大艦巨砲主義!ツイーター
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2016年01月30日 09:05

教科書「信長は新しくて良いものをどんどん取り入れてったから強かったんやで」

教科書「信長は新しくて良いものをどんどん取り入れてったから強かったんやで」

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引用元:教科書「信長は新しくて良いものをどんどん取り入れてったから強かったんやで」

http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1454065990/
1: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:13:10 ID:sGJ
歴史評論家「信長は古くて力のあるものを利用できたから強かったんやで」

2: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:14:13 ID:ZCO
うんこちしん

3: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:16:24 ID:sGJ
>>2
新しい部分があんまり無いらしいんや
兵農分離とか鉄砲の導入とか

4: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:17:13 ID:ZCO
>>3
なるへそ
知らんかった

5: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:17:15 ID:HnB
信長は仏教嫌いなんやろうなぁ・・・(すっとぼけ)

6: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:20:21 ID:sGJ
中央集権化もあんまり進んでなかったらしいがどうなんやろ

7: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:21:50 ID:zKC
信長は意識改革したんやで

8: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:23:21 ID:sGJ
>>7
どんな意識改革なん?

11: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:25:58 ID:zKC
>>8
信長はそれまでの保守的な考えを破壊したんや
比叡山焼き討ちや将軍追放がその例やな

13: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:27:59 ID:sGJ
>>11
将軍は追放したあとかなり悔やんでたらしいし、本人としては意識改革のつもりはなかったんやないか

15: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:35:58 ID:zKC
>>13
信長本人はそこまで考えてなかったやろな
結果的に統一に向かうような骨組みをつくった感じ

9: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:24:42 ID:wvB
新しいもの好きではあったんじゃないか

10: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:25:05 ID:AxL
楽市令も別に信長が最初じゃないという…

12: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:27:14 ID:8Da
ガチガチの運命論者

16: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:38:17 ID:4Jj
古いものを理解して新しい物をなんとか取り入れようとしたんやろ
後々は朝廷潰すつもりでいながら朝廷たてて仲良くしてた感あるし

17: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:40:41 ID:sGJ
>>16
そもそも朝廷潰すつもりなんてなかったんやないか?
強敵を封じ込める時は必ず朝廷使っとるし

20: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:42:52 ID:4Jj
>>17
あるもんは使う主義やん というかそれも朝廷をたてる一環やろ
憶測でしかないけど結構言われてる説やと思うで
天守閣から朝廷客人用の部屋見下ろせるとかなんとか

22: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:45:47 ID:veZ
有用だと判断すれば古いものだろうと新しい物だろうと関係無く使ったからええんやろ?

25: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:50:28 ID:sGJ
>>20
なるほど
いや、言われてるほど革新的な人物ではなかったというのが事実なら朝廷潰すことも無いんやないかと思ってな
>>22
新しいものに関しては古いものほど積極的ではなかったんだと
鉄砲の普及率とか武田とあんまり変わらんらしい

18: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:41:01 ID:GYS
新しいものでも古いものでも役に立つなら何でも使うイメージ
役立たずは容赦なくポイ捨て

19: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:41:44 ID:zKC
ただ身内には甘い

21: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:44:24 ID:A7R
上流階級で茶道が流行り出してたから
そこに目をつけて武将の褒美に土地の代わりに茶器をあげるようにして
褒美として一般化させたのが信長って説を聞いたことがあんだけどマジ?

24: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:46:49 ID:4Jj
少なくとも千利休は元々信長のお抱えだし 茶器を褒美にはしてたで
一般化させたのが信長かは分からんけど

28: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)20:57:05 ID:4Jj
やがて天下統一事業を推進していた尾張国の織田信長が1575年(天正3年)に甲斐武田氏との長篠の戦いをはじめとする戦で、
鉄砲を有効活用した(現在では、織田軍は千丁程度しか鉄砲を所持していなかったため、
長篠の戦いでは鉄砲ではなく数の差を利用して武田軍に勝利したとみられている)とされ、鉄砲が戦争における主力兵器として活用される軍事革命が起こる。

戦での仕様を一般化したのは信長っぽいな 以前から輸入自体はあったっぽい
武田も長篠で負けた反動で取り入れたんちゃうか

30: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)21:00:10 ID:sGJ
>>28
信玄時代から500丁持ってたはずだし、九州では長篠より早くから利用されてたはず

32: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)21:03:51 ID:4Jj
>>30
注目度の差やないか?
幕府や朝廷に近い本州のが自然他の大名も気にしとるや上に織田と武田やし
他の大名も合戦に取り入れだしたのが長篠以降でも違和感無いで

それ以前から使われまくっとったならすまんが

33: 名無しさん@おーぷん 2016/01/29(金)21:14:10 ID:sGJ
>>32
1550年に三好と細川の戦いで使われたのが初めてやで
長篠以前から使われとったことは確かだと思う

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2016年01月30日 09:14 ID:z.zNgp7B0▼このコメントに返信
古いものを大事にする保守主義者だったり
朝廷潰そうとするほどの革新主義者だったり
人によって言うことブレブレでノブさんも大変やな
2.名無しさん:2016年01月30日 09:17 ID:5apEL5k5O▼このコメントに返信
いいものは受け入れ悪いものは捨てる…今も変わらん
3.名無しさん:2016年01月30日 09:22 ID:6appWsR80▼このコメントに返信
しっかりと目標が見えていた人だったんだろうな
あの時代では貴重な才能だと思う
4.名無しさん:2016年01月30日 09:30 ID:K.QzNVtm0▼このコメントに返信
鉄砲を本格的に大量導入したのは信長が最初
それに鉄砲伝来からたいして年数たってない
充分新しいことしてる
5.名無しさん:2016年01月30日 09:31 ID:K.QzNVtm0▼このコメントに返信
以前からあったものを導入といっても
それまではバラバラに散発的に導入されて大して効果が上がっていなかったものを
複合的に組み合わせて実行することで効果を得た
俯瞰的大局的に物事を見れる人物だったんだろう
6.名無しさん:2016年01月30日 09:34 ID:CeEu.fJ60▼このコメントに返信
その場しのぎに手段を選ばずあれやこれやとやってるうちに超オールラウンダーになったってことか
7.名無しさん:2016年01月30日 09:39 ID:FuAV0txH0▼このコメントに返信
役に立つ物を見極めるのが上手いだけ>才能!
道具(新兵器等)だけでは強くなれない>本能寺!
人心掌握が必要不可欠だったみたいだね。
8.名無しさん:2016年01月30日 09:45 ID:y8y7DupB0▼このコメントに返信
当時の朝廷なんて貧乏だけどちょっと高貴な血筋ぐらいの認識やろ
今みたいに絶対的な主権者なんて認識はない
そんな家を潰そうが守ろうが信長の革新性の証明にはならんやろ
9.名無しさん:2016年01月30日 09:46 ID:qYWw.2.9O▼このコメントに返信
「ノブナガ・コンチェルト」の宣伝だろw
10.名無しさん:2016年01月30日 09:49 ID:GMLsy4fHO▼このコメントに返信
現実主義政策で経済力蓄え自らの軍備増強と情報網の確立したが、天皇の上になろうと考え家臣の反発と忠告を無視し役立たずは追放した。
よって長宗我部との間に入っていた明智光秀は苦慮し本能寺の変になったのでは?
11.名無しさん:2016年01月30日 09:49 ID:DwGH5ytoO▼このコメントに返信
信長が出来たのは将軍を追っ払うくらいまで

将軍を殺し大仏殿を焼き払った(仏教勢力破壊)松永が真の革命者!
12.名無しさん:2016年01月30日 09:49 ID:u5hCE1Za0▼このコメントに返信
楽市楽座は六角定頼がやってたのを真似しただけだしな
13.名無しさん:2016年01月30日 09:50 ID:NtVg8u3e0▼このコメントに返信
「信長は古いものを徹底的に破壊しようとしていた!」
「天皇家も滅ぼすつもりだった!」
 とか言われてた「革命家織田信長」像の氾濫してた頃よりも、今の信長像が好きだわ。
14.名無しさん:2016年01月30日 09:51 ID:iTnEkf0uO▼このコメントに返信
室町将軍追放は前例が三好長慶によるものがあり、また鉄砲についても三好氏他が多数保持活用している。
15.名無しさん:2016年01月30日 09:56 ID:ckqZolCJ0▼このコメントに返信
※1
最終着地点が半端すぎてどういうつもりでやっとったんか分かりづらいんや
16.名無しさん:2016年01月30日 09:56 ID:ykMQZ7GW0▼このコメントに返信
銃はあっても当時は輸入品だった硝石の輸入ルートを確保しないとね。
堺を押さえたのが大きかった。
17.名無しさん:2016年01月30日 10:01 ID:sG1GmrgD0▼このコメントに返信
>天守閣から朝廷客人用の部屋見下ろせるとかなんとか

こういう事平気でほざくのがいるから、信長像がぶれぶれになるんだよなぁ
18.名無しさん:2016年01月30日 10:05 ID:ObUF37ah0▼このコメントに返信
枯れた技術の水平思考って奴やね
既にあるものを使って新しい物を生み出す
伝統を取り入れながら改革者でもある
19.名無しさん:2016年01月30日 10:19 ID:lGlOWYAj0▼このコメントに返信

究極的なリアリスト
って感じかな。


保守でも革新でもなく。
20.名無しさん:2016年01月30日 10:19 ID:WFMO1gEk0▼このコメントに返信
種子島の初使用が1550年とかないわー
21.名無しさん:2016年01月30日 10:22 ID:UHBDvfZi0▼このコメントに返信
※19
リアリストどころかかなりアマアマだぞ
だから他人を信じて裏切られまくった
底辺出身で自分しか頼りになるもののいなかった秀吉のほうがリアリスト
22.名無しさん:2016年01月30日 10:28 ID:wOingdZs0▼このコメントに返信
一時の信長の評価は、成功したベンチャーの見本みたいにベタ褒めされたイメージ

実際は生き残りかけたヤバイ状況の連続で、形振りかまわず有効そうな手段を採用し続けた感じ
博打博打の連続で上手くいったみたいな。あまり深読みや革新的な構想とか持ってなかったんじゃないかな
23.名無しさん:2016年01月30日 10:28 ID:GCI1X8Tl0▼このコメントに返信
別に信長だけじゃない。みんなやっていた事だ。乱世の人間なんてみんなやってるよ。やらないと死が待ってるから当然だ。

運だ。運が悪かったら、今川にやられ、尾張にうつけのアホがいたと言う歴史になっている。ただそれだけだ。
24.名無しさん:2016年01月30日 10:33 ID:zyaEzcGK0▼このコメントに返信
というか人口の多い尾張と美濃取って、人口が多いけど混沌としてる近畿を制圧できちゃった時点で天下統一が見えてきたから天下統一してみようとしたって感じだろうなぁ
近畿制圧した時点で圧倒的な勢力になっとったし
対抗できる北条は引きこもりだしね
25.名無しさん:2016年01月30日 10:33 ID:vJVtZ2lH0▼このコメントに返信
三段撃ちは雑賀衆が元祖って説もあったり
26.名無しさん:2016年01月30日 10:36 ID:TPM1gdiwO▼このコメントに返信
そもそも朝廷と信長の間に不信やわだかまりがあったら本能寺の変は起きて無い件

毛利攻めへ向かうのを中断して引き返してきた明智の本能寺(京都)襲撃が成功したのは、信長の軍勢が京都を出払ってて警戒ガラ空きだったからだろ

朝廷と信長の間に不信があったなら、信長は軍勢を警戒にあたらせて京都入りした筈だ

信長が朝廷を信頼してないなら、威圧と抑止と警戒の為に必ず京都に軍を置く
・・馬揃えの例もあるし、信長にとって京都に大軍を入れるなんて簡単な事

もし本能寺に信長の軍勢が控えていたら、明智の謀反は成功しなかった・・・というか謀反を起こせなかっただろう

しかし実際には信長は少数の手勢を率いていただけ
しかも、信長の後継者に決まっていた織田信忠(長子)も少数の手勢だけを連れて京都入りしていた

朝廷に対する信頼と敬意が無ければこんな事は出来ない

結果、明智の包囲を受けて信長は本能寺で自決
信忠は二条城で自決

これで言えば本能寺の変調停黒幕説も滑稽
朝廷が明智に謀反を唆したとして、明智が朝廷を裏切って信長にチクったらどうするんだ
戦国時代じゃそんなの日常茶飯事だろう
チクられたら比叡山の二の舞
しかも朝廷は諸勢力と違って自前の軍隊持ってないし
ましてや信長に対して警戒心を持ってるなら、そんな軽率で子供染みた策謀を巡らすなんて有り得ない

・・・・離宮を見下ろせる城を構えたから朝廷を下に見てる?
馬鹿か?支那人か?
そんなら警備の為の物見矢倉にも立てねぇじゃねぇか
おちおち山も登れねぇ
いい加減にしろ
27.名無しさん:2016年01月30日 10:38 ID:lGlOWYAj0▼このコメントに返信
※21
秀長亡きあとの秀吉のだめっぷりを見てみよう。
28.名無しさん:2016年01月30日 10:42 ID:hf4z7uYO0▼このコメントに返信
信長の鉄砲戦術は、本願寺相手に鉄砲戦術で痛い目に合わされたことを経験としてる。
長篠の戦いはそれの応用。
だから信長が鉄砲の先駆者とするのは違和感を感じる。
というか、長篠から遡ること信玄も小田原の氏康も鉄砲を運用してるよね。
29.名無しさん:2016年01月30日 10:45 ID:.w.Xc9d00▼このコメントに返信
「第六天魔王」という、摩訶不思議なイメージと49歳で命を落とした稀代の戦国大名というイメージが、妙に日本人の心を刺激するのでしょうか。ホトトギスの詩にもあるように、織田・豊臣・徳川は並び称される戦国大名だけど、秀吉は猿だし家康はタヌキ、対して信長はシュっとした男前という感じ。まあ、日本人は結構見てくれも気にしたりしますから。
30.名無しさん:2016年01月30日 10:46 ID:p5EF8w7e0▼このコメントに返信
信長と正親町天皇の関係を見ると、信長は朝廷にかなり気を遣っていたように思うんだがなあ。
なんで信長が朝廷をつぶすつもりだったとかいう話になるんだか。
31.名無しさん:2016年01月30日 10:46 ID:XZDTzirs0▼このコメントに返信
※24
というかあの時点の北条さんには対抗する余裕なんて無かったんでありまして・・・

この辺りは真面目に慢性的な飢饉と上杉+武田の極悪同盟が悪い
32.名無しさん:2016年01月30日 10:47 ID:9iLF.nVU0▼このコメントに返信
信長が強かった理由は、
経済を活性化したことと、軍事制度を改革したところ。
結局、経済力⇒軍事力ってことが大事だから。
33.名無しさん:2016年01月30日 10:52 ID:9Iznz1pA0▼このコメントに返信
※24
信長にとっての「天下」は今の近畿+中部を中心に東中国、南北陸までの模様だしな。
34.名無しさん:2016年01月30日 10:53 ID:XZDTzirs0▼このコメントに返信
※32
それプラス、動かなきゃいけない時に素早く適切に動ける行動力だな

尾張一国時代から死ぬまで尋常じゃない位に精力的に活動してるし、
金と運を活かせる下地があったからこその強さだったんだと思うわ
35.名無しさん:2016年01月30日 11:06 ID:ozz.PPnX0▼このコメントに返信
地球儀見て理解した位頭の柔らかい人。
黒人抱えるほど無差別者。
36.名無しさん:2016年01月30日 11:06 ID:02Xxc6Wv0▼このコメントに返信
自分が天皇になろうとしていた
結果としては信長しんで本当によかった
37.名無しさん:2016年01月30日 11:08 ID:IuyCWSn00▼このコメントに返信
まあ最終的な目指した天下がどういうものだったかわからないけど、信長の年齢考えたら
1600年には死んでるだろうし、秀吉と同じく天下の体制を作る前に死んでただろうね。
(秀吉と違って信忠がいるから、織田政権瓦解はしないだろうけど、織田政権の体制は
 信長の理想ではなく、信忠の理想もかなりの部分入ったものになっていたと思う)

※20
いや、それも説の一つではある。
1549年の加治木城の戦いか、1550年の洛中で細川方が放ったのかどちらかが鉄炮初使用の記録。
(加治木城の戦いでは鉄炮が存在していたのは明らかなんだけど、攻城戦だったし使用されたか不明
 1550年の方は死亡した記録まで残っているから使用されたのが確実)
38.名無しさん:2016年01月30日 11:10 ID:rDdIAq9i0▼このコメントに返信
武田と信長の鉄砲の差は錬度と火薬の量の差やで

っていうのが信長のシェフで出てきたな
確かに当時の不出来な銃では誰が使っても威力はいっしょでも
命中率がぜんぜん違ったやろな
39.名無しさん:2016年01月30日 11:10 ID:iraXW4X60▼このコメントに返信
経済に目をつけたのはマジ凄いと思うけど、最後まで領土分配から抜け出せなかったからなぁ。
信長一人の問題じゃないだろうけど、
領土を全て織田家直轄にして、配下を石高制じゃなくて給金制(サラリーマン化)してたらって思う。
40.名無しさん:2016年01月30日 11:14 ID:UHBDvfZi0▼このコメントに返信
※24
尾張と美濃の二国所有の時点で天下布武を公式文書に使い周囲の大名に笑われてるから棚ボタで天下取ったわけじゃねえぞ
武田とかは天下取りなんて口だけで勢力拡大しか考えてないけどな(反対方向の関東に侵略の手を伸ばす時点で目先の利益しか望んでない)
凡人が信長の立場なら父親の代から狙ってる西方向の今川領を侵略するはずであれをガン無視する時点で天下しか狙ってない
41.名無しさん:2016年01月30日 11:16 ID:dx0pwxeY0▼このコメントに返信
※11
日本最初の天守閣を備えた城が松永弾正の信貴山城だったりするし、マジレスすると割とあの人革命的
42.名無しさん:2016年01月30日 11:18 ID:hBIiFg6Z0▼このコメントに返信
合理化が新しい発想だった
43.名無しさん:2016年01月30日 11:20 ID:1XF1S9pr0▼このコメントに返信
比叡山焼き討ちは山衆と寺衆の争いに便乗、暗殺すらされてる室町将軍追放って優しいくらい
ぜんぜん当時の常識から外れてないんだよなぁ、、、

大仏焼いちゃった人もいるのに比較して、当時でもかなり常識人だよねぇ、、、
44.名無しさん:2016年01月30日 11:25 ID:6LYHTDVWO▼このコメントに返信
リストラしまくろうとして追い出された(あの世いき)と評価されない不思議さよ
45.古古米:2016年01月30日 11:29 ID:UUFYdknw0▼このコメントに返信
※12
ゴメン!
六角定規って読んじゃった。
△定規なら持ってるけどね。
46.名無しさん:2016年01月30日 11:38 ID:dFoTEoZU0▼このコメントに返信
真面目過ぎて秀吉に殺されたけどな
47.名無しさん:2016年01月30日 11:41 ID:RLtM6ao7O▼このコメントに返信
天皇陛下を蔑ろにする織田豊臣徳川など滅んで当然
徳川は朝廷を管理しようとした愚か者
日本人なら恐れ多くて出来ない
48.名無しさん:2016年01月30日 11:41 ID:JnuagTCK0▼このコメントに返信
軍制改革で常備軍を揃えれたのが一番でかいよね。
戦闘は弱くとも常に大兵力でずーっと包囲(初期の頃はそうでもなかったケド)
49.名無しさん:2016年01月30日 11:43 ID:eKFoXwmN0▼このコメントに返信
織田家は神道系やしことあるごとに朝廷の権威を頼ってるし
そもそも残虐で苛烈なイメージは司馬史観を真に受けた人が言ってて、手紙なんかを見れば身内に激甘の常識人やぞ
50.名無しさん:2016年01月30日 11:45 ID:DwGH5ytoO▼このコメントに返信
天皇は今や日本に存在感のあるようでない・ないようで体のいい天皇動物園のいい見せ物だからなwww
51.名無しさん:2016年01月30日 11:49 ID:2cQPP0ZJ0▼このコメントに返信
※44
誤解してる人多いけど、信長時代のリストラって今で言う期限付きの謹慎処分
後で信長から呼び戻されるんだから
52.名無しさん:2016年01月30日 11:52 ID:W69YlA7B0▼このコメントに返信
なお現代はって話かと思った
53.名無しさん:2016年01月30日 11:53 ID:2cQPP0ZJ0▼このコメントに返信
49同意
研究家の個人的思惑排除して素の信長を言うと「元神官家」これにつきる
このため朝廷への尊敬ハンパなく、呼ばれたら本気になって上洛果たす、
基本古いの大好き、同じく古いの大好き日本人から絶大な支持を得る
54.名無しさん:2016年01月30日 11:54 ID:YaB88jT3O▼このコメントに返信
恐れ多いって(笑)
右翼気取るなら漢字くらい勉強しような?
55.名無しさん:2016年01月30日 11:59 ID:UHBDvfZi0▼このコメントに返信
※48
あれも家老を含め単にほとんどの家臣が反信長陣営だったからだぞ
信長がヒヨコの時代に部下が集まらず直属の配下だけで何回戦わなきゃならんかったか
あれで負けてりゃ家臣の支持を得られなかった無能と記述されてた
56.名無しさん:2016年01月30日 12:05 ID:58Yn5Fzp0▼このコメントに返信
信長は4人くらい交代でやってたんだろ
57.名無しさん:2016年01月30日 12:05 ID:XZDTzirs0▼このコメントに返信
※48
常備軍云々と合わせてよく誤解されてるが
織田軍が特別戦争や兵士が弱かったりなんて話はちゃんとした史料には無いんやで?
58.名無しさん:2016年01月30日 12:07 ID:9iLF.nVU0▼このコメントに返信
あの時代、領主や寺社がそれぞれ領土を通過するときの通行税をとっていたから、
陸上の流通がコスト高で、経済が活性化しなかったわけ。
信長はどうすれば経済が活性化するかを理解していたと思う。
59.名無しさん:2016年01月30日 12:35 ID:hDCj.phQ0▼このコメントに返信
信長の偉いことは政策や戦い方や治め方もそうだけど一番は明確に天下を盗ろうという意思とビジョンがあったことだと思う。毛利や上洛前の武田、北条その他諸々の大名は自分の土地や良くて地方統一で満足していた。勘違いしやすいことは、戦国時代は全国の大名が天下統一のために競いあっていた天下盗りレースの時代と理解していることだ。
60.名無しさん:2016年01月30日 12:38 ID:lGlOWYAj0▼このコメントに返信
信長のじーさんは、当日の尾張随一の貿易港だった津島をおさえた。
これで織田家の経済が好転し、力を蓄えることができた。

後に信長は、商業自治都市、堺をおさえてる。
金があらゆる力になることを子供の頃から熟知していたんたと思う。
61.名無しさん:2016年01月30日 12:52 ID:9iLF.nVU0▼このコメントに返信
上杉謙信が強かったのも、日本海の海運を利用して特産品の青苧を京に輸出し、潤っていたというよね。
歴史は経済面を絡めて教えることが重要だと思う。
62.名無しさん:2016年01月30日 13:00 ID:bAjSfAY50▼このコメントに返信
古いものを残して新しいものを取り入れる
今できてる企業がどれだけあるのかね
63.名無しさん:2016年01月30日 13:16 ID:oWhIOx.D0▼このコメントに返信
違うんじゃね。
理に適う事をやっただけだろ。
64.名無しさん:2016年01月30日 13:19 ID:RLtM6ao7O▼このコメントに返信
日本有数の米所新潟に佐渡の金山
経済基盤盤石なのに天下を取れなかった
美味しい魚沼産の米をバンバン輸出すればその美味さの虜になっただらうに
65.名無しさん:2016年01月30日 13:28 ID:rTPcvWBs0▼このコメントに返信
実際は武家時代の日本の権力者としてはごく常識的な人物でしょ
朝廷潰そうとしてたうんぬんも信長を勝手に現代革命家と重ねて悦に入ってる連中の妄想でしかないし
シンプルな勇将っぷりや金の力といった常識的な強さをひたすら突き詰めたって感じだと思う
ただ創作でのキャラ付けは未だに9割が陳腐な「革命児()信長」なんだよなあ
結果的に勢力拡大が革命的な影響与えたってのは否定しないけど史料に残る本人はそういうキャラには見えん
66.名無しさん:2016年01月30日 13:34 ID:pe6Tk8bA0▼このコメントに返信
※54
お前国民総右翼の中国人に喧嘩売ってんの?
67.名無しさん:2016年01月30日 13:38 ID:eLfwQ01h0▼このコメントに返信
信長が天皇になろうとした説は今では珍説扱いでむしろ朝廷や天皇を保護してたらしいね
68.名無しさん:2016年01月30日 13:43 ID:eLfwQ01h0▼このコメントに返信
信長は若い頃前線出たがかりで家臣と共に戦ってたって本当かな?
なら本人もかなり武芸に秀でていたんだろうな
69.名無しさん:2016年01月30日 13:44 ID:RLtM6ao7O▼このコメントに返信
天皇陛下に逆らった逆賊織田
陛下の味方明智
朝廷に対して武力で我が物顔で官位とか氏とかやりたい放題してた豊臣
朝廷に対してある程度敬意を払っていたが
70.みすずかる:2016年01月30日 13:52 ID:2z64qx920▼このコメントに返信
※49
同意します。
気に入った人間なら激甘だった、鬼武蔵とか。
泣かぬなら〜で信長は残虐ってイメージあるけど、秀吉と家康の方が結構残虐に感じる。
71.名無しさん:2016年01月30日 13:55 ID:ftcPwVPU0▼このコメントに返信
※67
朝廷や伊勢神宮復興の最大の功労者が信長だしね
式年遷宮は百何十年途切れていたのを信長が莫大な資金援助で再開させた
内心なんて誰にも分らんけど形に残った結果で見れば信長反皇説より勤皇説のほうがずっと説得力がある
むしろ革命家信長像が流行ってた時期にこんな基本的なことが忘れられてたのがおかしすぎ
※68
若いころだけじゃなくておっさんになってからも刀根坂や天王寺砦の戦いで
二、三千の先頭に立って一万以上の相手に突撃して壊滅させたりだいぶはっちゃけてるよ
72.名無しさん:2016年01月30日 14:17 ID:EcJAqYno0▼このコメントに返信
※48
常備軍は武田信虎(信玄の父)などが先に導入してるよ。
経済力がある戦国大名は率先して常備軍を整備したが、土豪や国人レベルでは常備軍を維持するのが困難なので、
相変わらず必要に応じて農民を動員することで対応してた。
信長の馬廻衆は国人や地侍など在地勢力の二男や三男を集めたもので、
自分らの土地を守るという意思があるので結びつきも強かった。
73.名無しさん:2016年01月30日 14:20 ID:R2mdbnWZ0▼このコメントに返信
>>71 政教分離を徹底してるだけなんだよね
朝廷だって、天皇が政治に口を出したら、
比叡山や足利幕府よろしく葬っていただろう

そして、派手で衝撃的な事件として、みずから広報する
叡山焼き討ちや、長篠の信玄塚みたいに
74.名無しさん:2016年01月30日 14:23 ID:EcJAqYno0▼このコメントに返信
※66
中国人が総右翼だったら漢王朝復活間違いなしなんだけど、
何で相変わらず左翼の共産党が一党独裁してるんだ?
75.名無しさん:2016年01月30日 14:27 ID:xnkB1stGO▼このコメントに返信
天皇を利用して新しく皇帝を模索してた説推すわw
唯一の失策は居城を大坂にしなかったことだな…
76.名無しさん:2016年01月30日 14:28 ID:kbj.KWb50▼このコメントに返信
ふーん
77.名無しさん:2016年01月30日 14:31 ID:UjUwc51I0▼このコメントに返信
「新しいから強い」というのは、頭の悪いやつがよく言う「ガラガラポンでみんな解決w」みたいで語弊があるな

信長の政策で一貫しているのは
・兵農分離や寺社の武装解除に見られる「本来の職業に専心することによる、効率的で活気のある社会」
・楽市楽座や関所廃止による「自由な商業・交通圏の拡大」
に尽きると思う

比叡山焼き討ちだって武装解除が目的なんであって、仏教が嫌いだからではない
寺社同士の武力闘争は認めないが、本来の活動でもある宗教論争ならば信長立ち合いのもとでやらせたりしている
このへんが統制が行き過ぎて檀家制度で宗教本来の活気まで失わせてしまった家康との大きな違い
78.名無しさん:2016年01月30日 14:31 ID:rMyeuEDR0▼このコメントに返信
学校では京都に程よく近かったからって習ったな。

※39
勲章代わりに茶器あげてたじゃん。
79.名無しさん:2016年01月30日 14:32 ID:rTPcvWBs0▼このコメントに返信
※73
信長は近衛家に一国を与える約束したりしてたから朝廷メンバーに全く政治力を持たせる気が無かったかは疑問
比叡山や足利義昭は挑発を続けた結果のアレだから
傀儡状態には慣れてる朝廷はあそこまで露骨な自爆はしないんじゃないかな
あと、三英傑って軍教分離は進めたけど政教分離っていえるほどのことはやってないと思う
80.名無しさん:2016年01月30日 14:39 ID:2cQPP0ZJ0▼このコメントに返信
信「政教分離は大事だけど、朝廷だけは例外です(キリッ」

織田家は元神社の宮司さんなんだから、朝廷潰すのは織田家潰しと同じ
信長が織田家嫌いだったようには見えん
81.名無しさん:2016年01月30日 14:51 ID:YwTK5PGg0▼このコメントに返信
※79

此の時代録って給料だよ、大体一石(米150K)は今なら四万円位
茶道に目を付けたのは大きいと思う、倍々に膨らむ恩賞を二回もチョイス出来たからね
その為に茶道に権威を付けた
領主自ら茶道の師匠に頭を下げる事でね
だから茶道を作ったのは信長に成る、利休はソレを委託されただけだ
82.名無しさん:2016年01月30日 15:43 ID:c5CJQZ2Y0▼このコメントに返信
まあ比叡山焼いたから焼かれたんだろ
高野山の武将の墓地をみれば一目で大体察しがつくよ
流石にアウトというわけ
83.名無しさん:2016年01月30日 15:46 ID:YaB88jT3O▼このコメントに返信
ノブが意外に常識人で勤皇なら明智が裏切った理由は何?
84.名無しさん:2016年01月30日 15:49 ID:CXu79Jl10▼このコメントに返信
何故新しいと言われるのか?アイフォンなんかと一緒ですよ。概念自体はそれ以前からあった。その判然としないやり方の中で良いと思われるものを体系化したり、効果的に使って周知することが出来たから、「最初」って認識になるのですよ。世界は何も知らない。価値を確立したものが偉いのです。
85.名無しさん:2016年01月30日 15:50 ID:mHgV.3nQ0▼このコメントに返信
つか比叡山焼き討ちがそもそもミスリードやしな
当時の比叡山は山賊まがいの僧兵が女人禁制なのに女連れ込んで居座っとったんや
そいつら近隣の村とかで略奪するわなんやで酷い荒れようやった
信ちゃんの部下が治安維持出動して「仏法も守らんおまえら坊主ちゃうやんけ!出てこいや!」ってやったら
僧兵どもが「比叡山は伝統あるんやぞ攻めれるもんなら攻めてみや!神仏のバチ当たるけどな!ガハハ!」って挑発してきて
信ちゃんの部下がキレて比叡山に攻めそうになったんや
それ知った信ちゃんは「おい待てお寺は攻めからあかん。落ち着け」って連絡したけど間に合わんかった
まあ結局、比叡山のごんたくれ破戒僧は武力で倒したわけだが・・・
実はお寺で燃えたんは敷地内の倉庫と櫓の一部だけ、しかも火つけたの僧侶で信ちゃん部下は消火がんばった側や
信ちゃんは別の宗派の軍隊と対立しとったから、この件を「神仏を恐れぬ鬼」て利用されたわけやな
実際の信ちゃんは各地のまともなお寺はちゃんと守っとるよ
86.名無しさん:2016年01月30日 15:52 ID:YjAqiE3T0▼このコメントに返信
畿内を中心とした中央集権的な武家体制が出来れば朝廷は無用の長物と化すから
必然的に要不要の原理で信長は天皇を始末しただろうな
社会にとって必要か不要か
それを突き詰めれば
織田家による絶対王政がベストだろう
人材登用においては身分の縛りを江戸期よりは緩くしてイギリスなみにフレキシブルに、
そして都市商人の意見を反映した市議会を認め資本の効率化を図り
やがては憲法制定で立憲君主制に移行
フェートン号事件(1808)の時点でイギリス秘匿技術に急接近、産業革命2番乗りでおみゃー!
87.名無しさん:2016年01月30日 15:53 ID:rTPcvWBs0▼このコメントに返信
※83
普通に疲れや焦りや野心っしょ
光秀が勤皇保守派なんてのは後世の創作だし黒幕説はどれも胡散臭すぎだしでそう結論付けるしか無くなる
88.名無しさん:2016年01月30日 15:57 ID:mHgV.3nQ0▼このコメントに返信
※83
明智のオジキが足利幕府ラブで勤皇バンザイの常識人ゆうんは「荒くれ信ちゃん」のキャラ立たせるための創作イメージやで
フロイスの書簡あたりに書かれてる人物像はかなりダーティや
89.名無しさん:2016年01月30日 16:11 ID:aMQf6vbG0▼このコメントに返信
焼き討ちいうけど当時の仏教徒は坊主の皮被ったヤクザやぞ
90.名無しさん:2016年01月30日 16:11 ID:JEVLr06H0▼このコメントに返信
※80
ん?神官一族なんかじゃないだろw
熱田神宮の本当の宮司は尾張氏だぞ。
こいつが熱田で贔屓してた一族は藤原氏や。
91.名無しさん:2016年01月30日 16:12 ID:8zMeGVbe0▼このコメントに返信
あの時代でガッチガチの武家以外も手柄上げたら褒美出してる時点で飛びぬけてると思うわ
九鬼とかもあそこまで落ちた状態だと普通は滝川とかの手柄になってるだろうし
92.名無しさん:2016年01月30日 16:33 ID:R2mdbnWZ0▼このコメントに返信
>>90 越前三国の織田神社がノブ祖先の実家なのよ
織田神社はいまも続いている
諌死したじいやのために寺を建てたり、彼自身は宗教大好き
93.名無しさん:2016年01月30日 16:36 ID:ikHXXZTF0▼このコメントに返信
※89
僧兵はヤクザというよりISじゃないか?
宗教の権威を利用してやりたい放題やってる武装集団というのが近いと思う。
94.名無しさん:2016年01月30日 16:40 ID:R2mdbnWZ0▼このコメントに返信
正親町天皇が、後醍醐天皇や明治天皇なみに
世俗に介入してきたら、
さてどうなっていたかね
足利尊氏という前例があったわけで

南北朝、応仁の乱東軍西軍、関東足利公方や東北足利公方、
一向宗、キリスト教、
朝廷も、当時よくある権威機関のひとつにすぎない
(現代のモンドセレクションみたいなハク付け機関)
95.名無しさん:2016年01月30日 16:44 ID:rTPcvWBs0▼このコメントに返信
※90
織田氏はもともと越前織田荘の劔神社の神官兼荘官だから神官系武将の系譜やで
まあ信長の時代よりずーっと前の話なんだけど、信長も越前制圧後に
劔神社は俺の氏神だからって理由で土地の寄進を行ったり意識はしてた
96.名無しさん:2016年01月30日 16:45 ID:ikHXXZTF0▼このコメントに返信
※28
長篠の戦いは鉄砲戦術ばかりに目が行きがちだけど、鉄砲を使う以前に馬防柵や落とし穴を準備していて、当日も五百人程度の小部隊を囮に出して武田騎馬隊を落とし穴地帯に誘導し、馬防策や落とし穴に落ちたところをズドンじゃなかったっけな?
要は、新しもの好きというより、「ケンカするなら勝つための準備(戦略)を整えてからやれ」という思想じゃないかな? 
兵には槍や鉄砲で戦うばかりでなく、自軍が戦いやすい環境を作る工兵の存在を理解して、それを最大限に活用した。しかも、その事実を隠して鉄砲隊の力で勝ったと周囲にミスリードさせる狡猾さも併せ持っている。
結果ばかり見ると天才的だけど、勝つための事前の努力というものを理解している点で、信長は常識人だったのではないだろうか。
97.名無しさん:2016年01月30日 16:52 ID:JEVLr06H0▼このコメントに返信
※92
どこの氏族か書いてみいよ。その神社、代々の名が載っていない。
尾張氏と、後から出来た神職者を一緒にしないほうがいいよ。
そしてこのアホは、大神神社の神木伐採しまくっとる。
他にもまだまだある。
奈良と大阪と尾張の神職を敵に回すってのは、神職者を名乗る事は出来ない。
98.名無しさん:2016年01月30日 17:01 ID:UjUwc51I0▼このコメントに返信
※93
勢力範囲が寺社周辺ならアルカイダで、国まで作った一向宗がISかなw

もっともISのような現体制の破壊というよりも、守るために武力を行使していたという面はある
豆腐・味噌などの専売権を持ってたから、楽座で自由販売の運動を広げる信長は許せなかっただろうな
99.名無しさん:2016年01月30日 17:06 ID:lGlOWYAj0▼このコメントに返信
※93
せやな。 浄土真宗によるテロ国家状態だった。
寺社を本来あるべき信仰の組織に戻してくれたのは信長だったと言って良い。
100.名無しさん:2016年01月30日 17:10 ID:eLfwQ01h0▼このコメントに返信
※97
信長も信長の頃の織田家も神職じゃないが、織田家の祖先が織田剣神社の神官つーのは有名な話だろ
剣神社は織田家の氏神だし
剣神社のHPを見てみな
「織田家はこの神社を氏神としていた。織田家はこの神社に使える神官として由緒ある家柄だった」ってHPに記載されている
101.名無しさん:2016年01月30日 17:22 ID:R2mdbnWZ0▼このコメントに返信
>>97 名古屋に流れてきた時点で、すでに世俗人だよ織田家は
九州阿蘇氏や宗像氏みたいな、神社神官が統治してる家じゃあない
何とカンチガイしている?

ノブ個人の育ちとして、在来宗教に親しみを持つチャンネルがあったって話
ノブは、大友宗麟みたいに原理主義的な殲滅浄化は、していない
世俗介入してきた宗教存在だけ、潰してる
102.名無しさん:2016年01月30日 17:23 ID:ftcPwVPU0▼このコメントに返信
まあ当時の寺社は正式に権力機構の一部だったからISごときと同列視するのはあまりに乱暴な気もするけどな
本願寺も自分たちが反体制派扱いされるのを何より恐れていた
証如と祖父の蓮淳が指導者だった時代に細川晴元の要請で日蓮宗との戦いに参加したら
信者が暴走して戦いに全く関係ないうえ開祖親鸞にもゆかりある興福寺まで攻撃して蓮淳真っ青、
晴元から反体制派と認識されて総攻撃を食らい山科本願寺陥落、なんて出来事もあった
103.名無しさん:2016年01月30日 17:31 ID:JEVLr06H0▼このコメントに返信
※100
神社って殆ど後に出来るから。
氏族が分からないなんて論外。
ましてや本物の神官系ばかり敵に回してるようじゃ、誰?と言われても仕方ないでしょ。
ちなみにクソ猿も大分の神宮を虐めてる。
全部全部古い系統ばかりが狙われてるんだよ織田と秀吉に。
古いって、おたくらの言う歴史の古さじゃないから。もっと古いから。
104.名無しさん:2016年01月30日 17:41 ID:78TIfUDqO▼このコメントに返信
鉄砲でヤバかったのは和歌山にいた人達でしょ。
誰かに仕えるわけでもなくお金と状況次第で3000丁も鉄砲持ってうろうろされたら始末に負えない。
最終的に秀吉が潰したけど、熟練者ばかりのスナイパー集団潰すのは大変だったろうね。
105.名無しさん:2016年01月30日 17:43 ID:eCZcVUhg0▼このコメントに返信
イッチや皆にはJ.Aシュンペーターのイノベーション理論を読む事をお勧めするで。
簡単に言えば、システム、製品に代表される新しい要素というのは実は既存の概念や事物の結合であるという内容や。
だから冒頭で言ってた新しいものを取り入れた、温故知新的という説明は両方正しい。
106.名無しさん:2016年01月30日 17:44 ID:ftcPwVPU0▼このコメントに返信
古代からの古い貴族・神社の家を圧迫したり潰したってんなら
古代氏族をほぼ全部吸収して上書きしてしまった藤原のほうが遥かに罪がデカいだろ
熱田の尾張氏が信長の時代の時点で影も形も無くなってたのも藤原系の千秋家に吸収されたからだろうし
この点については藤原氏に比べりゃ三英傑なんてただの小物だ
107.名無しさん:2016年01月30日 17:48 ID:JEVLr06H0▼このコメントに返信
※102
本願寺を潰したのは単に富と領土欲しさだ。
宣教師が書いてるが、当時の石山本願寺は日本一の財力だったらしい。
富裕層は堺。
信長は「大阪は日本一の境地」と言って、本拠地として欲しがってた。
108.名無しさん:2016年01月30日 18:10 ID:YSSRm2810▼このコメントに返信
一番最初に使った人間だけが新しいこと始めたって感じで語ってる時点でどうなんだろコレは
109.名無しさん:2016年01月30日 18:14 ID:gN56leel0▼このコメントに返信
信長本人のというより部下の有能性を見抜いてその進言を受けいれる度量があったって部分が大きいんじゃないの?保守的な部分は古くからの重臣の勝家や長秀とかの意見で革新的なのは秀吉とか、長篠の鉄砲運用は滝川一益の発案だったらしいし
110.名無しさん:2016年01月30日 18:37 ID:JEVLr06H0▼このコメントに返信
※106
吸収してないでしょ。
よく勘違いしてるのが源平藤橘姓だが、国に関わる仕事をする際はみんな姓がいった。
源平橘は元々皇族が賜ってた姓だから、みんな藤原姓(賜姓)を勝手に名乗った。後に源平も皆名乗るんだけど。
これらのせいで本姓藤原氏が多い。ルーツに藤原氏と書いててもそれは五摂家藤原氏と関係ない場合が殆ど。
もっと古い蘇我氏や物部氏は元々持っていた姓?だから賜姓ではない。
111.名無しさん:2016年01月30日 18:46 ID:JEVLr06H0▼このコメントに返信
※101
どうでもいいけど、ノブって気色悪い。
112.名無しさん:2016年01月30日 18:55 ID:JEVLr06H0▼このコメントに返信
※101
世俗介入してきた宗教存在だけ、潰してる

歴史をもっとしっとこうね。
世俗とかじゃないから。
仏教は初めから政治介入だし、神職氏族は古代から国や土地と一体だから。
どこの馬の骨か分からん奴が国動かせると思うなよ。
そんな甘くなかったから一代で滅んだんだよ。
世俗介入は信長って事さ。
113.名無しさん:2016年01月30日 18:58 ID:sDLzRONy0▼このコメントに返信
※64

当時、佐渡に金山は無かったし、米所でも無かったんだぞ
それは江戸時代に入ってからそうなっただけ
米が寒い地域で良く育つようになったのは後年の品種改良の結果 戦国時代は暖かい方が豊かだった
114.名無しさん:2016年01月30日 19:00 ID:eLfwQ01h0▼このコメントに返信
※103
お前が論外と喚こうが神社自身が元々神官だったって言ってるのにそれを否定してどうするんだ?お前は何様なんだ?
神社がそう認めてるのに意味不明な理屈で否定して恥ずかしくないのか?
論外なのは織田家が神官の出で超有名な話さえ知らずに※80に絡んだお前の方だろう
認めたらどうだ?
知りませんでしたって
115.名無しさん:2016年01月30日 19:03 ID:eLfwQ01h0▼このコメントに返信
※112
歴史を知る必要があるのは織田家の先祖が神社の神官だったことを知らなかったお前の方だ
指摘されたからって喚き散らしてみっともないわ
116.名無しさん:2016年01月30日 19:14 ID:gxHPv.1p0▼このコメントに返信
※1
その二つは必ずしも矛盾するものではない
117.名無しさん:2016年01月30日 19:17 ID:JEVLr06H0▼このコメントに返信
※114
80なんて話が滅茶苦茶なんだがw
あと氏族教えて欲しいとずっと聞いてるんだが。
だれが神官してたのか、それで大体分かるんでは。
106の人が書いてる意味分かる?いつ頃か分かる?
こういう過程を知らないと、神官なんて言われても分からないんだよ。
日本人として、信長の行為はとても神官系氏族なんて思えない。
118.名無しさん:2016年01月30日 19:22 ID:ftcPwVPU0▼このコメントに返信
※114、115
彼の歴史観だと古墳作ってた頃からの神官家でもないと本当の神職()じゃないらしいっすよ
信長の死もそれらの家の協力が無かったかららしい
119.名無しさん:2016年01月30日 19:32 ID:rTPcvWBs0▼このコメントに返信
そもそも当時の人的には反朝廷だったのはむしろ信長じゃなくて足利義昭だったんだよな
信長革命家史観だと朝廷と義昭が保守勢力として勝手に一括りにされてたりするが
関係がこじれてきた頃に信長が「皇室や公家への態度が悪い」って義昭を批判してるけど
実際に義昭は朝廷の儀式に金を出さなかったり公家と喧嘩したりトラブルを結構起こしてる
120.名無しさん:2016年01月30日 19:48 ID:JEVLr06H0▼このコメントに返信
※118
お前本当に日本人?どこの人?
古墳作ってた云々言ってるって事は、先祖後から来たの?
121.名無しさん:2016年01月30日 20:30 ID:l4qDLmFE0▼このコメントに返信
※107
別に本願寺は潰してないぞ。
だから今でも本願寺はある。
122.名無しさん:2016年01月30日 20:31 ID:2cQPP0ZJ0▼このコメントに返信
信長元神官家説を整理する

数年前福井県で発見された遺跡から、忌部氏(天皇に近侍した古代豪族)=織田家の可能性がより深まったとのこと
なんなら福井県教育委員会に聞いてみるといいでしょう

で、※97の言う神木伐採、これ織田家は元神官家だから伐採の権利が元々あったって話見たことある
なので奈良大阪尾張の神職を敵に回してない、特に奈良(大和国)なんて信長の大ファン
それに織田氏は尾張に流れてきたわけでなく主君斯波氏の尾張赴任に同伴したかたち
123.名無しさん:2016年01月30日 20:35 ID:l4qDLmFE0▼このコメントに返信
※96
長篠の戦いは、かなり謀略もつかってるよな。

主力は隠して、野戦築城による強力な陣地に、数の少ない武田軍を誘い込んで、
別働隊を組織して長篠城を開囲させて敵の退路を断つ。

124.名無しさん:2016年01月30日 20:39 ID:eLfwQ01h0▼このコメントに返信
※117
意味不明なのはお前の方
今の織田に流れてきている元神官は常昌という人物
この人物が越前の守護斯波氏に抜擢され家臣となり、その後の織田家の礎になったとされている
これは剣神社にも書かれてることだがお前剣神社の記載は間違ってるといいたいのか?
125.122:2016年01月30日 20:48 ID:2cQPP0ZJ0▼このコメントに返信
大事なこと書き忘れた
124も書いてるからもういいけど 福井で発見された遺跡は 忌部氏=織田劍神社神官=織田氏 
126.名無しさん:2016年01月30日 21:04 ID:JEVLr06H0▼このコメントに返信
※121
富剥奪して難波から撤退させた、が正しいかな。
あの土地はそもそも難波宮があった場所。
127.名無しさん:2016年01月30日 21:09 ID:p.02Hbz60▼このコメントに返信
※29
第六天魔王って、修行中のお釈迦様に難癖つけるってだけの、かなり小粒な悪神みたいよ。名前が中二病っぽいのでそうは思えないが。
アンチキリスト教の目的でで作られたヤギの頭を持つ邪神像の「バフォメット」みたいな感じで、アンチ仏教シンボルというスタンス以外の意味はないんやろ。

128.名無しさん:2016年01月30日 21:17 ID:JEVLr06H0▼このコメントに返信
※122
別の人かな、ありがとうね。
忌部氏は自分も見たけどね、違う様に思うんよ。
あと他も理由あるって書いたけど、ちょっと書きたくない。
もう滅茶苦茶酷い事をしてるんだよ。
だから信長はダメだったと思う。
それ以前に奈良も大阪もちょっと危機感持ってて、共同で審議してるみたいだね。
当時はみんな古代の事を知ってるんよ。
だから、それでおかしな連中も出てくるんだ。
そこの神社の名前見た時から、神社に対しては大和らと同じ系統にみえるんだよ。
忌部氏なのもすごく納得するんだ。神社はね。
だけど信長は違うと思う。若しくは名乗ってる片側筋かだね。
ありえないんだよ。やってる事が。
129.名無しさん:2016年01月30日 21:38 ID:rTPcvWBs0▼このコメントに返信
信長はダメだったと思う、違うと思うって要するに個人的に信長が気に入らないからこうだったはずだっていう願望じゃん
理由は書きたくないとかソース出さず逃げてる限りはそうとしか受け取れねーよ
応仁の乱~織田信友討伐の100年くらいの間に主家の斯波家に合わせて織田も内乱やってたから
本家筋が没落したりで系図に混乱が生じてるっぽいのは事実だけど
信長が織田一族(劔神社神官)の子孫だってのは今のところ否定しようがないだろ
当時の人が「信長は織田家と全然関係無いのに、乗っ取ったんだ!」ってはっきり書いてる史料が出てきてやっと可能性が出てくる
130.名無しさん:2016年01月30日 22:35 ID:HVkBc7ZN0▼このコメントに返信
※77
それで頭が悪くないつもりならもっと勉強した方が良いぞ

兵農分離は政策ではなく江戸期に進行した社会現象でしかない。
そもそも信長は兵農分離につながるような政策は一切やってない。

寺社の武装解除なんてのも一切やってない。単に敵対した勢力を攻撃しただけだ。

楽市楽座は地域限定で城下町を整えるためのローカル政策でしかない。

つまりお前さんの主張で合ってるのは「関所の廃止」だけだな
131.名無しさん:2016年01月30日 23:37 ID:UjUwc51I0▼このコメントに返信
※130
兵農分離が社会現象というのは奇怪な話だな
教科書の上では自然に移行したように見えるかも知れないが、農民と兵士をそれぞれ専業化し
農閑期だけ戦争していた当時の一般的な状態から、一年中戦争できる体制にするには
はっきり目的意識を持った政策意思があり、無防備になった農地の安全も保障しなければならない

大内氏や上杉氏も室町幕府の要請に応じて京都に駐屯したことがあるが、
信長と違ってすぐに国元に帰ってしまったのは、兵農分離をしてなくて長期間の逗留ができなかったから
兵農分離の体制をもって初めて京都に長期間の駐留が可能になり、天下をうかがうことも可能になった
桶狭間のときの今川氏も大内・上杉式の上京であり、天下を取る意思はなかったと言われている

寺社が信長と対立したのも信長が楽市楽座で、寺社が持っていた豆腐や味噌醤油などの専売権を侵したから
当時は寺社に無許可の密売店が見つかると僧兵が出向いて徹底的な打ち壊しが行われた
そのための寺社の武装でもあった
信長はそんな旧弊を打破して自由な経済圏を作ろうとし(それは信長が始めたというより斎藤道三の遺志を継ぐことでもあった)、
それが民衆に支持されたから金ヶ崎以降の四方の旧勢力を敵にした包囲戦も戦い抜けたのだと思う

正直なんで突っかかってこられたか分からんが「ガラガラポン」の煽りに耐え切れなかったガラガラポン支持者なんかねw
132.名無しさん:2016年01月31日 00:02 ID:UscOD5fv0▼このコメントに返信
※127
第六天魔王ってのは、座主(比叡山のトップで教皇みたいなもん)を自称してた
武田信玄に対抗して手紙の返事のなかで自称したものだから
単なる信玄disで当人が仏教に対してどう思ってたかはどうだろう。

それどころかこのエピソード自体フロイスからの伝聞らしいが
133.名無しさん:2016年01月31日 00:39 ID:5yKKmt790▼このコメントに返信
農繁期に戦争出来ないって認識が割と大ウソというか結構古い説だからなあ
常備兵的な侍身分はもちろん下級兵士も最初から村や町の中で軍役提出用の戦闘員とされてるか
傭兵稼業で食ってる流れ者のチンピラが多かったってのが最近の見方でしょ
生産活動に支障が出るほどの動員を集落にかける事なんてそれこそ集落が直接戦場になるときか
大大名の勢力が滅亡直前とかでヤケクソ総動員するときくらいだろうし
134.名無しさん:2016年01月31日 01:51 ID:XbWt.QFm0▼このコメントに返信
専属料理人がフランス料理も中華も和食もできたもんな
135.名無しさん:2016年01月31日 02:06 ID:txT1ZqDa0▼このコメントに返信
信長が同時代の戦国大名と比較して凄かったのは、縁も縁も無い人物を登用して重臣にしたこと。
秀吉とか滝川は他の大名なら武将として働かせて貰えなかった。
それと、戦は上手くなかったとも言われるけど、自らが率いた軍の移動の速さは驚異的だった。
それが一番分かり易い例は桶狭間。
戦略眼とアイデアは凄かった。(人のを参考にしたのも多かったけど)

それと、宗教の話では安土宗論を忘れてはいけないと思う。
巨大な沼の主がいると聞いて沼の水を皆で掻き出し、かなり水が減ったところで自分で小刀を咥えて潜って居ないのを確かめる逸話や、宣教師に時計を貰ったら分解してしまい返して地球儀を貰った時は説明を受けて「理に適ってる」と言って地球儀を気に入った逸話とかが信長の性格を表していると思う。

信長の生まれた立場が場所が京都に近い尾張だったのが恵まれているとよく言われているけど、信長の立場は尾張一の実力者の跡継ぎではあったものの、後継で家中が割れて弟の方についた家臣の方が多かったし、元々分家で本家の守護代の織田家は健在だったし、守護の斯波氏もいた。
並の武将なら尾張統一も覚束ないし、尾張内統一を迅速にやれなかったら今川家か斉藤家に飲み込まれている。
136.名無しさん:2016年01月31日 03:37 ID:ibps.WeW0▼このコメントに返信
※131
戦争しなくてよくなった江戸期には(主に財政負担の問題から)専業兵から民兵化して「兵農分離」に逆行してるよね、、、
まぁ軍事革命で兵農分離したという西欧でもフランスなんて(戦費負担軽減のために)7割民兵化してんだよなぁ、、
日本だけでなく世界的に見ても、兵農分離って完全になったり部分的にもどったりしてる例が多い、、、

小早川家の例でみると、商業地の権益を君主が一手に握るために配下を城下町に集めて兵農分離みたいな状況はおこってる
信長も室町幕府の直轄地(という大都市)をTOP管理にしたから必然武士(兵)と支配民との関係は分かれてく部分はある
これを兵農分離と見るかどうかは個人的見解によって変わるんだろうねぇ、、、

※133
主に補給(現地調達)という理由で大規模戦争が収穫期の初夏(麦)と秋(米)に行われる傾向はあったよ(例えば川中島の例とか)
なので必然農繁期での戦は珍しいことになるわけで、、、

なんだろ、今の中国の農民工みたいなもんなんだよな、当時の兵士って、、、
指揮官以外は専業職というよりは派遣ばっかりなんだよな、、、
それで兵農分離とかよくわかんなくなってる部分は大きいと思う、、、
137.名無しさん:2016年01月31日 08:59 ID:.ovoTbpy0▼このコメントに返信
※128
全て自分の願望で「違うように思う」ってアホかなこの人
138.名無しさん:2016年01月31日 09:35 ID:IGatqa5H0▼このコメントに返信
茶器を政治利用したのは三次長慶が最初だよ!
主に朝廷や将軍側近への買収工作、重臣への褒賞に使われた!
それを家臣全体への褒美にしたのがノブ!
139.名無しさん:2016年01月31日 11:52 ID:5DG6vRNp0▼このコメントに返信
縁もゆかりもない他人を信長が自分の武将にしたのは、信長が織田家の中でも反主流派だったから
隙あらば弟を擁立しようとする、潜在的敵対者の家臣ばっかりで、身内は全く信用できない
だから、流れ者を使うしかなかったという事情がある
流れ者は流れ者で、信長の信任を失えば、織田家に確固たる地盤を持つでもなし、
再びあてもなく流浪する破目になるからここを先途と本気で働かざるを得ない
利害が一致し、それが噛みあって相乗効果が生まれたから成功したわけで、
実力主義はあくまで結果的なものである

まあ、あれだわな
身内にめっちゃくちゃ甘いとか、人に裏切られてばっかりだとか、
大将自ら先陣切って走り出しちゃうってのは、そういう事情からってのもあるわな
少なからず性格的なものもあるんだろうが
140.名無しさん:2016年01月31日 12:22 ID:MUMXfGOn0▼このコメントに返信
※90
信長のひい爺さんは織田の直系から全然つながらず突然歴史に現れてるからだろう
織田一族は越前織田の神官だが信長の一族は別の場所から来て織田一族を名乗るようになった
信長がそういう家系の事情をどのくらいわかってたかはわからん
室町幕府の副将軍である斯波家第二位の名門の家柄より出自の怪しい家の人間だと名乗るメリットはないがね
141.名無しさん:2016年01月31日 13:12 ID:5yKKmt790▼このコメントに返信
※140
織田一族そのものが系図混乱しててなんとか残ってるいくつかの史料でも
15世紀の数世代の親兄弟の繋がりは本家・準本家の伊勢守大和守ですら一定してない
でもそれしか残ってないからそれを元に考察するしか無いわけだが、その中では
信長の曾祖父とされる良信は普通に大和守家の分家・奉行扱いされてるんだから
この状況で良信と弾正忠家だけを出自が怪しい扱いするのは不公平でしょ
142.名無しさん:2016年01月31日 15:01 ID:Ejl.PNU.0▼このコメントに返信
ノッブ「使えそうな物は何でも使っただけだぞ」
143.名無しさん:2016年01月31日 16:51 ID:UqaK1urr0▼このコメントに返信
飛騨山中の
仮面つけた忍も使ってたしな
144.名無しさん:2016年01月31日 19:13 ID:6XSTYAkT0▼このコメントに返信
※138
三好長慶は「連歌」ばっかりで「茶の湯」はさっぱりなんだけどね。

名物を持ってたのも茶会に参加してたのも宗三や実休が大半で冬康も
少しは記録に残ってるけど、長慶はまったくなし。

「三好粉引」が長慶所持の茶器ってのはどうも後世の付帯のようだ。
145.名無しさん:2016年01月31日 19:31 ID:6XSTYAkT0▼このコメントに返信
※131
専業兵士で織田氏だけが年中戦争とかトンデモ本の読みすぎだw

そもそも、大内がすぐ帰ったとか笑い話にもならんぞ。

大内義興は永正4年11月に出陣して永正5年6月に上洛。永正15年10月にようやく山口へ戻ってるんだぞ。
頻繁に岐阜を戻ってた信長より桁違いに長い在京期間だ。

逆に謙信の上洛は最初から短期間だし兵も少ない。信長の上洛とはまったく異なる状況だ。

他のものは事実誤認のオンパレードで論ずるにも値しないレベル。
突っかかるとか馬鹿な事を書いてないで少しは大人になって現実を見なさいな。
146.名無しさん:2016年01月31日 23:59 ID:OK7syfrq0▼このコメントに返信
信長の強さは真面目さ
真面目に税の徴収やってたら評価されましたとさ
(納めたくない人、団体からは猛烈な反発あったけど)
日本人が今真面目に税を納める習慣ついてるのは信長の功績
147.名無しさん:2016年02月01日 00:27 ID:mDb.igB80▼このコメントに返信
※131
楽市楽座にしても、領内のごく一部(岐阜や安土)、以前からその政策をとっている自治都市にのみ認めてる(というより安堵してる)だけで、その他領内の主な座は、そのまま既得権益を認められてる。
いわば地域振興策程度であって、領内の多数の座は、そのまま残ってる。
そもそも楽市楽座の創始は六角定頼だし。
関所の撤廃についても、他の既得権益に触れるところでは行ってない。むしろ、親織田派の寺社勢力については、その権益や特権は安堵してるよ。
信長自身、法華宗(日蓮宗)の信徒だし、一向宗にしたって、本願寺派と敵対してた高田派専修寺なんぞは最初っから最後まで織田の味方だし。
そもそも信長自体、革新的と言われてるほど革新派でもない。
経済政策にしても、統治システムにしても、中央集権どころか、部下に丸投げで、まかせっきりな部分が多かったようだし。

ttp://wwwhou1.meijo-u.ac.jp/housei2/semi/soturon/2001soturon/individual/pdf/%8E%85%8C%B41.pdf

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