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2016年10月11日 09:05

石田三成って良い奴じゃね?

石田三成って良い奴じゃね?

タグ:
mitsunari

引用元:石田三成って良い奴じゃね? [無断転載禁止]c2ch.net
http://vipper.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1474199326/

1: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 20:48:46.161 ID:SbFknUTn0
はい

3: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 20:50:41.655 ID:F9g7PtBL0
領民を大切にしたし実際問題
関ヶ原に負けて逃げたとき
いつか返り咲く為に匿ってたからな
普通ならありえん

4: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 20:51:19.769 ID:GCYwvswM0
嫌いではないが要領が悪すぎる

16: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 21:01:57.395 ID:uHldSLSE0
>>4
逆だろ
要領が良すぎたんだろ

5: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 20:52:26.036 ID:F9g7PtBL0
確か徳川の時代になりだいぶ月日がたつと
徳川の将軍が石田三成みたいな家臣おたら相当楽やろって言ってたらしいな

8: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 20:55:40.466 ID:F9g7PtBL0
確か未だに石田三成の生まれ故郷の長浜やったっけ?
そこでは愛されてるし
江戸時代では石田三成は極悪人にせんといかんやったけど
どっかの村人は石田三成を思って石田地蔵っての沢山作ったみたい

10: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 20:58:32.023 ID:F9g7PtBL0
しかも家康はあんな調子やから
約束破り捲って豊臣家は滅ぼすし
多くの大名も陥れたからな

加藤清正に至ってはついた側を間違ったって言ってたらしい

11: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 20:58:37.973 ID:Fb7yaR6A0
妖怪ウォッチに出てきたウィスパーの過去編の石田三成はめちゃめちゃいい奴だったよな

12: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 20:59:50.604 ID:F9g7PtBL0
>>11
部下を大事にした人らしいから
案外あんな感じかもな

14: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 21:00:41.759 ID:VimevyLj0
コミュ障についていく奴いないだろ

15: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 21:01:10.349 ID:Fvsub7SU0
武将と言えば石田三成やろ?

17: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 21:02:35.513 ID:nHD3I0Sfa
忍城攻略の時の面子の殆どが西軍についてるんだよな

20: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 21:03:34.895 ID:efbo03Jid
政治面での要領は良かったのかもしれんが人付き合いは不器用だったんだよな
あと根回しとか謀の面での要領の悪さ

21: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 21:04:32.444 ID:uRKyhoQur
三成と飲んだことあるけど良い奴だよ

25: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 21:07:03.021 ID:Gfuhive50
>>21


頼むから成仏してくれ・・・・

27: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 21:08:49.016 ID:jlI/1Blm0
>>21
吉継乙

22: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 21:04:38.846 ID:LFPJHmTZr
なんとなく光秀とかぶるんだよな

23: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 21:04:59.748 ID:TR7QEtTh0
悪人扱いされているが
単に不器用で世渡りベタな頭でっかちなだけだったんじゃないかな

28: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 21:08:57.217 ID:G7FcQeZ90
>>23
勝てば官軍、負ければ賊軍を地で行った感じだよな
善も悪もないよ勝った方が正義ってだけで

24: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2016/09/18(日) 21:05:26.944 ID:GCYwvswM0
性格は馬鹿がつく正直

だがそれがいい!

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2016年10月11日 09:19 ID:iGdl9qtC0▼このコメントに返信
×武将と言えば石田三成やろ?
○官僚と言えば石田三成やろ?
2.名無しさん:2016年10月11日 09:20 ID:HJ3EWM4S0▼このコメントに返信
不器用でまじめ人付き合いが苦手でも一生懸命でお世話になった人に全力で尽くすデジャヴを感じる人だわ
3.名無しさん:2016年10月11日 09:21 ID:u21Qe27W0▼このコメントに返信
ドラマやると、簡単に感化されるのなあ
4.名無しさん:2016年10月11日 09:22 ID:dy2MYDdx0▼このコメントに返信
いつの世もコミュ力が大事という良い例を教えてくれる奴でしょ
5.名無しさん:2016年10月11日 09:23 ID:iGdl9qtC0▼このコメントに返信
田舎にいくと、いまだに太閤検地のときの基準で税金払ってるよね
6.名無しさん:2016年10月11日 09:24 ID:iGdl9qtC0▼このコメントに返信
※3
石田三成のドラマやってるの?
7.名無しさん:2016年10月11日 09:26 ID:NE8pDh7v0▼このコメントに返信
※3
一昨年だったら、罵倒の嵐やろうね。
8.名無しさん:2016年10月11日 09:28 ID:MvK2J5300▼このコメントに返信
誰にとっても要だった太閤さんを失ってバラバラに
みっちゃんの石高が60万くらいだったなら、その力を背景に新しい核になれたかもしれん。
いえやーす250万越えだけど、そこはトンチ効かせて
9.名無しさん:2016年10月11日 09:29 ID:ZrMpm1DV0▼このコメントに返信
部下としては欲しい
同僚としては勘弁
上司としては・・・・・どうなんだろう
少なくても石田勢から裏切り者は出ていないし、配下の有力武将が出奔とかもしていない。
10.ゲハロエおやじ27号っス:2016年10月11日 09:33 ID:a.aCqhGI0▼このコメントに返信
津軽氏の取り扱いでもわかるが頼られれば、それなりに面倒をみる人?
東條も似てるが、戦いは下手ニダ。
11.名無しさん:2016年10月11日 09:35 ID:gIGh.9Pt0▼このコメントに返信
別に悪い奴ではないんだろうな
ただ敵をつくりすぎるから幾ら有能でも周囲は敵だらけ
そしてそれをフォローできる能力は無かったと
12.名無しさん:2016年10月11日 09:35 ID:QyVMwUFt0▼このコメントに返信
こいつとエウメネスって似てね?
文官が嫌われるのは世界共通
13.名無しさん:2016年10月11日 09:38 ID:33MYOuRwO▼このコメントに返信
経理畑あがりのサラリーマン社長と、町工場から世界企業に成り上がった創業者の格の違いですわ。
14.名無しさん:2016年10月11日 09:39 ID:o3qL..YD0▼このコメントに返信
中間管理職が真面目で几帳面過ぎると、上からは信頼されるが、同僚や部下からは煙たがられる。
朝鮮半島で戦ってた連中の恨みを買って、ほぼ全員敵にしてしまったのが致命的。
15.名無しさん:2016年10月11日 09:40 ID:aWRtqXEd0▼このコメントに返信
関が原って結局こいつが中央に返り咲きたいから起こしただけの謀叛じゃん
それまでは曲りなりにも秀頼の祖父でもある家康の独裁で纏まりかけてたのに
16.名無しさん:2016年10月11日 09:41 ID:o3RMw69N0▼このコメントに返信
※8
三成さんは豊臣の領地のうち100万石の管理を任されてて
関ヶ原の時もその領地から兵を連れてったらしい
17.名無しさん:2016年10月11日 09:42 ID:o3RMw69N0▼このコメントに返信
国政に関わる人間が地元で評判がいいって、
絶対怪しいってうがった見方をしてしまう
18.名無しさん:2016年10月11日 09:43 ID:31oBLRzn0▼このコメントに返信
大河ドラマの主役が誰なのかで描かれ方が180度変わる人。
2年前は陰険な嫌われ者。今年は義に厚い人。例外は葵徳川三代の時くらいか。
19.名無しさん:2016年10月11日 09:44 ID:c5.g.bnp0▼このコメントに返信
※5
何処だよWWW
米で租税なんて聞いた事ないぞ
20.名無しさん:2016年10月11日 09:45 ID:jwxX4hME0▼このコメントに返信
ドラマでは悪者三成と実はいい奴三成で別れるね
真田丸では後者になったが、軍師官兵衛では前者だったが演じる役者がいい奴三成派だったらしく
悪者三成役に戸惑ったらしいw
21.名無しさん:2016年10月11日 09:45 ID:PniqBDJ50▼このコメントに返信
※8
家の格式が足りないから核にはなれん
コミュ力ないと秀吉みたいにはなれないよ
22.名無しさん:2016年10月11日 09:48 ID:5JXzP.vt0▼このコメントに返信
あの戦乱の世で彼は清廉潔白を貫いた。
石田三成という日本人が存在したのは驚くべきことだ。
彼こそが本物のサムライだ。
23.名無しさん:2016年10月11日 09:51 ID:Ehv2tl800▼このコメントに返信
※5
成仏してください

※6
「不器用だけどいい人」は今年の"真田丸"の三成がまさにそういう感じ
24.名無しさん:2016年10月11日 09:51 ID:vQE6egP.0▼このコメントに返信
三成は出世欲とかそういうのは無縁だったらしいけれど
如何せん真面目過ぎた。加藤清正辺りと仲が良かったら、
ひょっとしたら徳川幕府は成立出来なかったかもしれない
25.名無しさん:2016年10月11日 09:52 ID:hktwi4Ly0▼このコメントに返信
そもそも、勝者が歴史を作るんだよ。
太平洋戦争でも、そうでしょ。
日本は完璧に悪者にされている。敗者は常に悪者にされる。
真田幸村とかは、真田十勇士などで何時代か忘れたけど
幸村が当に死んだ後に演劇などにされて人気が出た。
26.名無しさん:2016年10月11日 09:54 ID:HB7bwP3o0▼このコメントに返信
秀吉の元で散々資産蓄えてさぞや佐和山城は豪華なんだろうと、落城した後中見てみたら質素そのものだったらしい
27.名無しさん:2016年10月11日 09:54 ID:ZrMpm1DV0▼このコメントに返信
※15
その論だと外戚の横暴を排除しようとした三成も間違っていない

中国では外戚と宦官が王朝を滅ぼす2大原因と言われていた。
28.名無しさん:2016年10月11日 09:54 ID:8jDVYj4b0▼このコメントに返信
配下にするなら光成~~~
29.名無しさん:2016年10月11日 09:56 ID:o3RMw69N0▼このコメントに返信
三成が忠を尽くしたのは「自分が属している豊臣家」だから
「自分が属していない豊臣家」を平気で博打に使う
30.名無しさん:2016年10月11日 09:57 ID:o3RMw69N0▼このコメントに返信
※28
明智さんいいよね
31.名無しさん:2016年10月11日 10:02 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
黄門様のコメントが何より雄弁。
あのまま三成が立ち上がらなかったら、より早く家康専制になったろう。
上杉の次は毛利つぶして、自身の譜代大名の領地を拡大したろう。

もちろん、三成にも野心はあっただろうけど、20万石で家康相手に喧嘩売ったのは偉いと思う。
俺なら、絶対にできない。
32.名無しさん:2016年10月11日 10:04 ID:Ehv2tl800▼このコメントに返信
※25
真田幸村人気はいまの坂本竜馬人気に近い
箸にも棒にもかからないどうでもいいやつが発掘されて、英雄化されただけ
33.名無しさん:2016年10月11日 10:09 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
「真田幸村」が活躍できた要因は、もちろん本人の能力意外のところもある。
(大坂方がベテランの古強者揃いなのに対して、幕府軍の兵士が極端に低練度)

だけど、あれだけの人物を「箸にも棒にもかからない」とまでよく言えたものだ。
34.名無しさん:2016年10月11日 10:10 ID:aWRtqXEd0▼このコメントに返信
※31
実際誰かが専制しないと上手いこと政治できない体制だったってのもあるんだけどね
幼い秀頼に合議制の採決ができるわけなかったんだし
三成が事を起こすんなら秀頼が成人してから連署で家康を訴えれば良かった


というか上杉に関しては間違いなく黒
完全に上杉から戦準備始めて、最上や堀から中央へ訴えも出てたし上杉に問罪使も出した
35.名無しさん:2016年10月11日 10:12 ID:l28kRW2I0▼このコメントに返信
己の欲の為に生きる人ではなかった
36.名無しさん:2016年10月11日 10:12 ID:vva9ibx30▼このコメントに返信
※10
面倒みてもらった津軽氏は三成の娘を嫁にもらっときながら徳川憚って側室に格下げする真性のクズやし報われんなあ
37.名無しさん:2016年10月11日 10:14 ID:mWek3czG0▼このコメントに返信
三成が勝ってたら史実の徳川の様に三成が豊臣家を傀儡にして成り上がろうとしてたと思うけどな
徳川みたいに幕府起こすまでにはなれないだろうけど
関ヶ原はどちらがメインストリームとなるかの戦だよ
38.名無しさん:2016年10月11日 10:14 ID:kKCYTZ4e0▼このコメントに返信
石田という姓が原因か、全体的に画数が少ないのが原因かわからんが、


地味
39.名無しさん:2016年10月11日 10:15 ID:yIAaZaiW0▼このコメントに返信
石田三成はよくも悪くも豊臣政権の官僚だからね。
戦国末期から安土桃山時代の武功で出世してきた人の集団の中で、
官僚的技量で評価されて出世すると、武人から嫌われるのは仕方ないよね。

関ヶ原の戦いなんかは表に出たのが大間違い。
40.名無しさん:2016年10月11日 10:17 ID:ia4ZGLtW0▼このコメントに返信
♪理由があーって 西軍にいる武将 皆三成大嫌いー
41.名無しさん:2016年10月11日 10:17 ID:4Nmkq8s90▼このコメントに返信
アスペだったんだと思う

細川とのエピソードとかヤバいもん
42.名無しさん:2016年10月11日 10:18 ID:ti53o0680▼このコメントに返信
光成が他派閥の同僚の手柄を散々ディスってきたから、敵に寝返ったんだろ
どっちかっていうと奸臣だと思うなあ
43.名無しさん:2016年10月11日 10:18 ID:SCNCh73q0▼このコメントに返信
あの時代はツンデレが理解されてなかったのかな。
人づきあいだけ田中角栄的だったら三成最強だったかも。
44.名無しさん:2016年10月11日 10:20 ID:SEYZbsOQ0▼このコメントに返信
いけ好かない効率主義者ってイメージだな
馬が合う人は合うだろうけど俺には無理だわ
45.名無しさん:2016年10月11日 10:21 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
※34
秀頼成人まで豊臣家が保てばいいねぇ。

上杉に関しては、上杉を責められるか?
家康は、他の大老たちに無理難題吹っかけてたわけで、戦闘準備するのを落ち度だと言われてもね。
最上とか堀とか、どう考えても家康の手駒だし。

というか、朝鮮出兵の痛手から回復するにはいくつか大名家を潰して、領地の再配分するしかない状況だった。
そういう中で、一番「徳川に攻められやすい」位置にいた上杉が警戒したのは当然の話だわな。
前田は根性ない(先見の明がある)から、早々に折れてたし。

もちろん、家康の簒奪を悪だというつもりはないよ。
乱世なら当然のことをしたまでだし。

46.名無しさん:2016年10月11日 10:23 ID:ZrMpm1DV0▼このコメントに返信
※41
その細川も夫婦そろっアスペだったという
庭師を斬り殺した際のエピソードなんかどっちもマジキチ
47.名無しさん:2016年10月11日 10:24 ID:fwUruf550▼このコメントに返信
范増の若い日本バージョンだな。
48.名無しさん:2016年10月11日 10:24 ID:yIAaZaiW0▼このコメントに返信
※43
田中角栄は秀吉さんでしょ。
49.名無しさん:2016年10月11日 10:25 ID:4Nmkq8s90▼このコメントに返信
俺のイメージは華の慶次

堅物で嫌な奴だけど芯が通ってる
50.名無しさん:2016年10月11日 10:26 ID:yIAaZaiW0▼このコメントに返信
※42
しゃーないじゃん。
仕事できないんだから。
ケチをつけて何が悪い?


って話だろうね。
51.名無しさん:2016年10月11日 10:29 ID:4Nmkq8s90▼このコメントに返信
あと人間の裏表がわからない奴ってイメージだわ

捕まって繋がれてるときに
敵方から残念でしたなとか言われてメチャクチャ感謝したとか

ある意味物凄く単純な人
52.名無しさん:2016年10月11日 10:30 ID:qoSZkFxG0▼このコメントに返信
生まれてくる時代が早かった
53.名無しさん:2016年10月11日 10:32 ID:y8fayPRp0▼このコメントに返信
ビッグバンセオリーのシェルドンと重なる
吉継はレナードみたいなやつだったんだろう
54.名無しさん:2016年10月11日 10:32 ID:NzNJB0LEO▼このコメントに返信
アホの千石秀久じゃねーんだからわざわざ領民を過酷に扱う奴なんかいねぇよ。
反乱起こされて困るの領主じゃねーか。
55.名無しさん:2016年10月11日 10:33 ID:ZrMpm1DV0▼このコメントに返信
※42
>他派閥の同僚の手柄を散々ディス

今時まだこの程度の知識しかない人間がいるとはな

逆に正確に報告したから嫌われたんだよ

清正なんか完全に逆恨みだぞ、
豊臣姓詐称(意外だけど豊臣姓を許されたのは1603年)
明使の献上品横領
正確に報告しなければ三成の首が飛ぶつーの

56.名無しさん:2016年10月11日 10:34 ID:OeAmXJ8J0▼このコメントに返信
三成までが家康に尻尾を振ったら
秀吉も浮かばれない…は司馬遼太郎の関ヶ原だっけか
57.名無しさん:2016年10月11日 10:35 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
※54
その定義で行けば、江戸時代を通じてアホはいっぱいいたことになる。
まぁ、「領民を可愛がった」てのは、領主としての最低条件なのは確かだけど。
58.名無しさん:2016年10月11日 10:35 ID:9gZv0HhT0▼このコメントに返信
※47
范増っていうか荀彧とか陳羣みたいな政治家タイプの武将で戦はそこまで上手くないタイプだろ
59.名無しさん:2016年10月11日 10:38 ID:ZmNeFJh00▼このコメントに返信
季節外れの桃だったか柿だったかを、わざわざ呼び出して突っ返した逸話から察するに、
悪い人間じゃないんだろうけど、人の痛みが解らない、
今でいうサイコパス的な所が強かったんじゃないかな。
面子とかを重んじる武家社会では、相手を立てるべき時に立てられないのは致命的。
60.名無しさん:2016年10月11日 10:38 ID:aWRtqXEd0▼このコメントに返信
※45
豊臣家が保てばっていうかそのまま行けば徳川が執権北条氏的なスポットに収まって続いたんじゃないかな
関が原起きなければ奉行衆残ってるし豊臣蔵入れ地にまでは手出しできなかったかも

上杉に関しては越後の年貢全部持っていったりあんまり擁護する気にならん
最上や堀が家康派になったのも半分上杉のせいだし
61.名無しさん:2016年10月11日 10:43 ID:Q5LCTzNy0▼このコメントに返信
石田は今で言えば事務次官や局長としてはかなり良い人材だが、議員(政治家)大臣様としては糞真面目すぎたというところだろうね
62.名無しさん:2016年10月11日 10:45 ID:ZrMpm1DV0▼このコメントに返信
※60
関ケ原の後になるけど、黒田も筑前転封の時にやったけどな。
63.名無しさん:2016年10月11日 10:45 ID:GhWws.MC0▼このコメントに返信
むかし、テレビドラマであったな。

ライ病の大谷刑部が口を付けた盃を、武将たちは飲むふりだけして口をつけなかった。
そんななかで、石田三成だけが口を付けて飲んでた。
大谷刑部が一番驚いてた。

大谷刑部は、関ケ原の戦いで勝ち目がないと一旦国に引き上げようとしてたけど
そのことを思い出し、ともに死ぬことを決意する。
大谷刑部の「引き返せ !」の号令をいまも覚えてる。
64.名無しさん:2016年10月11日 10:46 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
※60
鎌倉幕府の将軍って、宮将軍・摂家将軍ですよ? 豊臣=源とするなら、秀頼の血脈絶えますよ?

堀はともかく、最上は駒姫の件でしょ。
年貢の持ち去りは、黒田だか細川もやっている。真っ当ではないけど、当時例がないわけでもないだろう。
65.名無しさん:2016年10月11日 10:47 ID:Q5LCTzNy0▼このコメントに返信
大谷はライ病だったのか 諸説あったけど
映画だがキングダムオブヘブンの王様もそうだったなあ
尊厳を最後まで維持しようとしてた
66.名無しさん:2016年10月11日 10:47 ID:kKGX1rH30▼このコメントに返信
相手に正論突きつけて逃げ道を与えないタイプだから嫌われたんだろうな
潔癖症で毒を飲むことが出来ないタイプだから、権謀術数に長けた藤堂高虎や家康相手に勝ち目が無いのも納得
67.名無しさん:2016年10月11日 10:48 ID:yIAaZaiW0▼このコメントに返信
いまだってカチカチの官僚タイプの人間いるじゃん。
人間の情なんか無視して,効率重視,理屈を無理矢理押しつけるし,杓子定規で融通が利かないヤツって。
石田三成はその典型。

豊臣政権の大官僚としてはこれ以上ないくらい適役だけど,官僚以上でも以下でもない。
スポ根上等の武断派と合うわけがない。

上司からは,よく仕事のできるヤツだと評価され
同僚からは,杓子定規で融通の利かないヤツだと疎まれ
部下からは,ちょっとでもミスがあるといつまでも説教たれると嫌がられ

知人からは,つまんないヤツだよねって遠ざけられ
親友からは,アイツはちゃんと考えてるしそのための努力もしてる,良いヤツなんだよ…でも,ひとりで何でも
 できるわけじゃなし,もう少し周りのことも考えてくれればなぁ,と言われ。
家庭内からは,家族のために一生懸命働いてくれるのはわかるけど,愛情がないとボヤかれる。

こんな感じでしょ。

68.名無しさん:2016年10月11日 10:49 ID:Q5LCTzNy0▼このコメントに返信
石田の忠誠心は良いと思う 官僚(の場合愛国心になる)は本来そうあるべきだしね
69.名無しさん:2016年10月11日 10:52 ID:41QC21RB0▼このコメントに返信
武将と、いえばミツナリ~♪

いち、ごー、ろく、ぜろ、滋賀県うまれ~♪
70.名無しさん:2016年10月11日 10:52 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
三成は、部下からは慕われていたと思うな。
大大名相手に傲慢だけど、乞われれば援助もするし便宜もはかる。

部下から裏切者が出ていない点とか、家中掌握は評価してもいいのでは?
逆に言うと、同格以上の人間との対人関係はかなり厳しいものがあると言わざるを得ない。
71.名無しさん:2016年10月11日 10:53 ID:O5.ehk090▼このコメントに返信
いまだに三成っていうと花の慶次の鼻水みっちゃんが浮かぶ
七将殴り込み事件なんか見ると現場組に嫌われる内勤組のお偉方みたいなイメージ
※59
それはサイコパスじゃなくてアスペじゃなかろうか
72.名無しさん:2016年10月11日 10:54 ID:77STQOjO0▼このコメントに返信
誰よりも真っ先に秀吉の遺言破ったのは三成だし。
(「大名同士で誓詞をとるな」って遺言破って輝元に対徳川としか思えない誓詞書かせてる)
輝元とつるんで、「秀元への分領に関する」遺言を有耶無耶にしようとしたのも三成だし。
おまけに宇喜多の遺言破り(西国大名は在伏見って決まってるのに大坂居座り)は黙認。

一方で遺言に一切言及のない私婚問題で家康を追及してるし、
三成が清廉潔白のいいやつだったとは思えんな。ただの上昇志向の野心あるの官僚だな。
73.名無しさん:2016年10月11日 10:55 ID:usKW8HNK0▼このコメントに返信
細川忠興「俺の前で言ってみろよ。」
74.名無しさん:2016年10月11日 10:58 ID:FXM20fK50▼このコメントに返信
大谷吉継の膿が落ちたお茶を飲んだエピソードとか見る限り、気遣いが出来ない人間ではないと思う。
三成に足りないのは他人をリスペクトする精神。
失態を犯した武将を三成がフォローしたとか、三成の推挙で加増された大名がいたという話は聞いたことがない。
家康と三成の決定的な違いはそこ。
人は大義名分を振りかざす者より自分の価値を認めてくれる者について行く。
75.名無しさん:2016年10月11日 11:00 ID:yIAaZaiW0▼このコメントに返信
※70
何でも律儀にきちんとやるから,その面は評価されたと思うよ。
それを善しとして人の情を考えなかったのは問題だけど。
あるいは,その情すら手段化してつかったなら大したモノだとおもうけど,その才能はなかったようで。

まあ,人たらしの才能は皆無だな。ある意味,人たらし過ぎた秀吉とは対照的。
76.名無しさん:2016年10月11日 11:02 ID:lQniyyac0▼このコメントに返信
無双とか好きな女が絶賛してるイメージ
77.名無しさん:2016年10月11日 11:04 ID:bBlb0wxf0▼このコメントに返信
敗者に対しては意外と優しい

こいつに救ってもらった奴は少なくない
78.名無しさん:2016年10月11日 11:06 ID:ZrMpm1DV0▼このコメントに返信
※72
宇喜多は五大老としての職務が秀頼の守護だったので、秀頼が大阪に移ればついていくのが普通
輝元と家康は政務代行が職責なのでどちらかが在京しなければ決定者がいなくなる
つまり輝元と引き継ぎもせずに東下した家康の方が常識はずれとも言える
79.名無しさん:2016年10月11日 11:09 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
※72
その遺言って、どこに伝わっているの?
80.名無しさん:2016年10月11日 11:10 ID:qQBKIukd0▼このコメントに返信
本当に良かったなら「太閤には恩があるが、光成をコロコロできるなら」って理由で東軍についた奴が何人も出ないと思うで
性格悪いって記録もいくつも現存しとるしな
81.名無しさん:2016年10月11日 11:11 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
※75
上位者として部下の人心を掌握するのと、対等以上の人びとの人心を収攬するのは別だしね。
三成はかなり欠点の多い人だったのは間違いない。

でも、立場上「秀吉の失政」について秀吉を面と向かって批判しにくい人たちに袋叩きにされている感はある。
その点はちょっと気の毒だと思う。
82.名無しさん:2016年10月11日 11:12 ID:yEdPINi60▼このコメントに返信
というか、一々評価に小説・演劇・映画・ドラマで影響されすぎだわな。
事実だけ見ときゃ、石田光成なんぞ小策士が策におぼれてアボンしたって理解できるだろう。
本当にいい人で、悲劇の主人公なんぞ「楠正成」くらいだわ。

※9
上司にしたら最悪だぞ?
好悪が激しいから、好かれてたらいい上司になりえるだろうが、嫌われたらある事無い事もっと上に報告されてアボン。
しかも、人たらしのために我慢してた酷薄さを、今までの我慢を取り戻すかのようにむき出しにしとる年老いてきた色基地猿は超危険w
そして、三成って「人様の権威を自分でも着ちゃう」人物だからねえ。
こういう人物は本当にしんどい。

83.名無しさん:2016年10月11日 11:14 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
※82
「あることないこと」の実例を一つ挙げてみたまえ
84.名無しさん:2016年10月11日 11:14 ID:9WkEMIuJ0▼このコメントに返信
少なくとも悪人の要素は無いだろ。
悪いとすれば、ノリが悪かったぐらい。
85.名無しさん:2016年10月11日 11:17 ID:aWRtqXEd0▼このコメントに返信
まぁでも起こった史実だけ見ると本当に良い奴ならあんなことにはならないもんな
三成に友達が居ないわけじゃないけど
86.名無しさん:2016年10月11日 11:17 ID:yR2lp7kF0▼このコメントに返信
※36
浅知恵過ぎる
辰姫側室になっても群馬2千石の飛び地でキャッキャウフフしてて、子供は四代目ついでるんやで、正室の家康養女の満天姫の連れ子&実子差し置いてな
信建「三成の次男&娘回収やでー」
信牧「二代目ついだでー城五層天守にしたでーついでに三成の娘嫁にしたでー」
天海「うわーこのやりたい放題の弟子ったら、そや!福島家出戻りの満天姫送りつけて徳川の縁者にしとけば安心や」

髭も息子達も人脈が凄すぎる
87.名無しさん:2016年10月11日 11:17 ID:MoHZPTUT0▼このコメントに返信
※36
でも跡を継いだのは三成の娘の方の子供なんだぜ?
しかも寺だか神社で隠れキリシタンよろしくこっそりと三成を祀っていやがる
88.名無しさん:2016年10月11日 11:18 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
三成が善人だとは思えないよ。
けど、佞臣だと断言されるのはあまりに気の毒な気がする。
89.名無しさん:2016年10月11日 11:18 ID:ZYNiK1OZ0▼このコメントに返信
なんというか、自分より頭が悪い人間をとことんまで見下すというか、
嫌うというか、いわゆる天才肌に多いタイプだったんじゃね?

だから自分の才能を認め、取り立ててくれる人(豊臣秀吉)や
自分が実力を認めた奴や馬のあった奴(大谷吉継や島左近)には
とことんまで好かれる、高評価を得られるが、
自分を嫌う奴(加藤清正や福島正則等武闘派の皆様)は
こっちからもおことわり、とばかりにものすごく仲が悪くなる。
組織としての憎まれ役になれないタイプだったんじゃないの?
インテリと叩き上げではやはり考え方も違うだろうし。
「無駄な金や物資を使うな戦争屋め!」「インテリ様め!鉛弾は前からだけじゃねぇぞ!!」
って感じか?
90.名無しさん:2016年10月11日 11:21 ID:pkEMsmMw0▼このコメントに返信
最近はゲームとかのせいで斜め上な美化が増えてしまった気も
91.名無しさん:2016年10月11日 11:23 ID:ibZTOx200▼このコメントに返信
好き嫌い、相手の身分、仕事出来る出来ないで態度変えてたんだろ?
人間的にはただのクズじゃね?
襲撃くらったの史実だし嫌われてたのは実際の話だろ?
仕事の出来る有能な人間だけど人格クズ
92.名無しさん:2016年10月11日 11:25 ID:yEdPINi60▼このコメントに返信
※83
あること「朝鮮出兵時の武断派の所業一覧(何もこんなこと報告せんでも良いだろうってことまで秀吉にチクリ)」
無い事「色基地猿騙す為に必死に小西・宗・売僧と組んで朝鮮・明の対応捏造」
そういや、小西なんぞがサボってても、策のためとして何一つ猿に報告してないなw
その為に武断派がえらい目にあってても。

今時の能無し外務官僚なんぞとびたいち変わらん。

実際にこういうの身近(上司や監査役)にいたらすごい迷惑だぞ。
93.名無しさん:2016年10月11日 11:28 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
※92
「部下のやったこと」でないことを一つ。
94.名無しさん:2016年10月11日 11:29 ID:77STQOjO0▼このコメントに返信
※78
宇喜多は秀頼守護だから特別扱いなんて与えられてないぞ

慶長年中卜齋記には「慶長三年七月に西国の侍は伏見東国の侍は大坂につめ秀頼公を守立可申と御遺言の由」
島津義弘書状でも「太閤遺命で西国大名は在伏見と決まっているのにみんな大坂に行ってしまった。
しかし私は遺命を守り伏見にいる」って言われてるし、
家康からも「東国衆の儀は在大坂、西国衆の儀は在伏見と、太閤様御置目候の処、
備前中納言殿在大阪の段、更に分別及ばずの由、家康堅く申上げらるるの由候」って指摘を受けて問題化してる。
三成は黙認したみたいだけど。

ちなみに下記の遺言の通り、家康は伏見在中を命じられてる。もちろん宇喜多と違ってちゃんと順守してる
「伏見ニハ内府御座候て、 諸職被成御肝煎候へと 御意候 、 城々留守ハ徳善院、長東大蔵仕、
何時も内府てんしゆまても、 御上り候ハんと被仰候者、 無気遣上可申由、 被成 御意候事」




95.名無しさん:2016年10月11日 11:29 ID:o3RMw69N0▼このコメントに返信
善人でも悪人でもないただの人
96.名無しさん:2016年10月11日 11:31 ID:bBlb0wxf0▼このコメントに返信
上司と部下と領民に好かれて同格には嫌われるって関羽みたいだな
97.名無しさん:2016年10月11日 11:31 ID:bBlb0wxf0▼このコメントに返信
少なくても分かりやすくいい奴じゃないわな
98.名無しさん:2016年10月11日 11:34 ID:tYDrUgIw0▼このコメントに返信
秀吉に対する忠誠は立派だが日本全体のことは考えて無かった。
99.名無しさん:2016年10月11日 11:35 ID:hssHyLMz0▼このコメントに返信
三成の家康の野望を感じる感性は正しいものだったけど勇み足で自爆だね
豊臣勢完全分裂を決定的にした壮大な自爆
100.名無しさん:2016年10月11日 11:37 ID:hssHyLMz0▼このコメントに返信
家康に天下人の野心があろうと、豊臣が分裂しなければかなわなかった話だと思うんでね
101.名無しさん:2016年10月11日 11:38 ID:tucdoO7R0▼このコメントに返信
勝者の歴史だからな
東軍眼鏡外して西軍眼鏡で見たら全然違うしw
102.名無しさん:2016年10月11日 11:41 ID:yEdPINi60▼このコメントに返信
※88
主家をどれだけ思っていようが、結果が最悪(主家断絶またはそれに続く道築く)なら、そいつは奸臣・佞臣扱いされても仕方がねえわなぁ・・・。
大野修理だってそうじゃん?

※90
隆慶小説なんかもそうじゃね?
なんか奇妙だけど、時代の流れで評価が変わるのは昔からあるからねえ。
103.名無しさん:2016年10月11日 11:46 ID:wWXa.DEf0▼このコメントに返信
頼朝の側近で義経を嫌った梶原景時によく似てるんじゃないかな。
104.名無しさん:2016年10月11日 11:49 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
※102
はっきり言ってしまうと、秀吉の方針そのものがいろいろと厳しいものがあるんだわ。
朝鮮出兵はともかく、補給の問題から明征服とかどう考えても無理。

そういう中で、三成は面と向かってそれを非難できな人たちの不満のはけ口になっていた感が非常に強い。
とても善人とは評価できないけど、結果だけで佞臣評価はひどすぎる。

で、東軍で戦ってた大野くんがどうかしたか?
と言いたくなる。こいつなりに頑張ったけど、どう考えても三成よりもスケールが小さい。
良くも悪くもね。



105.名無しさん:2016年10月11日 11:50 ID:eJPOszXt0▼このコメントに返信
いくら戦国時代とはいえ、ただ悪いだけの奴が人の上に立てるわけない
106.名無しさん:2016年10月11日 11:54 ID:uw.49gWs0▼このコメントに返信
官僚として優秀だけど根回しは下手って不思議な人間だな
107.名無しさん:2016年10月11日 11:54 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
※103
梶原景時とはいろいろ共通点が多いと思う。
108.名無しさん:2016年10月11日 11:57 ID:DumnA09X0▼このコメントに返信
素質があったけど人望がね
援軍には欲しいけど自軍にはいらん
109.名無しさん:2016年10月11日 11:58 ID:77STQOjO0▼このコメントに返信
※104
大谷吉継も三成と同じように補給や軍監のために渡海して朝鮮諸将の指導に当たってる。
(どっちが上とかは史料にないので、同じように行動したんだろう)

にもかかわらず、大谷吉継は嫌われずに、
三成が蛇蝎のように嫌われたのはやはり三成の人間性によるところが大きいのではないだろうか?
110.名無しさん:2016年10月11日 12:00 ID:Hkj4Fcjk0▼このコメントに返信
秀吉が無茶をいう都議会のドンなら、三成はそれを尻拭いさせられる専門家
はっきり言って秀吉があそこまで耄碌してなければあんなことにははならなかった
もともとお山の大将なだけだったかもしれんが
111.名無しさん:2016年10月11日 12:00 ID:hssHyLMz0▼このコメントに返信
官僚の人の三成論とかあったら面白そう
堺屋さんは三成の対家康勢力の組織作りに関しては評価してるようだけどね
三成は家康を相当脅威に感じてたんだろうがこじんてきには、今だから言えるが客観的にみればそれほど恐れる必要性はなかったよね
けっきょく豊臣は関ヶ原後に純粋な220万石から60万石に減らされる羽目になってる。貿易やら鉱山の利益は知らないけどさ
五大老体制も完全崩壊で家康は400万石の大大名ということになって幕府を開くんで
112.名無しさん:2016年10月11日 12:00 ID:783mobpdO▼このコメントに返信
源義経みたいだな
113.名無しさん:2016年10月11日 12:01 ID:Hkj4Fcjk0▼このコメントに返信
※109
大谷はいろんな意味で批判しにくいからな。
2人で同じことやってれば皺寄せは三成にいくわ。
114.名無しさん:2016年10月11日 12:02 ID:yIAaZaiW0▼このコメントに返信
※106
根回しはしてるんだよ。
だけど,根回しというよりただの事前通告。
「今度こうすることになりましたから,次の会議でよろしく。(すんなり決まるように協力しろよ)」

でも,嫌われてるから知らんぷりされる,という。

115.名無しさん:2016年10月11日 12:04 ID:RZKYV.bU0▼このコメントに返信
※100
家康のポジションは、漢王朝における曹操と同じポジションに見える。
116.名無しさん:2016年10月11日 12:06 ID:hssHyLMz0▼このコメントに返信
こじん的には曹操っていうと信長を連想する
117.名無しさん:2016年10月11日 12:06 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
※109
指導の内容とかも、そんな的外れじゃないと思う。
ただ、大谷吉継とかに比べて人徳に欠けていたのは間違いなと思うわ。
118.名無しさん:2016年10月11日 12:07 ID:.CwPpVdI0▼このコメントに返信
徳川における本多正信・正純親子ポジション
まあ同僚には嫌われるよな
119.名無しさん:2016年10月11日 12:08 ID:yIAaZaiW0▼このコメントに返信
※100
武断派を整理して,文治派(という名の官僚集団)に切り替えていくっていうのは
どの時代でもどの政権でも大きな課題だからね。

中国のことわざでも「蜚鳥尽きて良弓蔵せられ、狡兎死して走狗煮らる」っていのがあるし,
江戸幕府でも文治派が権力を管理するようになるまではしばらくかかった。
豊臣政権ではそれに失敗したってだけかと。
120.名無しさん:2016年10月11日 12:08 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
家康は、中国だと李淵ポジションかな。
家康の方がずっと苦労人で、日本人の欲目だけど有能そうに思えるけど。
121.名無しさん:2016年10月11日 12:11 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
加藤清正とか、福島正則も三成と同じような軍事テクノクラートっぽいのに。
加藤清正は朝鮮出兵でのいきさつがあって上手くいかなかったのだろうけど、福島正則はどこで拗れたんだろう?

やっぱ、三成との日常のやり取りで堪忍できないことがあったのか。
122.名無しさん:2016年10月11日 12:13 ID:yIAaZaiW0▼このコメントに返信
※117
的外れなんじゃなくて,すごく合理的でまっとうなんだよ。
それだけに,自分自身はもちろん相手にも計画通り「やってあたりまえ」を押しつける。
一生懸命やって達成したのに「お疲れさま」の一言もなく,労いの酒宴もなく,
「やってあたりまえ」っていわれたら,ムカッとするし,ついていこうとは思わないだろ。

三成の目的合理主義につきあえる人は,豊臣政権の安定化を目的にしてまともなこと
やってるよねって思うけど,それにつきあえない大半のひとは無理って思う。
123.名無しさん:2016年10月11日 12:16 ID:bAo0FGwt0▼このコメントに返信
※121
文官と武官の性質・興味の違いじゃないのかな。江戸幕府初期も文官のニーズが高まって、武闘派はどんどん居場所が無くなっていった。
124.名無しさん:2016年10月11日 12:17 ID:epDTwmmrO▼このコメントに返信
福島正則とこじれたのは案外酒が飲める飲めないみたいな
単純な理由だったりして
大酒飲みが年をとると面倒くさいんだこれが…
125.名無しさん:2016年10月11日 12:17 ID:hssHyLMz0▼このコメントに返信
※119
まあ秀吉が生きてればできたろうね 三成には権威の後ろだてがなかったのかもしれない
126.名無しさん:2016年10月11日 12:25 ID:5mMc9jO10▼このコメントに返信
三成とか田沼意次とか、けっこう今評価が見直されているな。
一つの視点にとらわれないってのは良いことだと思うけど
これも歴史修正主義って言われちゃうのかねw
127.名無しさん:2016年10月11日 12:25 ID:s5H70JiO0▼このコメントに返信
※91
それでいったら、生き残った戦国武将にオレら目線で真っ当なヤツなんざ一人も居ないと思うぞ?
そういうヤツはみんなしんでるだろうからw
128.名無しさん:2016年10月11日 12:25 ID:esMkScPd0▼このコメントに返信
武家ちゃうからなぁ、組織内で武闘派を差し置いてインテリが幅を利かせてたら、そりゃ不満を募らせるやろ。
129.名無しさん:2016年10月11日 12:27 ID:RZKYV.bU0▼このコメントに返信
司馬炎「私のそばにも、諸葛亮のような人がいてくれたら、今の苦労はなかっただろうになぁ・・・」

なんか、本スレの徳川将軍の言葉って、それと同じような意味かなぁ。
特に嫁の父親の力が絶大だと
130.名無しさん:2016年10月11日 12:27 ID:oyWmSuUi0▼このコメントに返信
敗軍の将だからな後付で悪くなるのが常 豊臣の為に忠義を尽くした有能な武将に一人だよ
三成のような武将が多ければ西軍も楽勝で勝てたのに残念 でも豊臣秀頼が秀吉の実の子ならだが
全く違うか徳川も滅ぼすしか無い結果 融通の聴かない嫌われ者だが全ては老後のクソ秀吉の愚政治
が悪いだけ 秀吉も知ってて自分の子でも無い秀頼の為に暴走しまくりで嫌われ過ぎの晩年の結果滅亡
秀吉が子沢山だったら本当の意味での天下統一出来たし有能な豊臣を盛り立て石田三成も良き家臣で行けたのに
131.名無しさん:2016年10月11日 12:28 ID:77STQOjO0▼このコメントに返信
三成を文官としながら、清正を武官として扱うのは違和感あるな
文官仕事で出世したけど、それは清正も同じだし。
三成も軍官とか先方衆とか勤めてるし。

前田玄以くらいまでいけば文官扱いでいいだろうけど
132.名無しさん:2016年10月11日 12:28 ID:yEdPINi60▼このコメントに返信
※122
労いは一応言ってたんじゃねかったかなあ?>三成
秀吉死後諸将が帰国した際、名護屋まで迎えに来た三成が、「お疲れさん。この後引き取ってもらって、来年は大阪に出てきてね。宴を開くわ」と労ったら遠征武将マジギレしたのなかったっけ?
「あっちじゃ俺ら稗粟貪ってひもじい思いしてたから、お前にも稗粟なんぞを俺らがご馳走してやるわ」みたいな。

そういや、出展は忘れてしまったが、朝鮮出兵の武将が三成を嫌ったのは、出兵で苦しい思いしてた台所事情の武将たちをよそに、その件で日本にいた三成が大儲けしたってのがあった気がする。
133.名無しさん:2016年10月11日 12:28 ID:f5ELjV000▼このコメントに返信
戦国の世にしちゃ珍しい堅物
普通は淀と秀頼を家康に差し出して自分は寝返る
134.名無しさん:2016年10月11日 12:31 ID:77STQOjO0▼このコメントに返信
※130
三成も遺言無視で好き勝手やってるし
「忠義を尽くした」がどこまで本当やら。

小早川に勝手に「関白」と「上方2か国」を約束してるし、
仮に西軍が勝っても蔵入地分配は既定路線だったろうな
135.名無しさん:2016年10月11日 12:32 ID:B7otS6W10▼このコメントに返信
有能な馬鹿だろ。

歴史的人物を善悪で色分けするのは好ましくないな。
評価を見誤ってしまう。
136.名無しさん:2016年10月11日 12:36 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
※134
徳川領・東軍領を分配ればいいので、蔵入地分配必至ではないでしょうに。
137.名無しさん:2016年10月11日 12:41 ID:QYJFCkbw0▼このコメントに返信
実際三成が関ケ原で勝ってたらどうなってたかなんてわからないしな。
138.名無しさん:2016年10月11日 12:43 ID:yIAaZaiW0▼このコメントに返信
※125
秀吉自身で秀頼への権力継承がきちんとできれば,秀吉=秀頼の権威を背景に三成が仕切ってもちゃんとまとまっただろうね。
あるいは,秀吉の後,中継ぎに秀次をいれて(その後,秀頼が継承)もできたと思うが,秀吉が死罪にしちゃったから。
豊臣政権の崩壊過程の最初の責任は秀吉自身にある。

その意味じゃ,三成は官僚にすぎなかったのにトップ不在・意思決定機関分裂の中で,豊臣政権を支えようと踏ん張った忠臣。
しかし,いかんせん官僚は官僚。トップの器でもなければ,人をひきつける魅力があるわけでもないので,支えきれなかった。
「人には分がある」と考えれば分不相応な責任を自ら背負ってつぶれてしまった。

※126
個人的には石田三成と松平定信,井伊直弼は話が合うと思うよ。
官僚トップ的な位置づけだが,やるときはやらねばならんという胆力で無理矢理やって敵をつくりすぎて,つぶされるという。

※132
そういう型どおりの気持ちの入っていないのは「労い」といはいわないかなあ。
労いは,一生懸命やってくれてありがとう!ってことが伝わってはじめて労いになる。
三成にはそういうのがない。ホント,官僚としてはよくできた人なんだけど。
139.名無しさん:2016年10月11日 12:54 ID:yEdPINi60▼このコメントに返信
※138
>そういう型どおりの気持ちの入っていないのは「労い」といはいわないかなあ。
ほんとこれな。
でも、三成としては労ってる積りだったんだろうと思うw
だからこの時も「何でこいつら俺がせっかく労ってるのに」と思ったろうし、「やっぱこういう奴らとは肌が合わない」と考えたろうw
武断派連中はそういうのが透けて見えるから「何コラ!タココラ!」と長州力状態。

官僚としてなら見所あるのに、武将としてはアカンねえ。
140.名無しさん:2016年10月11日 12:57 ID:77STQOjO0▼このコメントに返信
当時5歳の秀頼に秀吉からの権力移譲は不可能だろ。
秀吉自身それをわかってたから
「何たる儀も、内府、大納言殿へ得御意、 其次第相究候へ」と遺言してる。

問題は、前田ー徳川両頭体制が、
利長の大ポカのせいで加賀討伐未遂にまで発展した挙句、
徳川一頭体制に変貌したこと。

これに反感を感じた毛利宇喜多が三成の返り咲きクーデターに便乗したのが関ケ原
141.名無しさん:2016年10月11日 13:04 ID:ZkvWMKbS0▼このコメントに返信
年長の武臣に囲まれた若輩の行政官という点では、
劉備陣営の諸葛亮と豊臣家中の石田三成はポジションが似ている。
仮に関ヶ原で西軍が勝って豊臣時代が続いていたら、
石田三成は諸葛亮のように崇拝されることになっただろうな。
142.名無しさん:2016年10月11日 13:05 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
三成が「武将」扱いされていないのにショックを受ける。
143.名無しさん:2016年10月11日 13:06 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
※141
大の三成贔屓だけど、人徳面で諸葛亮の足元にも及ばないと思う。
144.名無しさん:2016年10月11日 13:26 ID:yIAaZaiW0▼このコメントに返信
諸葛亮は結構、情のある人だからね。
出師の表も泣かせる内容だし、
街亭の戦いで敗北した馬謖を斬ったときも、軍規に照らして処刑したけど「泣いて」愛弟子を斬ったわけだから。
そして責任を感じて、自ら2階級降格処分にするという。
そして、劉備への恩義から寿命を縮めてまで内政・軍政にいそしんで蜀漢を疲弊させてさっさと死ぬという。
官僚として業務を回すという点では三成は優秀だが、組織をまとめるという点では諸葛亮と比較すべくもない。

しかし、こうみると親分が親分かな。
劉備は、息子が取るに足らないならお前が帝位につけといい、
秀吉は、息子に忠誠を尽くすよう重役たちに誓詞を書かせた。
145.名無しさん:2016年10月11日 13:27 ID:tIFd9QDU0▼このコメントに返信
真田丸に夢中なんですね
分かります
146.名無しさん:2016年10月11日 13:53 ID:HMk.aL1Q0▼このコメントに返信
優秀な官僚ではあったけどリーダーの器ではなかったみたいな
まぁ今的に言えば都庁の役人みたいな
誰かがどっかでネタばらして悪役にするにはもってこいみたいな
147.名無しさん:2016年10月11日 13:58 ID:cOpHW9yyO▼このコメントに返信
恩ある豊臣のためにと皆に節制を求めたり真面目すぎる社員なイメージ
皆が皆、三成の様にずっと目をかけてもらい恩があるわけでもないしギブアンドテイクでやってり奴もいるのに身を粉にすることを押し付け嫌われる
社畜の中の社畜
148.名無しさん:2016年10月11日 14:00 ID:utA30jnN0▼このコメントに返信
豊臣家にとっては間違いなく忠臣だろうね。
ただその豊臣政権の正当性がな。
秀吉も信長の遺児や兄弟たちにかなり非道な行いをしてるし、織田家から天下を騙し取ったと言えなくもない。
そんな豊臣政権を潰した家康は悪、三成は善だとは思わないし特別三成に同情する気にはならないな。
149.名無しさん:2016年10月11日 14:02 ID:ibZTOx200▼このコメントに返信
※127
まっとうな奴がいなかったと言うのはそうかもしれんが
天下取ったやつは本性は置いといて真っ当に見えるよう外面よくしてたんじゃないかな?
秀吉は天下取った後こそあれだったが、天下取るまでは出来る限り敵を作らないよう柔和にやってたし
家康もなんだかんだ言うが関ヶ原前まではそこまで非道非常な面ってあまりみせてなかった
少なくとも秀吉、家康は天下取るまでは嫌いやつも上手く扱う器の大きさがあった
三成は嫌いなやつ、合わないやつを疎んじ態度に出るああたり器が小さかったんだよ
まあ身分相応に一官僚で終わっていればここまで言われることはなかったと思うよ
150.名無しさん:2016年10月11日 14:14 ID:1enfnlIO0▼このコメントに返信
だったら何で報告書を握り潰したりするんだ?しかも救出されず刑死してるし。過大評価され過ぎ。
151.名無しさん:2016年10月11日 14:25 ID:1OCvGVn50▼このコメントに返信
石田三成は官僚として財政管理だけ任せてればよかった

政治の駆け引きは下手だったから政局の重要ポスト任せちゃいけなかった

官僚としては本当に適任だったし人柄が悪いわけでもなかったけど真面目すぎる性格が仇になった不運な人
152.名無しさん:2016年10月11日 14:38 ID:1OCvGVn50▼このコメントに返信
米109

大谷さんは最期は豊富のために死にかけの状態になってでも豊富のために戦って無くなったから批判しにくい部分はある。
裏方で文句言わずにずっと働いていたり石田三成にダメ出ししたりしたけど最期まで付き合ってあげたし

不治の病立ったから関ヶ原を死に場所に選んだのもあったと思うけど
153.名無しさん:2016年10月11日 15:02 ID:0MVrTyuX0▼このコメントに返信
徳川Yeaaah!康
石田MeTo!!成
154.名無しさん:2016年10月11日 15:20 ID:RZKYV.bU0▼このコメントに返信
※111
意識のずれは大きいと思うんだよねぇ
「家康排除しないと豊臣が!!」
「政敵取り除こうと必死乙pgr」みたいな温度差はあったと思う。
しかも、実質豊臣政権のかじ取り排除してどうするんだと・・・


※137
正直な話

家康を排除していたら豊臣政権が回っていたとは思えないんだよなぁ・・・
秀頼成人するまでは、家康の行政手腕と実行力に頼らざるを得ないだろうと思う。
155.名無しさん:2016年10月11日 15:41 ID:B7otS6W10▼このコメントに返信
※143
諸葛亮の人徳って?
なんかそんな場面あったっけ?
156.名無しさん:2016年10月11日 16:31 ID:dx01I78vO▼このコメントに返信
意外と友達多いのにぼっち扱いされてる可哀想な人
まあ、裏切られたりしてるしコミュ障っぽいけど
157.名無しさん:2016年10月11日 16:55 ID:zrb3dRKc0▼このコメントに返信
配下にするならみつなり~
158.名無しさん:2016年10月11日 17:32 ID:DalJLnMO0▼このコメントに返信
自分が読んだやつだと、朝鮮出兵(でいいのかな?)のときに、働き手を戦に取られた藩の財政が悪化した時、三成の肝いりの商人たちがお金用立てたんだって。要は借金させられたのね。で、秀吉がなくなって、くたびれ儲けで国元に返ったら借金させられていたんで、三成絶許になったってあった。

事情の説明とかちゃんとなってればまだましだったろうにね。どっちかというと諸悪の根源は秀吉なんだけど、秀吉を糾弾できない代わりに三成に矛先が向いたともされてたな。

関ヶ原合戦は完全に大阪方が旗幟を鮮明にしないのが致命的だったとおもう。結局誰のための戦なのかがわからないし
159.名無しさん:2016年10月11日 18:01 ID:dCDRDoKX0▼このコメントに返信
関が原に至るまでの三成の動きも真っ当なものだったわけじゃないからな
まず五大老五奉行の合議制という話は秀吉の遺言にはなく秀吉の死後に出てきた話で
家康の権限に制限を加える目的で提案されたもので
毛利秀元の領地配分問題では秀吉の生前の遺志を覆す裁定を下すよう動いたりと秀吉の遺言に忠実だったわけでもない
秀吉の死後すぐに毛利と浅野を除く四奉行で行動を共にする旨の誓紙を交わしたけど
これは御掟五条の中の勝手に誓紙を交わすことを禁じた条文に違反する
その一方で同じ御掟の中の大名間の婚姻は(秀吉の)御意を得ることという
秀吉が亡くなると同時に途端に死文化する条文を盾に政務の代行者という立場から退く様に家康に要求
結局居直られて家康の放逐はできず七将襲撃事件で失脚して起死回生の一手としての関が原に至る
要はどっちが良いか悪いかという話ではなく秀吉の死後権力を握った家康に
庇護者をなくして権力を失いつつある三成が仕掛けた権力闘争なわけ
豊臣家としてはどちらかに味方するものではない 
交友関係で言えば自分や仲間には甘い一方で対立者には容赦がないわけだから
近しい人間は三成の事慕うだろうけど嫌いな奴からは殺したいほど憎まれてもおかしくない
160.名無しさん:2016年10月11日 18:07 ID:aWRtqXEd0▼このコメントに返信
※141
三成は楊儀に一番似てると思うよ
161.名無しさん:2016年10月11日 18:27 ID:RZKYV.bU0▼このコメントに返信
※155
仁徳というより、私心がなく公明正大だった。

裁かれた人間が
「諸葛亮が死んだなら、俺が赦免される日は無いな」と絶望したり
「彼の裁きは正当で理にかなっており、悪いのは私なのだからこの境遇も当たり前だ」と何ら遺恨を持っていなかったり
162.名無しさん:2016年10月11日 19:29 ID:RBjG.tjS0▼このコメントに返信
良いエピソードもいっぱいあるが逆も多いんだよね・・。

特に秀次政権潰した時のやり方は恨み買うだろうし
官僚タイプの人間が表にでて動いたら元の身分の事もあってまとめられないからね
それもあって大谷からおまえは表にでるなといわれてたのに表にしゃしゃりでてくるし
関が原にしても一応大将なのに負けを想定せず逃げ遅れる始末。 関が原でまけても
まだ次があるのに次を想定していないからああなる。あれが家康や信長ならとっくに逃げて次に繋げていただろう。

同じ豊臣の中でも秀次側の人間を敵のように扱った事は皆しってるからね。
163.名無しさん:2016年10月11日 20:06 ID:Ad5f852n0▼このコメントに返信
※102
でも鹿之助はい評価の方が多いじゃん
164.名無しさん:2016年10月11日 20:24 ID:2wxSD.gD0▼このコメントに返信
一緒に戦ってくれる友達は居たが、同僚にはくっそ嫌われてたから関が原で負けたんだよなあ
豊臣家恩顧の大名で東側にいた連中はあいつ嫌いだからと言って家康に味方するし
西側にいた連中は妻子を人質にしたり、ここで俺につかないと敵中孤立になると脅してようやく名目上の味方に出来たくらいだし
総大将を嫌々請け負った毛利なんて結局後方の城から一歩も動かないし
165.名無しさん:2016年10月11日 22:03 ID:9NLRkGnB0▼このコメントに返信
三成先輩こっちが口説く気満々で飲み誘ったのに!
私の気持ち分かってたくせに逸らしっぱなし!
私あの後、一人で、すごくないたんだから!
朴念仁ってアウトだわ!
166.名無しさん:2016年10月11日 23:05 ID:MXWT1HzD0▼このコメントに返信
官僚というか事務方としては相当優秀だったんだろうなってのはやってたことみればわかる
それと人柄は別だからなぁ、武闘派の武将に嫌われまくってるのは流石に何かしら欠点があったとしか思えんわな
167.名無しさん:2016年10月11日 23:54 ID:5p9y9bhk0▼このコメントに返信
※159
そりゃ、生前からあれば遺言にはないでしょうね。
すべての誤算は前田家の早すぎる家康への屈服にあるとしか思えない。

家康の動き(他の大老を国に返し、大坂入り)から見るに、野心は隠しようがないでしょう。
恐らく、前田と同じような方法で他の大老たちにも服従を迫ったことはほぼ確実だと思う。

もちろん、家康を非難しているわけじゃない。
秀吉だって、そうやって信長亡き後に簒奪した訳だから、それは乱世の習い。

そもそも「遺言」の内容がいまいちはっきりしない気もする。
知っているだけで、3種類くらいあるんだけど、どれが本物なの?
168.名無しさん:2016年10月12日 00:22 ID:K5gp.HUF0▼このコメントに返信
公明正大な人かと思ってたけど上杉と堀がもめた時に上杉に肩入れしたりと結構依怙贔屓してるんだよな
その上秀吉死後すぐに遺言破りの密約を作ったことを知ってかなり印象が悪くなった

豊臣への忠誠からなのか野心からなのか分からないけど、家康を徹底的に敵視して盛んに動いていた
そのことが秀吉死後の政治に家康の力が必要と考えていた武将たちに嫌われて七武将襲撃事件につながったのではと思う

関ケ原での西軍の動きは終始まとまりがなく規模の割にあっさり敗北して、結果的にはとはいえ家康の天下のおぜん立てをしたからね
色々頑張ってたがどうにも褒める気にはなれない
169.名無しさん:2016年10月12日 00:48 ID:GPjDbaO80▼このコメントに返信
「遺言」なんだけど、浅野家のにも、毛利家のにも、宮部家の内容にも、三成は特段背いているとは思えないんだけど。
170.名無しさん:2016年10月12日 01:11 ID:8FGX9Dhq0▼このコメントに返信
※167
秀吉の生前は秀吉による属人的な政治で合議制であったことはない
家康や利家に相談して決めるようにという文言はあるが
秀吉が自分の死後に合議制で物事を決めろと言い残した文書は(今のところ見つかって)無い
西軍の『内府ちかひの条々』も「秀吉の遺言に背いて~した」と家康を責める内容ではなく
「(大老奉行の)10人で約束したことなのに~した」と責める内容だから
秀吉の生前から合議制で物事を決めるように定められていた形跡は無いと思う
逆に聞くけど生前から合議制と定めていたような根拠とかあるの?

遺言に関しては秀吉がいろんな人に話していたものを書き起こしたものがいくつか残っているだけで
これが正本というものは存在しないみたい
171.名無しさん:2016年10月12日 01:24 ID:oI.7lKGL0▼このコメントに返信
島勝猛「(ガチったら勝てねーから)今のうちに家康暗殺しとこうや」
三成「そんな卑怯なことは出来ん!(キリッ)」

島津義弘「家康の準備整ってない今、夜襲かけようぜ夜襲」
三成「やらねーよ。あと薩摩弁何言ってるかわかんねーwww」
島津義弘「そうかい。じゃアバヨ」

勝猛&義弘「ダメだコイツ・・・」

大体毛利に総大将頼んどいてテメーがしゃしゃり出まくってるから、西軍にも嫌われたという
やる気になってたの、大谷と宇喜多くらいしかいねぇし
172.名無しさん:2016年10月12日 01:36 ID:GPjDbaO80▼このコメントに返信
※170
浅野家の遺言書に依るなら、

蔵入地のこととかは「年寄」(いわゆる「五奉行」)が、家康・利家の裁可を受けるべき。
秀頼が成人したときにちゃんと説明できるようにしとけよ。

と読める。
つまり、いわゆる「五奉行」が実務を行い、いわゆる「五大老」の筆頭2名が裁可にあたる体制だと読める。


逆に、毛利家の方がリアリティがある気がするが…
こっちはもっとストレートに
 「五人のしゆ」=五人の衆=五大老?、「五人の物」=五奉行?
としている。
少なくとも、秀吉の死の直前には、いわゆる「五大老五奉行制」があったのは間違いない。

遺言については、教えてくれて感謝。
なるほど「これが本物」てのはないわけか。三成が誓詞を交わして「遺言破り」したってあるけど、どの遺言なのか疑問。
少なくとも、毛利家・浅野家・宮部家のにはない気がする。
173.名無しさん:2016年10月12日 03:22 ID:2W.DKs310▼このコメントに返信
※171
関ヶ原で義弘に目立った動きが無かったのは、兵数が少なかったので二番備えについてたからだよ。
その裁量の範囲では特にやる気が無かったなどという話はなく、むしろ積極的に本陣と連絡取り合ってたらしい。
態度を硬化させて頑として軍を動かさなくなったのは、小早川以下寝返り組が謀反をあからさまにした後の話。
その段階で初めて西軍の負けを確信し、戦後処理を見越して三成を見限ったようよ。
174.名無しさん:2016年10月12日 03:27 ID:8FGX9Dhq0▼このコメントに返信
※172
それって秀吉がなくなったので家康(政権運営)と利家(秀頼の養育を含む豊臣家の家政)に職掌を分けた結果の話で
相談して裁可してもらう人間が2人になっただけで合議制でもなんでもないよね
合議制の問題は浅野家文書にも景勝が在国とある通り全員が京大坂にいるわけではないということ
早大の秀吉遺言覚書(宮部家)にある通り五奉行は輪番で京都と伏見に詰めるよう指示されてるので
5大老5奉行が常に一箇所あるいは近距離にいるとは限らない
そうなると合議制だと何か物事を決めるのにいちいち領国に使いを出さないといけないわけで非常に時間がかかる
だから家康は三年は在京するようにといわれ領国の仕事は秀忠に任せるように指示され、豊臣政権の政庁である伏見の責任者として指名されてる
毛利家の文書については「秀頼を頼む」以外の事は言って無いと思うよ
これをもってして合議制の根拠とするのは難しいと思う
175.名無しさん:2016年10月12日 08:06 ID:MMNm112d0▼このコメントに返信
※19
面積の話な
176.名無しさん:2016年10月12日 08:45 ID:GPjDbaO80▼このコメントに返信
※174
ok。合議制の解釈の違いだね。
失政にあたって、「執行機関が複数人で運営される」ことを指して「合議制」という。
輪番制で、複数人(宮部家遺言に従うなら、いわゆる「五奉行」は、3人が伏見、残る2人が大坂)が失政にあたる
以上、これは「合議制」と表現すべきだし、毛利家遺言にある通りいわゆる「五大老五奉行」がそれにあたることは
秀吉の生前からの指示されていた、と見るべきでは?
177.名無しさん:2016年10月12日 08:50 ID:tYdTPU1H0▼このコメントに返信
輝元「そうそう、みんな三成が悪い」
178.名無しさん:2016年10月12日 10:29 ID:kJv1pSkF0▼このコメントに返信
※94
???馬鹿なのw

秀頼守護役だから大阪に居るのが常識だろうが
この時遺言に従って8月に秀頼が大阪城に動座するのが決まっているのだから
宇喜多が大阪以外に居たらそれこそ遺言違反

それとも秀頼の守護ほっぽり出して伏見に行けというのか?
お前さんの頭の構造が判らんw
179.名無しさん:2016年10月12日 10:57 ID:SskOSW8J0▼このコメントに返信
融通のきかないまっ直ぐすぎる性格
まさしく高学歴の官僚にいるタイプだな
180.名無しさん:2016年10月12日 12:40 ID:8FGX9Dhq0▼このコメントに返信
※176
五大老五奉行が制度として確立しているなら浅野石田が失脚した後に欠員を補充する動きが残りの大老奉行から無いのはおかしい
小西(領国が遠い点で難しいかも)でも大谷宮部(健康に不安ありか)でもいいしあるいは三中老(と呼ばれる人たち)でもいい
三成と彼に近しい奉行も失脚してるとはいえこの時点では豊臣政権を支える人材が払底してるわけじゃないんだから
誰かしら後任に宛てようと推薦するべきところが放置されているのは不自然だろう
結局のところ秀吉の遺言が遺言で示したのは彼の死後その位置には替わりとして家康と利家が席を分け合う形で座り
最終的な意思決定は職掌に応じてその2人が下すもので奉行は下僚なんだと思うよ
その一方で『内府ちかひの条々』にも五大老が連署すべき書類に家康一人で署名していることという条文があるから
すくなくとも奉行のなかには自分が書いたような合議制の認識があるんじゃないかな
181.名無しさん:2016年10月12日 20:14 ID:uaT.GOnU0▼このコメントに返信
秀長が三成の頭を押さえてる状況があと十年続けば、朝鮮の役でもそこまで恨まれなかったのになと妄想する
182.名無しさん:2016年10月12日 23:04 ID:C4RTa9jF0▼このコメントに返信
滋賀県の浅井郡に逃げて匿う人が結構いたらしい、
183.名無しさん:2016年10月14日 11:04 ID:RTcZ1zVx0▼このコメントに返信
渡辺勘兵衛の件を考えると、間違いなく一廉の将でしょう。
決して、佞人・奸臣の類ではないと感じる。
184.名無しさん:2016年10月14日 11:07 ID:RTcZ1zVx0▼このコメントに返信
※180
いや、その理屈はおかしいでしょう?
※176のいう合議制なら、欠員が生じた際に「直ちに」補充する必要がないわけでしょ?
185.名無しさん:2017年03月06日 13:59 ID:mjRDDcYj0▼このコメントに返信
※162
その「秀次側の人間を敵のように扱った」というのもどこまで本当なのかわからんのよ
秀次事件後に旧秀次家臣が三成に大量の柿を贈っており三成がお礼の書状を送っている
(その書状で「柿は私の好物だ」と書いているので、有名な「柿は胆の毒」の逸話も恐らくガセ)
秀次事件後に三成に仕官した旧秀次家臣は結構おり、関ヶ原でも裏切らずに普通に戦っている
・・・などなど、当時の事実を見てみれば
三成は別に秀次側の人間を敵とは見なしていなかったし
また秀次側の人間も別に三成を敵視しておらず仲良くする気まんまんだったことが分かる

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