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2016年03月28日 09:15

サムライって実際どのくらい一騎打ちしてたのか

サムライって実際どのくらい一騎打ちしてたのか

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引用元:サムライって実際どのくらい一騎打ちしてたのか

http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1458991248/
1: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)20:20:48 ID:iBR
少なくても何百とかの軍勢を連れてくんだから全員が試合みたいな勝負するわけは無いよな

2: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)20:21:24 ID:8Fg
足軽を指揮する簡単なお仕事です

3: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)20:23:06 ID:TZV
鎌倉以前なら。
戦国時代以降は武芸者通しの決闘ぐらいしか無いかと。

4: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)20:30:01 ID:iBR
>>3
でも平安時代の戦争でもあんまり一騎打ちなんてやってる気配無くない?
夜討ちの話とか残ってるのにいちいち一騎打ちやったりするかね?

5: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)20:33:52 ID:htB
戦争で一騎打ちはしないだろ

6: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)20:34:39 ID:AwQ
週3くらいかな

7: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)20:44:23 ID:W85
乱戦の中で一騎打ち状態ってのは物語とかで結構あるけどこれは下手したら現代ですら起こるからな
ほんとに試合みたいにやってる例は一つか二つしかなかったんじゃなかったっけ
領地が隣り合ってる武士が武芸を競い合った的な
デカい戦闘でも試合みたいにやってたなんて不自然な話は
一昔前の歴史学者がレアケースを拡大解釈しただけじゃね?

18: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)21:23:17 ID:jAM
>>7
>乱戦の中で一騎打ち状態ってのは物語とかで結構あるけど

一騎打ちの大半はこれでしょ?
違うの?

20: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)21:27:46 ID:iBR
>>18
軍勢から一騎ずつ出てきて勝負開始!周りは見物
みたいにイメージしてる人も多いんじゃないか?
というか俺はそうだった

21: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)21:35:09 ID:jAM
>>20
やっぱり三國志の影響なんだろうな
日本の場合だと、源平の時代でもいくさやって敵味方入り乱れての乱戦になって
そこで名のある将同士が遭遇して、名乗りを上げて一騎打ち、みたいなのが普通だし

8: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)20:45:58 ID:xk4
実際そんなやってたら武器防具の手入れ大変そうだし、なにより
体がすぐボロボロになっちゃうでしょ

9: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)20:46:28 ID:vj0
まず戦いをあんませーへんそうで

10: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)20:53:40 ID:iBR
有名な元寇のイッキウチガーシュウダンセンポウガーもネガキャン創作って話を最近見たな

11: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)20:55:24 ID:lzH
>>10

「やぁやぁ我こそは」

あれは味方に対するアピールの意味もあるんだぜ
手柄の横取りとか普通にあるから顔覚えてもらって証人が多い方が良いしね

13: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)20:59:16 ID:iBR
>>11
100%言葉が通じない相手に名乗るとかありえんしな
さすがに大陸から来た戦闘態勢の人間と何の準備も無しに意思疎通できると思ってるバカはいないだろうと

14: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)21:06:59 ID:W85
>>11>>13
実際に戦った武士が監修した蒙古襲来絵詞(教科書に絵が載ってるアレ)でも
「味方とお互い証人になることを約束した」って記述はあるけど「敵に名乗った」なんて話は一切書いてないからな

17: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)21:20:42 ID:iBR
>>14
あの絵「一騎打ちを挑む時代錯誤の武士」みたいに扱われてること多いけど全然違うんだな
これって印象操作ってやつじゃないのか

22: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)21:42:11 ID:W85
>>17
一回目の元寇で一騎打ちを挑んでボコられた、博多の町が落ちた、神風のおかげで助かった
っていう日本軍ボロ負け説は地元の神社が後世に書いた神様が元軍撃退する物語にしか無くて
実際に戦った武士の記録では一騎打ち挑んでも無ければ博多も落ちてないんだよな
蒙古襲来絵詞のあの絵は本体から部下数騎のみと先行して遭遇した元軍と戦いピンチになってるシーンで一騎打ちを挑んでるわけではまったくない
一騎打ち云々は信憑性の劣る別の史料に書いてある話なのにあの絵がそれの史料みたいにされるのは確かにおかしいわな

23: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)21:47:40 ID:iBR
>>22
まず「武士が惨敗した」って結論が先にあってそれに合わせて
史料を引用していってる感がすごいな…ひどい話だ

15: 吉衛門マークⅡ◆978ZEXM/xACG 2016/03/26(土)21:10:57 ID:43I
古墳時代や奈良時代だと、一騎打ちの記述は目立たないし、
やっぱ平安以降のサムライ同士の手柄の為ってイメージかなぁ

16: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)21:12:11 ID:lzH
てか武士よりも雑兵の方が多いから・・・
あいつら集団でタコ殴り上等だろ?そいつらががんばるっしょ(適当

19: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)21:25:57 ID:jAM
そもそも一騎打ちやりまくってた三國志の時代って190年代後半の話だからな
源平だって1100年代なんだから、それを遡る事900年も昔の話
戦闘方法が雑兵に大将首ポンと乗ってける時代の戦争の話だから一騎打ちになるだけで
個人戦でなく集団戦で細かく戦略練っていくさするのが当たり前の時代に
一騎打ちなんかやるわけがない

24: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)21:50:06 ID:BdU
足軽は農民だっけ

26: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)22:25:50 ID:jAM
>>24
そもそも戦国時代は農民と武士の境界線がはっきりしてるわけじゃないし
惣村では農村民の上位数割が武装していて、堅い二字名の名乗りも上げていて、苗字もあって実質武士だし
完全な農兵で、刀以外の武器で武装して、銭稼ぎや動員でいくさに行った雑兵ってどれくらいいたんだか

29: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)22:37:59 ID:W85
>>26
滅亡直前の後北条家なんかだと領内の男性ほとんど根こそぎのヤケクソ動員してた気がするけど
基本的には村から召集されるのは地侍より下の兵隊も大名軍に所属するのが前提の訓練された軍役要員だってっていわれてるしね
しかも軍役要員以外も村が直接戦場になった時のために最低限の戦い方は知ってるだろうし
純粋に傭兵だけで食ってる流れ者も結構いたって説があるくらいだから
戦を全く知らない素朴な農民が泣く泣く徴兵なんてドラマみたいなシチュはむしろ例外だったかもな

25: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)22:12:18 ID:qoc
ところで実際カタナで斬り合いって怖すぎてできないよな

27: 名無しさん@おーぷん 2016/03/26(土)22:27:47 ID:jAM
>>25
実際のいくさでの刀での斬り合いの場合、足を狙うか鎧の継ぎ目を狙ったらしいね
恐らくバッサバッサと斬っていって、刀が斬れなくなったら、死んだ武士の持ってる刀を奪い
それで更に斬るといった行動を繰り返していたんだろう

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2016年03月28日 09:27 ID:ouoNT4aa0▼このコメントに返信
鎌倉以前か江戸中期くらいの決闘ぐらいじゃない?
それ以外は集団戦闘が主流だし。
2.名無しさん:2016年03月28日 09:28 ID:.fe1B2c.0▼このコメントに返信
戦場じゃどうか知らんが決闘はしょっちゅうあったし近代に入るまで決闘は文化の一部だった
庶民まで決闘しまくったせいで決闘罪ができる程だ
今や影も形もないが日本人は戦闘民族だったんだよ・・・
3.名無しさん:2016年03月28日 09:32 ID:i2DX4kdn0▼このコメントに返信
単純な話w

決闘罪が作られる位多かったって事だw
4.名無しさん:2016年03月28日 09:33 ID:NFMxdXXH0▼このコメントに返信
一騎討ちは手柄を周囲に覚えておいてもらうためだぞ
乱戦で敵を倒しましたなんて自己申告なんてやってもほとんど手柄にカウントしてくれん
明治になる前のほとんどの時期の日本の軍隊は戦争に参加する側が戦費は自己負担なのでいくさの褒美なしだと武士は破産する
奈良時代に一騎討ちしなかったのは私有財産を認めない公地公民制の社会で国軍を維持する軍費は税金で出ていたから
平安期になると国軍が廃止されて天皇さえ率いてる軍勢は私兵ばっかだからな
5.名無しさん:2016年03月28日 09:40 ID:YQVCcqmL0▼このコメントに返信
安倍総理大臣 殿

ネト.ウヨを百人斬首したら、勲章をもらえる軍人勅諭を閣議決定してください。
6.名無しさん:2016年03月28日 09:41 ID:w6nnajyw0▼このコメントに返信
裁判代わりの決闘としての一騎打ちならそこそこやってたはず
7.名無しさん:2016年03月28日 09:55 ID:f8mzIWdu0▼このコメントに返信
【在日崩壊】韓国籍の犯罪組織一斉逮捕キタ━━━━━(°∀°)━━━━━!!!
ttp://www.news-us.jp/article/435581381.html
8.名無しさん:2016年03月28日 09:56 ID:H3EzD8Na0▼このコメントに返信
種子島が量産されて集団戦が本格的になるまで一騎打ちはあった筈。
9.名無しさん:2016年03月28日 09:58 ID:VTNdy8OP0▼このコメントに返信
元寇の話は日本のネガキャンというより教科書が鎌倉幕府衰退への足掛かりをうまく説明するために採用したて感じや
少なくとも海岸線に石垣築いてるから一回目の襲来で痛い目はみてると思うよ
10.名無しさん:2016年03月28日 09:58 ID:q22CrVY10▼このコメントに返信
鎌倉の武士とか下手したら戦国時代よりあぶねー連中だし…
11.ゲハロエおやじ27号っス:2016年03月28日 09:59 ID:a34AEQrd0▼このコメントに返信
一騎討ちの話の前に手柄の評価と恩賞の制度を理解するのが先じゃネ。
12.名無しさん:2016年03月28日 10:04 ID:VvumhKXrO▼このコメントに返信
当時の侍は兜を両断したり
死体5つ両断したり
畳三枚を両断したり
みんなクレイジーだったからね
侍が沢山いれば太平洋戦争で勝てただろうね
13.名無しさん:2016年03月28日 10:05 ID:0nfatxfcO▼このコメントに返信
お墨付きのあるヒャッハー・武士、侍
お墨付きのないヒャッハー・ただのヒャッハー
14.名無しさん:2016年03月28日 10:09 ID:I5eLGB1R0▼このコメントに返信
一騎討ちはあんま無かったけど単騎駆けはよくやってる
15.名無しさん:2016年03月28日 10:13 ID:Asa.RfFB0▼このコメントに返信
※5
お前のその役立たずな頭を切り落とす方がよほど有意義だな。
早くタヒね。
16.名無しさん:2016年03月28日 10:14 ID:WWNnHPk70▼このコメントに返信
※5
パリのテロ犯並みの思考回路のネト.ウヨガー連呼厨こそ死んでどうぞ。
17.名無しさん:2016年03月28日 10:21 ID:oAjZ6..P0▼このコメントに返信
末端の侍が率いてたのって多くても30人くらいだからな。
戦争も大会戦なんて数年に一度しかないようなものは珍しいわけで
普段は戦闘力が低い足軽数十人を引き連れての小競り合いとかで、
士分の足軽頭が名をあげるためにそれなりに一騎打ちがあったみたい。
18.名無しさん:2016年03月28日 10:23 ID:H3EzD8Na0▼このコメントに返信
調べたが「ズル」防止が大半だった
19.名無しさん:2016年03月28日 10:25 ID:uNr8EpIq0▼このコメントに返信
戦国時代でも神代勝利と小川信安みたいに大将同士の一騎打ちで決着がついた例もあるっちゃある
20.名無しさん:2016年03月28日 10:26 ID:tMrP3ags0▼このコメントに返信
武蔵が60人以上だっけ
21.名無しさん:2016年03月28日 10:29 ID:w6nnajyw0▼このコメントに返信
後方で指揮してただけみたいな意見はそれなりにあるが
陣頭指揮してる資料はいくらでもある
22.名無しさん:2016年03月28日 10:45 ID:4.VPrNuP0▼このコメントに返信
いつの時代も兵士の戦意を高めて戦いへ駆り立てるというのは難しいもの。
一般的にイメージされる両軍睨み合ってる中間へ武将が双方名乗り出て一騎打ちというのも
実際に戦ってみせる事で兵士達の戦意を高めてスムーズに合戦に以降する準備運動的な側面もある。
23.名無しさん:2016年03月28日 10:57 ID:UGETUusQ0▼このコメントに返信
蝦夷討伐で東北攻めてる時はまだ農民徴兵の軍隊で武士はいなかったよな・・・?平安末期に大規模戦始める前の小競り合いの頃くらいじゃないの?戦で一騎討ちなんて。
24.名無しさん:2016年03月28日 11:06 ID:UdctAlwc0▼このコメントに返信
兵力の損耗=国力の低下だったから余程両国間恨みつらみが無い場合は、一騎打ちで決めていたらしい。
25.名無しさん:2016年03月28日 11:07 ID:NFMxdXXH0▼このコメントに返信
※23
手柄を立てて土地を貰うというシステムは土地の私有が認められないと意味がない
公地公民制で全部の土地は国の財産である場合手柄で冠位を与えるくらいはしても土地を褒美に与えたりできない
当時の褒美は地位を利用して賄賂の取れる役職につくことだ
26.名無しさん:2016年03月28日 11:09 ID:lyAKbom.0▼このコメントに返信
三国志でも一騎打ちはほとんど無い
○呂布VS郭シ×
△孫策VS太史慈△
○閻行VS馬超×
くらいか
関羽VS顔良も関羽が突撃して顔良の首を持ち帰ったという記述はあるが一騎打ちしたとまではかかれていない
27.名無しさん:2016年03月28日 11:13 ID:uh1Na0AyO▼このコメントに返信
江戸期に侍は1人もいないという現実w
28.名無しさん:2016年03月28日 11:24 ID:UdctAlwc0▼このコメントに返信
※27
居たら内乱要因になるから徹底的武力を取り上げたんだよ。
29.名無しさん:2016年03月28日 11:28 ID:peghmQXv0▼このコメントに返信
※23
律令軍と武士の軍隊は制度や戦術で断然したものって思ってる人は多いけど
実際には奈良時代から武士の原型になる豪族出身のエリート弓騎兵の養成は積極的に行われてた
一騎打ちイメージが強い源平合戦以前の武士も組織化された軍隊だった律令軍エリート部隊の後身なので、
小規模な私戦(土地との結びつきが強くなったぶん私戦は増えたはず)はともかくとして
朝廷から命令が下ってる戦や大規模な私戦でば普通に奇襲やらなんやらやり放題だよ
30.名無しさん:2016年03月28日 11:40 ID:NqIPZq7d0▼このコメントに返信
「一騎打ちを挑む時代錯誤の武士」は完全に印象操作だよ
数ある絵巻の中から、極めて例外の一部を切り取って広めただけ
歴史学者にも赤が多いから仕方ないね
31.名無しさん:2016年03月28日 11:47 ID:3IEkotcLO▼このコメントに返信
一概に一騎討ちって言っても幅広いぞ
一騎討ち事態は源平合戦の頃だろうだろうけど、川中島の信玄と謙信も広義の意味で一騎討ちってなるじゃん
32.名無しさん:2016年03月28日 11:58 ID:UdctAlwc0▼このコメントに返信
※31
川中島は、両軍の損耗率が8割強とかで最後に司令官同士が殴りあった的もんだよ鉄砲が普及していたら両軍が全滅していたかもて位の激戦。
33.名無しさん:2016年03月28日 11:59 ID:qQlwlFrn0▼このコメントに返信
※5
「民進党」のロゴに
ト ン ス ル
の文字が・・・・。
34.名無しさん:2016年03月28日 12:15 ID:AP4EGHYo0▼このコメントに返信
一騎打ちは例外でしょ。平家物語の時代でも乱戦が基本だし。今昔物語の平良文と源充の一騎打ちでさえ今は昔扱いだし
35.名無しさん:2016年03月28日 12:17 ID:peghmQXv0▼このコメントに返信
※30
本スレでも指摘あるけどそもそも蒙古襲来絵詞のあの場面は一騎打ちを挑んでるシーンじゃ無いしね
部下数騎と突出してたところで元軍に遭って、「危ないから止めときましょうよ」って部下の制止を振り切って
突撃したら(この時点の季長はかなり貧乏だったみたいなのでとにかく目立って手柄認定されるポイントを稼ぎたかったのかも)
案の定大ピンチ、でも後ろから来た味方部隊のおかげで助かったわ って書いてあって
これを読んだうえで一騎打ちのシーンって解説するのは悪意ある嘘以外の何物でもない
36.名無しさん:2016年03月28日 12:22 ID:Jy08HXZZ0▼このコメントに返信
戦国じゃ敗軍の将に名誉のために一騎打ちさせるみたいなのがあったな
37.名無しさん:2016年03月28日 12:31 ID:wXSspl4X0▼このコメントに返信
戦国時代後期は最小でも数人単位のユニットで動くから
一騎打ちになったとしても、少しでも有利になるよう部下が加勢してくるので厳密に一騎打ちと言えるようなものは無かったりする
1000人単位の戦で大将同士が槍を交えるだけでも凄い事だったりするし
38.名無しさん:2016年03月28日 12:33 ID:o9l.i06i0▼このコメントに返信
一騎打ちと言えば関ヶ原の戦いと同期して起きた
豊後・石垣原の戦いの井上之房と吉弘統幸だな
一騎打ちで吉弘を討ち取った井上は後で後藤だか母里だかに
古武士みたいなマネをするwと笑顔で褒められたとか
39.名無しさん:2016年03月28日 12:35 ID:SIkbWbUC0▼このコメントに返信
戦じゃ夜討ち朝駆け奇襲上等の文化ですよ
元寇で一騎討ちの武士がボコられ神風に助けられるのアホ歴史観はどうにかならんかね
40.名無しさん:2016年03月28日 12:40 ID:peghmQXv0▼このコメントに返信
※34
平良文の一騎打ちもあくまで例外、って取れるような書き方されてるし
同じ今昔物語に収録されてる別の合戦の話は普通に戦ってるもんな
なのに武士の戦は一騎打ちばかりだった!って話が通説になるとか一昔前の歴史学者は一体何を考えてたんだ?
41.名無しさん:2016年03月28日 12:41 ID:OmztruNK0▼このコメントに返信
戦国時代でもけっこう名乗りの上の一騎打ちやってるよ
地方の老談記、日記、戦記帳とか読んでみると、お家の手柄話だからその辺は詳細に載ってる
例えば唐沢軍談とか
さすがに秀吉が西日本を手中に収めた頃からはあまり聞かないけど
42.名無しさん:2016年03月28日 12:47 ID:wXSspl4X0▼このコメントに返信
※38
関ヶ原だと、他にも安濃津城の戦いで分部光嘉と宍戸元次が一騎打ちしてるね
実は案外みんなやってみたかったのか?
43.名無しさん:2016年03月28日 13:13 ID:udqhOzt40▼このコメントに返信
そうなんだ
44.名無しさん:2016年03月28日 13:44 ID:.qbYOsuo0▼このコメントに返信
決闘罪が作られたのが明治22年
それまでは普通に決闘ってあったのかもね
45.名無しさん:2016年03月28日 13:57 ID:SyZnzPsq0▼このコメントに返信
名のり合ってということであれば、大きな合戦で言えば元寇まで。名のり合っている間に弓で撃たれて戦闘のスタイルが全然違うことを痛感した。
合戦全般では、鎌倉末期あたりから徒歩戦(集団戦)になっていた。変革をもたらしたのは、高師直あたりかな。
全体の戦闘に関係なく、個人の誇りをかけたものであれば、戦国時代もあったが、全体には影響していないし、あくまでも指揮向上とかそういった類。
46.名無しさん:2016年03月28日 13:59 ID:uh1Na0AyO▼このコメントに返信
関ヶ原本戦場や長篠合戦場で一騎打ちやってたら鉄砲で狙い撃たれるわ

あの信玄も無様に撃ち殺されとるだろ城攻めの最中にw
47.名無しさん:2016年03月28日 14:09 ID:W.vxSKS.0▼このコメントに返信
戦闘状態に入っていきなり一騎打ちはあり得んと思うんだけど
ある程度矢合わせぶつかり合いが終わって膠着状態になって、どっちもこれ以上被害出したくないって時に代表者が出てきて決着つける、みたいなのじゃないの?
48.名無しさん:2016年03月28日 14:21 ID:w6nnajyw0▼このコメントに返信
※45
時代遅れの通説乙
49.名無しさん:2016年03月28日 14:29 ID:NTNo2Qo40▼このコメントに返信
すれ違い様に一当二当打ち合うくらいは頻繁にあっただろうけど、どちらかが死ぬまで戦うのは一騎討ちじゃなくて決闘だから、戦場じゃ殆ど起こらないだろうし、そもそもそんな状況になったら家臣が止めるから。
流石に家の存亡をかけた大戦ともなれば、生き恥をさらすより好敵手と認めた武将が指揮する部隊に突撃して討死とかはあったと思う。
50.名無しさん:2016年03月28日 14:30 ID:OmztruNK0▼このコメントに返信
※47
それもあるし、一当てでは決着がつかないことも多くて小競り合いの休憩中にやることもあった。
あとは乱戦中に開いてるスペースに出てきて俺と戦う奴はいないかーみたいに誘って突入とか。
何で戦うか決めることもあれば、手持ちの武器で戦うこともあったらしいけど体勢が崩れて死ぬ寸前まで回りも空気を読んで手出ししないことが多かったみたい。というか邪魔すると卑怯や臆病のそしりを受けかねない本人に逆恨みで殺されるからしないって書いてあった。
侍の頭がおかしいと思う点は鉄砲隊を組織した後も腕比べ的に俺と戦う名のある奴はいないかーってやってるとこなんだけど。
51.名無しさん:2016年03月28日 14:33 ID:OmztruNK0▼このコメントに返信
※49
基本大将や重臣は一騎打ちはしないよ。だからはっちゃけてしまった奴らの例が有名になってるよ。
一騎打ちをするのは名のある侍大将とか歩弓人を引き連れてるクラスの侍が主流だよ。
52.名無しさん:2016年03月28日 14:36 ID:OmztruNK0▼このコメントに返信
連投で悪いけど侍大将じゃなかったよ。足軽大将・つまり物頭とかのクラスだよ。
53.名無しさん:2016年03月28日 14:44 ID:W.vxSKS.0▼このコメントに返信
※50
あともう雌雄は決してるのに負けてる方の中堅下っ端がやたら血気盛んで「例え全滅しても~」とか口走ってて、それを納得させて降伏するために負け側指揮官が生贄的に一騎打ちして死ぬとかもありそうよね
まぁなんにせよ一騎打ちの状況って、ぼけーっと順番待ってる脳筋なイメージの馬鹿な昔の定説よりは、美意識に基づいた各人相互の美意識の尊重の結果ってほうが当然しっくりくるわな
54.名無しさん:2016年03月28日 14:58 ID:AP4EGHYo0▼このコメントに返信
歴史の“大先生方”が自分の説否定されんのヤダからただこねてるんだろ。全く悪質だね。プライドのために歴史を捻じ曲げるなんて。これがすべての分野で横行してる。
55.名無しさん:2016年03月28日 15:23 ID:W.vxSKS.0▼このコメントに返信
※54
その“大先生方”の弟子・孫弟子も問題
その説を継いで維持することで飯を食ってる層だから、これを覆す主張にめちゃくちゃ攻撃的
というかむしろそっちの方が主流で、逆に昔定説の一部を唱えた最権威層の一部はそんなの気にせずに新しい(過去の自説に矛盾する)テーマに取り組んでるという例もあるっちゃある
56.名無しさん:2016年03月28日 16:01 ID:rMbAcc4M0▼このコメントに返信
※51
名のある侍大将が一騎打ちなんかする訳無いでしょ。
武田信玄配下でいえば山縣昌景や馬場信春などの重臣なんだから。

侍大将みたいな多数の城主級を率いる武将や足軽大将のような一軍率いる部将の一騎打ちなんて無いが、
末端の侍なら乱戦中でも頻繁に一騎打ちして首級挙げてるよ。
前田利家だって信長に勘当された後も単騎で織田家の合戦に参加、一騎打ちして首級挙げてるでしょ。
双方の軍勢の前に進み出ての一騎打ちなんて光栄の三国志のやりすぎだよ。
57.名無しさん:2016年03月28日 16:12 ID:rMbAcc4M0▼このコメントに返信
>完全な農兵で、刀以外の武器で武装して、銭稼ぎや動員でいくさに行った雑兵ってどれくらいいたんだか

秀吉の後北条征伐に際し、後北条氏は各村から2名ずつ15~70歳までの壮健な男子を徴集してる。
籠城戦なので遠目に見れば武士っぽい格好になってればOKだったようで、
長い棒の先に箔を貼って槍っぽく見せろなどとも指示している。
58.名無しさん:2016年03月28日 16:33 ID:cr0x.r6N0▼このコメントに返信
一騎打ちといったら鎌倉悪源太
頼朝・義経のお兄さん
ザ・サムライって感じで超かっこいいよ
59.名無しさん:2016年03月28日 16:49 ID:OUCHkfor0▼このコメントに返信
名乗って一騎打ちはともかく先頭で突っ込んでいく大名はいたな
蒲生氏郷・井伊直正なんかは実際に軍団の先頭にいた。
こいつらが一人で敵を突き倒した場合は一騎打ちというのか謎だが

黒田長政も一騎討ちした(乱戦で)模様
家臣が助けようしたが、後藤又兵衛が
「雑兵ごときに遅れを取る殿ではない」とか言って止めたとか。
死にかけた長政はこれで又兵衛を恨むようになったなんて話もある。
60.名無しさん:2016年03月28日 17:52 ID:peghmQXv0▼このコメントに返信
乱戦の一局面としての一騎打ちなら時代や国問わず普通に起こりうるけど双方の軍勢が大人しくしてる中
進み出た2騎だけが戦うってのはほんとに特例なんだよな いつもこんな戦いしかしないならそもそも何百以上の軍を集める必要が無いだろっていうね
※54
逆に通説否定して目立ちたいだけの奴が史料を恣意的に引用して
ガバガバだけど素人は騙せる「新説」を提唱することもあるから油断出来ない、代表例はポニーだから戦えない説とか
まあ少なくとも元寇の一騎打ち云々に限っては通説とか一般的イメージのほうがほぼ確実に間違ってるけど
61.名無しさん:2016年03月28日 19:53 ID:45seKydh0▼このコメントに返信
※59
あれは長政殿の先駆け癖が悪い悪いと文句付ける割に、かといって代わりに先頭切ってくれる家臣も出てこないから仕方なくやってる的なイメージもありますなあ。後藤に限らず黒田の重臣連中はやたら長政殿に冷たいし、親父の如水殿好きすぎだろお前ら的な。
62.名無しさん:2016年03月28日 21:25 ID:vVcc63XJ0▼このコメントに返信
地方の豪族通しの戦は半ば儀礼化してるから代表者が戦って勝ち負け決める事が多かったと聞くが
当主の代が変わると顔見世ついでに戦を仕掛けるとか
63.名無しさん:2016年03月28日 22:20 ID:NlMCOJMq0▼このコメントに返信
昨年10月に、沖縄県豊見城市豊崎小学4年生自殺の問題で
皆さんに、官邸メールのご協力をお願いします。(拡散希望)です。

(被害者のお子さんの、お父さんは自衛官です)
第三者委員会のメンバーに遺族側の弁護士等を入れるのを拒否していますので
真実が解明出来るどころか、原因を遺族の虐待にしようとしています。
何卒、いじめ自殺根絶の為に、ご協力をお願いします。
(官邸)第2次安倍改造内閣 閣僚等名簿 | 首相官邸ホームページ→右上の ご意見・ご感想
(義家副大臣の場合)
衆議院議員「義家弘介」OFFICIAL WEB SITE | プロフィール → 右側の義家への質問

内容はご自分で考えて書かれてもいいですし,サンプルも貼っておきます。 

あじあにゅーすの (【またフジ】めざましトークエイド )でguguって一番上です。
ここはコメント0なので貼りました。 

地方自治体は汚染されていますので、皆さんのご協力をお願いします。
64.名無しさん:2016年03月28日 22:54 ID:NrQNA0Sb0▼このコメントに返信
「やぁやぁ我こそは」は、
名が売れてる奴が言った場合、相手の士気を下げ、味方の士気を上げる。
名が売れていない奴は名を売るための売名行為。
65.名無しさん:2016年03月29日 00:15 ID:9esqy0h.0▼このコメントに返信
※38
井上と吉弘は親友同士だったんだよなあ
66.名無しさん:2016年03月29日 00:19 ID:GOL7JCM.0▼このコメントに返信
※37
騎馬武者に家来数名のセットで
一騎と数えるから、
他家の者が加勢しなければ
乱闘状態でも一騎討ちなんじゃないの?
67.名無しさん:2016年03月29日 05:15 ID:Qa7iCkhR0▼このコメントに返信
「大将同士」が一騎打ちした「仏木坂の戦い」

加藤清正対木山弾正

内容は諸説いろいろあるけれど①頭脳プレーで隙をついて股座を槍で突き刺して崖から放り捨てた
              ②槍で一突き
              ③槍が壊れるほど激しく戦ったうえで仕留めた
              ④槍で激しく戦ったが決着つかず組討ちで仕留めた
・・・武闘派の大将同士がやりあった<史実としても確実な数少ない大将同士の一騎打ち>だね
68.名無しさん:2016年03月29日 05:19 ID:6LfkzusV0▼このコメントに返信
※66
元寇みたいに明らかに騎馬武者だけで戦ってる例や太平記に兵種ごとに分かれて戦ってるっぽい描写、
戦国時代の軍役でも名簿上の主君と戦場での指揮官が違うと取れる例があるので
騎馬武者などの侍階級が戦場でも直属の従者から離れられないってのは
言い過ぎなんじゃねえかって最近は言われ始めてるけどね
69.名無しさん:2016年03月29日 09:51 ID:Txx.Xx9p0▼このコメントに返信
鎌倉あたりでは、集団戦術が確立してたってことね。
平安時代はどうだったのかな。
70.名無しさん:2016年03月29日 12:15 ID:wbLUCrZz0▼このコメントに返信
※69
平安時代の武士は公的な裏付けがなく勝手に縄張りを主張する893に近い
国家権力が無力なので揉め事の解決に日常的に抗争を行う割に死者は少ない
赤紙一枚で補充の利く近代と違い戦で譜代の部下が死にまくると困るのでハッタリかけまくりの口喧嘩のような地味な戦が主体
893はなめられたら商売にならんから暴力をちらつかせるがテロリストのような殺戮目当ての行動はとらんだろ、あんなかんじ
雑兵を遠くから射殺してどうだ俺は強いんだとアピールはしても大将同士が代表で喧嘩しないよ(死んだら困るから)
71.名無しさん:2016年03月29日 12:34 ID:mjiOh2IC0▼このコメントに返信
※69
平安時代の戦争って古代や鎌倉以降とは別の生ぬるいものってイメージが広がってるけど
実際は前後の時代とそう変わらず普通に戦争やってる
朝廷や国司から正式に命令出てる戦が多いから反乱軍はしっかり討伐or降伏させないかんしね
平安時代中期の反乱で反乱軍の徴用と官軍の略奪で一国の田がほぼ消滅したなんて記録が残ってたり割と容赦なかった
72.名無しさん:2016年03月29日 12:41 ID:mjiOh2IC0▼このコメントに返信
※70
武士ってもともと下級貴族や郡司・在庁官人クラスのものが多かったんだから一昔前の階級闘争史観の影響受けた定説ほど反体制的な存在じゃないでしょ
確かに反乱頻発して不安定な時代ではあったけど朝廷の公認を受けず勝手をやる奴は基本すぐに討伐や左遷されてる
73.名無しさん:2016年03月29日 15:11 ID:Oh9DLM3G0▼このコメントに返信
そもそもその武士って言われてる層の多くは、過去に国の正式な軍団で軍事的訓練を受けたり各衛府で軍事的奉仕を経験してるんだけどね
そんな奴らが野に下ったからって「集団戦闘はしねぇ!」なんて考えるわけがない、その有用性を知ってるんだから尚更よ
74.名無しさん:2016年03月30日 02:35 ID:bJRFY3SX0▼このコメントに返信
※5
お前軍人なのww?
75.名無しさん:2016年03月30日 02:50 ID:bJRFY3SX0▼このコメントに返信
日本の武士は面目ばかりで、名乗ってるうちに討ち取られた馬鹿ばっか。
結局台風に助けられたくせに増長した。神風だってwww
第二次大戦でも、メンタリティは同じだった。馬鹿な日本の軍人は源平の頃から
何も進歩しなかった。日本には軍を率いる才が無いwww

という印象を持たせたかったから、日教組を中心に広めたんだろうね。
実際は防塁を築いて元を追い返してるし、地上戦でも勝利してる。
北条時宗は元を撃退後2年で他界して、まさに国難を凌ぐためだけに使わされたような
人生。もっと評価されてほしいよ。
ちなみに朝鮮のみなさんは元に使役されて船をつくったわけですが、日本のために
手抜きしたおかげで、台風でじゃんじゃん沈んだ説を信じてます。
だから日本は韓国に感謝すべきだと。日本が強かったわけではないのだと。
この辺りの風説も、鎌倉武士は愚か説を日教組が力説する一因じゃないかと思う。

船が沈んで一番被害を受けたのは、朝鮮兵なんですけどね。
76.名無しさん:2016年03月30日 05:49 ID:z0DE9YAB0▼このコメントに返信
※75
武士ボロ負け説に説得力がなくなったあと
それでも「日本軍が普通に戦闘に勝った」なんて認めたくない!って連中がなんとかひねり出した屁理屈が
高麗船手抜き説や威力偵察説、棄民説みたいな元軍は本気じゃ無かったorバッドコンディションだった系の説って感じだろうな
結局じょの3つも根拠はないんだけどね

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