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2016年01月23日 09:05

何故秀吉は家康を天下人に育ててしまったのか

何故秀吉は家康を天下人に育ててしまったのか

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02

引用元:何故秀吉は家康を天下人に育ててしまったのか

http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1453468635/
1: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:17:15 ID:tjQ
255万石の領土
豊臣秀頼の後見人の座
これがなかったら家康が天下取るのはもう少し難しくなったやろ

2: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:19:52 ID:tjQ
やっぱ清州同盟とかの実績で信頼してたんかな

3: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:21:02 ID:teR
左遷されたのに這い上がってきた徳川さんマジぱねーっす

5: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:24:53 ID:tjQ
>>3
左遷にしても領土増やしすぎやないか?
結局徳川は秀頼の後見人として中央の政局を支配するわけやし

8: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:28:14 ID:teR
>>5
そらなんの使い道のない沼地だったからな関東ら
むしろ整備させられるし力削ぎ落とせるしで一石二鳥と考えたんやろ

9: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:30:05 ID:dDa
そう言えば家康が追い出された後の三河駿河甲斐尾張信濃ってどうなったんだっけ
つー尾張と信濃ってヤッスの領地だったっけ

10: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:31:56 ID:tjQ
>>8
いくら使い道のない沼地と言っても移封前が130万石くらいなのにあげすぎやろ、結果として全部徳川の体力になっとるし
>>9
尾張は織田、南信濃だけ徳川

11: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:38:22 ID:teR
>>10
歴史そんなに詳しくないけど当時も有名だし功績も立ててるからそれなりの褒美を与えないかんかったんやないか
でもこれ以上与えるとまずいから量はあるけど質が最悪な当時沼地の関東を与えたんやろ

12: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:39:00 ID:PMz
東海地方が京都に近すぎるからちょっとでも京都から離したかった&基盤である三河から移動させたかった

って理由で石高大きくなってもいいから移封したんよなぁ

個人的には新田源氏(自称)の家康をその基盤である関東に移すのは不勉強すぎやろと思うけどな
流人である源頼朝が平家倒せたのも父の基盤である関東に流されたからなんやし

15: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:43:47 ID:tjQ
>>11
>>12
あげるのはいいとして30万石くらいでいいと思うんだよなあ
豊臣の蔵入地より多いとかどういうことや
それにいくら関東が田舎と言っても何年も開拓する期間があれば生産量がマシになることも予想できそうやけど

19: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:47:29 ID:PMz
>>15
家康配下は三河武士に滅亡させた武田家臣団も加えて当時最強クラスやで
領地に不満持ったら確実に反乱起こすし、まだ万全じゃなかった豊臣政権下でそんな無謀できんよ

20: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:49:05 ID:tjQ
>>19
書き方が悪かったな
加増分は30万石くらいでええやろと言いたかったんや

24: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:51:26 ID:PMz
>>20
家康からしたら
「現所領安堵か、大幅な加増の上での移封か」
しか納得せえへんやろ
その上で秀吉は>>12の理由で関東移封を選んだんやろ

26: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:52:58 ID:tjQ
>>24
30万石加増はいい加増だと思うけどなあ
むしろ100万石以上加増の方がよっぽどおかしいと思う

29: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:53:54 ID:PMz
>>26
だから、秀吉にとっちゃ100万石加増してでも三河から移動させたい、遠くに行かせたい、やったんやっての

30: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:56:35 ID:tjQ
>>29
100万石も加増したら遠くに行かせても力がつきすぎて意味ないやん

32: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:58:24 ID:PMz
>>30
三河者の家康への忠誠心ははんぱないし、京都への進軍も東海道があるから楽
その上で名駒の産地である南信濃を抑えられるのは脅威やで

関東に移動させたら東海道には家康抑えのための大名を配置すりゃええし

単純な石高にこだわりすぎやで

33: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:00:28 ID:tjQ
>>32
単純な石高と言っても130万石から250万石で五万くらい兵力が増えるんやぞ
どう考えてもあげすぎや

37: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:04:23 ID:PMz
>>33
信長は戦力整ってから上京までほとんど障害なく行けてるやろ?
逆に今川や武田は天下取れる力がありながら上京の途上で潰えてる
都から遠いか近いかってのは非常に重要な問題なんや
それに今まで話に出てる通り、当時の関東は沼地で石高どおりの収益得るまでの整備に時間かかるし
政権整えるまでの時間稼ぎにはうってつけや

36: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:03:07 ID:rtL
上杉→会津
毛利据え置きも微妙やな
小早川宇喜多合わせたら毛利の石高えげつないのに

39: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:09:47 ID:tjQ
>>36
宇喜多は毛利と関係ないような、小早川は毛利から取り上げられたし
上杉も豊かな越後から糞立地に移封やし
徳川だけ贔屓しすぎだと思うな
>>37
遠くに飛ばしたいってのはわかるし、田舎に飛ばしたいってのもわかるんやが、領土あげすぎだとおもうんや
豊臣の蔵入地より大きい領土与えて主従関係がおかしくなるだけやろ

41: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:11:09 ID:PMz
>>39
だから、それくらいの加増じゃないと家康が三河からの移動を納得しないっての

42: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:14:20 ID:tjQ
>>41
100万石じゃなきゃ納得しないとかそんな業突く張りなことあるんかなあ
納得しなかったら潰せばいいだけのようにも思えるし

43: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:15:53 ID:jK7
>>42
確実にでかい戦争になって国ボロボロですやん

44: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:16:48 ID:s7g
家康を関東に送るまでは完璧やったとは思うで

まさか関東の田舎で全盛期超えるとは秀吉も思ってなかったやろうけど

45: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:17:58 ID:tjQ
>>43
全国統一した後やし大丈夫やろ
>>44
250万石も与えたら否応無しに全盛期迎える

50: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:21:16 ID:lnC
リスクを負ってでも家康を都から遠ざけたかったんやろな
都から遠いのは天下から遠いことやから
んで家康の軍勢が大きくなっても、都への通り道に親豊富の大名をたくさん配置すれば十分対応できる
それが秀吉の計算だったんちゃうか

>>43
秀吉は豊富政権が盤石じゃない時期に大きな戦は起こしたくないやろね
今の支配者は秀吉だとみんな思ってるけど大きな戦があれば自分にもワンチャンあるかもと多くの武将が思いそう

46: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:18:01 ID:PMz
>>42
>>19
ちゃんとレス読んでくれ
勝てるかどうかも微妙やし、例え勝てても他の大名が漁夫の利するだけや
徳川移封は秀吉政権まだ安定しとらんし、いくらでも反旗翻すやつおるぞ

48: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:20:08 ID:tjQ
>>46
30万石に減封だったら豊臣の理不尽な仕置きに反旗を翻すのもいるだろうけど、100万石加増じゃなきゃ嫌だなんて奴についていくのはおらんでしょ

51: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:21:18 ID:PMz
>>48
家康についてくるわけちゃうで
家康と秀吉が死闘するのをのんびり眺めて、瀕死の勝者を襲うだけや
ちゃんと『漁夫の利』って書いたで

55: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:24:36 ID:tjQ
>>50
家康潰せれば豊臣政権の安定には繋がると思うけどなあ
>>51
漁夫の利狙える大名なんておらんやろ
各地の有力大名は豊臣に削られた後やし

62: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:30:04 ID:lnC
>>55
本当は秀吉も徳川家を潰すのが最善だと考えてたやろなあ
でも今すぐ潰すのはリスクが大きいから次善の策にしといたのかも
ベストは無理ならベターでという考えで

58: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:26:54 ID:PMz
>>55
その見立ては甘すぎるで
徳川ですら『天下泰平』って言い切ったのは島原の乱の後、三代家光の時や
秀忠時代に取り潰しまくったのに、や

伊達島津上杉毛利黒田あたりは確実に狙ってくるで

61: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:29:23 ID:tjQ
>>58
黒田は暴れられるような石高持っとらんし、島津は敗戦したばかり、徳川と対立してた上杉は乗り気だろうし、毛利は豊臣とかなり近い関係にある
伊達はわからんな

64: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:32:43 ID:PMz
>>61
まずそもそも徳川に勝てる確証が無いのにやると思うか?
どう考えても天下を磐石にしてからやろ

66: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:35:29 ID:lnC
>>64
やるんだったら天下を磐石にして誰も逆らえない状態にしてから言いがかりをつけて取り潰しやな
あれ、どこかで聞いたような・・・

65: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:34:36 ID:tjQ
上杉の加増見るに30万石、多くて50万石くらいでええと思うんやがなあ
>>64
奥羽ぐらいしか不安要素ないし大丈夫やろ
史実で家康がどの段階で関東転封を受け入れたかはわからんが

69: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:39:20 ID:PMz
>>65
>>奥羽ぐらいしか不安要素ないし
そんなわけないやろ
天下取れる機会あれば誰でも天下狙うで
強敵と戦って疲弊しまくってる相手なんて鴨葱もええとこやし
それとまずもって「勝てるかどうか分からん相手」なんやで
信長の戦略引き継いで、充分に勝てる準備してから戦う戦略取ってた秀吉がそんな博打打つわけ無いやん

67: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:35:37 ID:Pph
そもそも250万石って最初から取れたんか?

73: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:42:58 ID:tjQ
>>67
北条の小田原征伐での動員能力を考えればそこそこ採れてたはず
>>69
朝鮮征伐で漁夫の利狙って豊臣政権に反乱を起こして大名はおらんやろ

74: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:44:14 ID:PMz
>>73
朝鮮出兵で漁夫の利てどうやんねん
秀吉本隊は無傷やぞ

78: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:48:07 ID:tjQ
>>74
面倒な敵と戦ったら、漁夫の利狙って大名が反乱を起こすというなら朝鮮征伐の時に起きてなきゃおかしいやろ
それに豊臣本隊が徳川勢と交戦することもないだろうし

80: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:51:35 ID:PMz
>>78
何度も言うけど、三河は地理的に京都に近すぎるんや
大名召集なんかかけたら家康やったら確実に気付いて先手打ってくるで
三河で出兵されて京に着くまでに間に合う大名がどれだけいる?
前田家ですら間に合わんで
秀吉本隊が戦うことになるやろし、家康になんとか勝った頃に召集した大名にぶっ殺されるで

81: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:54:32 ID:tjQ
>>80
三河から京まで誰もいないわけじゃないし守りきれるやろ、少なくとも秀吉本隊が戦うことはない
そもそも北方の上杉の侵入を考えたら守りを固めることしか徳川にはできんはず

83: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:59:37 ID:PMz
>>81
だれが守る?秀吉と互角以上かも知れない、当時最強の部隊やで?
誰が守れる?日数稼ぎすらできんで
上杉が三河到達するまでどれくらいかかる?それこそ三河までだれもおらんわけちゃうで?

82: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:57:38 ID:Pph
イッチのあの時代の家に対する認識が現代的過ぎないか?

84: 名無しさん@おーぷん 2016/01/23(土)00:04:05 ID:lyb
>>82
秀吉死後ならともかく、秀吉健在のうちに反乱を起こすやつなんかおらんやろ
>>83
上杉が信濃から侵入する以上、徳川勢はかなりの兵力を甲信に拘束されるはず、後は残りの数少ない徳川軍野戦を挑まずに守り続けて大群の到着を待てばいい
時期によっては伊豆の方からも攻撃できるやろ

88: 名無しさん@おーぷん 2016/01/23(土)00:13:09 ID:eZn
>>84
分かってないなぁ
家康だけか?背後に気をつけなアカンのは
上杉からしたら信濃下るよりも、秀吉の招集に従ったフリして北陸伝って近江に出るやろ
秀吉家康が戦ってるうちに京都占領も良し、生き残った方を叩くも良し
そもそも大名召集すれば、毛利も黒田も上京してくるねんで
そいつらが結託しない保障あるか?
家康と戦ってる秀吉の背後つけば確実に滅ぼせるねんで?
ついこの間まで『戦国』で下克上上等だった奴らがそう簡単に血族でもない奴に臣従すると思うんか?

87: 名無しさん@おーぷん 2016/01/23(土)00:12:25 ID:eyr
イッチはあの時代の大名家を甘く考えすぎやないか?
あの時代親族以外は基本的みたいなもんやで

90: 名無しさん@おーぷん 2016/01/23(土)00:19:19 ID:lyb
>>87
力関係考えれば豊臣に反乱を起こすはずがない
もしそれでポンポン反乱が起きるんやったら、小田原征伐の時に起きるはず
>>88
架空戦記だってそんな無茶苦茶起きんぞ
戦国時代だって力関係がちゃんとしてれば一斉に反乱が起きることはない
徳川に都合よく物を考えすぎやろ

92: 名無しさん@おーぷん 2016/01/23(土)00:22:43 ID:eZn
>>90
だから、その力関係が対徳川やと揺らぐんやんか
部隊の精強さと地理的な近さでな
だからこそ秀吉は100万石加増してでも関東に飛ばしたんやんか

100万石の加増をどうしても非難したいみたいやが、秀吉をアホと思ってへんか?曲がりなりにも天下統一した人やぞ?

91: 名無しさん@おーぷん 2016/01/23(土)00:21:16 ID:oCR
>>90
力関係がひっくり返ってしまうのがあの時代やん

13: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:42:31 ID:PMz
ちなみに確かに当時の関東は沼地やけど、これは逆に全国的に旱魃の場合、関東は豊作になるんやで
だから旱魃の年なら天下を狙いやすい土地でもある

14: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:43:36 ID:lnC
東海道の栄えてる地域を没収されて沼地ばかりで使いみちのないド田舎に左遷されたんやぞ
「脱糞野郎はオワコンwwwwww」
というのが当時の風潮
家康が天下を取ったのは結果論と太閤も草葉の陰で思ってるやろ

17: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:46:03 ID:ZLv
関東移転後の徳川旧領が織田信雄が引き継ぐ予定だったのに
何故か信雄がいらんと断ったという謎

21: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:49:12 ID:xQ0
どっちにしろ、権力の継承ってのをあんまりシリアスに考えてなかったんやろ。
いつまでも自分が現役プレーヤーのつもりで。
関ケ原後に、さっそく自分抜きでも機能する支配体制の確立に
動いた家康とは対照的やね。まぁ秀吉を反面教師にしたんやろけど

23: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:50:37 ID:lnC
>>21
その辺家康は抜け目ないな。用意周到やわ

25: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:52:13 ID:JKI
狸爺呼ばわりされとるけどそれぐらいの狡猾さがなきゃあかんかったやろなあ

28: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:53:45 ID:2Zb
小牧長久手で対決したけど直接勝てなかった
朝鮮出兵で家康に軍隊出させなかった
秀次殺して赤子を後継者にしちゃう

ここらへんがアカンな

31: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)22:58:20 ID:rtL
前田を尾張三河あたりに置いとけばよかったのに
家康と同じ警戒対象やったんかな

34: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:00:50 ID:lnC
都から遠すぎると強くても天下は狙えんからなあ
島津は強かったけど天下取りの話は聞かんし

35: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:01:31 ID:tjQ
>>34
島津ってかなり貧しくなかったか?
火山灰やらのせいで

38: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:06:13 ID:Ra0
関ヶ原の戦い勝てたのもテキトーに手紙送りまくったんが何故か効いただけなんやろ?

63: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:31:28 ID:9PB
小牧・長久手で秀吉は戦術的には家康に惨敗してるし、宥めといて面倒が起きないようにしたかったんやろ(適当)

68: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:38:36 ID:lnC
>>67
とれない
250万石収穫するには多額の資金と大人数による工事が必要
しかもすごく時間がかかるからその前に家康が死ぬ可能性もあった

72: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:40:39 ID:PMz
>>68
後の世に田沼意次がやろうとして失敗してるし、あのへんの沼地は一筋縄じゃいかんしな

71: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:40:26 ID:rtL
明出兵の代わりに家康攻めてれば崩壊はなかったろうな
ついでに最上伊達潰してりゃ良かった

76: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:45:41 ID:16t
長生きがすべて。60代で死んでもおかしくない時代なのに

77: 名無しさん@おーぷん 2016/01/22(金)23:47:49 ID:PMz
>>76
秀忠家光が50前後で死んでることを考えたら奇跡やな
70過ぎても水泳馬術する健康老人やし

94: 名無しさん@おーぷん 2016/01/23(土)00:27:06 ID:MiA
天下統一したはしたけど巨大勢力残しすぎやな
ノッブのように対抗出来うる勢力は叩き潰しながら天下統一すべきやった
まあそのやり方じゃ時間かかりすぎるが

116: 名無しさん@おーぷん 2016/01/23(土)01:07:48 ID:eyr
朝鮮半島は褒美って考えた連中もおるやろうし
あの時代明の正確な兵力と朝鮮半島との関係把握出来てる連中がどれだけいたかわからんしなぁ
領土増えるなら朝鮮出兵するかって思った連中そこそこいたと思うで、結果はあれだったけど

119: 名無しさん@おーぷん 2016/01/23(土)01:11:30 ID:MiA
ああ見えて王というのは人気商売だからなあ
内心はどうあれ『臣下』の家康を理由もなく単純に減封したり左遷したりしたら
求心力を失ってせっかく臣従させた勢力が離れていく可能性がある

123: 名無しさん@おーぷん 2016/01/23(土)01:30:43 ID:eyr
まあ後年の秀吉は寿命に対する焦りもあったろうし、気前良く褒美与えて徳川家遠ざけて
豊臣政権盤石にして明に攻め込みたかったろうしなぁ
あの時点ではリスクより時間取ったんやろうな

124: 名無しさん@おーぷん 2016/01/23(土)01:34:36 ID:eZn
>>123
ちょくちょく思ってるんやけど、秀長死んでから秀吉おかしくなったんちゃうかな?
もしくは秀長がおかしい秀吉の矯正をしてたか
朝鮮出兵も秀次事件も、それまでの秀吉の方針に比べておかしい
更に言うと家康を秀頼後見にしたのも

125: 名無しさん@おーぷん 2016/01/23(土)01:37:40 ID:eyr
あの時代の死因考察とかたまにあるけど、
現代人と変わらず鬱病にもなるし痴呆も発症するやろうし、
そもそも天下人の頭の中なんて理解は出来ないかもしれん

126: 名無しさん@おーぷん 2016/01/23(土)01:42:51 ID:eZn
>>125
そやなぁ
家光なんかも精神疾患みたいな記述あるし
天下人は苦労心労も多い分、欝とかにかかりやすいやろうしねぇ

1001: 名無しさん@大艦巨砲主義! 2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio


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コメント

1.名無しさん:2016年01月23日 09:13 ID:UTOUbipq0▼このコメントに返信
考えさせられる
2.名無しさん:2016年01月23日 09:14 ID:.fHI9yW.0▼このコメントに返信
徳川家康を抑えきれない豊臣家に未来は無いと思い
次善の政権も用意したか?
3.名無しさん:2016年01月23日 09:15 ID:ywY6jUhsO▼このコメントに返信
京都から見たら、アルプスや箱根の向こう側だから十分に僻地やで。
富士川、安倍川もあるし、そう簡単に上洛出来ないわ
4.ゲハロエおやじ27号っス:2016年01月23日 09:21 ID:l3zTRRpJ0▼このコメントに返信
潰したかったのは山々だったが出来なかったから、移動させただけ。
あんまり無理をいうと無視されて恥をかくニダ。
ただでさえ、農民出身だとバカにされてるのにネ。
5.名無しさん:2016年01月23日 09:22 ID:GuE2mjgq0▼このコメントに返信
明らかに領土デカイし織田政権である程度決定事項だったんじゃねーのこれ
6.名無しさん:2016年01月23日 09:23 ID:GcCEKKRi0▼このコメントに返信
家康は、今考えられているより、本当に律義者で通ってたんやで。
信長、秀吉に、めっさ信頼されとった(少なくとも表面上は)。
あと、蒲生氏郷とか、死んだ後に大減封されているので、秀吉の腹のうちでは、家康死んだ後に、大減封するつもりだったかもしらん。ただ、家康は、健康重視で秀吉より長生きしちゃったけど。

あと、根本的に、豊臣政権は、五大老とか、大大名を温存していたので、よっぽどうまくやらんと室町時代みたいに大大名の反乱が続発すると思われる。家康がやらんでも誰かがやる。
7.名無しさん:2016年01月23日 09:24 ID:C89HnfWXO▼このコメントに返信
太田道灌に整備された江戸が何もない僻地だったわけがない。
8.名無しさん:2016年01月23日 09:26 ID:ZGG9QhI8O▼このコメントに返信
徳川をあんな肥沃で海運がやりやすい土地に追いやる馬鹿
案の定30年も経てば東京湾は世界有数の海運拠点になりました
100年の内に関東平野は米を自給自足どころか輸出するくらい日本最大の穀倉地帯として大発展したし
9.名無しさん:2016年01月23日 09:27 ID:2xZW1NYK0▼このコメントに返信
家康の領地よりも、加賀征伐のせいで前田家と分離させられたの大きいと思う。
何だかんだで100万石、家康の次の精力だったのだから、これを取り込めなかったのは痛かった。
10.名無しさん:2016年01月23日 09:30 ID:ZGG9QhI8O▼このコメントに返信
秀吉も織田も米のあんまり取れない近江尾張美濃伊勢なんかに投資せず関東八州を開発しとけば1000万石の直轄地が手には入ったのにな
11.名無しさん:2016年01月23日 09:30 ID:iRyU8AN50▼このコメントに返信
石高にこだわりすぎだし、当時は湿地帯でとてもじゃないけど土地と言っていいのか分からないレベルだぞ
今でもそうじゃないかただ広くても何も価値のない土地にたいした額はつかないだろ
その土地をまっとうな領地に変えて見せた家康が凄すぎるんだよ
12.古古米:2016年01月23日 09:34 ID:xLGYW11i0▼このコメントに返信
秀吉は朝鮮征伐で朝鮮半島を占領したら、家康を再移封するつもりだったんじゃないかな。
常に明と対決させて力を削ぐ。
でも朝鮮半島丸ごとだから名目石高は凄い事になるしね。
13.名無しさん:2016年01月23日 09:37 ID:ywY6jUhsO▼このコメントに返信
上洛しにくいって事は力を蓄えやすいって事でもあるな。
14.名無しさん:2016年01月23日 09:41 ID:8ptlajUs0▼このコメントに返信
上杉、前田が居て良い抑止された場所じゃないか
15.名無しさん:2016年01月23日 09:42 ID:Mm4QzitW0▼このコメントに返信
個人的には元※12がいいこと言ってると思う。
南北朝の時代、三河には敗北した新田氏の残党が多数流入したらしい。
家康はその棟梁たる新田氏の一族ということになっている。
そこが仮に嘘としても家臣団には関東に縁の深い者が多いだろうし、こんな連中を関東にいかせちゃいかんかった。
秀吉的には「関東で家康に反発する一揆多発、それを口実に改易」を狙っていたかもしれないが(佐々成政はその手で潰された)、
そんなことは起こるわけがなかった。
16.名無しさん:2016年01月23日 09:43 ID:64zLenVS0▼このコメントに返信
関東移封しても統治に困って簡単に石高上げられないと踏んでたんでしょ
ただ、秀吉自身もその後の朝鮮出兵で疲弊したし、家康は領地経営を理由に
朝鮮に出兵しなくて済んだのも大きいと思う。
ただ、秀吉配下の兵が朝鮮行ってる間に、家康が兵を動かせばもっと簡単に
天下とれた気がしないでもない
17.名無しさん:2016年01月23日 09:44 ID:jERBbHkC0▼このコメントに返信
ぶっちゃけ秀吉は、自分が死んだら家康が天下人になると悟ってたと思う
18.名無しさん:2016年01月23日 09:47 ID:64zLenVS0▼このコメントに返信
※17
秀吉とおねさんは分かってたみたいだけど、淀さんは分かってなかったのが問題
19.名無しさん:2016年01月23日 09:51 ID:EHxkyEiY0▼このコメントに返信
秀吉は長い間子なしだったし、
後継者のことをあまり真剣に
考えてなかったんじゃね。
自分の代が安泰ならあとは知らぬ的な
20.名無しさん:2016年01月23日 09:58 ID:EQ6ys6tG0▼このコメントに返信
広大な関東平野を手中にすると天下を狙いたくなるらしい
将門や頼朝もそうだった
21.名無しさん:2016年01月23日 10:00 ID:aRFkvouh0▼このコメントに返信
家康がくる前の関東も何も無いってほどでは無いでしょ
鎌倉公方や後北条時代に多少は開発進んでる
※10
あんまり取れないって…その四国は関東北陸が開発進んでからでもそれに次ぐレベルの十分な米所だぞ ほかの産業も盛んだし
というか織田時代は関東にやっと攻め始めた頃だし時系列おかしいっしょ
22.名無しさん:2016年01月23日 10:01 ID:v3Zks7nl0▼このコメントに返信

関東何にもなかったとか、日本の義務教育受けてないのが、歪な知識で連呼してるな。
江戸東京と、関東の違いが解らないとかありえん、鎌倉室町すら知らないだろこれ。
日本の歴史を、分断工作に都合いい様、修正したいのか?
江戸が未開発湿地帯だらけだろうと、関東の石高人口はずば抜けてるんだよ。関東平野は他の数倍(北海道を除く)広いんだぞ。

23.名無しさん:2016年01月23日 10:02 ID:rX3ZcKTE0▼このコメントに返信
当時秀吉と唯一真っ向勝負出来た実力者の家康を譜代の部下みたいに軽々しく扱えるわけないわな。
24.名無しさん:2016年01月23日 10:03 ID:CEN0SJ0D0▼このコメントに返信
秀吉も脂の乗った時期だけに、自分の采配に妙な自信があったんじゃないのかね
二百五十万国の大名が敵に回ったら血みどろだが、部下ならこれほど使い手のある部下はない
所領を遠くに置いて、家康本人のみを都に貼りつければ、部下と主君の間に亀裂をねじ込む余地もあるしね

結局そんな都合よくはいかなかったのは史実の通りとして
25.名無しさん:2016年01月23日 10:04 ID:MnrN36z20▼このコメントに返信
ID:tjQ

こいつ否定してばっかだな
26.名無しさん:2016年01月23日 10:06 ID:rK0ylzLy0▼このコメントに返信
そもそも信長が秀吉が前田が先に死んでくれたから家ちゃんも勝手に動けるようになっただけで
だれよりも長生き、そして誰よりも律義者でとおってたのが踵返して天下奪えた最大の理由だぞ
天下泰平において人材面でみれば普通に必要とも思えた家康を事前に潰せばってのは結果論でしかないわけ
27.名無しさん:2016年01月23日 10:07 ID:uF.k5Zok0▼このコメントに返信
そもそも豊臣が天下を取れたのは徳川のおかげ。
徳川が北条、伊達などの関東勢を束ねればそれこそ100年戦争は避けられない。

一時的に渡していた天下を返してもらっただけ。秀吉の妹、アサヒ姫の夫なのだから秀吉の義理の弟でもある。身分問題なし。
他にまとめる人間がいなければ止もうえない。
28.名無しさん:2016年01月23日 10:07 ID:6jBPEiDF0▼このコメントに返信
秀吉は何か色々焦ってやっちまって、あぁもうこれダメだわって悟って
家康を後見人にして諦めたんじゃないかと思うわ
29.名無しさん:2016年01月23日 10:07 ID:u9I51M3Q0▼このコメントに返信
>>1は当時の関東の立地状態をほとんど理解しておなんようやな。
整地開拓開墾でどんだけ金を使うたと思とるんや。
石高に合うた利益を出すまで当時は相当な時間がかかるって
言われてたんやで?
30.名無しさん:2016年01月23日 10:08 ID:YlnZVFrX0▼このコメントに返信
どっかで見た話だと、徳川は北条家の先進的な官僚制度を吸収出来たのが
後の安定した幕府政権に繋がったとか読んだわ。

31.名無しさん:2016年01月23日 10:08 ID:CczBF9h.0▼このコメントに返信
※17
死ぬ頃はそうかもだけど、小田原征伐直後だとなー。
32.名無しさん:2016年01月23日 10:09 ID:ZGG9QhI8O▼このコメントに返信
関東は何もなかったとか歴史修正主義者は困る
日本最大の河川利根川により肥沃な大地が広がっていたし
東京湾は内海で波が穏やかで漁業海運が世界トップレベルに活発だった
生活排水を浄化する広大な干潟があり
鯨も取れたから裕福な土地だよ
33.名無しさん:2016年01月23日 10:11 ID:rK0ylzLy0▼このコメントに返信
家康は、今考えられているより、本当に律義者で通ってたんやで。
信長、秀吉に、めっさ信頼されとった(少なくとも表面上は)。

ぶっちゃけまさにこれで当時の家康は狸だなんて思われてなかった
家ちゃんが異常に長生きじゃなけりゃ狸になることもなかったんよ
34.名無しさん:2016年01月23日 10:12 ID:JL96IfG20▼このコメントに返信
秀吉に家康を滅ぼせるだけの実力が無かった。
秀吉は実子が出来たとたん、なんくせをつけて後継者だった甥を処刑する程非情な男だった。
家康が邪魔ならさっさと殺していただろう。そう出来なかったと見るべき。
秀吉が家康を滅ぼそうとすれば、関ヶ原の合戦を秀吉が生きていた内にやることになる。
当然豊臣方が勝っただろうが、疲弊して第三者に天下を奪われた可能性がある。
35.名無しさん:2016年01月23日 10:13 ID:ZGG9QhI8O▼このコメントに返信
何もなかったは嘘乙
用水が利水がって言うなら明治に入ってヨハネス・デレーケが三川分流するまで濃尾平野は揖斐川長良川木曽川が網目状に広がりそこら中で噴水で人の住める場所なんて後背湿地に少しある自然堤防にしかなかったような超湿地地帯なんだよな
36.名無しさん:2016年01月23日 10:21 ID:OCO1A7it0▼このコメントに返信
『他者を強大にする者は自らを滅ぼす』~ニコロ・マキャベリ【君主論】~
37.名無しさん:2016年01月23日 10:22 ID:CEN0SJ0D0▼このコメントに返信
そもそも戦国大名って住民の逃散を防ぐために福利厚生にえらく力を注いでいたわけで、
敵が攻めてきたときの住民避難用の砦の整備・苗や農具、牛馬の貸付制度、税金の減免、新田の開発、
文芸の奨励、寺社の修復と祭礼の復興、記録魔の後北条は業績がいちいち書面で残っている
両上杉の抗争で荒廃したとしても、後北条時代には関東は確実に復興している
38.名無しさん:2016年01月23日 10:25 ID:IUrdowY00▼このコメントに返信
小田原征伐で北条側について改易された関東の豪族たちが家康に召抱えられて
後の旗本衆として戦力化されたのも想定外だったのかな
39.名無しさん:2016年01月23日 10:27 ID:PCx9eClb0▼このコメントに返信
家康への加増は豊臣家の永続には下手な手だったけど、当時の最短の天下取りとしては最善だと思うな。
小牧長久手の戦い後の政治状況がそこまで秀吉が磐石だったわけじゃない。徳川との全面戦争は、乱世へ回帰する可能性は十分あった。
それからこれが1番大きいと思うけど、1584年当時秀吉は47歳で子ナシなんだよね。天下人になっても、その地位を相続させたい人間なんていない。ましてや、先祖代々の家や家臣もないし。正直自分一代で天下が終わっても別に構わないと思ってたんじゃないかな。

それを考慮すると、信長の他家を徹底的に滅ぼす政策から外様にも大きな支配地を担保する代わりに服従を求めるやり方は、1ば早い天下取り方法だった。
40.名無しさん:2016年01月23日 10:29 ID:TefJ7sHD0▼このコメントに返信
単純に潰せなかったんでしょ
力関係だとむしろ負けてたんじゃないかな

征夷大将軍の座に就けなかったのも、
家康と朝廷の間で何か約定があったとみるべき
41.名無しさん:2016年01月23日 10:29 ID:rK0ylzLy0▼このコメントに返信
そもそも誰を粛清すればとか関係ない
ろくな跡取りも基盤もたいしてない豊臣だと家臣の権力争いが起こるのも支配が形骸化するのも確定事項だったろう
天下は英雄二人をもってしても成らなかったというだけのこと
むしろマシなとこに収まってよかったやろ
42.名無しさん:2016年01月23日 10:29 ID:64zLenVS0▼このコメントに返信
※35
薩摩の宝暦治水も忘れないで
43.名無しさん:2016年01月23日 10:29 ID:CVBX7MG70▼このコメントに返信
石高をそれなりに残してしまったこと。
朝鮮出兵後の国際関係への対処
大名への処遇の不満
いろいろ複雑に絡み合った要因があるのだろうが、


信長時代からの空気というのを考えたりする。(単純に考えたい)

武田家滅亡後、信長の天下統一は現実味を増し、抵抗の意志も薄れる雰囲気があった。(北条も織田に臣従)
戦もそろそろ終焉の雰囲気。

織田家中で信長の言動の変化。(権限は親族に集中、家臣は前線へ、そして左遷→群県制:中央派遣地方長官的存在)
多分、家中に不穏な空気がなにかしらあった。

☆明智の謀反
秀吉は事前に察していたか、あるいはけしかけ仕向けたか。
手回しのよすぎる毛利との和睦、大返し。
毛利の事後の処遇の良さ→共犯(了解し協力)である可能性。
その後の天下統一事業の早さ。(ほどほどでの手打ち)→領土の保全や手柄ある家臣への領土分配。
つまり、滅ぼすより取りあえず天下の静謐という空気。

家康も領土安堵→遠ざけるため未開の地関東へ(発展性を知っていたのか、開発不能と見切っての左遷かは不明)
いずれ取りつぶす意向はあったのかもしれない。
家康は五大老ながら、外様的な感情もあり、針のむしろを耐えていた状況。(人生は長き坂を重荷を背負って行くがごとし)
ただ、天下を狙う意志と動機はあっても、実現するとは思っていなかったに違いない。

↓続く
44.名無しさん:2016年01月23日 10:30 ID:4E2uJb.90▼このコメントに返信
秀吉が関東の地を使えないと判断したんだろ、蒲生氏郷を関東領主にしてれば江戸時代なかったな
45.名無しさん:2016年01月23日 10:30 ID:CVBX7MG70▼このコメントに返信

秀吉への度々の落首:信長暗殺の黒い噂もあった?
秀吉も封建制度を変えようとしていたのかもしれない。(領土を減らす、私的領土としないなど)

朝鮮出兵(徳川不参加)
私には本当の動機は不明
領土拡張か、大名の力を削ごうとしたのか。
戦争中の秀吉の死(こういうことは歴史的には結構ある)
結果
周辺諸国との関係悪化。戦後明との貿易も拒否される。

戦力を保持した徳川が天下を掌握
外交的には
明(後に清)とは貿易関係の復活(朝貢関係ではない)
朝鮮(朝鮮通信使):日本への朝貢的ご機嫌伺い
欧州 技術・原料も必要性低下(鉄砲生産世界一、火薬も硝薬を国内生産)
宗教的侵略を秀吉が阻止→プロテスタント オランダのみ(予定説→祝福される人はあらかじめ決まっている。布教する必要はない)

ばらばらな現象を積み上げると何かが見えるかもしれない。


46.名無しさん:2016年01月23日 10:30 ID:rK0ylzLy0▼このコメントに返信
ちな征夷大将軍の座につけなかったってのは俗説でまったく有力視されてない話らしいで
47.名無しさん:2016年01月23日 10:31 ID:PvTOaNm.0▼このコメントに返信
秀吉の戦略は全体的に自分が永遠に元気で働けることが前提になってる
人物の大小はあれどエネルギッシュな人はだいたいそう
48.名無しさん:2016年01月23日 10:33 ID:2RUMm5wx0▼このコメントに返信
ゲーム脳だから石高=強いと勘違いする。
強い軍隊というのは忠誠心の高い兵隊に支えられる。
忠誠心の高い兵隊は忠誠心の高い領国が基盤。

転封というのは、大名と領国を切り離す政策。
今まで北条様の領国として爺さん親父の代から徳川や上杉と戦ってきた領民にとって、
新たにやってきた徳川のために命をかけたりしない。

上杉や徳川は強い領民の忠誠心が、そのちからの根源。
だから転封されたんだよ。
49.名無しさん:2016年01月23日 10:33 ID:Vb414wiWO▼このコメントに返信
朝鮮出兵の指示を出さなかったのが痛いね。勝つ気満々だから手柄を与えたくないという意識だろうが、結果として体力温存で相対的に強くなった
50.名無しさん:2016年01月23日 10:38 ID:2RUMm5wx0▼このコメントに返信
関東が石高が高いというのもゲーム脳。
当時の関東は湿地帯で、作物などとれなかった。

それは地名にも表れている。
上総、下総の地名を見ればわかる。

房総半島へ渡るには海路を使ったほうがマシなどほど、何もない湿地帯だったからこそ、
房総の先のほうが上総、根本のほうが下総。

徳川が多大な資金を投入し開拓したから、関東は肥沃な田園地帯になったのであって、
開拓に資金を使わせることも徳川弱体化政策の一つだった。
51.名無しさん:2016年01月23日 10:38 ID:CVBX7MG70▼このコメントに返信
※48
ゲーム脳でごめんな。
お馬鹿さん。
歴史的な知識も取りあえず行間から読むぐらいの力は持て。
忠誠心が高い方が強いというのは、強いから忠誠心が高くなるということも意味し、
よって、石高が大きく兵数が大きい方が強いというのは基本的には間違っていないよ。

相手するのは面倒だから、論破。
ストーキングはやめてくれ。
52.名無しさん:2016年01月23日 10:39 ID:2idNIe2e0▼このコメントに返信
自分の代で終わっても良い、は無いよ
五大老五奉行制作って何卒何卒秀頼を頼む!って何回も何回も誓書書かせてる
半島出兵させなかって色々温存されたのと、前田さん亡くなったのがトドメだったね
反徳川の主軸だったのに息子はさっさと徳川に着いちゃったし
53.名無しさん:2016年01月23日 10:44 ID:v3Zks7nl0▼このコメントに返信
秀吉は、自分の夢と信長の遺志を追い求め続けたんじゃないかな。
それが大明国まで手に入れるって事で、もしもの守りに弟家康に関東育てさせて、元寇守ったように防衛固めさせる。

実子秀頼ができて、可愛さのあまり醜態さらしたけど、そこには目をつむると、どこまでも出世の夢を追い続けた戦国一代男。

その夢破れた址を継いだ弟家康は、矛をおさめる方向に急速に舵を切った。
そして北九州は、農民に至るまで鉄砲で武装させ報復に備えた。明がつぶれたから平気だったけど。

秀吉の正室ねねやその子飼い武将は、そういう方向で動いてるように見えるんだよね。
秀頼傀儡にして自分たちの政権築きたい奉行、って形になったから、書状出すだけで関ケ原東軍の味方が増えるわけだし。
54.名無しさん:2016年01月23日 10:44 ID:WdtUjYIW0▼このコメントに返信
小牧・長久手がなければ1の様に大した加増は無かったろうな
秀吉が実質は上でも家康は秀吉以前からの信長の同盟者で一応織田家の家臣としてとかの名目を取っている以上は家康が目上
それに直前の戦いで奇策で挽回はしたものの直接対決では押されてた関係上は大盤振る舞いでもしなきゃ移封なんてさせられない
あの時点では開発されて無かったから大した事なかったが、石高にしろ商業にしろ土地としてすごく良い立地だからこそ家康に飲ませられた
実際これで秀吉が生きている間は家康には挽回の余地を与えなかった訳で、これは最適かどうかはともかく正解の内の一つであるのは確か

秀吉はやっぱり武家の出じゃなかった為に家の重要性、どう継がせていけば良いのかってノウハウに乏しかったのが豊臣が徳川に負けた理由
もちろん秀吉も羽柴性をポンポン上げたりとか子飼いを育てようとしたりだとか頑張っては居たんだけどね
何よりも秀次を排除したのが痛かった。秀次が生きていたらまず家康が天下を取るのは無かったと思う
その後どれだけ政権が続くかは怪しいし天下簒奪の最有力は徳川家であるだろうけど、あと何代かは豊臣政権も続いたんじゃないかな
55.名無しさん:2016年01月23日 10:44 ID:QfTcHJjd0▼このコメントに返信
駿河国・遠江国・三河国・甲斐国・信濃国の5ヶ国(150万石)⇒武蔵国・伊豆国・相模国・上野国・上総国・下総国・下野国の一部・常陸国の一部の関八州(250万石)。
ただし、旧主の北条氏は四公六民という当時としては低い税率を採用しており、北条氏の残党などに不穏な動きもあったことから、これをむやみに上げるわけにもいかず、石高ほどには実収入を見込めない状況だった。

56.名無しさん:2016年01月23日 10:46 ID:23XcpQFS0▼このコメントに返信
佐々成政や木村親子みたいに統治の難しい国に配置して一揆起きたら取り潰しのつもりだったのかもな。それにしても太っ腹だけど
中央から遠ざけるなら肥後と旧大友領で200万石ぐらい行くからその辺配置して朝鮮征伐でこき使ってやれば疲弊したのに。
関が原で西軍大名家が朝鮮で疲弊しまくり東軍無傷じゃんアホや。福島とかも行ってなかっただろ朝鮮。
まぁそのせいか兵士の強さは圧倒的に西軍強かったけど。1/3しか戦ってない西軍に押し捲られ徳川家は関東入って三河武士と離され10数年実戦経験ない弱小関東兵。小田原征伐の時30歳だった足軽はもう引退してるだろうな。
石田隊に東軍集中攻撃しかけるも小早川裏切りまでとうとう崩すことが出来ず福島隊は宇喜田隊相手に壊滅寸前。
小早川隊に備えて前方に集中できなかった大谷隊も小早川裏切りまでとうとう崩すことが出来ず。
勝敗が決まり敗走する島津に福島隊は突破され追撃に移った井伊直政は重症負わされ本多忠勝も馬殺され追撃中止になる弱さ。
57.名無しさん:2016年01月23日 10:46 ID:01C4SoFg0▼このコメントに返信
秀吉は信頼できるNo2が居なかったからといって、よりによって徳川選ぶあたりが秀吉の限界だったのかな。
関東への移封は失敗だろうな、三河のままのほうが国人の影響で逆に好き勝手できなかったはず。
58.名無しさん:2016年01月23日 10:46 ID:8iduskWG0▼このコメントに返信
・とりあえず京都から隔離出来る
・余所者領主の家康に旧北条勢力が反乱起こしてくれたらそれを口実に取り潰せる
・特に落ち度もない家康を三河から転封するには加増必須
・この当時家康は律儀者として信用されていた
ここらへんを考慮した結果大幅加増して関東に移したんじゃないかね?
59.名無しさん:2016年01月23日 10:51 ID:wM7BGPxQ0▼このコメントに返信
※49
というか、関東移封で領地が安定してないから出兵出来ん、ってのが口実だったろ。
逆に口実与えちゃったから強制出兵させられんと言うことでもあっただろうしな。
60.名無しさん:2016年01月23日 10:55 ID:PCx9eClb0▼このコメントに返信
※52
秀吉が豊臣家の存続を熱望するようになったのは秀頼が1593年に生まれた後の話だと思うけどな。
秀吉の天下統一構想がしっかり出来てきたのは158年に小牧長久手で家康に負けた直後だと思う。
その当時は豊臣家を存続させるためというよりは、いかに自分の代で天下統一するかに注力してたのではないかということ。
そうじゃないと、徳川の所領もそうだけど、毛利や上杉、前田も所領が多すぎて、反乱を考えるときけんせいが大きすぎると思う。
61.名無しさん:2016年01月23日 10:56 ID:7vvWrEwb0▼このコメントに返信
関東つっても佐竹は残ってるわけだし、蒲生や上杉を北に配属してあるので徳川はあんまり動けない。
また東海道は現在の真っ直ぐな国道1号線と違って、山沿いにクニクニしてる道や峠が多かった。
更に富士川安倍川大井川天竜川とあって、進撃しずらく補給が難しい。
関東から京都に攻め上がるのは絶対無理。

さらに中村一氏や山内一豊を駿河遠江に配属して固めさせた。
だけどこいつらが東軍になったからどうにもならんわな。
62.名無しさん:2016年01月23日 10:59 ID:SEKuKwIt0▼このコメントに返信
関東は北条の旧領だったんだから戦後統治の視点を忘れてはいけない。
ましてや北条は攻め潰したというより降伏させたんだから地元の国人、地侍は温存状態。さらに関東管領、鎌倉公方、里見、千葉なんかの小勢力の分立状態。
九州なんか良い例だけど戦後統治を失敗すると収拾がつかなくなるし、失敗した大名は子飼いでも処分される。
好意的にみれば家康の能力を信頼して、戦後統治の丸投げ。上がった収入は成功報酬みたいな扱い。
穿った見方をすれば、どうせ上手くいかないし、三河の配下は転勤を嫌ってついていかないで家臣の制御もできなくなるから、それを口実に家康を処分すればいいんじゃないと思っていたんじゃないかな。
断れば謀叛の疑いをかければいいし。
どっちにしても、上手く乗りきって関東を固めた家康の勝ち。
63.名無しさん:2016年01月23日 11:00 ID:i8IJHC2v0▼このコメントに返信
秀次事件で有能な奴を粛清して残った奴を家康配下に追いやったからな
関が原は負けるべくして負けた典型だわな
64.名無しさん:2016年01月23日 11:00 ID:GIUr3dxY0▼このコメントに返信
自分の主君(信長)の友人だからかな?
65.名無しさん:2016年01月23日 11:02 ID:qNWN8FYY0▼このコメントに返信
むしろ家康が秀吉死後すぐに天下を取る積りだったって説に無理があると思ってる。

秀吉の遺言では、家康が政治を見て利家が秀頼を後見する筈だったけど
三成など豊臣家宿老が十人衆(いわゆる5大老5奉行)の合議って事にしてしまった。

そりゃ豊臣家を信頼しなくなりますわな
66.名無しさん:2016年01月23日 11:03 ID:64zLenVS0▼このコメントに返信
北条氏直の嫁さんは家康の娘。
関東の人から見りゃあ家康は娘を見捨て秀吉についた裏切り者
簡単に統治できないと思うでしょ。
67.名無しさん:2016年01月23日 11:03 ID:rK0ylzLy0▼このコメントに返信
所詮ヒデはノブと方向は違うけどカリスマワンマン経営者やと手紙でもわかるだろう
やりたいことがたくさんあったヒデは家ちゃん潰しに時間かけるほど暇ではなかったし
実力と人材面見るにこの律義者を何が何でも潰そうとは思わんかったはず
くさり付けとこう骨抜いとこうとはしたやろうがな
68.名無しさん:2016年01月23日 11:08 ID:RViRJen.0▼このコメントに返信
少なくとも東京23区周辺(埼玉南部千葉東部茨城南部も含む)の水害が落ち着いたのは昭和になってからだよ
昔は荒川と利根川、渡良瀬川は河道が安定せず、下流域で合流したり分流したりを繰り返しながら東京湾に注いでいた
戦国時代あたりだと、荒川は今の綾瀬川を通ってたり、水路が掘られて東の星川を通ったりで、土地勘ある人なら、あの荒川の水量を考えるとそれがどんだけ怖いことかわかるだろう
家康はこの問題を解消すべく、大規模な利根川東遷事業を立ち上げる
利根川と渡良瀬川を今のように銚子に流れるように河道を変える大事業で、相当な費用がかかったと思うよ
結局、荒川と利根川の治水は、浅間山の噴火や土砂堆積による浅瀬の問題、塩害の深刻化など、江戸時代を通して徳川家を悩ませることになる
明治以降も大正から昭和にかけて荒川放水路(今の荒川)が掘られたり、中川の付け替えや江戸川放水路掘削工事、水害や渇水に汚濁対策の取水門が作られたりと、この地域の治水対策は呪いのように大変だったんだよ
69.名無しさん:2016年01月23日 11:08 ID:HAFjtLkj0▼このコメントに返信
当時の関東ってのは広いだけで石高はそんなに高くないし
近畿と並んで中小豪族が多くて難治の地として知られている
形の上では栄転だけど実質左遷に近い
そのため徳川家内部では移封を嫌がる家臣が大多数で家康はそれを抑えるのに苦労した

秀吉の思惑としては
家康が移封を拒否したらそれを口実に所領を減らす、それさえも拒否したら取り潰し
難治の関東で一揆続発→それを口実に所領を減らす、以下同文

さらに東海道には自分の一番信頼する家臣を置いて万全のはずだった
まさか雪崩式に裏切って半月もせずに美濃まで攻めあがってくるとは予想もしてなかっただろう
70.名無しさん:2016年01月23日 11:10 ID:t0Lofe640▼このコメントに返信
秀長が死んだのがなぁ
71.名無しさん:2016年01月23日 11:11 ID:D9sOOVPR0▼このコメントに返信
流石に秀吉存命中の豊臣家と徳川家が互角はないわ。
72.名無しさん:2016年01月23日 11:14 ID:TOTv.qEJ0▼このコメントに返信
信長、秀吉は典型的カリスマ独裁者だったから
後継者と優秀な部下が育たなかった>三成らは秀吉マンセーだったし
家康は後継者がバカでも表向き早々に引退、取り巻きの育成と諸般大名の勢力をそぐことに力を入れたから

73.名無しさん:2016年01月23日 11:16 ID:64zLenVS0▼このコメントに返信
※69
>さらに東海道には自分の一番信頼する家臣を置いて万全のはずだった

池波正太郎さんの真田太平記で昌幸が
「家康さんが出て行った三河遠州に上杉景勝さんを置いておけば」
ってうなるシーンがある

まあ、歴史を知ってる人の結果論かもしれんけど、元々大名だった人と
自分が取り立てて大名にしてやった人との扱いに差はあったかも
74.名無しさん:2016年01月23日 11:21 ID:c7ndRRNd0▼このコメントに返信
トップは立場が弱い。ちょっとの隙で暗殺されればそこで終わり。
室町幕府は何度も将軍が暗殺されて安定しなかった。
武力的に味方勢力が敵対勢力を圧倒する必要もあるけど、
平時には「天下人ではないけど、これでもいいか?」と思わせる必要性も重要。
75.名無しさん:2016年01月23日 11:23 ID:eWaxUg580▼このコメントに返信
家康は信長の同盟者、秀吉は、信長の家臣。元々の格が全然違う。
光秀を謀反人として主君の仇として討伐しただけに、理由もなく信長の同盟者の家康を葬ることは不可能。
唯一直接対決した代理戦争である、小牧長久手の戦いでも局地戦では家康側が勝利したが、信雄を政治的手腕で調略した秀吉により和睦となった。
織田一族を徐々に排斥し天下を簒奪した秀吉にとっては、当時「天下一の律義者」と言われた家康を取り潰したなら、歴史に残る悪人となる自覚が残ってたんだと思う。
76.名無しさん:2016年01月23日 11:24 ID:HKU2dw010▼このコメントに返信
中国大返しの後の豊臣体制って豊臣・毛利連合政権だった気もする
77.名無しさん:2016年01月23日 11:24 ID:DV3F.K.v0▼このコメントに返信
というか家康が素晴らしすぎたとしか言いようがない。天下は水が低きに流れるように必然的に家康に収束していったとしか言いようがない
程、見事な権現様の生き様。もう次の一万円札の肖像は家康にすべきだよ。世界に誇るTokyoを作ったのも権現様なんだから。
78.名無しさん:2016年01月23日 11:26 ID:5rH64Jsz0▼このコメントに返信
家康が我慢強さがあってどうしようもない相手だった
こういう時よく何か何とか手があるのではないかと考える人がいるが
諸行無常的にどうにもならんこともある
だから正解としては天下をとられることを見越して下手に手を打たないが正解と推したいところ
79.名無しさん:2016年01月23日 11:30 ID:Omw3CPjd0▼このコメントに返信
家康が隙を見せなかったからだ
戦術レベルで秀吉にも勝った天下第一の実力者なのにひとたび軍門に下ると傲慢さを一切見せず人格者として天下に知れ渡っていた
秀吉としても付け入る口実を見出せないほどの忠勤ぶりだもの、無理矢理家康と対立するには失うものが多すぎる
もし家康が秀吉からの無理難題に不満を漏らしたり俺は秀吉には負けてないんだと多くの家康信者みたいな態度を表に出していたら潰されてた
現在では腹黒のタヌキおやじといわれる家康だが秀吉の生前は天下一の律儀者といわれるくらい善人面してたんだ
豊臣恩顧の福島や加藤の脳筋組が家康に天下を譲ってもまさかあんな圧政者になるとは露ほどにも思わなかったのも家康の外面に騙されてたから
80.名無しさん:2016年01月23日 11:35 ID:0DOpY5jr0▼このコメントに返信
家康は信長の盟友だったし手を出しにくいだろ。
自分がいないくなったら家康が台頭してくるのは必然。
だから時間稼ぎに僻地に送り込んだ。
その間に石田三成ならなんとかしてくれるだろうと。
しかしその予測を超えて力をつけてきたのが家康。
だから死に際に秀頼のことを頼むといったのではないかな。
頼むから秀頼を殺さないでくれと。
それを反故にして家康は天下を取ったわけで。
81.名無しさん:2016年01月23日 11:36 ID:c7ndRRNd0▼このコメントに返信
石高が高ければ反旗を翻すことが前提だけど、250万石あっても単独では無理だよ。
家康が強大だと言っても五大老の一人でしかない。
家康が天下を取ろうと思う時期をやり過ごせばあとはどうにでもなるわけで、、、
(史実はそうならなかったのだけど、、、)
仮に天下を取ったとしても、その後安定するか分からないから、そのリスクを家康が
どう判断するかという点で、秀吉は冒険はしないだろうと踏んでいた。

82.名無しさん:2016年01月23日 11:39 ID:DV3F.K.v0▼このコメントに返信
徳川の天下が今日のクール・ジャパンを作った。みんな司馬遼などは捨て山岡壮八を読もう!!
83.名無しさん:2016年01月23日 11:40 ID:TTjOe2oW0▼このコメントに返信
※77
家康は人材登用の才能があった。自分の知り合いに幕臣の家柄の人がいるけど、元来はかなり西の人で教科書にも名前の出てくる祖先がいるんだが、関ヶ原の前後くらいに徳川の家臣になったと言ってた。なれたのは、築城の技術を持ってたかららしい。元武田家臣もそうなんだけど、当時徳川は土木技術を持っている人材を元敵方だろうとなんだろうと大量採用してたらしいよ。
84.名無しさん:2016年01月23日 11:40 ID:bt4Ujq1C0▼このコメントに返信
まあ秀吉は信孝殺しに行って織田の一族配下にした時点で光秀とそう変らない反逆者やし
そういう点も徳川につけいる隙を与えてる訳だが、一番の原因は家康の長寿だと思うよマジで
関東に移封されて足利学校も庇護したって言うから、田代三喜系の医学も学んだんだろうね
85.名無しさん:2016年01月23日 11:41 ID:8iduskWG0▼このコメントに返信
※73、
東海道一帯の大名を見ると、
清州:福島正則、岡崎:田中吉政、吉田(=豊橋):池田輝政、浜松:堀尾忠氏、掛川:山内一豊、駿府:中村一氏
と、織田家臣出身の池田輝政以外は豊臣配下から引き立てられて大名になった奴ばかりだし、
こいつらなら豊臣に忠誠を誓っていて家康を食い止めるだろうと思っていたんだろうな。
尚、全員関ヶ原では全員東軍についた模様(関ヶ原が少なくとも名目上五大老・五奉行内でのの内紛だったというのもあるが)
86.名無しさん:2016年01月23日 11:42 ID:U1C4EM1C0▼このコメントに返信
毛利とか島津みたいな西国大名が朝鮮出兵で疲弊してるのだから家康を連れていけてたら余裕もなかったんちゃうかな
87.名無しさん:2016年01月23日 11:46 ID:Omw3CPjd0▼このコメントに返信
※21
家康が入植した当時の江戸城なんて飲み水さえなかった(掘っても塩水しか出ない)
秀吉はすごい酷い土地に飛ばしたんだぞ
家康はすでに開発されてる小田原に住む気だったけど秀吉がこのなんもない湿地に住めと強要したんだ
あそこを住みやすくするには莫大な労力でその土木工事で力を浪費させるつもりなんだ
88.名無しさん:2016年01月23日 11:49 ID:sx4el3QJ0▼このコメントに返信
関ヶ原も小早川の裏切りがなければ、西軍が
圧倒してただろうし、石田であそこまでできるなら、秀吉存命中は関東へ領地替えできれば、確実に家康に勝てる自信があったんじゃね。
時間をかけて、それを上回るぐらい関東の国力を高めたのがすごいんだろう。

89.名無しさん:2016年01月23日 11:49 ID:1ePJT8jeO▼このコメントに返信
家康は秀吉の祟りによってこの世を去った。光秀も信長の祟りによってこの世を去った。
90.名無しさん:2016年01月23日 11:52 ID:Mban1rpt0▼このコメントに返信
天下人に育てたのはかまわないが、
育てるなら秀吉死後も朝鮮制圧を続けて朝鮮人を極力減らした後
できれば満州・明国の東北辺りまでを制圧するよう育ててほしかった。
そしたら後の日清日露戦争・第二次世界大戦も有利に始められる。
ハドリアヌスとかもそうだが、領土を広げた後の君主は
縮小して国境を固める方針で動くから困る。
91.名無しさん:2016年01月23日 11:53 ID:qEgr7.ND0▼このコメントに返信
1.秀吉は天下一の律儀者として家康を信頼していた それに五大老の一人でしかない
2.難治の関東に左遷しておけば京都まで攻めあがるのは困難
家康が普通の大名であれば、この状況から天下人になることは極めて困難であろう
つまり秀吉は、家康の「異常な政治力」を見抜くことが出来なかったのだ
92.名無しさん:2016年01月23日 11:53 ID:64zLenVS0▼このコメントに返信
※80
頼まれたからと言って、はいと受けるかどうかは別問題
それに家康が天下とった時点ではまだ存続してたし。
前後するけど、秀吉死後、三成が家康討伐をあげた時に
三成を止めるなり、せめて家臣同士の争いと中立を守って
いれば以後の扱いは変わったかも
93.名無しさん:2016年01月23日 11:57 ID:ZVtDAeK10▼このコメントに返信
秀吉の失敗
関東平野は広いだけで湿地帯で使い物にならないとの判断(まあこれは利根川東遷で肥沃化するのに数十年かかったことを考えればあながち間違いではなかったが)
唐入りのとき徳川軍を日本に留め置いた(家康はこの温存兵力を関東平野の土木普請に全力で振り向けることが出来た)
家康の政治力を過小評価(家康は豊臣家中の不和と家中の武断文治両派の争いを巧みに利用)
豊臣政権の不安定さ(奉行はともかく五大老の存在、特に家康・景勝・毛利あたりは騒乱の元でしかない)
家中、特に後継者問題を解決できなかった。秀頼に一応決まったが外様大名に不満が残った(家康は不満大名の取り込みに成功)
秀頼が幼弱のうちに自身が死亡
94.名無しさん:2016年01月23日 11:58 ID:7vvWrEwb0▼このコメントに返信
※85
秀吉からすれば、家康を江戸に追いやった時点で「徳川は終わった」だったんだろうな・・・

こういっては悪いが、秀頼がなあ・・・。
女なんかいくらでも自由にできた秀吉が子供居なくて、
60歳で死ぬ5年前に突然子供が出来るはずがないんだよ。
まあ鶴松も居たけどそれにしても女がウジャウジャ居る中で、
淀殿だけポンポン子供出来るのもオカシイ。
「本物の子供かよ」って思ってるところに、石田三成から「戦え」とか言われても
池田も堀尾も山内も中村も福島も、やってられんよな。
95.名無しさん:2016年01月23日 12:03 ID:d.kNCfwG0▼このコメントに返信
秀次を殺し、朝鮮出兵で豊臣家臣団を分裂させたのが最悪だったわけだ。
あの分裂が無ければ徳川も触手を動かさなかっただろう。
豊臣家臣団をまとめあげるべき、弟が死に、前田が死に、おねが大阪城を
退去したりして、どうにもならんかった。
おねと淀は決して最悪な仲でも無かったし共に秀頼を盛り立て豊臣を
守ろうとしたとはいえ、主筋でかつ秀頼の母である淀におねが遠慮を
したのも事実。 家臣団も両者を微妙に区別し分裂の引き金にもなったわけです。
というか、家康が、豊臣家臣団、およびおねにまで信頼を持たせた人徳というか
狸ぶりというか、これも大きかったのでしょう。
秀吉が長生きすれば問題無かったわけで、秀吉としても、後継者が不安なままで
自分が死ぬとまでは予想しなかったでしょう。 誰しも自分が死ぬ時期など
想像できませんからね。 家康は運が良かったわけですが、運も実力のうちという
のが家康だったでしょう。

それより最大の失敗は、信長が自らの死を覚悟したとき信忠に何としても生きて
仇を討てとか伝えさせなかったこと。信忠が脱出さえしていれば、織田家の天下も
揺るがなかったでしょうに、逃げる時間はあったのに殉じてしまったからね。
96.名無しさん:2016年01月23日 12:06 ID:64zLenVS0▼このコメントに返信
※94
堀尾、山内、中村は秀次の連座で腹切らされる直前だったから
三成には色々思うところもあったでしょ
97.名無しさん:2016年01月23日 12:07 ID:4KLqYCvf0▼このコメントに返信
※15
三河は足利将軍家の根拠地だぞ、、、細川仁木今川吉良一色と直系譜代数知れずいる、、、
徳川家はその譜代直系じゃなかったから(仕方なく)源氏傍系の新田系をなのっただけ、、、

あと関ヶ原の時の徳川家康の年齢は59歳だから、当時でも若くはないけど壮健ではある年だぞ(石田三成だって41歳)
つか石高より74歳で大阪の役の大将やったって方が異常な状況だと思う、、、
98.名無しさん:2016年01月23日 12:08 ID:4yGDvbzR0▼このコメントに返信
関ヶ原の乱は軍人が見ると、どう見ても西軍が圧勝する布陣
小早川が裏切らなかったら家康は天下人になってないで。そして家康が大阪の陣で勝てたのは大砲をイギリスから輸入してそれを天守閣に打ち込めるようになったから

技術的変化で読みを誤るのは仕方ない
99.名無しさん:2016年01月23日 12:14 ID:rK0ylzLy0▼このコメントに返信
そもそも秀吉は家康を信用してたし重宝もしてた
まさかあの律義な家康が70才で豊臣を狙うなんて思わんかったろう
家康としても律義者で通してたのに狸呼ばわりされる役目を担うことになるとは思ってなかったかもしれん
100.名無しさん:2016年01月23日 12:17 ID:Omw3CPjd0▼このコメントに返信
石高しか目に行かんゲーム脳のやつは家康が貰った当時の関東はそんなにいい土地じゃなかったというのを理解でき取らん
江戸時代に莫大な時間と金を使い利根川を銚子のほうに流す大工事をする前の今の23区あたりは年中大洪水だぜ(1594年から1654年までかかってる)
101.名無しさん:2016年01月23日 12:25 ID:WvbIy8Iz0▼このコメントに返信
北条を超圧倒できたもんだから、徳川もいざとなれば北条と同じようにできると思ったのかな。
102.名無しさん:2016年01月23日 12:35 ID:Wxspl5tZ0▼このコメントに返信
最近じゃ秀吉は信長以上に部下に厳しく家臣の粛清なんて日常茶飯事なことがわかってきたからあの大粛清を切り抜けた家康の処世術の方を褒めるべきそうすべき
103.名無しさん:2016年01月23日 12:36 ID:.kvUTlse0▼このコメントに返信
小早川が裏切らなかったら、という前提はよく議論されるけど、
秀秋は当初から徳川方で、成り行き上一時的に西軍として振る舞ってただけだと思うんだけどな

関ケ原は秀秋軍の動向よりも、家康本隊の背後を突ける可能性のあった毛利秀元軍が全く動けなかった事の方が大きいと思う
吉川隊の働き合ってこそだが
104.名無しさん:2016年01月23日 12:41 ID:HtRwiV.k0▼このコメントに返信
昨年9月の常総市水害は記憶に新しいが、
あれが関東南部では日常茶飯事だった

現在の新潟平野はコメどころだが、戦国当時は氾濫原すぎて使い物にならなかった
上流の長岡あたりで、ようやくまともな暮らしができた
江戸湾奧も同じで、川越・古河まで上流に来て(もう北関東だろという地域)、ようやくまともな土地となった
津軽平野も、勾配なさすぎで排水ができず、同様に広大な氾濫原だった

重機で作った長大排水路と、電動ポンプ排水機場がそろう1965年までは、
こういう場所は使い物にならなかった
105.名無しさん:2016年01月23日 12:42 ID:fJtwM99J0▼このコメントに返信
同意が欲しいだけならレス返さなければいいのに
106.名無しさん:2016年01月23日 12:45 ID:bt4Ujq1C0▼このコメントに返信
※100
北条最強みたいになっとるしなぁ
実際は氏康は「ここは一国と同じ」なんつって関宿城攻略にめちゃめちゃ時間掛けてるくらい
ゲームみたいにあっさり攻略できてへん
107.名無しさん:2016年01月23日 12:45 ID:HCQJ8tX40▼このコメントに返信
かといって秀吉に大義名分があるわけでもないしな
織田家に仕えてたくせに信長の死後は豊臣家がトップになる事しかやってないからな
秀吉も家康も似たもの同士
108.名無しさん:2016年01月23日 12:49 ID:uWAu2s6K0▼このコメントに返信

石高=戦闘力じゃねーからなwww
米の取れる量=兵站となる食料を自前で確保できる量=養える兵隊の数
ってことじゃろ。石高自体も過小申告や過大評価も当然入る訳で。

関東平野は広くて確かに田畑が多く取れる余地は当時からあったけど、
湿地帯や大河川があるし、当時の大阪や近畿に比べ都市整備はされてないし、
無駄に広すぎる、ってのも選択と集中ができず現代であっても相当手を焼く課題。

さらに距離ってのも物理的な大問題で、東京~大阪まで
大兵力を輸送するのだって兵站確保やら移動手段やら
本丸に行く前の道中の小競り合いとかで疲弊するリスクがある。

10~100年単位で言えば、関東開拓して国力高めた
徳川スゲーだけど、豊臣政権直後の時勢であれば
見かけ上の石高あたえて遠くに追いやった、という点で最善策と言えるよ。
109.名無しさん:2016年01月23日 12:50 ID:rzyH0kFF0▼このコメントに返信
>>1が持論に拘り過ぎてて議論にならんかったスレだな、石高が石高がしか言ってない
110.名無しさん:2016年01月23日 12:51 ID:7jkYKDPa0▼このコメントに返信
三成をなんとかできなかったのかな?三成のせいで武闘派との対立ができて家康に付け入られることになった。
秀吉存命の頃はそんなことなかったのかな?
111.名無しさん:2016年01月23日 12:52 ID:qNWN8FYY0▼このコメントに返信
※68
利根川東遷は治水じゃなくて水運の為の事業だよ

※88
歴史小説の読み過ぎだな。
史料を見ても家康の到着前には西軍は調略でボロボロ。
ぶっちゃけ西軍に勝ち目はまったくなかった。

※98
メッケルのは良く出来た作り話だぞ。
112.名無しさん:2016年01月23日 12:52 ID:JkRil4ai0▼このコメントに返信
ほんと考えさせられる。
113.名無しさん:2016年01月23日 12:52 ID:ZGG9QhI8O▼このコメントに返信
関東は日本最大の米生産地だろ
濃尾平野なんて愛知岐阜三重足しても新潟県や東北の秋田県にすら生産量が劣る土地
これを栄転と言わず何という
太平洋沿岸に領地を与えられたのがいかに信頼されていたか太平洋ベルトとか知らないの?
日本地理と河川学を学校で習わなかったのかな?
114.名無しさん:2016年01月23日 12:53 ID:VRX0lpCx0▼このコメントに返信
十分に論理的な説が示されてるのに認めず持論を押し通そうとするイッチが愚図すぎて駄スレになっとる
ほんとこういうイッチが愚図なだけで他はそこそこ頭いいのにイッチただ一人のせいで駄スレに堕ちてるの多いよな
議論したいのか持論を肯定してほしいのか、まあ後者なんだろうけど、よくわからんスレ多いよなあ
115.名無しさん:2016年01月23日 12:57 ID:PJBslrs50▼このコメントに返信
家康は本当に律儀だったんだろう
ただ、それは秀吉にであって秀頼ではない
げんだ
116.名無しさん:2016年01月23日 12:58 ID:HtRwiV.k0▼このコメントに返信
南部は物理的に洪水常襲地で住めない
北部は微高地に、国人や諸勢力が割拠して、慢性的に土地争い
古墳時代からえんえんとグダグダしていたわけですよ関東平野
広大な氾濫源の中にある微高地=山の中にある盆地

肥後の国人一揆みたいので、家康が追い出される可能性は高かった
じっさい、本能寺の変直後の北関東一揆で、滝川一益は追い出されている
117.名無しさん:2016年01月23日 12:58 ID:Xz7IzR8v0▼このコメントに返信
俺が秀吉なら、諸侯を集めて
「もう、迎えが来るわ。秀頼に後を継がせたいけど、幼すぎて無理や。
どう考えても、次は家康はんの時代やろ。
そこで一つだけ頼みや。秀頼は将軍にせんでええけど、
実りのある国のひとつでも与えて、不自由の無い暮らしをさせてやってくれ。
ただ、それだけや。あんじょう頼むで。
ほな、信長公の所へ行くわ」
と言うかな
118.名無しさん:2016年01月23日 13:00 ID:hHXVCyC60▼このコメントに返信
家康が天下人になれたのは秀吉が秀頼の為に豊臣家を無茶苦茶にした挙句、すぐに死んでしまったからだよね
それで家康に豊臣家の政治を執ってもらわざるを得なくなり、それに反発した三成らによって関ヶ原が起こって
勝った家康は征夷大将軍に任命されて豊臣家の家臣としてではなく天皇に認められた天下人として政治を行うようになったんだから
ぶっちゃけ関東がどうこうというのは関係ないのでは
119.名無しさん:2016年01月23日 13:02 ID:ZGG9QhI8O▼このコメントに返信
現に関東滅茶苦茶発展してんじゃん
豊かな土地がなければ都市など育たない
今度圏央道が横浜外環と繋がれば更に便利になる
超巨大経済圏の出来上がり
120.名無しさん:2016年01月23日 13:03 ID:Opsej9.J0▼このコメントに返信
>>1がなかなか理解できないのは、
1.100万石の加増って言葉に踊らされすぎ
2.当時の勢力図が描けていない
3.秀吉が優先したかったことをわかっていない
121.名無しさん:2016年01月23日 13:07 ID:dqnKWAg20▼このコメントに返信
だいたいその頃の関東なんてお茶入れ方が欲しいって言われちゃうような不毛の地じゃないの
まわり敵ばっかりだし
122.名無しさん:2016年01月23日 13:07 ID:NxxuMfJK0▼このコメントに返信
封建制の人的組織に関する情報がものの見事に抜け落ちている。現代教育の成果?
123.名無しさん:2016年01月23日 13:07 ID:64zLenVS0▼このコメントに返信
※117
家康「じゃあ、大和に行って」

大和は悪くないと思うけどね。秀長さんが治めてた土地だし
124.名無しさん:2016年01月23日 13:08 ID:rzyH0kFF0▼このコメントに返信
※120
理解できなかったと言うか俺の持論が正しいんだからそれを否定する理論は間違え
って所からスタートしてるんだろ

転封当時とその後の発展の時系列を思いっきり混同させて、最初から関東開発が大成功しますって前提で語ってるし
125.名無しさん:2016年01月23日 13:08 ID:7jkYKDPa0▼このコメントに返信
武田や北条の遺臣を積極的に取り入れて法制度もそのまま受け継いだりと柔軟性には優れていた家康。
捕虜とされても織田には殺されずに今川では高度な教育を受けられたし、信玄に追いつめられても生き延びて一向一揆も乗り切った。
信長や秀吉が嫌なことをほとんど引き受けてくれたし本当に運があったんだな家康。
126.名無しさん:2016年01月23日 13:09 ID:v3Zks7nl0▼このコメントに返信
※103
たらればを言ったら、秀忠の徳川主力部隊が到着してしまう。
おそらく、毛利の情報交換の間隙をついて、主家の指示待ちで動けずにいる間に、勝負をつけてしまった、が私の意見。

しかし、コメ欄まで関東には何も~って連呼してるのが気持ち悪いな。
足利なんかを出した群玉圏と、源氏根拠地チバラギ圏と、鎌倉と、普通に栄えていたわけで、足利学校など知識も豊富にあった。
地震津波戦争とあって海沿いが寂れていただけだろ。後北条は災害復興のために派遣されたんだぞ?内政資料が多いのはそのためかも?
上杉謙信の関東管領就任では、どこからともなく数万騎が護衛についたなんて話があるくらい、いざ、という時出せる底力があった。
当時は土地が悪くて~ってのも、どこの地域でもあった話。

当時の推測するなら、氏や家制度の事も考慮しなきゃならないだろうし、Wikiちょっと見ただけでうんざりするほどあっちこっち繋がりだらけだ。
徳川の出自が偽物って妙に言い続けるのがいるけど、偽物が軍を率いて三河の地域領主になれるとは思えない。
あれもこれも偽物にして、日本人の信じるものを奪いたい連中だな。
127.名無しさん:2016年01月23日 13:11 ID:v5c.DTJs0▼このコメントに返信
実際は豊臣勢の内紛。加藤清正、福島正則、浅野長政、前田家など秀吉と繋がりが深い大大名が東軍につくように調略した家康も優秀ではあるが・・・
128.名無しさん:2016年01月23日 13:14 ID:VxGjODWhO▼このコメントに返信
豊臣の成長率>家康の成長率と考えたんやろ。
小牧長久手で家康の戦上手を思い知ったから、目先の決戦を避けて加増して左遷。その間に中央集権を磐石にすれば家康も取るに足らない。
実際に秀吉存命中は家康の目はなかった。
129.名無しさん:2016年01月23日 13:15 ID:64zLenVS0▼このコメントに返信
関東が豊かでも、それが徳川の蔵に入るかどうかは別問題
130.名無しさん:2016年01月23日 13:15 ID:xXn2i4Z50▼このコメントに返信
勝手な想像では沼地の関東を整備させ体力を削ぐ、関東が整備された頃に”オーゴクローゴクロー、ほら、ごほうびじゃー!新領地ジャー広いぞーお前にやるぅ”って、関東を取り上げて小西行長や清正ちゃんがトラ退治した新領地に追いやる気やったんが失敗した。
131.名無しさん:2016年01月23日 13:18 ID:YrKiaS.B0▼このコメントに返信
※51
はい、論破

久しぶりに聞いたよww
132.名無しさん:2016年01月23日 13:18 ID:Iw9YuYLl0▼このコメントに返信
秀吉の意図は三河から引き離すってのもあったけど、目の前に迫っていた朝鮮出兵に備えて
関東で北条残党が挙兵しないようにする為に家康を配したんだろう。
旧敵領を統治する経験に関しては家康は今川領、武田領を大きな叛乱もなく統治してるし、
北条氏当主だった氏直の舅って縁、北条氏規との縁もあるから適任と考えたんだと思う。

家康を信用していたというのが半分、もう半分はもし家康が挙兵したとしても、
秀吉が関東以外の軍勢を率いたなら家康を討伐できると踏んでいたんじゃないかな。

※108
一般論としては正しいと思うけど、北条領に関しては恐らく実高も250万石くらいはあったはず。
1万石に対して200~300人という一般的な平均動員可能数と北条氏の実際動員数を見ると
例えば例えば神流川合戦から天正壬午の乱あたりで4.5万=200万石前後分の動員をしている。
東に敵を抱えている状況でこれだから、実高として250万石はあったと思われる。
だから秀吉は家康に5万~8万くらいの動員出来る領土を与えている自覚はあったはずだし、
むしろ伸びしろの方をしっかり把握してなかったんじゃないかと思うわ。
133.名無しさん:2016年01月23日 13:20 ID:8yKPwBHk0▼このコメントに返信
俺なら家康を対馬に左遷する
朝鮮平定したりして
後の元寇襲来みたいになったりして
134.名無しさん:2016年01月23日 13:27 ID:QfTcHJjd0▼このコメントに返信
家康は関八州に移ることで250万石になったわけだが、北條氏は四公六民という当時としては低い税率を採用しており、北条氏の残党などに不穏な動きもあったことから、これをむやみに上げるわけにもいかず、石高ほどには実収入を見込めない状況だったそうだ。
135.名無しさん:2016年01月23日 13:28 ID:T6aTPx.IO▼このコメントに返信
西軍に挙兵させるのを目的に根回し切り崩しを行った謀略がゴイスー
本当の人たらしは家康だな
136.名無しさん:2016年01月23日 13:29 ID:HtRwiV.k0▼このコメントに返信
>>130 信長がそれやってんだよな
秀吉「長浜を開発しやした!」
のぶ「でかした。ほうびに播磨をくれてやる。長浜は召し上げな」
秀吉「武力制圧したばっかで、反乱分子がぐっちゃんぐっちゃんなんすけど」
のぶ「ほ・う・び・じゃ」
秀吉「……ありがたき、しあわせ(殿の幸せは自分の幸せ。ここは気持ちを切り替えて)」

光秀「(坂本を召し上げれて押しつけられた新領土の)亀岡をモノにしましたぞ」
のぶ「ごくろう。出雲と石見、取れたらおまえにやるから、明け渡せよな」
光秀「…(母親を犠牲にして手にれた土地ぞ。ぷつん)」
137.名無しさん:2016年01月23日 13:31 ID:UTHDPnUG0▼このコメントに返信
加増分100万石の中には旧北条家臣を召し抱えてやれっていう意味も含んでいるだろ
(秀吉としてもやっかい者を押し付けることができる)
ついこの間北条氏政切腹したばかりで氏直が蟄居のちそのまま帰らぬ人となってる
その氏直は家康の娘婿殿、旧臣たちの心情いかばかりか
氏直様を守ってくれなかった家康におめおめと仕える、それともやはり旧主の義理の親父殿とみこんで仕えるか
138.名無しさん:2016年01月23日 13:32 ID:T4Iat3NC0▼このコメントに返信
豊臣家一門の近江八幡秀次家、大和郡山秀保家をつぶしたのが痛い。
本能寺後に信雄信孝が不在で、三法師だけの状況ではどうしようもない。
139.名無しさん:2016年01月23日 13:33 ID:UTHDPnUG0▼このコメントに返信
※136
本能寺の変のとき秀吉の家族ってどこにいたっけ?
140.名無しさん:2016年01月23日 13:35 ID:iNa5ErTP0▼このコメントに返信
現在の東京は徳川時代から続く工事による埋め立て地。今もそれは続いている。私が子供の頃は夢の島は埋め立て中の島だった。今は公園になって、その先まで陸地になってる。

そもそもはものすごい河だらけの土地で箒のように川が広がってた。江戸城は海城。今は陸地にあるから勘違いする。浅草が汽水域だったから海苔の名産地だった。

穢土って呼ばれるくらい民度が低い人達が多かった土地。それを教化したのは見事。江戸期後半ではむしろ、彼らの文化が花開く。町人文化なんだよ。侍でも、農民でも、職人でも、商人でもない、最下層の人々が作った文化。ちなみに差別なんかない。日本にあったのは職分だけ。どこからでも実績と志さえあれば侍になれた。

明らかに土地が広いだけで、住んでる人も環境も使い物にならない場所だった。それがちゃんと開発すると、すごい場所になった。中韓が東京はいい場所だ羨ましいとか言ってるのを聞くとアホかと思う。日本人が400年かけて作り上げてきた平地なんだよ。先人の努力の結晶なの。今も、それを維持拡大する努力を続けてるの。その点はオランダにも似てるんだけどね。
141.名無しさん:2016年01月23日 13:43 ID:qNWN8FYY0▼このコメントに返信
※134
○公○民ってのは大名が違うと比較する意味が薄いよ。

一部の例外を除けば、年貢などは石高じゃなくて
村高に対して賦課してるから

じゃあ石高で国力比較できるのかと言われるとこれもビミョー。

軍役や普請役の賦課基準値でしかないけど、検地で石高を盛り過ぎて
無役分で調整してもらった大名も多いしね(島津、佐竹、小早川等)
142.名無しさん:2016年01月23日 14:01 ID:WxX8ilhI0▼このコメントに返信
家康が幕府体制になってから大坂潰しをしたように
秀吉も大坂政府(仮)が磐石になってから江戸潰しを目論んでたんだろう
誤算だったのはねねとの間に子供ができなかったこと
最低でも壮年期までに、仮に側室児でも早い内に跡取り決めて教育できていたら歴史は全然違ってただろう

日本全体の発展という意味では江戸幕府になって良かったのかも知れないが
143.名無しさん:2016年01月23日 14:02 ID:VrdVNjWC0▼このコメントに返信

弟秀長は大政所を人質に出す位なら一戦しろと

言ったらしい、と言う事は戦う事は出来たと思う

何でしなかったんだろう?

最初から戦い漬けで平和を望んだとしたら

朝鮮出兵の説明が付か無い
144.名無しさん:2016年01月23日 14:09 ID:bt4Ujq1C0▼このコメントに返信
※143
その頃の話なら徳川潰しの準備してたけど天正地震でそれ所じゃ無くなった説もあるな
145.名無しさん:2016年01月23日 14:20 ID:iNa5ErTP0▼このコメントに返信
※111
両方ですよ。運河づくりは物流の基本でしたからね。

定期的に氾濫する場所だったので、太平洋まで放水したかったわけです。しかし、ただ放水路をつくったのではコストが掛かり過ぎる。そこで海運と陸運とをつなぐ交通路を立ち上げて活性化を図ることにしたのですよ。それはいい結果だったと思いますが?

現在では水運が余り利用されてないので、単なる放水路づくりは無駄とか歴史も今までの経緯も知らないどこかの党が事業仕分けとやらで削減したために大洪水の被害が出ましたねー。ちゃんと放水路さえできていれば、あの災害はなかったかも?結果論ですけどね、判断力がなさすぎるのですよ。判断のもとになる知識が少なすぎます。

いまも水運については考えなおして見たほうが良いでしょうね。結構使いみちがあるかもしれない。



メッケルさんのはつくり話というよりか、そういうふうな視点で解釈したってことなんじゃないかな?司馬さんが嘘つきって言うか、司馬史観は小説が面白くなるように仕組まれたものだし。あれは参考にすると現実判断を間違うよね。面白いけどさ。志だけ見とけばいいよ。
146.名無しさん:2016年01月23日 14:29 ID:3eR2p3rK0▼このコメントに返信
質問~関が原以後、豊臣家領地は約70万石へ転落するけど
元領地は飛び地みたいな所にあったからなのかな?
147.名無しさん:2016年01月23日 14:34 ID:iNa5ErTP0▼このコメントに返信
※143
朝鮮出兵は明に喧嘩を売られたので買った明征伐なんですよ。朝鮮には道案内を頼んだだけ。朝鮮の使者が一人は日本はほんとにやる気です、やばいですよって報告したのに、もう一人が日本のようなヘタレが明に歯向かうなんてありえませんって言ったのね。そっちの意見が採用されて、適当に返事してたら、日本がほんとにやってきて慌てふためいてパニックになっただけ。親日派と親明派もいるし、ソウル市民には大歓迎されるし、もうわけわからない状況だった。歓迎されたんで調子に乗って頼まれた虎狩りまでやっちゃうし。そして明がおもったより遠かったんでやる気無くした。
148.名無しさん:2016年01月23日 14:36 ID:mfumi4S90▼このコメントに返信
1にイラつくスレ。会話にならん奴だな
149.名無しさん:2016年01月23日 14:38 ID:rzyH0kFF0▼このコメントに返信
※142
武家諸法度制定以前は正室側室の定義は割と曖昧だから側室の子供(庶子)と言う扱いとはちょっと違ったりするのは訂正点
壮年期までに跡取り産まれなかったのが痛かったのは完全に同意だな
150.名無しさん:2016年01月23日 14:47 ID:1NIVBpLb0▼このコメントに返信
秀吉は、家康を潰そうとしたんだよ
しかし、出来なかったのが 歴史の事実
151.名無しさん:2016年01月23日 14:52 ID:fX6ai2nfO▼このコメントに返信
合戦部分では武田の野戦兵法がどっぷり染み付いた旧臣全員召し抱え
内政部分では三河以来の家臣に加えて関東平野を治めてた北条の旧臣を全員召し抱えて湿地関東平野を内政整備という名の兵士鍛練
秀吉が亡くなれば本州で家康以上の大名は居ない

そら天下取り出来るわ
152.名無しさん:2016年01月23日 14:53 ID:1RbPREHh0▼このコメントに返信
家康が天下取れたのは子飼いの連中がほとんど家康についたからで
まさか秀吉もそんな状況になるとは思わなかったからだよ。
徳川の石高とか関係ない。
153.名無しさん:2016年01月23日 15:07 ID:Omw3CPjd0▼このコメントに返信
※143
当時は長曽我部がいたからだよ
家康に全力を向けると背後から同盟者の長曽我部に挟撃される可能性があった
京まで進軍は無理でも阿波から本拠地の大坂に船で上陸されるだけでも評判がガタ落ちになって痛手だし
部下も昨日までの同僚ばっかで秀吉が弱ったとこを見せたらいつまでついてきてくれるか不安があった
太閤として君臨する前の秀吉は諸勢力の中で最大の力を有してる実力者でしかなく無条件に自分に従わせるだけの公的権威が不足してたんだ
九州を落として西からの脅威がなくなってからだと家康はすごく謙虚になったでしょ
背後の脅威がなくなった秀吉に逆らえば三河武士がいかに死力を尽くしても勝てないのを知ってたからね(関東への転封にも応じた)
154.名無しさん:2016年01月23日 15:11 ID:iNa5ErTP0▼このコメントに返信
※146
減らされたのは領地ではなく蔵入地ですよ。豊臣家蔵入地とは諸大名の領地のなかに点在していたものです。その管理は諸大名に委ねられていた領地のことで、諸大名は自領内の蔵入地の年貢を代わって取り立てて豊臣家に納めていたものです。この蔵入地を廃して諸大名に分け与えたので豊臣家の禄高が222万石から直接統治していた摂津、河内、和泉の65万石にまで下がったとされるわけです。

蔵入地を失ったことの意味は大きく、単に禄高が減ったのみならず政権担当の地位を失って一大名になったことを示しています。しかし、それでも反対がでなかったのは加藤清正や福島正則などの豊臣方の武将も大幅に加増されたことと、秀頼成人の暁には関白の座につくだろうことを約束するなどの気配りがあったからでしょう。また、すべての蔵入地が廃止されたわけでもなかったようです。この辺のさじ加減が絶妙ですね。見方に拠って、どうとでも取れるように振る舞ってる。

子供の頃は信長様、学生時代は秀吉様、そして今は家康様のファンですよ。まあ、みんなすごいですけどもね。
155.名無しさん:2016年01月23日 15:38 ID:v7VOnrKg0▼このコメントに返信
最近よくある題材はいいのに>>1が不勉強すぎかつ持論に拘りすぎるために盛り上がりに欠けるスレか…
156.名無しさん:2016年01月23日 15:48 ID:v3Zks7nl0▼このコメントに返信
米154
山岡壮八が書いた事がだいぶ当たってるのかね。
技術革新への対応と組織変革のため次世代の育成、軍団制という近代組織経営をすでにやっていた信長。
経済を人の心理まで計算に入れ、近代のように経済力、金の使い方で国々を統治した秀吉。
生活と人心を安定させ、筋を通していくことで、矛をおさめ太平をもたらした家康。
あちこち歴史を見ても、この時代この三傑は、本当に突出して見えるよ。(始皇帝とかもすごいけど)

今活かすとすると、家康のように辛抱強く我慢強く、世界平和の実現かな?
157.名無しさん:2016年01月23日 16:02 ID:3xW.utgM0▼このコメントに返信
大坂だって低湿地帯だったの、秀吉が町割してあれだけの都市にしたんだろ。基本、江戸と大坂は良く似ているよ。
だから、江戸を新府とすることがマイナスの要素になるとは到底考えられない。
しかも、関東は、頼朝以来の武門の故地。鎌倉公方や関東管領が独立的な動きをとっていたという歴史的事実もある。
こんな事情の下で大封与えるなんて理由は、一つだろ。
秀吉は家康のこと信頼していた。裏を返せば、天下人になれるような器とは思っていなかった。
五大老は、みな律儀者の評判高かった人間ばかり(宇喜田秀家なんかは秀吉の息子同然だったという理由だが)。
秀吉が評価するような型の人物じゃなかったということ。秀吉が評価し、警戒するのはもっと才気だった人間だよ。
そういう意味じゃ秀吉の失策であったことは間違いないんだろうけどな。
158.名無しさん:2016年01月23日 16:05 ID:elNsfYOR0▼このコメントに返信
>>1 の前提が間違っている

「最大の敵は徳川」という前提で語ってるんだろうけど、それは歴史を後から見た場合に陥りやすい錯覚だよね
歴史に if は無いけれど、例えばもし >>1 の言うようにした結果、徳川が不満を膨らませてあからさまに敵対ムードに移行、ついには関ヶ原で最終決戦!
・・・みたいなことになったら、たぶん >>1 は「なんで最大の盟友徳川を冷遇したんや! もっと加増して機嫌とっとけば良かったのに!」とか言うんだろうな

かといって徳川を潰すところまでやっちゃうと、それは最強の同盟国を潰すということでもあるわけで、そんなことしたら他の大名が小躍りして反乱準備に入るだけ
豊臣政権を盤石にするには徳川にはまだまだ「豊臣軍の一翼」として睨みをきかせてもらわないといけない
かといって天下を狙うポジションになってもらっても困るので「じゃあ僻地の江戸で」ということだろう
159.名無しさん:2016年01月23日 16:16 ID:64zLenVS0▼このコメントに返信
京、大阪から遠ざけたいけど、あんまり無茶振りしすぎて挙兵されても困る
って、その微妙な距離が関東だったんじゃね。
160.名無しさん:2016年01月23日 16:17 ID:3xW.utgM0▼このコメントに返信
江戸は(当時の)関東の僻地だったけど、関東自体は僻地でもなんでもないんだけどな。兵を養いやすく自立しやすい土地柄。
小田原や鎌倉なんぞより、よほど発展性がある。江戸遷府は秀吉の慧眼だよ。
161.名無しさん:2016年01月23日 16:23 ID:vsQiFQAu0▼このコメントに返信
武蔵相模に石田三成を通じて直江兼続と誼ヨシみが有って義を重んじる剛直な上杉景勝を移封、越後会津米沢(場合によっては飛び地の庄内も)に徳川家康を移封。

野心満々の伊達政宗は史実通りに旧領地の米沢を虎視眈々と狙い、決して徳川家康とは親交を結ばず敵対的になる。

これが最良の道。
162.名無しさん:2016年01月23日 16:26 ID:efeFvVk40▼このコメントに返信
家康が関東入ったとき47歳。
そこから家臣団引き連れて過不足なく配置して、北条残党を慰撫して、250万石の統治体制整える。
150➜250って数字だけ見るとと褒美だけど、それに見合った内政機構に拡張しないといけない。
人間50年の時代だし、家康は関東統治で手一杯、時間切れと読んでもおかしくない。
秀次事件とか、幼君秀頼とか、関ヶ原が短期決戦だったとか。
色々な要素があって家康に天下人の芽が出ただけで、あの時点ではそんなに失策でもないと思う。
家康が傑物で、運が味方した。秀吉の失策は結果論。
163.名無しさん:2016年01月23日 16:41 ID:64zLenVS0▼このコメントに返信
※160
豊臣家にとって慧眼だったかどうか。じゃね?
164.名無しさん:2016年01月23日 16:47 ID:pqQ80Uf50▼このコメントに返信
※19
秀頼の誕生と秀長の死で狂い出しただけでそれ以前はきっちり後継者やら一門やらを重用して基盤作ってた
165.名無しさん:2016年01月23日 16:54 ID:Y3.23mQc0▼このコメントに返信
本スレ1が無知過ぎで草生える
会津が糞?当時のあそこの海運権益を知らんのか
166.名無しさん:2016年01月23日 16:57 ID:pqQ80Uf50▼このコメントに返信
※121
滝川一益が信濃より茶器が欲しいって言ったのは不毛の土地だからじゃなく当時の都である京から離れることで茶会に参加出来なくなったから

そもそも関東平野が不毛不毛って馬鹿みたいに大量動員出来てた北条の土地がそんな不毛なわけないだろ少し考えりゃわかるのにアホか
167.名無しさん:2016年01月23日 16:58 ID:Y3.23mQc0▼このコメントに返信
後、関東全体ならともかく武蔵は全く田んぼに向いてない水害地帯だったのを知らんのかいなと
荒川放水路が完成した昭和五年まで流域は毎年流されまくりよー
168.名無しさん:2016年01月23日 17:09 ID:ZGG9QhI8O▼このコメントに返信
関東は豊穣の大地だよ
徳川を愛してやまない馬鹿な都民が神君家康公がこんな荒れ地から創意工夫と叡智で天下を取ったとやりたいだけ
169.名無しさん:2016年01月23日 17:18 ID:o.VyBjFiO▼このコメントに返信
1が自分の考えが正しい!!と言ってもらいたいためのスレじゃないか…題材はいいのに惜しい。
秀吉の目論見が外れ、家康が予想以上の早さで地固め出来たのが誤算だったな。
つくづく秀次を殺したのが惜しい。あれで側室もろとも皆殺しにしなければ…
秀次に跡取りの後見をまかせる度量があれば歴史が変わってたかもしれない。
170.名無しさん:2016年01月23日 17:24 ID:.kvUTlse0▼このコメントに返信
秀頼の出産がなければ、秀次は秀吉に殺されなくて済んだのだろうか
そもそも秀吉の子だったかどうかすら怪しいが、秀次が倒れなければもう少しスムーズに二代目譲渡が出来たはず
171.名無しさん:2016年01月23日 17:25 ID:.kvUTlse0▼このコメントに返信
追記 秀吉の子だったが怪しいのは秀頼のことね
172.名無しさん:2016年01月23日 17:25 ID:wweTKTvd0▼このコメントに返信
秀吉の誤算は、家康が関東を整備し力をつけるまでに長生きしたこと。
それだけの話でしょ。ー
173.名無しさん:2016年01月23日 17:27 ID:3xW.utgM0▼このコメントに返信
※167
別にあそこで田植えさせる気はなかったと思うぞ。
大坂もそうだが、商都として考えるなら、堀をめぐらせて水運の利を生むことができるわけだし。
174.名無しさん:2016年01月23日 17:36 ID:4KLqYCvf0▼このコメントに返信
※167
(濃尾平野みたいに)大水でたら流される水害地帯が当時の豊かなコメどころなんだよ、、、

まぁ江戸自体は寒村じゃないのよねぇ、あそこは平安時代から続く浅草寺の門前町のそば
つまり関東でも有数の町のそばに城と武家屋敷町つくったわけで一から町づくりしたわけじゃない

ただ家康は100万人都市作ろうとしたから土地や真水が足りなくなっただけ?で大工事に、、、
175.名無しさん:2016年01月23日 17:54 ID:1oaBQBMf0▼このコメントに返信
石高にしか目が行ってないのな?確かに数字だけ見れば石高がある様に見えるが、単位面積当りの石高だったらどうなるのかな?
家康が転封された頃の関東は石高が最低ランクの土地だった。また家康と昵懇だった大名は全て別々の土地に転封されている。
その上で東海道に豊臣臣下の大名を配置された。これは明らかに家康封じ、またこの家康転封の裏に石田三成らの計算が合った事がうかがえる。
北条責めの後に最も邪魔になる家康をどう潰すのか?って話に成った。このまま放っておけばいずれ家康が台頭して豊臣家は乗っ取られる事は目に見えていた。家康は秀吉から見て義理の弟、後継者が居なければ権利を主張されてもおかしくない。
だから早めに徳川の力を奪い潰しておく必要があった。そこで関東転封という案が浮上する。
秀吉からその試算をする様命じられたのが前田利家、利家の試算によると江戸を開拓して大阪並の都市にするには年間150万から300万両の予算と
およそ50年の時間を要するだろうという見積もりが出る。徳川家にはそこまでの予算も無いし、転封してしまえば徳川家は衰退するだろうと考えられていた。徳川家が衰えてきた頃に潰せば楽に潰せるという計算があった様だ。でも、家康は有能だった。50年は掛かると言われた事業を10年でやってのけた。急速に江戸を開発し、10年足らずで大阪を超える都市へと成長させた。
都市開発と伴に治水に腐心し、単位面積当りの石高をそれまでの3倍にまで高めている。ただでさえだだっ広い関東平野、開発すればいくらでも石高が上がった。
これだけの事実から見える事は、豊臣方は家康を甘く見すぎていた事、家康は非常に有能で特に人材登用に長けていた。
その次に家康は借金する事が上手かった。江戸を開発するのに必要な予算の多くを借金し、それを上がった石高で返している。
この計算が上手かったから早い開発が成功した。

結局豊臣方の敗因は見積もりを誤った事だ。
176.名無しさん:2016年01月23日 17:57 ID:I7sz9Bcm0▼このコメントに返信
秀長が亡くなって、全てが暗転してしまったような感じがする。
利休や秀次の件も朝鮮出兵も全てが秀長没後。
北条征伐後の仕置きから何か歯車が狂っていくが、ちょうどその頃が秀長の最期とも重なるし。
177.名無しさん:2016年01月23日 18:00 ID:grLRXuAo0▼このコメントに返信
家康が関東平野を開拓すると言ったか、秀吉が手腕を見込んで開拓を任せたと俺は思ってるんだがな。
左遷じゃないやろ。
178.名無しさん:2016年01月23日 18:04 ID:.ybZjncJ0▼このコメントに返信
※168
あんなど田舎もらうぐらいなら茶器のほうが嬉しいで

by滝川一益
179.名無しさん:2016年01月23日 18:08 ID:3xW.utgM0▼このコメントに返信
※175
別に東海道だけじゃなく、北陸、畿内、瀬戸内と京阪取り囲む形で譜代格の大名配置してるんだが...
180.名無しさん:2016年01月23日 18:42 ID:qNWN8FYY0▼このコメントに返信
※144
史料的にはまちがいなく徳川攻めの準備が進行してる感じだね。
「出馬」とか言ってたのが急転直下「赦免した」とか言い出したから。

ただ秀吉は「攻める攻める詐欺」が多すぎて、本人の書状に書いて
あっても本気で攻める気だったのかイマイチ判りにくかったする。


※145
いや治水ってのは古い俗説だよ。

利根川が江戸湾へ流れ込んでた頃には大きな氾濫はないし、東遷して
江戸の水害が減った訳でもない。

本当に洪水対策が目当てなら明治に造られた荒川放水路みたいなのを
つくらないといけない。

あと例の政党が役立たずなのは同意だが、モータリゼーションの
進展した現代の日本で都市水運の見直しは無意味だと思う。


※161
上杉が義を重んじるってのはギャグにしかならない。

※175
延々と関東は最低ランクの土地なんてトンデモ説を垂れ流してるけど
なんかの病気かい?
181.名無しさん:2016年01月23日 19:56 ID:3alDe8RO0▼このコメントに返信
関東ははかなりランク低い土地だぞ。
特に23区の辺りは今でこそ繁栄してるように見えるけど、元々の土地が湿地帯なので地下を深く掘らなくてもすぐに水が沸く。
つまり、地盤があまり良くないんだよ。
土地的に地震に滅法弱い。

この土地の地下工事やったことある奴なら分かると思うが、湧水には結構悩まされる。
いちいち排水しないといかんから、手間と費用が掛かるんだよ。

反面、日本の建築技術が世界トップレベルになったのは、日本の平野部の多くが湿地帯で、尚且つ地震が多い国柄だから。
良くもまあ、こんな土地を現代の繁栄まで導いたなと思うわ。
182.名無しさん:2016年01月23日 20:17 ID:E.KAwJFi0▼このコメントに返信
小牧長久手で最終的に政治で屈服させたもののその前の戦闘では負けたからな
ああするしかなかっただろう
戦闘で勝って家康を殺せてれば今とは違う歴史になってた
183.名無しさん:2016年01月23日 20:35 ID:iUgzjRnX0▼このコメントに返信
「30万石でも大丈夫な気がする」
という理由一点張りのイッチの判断が
天下を取った秀吉の状況判断より上回るとは思えん
184.名無しさん:2016年01月23日 20:42 ID:cgGJoiG50▼このコメントに返信
家康が豊臣家潰すと分かってればそらどんな理由つけてでも潰しただろうさ。
秀吉が一番怖かったのは徳川と北条が連合して関東大名を引き入れることだったと思うけど
北条攻めでも唯々諾々と従った徳川をあの当時冷遇、ましてや潰すなんてできたんかいな。
秀吉死後も三成と譜代の諍いがなければ関が原の戦いまで行ったかどうか。。。。
家康側も豊臣と争うにしても長期戦になったら寿命で死ぬ可能性も高かったわけで、家康側も
短期的に終わらせられるチャンスがあればくらいに思ってたんじゃないかなぁ。

潰すなら徳川政権下の伊達のがよっぽど潰す理由あったよねw


185.名無しさん:2016年01月23日 20:46 ID:b4nbI84P0▼このコメントに返信
 文禄4(1595)年8月、三条河原で執行された関白、豊臣秀次の一族ら39人の公開処刑は凄惨(せいさん)極まりないものだった。幼子は首根っこを捕まえて槍(やり)で突き、女人も次々と首をはねるなど、極悪人の処刑を印象づけるシーンの連続だった。謀反の罪で秀次を切腹させるにとどまらず、なぜここまで非情な行動に出たのか。これには当時の権力者、豊臣秀吉の老化による判断力低下と、わが子、秀頼の時代を万全にしたい執念のようなものが見え隠れしてくる。

これが原因だよ
秀頼を自分の後釜にしようとした結果
186.名無しさん:2016年01月23日 21:07 ID:upWjz0CJ0▼このコメントに返信
※145
・水運は維持費がかかる。防錆防腐で割と金を食う。例えばヨット一隻のメンテナンス料は1年あたり1000万円。それもかれこれ10~20年前の相場で。
・風雨の影響による安定性に問題がある。
・基本的に水上を通るわけで、安全性に問題がある。つーかまあ「完璧に安全な交通手段」なんぞないのでこれを言い始めたらきりがないが。

つーことでこれらがコストに上乗せされるので、トータルすると運賃が結構高くなる。
横浜ーみなとみらいの運賃は、地下鉄なら180円だがシーバスだと420円。
仮に水運を活発化しても、ぶっちゃけ、これ以上利便性があがるとも、この運賃がそうそう下がるとも思えん。
川下りやら屋形船は観光・レジャーだからこそカネを払うんであって、運賃としては誰も払いたがらんと思うよ。
187.名無しさん:2016年01月23日 21:48 ID:QT1y0R3f0▼このコメントに返信
信ちゃんは今川倒して安心してたけど、結局弟子の家康にやられちゃった恰好なんだよなー
188.名無しさん:2016年01月23日 22:37 ID:pu.fFM9h0▼このコメントに返信
どうして家康を優遇した云々は、家康が本当に裏切るなんて結果を知ってる今だから言える話なんだな。
当時からすれば、信長の代から世話になってる人間を冷遇するのは体裁的にも秀吉の性格的にも難しいし、
今まで生死を賭けて義理を通してきた人間が自分が死んだら手の平返すとか思わんでしょ。
189.名無しさん:2016年01月23日 22:47 ID:fd9FYag90▼このコメントに返信
※42
というかこの35は、関東の話をしているこのスレで、何故濃尾平野の話をし始めたのか?
理解できない俺が莫迦なの?
190.名無しさん:2016年01月23日 23:04 ID:z8pyr.rk0▼このコメントに返信
※100
それぐらいのことは知っている。
馬鹿。
知ったかぶりをするな。
断片的にしかものを見れず、人の上げ足を取っているつもりでも誰も尊敬しない。
自分の見解をきちんと示せ。
ストーキングは謝絶。
191.名無しさん:2016年01月23日 23:10 ID:z8pyr.rk0▼このコメントに返信
やたらゲーム脳と言っている低レベルがいるようだが、
米が大東亜戦争時エニアックというコンピュータを使いシミュレーションを行っていたことは周知の事実。
それで、その性能はといえば、十数年前のパソコンのものに及ばない程度だったかな。

ゲームの構成理論は変わらないし、それが現実にそのまま応用されるわけでもない。

ただ、何もないよりはるかに有用であることは確かである。
192.名無しさん:2016年01月23日 23:22 ID:D13IP9If0▼このコメントに返信
みんな忘れてるかも知れませんが、移封時形だけだけど家康は秀吉の義弟(妹婿)だよ。
一門衆を優遇して東国の抑えにしたつもりだったのかもよ。
結果として室町幕府の鎌倉公方と同じになったけどね。
193.名無しさん:2016年01月23日 23:31 ID:fd9FYag90▼このコメントに返信
石高(数値)だけに目を奪われ過ぎだな。

土地から引き離すと言うことは、今まで築き上げてきた領民との信頼関係をリセットされると言うこと。
今まで作り上げてきた隣国との同盟等を、新たにやり直さざるを得ないと言うこと。


検地の数字が各国・検地奉行により誤差の大きかった時代だ。
数字だけを見てると間違うよ。
194.名無しさん:2016年01月23日 23:46 ID:7Jsw.eGr0▼このコメントに返信
唐入りで大陸に清正とか子飼いに数百万石クラスの領地与えまくる予定だったんだよね
そうすれば250万石の徳川は相対的に単なる大名の一つに転落することになる
195.名無しさん:2016年01月24日 00:21 ID:YqK2dnph0▼このコメントに返信
しかし秀吉は本気で中国大陸を支配できると思っていたのだろうか。兵力や兵站の問題で厳しそうだな。ヌルハチの後金(清)と協力するなりしないと厳しそう
196.名無しさん:2016年01月24日 01:00 ID:GAzX9fjg0▼このコメントに返信
※193
豊臣時代は石高=軍役だから、きっちり検地されたよ、しなきゃ秀吉から処罰されるし、、、
たとえば、越後に国入りした堀秀治が以前の上杉検地から太閤検地に課税方法変えてるけど
逆に税収アップにつながってたり、逆に島津家みたいに過大な報告(して兵力増加)してたりする、、、
つまり(過大評価はあっても)決して小さく見積もられることはなかったよ
今のゲームの石高は太閤検地基準なんで、だから当時の石高(生産力)とそうかけ離れたもんじゃないかと、、、

まぁ全国均一の太閤検地基準のおかげで農民との信頼関係ってのはあんま関係なくなったと思う、、、
秀吉時代ってのはかなり兵農分離が進んでて、それは徳川家も程度はそう変わらなかったしねぇ、、、
197.名無しさん:2016年01月24日 02:07 ID:F0lckLlm0▼このコメントに返信
※174
江戸近辺では少し状況が違ってましてね…
隣接低地の豊島郡と葛飾郡は説明した通り氾濫地帯で、米そのものは採れるけど収量計算は立たない
(江戸時代後期でも二年に一度は壊滅してて、その度に幕府から種籾の供給を受ける有り様)
その他は汽水域で栽培が無理なんで年貢は大根と人参が主体だったので、濃尾平野と比較するのも恥ずかしいわ…
川向こうの現埼玉県は米どころだったけど、江戸に限れば武蔵野台地とその裾野は野菜でしか生計を立てられない貧農地域でした
大体さぁ、長い武蔵野国の歴史の中で江戸に城を構えたのが太田道灌と家康しか居ない時点で
どれだけ使いにくい土地か分かると思うんだ
地生えの豊島氏だって根拠地は石神井川源流だよ?
平安時代は面積絶大でも人口は壱岐辺りと同レベルの13万人。それが武蔵
198.名無しさん:2016年01月24日 02:36 ID:9mon5fLU0▼このコメントに返信
※195
失敗したから誇大妄想に憑りつかれたとか言われてるけど、成功すると思っていたから実行したんだよ、失敗すると思ったらやるわけないしw
兵站に関しての認識は、現地調達で何とかなると認識が甘い部分があったのは確かだろうな、まぁ兵站に限らず、戦略計画の段階で日本国内の感覚のままだったろうし。

大陸を支配できるかどうかは、そのヌルハチさんが当時総人口300万くらいだった女真族の清を建国してるあたり、やり方次第では…という気もする
199.名無しさん:2016年01月24日 02:44 ID:qbdDgT8c0▼このコメントに返信
※196
「検地」なんかしてない地域の方が多いんだぜ。
関東の場合、「指出」で後北条時代の村高を換算しただけだし。

他にも佐竹や島津のように大名権力強化の為の「検地」をしてもらった
大名の場合、大きな「無役」を設定されてるから「石高」=「軍役」ですらない。

※197
嘘はいけないな。鎌倉時代には江戸氏が居るし、後北条時代も重要な支城だ。
ゲッペルスの弟子はコメント欄には無用だ。

200.名無しさん:2016年01月24日 03:01 ID:D.CXJ5Ek0▼このコメントに返信
※194
慶長の役の頃に一段落したら国替えを行って
立花宗茂に保留にしてた文禄の役の功績と合わせて、筑後、肥前、肥後の3国をあてがうことを
約束してたって話もあるけど、秀吉があと2年生きてたらどうなっただろうな
201.名無しさん:2016年01月24日 10:31 ID:wlxfEVlp0▼このコメントに返信
※199
「拠点として重要」というのと、「収穫が少ないので住民が暮らしにくい」というのは別に矛盾していないと思う。
まあ収穫が少なかったのは事実だろうけど、コメが生活の全てでない以上、石高のみを指標にするってのはかなり暴論ってのには賛成。
だからこそ、最後のゲッベルス云々という煽りは全く不要だと思うのだが。
202.名無しさん:2016年01月24日 12:04 ID:qbdDgT8c0▼このコメントに返信
※201
あのなぁ※197は「江戸に城を構えたのが太田道灌と家康しか居ない」とか酷い嘘を書いてるんだぞ
ゲッペルス云々で十分だ。

ついでに書いておくとお前さんの認識も間違いだ。
江戸は拠点として重要かつ役高も多い。

永禄2年頃と言われる後北条氏の「所領役帳」で最大の役高を占めるのは
江戸衆で他の領よりもスバ抜けて多い。

その後の検地でも同様。石高が低いなんて笑い話にもならん。
203.名無しさん:2016年01月24日 16:56 ID:FrYdampZ0▼このコメントに返信
※202
江戸氏のは居館であって城じゃないが…城主カウントするのか?
江戸衆云々に関しては荷役と水運で食ってる連中だから、税として労役と兵役を振っただけかと
何せ租税がろくに取れないんだから働かすしかあるまいて
ところでゲッペルスのうんちゃらって何の暗喩なの?
204.名無しさん:2016年01月25日 10:43 ID:Hd3JR3Ay0▼このコメントに返信
率直に日比谷まで海だった江戸で
そんなにたくさん米が取れる訳が無いと思うけどな
205.名無しさん:2016年01月26日 02:28 ID:2nkMrIX.0▼このコメントに返信
そう、江戸が栄えだしたのは江戸時代から
100万都市になったと吹いているが
実際は明治時代でも80万ちょっとの人口だった
今、日本一栄えているからと言って、昔から栄えてたわけじゃない
昔、首都で日本一栄えてた奈良が今はどうなってるか知ってるか?
206.名無しさん:2016年01月26日 20:30 ID:DIu43mIo0▼このコメントに返信
このスレとコメ欄すっげー面白い
207.名無しさん:2016年02月08日 11:57 ID:3N63wLxC0▼このコメントに返信
江戸なんぞという田舎(元々、鎌倉に近く武士の結束力も強い)に籠らせず、
滋賀か奈良のような、京都に近いところで、貴族みたいな生活をさせておけば、
家康は天下人にはなれず、細川藤孝みたいになっていたのではなかろうか

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