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2016年09月15日 09:15

江戸時代の食事について

江戸時代の食事について

03

引用元:江戸時代の食事について
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1473846881/

1: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)18:54:41 ID:NuJ
下級藩士で魚を食べられるのが月3、4回。後は一汁一菜って読んだんだけど
何で魚釣りに行かなかったん?
浪人とかなら時間あるだろうし、そんだけ魚が貴重な扱いなら収入にも繋がるだろ

2: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)18:55:41 ID:TQa
海辺の人に限るやん

3: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)18:57:09 ID:NuJ
>>2
少なくとも江戸なら海近いし釣れるっしょ?
他地域でも川はあるし、当時なら魚も多いと思う

4: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)19:00:19 ID:NuJ
そういう感じで200年後には絶対儲かるのに当時の人はなんでこれやらなかったんかなって考えるような産業あるんやろなって考えたんや

5: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)19:01:50 ID:77f
江戸時代中期から後期の下級藩士の本職は
内職やったんやで

8: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)19:05:07 ID:NuJ
>>5
下級藩士出したのは例や
田舎の農家だともっとひどいみたいやん
魚釣ってれば売ればもっと飯まともなもんになったやろ

9: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)19:05:18 ID:eTd
マジレスすると江戸時代には今の漁業権の原型に近いものがあって藩主から許可もらっとらん人間が勝手に魚とったりすんのは御法度や
まして武士は今の公務員みたいにオフィシャルには副業禁止やから魚とって売る許可なんて申請できるわけがない

15: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)19:07:22 ID:NuJ
>>9
マジレスで超納得したけど、そしたら当時の漁師って金持ちなの?

18: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)19:09:48 ID:eTd
>>15
網元っていって農家でいうとこの地主階級は金持っとるとこも多かったみたいやな、豪農の漁師版みたいなもんや
そこから雇ってもらって働く零細漁民は小作人と同じっていったらまあ想像つくやろ
ちな30年ちょい前の鈴木善幸って総理大臣は岩手の網元の出身やったはず

10: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)19:05:32 ID:mDV
道具も餌も時間も必要やしな
あと一応武士が毎日昼日中から釣りしとるのは後ろ指指されるやろうしな

13: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)19:06:30 ID:BC1
保存の技術の問題やないか?

19: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)19:10:10 ID:77f
イワシが取れすぎて
肥料に使っていたと聞くが、どうなんやろ

20: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)19:12:27 ID:eTd
>>19
関東の太平洋側は干鰯っていって取れたの乾燥させて畑に使っとったらしいな
食用の干物にするには腐る前に一匹ずつ内臓処理したり手間かかるから捨てるよりはええって事やろ

21: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)19:13:44 ID:BC1
寿司のネタはなんやったんやろな

22: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)19:15:29 ID:eTd
>>21
握り寿司って事なら海老、コハダ、卵は確実にあったみたいやな、ソースは江戸東京博物館

23: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)19:16:52 ID:BC1
>>22
卵は高級そうやけどな あったんか
さんがつ

24: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)19:18:50 ID:Hhd
>>23
卵は他のネタの2倍の値段がしたってなんかテレビであってた

30: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)20:02:58 ID:LZX
魚は釣るもんやなくて網で獲るもんやったからなあ
釣りは趣味でやるもんや
江戸時代にナイロンテグスは無いんやで

32: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)20:36:00 ID:NuJ
>>30
趣味でぼーっと釣りして近所の人とそれなりの米と交換できたら結構いい暮らしできる気するんだよね

34: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)20:45:44 ID:23P
タンパク質はやっぱり大豆からが大半か?

36: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)21:46:08 ID:tpv
>>34
農家やと鳥獣駆除して出た廃棄物(意味深)を食べるのはセーフやで

35: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)20:46:48 ID:RYz
お堀のコイ釣って売るような人なんていくらでもおったやろ

37: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)21:51:21 ID:Sur
ウサギも一羽二羽って数えて鳥やからセーフってやっとったんやから、鳥はセーフとちゃうんけ?

38: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)21:53:13 ID:Ou0
釣り竿も釣り糸も高価なんやろ

39: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)22:16:55 ID:4eq
>>38
古事記でも弟が釣り針無くして兄ガチギレする話があるぐらいやしなぁ

40: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)22:21:07 ID:tpv
>>39
あれ爆釣する釣り針だからやで
今風で言えば最新テクノロジーぶち込んだ高価な釣り具

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2016年09月15日 09:27 ID:IiMMj7vj0▼このコメントに返信
電気がないから氷作れないし、保存できないし。
2.名無しさん:2016年09月15日 09:29 ID:tfu5537E0▼このコメントに返信
保存は干したり燻製にしたりなんかに漬けたりで可能やろ
3.名無しさん:2016年09月15日 09:36 ID:6Vq5xV.t0▼このコメントに返信
※2
>なんかに漬けたり

それがわからないんだから、腐らせるしかない。
現代人と違って、「知っている」ことは、本当に財産だから。
4.名無しさん:2016年09月15日 09:36 ID:ryQGXSVy0▼このコメントに返信
さすが古事記ニキ!本居宣長ばんじゃーい!
5.名無しさん:2016年09月15日 09:38 ID:dm3JHq..0▼このコメントに返信
農業だと村ごとに庄屋
漁業だと村ごとに網元
それぞれに管理者がいて作物や漁場を守っている
よそ者が勝手に取っていいわけではない
6.名無しさん:2016年09月15日 09:39 ID:yiC9qLhr0▼このコメントに返信
そこで発酵食品
7.名無しさん:2016年09月15日 09:39 ID:l1YuioNj0▼このコメントに返信
関西の方だと庶民もだいぶ豪勢な暮らしをしてたようだ。もともと土地改良しなくても米が取れ、魚も豊富だったらしい。江戸時代は小氷期だから関東は厳しかったんだろう。
8.名無しさん:2016年09月15日 09:39 ID:Wyy5Ak580▼このコメントに返信
若狭の海から京の都まで「鯖街道」という路がおましたえ
9.名無しさん:2016年09月15日 09:40 ID:NJF34EmRO▼このコメントに返信
釣り自体は武士の趣味としてはありがちだったけど
産業にできるほど大量に釣ることは無理だな
10.名無しさん:2016年09月15日 09:44 ID:03XUGtw.0▼このコメントに返信
江戸時代は,耕作権もそうだが,漁業権もかなりきっちりあって,かなり法治社会。
武士はいまでいうところの官僚ってだけだから大した裁量権はない。
11.:2016年09月15日 09:45 ID:JWMxo5.z0▼このコメントに返信
鬼平犯科帳の食事風景は見るの楽しみのひとつ
釣りシーンもあるけど趣味って感じかね
川の上流とか食べられそうだけど、生活排水垂れ流しの
川魚を食べたかどうか疑問だな
12.名無しさん:2016年09月15日 09:48 ID:uZqnK7wW0▼このコメントに返信
※1
↑実はコレなんだよね。現在のようにどこでも魚が食べられるようになったのは
大正・昭和の冷蔵施設の発達と輸送販路の拡大が最大の要因であって
江戸時代では魚は滅多に庶民の食卓には上がらなかったし、食べても干物とかそういう感じ。
なので江戸後期に発達してきた「江戸前寿司」も生魚のネタを使う早鮨はほとんどなく。なれ鮨が基本

あと川魚を~ともいうが、川は不浄云々とうの別の理由であまり食べなかったはず
それに衛生面を考えると川魚をあまり食べないというのは正しい
13.名無しさん:2016年09月15日 09:49 ID:ryQGXSVy0▼このコメントに返信
生活排水ったって合成洗剤あるわけじゃない。 肥は溜めてるし。 綺麗すぎるくらいだろう。
14.名無しさん:2016年09月15日 09:51 ID:dDvl6WAJ0▼このコメントに返信
現代の価値観で判断しているのか、頭が悪いだけなのか知らないけど

貧しい下級武士が、何で「内職」してたと思うんだよ?

おおっぴらに町人の真似事なんかするわけにいかないだろ

歳をとってからの趣味ならともかく、生活のために魚釣りなんて

恥ずかしくて生きていけないだろ
15.名無しさん:2016年09月15日 09:51 ID:8degZJI20▼このコメントに返信
江戸は蓄養がなされてて、刺身を食べていた
16.名無しさん:2016年09月15日 09:53 ID:La2gRaBW0▼このコメントに返信
司馬の胡蝶の夢では平戸藩士の岡口等伝が海釣してたな。
17.名無しさん:2016年09月15日 09:55 ID:SE1d7WX70▼このコメントに返信
武士が持って歩いても赦された物が、竹刀と釣竿だったらしい。
だから河口の魚などはかなり釣って食べていたのではないかと思う。
ただ、普通すぎて誰も書き残さなかった、のかも知れない。
18.名無しさん:2016年09月15日 09:56 ID:05rKeZxh0▼このコメントに返信
趣味で釣りしてそれを夕餉にするぐらいは出来るけど
それを毎日は出来ないし、やっぱり月に数回程度食べれれば良いほうという話になる
19.名無しさん:2016年09月15日 09:56 ID:8degZJI20▼このコメントに返信
カムイ伝にでてくる鹿のもも肉がうまそう
20.名無しさん:2016年09月15日 09:57 ID:H0sIEXCl0▼このコメントに返信
よーわからんが、徳川慶喜は明治になってからは趣味に生きたそうだが、そのなかに庭で投網の練習というのがあったな。
21.名無しさん:2016年09月15日 09:57 ID:GN0v9zDd0▼このコメントに返信
そもそも農民が毎日魚食えるくらい川から魚取ったらすぐに魚全滅するやろ
22.名無しさん:2016年09月15日 09:58 ID:ACoz1UNy0▼このコメントに返信
肥料にするくらいイワシ獲れたのなら、貧農とか言ってないでもっとどんどん食べればよかったのに
他にタンパク源なんてろくになかったのだから毎日朝晩食べてもいいくらいだ
23.名無しさん:2016年09月15日 09:58 ID:8degZJI20▼このコメントに返信
醤油が普及するまでは、梅を主に酒で煮詰めた液体で生魚を食べてた
24.名無しさん:2016年09月15日 10:00 ID:LU10e1LJ0▼このコメントに返信
干す漬けるには調味料が必須だけど、精製技術が今より稚拙だし、需要もあるから、
大量に調味料を使う加工は現実的には不可能
日本には岩塩が殆ど無いから塩賊やるのも難しいし
25.名無しさん:2016年09月15日 10:01 ID:8degZJI20▼このコメントに返信
たしか江戸の将軍の食卓には鯛が毎日でてたらしい
26.名無しさん:2016年09月15日 10:01 ID:R7l6gJLr0▼このコメントに返信
二本差しが釣り糸垂らしてたら【昼行灯】って言われちゃう。

面子気にしない閉職か隠居したなら良いかも知らんけど。
27.名無しさん:2016年09月15日 10:01 ID:03XUGtw.0▼このコメントに返信
鹿はちゃんと処理すりゃうまいよ。
28.名無しさん:2016年09月15日 10:02 ID:3AIVDTnA0▼このコメントに返信
置いてけ堀って話があるくらいだからみんな釣りはしてたんやろ
つーか調べたら太公望に託けて武士の間で釣りブームとかあるやん
29.名無しさん:2016年09月15日 10:02 ID:D7UvY.QW0▼このコメントに返信
江戸時代からあるそば屋とうなぎ屋さんに良く行くけどめちゃくちゃ旨い 
考えるけどデパートのウナギとか江戸時代の人は食えないだろうな 
30.名無しさん:2016年09月15日 10:03 ID:0dT1yf0X0▼このコメントに返信
何かの本で読んだが
テグスというのは、元々は中国から入ってくる積荷の紐でしかなくて
それを釣り糸として売ったところボロ儲けしたそうな
31.名無しさん:2016年09月15日 10:04 ID:WDred3Qv0▼このコメントに返信
貧困者には特別に川での漁が許されてたんだよな、だからエビとか取って売ることで生活の足しに出来た。
普通の武士とか町人が勝手に漁しちゃいけない。
32.名無しさん:2016年09月15日 10:05 ID:5vdtPjw40▼このコメントに返信
米本位という価値観だったのになんで魚つって売ればいいという発想になるのかがわからん
物の売買は地位の低い商人のやること
33.名無しさん:2016年09月15日 10:07 ID:J7BtjnYq0▼このコメントに返信
庶民はしじみ獲って売ったりしてるよ。武士だからだろ?
34.名無しさん:2016年09月15日 10:09 ID:J7BtjnYq0▼このコメントに返信
※3 お前はほんと~~~~~~・・にバカだな。干物とかくさやとか知らねえのか?

こういうやつらって昭和からつづくバカアホクズ漫画家の寝言だけ見て育ったのか?あいつら人のあるべき姿とかほざく癖してちょっと前の暮らしを原始時代の暮らしとか思ってるからな。何千年の暮らしの知恵が凝縮してると思ってんだか。
35.名無しさん:2016年09月15日 10:11 ID:CrI.k8hZ0▼このコメントに返信
「なんでワープアは飯代浮かせるために釣りしないの?」
って質問に近いな

やってみろってんだ
買った方が安いに決まってる
36.名無しさん:2016年09月15日 10:11 ID:.LRu46FEO▼このコメントに返信
マグロは食べてたけど赤身だけで、漬けが出来てからの影響が大きかったはず。
なお、保存の効かない脂身の多いトロとかは棄ててた。

37.名無しさん:2016年09月15日 10:12 ID:8degZJI20▼このコメントに返信
くさやで思い出したけど、伊豆ってのが結構江戸と関係が深いんだよね
今も魚介で関係深いんだけど、魚介類以外では江戸城の石垣とかたしかあのあたりの物だったと思う
38.名無しさん:2016年09月15日 10:24 ID:VIk1rHpi0▼このコメントに返信
塩はほんとに貴重品だったろうね。価格統制の安定供給はいつからだろう。
39.名無しさん:2016年09月15日 10:25 ID:dxnpGbpg0▼このコメントに返信
江戸時代には既に様々な利権がきっちり整備されていて、勝手に水引いたり山に入って薪取ったりもできなかったっていうしなあ。商売になるほど魚は獲れないよ。
あと、人員と身分の流動性が低く抑えられていたから、貧しい身分に生まれた人は狭い社会の中で「貧しい身分の人」として一生暮らさなければならなかった。知恵と工夫で一山当てて成り上がる、なんてことを社会システムが許さなかったんだよ。戦国時代とはわけが違う。
この質問の意味は低い身分の人が、裏技で分不相応な豊かな生活ができたんじゃないかって事だから。実現は難しかっただろう。
40.名無しさん:2016年09月15日 10:28 ID:Cs2po6jx0▼このコメントに返信
武士は食わねど高楊枝
41.名無しさん:2016年09月15日 10:29 ID:5uMYnRyw0▼このコメントに返信
サバの醤油漬けをパッキングしたものを昔食べてたが今は見なくなった。
あれは商品としてはもうないのかな?
42.名無しさん:2016年09月15日 10:36 ID:6RCIxYMi0▼このコメントに返信
江戸の街中からちゃんとした魚が釣れる海岸なり川なりまで道具を持って行ったり来たりするのは実は大変
今みたいに車や自転車があるわけでもなし、趣味でやるには負担が大きすぎる
43.名無しさん:2016年09月15日 10:37 ID:Tasg8Gpa0▼このコメントに返信
そもそも武士が池で呑気に魚釣りなんてするのかね?? 
福沢自伝によると店で買い物すら、武士の体面に拘わる行為やで?
巷で話題の芝居見物もほっかむりして出かけるのが基本中の基本。
44.名無しさん:2016年09月15日 10:41 ID:fqUUbc6p0▼このコメントに返信
オレが驚いたのは
町中の家々からウンコを集めて郊外の農家に売りに行くという商売があって
それがメチャ儲かるってんでウンコの奪い合いをしてたこと
今冷静に考えれば理に適ってるし当然と言えば当然だわな
45.名無しさん:2016年09月15日 10:48 ID:RNoHKqjq0▼このコメントに返信
普通に釣りしてたで、畑も作って菜園してたし
46.名無しさん:2016年09月15日 10:49 ID:tF1podV00▼このコメントに返信
だから江戸の人たちは
日本の有史上一番背が低いらしいね
極端に言えば米しか食べていないくらい
脚気とかもそれが原因とか
47.名無しさん:2016年09月15日 10:51 ID:8degZJI20▼このコメントに返信
いっぽう薩摩の人らは普通に肉を食ってたよう
豚とか犬とか
48.名無しさん:2016年09月15日 10:53 ID:l7.frlxJ0▼このコメントに返信
※40
クソッ、先に言われたw

まあ意識として
普段は米、野菜、豆腐が中心で
たまには精をつけるために肉、魚って感じだったんじゃないの
49.名無しさん:2016年09月15日 10:54 ID:I2YDV8NN0▼このコメントに返信
獣の肉を食うのは毛唐だけなんてのは嘘で獣の肉を鍋にする文化は昔からあったらしい。山鯨やぼたんなんかがその名残
50.名無しさん:2016年09月15日 10:56 ID:03XUGtw.0▼このコメントに返信
いやいや身分の高低と経済力はあんまり関係ないし。
たいていの本百姓は一般的な下級武士よりもよっぽど豊かな生活してたし,
穢多は穢多で利権をもってて経済的には安定してたし,まとめ役は金持ちだったし。
51.名無しさん:2016年09月15日 10:57 ID:SayXXc1RO▼このコメントに返信
武士なんだから、普通にお勤めがあるし、海岸まで歩きだから釣りに行けるのは非番の時
そして保存が効かないから、食えるのは当日か翌日
普通に週に3~4回食べられるのが釣った魚ってオチだったりして
52.名無しさん:2016年09月15日 10:57 ID:87SPpLyE0▼このコメントに返信
当時の武士って仏教や儒教の影響を受けて質素倹約を推奨していたので食事や着るものもあえて質素にしていた面もあるからな。それに江戸時代の食卓を下級武士の食卓で話すっていうのが間違っている気がする。上記のように武士階級が質素倹約を旨としていたこともあって、いわゆる上流と呼ばれる武士階級ではなく、商人や職人といった中流階級メインで発達している。

江戸時代は大きな戦乱もなかったので商人や職人といった階級の蓄財が進み、人口の多数を占める中流階級が裕福だったので、江戸時代の文化や食事は主にそういった庶民中心で発展していたはず、例えば寿司も今でいうハンバーガーみたいなノリで扱われていたファーストフードで庶民の食事だったし、蕎麦やウナギの屋台といったものも庶民向けの料理。また人形浄瑠璃や歌舞伎なんかの庶民向けの娯楽もとても充実していた

ここらへん一部の上流階級が富を握りしめていたといわれる隣の国とは全く逆ですね。そんな自分たちの国の改善点に目を向けず、日本をたたくためのあら捜しばかりに精を出しているのでヘル朝鮮などという国になったのだと思いますが…


53.名無しさん:2016年09月15日 11:11 ID:Crh.OPEp0▼このコメントに返信
武士の勤務って、10日ごとに1日出勤するだけってきいたことがある。
54.名無しさん:2016年09月15日 11:12 ID:DqrVNku.0▼このコメントに返信
※22
イワシは知らんが小作制度ってのが戦後まであったが大地主と小作人の中間にも”貧しい”~”結構豊か”まで各級の農家があったが、そこそこの自作農家でも嫁が親に内緒で肥料用のニシンを取り出して亭主とふたりだけで、とか”アレ食いて~”と届いたニシンの俵を横目で見ながら、なんてのがあった(戦後まで)わけで、農家にとってはその日のオカズよりも田畑の収量がはるかに大事な厳しい状況だったんだろ。 昔読んだ本で江戸時代のいつ頃の話だか、某藩で500石取りの娘の日記で”一日と15日は白い飯だからうれしい”っていうような記述があったから、同じ石高でも実際の収入は藩・時代によって違うとはいえ、大方の武士は普段は古着屋でしか買えない魚も江戸の職人以下の頻度ってのがふつうやったんやろ。せやから食わねど高楊枝なんていったんやろ。ため池もいっぱいあってフナ、ナマズなんぞはつれたやろけど、勝手に釣ったら窃盗やから武士が勝手に釣れる場所は限られてたやろ。
55.名無しさん:2016年09月15日 11:16 ID:8degZJI20▼このコメントに返信
どうでもいいが、ニシンっていえば世界史でも結構でてきてたなあ あのニシンで戦争が起こるんだあとか思った
ニシンはコクがあって旨いね
たしか刺身にするとイワシに似てた気がする
56.名無しさん:2016年09月15日 11:16 ID:i1bAQ.C60▼このコメントに返信
竿と糸と針しかないのに、どうやって海で釣りするの?
防波堤も無いのに。
57.名無しさん:2016年09月15日 11:18 ID:.qH4mTAC0▼このコメントに返信
武士は食わねど高楊枝
58.名無しさん:2016年09月15日 11:19 ID:Hy1Q1GWB0▼このコメントに返信
※49
平安時代辺りから徐々に広まった中国経由の仏教の宗教的な思想、血を穢れとする認識が反映されて都市部では薬とするようになっていった。
ももんじやってやつだね。元の仏教では不殺は説いても肉食を禁じてはいないんだが国を渡る伝言ゲームでそうなった。
59.名無しさん:2016年09月15日 11:20 ID:03XUGtw.0▼このコメントに返信
だが,山岳部では普通に猪・鹿は食っていたのであった。
60.名無しさん:2016年09月15日 11:23 ID:2Iog80hc0▼このコメントに返信
今では朝食昼食夕食tと3食食べられて、おかずも毎回違うけど、当時は3食食べられたらラッキーで
おかずも毎度一緒だったんだろうか?
61.名無しさん:2016年09月15日 11:28 ID:Hy1Q1GWB0▼このコメントに返信
基本一日二食、肉体労働者は三食だったのが、江戸時代頃から一日三食が定着したとか。
62.名無しさん:2016年09月15日 11:31 ID:V9voj3Bk0▼このコメントに返信
イッチは釣りをしたこともなさそうやねw 腹ふくらませるほどの量の魚を捕るのは大変やで? 雑魚なんて数十匹捕ってもカロリーにしたらしれてる。魚屋で売ってるほどの大きな魚を捕まえるのは素人ではまず不可能。おまけに販売価格以下で捕まえないと儲けられない。その辺の竹竿にその辺の糸付けてその辺の針金で針造って付けてもザリガニやイソガニならともかく魚は釣れまへんで。そんな仕掛けでは小フナや鰯ですら釣れない(経験有)。
63.名無しさん:2016年09月15日 11:43 ID:sIt1.8u40▼このコメントに返信
イメージ的にはおかずはメザシとタクアン、あとはみそ汁
時代劇の見過ぎかもw
64.名無しさん:2016年09月15日 11:45 ID:dR96eabY0▼このコメントに返信
※61
一日二食なのは日が沈んだら寝る生活してて活動時間短いんだから当然の話。
江戸の街は発展してて夜になっても遊びに行ったり出歩ける場所が多くあったから、
夜も活動する人の為の三食目として寿司や蕎麦等の出先で簡単に食べられる食事の文化が発達した。
65.名無しさん:2016年09月15日 11:46 ID:wegRbOTo0▼このコメントに返信
魚は、やっぱり貴重品じゃないの、海辺以外じゃ
家は長野市だか、昭和の始は寿司屋市内に三件だったらしい。
魚は日本海から来るけど、
江戸時代なら、担いで峠越えだから生魚は先ず難しいだろう。
正月に食うブリなんか、昔の年寄りは、「酔う様なブリじゃないと食べた気がしない」なんて言った。
今考えれば、腐りかけの魚を食った初期中毒症状の様な気がする。
しかし家の方なんか未だマシなほうで、
諏訪の辺りなんか、その酔う様なブリに塩足して塩尻峠越えで来る奴を喜んで食ったらしい。
あっちじゃ其れを松本ブリって言う。
松本でぶり獲れる訳無いのにな。www
66.名無しさん:2016年09月15日 11:48 ID:inJnJsGE0▼このコメントに返信
昔話にも普通に釣りの話あるぞ

おいてけ堀とか俺の好きな話のひとつや
67.名無しさん:2016年09月15日 11:57 ID:tPLBs2ax0▼このコメントに返信
武士は食わねど云々という言葉があるように、プライドがあるので釣った魚を晩飯にってのは毎日できるわけでは無かったのだろう。
当時の河川や港湾は相当綺麗で魚の数も豊富がゆえに皮肉な話だ。
不思議なのは今も昔も物乞いをする人は自分で釣りして食料を確保したりしないことだよな。
68.名無しさん:2016年09月15日 12:00 ID:1I2Bk2ah0▼このコメントに返信
釣りは禁止されていない、釣り糸や釣り針が高価だから庶民が気軽に出来ない、特にテグスは支那からの輸入品

網本は、字のごとく漁網を管理している家の事、現在も大型の漁網は財産

イワシ等の小魚は丸干し、内臓処理はしない、
肥料に使ったのは、魚油の搾りカス、当時は油不足でイワシ油が庶民の灯

獣肉は、何でも食べていたが、畜産が僅かだから供給不足で高価、彦根藩は牛肉の味噌漬けが名産品

獣肉が禁止された時も、鳥や海獣は含まれなかたのでウサギは鳥の仲間、イノシシは山鯨と呼び食べた

塩は、軍事物資だから藩の専売で大量に造られていて江戸庶民でも気軽に使えた、塩の味比べをしていた記録もある


69.名無しさん:2016年09月15日 12:05 ID:wegRbOTo0▼このコメントに返信
一日に食べる食事の量は、当時はその生活形態と食ってる物によってマチマチ。
江戸など街場の人間と山奥の樵じゃ全然ちがう。
街の人間がどの位食べたかは、良く知らないが、
樵は、日に玄米一升、之を四回に分けて食べた。
一升メンパの現物が残っている。
70.名無しさん:2016年09月15日 12:05 ID:p8ReFMjD0▼このコメントに返信
武士は暇なときは囲碁将棋をしたり釣りをしたりしていた
釣れたときは食ってたんじゃね?
月3、4回ってのはさすがにガセかと
71.名無しさん:2016年09月15日 12:06 ID:WRJoGKXVO▼このコメントに返信
鵜飼ものがたりって知ってる?
障害者簀巻きにして溺死させるやつ
72.名無しさん:2016年09月15日 12:13 ID:.LRu46FEO▼このコメントに返信
一昔前にスローフードって流行ってたけど、その時のテレビの特集に出てたのが握り寿司だったから大爆笑したわ。

あれは元々ファーストフードだっつうの…

73.名無しさん:2016年09月15日 12:23 ID:Hy1Q1GWB0▼このコメントに返信
冷蔵技術が無い頃の魚は日持ちしないからな。港だって、足の速いマグロなんかは悪くなるから漬けにしてたわけで
その頃トロが食えたもんじゃないとか猫またぎっていわれたのは、脂が多くて醤油が浸み込まないトロは市場に届くまでにはどうしたって腐るから。
74.名無しさん:2016年09月15日 12:26 ID:NfwRQf9v0▼このコメントに返信
江戸時代の人の平均身長が低いのって人口増と都市に人口が集中した結果だと思うんだけどな
75.名無しさん:2016年09月15日 12:27 ID:x3B0yiOA0▼このコメントに返信
よく田舎の武芸者が江戸に出てきて
道場を荒らすってシーンが時代劇であったが、
米ばっかり食ってる江戸の人間と麦や肉を食っていた
田舎の人間ではやっぱ栄養面から来る
ガタイの差ってのもあったんだろうね
76.名無しさん:2016年09月15日 12:32 ID:if8bl5OF0▼このコメントに返信
富山県出身の現在80歳の俺の後ろに座っている爺さんに今聞いたら
戦後は商人が一山超えてサバを米と物々交換しに来てたらしい
おかげで子供の頃は塩サバばかり食ってたってさ
あと畑に肥料としてニシンを撒いてたとか言ってるぞおいw

77.名無しさん:2016年09月15日 12:33 ID:jv0VcbdU0▼このコメントに返信
なんといっても酒が不味いのが難点
78.名無しさん:2016年09月15日 12:38 ID:diDbbCSX0▼このコメントに返信
中には代官庄屋って云う官職があってな。
複数の村を束ねて500人程度の軍団を編成する責任があった。
で、一揆寸前になり代官庄屋から藩主に緊急支援米要請出される羽目になると、もうその藩は危険な事態に。
79.名無しさん:2016年09月15日 12:39 ID:Glx8yG350▼このコメントに返信
>趣味でぼーっと釣りして近所の人とそれなりの米と交換できたら結構いい暮らしできる気するんだよね

釣った魚を米と交換する必要が武士にあるのか?
俸禄がなにで支払われるかすらわかってないじゃないか
「三十俵二人扶持」とか聞いたことないのか
80.名無しさん:2016年09月15日 13:03 ID:pya7JfW80▼このコメントに返信
※79
藩や幕府からお米券もらってるだけで、現物もらってるわけじゃないからじゃない?
三十俵二人扶持みたいな小録だと金目のものはすぐに換金しないとやってけないだろうし
81.名無しさん:2016年09月15日 13:03 ID:NfwRQf9v0▼このコメントに返信
※75
そうそう、あの時代だと人口が多い都市部に米以外の食料品を供給するには限界がありそうだからね。
自給自足できた農村の方がまだマシなんじゃないかと思ったり。
都市部の食事が貧しかったのって昭和初期までたいして変わらないしな。
歴史を研究してるわけでもないから素人考えだけどねw
82.名無しさん:2016年09月15日 13:11 ID:uZqnK7wW0▼このコメントに返信
※76
ニシンやイワシは腐りやすいんだよ‥だから肥料にされちゃうことが多かった
誰か忘れたが、山間出身の文豪も同じような状況だったらしく、
都会に出て生魚やらを食べてもおいしいとは思わず、「塩サバが懐かしい」って回想していたそうよ?

あと地域、中国地方の山間部などで「サメ(フカ,ワニ)」が主流だったところもあたらしい
理由としてサメは腐り始めるとアンモニアが出るのだけど、逆にそれが腐敗防止効果になるので、
山間部などでは「生魚」として好まれて食べたとかなんとか‥慣れない人は匂いがアレで食べ難いそうだけどw

ぶっちゃけ日本人は本当に近世まで魚を食べることが稀だったのよ‥
83.名無しさん:2016年09月15日 13:13 ID:NfwRQf9v0▼このコメントに返信
※76
ニシンを肥料に使うのは江戸時代から始まってるんですわ。
蝦夷で捕ったニシンを肥料にして北前船が運んで流通してた。富山も北前航路やね。
そして北海道にはニシンで儲けた網元がニシン御殿なんていう立派な物を建てたんだよな。
小樽のニシン御殿は行った事あるわ。
84.名無しさん:2016年09月15日 13:16 ID:jrqZMvhY0▼このコメントに返信
普通に釣りをしていただろ。
問題は近場に川も海も無い場所が多かったってだけ。
ちなみに釣り糸は馬のしっぱの毛とか髪の毛とか。
加賀の毛針文化は武士が発祥。
85.名無しさん:2016年09月15日 13:35 ID:hNuY.Cmo0▼このコメントに返信
そうか、昔って防波堤もなんもなかったのか
ってなると、長い釣竿や釣り糸が必要になってくるけど、そんなんあの時代のだと折れたり切れるわな

短い釣竿、短い釣り糸、防波堤もなんもなし、しかも長靴もゴム製品も無いから岩場だろうと草履(岩場を草履で移動すると痛いし壊れる)
この条件じゃマトモな釣りができる場所は少なさそうだ
86.名無しさん:2016年09月15日 13:35 ID:dR96eabY0▼このコメントに返信
※81
江戸は当時としては世界一と言っても良い人口過密都市だから
供給される食糧は干物や漬物等の保存の効く状態で船で全国から運ばれてくる物がメインだった。
だからこそ初物とも呼ばれる稀に口に出来る旬の物は何よりの贅沢として珍重されてたわけだね。
87.名無しさん:2016年09月15日 13:43 ID:hNuY.Cmo0▼このコメントに返信
現代だと、車があるから「休日に釣りスポットへ」ってのは楽だろうけど、
江戸時代じゃ、「釣り場まで徒歩」だぞ。

まず、そこに行くまでがめんどいし、釣れたのを持って帰るのもめんどい。しかも腐る。
さらには、日が暮れると真っ暗だから、時間も限られる。
これじゃあ、歩いて数分、長くても一時間くらいのとこに釣り場がないとやってられんだろう
88.名無しさん:2016年09月15日 14:01 ID:WArZQWzy0▼このコメントに返信
普通に考えたら江戸時代より前から漁師の縄張りがあるし、漁業権だってあるわな。
それに、釣り針だって今のように安く簡単に手に入るもんではなかったんじゃないの?

人口の多い場所だと、川エビやウナギをとるにしても揉めそうだよな。皆が手軽にとりはじめたら魚も減るだろうし。
89.名無しさん:2016年09月15日 14:06 ID:t48GNR6Y0▼このコメントに返信
給金で買った方が効率的だからじゃね
社会的分業
90.名無しさん:2016年09月15日 14:41 ID:6xMGNEVv0▼このコメントに返信
花のお江戸はともかく、諸藩の武士は常に城の近くにいないといけなかった様だな。
非番であっても、お城から呼び出しの太鼓(鐘かも)の音が聞こえたら、何はさて置き、お城に駆けつけなければならなかった。
たとえば赤穂浪士でも、江戸からの使者が赤穂に着いたその日に大石内蔵助の命令で、全員総登城してるしね。
なので、呼び出し太鼓の音が聞こえないような遠くに行く場合は、届出が必要だった。
(届出無しだと呼び出しに応じられないわけで、遅刻・欠勤扱いになるのだろう)
そういうわけで、釣りをするにしても家や城の近くの川か海に限定される事になっただろう。
そうなると狭い範囲内に上司や同僚が並んで釣りするわけで、趣味の釣り程度ならともかく、
生活するほどの釣りは、武士の体面上、無理だったんじゃないかな。
91.名無しさん:2016年09月15日 14:47 ID:cl2Fs.lh0▼このコメントに返信
パンが無ければケーキを食べればいいじゃない
92.名無しさん:2016年09月15日 14:57 ID:4CiMI2VD0▼このコメントに返信
>30: 名無しさん@おーぷん 2016/09/14(水)20:02:58 ID:LZX
>魚は釣るもんやなくて網で獲るもんやったからなあ
>釣りは趣味でやるもんや
>江戸時代にナイロンテグスは無いんやで

網が糸で出来ている事を考慮できないお馬鹿さん発見
これぞ知ったかぶりで恥を晒す典型
93.名無しさん:2016年09月15日 15:00 ID:jrqZMvhY0▼このコメントに返信
※85
桟橋や石垣とかも普通にあったんだけど。
もっとも脚や腰まで浸かって釣りするのも普通なんだけどな。
94.名無しさん:2016年09月15日 15:22 ID:eYGdyKyT0▼このコメントに返信
元スレにも出てる干鰯(ほしか)は、関東に限らず、あちこちに流通してたらしいね。
米と同じで大坂に相場も立ってたし。
95.名無しさん:2016年09月15日 15:25 ID:c4kfy.Ww0▼このコメントに返信
江戸・京・大坂とそれ以外の地域の絶望的な格差
96.名無しさん:2016年09月15日 15:38 ID:.KrisI.g0▼このコメントに返信
※7
大阪・神戸と住んでいたけど、本当に穏やかで暖かい気候だった。
今は東京にいるけど寒くてたまらん。天候もすぐ崩れるし。
97.名無しさん:2016年09月15日 16:10 ID:1I2Bk2ah0▼このコメントに返信
※76
ニシンもイワシと一緒で魚油のカスが肥料になるんだよ
ちなみに油カスや魚カスは現在も使われているよ

※85
江戸前の干潟では、脚立をたてて釣りをしていたよ
脚立釣りは戦後の高度成長期による埋め立てと汚染で出来なくなった

※92
当時の釣り糸は絹糸を加工した管糸や、テグス、馬のしっぽの毛等で高価なんだよ
木綿糸や麻糸でも代用出来るけど強度が足りず太くなるから釣りには向かない
そして漁網は木綿や麻で編んでいたが、それでも高価になるから網を借りて漁をする
だから網を貸し出す家は網本って呼ばれるんだよ

ちなみに庶民が魚を捕まえる時に使ったものは
ウケやドウと呼ばれる籠や箱の漁具
98.名無しさん:2016年09月15日 16:23 ID:cl2Fs.lh0▼このコメントに返信
※92
ブーメランすぎないか
99.名無しさん:2016年09月15日 18:03 ID:9C39IWpT0▼このコメントに返信
そもそも漁師は釣りなんて非効率な事しないぞ?
知識が必要な罠や銛使って捕る
例外なのは超大物とか釣るくらいでしょ
そんなん漁師だから出来る事
当時の粗悪な道具で釣れるかも判らんちんまい魚狙うとかw
100.名無しさん:2016年09月15日 18:40 ID:stbv28n10▼このコメントに返信
なんで魚=海に限定されるんだろ
川に行けば川魚が獲れるし
山に行けば山菜が採れる
畑作ってれば野菜にも困らない
都で暮らすより田舎で百姓してた方が悠々自適な生活が出来たと思う
101.名無しさん:2016年09月15日 18:48 ID:qf8uTmva0▼このコメントに返信
藤田まこと版-剣客商売の秋山小兵衛さんなんか、しょっちゅう
池(川?)て゜釣りしてたけどな。
魚がらみの昔の映画だと、萬屋錦之介の一心太助 シリーズ(東映・モノクロ)
なんか今見てもスゲー面白い。祭りシーンのエキストラの人数とか半端ない
102.名無しさん:2016年09月15日 18:49 ID:ofo6X9QW0▼このコメントに返信
※89
xxxの合戦で殿様の窮地を救った○○家って給料が固定だった。
仕事と金が釣り合ってないことが多かったみたい。

そんで、幕府は空気読めないし・・・
103.名無しさん:2016年09月15日 19:08 ID:1I2Bk2ah0▼このコメントに返信
※99
大物を狙うのは釣り師

漁師が釣るのは高級魚
104.名無しさん:2016年09月15日 19:13 ID:Fl33.x030▼このコメントに返信
どじょう「あんだけ蛋白源として頑張ってたのに・・・」
105.名無しさん:2016年09月15日 19:16 ID:qrZTAsD.0▼このコメントに返信
※44
儲かるなら取り合いも分かるし、汚くても商売だからな。

ゴミ回収も、ゴミは常に出るし支払いは役所から確実に払われるから
どの国でも利権争いがすごい。

106.名無しさん:2016年09月15日 19:25 ID:jG8jcPmcO▼このコメントに返信
(。・ω・。)
『フナ、コイ、ドジョウ、イナ、ウナギ、
フナは結構釣って食ってた。』
107.名無しさん:2016年09月15日 19:25 ID:qrZTAsD.0▼このコメントに返信
※30
釣り糸の販売は、江戸中期に徳島の漁師が薬剤を縛る半透明の紐を見て「これを使えば魚はいくらでも釣れる。」と言ったのをきっかけに大阪の船場にある薬問屋だった「広田屋」がテグス商としてスタートさせたのが始まりである。その漁師が実際の漁でデモンストレーションし、これによって釣り糸としてのテグスがあっという間に世の中に広まった。この話は司馬遼太郎および「この国のかたち」と「街道をゆく ~明石海峡と淡路みち、阿波紀行~」にも紹介されている。


釣り糸 wiki
108.名無しさん:2016年09月15日 19:27 ID:.mVhOBjs0▼このコメントに返信
米が究極の食べ物で魚だけとかありえんて感じちゃう
109.名無しさん:2016年09月15日 19:47 ID:DeIY6CR40▼このコメントに返信
※56
船釣りなら手バネ竿とかあったし
釣り船使えないビンボー人は、干潮時に沖に脚立準備して
潮が上がったらその上で釣りする脚立釣りなる荒技も流行ってた。


110.名無しさん:2016年09月15日 20:10 ID:1I2Bk2ah0▼このコメントに返信
※106
川魚ならナマズも人気があったよ



111.名無しさん:2016年09月15日 20:19 ID:vwPR9uu50▼このコメントに返信
マグロとかいうトロの部分は捨てられた魚
冷蔵冷凍技術万歳
112.名無しさん:2016年09月15日 20:28 ID:cl2Fs.lh0▼このコメントに返信
季節物って概念が薄そうだな冬どうするんだおい
113.名無しさん:2016年09月15日 20:49 ID:mgEDCaIS0▼このコメントに返信
※100
車や電車はないし
道が整備されてない
今のように山奥でもコンビニがあったりして、補給が簡単な訳でもない(これは重要)。
地元の人間が知ってる範囲で採取する事しかできない。
畑は草や木との戦い、野生動物との戦いで、家庭菜園でもやれば分かるが1日も目が離せないんだよ、農薬も機械も無いから。
山菜や魚を取るとか言っても、一年365日食べられるものが確保できるか?労力もハンパじゃない。体力を使って食料を採取するのは毎日がサバイバルだよ。
だから山地なんて、食料が得られる分だけの人家がかろうじて存在できた。
人口増を支えきれなかったり、新天地を求める場合は、山に分け入り、開墾し、他の村とのルートを確保しなければならない。

余裕のある生活というのは、海に近く、水が豊富で、天候も穏やかで、米が取れて魚が食えて海運貿易の恩恵が得られる土地だよ。
だから江戸に密集して人が住めたんだよ。
114.名無しさん:2016年09月15日 20:55 ID:Ng.Lb4FXO▼このコメントに返信
お堀のコイなんか釣ってたら逮捕されまんがな。
115.名無しさん:2016年09月15日 20:59 ID:3m037W4Z0▼このコメントに返信
都市部でも、ももんじ屋と言う獣肉を食わせる店があった模様
(只後期になるまで薬食い、下手物食いとしか見られてなかったそうだが・・・)
116.名無しさん:2016年09月15日 22:39 ID:4H.qV2I.0▼このコメントに返信
一番儲かるのは江戸や大阪の近くで水飲み百姓になって野菜を作ることだろうな
本百姓になって米を作ったらかえって損をするレベルで
117.名無しさん:2016年09月15日 22:54 ID:O88tlYqY0▼このコメントに返信
※81
皇軍の徴兵検査で都市出身者と田舎出身者と比較したデータを何処かで見たけど、米ばかり食ってた都市出身者より芋や雑穀等の食事がメインだった田舎出身者の方がガタイが良かったらしい。
118.名無しさん:2016年09月16日 00:17 ID:7xRw7WfC0▼このコメントに返信
駅前にいるホームレスさんとかに、
なんで釣りして魚取って食べたり売ったりしないの?
なんで山菜を採って食べたり売ったりしないの?
って聞けば割と簡単に答えにたどり着けると思うよ
119.名無しさん:2016年09月16日 01:54 ID:phCpP6AA0▼このコメントに返信
時代劇にでてくる食事ってどれくらい信憑性あるのかな
池波正太郎作品のやつはうまそうだけど信用してええんか
120.名無しさん:2016年09月16日 03:53 ID:dpDYqby70▼このコメントに返信
江戸時代は午前中で仕事は終わりが普通だったらしいよ、動物性たんぱく質が不足で早く死んだらしいけどね、
121.名無しさん:2016年09月16日 04:29 ID:omnznbfR0▼このコメントに返信
※7
こういう頭の弱いのが最近多いけど、計画的に広めてる工作員でもいるのかね。
東北仙台藩の米が江戸を支えているのに、小氷期だから食料がって何言ってんだ?
関東の広さも知らない奴ばっかりだし、小氷期で海面が2、3mほど高かったら、
例えば大阪の難波や西成の辺りまで海の中だぞ。それゆえ後の時代に、密入国者が入りこみ北京訛りになったんだろ。

おそらくこの小氷期の海面上昇で、近畿海岸沿いの平地が浸水し、米が作れなくなって一気に勢力が落ちた。
これが戦国混乱の元なんだろうな。近畿の動員数も一気に減っている。そのまま江戸時代突入となるわけだ。

食料については、田舎の方が栄養状態が良かったらしいね。(貧乏で食べられないというのはあっただろうけど)
人類史みたいなものでも、都市に入ると人は弱って数を減らすって出てるし、今出生率が低いのも都市部が顕著。
食料生産の礎である土地が、一人あたりで全然違うんだから、当たり前といえば当たり前。
それに玄米なら多様なビタミンも摂れるし、米食って力をつけるというのも、あながち間違ってないんだろうな。

あとは・・・保存の悪い米って虫がわくんだよね・・・虫干しなんてのもあるけど、そのまま食べちゃうと気持ちクリーミィだったり。あれってタンパク源だよなぁ。(今の米は保存良いからそんなことないよ!)
122.名無しさん:2016年09月16日 05:30 ID:omnznbfR0▼このコメントに返信
※121 訂正
海面上昇は戦国までで、江戸からの小氷期では上がってた海面が下がっていった、江戸期は塩混じりの湿地帯という感じ。
江戸期の話とそれより前の話が混ざってしまった。
ついでに玄米文は最後の一行ってことで・・・ぐでぐでな文章でしまねぇ。
123.名無しさん:2016年09月16日 07:31 ID:ONY2Qm1V0▼このコメントに返信
そりゃ釣りをして、獲物を楽しむ趣味はあったろうけど。
124.名無しさん:2016年09月16日 07:36 ID:q.00Vm3m0▼このコメントに返信
※114
お堀りで釣ら無くても江戸市中には水路が張り巡らせてあったから
釣り場所には困らないよ、

※115
彦根藩の牛肉や薩摩藩の豚肉は献上品として珍重されていた
高価だから一生食べることのない人にとってはゲテモノ扱いだっただけ
125.名無しさん:2016年09月16日 07:59 ID:ceKrwzZN0▼このコメントに返信
※124
宗教上の理由で肉食はゲテモノだよ
仏教においては殺生の禁止だし神道においては穢れと見なされた
だから獣肉に関わることは部落民がやってたわけ

明治の頃に肉食は穢れって風習を打破するためにいろんな本が出てる
有名なのだと福沢諭吉の肉食のススメとかかな 肉が穢れてるなら魚も穢れてるはずだとかなんとか
126.名無しさん:2016年09月16日 08:01 ID:mrw4zpyp0▼このコメントに返信
嫁を質に入れて食ってた初鰹はどういう流通で回ってきたんだろうな
127.名無しさん:2016年09月16日 10:13 ID:UYLWXT4k0▼このコメントに返信
※12
川は不浄だから川魚を食べない?
知ったかぶりか日本ではない国の知識か?

ため池を干すときに大量にとれた淡水魚は普通に良く食べられていた
川魚であるフナやコイ、アユ、ヤマメなんかは江戸時代には極めてポピュラーな魚だ
他にも当時の日本の田んぼは農薬なんてものを使用していないので、ドジョウやタニシなどのタンパク源は豊富かつ容易にとれた
武士や富農の家庭では邸内に水を引いて洗い場として利用していたが、そこでは水を清浄に保つためにコイが放されていた
庶民が共同で使用する水道を利用する井戸の中でもコイを飼っており、定期的に食べられていた
128.名無しさん:2016年09月16日 10:16 ID:UYLWXT4k0▼このコメントに返信
※24
江戸時代には久米通賢のような優れたテクノクラートが存在し、製塩は石炭の火力を利用して大規模かつ大量に生産されていた

岩塩とか塩賊とか日本について全く知識が無い中国人かな?
129.名無しさん:2016年09月16日 10:22 ID:UYLWXT4k0▼このコメントに返信
※43
普通にする
アユ釣りが趣味の釣り具自作に懲りすぎたお殿様がいた
そのおかげで江戸時代に釣り竿、フライ、ルアー作りの産地になったところもある
130.名無しさん:2016年09月16日 10:33 ID:UYLWXT4k0▼このコメントに返信
※54
「小作」って言葉がワナ
江戸時代の小作農はコメを作る田んぼの面積で決められていた
だから、商品作物に専念する農家や半分商人みたいなのも小作扱い
小作が庄屋で村の税金の半分以上を負担する村も江戸時代には存在していた

江戸時代の課税は村単位で誰がどれだけ負担しても良かったので金持ちが多く負担するのが通例だった
そもそも不入権があるために武士は農村には立ち入ることができないので、武士は村の中がどうなっているかさえ良く知らなかった
村の中の裁判権も村がもっているしな
131.名無しさん:2016年09月16日 15:05 ID:q.00Vm3m0▼このコメントに返信
※125
鹿や雉を神饌する神社が多くある
物忌みって習慣もあるが
肉に限らず、魚や野菜でも物忌み期間が設けられている
これは現在の喪と同じ様な習慣

仏教的には、肉食を禁じていない、
食べるために自らが殺生する事を禁じているだけ

江戸市中に住む多くの庶民には高価な肉を食べる余裕がなかっただけ
鳥肉などは、普通に食べられていた
特に江戸時代には闘鶏が盛んになり有名な軍鶏鍋屋もあった
132.名無しさん:2016年09月16日 20:14 ID:nOquEJsa0▼このコメントに返信
野犬とか狼とか減ってもなんで日本ではウサギが爆発的に増えなかったんだろうな

欧州じゃ狐狩り流行って狐減ったら増えまくって害獣扱いにまでなったのにな
133.名無しさん:2016年09月17日 01:02 ID:CjtP9fMe0▼このコメントに返信
※132
日本には狐が多かったからかな?狐様は神様ですよ、お稲荷さん。
豊作の神として農民に広まり、確か日本で最も多く祀られているのが稲荷神社じゃなかったか。
134.名無しさん:2016年09月18日 16:03 ID:6JnbY2OR0▼このコメントに返信
江戸限定だけど、小普請組って言われる無役の家は、ぎりぎりのお手当から税金的なものを
幕府に納めなければいけないので、ものすごく貧乏だった。
で、内職を良くしてた。
そんな人達にとって、坊主になる可能性もある釣りなんて、かなりの博打。
だったら、確実にお金になる内職に勤しむほうがずっと良い。
釣りは、そこそこ食える人の娯楽なんですよ。
135.名無しさん:2016年10月12日 17:35 ID:lsknoDNJ0▼このコメントに返信
※131
鶏肉は2本足だから食ってたのは知ってるよ ウサギも鳥の一種と見なされて食ってたしな
でも牛と豚は別

彦根の牛肉の味噌漬けだって「仏法に反する」って理由で禁止になってるよ
そもそも彦根の牛肉も三百諸侯の中で唯一牛の屠殺を許された藩だったと言う特殊事情がある

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