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2016年09月13日 09:05

豊臣政権が崩壊したのは女が原因という風潮

豊臣政権が崩壊したのは女が原因という風潮

hideyoshi

引用元:豊臣政権が崩壊したのは女が原因という風潮
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1473659740/

1: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)14:55:40 ID:tjh
言う程か?

2: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)14:56:46 ID:Qcq
豊臣が特殊なんやなくて徳川が特殊すぎるだけやで

3: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)14:59:40 ID:Jwp
後継生まれるのが遅すぎただけや
北条攻めの時に初陣くらいの年齢なら安定してたやろ

4: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:00:39 ID:Uqx
まず一族少な過ぎってそれ一番言われてるから
どう転ぼうが長続きしようがない

5: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:01:52 ID:Jwp
>>4
鎌倉幕府みたいな感じやろな
3代で滅ぶと思うわ

6: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:02:27 ID:WEl
秀次事件がね・・・

7: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:03:21 ID:Ezh
ねねに欲があれば浅野家が豊臣を継いでたんやろか

8: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:03:46 ID:7Co
石松丸が長生きしてればね・・・・・

9: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:05:08 ID:vF8
昔の政権って本人の能力も大事だけど後継者の要素がすごくでかいな

11: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:06:41 ID:dXq
>>9
そら能力云々より血統がものを言うわけやし

12: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:06:46 ID:Jwp
>>9
重要なのは3代目っていうしな

13: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:13:18 ID:AWk
おねさんは賢かったけど茶々わね…御嬢様育ちだったからね仕方ないね

14: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:17:45 ID:Jwp
秀次問題とか考えると応仁の乱付近の足利家と被るわ
あれも義尚と義視が似たような関係やし

15: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:17:46 ID:pwl
どの秀勝でもええから、一人でも長生きしてれば違ったやろ

16: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:20:41 ID:AcJ
秀長に子供が沢山おればなあ…
少なくとも秀次の血統よりはマシなのが生まれてたやろうに

17: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:22:06 ID:EvV
小早川秀明とか言う一応豊臣元一族

18: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:24:29 ID:7AW
>>17
秀秋が生きてたらおそらく豊臣家を名義上は相続できていたという事実

19: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:31:52 ID:zIj
ノブの長男が生きとったらどうなったんやろなぁ。

20: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:36:11 ID:bVd
家臣団が仲悪すぎ

21: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:38:28 ID:8UG
存続してれば女傑として後世に名を残せたのにな

22: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:39:29 ID:T6Z
朝鮮出兵無しで国内政治に集中してたら少しは変わってたんやろうか

24: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:44:45 ID:vF8
>>22
朝鮮出兵は国内の不満を解消するためという説もあるし
どれが正解かは分からんなあ

26: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:54:16 ID:qjF
>>22
石田三成はそのせいで古参から総スカンになったよね

23: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:42:45 ID:5VD
織田信長「天下取れなかったのはワイの性格が糞だったからといつ風潮」

織田信長「一理ない」

25: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)15:50:08 ID:YZd
ねねが子供たくさん産めりゃ済んだ話
そういう意味では女が原因て言えるんちゃうか

28: ■忍法帖【Lv=9,サタンパピー,BDL】 2016/09/12(月)16:36:23 ID:WQD
政権より実子を選んだんやろ

30: 名無しさん@おーぷん 2016/09/12(月)21:09:11 ID:iNx
秀次問題と言うがね、弟・甥が盗っちゃう例はいくらでもあるんやで

秀勝が悪いよ~

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2016年09月13日 09:10 ID:BJMOAwLq0▼このコメントに返信
>ノブの長男が生きとったらどうなったんやろなぁ。


そのIf小説がなろうに有るよ
結局長宗我部に頃されるけど
2.名無しさん:2016年09月13日 09:13 ID:HaiB6hRx0▼このコメントに返信
なんで子供中々できなかったんだろ
大奥があっても身分が高い女ばっかだったからヤリまくりできなくて手が出せなかったのか?
3.名無しさん:2016年09月13日 09:14 ID:uPlrXZhz0▼このコメントに返信
重要なのは、たいてい目立たないけど2代目の優秀さいわれない?
長く続くところは2代目が優秀かどうかで決まるとか
4.名無しさん:2016年09月13日 09:16 ID:vqCbOL6A0▼このコメントに返信
※2
秀吉が短小だったのでは?
5.名無しさん:2016年09月13日 09:22 ID:j45sfIgS0▼このコメントに返信
朝鮮出兵は宣教師への牽制って説があるしなあ
海外へ十数万人規模の出兵ができて銃持ってるとなると侵略できるとも思わんし
6.名無しさん:2016年09月13日 09:25 ID:WYOHPdiA0▼このコメントに返信
※3
秀頼は体格が良くて受け応えもキッチリ出来る人物だったらしいけどな。
ひ弱で意志薄弱というのは後世の創作らしい。
7.名無しさん:2016年09月13日 09:26 ID:gL63NU.H0▼このコメントに返信
後北条家とか途中で滅んじゃったけれど、理想的なリレーで繋いでた感じ。
8.名無しさん:2016年09月13日 09:30 ID:W67DoQ5i0▼このコメントに返信
朝鮮出兵だろ。下賤日本畜生の脳内じゃ唐出兵のつもりらしいが

あの財政、人的消耗じゃ誰が後継者になっても揉めて崩壊するしかない
朝鮮出兵終了後2年で実質崩壊した下賤日本
9.名無しさん:2016年09月13日 09:33 ID:llVTWXiWO▼このコメントに返信
老婆心ながら、女には気を付けろよ
10.名無しさん:2016年09月13日 09:34 ID:kL5VHYqw0▼このコメントに返信
元上司のノッブほどカリスマなかったからしょうがないね。

彼処まで登っただけでも凄いと思わなきゃ。
11.名無しさん:2016年09月13日 09:34 ID:aZ9wUSA20▼このコメントに返信
>ねねが子供たくさん産めりゃ済んだ話

他の秀吉の側室も子供産めてないし、秀吉に問題があったんじゃね?
淀殿はホントに秀吉の子かどうか分からんし
12.名無しさん:2016年09月13日 09:35 ID:JRcdAVbU0▼このコメントに返信
やっぱり、秀吉に種がなかったんだろ、
茶々の子はどう考えても秀吉の子じゃないでしょ、もう秀吉老人だし
13.名無しさん:2016年09月13日 09:44 ID:tkQhNNJf0▼このコメントに返信
豊臣政権が崩壊したのは、豊臣秀吉が死んだからでしょう、
豊臣秀吉の政策が、場当り的に対処していたから、豊臣秀吉の死後、家臣・大名がてんでんバラバラに成った。
14.名無しさん:2016年09月13日 09:44 ID:7KE80fYM0▼このコメントに返信
石田三成が反家康勢力をまとめて表立って敵対しなければよかった
15.名無しさん:2016年09月13日 09:45 ID:Q.vjpWGSO▼このコメントに返信
秀吉は六つ指だったという資料もあるから、遺伝子に何か問題があったのかもよ。
16.名無しさん:2016年09月13日 09:45 ID:erkZbgya0▼このコメントに返信
種なしブドウの秀吉が手当たり次第に、やり過ぎたのが原因だ。
秀頼は、秀吉の子供ではない、それを知っていた家康は躊躇なく秀頼を滅ぼしたのよ。
17.名無しさん:2016年09月13日 09:46 ID:7KE80fYM0▼このコメントに返信
朝鮮侵略に関しては政権にとって致命的だったわけじゃないと思う
18.名無しさん:2016年09月13日 09:47 ID:4lC9AgoT0▼このコメントに返信
朝鮮出兵なし?出来りゃやってるだろう。天才的でも信長や家康とは違う。
志なんてもてないものは持てないんだからしょうがない。能力のみで天下人まで行って何が不満だと?
19.名無しさん:2016年09月13日 09:50 ID:qwUr2Zq20▼このコメントに返信
北の政所が悪い。
20.名無しさん:2016年09月13日 09:50 ID:fpFnBRPl0▼このコメントに返信
大権現(太閤こわい)
八路軍(日帝こわい)

勝てないなら逃げ隠れこそ大正義。
21.名無しさん:2016年09月13日 09:52 ID:XNkhoIc90▼このコメントに返信
自分の血脈に執着して、跡継ぎを変更したからでしょ。
あと、死んだタイミングが悪かった。
子供が成人するまでがんばって生きてたら、何とかなってたと思うよ。
22.名無しさん:2016年09月13日 09:53 ID:vqCbOL6A0▼このコメントに返信
※12
いちおう、高齢でも子をなせないわけじゃないよ。そら確率は下がるだろうけど
毛利元就の末っ子なんて、60代の頃に生まれてる
23.名無しさん:2016年09月13日 09:54 ID:zmzHceNF0▼このコメントに返信
> ねねが子供たくさん産めりゃ済んだ話
> そういう意味では女が原因て言えるんちゃうか

秀吉は女たらしで、そこかしこで女に手を出しているのに、子どもができていなかったという事実
"ねね"だけに子供がいないならば"ねね"に生殖的な問題があるのだが、どう考えても逆なんだよなぁ
24.名無しさん:2016年09月13日 09:54 ID:Kyem.5IQ0▼このコメントに返信
秀次を切腹させた要因が三成の讒言なんて風説は流布しないけれど、清正や正則を敵に回した状態で家康に喧嘩を売った三成が大戦犯なのは確定。
三成さえ余計なことをせずに秀頼が成人するまで大人しくしていれば家康も老衰で死ぬか、それ以前に隠居して秀忠に後を継がすしかなかったし、
関ケ原の戦いを起こすならせめて戦下手な秀忠が徳川家当主になってから仕掛けるべきだった。全ては三成のコミュ障と人望の無さが原因w
そんな三成に最後まで味方した吉継はんて、ホンマぐう聖やわwww
25.名無しさん:2016年09月13日 09:55 ID:7KE80fYM0▼このコメントに返信
石田三成も大谷吉継も真面目すぎたんだろうね
26.名無しさん:2016年09月13日 09:55 ID:8qi6wMer0▼このコメントに返信
※17
寧ろ諸侯を弱らせる事ができたので安定要素かもしれんが日本も出費が多く難しいとこだなまあ人海戦術使っちまった明はその傷が膿んでしんでしまったが。
27.名無しさん:2016年09月13日 09:57 ID:stnAzd.h0▼このコメントに返信
※6
でも誰の意思だか知らんが、結局前戦に最後まで出て来なかったしなぁ

まあ大坂の時点では詰みだが、関ヶ原で茶々なりが明確に反徳川表明してれば歴史は変わってたかもね
28.名無しさん:2016年09月13日 09:57 ID:r4bmcArR0▼このコメントに返信
秀次殺して、結局自分で作った関白統治システム破壊してもうたしなあ
まだ3代くらいは持ったかもしれんのに
29.名無しさん:2016年09月13日 10:00 ID:LDJA1oor0▼このコメントに返信
秀吉が普通じゃないのはしょうがない。人間じゃないって説もあるくらいだから。晩年の基地外ぶりも含めて秀吉
やはり三成がもっと大人だったならもうちょっとなんとかなった
家康が老獪だったとしてもかなり運に助けられてるところもあるからな
30.名無しさん:2016年09月13日 10:00 ID:zmzHceNF0▼このコメントに返信
※8
下朝鮮人はこの頃そうやって話をする方に軌道修正したの?

朝鮮出兵で疲弊したのは大名たちであって、豊臣家ではないし、
深刻な財政難に陥ったのは明と李氏朝鮮だし、
2年後に崩壊したのは「財政難」ではなくて秀吉死後の権力闘争ですよ?

嘘で固めた下朝鮮人らしい発言に心が温まりますね
31.名無しさん:2016年09月13日 10:01 ID:WYOHPdiA0▼このコメントに返信
大陸進出を目指したのは拡大政策を止められなかったから。
日本統一した時点で一旦内政に転換すべきだった。
それが出来なかったのはやはり秀吉の失策。

或いは、まず朝鮮の一部に橋頭堡を築いてから内政型に転換して、そっから再開すべきだったかも・・・
どちらにしてもしょっぱなで清を狙ったのが失敗。
32.名無しさん:2016年09月13日 10:02 ID:a30CfIoA0▼このコメントに返信
一番は統治システムの不徹底だろうね
豊臣政権は秀吉という天才だから維持できてた
逆にトップが凡庸でもシステムさえしっかりしてれば政権は維持できる(暗愚は別)
朝鮮出兵は豊臣恩顧の大名も最前線で戦って疲弊してるし、外様であっても東国の大名は渡海を免れてる
江戸幕府みたいに諸大名の弱体化から手をつければ良かったかもね
33.名無しさん:2016年09月13日 10:04 ID:egwYi4iBO▼このコメントに返信
大陸を目指したのは日本のために半島の猿を根絶やしにするのが目的だろ
これほどの偉人を蔑ろにする徳川はクソやね
34.名無しさん:2016年09月13日 10:06 ID:BQy8tODX0▼このコメントに返信
石田は敵つくりすぎ。おなじ豊臣政権の中でも秀次政権のメンバーだった人間を敵扱いするし
表にでるなと言われてるのにしゃしゃりでてくるし、いくら輝元が頼りなくてもこの人は全体を統括する能力はないし
権威もないんだから・・。  信長や家康だったら関ヶ原でまけても次の段階があっただろうけど
この人負けても無駄に戦場にとどまって逃げるタイミング失ってまだ再起できる状態なのに潰したからね
決戦ではあったけどそれで終わりな戦いでもなかったのに考えが浅すぎる。 関ヶ原自体が錯誤の連続だったから
疲れてただろうし岐阜が早々に落ちたのも想定外だったのはわかるけど大将として底が浅すぎた

輝元ががんばってればまだ名目上の豊臣は続いてただろうし家康も豊臣が臣下にきちんと落ちて参勤すれば
とりつぶしたりまではしなかっただろうしね。 おそらく大阪は改易されただろうけども
35.名無しさん:2016年09月13日 10:10 ID:BQy8tODX0▼このコメントに返信
※32

そりゃ外様を外征させたらまた領地あげないといけなくなるから行かせるわけないからね

相対的に家康ほかの外様の弱体化を図るために外征して親しい臣下に領地与えようとしたわけだから。
弱体化を目的に戦場に放り込むような目的で遠征したわけではないから目的が違うんだよ
36.名無しさん:2016年09月13日 10:10 ID:Kyem.5IQ0▼このコメントに返信
※32
朝鮮半島なんて南部しか耕作地に適していないし、地図上では大陸への近道に見えるけれど北部の寒冷な山岳地帯は補給線の維持にも支障をきたした
後付けでしかないけれど島津を先鋒にして琉球や台湾を占領して海外との交易ルートを整備した上で大陸南部の港湾都市に侵攻するか、
南蛮勢力との対立も覚悟した上でルソンなどの東南アジアに出兵したifの歴史というのも考察してみれば興味深いと思うw
37.名無しさん:2016年09月13日 10:13 ID:egwYi4iBO▼このコメントに返信
半島と融和路線という愚策をとった徳川のカスが全て悪い
その徳川を神君だの徳川16神将だの崇め祀る都民はもっと愚か
38.名無しさん:2016年09月13日 10:14 ID:h2D2gE5f0▼このコメントに返信
朝鮮出兵の責任を秀吉の代わりに一身に受ける
豊臣家存続の為に戦ってるのに、豊臣家から全く金が出ない
行動見ると私欲なんてかけ離れた行動してるのに、誹謗中傷の嵐

三成ってあれで結構頑張ったよな。秀吉も近江一国くらい与えておけば
また多少違っただろうに
39.名無しさん:2016年09月13日 10:15 ID:y..gkerQ0▼このコメントに返信
>ノブの長男が生きとったらどうなったんやろなぁ。
信忠が生きてたら、丹羽の軍勢に拠って、細川や筒井勢も合流して光秀袋叩きやったやろな
40.名無しさん:2016年09月13日 10:15 ID:.hse1mla0▼このコメントに返信
女は遠因
役職に権力がなかったのが問題
五奉行なんつって20万石の大名達に諸国の大名を御することなぞ無理
その点江戸幕府は役職に絶大な権力を持たせたから、誰かの死で基盤が揺らぐような事がなかった
41.名無しさん:2016年09月13日 10:19 ID:Wi2nZzG40▼このコメントに返信
俺も石田三成だと思うわ。徳川に釣られて関ケ原の合戦なんてやっちゃった結果
徳川を武家の棟梁にしてしまった
42.名無しさん:2016年09月13日 10:20 ID:rRad9qrR0▼このコメントに返信
いや、もっと単純やろ。
豊臣家の蔵入地(太閤蔵入地)は220万石くらいで、徳川家の250万石より少ない。
しかも蔵入地の大半は大名預地として、管理は近隣の大名に任されているから、
直接統治しているところは畿内の100万石足らずで、有事の動員力がめちゃめちゃ低い。

これを秀吉の権威や実力、それに一度負けて臣従したという事実で抑え込んでたけど、
上が権威も実力もなくて、負けた記憶もない秀頼になれば大大名が動けば一気に崩壊する。
例え秀頼が生まれなくて秀次が継いでたとしても、家康が近隣の大名誘って謀叛すれば、
あっという間に崩壊するのが見えてる。
43.名無しさん:2016年09月13日 10:22 ID:Kyem.5IQ0▼このコメントに返信
※38
三成は一代で急成長したベンチャー企業(内情は規模に相応しくない程のブラックぶり)の平取締役みたいなイメージだしね。
経営陣の一角という憎まれやすいポジなのに見合わないレベルの薄給で初代会長の死後も奮闘したけど、外部取締役によるM&Aに敗れたという印象。
44.名無しさん:2016年09月13日 10:28 ID:ksl1rY6A0▼このコメントに返信
※41
三成のバックアップするどころか知らぬ存ぜぬを通して自己保身を貫いた淀の無能っぷりにも問題がある
45.名無しさん:2016年09月13日 10:28 ID:j45sfIgS0▼このコメントに返信
※42
秀吉が生きてる間に難癖つけて家康を失脚させるか攻め滅ぼすかしてればなあ
でも実際は秀吉政権下では家康は真面目に従ってたみたいだし、惣無事令出した本人が無理やり家康を攻めるわけにもいかんしなあ
46.名無しさん:2016年09月13日 10:30 ID:ueYRN.AF0▼このコメントに返信
歴女とか呼ばれる女の中には現代のフェミニズムを過去に当てはめて評価するのが多い
だからやたらと女の役割をクローズアップするがそれなら女が足を引っ張ったケースも評価しなければフェアじゃない
豊臣家の滅亡も淀殿は関係ないとかいうあたり都合よく歴史を改竄しようとするのが目に見えてキモい
47.名無しさん:2016年09月13日 10:32 ID:8holVFMf0▼このコメントに返信
淀にしても、家康が豊臣政権を否定する為の言い訳にしか過ぎないしな。
家康以外に政権を転覆させる野心を持ってなかった事から鑑みるに
後継者が早く生まれて家康が先に死んでいれば、それなりに安定して続いた政権だったと思うよ。
48.名無しさん:2016年09月13日 10:32 ID:aZ9wUSA20▼このコメントに返信
※6
講談で、幸村が秀頼を担いで薩摩に逃げた。ってぐらいでそんなイメージが出来たんだろう。
実際は幸村が身長150cmぐらいで、秀頼が180cmくらいだったらしいけど
49.名無しさん:2016年09月13日 10:33 ID:Kyem.5IQ0▼このコメントに返信
※42
大義名分もなく家康が反旗を翻そうにしても逆に改易の理由を与えるだけだし、三成や兼続が結託して余計なことさえしなければ家康から先に仕掛けることは無いよ。
家康が秀頼を傀儡にして専横していてもやり過ぎれば清正や正則達の反感を買うわけだし、三成さえ先走らずに家康がヘイトを集め尽くすまで待てなかったのは失策だったね。
50.名無しさん:2016年09月13日 10:36 ID:h0nmyZmT0▼このコメントに返信
>>1
そのような風潮は無い。
51.名無しさん:2016年09月13日 10:36 ID:WRrN3.c40▼このコメントに返信
派閥は
決して上だけが作るわけじゃないし
尾張・岐阜党と近江党
それぞれ下が結集
澱殿を甘やかしたけどな
北政所と同格なわけじゃないのに
主筋と秀吉が同格にしてしまった
52.名無しさん:2016年09月13日 10:38 ID:iMyO4F4j0▼このコメントに返信
どっちみち結果論にはなるけど
結局、豊臣家がリスクを取らず形式上中立を保ったことが全て。
秀頼はまだ子供だから淀ということになるのか。
何度かあった徳川と石田の衝突ではっきりと態度を表明、
さらに関ヶ原で総大将となれば反石田であっても
これほど多くの豊臣恩顧の大名が徳川に就くことはなかっただろう。
関ヶ原で徳川が勝ち征夷大将軍になってからでは時すでに遅し。
それからの反徳川は自殺行為。
53.名無しさん:2016年09月13日 10:40 ID:h2D2gE5f0▼このコメントに返信
※49 流石にそれは甘いと思うよ。秀吉亡き後の家康はやる気満々
勝手に姻戚関係結んだり、寧ろ仕掛けたのは家康の方ともとれる
後々の鐘銘事件なんか中国も真っ青なインネンや・・・
54.名無しさん:2016年09月13日 10:45 ID:LDJA1oor0▼このコメントに返信
そもそも淀って実際そんなに言われてるほど足引っ張ってたのかね
どうも後世のやつらが後付けで悪評貼り付けてる感否めないんだが
55.名無しさん:2016年09月13日 10:46 ID:Kyem.5IQ0▼このコメントに返信
※52
豊臣家にしては幼少の秀頼を大老筆頭である家康が補佐して政務を行うこと自体は正当で問題は無かったわけだし、
正則らと対立して政権運営からハブられたくらいで、助命も仲介してやった家康を逆恨みして足を引っ張った三成の方こそ恨んでも当然だよね。
秀頼が成人した頃には家康も大老の地位からは引退していただろうし、秀忠への代替わりを待てなかった三成の軽挙妄動というのは結果論かな?
56.名無しさん:2016年09月13日 10:51 ID:Kyem.5IQ0▼このコメントに返信
※53
大名同士の姻戚関係にしても外様の徳川家が豊臣派閥内で安定した政権運営をするには仕方無かった面も有るだろうし、正則あたりは反対もしてない
むしろ三成が挙兵したら徳川方に味方するくらいだし、三成の被害妄想と逆恨みが豊臣家を結果的に衰亡にまで追い込んでしまったんじゃないかな?
57.名無しさん:2016年09月13日 10:55 ID:stnAzd.h0▼このコメントに返信
※54
後付もなにも冬の陣、本丸への砲撃のせいか知らんが先にびびって和議持ちかけてんだから
能無しと言ってもはばかり無かろうと思われるが
58.名無しさん:2016年09月13日 11:01 ID:wKriME8C0▼このコメントに返信
徳川についたというより
清正や正則らが徳川を神輿にしたんだろ
目の上のたんこぶ(五大老&五奉行)を失脚させるために

元々、五大老は小早川が死んだら上杉になってるように
その時期の有力者が任命されている
でも家康は前田を世襲にした
家康としては機能しづらい合議制で2票確保した程度の認識だろうけど
清正らにしたら豊臣政権内の出世が断たれた
そこで実力主義で石田の席を奪おうとしただけだろ
家康も清正らの狙いが分かっているから石田を五奉行のまま蟄居させている

あと西軍は総大将毛利、副将宇喜多で石田は参謀程度でしょ
後に小早川と共に全部おっ被せられるけど
59.名無しさん:2016年09月13日 11:13 ID:A7HT3TUv0▼このコメントに返信
しかしあれだね
大政所こと、なかは二男二女をもうけてみな立派に育って藤吉郎が立身出世を果たして木下家はますます繁栄
と思ったら、長女の日秀以外にはろくに子供が出来ず、日秀の子供も運命に翻弄されてほとんどが若死に
まあそれでも血脈は残ってるんだっけか

大坂城が炎上した時にねねと日秀は何を思ったのかねえ
60.名無しさん:2016年09月13日 11:15 ID:.SS.NfsEO▼このコメントに返信
豊臣家崩壊は秀長の死だろう。
秀吉に意見する人間いなくなったのが最大の原因。 朝鮮出兵し豊臣家の家臣の財力弱め内部抗争で終わった。
だから家康は信長と秀吉の失敗を教訓に複数側近と大名を鉢植え状態にして、不備あらば改易や移動命じた。
61.名無しさん:2016年09月13日 11:19 ID:dzeFUzeK0▼このコメントに返信
朝鮮出兵による財政難の上に慶長伏見大地震で畿内のインフラ流通壊滅でトドメ。
金だよ、金。
62.名無しさん:2016年09月13日 11:19 ID:QDG0etTY0▼このコメントに返信
一番の原因は秀吉が、お市の方に恋慕していた事
63.名無しさん:2016年09月13日 11:20 ID:Kyem.5IQ0▼このコメントに返信
※58
家康側にとっては秀吉死後の豊臣政権内で保身を図っていただけかもしれないのに豊臣家の政権基盤が家臣同士の権力闘争で勝手に瓦解していく様は
笑いが止まらないというより、むしろ冷めた目でしか見れなかっただろうね。だからこそ反面教師として徳川幕府の制度を築けたんだろうけれど
実際、最終的には倒幕されたとしても世界史でも類を見ない長期政権になったわけだし、明治維新が間に合わなければと思うとゾッとするよ……
64.名無しさん:2016年09月13日 11:21 ID:uPlrXZhz0▼このコメントに返信
※59
秀頼は母親をもうちょっと抑えてねねを利用するべきだったな
豊臣滅亡前でも後でも、ねねと家康のパイプもかなり太かくて磐石だったみたいだし
そこが限界という感じなんだろうけど
65.名無しさん:2016年09月13日 11:21 ID:yaAL3NjE0▼このコメントに返信
初代はカリスマ・能力で企業し、(全ての分野で有能)
2代目は経営システムを法制化、企業ルールを確立し、初代が残した有能な家臣団の合議で運営(目立たなくても折衝・調停等、統率力は必要)
3代目は経営権を相続した事実で、会社の看板を不動にする。(能力は平凡でも可、暗愚はx)

長く続いた政権は、2代目で優秀な官僚達が経営運営をしているので、君主自身の能力は有っても目立たなくなる。
ただし、2代目が無能や幼児だった場合、官僚たちを折衝・調停し、纏め上げる事が出来ない。

結局、2代目を名実共にシステムとして確立させる前に、秀吉が死んでしまった事が一番大きい。
豊臣政権は2代目を支える官僚機構を秀吉が確立できていなかったので、名目で秀頼を後継者に指名できても、実の部分が伴わなかった。

よって一番悪かったのは、秀吉自身。
66.名無しさん:2016年09月13日 11:27 ID:G2R1UO800▼このコメントに返信
家康は秀吉に対して何の恩義も無いからねえ。
秀吉が死んで秀頼が幼く自分が死ぬまでの期間は千載一遇のチャンスだったと言える。
またここで律儀に秀頼を立てたとして、将来徳川家が潰されない保証はない。
家康の立場から見たら当然の行動だったと思うよ。
67.名無しさん:2016年09月13日 11:28 ID:Ka4yZj4P0▼このコメントに返信
種が少なかったのでは
68.名無しさん:2016年09月13日 11:29 ID:Kyem.5IQ0▼このコメントに返信
※60
秀吉が家臣の誰からしかの讒言で利休や秀次を切腹に追い込んだのは痛かったね。秀吉が理由も無しにブチ切れて切腹を申し付ける程には利休や秀次
側に罪科は無かっただろうし、それ以前は不仲どころか関係も良好だったわけだし。
やはり秀吉のブレーキ役ともなっていた秀長の早世は致命的だったな……
69.名無しさん:2016年09月13日 11:30 ID:CnctADvwO▼このコメントに返信
北政所が石女だった為に淀に嫉妬し豊臣家は一代限り(秀吉)と完全に徳川方について暗躍してたからな

秀吉子飼いの武断派を籠絡し徳川方に手引きしたのもこの女!

しかもこの女の強かなとこは豊臣家滅亡後、あれだけ自分を慕っていた武断派武将を簡単に切り捨てて自分は余生を全うしたってとこ…
70.名無しさん:2016年09月13日 11:37 ID:Kyem.5IQ0▼このコメントに返信
※69
ねねさんは信長存命の頃から秀吉の浮気癖を愚痴って手紙にしているくらいだから同情の余地は有り過ぎるくらいだよ。
跡継ぎを遺さないといけないという秀吉の言い分も理解できるけれど、だからこそ養子も迎えていたわけだし。
秀吉が晩年になってから実子?が産まれたと言われて鵜呑みにして、成人している後継者を切腹に追い込んだことの方が大いに問題が有ると思う。
71.名無しさん:2016年09月13日 11:38 ID:D18LSmml0▼このコメントに返信
※8
やはりおまエラは頭がアレだな
豊臣自体は別に財政難じゃねーよ
徳川が必死こいて削る程には持ってたよ
唐入りで財政難になったのは各大名
○鮮学校出じゃその程度かw
72.名無しさん:2016年09月13日 11:48 ID:FWKKYMP50▼このコメントに返信
①古参がいない
②各大名の多くに恨みを買いこそすれ、恩を売れなかった
③秀次事件の処し方が最悪
④後継者育てる前に死ぬ
女が原因って前にこれだけ要因が揃ってればそりゃ滅ぶわ
73.名無しさん:2016年09月13日 11:54 ID:NHh0PeZMO▼このコメントに返信
仮に寧々に子があれば、それは優秀だったか凡愚であったかそれはまたべつのおはなし。。。
74.名無しさん:2016年09月13日 11:56 ID:.SS.NfsEO▼このコメントに返信
秀頼の父親は大野治長でしょう?
75.名無しさん:2016年09月13日 11:58 ID:BPcfHy9t0▼このコメントに返信
織田政権樹立の為にある意味秀吉以上に頑張ってたというか犠牲を強いられてた家康がまんまと政権簒奪こいた豊臣家をそのままにしておくわけないやん…

76.名無しさん:2016年09月13日 11:59 ID:4mBjfr3C0▼このコメントに返信
※69
おや割とおねと淀は仲がよく、豊臣の家を守ろうと二人協力してたって話があったはずだが?
77.名無しさん:2016年09月13日 12:04 ID:bLeTBlqW0▼このコメントに返信
>>25
ねね石女認定か。
ネネ以外でも子どもの産めていた女が秀吉の側室になったら産めなくなる不思議な現象起きていたのになー
石女認定かー。
78.名無しさん:2016年09月13日 12:13 ID:rmwy9nEC0▼このコメントに返信
※27
関が原で秀頼が自分自身も出て千成ヒョウタン掲げてたら先ず小早川も家康に寝返ってないやろし、福島・清正はほぼ西軍に表帰り、蜂須賀・浅野は微妙やろな。それで結果がどうなるかは知らんが、家康もタマが腹の中に潜り込むぐらいはびっくりしたやろな。
79.名無しさん:2016年09月13日 12:17 ID:MbFRIpPAO▼このコメントに返信
石田三成の謀反が原因。
80.名無しさん:2016年09月13日 12:26 ID:X7isHx.kO▼このコメントに返信
※74
母方の祖父母の隔世遺伝と言う説も有る。

人物画はヒョロヒョロだけど、実際はかなりの大男だしね。
81.名無しさん:2016年09月13日 12:36 ID:hvuB7sKEO▼このコメントに返信
秀頼見たら秀吉と似てないから秀吉の子供では無いのが丸分かり。ねねが悪いんじゃなくあきらかに秀吉が種無ししか思えない。
秀長生存時になんとかしていたら豊臣政権はもう少しなんとかなったかも(適当)
82.名無しさん:2016年09月13日 12:36 ID:CL.MJrNk0▼このコメントに返信
秀吉は清正、福島正則はそこそこ取り立てたが
恩顧の武闘派はほとんど冷遇した。
秀次切腹は最悪だし、聚楽第落書き問題の処置もあり
身内から恐れられる存在になってしまった。

大坂の陣を見ても集まったのは浪人ばかり・・・
83.名無しさん:2016年09月13日 12:43 ID:6q.Nfn3m0▼このコメントに返信
①秀頼は秀吉の子ではなかった
②この時代、側室の子でも通常は正室が育てるが、秀頼は淀が育てた。
その結果、寧々は秀頼に全く愛情を持てなかった
③淀の意識 「父親を殺した猿の子なんて誰が産むか!
大坂城は私と秀頼のもの。今さら秀吉も寧々も関係ないし」
④寧々の意識「たわけの淀なんて主筋を鼻にかけた生意気な小娘。
大坂城は秀吉と私が建てたもの。淀にやるくらいなら焼いた方がええがね」
で、寧々は家康側に。のち寧々は家康に高台寺を建ててもらい
寧々の血縁の浅野家、木下家は生き残った。
84.名無しさん:2016年09月13日 12:45 ID:HwPsjq7H0▼このコメントに返信
秀吉とねねに普通に子供ができてたら、史実の通り秀吉が死ぬ頃には壮年
秀頼を見る限りは教育に問題は無さげ
安定政権になってただろうなあ

恐らくは種無し
秀頼は淀と誰か(大方三成)の子であるというのが半ば公然の秘密だったんではないのかね?
西国圧倒的優勢の時勢にあって家康側に付く武将が多かったのにはこういう背景もあるんでねーのかと常々思ってる
85.名無しさん:2016年09月13日 12:45 ID:w7FDIkGK0▼このコメントに返信
前田利家がいなくなったのも大きいよね。跡継ぎは全く家康に対抗できなかった。
他の上杉、毛利も代替わりしていたが、中枢に家康に対抗できる大名が皆無。
そんな毛利上杉を頼りにした三成が負けるのも必然。
三成も戦国の地獄を生き抜いてきたわけでもなし。
86.名無しさん:2016年09月13日 12:46 ID:WYOHPdiA0▼このコメントに返信
まともな武将は皆逃げちゃって、唯一残ってたのが幸村って事でお察しやな。
それも、最初から死んで名を残すつもりだった説が有るぐらいだし。
87.名無しさん:2016年09月13日 12:47 ID:mehaQKUe0▼このコメントに返信
後継ぎが少なすぎたのもあるけど朝鮮出兵で財も人も失いすぎたな

朝鮮出兵の失敗が一番の豊臣がつぶれた原因だろうね
88.名無しさん:2016年09月13日 12:54 ID:C3thfXNz0▼このコメントに返信
小牧・長久手の戦いで家康を倒すか服従させるかしなかったのが原因だろ?
秀吉の天下統一って、秀吉が家康に頭下げて母と妹を人質に出して手に入れたモンだし
89.名無しさん:2016年09月13日 13:02 ID:QAjUJDRF0▼このコメントに返信
朝鮮出兵をネガキャンする奴が多いけど、ちゃんと中国の歴史読んでるのかと
明は朝鮮出兵のしばらく後、女真族に滅ぼされたんだぞw
しかも奴らの人口は日本の三分の一以下だったぜ
しかも日本と違い火器の知識もろくに無い未開民族で、開祖のヌルハチは明軍の大砲の砲撃で戦死してる
明は朝鮮出兵時は、張居正の改革で国庫が回復してかなりの余裕があったから明は援軍を出せたわけで、破綻寸前の明だったら成功してたかもな
秀吉の唐入りは時期が悪かっただけだよ
90.名無しさん:2016年09月13日 13:03 ID:hvuB7sKEO▼このコメントに返信
※88
小牧長久手の戦いは約一年も戦いをしたから仕方ない、九州とかほっとく訳にもいけないし。
家康は関東移封より朝鮮の方に兵力出さすべきやったね、まあ家康をどうにかしても伊達とか上杉とか戦国逆戻り状態の内戦は必至だろ、秀吉いなくなった後は。
91.名無しさん:2016年09月13日 13:06 ID:j45sfIgS0▼このコメントに返信
※88
その後に秀吉はもう一回戦争やろうとしたんやけど天正大地震で前線や経済基盤がずたずたになったんや
92.名無しさん:2016年09月13日 13:15 ID:eIH.TJRi0▼このコメントに返信
家康が揺さぶりをかけたのが発端だけど、
あの程度の揺さぶりで五奉行が個別に無力化されてしまう程度では、
仮に家康の代を切り抜けたとしてもその後長続きしなかっただろう。
集団指導体制を固めるのが遅すぎた。
基本的に大名を政治参加させると政権内部がバラバラになるのは
室町幕府で証明済み。(鎌倉幕府=北条政権は北条氏の身内で固めた)
政治参加させるなら徳川に服従してでも耐えるべきだったと思う。
93.名無しさん:2016年09月13日 13:20 ID:CL.MJrNk0▼このコメントに返信
毛利輝元を総大将にしろと諫言される石田三成くらいしか
股肱の臣がいなかった秀吉が悪いな
恩顧の者たちを切り捨てすぎた。
94.名無しさん:2016年09月13日 13:34 ID:uPlrXZhz0▼このコメントに返信
※76
仲がどうとかはべつとして、大阪の役のときは仲介役に出ようとしたのを家康に封じ込められてたという話はあるよね
仲介に出てきたら豊臣滅亡まではさせられなかったからだろうけど
淀殿はどうでもよくても、豊臣には未練があったのかもしれないけど
95.名無しさん:2016年09月13日 13:59 ID:7bCkQjkB0▼このコメントに返信
徳川がすごいのは3代目が家光公ってところ
とその側近たち
96.名無しさん:2016年09月13日 14:13 ID:SI.TZIVh0▼このコメントに返信
女のせいっつーか原因の大半はやっぱ秀吉のせいだからなぁ
自分の死後に秀頼を頼む相手とか
利家がまだ生きてるんだから前田家に頼むべきだったんじゃないの?
97.名無しさん:2016年09月13日 14:21 ID:Kyem.5IQ0▼このコメントに返信
※95
男色狂いの○イでなければ非の打ち所がなかったんだけどなw一応、世継ぎは遺せてはいたけれど……
98.名無しさん:2016年09月13日 14:24 ID:Kyem.5IQ0▼このコメントに返信
※96
利家も棺桶に片足を突っ込んでいたし、狸の癖に猫を被って『律義者』という評判の筆頭大老しか後を任せられる相手が居なかったのは痛いよねw
99.名無しさん:2016年09月13日 14:34 ID:DhUcOmit0▼このコメントに返信
文禄慶長の役は、秀吉が死んで中止になったけど
秀吉が死んだ年には、明朝戦の総力軍が留守番衆(ほぼ九州勢のみ)に各方面で大敗してて
翌年には日本国内で英気を養った大軍の大攻勢が控えてる状態だったから
秀吉の死が数年伸びてたら歴史は変わってただろうね。
100.名無しさん:2016年09月13日 14:41 ID:Kyem.5IQ0▼このコメントに返信
※99
日中戦争では欧米の支援が無い時点でも大陸全土の支配は人的資源的にも困難だったし、戦国当時の人口での兵力ではさらに困難じゃないかな?
大陸での戦争には勝利しても統治が上手くいくかはモンゴル帝国とかの例も有るし、仮に明を征服できたとしてもモンゴルみたいな末路になりそう…
101.名無しさん:2016年09月13日 14:44 ID:Kyem.5IQ0▼このコメントに返信
※99
さらに補足すると仮に清みたいに数世紀単位で統治し続けたとしても、大陸在住日系人のモラルや民度が阿Qレベルにまで低下してたりしてそう……
102.名無しさん:2016年09月13日 14:46 ID:aZ9wUSA20▼このコメントに返信
※96
ある意味、利家も信用してなかったのかもね
自分が三法師を担いだ時を思い出したんだろ
103.名無しさん:2016年09月13日 14:51 ID:SI.TZIVh0▼このコメントに返信
※102
今でこそあの二人って古くからの友人みたいに語り継がれてるけど
そんなの本人たちじゃないとわからないだろうしねぇ・・・

秀吉の死後に簒奪して
もしも前田幕府とかになってたら名前的には微妙だったかもねw
104.名無しさん:2016年09月13日 15:13 ID:8aMTJIjz0▼このコメントに返信
三成が喧嘩売ったのが悪い的なこと言ってる奴はバカなのか?
その後家康が豊臣を潰したかどうかと関ヶ原は全く別物
105.名無しさん:2016年09月13日 15:22 ID:8aMTJIjz0▼このコメントに返信
家康に仕掛ける気が無かったとかアホなこと言ってる奴は少し勉強し直してこい(笑)
どうみても家康が豊臣弱体にあちこち手を打ってることは明らかだし、取り決めや約束事を次々に破って豊臣方を潰そう潰そうとしてるのが家康

三成にしてみれば、あのタイミングしかないし、誤算とするなら淀が動かなかったこと
関ヶ原で負けても、大阪方が本陣として旗が翻ってれば長期化する戦いだったはず
106.名無しさん:2016年09月13日 15:49 ID:WYOHPdiA0▼このコメントに返信
※96
ねねさんも利家も篭絡されてたって説が有る。
あくまで一説だけど、そういう話がある事自体(有り得る)って事なんじゃネ?
107.名無しさん:2016年09月13日 15:51 ID:DhUcOmit0▼このコメントに返信
※100
後のことは分からないけど、秀吉が長命ならば
悪くても朝鮮南部、普通にいければ朝鮮半島ぐらいまでは占領可能だっただろうね。

ただ、満州を横断して山海関を超えるのは難しい。
明軍も満州と言う荒地を渡って、朝鮮と言う荒地に布陣して日本軍と戦うのと
豊穣の華北に陣取り、山海関で日本軍を迎え撃つのでは難易度が違う。

日本軍は逆で朝鮮満州を占領して華北に侵入しようとしても、あの貧しい半島や満州では、明本国を攻めるだけの大軍の維持が困難
結局妥協点は、日本は荒涼とした僻地の朝鮮を占領して、明国は荒涼とした僻地の満州を占領してお互いの戦線は膠着
満州南部、朝鮮北部が主戦場となる。あとは秀吉政権が先に滅ぶか、明国が先に滅ぶかのチキンレース
108.名無しさん:2016年09月13日 16:11 ID:.qbzF1cP0▼このコメントに返信
※104
石田が喧嘩を売った結果、関ケ原の戦いが起こって徳川大勝利で武家の棟梁へ。
そして征夷大将軍として全国の武士に号令を出せる立場と正当性を得たのさ。
石田のみっちゃんが大人しくしてれば徳川も豊臣家家臣として秀頼を補佐するだけで
終わった可能性があるって話だよ。

109.名無しさん:2016年09月13日 16:30 ID:nRymaFVs0▼このコメントに返信
茶々にきちんとしたセ クースのやり方を教わったしてたりw
ねねも正しいセ クース知らなかったから子供ができるわけないw

110.名無しさん:2016年09月13日 19:48 ID:36oZXczd0▼このコメントに返信
女じゃないよ 後取りが出来なかったからだよ 淀の産んだ子は実子じゃ無いから家康も滅ぼすのに丁度良かった
淀も豊臣が滅びれば父の浅井長政の仇を討てるから大阪城もろとも滅ぼしてやったんだよ
秀吉の女好きは身分の高いイイ所のお譲さんを何人も側室にしても誰も子は出来んかった
戦国時代の有名美女お市の方に面影のある娘の茶々・淀を側室に都合良く2人を産むなんぞ不可能
名目は天下統一と言ってもまだまだ磐石では無く他の大名に危機感があり後取りの無い秀吉は疑心暗鬼での
愚政策で衰退して実子では無い秀頼と共に滅びた  用意周到の家康の有能家臣団ブレーンにより本当の天下統一
徳川幕府だからね  秀吉に子種があれば磐石な豊臣幕府と有能忠義者石田三成となった。 

111.名無しさん:2016年09月13日 21:04 ID:omVqTkB60▼このコメントに返信
そもそも家康って豊臣家と親族関係な上に身内筆頭なんだけどな
112.名無しさん:2016年09月13日 21:12 ID:uPlrXZhz0▼このコメントに返信
実際、ねねさんとの関係は資料とか援助とか見る限りかなり良好だったっしょ>家康
113.名無しさん:2016年09月13日 22:23 ID:LxUTTleQ0▼このコメントに返信
小早川を足蹴にしないで可愛がっていれば
また時代は変わったろうに
114.名無しさん:2016年09月13日 22:31 ID:rNlaUocN0▼このコメントに返信
当時の人口の八割以上を構成していた「農民」を敵に回していたから いずれは衰退したはず。
刀狩 = 封じ込め
太閤検地 = 大増税だからね
ちなみに 秀吉が農民出身だというのは間違い
本当は尾張平野にいた「技術者集団」のネットワークから出てきた人物、父親はおそらく寺社大工の棟梁だったはず
加藤清正 福島正則 蜂須賀小六なども同じ集団からスカウトしてきたものと思われる
当時の言葉で「百姓」とは農民という意味ではなく、武士でも貴族でも僧侶でもないその他大勢と言う意味
江戸時代になって百姓 = 農民と言う意味に固定した
115.名無しさん:2016年09月13日 22:41 ID:NryDiw3m0▼このコメントに返信
※114
もう少し勉強してから語れよ

実際の刀狩は地域限定で大した効力も無かった。
太閤検地は諸大名の課役の基準になる値でかなく年貢とは無関係。
116.名無しさん:2016年09月13日 23:58 ID:zD1ezqV70▼このコメントに返信




※114
妄想千ョンコロリンpgr




117.名無しさん:2016年09月14日 00:36 ID:MlUInF.30▼このコメントに返信
犬千代の方は領国安堵されてんよ。

長州なんて味方に付いたのに減封されたってのに、
形ばかりの加賀征伐が検討されただけでな。
118.名無しさん:2016年09月14日 01:20 ID:ZG3KKyVu0▼このコメントに返信
三成は好きじゃないがよくやったよな
秀吉亡き後の豊臣家からは碌な援助もないのに
殆ど謀略だけであれだけのことをやったんだから大したもんだよ
119.名無しさん:2016年09月14日 07:38 ID:d2IwFH6b0▼このコメントに返信
三成は良いやつ。家康もあんな人間が家臣に欲しいと書いていた気がする


秀吉の暴走を唯一止められる弟の秀長を失ったのがデカイ。後は健康オタクの家康の長寿が最大の要因
120.名無しさん:2016年09月14日 07:51 ID:SGILWxGP0▼このコメントに返信
豊臣222万石と徳川255万石の比較は正しい比較じゃなかったとおもう
前者は純粋な直轄領だけで222(ただし散らばってる)あって加えて他にも鉱山なんかの権益があったはず
すでに持ってる膨大と思われる資金もある
加えて分け与えた多くの家臣の石高がある
後者はたぶん関東移封後の255限定で家臣団に分け与える必要があったと思う
だから徳川がなにかを画策しようにも普通なら動かしがたいほどの力の差があったと思うんだけどね
ところが奇跡的に山が動いたというイメージをもってる
121.名無しさん:2016年09月14日 08:01 ID:SGILWxGP0▼このコメントに返信
あと戦国時代は比較すると近畿地方が極めて強かった時期なんで地盤の差というのもある
徳川は江戸開発で金を使わされてた時期だし
122.名無しさん:2016年09月14日 08:43 ID:SPADkcPt0▼このコメントに返信
三条河原で秀次の女子供を四十人も大勢の前で晒し物にして殺したから
123.名無しさん:2016年09月14日 12:31 ID:xMHL.g7E0▼このコメントに返信
※120
徳川幕府を開いた後に一大名として豊臣家を存続させておくには
危険なほどに財産持ってたからなぁ

豊臣家がもう少し弱かったら外様として生き残れる道もあったのかもね
124.名無しさん:2016年09月14日 23:13 ID:SW1YQvgy0▼このコメントに返信
※121
江戸の開発なんて道三堀や淵をいくつかくらいでほとんどしてないぞ
盛大にやりだしたのは開幕後の話だよ

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