スポンサーリンク

2017年01月09日 09:05

武田騎馬隊なんて嘘だったんだ!存在しなかったんだ!!

武田騎馬隊なんて嘘だったんだ!存在しなかったんだ!!

タグ:
takeda

引用元:バカ「武田騎馬隊なんて嘘だったんだ!存在しなかったんだ!!」
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1483855633/

1: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:07:13 ID:1Hj
バカ「戦国時代の馬は小さいから戦争には使えないんだ!」

2: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:07:51 ID:KAy
結局何だったのか

4: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:08:45 ID:zog
馬はともかく、槍が強かったんじゃないか?

8: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:10:10 ID:NjF
>>4
いや普通に騎兵突撃もやっとったで
馬乗ってるアドバンテージはやはりヤバい

5: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:09:20 ID:NjF
馬格が急激に大きくなったのはここ200年の話やからなあ

6: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:09:25 ID:JXw
山岳地帯多いから使いづらいだけ
実際そこまで小さくは無い

7: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:09:39 ID:221
まあ日本の馬はポニーみたいなんやったらしいけど
ポニー軍団が突撃してくるところ想像したら緊張感抜けるわ

9: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:10:14 ID:Xo4
>>7
猪の突進食らったことある?
あのサイズでほんまにやばいぞ

10: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:10:44 ID:NjF
>>7
モンゴルの馬もヨーロッパの馬も16世紀はポニーだったんだよなあ

11: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:11:38 ID:Qkn
ナポレオンだってポニー乗ってたしな

12: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:12:02 ID:zog
モンゴルの騎馬戦法すこ
馬大量に引き連れてく奴

13: 【82】 2017/01/08(日)15:12:53 ID:DBu
「ポニー頑張れ!」←まあわかる
「おっしゃ降りるで」←まあわかる

14: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:14:01 ID:zog
>>13
「せや、ポニーで突撃したろ!」←は??

16: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:14:53 ID:JXw
実際は高さ5寸(135cm)程度
脚はそんなに細くない

18: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:15:48 ID:5nP
信長の鉄砲3000挺は嘘なんやっけ

21: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:17:01 ID:zog
>>18
あっても精度が…

25: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:18:15 ID:221
>>21
音で馬をビビらせる効果があったとか無かったとか

26: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:18:15 ID:JXw
>>18
1000丁~3000丁の間と言われてるで
千と書いてあるがその前が掠れてるため
正確には分からない

23: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:17:28 ID:Xo4
騎馬兵の武器ってなんやったんや?

24: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:18:03 ID:zog
>>23
真田丸でハンドガン出てきたやん
当時あったのかわからんが

27: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:18:31 ID:Xo4
>>24
全員があれなわけちゃうやろ?

28: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:19:07 ID:zog
>>27
せやなぁ
やっぱ長槍?

30: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:20:08 ID:JXw
>>23
まず弓次に槍やね

31: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:21:10 ID:AuT
>>23
弓、太刀、薙刀、槍なんかから得意な物や
時代によって流行り廃りあるけどな
鎌倉武士はほぼ全員が弓は持ってるし

45: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:27:04 ID:fzL
>>30
>>31
武田は投石部隊が有名やぞ

47: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:30:08 ID:Xo4
>>30
>>31
サンガツ、馬に弓って何が強かったんやろ
精度悪そうやけど面で勝負する感じなんやろか

48: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:32:23 ID:JXw
>>47
大正義練度
馬に乗っての訓練もあるし

50: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:35:54 ID:1Hj
>>47
包丁が高速で飛んでくるようなもんやから
なめたらあかん

53: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:38:07 ID:NjF
>>47
馬の機動力を生かした一撃離脱戦法やな
当時の騎馬武者は馬に乗ってなきゃろくに動けないような重装備やったし

55: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:40:26 ID:Xo4
>>53
そんな重装備乗せてポニー走れるんか?

57: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:42:30 ID:NjF
>>55
サイズはポニーといえど足が異様にぶっとい丈夫な馬やしな

59: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:44:09 ID:Xo4
>>57
鎧脱いで短弓と矢筒だけ持って走った方が早そう(小並感)

62: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:48:02 ID:VNK
>>59
騎馬は走りながら後ろ向きに弓を射てるから(アカン)

63: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:48:58 ID:zog
>>59
そういう猛者も当時いそう

66: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:52:55 ID:XPw
>>59
木曾馬でも頑張れば40km/hは出せるやで
TVかなんかの大鎧着た人乗せた再現実験でも20~30キロ出せてた記憶が…曖昧な記憶やけど

34: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:22:25 ID:laZ
そういや伊達の鉄砲騎馬隊ってなんで流行らなかったんや?

36: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:22:53 ID:zog
>>34
馬は結構揺れるし、狙いづらかったんやない?

39: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:23:14 ID:5nP
>>34
コストちゃう?

41: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:24:50 ID:zog
当時の鉄砲の精度は良かったんか?

43: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:25:57 ID:JXw
>>41
ライフリング無いにしては良い程度
ライフリングある物と比べればゴミ

51: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:36:24 ID:NjF
アジア式の瞬発着火の火縄銃はマズルローダー(無施条銃)の中では随一の精度があるからなあ
海外の射撃大会では日本の古式銃が賞を総なめしとるし

52: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:37:36 ID:zog
>>51
しかも威力は現代のスラッグ弾並にあるらしい

56: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:41:42 ID:bXv
織田鉄砲隊、佐竹鉄砲隊、伊達鉄砲騎馬隊…一度見てみたい

58: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:43:59 ID:zog
それはそうと、外国から入ってきた鉄砲を瞬く間に量産した日本すごすぎ

60: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:44:57 ID:bXv
>>58
バネ以外は当時の技術で何とかなったらしい模様

71: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:55:17 ID:B2N
でっかい馬とか弓で射たれたらおわりなんちゃう?
投石でも厳しいと思うんやが

72: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:57:20 ID:Er6
やっぱし火縄銃が1番よ

73: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)15:58:10 ID:XPw
>>72
雨ニキ「せやな」

78: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)16:06:51 ID:zog
槍をぶん投げるって戦法は当時あったんかな?

81: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)16:10:08 ID:VJd
>>78
犬槍って言われて嫌われてたぞ
その後どーすんねんって話や
犬ってのは犬死にとかと同じく無駄って意味やね

84: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)16:36:20 ID:fzL
弓騎兵は左右両方どちらでも同じように撃てるよう訓練がいるんやで
そら大名は鉄砲を欲しがるわな
訓練期間が圧倒的に短いし手軽や

85: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)16:37:52 ID:M38
これポニーって言葉で動物園にいる子供乗せるような小型の馬と勘違いさせてるだけで
肩高が147cm以下の馬種は全部ポニー扱いなんやで
重さ300~400kgの物体が武装した人間乗せて時速40kmで突っ込んでくるんが騎馬突撃やで

88: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)16:42:23 ID:Kq4
>>85
そこそこデカかったらしいやん?でもってガチムチでかなり野生が残ってたとか

86: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)16:38:56 ID:zog
鉄砲は強いのはわかるが、一発撃ったあとに再装填に時間かかるのがネックなんだよなぁ

87: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)16:39:25 ID:Er6
そこで三段構えですよ!

89: 名無しさん@おーぷん 2017/01/08(日)17:04:08 ID:M38
サラブレッドみたいに脚のほっそい馬は戦向きやないやろね

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


スポンサーリンク

★★★★★★★★★★★★★★ 最新オススメ記事 ★★★★★★★★★★★★★★

コメント

1.名無しさん:2017年01月09日 09:12 ID:xuNRJ.Ha0▼このコメントに返信
馬「腰が痛いンゴ、背中に乗るの止めてクレメンス」
2.名無しさん:2017年01月09日 09:15 ID:xn3jEdtG0▼このコメントに返信
戦闘の消耗度

農民兵士の士気、って奴か
3.名無しさん:2017年01月09日 09:16 ID:Y..G6Nos0▼このコメントに返信
何が言いたいんだか。
4.名無しさん:2017年01月09日 09:20 ID:6Zp9LLX.0▼このコメントに返信
人や物を運ぶ輸送兵器やぞ
5.名無しさん:2017年01月09日 09:21 ID:bRNuEQIO0▼このコメントに返信
日本のお馬さんは山斜面の上り下りとかでけるんやろ優秀やん
6.名無しさん:2017年01月09日 09:22 ID:agWi4VrI0▼このコメントに返信
伊達の騎馬鉄砲はそれ以降活躍の場がなかっただけ
豊臣滅んででかい戦なくなっちゃったしね
7.名無しさん:2017年01月09日 09:26 ID:3.4O8rb00▼このコメントに返信
あの時代騎馬隊の機動運用て相当脅威だっただがだから織田は、粗要塞?見たいな野戦陣を構築して対応した。
8.名無しさん:2017年01月09日 09:27 ID:Fi7h9azn0▼このコメントに返信
馬一頭養うためには2ヘクタールの牧草地が必要 モンゴルじゃないから大規模騎馬隊なんて編成不可能 高級将校のみ使用可能
9.名無しさん:2017年01月09日 09:30 ID:HkF5hXBV0▼このコメントに返信
16世紀初頭、兵種別運用の先進地域は、北信越
その後、関東、東海、奥羽、北陸等に広がり、織田家中に兵種別運用を持ち込んだのは明智家
武田は、兵種別運用に関しては他家の先を行っていた
10.名無しさん:2017年01月09日 09:30 ID:RrVCrajc0▼このコメントに返信
武田は騎乗歩兵でしょ
移動時は騎乗して下馬して徒歩で戦闘する
11.名無しさん:2017年01月09日 09:31 ID:9QOWJtM.0▼このコメントに返信
北海道で有名らしいばん馬を小さくした感じかな
12.名無しさん:2017年01月09日 09:32 ID:BR6KV6zk0▼このコメントに返信
騎馬隊の規模は、実は北条の方が多かった
山岳部が少ない関東平野の支配に機動力が必要性高いからね
13.名無しさん:2017年01月09日 09:35 ID:DgEZLOxT0▼このコメントに返信
対抗する戦術が生み出されていない点から見ても騎馬隊は無かったと言える
ほんとうに有効に使っていたら相手も死にたくないから対抗策を考えるって
14.名無しさん:2017年01月09日 09:38 ID:pw67Ip2l0▼このコメントに返信
昔の足軽は勇気があったなあ
安物の槍か刀一本と鎧だけで突撃してくる騎馬隊に立ち向かってたなんて
15.名無しさん:2017年01月09日 09:39 ID:IiXA.VQr0▼このコメントに返信
そもそも「日本の馬はポニーみたい」という説が正しいかどうかから怪しいな。
16.名無しさん:2017年01月09日 09:39 ID:pZAzfm7F0▼このコメントに返信
当時は人間もちいさかったから問題なさそう。
成人男性でも150cm~160ぐらいでしょ。
17.名無しさん:2017年01月09日 09:39 ID:btDUegiB0▼このコメントに返信
どこぞのバカ学者の説が広まって、日本の馬は木曽馬くらいしかない説が信じられていたのするけど、もっとでかいよ。
対抗がサラブレッドより低いだけで、体つきはがっしりとした別の意味ででかい馬。
ばんえい競馬の馬みたいな感じが近いか。
昔の馬で写真あるのは、江戸末期の物があるが、かなりがっしりしてる。
18.名無しさん:2017年01月09日 09:43 ID:BDwbaRBg0▼このコメントに返信
馬鹿が立てたスレだな。馬が小型だから騎馬戦が嘘と言う論理が相当な飛躍と嘘。 
日本古来の野生馬の流れが原種が分かる、宮崎の御崎野生馬を見てみ手から言え、ポーニーよりはだいぶ大型で
十分騎馬戦に適応している事が分かる。
19.名無しさん:2017年01月09日 09:45 ID:84u.jPJ20▼このコメントに返信
※15
日本の馬は遺伝的にはユーラシア大陸の大半を征服したモンゴルの馬と同系統だからな
その辺のことを知らずにポニーだから戦えないとか主張する輩は単なる阿呆だろう
20.名無しさん:2017年01月09日 09:48 ID:rk8I1CUR0▼このコメントに返信
※武田の騎馬隊は家康の命令書で存在が明らか(奴らの騎馬隊には気をつけろって家康がめっちゃビビって対策高じてる)

※「馬はポニー」「降りて戦った」「日本刀は使い捨て」全て 鈴木眞哉 っていうクズが広めた史観
21.名無しさん:2017年01月09日 09:48 ID:NmllzAn90▼このコメントに返信
騎馬(隊)は無いとか言ってる人たち絵とかに残ってる騎馬武者とか各地で残ってる流鏑馬の伝統とかの事はどう思ってるんだろう。
22.名無しさん:2017年01月09日 09:48 ID:sfoy5XL.0▼このコメントに返信
姉川合戦図屏風に大太刀を振るっている騎馬が描かれているから
その様な事をしていたんだと思う
23.名無しさん:2017年01月09日 09:51 ID:kRirXHfv0▼このコメントに返信
エラ人共が言いそうだわな
24.名無しさん:2017年01月09日 09:52 ID:4pHMkZFr0▼このコメントに返信
もう言われてるかも知れんがポニーは馬の種類じゃなくて大きさによる分類。
装備の重さに耐えられないという実験は、馬の種類を無視して一般的にポニーと呼ばれる小さい外来種で行ったため、正確なものとは言えない。
25.名無しさん:2017年01月09日 09:55 ID:dFfOzf3x0▼このコメントに返信
※15
それは、本当。当時のポニーは、早馬という意味でつかわれていたようだけど。
日本の馬は小柄だが、頑丈で素早い、とザビエルも記録に残している。
26.名無しさん:2017年01月09日 09:55 ID:ogPnjzme0▼このコメントに返信
槍兵は陣形を整えてこそ威力を発揮する。騎馬機動で横から攻撃されると陣形が保てない。
27.名無しさん:2017年01月09日 09:57 ID:EteCmuUW0▼このコメントに返信
興味があるなら木曽馬の現物見てくりゃいいじゃん。
少なくとも「ポニー」ではない。
28.名無しさん:2017年01月09日 09:58 ID:S1xESl6D0▼このコメントに返信
※13
常備する騎馬隊じゃなくて、討伐に向かった軍単位で選抜された騎馬隊を組むことはあったかもね
楠木正成がとった千早赤阪城の籠城戦術は、騎馬封じでもあったし
後の京都に足利軍をおびき寄せて、市街地で騎馬を封じたりしたしね
その後豊島河原で新田勢と共に追撃、足利軍を九州に追い落とした
流鏑馬が残ってる位だから、集団で騎射することもあったろう
もちろん移動手段としての騎馬で、後の竜騎兵みたいな下馬戦闘運用もしただろうと思われる
29.名無しさん:2017年01月09日 09:58 ID:WTxOOHK80▼このコメントに返信
※20
ポニーサイズというか小型馬主力なのは確かだろ。
絵図を見ても大きなのに乗っている武将は少ない。
30.名無しさん:2017年01月09日 10:02 ID:LTXFIBys0▼このコメントに返信
北条の史料を読めば一目瞭然
今では考えられないほどの数の馬を運用している
31.名無しさん:2017年01月09日 10:03 ID:WTxOOHK80▼このコメントに返信
※8
百姓「ふーん、オラがアオは、そんなに草喰らうダべか?」
馬(そんなに要らんよ)
32.名無しさん:2017年01月09日 10:03 ID:8WPFT8TZ0▼このコメントに返信
※22
真柄兄弟は特殊な部類だから、あれを一般的と思ったら駄目。
33.名無しさん:2017年01月09日 10:04 ID:UDJBcxDq0▼このコメントに返信
鉄砲の前は、弓で猪を退治していたみたいですよ。
街道を整備していったので、山の中腹でも、かなりの数、古民家系には馬小屋跡があります。
当然と言えば当然で、木材や荷物の運搬、農耕に使える訳ですから。

織田さんが酷い仕打ちのため、徳川さんが保護し、馬は駒なため、駒月だったような?
34.名無しさん:2017年01月09日 10:05 ID:gJjO1pH40▼このコメントに返信
絵巻物の馬って結構デカくね
またがると脚がついた、みたいな事いってるのTVとかで見るけど
武士のイメージを下げたいどこかの何かが
手をまわしてるんじゃないかと勘繰ってしまうわ
35.名無しさん:2017年01月09日 10:05 ID:tsCYiYTF0▼このコメントに返信
※13
馬防柵って知ってる?
36.名無しさん:2017年01月09日 10:05 ID:djfSs0090▼このコメントに返信
そういや和弓って直射の話しか出てこないけど
曲射ってやってたんかな
37.名無しさん:2017年01月09日 10:06 ID:lJt4QeP80▼このコメントに返信
そもそもそんなに沢山の馬を揃えられたはずが無いってのも家畜が身近じゃ無い現代人の先入観っぽいしなあ
明治初期の調査だと都市化された東京とかを除けば東国や南九州では人間数人から十数人に対して1頭ってくらいの割合で馬が飼われてる
38.名無しさん:2017年01月09日 10:06 ID:BDwbaRBg0▼このコメントに返信

宮崎の野生御崎馬を見たらいい。 日本の武家の乗馬用馬の原種の現存。 アラブ種、サラブレッドより一回り小さいくらいで良く言う
ポニー等より相当大きいサイズと言う事は、見れば一目瞭然。
39.名無しさん:2017年01月09日 10:09 ID:lJt4QeP80▼このコメントに返信
※32
真柄兄弟は特に目立つ例ではあるだろうけど馬上で大太刀とか薙刀ってのは南北朝以降の騎馬武者の標準装備じゃない?
40.名無しさん:2017年01月09日 10:11 ID:.mJXa6lt0▼このコメントに返信
この時代だと単一兵科の部隊編成なんてヨーロッパでもないぞ
だから単一兵科での騎馬隊は無いのは正しいが、部隊としての騎馬隊はあった
現代でも、戦車師団でも全て戦車ではなく、戦車に追従する歩兵や支援する砲兵なども含まれている
41.名無しさん:2017年01月09日 10:11 ID:6EVC4emh0▼このコメントに返信
猛将として知られた人が当時としても小さいパターンってのは小柄ゆえに馬の機動力を発揮できたとかなんかな
42.名無しさん:2017年01月09日 10:12 ID:uftxibix0▼このコメントに返信
馬の代わりに戦車じゃないの?
43.名無しさん:2017年01月09日 10:16 ID:.mJXa6lt0▼このコメントに返信
※16
当時は世界的な寒冷化で食糧難の時代だから
ヨーロッパでも160cmで長身、170cmで巨人の時代
44.名無しさん:2017年01月09日 10:16 ID:5AiLD8SO0▼このコメントに返信
山河が深く湿地帯も多く、平野が少ないという騎馬の運用に向かない国土だから
騎馬隊の基本運用が騎乗歩兵となるのは当然なんだが=騎馬突撃は無かったということにはならないんだよなぁ

>>13
空堀掘ったり土塁築いたり馬防柵立てたり色々やってた
最終的に鉄砲足軽の登場が騎兵へのとどめになった
45.名無しさん:2017年01月09日 10:17 ID:i3egd..v0▼このコメントに返信
※6
ただでさえ命中率の低い滑空銃を馬上で撃つために小型化して更に命中率を低くして射程も短くして、それを揺れ動く馬上で撃つとして期待したほどの効果がでるかどうかってとこじゃない?
ヨーロッパの銃騎兵もそれで出現してすぐ廃れたし。
46.名無しさん:2017年01月09日 10:18 ID:8KcGK44h0▼このコメントに返信
伊達の鉄砲騎馬隊の話だけどその前のコメントで馬が鉄砲の音でビビるって話が出てるんだよなぁ。

馬も慣れるとは思うけど訓練するのに手間かかるわな。
音に慣れれば良いんだから弾は要らないとして火薬を無駄遣いするような余裕は当時あったんかな?
47.名無しさん:2017年01月09日 10:19 ID:WTxOOHK80▼このコメントに返信
※38
それが「ポニーサイズ」だぞ。
48.名無しさん:2017年01月09日 10:22 ID:du5PZplL0▼このコメントに返信
ポニーっていうけどちゃんと血統を厳選して品種改良を繰り返してただろうし、今の雑種のポニーとは大きさも馬力も全然違うのでは?
49.名無しさん:2017年01月09日 10:23 ID:Aj4k409M0▼このコメントに返信
※40が分かりやすい

あと時代や地域によって騎乗の意味合いが異なったりする

いわゆる源平合戦の頃は、大鎧の重量を鞍で支えていたため、
ちゃんとした武士は騎乗で戦うのが基本
徒歩だと、大鎧の重量がひたすら肩にかかるので身体への負担が大きい

肩と腰の二点で重量を支える胴丸以降の甲冑が主流になると、
戦場での騎乗はそれほど重視されない
南北朝期の山城をめぐる戦いが長引いたためか、
西日本では、戦場についたら下馬して戦う風習も出てくる
50.名無しさん:2017年01月09日 10:27 ID:i3egd..v0▼このコメントに返信
※40
日本の騎馬隊の話題の場合、大きく分けると
①ナポレオン時代の騎兵隊のような単一兵科としての騎馬隊じゃないとダメ
②数十~数百の数で騎馬突撃を行ったこともあるんじゃない?
③ただの移動用、戦闘時は後方に置いてるよ
④ポニーだからそもそも乗れないし
の4つの派閥がいるように思う。
まぁ④を今日大真面目に信じてる人はいないと思うから冗談だろうけどね。
51.名無しさん:2017年01月09日 10:28 ID:ez.r3PJN0▼このコメントに返信
当時の戦の様子を生で知るなら『雑兵物語』がいいよ。
岩波文庫から復刻版が出てるし、口語体だから古文読むよりはまし。
52.名無しさん:2017年01月09日 10:31 ID:Ukvl.Ab60▼このコメントに返信
まとめを読んでもないような奴がちらほらいますね〜
53.名無しさん:2017年01月09日 10:32 ID:K4Ica75o0▼このコメントに返信
山岳地帯は昔の馬のほうが強いんだぞ
現代の馬は山の斜面を登ることが出来ない。
54.名無しさん:2017年01月09日 10:33 ID:dknOdI1T0▼このコメントに返信
※46
 フロイスあたりが書いてたけど、昔の日本は馬をそんなに訓練しないから戦場を突っ切るような運用は早々できなかったと思うよ。
躾をしないから結構ワガママというか気性が荒かったようだけどさ

 騎乗した武士のみで突撃しなきゃならんような状況ってのはかなり追いつめられてると見て良いと思うし…
55.名無しさん:2017年01月09日 10:33 ID:.mJXa6lt0▼このコメントに返信
日本で騎馬の集中運用は鎌倉時代で、源平合戦や元寇では騎馬のみの部隊と、下郎や徒士は別れた部隊に分けられて戦っている
南北朝の動乱で、その騎馬対策に下郎や農民を集めて短弓を用いて弾幕を張ることで騎馬突撃を防ぐようになり、その弾幕対策に同じように下郎や召集した農民を武装して当たるようになった結果から足軽が生まれてきた
戦国時代になるとこれが更に進んで、馬に乗らず槍で正面から当たる部隊とそれを支援する弓や鉄砲、機動力で足軽の側面突いて陣を崩す騎兵部隊の混成部隊になっていく
特に武田家は騎馬なら騎馬の上手い者を、弓や鉄砲ならそれに上手い者を指揮に配置して部隊編成したので他家より強かった
こういった混成部隊の編成は同じくらいに織田や徳川も取り入れ出しているし、ヨーロッパでも同じ
56.名無しさん:2017年01月09日 10:34 ID:w5pkJDxz0▼このコメントに返信
そもそも想像しているものが間違ってる可能性があるね。
槍兵は楯が持てるぶん弓に強く、持ち物が多く密集するので方向転換が難しい。
騎兵は速度があるので槍の横が取れ、盾が持てないぶん弓に弱い。
右手に槍、左手に楯を持って隣の人と1m位しか離れてない数百人の集団が相手なら馬の価値は絶大。
57.名無しさん:2017年01月09日 10:36 ID:W357tZDy0▼このコメントに返信
史実がどうあれ、騎馬隊による突撃って浪漫だよね
58.名無しさん:2017年01月09日 10:38 ID:WTxOOHK80▼このコメントに返信
※48
世にいうポニーは「ピットポニー」の系統。
サイズでいうポニーはサラブレッド以下の「小型馬」を総称。
59.名無しさん:2017年01月09日 10:38 ID:C6BBhNTo0▼このコメントに返信
武田騎馬隊の役割は、
古代の戦車と同じなのかな。
敵を倒すのが主目的ではなく、
敵の集団に突っ込み駆け抜け、
敵を分散、乱れさせる。
敵を倒すのは後に続く足軽(歩兵)。
それを考えると騎乗の弓や鉄砲は当たればいいやみたいな感覚なのかも。

騎馬隊は、奇襲や急襲等のここぞというタイミングの使い方ができる大将が強いのだろう。
60.名無しさん:2017年01月09日 10:40 ID:.T4Bq9ua0▼このコメントに返信
かまくらで有名な池月とかは十分にグレートホースやぞ
平均的にはポニーに分類されるけど、その中でも結構大型の部類に入るのが日本の中世軍馬
そもそもポニーって規格が制定されたのが19世紀イギリスだし。その頃はブリーディングに次ぐブリーディングで馬全体が大型化してた。中世で14ハンド2インチっつったらグレートホースよ?当時の平均的な馬の体高は12~14ハンドだったわけだし
中世ヨーロッパでも、デストリアは馬上試合に用いるのが主で、戦争での主力はラウンシーや軽騎兵用のアイリッシュホビー。ぶっちゃけ、大きさと戦闘能力はイコールではない。流石にファラベラに乗って戦えとかいうのは無茶だけどさ。デストリアのような大型馬とラウンシーや木曽駒のような小型馬であれば、小回りが利く分後者のほうが戦争では便利だった可能性さえある
だいたいデカいほうがいいってんならサラブレッドに馬鎧着せて走らせてみろよ。10メートル走らんうちに倒れるぞ
61.名無しさん:2017年01月09日 10:40 ID:JYCJub2l0▼このコメントに返信
広大な平地がないと騎馬戦はできないよ。(騎馬戦というのは日露戦争でやったような態様のものね)。
62.名無しさん:2017年01月09日 10:41 ID:Aj4k409M0▼このコメントに返信
※43
さすがにそれは低すぎ

近年の研究(たとえばオハイオ州立大の研究)では、
9世紀から11世紀にかけての中世ヨーロッパ人の平均身長は、およそ173センチ

しかし17世紀から18世紀にかけて、近代初期のヨーロッパ人の平均身長は167センチにまで低下
その理由が、寒冷化によるものと推測されていたりする
63.名無しさん:2017年01月09日 10:42 ID:WTxOOHK80▼このコメントに返信
※54
その統制ができているから「武田の騎馬武者」が恐れられたんじゃねえの?
64.名無しさん:2017年01月09日 10:44 ID:83AM0KlL0▼このコメントに返信
太平記の赤松vs六波羅軍とか見る限り、遅くとも太平記の書かれた時代には騎兵や弓兵、正規兵と非正規兵(野伏)の使い分けは普通にやってんだよな
まあ武士自体がちゃんと兵科わけされた律令軍の後身だし千人以上動くような大きな戦なら少なくとも現場レベルではずっとしてただろうけど
65.名無しさん:2017年01月09日 10:45 ID:pcU6o6cQ0▼このコメントに返信
テレビの検証に使っている馬は、ほとんど、ミニチュアホースギリギリのをわざと使っているんだよねぇ。
悪意を感じるよ。
66.名無しさん:2017年01月09日 10:48 ID:WTxOOHK80▼このコメントに返信
※61
誰が西洋型騎馬戦の話してるんや?
それ言いだしたら「日本の戦国時代は戦いじゃないよ、だって整列や一列行進しないしラッバせずにやってるじゃん」って言うようなもんだぞ。
67.名無しさん:2017年01月09日 10:53 ID:.mJXa6lt0▼このコメントに返信
※62
11、12世紀頃だと日本でも160cm台あるよ
それが下がるのが15世紀頃

68.名無しさん:2017年01月09日 10:54 ID:j5NBCZP.0▼このコメントに返信
日露戦争で、日本の騎兵は馬から降りて戦闘してた
武田の騎馬隊も同じ戦い方していた
69.名無しさん:2017年01月09日 10:54 ID:cJ.BhGib0▼このコメントに返信
馬は小さかったかもしれないけど、人も小さかっただろ。
70.名無しさん:2017年01月09日 10:54 ID:kRSG4luX0▼このコメントに返信
騎馬1騎に対して家人・足軽が3人とかで1単位。騎乗した武者のみが突撃してたわけではない。
騎乗者のみの部隊は騎馬隊ではなく騎兵隊という。
騎馬隊はあったが騎兵隊は存在しなかった。
武田家の騎馬隊は強力ではあったが、他家に比べて騎兵比率が多かったわけではない。
71.名無しさん:2017年01月09日 10:54 ID:ngaIEjdN0▼このコメントに返信
ポニーの足の太いヤツみたいな書き方してるけど、道産子なんとちゃう?
72.名無しさん:2017年01月09日 10:56 ID:yS23dJVi0▼このコメントに返信
日本で騎馬が多かったのはたぶん甲信関東あたりだろうが、世界と比較するとと規模は圧倒的に小さいだろうが仕方ないだろう。
モンゴルトルコ系民族あるいはイスラム勢力が世界史版図的に大拡大できたことがあったのはたぶん騎馬部隊の規模が大きかったからだと思う。
73.名無しさん:2017年01月09日 10:57 ID:1mRIh8g30▼このコメントに返信
※25
馬格については地域差がかなりある。平安期トルキスタンから輸入した馬を朝廷が放牧させた信濃望月を始めとする信濃関東の官牧群、奥州藤原家の千厩、三戸等の牧が、俗に「竜馬」等と言われた大型馬を産出してきた。天正三年に織田信長が信親への祝儀として長宗我部家に贈った奥州馬の大きさに、長宗我部家中が「こは馬か、竜か」と驚嘆した逸話も残っている。
小さい馬しか居ない訳ではないよ。大きい馬は高額で取引され、小さな馬は安値、流通の関係で、平均的な大きさの地域差もある。
74.名無しさん:2017年01月09日 11:01 ID:ksmdoEkC0▼このコメントに返信
「日本の馬はポニーだからまともに乗れない! 武士が騎馬隊を運用していたなんて嘘! だから日本史なんて嘘だらけ!」
って主張を広めたい誰かがいるんかねえ。
75.名無しさん:2017年01月09日 11:03 ID:.mJXa6lt0▼このコメントに返信
※61
広大な平地で騎馬突撃は騎兵全滅するんだが
ヨーロッパでも歩兵の槍戦術で騎兵は16~17世紀ごろに一度滅んで、18世紀に金属鎧の発達で再度戦場に戻ったら、やっぱり鉄砲と傭兵の前に損害が多すぎて、結局戦局がついた後のウイニングランに登場するような形になった
76.名無しさん:2017年01月09日 11:04 ID:Co81a2it0▼このコメントに返信
当時だって交易品でアラブ種は入って来てた。
そいうの揃えて突進してきたら「あそのこ騎馬隊はヤバい」ってなる。

だいたい当時の成人男性の平均身長は150センチ代だし、蒙古騎馬軍団だって木曽馬みたいなのに乗ってて恐れられた。
馬防柵の後ろから鉄砲隊で撃ち掛ければ怖くないが対抗する有効な手段がない状態なら脅威だろ。
77.名無しさん:2017年01月09日 11:07 ID:uftxibix0▼このコメントに返信
そもそも戦国時代の戦跡から馬の骨や馬具てあまり出土されてないよね?
さらに馬返し的な跡もあまり聞かないし。
個人的には上級武士が重武装で戦場に行くアメリカ軍で言うハーフトラック戦場までの移動手段だと思う。
78.名無しさん:2017年01月09日 11:08 ID:q2rUj9Dy0▼このコメントに返信
NHKが木曽馬で鎧武者乗せる実験やったらろくに走れなかったから騎馬隊は創作と言ってるやつもいるな
なお実験した木曽馬はなんの訓練もしてないただの馬で実験はなんの意味もない。
79.名無しさん:2017年01月09日 11:09 ID:qPghL3AF0▼このコメントに返信
加藤清正公は熊に乗ってトラや朝鮮人と闘ったらしい。
そのため、幕府から領地をもらいお城が熊本城と呼ばれるようになり、さらに現在熊本県と呼ばれるようになった。
80.名無しさん:2017年01月09日 11:09 ID:ULv5L4Zs0▼このコメントに返信
普通に兵列が接触してから騎馬を側面突入させて足を止めず突破する戦術が主流だったんじゃねの?
盾のない騎馬にとって弓兵(銃兵)が天敵なんだから。
81.名無しさん:2017年01月09日 11:13 ID:UvwJVi6b0▼このコメントに返信
北条の史料によると、馬はむしろ四尺一寸~四尺三寸くらいの体高の低い馬が好まれていた模様。

あと騎馬のみの部隊が無いとか下馬して戦うって言うのはフロイスの西国での見聞によるもの。
東国の史料では一騎合をかき集めて、騎馬のみにして戦っていたという記述があちこちにある。
82.名無しさん:2017年01月09日 11:13 ID:JYCJub2l0▼このコメントに返信
30年くらい前の読本で長篠の戦の騎馬隊と鉄砲三段撃ちに疑問を呈した内容をおぼろげながら思い出すと、
フロイスの記述、馬のサイズ、地形の問題で現代人が連想するような騎馬戦は無理ということ、それから自衛隊出身の誰だかが無線の無い時代にどうやって三千の鉄砲を一斉射撃し三段撃ちするのか?できやしないというのがあったな。

83.名無しさん:2017年01月09日 11:13 ID:yS23dJVi0▼このコメントに返信
武田家は五、六千頭ほどの馬を所有してたらしいから本当なら国内では結構多いのかもしれない
84.名無しさん:2017年01月09日 11:14 ID:gQ.OqZaC0▼このコメントに返信
※18
その馬鹿を揶揄したくて立てたスレだと思うんですけど(名推理)
85.名無しさん:2017年01月09日 11:14 ID:lJt4QeP80▼このコメントに返信
※78
最近の番組の検証だと逆に「けっこういけるんですねえ」みたいな扱いになってた
牧場から連れてきた木曽馬に鎧と槍で武装した人間を載せて100mを12秒くらいだったかな
軍馬に向かなかった系統の子孫と言われる現代の在来馬でもこのくらいなら古代中世の軍馬はもっと走れただろうな
86.名無しさん:2017年01月09日 11:16 ID:sfoy5XL.0▼このコメントに返信
乗り込み、乗り崩しと言う騎馬戦術が伝わっているので
おそらくそれに相当した戦術をとっていたと思われる
行えない戦術が戦術として残る事は無いし
それを行えない世の中ならそもそも戦術として
考えられる事も無い
ちなみに火縄銃での騎乗射撃術も残されています
87.名無しさん:2017年01月09日 11:18 ID:ULv5L4Zs0▼このコメントに返信
※82
無線手段がない時代は近代まで東洋でも西洋でも主にドラムとトランペットで指揮伝達してたんじゃ?
88.名無しさん:2017年01月09日 11:19 ID:.k4ohd930▼このコメントに返信
乗ってる人間がせいぜい155センチくらいなんだし。小学校5~6年生男子が甲冑着てポニーに跨がって突進してくる(笑)
89.名無しさん:2017年01月09日 11:20 ID:Aj4k409M0▼このコメントに返信
※78
ろくに走れないのは事実

平家物語の屋島合戦の下りでは、
騎兵たちが、休み休み戦闘に参加しているのが描かれていたりする

わずかな時間しか全力疾走できないが、その間はメッチャ強いという兵装で、
敵陣に乗り入れるタイミングをうまく見計らうのが良い武士のあかしだったり
90.名無しさん:2017年01月09日 11:21 ID:3dq21PXN0▼このコメントに返信
アホが話をよく理解できずに他人にドヤ顔で話すから意味が変わってくるだけ
91.名無しさん:2017年01月09日 11:24 ID:uvq1gXbh0▼このコメントに返信
ポニーって単語のイメージに引きずられて、ポニーがなんなのか分かってない奴多すぎ
wikiの説明だけでも見てみればいいのに。
92.名無しさん:2017年01月09日 11:25 ID:yS23dJVi0▼このコメントに返信
モンゴル高原なんて、昔は馬に乗ってなければ死んじゃうような場所だろう。狼や迷って飢え死にとか凍死とか。
彼ら大陸の馬活用が大規模すぎただけで、日本にも騎馬隊はいたと思う。
93.名無しさん:2017年01月09日 11:26 ID:S0oeLOoO0▼このコメントに返信
騎馬に乗って鉄砲使うのは肥後一揆の時の立花宗茂とかもやってはいるけど
ごく一部の大名だけかな
94.名無しさん:2017年01月09日 11:28 ID:.mJXa6lt0▼このコメントに返信
※89
全力疾走だとヨーロッパでも同じだぞ?
フランスなどでも全力で走らせると、大体そのあとで馬が死んでしまうので、全力疾走させるのは相当の戦いか、替え馬があるような状況
95.名無しさん:2017年01月09日 11:31 ID:f8ocUgF20▼このコメントに返信
個人的には武田の騎馬隊の正体は「小荷駄の充実」だったと思う
荷駄(ニダは駄目よ)が多い利点によって武田軍は精強と言われたのではないか

・糧秣の輸送に割く人員を減らしその分を戦闘員に廻せる
・人員が背負うべき重量物を荷駄に積むので、兵員の疲労が少ない
・一日の移動距離が延びるので戦場への到着が早い
・特に峠越えの多い山国に於いては物資の山越えを人力に頼るか
 馬力に頼るかで兵員への負担は相当違ったと思われる
96.名無しさん:2017年01月09日 11:32 ID:tCRcnLVv0▼このコメントに返信
島津の騎馬武者はほぼ馬上筒装備じゃなかったか?
ちなみに創作だったのは織田の三段撃ちの方だな
97.名無しさん:2017年01月09日 11:32 ID:.mJXa6lt0▼このコメントに返信
※88
その日本のポニーより小さい馬まで軍馬として騎兵運用していたスゥェーデンのグスタフ2世アドルフの話でも聞く?
98.名無しさん:2017年01月09日 11:32 ID:uftxibix0▼このコメントに返信
馬も昔の人と同じで小柄でも強かったんじゃない
お大柄の現代人でも三十三間堂の通し矢も端から端まで矢が飛ばないて言うし
今みたいに動物愛護や飼育方法が確立していない時代の馬ならタフだったんじゃないか?
99.名無しさん:2017年01月09日 11:33 ID:yeOEWt4c0▼このコメントに返信
またパヨクが歴史捏造しようとしてんの?
100.名無しさん:2017年01月09日 11:38 ID:EbDSGu3J0▼このコメントに返信
既にいくつか書かれているけど、騎馬武者(+従卒)による部隊と
指揮官から雑兵まで騎乗の者で揃えた騎兵隊を混同してるのが問題だな。
前者は身分の高い人物で部隊の指揮官でもあったりするから、それらを抽出して
騎兵にするというのは、よほどの指導力や強制力が無いと難しい。
後者は、近代騎兵ができるまでは遊牧民族を雇うのが普通だったし
(自前で騎兵を揃える例もあったけど、金がかかる上に戦力としては劣った)、
それらが独力で力を持つとモンゴルみたいに大挙して攻めてくることになる。
101.名無しさん:2017年01月09日 11:40 ID:I5nGKNG20▼このコメントに返信
大河ドラマで馬の脚が細いと萎える。
102.名無しさん:2017年01月09日 11:41 ID:.mzgH6oT0▼このコメントに返信
ここまでで竜騎兵の話なし。
竜騎兵も戦況によっては騎馬突撃。
馬に乗った十数騎でも陣形を整えていない歩兵には破壊的衝撃力がある。

ただ、武田の騎兵が騎兵旅団と混同されていたので、(映画のような)騎兵突撃はなかったといえばなかった。
戦場において騎兵を抽出し、いわば騎兵の任務部隊を作って有機的に活用したのが武田騎馬隊。
これは替え馬など、予備の軍馬が多くないと無理。
103.名無しさん:2017年01月09日 11:42 ID:jIJ00N2r0▼このコメントに返信
※85
なるほど。
火縄銃の殺傷距離が80mくらいで、弾込め時間が約30秒くらいだったというから、1発目を外すとあっちゅうまに間合いを詰められるわけやね。
とすると3段撃ちもあったんかなあ。
104.名無しさん:2017年01月09日 11:45 ID:P1fiWemN0▼このコメントに返信
武田が有名だけど実は北条の方が多かったんよね
105.名無しさん:2017年01月09日 11:48 ID:RIQtH2I10▼このコメントに返信
武田騎馬隊は、隊長が騎馬で随伴歩兵が何人か居るって小隊構成よ
騎馬だけだと、(当時は)敵の歩兵が崩れてノーガードのところにしか奇襲できなくなってたから、高い所から攻撃できる騎馬をメインにしつつ、歩兵がそれを援護するって感じだった模様
例えば歩兵がなが槍を抑えてできた分け目に馬が乗り行って蹂躙、とかだそうだ
106.名無しさん:2017年01月09日 11:49 ID:.mJXa6lt0▼このコメントに返信
ちなみに、今の日本馬は江戸時代に品種改良されて、小柄になっている
理由は戦争もなくなったので、農耕に用いるなら餌も少なくてすむ小型の方が良いから
それでも大鎧(30kg)と弓矢、太刀を着た人間合計100kg以上を乗せて早駆けで一キロ以上平気で走れるのは、日本甲冑騎馬研究会が実際に実演して証明済み
107.名無しさん:2017年01月09日 11:50 ID:dMui5QE30▼このコメントに返信
東国で名馬と言われてきた栗毛などは、今で言うアハルテケ種(トルキスタン産 Akhal-Teke の系統)。
小さくはないと思うがなぁ。
108.名無しさん:2017年01月09日 11:52 ID:JYCJub2l0▼このコメントに返信
※87
なるほどね。三千は無理でもけっこうな数なら運用できるかもね。

※95
自分もその説かなぁと。兵站とか部隊配置の迅速さと疲労の軽減。
109.名無しさん:2017年01月09日 11:53 ID:uftxibix0▼このコメントに返信
※105
馬や騎乗の武士よりも随伴する足軽最強
110.名無しさん:2017年01月09日 11:57 ID:a9el8y.j0▼このコメントに返信
※99
むしろ中途半端に知識付けたガキが自分の知識ひけらかしたいだけだろ
111.駄猫ねこ:2017年01月09日 11:58 ID:q4HL7.HD0▼このコメントに返信
 阿呆の>>1に挑発させる系のチンピラスレはもう食傷気味だわ。

 本スレなら>>85だけで終了よ。「重さ300~400kgの物体が武装した人間乗せて時速40kmで突っ込んでくるんが騎馬突撃」←この恐怖を分かってない人多すぎ。体重が半分程度の猪でも突撃喰らったら人死ぬよ。当たり所が悪ければ骨や肉が砕ける程度の威力あるからね。
112.名無しさん:2017年01月09日 12:02 ID:dPB2oXRb0▼このコメントに返信
同時代のヨーロッパの三十年戦争でも日本馬より一回り小さい馬で騎兵突撃してる事実
113.名無しさん:2017年01月09日 12:07 ID:0mGlRpDT0▼このコメントに返信
ナポレオンもどさんこみたいな馬に乗ってたんか。
白馬に乗った様は美化されてるんやね。
114.名無しさん:2017年01月09日 12:07 ID:dPB2oXRb0▼このコメントに返信
※105
国人レベルの小さな勢力だとそうだけど
大名が動員する備にもなると各兵科は各奉行ごとの指揮下に入る
だから寄子への動員も兵科ごとに決められた装備・定数を出すように命令するんだよ
115.名無しさん:2017年01月09日 12:15 ID:83AM0KlL0▼このコメントに返信
騎馬武者は直属の歩兵を連れなきゃいけないから騎馬武者のみでの編成はできないってのも最近はそうでもないって見方になってきてるな
北条の軍役とかだと明らかに家の違う馬上身分を抽出して同じ部隊に編成してるはず
まあ秀吉と小六やクロカンの関係みたいに名簿上の主君と実務の指揮官が違うってのはよくあることだからな
116.名無しさん:2017年01月09日 12:17 ID:AVFXeg830▼このコメントに返信
戦後の映画の影響で武田騎馬隊というイメージが付いたという盤踏みを見た直後に
やっぱりあったらしいという番組を観たよ

習志野の戦いだったかな?鉄砲の散弾撃ちってやつは
この戦いに限って「馬防柵」という馬を防ぐための柵が作られていたそうな
騎馬隊がなかったら馬防柵って必要ないからやっぱりあったのではという事だった
117.名無しさん:2017年01月09日 12:32 ID:mwfdJHLw0▼このコメントに返信
こんなの日本叩き(歴史叩き)の一環だろw
118.名無しさん:2017年01月09日 12:37 ID:0NjgMxGE0▼このコメントに返信
※36
有るよ。現代の弓道で一般的な弓だと60mで曲射じゃないと届かない。
三十三間堂の通し矢で使うレベルの強弓だと直射に近い形で打てるかもしれんけどね。
まあ和弓は遠距離で精密に狙撃とか弾幕張るってより、大きな矢尻を大きく強い弓で近距離で大雑把に撃ち抜く感じ。
119.名無しさん:2017年01月09日 12:37 ID:Vwd7eeZs0▼このコメントに返信
騎馬隊いましたよ
徳川家康がう〇こもらしながら逃げたのは有名な話やん
120.名無しさん:2017年01月09日 12:38 ID:u2VnX0HP0▼このコメントに返信
ついでに言えば武田信玄が有能な武将だったというのも嘘。大嘘。
でなければ息子はあんなに苦労していない。
121.名無しさん:2017年01月09日 12:40 ID:pMm9XSp20▼このコメントに返信
検証番組で木曽馬も結構なスピード出てたけど馬上突撃がなかったとしても全員が乗れたら進軍速度はかなりのものだ
122.名無しさん:2017年01月09日 12:46 ID:ze98WvJx0▼このコメントに返信
※51
雑兵物語はこれですね
「今こそ戦の勝負の分かれ目だと攻めかかり、せめぎ合いをしていると 味方の東国の武士で乗馬の上手な者たちが、今日の戦場は平地で馬での戦に向いているし、 敵味方がもみ合っているのでちょうどいい頃合いだと見計らって、二番手の槍勝負には参加しないで 乗馬の上手が30人ほどの騎馬隊を作り、様々な武器を持った30騎がいっぺんに 敵部隊の右側から突っ込んだ。 敵も左側からの攻撃なら少しは抵抗が出来たのだろうが、右側から馬で攻められたのでは 何の抵抗もできず、ただ騒ぎまわるばかりだった。 その上騎馬隊が攻めかかるとすぐ、一番手の部隊のうち手の開いている者達が 鉄砲で騎馬隊の攻撃を応援したので、敵はどうにも防ぐことが出来ず、味方は何の苦労もなく 敵を追い崩した。 西国では、近頃の戦はみんな馬を降りての攻め合いばかりで、馬に乗っての戦というのを 長い間やっておらず、東国の武士と違って乗馬で戦うのに慣れていないので、 騎馬隊に攻められたときどう防げばいいのかと言う心がけが無かったのだろう。」

信長公記より
「家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為、柵を付けさせられ、 (中略) 三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。 関東衆、馬上の巧者にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる。」
123.名無しさん:2017年01月09日 13:00 ID:9gkDglb.0▼このコメントに返信
当時の戦いって槍で相手を叩いて戦闘不能になったら刀で首を切り落とすんやないんか?
124.名無しさん:2017年01月09日 13:01 ID:UvwJVi6b0▼このコメントに返信
※103
三段撃ち自体は史料の誤読だよ。
三段は備えの数であって射撃方法では無かった。

ただし輪番射撃は文禄の役辺りでは史料で確認されているので、長篠の合戦当時もやってた可能性が高い。
もちろん独創的な新戦法とかでは無いけどね。
125.名無しさん:2017年01月09日 13:07 ID:kpIXZGZ30▼このコメントに返信
東京競馬場の馬の資料館で色々みたけど当時の日本がポニーとか100%嘘とわかったわ
ご当地馬で巨大サイズとか余裕でいたわ
当時はちびしかいないとか嘘ついたバカは釈明しろよ
126.ゲハロエおやじ27号っス:2017年01月09日 13:10 ID:MYSBZd2y0▼このコメントに返信
三段撃ちなんてもうなかったのは、たしか実証されたんじゃなかった?
鉄砲隊はチーム編制だと思うよ、1人で弾込めから射撃までするなんて虚構、数人で分担して弾込めから射撃してたと思うヨ。
127.名無しさん:2017年01月09日 13:17 ID:6O7STJ8i0▼このコメントに返信
騎馬隊なんて言葉はどの書物にも一切出て来ない
なんてのも言ってる専門家もいるね
東日本は名馬の産地であり馬の数が少ない西日本では組めなかったと言う専門家もいる
源平時代でも東国武士の強さは名馬の産地と馬術が優れていたからとか言われてるからな
騎馬の戦い方は山岳と平野でも違ってくるだろうからな
まだ専門家でも意見が分かれてるでしょ
128.名無しさん:2017年01月09日 13:24 ID:WTxOOHK80▼このコメントに返信
※127
書物など存在しない。キリッ

そりゃね、当時の資料は「備忘録」「日記」「手紙」の類だもの、めでたしめでたしのような調べて回った書物なんてほとんどないもんね。
129.名無しさん:2017年01月09日 13:29 ID:Dpl2MTml0▼このコメントに返信
日本の馬は小型で、鎧武者を乗せられないって説は聞くんだけど
じゃあ、元寇の時にある、鎧兜を来た武者が
馬に乗っている絵巻物はどういうことなんだろうかと思う。
もしかしたら、小型種と大型種の馬がいたんじゃないだろうか
130.名無しさん:2017年01月09日 13:38 ID:WaZQ3yfQ0▼このコメントに返信
乗馬して戦う兵士と、騎兵は、厳密に言えば違う。

例えば歴史上もっともはやく騎兵を組織したのはアッシリアだと言われているが、彼らは騎乗して戦う遊牧民との接点があり、友好的な氏族から乗馬技術を教わったのではないかと考えられる。
この場合、遊牧民は乗馬して戦う「場合が多かった」だけの兵士。しかしアッシリアが組織したのは騎乗戦闘を大前提としたれっきとした騎兵。遊牧民の場合は状況によって馬から降りるし、個人戦が主であって、組織だった騎乗兵の運用を当時すでに行っていたとは疑わしい。アッシリアの騎兵は、弓兵や投石兵、槍兵、置き盾、戦車など兵科ごとの編制に組み込まれた騎兵のみの部隊。騎兵もしくは騎兵隊と称するのはこのレベルまで組織化されていないと苦しい。

日本の場合、律令軍団制の頃はともかくとして、封建制化での武士による馳組み、つまり騎乗しての弓の射掛けあいは、古代遊牧民流の個人戦であり、そのような騎馬武者を何人集めようともそれは騎兵隊とは呼べない。足軽が台頭し城塞戦が多発するようになるとますますこの傾向は強まり、武士の騎乗戦闘というのは数ある装備・戦法オプションのひとつにすぎず、足軽が集団での組織戦を行う傍ら、武士はその先頭に立って個人技でもって敵陣を切り開いていく役割を担うようになる。
その時々によって騎馬の多寡はあるだろうし、さながら騎馬隊という独立兵科が存在しているかのように錯覚するほどの多人数による突撃はあったかもしれないが、それはその時の状況に応じてたまたまそうなっただけで、長柄や鉄砲隊のごとく騎馬武者だけを抽出して編制した騎馬隊なるものは戦国時代を通じてついぞ現れなかった。武士をそんなぞんざいに扱うほど強権を持った大名はいなかったし、かりに足軽を訓練するにせよ、備という数百程度の戦闘部隊を形成する戦国期には騎兵という単独兵科がいてもまったく効果が薄い。
131.名無しさん:2017年01月09日 13:45 ID:g.XX8fR.0▼このコメントに返信
そもそもサラブレットって車で言えば、フォーミュラカーだから
舗装されてない日本の山道なんか歩けないしな
歩かせようと思えば歩くだろうけど、木曽馬とかにはかなわない

鎧武者なんか簡単にそせられるだろう
対州馬とか150kgぐらいの荷背負って、急な坂道登れるくらいだからね
132.名無しさん:2017年01月09日 13:50 ID:2NJpeikr0▼このコメントに返信
鉄パイプ・金属バット持ったヤンキー集団に
暴走族がバイクに跨り30km~40km出して、鉄パイプ・金属バットで殴りかかってくると思えば怖いな。
133.名無しさん:2017年01月09日 13:52 ID:WTxOOHK80▼このコメントに返信
※129
現代の保存馬でも普通に復元とはいえ同等の重さの大鎧武者を乗せてる歩いてるからなあ、矢除けの馬鎧を着せるとどうなるかわからんが、戦に使い物になる奴を選別するはずだし、普通に在来馬サイズで問題なく動くやつがいたんじゃね?
134.名無しさん:2017年01月09日 13:55 ID:6.qG8qwq0▼このコメントに返信
※83
まぁ甲斐国は名馬の産地で朝廷に毎年馬を献上してたくらいだから
多少はね……
135.名無しさん:2017年01月09日 13:58 ID:PyDRvA2e0▼このコメントに返信
※130
「兵科の一種たる騎兵の隊」=騎兵隊ではなく「騎馬の隊」=騎馬隊とされている時点で、その辺の表現はばっちり使い分けられてるじゃないか
「独立兵科の部隊以外は絶対に『隊』と呼ばない」なんてルールがない限り、必要に応じて騎馬武者を集めて編成した隊は「騎馬隊」としか呼びようがない
136.名無しさん:2017年01月09日 13:58 ID:HErHkhcp0▼このコメントに返信

知っている人がいたら教えてほしいんですけど

騎馬が決定打にならないなら
「大陸の騎馬民族がやって来て日本を征服した」
という話はどうなるんでしょう?

馬に乗ってる人にびびって負けた、みたいな話を教えられたんですが
山がちで傾斜ばかりの土地で、普段から鹿狩ってる連中がそれくらいでビビるかなと
教えられた当時から不思議だったんですが
これも嘘ですか?
137.名無しさん:2017年01月09日 14:04 ID:kYYjlHzC0▼このコメントに返信
北韓スレか。こんな愚図スレ見る価値無いな
138.名無しさん:2017年01月09日 14:05 ID:FWKEZZWV0▼このコメントに返信
騎馬民族が朝鮮半島から日本に入って大和政権を建てた・・・これこれこれから始ってる在日朝鮮学者の優越感(何故か知らんが自分達は騎馬民族の直系で優秀だと思い込んでる)ところがイザベラの朝鮮紀行に書いてある内容を見ればわかるが朝鮮馬は駄馬で朝鮮人そのものが馬を適切に扱えない、その為に日本人が騎馬をして馬を自由に操れるという事が許せなくなる嫉妬と劣等感で日本の歴史を改竄、否定で優越感に浸る、まさにこの構図だよ。昔の日本の蒔絵見りゃわかるじゃん日本に騎馬隊が有っても不思議ではない。
139.名無しさん:2017年01月09日 14:06 ID:5ezQNQKX0▼このコメントに返信
マウント&ブレードってゲームをやってみたら騎兵のウザさはよく判ると思う
140.名無しさん:2017年01月09日 14:07 ID:NXX.87ht0▼このコメントに返信
※49
逆、逆。
鎧が先で戦闘形態の変化が後では無く、あくまでも戦闘形態の変化が先で鎧の変化が後。
鎌倉後期から南北朝期には徒歩集団戦闘が主流化したから重すぎる大鎧が廃れて、それまで雑兵用だった腹巻が改良された。

武器も平安時代末の騎射一騎討ちがあった時代は弓と刀が中心だった。
それが、武士の儀礼である騎射一騎討ちのルールもマナーもわからない関東の田舎者が暴れる鎌倉時代には馬を最初に射殺するので、騎射一騎討ちにならなくなった。
さらに武士の儀礼なんてものを最初から無視する悪党が闊歩しだした鎌倉時代中期以降は、九州などの西国の田舎では金砕棒と投石のように重武装である大鎧の上からでも打撃が与えられる武器が中心となっていた。
141.名無しさん:2017年01月09日 14:10 ID:g.XX8fR.0▼このコメントに返信
※136
騎馬民族征服論自体、ただの推論・仮説だから
嘘と言えば嘘でしょうね
何より戦争して、征服されたわけじゃなく文化がどのようにして入ってきたか?ってのを語るための仮説で
馬にまたがった軍隊が攻めてきたわけじゃないよ、あのへんの騎馬民族(遊牧民)が移り住んできたのかも?って話
142.名無しさん:2017年01月09日 14:11 ID:j5NBCZP.0▼このコメントに返信
日本海超えて大量に馬を運ぶ技術がない
元寇の時も、馬は連れてきていない
143.名無しさん:2017年01月09日 14:23 ID:lJt4QeP80▼このコメントに返信
※142
元側の史料で済州島だかどっかを日本遠征用の軍馬の飼育拠点にしてたとか弘安の役の撤退時に馬を捨てて兵を多く載せたって書いてあるし
日本側の蒙古襲来絵詞でも日本の騎馬武者に追撃を受ける元軍の部隊の中には弓を持った騎兵がいる
144.名無しさん:2017年01月09日 14:24 ID:lAcWZw4c0▼このコメントに返信
※136
もともと一度も主流にならなかったどころか、発表当時からやまほど反論でた仮説ですから、、、
フィクション(ムーに載るレベルの伝説)と考えておくと良い感じかと、、、
中韓の記録を見る限り、日本(倭)で大規模な民族規模の政権交代が起こった事実が確認されませんし
発掘結果からも、新石器時代からだんだん大陸の影響を日本が受けていく推察がなされています、、、
(つまり騎馬民族が日本で大規模な侵略戦争おこし支配層が大きく変わったような示唆が見つからない)

ただ西日本の日本人は1%程度のモンゴル系騎馬民族に特徴的な遺伝変異を持っているので
日本に騎馬民族の一族が移民してきたことは確かなんです
たぶん戦争とか侵略とか派手ではなく平和的な移民で来たのではないかと、、、

昔から日本ってシルクロードの東の終点、かなり国際色豊かな異物が残ってるんですよねぇ、、、
145.名無しさん:2017年01月09日 14:32 ID:UvwJVi6b0▼このコメントに返信
※142
おいおい元寇でもちゃんと馬を連れてきてるぞ、
史料にもちゃんと記載があるし、絵にも描かれてる
146.名無しさん:2017年01月09日 14:34 ID:lAcWZw4c0▼このコメントに返信
※139
盾と斧さえあれば問題ないよ!!
ノルドハスカールの特攻喰らえ!!
147.名無しさん:2017年01月09日 14:34 ID:NXX.87ht0▼このコメントに返信
※142
普通に馬を船で運ぶ手段はあるよ。腰で吊すだけ。
倭寇勢力も軍馬を使用したために朝鮮半島は定期的にかなりの被害を受けたし、明も倭寇の騎馬兵力によって南京まで陥落している。

ちなみに済州島は倭寇の馬の放牧地で、済州島の住民は和服を着て日本語を話していた。
148.名無しさん:2017年01月09日 14:41 ID:lAcWZw4c0▼このコメントに返信
※126
一人の射手に複数の従者がつく「組討鉄砲」ってのは雑賀衆とか鉄砲傭兵以外つかってた記録はないんだよねぇ、、、

つか軍功の関係と、火力制圧よりは精密射撃による狙撃が主流だった時代
一人の発射速度をあげる必要性ってのはなかったんじゃないかと、、、

少なくとも長篠の合戦は縦深野戦構築が武田の騎馬突撃を止めたってのが今の定説になりつつあるし、、、
149.136の名無しさん:2017年01月09日 14:43 ID:HErHkhcp0▼このコメントに返信
※138
※141
※142
※143
※144
ありがとうございます
疑問が解けました

142さんの言う、馬を運ぶ方法も不思議でした
飼い葉と水はどうするのかな、と
馬なしで渡来して馬を使ったのなら、日本列島に馬がいると知っていることになりますし

144さんの書いておられる通りなら
すでに日本列島に住んでいた地方の豪族同士が争っていて
渡来人を招いて技術を継承したのがヤマトだった、と考えれば良いんでしょうか?
(立地から流入ばかり問題なりますけど、日本海を根城にしていた海洋民族がいて、
 流出もあったんじゃないかな、とわたしは思ってるのですが
 つまり出戻りや、彼らといっしょに渡航した大陸系もいたのでは、と)
150.名無しさん:2017年01月09日 14:50 ID:NXX.87ht0▼このコメントに返信
※136
騎馬民族学説は妄想が根拠の戯言。
まず、日本列島へ騎馬民族が侵略して支配者層となったことを示す遺物が存在しない。
さらに騎馬民族が支配者層にとって変わったであれば、生活の変化があるはずだが、その痕跡も無い。
また、騎馬民族的な技術や文化が伝来していなければならないが、最も基本的な技術である家畜の去勢さえ日本には入っていない。
加えて、生物学的にも日本人の遺伝子上の変化がない。
そもそも、遣唐使の時代でさえ、中国式のジャンク船ではわずかな人数を運ぶことさえ何度も難破していることからもわかるように、大量の騎馬民族が日本へ海を越えて渡るだけの技術が古代社会には無い。
古代の日本側が大陸へ渡ったみたいに樹齢数百年クラスの巨木をカヌーにするだけの森林資源はすでに中国大陸にも朝鮮半島にもない。
151.名無しさん:2017年01月09日 14:53 ID:uVNS4zJm0▼このコメントに返信
正直騎馬の群れに体当たりされてその場に倒れでもしたらと思うと怖すぎ
戦とかそういうんじゃなくてただ単に跳ね飛ばされて蹄で死ぬまで踏み殺されるとか…
だから強いんだろうけど
152.名無しさん:2017年01月09日 14:57 ID:FWKEZZWV0▼このコメントに返信
後一つ捏造したい事、戦国時代に日本人が効率よく銃を使用した事への妬み嫉妬、下手すりゃ覇権を唱えようとしてたヨーロッパより日本の銃の運用が優れてたなんて朝鮮人は認めたくないんだよ、これ認めたら如何に朝鮮人が全てにおいて日本よりも遅れていたとゆう事認めたことになるからな、まあ~朝鮮人は過去現在未来も日本より優れることはないだろう。
153.名無しさん:2017年01月09日 15:20 ID:UvwJVi6b0▼このコメントに返信
※120
甲斐一国からのし上がったんだし、信玄は有能だったと思うよ。

目先の利益に釣られやすい傾向はあるけど、それは戦国大名としてはお約束だしね。
勝頼への権力移行が進む前に死んだのがマズかったくらいかな。
154.名無しさん:2017年01月09日 15:20 ID:unGpX25d0▼このコメントに返信
ポニーポニー言うてる奴は実際にポニー見た事無いんやろなぁ。。。
サラブレッドよりは小さいけど、アレの突進をマトモに食らったら多分死ぬる。
155.名無しさん:2017年01月09日 15:21 ID:8cBjg4L40▼このコメントに返信
兵農分離前なんだから、馬上の侍で小規模なのはせいぜい200石前後の在地の土豪や郷士で、それに随伴するのは在地の農民などから編成した数名の従卒。1村支配も出来てないクラスの在地の土豪や郷士だけ集まるように言えば、幾らでも小規模な騎馬隊編成できるわ。
156.名無しさん:2017年01月09日 15:27 ID:unGpX25d0▼このコメントに返信
※136
それ大昔に流布されたトンデモ説で現在は否定的。
実際、馬を大量に飼ってた証拠が無いし、権威としての位置を占めていたのであれば皇室との結びつきがもっと強くなければおかしい。
157.名無しさん:2017年01月09日 15:31 ID:HUpWRRWf0▼このコメントに返信
この議論、何年も前からゾンビの様に復活するけど、
数人馬に乗った兵士が居ればそれは立派な騎馬隊!素槍を振り回せばそれで立派な騎馬隊派から、
数百規模の完全に組織・訓練され、騎乗戦闘専用装備と戦法を駆使できる部隊でないと、騎馬隊とは認めない派で、
毎度毎度、論点の集約すら出来ずに終わる感じ。
158.名無しさん:2017年01月09日 15:52 ID:f8ocUgF20▼このコメントに返信
兵制の面から見ると騎馬隊は存在していない
軍団として常時運用するのであれば、1備えは何騎で形成するとかの軍法が無いとおかしい
日本は何石につき馬上何人、槍何本、鉄砲何丁とかは取り決めているが
騎馬隊の集団運用に関する軍法が私の知る限りでは無い(鉄砲はあるんだよな)

例えば
小隊は10騎 中隊は3小隊30騎で編成とかが無いと充足率が出せない
159.名無しさん:2017年01月09日 15:57 ID:mcS1ehtJ0▼このコメントに返信
※151
重量と速度による衝突の恐ろしさを知らんな?
イノシシの突進で軽トラ一台お釈迦になるんやぞ。
もちろん、軽トラは重量あるしイノシシも唯では済まんけど…。
騎馬兵なんてイノシシより早くて重量がある上に、騎乗してる人間が槍や刀持っとる。
160.名無しさん:2017年01月09日 15:57 ID:eS9gSk090▼このコメントに返信
※149
大切なことは、有史前のヒラマキ馬が絶滅した以来ウマがぜんぜんいなかった古代日本に、
フラリとウマが再登場したことなんですね。
ウマが登場した正確な年代は特定されていないんですが、ちょうど日本国家の創生と
近い時期に重なっている点や、古代日本では埴輪や装飾という権威の象徴にウマが多く
現れていたのに対して中世ではむしろウマが権威的に扱われなくなっていた点などが
挙げられます。
やはり、ウマは古代日本において優秀な「輸入システム」として重宝がられ、やがて
アルタイ系騎馬社会・民俗とは相容れぬ中世日本には「駆動機」としてしか定着しな
かった、という不思議で面白い経緯が表れているように思います。

現代の私たちがこうやって「騎馬隊なんて嘘」などと侃々諤々と議論している不思議も、
日本がついぞ国際的にみてウマの効率的運用をしなかった妙な史実を、なかなか咀嚼
できない所にあるのだと思いますし、これも日本史の愛らしさですね。



161.名無しさん:2017年01月09日 16:04 ID:8cBjg4L40▼このコメントに返信
騎馬隊編成は、寄親に小規模土豪本人のみを召集すれば出来るし、戦になれば一騎駆けの連中がそもそも集まってくるから具体的な動員数を規定しなくても出来る。というか、こういう場合は編成を規定出来ない。逆に騎馬1、槍2、足軽4を動員せよとかある程度規模が大きく主従関係が近代化してくると、軍法に照らして備えを編成した方が良いし、本人以外も動員させる以上本人に付随して手柄を立てれるようにしないとならない。だから騎馬隊編成が難しくなる。
162.名無しさん:2017年01月09日 16:05 ID:xElVI67z0▼このコメントに返信
ワイの相棒はサラブレッド級やで(ボロン)
163.名無しさん:2017年01月09日 16:12 ID:Y.FuuCc00▼このコメントに返信
武田騎馬隊がフサリア重騎兵よろしく騎兵オンリーの槍突撃専門部隊、なんて誰も言ってないのにね・・・。
だいたいスレ終盤の方で「そら状況次第で槍突撃も下馬戦闘もやってたろうよ、どっちかだけってことなく」てな冷静に突っ込みが入るんだけど、
極論書き込む人らって、書き込んだだけで満足しちゃって議論しようとしないから、結局とりとめのない書き込み合戦になるという・・・。
164.名無しさん:2017年01月09日 16:14 ID:zJyEWVTQ0▼このコメントに返信
ばんえい競馬の馬見たら、どこがポニーなんだろうと言いたくなった
165.名無しさん:2017年01月09日 16:16 ID:f8ocUgF20▼このコメントに返信
※161
事前に何人集まるかも解らないのは軍ではないですよ
あなたの論理は893が出入りで武装したのを
武器持っている集団だから軍隊というような稚拙な発想です

軍法なら集団運用方法も書いてあるのですが、武田家ですらそれらしき文献がありません
166.名無しさん:2017年01月09日 16:26 ID:i7hk8Pco0▼このコメントに返信
開祖が行政官で、文書行政大好きな北条氏は、わりあてで、馬や鉄砲、弓、槍を兵隊つきで拠出させて、集団運用したという話があるで。
167.名無しさん:2017年01月09日 16:43 ID:Ze.Ox6oi0▼このコメントに返信
甲陽軍艦には馬から降りてという記述があるけど、平安鎌倉時代から騎乗戦術はあったんじゃないかと思うんだけどね
戦国時代は足軽の横槍や鉄砲が主軸になっただけで、鎧なんかは鎌倉期の方が重い訳だしそれで騎乗が出来ないのは違うと思う
168.名無しさん:2017年01月09日 16:44 ID:UvwJVi6b0▼このコメントに返信
軍制が無いと騎馬隊は存在しないーとか言ってる子がいるな。
例えば織田家には軍役規定が現存してない訳だが、それが部隊そのものが無い事を意味しない事は明白だろう。

ぶっちゃけ軍法なんてもの自体が平和な時代に書かれたものばかりなんだけどさ。
169.名無しさん:2017年01月09日 16:55 ID:lAcWZw4c0▼このコメントに返信
※149
時代はかなり下がりますが、新撰姓氏録(815)という平安当時の名氏族記録がありまして
その確定された分30%くらいが外国(中国や高麗百済新羅など)を祖にしています、、、
だから招かれる人だけではなく、自ら移住してくる人たちもかなり存在したと思われます
もちろんそのときは自分たちの文化や技術をも一緒に持ってくるわけで、、、

新撰姓氏録には(未確認部類ですけど)呉の国から来たとか燕の宰相だったとか可愛いもので
始皇帝や漢の高祖の子孫まで自称してる人達もいるので
昔から日本人は海外に憧れ持っていたようですよ、、、
170.名無しさん:2017年01月09日 17:15 ID:YF.fK42H0▼このコメントに返信
原種日本馬は小さくても強い脚をもっていた。蒙古馬も小さくて長距離を走った。モンゴル兵がまるで足が地面に届きそうで戦っている映画もあった。もともと日本には馬がいなかったらしいので 古代弥生の時代に大陸から渡ったものだろう。だからそれなりに戦闘には役立ったと解釈できる。
大型の馬が役に立つならば ペルシュロンがいいことになる。これは像並みに大きい。サラブレッドの2倍はある。高さも。これが欧州原種ながら戦争に駆り出されていた絵も記録もなく ただ農業で畑で使われていた。しかも今でも東欧の農家にはいるのだ。騎馬戦では小回りができる馬がいいのだ。ロバ並みの力、素直な性格、 突撃力 甲斐の馬はいいのだ。体格はロバ程度だがロバは使えない。動けと言ってもきぶんしだいだから。
ナポレオンもアルプスを越えた時 実際はロバに乗ってとぼとぼアルプス越えをしたと記録があり 実際の従軍絵師の速筆絵が残っている。もちろん
私は見ている。
171.名無しさん:2017年01月09日 17:17 ID:NXX.87ht0▼このコメントに返信
※168
確かに織田信長の軍隊は、彼が機密主義であったことが原因か史料が少なくて実態が良くわからない。
だが、当時の貴族の日記やキリスト教宣教師の報告書によれば、織田信長が示威行為として、京都で騎馬軍団のみを規則正しく一糸乱れない集団演習して見せたことは有名な話だね。
172.名無しさん:2017年01月09日 17:21 ID:YF.fK42H0▼このコメントに返信
平原の騎馬戦にはアラブがいいだろうが 山 谷 岩の戦場では小型で強い馬がむいている。山登りにはロバがいいのと同じで山有り谷有りの日本では短い脚で強いアジア種がいいのだ。 格好だけならサラブレッドにまたがる伊達政宗だろうが 山の中ではへたってしまう。
173.名無しさん:2017年01月09日 17:22 ID:wbgRkt2N0▼このコメントに返信
在日バカチョ.ン歴史研究者<、`∀´>「ジャ。プの歴史に最強騎馬隊なんているわけないニダ!武田最強騎馬隊は日帝の捏造に間違いないニダ!ただ単に鈍間な馬ビビるジャ。プが多かっただけニダ!よって武田騎馬隊は存在しなかったニダ!」
174.名無しさん:2017年01月09日 17:36 ID:qtRrTNpg0▼このコメントに返信
武田騎馬隊は、ほぼ勝ちが決まった段階で止め的な役割で、運用されていたってのも聞いた事がある
敗戦濃厚で士気の落ちた兵達からしたら恐怖でしかないだろうな…
175.名無しさん:2017年01月09日 17:41 ID:LYJ7lIXU0▼このコメントに返信
戦国時代以前から騎乗戦闘の記録はゴマンとあるのに降りて戦ったが普通なわけねえだろう。
必要なときは降りてそうでなければ乗る。ケースバイケースよ。
176.名無しさん:2017年01月09日 17:57 ID:xAO35tc.0▼このコメントに返信
明文化された詳細な部隊編成の記録が無いとうんぬん系の話は現代人の価値観に合うか合わないかってだけで
当時の戦争の実態はどうでもいいって感じだからあんまり言っても意味はない気はするな
とりあえず歩騎打射の役割分担がちゃんとあったこと自体は事実
177.名無しさん:2017年01月09日 18:01 ID:5f35pvVa0▼このコメントに返信
信長公記でも小幡隊は馬上戦闘試みてきたって書いてるじゃん
なお、関東衆の外様の模様
178.名無しさん:2017年01月09日 18:01 ID:6O7STJ8i0▼このコメントに返信
騎馬は流動的でしょ
狭い場所や攻城戦だと需要は低くなるだろうし
戦場も布陣場所も予定通りにはならないだろうから
鉄砲でも並べるのに大体2mの間隔が必要みたいだし
179.名無しさん:2017年01月09日 18:08 ID:YF.fK42H0▼このコメントに返信
※173
日本人ならジxxプとか自分で汚い言葉を吐くな!! 気分が悪くなる。
180.名無しさん:2017年01月09日 18:09 ID:Ieq.RcUl0▼このコメントに返信
武田騎馬隊が嘘っていうのは、騎馬隊でイメージするような騎兵だけの常設部隊が無かったってだけやで
181.名無しさん:2017年01月09日 18:12 ID:VY0Y..L40▼このコメントに返信
この説広めた人も「騎馬隊がない」とは言ってないんだよね
要は、黒澤映画なんかで描かれた現代の馬に乗った鎧武者が終結しての集団突撃、みたいなイメージを否定した
実際には他の家と同じで足軽や鉄砲隊と一緒に戦いましたよ、と

長篠の合戦も「鉄砲が時代遅れの騎馬隊に勝った」なんて話ではなくて、他国へ出張って攻城戦してる側が、防御側に戦力差で大きく負けて
しまった事が敗因であり、当然地元に帰らなきゃならないから退却時の掃討戦でたくさんの武田家臣が亡くなった
182.名無しさん:2017年01月09日 18:16 ID:VY0Y..L40▼このコメントに返信
日本の騎馬兵は欧州の槍騎兵と違ってモンゴル人などと同じ騎馬弓兵が基本
なので「必ず下りて戦う」などはあり得ないが、戦国時代ぐらいになってくると下りて戦った人もいるだろうね、という話だわな
183.名無しさん:2017年01月09日 18:30 ID:WaZQ3yfQ0▼このコメントに返信
※135
だから「騎馬武者を集めて編成した隊」自体が存在しなかったってことを言ってるわけ
騎馬武者が自分の判断で敵陣に突っ込んでいったとき、ちょうど近くにいた別の騎馬武者が複数人同時に飛び出していったのを、騎馬隊として編制されていたなんて言わない

戦国時代、とくに後期の武士にはいくつか役割があって、ひとつは長柄や鉄砲など兵科ごとに分けられた足軽・武士たちの士官としての役割で、これはむろん参陣している武士の中の一部が選ばれたりする。一方で自分で手柄を立てたい連中は、直接の主君の直属部隊を離れて最前線へ行き、自分が十分活躍できそうな場所を思い思いに占めて戦闘を行う。戦国時代においてはこれらの武士が個人技を発揮して好き勝手に暴れまわることで、足軽たちを強力に牽引し、敵の分厚い陣形をこじ開けることが期待されていた。このとき武士はたった一人でうろつくわけではなく、当然近くに従者がいて、しかしながら味方の武士たちを出し抜いてでも自分一人で手柄を立てようという心理のもとに行動するわけで、仮にこれらの武士が馬に乗っていたとしても、それは部隊として集められたわけでもないし集団突撃の効果を期待されたわけでもない。

鉄砲と弓に関しては、武士と足軽を集めて単一兵科による部隊編成を行ったらしい。しかし同じような運用を騎馬武者に関しては行っていない。騎馬武者が突撃したときにたまたま他の騎馬武者が一緒に出たから部隊っぽく見えたとか、とっさの機転を利かせて協力体制をとったとかいう例はあっても、これを部隊として集めたわけではないのよ
184.名無しさん:2017年01月09日 18:33 ID:Ieq.RcUl0▼このコメントに返信
勝頼の親父が悪い実は名将論も
弟をぬっころして家中の統一から始めなきゃいけなかった信長や
人質脱出、まずは今川からの独立から始めなきゃいけなかった家康よりよっぽど恵まれたスタートな訳だが
185.名無しさん:2017年01月09日 18:46 ID:NXX.87ht0▼このコメントに返信
※183
普通に馬廻衆とか母衣武者とか、それ専用の装備もあるんだけど、お前には見えないんだよな。
186.名無しさん:2017年01月09日 18:46 ID:VY0Y..L40▼このコメントに返信
勝頼は低く評価されてた面はあるが、長篠に関しては戦術以前に戦略で大失敗してるね
馬坊柵や織田の鉄砲隊が無くても負けてる(武田にも鉄砲隊いたし)
真田丸で言うと、いつの間にか十万人こもってる大阪城を四万の徳川軍で囲んでるような状態にしちゃった、みたいな
187.名無しさん:2017年01月09日 18:55 ID:xAO35tc.0▼このコメントに返信
有名な後北条の岩付衆だと臨時編成ではあるけど千数百の備のうち馬上が500を超えててちゃんと馬上部隊用の奉行がいるんだよな
あと上でちらっと出てる太平記の赤松軍だと攻撃の主力は「打物の衆数百『騎』」、牽制をする部隊は「野伏に騎馬の兵を少々千『人』ばかり」と書かれてたはずなので
戦場に応じて各武器の歩兵と同じように部隊として騎兵を抽出・編成してた、少なくとも発想は存在したのはまず間違いない
もちろんフロイス日本史が言うように乗馬戦闘をほとんどやらないっていう地域や勢力もあっただろうけどね
188.名無しさん:2017年01月09日 19:04 ID:MHZQ4fGZ0▼このコメントに返信
義経の鵯越が騎兵だけでなされてるから、
関東では、騎兵だけの運用もされてそう。
武田の百足衆が、遊撃戦で騎馬を集中運用したから、そのイメージが強いとか?
後、信玄の強さは、機動力じゃないのか?
野戦や攻城戦で圧倒的ではないし。
信長の幌衆も基本騎兵だしな。
強い戦国大名は、機動力ある奴ということか。
島津だけは、全員歩兵のイメージだは。
189.名無しさん:2017年01月09日 19:05 ID:WaZQ3yfQ0▼このコメントに返信
※185
だから、馬に乗ってた連中はいるし乗ったまま戦うやつもいた、しかし集団での騎乗戦闘を目的とした部隊ではなかった。たとえば軍役の資料に武士のことを「馬上」と表現したり、武士を数えるのに何騎だのというのは、とうぜん彼らが馬に乗っていた、または乗っていい身分だったということ。部隊指揮をとったり伝令に走ったり、そういうのは馬が便利だから当然乗っている。だが馬廻衆がまさに馬に乗ったまま集団突撃をするのか? 今川義元が打ち取られたときに織田側は今川家旗本の数を「三百騎ばかり真丸になって」と表現しているが、輿から降りた主君を守って徹底抗戦を強いられているこれらの連中はとうぜん徒歩で戦っているし、それは騎馬戦闘のために集められた部隊が状況によって徒歩を選んだのではなく逆。この旗本は騎兵隊として運用されていたわけではない。

最前線に出てくる武士はあくまでスタンドプレーなんだよ。「馬上」衆として集められた武士のうち鉄砲や弓が得意な奴は足軽と一緒に撃たせろと指示される一方、そうでない武士は足軽の前に立って一番に鑓を振り回して戦う。この段階ではそいつが騎乗していようがいていまいが、部隊長たる奉行は何もとがめないし、その武士が味方が苦戦しているのを放置して敵陣に一番乗りを仕掛けたら称賛されるような文化において、騎馬隊を騎馬隊として運用なんてできない。敵が逃げる時にみんなして騎乗攻撃したとしてもそれは騎馬隊が指揮官の命令によって突撃をかけているのとは全然状況が違う。

例えばグスタフ・アドルフの騎兵隊はマスケット歩兵と一緒に編制されたが、これは騎兵隊として集団運用すること以外に想定されていない部隊であり、みんなで騎乗してみんなで発砲してみんなで突撃する、だから騎兵隊と呼称する。武士が数百人という単一部隊で指揮官の号令一下に騎乗戦闘している例が戦国時代に蔓延してたなら話は分かるんだけどね。
190.名無しさん:2017年01月09日 19:39 ID:lJt4QeP80▼このコメントに返信
内容的に※183と※189は「戦国の軍隊」を元にしてるんかな?あの本では馬上も独立した部隊があったみたいに書いてた気がするから違うかもしれんけど
しかし突撃命令を全く出されていないのに馬上身分一人一人(と直属従者数人ずつ)がタイミングどころか徒歩か乗馬かさえ自分の意思で選んで突出するだけで
敵部隊に効果的なダメージを与える突撃が自然と出来上がるってのはちょっと過大評価な気がするな
191.名無しさん:2017年01月09日 19:39 ID:FtV0ni7v0▼このコメントに返信
エラ人さんが徘徊してはりますな
192.名無しさん:2017年01月09日 20:02 ID:DcbtMr4s0▼このコメントに返信
※20
おっしゃる通り。
これまで騎馬隊は無かったとの新説が幅を利かせてきたけど、実はそれも最近の新説によって否定されてきてるね。
当時の古文書を丹念に読み込んでいくと、騎馬隊に関する記述が度々見られるんだよね。
だから騎馬隊と騎馬武者の突撃は、後世に創作された架空の説なんかじゃなくて、当時から認識されていた事実ってこと。

馬が少ない西国では歩兵の比率が高く、東に行くほど騎馬の比率が高かったようだね。東国は馬が多かったから。
騎馬隊を編成して、騎馬突撃を正式な戦法として採用していたのは、甲斐武田氏が代表的で、奥州伊達氏にもあったらしい。
太閤立志伝をプレイして、馬買いの為に東国の町をはしごした経験がある人なら、多分ピンとくると思う。

しかし、当時の古文書をしっかり読み込んでデータベースを作って行けば、こんな誤解は生まれなかったはずだけどね。
古文書をろくに読めない、趣味が高じただけの似非歴史学者が多すぎるんだと思う。
193.名無しさん:2017年01月09日 20:30 ID:DcbtMr4s0▼このコメントに返信
※189
>今川義元が打ち取られたときに織田側は今川家旗本の数を「三百騎ばかり真丸になって」と表現しているが、
>輿から降りた主君を守って徹底抗戦を強いられているこれらの連中はとうぜん徒歩で戦っているし、

当然徒歩?その根拠は?思い込みだけで語られても困るが?騎馬武者でなければ「騎」との表現はされないだろ?
それに、徒歩で円陣を組んだとしたら、内側のいる者には外側が見えにくくて、攻撃が出来ないだろ?

>最前線に出てくる武士はあくまでスタンドプレーなんだよ。
>その武士が味方が苦戦しているのを放置して敵陣に一番乗りを仕掛けたら称賛されるような文化において、
>騎馬隊を騎馬隊として運用なんてできない。

その言い方だと、組織戦術そのものが否定されるから、騎馬隊どころか軍隊そのものが否定されるな。
当時の日本の軍隊とは、ただの個人の集団であって、組織化された集団ではないって事か?
スタンドプレーだって、主人を差し置いて敵の首を獲った者は、評価されなかったって話も伝わってるが?
みんながスタンドプレーを保証されていたら、戦場では主従関係が軽視され、それこそ無礼講みたいになる。
自説を読み直してみて、おかしいと思わないのか?
194.名無しさん:2017年01月09日 20:57 ID:sWiltlvJ0▼このコメントに返信
常設の騎馬隊は(例外を除いて)ない。
けど騎馬武者は普通にいた。
私見だけど、長篠の合戦で、信長が武田の騎馬隊を恐れた云々って話があるのは、騎馬武者に陣地に突っ込まれたら問答無用に白兵戦になって、せっかくかき集めた鉄砲の火力が生かせなくなるから、じゃないかと思ってる。
信長としては、長篠の合戦で武田の主力部隊を撃滅して武田家を無力化したいと思っていたはず。そのために大軍をかき集めて出陣した。ただ敵に懐に飛び込まれて乱戦になればどう転ぶか分からない(桶狭間の成功体験があるんだからそれが怖いことだっていう認識は持ってるはず)から、別動隊の迂回攻撃で武田軍に撤退の選択肢を与えないようにし、突っ込んで来ざるを得ない状況を作り、柵で武田軍の突撃を防ぎつつ、大量の鉄砲の斉射で武田軍の突撃を破砕する、っていう戦法を取ったんじゃないかって。三段撃ちとかも、「鉄砲を途切れなく撃つ戦法」じゃなくて、「三連続で鉄砲の斉射を行い、武田軍の突撃を破砕する戦法」だと思ってる。突撃されて乱戦にならなければもう一度鉄砲の斉射ができるし、武田軍の火力は織田軍よりも劣っていたから射撃戦なら織田が圧倒できる。

話脱線してるけど、日本には騎馬兵はちゃんといたよ。状況によって徒歩で戦ったりもしたけど、騎乗戦闘も普通に行っていた。もちろん、戦いが大規模化して主力は足軽だから、騎馬率はそんなに高くなかったはずだけど。
195.136の名無しさん:2017年01月09日 20:58 ID:HErHkhcp0▼このコメントに返信
※150
※156
※160
※169
遅ればせながら、返答ありがとうございます

馬がいまいち根付かなかったとか、面白いですね
やはり平野が少ないせいでしょうか

日本史を学びなおしてみたくなりました
196.名無しさん:2017年01月09日 21:30 ID:BbedpkyK0▼このコメントに返信
馬鹿な奴や学のない奴ほど、騎馬隊や騎馬突撃はなかったと言い張る
はなはだしきは、騎士とだぶらせたファンタジーとのたまった馬鹿が居る
騎士と違って日本の武士は歩兵を連れた家単位で戦っていただとよ
馬鹿を見かねて哀れになったわ、騎士だって同じく徒歩の従士や兵を連れた家単位の参戦じゃ
と言いそうになった。
197.名無しさん:2017年01月09日 21:37 ID:UvwJVi6b0▼このコメントに返信
なに? この痛々しいサル芝居?
いまどきトンデモなんて流行らんのに
198.名無しさん:2017年01月09日 21:46 ID:HFvECS1N0▼このコメントに返信
アホな在日日教組が日本文化壊したいだけだろ
聖徳太子は居なかったとかここ数年前から色々言い出してるだろ
199.名無しさん:2017年01月09日 23:16 ID:..mN.dck0▼このコメントに返信
欧州の騎士はサラブレッドに乗ってたと信じてるアフォ多いよな…
200.名無しさん:2017年01月09日 23:43 ID:MAHgYMac0▼このコメントに返信
足軽が馬頭の兜かぶって走ってるのが武田騎馬隊なんだよw

まあマジな話をすれば、当時の騎馬隊つうのは一騎馬に10人くらいの足軽がついて攻める突撃部隊なんだ。
実際に騎馬に乗りながら、刀や槍で敵を倒すなんて真似は戦場ではほとんどできんよ。騎兵の役割はまず歩兵より早く大きく動ける機動力で相手足軽を威嚇して味方の足軽が前に進めるのを助ける役割だな。
西洋の重装騎兵みたいなものが生まれなかった背景は、まず道は狭く平地はあっても狭く田んぼや畑、住宅地になってるという事情があって、もし重層騎兵みたいな部隊があっても狭い道に縄張るとか罠で抑えることができるでな。
馬から降りてしまえばいくら重装備でも身動きとれんのは命とりよな
201.名無しさん:2017年01月10日 00:08 ID:H7IpE0HX0▼このコメントに返信
※192
騎馬隊として組織されている訳ではなく諸侯の騎馬武者を都度集めて運用していたという話を
ワザとかしらんが曲解してそもそも騎兵自体居なかったみたいなトンデモが流行ったんだよな
202.名無しさん:2017年01月10日 00:16 ID:vkBc3Cmm0▼このコメントに返信
※199
これにつきるよなあ・・・

馬の大型化が200年前として、「日本に騎馬隊なんてなかったあ!」とかw

じゃあ、ヨーロッパでは、中国では、どうだったんだってハナシだよね
203.名無しさん:2017年01月10日 01:13 ID:jCFTBaFY0▼このコメントに返信
サラブレッドで垂直の崖下りなんてできるわけないだろ
204.名無しさん:2017年01月10日 01:20 ID:lRq7txlA0▼このコメントに返信
聖徳太子はいなかったってデマと同じ、テヨンの願望だろ。
自国の歴史だけjで飽き足らず、他国の歴史まで歪曲すんな。
205.名無しさん:2017年01月10日 01:21 ID:jCFTBaFY0▼このコメントに返信
※136
騎馬民族征服説はまるまる嘘
206.名無しさん:2017年01月10日 01:23 ID:PJQ1L4eM0▼このコメントに返信
馬も小さかったけど人間も今より背が低かったりしたからバランスはとれといたのでは
207.名無しさん:2017年01月10日 01:27 ID:My2t57Wc0▼このコメントに返信
※15
馬の体高って肩までの高さなんだよ
で、馬の頭頂高って体高×1.3くらいなんだよ
体高147㎝の馬の頭頂高は191㎝なんだよ
体高147㎝の馬って、頭の高さ2mくらいなんだよ
ポニーってデカいんだよ

※204
聖徳太子実在を唱える歴史学者だって「集合代名詞」としての実在しか唱えてないぞ
個人として「聖徳太子」が行ったとされることを全部やった誰かっていないんだよ
「そういう個人がいたはず」ってのがまず願望だってことを理解しろよ
208.名無しさん:2017年01月10日 01:56 ID:KWTYIQ0l0▼このコメントに返信
ヨーロッパの重装騎兵の馬はばんえい馬並みにでかいし、アラブの馬は今のサラブレットみたいな姿だった
日本って家畜の品種改良は熱心にやってこなかったのよね
209.名無しさん:2017年01月10日 01:56 ID:EUAsfZA00▼このコメントに返信
日本の馬が大型化したのは明治以降。 明治時代に日露開戦でコサック騎馬兵と戦う為念に馬の大型化が図られ、在来の牡馬の殆どが強制的にセン馬にさせられ、外国の半血種を交配させ軍馬として使えるように計画された。明治時代の日本の陸軍の騎馬将校は殆ど小さい馬に乗って行進している写真が残っているよ。 騎馬の突撃は西部劇の映画のように大平原で何キロの全速で走り抜けながら交戦すのんではなく、両軍が対峙して数百メートルは並足で間合いをとり、そのご2-300mを速歩で、最後の100-150mくらいと駈足で駆け抜けるのだから、日本の馬でも十分出来たと思うし、日本の騎馬は騎馬戦より騎馬と歩兵の戦いを主力においたものだから、敵の陣形の側面を突くとかには貴重な戦力だったと思う。
210.名無しさん:2017年01月10日 01:59 ID:KWTYIQ0l0▼このコメントに返信
とにかくこの場所はヒラコーみたいに日本は世界最強って言ってればいいんだな
211.名無しさん:2017年01月10日 02:33 ID:XBFZlNVd0▼このコメントに返信
騎馬隊は地面に木の杭を打ち込んだりそれを抜いて穴を空けて戦場を凸凹にするだけで対処できるからな
騎馬突撃なんて戦術は戦慣れしてなくてそんな初歩的な事も知らない相手にしか使えない
212.名無しさん:2017年01月10日 03:22 ID:Dok7F.F50▼このコメントに返信
※204
アレは江戸時代の国学者の創作。
優れた功績を建てた複数の人物を一人に集約してスーパーマンを作り上げただけだよ。
江戸時代から既に100年以上経ってるって言うのに、何時まで騙されてるんだ?
213.名無しさん:2017年01月10日 08:18 ID:Lhlx6oEp0▼このコメントに返信
※212
尊皇派に否定されてる説か
214.名無しさん:2017年01月10日 09:21 ID:EUAsfZA00▼このコメントに返信
日本の馬が大型化したのは明治以降。 明治時代に日露開戦でコサック騎馬兵と戦う為念に馬の大型化が図られ、在来の牡馬の殆どが強制的にセン馬にさせられ、外国の半血種を交配させ軍馬として使えるように計画された。明治時代の日本の陸軍の騎馬将校は殆ど小さい馬に乗って行進している写真が残っているよ。 騎馬の突撃は西部劇の映画のように大平原で何キロの全速で走り抜けながら交戦すのんではなく、両軍が対峙して数百メートルは並足で間合いをとり、そのご2-300mを速歩で、最後の100-150mくらいと駈足で駆け抜けるのだから、日本の馬でも十分出来たと思うし、日本の騎馬は騎馬戦より騎馬と歩兵の戦いを主力においたものだから、敵の陣形の側面を突くとかには貴重な戦力だったと思う。
215.名無しさん:2017年01月10日 10:47 ID:SKDnylVN0▼このコメントに返信
専門家が東日本では騎馬隊いたっていってるからな
216.名無しさん:2017年01月10日 12:22 ID:awcWOgSz0▼このコメントに返信
あくまで軍記だけど信憑性は高めと言われる別所長治記では
別所軍騎兵(それも鉄砲装備)vs羽柴軍騎兵それぞれ百数十騎の戦闘が描かれてるな
どちらも馬上で戦っていると明確に書いてある
217.名無しさん:2017年01月10日 16:20 ID:kPtFhToa0▼このコメントに返信
未だにこんなスレがたつとは
通説を覆す()鈴木何某の負の遺産は大きいな
218.名無しさん:2017年01月10日 16:41 ID:xz45p8.k0▼このコメントに返信
※21
騎兵と馬に乗った歩兵は別という考え方だろ
日本にいたのは騎兵じゃなく馬に乗った歩兵
士官だけが馬に乗っておつきの歩兵と一緒に移動する
ゲーム的に言うと歩兵の速度で移動する騎兵だ
219.名無しさん:2017年01月10日 18:15 ID:bD.xUmMs0▼このコメントに返信
※214
>明治時代に日露開戦でコサック騎馬兵と戦う為念に馬の大型化が図られ
日露戦争の時には日本騎兵は下馬して戦って、散々にコサック騎兵を破ったんですけどね。
しかも、コサックは白兵戦を好んだために、刀の扱いになれた日本側にとっては格好のカモだった。
220.名無しさん:2017年01月10日 19:04 ID:6kIkz2db0▼このコメントに返信
突撃用の馬鎧まであるのに、騎兵突撃がないとか、どういう脳みそしてるんだっていうね
221.名無しさん:2017年01月10日 21:31 ID:BAtC1iyp0▼このコメントに返信
※214
> 明治時代に日露開戦でコサック騎馬兵と戦う為念に馬の大型化が図られ、

こういったように実はウマって、日本史ではあまり詳しく知られていない家畜なんですよね。
ウマの改良は、別に日露戦争のような特定の軍役のために成された訳ではありません。

もともと、ウマがロバ並みにしか大型化しなかった西日本(現在の在来馬の体高にも、面白い
東西偏重がありますね)に対して、東日本には不思議と大型のウマが分布したようです。
そのせいか、古代日本ではすでに馬寮や主馬頭のような官司や官位があったように、西日本発祥
の日本国家がウマの飼育を重要視したのですが、やはりウマが大きく戦力化されるのは中世以降の
東日本の武家社会の成長に依るものでしょう。
中世末期の戦国期には、奥州産の駿馬が馬喰によって全国に流通していたことが多く散見しますし、
江戸時代には公儀御馬買衆など、奥州馬の優越性がお墨付き・公認システムにすら制定されて
います。
いわゆる世間を驚かすような奥州の駿馬が、ポニーの定義ギリギリである140cm台であった史実
などを考えると、後世の幕末1850年代になってすら日本幕府への謝意として平均150cmのアラブ種を
寄贈したナポレオン三世の例があるなど、ヨーロッパでの軍用馬と日本在来馬である公儀選定の
駿馬とは、劇的な違いがあったようには思えません。

(続きます)
222.名無しさん:2017年01月10日 21:36 ID:BAtC1iyp0▼このコメントに返信
(221から続きます)

一方の一般的なウマについてですが、ウマは全国で大変広く普及していました。これは軍用では
なく、民間使役用のウマでした。その数は、人口の1%以上~10%以下、全国で何十万頭といった
ところで、つまりは1村で数頭は居たということで、一般的な農作業には多くのウマが人と共に
働いていたということになります。
しかし、多くの一般の在来馬は120cm程度だったようで、※221のエリート公儀馬とは違って、
平均的には日本馬はやはり欧米馬とは大きく体格に劣っていました。
しかも、去勢の習慣がなかったのでウマは猛獣のように獰猛、馬子という存在も獰猛なウマを
クツワで御して使役させるために必須の存在でした。

明治期に欧米のウマ社会を視察した影響か、すでに明治初期に導入されたような先進的な馬車は
去勢処理なされていたようで、恐らくは輸入馬だと推測します。しかし去勢自体が、明治日本には
浸透することが大変時間がかかっており、それどころより大変な品種改良は大正昭和になっても
地方の一般的なウマには遅々として進まなかったんですね。(先日も、地方の神社で昭和初期の
絵馬に、馬子に牽かれたウマを見つけて、昭和でもまだか~と微笑んでしまいました)
古くは、将軍吉宗の時代にも西洋種の品種改良が試みられており、また上記のナポレオン三世の
アラブ種も野馬奉行によって繁殖が試みられましたが、いずれも失敗。恐らくは、明治陸軍の
騎馬育成の過程も、ムチャクチャな苦労があったのだろうと思います。
まあ、ウマのヒヅメに蹄鉄を打つことすらしない、去勢もしない、使えないくせに獰猛なウマを
家族のように育てて死んでは墓を建てて弔う、そんな人馬一体の日本人・ウマの親和性には、
欧米人のような「動物愛護」とか「品種改良」という上から目線の発想は生まれなかったの
でしょうね。
223.名無しさん:2017年01月11日 01:59 ID:Yd2bKt4u0▼このコメントに返信
小西行長が鉄砲の斉射で朝鮮の騎馬部隊を壊滅させたところは爽快だよな
224.名無しさん:2017年01月11日 17:23 ID:S9JSeMVM0▼このコメントに返信
1184年の一ノ谷の戦いでも義経が騎馬70騎で崖から降りて数千の平家をけちらしたんだろ?
その話が戦記として語り継がれりゃ武田も騎馬隊を組織するだろう。
225.名無しさん:2017年01月12日 03:43 ID:0tDehq8t0▼このコメントに返信
和弓は遠距離で精密に狙撃とか弾幕張るってより、大きな矢尻を大きく強い弓で近距離で大雑把に撃ち抜くって書いてるのがいるが間違い。
遠距離で精密射撃は、那須与一が良い例。
戦況や用途で弓に蕪、矢、鏃、弓弦等変えて使ってた。
ただ威力求めたのは包丁みたいな鏃とか、鉄球付けたのも有るし。
弓自体も一般的な長大な和弓ばかりが思い浮かぶが、携帯性と取り回しに優れた半弓というものも使われていた。
いろんな流派の伝書見ると、弓術に関するものも物凄く幅広いよ。

馬に関しても軍馬の育て方とか流派みたいなもんあるし。
226.名無しさん:2017年01月12日 14:57 ID:bkpp4jkp0▼このコメントに返信
※222
名馬リストに鬼鹿毛(おにかげ)という武田信玄の父である武田信虎の愛馬の正確な体高がでているね。
『甲陽軍鑑』巻一によると体高は四尺八分八寸(148センチメートル)とのこと。
農耕用の駄馬はともかく、軍馬は平均140㎝以上の馬を集めてたんじゃないかな。
227.名無しさん:2017年01月15日 21:40 ID:RMUFT8B50▼このコメントに返信
いや、それは鹿だ!
228.名無しさん:2017年01月18日 10:42 ID:A.b12NFs0▼このコメントに返信
モンゴル騎馬隊の馬とほぼ同じって言っとけばええんちゃう

それでもその馬が戦闘に使えないって言うならその時のヨーロッパはどんだけクソザコナメクジかって話で。
229.名無しさん:2017年01月24日 21:06 ID:PVMNG4DH0▼このコメントに返信
※10
そんなヨタまだ信じてるのか
ポニーのイメージに騙されてるな
230.名無しさん:2017年01月24日 21:08 ID:PVMNG4DH0▼このコメントに返信
※13
じゃあおまえ、NBC兵器の対抗策考えろ
231.名無しさん:2017年02月28日 12:30 ID:iYdYWAfW0▼このコメントに返信
当時の馬はそんなに大きくない、武田家の馬保有率は他家とそんなに変わらなかったり若干少な目、宣教師の書いた日本史に日本人は馬に乗っていても戦う直前に降りるなどで騎馬隊は完全に嘘とまでは言わないが騎馬一人に歩兵十人程度。

お名前