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2017年04月13日 09:05

昔の一般的な軍隊の行軍スピードってどのくらいやったんや?

昔の一般的な軍隊の行軍スピードってどのくらいやったんや?

01

引用元:昔の一般的な軍隊の行軍スピードってどのくらいやったんや?
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1491994144/

1: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:49:04 ID:gIY
伝説系は抜きにして

2: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:51:02 ID:tjW
軍の規模や目的地までの距離によるんやろうけど5キロ/日くらいとなんかで見たことある

3: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:51:42 ID:gIY
>>2
そんな遅いんか?

4: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:52:26 ID:6WP
>>3
何千何万人が歩いてくと考えると

7: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:53:19 ID:tjW
>>3
昔がどの程度かしらんけど近代以前は道路もあらへんし
そもそも戦える状態の兵士を前線に送らなあかんからあんまり急いでもしょうがないんやで

5: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:52:32 ID:FIE
歩度は平地で時速3.5~4Kmって習ったけどな…

10: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:53:51 ID:gIY
>>5
それ自衛隊やろ
昔のが知りたいんや

11: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:54:06 ID:2Re
>>10
どんくらい昔やねん

13: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:54:39 ID:gIY
>>11
ローマとか戦国時代とか
あの辺って伝説ばっかで一般的な話残ってへんし

8: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:53:27 ID:h0C
浸透戦術考えると多少はね?

15: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:55:09 ID:6WP
ローマは道路整備してるから早そう

19: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)20:00:39 ID:tjW
古い資料で行軍の日時まで確認できるのは稀やで
だいたいざっくり

20: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)20:05:38 ID:gIY
ていうか昔の記録って明らかに盛ってるの多いのがな

22: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)20:24:20 ID:tjW
>>20
それ言い出すと昔の資料なんて軍隊の規模すらあてにならん

21: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)20:22:08 ID:JEE
勝ったがわが書いてるしな

24: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)20:29:17 ID:tjW
そういえばローマ軍は道路ある場所を急いだときが25キロ日であって普段からそんなに急いでたわけではないらしいで

25: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)20:31:56 ID:ia9
マケドニアの東征とかあれどんだけ時間かかったんや

26: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)03:56:01 ID:00C
普通に歩いて時速1.5km。でも装備の重さと隊列の関係で結構遅くなるだろから1kmくらいか
で、日が昇ってから落ちるまで途中休憩や水の確保、陣営の準備挟んで8時間歩いたととすれば8km日

ただ暑かったり寒かったり雨が降ったり、途中で登り道に出くわしたりするとさらに落ちるだろうから6,7kmくらいがええとこやないの?

27: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)03:58:24 ID:00C
ていうか古代や戦国時代の行軍って水どうしてたんやろ
大軍養うだけの瓶を一緒に運んでたんかな?夏とかやと水が腐りそうやけど

28: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:05:48 ID:00C
あと靴もきになるわ
ローマ軍の兵士とかすぐ履きつぶしてたんやないの?代わりが用意されてたんかな?

29: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:07:22 ID:hvo
いいとこ7、8km
訓練されたのなら場合により15~20kmかそれ以上の例も稀にって感じだった気がする

30: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:12:02 ID:00C
>>29
非戦闘員も訓練してたんやろうか
古代なんてレーションみたいなコンパクトな飯がないから運ぶ人ら必須やろうし

31: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:14:58 ID:hvo
>>30
兵站要員については難しいなあ
ワイが昔ガバガバ計算したのでは兵站要員を戦闘員と完全に区別した場合は全軍の45~55%は兵站に費やす計算やった。例えこうでなくともかなりの割合を割かなきゃとても円滑には運べない
でもそこまで整った軍隊はたぶん早くともナポレオン以降やないと無理そうやから水に限らず現地調達は当たり前やったと思う
特に馬なんざ一頭あたり1日10kg以上の干し草を消費するし膨大やで

33: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:18:55 ID:00C
>>31
それこそ草木の根まで食い尽くしながら移動してたかもしれへんのやな
しかし水の確保は本当に大変そうや川から離れると一気に喉乾いた状態に

34: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:20:56 ID:hvo
>>33
そういや曹操だったか?が水がなくて梅だかを想像させるだかしてツバ出させて誤魔化したって逸話あったな

37: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:23:08 ID:00C
>>34
あったな。横山三国志で見た気がする

32: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:17:58 ID:hvo
つまり昔になればなるほど非戦闘員とはそんな区別なかったんやないかなあ

39: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:24:38 ID:00C
いろいろ考えると、昔は水や食料確保できるように町や農村の近く通りながらいってたのかもしれへんな
くっそ遠回りしてそうや

40: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:30:04 ID:00C
てか食料調達の時間もあって1日20km進むとかバケモンやな

43: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:54:37 ID:dA7
道も兵站も貧弱やったから自然と行軍路なんて大軍率いるなら決まりきったルートしか選べんかったんやろな
だから城砦に意味があると

46: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)05:08:01 ID:Gpc
>>43
城塞の意味は今もあるで
兵站ってのは「軍隊の駅(物資の運搬口)」って意味や
せやから、今も基地は弾薬なんかの物資を保管しておくところで、それが軍隊の力の生命線になる

もちろん敵もそこを狙うから基地を強くするっていみで城塞は無価値ではないんや

44: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:59:33 ID:aBe
普段の歩行者のペースで時速4km
くっそ重い鎧着て歩いたらいいとこ1km
で、8時間も歩いたらそれだけだスタミナが終わる

1日5kmくらいやろなぁ

47: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)05:37:15 ID:00C
一万の軍とかの4列になっても2キロくらいの長蛇になってたと考えると、途中で誰かがこけたら大渋滞が起きそう

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2017年04月13日 09:12 ID:rTf7et3P0▼このコメントに返信
昔は酸素濃度高くて現在より持久力高かったらしい
2.名無しさん:2017年04月13日 09:18 ID:4hhXkU9J0▼このコメントに返信
ローマ時代紀元前753年から
戦国時代1467年応仁の乱から
ガバガバやんけ
3.名無しさん:2017年04月13日 09:22 ID:QfYlCe440▼このコメントに返信
騎士の時代には遅いし遠いしですれ違うと軍同士が出会えないから、合戦日時と場所を取り決めてついでにお互いの口上読んでから戦ったという。
4.名無しさん:2017年04月13日 09:22 ID:pBdo.pBl0▼このコメントに返信
マーチやから120 bpmくらいやろ
5.名無しさん:2017年04月13日 09:24 ID:.Ugnq05f0▼このコメントに返信
強行軍で20キロくらいだな
6.名無しさん:2017年04月13日 09:27 ID:JqZfB.LG0▼このコメントに返信
いつの時代か?やり直せ!(江戸時代の女性で1日30Km歩く)←参考までに
7.名無しさん:2017年04月13日 09:29 ID:RjsVEdkV0▼このコメントに返信
中国では文章にするときに兵の数を10倍にしろって話もあるくらいだしなぁ
実際100万の移動とかはなかったやろな

今川義元の場合、25000人くらいで
5月12日、駿府城を出発し、
5月17日に200kmちょっと離れた沓掛錠に入ってる
8.名無しさん:2017年04月13日 09:32 ID:qz.cqIoi0▼このコメントに返信
※6
集団と個人、装備の重さ、といったあらゆる差無視してかたんなやw
9.名無しさん:2017年04月13日 09:35 ID:1UYDUQGg0▼このコメントに返信
40kmちょいを2時間ちょいだから、20km/h
8時間行軍するなら160kmてところじゃね
10.名無しさん:2017年04月13日 09:38 ID:ZuzpMM8.0▼このコメントに返信
ローマ人の物語曰く、カエサルの時代で日に25kmが通常
強行軍だと30kmから35km、最強行軍では走れる限り
11.名無しさん:2017年04月13日 09:42 ID:3SFEJxl.0▼このコメントに返信
なにかと軍神扱いされるスウェーデンのグスタフ・アドルフの行軍記録を見ると、おおむね平地の多いヨーロッパで絶好調時に日に10〜15キロメール。常に腹を減らし、途中離脱者を抑えながら食料の集積地から集積地に移動する野盗の群みたいなものだったらしい。パン焼職人や商人、従軍娼婦なども従えると行軍速度はさらに遅くなる。せかすと反乱が起きる。グスタフがスウェーデンの官僚に戦費と食料不足を泣きつく懇願の手紙が多数残っている。つまり、全然かっこよくないのが戦争。M・F・クレフェルト「兵站」より。
12.名無しさん:2017年04月13日 09:43 ID:qz.cqIoi0▼このコメントに返信
そもそも、道の有無や地理の理解で行軍速度は驚くほど変わるんだけど
前提として平坦な道を進むのか、道なき道を進むのかでも大きく変わる

騎馬民族の機動力とかすっさまじいほど広いから徒歩なのか、大陸の騎馬速度なのかも考えないとあかんやろ
13.名無しさん:2017年04月13日 09:45 ID:ZABjPhC60▼このコメントに返信
モンゴルのヨーロッパ侵攻とかどうだったんだろな
戦闘にかかる時間引いても移動だけで相当な時間だったはずだが
14.名無しさん:2017年04月13日 09:47 ID:cl4zvpJ50▼このコメントに返信
歩兵中心なら洋の東西を問わずだいたい15kmが目安。古代ローマ軍が規則で16km。
ただし騎兵中心の強行軍で55km(数日のみ)が可能。これを10日以上できるモンゴル騎兵軍がおかしすぎる。
15.名無しさん:2017年04月13日 09:47 ID:3rQvG3ey0▼このコメントに返信
旧帝国陸軍の歩兵って、完全装備で60km/日 くらい歩いてた気がするんだが。
記憶違いか?
16.名無しさん:2017年04月13日 09:48 ID:L6E3g0E40▼このコメントに返信
※7
つまり40km/日か
思ったよりはやいな
17.名無しさん:2017年04月13日 09:51 ID:XKp8tx7f0▼このコメントに返信
軍が大規模だと先頭が数キロ進んでいるのに最後尾がまだ出発地点に居るらしいね
18.名無しさん:2017年04月13日 09:54 ID:KdaDToKA0▼このコメントに返信
※1
昔ってそれ恐竜時代位大昔の話だろ
19.名無しさん:2017年04月13日 10:08 ID:5.viQKEp0▼このコメントに返信
※16
今川の場合は遠江や三河の国衆込みで尾張に攻めたから兵站の食料は三河辺りで用意してただろうからな。
というか尾張進行は5年くらい時間かけてるから先遣隊とか送ってるはず。駿河を出発したのは義元とその周辺の少数だけだろうね。
それでもその速さは怪しい
20.名無しさん:2017年04月13日 10:09 ID:I9Q7X7Ro0▼このコメントに返信
人間の歩く速度なんて今も昔も極端に変わらない
よくいわれる一分間に80mは普通の人だとかなり早足だから、完全武装の自衛隊員が歩くとして分速70mくらいと仮定すると時速4.2km
小休止に大休止が入るから、朝食後すぐ開始して暗くなるまで行軍したとしても実際の移動時間は10時間がいいところかな、それだと42km移動できる、ただこれは平地で舗装なりなんなりのそれなりに歩きやすい地形を通った場合
不整地を通る場合はもう少し効率悪くなるだろうね。

旧軍だと一時間に6km行軍するみたいな訓練あったみたいだけど、これはまさに強行軍の範疇で、その後万全の状態で戦闘とはいかないだろうね。
21.名無しさん:2017年04月13日 10:11 ID:kH1CUGLf0▼このコメントに返信
ハロルド・ゴドウィンソンは歩兵主体の部隊でヨークからロンドンまで5日で300km以上を行軍してるぞ
1日60km以上と驚異的な進軍速度、しかも直前に自軍より多い敵軍を撃破してからの強行軍だった
22.名無しさん:2017年04月13日 10:14 ID:Nin.GsAM0▼このコメントに返信
遠足で学年が団体で歩いてる速度ぐらいやろ
23.名無しさん:2017年04月13日 10:16 ID:kH1CUGLf0▼このコメントに返信
※19
実際、12日駿府発、17日に池鯉鮒城、18日に沓掛城に入ったともいわれてる
それに義元の行軍ルートは200kmもない、せいぜい160km程度
1日で40km移動した日もあったみたいだけど平均すると1日あたり23kmくらいの行軍スピード
24.名無しさん:2017年04月13日 10:17 ID:Y364fwVx0▼このコメントに返信
南北朝時代の北畠顕家は敵軍支配下の地域をぶち抜きながら16日で600㎞の行軍をしてるな
25.名無しさん:2017年04月13日 10:20 ID:nfK8W5.x0▼このコメントに返信
戦国時代とか、ドラマみたいに隊列組んで前進とかじゃなくて、ばらばら小集団で進んで、現地で隊列組むような状況だったと聞いたな。
隊列組み直すのも半日がかりとかなんで、双方準備万端で「会戦」することになると。

欧州じゃ、赤髭大王は常識を逆手に取って、隊列組むと見せかけて斜めに前進して左翼奇襲とかやってる。
26.名無しさん:2017年04月13日 10:21 ID:4HhlBEnr0▼このコメントに返信
※14
モンゴルの場合、指揮官から雑兵まで全員馬に乗っていて、しかも一人当たり3頭以上の替え馬を持っていたから、
戦略的な機動力では下手な近代軍より高かった。
27.名無しさん:2017年04月13日 10:21 ID:gClB2zep0▼このコメントに返信
高校の時の世界史の先生が言ってたけど、青瓦台襲撃未遂事件ってのがあったらしい。
当時大統領だったクネクネのお父さんを暗殺するため、北朝鮮の精鋭30人くらいが侵入した。
具体的な進軍速度はわからないけど、マラソン選手なみの速度だったとか。

途中、民間人に見つかったけど「人民は我々の味方だ。通報するわけがない。」と見逃し通報されたんだって。
28.名無しさん:2017年04月13日 10:24 ID:5.viQKEp0▼このコメントに返信
※23
兵糧や武具は前線で用意させといて義元と数千人くらいなら1日23kmくらいはいけるか
兵の半分は遠江と三河だろうし駿河兵も一部は先に送っておけばいいし
29.名無しさん:2017年04月13日 10:25 ID:yPsPlUxg0▼このコメントに返信
国民軍と絶対王政の軍隊でも歩行速度全然違う。
30.名無しさん:2017年04月13日 10:29 ID:ROeIlhGq0▼このコメントに返信
※1
なにその世界にマナが満ちていた時代みたいな設定 年々酸素濃度減ってるの?
面白そう
31.名無しさん:2017年04月13日 10:35 ID:FT1I8z.v0▼このコメントに返信
鎌倉時代に出来たとされる半足
これが戦国時代に足裏全体を覆う草鞋に変わると機動力は格段に増した
らしい
32.名無しさん:2017年04月13日 10:41 ID:dXUVN2uY0▼このコメントに返信
古代と現代を比べてもな
道がどうなっているか?
ハシゴや武器を輸送するための輸送方法は? 現代なら車輪があるし効率の良い結び方がある
古代は保存食がない、食料の調達は?
効率の悪い輸送方法ならそれを護衛するために、全員が遅く調節しなくてはならない

前条件の想定がザルすぎんよー
33.名無しさん:2017年04月13日 10:44 ID:ChDpeHuT0▼このコメントに返信
ローマ時代は25km/日くらいで行軍してるのに
中性になると、8km/日くらいまで落ちるんだよね
なんでだろ?
度量衡の変更?もしくは、装備の重装化?

ただ、大砲とともに移動して
帝国陸軍は40km/日ごえだし...
度量衡の変更なのかね?
34.名無しさん:2017年04月13日 10:56 ID:zShMSSme0▼このコメントに返信
※33
古代ローマの強さは街道網の整備によるもの
展開が早いから、すくない数で広大な領土を守れたんや
35.名無しさん:2017年04月13日 11:06 ID:2gTODayT0▼このコメントに返信
元山岳部のワイ、40kg背負って平地20~25km/日
ただし山道で100人規模になると歩行でも渋滞メカニズムが発生、隊列が凄く伸びる。
1000人規模なら行軍速度落ちるくらい先頭が待たないといけないだろう。
休憩・食事も場所選んで割り振りしないとマジ行方不明
万単位はどう捌けばいいか見当もつかん。
秀吉の中国・美濃大返しはそこが驚きだ。
無線も無しにこの規模の軍勢をあの速度で流すって、
三成どんだけ優秀なんだよ
36.名無しさん:2017年04月13日 11:11 ID:ORY85rPR0▼このコメントに返信
朝飯の準備→飯食う→隊列組む→移動→休憩→夕飯の準備→飯食う→寝る
このサイクルで考えると1日に移動できる時間なんて6時間あればいいほう
しかも、天候が悪かったらさらに時間が短くなるし
37.名無しさん:2017年04月13日 11:19 ID:U3mmCCRe0▼このコメントに返信
マレーの虎こと山下将軍の銀輪部隊が優勝やろ
38.名無しさん:2017年04月13日 11:23 ID:pileSoaB0▼このコメントに返信
1万人だと1日で10トンくらいメシ食うからね
略奪含む現地調達で賄うとかもう不可能なレベル
39.名無しさん:2017年04月13日 11:25 ID:vDQvu09L0▼このコメントに返信
韋駄天の由来にもなったアレクサンドロス大王は、ギリシアからはるばる攻め込んでエジプトに寄り道したりウズベキスタンあたりで無駄に3年くらいまごついたりしながら、ペルシア帝国の領土を7年で征服してるからな

伝説として語り継がれるくらいだからこれが驚異的な速度だったのは間違いないが、この東征から何十年も前に、やはり1万人規模のギリシア人傭兵がペルシア帝国のど真ん中から(とうぜん後方支援どころかろくな兵站組織すら持たずに)ギリシアまで無事に逃げ帰っている。おそらくこの辺の時代にギリシア人たちは長距離行軍のコツを理解しているし、おそらくアジアはもっと早くにそのノウハウが確立されている。アレクサンドロスはこれに劇的な勝利を加えることで、無人の野を行くがごとき速度を計上できたわけだ

モンゴルなんかについても言えることだし、おそらく近代以前の多くの軍隊がそうだったんだろうが、現代人がついつい考えるほどには兵站に人員を割いていない。その方が速度的にも食い扶持の面でも効率が良かったんだろう。かの秀吉の小田原攻めについても、武士たちの糧食は奉行衆がそれなりに手配していたが足軽に食わせる分は不足しており、というかそこまで手厚い支援などできるはずもなく、そこら辺の土を掘り起こしてイモを探したり、うっすい粥が高価な値で売られていたりというのが記録に残っている。給金(米)支払ってるんだから自分で商人から買って食え、というのが基本スタンスだったんだろう
40.名無しさん:2017年04月13日 11:29 ID:JqZfB.LG0▼このコメントに返信
※8 平民と兵士の違い位気が付けよ、常識だろ?
41.名無しさん:2017年04月13日 11:39 ID:CIkUy2ye0▼このコメントに返信
脱落者は置いてけぼり。1日2食、配給糧食は1食麦パン1枚、各自3日分携行。
兵は農民、手付はお金、戦闘後に給金、勝てば褒賞、分捕り自由。
戦に行けば、鎧、武器、鍋、金属製品、戦利品が手に入る。文字通り命懸けの商売。
農民は普段でも死ぬ一歩手前なので割のいい宝くじ買うような気持ちだったのでは。
42.名無しさん:2017年04月13日 11:39 ID:2XYOaXrj0▼このコメントに返信
孫子の兵法だと食糧の類は輸送のコストとそれに関係する速度低下の為、現地調達が最強とあるけど、現地調達で全部賄うとか無理やろ…
43.名無しさん:2017年04月13日 11:41 ID:2XYOaXrj0▼このコメントに返信
>>41
日本の合戦の場合、戦だと平時よりも飯食えて、酒も飲めるという事で足軽はむしろ人気だったらしい
44.名無しさん:2017年04月13日 11:47 ID:BlXM.l030▼このコメントに返信
>>44
まともな甲冑点けるなんてのはいわゆる武将クラスだけやぞ
後はぺらっぺらな甲冑もどきだけだ
行軍時は着ないで背負って歩くし
昔の人間の脚力舐めない方が良い
45.名無しさん:2017年04月13日 11:52 ID:CIkUy2ye0▼このコメントに返信
兵站近くには軍商みたいなのが居たんじゃないかい、所々で商人が武器兵糧を売ってたかもしれないぞ。
各町や村人が売りに来るのもあるかも、そう考えていくと凡そ人の住むような処は行軍しやすかったかも。
46.名無しさん:2017年04月13日 11:52 ID:.q09Pz.Z0▼このコメントに返信
近代軍になるまでエリートの条件の一つが行進ができるだったりする。
行進無しだとすぐに道が渋滞するので倍以上時間がかかる
47.名無しさん:2017年04月13日 11:52 ID:raPMgxgO0▼このコメントに返信
日本の長距離強行軍といえば※24でも挙がった北畠顕家だろうな。
次点は大坂冬の陣の時の徳川秀忠軍
48.名無しさん:2017年04月13日 11:56 ID:GKGjG6cX0▼このコメントに返信
フォーメーション作って集団で敵に立ち向かうから「マーチ」の練習をしてたんじゃないのか?今じゃパレード以外の実用性が無いけど。
49.名無しさん:2017年04月13日 12:05 ID:aLiLyzFj0▼このコメントに返信
兵隊やくざの設定では1日20キロってのがあった
50.名無しさん:2017年04月13日 12:05 ID:7mrWq1Yr0▼このコメントに返信
2日で、100キロ行軍させる自衛隊アホやな。
51.名無しさん:2017年04月13日 12:12 ID:WgOy.zDE0▼このコメントに返信
規模と場所によるからわからんでしょ
52.ふるちん:2017年04月13日 12:13 ID:Zel3CiEn0▼このコメントに返信
※42
昔の中国の場合だと穀物の集積基地を運河沿いにいたるところに作っていたから、それを奪えってことだな
敖倉とか有名なところが項羽と劉邦とかで出てきてたり
53.名無しさん:2017年04月13日 12:13 ID:rP6bFZMS0▼このコメントに返信
ナポレオン曰く「最良の兵士とは戦うよりむしろ歩く兵士である」
昔は何万の兵が戦場まで徒歩で移動しなければならなかったことを考えると意味がよく分かるね
騎馬でさえ持続的な行軍スピードはせいぜい40km/日と聞いたことがある
54.名無しさん:2017年04月13日 12:15 ID:dgW.Zoxt0▼このコメントに返信
万単位の軍勢だと先頭が出発してから一日が経っても最後尾は移動を始められないとか聞くしなあ
55.名無しさん:2017年04月13日 12:16 ID:JBZZ9yzp0▼このコメントに返信
兵站のこと考えると三国志時代の100万の軍勢とか眉唾やな
56.名無しさん:2017年04月13日 12:23 ID:F1NzLzEU0▼このコメントに返信
※55
「総勢100万なら殆どが兵站要員だとしてもかなりの戦闘員が残る」みたいなもんじゃない
57.名無しさん:2017年04月13日 12:33 ID:6YNRFRZh0▼このコメントに返信
司馬懿の公孫淵討伐の際、「往路100日、復路100日、戦闘100日、その他休息入れて約1年」と見積もりほぼその通りになったとある。
記述を信じれば1日約15km、単純に60日の休息を均等に割り振れば12.5km行軍した事になる。
58.名無しさん:2017年04月13日 12:34 ID:1OFYQn100▼このコメントに返信
近代でもWW2以前だとボイラーに火を入れて戦艦とか空母を動ける様にするだけで3日ほどかかる、其の他の色々な物資搬入とか考えると1週間。
其処から原チャリ程度の速力で現地に向かう
59.名無しさん:2017年04月13日 12:45 ID:83r8nmcl0▼このコメントに返信
※33
まずローマ軍の移動は街道を前提としたもので、ローマ域外を出ると速度は極端に落ちる。
次に動員される部隊の違いもある。ローマはローマ市民と傭兵(外国人部隊)だが基本は正規の訓練を受けた常備軍。日頃から訓練漬けの人たちで規律こそ命。
これが中世になるとドイツ騎士団を筆頭とする傭兵集団(金で雇われた武装強盗に近い)と騎士、一部に動員兵。まあ編成がバラバラで移動は各部隊が各々に行い集結地で集まるという、まあある意味現代戦に近い移動になる。この方式によりローマ時代ではありえない数の動員が可能になったが、人数が増えれば当然時間も掛かる。
さらに装備も厄介な大砲の登場が大きい。
というのもローマ時代の戦闘は、基本的に平地や山岳地に関わらず、部隊同士の会戦で決められた。
これに対して中世の戦闘は会戦もあるが基本は城攻めであり、城攻めに有効な大砲を戦場に持っていくことが必須だった。大砲登場前は投石器になる。こういう大型兵器の登場が行軍速度を落とした。

あと兵站に関してはギリシャ時代から、正規兵の3~6倍の人間が必要といわれているね。スパルタなんかはスパルタ市民一人に対して3人の奴隷を戦場に連れて行くとある。
60.名無しさん:2017年04月13日 12:48 ID:1OFYQn100▼このコメントに返信
秀吉の中国大返しは行軍速度で言えば異常。
マラソンランナーの如く中国地方から本能寺まで3日で走破してるし、鎧兜や武器まで携帯して移動糧食に関しては先行した伝令の通達で道々の村々からの炊き出しや夜間松明で夜通し照らしてたとか。
61.名無しさん:2017年04月13日 12:51 ID:ERlRxcqz0▼このコメントに返信
平均は20k前後とかじゃないのかな?
歩兵の移動だけなら今も昔も大した差はない。(兵站の移動は効率が上がってるから全体的には少し早くなってるだろうし、戦闘があるか無いかでもだいぶ違いけど)
中国戦線で日本陸軍もそれ位だったと思う。
状況にもよるがバターン死の行軍と言われるのも1日平均10数k程度だった様だ。
日本兵は1日に10~20kの移動は普通だったとも証言ある。


62.名無しさん:2017年04月13日 12:55 ID:tTIyXCHB0▼このコメントに返信
※8
現代人と昔の人間の体力の違いを考慮しないお前に言われてもな
63.名無しさん:2017年04月13日 13:00 ID:7Ucr3K9X0▼このコメントに返信
草ボーボーの原野やジャングルみたいなとこを武器や食料いっぱい背負って歩いてるんだぜ?
今みたいにレトルト食品なんて無いし。
64.名無しさん:2017年04月13日 13:04 ID:VDM63.Eq0▼このコメントに返信
輜重隊の速度次第だから相当遅い
戦闘員だけの話じゃない
65.名無しさん:2017年04月13日 13:09 ID:zGC62Ivm0▼このコメントに返信
忍者も軍隊に入れますか?
66.名無しさん:2017年04月13日 13:21 ID:dCww9x1d0▼このコメントに返信
30年戦争の行軍記録ならグスタフの方も傭兵の方も残ってるから調べりゃいい、

大抵川沿いを移動してるんだわ、兵士一人当たり一日3kカロリー食わせて続けなきゃならんし、移動の度に竈作ってパン焼いてw
そして大砲(当時の小型なやつ)でも本体と弾で4頭立てとかの馬車がそれぞれ必要だし。
馬千頭でサッカー場3つ分位の草原が毎日丸裸程度には食うんだわ、冬は巻藁を別個に馬車で運ばなきゃならんしw
行軍しながらならその辺で食ってこいで済むけど、籠城戦時は全部自前で用意しないと騎兵が攻城(包囲網)に参加できません。
67.名無しさん:2017年04月13日 13:23 ID:g8QuM0Lb0▼このコメントに返信
※61
自分で歩いてみると良いよ。東京ならディズニーランドから渋谷あたりまで歩いて30kmという所。直線距離なら20km。実際に歩くと直線距離で測るよりもかなり多く距離がある。更に高低差もある。普通に歩いて5時間かからない。無論、人による。

装備の内容や兵科によっても速度は大幅に違うよ。ただ昔のお話だと20kmは強行軍の部類みたいだね。

例えば80kg背負って歩くのと、空荷で服を着てるだけでは全く違う。今のように機械化されてれば超速いよ。

規模によっても行軍速度は異なるね。普通は一日で15km程だった模様。


段取りをする人たちの能力が最も行軍速度に現れると思うよ。戦闘時の進軍速度とはまた別かね?
68.名無しさん:2017年04月13日 13:25 ID:IQsODc3.0▼このコメントに返信
第二次大戦以前の軍隊の食糧補給は基本現地徴発(礼儀正しい略奪)だというあまり知られていない事実
69.名無しさん:2017年04月13日 13:33 ID:S7pZxDT30▼このコメントに返信
旧日本陸軍は最速で8kmで歩くでなく走るレベルだったらしいな…落伍者は置いて行く…
70.名無しさん:2017年04月13日 13:35 ID:5TdUl5lw0▼このコメントに返信
深夜にラッパが鳴って非常呼集、強行軍の訓練で12時間歩き、約40キロ、とじいちゃんが言っていたような気がする。
71.暴君:2017年04月13日 13:56 ID:IXtVv.kx0▼このコメントに返信
 
 武器もって歩くだけなら、一日に30kmぐらいは移動できそうだが
水汲みや食事の煮炊きや野営地でのベット作りなどの雑用の時間を考えると
一日に10kmも進めれば良いほうじゃないか。

 缶詰(瓶詰め)の戦闘食が開発されたのも、
炊事に費やす時間を、なんか削減したかったためらしいし。
72.名無しさん:2017年04月13日 14:26 ID:ERlRxcqz0▼このコメントに返信
※67
実は昔、普通科やってたんで行軍自体はよくやったよ。
1中隊と言う事でよく前衛をやってたけど、前衛なんで主力より先にでて、経路の安全化はもちろん、経路の維持、選定(計画の地図上と実際の道では結構違ったりする)とかもやる。
ここがもたつくと、主力の速度が落ちたり停滞したりするんで、結構大変。
それは置いといて、行軍訓練自体は夕方から次の日の朝方位までに40~50kが基本ではあったけど、戦闘とかを挟めば1日数k、実際になんだかんだで1日10~20kも移動出来ればってのが個人的な感覚でもあった。
73.名無しさん:2017年04月13日 14:27 ID:RO.t7NZ30▼このコメントに返信
※11
強行軍でヨーロッパに名を馳せたブランデンブルク選帝侯フリードリヒ=ヴィルヘルムは
1675年、フェールベリンの戦いに向けてアルザスからマクデブルク、およそ310 kmの
距離を15日で踏破してる(約20.6km/日)。なお最後の二日間は騎兵だけ先行させた。
74.名無しさん:2017年04月13日 14:36 ID:RO.t7NZ30▼このコメントに返信
アルザスじゃなかった。ウンターフランケンからマクデブルクだった。
75.名無しさん:2017年04月13日 14:39 ID:Os8tjS790▼このコメントに返信
一舎=30里=12キロの話がなんで出てこないん?
76.名無しさん:2017年04月13日 14:50 ID:twRCNdzi0▼このコメントに返信
>>52
はえ〜すっごい詳しい…。
ちゃんと穀倉があったンゴねぇ…。それなら現地調達も可能やな。
77.名無しさん:2017年04月13日 14:54 ID:GlUiu.Oe0▼このコメントに返信
>>71
瓶詰めは確か、ナポレオンが保存食の開発に懸賞金を出したから生まれたみたいな話を聞いた事あるやで。初期は割れまくってヤバいのでブリキの缶詰が後に開発されたという話ンゴねえ。
でも結局の所、兵士は暖かい飯を食いたいだろうから焚き火とかで温めてたんやない? 軍隊は食事に滅茶苦茶気を使うンゴ。
78.名無しさん:2017年04月13日 14:59 ID:9c3J09rO0▼このコメントに返信
日露戦争での日本騎兵の戦闘可能な状態での進軍距離が30㎞くらいって何かで読んだけど本当?
ロシアのコサックも練度の低さや兵站の杜撰さが原因で似たような行軍しか行えず指揮官だったマンネルヘイムが頭を抱えたとか。
79.名無しさん:2017年04月13日 14:59 ID:qVJwyQTu0▼このコメントに返信
モンゴル人は馬を走らせながら替え馬に飛び移ったりしてたらしいからそりゃ速いですわ
80.名無しさん:2017年04月13日 15:09 ID:SJaMEf3r0▼このコメントに返信
本スレ30
レトルトや非常食は戦国時代にあったぞ~
81.名無しさん:2017年04月13日 15:19 ID:gcPD4BBY0▼このコメントに返信
※21 ハロルド・ゴドウィンソンは歩兵主体の部隊でヨークからロンドンまで5日で300km以上を行軍してるぞ

それって一週間連日ランニングしてたって事じゃん。
ランニングシャツにランニングシューズと違って、
革靴か植物を編んだ靴に、40kgの携帯食や毛布を背負って
しかも完全武装だろう?
当時の傭兵なんて半分野獣のような奴らだから、今の平均的日本人と比べるには無理があるかも知れんが
それでもありえないだろう?
82.名無しさん:2017年04月13日 15:19 ID:AvRXIBdP0▼このコメントに返信
古代の数万の軍隊が1日20キロで数百キロを行軍して敵地に~っていうのは大体盛ってると思ってる
古代は道が狭くてボロボロな上に、靴も未発達(靴で疲労度かなり変わる)で、飯がいまより調理に時間かかる&かさばって運ぶ手間が大きいんだから
83.名無しさん:2017年04月13日 15:20 ID:4aJxAZ1o0▼このコメントに返信
訓練と音楽次第
未訓練の人間を適当に歩かせると遅い
体育祭のために行進の練習させられた奴もいると思うがあれは軍隊由来
音楽に合わせて全員の足を出すタイミングを合わせると音楽なしより1.5倍くらい速くなる
軍楽隊と行進曲というのはそのために作られた
84.名無しさん:2017年04月13日 15:23 ID:AvRXIBdP0▼このコメントに返信
※70
訓練と実際の行軍は全然違う
訓練はその一日で終わりで次の日のこと考えないでいいけど、実際の行軍はそれが何日も続いて最後には戦闘が待ってるんだから
85.名無しさん:2017年04月13日 15:27 ID:WwhQ5tj20▼このコメントに返信
ノモンハンでは日本兵はトラックの手当もなく、40Kgの背嚢と小銃を背負って70Kmを3日かけて歩いて戦場入りして、疲労の取れないまま戦闘に入ったという。対するソ連は最寄り鉄道駅が日本側の4倍の距離があり断然兵站で不利と見られていたが、トラック9000両をかき集めて弾薬食料の他、兵員も自動車輸送が出来たという。
歩兵の機動化、自動車化は第二次大戦中期以降と考えられているが、ソ連は砲兵力の強化にしろ、歩兵の自動車化にしろ積極的だった。
86.名無しさん:2017年04月13日 15:45 ID:RO.t7NZ30▼このコメントに返信
※21
ハロルドの行軍速度がマジキチだったのはロンドンからスタンフォード・ブリッジへ
向かった時の4日間で約185マイル≒297.7 km。

スタンフォード・ブリッジからヘイスティングス(約200マイル≒321.8 km)への移動には
約一週間かけている。それでも43 km/日で、非常に速い部類ではあるが。
87.名無しさん:2017年04月13日 15:54 ID:V3XX7Jv40▼このコメントに返信
※50
一晩に80キロ移動する北朝鮮の特殊部隊に比べたら赤ん坊レベル
88.名無しさん:2017年04月13日 15:58 ID:AvRXIBdP0▼このコメントに返信
WW1,2あたりの記録見てると、マケドニア軍が一日平均25キロ歩いてたとか信じられんわ
毎日25キロも歩かせて兵が疲れてしまって、まともに戦闘出来ないって例は近代でも結構あるのに
89.名無しさん:2017年04月13日 15:59 ID:Co1nUIuL0▼このコメントに返信
偵察出してから進むのと地理の分かってる場所を進むのとでは比べるのは酷だろう。
蜀の南蛮征伐なんて水が悪くて井戸を掘りながら進んだ個所もあるとも言うし。
90.名無しさん:2017年04月13日 16:02 ID:CsjHH1x30▼このコメントに返信
17世紀くらいまでの記録は誇張が多すぎて鵜呑みにできん
兵力だったら10分の1から100分の1、行軍スピードだったら7割から半分程度が実際のところだったと思う
91.名無しさん:2017年04月13日 16:05 ID:bikDBjf20▼このコメントに返信
ソースサイトどっかいっちゃってアレなんだが、小説書くときに調べたものの覚え書き
平均一日8km
秀吉が本能寺の変を聞きつけて取って返したのが一日20kmでクッソ早かった
しかし、海外だともっと速いのが居て、一日30~40kmも居たが、戦闘できる状態ではなかった、ということや、日本の様に山道ではなく平地だったというのもある
ちなみに酷いのだと、一日300mというものもあって、これは大盾長槍を装備した歩兵だったそうな


まとめると、速い上に戦闘をこなせるのが一日20km、移動だけに費やすと一日40㎞程度、平均は一日8km
92.名無しさん:2017年04月13日 16:11 ID:Tr1BtsWm0▼このコメントに返信
モンゴル軍と、ヨーロッパや中華、日本の軍隊とで違うところは、騎兵率の高さが飛び抜けて高いという点。
兵士一人に対して数頭の馬がいる。だから、モンゴル軍における兵站は人間の食糧よりも馬の食糧のほうがメイン。
馬は当然そこら辺に生えている草を食べることになるけど、数万~十万単位の軍勢が全て同じ道を通ると、後から来る馬の食料となる草が残っていないし、来年以降に生える草も少なくなる。だから、大規模な軍勢で遠征に行くときは、軍団ごとに別の道を通る。場合によっては山脈の北側と南側に分かれて南北数百キロ離れた道を通ることもある。こういった行軍形態をとらざるをえないことから、戦争の絵を描く者は、戦場となるであろうポイントを予測し、かなり離れたところを別々に行軍する各軍団を、戦争が起こるである日付にそのポイントに集結させるという能力が必要になってくる。
93.名無しさん:2017年04月13日 16:15 ID:nfK8W5.x0▼このコメントに返信
*91
食料が兵士一人にグリコ1個しか配布されなかったに違い無い
94.名無しさん:2017年04月13日 16:24 ID:bikDBjf20▼このコメントに返信
※93
んにゃ、きちんと朝と夕に飯出して、警戒しつつ交代で飯食ったりしてたら結構時間がかかるみたいよ
他にも、相手の奇襲を警戒するために、時折斥候を出して探索しながら進むとかすると、平均8kmになるとの事
だから、上のとかで出てくる40やら60やらの数字は、そういう事をせずに移動だけに費やして、結局出てこなかった、という支配地域内だったり運よく襲撃されなかった例を挙げての事
だから、『平均』一日8kmくらい、だそうだ
95.名無しさん:2017年04月13日 16:29 ID:bikDBjf20▼このコメントに返信
あ、ごめん、300mの話か
96.名無しさん:2017年04月13日 16:38 ID:kH1CUGLf0▼このコメントに返信
※86
往路のほうはノーサンブリア伯モーカーが敗北した時点で既にロンドンを出立してたらしいから4日以上なんだよ
帰還のほうはペベンジー襲撃の報を受け取ってからスタートとしてもロンドンで休息とったり現地兵召集で数日潰したからそれ考慮すればどっちも大差ない異常な行軍スピード
97.名無しさん:2017年04月13日 16:49 ID:k.s4PCUi0▼このコメントに返信
74歳の時、四国88ヶ寺を歩き遍路で回った。5kgのリュックを背負って
1日20-25kmが平均だった。3度ほど小便が真っ赤になった。
年齢と環境を考えても、旧陸軍歩兵が軍装25kgを背負って
日に30kmを行軍したというのは、驚異に思う。
98.名無しさん:2017年04月13日 16:50 ID:NtsJe6Rz0▼このコメントに返信
※3
規模も小さかったんや
プロイセンあたりじゃ騎士10人対8人の会戦とか、騎士3人で立てこもる城に5人で攻城戦仕掛けるとかそういう時代やで
ちなみに、騎士一人あたり数人の従兵その他連れてるから、だいたい5倍から10倍すると戦闘員の人数になるで
つまり2行目の戦いは70人くらい同士の野戦と、20人くらい入ってる城に30人くらいで攻めとる攻城戦や
99.名無しさん:2017年04月13日 16:59 ID:.HzQvUy90▼このコメントに返信
※85
ノモンハンはソ連側の司令官の気がきいてただけで
ノモンハン時点でのソ連全体のドクトリンがそうだったわけじゃないんじゃ
100.名無しさん:2017年04月13日 17:27 ID:oxPw4pDQ0▼このコメントに返信
コミケ行ってみればいいさ
特に三日目の入場の光景を見てみれば、万単位の大人数が集団で行動する姿が見られる

あれだけひらけた場所、整った列、規律正しい行列者と手慣れた誘導者をもってしても
先頭が入場開始してから、最後尾が入場できるまで一時間以上かかる

あの人数が登山道とか林道を通過すると想像してみれば、一日数kmしか移動できないのもわかるってもんだよ
101.名無しさん:2017年04月13日 17:48 ID:N8BrqFF50▼このコメントに返信
こうしてみると鉄道はチート兵器だよな。
元気いっぱいの兵士を、ほぼ人員の損耗無く、重装備ごと、しかも装備の逸失無く、数百キロの距離に、一日で送り込める。
徒歩でこれをやるとどえらいことになる。
同じ距離を移動するだけでほとんど敗戦レベルの大損害を受ける。
102.名無しさん:2017年04月13日 17:50 ID:2gTODayT0▼このコメントに返信
体力面で量らん方がいいぞ
明治生まれのジジババの話聞くと現代人の常識は通用しない。
最近は見なくなったが、一昔前までローカル線では朝市に出す野菜を背籠にみっちり入れた婆さんがいてな
あれ平気で30kg~40kg
君らだと多分100mも動けない。
歩くしかなかった時代の人は腰曲がった婆さんでもこれだから。
103.名無しさん:2017年04月13日 17:58 ID:ERlRxcqz0▼このコメントに返信
雪中行軍になれば
104.名無しさん:2017年04月13日 18:02 ID:ERlRxcqz0▼このコメントに返信
雪中行軍になれば、条件次第で、220kを12日で完歩する所もあれば20kを1日予定で全滅と言う例もある。
105.名無しさん:2017年04月13日 18:53 ID:MX4e.jhu0▼このコメントに返信
※88
古代ギリシャ式と比較して装備がけっこう簡略(軽量)化されたんだよ、、、

記録によると、サリッサ(分割可能)と簡易兜と盾(60cm)だけ、鎧は持たなくても良かった(偉くなると別だけど)
コレ(重くても10kgくらい)に糧食持って行軍するのが基本だったらしい、、、
だから選抜兵で一日70kmとか移動できたのよ、、、

それに近代になると、いろんな装備(救命装備とか鉄製品、銃弾薬もかなり重い)が増えてアホみたいに重量が増えてしまう、、
旧日本軍だと60kgくらい、今の米軍だと100kg超えるのよ、、、
106.名無しさん:2017年04月13日 19:47 ID:p9B0qsDQ0▼このコメントに返信
※42
あれ同時にかかるコストを見積もって前もって準備しなさいということも説いてるからな?
敵地での略奪は節約のためでそれに依存した戦争戦略を立てろなんて言ってはいない

ていうか孫子の教えってやたらにわか知識の片手落ちで広がってるよな
戦略>戦術だから戦略で負けてたらどうしようもないとか
ちゃんと寡兵でなお戦わなけりゃならん事態も想定して書いてるのに
107.名無しさん:2017年04月13日 19:54 ID:U5hYRYhn0▼このコメントに返信
※101
その分鉄道のない未開な地への侵攻がだるくなってしまったな
108.名無しさん:2017年04月13日 20:00 ID:vFrmEeq.0▼このコメントに返信
平凡な兵士と指揮官なら10km/dayって感じか。
109.名無しさん:2017年04月13日 20:02 ID:vDQvu09L0▼このコメントに返信
現代に近づけば近づくほど後方からの補給というのが重要になってくるわけで。火器主体になって後方からの補給を前提にしている時代と、槍や刀剣で戦っていた時代とは補給物資の量がまったく異なる
また食料にしても、水は運ぶのが難しい、保存のきく輸送物資としては米や小麦粉のような主食がせいぜいということになると、レーションの未発達な時代ではもう副食や調味料を後方から送るってのが非現実的になってくる。ということで各自が自己責任での現地調達ということになる。このばあい略奪というよりは商人から購入というカタチが多くなるわけだが、むろん住民の逃げ出した村から徴発したり、自然に生えているものを取ってきたりということも含めて何とか食いつなぐのがせいぜい

足軽の心得として、戦場は飢饉と思え、と言われる所以。平時ですらそんなに豊かな食事にありつけた時代でもない上に、飢饉と同様の対処法もそれなりに共有できていたのが近代以前の、とくに戦乱の時代というもの。行軍中に目についた食えそうなもんをとにかく拾い集め、なんとか飢え死にしない程度に食いつなぐというのが末端兵士たちの「補給」の実態だよ。そうした状況を前提に考えれば、前近代における軍隊が自前の兵站組織をあまり整備しなくても成り立ってしまっていることが理解できるし、だからこそしばしば考えられないほどの強行軍が成り立ってしまう。貴賤や立場のいかんを問わず原則としてすべて自己責任の時代に、末端兵士まで行き渡る手厚い補給などというものを用意してやる責任は、指揮官には求められていなかった

銃火器の装備が普及し、将軍や国家が戦争遂行のための兵站というものに気を使わなければならなくなったのは、近代的な国民国家の成立に一役買っていると思う
110.名無しさん:2017年04月13日 20:04 ID:BMAT5VFo0▼このコメントに返信
中学、高校の頃に半日ぐらいかけて20~30kmぐらい歩く行事があった。
翌日以降足がつらくなった場合も。
もちろんさほど重い荷物は持たず、移動に専念して。

※101
「災害時の帰宅難民」から、そのことを痛感。
渋滞する田舎でのクルマ通勤も、片道20kmでも地獄。
それに比べて、鉄道だと快速や急行なら片道40kmでもさほど苦にならない。
それから、大学時代に青春18きっぷとムーンライトで丸一日かけて関西から南九州に行った。
111.名無しさん:2017年04月13日 20:10 ID:p9B0qsDQ0▼このコメントに返信
※101
ただし国家運営にも関わるから一度動員方針を決めたら修正不能の融通が効かん補給線だけどな
第一次世界大戦が起こった一因でもある。囚人のジレンマで各国が総動員を選ぶことに
112.名無しさん:2017年04月13日 20:27 ID:gUnfY.jE0▼このコメントに返信
次の行動を考えていない甘い見積もりばかりだけど、少しは兵站の難しさがわかったかね。
「定員を定刻に定地に集結させること」ゲームやフィクションじゃ一瞬で済ませるような事かどれほど難しいか。

そして人数が増えれば、距離が増えれば、期間が増えれば、天候不順になれば、地形が複雑になれば、幾何級的に難易度は上がる。
(逆にこれらの要素を全て敵に強制できるのが「海」だ。海洋安全保障がどれほど重要なものか考えて欲しい)

歴史的な英雄どころか、凡庸やら無能やら評価されている将帥だって、これらをこなして兵を死地まで引っ張っていった。
史書に名が残っている時点で無能ではありえないってことだ。
113.さんすけ:2017年04月13日 21:17 ID:ZYr2Rj4K0▼このコメントに返信
どうも、昔の一般的な軍隊て概念そのものが、難しいような気がするよ
軍隊の存在は、行政府があるということで、ここ4、5千年くらい前からこっちとして
世界中に人が住んでいて、一般的なんてあるんだろうか?
そして、行軍は軍隊に必然の行為なんだろうかって考えると、守備隊を貼り付けて必要に応じて現地集合なんて方法もあるわけなんで
補給線を設定する力とその必要がある国の軍隊しか行軍しないと思うよ
だから、たぶん数字が出せるのは、それぞれ一例であって、その当時の街道や宿場の整備、戦争の様態、装備なんかの事情を併せて考えないと納得できないんじゃないかな
自衛隊が徒歩2日で100km歩くと言っても、現在の日本国内の事情でしているだけだし
114.名無しさん:2017年04月13日 21:24 ID:.I4CRlbT0▼このコメントに返信
※112はなんで当たり前のことを超上から目線で偉そうに語るの?
115.名無しさん:2017年04月13日 22:44 ID:7ubzTXul0▼このコメントに返信
>>112
東郷元帥のロジェントウェンスキー提督への評価みたいな感じだな。
でもリップサービスではなく、本気で脱落艦無しでの地球半周と対馬における戦意の維持を高く評価していた節がある。
さすがに錬度までは実現できなかったわけだが。
116.名無しさん:2017年04月13日 23:11 ID:Ckc9mh0F0▼このコメントに返信
1万人いたら、飯代だけで超単純計算で一日1000万円くらいかかるんだよな。軍隊って金食い虫だな
117.名無しさん:2017年04月13日 23:25 ID:IKC9uJM30▼このコメントに返信
武装して隊列組んでる状態なら2kmくらい。
装備は輸送体が運んで、兵士は軽装でバラバラに会戦予定地に移動するだけなら地形とか人数にもよるけど10kmくらい。
118.名無しさん:2017年04月14日 00:29 ID:Gg1YBtnU0▼このコメントに返信
どうでもいくないけど、こんな絵まで揃ってんのかw
119.名無しさん:2017年04月14日 00:37 ID:L.bfMgK.0▼このコメントに返信
※113
昔の補給は食料と兵士の給金くらいしか無いので、、、今の補給線とはぜんぜん話が違う、、、

つまり現地で食料手に入るなら補給は全解決
例えばスウェーデン国王グスタフ軍14万のうちスウェーデン人兵士は1割しかなく残りは現地採用の傭兵だったりする
つまり自国から補給線引く必要すらなかった
金貨さえあれば軍隊を維持できる時代(アンシャンレジーム)がナショナリズム生まれるまで続いたの、、、

国民徴兵ライフル兵士が主体になるまで戦場には本当の意味での補給線ってのはなかったのよ
コレってのはそれまで軍隊自体に補給に関する高度な管理組織が存在しなかったことでもわかるよね、、、
120.名無しさん:2017年04月14日 00:55 ID:lt.lKpjF0▼このコメントに返信
秀吉軍の所謂「中国大返し」は
当時としちゃ奇跡的なスピードだったそうな。
121.名無しさん一等兵:2017年04月14日 02:47 ID:qPQOAht.0▼このコメントに返信
※120
あれは “ 特殊 “ 。 具足 刀 槍 等々、別口で運び(馬や船なんぞ使ったかもしれない)、織田領内は整備された太い道をひた走る。
周辺の民家には事前に手配して握り飯を作らせ、走る足軽に渡す。

1日60km程度の長距離移動したそうですね。
分析では約200kmを10日とも?7日とも?

wikipediaだと、船を使用したとする分析もありますが明確な記録はありません。
122.名無しさん:2017年04月14日 04:51 ID:3mEx.skj0▼このコメントに返信
※108
10kmも簡単に進めない
大陸みたいに平原で分散してどこでも歩けるならともかく道の上しかあるけん地形だと
馬車が通るくらいの太さの道を万の軍が移動しようとすると先頭の部隊が出発して最後の兵士が出発地を出るのに数日かかる
行進が未訓練の兵士だと歩く速度がバラバラなので移動を妨げる要因がなくとも由なく渋滞が起きて進まん
自動車に乗ってる人間なら知ってると思うが事故もないのに普段は混まない道で渋滞が起きるのはやたら意味なくブレーキ踏むやつがいるから
ブレーキを踏む車に反応して後続車もブレーキを踏むとその影響で1kmくらい後方では右折や脇道からの割り込みのような車の流れを妨害する障害もないのに車が全くピクリとも動かなくなる
同じように人の流れも人工的に速度を調整しないとすぐに詰まってしまう
123.さんすけ:2017年04月14日 08:42 ID:aH8c5kJS0▼このコメントに返信
※119
補給線という言葉に着目してくれたんだね
補給線は指導者の出発地から引くべきものと意見なんだね
例示してくれたグスタフ王が何世かわからないけど、どこら辺を行軍したの?
「補給線 グスタフ」で検索するのもいいよ
124.名無しさん:2017年04月14日 10:43 ID:L.bfMgK.0▼このコメントに返信
※123
「補給線を設定する力とその必要がある国の軍隊しか行軍しない」
に疑問を呈してるんですよ、、、

マーチン・クレフェルトの言うとおり、軍隊は雑多な巨大人口集団なわけで
集団付近の資源を消費し尽くしたら移動せざるを得なくなる
その移動はどーしても「行軍」にならざるをえないんですよ、、、
つまり「行軍」と「補給線」はパラレルな事象なのではないかと、、、
125.さんすけ:2017年04月14日 20:36 ID:D4xd1k3H0▼このコメントに返信
※124
行軍という行為は、敵の非支配地域を前進する行為なんで、行進する軍の規模に照らして、街道筋の協力、豊かな牧草地、補給部隊の支援など、軍が要求する資源(人・物・金・情報等)の獲得が十分に見込める経路を設定(補給線は同一でも枝のように伸びても良い)しなければ、敗軍のように放浪することになりかねないからね

グスタフ二世アドルフについて図書館とグーグルでチェックしたよ、彼の軍隊こそナポレオン以前に誕生した、近代的な軍隊の先駆けだったんだね
標準化されたモダンな砲兵に弾薬を供給するために、略奪をしないプロテスタントの軍隊のために、近代的な兵站組織の雛を生だしたけど
どんどん増大する補給所要に、追いつかない輸送力ゆえに補給は破綻目前で、強行軍を決意させたんだね

マーチン・クレフェルトの本は図書館になかったけど、ブックオフで「補給戦」を見つけて今買ってきた、これから読むよ
ありがとね

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