兵集団による突撃を敢行したかのように想像しているっぽいコメが散見されるけど、まぁ騎乗して戦おうとする武士もいたかもしれんけど、それを集めて組織的に騎兵隊として運用したわけではないでしょ
209.名無しさん:2017年07月17日 10:39 ID:kYatUjyF0▼このコメントに返信
※173
故・桜塚やっくん「こ…こ…この、エ□ス!」wwww
210.名無しさん:2017年07月18日 09:44 ID:dGoOseox0▼このコメントに返信
※206
威力偵察の定義からずれてる
他国に派遣した軍隊全体が威力偵察でした、とかめちゃくちゃだよそれ
威力偵察っていうなら
竹崎季長らが行った先駆けの方がまだよほど近い

ID:7trHC2nc0さんも書いてくれてるけど、文永の役での蒙古軍の撤退は予定には無い撤退だよ
本来ならイケイケで内陸まで進攻する予定だったのに、先行した日本の騎馬隊の足が速くて間に合ってしまった結果
中途半端なところで足止めされ消耗、結果撤退した

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